死刑か無罪か(譯文) THE ADVENTURE OF THE BOSCOMBE VALLEY MYSTERY コナンドイル Sir A. Conan Doyle 手塚雄訳 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)喰《く》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)御|伴《とも》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍線の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)和  津[#「和  津」は底本では「私  津」] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)次回の公判には愈《いよ/\》吟味 *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------    篇中主なる人物  ○和  津[#「和  津」は底本では「私  津」]……休職軍人    Watson.  ○本田宗六……探偵家     Sherlock Holmes.  ○棚橋常二……地主      John Tuener.  ○仝 花子……常二の一人娘  Alice Tuener.  ○卷山金八……小作人     Charles McCarthy.  ○仝 善二……金八の一人息子 James McCarthy.  ○虎  澤……刑事探偵官   Lestrade.  This our life――  Finds tongues in trees, books in the running brooks,  Sermons in stones and good in every thing. [#地付き]―Shakespeare.  石も木も細谷川の水までも    まことの道のしるべとぞなる [#地付き]シエクスピア[#「シエクスピア」に傍線] (一)ある朝妻と飯を喰《く》つて居ると下女が電報を持つて來た、電報は本田宗六からで文句は左の通りであつた、 「二三日の暇《ひま》なきや、保須谷慘事につき只今西國より電報あり、御|伴《とも》出來ば幸甚《うれし》、彼所は氣候風景|倶《とも》に佳絶、十一時十五分蜂澤出發」 (二)妻は食卓越《テーブルごし》に俺《おれ》を見て 「如何で御座います、御|出《いで》ては」 「如何したものかね、隨分今は患者が澤山で‥‥」 「そりあ貴夫《あなた》、朝吉が代診しますものそれに近來御氣分の爲《せい》か御顏が蒼白《あをひ》ですよ、少しは轉地も御|身體《からだ》のために、それに本田さんの事件には何時も御熱心ぢや御座いませんか」 「そうさ俺《おれ》も先達《せんだつて》の本田の件では得《とく》も仕たから今更冷淡に成つては濟《す》まんな、然し往くとすれば既《もう》三十分しか無い、直に荷作を仕なくばなるまい」  俺はアフガニスタン[#「アフガニスタン」に傍線]で野營生活もした經驗《こと》があるから旅立と來ては素早いものだ、需用品は少數《すこし》で簡單で足りるから三十分も費《かゝ》らないに早や鞄《かばん》を携へて蜂澤停車場へと馬車を走らせた  停車場へ着いて見ると本田宗六が昇降場《プラツトフオーム》で彼方此方《あちこち》歩《ある》き廻《まは》つて居る、本田は元來|丈《せえ》高で痩形《やせがた》だが、今日は長い、旅行外套を着流し鳥打帽を緊固《きちん》と冠ぶつて居るので格別|娉※[#「女+亭」、第3水準1-15-85]《すらりツ》として見える、 (四)「いや、和津|估《よく》來て呉れた、君が居て呉れりあ大部救かる、御|庇蔭《かげ》で安心だ、どうも地方へいくとな世話を見て貰《もら》つても兎角|碌《ろく》でもないし偏頗《かたびいき》が在つたりして面白くないからな、まあ、僕が切符を買つて來るから座席《せき》を二人分取つて置いて呉れ」  客室に乘り込むと吾等兩人の他《ほか》に乘合人がないので余程|悠然《ゆつくり》だつた、只本田が持つて來た澤山の新聞が散らかつて場を塞げて居るだけだ、本田は此新聞の中から何か搜し出して讀んでは書き取つたり考へたりして居ると間もなく文見《ふみ》驛も經過《すぎ》る、すると直《すぐ》に彼は新聞を皆《みんな》丸めて束《たば》にして網棚《あみだな》の上へスパツと放《ほゝ》り上げた。 (五)本田先づ口を啓《ひら》いて 「君、今度の事件を知つて居るか」 「いや、寸毫《ちつと》も知らぬ、もう近日《ちかごろ》では新聞なんか一つも見んからね」 「倫敦新聞には委細は載つて居らんよ、僕は詳しく知りたいからね近頃の新聞を殘らず目を通したんだが今度の事件も、矢張《やつぱり》簡單で面倒らしいよ」 「簡單で面倒とは奇説《へん》だねえ」 「然し全くの所だ不思議な事があればそれが何時《いつも》手蔓《てづる》になるのだ、だから簡單ほど面倒といふのだ、左《と》も右《かく》も[#「左も右も」は底本では「左と右も」]今度の事件といふのは隨分重大なんで親爺《おやぢ》が殺されて息子《むすこ》が故殺者《とがにん》といふ嫌疑だのさ」 「では人[#レ]殺犯だねえ」 「まづ左樣《そう》いふ憶測ぢあ、然し僕は承知しない、未だ自分で徃つて驗《しら》べないんだからな、ともかく僕の知つとる丈《だけ》の事情を話さう極《ごく》簡單に (七)保須谷は平戸郡に在つて露須街から程遠からぬ偏僻な地で其界隈|極《き》つての大地主は棚橋常二といふので此人は前年《もと》オーストラリア[#「オーストラリア」に傍線]で金を儲けて先年英吉利に歸つたのだ、平澤に所有の畠|一《ひとつ》を卷山金八といふ同樣《やはり》豪州歸りの人に小作させて置いたのさ、この棚橋と卷山とはオーストラリア[#「オーストラリア」に傍線]時代からの知己《しりあひ》であつたんだからその程近く所帶を持つたのも其|理《わけ》で棚橋は地主、卷山は小作といふ差別こそあれ、兩人の間柄は極めて平等主義で平生互に上下なく交際して居つたんだ (八)卷山に只一人《たつたひとり》の息子がある本年取つて十八、棚橋には一人の娘がある、これも同然《やつぱり》十八、卷山、棚橋共に妻を失《なく》して今は寡夫《やもを》住《ずま》い、兩人共、近所の家とは交際を避けて隱遁生活を仕て居たらしい、然し卷山は勝負事が好きと見え往々そこらあたりに競馬でもあれば出て行つて見るといふ風で家庭《うち》は下男下女それに娘と自分で四人暮し、棚橋の方は家族は大勢、少なくも六人暮し位であつた、兩人の家族に關して僕の知つてる事は先づ是丈《これだけ》、それから事件の眞相は恁《こう》だ (九)六月三日(月曜日)の事だつた、卷山は午後三時頃平澤の家を出て保須池まで下つて往つた、此池は保須谷を流れ下《くだ》る川が擴がつて出來た小さい湖水である、其朝卷山は下男を連《つ》れて露須町へ赴いたが三時に重大な約束が在るから急がしいと云つて別れて保須池へ下つたのだがそれッきり生きて還《かへ》らなかつた、 (一〇)平澤の家《うち》から保須池までの路程《みちのり》は凡そ三町半此間を通る時二人の者が卷山を見たといふ、一人は老媼《ばあさん》で名前は出て居ない、他《もう》一人は黒田宇作といふ棚橋家に傭《やと》はれて居る男で、兩人ともに卷山が獨りで歩いて居たと云つて居る、宇作はそれに言ひ加《たし》て「卷山を見てから二三分|經《たつ》てから卷山の息子が小銃を脇に抱へて同じ方へ行くのを見たが今考へて見ると其時同時に卷山も見えて息子が後《あと》を跟《つ》けて行く[#「跟けて行く」は底本では「跟て行く」]らしかつた、夫れッ切り其事は毫《ちつと》も思はなかつたが、その日の夕方にあの人殺を聞いた」と云つて居る、 (一一)宇作は夫れ切り卷山親子を見なかつたが其後|再《また》一人の娘が見たんだ、差詰この保須池といふのは茂つた森で取り卷かれて居て水端《みぎは》には草や蘆《よし》で縁《へり》を取つた樣になつて居る、森山さだ子といふ門番の娘、本年十四歳といふのがその池の端の森で花を採つて居たのだ、此娘兒の云ふには卷山親子は森|外《はづ》れの水端《みぎは》で烈《ひど》く爭論《やりやつ》て親父《おぢ》さんの方は酷《ひど》い言葉使ひで息子さんの方は手を振り上げて今にも擲《なぐ》るといふ爲體《ていたらく》を見て、 (一二)驚愕《びつくり》して逃《に》げ歸つて母に告げた「あの卷山の御|父《とつ》さんと息子さんで保須池の端で喧嘩して居ましたよ、今にも格鬪《とつくみあ》ふかも知れませんよ」と云つて居ると息子が驅《かけ》て來て「救けて呉れ森に親爺が死んで居る」と激動《いきまい》て云ふ見れば鐵砲も帽子も持つて居ない、右の手と袖《そで》の所とは鮮血《あらち》で汚《よご》れて居る、 (一三)息子の後を跟《つ》いて往つて見ると親爺《おやぢ》の死體が水端の草の上に大の字|形《なり》に伸びて居る、頭には何か鈍《にぶ》い刄物で撃たれた樣な凹《くぼ》い傷痕《きづ》が所々にある如何にも息子の鐵砲の銃床で撃たれた樣でその鐵砲は屍骸の二三歩|傍《わき》に横はつて居る、恁《こ》ういふ事情であるから息子は直に拘引されて今週火曜日訊問の結果「故殺」といふ申渡しを受け翌水曜日彼は露須町の裁判所へ引渡され次回の公判には愈《いよ/\》吟味《ぎんみ》さるゝのだ、先づ大概此位の事が檢事と警察には知れて居るのさ」 (一四)俺《おれ》は云ふた、 「君そりや有罪《つみ》に定《きま》つて居るさ、甚麼《どんな》證據が擧つたつてそれ程|明白《あきらか》な罪收《つみ》があるものか」 本田は深く考へ込んだ風で 「證據なんてえ物は隨分如何がわしいものだぜ、一つの證據を掴《つか》まへて見て明白に有罪に違《ちがひ》ないと思はれても鳥渡《ちよつと》觀察面《みどころ》を變へて察《み》れば全然《まるで》無罪といふ樣な事があるからな、左《と》も右《かく》、今度の事件は余程《よつぽど》面倒だ如何《どう》も息子が有罪らしい、然《だが》亦《また》あの近所に無罪を主張する者もあるんだあの棚橋の孃なんぞも、その方《くち》で何所《どこ》までも無罪にして遣つて見せるッて力《りき》んで虎澤――それあの驗血探偵事件で覺えて居るだろ――あの虎澤に頼《たの》んだんだ、 (一五)然し虎澤も是には隨分|手古摺《てこずつた》と見えて僕に依頼《たのんだ》のさ、だから君、恁《こう》いふ風に大急ぎの汽車旅行といふ騷ぎになつたんだ、朝飯《あさめし》も緩然《ゆつくり》喰《やら》ねえで恁《こ》うして一時間五十哩の飛脚に乘つて西國巡禮と洒落《しやれ》[#ルビの「しやれ」は底本では「しやけ」]るんだから隨分|急々《せか/\》しいね、これも虎澤に頼まれたからさ」 「事實が明り極《き》つて居るで君も今度の件ぢあ余り目|覺《ざま》しい手柄《てがら》は出來まいて」  本田「いや明《わか》り極《き》つた事實に極《ごく》詐《だま》され易いのだ、して虎澤には未だ知れない、明白な事實があるかも知れんよ、それに運よく的中《ぶつか》れば占《し》めたものだ、君も僕の伎倆《うで》を知つて居て呉れるから誇張《ほら》とは思ふまいが僕は此種《こういふ》事件にかけては遙かに虎澤の上手《うわて》だぜ、隨分|突飛《とつぴ》な手段《やりくち》で虎澤の説を正《よ》いとも誤《わるい》とも宣告《いふ》て見せるが是は彼には出來る藝ぢあない、てんで解《わか》らないんだ、差當り一《ひと》つやつて見やうか、よし、君の身の上の探偵を仕やう、君の寢室《ねま》には向つて右側に窓があるね、こりや、知れた事だ、虎澤にはこんな事でも知れまいて」 (一六)「如何《どう》して――? 「だつて君、僕は君を詳《よ》く知つて居るさ、君の扮裝《つくろひ》は平素《いつも》清楚《さつぱり》で軍隊的だよ、君は毎朝|髭《ひげ》を剃《そ》るね、今時期《いまどき》は朝日で剃《そ》るんだろ、うん、そうだろ、左《ひだり》の方へ往《ゆ》く程|剃《そ》り樣が杜撰《ぞんざい》だぜ、左頤《ひだりおとがい》から頸《えり》へ亘《かけ》ては極《ごく》しだらが無いぜそれは無論右から受ける光線が左へ及ばぬ證據だ、君の樣な几帳面な人が正面から光線を受けてそんな剃方ぢあ迚《とて》も滿足が出來ない筈だ、まあ是は僕の觀察力の些《ちよつと》した一例さ、これが差詰僕の十八番《おはこ》で今度の事件にも此筆法で遣つて往けば幾程《いくら》か役に立つだろうよ、それから審問の時に明《わか》つた一二の些《ちよつ》とした事實があるこれも參考にすべきだ」 (一七)「そりあ何だい?」  本田「息子が拘引されたのは其場ではなくて平澤へ歸つてからだ巡査が息子に向つて「其方は監獄へ行くんだぞ」と告げると平氣で「左樣でしやう、當然《あたりまへ》です」と濟まして居たといふので豫審判事は確かに彼が犯罪者であると思つたのだ」 「夫れは罪を自白したといふものだ」  本田「否《いや》、左樣《そう》ぢあない、夫れから續いて無罪の申立を仕たから」 「變だね、それ程までに、有罪の證據が擧つて居る揚句に「左樣でしやう」なんて云ふ言草ぢあ愈《いよ/\》以て疑しいね」 (一八)本田「いや、それこそ本當に闇夜《やみよ》に提灯といふもので、それから段々明かつて來るのだ、例《よし》彼が殺したでないにしろ滿更《まんざら》馬鹿ぢああるまいし、いくら何だつて四圍《あたり》の事情で疑はれる位な事は知つて居る筈《はづ》、いざ拘引といふ段《だん》に喫驚《びつくり》して見せたり怒《おこ》つて見せたりしちあそれこそ疑はざるを得んのだ、其麼《そんな》事をしちあ全體境遇から考へて見ても無理ぢあないか、然し深い畫策《たくらみ》でもありあ好興《すいきやう》で爲《や》るかも知れん、「左樣でしよう」と濟《す》まして居たのを察《み》れば彼は潔白の身であるに違ない、左もなけりあ餘程《よつぽど》圖太《づぶとい》根性の奴に違いない、 (一九)それから「當然です」と云つた事だ、是あ、何も當然ぢあないか、彼は父の屍體を眼前《めのまへ》に控へて突立つて居たんだし、子たるものゝ本分を忘れて親爺と爭論《やりやつ》た揚句手を振り上げて毆《なぐ》る風まで仕たんだもの、その手を揚げたといふのは門番の娘が云ふたので聞捨てならぬ件《こと》だ「當然です」といふ中には親不孝をして惡かつたと云ふ後悔の意味も含まれて居るから馬鹿でも犯人《とがにん》でも何でもない、正氣の者だと思はれるのだ」  是迄聞いて俺《おれ》は首を振つて返問した、 「君、今迄もつと僅かな證據で首を切られたものが幾《いく》らもあるぜ」 「左樣《そう》さ、そりあ、無實の刑といふものが澤山だからね」 「息子は此件に就いて何といつて居る?」 (二〇)「うー、どうも、云ひ樣が面白くないのさ、夫故《それで》、無罪論者も大部閉口しとるんだ、只一つ二つ一寸《ちよつと》氣の聞いた言《こと》を云つて居るんだ、先《まあ》是を見給へ君獨りで讀んで見給へ」  といふて、本田は束《たば》の中から平戸地方發行の一新聞を取り出し疊《たゝ》み直《なほ》して爰《こゝ》に息子の申立《まうしたて》の文句があると云うて一節を指示して呉れた、俺《おれ》は客車の角《すみ》に腰を落着かせて注意して讀むと恁《こう》だ [#ここから2字下げ] ○「依つて直に被害者唯一の遺子卷山善二氏は|召※[#「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31]《しやうかん》され左の通り申立てたり [#ここで字下げ終わり] 「拙者は鰤巣《ぶりすとる》に趣き三日間不在なりき、去る三日(即ち月曜日)の朝歸宅せり、愚父は拙者歸宅の當時|同然《やはり》不在なりき、馬丁熊田八重吉と露須方面に向へりと家婢より聞き及べり (二一)歸宅後少時にして拙者は馬車の響《ひゞき》を耳にしたり由つて窓外を見しに愚父は馬車より下り卒然庭園外に出て往けり如何なる方向に向へりや拙者は知らず、拙者は小銃を手にし保須池方面に向へり、そは池の先方に位する家兎飼育場に至らん爲なり、途中家兎飼育場番人黒田宇作に遭へり此事實は宇作が申立て中にもあり然れども拙者が愚父に跟從《つきしたがつ》て行けりとの申立は誤てり當時拙者は愚父が前方に在るや否や毫も知らざりき、池を離る凡そ六十間の所に到りし時拙者は「クイー[#「クイー」に傍線]」といふ※[#「口+斗」、U+544C、15-4]聲を耳にせり「クイー[#「クイー」に傍線]」とは愚父と拙者との間に常に用ゐられたる信號なり、 (二二)拙者は急ぎ歩を捗めし時愚父は池畔に佇《たゞづ》み拙者を見て驚ける風なりしが憤然として何用ありやと拙者に訊《と》へり是より兩人の對話となり、爭論となり、殆ど格鬪に及べり、本來愚父は短氣の性なればなり、父の怒氣制し難きを知りて拙者は其場を去りて平澤方向に還らんとし凡そ一町程進みし時後方に悲鳴の揚《あが》るを耳にし驚きて走り歸りし時愚父は重傷を負ひて地上に臥し將に絶命せんとするを見驚きて携へし小銃を捨て、双手を以て父を抱きしが父は直時絶命せり (二三)拙者は數分時屍體の傍に跪坐せし後|最近《もより》の門番の家に至り補助を乞へり、拙者は歸りし時、父の傍に何人をも見受けざりき故にその負傷は何故なりしか知らず父は本來無愛嬌の人なれば人望を博せし事もなかりしが亦害を加ふる程の敵をも有せざりき、と記憶す、  以上拙者は本件に關し知る所を云ひ盡したり  檢事「其方の父は死際に其方に向つて何か云つたか?」  