譯者の前置
余は、先年不思議なる一
篇の事實談を非小説と題して掲載せしが、
其中に
堀井紳士(モシウー、ヘリー)なる者が死して、
其後蘇生せし事を記したり。當時、讀者中には之を事實に遠しと爲し、一旦死して醫學士にまで死人なりと認定せられた者が生返る筈なしと云ひ、
遙々書を寄せて
小史を
詰る者も有り、所々に非難の
聲を聞きしが事實
却て小説よりも奇なりとは
茲の事なり。死せしと見えて死せしに
非ず、暫しが程、命を停止せられ
居者なり。
其例は
種々ありと見え、
屡々洋書に散見する所なるが、中にも米國文學家故アラン、ポー氏の記す所の如きは、英學者の大抵讀みて知れる所なれば、余は同氏の記事を例に引き
斯る事も有りと答へて
言解きたり。
後ち余、彼の
實歴鐵假面を譯するに當り、
又オービリエー(
帶里谷が
[#「帶里谷が」は底本では「帝里谷が」]蓄骨洞より骸骨と爲りて生返りたる一節あり。
曾て讀みたるボアゴべー氏の大復讐と云へる小説にも、ゴントラン、ド、ケルガスなる者が地底より蘇生し來りて
舊情婦を
瑞西の
山巓にて救ふの一
條あり。余も幾分かは心に迷ひしが讀者も亦迷へるならんと察せるゝ。
然れども是等は
孰れも、一昔しの事にして、近來斯る
例は無きや
若し有らば其顛末を知り
度しと思ひ、之を醫士某氏に問ひたる所、蘇生の
例は時々に在り、其最も近きものは千八百八十四年(明治十七年)
伊國にて惡疫の流行せしとき、之に
傳染して死したる一
人墳墓の底より
生來りたる一例ありと云へり。其
生來りたるは何と云ふ人なるやと問ひたるに、ネープル府の貴族、ハビョ、ローマナイ氏なりと答へたり。
此人愼に
生復り今も猶ほ
生存へて居るならば、定めし何か此人が其後に
自書記したる文章ある
可し、他人の書きたる者は
當てに成らぬ故當人自ら書きたる者は無きやと問ひたるに、件の醫士は知らず答へ
唯だ、
此頃の西洋醫事新誌に雜報として記したるを見たるものと云へり。
依て余は其新誌を借受けて讀みたるに、
左の如く記しありたり。
或る天然の作用に
由り一時生命を停止せられ全くの死人と爲り
或時を經て生返るの
例は、
最早や
事々しく記す迄も無けれど是も
其一か八十四年の流行病で死去したる伊國の貴族ハビョ、ローマナイ氏は何時の間にやら蘇生したる事實
確なり其後、ネープル府にて社會の上下を
驚したる大事件も實は氏の
關したる所なりと云ふ。
唯是だけのことなれば余は殆ど失望せしも、猶ほ念の爲めに西洋の
書肆に
書簡を送り、何かハビョ、ローマナイと
云る人の著したる書は無きや廣く
其地の書店にて搜索し
呉れと
言送りたるに幾程も無く返事を得たり。曰くローマナイ氏は
目下其自傳を著作中なり、脱稿次第當店にて出版するの約束ゆゑ其節は直ちにお送り
申さん。
但代價幾何其節までにお送り
被下度云々、余は嬉しさ
堪へず、首を長くして待ち居たるに此頃の便船にて右の書を送り來れり。開きて見れば氏が死する前より生返りたる後の事件をまで記したる者にして、其生返る有樣は彼の
帶里谷が
蓄骨洞を
出る時の有樣と
略ぼ同樣なれど、全篇の記事は實に人情の極致を
畫きたる者なり。之を架空の小説に比すれば目を
眩する如き
波瀾は無けれど、小説家の誰しも
描かんと欲して今だ
畫くを得ざる所の者なり。「平凡にして
而も無類」(Plain but original)とは
此種の趣向のことを云ふ可きか、余は英米の小説も、
佛國の小説も、
露國の小説も、
獨逸の小説も多少は
讀たれど、此書の如く讀終りたる後無情の感に堪へざる者を讀し事なし、伊國人は
多恨多涙にして而も執念深しと聞きたるが、多恨の人にして初めて此種の事を爲す可し。讀みて面白からずと云ふ人も有らん、痴情に過ぐると云ふ人も有らん、世間に有り
勝の事のみと笑ふも有らん。然り
有勝の事なれど其事實は無類なり。唯だ拙劣なる譯文を以て原書の趣味を抹殺するは余の
甚だ
耻る所なれど、事實を報道する雜報なりと見給はば架空の作り物語よりは
寧ろ新聞紙の本職に近しと云ふを得んか。
涙 香 識 す
白 髮 鬼
一
讀者よ、余は
鬼なり、人死すれば之を
鬼と云ふ、余は一旦死して生返りたる者なればなり、人にして
鬼、
鬼にして人、思へば恐ろしき余の
鬼生涯、
試みに余の故郷なる
伊國ネープル府に
行きて伯爵
波漂は如何にせしぞと問へ、異口同音に波漂は既に死したりと答へん、役場の戸籍帖を
檢むるも波漂は
去八十四年の激烈なる惡疫に
罹り死したるを知らん、余は即ち其死したる波漂なり。戸籍上、法律上は全くの死人なれど余は猶ほ生て此世に在り、當年
齡三十歳、身體健全の一男子
現に此通り筆取りて自己の鬼生涯を記しつゝ有るなり。顏には
男盛の血色を留め、
眼は
澄えて星に似たり、唯だ異なるは
頭の髮のみ、元は漆の如く黒く東洋の人かと疑はるゝ程なりしも今は白きこと雪に似たり、
唯一筋の黒き毛を探すとも得べからず、三十にして白髮頭、是れ余が他の人に異なる所、
其外には何の
異りも無し。
逢ふ人誰一人余の
白髮を怪しまぬは無く、
或は遺傳かと問ひ、或は非常なる心配にて白くなりしかと問ひ、或は赤道直下の如き熱き地を旅行せし爲にもやと問ふ。余は笑て答へざるなり、答へたりとて、到底信ずる人無からんと思へばなり、余の黒髮の白くなりしは、死せし
身體が生返りしと同じ程不思議なり。
今は唯だ親切なる醫學士に其次第を聞かれ
復た答へざる
能はず、余は黒髮の變じて
白髮と爲りたる其一年間の事を、思ひ
出すが
儘に書記さん、否思ひ
出すまでも無く其の一年間の事は一刻も忘れ得ず、
此後百年が千年たつとも、忘るゝ事よもあらじ。
讀者よ、余は
伊國第一の豪家とまで評されし伯爵
霏理甫羅馬内の一人息子、伯爵
波漂なり、余の生れし家はネープルの港に臨む景色
好き岡の上に在り、生れて間も無く母に分れ、十七歳まで父の手に育てられしが父も其年に死したり、僅か十七歳にして莫大なる身代の持主と爲りし事なれば、知れる人々は却て氣遣ひ、
彼れ必ず酒色に
耽り親の遺せし身代を
傷るならんなど云たれど、余は色にも酒にも
博奕にも其他の
奢にも耽けりし事なし。去ればとて余りの儉約家と笑はるゝも好まねば、唯だ身代相應に暮したるのみ。若き娘を持てる親達は折に觸れ時に觸れ余を招きたれど、余は讀書と友人の外に樂み無く、大抵は斷りて招ぎに應ぜず、余が讀める書物の
中には女を
惡樣に書けるが多く、或は如夜叉なりと云ふも有り、或は男の心を麻醉させる毒藥なりと記せるも有り。余は寧ろ女を視て險呑なる者の樣に思ひ、
夫よりは安心して
打解けし男友達と
交るが無事ならんと心のそこに
括り居たり。人來らば歡びて之と交り、
來らずば獨り書を讀みて古人を友とす、今思ひても之ほどの
樂は無し。
友達のうち殊に最も
親かりしは余と同年にて同じ學校を卒業せし
花里魏堂と云ふ男なり。彼れは余の
富るに
引代へ何の身代とても無く、而も余と同じく幼き頃
父母を失ひ、唯
羅馬府に一
人の叔父あるのみ。叔父の仕送りにて世を送れど、是れとて身を
支るに
足ざれば、學校を出て後
畫を稽古し上手に至らねど多少の
畫料は得る身と爲たり。殊に余が彼を愛し、用も無き畫を描かしめて
價高く買取るなど、夫と無く充分に保護を與へ居しため、別に不自由と云ふ事も無く、
交際場裡にも立交じりしのみかは、彼れ殊に
綺倆好き
生にして女かとも見ゆる程なれば、余と違ひて婦人社會の交際も有り、常に余に向ひて女の事を
説勸め、言葉巧みに
言廻して人生の幸福は女の愛の外には有る事なしと云ひ殆ど余の心を動かす程なりしかど、余は彼れの歸りし後にて再び古人の書を讀めば元の
冷かなる心に
復り、
魏堂よ、魏堂よ、余は汝と交る外に樂み無し、と獨り叫び、心にも亦
斯く思ひたり。凡そ此頃の余と魏堂との間ほど親み合ふ友達は世に又と無き事ならん。
去れど人の心ほど移り易き者は無く、心移れば樂みも亦變り、
行も亦變らん。余が斯く
靜なる月日を送るうちにも余は知らず/\心の移る時に向ひ居たり。忘れもせぬ八十一年(明治十四年)五月の終はらんとする頃なりき、魏堂は羅馬の叔父の
許に
行くとて一週間ほどの留守と爲り、余は唯獨り家に在りて殆ど退屈に堪へざれば
晝過より
遊船をネープルの港に浮べ、日暮頃まで灣の中を
漕廻りしが、
其中に疲れを覺えたれば又も船を着け陸に上り、我家へと歸らんとするに、其道にて孰れより
來るとも無く、
最と微妙なる唱歌の聲の聞こゆるにぞ、余は恍惚と
聞蕩れて歩むうち聲は次第に近くなり、
頓て道の角一つ曲れば、余の直ぐ目先に五六人の少女
群居て、音樂教師かとも思はるゝ一老人に引連られて、且つ
唱ひ且つ笑ひて、餘念なく戲れるを見る。
讀者よ、余は實に此時までも女に心奪はる可しとは思はざりき。此時初て今までの愚さを知れり。女、女、女ならでは人生の樂みなしと魏堂の言ひしは
茲なる
乎ト思ひ出す事も忘れて、余は
只管に其中の一
人に見入りたり、微妙なる其聲で唱ふ一
人、是れ人か是れ天女か群居る中に唯
一人輝くばかりに美しき其面影、年十六は既に、十七には
未し、何等の
眼、何等の唇、古人が毒藥と評せしは猶此女の生れ
出ぬ先なればこそ、然り世間の女皆毒藥にして此女唯一人其毒を消す
囘春劑か、余は其姿を見るばかりにて二十年來の味き無き浮世より天國に生れ
出たる心地せり。手の舞ふも知らず足の踏むも知らず、人の怪みて余の姿を見るも
總て知らず、眼中唯だ其可憐なる姿あるのみ。
二
讀者よ、女を惡魔とのみ思ひたる余が、突然女に
溺しとは、
書も
耻しき次第なれど余は餘りの嬉しさに其
耻かしさも忘れたり。此女無かりせば余は生涯木石の如き男にして人の人たる情を知らず、昔の學者に欺かれて、
終に
我過ちを悟り得ずして終りしならん。思へば此女、余が百年の迷ひを
覺せたる有難き大知識、拜み
崇み奉らずんば有るべからず。實に百聞は一見に如ず唯一度見し美人の顏、忽まち百册の
舊聞を霧の如く掻消したりとは……。
無論の事、余は此女と婚姻したり、一旦
斯と思込ては一刻も無駄には捨てぬ余が氣質なれば、及ぶだけの手を
盡し、有る丈の力を費し此翌月の下旬早くも此女の
所天と爲りたり。其間の
骨折は唯だ讀者の推量に任せ置き
管々しく記すに及ばず。此女是れフロレンス府の零落貴族の一女にして父の外に身寄も無く、幼き頃より
仕附けの最も嚴重と知れたる尼寺にて教育を受居たる者にて余が見初めたる由を通ずるや、父なる零落貴族は、娘が女王にでも登る程に
打嬉び、娘に一言の
否も言はせず、
轉りて承諾し、轉りて婚姻させたり。
婚姻の終るや第一に喜びを述べたるは彼の魏堂なり、彼れ余の手を碎くるほど握りしめ「君は
本統に仕合せ者だよ、一番靜な曲者が一番大きな仕事をすると云ふが本統に君の事だ。
伊太利第一の美人、否世界第一の美人、本統に十九世紀第一の美人を探し當た、
爾だらう、女を魔物の樣に思て居た君だから是ほどの女で無ければ愛すまいよ、ヱ君、僕が曾て美人は造化の最大美術だと説聞せた其意味が今は
分たゞらう」とて余と
那稻(余が妻)の
傍を踊り廻れり。
余は此親切なる言葉を聞き早や既に後悔したり。今までは此男を第一の友とせし者を、今は此男より猶ほ親き二
人出來、夫だけ此男への余の情は薄くなりしか、アヽ魏堂、可哀想に、彼れ未だ美人を妻とする其樂しさを知らぬ男よ、余は何とや彼れに氣の毒な想ひしつゝも那稻の顏を眺めしに氣の毒も後悔も總て忘れたり。此美くしき顏さへ常に余が目の前に在れば友達も要らず、世間も要らず、命も要らず、愛に醉ふとは斯の如き事を云ふにや、余は是よりして眞に人生嬉しさの絶頂に達し、痴の如く愚の如し。
幾度那稻の顏を眺めても飽きず、見る度に美しさが
彌優り、
果は那稻の美しさが總ての物に
染移り、見るもの聞くもの美しく樂しからぬは莫し。
那稻も次第に余の心を知り、
宛も熊使ふ見世物師が目の
上下にて荒熊を自由自在に動かす如く那稻は
眼ひとつ(否二つ)にて余を意の如く動かする道を知り、
來れと口に
云ずして余を來らせ、
据れと口に
言ずして余を据らす、其の思ふ通りに成るを見ては、熊使ひが熊を
褒そやす如く、嬉しげにニツと笑み、余も其顏にまたニツと笑む。
笑と笑との
其中に
籠る樂しみは昔の哲學者も心學者も、氣の毒ながら
未知らぬ所、殆ど余と那稻の間にのみ限れる天の賜物にや、勿論斯る程なれば余は唯だ自分で那稻を愛するばかりで無く、那稻に充分愛せられ居る事を疑はず。然り然り那稻は確に余を愛せりと、余が斯く思ひ詰るが無理か、凡そ世間の夫たるもの
誰か
我妻が我を愛する事を疑はん、妻が
仇し男に心を寄すれば
寄るほど、所天は益々己に心を寄する者と思ひ、妻を盜まれて後までも、知ずに
愈々妻を愛す。何やらの書に見えたれど余と那稻の間には學者の言葉など思ひ
出す必要なし、殆ど傍目も
振れぬほど樂しければなり。
婚姻前も婚姻後も變る事なく余の家は土地の紳士の多く
出這入る所なりき。出入る紳士誰一人余の妻那稻の美しさを褒めぬは莫く、中にも褒聲の最も高きは彼の魏堂なり。彼は案内も乞ず余が家に入來り、
暇を告ずに出去る程にて余が家を
己が家の如く見、余が妻を己が妻、オツと
爾まで愛されては大變なり。
兔に角も
[#「兔に角も」は底本では「兔に角も」]余が彼を愛する如くに彼れ余を愛し、余が那稻を愛する如くに彼れ亦那稻を、否々斯く記しては同じ事なり。
讀者よ余は何と此所を記して好きや知らねど兔に角魏堂が余の妻を愛するは非常なりき。彼れ來る度に何か那稻の氣に入る如き土産物を買來りて那稻に贈らぬと云ふ事無く、那稻を見る度に其顏其髮其手其姿を褒めぬ事無し。殊に彼れ余よりも口先が巧者にして、其褒め言葉は
褒ると云ふほど
打附の言葉にあらで、何と無く那稻の心を喜ばせたり、余は婚姻の爲め魏堂と疎ましく成る可きかと思ひのほか、却て其親みを増たれば是に増す歡びは無く、或時は彼に向ひ、魏堂よ、汝は余が婚姻の爲め親友余を失ふかと氣遣しならんが、失はぬのみかは更に那稻を一人の親友に加へ得たれば定めし喜ばしく思ふならんと云たるに、彼れが眉間に
最と
微なる薄雲の現はれしかと思ふ間も無く彼れ愉快げに打笑ひ「爾とも波漂」と答へたり。讀者よ試みに思ひ見よ、余の如く家富み、余の如く妻に愛され、余の如く親友に親しまれ、而も余の如く健康なる、是が人間の最大幸福に非ずして何ぞ、浮世と云ふ此世界に、斯くまでの幸福が有るかと思へば、余は餘りに勿體なさ過て、罰が當りはせぬかと氣遣ふ程なりき。
罰は當らで余の仕合せは愈々増したり。翌年の五月の初め、余と魏堂が余が家の景色第一と云ふ縁側に腰掛てネープル灣を
見下し居る折しも、召使の老女、手の先に
生立の女の子を
抱き來り「旦那樣お歡び遊ばせ、思たより御安産で此樣な孃樣が生れましたよ」と云へり。是れ余が妻那稻の生みたる余の子なり。那稻は婚姻より二ヶ月にして余の
胤を宿し、今は月滿ちて生落したり。余は可愛さに得堪へずして、玉の如き其額に
吻を移すに、魏堂も同じく吻を移せり。
軈て老女が抱去りし後にて余は「實に可愛い者ぢや無いか」とて魏堂に向かふ。彼れ
毎もより青き不興なる顏にて微かに嘆息を洩しつゝ「君は本當に善人だよ」と云ふ。其
言樣異樣なれば余は怪み「何故魏堂、勿論惡人とは思はぬけれど
更めて褒めるゝ程の善き事もせぬが」魏「イヤ少しも疑ひと云ふ事を知ぬからサ」言ふさま益々異樣なり。余「疑ひ、誰も疑ふ可き人が無いもの」「イヤ世間には隨分自分の妻を疑ひ、嫉妬の餘り
飛でも無い事をする人も有るのに」余は殆ど叫び聲にて「エ魏堂、何と云ふ余の妻は生れ立のアノ
小兒より清淨潔白じや無いか」魏「夫は爾だ、實に爾だ、
白山の雪より白く、
研きたる
球より清く、
蒼天の星より高しと云ふのは令夫人だ」。
余は嚴かなる聲にて「爾とも」と答へたれど、魏堂の樣子に何とやら合點の
行ぬ所あり、話は直ちに他の道に移りしも、遠からずして彼れが言葉を一々に思ひ出す不吉の時の來るべしとは、神ならぬ余の露知らぬ所なりき。
三
讀者よ、魏堂の誡めたる異樣なる言葉にも似ず、是より三年の間は唯だ樂みの増すのみなりき。生れたる女の子には
星子と名前を附け、
乳婆の手に渡したるが、一日は一日より成長し、這ふかと思ふうちに立ち、立つうちに歩み、歩むうちに片言を
言覺え、八十四年(明治十七年)の夏の頃は、父よ父よと余の跡を追ふ愛らしさ、世間の
幼兒に比べては
一入智慧も早きかと思はれたり。
此年の夏は實に無慘なる夏なりき、世にも恐ろしき激烈なる傳染病流行し、子は父を看病せずして逃げ、夫は妻の枕元に近寄らず、
轉も臆病なる
伊國人の事なれば傳染と云ひ流行と云ふ言葉に恐れ、親も子も老も若きも一旦之に罹りては到底助からぬ事の樣に思ひ、唯だ我が身に移らぬをのみ願ひて義理も人情も全くに忘れ果たり。
唯だ余の
住居たる
羅馬内家の屋敷のみは高き岡の上に在りて不潔なる町屋と離れ、空氣も
極めて清淨なれば
下僕の者までも
左まで恐る樣子無く、殊に余は妻那稻の顏、見る度に斯る美人の住居へ如何で疫病などの入來る事あらんと安心し居たり。斯る有樣なれば魏堂も避暑を兼ね避病を兼て余が家に來り泊り、那稻と余と三人にて三兄弟の如くに打解けて打交り、笑ひ興じて日を送るが
中にも、那稻は聲の麗しきに加へて音樂も亦
巧なれば凉しき所に樂器を置きて余の好める樣々の歌を奏し、魏堂も亦
兼て其道の堪能者なれば、稻と
並座して調子を合すなど余の住居は宛ら仙人境に異ならず、余も音樂一通り知ぬに有らぬも魏堂ほど巧ならぬ爲め、多くは日頃愛讀する書物を
執りて縁側に出で魏堂と那稻の音樂を我が背に聞きながら、顏は吹き來る清風に
洒し、晝寢の夢を催すまで書を讀みたり、此の萬福なる境涯へは疫病神も、行くも邪魔にさるゝと
斷念めてか一片の挨拶にも來らず。
或朝の事、余は庭木の影に吹く朝風の如何ほど
冷かならんと
起上りて寢床を
脱出で、那稻の夢を破らぬ樣、先づ靜に着物を
着替へ、イザ
出行んとして又も其寢顏を見返るに、笑を
含し唇は余が名を呼ぶかと疑はれ、
黄金の如き髮の房は枕に
磨れて薄紅の色を
帶る細き首の
邊にまつはるなど愛らしさ
云ん方なし、此愛らしき姿も心も、全く是れ余の物にて、四年の間他人に指もさゝせぬかと思へば、余は我身の果報が勿體なく胸一ぱいに嬉さが込上げて、思はずも其
枕邊に立返り、散らばる髮の一房を手に取上げ、之に
鼠泣の如く
接吻し、顏も
頽るばかりの笑を帶て立出でしが、今より思へば是が
最も長き後悔の初りなりき。
昨日の暑さに引替て庭の木影の凉き事、
宛ながら秋かと思はるゝばかりなれば、余は歩み歩みて塀の外に出て、裏畑の小徑を傳ふ折しも、忽ち一方の物影より
尋常ならぬ苦痛の叫び聲聞え來しかば、何事と怪みて早速其方に立寄り見るに、痛ましや年十二三の
菓物賣歩く里の童、色青冷めて
打仆れ、今や
死んとする人の如く息も絶々に苦み居るにぞ、余は其肩に手を掛けて「コレ
何うした」と問ふに、彼は漸くに顏を上げ「
了ません、傍へ寄ては了ません。流行病ですよ、最う
迚も助りません」と打叫べり、流行の惡疫とて余は少しも恐れねど、那稻余が妻、星子余が娘、二人の爲には恐れざること能はず、
悸つとして思はずも
一歩退きたれど、彼とても人の子なるに如何で見殺しになる可きぞ、
縱手遲れと爲るまでも然る可き醫者を呼來り遣らんものと「ナニ我慢しろ、我慢しろ、病氣が皆惡疫と云ふ譯では無い、ドレ
己が醫者を呼で來て遣るから」と斯云ひて余は裏道より一散に町を指し
馳下りて、
但有る醫師の家に飛込み、事の次第を物語るに醫者は目を丸くして余の顏を見「イヤ最う
參ても無益です、今頃は死で居ませう、
私しを迎へるより役所へお屆け
成るが好いでせう」是が醫者の云ふ可き言葉なるか、余は殆ど呆れ返りて「イヱ
未死は仕ませんから兎に角も御出張を」醫「イヤ御免
蒙りませう、私しとても傳染せられては困りますから」と云ひ、余が二の語を
續がぬうち彼れ余の顏を叩かぬばかり玄關の戸を締切りたり。
醫者さへも斯云ふ程なれば當時一般の
町人が如何ほど惡疫を恐れしやは充分に明白ならん、余は立腹して茲を去り猶も
街上に居合す人を捕へ余と共に來れと云ひ莫大の
賃銀を遣らんと云へども誰一人應ぜねば、、余は殆ど
困じ果て「ヱ、ヱ、手前等は卑怯な奴だ、人情知ずだ、病人を見殺しにする
積か」と罵しれど返事は唯嘲笑ふ聲のみ。
斯る折しも孰れより來りしか、一
人の宣教師、余の前に出で「私しが行きませう」と云ふ流石は宗教に身を
委ぬる人ほど有りと余は感心して其手を取り「では何うか御一緒に、
切ては彼の家へまでも
運で遣り度いと思ひますから」とて共々に走り來る
途々も、猶ほ病人の有樣を語り又余の姓名をも名乘るに、彼れ兼て余の名を聞き知れる者なれば「イヤ貴男の樣な御身分で、是ほど迄の御親切は感心の
外有ません」と余を褒めたり。
余は「ナニ是くらゐの事は人たる者の
務です」と
未言切らぬうち、忽ち余が胸の底に
劈く程の
痛あり。足も腰も動ずして余は其儘道の上に
絶入るかと疑はるゝ程なれば、重く宣教師の手に
凭れ掛るに、教師は驚きて「ヱ、
何かしましたか」余「ナニ
何うも仕ません、
暑に
當られたか少し目が
暈る丈の事です」と何氣なく云ふうちに唇も早や震へ、喉は火の如く燒附きて聲を成さず、少し
位目の
暈ふドコロか足許の大地より動き出して海も山も一時に覆へるかと疑はる。讀者よ、云ふ迄も無く余も自ら彼の惡疫に取附かれしなり。余が自ら支へ得ずして倒るゝを、宣教師は夫と見て
扶起し直ちに近邊なる
酒店へ
抱入れたれど、余は自ら到底助からぬ事を知りたり。
四
讀者よ、余は全く惡疫に感染したり。今と爲りては
復何をか云はん、
死るも運、
生るも運、歎き悲むだけ無益なれど、余が
死際の一つの願ひは、妻那稻と娘星子に此病を傳染させ度く無し。余が傳染せしと聞くだけにて妻は如何ほどか悲しまん、悲さに我を忘れ馳せ來りて余に抱附き、死なば一緒と命掛に看病する事ともならば、余が病は必ず妻の病と爲る、アヽ
添遂てより四年にして早や若後家の
墓無き生涯を送らせるさへ
不便なるに、
況てや余と共に此世を去つて波漂の一
分が立つ可きや、妻が來りて介抱する親切あらば余も其儘親切を受ずして獨り死ぬ男氣無くて叶はず、何うぞ妻には余が死するまで、此傳染を知らさずに濟せ度し、是れ余が
唯一つの願ひなれば、余は無理に何氣なき
體を示し、彼れ宣教師に向ひ、早く菓物賣る童の許へ行かれよと云ひ、猶ほ妻には内聞にせん事を頼み入るに、宣教師は余の意を察し「ナニ貴方ほど氣の確な方は決して死る氣遣ひは有ません、激しい病は直るのも亦早いから無益に令夫人を驚かすには及びますまい」斯く云て何やらん
呑藥を余に與へ、一時間を經ぬうちに歸り來ると云ひて宣教師は立去りたり。
去れど余は内心にて到底助る見込無きを知れり。目も耳も鮮かなる平生に似ず、見る者は霞に
隔られし如く曇り見え、
我聲は他人の聲の如く遠く聞え、他人の聲は地獄の底から來るが如くに聞ゆ。斯る中にも猶ほ妻の身をのみ氣遣ひて、只管に聲を上げ、余が死すとも其死骸を決して家に持行くな、決して妻の目に觸れしめなト、叫び續けて打叫ぶ。何と讀者よ、余は親切此上無き所天ならずや、
頓て幾時をか經て彼の宣教師は歸り來たり、何うやら菓物賣る童が既に
縡切と爲り居たりと云ふ如き事を余の耳に
細語きたれど、是が此世の聲の聞納めなり。其後は總て知らず、唯だ時々は那稻の顏、星子の顏、魏堂の顏など稻妻の如く目に映るを覺えたり、是れが死際の妄想ならん。
讀者よ、世に死るほど辛き事やある、罪を犯して最早や此世に生て
居られぬと極りたる罪人すら、猶ほ死るを免がれんとて樣々の工夫をするに、余は年廿
有七歳、家は富み妻子朋友に愛せられ、世間よりは敬はれ何一つの不足の無き身、浮世の面白さ
眞盛とも云ふ可きに、
出拔の疫病に引立られて地獄の底へ引込るゝ余が悔さを察せられよ、エヽ今死で成る者かと、我が力の續く丈は奮發したれど、奮發盡きて段々と消て行き、己れと叫ぶ聲も出ず、拳を握れど握られず、
其中に何も彼も知らずなり、深く深く、底へ底へと沈み込む氣持のせしも少しの間、後は唯だ漠たる無、無、無、無の字さへ無き世界となりぬ。是が若し死と云ふ者ならば、讀者よ余は確に死にたる者なり。千八百八十四年八月の十五日、ネープル府の酒店に
於て、余伯爵波漂は哀れ廿七歳を一
期として死したるなり。
死か、死か、知らず、知らず、總て知らず、知ると云ふ事既に無ければ、知らぬと云ふ事も亦知らず。幾時ぞ、
幾許の間ぞ、無々たる無、
空々たる空の中に、唯だ一
物、何やらん有る如く覺え
初しは、死したる余が生返りたる時なるべし。
初は
身體無くして唯だ心地のみ有る如き心地したり、次には物なくして重さのみ有る樣に思はれり、重きは何ぞ、心地は誰の心地ぞ、我れか他人か、考へることも能はず、考へぬ事も能はず、是より又暫くして、心地は少しづつ明くなり、重き物は又益々重くなり、漸く我が身體のうち
咽喉だけは有る事を覺えたり、心地も咽喉に在り重さも咽喉に在り、何物か余の息を
遏めんとて余の咽喉を
縊るに似たり。
放せ放せ、余の咽喉を放して呉れ、誰だ、
己の手を取り、拂ひ
退けて呉れ、斯る事を呟くうち、
譬へば「○○○○」斯くの如き微々たる分子、四方八方より集り來り、
徐り/\と位置を得て余の「心」を作り
復せり。
莟の花の初てパツト
發きたる心地も斯くや。
扨はと心附きたれど猶ほ委細の事は分らず、唯だ
に、唯だ靜なる所に、
存する一物は是れ余の身體、縱か横か、上は
孰れ、下は孰れ、是も考へるに從ひて、背中に固き物ある
柄は
仰向に
寐し儘と分り、開きても目の見えぬからは
黒暗々の
裡と分りたり。
終に、終に余は全く目覺めたり、
嗚呼是れ茲は
何處、何等の濃深なる暗闇ぞ、何等の稀薄なる空氣ぞ、
呼吸せんにも充分の呼吸を許さず、扨は咽喉の重く苦しく思ひたるも呼吸の自在に出來ざりし爲なるか、思ふに從ひ、傳染病の事も思ひ出せり。宣教師の事も酒店の事も、餘りに
明過ぎて恐ろしきほど
有有と
思出せり。去るにても誰も余の枕を奪ひたるや、何時の間に
夜に
入りたるや射る矢の如く胸に一筋の恐ろしき突入りて、余は初めて身を動かし、先ず兩の手を探り見るに、手には猶ほ
温暖みあり、胸を探れば張り裂くばかりに動悸高し、益々苦しきは
息遣のみ。
讀者よ。斯く分析して書記せば味も趣きも無き事なれども以上に記したる所は唯だ一束と爲り、殆ど前後の
差別も無く、余の身に
簇り來たる所なれば、此時の騷がしき余の心持は、唯だ察するを得て記すを得ず。誰が空氣を妨げて余の口に
入しめぬや、空氣、空氣、之無くば
蒸死ん、如何にしても空氣を
握み取りて
食はずば余は一刻も存する能はず、
揉掻ながら手を
差延て余は「キヤツ」と叫びたり。
手に觸しは痛き堅板なり、余の四方は堅き板にて圍みし者なり、斯く思ふより猶ほ早く余は何も彼も覺り盡せり。悟りても悟りたりと我身に知せるさえ恐しき無慘な誠を覺りしなり。讀者よ余は埋められたり、生ながら死人として―。四方より圍める板は是れ棺なり讀者、讀者、助けて呉れ!
