壷の中を見た瞬間、みな ―― 少なくとも三人は ―― きょとんとその目をしばたたいていた。
一人晴明は手を伸ばし、壷の口から覗くものを一つ、つまみ上げる。
黒ずんだ、小さな丸い円盤状のそれは、一同が良く知る、あるものにとても良く似ていた。
明るい午後の陽差しにかざすようにして、それを観察していた晴明は、やがて得心したようにうなずく。
「十円硬貨ですね」
あっさりと言って、ほら、と一同に示す。
「はあ!?」
残る三人は、素っ頓狂な声を上げて晴明を見返していた。
それから争うように、手の中にある貨幣へと視線を注ぐ。
見慣れたそれより二まわりほど大きく、色もどちらかというと五円玉に近い金茶色をしているが、その表面には確かに、ぐるりと円を描く形で『明治四年・十圓・大日本』と刻み込まれている。
「それから、こっちは一円と二円。……ああ、二十円もありますね」
良く似てはいるが、微妙に大きさの違う三枚を
選り出して、十円と比べるように手のひらへ並べてみせる。
「十円玉……」
呆気にとられたように、聖也は差し出された小銭を眺めていた。
が、沙也香の方は納得がいかなかったらしい。地面に置かれた壷へと手を伸ばし、倒すようにして、広げた新聞へと中身をぶちまける。
「沙也香さん!?」
驚いて声を上げる晴明をさえぎるように、沙也香もまた ―― 今度は喜色の混じった ―― 歓声をあげた。
なんとなれば、壷の口から流れ出したのは、黄金色に輝く大量の小判だったのだ。
壷の中に小判を詰め、それを隠すように、上に何枚かの古い銭をかぶせてあったというわけである。
きらめく黄金色に、譲と聖也も驚きの目を向けていた。
小さな壷だとはいえ、それでも数十枚はあるだろう。小判自体がかなり小ぶりなものでもあるから、あるいは百枚以上あるかもしれない。
「こ、これ……本物、かな」
どこか信じられないような面持ちで眺めている聖也に、沙也香が晴明を見やる。促されていると判断したのだろう、晴明は持っていた古銭を下に置くと、小判の一枚を拾い上げた。
縦三、四センチ、幅二センチほどのそれを、しげしげと観察する。
重さを確認するように、数度手のひらを上下させ ―― そうして顔を上げた。
「専門ではありませんし……ルーペが手元にないので、はっきりと断言まではできませんが」
そう前置きしてから、聖也少年へと微笑みかける。
「それでもおそらく、江戸末期に発行された万延小判 ―― 通称『姫小判』の本物だと思いますよ」
その鑑定に、一同の顔がぱっと明るいものになった。
「やったじゃない! もう、達義ったら、こんな形で隠してたなんて」
「まったくだ」
突然割り込んできた声に、全員がはっと息を呑んでふり返った。
いつの間に庭へ入り込んでいたのか。
そこに立って一同のやりとりを眺めていたのは、四十がらみとおぼしき中年の男女 ―― つい先刻、帰っていったはずの甥夫婦だった。
「ちょ……なんであんた達がいるのよ!?」
とっさに叫んだ沙也香に対し、二人は蔑むような目を向けてくる。
「それはこっちの言いたいことだがね、お嬢ちゃん。何度も言っているが、この家の借り手は現在私らになっているんだ。そっちの聖也くんは、伯父さんが面倒を見ていた子供だから、行くところが決まるまではと大目に見て住まわせてあげているのに、勝手なことをされては困るな」
「勝手なことって、なによ!」
「なにも言わずに庭を掘り返したり、出てきたものを黙って自分のものにしようとしたりすることさ。知ってるかい? そういうのを『泥棒』って言うんだよ」
ニヤニヤと笑いながら、新聞の上に広がった黄金色の輝きを見下ろしている。
ぬけぬけとしたその物言いに、沙也香はなおも言いつのろうと口を開きかけた。
が ――
「沙也香さん」
晴明の静かな声が、それを止めた。
小判のそばへ膝をつき、その山をかき回していた彼が、そのままの姿勢で言い争う二人を見上げてきている。
「そちらの方々のおっしゃる通りですよ」
そう告げて、彼はゆっくりと立ちあがる。
落ち着いた仕草で膝を払い、そうして正面から甥夫婦を見つめた。
「書類上、聖也さんと達義さまとは全くの他人。一方こちらの御夫妻は、遠縁とはいえ血縁関係がある。そのうえ聖也さんはまだ未成年ですから、仮に後見人として立っていただくにせよ、この家や遺産の管理については、御夫妻の側に責任と権利が存在するでしょう」