被告「少《すこ》しもぐ/\云ふた樣で御座りましたけれども私には何の事やら分りませんでした、只ラツト[#「ラツト」に傍線](鼠)の事か何か云はれた樣に存じます」  檢「其方は夫れを何と解釋したか?」 (二四)被「一向何の意味だか分りませんでした、氣でも狂《くる》つて居るのだろと思ひました」  檢「其方が父と爭論したのは何事に關してであるか」  被「それには御答は申し上げ兼ます」  檢「是非とも答へて貰ひたい」  被「本當に御答が出來ません、此事は殺害とは何の關係も御座いません」  檢「關係あるか無いかは當裁判の決する處である、其方若し飽くまで拒んで答へざるに於ては勿論其方の振りに歸するが良いか」 (二五)被「ハイ、何と仰在つても御答は出來ません」  檢「クイー[#「クイー」に傍線]」といふ※[#「口+斗」、U+544C、17-8]聲は其方及び其方の父との間の信號であると聞及んだが果して左樣か」  被「ハイ、左樣で御座ります」  檢「然らば其方の父が其方を見ざる内に若かも其方が鰤須《ブリス》より歸りしを知らざる内に夫れを叫びしは何故であるか」  被(大に當惑の體《てい》で)   「何故か存じません」  豫審判事口を入れ「其方※[#「口+斗」、U+544C、18-3]聲を聞いて歸つた時父の死に瀕して居るのを見た時疑はしい者でも見なかつたか」  被「別に是れといふ物を見ませんでした」  檢「そんなら如何《どん》樣な者を見たか」  被「其場に驅け付けました時は胸騷《むなさはが》しう御座いまして愚父の事より外は何も考へる餘裕は御座いませんでしたが」 (二六)私が驅けて行きます時に左の方に何か地上に横はつて居た樣な氣が致します、物は何でありましたか能く見ませんでしたが何でも鼠《ねづみ》色の上衣か辨慶縞の袍衣《かつぎ》の樣な氣が致します、私が立ちまして近所を見ました時はそれは既《もう》在りませんでした」 「其方が補《たす》けを求むる爲めに出發せる前それが無くなつたと云ふのか」 「はい左樣で御座ります」 「其れは何物であるか知るか」 「否《いゝえ》存じません只何か在つた樣な氣が致しました」 「屍體から如何程|離《へだ》たつて居つたか」 「六間位でした」 「森の端《はた》から如何位《どのくらゐ》離たつて居たか」 「矢張六間位の樣でした」 「若しその物が取り去られたとすれば其方から六間以内の所で取り去られたのだな?」 「左樣存じます、然し私は後《うしろ》を向けて居たので御座います」  檢事「卷山善二に對する審問はこれで終り」 (二七)讀み了つて俺は其一欄をじろりッと見下し本田に向ひ 「あの檢事は審問の終結《しうけつ》間際《まぎわ》に善二に對して些《ちと》酷《ひど》く訊詰《とひつめ》たね、善二の父が善二を見ぬ先《さき》に信號を叫んだ事と善二が會話の詳細を答へなかつた事と死|際《ぎわ》の言葉が分らないと云ふた事とは如何にも齟齬の點だが此點を注意したのは道理《もつとも》の譯だね、これは檢事も云ふた通り善二には隨分不利な點だね」  本田は靜かに打笑つて臺蒲團《クツシヨン》の上に横臥《よこたは》りながら 「君も檢事も善二に利益な點が見付からないで骨が折れる樣だね御苦勞樣だ、よくも揃《そろ》つて善二を考《かんが》へが深いの淺いのッて[#「淺いのッて」は底本では「殘いのッて」]彼れ是れ云ふ樣だが良《いゝ》加減にして呉れ給へ喧嘩の原因は是れ/\だなんて嘘《うそ》八百を烈《なら》べ立て得ないッて淺墓だと評したり死際《しにぎわ》に鼠(ラツト)を擔ぎ出したり布物《たんもの》が消えて了《しま》つたといふのを、よくも良心に耻《は》ぢないでそんな突飛な嘘《うそ》が吐《つ》けたものだなんて左樣《そう》湯煮《うで》たり冷やしたりするんだから變ぢあないか、僕は目星《めぼし》の着《つけ》所が全く違ふよ、先づ卷山の云ふ事を信實《ほんとう》と見て、假設を規《き》めてそれからそれへと考へ及ぼして見るのさ、まあ今日はそれだけにして置いて後《あと》は現場へ往つて見てからの事に仕やうや、西原で飯《めし》をやつて二十分ばかりして着《つ》くんだからおいほらペトラーク[#「ペトラーク」に傍線]山人の詩集があるぜ是れでも讀まうよ」 (二八)風景佳絶の石垣谷を越え洋々銀を流したらん樣な相梨川を渡り露須町に着いたのは午後の四時頃停車場の昇降台《プラツトフオーム》には瘠形《やせがた》で鼠面《ねづみづら》の(眼小さく兩眼の距離狹い)狡《はしこ》い樣な男が歡迎《むかへ》に出て居た、淡褐色《うすとびいろ》の外套に革製の脚絆を着《は》いて居るのは山野を驅廻《かけまわ》る用意と見受けられる、これは探偵本部の虎澤であると早速分かつたので倶に馬車を傭うて平戸館といふ旅館に赴いた、此所には既《もう》吾等一行のために部屋が分取つてあつた、  茶を飮んで居ると虎澤が本田に向つて 「僕は馬車を命じて置いた、君は隨分精力家だから一刻も早く現場へ往つて見たいんだろと思つて」  本田「そりや有難い、然し低氣壓の具合は如何《どう》だろ」 (二九)虎澤は驚いた面相《おももち》で 「低氣壓に何の用があるか、僕には君の云ふ事が分らん」 「あの晴雨計は如何だい、うん二十九度だね、風も無し、雲も無し、先づ今夜は往かぬが益《よし》だろ、それはそうと僕あ煙草《シガレツト》を一箱持つて來たから、喫《の》むが良い、此|長椅子《ソフアー》は別して具合が良い田舍の旅人宿《はたごや》にやこんなのは珍《めづ》らしい聞いた虎澤は惜氣なく笑つた後 「君は新聞で大低|見當《めあて》が着いたろ、何しろ今度の件は明白なものだね、考へれば考へる程明白だね、時に君、某《ある》婦人《ふじん》が君に會《あひ》たいといふが如何だ勿論會つて呉れるだろな、其婦人といふのは隨分強情なのさ、君の世評《うはさ》も聞いたので是非會つて意見を伺ひたいと氣張つて居るのさ、君のやる位な事は乃公《おれ》も出來るから止《よ》せ/\と何偏云つても聞かないんだが、ほら來たぜ門に馬車の音がする」 (三〇)と云ふを合圖にどッと室内に驅込《かけこん》だのが素敵の別嬪、恁麼《こんな》別嬪は臍《へそ》の緒《を》切つてから初めて見た[#「初めて見た」は底本では「始めて見た」]、兩眼は菫菜色《すみれいろ》で星《ほし》の光がある、開《あ》いた口が牡丹《ぼたん》で兩※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]は芍藥《しやくやく》の紅《くれなゐ》、胸が動悸《どきつく》やら苦悶《もどかしい》やらで平素《いつも》の嬌態《しな》も造り兼ねた樣子 「おゝ本田宗六樣」と婦人は吾等三人を瞥《ちら》と見て※[#「口+斗」、U+544C、23-11]女性の敏捷《すばやい》覺知《さとり》が利いて凝《じツ》と本田を睨《にら》み据《す》ゑ 