(小史氏曰く波漂が生返りたる記事は、鐵假面の帶里谷が生返りたる記事と甚だ相似たる所あり、是れも事實、彼れも事實、同じからざるを得ず、唯だ後に至りて大に異るの本となる故、原書の通りに譯出す、趣向重複と速斷し給ふ勿)
五
讀者よ、
棺の中と心附くが否、余が節々には死物狂の怪力、湧くが如くに集り來たれり。必死の時には必死の力ありと云ふは此事、此棺を破らずば余は一時間、半時間、否十分間と經ぬうちに再び死なん、空氣無き所に長く
生存へる事
固より出來ぬ所なればなり、余は虎の獲物に飛附くより猶強き勢ひにて棺の葢を跳上げたり。悲しや余の力は何の甲斐なし、音は仕たれど余の手と棺の葢が突當る音のみ棺の破るゝ音には非ず
[#「非ず」は底本では「非す」]、其内にも空氣は益々盡き、唯だ
呼吸の苦きのみかは
眼は外に飛出るかと疑はれ、鼻よりも口よりも熱き血の流れ出るを覺ゆ、今度こそ棺の葢破れずば我身が碎けて死ぬ、嬲殺し同樣に一寸一寸、一分一分、
徐ろ/\と死行くより一思ひに碎け死ぬるが如何ほど優るかも知れずと前よりも又一入の力を込め、
荒に荒て上下左右を
跳廻すに、有難し左手の板にメリ/\と破れる音あり、刃物の如く薄き空氣、其所より突入りて、冷たき余の頬を襲ひたり。
余は全く蘇生の想ひ、深く其息を吸込みて又吐出す、是にて身體の俄に凛々しくなるを覺えたれば、頓て板の割目に手を掛けて又メリ/\と推破るに、此度は事
甚だ容易にて三分と經ぬ内に棺は破れ、余は地獄の釜より飛出る亡者の如く身を
跳らせて外に出しが、此時何なるか又孰よりかは知らねど、棺よりも猶ほ太く猶ほ重きかと思はるゝ程の一物、最と凄じき音と共に余が
背後の方に落ちガラリ碎けて飛散ると云ふ如く、何やら余の足の邊にバラバラと當るものも有る樣に思はれたり。是れ或は砂にても有る可きか、余は勿論、此落來りし品物が此後余の生涯に
大の關係を及ぼす可しとは知るに由なく、探りて其ものを檢めんともせず、唯恐しき棺の中より
迯出し得たるを喜ぶのみ。
此時初て余は我棺が猶地の底に
埋られずに在る事に心附き有難しと天に謝したり。若し地の底へ埋められたる後なりせば、棺を破る事の益々難きは云ふ迄も無く、縱し破り得たりとても、直ちに土の落ち來り、目も口も塞がりて、到底助かる筈は無きに、余の棺は幸ひに地の外に在りたり。棺の中に居る間は唯だ棺を破り度き一心にて地の外に
將底なるかと考へる暇なかりき、實に有難し余は地の外に在り、上下左右に手を振廻せど障るものとては
一も無し、身を屈めて地を撫づれば石土塊の如き物も有れど、總體は堅く叩き固めたる地盤なり、孰れぞと見廻せども怪や暗さは棺の中と異ならず、眞ツ黒々と空氣を
染傚せしかと思ふばかり、一寸先も一分先も辨ぜられず、一脚歩めば先に同じ地盤の有るや無しやも分らねば、猶又深き穴に落んとも知ず、篤と考へし上ならずば余は一歩だも此所を動く可らず、余は胸を撫で氣を落附け、先づ
熟々と考へ廻すに、是れ確に余の家の先祖代々を
埋ある
墓窖なり。
歐州にても米國にても大家と云はるゝ家々には墓場に廣き穴倉を作り之を「
一家の埋窖」と稱し、棺を地の底に埋めずして此墓窖の中に置くを常とす、余の家には何代以前に掘築きしかは知らねど、ネープルの岡の奧に堅固なる墓窖あり、十
年前に父の葬儀を營みしとき、余は其棺を送りて入込たる覺えあり、余の棺も其同じ墓窖へ入られたる者に相違なし、余は死する前彼の宣教師に向ひ確に伯爵波漂なる事を名乘たれば、宣教師が棺に入れて此穴へ送り來りし者ならん。
漸く考へは附きたれど讀者よ余は益々吾が境涯の逃れ難きを知れり、棺は破るに左までも難からざりしかど、此の墓窖は石もて地の底に築きたる者なれば到底破る可き見込なし、外より來りて戸を開き呉るる人有らずば、出去らん事思ひも寄らず、殊に共同の
蓄骨堂とは違ひ、人の入來る用事は無く、今より五年か十年か、將た二十年か余の家の者誰か病死し此穴に葬らるゝ時ならずば此穴の戸は開かぬなり、夫とも猶ほ念の爲なれば先づ戸の所を檢め見んと余は探りに探りて、凡そ一時間餘も經し頃漸く戸の所に達したるに厚き鐵の戸固く、
鎖し其上外より錠を
卸したる者なれば、推せども動ず叩けども音も無し。
アヽ余が生返りしは唯だ更めて再び死直す爲めなりしか、惡疫に死する丈にて猶ほ苦みが足ぬゆゑ、更に穴倉の中にて飢ゑ
ゑ絶望し、世間に類の無き、無慘なる死樣をさせんが爲め、惡魔が余の永眠を
搖起せし者なるか、何う考へても余の運命は死る外なし、なまじ生返りたるが恨めしゝ、一たび死すは、悲しくとも
何人にも在る事なり、余は之を堪へ忍ばん、一たび死して猶ほ足らず、人生第一の悲みを二度まで受ねば成らぬとは、
否だ、否だ、余の到底堪へ得る所に非ず、讀者よ余は何うしても此穴より出ねばならず、再び茲に死ぬる事は死でも否なり。
六
爾は云へ既に出口の戸の鎖されたるを如何にして逃る可き、何う考へても此の
黒暗々の裏に
餓死る外は無し、余は之を思ひて身も世も有られず、石段の
下に立たる儘ヱヽ悔して、情無い誰か來て助けて呉れと我知らず泣聲立て、呼べど叫べど答ふるは唯だ墓窖の壁に響く我聲の反響のみ、物凄き事云ふばかり無し、駄目々々逃れやうと思ふだけ駄目、
到底逃れぬと極りたる此場合に男らしく諦めて死ぬ外あらんやと、我心に意見すれども、死る氣には何うしても成られず、アヽ我が物心覺えてより人に塵一筋の迷惑も掛し事なく弱きを助け貧きを
恤みて及ぶ丈の功徳をも施せしに、何の
酬で斯く無慘なる死樣をする事ぞ、情け無いとも口惜とも云樣なく心の中は
逆捲く浪の如く騷ぎ立ち、高く打つ動悸の音、自ら我が耳に聞ゆ。外に如何とも詮方の無き場合なれば唯だ火の燃る如き息を吹ながら幾時か其所に立すくむのみなりしに、心ウツとりと遠くなり、悲さも、悲むを知ず、悔さも
悔しと思はず、殆ど此儘に又絶入るかと思はるゝ迄に至りしが、此時は心全く疲れ果てゝ唯だ皮膚の神經のみ働ける時なる可し、何事も總て夢の如く其中に、身體の孰れにか宛も氷を當られたる如き
最冷痛き所あるを覺ゆ、夫も初は唯だひややかに思ふ丈なりしが次第々々に募り來り殆ど
千切るばかりの痛みと爲りたれば、ふと心を附くるに、個は是れ足の裏にぞある、夏とても
露出にせし事無き足なるに、今は何百何千年と日に觸れし事の無き氷の如き土を踏み長く立居たる爲、次第に冷來りし者と知らる。
扨は履きたる靴を脱がせ、
跣足にして棺の中に入られし者なる可し、爾すれば
纒居し着物まで亡者の着る白き帷子と着替たる者にやと斯る怪みの自から浮み來たれば、冷たき兩足を交る交る踏鳴して温めながら身體中を探り見るに、否々
被物は死際に纒ひ居し儘にして、唯だコートだけ脱ぎたる者なり、定めし傳染病毒の恐しさに靴と
外被を
脱しのみにて其外の手當を盡す事が能はず
々に棺に入れ此の墓窖へ送り入れたる者ならん。斯く思ひて更に胸より上を探るに、首に掛りてぶら下る細き鎖の如き者あり、
是は何ぞと怪みて手に取るにアヽ合點行きたり、余が絶えず首に掛て
守本尊の如くに持ち居たる
冩眞入なり、中には余と妻那稻、娘星子と三人の冩眞あり、余は之を手に取りて宛も
妻子に
廻り逢し心地にて暫し我が恐ろしき境遇を打忘れ「オヽ那稻、那稻」と云ひ其
冩眞入に接吻を施したり。
那稻/\、
他は今如何にせるや、余が墓窖にて生返りしとも知らずして、定めし歎き悲める事なる可し、
可愛星子を涙ながらに抱上て、余の
遺物と思ひ星子が
頑是も無く
阿父は何故歸らぬ、
何所へ行たと泣きながら尋ぬるを何と云ひて
賺すべきや、アヽ親友の魏堂とても定めし那稻を慰め兼ね顏を
傍向けて泣けるならん、彼等に余が斯く生返りし墓場の底に
徘徊へるを知しめば、彼等如何ほどか驚ろきて
奔り來らん、余若し何とかして茲を拔出で彼の許に歸り行かば彼等右より左より余に抱き附き嬉れし涙に堪へ得ずして夢かとばかり歡ぶならん、波漂々々と妻は第一に余の首に
はりて如何ほど熱く又如何ほどに柔らかなる唇を余の頬に
當るならん。斯く思ひて余は暫しがほど茫然とし、想像の
深霧界に迷ひ居たるが、忽ちにして心附けば悲しや讀者よ、此歡びは余の再び見る能はざる所なり、斯くまでの歡びを目の前に控へながら、余は
邪慳なる鐵の戸に鎖込められ此儘に死ねばならず、妻の顏、娘の顏、魏堂の顏總て一昔の夢に同じく、亦と見る事が出來ざるに極りたり。
余は是を考へて全くは發狂せしならん、先ほどまでは千切るほどに覺えたる足の裏の冷たさも今は覺えず、「忌々しい」と打叫びて神を罵り天地を罵り、
當度も無く
暗の中を走り初め、狂ひに狂ひて留まらず、壁に頭を打附けて死なば死ね、
蹶き倒れて怪我すれば怪我をせよ、又と世に出る見込無き身が、何をか恐れ何をか厭はんや右に左に走り廻ること幾分時に及ぶうち、余は忽ちに方角を失ひたり、彼の戸口は孰れの方なりしぞ、生返りし棺の場所は何の邊なりしぞ、我身は今孰れの方に向へるぞ、探れども/\手に當る物も無し、茲に至りて余は初めて、何よりも彼によりも「暗」と云へる事の一番恐しきを悟りたり。
今までは逃出す所は無きやと夫を求むるに一心にて、暗さは心に掛らざりしも既に逃出す事は叶はずと極りては、
黒白も分かぬ暗さほど恐しき者は無し、余が母、余の父、余の先祖、幾人の死骸の外に少しも恐しき物はなき所とは分りて有れど、夫にしても
燈明が欲しゝ、何うせ再び死る迄も
四邊を一目眺めたし、
光明の有る所にて死たし、此暗き所に死しては、天國に行く道も分らず、地獄に落入る外無からんと、何やら此樣な氣もせられ、氣味惡きこと云はん方なし。讀者よ
凡人間の世の中に余が此時程の苦しみが又と有らうか。
七
余は最早た暗闇の苦痛に堪得ず、
燈火だに得ば死すとも厭はじとまで思ふに至りぬ、アヽ何とかして一點の
燈火を得る道は無きや。
余は心を靜にして考へ初めぬ、此墓窖の兩側には葬式の時、蝋燭を
立例ねる爲め
九個づゝ石に刻みたる燭臺あり、余を葬りしには一切の儀式を略せしに相違なけれど、夫にしても一挺の蝋燭だに燈さずして深き眞つ暗闇へ余の棺を
擔ぎ
入たりとも思はれず、兔に角も左右十八個の燭臺を探り見れば其の孰れかに燃え殘る蝋燭の無からんや。
余は斯く思ひ附きて早や
燈火を得し心地し、ホツと息して探り初るに既に方角を失ひし事なれば容易には壁の下まで至り得ず、右に左に這廻るうち又思へば蝋燭は既に火有つて後にこそ用を爲さず、燈す可き火を得ずして蝋燭ばかり有たりとて何にかせん、余は益々運の盡しを思ひ、又絶望して尻餅を
搗く如くに其所へ据りしが、若しや余の身に纒ふ
衣嚢の中に
燐寸の其儘有りはせぬか、余は大の
烟喫家にて燐寸を衣嚢より離せし事なし、先づ震へる手先にて腰の周圍を撫探るに、有るぞ/\、衣嚢の中に何やら堅き物確に有り、第一に取出せしは、
散錢を入れる財布なり。餘ほど取急ぎて葬りし爲め衣嚢の中をすら檢めざりし物と見え、
幾片の金銀貨其中にて音を爲せり、次に取出せしは余が戸棚其他の鍵一束、其次は名刺入にして、最後には有難き燐寸なり。
然り讀者よ、余が常に持居たる燐寸なり、是さへも有る程なれば定めし煙草入も有る事ならん、最早や
周章るに及ばぬ事、ドレ一ぷく吸ひて度胸を定め其上の事にせんと更に又衣嚢を探るに、ハテな、煙草入だけは無し、察するに金銀製の極めて高價なる品なりしかば是だけは宣教師が余の妻へ
遺身として持行たる者ならん、ナアニ驚く者か、煙草を呑まずとも夫が爲に死はせじ、燐寸だけにて澤山なりと早くも心を取直して、先づ一本を擦て照すに、パツと發する
其光は實に第二の命なり、是にて此穴より出らる可しとは思はねど、限り無き暗黒に攻らるゝ其苦痛だけは追拂ひたり、見れば余の据れる所
宛も余が押開きたる彼の棺の
傍なり。
余は更に第二の燐寸を照し先づ四邊を見廻すに、讀者よ嘘に非ず、全く余が棺の
傍なる燭臺に猶ほ三寸ほど殘りたる蝋燭あり、
〆たと高く叫びつゝ余は
躍り寄りて其蝋燭を外し持ち、第三の燐寸にて之に火を附け、宛も武士が古戰場を
吊ふ如く余の棺に
振向て眺むるに、棺も棺、流行病の死人を葬る爲め此頃葬儀舍の店先に幾百と無く
積嵩ねある出來合の粗末なる棺にして伯爵波漂とも云はるゝ余が斯も墓なき葬式を營まる可しとは思ひも寄らぬ所なりき。去れど粗末なる棺なればこそ破りて外に出る事をば得しなれと思へば腹も立ず、棺の表に
波漂羅馬内と記したる文字ありて
傍に八十四年八月十五日正午死すと有り、死したるが十五日の正午にして今は是れ
何時ぞと胸を撫でるに、時計も彼の煙草入と共に妻へ遺身に送りしと覺しく茲には無し、棺の底にチラ/\、光る物あるは何ぞ、更に余は膝を折り身を屈めて
能く見るに、個は象牙と紫檀を組合せたる十字架にして確に彼の宣教師が胸に掛居たる者なり、讀めたり讀めたり、教師は相當なる宗教上の儀式をも施さずして余を葬ることの痛ましく、其の慈悲深き心よりして余の胸に其十字架を載置きたるが、余の跳起るとき棺の底に落たるならん、若し此穴より拔出る事を得ば其親切を謝し、此十字架を贈返さんものと余は取上て衣嚢に入れたり。
讀者、讀者、是より後の事は餘り異樣にして讀者殆ど誠とは思はぬならん、然り余が今考へ見るも實に奇中の奇なればなり、去れど余は有の儘を記す覺悟、讀者が如何樣にも思はば思へ、余は讀者の
思白を恐れて筆を曲る事能はず、事實は飽く迄も事實として記さずばあるべからず。
讀者、余は此時まで膝を附き居たるが、十字架を納めて立んとする折しも、蝋燭の光りに
映じて鋭く余の眼を射、ピカリ/\と輝く者あり、余は早速に取上げ見るに是なん女の耳に垂るゝ耳輪の一方にして世に珍しき程の眞珠と、澄渡る一個の
夜光珠を繋ぎし物なり、孰れより落たるか定めし余の先祖が用ひたる者にして、何かの爲に棺より出たる者なる可しと、余は先づ四邊を見廻すに果せるかな傍らに長さ七尺に餘る
大寢棺あり、其葢の碎け掛りて有るを見れば、棚より落たりと察せらる、更に起上りて棚を見れば、如何にも此棺を置きしかと思ふ場所あり、其下には木の丸太にて作りたる
突張棒と覺しきもの横はれる有り、余は大方合點行きたり、余の棺宛も其棒の許に置き有りし爲め余が棺を破りて飛出しとき其棒を倒せしなり、倒るゝと共に上なる大寢棺は支へを失ひ落たるなり、如何にも余が足許に凄じき音して何やら落來りて飛散りし事は余既に記したり、彼の品物は是なりき、是なりき、余は若し元の棚に此棺を
舁上る事は出來ぬやと思ひ手を掛けて其棺を動さんとするに重さ何十貫とも知られず、余の力にては
搖もせず、如何に堅固なる棺とても斯まで重き筈は無きにと更に外側を檢むるに何の名前も月日も無く、唯だ横の方に、朱を以て一個の短劍を
畫きたるのみ、ハテな、
赤短劍とは兼て聞きたる覺えも有れど其何の
符牒なりしやは余考へる暇なし、余は唯だ其葢の破れたる所よりチラリチラリと映じ出す異樣なる光に眼を奪はれ、篤と之を
窺き見るに、讀者、讀者、是なん口の開きたる革袋にして中に金銀珠玉樣々の品あるを見る、余はハツと驚きて先づ蝋燭を棚の上に置き、猶ほ其葢を開き見るに此類の袋凡そ五十個ほど大棺の中に
滿々て袋の中は眞珠、夜光珠を初めとし
黄金白金の細工物、各國の金貨銀貨幾千と云ふ數を知らず、凡そ孰れの國の國王とても是ほどの寶を見し事なからん。
余は餘りの事に魂消え我が境涯の恐ろしきも全く忘れ、其袋を
出しては
出し、棺の外へ積上るに袋の全く盡きたる後より又現るゝは伊太利及び英佛兩國の紙幣の束にて是も、何百萬圓か數が分らず、嗚呼是れ誰の物ぞ、余が家の墓窖より出で余の手にて發見す、余の物に非ずして何ぞや、余の家は兼て伊國にて一二を爭ふ豪家なれど今は世界一の大豪家なり。是夢か否夢に非ず、金銀は眞の金銀、珠玉は皆眞の珠玉、夫にしても何人が隱し置しぞ、余の先祖と言ひ
度れど先祖は是ほどの物持に非ず、アヽ余は知れり、余は知れり、赤短劍の符牒にて余は知れり、此符牒是れ當時世界に海賊王と名を轟かせ、地中海の一島に潜伏する伊太利人
輕目郎、
練と云ふ者の一隊の符牒に非ずや、此の大寢棺即ち是れ今まで幾多の警官が探り/\て其所在を知り得ざる海賊王の
寶藏なり。
八
海賊王カルメロ、ネリ彼れの名は赤短劍の符牒と共に高し、彼れは十九世紀に並無き豪膽な海賊なり。
彼れ其の獲物を余が家代々の墓窖に隱し置くとは深くも考へし者なる
哉。茲ならば警官に知れぬのみか何人にも見出さるゝ
患無し、眞逆に伯爵波漂羅馬内が死して再び生返り、此大寢棺を
發くならんとは、彼れの奸智も及ばざりし所ならん。察するに彼れ、死人を葬る樣に見せ掛け、總て葬式の儀式にて幾人の手下に此棺を舁がせ持來り、此所へ隱せしなる可し、是等の寶は總て世に謂ふ不正の富にして士君子の手を
觸るだも厭ふ所なれど世界各國の海に出沒し、各國の船を
劫かし、各國より
奪集めたる者なれば今更ら其持主に復し得る者に非ず、彼れ海賊の手に在るよりも寧ろ余の手にて
保監するが適當なり、好し好し此寶の此所に在る事を知り胸の中に疊み置きなば他日又何かの種に成らざらんや。
然り警察に訴ふるとも何かの種なり、他日、他日、他日まで疊み置かん、余は斯く考へながら忽ち又心附けり、他日とは生て何時までも
永ふ可き人の云ふ事、墓窖の中に閉籠られ出る所も無き余の身に取り、他日と云ふ事有る可き筈なし、何かの種にせんと云ふ其の暇を得ぬうちに餓死るが余の運命ならん。
余は又も樣々の恐しき考へに身を
惱し、悔さの餘り將に其寶を
握み取りて手當次第に地上に
擲たんとせしが、
待暫し、彼の海賊王
輕目郎練は
何の所より此棺を此墓窖に入れたるや、墓窖の入口は余の家に有る鍵の外開き得る道無き者なり、左すれば此穴の孰れにか、彼れ海賊のみに知られたる祕密の出入口あるに相違なし初より爾る口を設けあるには有らねど彼れ如何にかして自分の爲め、他人には分らぬ樣其の口を作りたる者なる可し、爾すれば余は猶ほ失望するに及ばぬか。
余が斯く思ふ折しも、棚の上なる蝋燭は恰も風にて吹消す如くフツと消え、余の居る所は元の如き暗と爲れり、
固より燐寸も有り蝋燭も猶ほ有る故、失望する事は無けれど、唯だ怪きは何の所より風の吹來て蝋燭を消したるぞ、孰れの所かに風の
入る穴有るにや、余は先づ床の上を見るにアラ不思議壁に手を
差入るほどの穴ありて之れより風の吹き來るのみならず、薄々と明も指せり、扨は、先程まで穴の外も
夜半にして内と同じく眞暗なりしも今は夜も明し爲め明の差し、此穴の自から目に見ゆる事と爲りし者なる可し、此穴若しや何かの祕密には有らぬか。
余は先づ再び
燈火を照し、更に我手を其穴に押入て探り試るに讀者よ、此穴は即ち輕目郎、練の作りたる出入口なり。穴の
周圍なる
