|鵺《ぬえ》の集う街でX    ―― Pay it forward. ------------------------------------------------------- ※はじめに このたびは当ダウンロード版をご利用戴きましてまことにありが とうございました。 このテキストは創作小説サイト「私立杜守図書館」に掲載してい るオリジナル小説のうち最新更新分のみを、ダウンロードしてオ フラインでもお読みいただけるようにテキストファイル化したも のです。 話によっては長編小説の中途部分のみという場合もありえます。 もし以前の部分が未読のものでしたら、サイト上にて以前の部分 からお読みいただけると喜びます。 -------------------------------------------------------   第六章 Work engagement or workaholic  その日、そこそこ名を知られた商会の会長室で、一人の男が書類と向き合っていた。  本社ビルとはいえ、周囲と比較して突出して高層という訳ではない。立地も中央からはわずかに外れた、中の上といった位置取りだ。  しかしそれこそが、この商会の経営方針を現している。  派手すぎず、目立ちすぎず、しかし水面下でひっそりと。無視でき得ない影響力を、蜘蛛の巣のように張り巡らせる。先代も先々代もそれを心がけ、そして婿養子として跡を継いだ三代目である彼もまた、その理念に深く賛同していた。  出る杭は打たれやすい。この都市ではことにそれが顕著である。そして営業妨害を行おうという|輩《やから》は、得てして弱いところをついてくるものだ。もっとも効果的で判りやすいのは、商売には関係のない、家族に刃を向けることだろう。暗殺や誘拐などはまだ基本のうちで、ささいな嫌がらせや襲撃を繰り返しては精神を疲弊させ、心を病むまで追い詰めるぐらい、息をするのと同じぐらい|容易《たやす》くやってのける。むしろそんなことも出来ない存在が、この都市で大成することなど、そもそも不可能なのだと断言できるほどだ。  それが商業都市とも呼称される、ここホーフェンゲインの流儀なのである。  しかし己の妻をこよなく愛する男は、たとえ嫌がらせ程度であったとしても、妻の心に影を落とそうとする存在を許しはしなかった。情報を集め、先んじて手を打ち、妻がそれと知るその前に、すべて対処してみせる。そうして己の腕という籠の中で、彼女はいつまでも無垢なまま笑っていてくれれば良い。そのためならば、どんなことだってしてみせよう。  そう心に決めている男は、手にした書類の内容を特に感慨もなく流し読むと、処理済みの箱へと放り込んだ。のちほど跡形もなく分解処分されるその紙面には、先日取引を失敗し不渡りを出したことで、立ち行かなくなったとある商会の ―― その取引を妨害した人物からの報告が記されている。  証拠が残っておらず、こちらの関与を疑われる要素はない。それが確認できれば充分だ。  さて、次の案件はと手を伸ばしかけたところで、壁面に埋め込まれている巨大な水槽から、鈴に似た電子音が鳴り響いた。続いて色とりどりの熱帯魚が泳いでいるガラス面 ―― と見せかけたモニター ―― に浮かび上がった文字は、見覚えのある都市名と通り名で。  わずかに首を傾けた男は、しばし考えたのち、執務机から立ち上がった。スーツの表面を軽く払い、皺などがないかを確認する。それから水槽を模した画面の前に設置した、上質なソファへと深く腰を落ち着けた。 〈 ―― |Video call《映像通話》、|connect《繋げ》 〉  映像通話装置が声紋を認識し、画面が一瞬ブラックアウトする。続いて表示されたのは、男と同じようにソファに座った、スーツ姿の人物であった。 『……久しぶりだな。アルベルト=カタクス』  落ち着いた低い声が、淡々と感情の色を伺わせぬ口調で告げてきた。 「二ヶ月ぐらいぶりかな? 〈シルバー・アッシュ〉。ここへの|直通番号《ダイレクトナンバー》を伝えた記憶はないんだけど、さすがにこれはマナー違反じゃないかい?」  そう言いながらも男 ―― これといって特筆するところのない、茶褐色の髪と瞳を持つ凡庸な|人間《ヒューマン》男性 ―― と見せて、その実はカタクス商会のやり手会長と業界では噂されるアルベルトは、組んだ膝に頬杖をついて、何かを楽しむような笑みを浮かべてみせた。  