「好《よ》くまあ、入來《いら》して下さいました、で今日御禮|旁々《かた/″\》參つたので御座います、善二さんからは無論御話しが無かつたでしやうね妾《わたし》みんな存じて居ります詳《よ》く御承知の上に盡力願ひます、何卒《どうぞ》御疑なく願ひます、妾《わたし》善二さんとは小供の時分からの知り合《あひ》であの方の欠點《おちど》とてはもう微塵《ちつと》もありません本當に虫も殺さぬ温情《やさ》しい方なんですよ、それにあの嫌疑とは本當に無法ぢあありませんか、誰だつて善二さんの人柄を知つて居りますれば、そんな嫌疑は無法だと思ふんですわ」 (三一)本田「本當です、僕等も是非善二さんを青天白日の身に爲《し》て遣《や》りたいんですよ、今後充分に盡力致しますから御安心なさい」 「あの申立を御覽遊ばさいましたか貴方の御意見は如何ですか申立の中に何か言ひ失《そこ》ないでも御座いましたか貴方も善二さんを無實だと御思ひでしやうね」 「如何《どう》も無實らしいですな」 「ほら御覽遊ばせ」と棚橋孃は良《やゝ》反身《そりみ》になつて輕蔑的《いやしめげ》に虎澤を睨んで「あれあの通り頼母敷《たのもしく》仰在《おつしや》つて下さるんぢあありませんか」  虎澤は肩をしやくつて 「なあに、本田君は余り早|合點《がてん》したんですよ」 「だつて、本當ですよ、妾《わたし》ちやんと知つて居るんですよ、善二さんは仕ませんよ、あの親父さんとの喧嘩ですなあ、あれに就いては善二さんも檢事樣に何とも申しませんでしたがその筈です、あの會話《おはなし》の中には妾の事も係はつて居たんですもの」 (三二)本田「如何いふ具合ですか」 「もう恁うなりましては隱すにあ當りませんから申し上げますが實は善二さんと御親父さんとは妾《わたし》に關する事で不同意で在らしッたんです御親父さんの方は善二さんと妾を是非結婚させたいといふ思召で御座いましたし、善二さんと妾とは大層御心安くて兄妹といふ交誼《なか》で居りましたけれども何せいあの通りの御|年若《としわか》で世間の事を御存じ遊ばさらない方で御座いますから元《もと》より結婚なんていふ事は望まなかつたんです、夫れで折々喧嘩なさいました、で此間の爭論も同然《やはり》それで御座いませうよ」  本田「貴孃《あなた》の御親父樣は如何ですか?賛成の方《くち》ですか」 「否《いゝえ》、同然《やはり》不賛成なんです、賛成者は殺された卷山さんだけです」  と云ふと同時に棚橋孃は卒然《ふつと》鮮《あざやか》な顏を赤める、本田は炯眼を放つて抉《え》ぐるが如く彼女を睨んで 「色々伺ひまして誠に有難う御座います、明日參つたら御親父樣に會はれませうか」 「どうも六ヶ|敷《しい》でしやうよ、御醫者さんが許しますまいよ」 「御醫者さんとは?」 (三三)「まだ御存じないですか愚父《ちゝ》は先年來兎角病勝でしたが夫れに今度の事件で全く弱つて了《しま》いまして只今|臥《ふせ》つて居ります、柳原先生は迚も救からない神經が遣られたと申されます、ヴイクトリア[#「ヴイクトリア」に傍線]時代から馴染《なじみ》にして居ました卷山さんがあゝいふ始末になつたもんですからさぞ……」 「はあ、ヴイクトリア[#「ヴイクトリア」に傍線]で之れは大切な條《こと》だ」 「はい金鑛《かなやま》で」 「なあるほど、あの金鑛で御親父樣は彼所《あちら》で金を御|溜《ため》なすつたそうですね」 「はい、左樣で御座います」 「何とも有難う御座いましたそれで私も大部《だいぶ》救かります」 (三四)棚橋孃「明日何か新しい報《こと》が伺はれませうか、無論|彼所《あちら》へ被行《いらつしや》れば善二さんに御遭ひでしやうね、左樣《そう》なされば妾《わたし》は確乎《ちやん》と無實に相違《ちがい》ないと思つて居ますつて仰在《おツしや》つて頂戴何分|何卒《どうぞ》」  本「はい、承知いたしました」  棚「妾は直《すぐ》歸らなけりあなりません、父が斯樣《あんな》に危篤《あぶない》ですからそれに妾が居りませぬと淋しがつて居りますから、では左樣なら、何卒よろしく御願ひ致します」といふて彼女は前度《さきほど》の樣に周章《あたふた》と驅拔《かけぬけ》て出て行く馬車が轟々と街《まち》を下り行く、  少時《しばし》の後虎澤は更《あらた》まつた樣子で本田に向ひ 「おい君は可厭《いや》な男ぢあないか、駄目《だめ》だと云つて置けば良《い》いに、大丈夫ですなんて、僕は女々《めめ》しい方ぢあないから大低の事には同情も起さぬが今度だけは可哀相だよ、後《あと》で必《きつと》失望させるんだからな可哀相ぢあないか」 「善二を無罪にする道が付いたと思ふんだよ、なにもそんなに、時に君監獄訪問卷を持つとるか」 「うん、だが君と僕と二人分だけ」 「では、再《また》思ひ直《なほ》して直《すぐ》に出懸る事に仕やうかな、それにしても平戸まで汽車で徃つて今夜善二に面會する時間があるだろか」  虎「あるとも大ありだ」 (三五)本「そんなら徃く事に仕やう、おい和津、君《きみ》あ、待遠だろな、けれども二時間ばかりだから些《ちと》辛棒して呉れ給へな」  と云はれて俺《おれ》は本田、虎澤の兩人を停車場で見送つてそれから露須の狹《せま》い町を端から端まで逍遙《ぶらつき》歩いて宿へ歸つた、先づ長椅子《ソフアー》に横臥《ふせ》つて小説でも讀んで樂まうと黄色い背皮の小説を取つて讀んで見た、  處が其小説の脚色《すじがき》は如何にも淺薄なもので迚《とて》も目下偵察中の神妙不可思議の事件とは較べやうにならぬので遂《つい》小説よりも眞物《ほんもの》の方に氣を取られ本を室の向側へ放り抛《な》げ今日の事ばかりを考へて見た、果して、善二の申立てが事實とすれば善二が父に別れた時と再び※[#「口+斗」、U+544C、30-5]聲を聞いて森端《もりばた》の現場へ飛び付けた時との些《ちよツ》とした間隙《あいま》に甚麼《どんな》、兇惡《わるい》、突飛な大災があつたのだろ、必《きつ》と何か恐ろしい凄《すご》い事があつたに違いない (三六)一體何事だろ?傷痕《きづ》を醫學上から判じたら何か明らないかしら、俺《おれ》は直に呼鈴《ベル》を鳴らして其地方の週刊新聞を取り寄せて見るに訊問の記事が全體《すつかり》載《の》つて居る、外科醫の報告によれば左の顱頂骨の背面《うしろ》へかけて三番目の骨と後頭骨の左半は何か鈍《にぶ》い武器《はもの》で撃《う》たれた樣に碎けて居るとの事俺は手を自分の頭へ當てて考へて見るに恁ういふ傷は慥か背面《うしろ》から受けたに違いない、して見ると卷山父子は互に相對して爭論をして居たんだから善二が殺したでなくなるから幾分善二に利益の點だ然し親爺が後向《うしろむき》の時にやられたのかも知れないから此憶測も余《あんま》り信頼《あて》にはならぬ、だが、是れは一應本田に注意して置くもよかろ (三七)それから死際《しにぎわ》にラツト[#「ラツト」に傍線]の事を私語《さゝやいた》由《そう》だが、何の事だろ眞逆《まさか》譫言《たわごと》でも無かろう、普通不意撃を喰つて死ぬ者は譫言など云はぬものだ、して見ると彼が撃たれた次第を説明しやうとしたのかも知れぬ、夫れにしても何の事だろ、是に就いては何か些細があらうと首を捻《ひね》つて考へた、それから善二が見たといふ鼠色の布《ぬの》の事だ、若し果して其樣《そん》な物があつたとすれば加害者が逃走《にげ》る時、外套か何か落して圖太《ずぶと》くも再《また》取りに歸つたのだろ、其間善二は五六間位の所に背向《うしろむき》に跪座《ひさまづ》いて居たのだろ、何《なに》せこれは神妙不可解の連鎖《くさり》だ虎澤の所存も道理に聞えるがまた本田宗六の鋭眼にも平素から敬服して居るので今、新事實が擧がる毎《ごと》に本田は善二を無罪に違いないと愈々確信して來る調子だから萬更《まんざら》斷念も出來ない状《かたち》だ (三八)本田宗六の歸つて來たのは夜|遲《おそ》くてあつた虎澤は町の下宿に居るので本田獨りで歸つたのだ、腰を下《おろ》すと口を開いて 「晴雨計はまだ大部昇つて居るね、雨は降らんな、地面をすつかり見なけりあならんから降られては困《こま》る、それに今度の事件は餘程《よつぽど》精微《きわどい》から注意して巧《うまく》やらぬと良《い》けない、今日は長い旅《たび》で疲《つか》れた、恁《こん》な時に働《やる》のは可厭《いや》だつたけれど………善二に面|會《つ》[#ルビの「つ」はママ]て來た」 「何か珍しい事でも聞いたかね」 「否《いや》、何《なに》も」 「些《ちつと》も駄目だつたか」 