幾個の石は余の手に從ひ動くに似たり、此石を
取脱さば外に出らるゝ事疑ひ無しと余は其石を前へ引くに、思ひしよりも
手答へ有りて仲々に取脱されず、更に向ふの
方へ押せば少し動く樣に思はるれど、石と石との
迫合にて一個を押せば傍の石に
故障りて、益々押せば益々迫合ひ到底
拔去る樣子なし、扨は此所を祕密の出入口と思ひしは全くの空頼みなりしか。
是と云ふも
畢竟は推すに從ひて石の傾くが爲なるべし、傾かぬ樣眞ツ直に推拔かば、傍の石に故障らず、其儘拔る事も有らんか、手を
入る程の穴あるは即ち其石の傾かぬ樣、手にて支ふる爲なるも知る可からずと、余は再び穴に手を入れ、其手にて石の傾くを制しながら
推試むるに果せるかな、スル/\と外に拔け、
續では其石の右と左に有る
二個の石も容易に外す事を得て、後には大棺の出入が出來る程の穴開きたり。
余は躍りて穴より飛出るに第一に頬を撫づるは
吹馴染の海の風なり。吸込みつゝ四邊を見れば草木の深く閉したる所にして恰も墓窖の背後に當れり、草木を掻分けて更に又
一歩出れば、ネープルの灣は目の下に横はり、海を離れて
上る朝日は余を迎ふる者の如く、灣に寄來る
細漣は
笑頽れたる笑顏に似たり。讀者よ余は自由なり、自由の身なり、余は手を打ちて踊り、聲を放ちて叫べり、此時の嬉しさは世に譬ふる者やある、アア自由、自由、生て此世に返るも自由、吾妻那稻の顏見るも自由、喜びて
抱き附く其細き手を何時まで
跳退ずに置くも自由、之を思へば人生第一の嬉さは死で棺の中に生返り、墓場を破りて再び此の世に生返りたる時に在り、嘘と思へば死で見よ、讀者、一旦死だ經驗の有る人ならずば、此嬉しさは話が出來ず、清き空氣は如何ほどに有難き、照る日の光は如何ほどに人の氣を引立つるや、廣き青空は如何ほどに晴々しきや、死だ事なき人間には到底分らぬ問題なり。
是と云ふも畢竟は海賊王ネリの
賜、彼れ今警察の手に
追詰られ、バレルモに潜伏し、彼れの身に關する祕密は警察署にて幾萬の金にて買ふ程の勢ひなれど、余は全く彼の爲に助かりたるもの、彼れが此墓窖に祕密の穴を開き置きたればこそ此世に出るを得し者なれば、彼が寶藏の大祕密は決して警察などに知しむ可からず、彼れは余の恩人、而も余が命の親なり。
余は斯く思ふ故、再び穴の中に
入り、寶物を元の大寢棺に納めて再び外に出來りしが、此時は午前の八時少し前なり。察するに余が死せしは昨日の事にして今日は八月十六日なる可く、余は昨日の晝過より凡そ廿時間ほど穴の中に居し者ならん、外に出でて再び彼の石を取り穴を塞ぐに石と思ひしは石に非ず木の
切なり、去れど石と同じ色に作りたる上、殊には
草叢の中なれば誰とて茲に祕密の出入口ありと知る能はじ。
余は是だけの仕事を終りて立去り
乍ら想ひ見るに、此前の事も此後の事も總て夢の如く浮び來る、先刻までは他日と云ふ事さへ無き身なりしも今は少なくも五十六十までは那稻と共に生延るに極りし身、那稻の手を取り那稻の腰を抱き、共に
偕に
嬉涙に呉れるのも今夜なり、可愛星子を膝の上に
抱上るも今夜なり、親友魏堂と手を握り、墓より出たる歡びを語り逢ふも今夜なり、アヽ今夜、今夜、今夜こそは天にも上る如き心地ならんと、一歩一歩に其樂みを想像すれども悲しや讀者よ、余は僅か一夜の間に余が姿の如何ほど變はり果しやに心附かざりき。
九
是より余は只管に町の
方を指し歩み
初しが、何分大病の後と云ひ、殊には身體をも心をも痛く苦めたる事なれば多少目の眩めく心持あり、足も充分の力無けれど是等は妻那稻の細き手で一日二日介抱せらるれば直ちに直る事と思ひ、唯だ此世に出られたる嬉しさの一方にて歩みに歩みて漸く町の入口に着きたり。
ツト思へば幾等
妻子を喜ばせる爲とは云へ、此儘にては歸り難し、
外被を着けざる
我身姿の異樣なるは構はぬとしても、余の
肉袗、余の
筒袴には猶ほ傳染病毒の殘れるやも知る可からず、兔に角出來合の着物でも買ひ、身體を一通り洗ひ清め、萬一にも妻子に病ひの移らぬ丈の用心して歸り行かん。斯く思ひたれば
[#「思ひたれば」は底本では「思ひたれは」]何所かに古着屋は無きやと見廻すに、入口より數軒目に
數多の着物を釣下たる店あるを見る、是なりと喜びて其店に
入り、似合しき古着を見せてと言入るゝに年六十をも越しかと思はるゝ老主人出迎へ、流行病の
盛なる
折柄にて古着は死人の服ならんと疑はるゝ故、一切賣ずと云ひ、猶ほ此店は水夫のみ買手とする所ゆゑ水夫の服の外は無しと答ふ。
余は唯だ我家へ着て歸る丈の事なれば水夫の服とて厭ふに及ばず、
依て寸法の適當なる者を
撰出さんとするに主人は樣々の品を持出しながら、話を初め「イヤ最う此頃の樣に惡疫が流行して、誰でも心細くなりますよ、貧民ばかりが病附くかと思へば爾で無く、既に
昨日は當府第一の豪家と云はるゝ羅馬内家の主人波漂樣が死ましてネ、粗末な棺に入て直に葬つて仕舞ひましたが、アノ樣な方でも病附く時には病附きますから、何の樣に豫防して
好のか更に分りませんと云ふ。扨は余の死したる事、既に町中の噂と爲れるにや、
去にても此主人の余を見知ぬは何故にやと怪み余「ウヽ波漂とは何うした人だヱ、お前は能く知て居るのか主「イヤ
私しの方では
幾度も姿を見て知て居ますが先樣では御存知有りますまい」波漂の姿を見知れる者が今眞の波漂を目の前に控へて心附かずとは益々不思議の次第ならずや、余は顏色の變るかと思ふほど怪めるも
強て何氣無き體を
粧ひ「シタが日頃達者な人かヱ、何の樣な姿で年は
幾才位だ」主人は余の顏を充分見上げて「ハヽア波漂樣を御存知無いとは、貴方は他の土地からお
出成ツたと見えますな、此土地で波漂樣と云へば知らぬ人は有ませんよ、左樣サ
背長は丁度貴方ぐらゐで、肩幅から格好も
大體貴方と似た者です、顏も仲々立派ですが、先づ貴方を三十餘も若くした樣な
性質の方です」「コレ/\余は當年二十七歳なるに、三十も若くすれば生れぬ先の人と爲るが。」
此
主人氣でも違へるには有ぬかと余は彼れの顏を
確と見るに彼れ全く眞面目なり。余は益々合點行かず、暫し返事もせずして控ゆるに、
主人は猶ほ語を繼ぎ、
「ですけれど波漂樣も今お死成ツたのが
結句幸ひかも知ません、
永生すれば奧樣が奧樣ですから
到底も仕合せな事は有りますまい、私しと同樣に世の中が詰らぬと云ふ樣に成る所だツたかも知れません。」
と何やら述懷らしき事を言出し商人にも似合しからず
打鬱がんとする樣子なり。余は眞實に異樣の思ひを爲し「奧樣が奧樣とは何の事だ、ヱ
主人」と猶ほも何氣なき聲にて
問り主「イや波漂樣は此上も無い善人ですが、奧樣は何うも好く無い方の樣に思はれます。」
奧樣とは余が妻那稻を指して云ふなり、那稻を好く無い方なりとは此
主人愈々氣が違へる者に似たり、去るにても彼れ何が爲に斯る考へを起したるにや、彼れが適當なる着物を
撰出すまで問試むるも一興と思ひ「奧樣が何うかしたのか主「何うせずともアノ愛らしい笑顏が惡いのです、男の目には天女の樣に見えますけれど、此頃は天女でも油斷がなりません余「とは又何う云ふ譯で主「イヤ何も私しが能くも知ぬアノ奧方を惡く云ふ事は有ませんが、夫でも其仕打が波漂樣の奧方らしく無いから云ふのです、尤も
過去た事ですけれど余「ヱ、過去た事が何うした主「ハイ私しも幾等か
悔いから、其當座は來るお客樣に是々だと皆話しましたが、實はネ、昨年の末でしたか、私しが荷を背負て歩て居ますと後から
馳て來た馬車が有て、私しを蹴倒しました」扨は其馬車に那稻が乘居たる爲め老人は斯く恨むなるや「私しは幸ひ怪我も仕ませぬゆゑ、直に起直て馬車の中を
窺くと其奧方が乘て居ました」扨こそ/\「ネヱ旦那、老人を蹴倒せば何とか一言位云ふが
好じや有ませんか。奧方は馬車の中から起上る私しの姿を見て
面白相にニツと笑ひました、ハイ
其切りで馬車を走らせ立去て仕舞ました、ヱ旦那、餘り
痛いと云ふ者でせう余「夫は成る程貴婦人に有る
間敷振舞だが、
併し奧方は蹴倒したと知なんだのだらう主「ナニ充分見て知て居ますよ、ですが私しの惡いと云ふは其振舞では有ません、其時の笑顏です、
宛で
小兒の笑ふ樣な
極罪の無い愛らしい笑顏でしたが、夫でも其中に惡魔の心が
籠て居ます、私しは一目見て、アヽ見掛に寄らぬ惡い女だと思ひましたが、若し波漂樣が此後永く生て居たなら必ずアノ女に欺かれます、ハイ
那の樣な笑ひ方をする女は決して心が本統で有ません、私しは懲りて居ます」余は益々老人の云ふ所が何の根も無きに悟りたれど、懲て居ますとの
唯一
言が何やら耳に觸りし故「懲りてとは何に懲りて」と問返したり。
一〇
老主人は益々陰氣なる顏をして「ハイ、私しは本統に懲て居ます、アノ奧方の笑ひ方が私しの妻と同じ事です、男の目からは愛らしいとも美しいとも見えますが、アレが即ち心に僞りの有る笑ひ方です」余が返事をせぬうちに又語を繼ぎ「實に人相ほど爭はれぬ者は有ません、其後私しは多くの女に氣を附て見ましたが、笑ふ時にアノ樣な口許をする女は皆な僞りです、男を欺きます余「お前の
妻と云ふのは何うしたのだ主「何うしたとて貴方、私しを殺しました余「ヱ、お前を殺した主「ハイ殺したも同じ事です、夫から後と云ふ者は私しは人間の樂みも知らず、世の中が唯だ陰氣で見るもの聞くもの皆腹が立つばかりです余「とは又何う云ふ譯で
主「イヤ斯ですよ、最う三十年も以前ですが、フトした事で美人を見初め、漸くに思ひが屆いて自分の
妻としたのです、妻も私しを愛して居る事と思ひましたが其愛が僞りです、或時私しが商法の爲め旅行して一週間ほど家を明け、朝早く歸て見ると妻は他國から流れて來た音樂師と一緒に寐て居て、私しの歸たのを知ぬのです、ヱ旦那何うでせう、男の身に取り是ほど悔しい事が有ませうか、私しは不義者と叫びながら其男を
寢臺から引起しますと、其男は私しへ
抵抗ひを致しました、私しは必死の
想で漸く其男を押へ附け、紐で以て手足を縛り逃る事の出來ぬ樣に寢臺の脚へ
結附て置て、夫から片隅に震て居る妻を捕へ兼て衣嚢に入て居る短刀を取り乳の下をグサと刺し
透しました、妻は恐しき聲を立て其儘死で仕舞ひました故、私しは其血だらけの短刀を男の顏へ突附けて、サア是が妻の遺身だ、生涯手前の肌身を離さぬ樣に
懷中へ入れて遣ると云ひ、今度は彼れの胸へ突刺し其儘私しは自分の家を飛出しました。
敵を打て能い氣味だと思つたのは僅かの間、三日目には人殺しと云ふ罪で私しは捕縛せられ、裁判を受けました、色々事情を酌量するとやら云ふ事で死刑だけは免れましたが、死刑の方が幾等増しかも知れません、死刑より猶辛い十五年の懲役です、懲役が濟で出て來れば、世間では恐しい奴だと云はれ、皆私しを見て顏を
傍向けます、友達も無く家も無く、生て居る甲斐も無い詰らぬ身の上と爲りました、一層死だが増だらうかと自殺を想たのも度々ですが今以て
死も得せず、知らぬ此土地へ流れて來て此樣な商賣をして居ますが、旦那本統に女は惡魔ですな、波漂樣などもアノ奧方を持て居れば、末には此樣な事に成るのだと私しは蔭ながら氣の毒に思つて居ましたが、此樣な事に成ぬうちに
死成たから結句
幸福せと云ふ者でせう」と、成るほど恐しき物語り。余は聞來りて老人の身の上が氣の毒と爲り、思はず嘆息するに、老人は殆ど
獨言を云ふ如く「爾うです其の私しの妻と云ふのが丁度アノ奧方の樣な姿で、笑ふ
態などは同じ事です、アノ奧方の顏を見ると本統に恐ろしくなつて來ます」余は益々心を動しゾツとして身を震せたり。
今まで世間に誰一人那稻を
賞めぬ人は無く、
縱んば恨む人ありとも一目那稻の顏を
見ば其恨み忽ち消えて復た餘念無からんと思はるゝ程なるに、斯る社會の最下層に那稻を罵る敵があらんとは實に思ひも寄らざりき、
莫遮れ此老人は己が身の不幸より、見る者聞く者總て憎しと思ひ既に心を失ひしも同樣なれば、其言ふこと取るに足らず、然り全く取るに足ずと余は心に
蹴做ながらも猶何とやら氣に掛る所あるは
何故にや。
其中に老人は上下一組の着物を見出し余に渡したれば、受取りて之を見るに、是れ珊瑚漁師の着る服にて寸尺は余に適せるに似たり。老人は猶ほも今云ひし事に心を奪はるゝ如く「ですが貴方は最う女などに心を寄せぬ年頃ですから、此樣な事をお話し申しても詰りません」と云ふ。アヽ讀者、女に心を寄せぬ年頃とは人生何十歳の時なるや、余が如き三十歳未滿のもの、既に其年頃なるや、余は此老人眼まで狂へるにや、夫とも余の姿既に老人と見違へらるゝほど衰へたる爲なるにや、殆ど怪さに堪ざれば最早や老人の
諄々しき言葉を辛抱して聞く能はず、少し氣短き言葉にて「コレ主人、此着物を買ふとするが、鏡の前で着替たいから、鏡の有る
室へ入て呉れ」と云ひ更に其代價を聞き、猶ほ靴なども買ひて充分に拂ひ渡すに、主人は滿足の樣子にて「ハイ次の間が着替の室で、鏡も備へて有ますから何うか御ゆつくり」と答へ、自ら立ちて次の間に案内せり。成る程一方の壁に添て廣き
姿鏡の
懸れるにぞ、余は久く見ぬ戀人にでも逢ふ如く、胸を躍らせて其前に行き、我が姿を照して
倩々と
視むるに、
悲や讀者、今の余は昨日までの余に非ず、余は涙の
兩眼に
湧出るを覺えたり。
一一
アヽ讀者、鏡に
對ひて余の泣くを何故と思ふや、是が泣かずに居られやうか、讀者讀者、余は隨分立派なる貴族的の風采ありと人にも云はれ自らも知り居たるに、今は見る影も無き老人なり。流行病に罹る者が一時にして眼くぼみ、肉落て骨出るは兼て知る所なれど余伯爵波漂が斯くまでに衰へたらんとは今が今まで思はざりき、眼は深く落込みて奧の方に光る樣、穴倉の底に在る
鮑貝の如く、頬と云ひ額と云ひ總て
皮弛みて、幾筋の皺と爲れり、讀者よ顏は年齡を書記す造化の書物とやら聞きつるに、余の顏は皺と云ふ棒を引きて、抹殺せられし古本なるか、之に由りて年齡を讀む可からず、殊に怪む可きは余の髮の毛なり、非常なる苦痛の爲には一夜にして頭髮皆白くなると古の書には見えたれど古人の
作事とのみ思ひ居たるに是れ作事に非ず事實なり。
余の頭髮は殆ど雪の如くに白し、孰れかに黒き所の殘れるにや掻亂せども一筋の黒き毛も無し、殊に昨夜來且つ恐れ且つ怒り且絶望したる幾多の苦痛は何所と無く容貌に留まりて物凄く、之に掻亂して逆立たる髮の毛を照し合せば、余は實に白髮鬼なり、人にして鬼相を帶ぶ。
此家の主人が余を老人と云ひたること實に尤も千萬なり、余自らさへも是れが昨日までの伯爵波漂なりとは思ひ得ず、此有樣にては
假令ひ我家に歸りたりとて那稻を初め魏堂までも余が生返りたりとは信ぜぬやも知る可からず、今までは美人那稻の所天として
耻しからぬ一男子と思へばこそ那稻に愛せらるゝを當然と思ひ、自ら似合しき夫婦と認て、手を取りて歩みもせしなれ、今より後は白髮の鬼にして絶世の美人を妻とす、那稻も定めし辛き事なる可く、余にも
豈に心苦からざらんや、之を思へば余が鏡に對しての苦しみは穴の中の苦みより又
一入の深きを覺ゆ。
アヽ讀者、余は家に歸る事を止め、寧ろ茲より出奔して生涯を死人とし、何人にも知れずして終らんか否、否、否、那稻豈に余の
顏容をのみ愛する者ならんや、實に余を愛する者なり、其事全く今迄の那稻の余に對する言葉と振舞にて明かなり、余は那稻の杖なり、柱なり、眞に那稻の所天なり、所天を失ひて今頃は那稻定めし世の頼少きを悲しみ、殆ど泣頽れて立つ力も無き程ならん、余が生返りしと聞く丈にて那稻既に天にも上りたる心地して余が顏の如何に衰へしやを悲むの暇なからん、然り余と那稻の中は顏容に繋る如き爾る淺はかなる仲に非ず、爾る淺墓なる那稻に非ず、現に那稻が泣悲み、世を頼り無く思へるを知ながら少しの事に
心臆し、行きて引立て遣らんとせざるは所天と云はるゝ余の振舞に非ず、夫婦の仲の親みは艱難を經る毎に益々加はり行くと聞く、余が墓の中にて、髮の毛の白くなるほど苦みしと知らば、今までよりも亦一入余を大事に思ひ、余を
痛り、余を
尊ふに至らざらんや、余と分るゝの悲しさは既に昨夜來、那稻が充分に實驗して知る所、此後再び分るゝとは那稻の尤も辛しとする所ならずや、今まで那稻、余の
形容を愛せしならば今よりは余の心を愛せん、今まで余の心を愛せしならば今よりは余の魂を愛せん、變り果てつも余は余なり。那稻の所天は所天なり。
所天の衰へしを厭ふ如き薄情が假にも出來る女かと、那稻の心を少しにても疑ひしは實に那稻に相濟ず、其の
申譯のみの爲めにも、歸らずば余の一
分立ず。
殊に衰へたる余が姿、何時まで衰へたる儘に在らんや、二日三日那稻に介抱せらるれば
枯木に春の
廻るより猶ほ早く、落たる肉も付來り、しなびし皮も延來らん、波漂は元の波漂なり、假令白髮だけは生涯直らぬ者としても眞に年老いて衰へたる者に有らねば、猶ほ那稻の所天として恥しからず、白髮は染めても濟む事なり、好し、好し、と自ら
勵し、是より身體を拭き着物を着換へ、其上髮をも撫附くるに氣の
所爲か、早や幾分かは若返りし樣にも思はる。
爾は云へ猶多少氣に掛る所無きに非ず、餘り那稻を驚かし過ては惡しき故、兔に角も日の暮る迄外に散歩し夜に入て
後に、唯だ靜なる所に、
存する一物は是れ余の身體、縱か横か、上は
孰れ、下は孰れ、是も考へるに從ひて、背中に固き物ある
柄は
仰向に
寐し儘と分り、開きても目の見えぬからは
黒暗々の
裡と分りたり。
終に、終に余は全く目覺めたり、
嗚呼是れ茲は
何處、何等の濃深なる暗闇ぞ、何等の稀薄なる空氣ぞ、
呼吸せんにも充分の呼吸を許さず、扨は咽喉の重く苦しく思ひたるも呼吸の自在に出來ざりし爲なるか、思ふに從ひ、傳染病の事も思ひ出せり。宣教師の事も酒店の事も、餘りに
明過ぎて恐ろしきほど
有有と
思出せり。去るにても誰も余の枕を奪ひたるや、何時の間に
夜に
入りたるや射る矢の如く胸に一筋の恐ろしき突入りて、余は初めて身を動かし、先ず兩の手を探り見るに、手には猶ほ
温暖みあり、胸を探れば張り裂くばかりに動悸高し、益々苦しきは
息遣のみ。
讀者よ。斯く分析して書記せば味も趣きも無き事なれども以上に記したる所は唯だ一束と爲り、殆ど前後の
差別も無く、余の身に
簇り來たる所なれば、此時の騷がしき余の心持は、唯だ察するを得て記すを得ず。誰が空氣を妨げて余の口に
入しめぬや、空氣、空氣、之無くば
蒸死ん、如何にしても空氣を
握み取りて
食はずば余は一刻も存する能はず、
揉掻ながら手を
差延て余は「キヤツ」と叫びたり。
手に觸しは痛き堅板なり、余の四方は堅き板にて圍みし者なり、斯く思ふより猶ほ早く余は何も彼も覺り盡せり。悟りても悟りたりと我身に知せるさえ恐しき無慘な誠を覺りしなり。讀者よ余は埋められたり、生ながら死人として―。四方より圍める板は是れ棺なり讀者、讀者、助けて呉れ!