達義によるなんらかの遺言などが存在するのであればともかく、まったく用意されていない以上、それが道理というものである。
晴明の言葉に、甥夫婦二人は満足げな笑みを浮かべ、逆に沙也香は
眦を釣り上げた。
「 ―― 晴明!?」
いったいどういうつもりなのかと食ってかかる沙也香から、目をそらすように、晴明は視線を下へと落とす。
その手の中にあるのは、小判の中から拾い出した、先ほどの古銭。
せいぜい十枚かそこらのそれを眺めて、小さくため息をつく。
「失礼ですが」
そう声をかけた晴明に、甥夫婦はいぶかしげに眉を上げた。
そんな彼らへと、手のひらの古銭を示し、晴明は問いかけた。
「せめて思い出代わりに、これぐらいは聖也さんにさしあげてもいいでしょう?」
と。
その言葉に、晴明の手の中をのぞき込んだ甥夫婦は、やがてふんと小さく鼻を鳴らした。
薄汚れた小銭の数枚ぐらい、小判の輝きの前にはどうでも良いと思ったのだろう。
「ま、それぐらいならな」
それでも恩着せがましい言い方をする二人と晴明を、沙也香が射殺しそうな眼差しでにらみつける。
「沙也香さん……これが潮時かと」
静かな声で告げる晴明に、沙也香が口を開きかけたが ―― それをさえぎったのは、意外にも聖也その人だった。
「 ―― いいよ、もう」
なにを、とふり返った沙也香の前で、少年は不思議なほど晴れやかな顔で笑ってみせる。
「もともと、母さん死んだ時に、なんとか一人でやってくつもりだったんだし。一年でも楽させてもらったと思えば、もう充分だよ」
そう告げる表情は、本当に穏やかなそれで。
母を亡くしたとき、もうこれで自分には『家族』など存在しないのだと思った。
祖父だという人物を訪ねたのも、母の遺言があったからに他ならず。どうせ息子をたぶらかした女の子供など、認めてもらえるはずなどないと、ごく普通に考えていたのだ、と。
それなのに。
向けられた言葉は、けして優しいそれではなかったけれど。
みっともないだとか、働かざる者喰うべからずだとか、もらったのはそんな素っ気ない言葉ばかりだったけれど。
それでも、この一年間を思い返してみれば、何故か心が温かくなるばかりで。
「……宝探しみたいで、なんかすげえワクワクして面白かったし。だからもう……いいよ」
せっかくいろいろ相談乗ってくれたのに、悪いけど、と。
「…………」
当事者本人にそう言われてしまっては、彼以上に赤の他人である沙也香には、それ以上口を挟む権利などあるはずもなく。
沈黙して立ち尽くした子供達を、ただ甥夫婦達のみが満足げに眺めるのだった。
◆ ◇ ◆
車中には、重苦しい沈黙が漂っていた。
助手席に座る沙也香はピリピリとした剣呑な気配を発散させているし、その隣にいる譲は無駄口ひとつ叩くことなく、運転に専念している。
後部座席に並ぶ晴明と聖也もまた、特に言葉を交わすことはない。
晴明は膝に広げたハンカチの上に例の古銭を並べ、手袋をはめた手で一枚一枚を確認している。
本来ならば聖也は自宅であるあの家に残るべきであったのだが、あの甥夫婦と同席するのも居たたまれなかろうと、沙也香が食事に誘ったのだった。実際、バタバタしていたおかげで昼食の時間はとうに過ぎてしまっている。
「…………」
金茶に鈍く光る十円硬貨を眺める晴明の目は、ひどく真剣なそれだったが、車内にいる者は誰一人としてそれに気がついていない。
やがて身体に加わる加速度が変化し、車は一軒の料亭に入るべく方向指示器を鳴らし始めた。
いかにも高級そうなその店のたたずまいに、聖也が引きつったような表情で身を乗り出す。
「え……ちょ、なに。あそこで食べんの?」
「美味しいのよ。なんか文句ある!?」
助手席からふり返った沙也香が、ぎろりとねめつけた。
その眼光のすさまじさに、一介の少年が逆らえようはずもない。
「心配しなくても、私が払うわよ」
そう言い捨てて、自分はシートベルトを外しにかかる。
こくこくとうなずいた聖也は、自分も車から降りるべく身支度を始めた。
揚げ物を中心とした会席のコースは、確かに聖也のような若者にとっても、充分旨いと感じられる味と量を備えていた。
料理の出し方も、格式張った畳に膳といった形ではなく、黒を基調としたシックな卓を椅子で囲むという、気楽に食事できる方式である。