「うん駄目だつた、僕は初め善二は加害者を知つて居るだろと思つたし、善二か棚橋孃か何方《どつち》かが加害者に邪魔されて云はないんだろと思つたが全然《すつかり》豫期《あて》が外れて善二も吾々と同然迷つて居る、彼は餘り氣の利いた敏《さと》い性《たち》ぢあないが却《なか/\》の美男子で了簡《れうけん》も確りして居る樣だ」 (三九)「だつて野暮ぢあないか」と俺《おれ》は口を入れ「彼があんな棚橋孃の樣な美人と結婚するのが可厭《いや》だなんて、若し事實とすれば餘程《よつぽど》趣味に乏しい男だね」 「いや、其件《それ》には隨分|悲慘《あはれ》な歴史《はなし》が籠《こも》つて居るよ善二は目下棚橋孃に惚《ほ》れて居て宛然《まるで》正氣の沙汰ぢやないのだ、然しつい二年程前の事さあ、あの棚橋孃は某《さる》寄宿女學校に五年も在たのだから善二は未だ熟《よく》彼女を知らなかつたので、根が若者《わかうど》の迷い易い時期、馬鹿な事を仕たのだ、ふと酒揚女《ちややおんな》の手に引懸つて遂《つい》結婚して籍まで入れて了つたのさ、所が此事は誰も知らないで今では棚橋孃と結婚したいのは山々だが迚も出來ないに定まつて居る出來ない事を頑固な親爺が無理に爲《やれ》と責《せめ》るんだから堪らない筈ぢあないか (四〇)先達《せんだつて》親爺を撲《なぐ》らうとかゝつたのも畢竟《つまり》是れで是非とも棚橋に結婚を申し込めと責め立てられたので堪《たまら》なくなつたからさ、其上、善二は差當り獨立生活は出來ぬ身で今親爺に捨てられては困《こ》まる境《はめ》だ、親爺は殘忍《ひどい》人だから酒揚女と縁付いたなんてふ事を聞けばそれこそ大變善二は本當に捨てられて仕舞んだ、曩《さき》に鰤須で三日暮したのは此|淫婦《おんな》と一緒に居たので親爺はそれとは知らなかつたんだ、君、爰《こゝ》だせ爰が肝腎だせ、彼女《あのおんな》がね、善二が牢へ這つて今にも首をやられると新聞で見たので離縁すると覺悟を規《き》めて手紙で既《もう》づーと前から西港に夫《おつと》があると云うて寄越したのさ、だから兩人の間は今は全く無關係なのさ、此手紙こそ地獄に佛《ほとけ》やつと善二も安心したろ、今までは隨分難儀したがねえ」 (四一)「然し善二でなければ誰が有罪だろ?」 「誰がッてまあ、考へて見給へ、二ッの肝腎な點があるぜ一ッは親爺が池の端《はた》で誰かと約束があつた事、その誰《だれ》かは善二の筈はない、善二は留守中で何時歸るか知れなかつたんだもの、第二には善二の歸つたのを知らぬ内にクイー[#「クイー」に傍線]と※[#「口+斗」、U+544C、35-7]んだね、此二點が最も肝要なのさ、さあ、ともかく、些《こまか》い話は明日《あす》に讓つて今夜は是れで小説の談話《はなし》を仕やうや」  翌朝は本田豫言の通り雨どころではない、誠によく晴れ亘つて天に一點の雲がない、九時に虎澤が馬車で來て聲を掛けたから俺等は揃つて平澤原、保須池の方面に向つて出發した (四二)虎澤「今朝重大な報《こと》を聞いたぜあの大館の棚橋親爺が危篤で醫師も匙を投げた由《そう》だせ」  本田「年《とし》も年だろ?」 「左樣《そう》既《もう》六十前後だ、外國で苦勞したので身體《からだ》も大部|害《いた》んで近來兎角病氣勝だつたが此度の事件で一層重くなつたのさあ、彼はあの卷山とは舊《もと》からの知合で平澤の畠地を只で小作に呉れて置いた由《そう》だからまあ卷山からみれば大恩人といふ格だ」  本「左樣か、そりあ大切な事だな」  虎「そうさ、それから、まだ外に色々な親切を仕て遣つたのだ棚橋の卷山に對する好意といふものは此界隈切つての大評判だ」 (四三)本「左樣か、夫れぢあ些《ちと》奇《へん》ぢあないか、卷山は無財産でそんなに棚橋に厄介になつて居り乍ら自分の息子を棚橋孃に結婚させ樣とした事は、棚橋の財産はやがて娘のものだろ、それで申し込みさえすれば結婚は大丈夫出來る樣な語調《くちぶり》では些《ちと》變ぢあないかそれで棚橋親爺は反對だから益々變だ是れは悉《みんな》棚橋孃の話だ、君此變手古な事實から何か推量は出來ぬか」  虎澤は俺《おれ》[#ルビの「おれ」は底本では「おれに」]に目くばせしながら(爰にも我党が御座るといふ眼相《まなざし》で) 「推量も憶測もやつて見たが事實を掴まへるのが骨だ、兎角空論や、忘想を遣りたがつて往《い》かん」 (四四)「御有理《ごもつとも》」と本田は勿體《もつたい》ぶつて「事實を掴まへるのが君には隨分骨だね」 「然し僕は君等の見出し得ない事實を掴へたぜ」と虎澤は本氣になつて云ふ、  本「何を?」  虎「卷山親爺が息子善二に殺されたんだ是れは天日の如く明かだ此反對説は悉皆《みんな》天月の光《ひかり》位なものさ」 「天月の光《ひかり》でも濃霧よりは明るいよ」と本田は笑ひながら。「それはともかく此左手に在るのは卷山の屋敷だろな」 「然《うん》、左樣だ」  館《たて》は宏快《ひろ/″\》とした二階造り、屋根は石葺《いしぶき》で灰色の壁《かべ》には黄色《きいろ》の苔《こけ》が斑點《まだら》を成して風流《ゆかし》いが窓《まど》の簾《すだれ》は下《お》り烟突に煙が揚がらぬので何となく寂寥《ものさびし》く過日《このあいだ》の愁傷が未《ま》だ未練を殘して家までが欝《ふさ》いで居る樣、 (四五)戸口で聲を懸けると家婢が出て來た、本田の請に應じて長靴二足を見せた、一足は卷山親爺が殺された時|着《は》いて居たもの、他の一足は息子善二のもの是れは其時|着《は》いて居たのでは無かつた本田は件《くだん》の靴《くつ》を取つて七八個所叮嚀に寸法を執つた後、裏庭《うらにわ》へ案内して呉れと請じ其所を出《い》で蜿蜒《うねつ》た道を辿《たど》り保須池に出た、  本田宗六は斯樣な探偵事《たんていこと》に熱中して居る時は宛然《まるで》生れ變つた樣になるので迚《とて》もこれが宇城町の靜思家で理論家たる本田とは思へぬ程顏は赤く晃いて險《けわ》しく二條《ふたすぢ》の眉毛は黒く猛《たけ》く其奧から兩眼は鋼鐵の如く光つて居る顏は俯向《うつむ》き肩は弓形《ゆみなり》に曲り唇《くちびる》は一文字に結び、長い肉付の好《よ》い頸《くび》には太《ふと》い青筋が立つて居る、 (四六)鼻孔を膨げて行く樣はさも獲物を追ふ獸の樣だ渾身の注意を眼前の一點に攅《あつ》めて傍目《わきめ》も觸《ふ》らず進み行く何程《なんぼ》話《はなし》を仕掛《しかけ》ても馬耳東風で受け應《こたい》がない、偶然《たま/\》應《こた》へた所で憤《じ》れッたい樣にグー[#「グー」に傍線]と素速く唸《うな》るが關の山、疾風の如く速かに唖者の如く無言で草原の小路を辿《たど》つて往き森を潜《くゞ》つて保須池に出《で》た其邊は皆、沮洳《しめりがち》で、道の面《おもて》、小草の上には、多くの足跡《あしあと》が見える草の上の足痕《あしあと》はやはり草で圍まれて居る、本田は急ぐかと思ふと突如《ばつたり》停《とま》つたり、又急に振り返つて草原へ這入つたりして行く、虎澤も俺《おれ》も後《あと》を跟《つい》て行くが、何《なに》せ虎澤は黒人《くろうと》の探偵官本田の奴碌な事は出來まい位な顏で行く、然し俺《おれ》は彼の一擧一動は必ず確乎たる一目的に向つて進む階段であると信じて居るから本田を見戍《みまも》りながら進んだのである、 (四七)保須池は葦で[#「葦で」は底本では「葦て」]圍《かこ》まれた小さい沼で直徑三十間ばかりしかない、平澤の田圃《たんぼ》と棚橋家の庭園との境をなして居る池の先方に森林《もり》があつて緑の縁《へり》を成して居て其の上に赤煉瓦の塔が二つ三つ聳《そび》えて居る、是は即ち棚橋家の住宅で金持相應に立派である、平澤の方面には蔚然《こんもり》と繁《しげ》つた森と水端《みぎわ》の葦《よし》との間|巾《はゞ》二十間程の間水草が生えて帶を引《ひ》いた樣に見える、虎澤に案内されて屍骸の在つた場所を見るに池は濕めつて居たので被害者の臥れた痕跡《あと》が明丁に見える、本田の思ひ詰めた顏|※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]然《じつと》見て居る眼光《まなざし》は宛《さ》も踏み付けられた小草から被害者の痕跡以外に多くの事實が發見される樣であつた 彼は嗅《か》ぎ付けて居る犬の樣にぐるりッと走り廻はつて來て虎澤に向つて (四八)「君何の爲に池へ這つたの?」  