(小史氏曰く波漂が生返りたる記事は、鐵假面の帶里谷が生返りたる記事と甚だ相似たる所あり、是れも事實、彼れも事實、同じからざるを得ず、唯だ後に至りて大に異るの本となる故、原書の通りに譯出す、趣向重複と速斷し給ふ勿)
五
讀者よ、
棺の中と心附くが否、余が節々には死物狂の怪力、湧くが如くに集り來たれり。必死の時には必死の力ありと云ふは此事、此棺を破らずば余は一時間、半時間、否十分間と經ぬうちに再び死なん、空氣無き所に長く
生存へる事
固より出來ぬ所なればなり、余は虎の獲物に飛附くより猶強き勢ひにて棺の葢を跳上げたり。悲しや余の力は何の甲斐なし、音は仕たれど余の手と棺の葢が突當る音のみ棺の破るゝ音には非ず
[#「非ず」は底本では「非す」]、其内にも空氣は益々盡き、唯だ
呼吸の苦きのみかは
眼は外に飛出るかと疑はれ、鼻よりも口よりも熱き血の流れ出るを覺ゆ、今度こそ棺の葢破れずば我身が碎けて死ぬ、嬲殺し同樣に一寸一寸、一分一分、
徐ろ/\と死行くより一思ひに碎け死ぬるが如何ほど優るかも知れずと前よりも又一入の力を込め、
荒に荒て上下左右を
跳廻すに、有難し左手の板にメリ/\と破れる音あり、刃物の如く薄き空氣、其所より突入りて、冷たき余の頬を襲ひたり。
余は全く蘇生の想ひ、深く其息を吸込みて又吐出す、是にて身體の俄に凛々しくなるを覺えたれば、頓て板の割目に手を掛けて又メリ/\と推破るに、此度は事
甚だ容易にて三分と經ぬ内に棺は破れ、余は地獄の釜より飛出る亡者の如く身を
跳らせて外に出しが、此時何なるか又孰よりかは知らねど、棺よりも猶ほ太く猶ほ重きかと思はるゝ程の一物、最と凄じき音と共に余が
背後の方に落ちガラリ碎けて飛散ると云ふ如く、何やら余の足の邊にバラバラと當るものも有る樣に思はれたり。是れ或は砂にても有る可きか、余は勿論、此落來りし品物が此後余の生涯に
大の關係を及ぼす可しとは知るに由なく、探りて其ものを檢めんともせず、唯恐しき棺の中より
迯出し得たるを喜ぶのみ。
此時初て余は我棺が猶地の底に
埋られずに在る事に心附き有難しと天に謝したり。若し地の底へ埋められたる後なりせば、棺を破る事の益々難きは云ふ迄も無く、縱し破り得たりとても、直ちに土の落ち來り、目も口も塞がりて、到底助かる筈は無きに、余の棺は幸ひに地の外に在りたり。棺の中に居る間は唯だ棺を破り度き一心にて地の外に
將底なるかと考へる暇なかりき、實に有難し余は地の外に在り、上下左右に手を振廻せど障るものとては
一も無し、身を屈めて地を撫づれば石土塊の如き物も有れど、總體は堅く叩き固めたる地盤なり、孰れぞと見廻せども怪や暗さは棺の中と異ならず、眞ツ黒々と空氣を
染傚せしかと思ふばかり、一寸先も一分先も辨ぜられず、一脚歩めば先に同じ地盤の有るや無しやも分らねば、猶又深き穴に落んとも知ず、篤と考へし上ならずば余は一歩だも此所を動く可らず、余は胸を撫で氣を落附け、先づ
熟々と考へ廻すに、是れ確に余の家の先祖代々を
埋ある
墓窖なり。
歐州にても米國にても大家と云はるゝ家々には墓場に廣き穴倉を作り之を「
一家の埋窖」と稱し、棺を地の底に埋めずして此墓窖の中に置くを常とす、余の家には何代以前に掘築きしかは知らねど、ネープルの岡の奧に堅固なる墓窖あり、十
年前に父の葬儀を營みしとき、余は其棺を送りて入込たる覺えあり、余の棺も其同じ墓窖へ入られたる者に相違なし、余は死する前彼の宣教師に向ひ確に伯爵波漂なる事を名乘たれば、宣教師が棺に入れて此穴へ送り來りし者ならん。
漸く考へは附きたれど讀者よ余は益々吾が境涯の逃れ難きを知れり、棺は破るに左までも難からざりしかど、此の墓窖は石もて地の底に築きたる者なれば到底破る可き見込なし、外より來りて戸を開き呉るる人有らずば、出去らん事思ひも寄らず、殊に共同の
蓄骨堂とは違ひ、人の入來る用事は無く、今より五年か十年か、將た二十年か余の家の者誰か病死し此穴に葬らるゝ時ならずば此穴の戸は開かぬなり、夫とも猶ほ念の爲なれば先づ戸の所を檢め見んと余は探りに探りて、凡そ一時間餘も經し頃漸く戸の所に達したるに厚き鐵の戸固く、
鎖し其上外より錠を
卸したる者なれば、推せども動ず叩けども音も無し。
アヽ余が生返りしは唯だ更めて再び死直す爲めなりしか、惡疫に死する丈にて猶ほ苦みが足ぬゆゑ、更に穴倉の中にて飢ゑ
ゑ絶望し、世間に類の無き、無慘なる死樣をさせんが爲め、惡魔が余の永眠を
搖起せし者なるか、何う考へても余の運命は死る外なし、なまじ生返りたるが恨めしゝ、一たび死すは、悲しくとも
何人にも在る事なり、余は之を堪へ忍ばん、一たび死して猶ほ足らず、人生第一の悲みを二度まで受ねば成らぬとは、
否だ、否だ、余の到底堪へ得る所に非ず、讀者よ余は何うしても此穴より出ねばならず、再び茲に死ぬる事は死でも否なり。
六
爾は云へ既に出口の戸の鎖されたるを如何にして逃る可き、何う考へても此の
黒暗々の裏に
餓死る外は無し、余は之を思ひて身も世も有られず、石段の
下に立たる儘ヱヽ悔して、情無い誰か來て助けて呉れと我知らず泣聲立て、呼べど叫べど答ふるは唯だ墓窖の壁に響く我聲の反響のみ、物凄き事云ふばかり無し、駄目々々逃れやうと思ふだけ駄目、
到底逃れぬと極りたる此場合に男らしく諦めて死ぬ外あらんやと、我心に意見すれども、死る氣には何うしても成られず、アヽ我が物心覺えてより人に塵一筋の迷惑も掛し事なく弱きを助け貧きを
恤みて及ぶ丈の功徳をも施せしに、何の
酬で斯く無慘なる死樣をする事ぞ、情け無いとも口惜とも云樣なく心の中は
逆捲く浪の如く騷ぎ立ち、高く打つ動悸の音、自ら我が耳に聞ゆ。外に如何とも詮方の無き場合なれば唯だ火の燃る如き息を吹ながら幾時か其所に立すくむのみなりしに、心ウツとりと遠くなり、悲さも、悲むを知ず、悔さも
悔しと思はず、殆ど此儘に又絶入るかと思はるゝ迄に至りしが、此時は心全く疲れ果てゝ唯だ皮膚の神經のみ働ける時なる可し、何事も總て夢の如く其中に、身體の孰れにか宛も氷を當られたる如き
最冷痛き所あるを覺ゆ、夫も初は唯だひややかに思ふ丈なりしが次第々々に募り來り殆ど
千切るばかりの痛みと爲りたれば、ふと心を附くるに、個は是れ足の裏にぞある、夏とても
露出にせし事無き足なるに、今は何百何千年と日に觸れし事の無き氷の如き土を踏み長く立居たる爲、次第に冷來りし者と知らる。
扨は履きたる靴を脱がせ、
跣足にして棺の中に入られし者なる可し、爾すれば
纒居し着物まで亡者の着る白き帷子と着替たる者にやと斯る怪みの自から浮み來たれば、冷たき兩足を交る交る踏鳴して温めながら身體中を探り見るに、否々
被物は死際に纒ひ居し儘にして、唯だコートだけ脱ぎたる者なり、定めし傳染病毒の恐しさに靴と
外被を
脱しのみにて其外の手當を盡す事が能はず
々に棺に入れ此の墓窖へ送り入れたる者ならん。斯く思ひて更に胸より上を探るに、首に掛りてぶら下る細き鎖の如き者あり、
是は何ぞと怪みて手に取るにアヽ合點行きたり、余が絶えず首に掛て
守本尊の如くに持ち居たる
冩眞入なり、中には余と妻那稻、娘星子と三人の冩眞あり、余は之を手に取りて宛も
妻子に
廻り逢し心地にて暫し我が恐ろしき境遇を打忘れ「オヽ那稻、那稻」と云ひ其
冩眞入に接吻を施したり。
那稻/\、
他は今如何にせるや、余が墓窖にて生返りしとも知らずして、定めし歎き悲める事なる可し、
可愛星子を涙ながらに抱上て、余の
遺物と思ひ星子が
頑是も無く
阿父は何故歸らぬ、
何所へ行たと泣きながら尋ぬるを何と云ひて
賺すべきや、アヽ親友の魏堂とても定めし那稻を慰め兼ね顏を
傍向けて泣けるならん、彼等に余が斯く生返りし墓場の底に
徘徊へるを知しめば、彼等如何ほどか驚ろきて
奔り來らん、余若し何とかして茲を拔出で彼の許に歸り行かば彼等右より左より余に抱き附き嬉れし涙に堪へ得ずして夢かとばかり歡ぶならん、波漂々々と妻は第一に余の首に
はりて如何ほど熱く又如何ほどに柔らかなる唇を余の頬に
當るならん。斯く思ひて余は暫しがほど茫然とし、想像の
深霧界に迷ひ居たるが、忽ちにして心附けば悲しや讀者よ、此歡びは余の再び見る能はざる所なり、斯くまでの歡びを目の前に控へながら、余は
邪慳なる鐵の戸に鎖込められ此儘に死ねばならず、妻の顏、娘の顏、魏堂の顏總て一昔の夢に同じく、亦と見る事が出來ざるに極りたり。
余は是を考へて全くは發狂せしならん、先ほどまでは千切るほどに覺えたる足の裏の冷たさも今は覺えず、「忌々しい」と打叫びて神を罵り天地を罵り、
當度も無く
暗の中を走り初め、狂ひに狂ひて留まらず、壁に頭を打附けて死なば死ね、
蹶き倒れて怪我すれば怪我をせよ、又と世に出る見込無き身が、何をか恐れ何をか厭はんや右に左に走り廻ること幾分時に及ぶうち、余は忽ちに方角を失ひたり、彼の戸口は孰れの方なりしぞ、生返りし棺の場所は何の邊なりしぞ、我身は今孰れの方に向へるぞ、探れども/\手に當る物も無し、茲に至りて余は初めて、何よりも彼によりも「暗」と云へる事の一番恐しきを悟りたり。
今までは逃出す所は無きやと夫を求むるに一心にて、暗さは心に掛らざりしも既に逃出す事は叶はずと極りては、
黒白も分かぬ暗さほど恐しき者は無し、余が母、余の父、余の先祖、幾人の死骸の外に少しも恐しき物はなき所とは分りて有れど、夫にしても
燈明が欲しゝ、何うせ再び死る迄も
四邊を一目眺めたし、
光明の有る所にて死たし、此暗き所に死しては、天國に行く道も分らず、地獄に落入る外無からんと、何やら此樣な氣もせられ、氣味惡きこと云はん方なし。讀者よ
凡人間の世の中に余が此時程の苦しみが又と有らうか。
七
余は最早た暗闇の苦痛に堪得ず、
燈火だに得ば死すとも厭はじとまで思ふに至りぬ、アヽ何とかして一點の
燈火を得る道は無きや。
余は心を靜にして考へ初めぬ、此墓窖の兩側には葬式の時、蝋燭を
立例ねる爲め
九個づゝ石に刻みたる燭臺あり、余を葬りしには一切の儀式を略せしに相違なけれど、夫にしても一挺の蝋燭だに燈さずして深き眞つ暗闇へ余の棺を
擔ぎ
入たりとも思はれず、兔に角も左右十八個の燭臺を探り見れば其の孰れかに燃え殘る蝋燭の無からんや。
余は斯く思ひ附きて早や
燈火を得し心地し、ホツと息して探り初るに既に方角を失ひし事なれば容易には壁の下まで至り得ず、右に左に這廻るうち又思へば蝋燭は既に火有つて後にこそ用を爲さず、燈す可き火を得ずして蝋燭ばかり有たりとて何にかせん、余は益々運の盡しを思ひ、又絶望して尻餅を
搗く如くに其所へ据りしが、若しや余の身に纒ふ
衣嚢の中に
燐寸の其儘有りはせぬか、余は大の
烟喫家にて燐寸を衣嚢より離せし事なし、先づ震へる手先にて腰の周圍を撫探るに、有るぞ/\、衣嚢の中に何やら堅き物確に有り、第一に取出せしは、
散錢を入れる財布なり。餘ほど取急ぎて葬りし爲め衣嚢の中をすら檢めざりし物と見え、
幾片の金銀貨其中にて音を爲せり、次に取出せしは余が戸棚其他の鍵一束、其次は名刺入にして、最後には有難き燐寸なり。
然り讀者よ、余が常に持居たる燐寸なり、是さへも有る程なれば定めし煙草入も有る事ならん、最早や
周章るに及ばぬ事、ドレ一ぷく吸ひて度胸を定め其上の事にせんと更に又衣嚢を探るに、ハテな、煙草入だけは無し、察するに金銀製の極めて高價なる品なりしかば是だけは宣教師が余の妻へ
遺身として持行たる者ならん、ナアニ驚く者か、煙草を呑まずとも夫が爲に死はせじ、燐寸だけにて澤山なりと早くも心を取直して、先づ一本を擦て照すに、パツと發する
其光は實に第二の命なり、是にて此穴より出らる可しとは思はねど、限り無き暗黒に攻らるゝ其苦痛だけは追拂ひたり、見れば余の据れる所
宛も余が押開きたる彼の棺の
傍なり。
余は更に第二の燐寸を照し先づ四邊を見廻すに、讀者よ嘘に非ず、全く余が棺の
傍なる燭臺に猶ほ三寸ほど殘りたる蝋燭あり、
〆たと高く叫びつゝ余は
躍り寄りて其蝋燭を外し持ち、第三の燐寸にて之に火を附け、宛も武士が古戰場を
吊ふ如く余の棺に
振向て眺むるに、棺も棺、流行病の死人を葬る爲め此頃葬儀舍の店先に幾百と無く
積嵩ねある出來合の粗末なる棺にして伯爵波漂とも云はるゝ余が斯も墓なき葬式を營まる可しとは思ひも寄らぬ所なりき。去れど粗末なる棺なればこそ破りて外に出る事をば得しなれと思へば腹も立ず、棺の表に
波漂羅馬内と記したる文字ありて
傍に八十四年八月十五日正午死すと有り、死したるが十五日の正午にして今は是れ
何時ぞと胸を撫でるに、時計も彼の煙草入と共に妻へ遺身に送りしと覺しく茲には無し、棺の底にチラ/\、光る物あるは何ぞ、更に余は膝を折り身を屈めて
能く見るに、個は象牙と紫檀を組合せたる十字架にして確に彼の宣教師が胸に掛居たる者なり、讀めたり讀めたり、教師は相當なる宗教上の儀式をも施さずして余を葬ることの痛ましく、其の慈悲深き心よりして余の胸に其十字架を載置きたるが、余の跳起るとき棺の底に落たるならん、若し此穴より拔出る事を得ば其親切を謝し、此十字架を贈返さんものと余は取上て衣嚢に入れたり。
讀者、讀者、是より後の事は餘り異樣にして讀者殆ど誠とは思はぬならん、然り余が今考へ見るも實に奇中の奇なればなり、去れど余は有の儘を記す覺悟、讀者が如何樣にも思はば思へ、余は讀者の
思白を恐れて筆を曲る事能はず、事實は飽く迄も事實として記さずばあるべからず。
讀者、余は此時まで膝を附き居たるが、十字架を納めて立んとする折しも、蝋燭の光りに
映じて鋭く余の眼を射、ピカリ/\と輝く者あり、余は早速に取上げ見るに是なん女の耳に垂るゝ耳輪の一方にして世に珍しき程の眞珠と、澄渡る一個の
夜光珠を繋ぎし物なり、孰れより落たるか定めし余の先祖が用ひたる者にして、何かの爲に棺より出たる者なる可しと、余は先づ四邊を見廻すに果せるかな傍らに長さ七尺に餘る
大寢棺あり、其葢の碎け掛りて有るを見れば、棚より落たりと察せらる、更に起上りて棚を見れば、如何にも此棺を置きしかと思ふ場所あり、其下には木の丸太にて作りたる
突張棒と覺しきもの横はれる有り、余は大方合點行きたり、余の棺宛も其棒の許に置き有りし爲め余が棺を破りて飛出しとき其棒を倒せしなり、倒るゝと共に上なる大寢棺は支へを失ひ落たるなり、如何にも余が足許に凄じき音して何やら落來りて飛散りし事は余既に記したり、彼の品物は是なりき、是なりき、余は若し元の棚に此棺を
舁上る事は出來ぬやと思ひ手を掛けて其棺を動さんとするに重さ何十貫とも知られず、余の力にては
搖もせず、如何に堅固なる棺とても斯まで重き筈は無きにと更に外側を檢むるに何の名前も月日も無く、唯だ横の方に、朱を以て一個の短劍を
畫きたるのみ、ハテな、
赤短劍とは兼て聞きたる覺えも有れど其何の
符牒なりしやは余考へる暇なし、余は唯だ其葢の破れたる所よりチラリチラリと映じ出す異樣なる光に眼を奪はれ、篤と之を
窺き見るに、讀者、讀者、是なん口の開きたる革袋にして中に金銀珠玉樣々の品あるを見る、余はハツと驚きて先づ蝋燭を棚の上に置き、猶ほ其葢を開き見るに此類の袋凡そ五十個ほど大棺の中に
滿々て袋の中は眞珠、夜光珠を初めとし
黄金白金の細工物、各國の金貨銀貨幾千と云ふ數を知らず、凡そ孰れの國の國王とても是ほどの寶を見し事なからん。
余は餘りの事に魂消え我が境涯の恐ろしきも全く忘れ、其袋を
出しては
出し、棺の外へ積上るに袋の全く盡きたる後より又現るゝは伊太利及び英佛兩國の紙幣の束にて是も、何百萬圓か數が分らず、嗚呼是れ誰の物ぞ、余が家の墓窖より出で余の手にて發見す、余の物に非ずして何ぞや、余の家は兼て伊國にて一二を爭ふ豪家なれど今は世界一の大豪家なり。是夢か否夢に非ず、金銀は眞の金銀、珠玉は皆眞の珠玉、夫にしても何人が隱し置しぞ、余の先祖と言ひ
度れど先祖は是ほどの物持に非ず、アヽ余は知れり、余は知れり、赤短劍の符牒にて余は知れり、此符牒是れ當時世界に海賊王と名を轟かせ、地中海の一島に潜伏する伊太利人
輕目郎、
練と云ふ者の一隊の符牒に非ずや、此の大寢棺即ち是れ今まで幾多の警官が探り/\て其所在を知り得ざる海賊王の
寶藏なり。
八
海賊王カルメロ、ネリ彼れの名は赤短劍の符牒と共に高し、彼れは十九世紀に並無き豪膽な海賊なり。
彼れ其の獲物を余が家代々の墓窖に隱し置くとは深くも考へし者なる
哉。茲ならば警官に知れぬのみか何人にも見出さるゝ
患無し、眞逆に伯爵波漂羅馬内が死して再び生返り、此大寢棺を
發くならんとは、彼れの奸智も及ばざりし所ならん。察するに彼れ、死人を葬る樣に見せ掛け、總て葬式の儀式にて幾人の手下に此棺を舁がせ持來り、此所へ隱せしなる可し、是等の寶は總て世に謂ふ不正の富にして士君子の手を
觸るだも厭ふ所なれど世界各國の海に出沒し、各國の船を
劫かし、各國より
奪集めたる者なれば今更ら其持主に復し得る者に非ず、彼れ海賊の手に在るよりも寧ろ余の手にて
保監するが適當なり、好し好し此寶の此所に在る事を知り胸の中に疊み置きなば他日又何かの種に成らざらんや。
然り警察に訴ふるとも何かの種なり、他日、他日、他日まで疊み置かん、余は斯く考へながら忽ち又心附けり、他日とは生て何時までも
永ふ可き人の云ふ事、墓窖の中に閉籠られ出る所も無き余の身に取り、他日と云ふ事有る可き筈なし、何かの種にせんと云ふ其の暇を得ぬうちに餓死るが余の運命ならん。
余は又も樣々の恐しき考へに身を
惱し、悔さの餘り將に其寶を
握み取りて手當次第に地上に
擲たんとせしが、
待暫し、彼の海賊王
輕目郎練は
何の所より此棺を此墓窖に入れたるや、墓窖の入口は余の家に有る鍵の外開き得る道無き者なり、左すれば此穴の孰れにか、彼れ海賊のみに知られたる祕密の出入口あるに相違なし初より爾る口を設けあるには有らねど彼れ如何にかして自分の爲め、他人には分らぬ樣其の口を作りたる者なる可し、爾すれば余は猶ほ失望するに及ばぬか。
余が斯く思ふ折しも、棚の上なる蝋燭は恰も風にて吹消す如くフツと消え、余の居る所は元の如き暗と爲れり、
固より燐寸も有り蝋燭も猶ほ有る故、失望する事は無けれど、唯だ怪きは何の所より風の吹來て蝋燭を消したるぞ、孰れの所かに風の
入る穴有るにや、余は先づ床の上を見るにアラ不思議壁に手を
差入るほどの穴ありて之れより風の吹き來るのみならず、薄々と明も指せり、扨は、先程まで穴の外も
夜半にして内と同じく眞暗なりしも今は夜も明し爲め明の差し、此穴の自から目に見ゆる事と爲りし者なる可し、此穴若しや何かの祕密には有らぬか。
余は先づ再び
燈火を照し、更に我手を其穴に押入て探り試るに讀者よ、此穴は即ち輕目郎、練の作りたる出入口なり。穴の
周圍なる
幾個の石は余の手に從ひ動くに似たり、此石を
取脱さば外に出らるゝ事疑ひ無しと余は其石を前へ引くに、思ひしよりも
手答へ有りて仲々に取脱されず、更に向ふの
方へ押せば少し動く樣に思はるれど、石と石との
迫合にて一個を押せば傍の石に
故障りて、益々押せば益々迫合ひ到底
拔去る樣子なし、扨は此所を祕密の出入口と思ひしは全くの空頼みなりしか。
是と云ふも
畢竟は推すに從ひて石の傾くが爲なるべし、傾かぬ樣眞ツ直に推拔かば、傍の石に故障らず、其儘拔る事も有らんか、手を
入る程の穴あるは即ち其石の傾かぬ樣、手にて支ふる爲なるも知る可からずと、余は再び穴に手を入れ、其手にて石の傾くを制しながら
推試むるに果せるかな、スル/\と外に拔け、
續では其石の右と左に有る
二個の石も容易に外す事を得て、後には大棺の出入が出來る程の穴開きたり。
余は躍りて穴より飛出るに第一に頬を撫づるは
吹馴染の海の風なり。吸込みつゝ四邊を見れば草木の深く閉したる所にして恰も墓窖の背後に當れり、草木を掻分けて更に又
一歩出れば、ネープルの灣は目の下に横はり、海を離れて
上る朝日は余を迎ふる者の如く、灣に寄來る
細漣は
笑頽れたる笑顏に似たり。讀者よ余は自由なり、自由の身なり、余は手を打ちて踊り、聲を放ちて叫べり、此時の嬉しさは世に譬ふる者やある、アア自由、自由、生て此世に返るも自由、吾妻那稻の顏見るも自由、喜びて
抱き附く其細き手を何時まで
跳退ずに置くも自由、之を思へば人生第一の嬉さは死で棺の中に生返り、墓場を破りて再び此の世に生返りたる時に在り、嘘と思へば死で見よ、讀者、一旦死だ經驗の有る人ならずば、此嬉しさは話が出來ず、清き空氣は如何ほどに有難き、照る日の光は如何ほどに人の氣を引立つるや、廣き青空は如何ほどに晴々しきや、死だ事なき人間には到底分らぬ問題なり。
是と云ふも畢竟は海賊王ネリの
賜、彼れ今警察の手に
追詰られ、バレルモに潜伏し、彼れの身に關する祕密は警察署にて幾萬の金にて買ふ程の勢ひなれど、余は全く彼の爲に助かりたるもの、彼れが此墓窖に祕密の穴を開き置きたればこそ此世に出るを得し者なれば、彼が寶藏の大祕密は決して警察などに知しむ可からず、彼れは余の恩人、而も余が命の親なり。
余は斯く思ふ故、再び穴の中に
入り、寶物を元の大寢棺に納めて再び外に出來りしが、此時は午前の八時少し前なり。察するに余が死せしは昨日の事にして今日は八月十六日なる可く、余は昨日の晝過より凡そ廿時間ほど穴の中に居し者ならん、外に出でて再び彼の石を取り穴を塞ぐに石と思ひしは石に非ず木の
切なり、去れど石と同じ色に作りたる上、殊には
草叢の中なれば誰とて茲に祕密の出入口ありと知る能はじ。
余は是だけの仕事を終りて立去り
乍ら想ひ見るに、此前の事も此後の事も總て夢の如く浮び來る、先刻までは他日と云ふ事さへ無き身なりしも今は少なくも五十六十までは那稻と共に生延るに極りし身、那稻の手を取り那稻の腰を抱き、共に
偕に
嬉涙に呉れるのも今夜なり、可愛星子を膝の上に
抱上るも今夜なり、親友魏堂と手を握り、墓より出たる歡びを語り逢ふも今夜なり、アヽ今夜、今夜、今夜こそは天にも上る如き心地ならんと、一歩一歩に其樂みを想像すれども悲しや讀者よ、余は僅か一夜の間に余が姿の如何ほど變はり果しやに心附かざりき。
九
是より余は只管に町の
方を指し歩み
初しが、何分大病の後と云ひ、殊には身體をも心をも痛く苦めたる事なれば多少目の眩めく心持あり、足も充分の力無けれど是等は妻那稻の細き手で一日二日介抱せらるれば直ちに直る事と思ひ、唯だ此世に出られたる嬉しさの一方にて歩みに歩みて漸く町の入口に着きたり。