モニターに映っているのは、〈|銀の塵《シルバー・アッシュ》〉の|HN《ハンドルネーム》で知られる、凄腕のプログラマーだった。現在、別都市レンブルグと提携して行っている新規事業の関係で面識を得て、それについてや、また別途個人的な依頼をしたその他の仕事の関係で、時折りやり取りを行っている相手である。しかしそれはあくまで事務的なものに留まり、通常の業務の範囲を逸脱するものではなかった。このような、前触れもなければ秘書の取り次ぎも通さぬ接触を許した覚えは、断じてない。  もちろんこの人物であれば、複数箇所に知られている直通回線の番号ぐらい、簡単に調べることができるだろう。それぐらいは想定内だ。しかし不法に入手した情報を闇雲に振りかざして、不興を買っても構わないと思うほど、こちらを軽く見ているのであれば。  それは、いささか、面白くない。  さて、どういった答えが返ってくるのだろう。以前のように、こちらの想像を良い意味で裏切ってくれるのならば、それはそれで楽しめるのだが。  アルベルトはそう考えながら、笑みを深めてみせる。 『ふむ ―― 』  言葉を選ぶように首を傾けたシルバーの肩口から、黒い髪がさらりとこぼれ落ちた。  画面越しでも判る、絹糸のような光沢を放つその一房を、細い指がすくって再度耳へかける。その袖口と上着の襟元に、揃いの装飾品が光っていた。  全体的に黒と灰を基調としたシックな男物を着用した彼女の、|彩《いろど》りといえばただそれだけ。未だろくに声を発することもなく、表情すらもほとんど動いていない。  それなのに何故か、自身の鼓動が大きく脈打ったのを感じた。  いったい彼女が次に何を口にするのかと、聞き逃さぬよう意識を研ぎ澄ます。 『非礼は、詫びよう。事前に話を通しておこうと考えたのだが、果たして秘書に聞かせて良い内容かどうかまでは、判じかねたのでな』 「……と、いうと?」  ざわつく内心を笑顔の鎧で覆い隠し、アルベルトは軽妙な口調のまま問い返す。そんな彼の前で髪の乱れを直した彼女は、悠然とソファへその背を凭れさせた。深く組んだ膝の上で両手を重ね、くつろいだ姿勢でこちらを見返してくる。  それはまるで、遥か上位の存在から鷹揚に睥睨されているかのごとく。 『マクダーモット』  一言。  口にされたその商会名に、わずかに表情が動くのを止められなかった  かの商会が行っている、とある事業に出資しないかと持ちかけられているのは、非公式の話でしかなかった。書面も残ってはいないし、いつ盗聴されるかも判らぬような、セキュリティの甘い回線も使用していない。直接顔を合わせた際に、匂わせる程度の比喩表現で、わずかに言葉を交わした程度である。答えは急がないと言われていたし、見返りを考えるとそこまで興味をそそられる内容でもなかったため、判断の優先順位を下げていた案件である。  それを何故、彼女が知っているのか。  百歩譲って、マクダーモットと接触したことがあるという事実のみならば、何も問題はない。しかし出資を求められた、その事業の内容にまで調べが及んでいるのならば……  相手のモニターには映らない位置にある片手を、密かに握りしめる。  しかし、彼女の言葉は意外なものだった。 『お前が誰と、どのような事業を行おうと、好きにすればいい』 「それは……どういう意味かな」  辛うじて笑顔を保ちながら、どうにか不自然にならないタイミングで会話を続けた。 『〈私〉は、その商会を敵対勢力だと認定した。ただその事実を、伝えておこうと思っただけだ』 「あそこは、貴女を敵に回したと?」 『そうだ』 「理由を訊ねても……構わないかい」  その一瞬、こちらを見る闇色の双眸が、ほんのわずかに細められた。 『……〈うちの子〉に、手を出す可能性がある』  お前ならば、判るだろう?  口にされなかったその問いかけは、アルベルトにとって深く共感できる内容であった。  大切なものに、手を伸ばされそうになる。たとえそれがまだ計画の段階であれ、あるいはちらりと脳裏をよぎっただけの、ささいな願望にすぎなかろうと、 「それは、看過できないね」  わずかでも懸念が存在するのであれば、排除するのに躊躇いなど覚える必要はない。自身がそれを行えるだけの『力』を有しているならば、なおのこと。 「まあ現時点で、カタクス商会とマクダーモットとの間に、取引は行われていない。あちらに何が起きようとも、うちへの不利益は生じないよ」  貼り付けた笑顔の下で、アルベルトはあっさりと商会ひとつを切り捨てた。  