虎「武器か何か有るかと思つて熊手で搜したんだ、君はまあ如何《どう》して左樣《そん》な事を?」 「默《だま》れ/\急がしい、君のその内側を向いて居る左足の痕《あと》が方々にあるぢあないか(盲目《めくら》)の|※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84]《もぐら》でも其位の事は見付えるよ、で葦の中には見えないんだ、一體|衆《みんな》が恁麼《こんな》にがや/\水牛《うし》の群程《むれほど》遣《や》つて來なかつたらもつと足痕も明かで容易《たやす》く探搾《しらべ》が付いたんだがね、ほら此所へは番人どもが來たに違いない此通り屍體の周圍一間ばかりは足痕だらけだ、おや此所には別に三通りの同じ足痕があると彼は透鏡《レンズ》を取り出して防水布を敷き其上に横ざまに臥して詳《よ》く見る、終始獨り言《ごと》いふ樣に「これが善二の足で二度歩るいて居るし一度|疾走《はしつ》て居る爪先《つまさき》が深くて踵《かゝと》が見えない位だこれは成程彼の申立の通りで親父が臥れて居るのを見た時は走つたに違いない、 (四九)それから此所に親爺の足痕がある彼方此方《あちこち》歩いた樣子だ、では是は何だ。これは銃床の跡だ善二が親爺の説法を聽いて居た時に銃を立てて居たのだろ、是は何? はゝ成程、爪先、爪先[#「爪先、爪先」は底本では「瓜先、瓜先」]、ッとみんな四角になつて居るぜ妙な靴だな、來て往《い》つて再《また》來た、勿論是は外套を取りに來た奴だな、はて、何所《どこ》から來たんだろ」本田は馳《かけ》足になつて往つたり戻《もど》つたり、足痕を見失つたり見出したり遂《つひ》森の端の圖拔《ずぬ》けて大きい椈《ぶな》の樹の下《もと》まで來た、彼は足痕を追うて此の樹の先側《むかうがは》まで往き再《また》俯向《うつむき》に臥《ふせ》つて「占《し》めた」といふ樣に叫ぶ長時《ながらく》そのまゝ其所《そこ》に居て木の葉や枯枝《かれえだ》などをひッくり返して見たり塵芥《ちり》の樣なものを袋の中に詰めて手の屆く限《かぎ》り透鏡《レンズ》で地面のみならず木の皮《かは》まで檢査する (五〇)苔《こけ》の中にぎざ/\した石があつたがこれ迄も整然《ちやんと》檢《くら》べて袋に納《おさ》めまた一つの足痕に隨《つい》て森を通り拔け大道に出たら足痕は見えなくなつた「いやなんとも面白かつたよ」と本田は平素《つね》の顏に直つて「此右手にある薄黒《うすぐろ》い建物が宿《いど》だつたに違いない、一寸這入つて娘(森山さだ子)と話して見やう筆記《かきとめ》る事でもあれば記《とめ》て置かう、それが濟んだら歸つて晝飯《ひるめし》と仕やう、君等は遠慮なく馬車まで往つて居給へ、僕は直後《すぐあと》から」  それから十分程|經《た》つと馬車で露須町へ着いた、本田はまだ森の中で拾《ひろ》つた石を携《もつ》て居る、 (五一)「やい、虎澤、是に譯《わけ》があるんだよ」と本田は石を差し出して 「これで弑したんだよ」 「何所《どこ》に證跡《しるし》があるの?」 「證跡《しるし》なんぞは無いさ」 「それぢや如何《どう》してそんな事が明かる?」 「此下に草が生《は》いて居たのさ、だからこりあ二三日しか載つて居ないので何所からか持つて來たんだろよ、瘡《きづ》跡[#「跡」は底本では「踉」]としッくり合ふのだ、此外に武器は見當らないよ」 「では加害者は?」 「それは大體《ざつと》恁《こう》いふ者だ丈高《せいたか》[#ルビの「せいたか」は底本では「めいたか」]で左利《ひだりぎツちよ》で右足で跛行《びツこ》を引く先《さき》の太《ふと》[#ルビの「ふと」は底本では「とふ」]い獵靴《かりぐつ》で鼠色《ねづみいろ》の外套を着てインディアン葉卷《シガー》を煤《いぶ》し煙管《きせる》を用ゐ、懷中に鈍《にぶ》い小刀《ナイフ》を入れて居たのだ、其|他《ほか》も色々形蹟はあるが先づ差當り此位で充分だろ」 (五二)虎澤笑つて 「如何《どう》も僕は懷疑派だ理屈はそれでも通るが悲しい哉相手は嚴正なる裁判官閣下だからな」 「そんならいゝさ」と本田は落着《おちつき》拂つて「君は君、僕は僕で遣《や》つて見やうや、僕は今日午後は忙しい多分夜行で倫敦へ歸らなけりあなるまいて」 「此事件はそれで放棄《うつちやり》か」 「否《いや》放棄《うつちやり》ぢあない、成就《すんだ》のだ」 「然し疑《うたがひ》は?」 「晴れたぢあないか」 「そんなら罪人は?」 「今、叙《いつ》た人さ」 「然し誰《だれ》?」 「恁麼《こんな》人數の少ない所ぢあ見付かるまいよ」 (五三)虎澤は憤《じれつ》たい樣に肩《かた》をしやくつて 「いくら何だつて跛足《ちんば》で左利《ひだりぎツちよ》の人は居ないかなんて方々騷き廻《ま》はる譯にあ往くまい、なあそれこそ探偵町の良い笑い草だ、僕は實際主義だからそんな狎戯《ふざけ》は出來んて」 「良いさ」本田は穩《おとなし》やかに「出來なけりあ出來ない迄だ、只僕は君に出來る迄に仕て遣つたんだから、兎に角|此家《こゝ》は君の宿《やど》だから是で失禮するよ、出發前に再《また》何とか手紙を上げるよ」  これで虎澤に別れて宿《やど》へ歸ると食卓《テーブル》の上には晝飯《ひるめし》が出て居る本田は深い熟考《おもひ》に沈んだ樣子で靜《じつ》として進退維れ谷《きはま》れりといふ面相《おもゝち》、「おい」と本田は飯が濟むと俺《おれ》を呼んだ「まあ、これへ恁《か》け給へ、些《ちよつ》と話したい事がある、君|如何《どう》したら良《よ》からうかね君の意見を聽きたいものだ、まあ一腹やり給へ緩《ゆツ》くり説明《はな》すから」 (五四)「何卒《どうぞ》左樣《そう》して呉れ」 「で恁《こう》いふ譯さ、此事件に關して善二の申立ての中に二つの凡《たゞ》ならぬ點があるね、それで僕は善二に方《かた》を持つし君は反對だ、そりやあ外でもない、一つは親爺が善二を見ぬ内にクイー[#「クイー」に傍線]と叫んだといふんだね、尚《もう》一つは死|際《ぎは》にラツト[#「ラツト」に傍線](鼠)の事を云ふた事さ死際《しにぎは》に種々《いろ/\》囈《つぶや》いた由《そう》だが其外には何も善二の耳には這入らなかつた由《そう》だね、さあ此二點が差當り僕等の出發點で是から善二の申立てを本當として研究して見やう」 「そんなら「クイー」たあ何の事だい」 「そりあ善二に向つて叫んだのぢあない事は明白だ、善二は鰤須《ぶりす》へ徃つて留守中だと知れての話、これが善二に聞《きこ》へたのは偶然といふものだ一體「クイー[#「クイー」に傍線]」といふのは約束ある人を呼ぶ意味がある、勿論是は豪州|訛《なまり》で豪州人の間に用ゐらるる詞だ卷山親爺が保須池の端《はた》で會ふ約束を仕たのは慥かに豪州に居た人だ」 (五五)「そんならラツト[#「ラツト」に傍線](鼠)とは?」  本田は懷中から卷いた一枚の紙を取り出しテーブル[#「テーブル」に傍線]の上に展けて「見給へ之れが豪州ヴイクトリア[#「ヴイクトリア」に傍線]の殖民地の圖だ、實は昨晩《ゆうべ》鰤須《ぶりす》へ電報を打《う》つて取り寄せたんだ」と云ふて地圖の一部に手を置きながら 「君これを何と讀むか」 「アラツト」と俺は讀む 「それで今度は?」と本田は手を引き取つて問《と》ふ 「バララツト」 「左樣だろ親爺は夫れを※[#「口+斗」、U+544C、48-12]んだのだそれを息子は終りの二音節だけ※[#判読不能、49-1]き取つたのだ、親爺は「何の某、バララツト[#「バララツト」に傍線]」とと加害者の名を※[#「口+斗」、U+544C、49-1]んだのだ 「そりや、奇體だね」と俺は※[#「口+斗」、U+544C、49-3]ぶ、 「そりあ、君明白な事實だ夫れで余程《よつぽど》明《わ》かつて來たねそれから善二の申立に據れば鼠色の外套は眞物《ほんもの》だね、して見ると今迄何の事やら雲を掴《つか》む樣だつたが今度は確《しか》と鼠色の外套を着《き》て豪州人がバララツト[#「バララツト」に傍線]から來たと掴《つかま》へ所が出來て來たね、」 (五六)「成程左樣だね」 「其|邊《へん》の地理を詳《よ》く知つて居たに違《ちが》ひない、池端へ出るには是非|田圃《たんぼ》か屋敷か何所《とつち》か通らなけりやならない、それがあの樣《ざま》だから地理を知らずには歩けやしないんだから‥‥」 「全然《まつたく》左樣《そう》だ」 「だから今日は御苦勞願つて往つて見たのさ、地面を精《よ》く調べて見て加害者の人物に就いて[#「就いて」は底本では「就てい」]先刻《さつき》虎澤の頓馬奴《とんんまめ》に話した樣な些《ちよ》つとした事柄を知つたのさ」 「然し如何して知つたの?」 