ツト思へば幾等
妻子を喜ばせる爲とは云へ、此儘にては歸り難し、
外被を着けざる
我身姿の異樣なるは構はぬとしても、余の
肉袗、余の
筒袴には猶ほ傳染病毒の殘れるやも知る可からず、兔に角出來合の着物でも買ひ、身體を一通り洗ひ清め、萬一にも妻子に病ひの移らぬ丈の用心して歸り行かん。斯く思ひたれば
[#「思ひたれば」は底本では「思ひたれは」]何所かに古着屋は無きやと見廻すに、入口より數軒目に
數多の着物を釣下たる店あるを見る、是なりと喜びて其店に
入り、似合しき古着を見せてと言入るゝに年六十をも越しかと思はるゝ老主人出迎へ、流行病の
盛なる
折柄にて古着は死人の服ならんと疑はるゝ故、一切賣ずと云ひ、猶ほ此店は水夫のみ買手とする所ゆゑ水夫の服の外は無しと答ふ。
余は唯だ我家へ着て歸る丈の事なれば水夫の服とて厭ふに及ばず、
依て寸法の適當なる者を
撰出さんとするに主人は樣々の品を持出しながら、話を初め「イヤ最う此頃の樣に惡疫が流行して、誰でも心細くなりますよ、貧民ばかりが病附くかと思へば爾で無く、既に
昨日は當府第一の豪家と云はるゝ羅馬内家の主人波漂樣が死ましてネ、粗末な棺に入て直に葬つて仕舞ひましたが、アノ樣な方でも病附く時には病附きますから、何の樣に豫防して
好のか更に分りませんと云ふ。扨は余の死したる事、既に町中の噂と爲れるにや、
去にても此主人の余を見知ぬは何故にやと怪み余「ウヽ波漂とは何うした人だヱ、お前は能く知て居るのか主「イヤ
私しの方では
幾度も姿を見て知て居ますが先樣では御存知有りますまい」波漂の姿を見知れる者が今眞の波漂を目の前に控へて心附かずとは益々不思議の次第ならずや、余は顏色の變るかと思ふほど怪めるも
強て何氣無き體を
粧ひ「シタが日頃達者な人かヱ、何の樣な姿で年は
幾才位だ」主人は余の顏を充分見上げて「ハヽア波漂樣を御存知無いとは、貴方は他の土地からお
出成ツたと見えますな、此土地で波漂樣と云へば知らぬ人は有ませんよ、左樣サ
背長は丁度貴方ぐらゐで、肩幅から格好も
大體貴方と似た者です、顏も仲々立派ですが、先づ貴方を三十餘も若くした樣な
性質の方です」「コレ/\余は當年二十七歳なるに、三十も若くすれば生れぬ先の人と爲るが。」
此
主人氣でも違へるには有ぬかと余は彼れの顏を
確と見るに彼れ全く眞面目なり。余は益々合點行かず、暫し返事もせずして控ゆるに、
主人は猶ほ語を繼ぎ、
「ですけれど波漂樣も今お死成ツたのが
結句幸ひかも知ません、
永生すれば奧樣が奧樣ですから
到底も仕合せな事は有りますまい、私しと同樣に世の中が詰らぬと云ふ樣に成る所だツたかも知れません。」
と何やら述懷らしき事を言出し商人にも似合しからず
打鬱がんとする樣子なり。余は眞實に異樣の思ひを爲し「奧樣が奧樣とは何の事だ、ヱ
主人」と猶ほも何氣なき聲にて
問り主「イや波漂樣は此上も無い善人ですが、奧樣は何うも好く無い方の樣に思はれます。」
奧樣とは余が妻那稻を指して云ふなり、那稻を好く無い方なりとは此
主人愈々氣が違へる者に似たり、去るにても彼れ何が爲に斯る考へを起したるにや、彼れが適當なる着物を
撰出すまで問試むるも一興と思ひ「奧樣が何うかしたのか主「何うせずともアノ愛らしい笑顏が惡いのです、男の目には天女の樣に見えますけれど、此頃は天女でも油斷がなりません余「とは又何う云ふ譯で主「イヤ何も私しが能くも知ぬアノ奧方を惡く云ふ事は有ませんが、夫でも其仕打が波漂樣の奧方らしく無いから云ふのです、尤も
過去た事ですけれど余「ヱ、過去た事が何うした主「ハイ私しも幾等か
悔いから、其當座は來るお客樣に是々だと皆話しましたが、實はネ、昨年の末でしたか、私しが荷を背負て歩て居ますと後から
馳て來た馬車が有て、私しを蹴倒しました」扨は其馬車に那稻が乘居たる爲め老人は斯く恨むなるや「私しは幸ひ怪我も仕ませぬゆゑ、直に起直て馬車の中を
窺くと其奧方が乘て居ました」扨こそ/\「ネヱ旦那、老人を蹴倒せば何とか一言位云ふが
好じや有ませんか。奧方は馬車の中から起上る私しの姿を見て
面白相にニツと笑ひました、ハイ
其切りで馬車を走らせ立去て仕舞ました、ヱ旦那、餘り
痛いと云ふ者でせう余「夫は成る程貴婦人に有る
間敷振舞だが、
併し奧方は蹴倒したと知なんだのだらう主「ナニ充分見て知て居ますよ、ですが私しの惡いと云ふは其振舞では有ません、其時の笑顏です、
宛で
小兒の笑ふ樣な
極罪の無い愛らしい笑顏でしたが、夫でも其中に惡魔の心が
籠て居ます、私しは一目見て、アヽ見掛に寄らぬ惡い女だと思ひましたが、若し波漂樣が此後永く生て居たなら必ずアノ女に欺かれます、ハイ
那の樣な笑ひ方をする女は決して心が本統で有ません、私しは懲りて居ます」余は益々老人の云ふ所が何の根も無きに悟りたれど、懲て居ますとの
唯一
言が何やら耳に觸りし故「懲りてとは何に懲りて」と問返したり。
一〇
老主人は益々陰氣なる顏をして「ハイ、私しは本統に懲て居ます、アノ奧方の笑ひ方が私しの妻と同じ事です、男の目からは愛らしいとも美しいとも見えますが、アレが即ち心に僞りの有る笑ひ方です」余が返事をせぬうちに又語を繼ぎ「實に人相ほど爭はれぬ者は有ません、其後私しは多くの女に氣を附て見ましたが、笑ふ時にアノ樣な口許をする女は皆な僞りです、男を欺きます余「お前の
妻と云ふのは何うしたのだ主「何うしたとて貴方、私しを殺しました余「ヱ、お前を殺した主「ハイ殺したも同じ事です、夫から後と云ふ者は私しは人間の樂みも知らず、世の中が唯だ陰氣で見るもの聞くもの皆腹が立つばかりです余「とは又何う云ふ譯で
主「イヤ斯ですよ、最う三十年も以前ですが、フトした事で美人を見初め、漸くに思ひが屆いて自分の
妻としたのです、妻も私しを愛して居る事と思ひましたが其愛が僞りです、或時私しが商法の爲め旅行して一週間ほど家を明け、朝早く歸て見ると妻は他國から流れて來た音樂師と一緒に寐て居て、私しの歸たのを知ぬのです、ヱ旦那何うでせう、男の身に取り是ほど悔しい事が有ませうか、私しは不義者と叫びながら其男を
寢臺から引起しますと、其男は私しへ
抵抗ひを致しました、私しは必死の
想で漸く其男を押へ附け、紐で以て手足を縛り逃る事の出來ぬ樣に寢臺の脚へ
結附て置て、夫から片隅に震て居る妻を捕へ兼て衣嚢に入て居る短刀を取り乳の下をグサと刺し
透しました、妻は恐しき聲を立て其儘死で仕舞ひました故、私しは其血だらけの短刀を男の顏へ突附けて、サア是が妻の遺身だ、生涯手前の肌身を離さぬ樣に
懷中へ入れて遣ると云ひ、今度は彼れの胸へ突刺し其儘私しは自分の家を飛出しました。
敵を打て能い氣味だと思つたのは僅かの間、三日目には人殺しと云ふ罪で私しは捕縛せられ、裁判を受けました、色々事情を酌量するとやら云ふ事で死刑だけは免れましたが、死刑の方が幾等増しかも知れません、死刑より猶辛い十五年の懲役です、懲役が濟で出て來れば、世間では恐しい奴だと云はれ、皆私しを見て顏を
傍向けます、友達も無く家も無く、生て居る甲斐も無い詰らぬ身の上と爲りました、一層死だが増だらうかと自殺を想たのも度々ですが今以て
死も得せず、知らぬ此土地へ流れて來て此樣な商賣をして居ますが、旦那本統に女は惡魔ですな、波漂樣などもアノ奧方を持て居れば、末には此樣な事に成るのだと私しは蔭ながら氣の毒に思つて居ましたが、此樣な事に成ぬうちに
死成たから結句
幸福せと云ふ者でせう」と、成るほど恐しき物語り。余は聞來りて老人の身の上が氣の毒と爲り、思はず嘆息するに、老人は殆ど
獨言を云ふ如く「爾うです其の私しの妻と云ふのが丁度アノ奧方の樣な姿で、笑ふ
態などは同じ事です、アノ奧方の顏を見ると本統に恐ろしくなつて來ます」余は益々心を動しゾツとして身を震せたり。
今まで世間に誰一人那稻を
賞めぬ人は無く、
縱んば恨む人ありとも一目那稻の顏を
見ば其恨み忽ち消えて復た餘念無からんと思はるゝ程なるに、斯る社會の最下層に那稻を罵る敵があらんとは實に思ひも寄らざりき、
莫遮れ此老人は己が身の不幸より、見る者聞く者總て憎しと思ひ既に心を失ひしも同樣なれば、其言ふこと取るに足らず、然り全く取るに足ずと余は心に
蹴做ながらも猶何とやら氣に掛る所あるは
何故にや。
其中に老人は上下一組の着物を見出し余に渡したれば、受取りて之を見るに、是れ珊瑚漁師の着る服にて寸尺は余に適せるに似たり。老人は猶ほも今云ひし事に心を奪はるゝ如く「ですが貴方は最う女などに心を寄せぬ年頃ですから、此樣な事をお話し申しても詰りません」と云ふ。アヽ讀者、女に心を寄せぬ年頃とは人生何十歳の時なるや、余が如き三十歳未滿のもの、既に其年頃なるや、余は此老人眼まで狂へるにや、夫とも余の姿既に老人と見違へらるゝほど衰へたる爲なるにや、殆ど怪さに堪ざれば最早や老人の
諄々しき言葉を辛抱して聞く能はず、少し氣短き言葉にて「コレ主人、此着物を買ふとするが、鏡の前で着替たいから、鏡の有る
室へ入て呉れ」と云ひ更に其代價を聞き、猶ほ靴なども買ひて充分に拂ひ渡すに、主人は滿足の樣子にて「ハイ次の間が着替の室で、鏡も備へて有ますから何うか御ゆつくり」と答へ、自ら立ちて次の間に案内せり。成る程一方の壁に添て廣き
姿鏡の
懸れるにぞ、余は久く見ぬ戀人にでも逢ふ如く、胸を躍らせて其前に行き、我が姿を照して
倩々と
視むるに、
悲や讀者、今の余は昨日までの余に非ず、余は涙の
兩眼に
湧出るを覺えたり。
一一
アヽ讀者、鏡に
對ひて余の泣くを何故と思ふや、是が泣かずに居られやうか、讀者讀者、余は隨分立派なる貴族的の風采ありと人にも云はれ自らも知り居たるに、今は見る影も無き老人なり。流行病に罹る者が一時にして眼くぼみ、肉落て骨出るは兼て知る所なれど余伯爵波漂が斯くまでに衰へたらんとは今が今まで思はざりき、眼は深く落込みて奧の方に光る樣、穴倉の底に在る
鮑貝の如く、頬と云ひ額と云ひ總て
皮弛みて、幾筋の皺と爲れり、讀者よ顏は年齡を書記す造化の書物とやら聞きつるに、余の顏は皺と云ふ棒を引きて、抹殺せられし古本なるか、之に由りて年齡を讀む可からず、殊に怪む可きは余の髮の毛なり、非常なる苦痛の爲には一夜にして頭髮皆白くなると古の書には見えたれど古人の
作事とのみ思ひ居たるに是れ作事に非ず事實なり。
余の頭髮は殆ど雪の如くに白し、孰れかに黒き所の殘れるにや掻亂せども一筋の黒き毛も無し、殊に昨夜來且つ恐れ且つ怒り且絶望したる幾多の苦痛は何所と無く容貌に留まりて物凄く、之に掻亂して逆立たる髮の毛を照し合せば、余は實に白髮鬼なり、人にして鬼相を帶ぶ。
此家の主人が余を老人と云ひたること實に尤も千萬なり、余自らさへも是れが昨日までの伯爵波漂なりとは思ひ得ず、此有樣にては
假令ひ我家に歸りたりとて那稻を初め魏堂までも余が生返りたりとは信ぜぬやも知る可からず、今までは美人那稻の所天として
耻しからぬ一男子と思へばこそ那稻に愛せらるゝを當然と思ひ、自ら似合しき夫婦と認て、手を取りて歩みもせしなれ、今より後は白髮の鬼にして絶世の美人を妻とす、那稻も定めし辛き事なる可く、余にも
豈に心苦からざらんや、之を思へば余が鏡に對しての苦しみは穴の中の苦みより又
一入の深きを覺ゆ。
アヽ讀者、余は家に歸る事を止め、寧ろ茲より出奔して生涯を死人とし、何人にも知れずして終らんか否、否、否、那稻豈に余の
顏容をのみ愛する者ならんや、實に余を愛する者なり、其事全く今迄の那稻の余に對する言葉と振舞にて明かなり、余は那稻の杖なり、柱なり、眞に那稻の所天なり、所天を失ひて今頃は那稻定めし世の頼少きを悲しみ、殆ど泣頽れて立つ力も無き程ならん、余が生返りしと聞く丈にて那稻既に天にも上りたる心地して余が顏の如何に衰へしやを悲むの暇なからん、然り余と那稻の中は顏容に繋る如き爾る淺はかなる仲に非ず、爾る淺墓なる那稻に非ず、現に那稻が泣悲み、世を頼り無く思へるを知ながら少しの事に
心臆し、行きて引立て遣らんとせざるは所天と云はるゝ余の振舞に非ず、夫婦の仲の親みは艱難を經る毎に益々加はり行くと聞く、余が墓の中にて、髮の毛の白くなるほど苦みしと知らば、今までよりも亦一入余を大事に思ひ、余を
痛り、余を
尊ふに至らざらんや、余と分るゝの悲しさは既に昨夜來、那稻が充分に實驗して知る所、此後再び分るゝとは那稻の尤も辛しとする所ならずや、今まで那稻、余の
形容を愛せしならば今よりは余の心を愛せん、今まで余の心を愛せしならば今よりは余の魂を愛せん、變り果てつも余は余なり。那稻の所天は所天なり。
所天の衰へしを厭ふ如き薄情が假にも出來る女かと、那稻の心を少しにても疑ひしは實に那稻に相濟ず、其の
申譯のみの爲めにも、歸らずば余の一
分立ず。
殊に衰へたる余が姿、何時まで衰へたる儘に在らんや、二日三日那稻に介抱せらるれば
枯木に春の
廻るより猶ほ早く、落たる肉も付來り、しなびし皮も延來らん、波漂は元の波漂なり、假令白髮だけは生涯直らぬ者としても眞に年老いて衰へたる者に有らねば、猶ほ那稻の所天として恥しからず、白髮は染めても濟む事なり、好し、好し、と自ら
勵し、是より身體を拭き着物を着換へ、其上髮をも撫附くるに氣の
所爲か、早や幾分かは若返りし樣にも思はる。
爾は云へ猶多少氣に掛る所無きに非ず、餘り那稻を驚かし過ては惡しき故、兔に角も日の暮る迄外に散歩し夜に入て
後家に歸らん、夫も先づ裏門より
入り、第一に多年召使ふ
下部を呼び、之に魏堂を
連來らせ、彼れに委細の事を話し、彼れの口より那稻の耳へ
徐々と
説明させ、余の姿の變りし事も前以て
略承知させ置き、其上にて那稻に
逢ん、嬉しきにも悲きにも女は痛く心を動す者なれば萬一氣絶でもさせては成らずト、斯く細々と考へて此家を立出しに、讀者の孰れも知る如く、當時餘りに傳染病の
劇しき爲め、
伊國皇帝ハンバート陛下
一方ならず御心を
痛させ給ひ、日々自ら町々を歩みて病者を
訪ひ給ふ
折柄にして、余は
此家の
外半町ばかりの所にて、
圖らずも陛下の一行に出合たり。
余は低く
頭を垂れて敬禮するに陛下は余を
顧み給ひ、小聲にて從者に向ひ「アヽ畫にでも有り爾な白髮の漁師ならずや、彼れ老體にて猶ほ珊瑚漁を爲す者と見ゆ」と
細語し給へり、アヽ余は白髮の漁師なるか、昨年までは年に一度づゝ必ず羅馬の朝廷に伺候して陛下に
咫尺し奉り、宮中第一の賓客よと厚く
遇されし伯爵波漂が、今は珊瑚漁の老漁夫に見違へらるゝ迄に至りしかと思へば、又も涙の頬に傳ふを覺へたれど、其中に陛下の行過給ひたれば、余も心を取直し、扨是よりは孰れに行んと思案するに、第一空腹に堪難ければ先づ支度をして後の事と料理屋を探すうち、目に留るは昨日余が病に罹り宣教師に
連入られたる彼の酒屋なり、是幸ひと店に入り幾品の食物を取寄せて、食ひながら亭主の話を聞くに、余の死せし事は到る所に噂さるゝと見え、亭主は現に此店にて波漂樣が教師に介抱せられ乍ら死ましたと云ひ、余が其波漂なるを知らず、余も勿論他人の事の如くに見せ、定めし波漂夫人が悲みしならんと問ふに「ハイ宣教師が知せて行ましたら、聞終らぬうち氣絶成ツたと申ます」と答ふ。
氣絶、氣絶、夫でこそ余が妻なりと
窃に
含首き、更に其宣教師の事を問ふにアナ痛ましや教師は余を棺に入れ、余の胸に十字架を載て間も無く、自ら余の病に感染し、打倒れて寺へ運ばれ、
昨夜の中に死せしとなり。
余は餘りの驚きに
落る涙を悟られまじと顏を外の方に
向るに、此時宛も
戸表通る一紳士、知らず讀者は誰と思ふや、別人ならず親友魏堂なり、余はハツと飛立て其傍に馳行かんとせしが、魏堂の樣子に何とやら合點の行ぬ所あり、立掛けし腰を又卸せり。魏堂よ、魏堂、彼れ定めし余の死せしを兄の死せし如くに悲しみ、目の
側も
泣腫して居るならんと思ひの外、彼れは嬉げなる笑を
浮め、顏を上向け反返りて
徐々と歩む樣、一方ならず滿足したる人に似たり。
夫も好けれど其胸のボタンの穴に赤き薔薇花を
挿めるは何の氣ぞや、許嫁の美人より贈られて肌身を放し得ぬ者かとも怪まる。而も其花、他に類の無き
異り花にて余の目には爭ふ可からず、余が曾て羅馬の朝廷に客たりしとき陛下より賜りて妻那稻に贈りたる鉢植の其花なり。妻が命よりも大事と云ひ、余にさへも
折しめざりし其花なり。讀者、讀者、余は實に我が眼を疑ふ。
一二
余は殆ど我が眼を疑ふばかりなりしも忽ちにして思ひ返せり、否々々、彼の花決して那稻が自ら折たる者に非ず、那稻は彼の花を命よりも大事なりと云居たるに、何ぞ自ら折る事あらんや、今那稻の手許には惡戯盛りの娘あり、母の泣頽れたる暇を窺ひ、頑是も無く植木鉢の許に馳せ行き折取りたる者なる可し、即ち那稻の仕業にあらで全く娘星子の
所爲なり、既に折離したる物を其儘
捨るは勿體なしと止む無く魏堂に贈しか、或は又捨たるを魏堂自ら拾ひ上て自分の胸に挿したるならん斯も明白の筋道あるに
を知らずして疑ひしは我ながら耻しゝと、自ら道理を附直せば魏堂の振舞に少しも怪む可き所なし。
彼れが嬉しげなる顏附なりしも、反返りて歩みたるも、何の咎むる事か有んや、彼れは餘りに余の死せしを悲みて心の欝々と
沈し爲め自ら氣を引立んとて散歩に來たる者なる可し、身構へまでも陰氣にしては心の引立つ
機み無きゆゑ、
故と愉快らしく構へしのみ、
上部に泣くは眞に泣く者に非ず、上部の喜び豈に誠の喜びならんや、却て心に泣よりも猶ほ辛きを見る可し、アヽ魏堂よ、汝は猶ほ余が眞の友人なり。待てよ待て、今夜は行きて汝が上部の喜びを心底の喜びと仕て得させん、余が妻那稻と共に待て、余は汝と那稻とが悲み極まりて言葉も無き其所に歸り行き、汝と那稻が天地に喜ぶ其顏を見度きなり、此外に願ひはなし。
斯て余は快く食事を終り、拂を濟せて此店を立出しが、扨て日の暮るまで孰れに隱れん、穴の中の一夜も甚だ
長りしが、穴を出ての一日も亦誠に短からず、先づ湯に入りて汗を流し、身體をも清くして歸り行くが妻孝行の一端ならんかと、成る可く靜なる湯屋を尋ね茲に悠々と日を暮し、漸く黄昏の頃と爲りたれば、愈々那稻に逢ひ魏堂に逢ふ時來れりと、轟く胸を
鎭ながら其湯屋を出で、我家を指して岡の道を上り行く。
いつしか月も昇り、
木の
間を洩りて射る影は、
毎も見慣れし影なれど今夜は何ゆゑ殊更に冴々しきや、道も
踏慣し道なれど是が那稻の住む所まで余を
誘ひ行くかと思へば、余の爲に設けたるやに疑はる、既にして余が家の表門に達すれば、扉固く
鎖しあり、靜なること眠るが如く、全く主人の喪に服する家なり。
纔に内より聞ゆるは玄關の前に在る池の噴水、風に吹れて其音高く低く、余が歸り來るの遲きを恨むに似たり。余は此門を叩き開かん所存はなく、初より裏門へとの定めなれば、
生牆の外に添ひ、裏の方へ廻るに從ひ、木は愈々深くして四邊は益々
幽かなり、裏門の戸は猶ほ鎖さず、是れ猶ほ魏堂が此家に在りて歸り行く迄の爲と知らる、之を
潜りて内に
入れば、
伊國の名物
橙花樹を兩脇に
植列ね、晝も日の指さぬほど茂りたる小徑にして、余が暑さに苦む度びに愛讀の書を
携へ來て暫し古人と遊びたる仙境なり。眞直に進めば大庭に達す可く、中程より左に折るれば厩の前に達す可し、余は唯だ夢の如く
現の如く一歩一歩に進み行き漸く大庭の口に到るに、時しも内より聞ゆる聲あり。是れ何の聲、誰の聲、讀者讀者、余は耳を澄さぬうち早や腦天より釘打たれし如く縮み上りて其の所に立ちすくめり。讀者よ、聲は聞き
擬ふ可くも非らず、
鶯よりも、麗しき余が妻那稻の聲にして
最嬉しげに打笑ふ聲なり。
再び聞けば再び
聲ゆ、余は冷たき汗の脇下より流るゝを覺え、心は凍りたる水の如く動きもせず考へも得せず、蛇に魅入らるゝ蛙の氣持は正しく斯くの如くなる可し、聲の止むかと思ふ間に徐々と彼方より歩み來たる白き姿は確に其の那稻なり。余は何故とも、何が爲とも自ら心附き得ざる間に、知らず/\、徐り/\と木の茂りに退きて余の身を隱せり、必ずしも茲に隱れて那稻の舉動を伺はんと思ひたる爲に非ず、唯だ餘りの驚きに度を失ひ隱るゝとも無く隱れたるなり。
讀者よ、余は斯までに驚きたるが無理か、余は那稻が余の死せしを悲しみて一室に閉籠り、涙と共に余の冥福を祈り居るならんとこそ思へ、嬉げに笑ひ興じ月に浮れて散歩せるならんとは思はざりき。然り夢にも思はざりき、思はざるが眞實ならずや、愚か、愚か、女に溺るゝ男ほど愚なる者は無し、否那稻に溺るゝ波漂ほど愚な男は無し、斯く思はんとする
眞際に余は又も一種の
最恐ろしき疑ひを起したり。否々、那稻は決して本心に非ず、餘りの悲しさに發狂せしなり、女發狂する時はニヤ/\と笑ひながら
當も無く歩む事ありと聞く、ヱヽ可愛や痛ましや、那稻眞實に發狂せしか、發狂の儘捨置くは余が罪なり、イデヤ出行きてコレ那稻、波漂茲に在り、と云ひ余の眞實なる手にて抱遣らば、長くも有ぬ昨夜よりの發狂とて、
頓に夢覺め
熱冷る如く、嬉さ餘りて元の那稻に返らざらんや。余は思ふより早く茂りの中に立上らんとするに此時又も
眼に留るは那稻の傍に
搦り居る余が弟、否弟よりも猶親しき余が唯一人の友魏堂なり。
彼れ那稻と手を取合ひ、腰を抱合ひ、縱や夫婦の間にすら人目を憚る程の樣にて那稻と共に歩み來れり、余が幾等愚なりとて魏堂と那稻と二人ながら氣が違へりと思ふ程の愚ならんや、讀者、余が此時の心を察せよ、余は今思ひても悔さの忘れられず、書ながら此紙を破らんとすること
幾度、斯る事が有りと知ば余は棺の葢を推破らず、知らぬ佛と
朽了り、再び此世へは出でざりし者を穴の中の恐しさ、悲しさ、苦しさ、今
面たり余が心の
術なさに比べては眞に物の數にも足らず、讀者よ、此時若し余の怒りが半分も
輕かりせば余は必ず我を忘れ己れと
云樣、
飛出て彼等
兩個を握み殺しもせしならん。
余の
怒は爾る世間一般の怒に非ず、眞の怒りは無言なり、物云ふ事も打忘れ動く事も打忘る、今より思へば何うして
先アジツと控へて居られたかと、殆ど怪き程なれど、余は最早や人に非ず、怒りの塊りなり。
彼奴等此上に何を爲すやと唯だ
靜りて控るのみ、彼奴等夢にも斯とは知らず、猶ほも余の方に進み來たり、余が
