楽園の守護者 第十話
―― 予 兆 ―― 序 章
― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2002/4/4 10:45)
剣の柄を握る腕が、小刻みに震えていた。
わずかでも気を緩めれば、そのまま指の間から取り落としてしまいそうだ。
優美な弧を描く細身の長刀は、一般的な剣よりもはるかに細く、軽いそれである。いくら鍛えたところで、男の持つ膂力になど及ぶべくもない彼女は、それ故にこそその刀を選んだのだから、当然と言えばその通りだ。鍛え上げられた片刃の刀身は、鋭く研ぎ澄まされ、怖ろしいほどの斬れ味を誇っている。渾身の力などこめずとも、人体を容易く骨ごと切断できる。それでいてその重量は、セイヴァンで一般的に使用される、両刃の長剣の半分にも満たない。
もともとは、捕らえた海賊の略奪品に混じっていた物を手にしたのがきっかけだった。異国 ―― それも遠く海を隔てた東方諸島とを行き来する商船を襲っていた、海賊達から押収したそれ。薄くもろいその刃は、使いこなすのに幾分のこつを必要としたが、それでも彼女は、ひどく手になじむものを感じたのだ。
以来彼女、レジナーラ=キエルフはこの種の刀を愛用している。
膂力も体力も限られている彼女にとって、なくてはならない、武器 ――
だが、
「ひるむな! 一歩退けばつけ込まれるぞッ」
味方を鼓舞すべく叫んだ隙に、またも妖獣が一匹襲いかかってきた。
とっさに刀をかざしたが、斬り返す余力は既に残されていなかった。のしかかってくる重量を受け止めきれず、彼女はがくりとその場に膝をつく。押し込まれてくる鋭い爪を、峰に当てた腕でどうにか支えた。
「レジィ様!」
叫びと共に銀光が閃き、妖獣の手首が鈍い音をたててへし折られた。
片腕をぶらつかせながらなおも向かってこようとするその脇腹に、腰だめに剣を構えたバージェスが体当たりする。
「ご無事でッ?」
「あ、ああ。すまない」
よろめきながらレジィは立ち上がった。
倒れた妖獣を足で踏みつけ、深く刺さった剣を抜く副官へと、別の妖獣が襲いかかってゆく。とっさにレジィは彼の腕を引き、その爪に空を切らせた。体勢を崩したそいつへと、周囲の兵達が数人がかりでかかる。
「さすがにちと、やばくねえですか」
息を切らせたバージェスが、ささやくように問いかけてきた。あたりの者には聞こえぬよう気を遣っていたが、その言葉に耳を傾けられる余裕がある人間は、既にほとんどいはしなかった。
「そろそろ、逃げる算段、したほうが」
「ここを突破されれば、後がない。どこへ逃げる気だ」
「どこへなりと。とにかく、セフィアールとやらが来るまで走ってりゃあ、命ぐらいは助かるでしょうよ」
「……確かに、な」
この妖獣、ヴェクドの動きはさほど素早いものではなかった。彼らが全力で走り出せば、おそらく追いついてくることはないだろう。
だがそうすることは、彼ら以外の ―― この街に住まう無辜の民達が、その爪にかけられる恐れをも内包していた。いまこうして剣を振るう彼らの、背後に守られた町民達。その全員が無事に逃げ延びられるという、確かな保証無くして妖獣に背を向ける。それは彼女にとって許されざる行為に他ならなかった。
そう、たとえ誰に許されようとも、彼女自身の矜持において。
故にこそ、レジィはひとつ息を吸うと、再び刀を握り直した。鋭く光るその切っ先で残る妖獣を指し示し、渇いた喉の痛みをこらえ、叫ぶ。
「助けは必ず現れるッ。悠長なセフィアールに、我らの働きを見せつけてやろうぞ!」
その言葉に、一同は掠れた雄叫びを返した。
既に五体満足のものなどいはしない状態で、それでも彼らは傲然と顔を上げ、武器を振るい続けた。
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