「そりや、君も知つての通り僕は綿密家だからねえ些《ちよつ》とした事から見當つたのさ」 「身長は踏張《ふんばり》の長さで大概《おほよそ》見當がついたろうね、靴も痕跡《あとかた》で知つたろうね」 「左樣さ、全く妙な格向な靴だつたよ」 「然し跛《ちんば》は何所《どこ》で知つた?」 「右足の方が左足より痕《かた》が淺かつたよ、つまり重みが少ないからさ なぜ? なぜつて跛《ちんば》を引いたのさ‥‥不具《かたは》さ」 「左利《ひだりぎよツちよ》の方は」 「君も驚いたぢあないか、あの外科醫が檢屍の時打撃は後方《うしろ》からだが左方《ひだり》だつたぢやないか、左利《ひだりぎツちよ》でなくてそんな事が出來るものか、卷山|親子《をやこ》が面談《はなし》て居た時はあの椈《ぶな》の樹の後方《うしろ》に立つて居て煙草まで喫《すツ》たんだ、僕は煙草の灰殼《はいがら》を見出した、あれはインデアン、シガー[#「インデアン、シガー」に傍線]であると斷言したのは元來僕は煙草に關《かけ》ては素人《しらうと》ぢやない[#「素人ぢやない」は底本では「素人ぢない」]僕は是でも煙草の事は幾程《いくら》か研究したもので烟管《きせる》や、葉卷《シガー》や紙卷《シガレツト》の灰殼を百四十種も掴まへて小册子を著はした位だあの灰殼を發見《みつけ》[#ルビの「みつけ」は底本では「みつつ」]てから近傍《あたり》を見たら苔《こけ》の上に吸半《すひさし》の葉卷《シガー》が放棄《ほか》つて在るぢやないか、あれは無論ロッテルダム[#「ロッテルダム」に傍線]製のインデイアン、シガー[#「インデイアン、シガー」に傍線]さ」 (五八)「ぢや煙管《きせる》は?」 「で葉卷の本《もと》は噛《くはい》ちあなかつたよ、だから煙管《きせる》を用ひたといふのだ先端《さき》は噛切《かみき》てなくつて|鹵※[#「くさかんむり/奔」、U+83BE、51-12]《しだらなく》斬《き》り去《と》つてあつた、して見ると鈍《にぶ》い小刀《ないふ》で切つたに違いない、」 「本田」と俺は叫《さけ》ぶ「君は犯人《とがにん》の身に網《あみ》を張つたねそれ迄見られては遁《のが》れッ便《こう》ない善二もお蔽蔭《かげ》で救かる無實の繩《なわ》を切つてやつた樣なものだね、是迄の説明で僕には明瞭《ちやん》と覺《わか》つた、その犯人《とがにん》は‥‥」 「棚橋常二樣」と宿の給仕が戸を啓《あ》けて來客を通し乍《なが》ら叫《さけ》ぶ  見れば妙な顏の人が這入つて來る、その顏つたら一度見れば忘れられない位だ遲慢《おそあし》で跛《ちんば》を引いて肩《かた》は弓曲《ゆがん》で居るので老耄《おいぼれ》た樣だがよく見れば嚴酷《いかめし》い皺《しわ》の深刻《ふかい》|※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]骨《ほうぼね》の聳えた面相と、圖太い手足とで、身神倶に獰猛らしくい[#「獰猛らしくい」はママ] (五九)縺《もつ》れ鬚《ひげ》鼠色の髮《かみ》、俯向《うつむき》の凸出《とびで》た眼相《まなざし》は威嚴《いかめし》いが顏は蒼白《あほざめ》、唇と鼻の先の所は一層《ひときわ》蒼く稍《やゝ》紫《むらさき》がかつて居るので其人は何か烈《はげ》しい慢性病に罹つて居るのだなと一瞥して直に覺れた「何卒《どうぞ》御|凭《かけ》なさい」と本田は穩和《おとなしやか》に「私からの手紙が屆きましたか」 「はい、貴宿《をやど》の番頭が持つて參りました、御手紙中に世評を憚るから[#「憚るから」は底本では「憚るかるから」]會い度《た》いと仰在つたですね、」 「はい私から尊堂《おたく》へ伺ひましては世間の浮評《うはさ》もあるだろうと思ひましてつい、」 「何故會いたいと仰在つたんですか」と老人は萎《しほ》れ眼《まなこ》に[#「萎れ眼に」は底本では「委れ眼に」]絶望の色を浮べて宛ら此質問は既《はや》答へられたといふ風に本田を見て、 (六〇)「はい」と本田も氣を利かして質問よりは顏色に答へる樣に「全く左樣です、私は卷山の事を悉皆《みんな》存じて居ります」  老人は顏を兩手で蓋うて 「南無阿彌陀佛‥‥とにかく善二をば救けて遣りたいですな、若し裁判が不首尾《ふしゆび》の節は私は屹《きつ》と白状して救けてやります」 「然《さう》承れば安心です」と本田は嚴肅《おごそか》に云ふ 「可愛娘さへ無ければ既《もう》申したんですが、只今申しては彼女《あれ》が泣きます[#「泣きます」は底本では「泣さます」]、今申して拘引されゝば彼女《あれ》は甚麼《どんなに》泣くか知れません」 「拘引なんて事にあなりません」 「何故《なぜ》ですか」 「私は警官でも何でも無いんです、一體私が此所《こゝ》へ參つたのは孃さんの爲と覺悟の上、萬事其|見計《みはからひ》で遣《やつ》とるんです何《なに》せ卷山の息子は無罪が本當ですね」 (六一)「私はもう死《し》ぬんです、年來尿崩病で醫者も一ヶ月は持たぬだろうと申します、けれどもどうせ死ぬ位なら自宅《たく》で死にたいんです、牢屋なんかでは御免蒙りたいですな」  本田は立ち上り筆《ペン》を執つて机《つくゑ》に座り紙を前に置いて 「さあ信實《まつたく》の所を御話し下さい、書き留めて置きたいですからで後《あと》で署名して戴きませう、和津が爰《こゝ》に證人《たちあひ》になつて居りますから、すれば私は最後《いざ》といふ時には是れを出して善二を救けてやります、然し止むを得ない境《はめ》にならなけりやあ出しません、そりや確かですから」 「そりあ、如何《どう》でも良《い》いんです、私なぞは公判時まで生き永へて居るやら明かりませんから、同じ事です、左《と》も右《かく》も花(娘)には心配させたくないですな、さあ全體《すつかり》申し上げませう隨分長い星霜《つきひ》に亘つた御話ですがまあ御話は早速に (六二)貴方は卷山の親爺を御存じ無かつたんですな、隨分|兇惡《わるもの》で鬼《おに》の樣な奴でしたよ、あんな奴の手に引懸らぬ者こそ余程《よつぽど》幸福《しあはせ》私は二十年此方|掴《つかま》つて居たんですとの本當に[#「との本當に」はママ]壽命が縮まつた位です  彼《あれ》の手に引懸つたのは六十年代(千八百六十年代)の初めつ方|金鑛《かなやま》往《ずまひ》して居つた頃です、私はまだ血氣盛りの若者《わかもの》で物の前後も辨《わきま》へず何にでも手を出したい方で惡い友達と交際《つきあ》ひ酒を飮み財産を失ひましたから、遂ひ野藪《のやぶ》に浮身《うきみ》を窶《やつ》したんです、早い話が路賊《おひはぎ》になつたんです、同類六人で亂暴な放|埒《らつ》な生活をして居りました、立場《はてば》を所々に移し歩るき金鑛《かなやま》に通ふ荷馬車を停《とゞ》めて物を奪ひ取る事なぞを常業に仕て居りました、それで私の通名《とほりな》はバララツト[#「バララツト」に傍線]の黒助《くろすけ》、徒黨はバララツト[#「バララツト」に傍線]隊といふて今でも彼所《あちら》では名代物《なだいもの》です、 (六三)或日の事、金がバララツト[#「バララツト」に傍線]からメルボルン[#「メルボルン」に傍線]へ運ばれるので私共は待伏《まちぶせ》して居りまして攻撃しました所が先方は護送の兵士《つはもの》六騎で此方《こちら》も六人といふ互格の勢でしたが此方では先づ初めの一聲射撃で敵の四人を馬から撃落しましたが金を奪ひ取るまでには味方が三人討死しました、其時私は短銃《ピストル》を禦者の頭に睨《ねら》ひました、その禦者こそ即ちあの卷山で實に其時撃拂つて了《しま》へば良《よ》かつたんですな惜しい事しました、其時《あのとき》憎らしい小さい眼で見覺《みおぼえ》があるぞといふ風に私を睨らんだんですが遂《つひ》偶《ふと》魔《ま》が射《さ》して救けて遣つたんです、私共はその金を奪つてから急に金持になり英國へ渡つて參りましても未だ何んの嫌疑も蒙らずに居たんです、其後間もなく同類と別れ閑靜な土地に落着いて高尚な新生涯に入らうと思ひ鳥渡賣りに出《で》て居た此屋敷を買ひました、手にある金《かね》は罪《つみ》の金《かね》ですからそれ以後は往時《まい》の罪亡しに善事のためにその金を使ふ事に決《き》めまして (六四)妻を迎へました妻は夭折《わかじに》しましたが花といふ可愛い娘を殘しました、花子の嬰兒《あかんぼ》の時分からあの可愛らしい小さな手を見れば無情に効果《きゝめ》がありまして私を善道に導く樣な思《おもひ》がしました、つまり私は生れ變つたんです、出來る限り力め勵《はげ》んで過去《むかし》の罪惡《つみ》を盛り返さうとしたので萬事萬端結構に參りましたが卷山の慾目にかゝつてからは何分思はしく參りませんでした  私はある日買物に倫敦へ參りますと利善戸町で偶《ふと》卷山に遭《あ》ひました、上衣《うはぎ》もなく靴《くつ》も着《は》かぬといふ見苦しい裝《なり》で、私の腕《うで》に手をかけ 「おい、黒公御心安く願ふよ、俺《おり》あ、息子《せがれ》一人だけだで、貴公の家《うち》に一緒に置いて呉れめいか貴公のがにあ「#貴公のがにあ」はママ]、二人位《ふたりぐれえ》は喰せて置けるだろ、はゝ、良いだろうな可厭《いや》だら‥‥ほら、これ、危《あぶ》ねえぜ此所《ここ》は何所だと思つてる?やい法規《おきて》嚴《きびし》い英吉利だぜ、巡査は何所《どこ》にも居るからな――」 (六五)(と私が承知しなけりあ往時《むかし》の罪業を暴露《あば》いて遣《や》るといふ意氣込を示しまして)奴等親子で西國まで私に隨《つ》つて來たんですから、我慢にも別れる譯には參りませんで、仕方なしに私は屋敷へ入れて只今迄無代で小作をさせて置いたんです、さあそれからといふものはもう一時の心の休むことが御座いませんで始終憂が身に染《し》[#ルビの「し」は底本では「しみ」]みて居りました何所へ往つてもあの狡猾な欲深な顏が目に付く樣で是が花(娘)が大きくなるに伴れて益々|甚《ひど》くなりましたといふのは私は花に昔《もと》の罪業を知られるのが恐《こわ》い、巡査に知られるよりは恐いといふ事を彼も直時《じき》に洞察《みぬい》たのですな[#「洞察たのですな」は底本では「胴察たのですな」]、で憖《なまじ》ゐな事して素破拔かれては堪らないと思ひまして彼の口を噤《つぐ》むために田地、金錢、往家と、何でもかれも欲しいと云へば手當り次第に與《く》れて居ました、處が遂《とう/\》與《くれ》る事の出來ないものを欲しいと申すんですものそれは花子を嫁《よめ》に欲しいといふのですわ、  彼《あれ》の息子は御存じの通り大きくなり、私《うち》の娘も同然《やはり》縁期《としごろ》で私は病勝とは知れた事それに乘込《つけこん》で息子に私の財産を繼がせたいといふ企畫《たくらみ》然しそれだけは頑として聽き容《い》れませんでした[#「聽き容れませんでした」は底本では「聽き容れまんでした」]、あんな不吉な族《やから》と縁を結ぶんですからね、私は息子の方は可厭《いや》では無いんですが、只|彼《あれ》の血統《ちすぢ》が氣に入りませんで斷然《きつぱり》拒《こば》んで居ました、處が卷山は私を酷《ひど》い目に會はせる樣な劍幕《けんまく》でしたから、會はせるなら會はせて見ろと相手に仕ませんで先達《せんだつて》も兩家から丁度中程にある、池端《いけばた》で面談《はなし》する事に約束して置きました、 (六六)私が池端へ下りますと卷山は息子と話の最中でしたから夫れが終るまで[#「終るまで」は底本では「終るまだ」]木蔭で煙草を喫《の》んで待つて居ました、談話《はなし》を聞いて居りますと甞《かね》ての心配が嵩《こう》じて來てそれは座《ゐ》ても立つても堪らぬ程、烈しくなつて來たんです第一花と結婚しろしッろて迫《せ》めて居るんですもの、花は可厭《いや》だか如何《どう》だか一向眼中に置かない樣《さま》家然《まるで》淫賣婦とでも結婚させる調子|恁《こ》うなりや堪らない、其儘で置けば可愛い花は勿論私までも彼奴《あいつ》の毒に罹《か》かつて了《しま》うんだと思ひまして遂《つひ》堪忍嚢が裂け縁《ゆかり》の緒を切拂つたんです、私は既《もう》死ぬばかり片足は棺桶の中、ほんとに、死者狂《しにものぐる》ひです、まだ肉體《からだ》も少しは達者ですけれども壽命は無いと覺悟のまい、然し貴重《だいじ》は名《な》と娘《むすめ》、奴の穢《きたな》い口を|※[#「こざとへん+曷」、61-2]《と》めさへすれば名も名、娘も娘で救かると思ひまして‥‥遂《つひ》‥‥本田樣、私が遣《や》つたんです、私、こんな目に會へば二度でも三度でも遣ります、是迄の罪こそは深いですが私は其|償《つぐのひ》として神樣に一身を捧げて居りました左《と》も右《かく》も可愛い娘が私と同じ網《あみ》に引懸るのを默《だま》つて見て居られませうか、私は奴を殺した時毒蛇でも殺したといふ心地で後悔も何《なんに》も仕ませんでした、奴が※[#「口+斗」、U+544C、61-7]んだので息子が驅《か》けて來ました時[#「來ました時」は底本では「來ましとき時」]私ははや森の中へ隱れて仕舞ひましたが逃げる時外套を落しましたからそれを捨《ひろひ》に行きました、是れが僞《いつは》りのない御話です、」 (六七)棚橋老人は本田が今書き終はつた覺書に署名した時、本田がいふた「なるほど、然し裁判は私の役ではありませんよ、何しろ私共はそんなに人殺しまでも仕度《したく》なる樣な境《はめ》に會いたくないですな」 「本當に左樣で御座ります。左右《ともかく》貴殿《だんな》、私を如何《どう》なすて下さいますか」 「如何《どう》もする氣ぢあないんです、御|身體《からだ》が其通りですから然し冥途の神樣の御|裁判《さばき》には相應に遣《や》られますぞこれは覺悟なさい、私は此自白なすつた事を秘して置きますがいざ善二が死刑に宣告されるといふ曉には止むを得ないですから持ち出しますぞ、左もなければ決して他《ひと》には明《あ》けません、貴方が存命でも死んでもちやんと守つて居ますぞ」 「では失禮致します」と老人は嚴《おごそ》かに「あゝ、これで、安心して死ねます斯樣《かう》私を救けて下すつたからには貴方も矢張冥途の旅に立たッしやる時はさぞ安々とね‥‥」と云ひ終ると大きな身體《からだ》を顫《ふる》はし乍ら蹌踉《よろめ》いて出て行く、 (六八)本田は姑《しばら》く沈默の後「南無八幡、運といふ奴は酷《ひど》いものだあんな可哀相な者をあんなにして仕舞つて恁麼《こんな》事を聞く毎にボックスタ[#「ボックスタ」に傍線]の言が思ひ起される「神の惠なかりせば、本田宗六は當然死ぬのである、」  卷山善二は裁判で無罪放免となつた、それは本田が多くの反證を申し出た結果被告保護會に廻されながである[#「廻されながである」はママ]、棚橋老人は後七ヶ月ばかり永らへて死んだので軈《やが》て善二、花子の兩人は過去の慘事《さんじ》を知らぬが佛《ほとけ》で琴瑟の縁《ゆかり》を結び得るといふ御芽出度い事[#地付き](終り)   底本:「近世英語研究叢書 第一編 死刑か無罪か」東西社      明治四十二年三月三日 発行  作者:コナンドイル原著、手塚雄譯註  入力:神崎真 ※底本の画像データは、国会図書館の近代デジタルライブラリーよりお借りしました。 ■近代デジタルライブラリー - 死刑か無罪か  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/903024 ※誤字脱字が残っている可能性があります。また一部外字などを置き換えている部分があります。 ※青空文庫の入力指針に基づき、片仮名の「ケ」のように見える文字の内、文章の流れから「こ」「か」「が」と読むと思われるものを「ヶ」で入力しています。 ※各章の頭にある括弧付き漢数字は、縦中横です。 ※誤字等お気づきの点があれば、お知らせいただければ幸いです。