故々那稻と余の爲に設けさせたる其腰掛けに、肌と肌と添合ひて腰を卸せり。其樣新婚の夫婦より猶親しく、永き情人と情人なり。
一三
アヽ魏堂と那稻、余が今までも無二の友、無二の妻よと思込みしに引替て彼等二人は無二の
兇物、無二の敵なり、友たり所天たる余波漂が死して未だ二日と經たぬに、共々に人生第一の不義を盡し、余の名譽を殺し、余の心を殺しつゝ有るなり。彼等の一舉一動は
悉く
劍を以て余の胸を刺貫くに似たり。彼等が坐したる腰掛けは余の隱るゝ茂りの中より三
歩とは離れず、直に余が目の前とは云ふ程なり。彼等が顏の一筋を動かすも有々と余の目に見え、彼等が忍ぶ
呼吸の音も明かに余の耳に聞ゆ、然り百雷の如くに聞ゆ。
横樣に那稻を
抱く魏堂の左の手は、腰掛けて後も猶ほ那稻の腰の邊りを
繞り、那稻の顏は魏堂の胸の間に推附けて余の
方には頭の
後部を向けたり、
背後に垂るゝ
黄金の髮の毛、夕風に
戰掛るを魏堂は左の手の指先に
弄そびて餘念も無し。而も、那稻の右の手は
弛く魏堂の首に掛れり。
彼れも是れも愛に溺れ情に餘りて離れがたなき有樣は畫にも描れず、所天たる余の身として目の前に斯の如き樣を見る、讀者余の心を
如何と思ふや、余は實に怒の塊りと爲り、
身體堅くなりて動く能はず、唯だ目のみ光せて猶ほ見て有るに、暫くにして二人は今まで人目に
堰かれて話し得ざりし互の愛を口に
出し、行ひに現し、散々に
味はん心なるにや、那稻の手
先づ
徐々と殘り
惜げに魏堂の首を離れ、那稻正面に余が
方に向へり。那稻が白き夏服は其優しき姿に能く似合ふこと云ふばかり無く、全身に一點の汚を見ず、穢れたる其心と何と莫大の相違ならずや、唯だ胸の所に赤き血の色を見るは是れ血に非ず魏堂の胸に在る花と一對の彼の薔薇の花なり、月に映じて襟に光るは余が與へたる夜光珠なり。
讀者讀者、彼の夜光珠ある
當へ恨の短劍を叩き込み、彼の花を挿す胸の
邊まで花より紅き血を流しなば如何ほどか余の恨みは晴れん、否々余の恨は
爾淺墓の
酬いにて晴る如き淺き者には非ず、晴ずとは云へ
切めて夫だけの酬でもと余は火よりも熱き手にて
我衣嚢を探るに、悲しや一寸の刃物も無し。家に歸りて刃物が要るぞとは余が毛筋ほども爪の
屑ほども思寄らざりし所なればなり。
怒る余が茲に在りとは知る由なく、那稻の顏は
最と安心げ、
最嬉しげ、
中ん
就く最と美し。昨日余の死せしを聞きてより一滴の涙をも
溢さず、顏に心配の一筋をも寄せざりしは一目にて明かなり、顏の何所の所、目許の何の邊にも悲しげ心配げなる痕は少しも無し、拭ひても斯くまで拭ひ去らるゝ者には非ず、殊に其口許に至りては、是れが彼の仕立屋の老主人が吾妻に似し惡魔の笑と云ひし其笑なるや知らねど、
掬盡されぬ愛嬌有り、生れ立の赤ん坊にも斯まで清く罪の無き笑は浮ばず、成る程此笑の底の底には男を殺す魔力も有らん、誰とて此無邪氣なる口よりして僞りのイの字も
出ると思はんや。
頓てしも其細き口少しく開らき、人を醉せる音樂より猶爽やかなる聲を洩せり、低けれど而も清く、譬へば細き谷川下る清水の音とも云ふ可きか、アヽ那稻何を云ふ、余は首を縮め息を
凝せり。
「オヽ魏堂よ、魏堂」是だけが先づ口切なり、何と親げなる呼方ならずや、讀者定し知るならんが西洋にては何の國にても年頃の
男女が互に呼逢ふには必ず樣附にして、其姓を
[#「其姓を」は底本では「其性を」]呼ぶ、決して呼捨に名前
計り呼ぶ者に非ず、唯天然の兄弟か
切に切られぬ極親しき友人か左なくば夫婦の間に限り、譬へば花里魏堂を呼ぶに花里君と姓を云はずして唯だ魏堂と名を呼べど、
は既に魏堂に對し妻たるの約束出來たるを示すなり。那稻既に魏堂と呼ぶは、余を波漂々々と呼ぶに同じ、姓を云はずに其名を呼捨なり、聲に應じて魏堂が那稻の顏を見上るを待ち、那稻が何と後の句を
繼かと思へば、
「だがネ、魏堂、丁度好い時に波漂が死だから好ツたけれど。」
讀者、讀者、妻は余の死せしを丁度好い時と云へり。
「若し死なければ何うなる所だツたらう」魏堂の返事こそ聞きものなれ、余は目と耳とを一時に張開くに、魏堂は輕く笑を浮べ、先づ、己が妻と確め置く
積の如く「
爾サ那稻」と呼捨て而る上に後を附けたり。昨日までは余の前にて奧樣奧樣と敬ひしが、今日は恐しき相違なり。彼れは輕き笑を嘲りの調子に變へ、「ナアニ彼奴(余の事を彼奴)が生て居たとて氣が附く者か、お前だツて
己だツてアンな馬鹿者に悟られる樣な
浮りじやあ無い、夫に彼奴
自惚が強いから仕合せさ、自分の妻は自分をばかり愛して居て、到底他人の盜める者で無いと一人で斯う極めて安心して居るのだから。」
此語を聞て、清きは
白山の雪の如く、高きは天上の星の如しと曾て魏堂が評したる余の妻那稻は笑みて又
聲み、
「だけれど私しは波漂の死で呉れたのが嬉しいわ、でもネ、魏堂、お前當分の間、少し遠のかねば
了ないよ、召使などが
風評して世間の
口端に掛かつては困るから、夫に
私しだツて世間體だもの、
忌でも、六ヶ月の間は波漂の喪に服する眞似事をして居ねば。」
とて猶何事をか言續けんとするに、魏堂は
接吻にて吸留め、
「シテ見ると
寧そ波漂の生て居た方が仕易かツたよ、彼奴は他人を追拂ふ二人の番人も同じ事でサ、お前と己と二人の間を自分も疑はず、爾して知ず/\他人に疑はせぬ役目を勤めて居たから。」
余は餘りに彼れの言樣が
惡サ、且つは顏に似合はぬ其心の恐しさに、思はずピクリ身を動かし、茂る
木の葉に音を立せり。那稻は聞きて、氣味惡げに立掛かり、
不安心の樣子にて此方彼方を見廻さんとす。
一四
那稻は四邊を見廻したれど余の姿は月影暗き木の中なれば、夫と
見認る由も無く、直ちに又元の如く腰を卸せり。去れど猶ほ氣遣しさは消えぬと見え神經に
障りし聲音にて、
「私しは何だか氣味が惡いわ、茲は波漂が
毎も散歩する場所と云ひ、昨日彼れを
埋たばかりで何だか幽靈でも出さうな氣がしてアヽ茲へ來無きや好かツタ」那稻が斯く云ひ來るに從ひ、魏堂の
眼には徐々と角が出來たり。其樣宛も那稻を叱り、
「お前は
尚だ波漂に未練が殘るか」と
責るに似たり。那稻も其意を悟りし如く、
「彼れだツて、私しの娘(星子)の父だから」と答ふ、魏堂は忽ち荒々しく、
「夫くらゐの事はお前に聞ずとも知て居るワ、父だツて己から見れば
敵の樣な者だ、己は最う彼奴めがお前の唇から
接吻を
偸むのを見る度に、何れほど
業が
煮たか
知ぬ、死だ後では最う波漂の波の字も
聞度く無い。」
アヽ讀者、讀者は此語を聞き如何に思ふや、余は實に世が
逆樣に成しかと疑ふなり、所天たる者が其妻を
接吻するは即ち接吻を盜むに當るや、妻は
奸夫の物にして所天は其妻を盜まねば接吻する事が出來ぬや、コレコレ魏堂、余が兄余が弟より猶親しき昨日までの無二の友よ、汝は余を盜賊の如く思ひて交り居たるか、汝今若し
木葉の影に隱るゝ余の顏を見ば、余が到底
此仇を復さずには置かじと決心せしを悟るならん、然り余は
唯ツた今此の人非人を
攫み殺し其肉を
食ひ度き程に思ふなり、暫くにして魏堂は那稻の
過去たる事をまで嫉妬する如く、
「全體お前は何だツて波漂みた
樣な奴と婚禮したんだなア」那稻はセヽラ笑ふ如く。
「爾サ、尼寺に居るのが
倦き、所天でも持度いと思て居る所へ言込れたから婚禮したのサ、私しは貧乏が大嫌ひで、婚禮すれば貧乏だけは逃れると思つたからサ。」
「幾等か彼れを愛しただらう。」
「爾サ、外に男を拵へるのが愛すると云ふ者なら確に彼れを愛して居たよ、死だと聞てホツと安心して喜ぶのが
操なら、私しは彼れに充分の操を立てたよ、お前問はずとも能く知つて居るぢや無いか。」
「エヽ其樣な事を聞くのぢや無いお前の心の中を聞くのだ。」
「爾サ、
滿更ら憎いとばかり思つては一日も夫婦に成つて居られ無い筈だから」と此返事に魏堂の目は殆ど三角に成れり。
彼は己れが不義の身たるを忘れ、猶ほ余の死せざりし以前をまで
嫉ましく思ふなるや、那稻は又魏堂に嫉みを起させて散々彼れを弄ぶ心なるか、夫とも外に所存あるにや、猶徐ろ/\と言葉を續け、
「波漂は私しに金も呉れ、贅澤もさせて呉れた、私しは澤山身代が有て、妻の氣儘に任せて置く人が好きサ。」
此語は確に魏堂の
灸所に當りたり、彼れが目は殆ど四角を經て五角に開けり、五角の上の隅よりして悔しげに那稻を睨み、
「ジヤア己と婚禮するが嫌だと云ふのか、ヱ、コレ己に一文の身代も無い事を知つて云ふのだな。」
「爾サ、お前に一文の身代も無い事は私しばかりで無く世間の人が皆知て居るサ。」
「何だと」
「夫れにお前と婚禮して夫婦に成るとは誰れも未だ約束しない、お前は
情夫にして隱して置くには極く好い人だが、是れが私しの所天ですと云ひ、世間へ披露するには
貫目が足らないよ、所天と云ふ名を附けるには世間から敬まはれる人で無ければ、第一其の妻の肩身が狹まいからネ。」
一句一句に魏堂の顏さま/″\に變化するを那稻は少しも氣に留めぬ如く、猶ほ冗談とも眞面目とも附かぬ
最輕き語調にて、
「兔に角、波漂が死で嬉しいと云ふのは、
私の身が自由に成たから夫で嬉いと云ふのだよ、お前と夫婦に成れるから夫で嬉しいと云ふのぢや無い、一體所天と云ふ者を定め身體の自由を無くしては、
表面に其自由を取返すと云ふ事は出來ず、
何うせ離縁とか夫婦分れとか云ふ醜聞の種だから、私しはそれが厭サ、波漂が死だのを幸ひに當分は先づ自由の身で暮す積りサ、夫にネ」とて猶何をか云んとするに、魏堂は最早や堪得ずと云ふ如く荒く那稻を抱すくめて我胸に
當て動かさず、殆ど火の
燃る如き言葉にて、
「コレ、今更ら其樣な事を云ても駄目だ、今まで隨分長く己を惱して
釣たぢや無いか、お前が波漂と婚禮した其日、己は初てお前を見たが其時最う嫉しくて堪ら無ツた、波漂を殺してでも自分の妻に仕度い者と思たが、夫ほどの事も出來ず、ナアニ此女も顏は天女の樣だけれど心まで天女では無く、矢張り人間の生だ子だから、其中に氣の振れる時も有るだらうと、斯思ひ直して己は上部に有る丈の親切を見せ、自分の番を待て居た、爾すると何だか自分の番が來た樣に思たから、爾サ婚禮から未だ
滿三月が經て仕舞ぬ中だツた、思ふ心をお前の耳に
細語くとお前もビツクリせぬのみか、待て居たとでも云ふ樣に己の言葉に耳を澄せて、爾じや無いか、ヱ那稻、斯して見ればお前から己を
誘つたも同じ事だぜ、口に出しては誘はぬが、夫となく目で勵まし、手を握るにも樣子有げに握り、
到頭己の願ひの屆いたのが最う足掛け三年前サ、夫からと云ふ者は波漂は世間體の義理の所天、己は世に隱れる誠の所天で隨分辛い思ひもし、成らぬ堪忍もして今日まで來たのに、愈々表向き夫婦に成れると云ふ今と成り、言葉を濁したとて無益と云ふ者、波漂がお前を妻にした通り、己もお前を妻にする、お前は波漂を欺いても己を欺く事は出來ないよ」斯云來りて更に
己の罪を言開かんとする如く「己は波漂の妻を盜んで、心に濟まぬとも氣の毒とも何とも思はぬ、全體云へば己よりも波漂が惡い、ヱ爾じや無いか、本統にお前を妻と思へば他人の決して盜まぬ樣、充分氣を附て見張て居ねば成らぬ、其見張を怠るのは自分の手落、手落の間に己が來てお前を盜んだとて、波漂が己を咎めると云ふ道は無い、自分の手落を咎める丈だ、サア自分の者でも見張を怠り、他人の
偸むに任せて置く
其な不實な亭主と、他人の物を命掛で取りに來る實の有る男と、女に取り
何方が有難い、人に命掛の
想をさせ今更ら曖昧な事を云ても其手にや載らぬ、何と云てもお前は最う己の者、
表向婚禮せぬなどと其樣な事は云はさぬ。」
アヽ人の妻たる者を盜むは、盜む者の手柄にして、罪は盜まるゝ所天に在りと云ふか、奇怪なる道理も有れば有るものよ。
一五
魏堂の勝手な一
言/\、靜なる庭の景色に響きて余が耳には物凄く聞え來る、魏堂は宛も那稻の返事せぬさへ嫉ましさの種と爲る如く益々荒く那稻の身を〆附るに、那稻は其の荒々しさに恐れしか、「コレお
放よ、お前は本統に亂暴だよ、アレサ痛いと云ふのに」と云ひながら、立上る。
此時までも那稻の胸に挾みありし彼の薔薇の花は、魏堂の手にて〆潰されし物なるか地面に落て
幾片に碎け散りたり、那稻は之を拾はんともせず、最と冷き眼にて魏堂を尻目に掛け「最うお前に用は無い」と云ふ如く
賤見る。余は能く知れり那稻が斯る身振を爲すは必ずしも他を賤むが爲に非ず、唯男を惱殺する其
手練の一なるを。魏堂は此手練に忽ち醉ひ今までの立腹は跡も無く消失せて却て我罪を打詫る如き
意苦地なき顏附と爲り、
遽だしく那稻の手を取りて引留め、
「コレ、コレ、腹立ては了ないよ、言過たのは己が惡い、許して呉れ、許して呉れ、何もお前を責る氣で言たぢや無い、お前が餘り美し過ぎる者だから、何に附け
彼に附け心配なんだ、お前を是ほど美しく拵へたは本統に造化の過ちだ、イヤ造化では無い、惡魔が幾等か手傳て男を
惱殺す樣に造ツたのだ、お前に少しでも
餘所々々しくせられると、己は本統に氣が違ふ、コレサ是れ、お前の爲に氣が違ツて知らず知らず
忌味を云ひ、腹も
立る親切一方の此己を何故其樣に
自烈すのだ、波漂と云ふ邪魔物が無く成て、お互に今まで秘し隱しに隱して居た愛情を、是から天下晴れて樂まうと云ふ今に成り、仲を違へては仕方が無いよ、ササ、機嫌を直してお呉れ」と夫れは/\余の筆で書く樣な者では無く、蜜よりも猶ほ甘き
口前にて或は詫び或は
賺すに
[#「賺すに」は底本では「慊すに」]、那稻も心折れしと見え、宛も若き
女皇が罪ある臣下を大赦する時の如き笑顏にて、ジツと魏堂の顏を眺め、其の引くがまゝに引かれ來り、最と靜に且つ
最愛らしく、魏堂が抱く手の間に凭れ掛りつ、
初々しき唇を少し尖らせて上に向け、魏堂の接吻を迎へんとす。アヽ讀者、此の時、余の腹の中、餘りの事に誠とは思はれぬ程なれど、悲しや是れ夢にあらず、全くの
實事なり、夢ならば先づ魘さるゝ惡夢の心地、彼等が吸ひ交す接吻の
鼠鳴は、一
聲、一聲、余の
腸を刺す
劍なりだ。
良ありて那稻は穩かに顏を舉げ、
前額に懸る髮の毛をば
婀娜なく掻上ながら、舌たるき口調にて。
「魏堂、魏堂、お前は馬鹿だよ、本統に腹立ツぽくてサ、
嫉妬燒きでサ、少しの事を疑ツてさ、私の心が
未分らないの、何度も私しが云たじや無いか、浮世の義理で波漂の妻に成て居るけれど、心は毎もお前の傍を離れぬと、ヱ魏堂、お前忘れたの、何時かも波漂は縁側で何かの書物を讀で居て、私しとお前は次の間に
提琴の調子を合せながら、ソレ其時私しが何と云つて?」
「世界中に魏堂、お前ほど可愛い男は無いと云たサ。」
「ソレ御覽な、其言葉を覺えて居れば、何も其上に不足を云ふ事は無いじや無いか」茲に到りて魏堂は柔らかなること綿の如く、
「夫は爾だ、其時も今もお前の心さへ變ら無きや、何も不足を云ふ事は無い。」
「何で心が變る者か、其時私しは波漂が少しも疑はないから構はないが、彼れが若し疑ツて二人の間へ目を附ける樣に成れば、私しは波漂に毒を呑せるとまで云たじや無いか、心の變る程ならば是ほどの深い
巧まで話しはせぬ。」
「己だツて爾サ、其時はナニお前に
手數を掛けぬ、己が
獨で
密乎と波漂を片附て仕舞ふと云たじや無いか。」
「斯まで明し合た間で、何も今更ら疑ひ合ふ事は有るまい。」
「夫は爾だ、本統に爾だよ、だけれどネ、嫉妬の無いのは眞の愛情では無いと云ふ事さ、己は最う少しの事にも氣を廻すよ、お前が地を踏めば、足へ障る其土が
惡い、お前が扇を使へば頬に障る其風が嫉ましい、是でこそ實が有ると云ふ者サ、波漂などは少しも嫉妬が無つたじや無いか、彼奴はお前よりも自分の身を大切に思つて居た、お前の顏を見て居るより本を讀むのを面白がり、夫も好けれど時に寄るとお前と己を家に殘し、何時間も散歩に出て歸ら無い事も有た、己などは爾で無い、お前ほど大事な者は無いと思つて居るから此後誰でも己に向ひ、お前の愛を爭ふ樣な奴が有れば
其奴の身體を鞘の樣に、己の刀を根まで刺通さねば勘辨せぬ」斯く云ふ中にも彼れ其の嫉妬深き本性を現して、又も眼を光らすに那稻は彼れの肩に手を置き「オヤ又腹を立てるのかヱ。」
「爾じや無いよ、ナニお前の心さへ變ら無きや己は何時までも
言なりに成て居るよ、ドレ斯云ふ中にもこの小徑はお前の身體には少し
濕ツ氣が深過ぎ、夜露に打れては能く無いから、サア内に入らうじや無いか。」
那稻は此言葉に從ひて又も魏堂と手を組合せ、靜に茲を立上り、夫婦よりも猶親しげに持ちつ持たれつ後も見ず、少しも心に咎むる所無き人の如く、悠々と内に入去んとす、余は
瞬溌もせず二人の立去る樣を見詰め、頓て
茂より首を出だし二人の白き着物の影、彼方の木影に遮られ全く見えずなるまで其
背姿を見送りたり、讀者讀者、彼等は全く見えずなれり、今夜は最早や此所へ又と
出來る事なからん、余は是より如何にすべきや讀者。
一六
讀者讀者、余は
追掛て不義もの
兩個を
捕へんと云ふ思案も浮ばず、彼等を家の内に隱るゝまで見送りて、フラ/\と
茂の中を立出たり。アヽ余は是れ何者ぞ、今は此世に用も無く、生甲斐も無き全くの邪魔物なり。喜びて出迎へ、轉び寄りて抱附くならんと思ひたる那稻と魏堂の邪魔物たるのみに有らで、實に我身にすら邪魔になる我身なり。生たりとて誰を妻、誰を友、
何所を家、何を食物として
何所に
住ん、昨日までの友も妻も友に非ず妻に非ず、我家とても余が一旦死せしからは、余が兼て作り置きたる遺言書の
旨意に依り、今は那稻の物、然り先祖傳來の一切の
財貨と共に、此家も、此庭も、此泉水も皆那稻の物、魏堂と那稻に不義の樂みを貪らせる其
資本と爲れり。之を余の手に奪ひ返し彼等の不義を妨げん爲には裁判所へ訴へ出で、余波漂が眞實死せしに非ずして生返りし事を證明し、法律の力に依り元の主人と爲ねばならず、譯も無き樣なれど、悲しや余には夫だけの證據なく證人なし。
余自ら
大聲して余は
波漂羅馬内なりと云ふも變り果たる此姿を誰が波漂なりと思はん、裁判所も採用せず、縱し採用されしとするも然らば證人にとて第一に呼出さるゝは那稻と魏堂なり彼等心に余の生返りしを認むるとするも三年以來余を欺き、余の名譽を殺し、猶ほ
悔る事を知らぬ
兇者なれば唯だ一
言にて余を無き者にし、此身代を永久己れ等の不義の
資手に爲さん爲め、此白髮鬼決して、波漂に非ず、羅馬内の財産を奪はんとする恐る可き惡人なりと言張りて、余を二度と此世に顏も出されぬ人とするは必定せり、アヽ余は今
世に全く運も望みも盡きたる人、家も無く、食も無く、
杖柱も命の綱も無し、有るは唯だ消すに消されぬ火の如き復讐の一念のみ。
此世の樂みと云ふ事總て絶ゆれば、見るもの聞くもの味も無く、趣も無く愛も情も無し。昨日まで
雙び無き絶景と思ひたる此庭も、依然としてネープル灣を
見瞰せど、見瞰すが何の景ぞ、
樹老い、
月冷え、風清く、
水白き、之を景色と云ふ人は復讐の念無きが爲のみ、
月呀るとも曇るとも、水白くとも黒くとも、復讐に益無れば、月も水も木も風も、余の心を察せざる最大無情の怪物のみ。余は唯だ復讐の念を友とし、復讐の念を命とす、此念の爲に生き、此念の爲めに動く、此念の外に景色も
然らず、浮世も知らず、義理も人情も總て知らず、復讐を
遂るの日は余が目的盡くるの日なり、死すも
寂滅するも本望なり。其日までは死す可らず、去ればとて余は如何にして復讐せん、今朝聞きたる彼の仕立屋の老主人は妻を即座に刺殺し其刀を遺身と云ひて
直に男の胸に葬りたりと云ふ。アヽ余は彼の老人より劣りしか、現在に姦夫姦婦が余を罵るを見もし聞もし、而も二人を殺す能はず、無事に彼方へ退かせ、空しく機會を
取迯したり、否々余の復讐は唯だ姦夫姦婦を殺す如き、世間
有觸たる仕方にて濟しむ可からず、魏堂と那稻は世間普通の不義に非ず、余の辱しめられたるは世間普通の辱しめられ方に非ず、目を
拔るれば目を
拔て仇を返し、手を一本
切るれば手を一本
切て仇を復し、命を
取るれば命を取る、是が昔より勇士の復讐と云者にして、其仕方は總て先方の仕方に準ぜり。余が彼等に受たる苦痛は唯だ身命を殺さるゝ如き
凡平の苦痛に非ず、彼等を殺すは勿論として、殺したる其上に猶ほ莫大な苦みを與へ、彼等を絶望の底の底に落し入れ、是が爲には景色を見るとも景色と思はず、望みも運も
盡果又一寸又一分の逃道だにも無き迄に苦めざる可らず、斯までに
仕遂ねば眞の復讐とは云れぬなり、命を奪ふより
先心を苦めん、心を苦むるより先づ魂を苦めん、然り苦しめて苦めて、眞に苦め拔き死ぬるに至りて初めて止まん。讀者よ、伊太利人は執念深し、其中にも余は猶更ら執念深しと云はれん、笑はゞ笑へ余と同じ辱めを受けて、余と同じ執念に落ざる者は人に非ず、
否人にして眞の愛情無き者なり、無情なり、余は無情の人に見せんとて此記事を書く者に非ず、余の心を察する丈の情無き讀者は、此後を讀む
勿れ、余が復讐の其念と其味とは、唯だ余と同じ心ある人にして初めて察す可ければなり。
余は實に非常なる復讐を
企まんとす、
踏込で彼等を殺すは
難からねど、今は殺さず、世間より
人殺の罪を犯せりと云れては、余が家の名にも係る。流石に羅馬内家の一男子、
能も斯まで深く
企み斯までも
辛棒して斯までも
氣味餘く復讐を遂げしよと、多き讀者の中
唯一人余の心を汲みて呉るゝ人あらば、余は死すとも怨みなし、余は非常なる辱めの爲め非常なる復讐を
企むなり、企むが無理か讀者。
余は夜の更けるまで庭の木影を徘徊し、彼か是かと考ふれど然る可き
工風なし。神
若し無慈悲なる復讐を憎むとならば、余は神を捨て惡魔を祈らん、惡魔、惡魔、汝の最も慘酷なる心を以て、汝の尤も非道なる智慧を振ひ、世の善人も惡人も聞きて悉く戰慄する、尤も恐しき復讐法を余に教へよ、余は其復讐をだに
遂しめなば、最早此世に望みなし、身を以て汝の恩に報ぜん、汝余を殺せ、余が肉を張裂きて貪り
食へ、永久余を魔道に落し、浮む瀬の無き餓鬼として余を
酷き使へ、余は復讐の後の事は何うなるとも厭はぬなり。
讀者、余は實に斯の如き事を呟きながら考へ居たるに、漸く一思案浮びたり。最と六かしき工風なれど、是ならば魏堂と那稻に余の
怨を晴すに足る、如何ほど六かしくも、復讐の外に目的の無き身を以て果すこと能はざらんや、之が爲には火も踏まん、水も潜らん、再び
生埋にせらるゝ程の苦痛も