彼女を敵に回した時点で、マクダーモット商会と関わりを持つ利はなくなった。相手はホーフェンゲインの裏側でかなりの影響力を持つ商会だが、この直通回線や非公式の商談を見つけ出した〈シルバー・アッシュ〉であれば、どうとでもできるのだろう。下手に同陣営とみなされ巻き添えを食らっては、それこそ洒落では済まされない。そう脳内で算盤を弾く。  そこでアルベルトは、さらに言葉を付け加えた。 「もし、こちらで手伝えることがあるなら、相談に乗るけど?」  貴女にはまだ借りが残っているし、と。  レンブルグで妻が襲撃を受けた際、彼女からはその黒幕をあぶり出すのに有力な情報を提供された。しかも手土産だと称して無償で。それまではこちらが優位に話を運んでいたはずだったのに、あれであっさりとひっくり返されてしまった。あの屈辱を通り越して爽快さすら感じた経験は、なかなか忘れられるものではない。  それに商売人として、返せる借りはさっさと返してしまいたかった。  そんな思惑もあって提案してみると、彼女はまたわずかに考え込んだ。恐らくその脳内では、彼女自身が電子端末であるかのごとく、様々な情報が飛び交い組み合わされて、結論を導き出しているのだろう。  やがて、その薄い口唇が開かれる。 『後釜に座られると、手間が増えるな』  アルベルトは、今度こそ息を呑んだ。  その言葉の、意味するところは。 「…………了解したよ。またひとつ、借りが増えてしまったね」 『お前は、話が通じやすくて助かる。私も、優良な顧客を失いたくはない』 「それはそれは、過分な評価をいただき、恐悦至極と言うべきかな?」 『用件は以上だ。邪魔をした』 「何も問題はないよ。それより今度、また頼みたい仕事があるんだ。その時はよろしく願えるかい」 『いつもの所へ、概要を送ってくれ。引き受けるかどうかは、内容を精査してから判断する』 「そういう安請け合いをしないところ、僕も貴女を高く評価しているよ」  軽口めいたやり取りを最後に、通話が終了する。  いったん暗転したモニターは、再び熱帯魚が泳ぐのどかな水槽の姿を取り戻した。 「…………」  回線が完全に閉じたことを念入りに確認してから、アルベルトは深々と息を吐いた。ぼすりとソファへ寄りかかる。冷や汗で湿ったシャツが、背に貼り付く感触がして気持ち悪い。陰で握りしめていた手を持ち上げてみると、まだ細かい震えが残っていた。  今度もまた、思い切りひっくり返されてしまった。 『 ―― 後釜に座られると、手間が増えるな』  危機を回避できた上に借りまで返し、さらなる利益の可能性さえをもと欲を出したその瞬間、底のない落とし穴を踏み抜いた心地を味わわされた。  重ねて言うが、マクダーモットは裏でかなりの権勢を誇る商会である。そこが大きなダメージを受け、あるいは廃業に追い込まれるような事態に陥れば、この都市の勢力図は大きく書き変えられる。  近いうちに起こるだろうそんな未来をいち早く予測できたカタクス商会は、当然有利に立ち回ることができる。それだけでなく、その抜けた穴を埋める ―― すなわち非合法な臓器売買事業を、販売ルートごと乗っ取り引き継ぐことができたなら。ささいな投資の見返りとして受ける、ちまちまとした利益配分などとは比較にもならない。それこそ勢力の大幅な拡大すら狙えたはずだ。  しかしそれを実行すれば、カタクス商会もまた、〈銀の塵〉を敵に回す結果となるのだろう。  底の見えぬ暗黒をたたえていた瞳を思い返し、アルベルトは皮膚が粟立つような、悪寒めいたものを覚える。  仮にここで選択を誤れば、たとえ顔見知りであろうと、なんら関係なく潰される。あれは、そう確信させる目だった。  手間が増えるというのは、つまりそういう意味なのだ。  紙一重で踏みとどまることができた事実に、心の底から安堵する。 「まったく、恐ろしい|女性《ひと》だ……」  どうやら以前、レンブルグで相対した時の彼女は、全く本気でなどなかったようだ。少なくとも今回とは比べ物にならぬほどに、手加減してくれていたらしい。  通話が始まった時点で、妙に鼓動が早まった理由も、今ならば理解できた。  あれは彼女が内に孕んだものを無意識に感じ取り、それが自身にまで降りかからぬよう細心の注意を払うべく、自己防衛が働いたのだ。  一言でまとめれば ―― 畏怖。  商人の勘、あるいは生き物としての本能がそれを察知したのだろう。  