下品にはならない程度の速さでさっさと料理を片付けていった沙也香は、最後の茶漬けが出てくるあたりで、ようやく人心地がついたというか、落ち着きを取り戻してきたらしい。
ふぅ、と小さくため息をついて、手元の碗から顔を上げる。
「なんか、結局たいした結果にはならなくて、悪かったわね」
聖也に八つ当たりするのは筋違いなのだと思い至ったのだろう。そう言って謝罪する。
それに対して少年は、とんでもないとかぶりを振った。
「いや、そんな。オレなんかのために色々してもらって、こっちこそ悪かったです。それに ―― 」
「それに?」
「……さっきも言ったけど、なんか、ほんとに楽しかったから。爺さんが残した謎解き? そんな感じで。宝探しみたいだったのが、すごく面白かったからさ」
それは、まるで何の言葉もないまま突然逝ってしまった祖父が、それでも彼へと遺してくれた、『何か』を探し出す行為にも思えて。
拙い言葉でそう告げる少年に、沙也香はうっすらと微笑んでみせる。
幼い彼女の顔立ちにはどこか似合わぬその表情は、あるいは慈しみと呼べるそれだったかもしれない。
旧友の遺した忘れ形見へと向ける、それは愛情にも近い眼差し。
「ねえ、いっそのこと、アンタもうちの子になる?」
「は?」
唐突な沙也香の言葉に、聖也はきょとんと目をしばたたいた。
無理もないだろう。まだ少年としか呼べない彼自身よりも、さらに年下にしか見えない少女からそんなことを告げられては、いったいなにを言われているのか判らないのが道理だ。
しかし沙也香は聖也のとまどいにも頓着することなく、隣に座る譲を指し示してみせる。
「もともと譲も、知り合いの子供なのよ。もう十年以上前だけど、両親とも事故で亡くなっちゃって、それでうちの子になったの」
「ええ……その節は本当にお世話になりました」
無言で箸を動かしていた譲が、沙也香に対して小さく頭を下げる。
十年以上前だというのならば、その頃の彼は見た目、現在の沙也香と同じか、むしろそれよりも年下ぐらいだったことだろう。
今ではどう見たところで、彼の方が保護者でしかないのだが。
それでも術者仲間のあいだでは、譲こそが沙也香の義理の息子であるのだと、ごく自然に語られている。
「まあ、籍入れるのが嫌だって言うんならそれでも良いけど。でも援助ぐらいならしてあげられるわよ。大人になったら、分割払いで返してもらうって形でも良いし」
どう? と提案してみせる。
「えっと……その、あの……今さらなんだけど。あんたらって、いったい……?」
祖父の友人だと言うことで、半ば強引に主導権を握られていた少年は、ようやくその存在の異常さに思い至ってきたらしい。懸命に言葉を探しているその横で、晴明が唐突に口を開く。
「その件なんですが、もうちょっと待ってみていただけませんか」
坪倉家を出てからずっと黙ったままだった彼が口をきいたことで、一同は期せずしてそちらへと視線を集中させていた。
既に食事を終えていたらしい晴明は、またも古銭を眺めながら、手探りで携帯電話を取り出している。
「……いったいなにが言いたいの?」
先刻の甥夫婦への対応が、未だ腹に据えかねているらしい。低い声で問いかける沙也香に、失礼、と断って晴明は席を立った。
個室なので他の客の迷惑にはならないと判断したのだろう。それでも部屋の隅、窓際近くへと移動してから、電話を開きメモリを検索しているようだ。
やがて目的の番号を見つけたのか、通話ボタンを押す。
「もしもし、藍川コインズ様ですか。日月堂の安倍です。ええ、お久しぶりでございます。ちょっと見ていただきたいものがあるのですが……」
手慣れたその口調は、骨董品店の主としてのそれだ。
「ええ、はい。私では鑑定が
心許ないので。昭和七年発行の新二十圓硬貨と、明治十年発行の旧二十圓。あと明治四年の旧十圓が一枚と、一圓と二圓が二枚ずつ。五十銭銀貨が数枚……鑑定書などはついておりません。状態は……それなりだとは思うのですが……ええ。これからですか? 少々お待ち下さい」
通話を保留状態にした晴明が、沙也香達の方を見やる。
「隣の市になるのですが、古銭鑑定の専門の方がいらっしゃるんです。少し足を伸ばさせていただいてよろしいでしょうか?」
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