侵さん、如何なる苦痛なればとて、復讐せずに堪忍ぶ其苦痛より辛き筈なければなり。余は此心の弛まざる爲にと思ひ、那稻の胸より落散りたる彼の薔薇の花を拾ひ上げ、大事に衣嚢の中に納めつ、又
忍やかに此所を立去りたり。
一七
是よりして、余は復讐の惡魔なり、余の肉は鐵、余の血は毒、鐵は鎖の如く姦夫姦婦の身を縛り、動く事も
逃る事も出來ざらしめん、毒は一滴、一滴、彼等の口に
入り、徐々と苦しめて、彼等を嬲殺しより猶ほ恐ろしき目に逢はせん、其工風行はれ難しとは云へ、復讐の外に用事や目的も無き余が身なれば行はれずと云ふ事あらんや、余は我が一念の甚だ強く、我が恨の甚だ深きを見て、必ず行はるゝを知る、行はるゝ迄は
斃れても猶止まぬを知る。
余が立出たる後に彼等二人は何を爲せるや、天地の廣くなりたる心地にて誰憚らず不義の樂しみに耽るにや、
否々那稻は魏堂より猶立優る
兇れ者にて
飽までも世間體を作り、人の口端に係るを厭い、魏堂に當分足を拔けと勸めたる程なれば、今夜魏堂を
引留る事は無からん、魏堂或は我より先に立去しが、夫とも余の後なるか、孰れにしても召使などに怪まれぬ樣歸り去る相違なし。
余が斯く思ひながら
將に町の入口に掛らんとする折しも、余が目の前、三間ばかりの所に、余が兼て
嗅覺ある香氣高き余の煙草を燻らせながら、月に
嘯き面白げに歩み行く一人あり、能く見れば彼の魏堂なり、彼れ余が外國より取寄せ置きたる卷煙草を、我物顏に、否余の妻をまで我物顏の男なれば煙草ぐらゐは云ふにも足らねど、夫でも余は益々癪に障れり、彼は余が家を己が家とし、早や羅馬内家の財産を容赦なく那稻の手より取て
費へる事思ひ
遣る、彼れの歩み
振、何ぞ夫れ安樂にして、彼れの樣子、何ぞ夫れ樂げなるや。彼は今より六月を經て公然那稻と婚姻する目算なれば、六月後の幸福を取越して今より既に心浮き、
氣昂れる者なる可し、己れ曲者と聲掛けて余は彼の喉に飛附き度し、
捻伏て彼れの頭を碎き度し、斯くせば彼に對する復讐だけは先づ終り、後は那稻一人と爲る故、苦める事は最と易し。アヽ
飛打らんか、飛掛らんか、余は殆ど
筋張り肉動きて自ら制し兼る程なりしかど、我腹の中に疊みある復讐の大手段を考へ見れば、斯る俗人の仕方にて滿足すべきに非ず、今は知らぬ顏にて彼れを
遣過し、時の到るを待たねばならず、余は必死の
辛棒にて横道に入り、この夜は水夫の
寢る如き相當の宿を求めて眠りしが、心も身體も痛く疲れての上なれば、夜の明るまで夢をも見ずに熟睡したり。
讀者よ。余の復讐には莫大の運動を
要す、又多少の月日も要す、羅馬内家の身代は他人の物同樣に成りたれど、余は幸ひにも彼の
墓窖の中に海賊
輕目郎、
練の大身代あるを知る、通常の場合ならば盜賊の
財貨に手を附くる事
固より好ましからざれど、余は復讐の爲、義理も世間も遠慮會釋も總て忘れ、假にも復讐の助けと
爲ば、如何ほど否な事たりとも厭はじと思へる身なり、今更ら何ぞ海賊に義理立せんや、畢竟神か惡魔かが余の
資本にせしめんとて、余に引き合せしも同樣の
財貨なり、余は彼の財貨を取り、暫く孰れの地にか旅行して充分の用意を
調へ、然る後に歸り來らん、然り是が余に取りて唯一つの道なり。
余は思ひ定め、翌朝少しばかりの道具類を
買調へ、
を
携へて
私かに又
彼墓窖へ
家に歸らん、夫も先づ裏門より入り、第一に多年召使ふ下部を呼び、之に魏堂を連來らせ、彼れに委細の事を話し、彼れの口より那稻の耳へ徐々と説明させ、余の姿の變りし事も前以て略承知させ置き、其上にて那稻に逢ん、嬉しきにも悲きにも女は痛く心を動す者なれば萬一氣絶でもさせては成らずト、斯く細々と考へて此家を立出しに、讀者の孰れも知る如く、當時餘りに傳染病の劇しき爲め、伊國皇帝ハンバート陛下一方ならず御心を痛させ給ひ、日々自ら町々を歩みて病者を訪ひ給ふ折柄にして、余は此家の外半町ばかりの所にて、圖らずも陛下の一行に出合たり。
余は低く頭を垂れて敬禮するに陛下は余を顧み給ひ、小聲にて從者に向ひ「アヽ畫にでも有り爾な白髮の漁師ならずや、彼れ老體にて猶ほ珊瑚漁を爲す者と見ゆ」と細語し給へり、アヽ余は白髮の漁師なるか、昨年までは年に一度づゝ必ず羅馬の朝廷に伺候して陛下に咫尺し奉り、宮中第一の賓客よと厚く遇されし伯爵波漂が、今は珊瑚漁の老漁夫に見違へらるゝ迄に至りしかと思へば、又も涙の頬に傳ふを覺へたれど、其中に陛下の行過給ひたれば、余も心を取直し、扨是よりは孰れに行んと思案するに、第一空腹に堪難ければ先づ支度をして後の事と料理屋を探すうち、目に留るは昨日余が病に罹り宣教師に連入られたる彼の酒屋なり、是幸ひと店に入り幾品の食物を取寄せて、食ひながら亭主の話を聞くに、余の死せし事は到る所に噂さるゝと見え、亭主は現に此店にて波漂樣が教師に介抱せられ乍ら死ましたと云ひ、余が其波漂なるを知らず、余も勿論他人の事の如くに見せ、定めし波漂夫人が悲みしならんと問ふに「ハイ宣教師が知せて行ましたら、聞終らぬうち氣絶成ツたと申ます」と答ふ。
氣絶、氣絶、夫でこそ余が妻なりと窃に含首き、更に其宣教師の事を問ふにアナ痛ましや教師は余を棺に入れ、余の胸に十字架を載て間も無く、自ら余の病に感染し、打倒れて寺へ運ばれ、昨夜の中に死せしとなり。
余は餘りの驚きに落る涙を悟られまじと顏を外の方に向るに、此時宛も戸表通る一紳士、知らず讀者は誰と思ふや、別人ならず親友魏堂なり、余はハツと飛立て其傍に馳行かんとせしが、魏堂の樣子に何とやら合點の行ぬ所あり、立掛けし腰を又卸せり。魏堂よ、魏堂、彼れ定めし余の死せしを兄の死せし如くに悲しみ、目の側も泣腫して居るならんと思ひの外、彼れは嬉げなる笑を浮め、顏を上向け反返りて徐々と歩む樣、一方ならず滿足したる人に似たり。
夫も好けれど其胸のボタンの穴に赤き薔薇花を挿めるは何の氣ぞや、許嫁の美人より贈られて肌身を放し得ぬ者かとも怪まる。而も其花、他に類の無き異り花にて余の目には爭ふ可からず、余が曾て羅馬の朝廷に客たりしとき陛下より賜りて妻那稻に贈りたる鉢植の其花なり。妻が命よりも大事と云ひ、余にさへも折しめざりし其花なり。讀者、讀者、余は實に我が眼を疑ふ。
一二
余は殆ど我が眼を疑ふばかりなりしも忽ちにして思ひ返せり、否々々、彼の花決して那稻が自ら折たる者に非ず、那稻は彼の花を命よりも大事なりと云居たるに、何ぞ自ら折る事あらんや、今那稻の手許には惡戯盛りの娘あり、母の泣頽れたる暇を窺ひ、頑是も無く植木鉢の許に馳せ行き折取りたる者なる可し、即ち那稻の仕業にあらで全く娘星子の所爲なり、既に折離したる物を其儘捨るは勿體なしと止む無く魏堂に贈しか、或は又捨たるを魏堂自ら拾ひ上て自分の胸に挿したるならん斯も明白の筋道あるにを知らずして疑ひしは我ながら耻しゝと、自ら道理を附直せば魏堂の振舞に少しも怪む可き所なし。
彼れが嬉しげなる顏附なりしも、反返りて歩みたるも、何の咎むる事か有んや、彼れは餘りに余の死せしを悲みて心の欝々と沈し爲め自ら氣を引立んとて散歩に來たる者なる可し、身構へまでも陰氣にしては心の引立つ機み無きゆゑ、故と愉快らしく構へしのみ、上部に泣くは眞に泣く者に非ず、上部の喜び豈に誠の喜びならんや、却て心に泣よりも猶ほ辛きを見る可し、アヽ魏堂よ、汝は猶ほ余が眞の友人なり。待てよ待て、今夜は行きて汝が上部の喜びを心底の喜びと仕て得させん、余が妻那稻と共に待て、余は汝と那稻とが悲み極まりて言葉も無き其所に歸り行き、汝と那稻が天地に喜ぶ其顏を見度きなり、此外に願ひはなし。
斯て余は快く食事を終り、拂を濟せて此店を立出しが、扨て日の暮るまで孰れに隱れん、穴の中の一夜も甚だ長りしが、穴を出ての一日も亦誠に短からず、先づ湯に入りて汗を流し、身體をも清くして歸り行くが妻孝行の一端ならんかと、成る可く靜なる湯屋を尋ね茲に悠々と日を暮し、漸く黄昏の頃と爲りたれば、愈々那稻に逢ひ魏堂に逢ふ時來れりと、轟く胸を鎭ながら其湯屋を出で、我家を指して岡の道を上り行く。
いつしか月も昇り、木の間を洩りて射る影は、毎も見慣れし影なれど今夜は何ゆゑ殊更に冴々しきや、道も踏慣し道なれど是が那稻の住む所まで余を誘ひ行くかと思へば、余の爲に設けたるやに疑はる、既にして余が家の表門に達すれば、扉固く鎖しあり、靜なること眠るが如く、全く主人の喪に服する家なり。
纔に内より聞ゆるは玄關の前に在る池の噴水、風に吹れて其音高く低く、余が歸り來るの遲きを恨むに似たり。余は此門を叩き開かん所存はなく、初より裏門へとの定めなれば、生牆の外に添ひ、裏の方へ廻るに從ひ、木は愈々深くして四邊は益々幽かなり、裏門の戸は猶ほ鎖さず、是れ猶ほ魏堂が此家に在りて歸り行く迄の爲と知らる、之を潜りて内に入れば、伊國の名物橙花樹を兩脇に植列ね、晝も日の指さぬほど茂りたる小徑にして、余が暑さに苦む度びに愛讀の書を携へ來て暫し古人と遊びたる仙境なり。眞直に進めば大庭に達す可く、中程より左に折るれば厩の前に達す可し、余は唯だ夢の如く現の如く一歩一歩に進み行き漸く大庭の口に到るに、時しも内より聞ゆる聲あり。是れ何の聲、誰の聲、讀者讀者、余は耳を澄さぬうち早や腦天より釘打たれし如く縮み上りて其の所に立ちすくめり。讀者よ、聲は聞き擬ふ可くも非らず、鶯よりも、麗しき余が妻那稻の聲にして最嬉しげに打笑ふ聲なり。
再び聞けば再び聲ゆ、余は冷たき汗の脇下より流るゝを覺え、心は凍りたる水の如く動きもせず考へも得せず、蛇に魅入らるゝ蛙の氣持は正しく斯くの如くなる可し、聲の止むかと思ふ間に徐々と彼方より歩み來たる白き姿は確に其の那稻なり。余は何故とも、何が爲とも自ら心附き得ざる間に、知らず/\、徐り/\と木の茂りに退きて余の身を隱せり、必ずしも茲に隱れて那稻の舉動を伺はんと思ひたる爲に非ず、唯だ餘りの驚きに度を失ひ隱るゝとも無く隱れたるなり。
讀者よ、余は斯までに驚きたるが無理か、余は那稻が余の死せしを悲しみて一室に閉籠り、涙と共に余の冥福を祈り居るならんとこそ思へ、嬉げに笑ひ興じ月に浮れて散歩せるならんとは思はざりき。然り夢にも思はざりき、思はざるが眞實ならずや、愚か、愚か、女に溺るゝ男ほど愚なる者は無し、否那稻に溺るゝ波漂ほど愚な男は無し、斯く思はんとする眞際に余は又も一種の最恐ろしき疑ひを起したり。否々、那稻は決して本心に非ず、餘りの悲しさに發狂せしなり、女發狂する時はニヤ/\と笑ひながら當も無く歩む事ありと聞く、ヱヽ可愛や痛ましや、那稻眞實に發狂せしか、發狂の儘捨置くは余が罪なり、イデヤ出行きてコレ那稻、波漂茲に在り、と云ひ余の眞實なる手にて抱遣らば、長くも有ぬ昨夜よりの發狂とて、頓に夢覺め熱冷る如く、嬉さ餘りて元の那稻に返らざらんや。余は思ふより早く茂りの中に立上らんとするに此時又も眼に留るは那稻の傍に搦り居る余が弟、否弟よりも猶親しき余が唯一人の友魏堂なり。
彼れ那稻と手を取合ひ、腰を抱合ひ、縱や夫婦の間にすら人目を憚る程の樣にて那稻と共に歩み來れり、余が幾等愚なりとて魏堂と那稻と二人ながら氣が違へりと思ふ程の愚ならんや、讀者、余が此時の心を察せよ、余は今思ひても悔さの忘れられず、書ながら此紙を破らんとすること幾度、斯る事が有りと知ば余は棺の葢を推破らず、知らぬ佛と朽了り、再び此世へは出でざりし者を穴の中の恐しさ、悲しさ、苦しさ、今面たり余が心の術なさに比べては眞に物の數にも足らず、讀者よ、此時若し余の怒りが半分も輕かりせば余は必ず我を忘れ己れと云樣、飛出て彼等兩個を握み殺しもせしならん。
余の怒は爾る世間一般の怒に非ず、眞の怒りは無言なり、物云ふ事も打忘れ動く事も打忘る、今より思へば何うして先アジツと控へて居られたかと、殆ど怪き程なれど、余は最早や人に非ず、怒りの塊りなり。彼奴等此上に何を爲すやと唯だ靜りて控るのみ、彼奴等夢にも斯とは知らず、猶ほも余の方に進み來たり、余が故々那稻と余の爲に設けさせたる其腰掛けに、肌と肌と添合ひて腰を卸せり。其樣新婚の夫婦より猶親しく、永き情人と情人なり。
一三
アヽ魏堂と那稻、余が今までも無二の友、無二の妻よと思込みしに引替て彼等二人は無二の兇物、無二の敵なり、友たり所天たる余波漂が死して未だ二日と經たぬに、共々に人生第一の不義を盡し、余の名譽を殺し、余の心を殺しつゝ有るなり。彼等の一舉一動は悉く劍を以て余の胸を刺貫くに似たり。彼等が坐したる腰掛けは余の隱るゝ茂りの中より三歩とは離れず、直に余が目の前とは云ふ程なり。彼等が顏の一筋を動かすも有々と余の目に見え、彼等が忍ぶ呼吸の音も明かに余の耳に聞ゆ、然り百雷の如くに聞ゆ。
横樣に那稻を抱く魏堂の左の手は、腰掛けて後も猶ほ那稻の腰の邊りを繞り、那稻の顏は魏堂の胸の間に推附けて余の方には頭の後部を向けたり、背後に垂るゝ黄金の髮の毛、夕風に戰掛るを魏堂は左の手の指先に弄そびて餘念も無し。而も、那稻の右の手は弛く魏堂の首に掛れり。
彼れも是れも愛に溺れ情に餘りて離れがたなき有樣は畫にも描れず、所天たる余の身として目の前に斯の如き樣を見る、讀者余の心を如何と思ふや、余は實に怒の塊りと爲り、身體堅くなりて動く能はず、唯だ目のみ光せて猶ほ見て有るに、暫くにして二人は今まで人目に堰かれて話し得ざりし互の愛を口に出し、行ひに現し、散々に味はん心なるにや、那稻の手先づ徐々と殘り惜げに魏堂の首を離れ、那稻正面に余が方に向へり。那稻が白き夏服は其優しき姿に能く似合ふこと云ふばかり無く、全身に一點の汚を見ず、穢れたる其心と何と莫大の相違ならずや、唯だ胸の所に赤き血の色を見るは是れ血に非ず魏堂の胸に在る花と一對の彼の薔薇の花なり、月に映じて襟に光るは余が與へたる夜光珠なり。
讀者讀者、彼の夜光珠ある當へ恨の短劍を叩き込み、彼の花を挿す胸の邊まで花より紅き血を流しなば如何ほどか余の恨みは晴れん、否々余の恨は爾淺墓の酬いにて晴る如き淺き者には非ず、晴ずとは云へ切めて夫だけの酬でもと余は火よりも熱き手にて我衣嚢を探るに、悲しや一寸の刃物も無し。家に歸りて刃物が要るぞとは余が毛筋ほども爪の屑ほども思寄らざりし所なればなり。
怒る余が茲に在りとは知る由なく、那稻の顏は最と安心げ、最嬉しげ、中ん就く最と美し。昨日余の死せしを聞きてより一滴の涙をも溢さず、顏に心配の一筋をも寄せざりしは一目にて明かなり、顏の何所の所、目許の何の邊にも悲しげ心配げなる痕は少しも無し、拭ひても斯くまで拭ひ去らるゝ者には非ず、殊に其口許に至りては、是れが彼の仕立屋の老主人が吾妻に似し惡魔の笑と云ひし其笑なるや知らねど、掬盡されぬ愛嬌有り、生れ立の赤ん坊にも斯まで清く罪の無き笑は浮ばず、成る程此笑の底の底には男を殺す魔力も有らん、誰とて此無邪氣なる口よりして僞りのイの字も出ると思はんや。
頓てしも其細き口少しく開らき、人を醉せる音樂より猶爽やかなる聲を洩せり、低けれど而も清く、譬へば細き谷川下る清水の音とも云ふ可きか、アヽ那稻何を云ふ、余は首を縮め息を凝せり。
「オヽ魏堂よ、魏堂」是だけが先づ口切なり、何と親げなる呼方ならずや、讀者定し知るならんが西洋にては何の國にても年頃の男女が互に呼逢ふには必ず樣附にして、其姓を[#「其姓を」は底本では「其性を」]呼ぶ、決して呼捨に名前計り呼ぶ者に非ず、唯天然の兄弟か切に切られぬ極親しき友人か左なくば夫婦の間に限り、譬へば花里魏堂を呼ぶに花里君と姓を云はずして唯だ魏堂と名を呼べど、は既に魏堂に對し妻たるの約束出來たるを示すなり。那稻既に魏堂と呼ぶは、余を波漂々々と呼ぶに同じ、姓を云はずに其名を呼捨なり、聲に應じて魏堂が那稻の顏を見上るを待ち、那稻が何と後の句を繼かと思へば、
「だがネ、魏堂、丁度好い時に波漂が死だから好ツたけれど。」
讀者、讀者、妻は余の死せしを丁度好い時と云へり。
「若し死なければ何うなる所だツたらう」魏堂の返事こそ聞きものなれ、余は目と耳とを一時に張開くに、魏堂は輕く笑を浮べ、先づ、己が妻と確め置く積の如く「爾サ那稻」と呼捨て而る上に後を附けたり。昨日までは余の前にて奧樣奧樣と敬ひしが、今日は恐しき相違なり。彼れは輕き笑を嘲りの調子に變へ、「ナアニ彼奴(余の事を彼奴)が生て居たとて氣が附く者か、お前だツて己だツてアンな馬鹿者に悟られる樣な浮りじやあ無い、夫に彼奴自惚が強いから仕合せさ、自分の妻は自分をばかり愛して居て、到底他人の盜める者で無いと一人で斯う極めて安心して居るのだから。」
此語を聞て、清きは白山の雪の如く、高きは天上の星の如しと曾て魏堂が評したる余の妻那稻は笑みて又聲み、
「だけれど私しは波漂の死で呉れたのが嬉しいわ、でもネ、魏堂、お前當分の間、少し遠のかねば了ないよ、召使などが風評して世間の口端に掛かつては困るから、夫に私しだツて世間體だもの、忌でも、六ヶ月の間は波漂の喪に服する眞似事をして居ねば。」
とて猶何事をか言續けんとするに、魏堂は接吻にて吸留め、
「シテ見ると寧そ波漂の生て居た方が仕易かツたよ、彼奴は他人を追拂ふ二人の番人も同じ事でサ、お前と己と二人の間を自分も疑はず、爾して知ず/\他人に疑はせぬ役目を勤めて居たから。」
余は餘りに彼れの言樣が惡サ、且つは顏に似合はぬ其心の恐しさに、思はずピクリ身を動かし、茂る木の葉に音を立せり。那稻は聞きて、氣味惡げに立掛かり、不安心の樣子にて此方彼方を見廻さんとす。
一四
那稻は四邊を見廻したれど余の姿は月影暗き木の中なれば、夫と見認る由も無く、直ちに又元の如く腰を卸せり。去れど猶ほ氣遣しさは消えぬと見え神經に障りし聲音にて、
「私しは何だか氣味が惡いわ、茲は波漂が毎も散歩する場所と云ひ、昨日彼れを埋たばかりで何だか幽靈でも出さうな氣がしてアヽ茲へ來無きや好かツタ」那稻が斯く云ひ來るに從ひ、魏堂の眼には徐々と角が出來たり。其樣宛も那稻を叱り、
「お前は尚だ波漂に未練が殘るか」と責るに似たり。那稻も其意を悟りし如く、
「彼れだツて、私しの娘(星子)の父だから」と答ふ、魏堂は忽ち荒々しく、
「夫くらゐの事はお前に聞ずとも知て居るワ、父だツて己から見れば敵の樣な者だ、己は最う彼奴めがお前の唇から接吻を偸むのを見る度に、何れほど業が煮たか知ぬ、死だ後では最う波漂の波の字も聞度く無い。」
アヽ讀者、讀者は此語を聞き如何に思ふや、余は實に世が逆樣に成しかと疑ふなり、所天たる者が其妻を接吻するは即ち接吻を盜むに當るや、妻は奸夫の物にして所天は其妻を盜まねば接吻する事が出來ぬや、コレコレ魏堂、余が兄余が弟より猶親しき昨日までの無二の友よ、汝は余を盜賊の如く思ひて交り居たるか、汝今若し木葉の影に隱るゝ余の顏を見ば、余が到底此仇を復さずには置かじと決心せしを悟るならん、然り余は唯ツた今此の人非人を攫み殺し其肉を食ひ度き程に思ふなり、暫くにして魏堂は那稻の過去たる事をまで嫉妬する如く、
「全體お前は何だツて波漂みた樣な奴と婚禮したんだなア」那稻はセヽラ笑ふ如く。
「爾サ、尼寺に居るのが倦き、所天でも持度いと思て居る所へ言込れたから婚禮したのサ、私しは貧乏が大嫌ひで、婚禮すれば貧乏だけは逃れると思つたからサ。」
「幾等か彼れを愛しただらう。」
「爾サ、外に男を拵へるのが愛すると云ふ者なら確に彼れを愛して居たよ、死だと聞てホツと安心して喜ぶのが操なら、私しは彼れに充分の操を立てたよ、お前問はずとも能く知つて居るぢや無いか。」
「エヽ其樣な事を聞くのぢや無いお前の心の中を聞くのだ。」
「爾サ、滿更ら憎いとばかり思つては一日も夫婦に成つて居られ無い筈だから」と此返事に魏堂の目は殆ど三角に成れり。
彼は己れが不義の身たるを忘れ、猶ほ余の死せざりし以前をまで嫉ましく思ふなるや、那稻は又魏堂に嫉みを起させて散々彼れを弄ぶ心なるか、夫とも外に所存あるにや、猶徐ろ/\と言葉を續け、
「波漂は私しに金も呉れ、贅澤もさせて呉れた、私しは澤山身代が有て、妻の氣儘に任せて置く人が好きサ。」
此語は確に魏堂の灸所に當りたり、彼れが目は殆ど四角を經て五角に開けり、五角の上の隅よりして悔しげに那稻を睨み、
「ジヤア己と婚禮するが嫌だと云ふのか、ヱ、コレ己に一文の身代も無い事を知つて云ふのだな。」
「爾サ、お前に一文の身代も無い事は私しばかりで無く世間の人が皆知て居るサ。」
「何だと」
「夫れにお前と婚禮して夫婦に成るとは誰れも未だ約束しない、お前は情夫にして隱して置くには極く好い人だが、是れが私しの所天ですと云ひ、世間へ披露するには貫目が足らないよ、所天と云ふ名を附けるには世間から敬まはれる人で無ければ、第一其の妻の肩身が狹まいからネ。」
一句一句に魏堂の顏さま/″\に變化するを那稻は少しも氣に留めぬ如く、猶ほ冗談とも眞面目とも附かぬ最輕き語調にて、
「兔に角、波漂が死で嬉しいと云ふのは、私の身が自由に成たから夫で嬉いと云ふのだよ、お前と夫婦に成れるから夫で嬉しいと云ふのぢや無い、一體所天と云ふ者を定め身體の自由を無くしては、表面に其自由を取返すと云ふ事は出來ず、何うせ離縁とか夫婦分れとか云ふ醜聞の種だから、私しはそれが厭サ、波漂が死だのを幸ひに當分は先づ自由の身で暮す積りサ、夫にネ」とて猶何をか云んとするに、魏堂は最早や堪得ずと云ふ如く荒く那稻を抱すくめて我胸に當て動かさず、殆ど火の燃る如き言葉にて、
「コレ、今更ら其樣な事を云ても駄目だ、今まで隨分長く己を惱して釣たぢや無いか、お前が波漂と婚禮した其日、己は初てお前を見たが其時最う嫉しくて堪ら無ツた、波漂を殺してでも自分の妻に仕度い者と思たが、夫ほどの事も出來ず、ナアニ此女も顏は天女の樣だけれど心まで天女では無く、矢張り人間の生だ子だから、其中に氣の振れる時も有るだらうと、斯思ひ直して己は上部に有る丈の親切を見せ、自分の番を待て居た、爾すると何だか自分の番が來た樣に思たから、爾サ婚禮から未だ滿三月が經て仕舞ぬ中だツた、思ふ心をお前の耳に細語くとお前もビツクリせぬのみか、待て居たとでも云ふ樣に己の言葉に耳を澄せて、爾じや無いか、ヱ那稻、斯して見ればお前から己を誘つたも同じ事だぜ、口に出しては誘はぬが、夫となく目で勵まし、手を握るにも樣子有げに握り、到頭己の願ひの屆いたのが最う足掛け三年前サ、夫からと云ふ者は波漂は世間體の義理の所天、己は世に隱れる誠の所天で隨分辛い思ひもし、成らぬ堪忍もして今日まで來たのに、愈々表向き夫婦に成れると云ふ今と成り、言葉を濁したとて無益と云ふ者、波漂がお前を妻にした通り、己もお前を妻にする、お前は波漂を欺いても己を欺く事は出來ないよ」斯云來りて更に己の罪を言開かんとする如く「己は波漂の妻を盜んで、心に濟まぬとも氣の毒とも何とも思はぬ、全體云へば己よりも波漂が惡い、ヱ爾じや無いか、本統にお前を妻と思へば他人の決して盜まぬ樣、充分氣を附て見張て居ねば成らぬ、其見張を怠るのは自分の手落、手落の間に己が來てお前を盜んだとて、波漂が己を咎めると云ふ道は無い、自分の手落を咎める丈だ、サア自分の者でも見張を怠り、他人の偸むに任せて置く其な不實な亭主と、他人の物を命掛で取りに來る實の有る男と、女に取り何方が有難い、人に命掛の想をさせ今更ら曖昧な事を云ても其手にや載らぬ、何と云てもお前は最う己の者、表向婚禮せぬなどと其樣な事は云はさぬ。」