対等に会話できる貴重な相手だと、上から目線で高をくくり、むしろこちらこそがその足元にも及んでおらぬことに気づきもしていなかった。  そうしてようやく察した格の違いに気圧されながらも、それを自覚しないままに一瞬でも欲を出してしまった。  あそこで身を引くのが遅れていたならば、はたしてどういう末路が待ち受けていたことか。今さらながらに肝が冷える。  世間からはやり手の三代目などと持ち上げられていても、まだまだ修行が足りていなかったようだ。 「……今日はもう、ここまでにするか」  自嘲の笑みを浮かべつつ、脱力して天井を見上げた。  こんな精神状態で仕事を続けても、別のところで判断ミスをやらかしそうだ。定時にもまだ少々早い時刻だが、残りは明日に回すとして、今日のところは帰宅し妻にたっぷり甘えようと思う。もちろんみっともない姿など見せられないから、しっかりシャワーを浴びて、身だしなみを整えて。  そうしてあの純粋無垢な笑顔に癒やされるのだ。  そのためにこそ、彼はカタクス商会会長という、今の立場を手に入れたのだから ――   §   §   §  リビングにある大振りなソファーへと、シルバーはその身を落ち着けていた。  ホーフェンゲインとは、一時間ほどの時差がある。広く取られた窓から望む空は、既に西陽の名残が消えつつあった。  磨き上げられた革靴の足を組み、背凭れに上体を預けて座るその身なりは、完璧に整えられたものだ。  皺ひとつない消炭色の三つ揃いに、光沢のあるパールグレイのシャツ。わずかに色味の濃いネクタイとポケットチーフもまた、同じく艶のある銀に近い灰と、どこまでも|無彩色《モノトーン》にまとめている。そんな中でスーツの襟を飾る、大粒の黒真珠に銀鎖をあしらったラペルピンと、揃いのデザインで袖口を留めるカフスボタンが、|孔雀緑《ピーコックグリーン》の輝きで品のある彩りを添えていた。  まっすぐな漆黒の髪は丁寧に|梳《くしけず》られ、背へと流してある。  その顔色に、数時間前までの超過労働の痕跡は見受けられない。  そんな彼女が向き合っていたのは、一見すると少し大きいだけの、映像受信装置だった。  しかしそれは一般的な、娯楽や情報番組を受信するだけではなく、外部との通話機能も内蔵されている高性能なものである。対象範囲はキメラ居住区内だけではなく、この都市全体と通信が繋げられる広域用 ―― よりも、さらにまだ上を行く一台だ。  先ほどまで通話していた人物が、他都市であるホーフェンゲインに在住しているところからも、その|性能《スペック》の高さが察せられるだろう。  四時間ほど前のこと。  作業を中断させた際に、次は通話を行おうとしていた彼女が、音声だけでなく映像も伴うそれを使用するつもりでいたと知ったリュウは、小休憩ではなくまず三時間以上の睡眠と、充分な量の食事をとることを提案した。そうしてある程度の疲労回復と栄養補給を行ったシルバーを、交渉事には見た目も重要だとさらに説き伏せ、風呂に入らせた上で徹底的に身支度させたのである。  全身のマッサージやスキンケア、隈を隠す程度の自然な化粧を施したのもリュウだ。元が観賞用かつ愛玩用であった彼は、自身の肉体を手入れするだけでなく、飼い主のそれを手伝う方法も叩き込まれていた。それはもっぱら気位の高い女主人の自尊心を満足させるための技術だったが、シルバーと暮らすようになってからはそれなりに役立っているあたり、今となっては教えられていて良かったと思わなくもなかったりする。  その過程で、電脳空間に適合した状態に最適化されていた彼女の思考も、|現実《リアル》で人物を相手にする時のそれを、どうにか取り戻していた。  そうして一仕事やり遂げたリュウは、通話先の画面に映り込まない位置で控えながら、二人のやり取りを無言で見守っていたのだった。  その相手のことを、リュウは噂話でしか聞いたことがない。  いろいろと伝え聞くところによれば、ジグの元飼い主の娘婿で、保証人という立場を遺産として相続していた男なのだという。親しみやすい笑顔や語り口とは裏腹に、商業都市と名高いホーフェンゲインで、若いながらもひとつの商会を率いる優秀さと、妻のためなら誰に対しても容赦をしない苛烈さを持つ、一筋縄ではいかない存在なのだとか。  事実、これまで様々な上流階級の人間を見てきたリュウの目にも、簡単に信用してはならない相手だと映った。外見こそ目尻の垂れた、地味ではあるがいかにも好青年といった印象を前面に出しているが、浮かべられたその笑顔はどうにも胡散臭く感じられてしまう。  最初に通話しようとした際、止めたのは正解だったとしみじみ思う。  あの、疲労が蓄積し判断力が落ちていることが如実にうかがえる状態で交渉をしていたら、いったいどこで足を掬われていたか知れたものではない。  もちろんあの状態でも、シルバーの気迫は充分相手に伝わっていただろう。それでもあんな男ならば、些細な言葉尻を捉えて、己の利に繋がる何がしかを要求してくる様が容易く想像できた。  故にまず第一印象で、相手を圧倒し優位に立つ。観賞用の獣人種にとって、その手段として見た目を整えることは、基本中の基本であった。  少しは役に立てたかと、密かに胸をなで下ろす。 「……後始末の手間が、八割削減できた」  小さく息を吐いて、シルバーが無造作に髪をかきあげた。  複数のブラシを使い分け入念に|梳《くしけず》った長い黒髪は、一瞬でいつも通りに戻ってしまう。 「八割も、ですか?」  想像以上の数字に、リュウは目を瞬かせた。  厄介な相手だとは感じたが、さすがにそこまでだとは思わなかったのだ。 「仮にあの男が臓器密売を引き継いだ場合、マクダーモットを相手にするよりも、はるかに面倒なことになるだろう。セキュリティの堅さから判断しても、確度の高い予測だ」  今回、カタクス商会がこの件に関与している……正確には今後関わってくる可能性が高いと判明したのは、すべてマクダーモット側から得た情報である。そちら側へは苦も無く|侵入《ハッキング》でき、情報を引き出すのも改竄するのも思いのままだった。しかし確認を取るべくカタクス商会へと手を伸ばした際には、なかなか手こずらされた。以前、機会があった際ついでに仕込んでおいたウイルスがなければ、攻略にもっと時間を要したはずだ。 「それにカタクス商会は、表向きのまっとうな商売も手広くやっている。関係のない一般社員や取引先への影響を抑えるならば、相応の手順を踏む必要がある」  見知らぬ他人など、身内を守るためならばどうなっても構わない。割り切ってしまえば、それまでの話だ。それでも無用な恨みを買うのは好ましくないし、将来的に何がどう巡って災いと化すかも判らない。不確定であれ|危険《リスク》を避ける方法があるのならば、多少の面倒は甘受すべきだろう。  その点マクダーモットの方は、その業務の実に九割以上が非合法なそれであった。知らずに関与している者もある程度は存在するだろうが、そのあたりは自己責任と思ってもらう。  彼女は別に、正義や神を気取る気などさらさらないのだ。優先すべきは常に身内であり、守る対象は手の届く範囲まで。  ニックとリリが保護したあの子供達は、シルバーにとって元身内の庇護下にあるという時点で『うちの子』という認識になる。  それに臓器密売の被害者という点でも、彼女にとっては見過ごし得ない存在だった。  |己《おの》が罪の意識を少しでも薄めようとする、卑怯な代替行為に過ぎぬと自覚してはいた。それでも知ってしまった以上、放置などできるはずがない。  無意識に動いた手のひらが、左の膝頭をさすった。 「……残り9時間14分。先にテジュンらの方を片付ける」  そう言って組んでいた足を戻し、ソファから立ち上がろうと前のめりになった。 「お運びします」  そんなシルバーへと素早く歩み寄り、リュウはもはや慣れてしまった動きで横抱きにする。  いくら仮眠と食事をとったとはいえ、彼女の疲労が完全に回復している訳ではなかった。化粧で誤魔化した顔色はまだかなり悪いし、ああして膝に触れている時は、多かれ少なかれ痛みを感じている場合が多いことも学習していた。  それでも、これ以上は止めて止められるものではないことも予想ができたから。  ならば下手に邪魔をして時間を無駄にするよりも、少しでもその体力を温存させ、早く作業を終わらせることが、いまできる数少ないサポートなのだろう。 「軽食と飲み物を用意しますので、今度はちゃんと口になさって下さいね」 「…………」  仕事部屋へと向かいながらそう告げてみる。  しかし既に脳内で必要なプログラムを組み始めているらしい彼女は、無言でただ宙を眺めるばかりであった ――   〈つづく〉 ※活力を得るために仕事をするのか、仕事のために身を削るか。 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