アヽ人の妻たる者を盜むは、盜む者の手柄にして、罪は盜まるゝ所天に在りと云ふか、奇怪なる道理も有れば有るものよ。
一五
魏堂の勝手な一言/\、靜なる庭の景色に響きて余が耳には物凄く聞え來る、魏堂は宛も那稻の返事せぬさへ嫉ましさの種と爲る如く益々荒く那稻の身を〆附るに、那稻は其の荒々しさに恐れしか、「コレお放よ、お前は本統に亂暴だよ、アレサ痛いと云ふのに」と云ひながら、立上る。
此時までも那稻の胸に挾みありし彼の薔薇の花は、魏堂の手にて〆潰されし物なるか地面に落て幾片に碎け散りたり、那稻は之を拾はんともせず、最と冷き眼にて魏堂を尻目に掛け「最うお前に用は無い」と云ふ如く賤見る。余は能く知れり那稻が斯る身振を爲すは必ずしも他を賤むが爲に非ず、唯男を惱殺する其手練の一なるを。魏堂は此手練に忽ち醉ひ今までの立腹は跡も無く消失せて却て我罪を打詫る如き意苦地なき顏附と爲り、遽だしく那稻の手を取りて引留め、
「コレ、コレ、腹立ては了ないよ、言過たのは己が惡い、許して呉れ、許して呉れ、何もお前を責る氣で言たぢや無い、お前が餘り美し過ぎる者だから、何に附け彼に附け心配なんだ、お前を是ほど美しく拵へたは本統に造化の過ちだ、イヤ造化では無い、惡魔が幾等か手傳て男を惱殺す樣に造ツたのだ、お前に少しでも餘所々々しくせられると、己は本統に氣が違ふ、コレサ是れ、お前の爲に氣が違ツて知らず知らず忌味を云ひ、腹も立る親切一方の此己を何故其樣に自烈すのだ、波漂と云ふ邪魔物が無く成て、お互に今まで秘し隱しに隱して居た愛情を、是から天下晴れて樂まうと云ふ今に成り、仲を違へては仕方が無いよ、ササ、機嫌を直してお呉れ」と夫れは/\余の筆で書く樣な者では無く、蜜よりも猶ほ甘き口前にて或は詫び或は賺すに[#「賺すに」は底本では「慊すに」]、那稻も心折れしと見え、宛も若き女皇が罪ある臣下を大赦する時の如き笑顏にて、ジツと魏堂の顏を眺め、其の引くがまゝに引かれ來り、最と靜に且つ最愛らしく、魏堂が抱く手の間に凭れ掛りつ、初々しき唇を少し尖らせて上に向け、魏堂の接吻を迎へんとす。アヽ讀者、此の時、余の腹の中、餘りの事に誠とは思はれぬ程なれど、悲しや是れ夢にあらず、全くの實事なり、夢ならば先づ魘さるゝ惡夢の心地、彼等が吸ひ交す接吻の鼠鳴は、一聲、一聲、余の腸を刺す劍なりだ。
良ありて那稻は穩かに顏を舉げ、前額に懸る髮の毛をば婀娜なく掻上ながら、舌たるき口調にて。
「魏堂、魏堂、お前は馬鹿だよ、本統に腹立ツぽくてサ、嫉妬燒きでサ、少しの事を疑ツてさ、私の心が未分らないの、何度も私しが云たじや無いか、浮世の義理で波漂の妻に成て居るけれど、心は毎もお前の傍を離れぬと、ヱ魏堂、お前忘れたの、何時かも波漂は縁側で何かの書物を讀で居て、私しとお前は次の間に提琴の調子を合せながら、ソレ其時私しが何と云つて?」
「世界中に魏堂、お前ほど可愛い男は無いと云たサ。」
「ソレ御覽な、其言葉を覺えて居れば、何も其上に不足を云ふ事は無いじや無いか」茲に到りて魏堂は柔らかなること綿の如く、
「夫は爾だ、其時も今もお前の心さへ變ら無きや、何も不足を云ふ事は無い。」
「何で心が變る者か、其時私しは波漂が少しも疑はないから構はないが、彼れが若し疑ツて二人の間へ目を附ける樣に成れば、私しは波漂に毒を呑せるとまで云たじや無いか、心の變る程ならば是ほどの深い巧まで話しはせぬ。」
「己だツて爾サ、其時はナニお前に手數を掛けぬ、己が獨で密乎と波漂を片附て仕舞ふと云たじや無いか。」
「斯まで明し合た間で、何も今更ら疑ひ合ふ事は有るまい。」
「夫は爾だ、本統に爾だよ、だけれどネ、嫉妬の無いのは眞の愛情では無いと云ふ事さ、己は最う少しの事にも氣を廻すよ、お前が地を踏めば、足へ障る其土が惡い、お前が扇を使へば頬に障る其風が嫉ましい、是でこそ實が有ると云ふ者サ、波漂などは少しも嫉妬が無つたじや無いか、彼奴はお前よりも自分の身を大切に思つて居た、お前の顏を見て居るより本を讀むのを面白がり、夫も好けれど時に寄るとお前と己を家に殘し、何時間も散歩に出て歸ら無い事も有た、己などは爾で無い、お前ほど大事な者は無いと思つて居るから此後誰でも己に向ひ、お前の愛を爭ふ樣な奴が有れば其奴の身體を鞘の樣に、己の刀を根まで刺通さねば勘辨せぬ」斯く云ふ中にも彼れ其の嫉妬深き本性を現して、又も眼を光らすに那稻は彼れの肩に手を置き「オヤ又腹を立てるのかヱ。」
「爾じや無いよ、ナニお前の心さへ變ら無きや己は何時までも言なりに成て居るよ、ドレ斯云ふ中にもこの小徑はお前の身體には少し濕ツ氣が深過ぎ、夜露に打れては能く無いから、サア内に入らうじや無いか。」
那稻は此言葉に從ひて又も魏堂と手を組合せ、靜に茲を立上り、夫婦よりも猶親しげに持ちつ持たれつ後も見ず、少しも心に咎むる所無き人の如く、悠々と内に入去んとす、余は瞬溌もせず二人の立去る樣を見詰め、頓て茂より首を出だし二人の白き着物の影、彼方の木影に遮られ全く見えずなるまで其背姿を見送りたり、讀者讀者、彼等は全く見えずなれり、今夜は最早や此所へ又と出來る事なからん、余は是より如何にすべきや讀者。
一六
讀者讀者、余は追掛て不義もの兩個を捕へんと云ふ思案も浮ばず、彼等を家の内に隱るゝまで見送りて、フラ/\と茂の中を立出たり。アヽ余は是れ何者ぞ、今は此世に用も無く、生甲斐も無き全くの邪魔物なり。喜びて出迎へ、轉び寄りて抱附くならんと思ひたる那稻と魏堂の邪魔物たるのみに有らで、實に我身にすら邪魔になる我身なり。生たりとて誰を妻、誰を友、何所を家、何を食物として何所に住ん、昨日までの友も妻も友に非ず妻に非ず、我家とても余が一旦死せしからは、余が兼て作り置きたる遺言書の旨意に依り、今は那稻の物、然り先祖傳來の一切の財貨と共に、此家も、此庭も、此泉水も皆那稻の物、魏堂と那稻に不義の樂みを貪らせる其資本と爲れり。之を余の手に奪ひ返し彼等の不義を妨げん爲には裁判所へ訴へ出で、余波漂が眞實死せしに非ずして生返りし事を證明し、法律の力に依り元の主人と爲ねばならず、譯も無き樣なれど、悲しや余には夫だけの證據なく證人なし。
余自ら大聲して余は波漂羅馬内なりと云ふも變り果たる此姿を誰が波漂なりと思はん、裁判所も採用せず、縱し採用されしとするも然らば證人にとて第一に呼出さるゝは那稻と魏堂なり彼等心に余の生返りしを認むるとするも三年以來余を欺き、余の名譽を殺し、猶ほ悔る事を知らぬ兇者なれば唯だ一言にて余を無き者にし、此身代を永久己れ等の不義の資手に爲さん爲め、此白髮鬼決して、波漂に非ず、羅馬内の財産を奪はんとする恐る可き惡人なりと言張りて、余を二度と此世に顏も出されぬ人とするは必定せり、アヽ余は今世に全く運も望みも盡きたる人、家も無く、食も無く、杖柱も命の綱も無し、有るは唯だ消すに消されぬ火の如き復讐の一念のみ。
此世の樂みと云ふ事總て絶ゆれば、見るもの聞くもの味も無く、趣も無く愛も情も無し。昨日まで雙び無き絶景と思ひたる此庭も、依然としてネープル灣を見瞰せど、見瞰すが何の景ぞ、樹老い、月冷え、風清く、水白き、之を景色と云ふ人は復讐の念無きが爲のみ、月呀るとも曇るとも、水白くとも黒くとも、復讐に益無れば、月も水も木も風も、余の心を察せざる最大無情の怪物のみ。余は唯だ復讐の念を友とし、復讐の念を命とす、此念の爲に生き、此念の爲めに動く、此念の外に景色も然らず、浮世も知らず、義理も人情も總て知らず、復讐を遂るの日は余が目的盡くるの日なり、死すも寂滅するも本望なり。其日までは死す可らず、去ればとて余は如何にして復讐せん、今朝聞きたる彼の仕立屋の老主人は妻を即座に刺殺し其刀を遺身と云ひて直に男の胸に葬りたりと云ふ。アヽ余は彼の老人より劣りしか、現在に姦夫姦婦が余を罵るを見もし聞もし、而も二人を殺す能はず、無事に彼方へ退かせ、空しく機會を取迯したり、否々余の復讐は唯だ姦夫姦婦を殺す如き、世間有觸たる仕方にて濟しむ可からず、魏堂と那稻は世間普通の不義に非ず、余の辱しめられたるは世間普通の辱しめられ方に非ず、目を拔るれば目を拔て仇を返し、手を一本切るれば手を一本切て仇を復し、命を取るれば命を取る、是が昔より勇士の復讐と云者にして、其仕方は總て先方の仕方に準ぜり。余が彼等に受たる苦痛は唯だ身命を殺さるゝ如き凡平の苦痛に非ず、彼等を殺すは勿論として、殺したる其上に猶ほ莫大な苦みを與へ、彼等を絶望の底の底に落し入れ、是が爲には景色を見るとも景色と思はず、望みも運も盡果又一寸又一分の逃道だにも無き迄に苦めざる可らず、斯までに仕遂ねば眞の復讐とは云れぬなり、命を奪ふより先心を苦めん、心を苦むるより先づ魂を苦めん、然り苦しめて苦めて、眞に苦め拔き死ぬるに至りて初めて止まん。讀者よ、伊太利人は執念深し、其中にも余は猶更ら執念深しと云はれん、笑はゞ笑へ余と同じ辱めを受けて、余と同じ執念に落ざる者は人に非ず、否人にして眞の愛情無き者なり、無情なり、余は無情の人に見せんとて此記事を書く者に非ず、余の心を察する丈の情無き讀者は、此後を讀む勿れ、余が復讐の其念と其味とは、唯だ余と同じ心ある人にして初めて察す可ければなり。
余は實に非常なる復讐を企まんとす、踏込で彼等を殺すは難からねど、今は殺さず、世間より人殺の罪を犯せりと云れては、余が家の名にも係る。流石に羅馬内家の一男子、能も斯まで深く企み斯までも辛棒して斯までも氣味餘く復讐を遂げしよと、多き讀者の中唯一人余の心を汲みて呉るゝ人あらば、余は死すとも怨みなし、余は非常なる辱めの爲め非常なる復讐を企むなり、企むが無理か讀者。
余は夜の更けるまで庭の木影を徘徊し、彼か是かと考ふれど然る可き工風なし。神若し無慈悲なる復讐を憎むとならば、余は神を捨て惡魔を祈らん、惡魔、惡魔、汝の最も慘酷なる心を以て、汝の尤も非道なる智慧を振ひ、世の善人も惡人も聞きて悉く戰慄する、尤も恐しき復讐法を余に教へよ、余は其復讐をだに遂しめなば、最早此世に望みなし、身を以て汝の恩に報ぜん、汝余を殺せ、余が肉を張裂きて貪り食へ、永久余を魔道に落し、浮む瀬の無き餓鬼として余を酷き使へ、余は復讐の後の事は何うなるとも厭はぬなり。
讀者、余は實に斯の如き事を呟きながら考へ居たるに、漸く一思案浮びたり。最と六かしき工風なれど、是ならば魏堂と那稻に余の怨を晴すに足る、如何ほど六かしくも、復讐の外に目的の無き身を以て果すこと能はざらんや、之が爲には火も踏まん、水も潜らん、再び生埋にせらるゝ程の苦痛も侵さん、如何なる苦痛なればとて、復讐せずに堪忍ぶ其苦痛より辛き筈なければなり。余は此心の弛まざる爲にと思ひ、那稻の胸より落散りたる彼の薔薇の花を拾ひ上げ、大事に衣嚢の中に納めつ、又忍やかに此所を立去りたり。
一七
是よりして、余は復讐の惡魔なり、余の肉は鐵、余の血は毒、鐵は鎖の如く姦夫姦婦の身を縛り、動く事も逃る事も出來ざらしめん、毒は一滴、一滴、彼等の口に入り、徐々と苦しめて、彼等を嬲殺しより猶ほ恐ろしき目に逢はせん、其工風行はれ難しとは云へ、復讐の外に用事や目的も無き余が身なれば行はれずと云ふ事あらんや、余は我が一念の甚だ強く、我が恨の甚だ深きを見て、必ず行はるゝを知る、行はるゝ迄は斃れても猶止まぬを知る。
余が立出たる後に彼等二人は何を爲せるや、天地の廣くなりたる心地にて誰憚らず不義の樂しみに耽るにや、否々那稻は魏堂より猶立優る兇れ者にて飽までも世間體を作り、人の口端に係るを厭い、魏堂に當分足を拔けと勸めたる程なれば、今夜魏堂を引留る事は無からん、魏堂或は我より先に立去しが、夫とも余の後なるか、孰れにしても召使などに怪まれぬ樣歸り去る相違なし。
余が斯く思ひながら將に町の入口に掛らんとする折しも、余が目の前、三間ばかりの所に、余が兼て嗅覺ある香氣高き余の煙草を燻らせながら、月に嘯き面白げに歩み行く一人あり、能く見れば彼の魏堂なり、彼れ余が外國より取寄せ置きたる卷煙草を、我物顏に、否余の妻をまで我物顏の男なれば煙草ぐらゐは云ふにも足らねど、夫でも余は益々癪に障れり、彼は余が家を己が家とし、早や羅馬内家の財産を容赦なく那稻の手より取て費へる事思ひ遣る、彼れの歩み振、何ぞ夫れ安樂にして、彼れの樣子、何ぞ夫れ樂げなるや。彼は今より六月を經て公然那稻と婚姻する目算なれば、六月後の幸福を取越して今より既に心浮き、氣昂れる者なる可し、己れ曲者と聲掛けて余は彼の喉に飛附き度し、捻伏て彼れの頭を碎き度し、斯くせば彼に對する復讐だけは先づ終り、後は那稻一人と爲る故、苦める事は最と易し。アヽ飛打らんか、飛掛らんか、余は殆ど筋張り肉動きて自ら制し兼る程なりしかど、我腹の中に疊みある復讐の大手段を考へ見れば、斯る俗人の仕方にて滿足すべきに非ず、今は知らぬ顏にて彼れを遣過し、時の到るを待たねばならず、余は必死の辛棒にて横道に入り、この夜は水夫の寢る如き相當の宿を求めて眠りしが、心も身體も痛く疲れての上なれば、夜の明るまで夢をも見ずに熟睡したり。
讀者よ。余の復讐には莫大の運動を要す、又多少の月日も要す、羅馬内家の身代は他人の物同樣に成りたれど、余は幸ひにも彼の墓窖の中に海賊輕目郎、練の大身代あるを知る、通常の場合ならば盜賊の財貨に手を附くる事固より好ましからざれど、余は復讐の爲、義理も世間も遠慮會釋も總て忘れ、假にも復讐の助けと爲ば、如何ほど否な事たりとも厭はじと思へる身なり、今更ら何ぞ海賊に義理立せんや、畢竟神か惡魔かが余の資本にせしめんとて、余に引き合せしも同樣の財貨なり、余は彼の財貨を取り、暫く孰れの地にか旅行して充分の用意を調へ、然る後に歸り來らん、然り是が余に取りて唯一つの道なり。
余は思ひ定め、翌朝少しばかりの道具類を買調へ、を携へて私かに又彼墓窖へ入込たり。
赤短劍の大寢棺は余が一昨夜見し儘にて、無數の寶は余の取出すを待てるに似たれば、余は其中より使ひ易き紙幣と銀劵のみを取出すに、水夫の携ふる大形の手カバンへ一杯に詰込みて猶ほ半分も四分の一も取る能はず、何しろ多きだけ益々都合能き譯なれば少し面倒臭けれど十圓百圓千圓など云へる大札と、大劵のみを擇取り、カバンの張裂ける程に詰たり、其額五十萬圓ほども有らんか詳しく數へも切れず、其外に當座の旅費にと小札にて幾百圓、之は左右の衣嚢に捻込み、猶ほ思ふ仔細も有れば、珠玉寶石などの中にて最も立派なる物を一袋ほど取出し、是だけ有らば如何なる事業にても意の如くならんと獨頷き、殘る寶は再び棺の中に納め、元の通り葢をして縱しや海賊練が檢めに來るとも外から見は分取られしと氣の附かぬ樣、葢にも初めの通り釘を打合せ、凡そ五時間を經て、漸く穴の外に出たり。穴の出口も余が爲めには大事の秘密、人に悟られては成らぬ故、是も、練より他の者へは決して分らぬ樣に塞ぎ、猶ほも復讐の工風を胸の中にて研きながら此所を立去りたり。
是より指して行くは孰れの地ぞ、別に是と云ひ目指す所は無し、唯だ當分の中、此土地の人に見られぬが肝腎なれば、出る船の都合次第何所までも旅立せんと、旅費に困らぬ氣易さには深く考へるには及ばず、先づ港を指して行き波止場にて彼方此方を見廻すに、出船入船多き中に、最も人の目に立たぬ小型の帆前船あり、今直ぐに錨を拔きて出發する樣子なれば、船長に聲を掛け何地へと問へばパレルモ行なりと答ふ、乘せてと乞へば荷物船にて客を載せる船に非ず、從つて客室の設無しと云ふ、余は最も氣に入りたり、斯る船こそ世を忍ぶ身に屈強なる隱れ場所なれば、數多の船賃を差出して漸く船長を承知させ此船に乘込たり。是が先復讐の第一程と云ふべきか。
一八
船は間も無く港を出たり、幸ひ波平かにして風も亦順なりしかば其行くこと矢よりも早く、餘りの無事に船長も徒然に苦むと見え、日の暮る頃に及び卷煙草の箱を手に持ち余の傍に進み來り。
「旦那、一本差上ませう」と云ふ、余は水夫の荒々しき言葉にて、
「旦那などと云はれては氣が詰るよ、ヱ船長、お前だツて同じ水の中の職人じや無いか、朋輩とか兄弟とか氣が詰らぬ樣に呼で呉んな」と飽くまで水夫を氣取りで言ふに、彼れ猶ほ恭しき身構にて、
「旦那、御笑談仰有ちや了ません、餓鬼の頃から船乘をして居るだけに、本統の珊瑚漁師と、姿を變た紳士との見分は附きます。」
扨は、余の忍び姿には猶ほ黒人を欺き得ぬ所あるにや、余は悸と驚きたれども殆ど言紛らせる言葉を知らず、空しく彼れの顏を見るのみなるに、彼れ面白げなる笑を浮め、
「第一貴方のお手を見れば漁師で無い事が分ります、漁師の手に是ほど白く綺麗なのは有ません」と云ひ靜かに余の手を取上げたり。
余は拂ひも得せず我手を見るに、成るほど漁師の手に非ず、昨日は病後の衰へにて痛く萎びて見えたるに、今日は早や夫さへも幾等か復りて殆ど元の波漂の手に近からんとす、彼れは猶ほ言葉を繼ぎ、
「第一貴方が此船に乘る時から、私しは本統の水夫で無いと思ひました、珊瑚漁など云ふ者は、隨分金になる仕事でも、其漁師は皆貧乏です、漁に行く爲め港を出る時には、誰の船へでも無代で乘込み、歸りに船賃だけの枝珊瑚を呉れるのです、貴方の樣に船長何うか載て呉れなどと丁寧に頼み、私しが斷れば莫大の船賃を下さるなど、其樣な珊瑚漁師が何處の世界に有ませう」余は如何とも言開く事能はず、顏を赤らめてモヂ/\するに彼れ氣の毒と思ひしか「イヤナニ船長をして居れば、忍びの紳士貴婦人などをお送り申す事は度々あります、有ても是が商賣の帆待ですから、決して根問は致しません、貴方の御身分は知りませんが、漁師の着物をお着なさるには必ず夫だけの御都合が有るのでせうから、私しは知らぬ顏で又此次の御用を願ふのです、其代り此後若し貴方が再び忍びの旅行を成され度いときは、羅浦丸の船長と云ひ、何時でも港でお問成されば直に私しが御用を伺ひます、ハイ私しはお名前も聞かずお出先も聞ず、宛で唖の樣に成てお送り申ます。後で警察からでも、其外の人からでも、若しや是々の忍の紳士を載なんだかと問はるれば少しも覺えが有ませんと、立派に言開いて上ますから」と云ふ其言葉附顏附に氣を留るも、更に惡意の有りげには見えず、全く親切一方の言葉なれば余は漸く安心して禮を述べつゝ、差出せる彼の煙草を受て燻らせるに、怪む可し此煙草、余が贅澤の第一として、曾てハバナより取寄せし別製最上と同じ品なり、勿論斯る荷船の船頭が持つ可き品に非ざれば、其の如何にして手に入しやを問ふに、彼れ宛も遙か放れし陸地の人に聞るゝを厭ふ如く、四邊を見廻し聲を低くし、
「旦那だから申ますが、是は海賊王輕目郎練から貰ツたのですよ、此廣い伊太利で此の煙草を取寄せる贅澤家は練か羅馬内家の波漂樣か、朝廷の上役か其外には無い相です。」
余は實に異樣なる想ひを爲したり、余が衣嚢よりカバンの中に滿々つる大金も、是れ輕目郎の物なるに、今又彼れの煙草を惠まる、余と彼れは如何なる前世の宿縁あるや、余は自ら顏色の變るかと思はるゝ程なるを強て紛らせ。
「爾だらう、巴里で何時だか人の馳走に成た外は、此樣な煙草を呑だ事が無い、シタガ輕目郎、練の呑む煙草は何うして、お前の手に入た。[#「」」欠字か]
「彼に貰たのです。」
「オヽお前は海賊王を知て居るのか。」
「ハイ地中海の船頭で練を知ぬ者は一人も有ません、誰でも練から多少の賄賂を受て居ます、夫だから彼は地中海を自由自在に逃廻り、警察が幾等嚴重にしても捕はれぬのです、何の船の船頭でも、練が密に載て呉れと云へば決して否とは云得ません。[#「」」欠字か]
「ホヽ練は夫ほど剛いのかなア。」
「世界第一と云ふ海賊ですから剛いには相違有りませんが、併し彼れも最う運の盡でせう、昨年既に自分の乘る船は政府に捕はれ、今は行く先々で警察が待て居る程ですから、斯う云ふ中にも最う捕はれて居るかも知れません。」
「だけれどアレ程の大賊だから警察などの氣の附ぬ何處かの島へ隱れて居るだらう。」
「イヤ爾で有ません、地中海の島々は殘らず其筋の手が廻り、陸より却て險呑ですから、彼れは今年の春以來、陸にばかり隱れて居ます、海賊が陸に上れば水を離れた魚の樣な者で、幾等躁ても逃れぬに極て居ます。」
「だがお前は大層練の事に詳しいでは無いか。」
「と云ふ程でも有ませんが、實はネ、丁度先々月の今頃でした、私しがゲータの港に船を留て居ますと、夜の二時頃、髯だらけの、恐ろしげなる男が來て己をテルミニ港まで送れと云ひ莫大の賃金を差出ました、其男が即はちネリです、私しは直樣其言葉に從ひましたが、彼れは最うテルミニの外に逃る所が無いと云ひ、其妻照子と云ふ美人をも連て居ました。」
余は練の噂を聞取るの必要無けれど、何故か聞度さの堪難ければ、猶彼是と根を掘りて、
「ヱ、練が美人を連て居るのか。」
「美人もアレ程美しい女は澤山は有ますまい、旦那方に見せ度と思ひますよ」余は寸刻も心に忘れぬ不義者那稻に引較べ「其樣な美人が能く練の樣な恐しい男に從ツて居るなア、宜しく練の目を掠め、手下の中の美男子とくツついて居るのぢや無いか。」と笑ひながら問試むるは、身の不幸より出來る一種の愚痴と云ふ可きか、船長は余の問に呆れし如き顏を爲し、
「其樣な事でもすれば練が殺して仕舞ひますよ、照子は不思議な貞女です。」
アヽ盜賊の群にも貞女あり、反て社會の上流たる貴族の家に不貞不操の妻あるか。
一九
余は冷笑ふ調子にて、
「貞女と云はれる女ほど的にならぬ者は無い、皮膚は貞女で内心は飛だ食せ者が多いから」と云ふに船長は熱心に、
「所が照子に限り決して爾で無く、上部も内心も全くの貞女です、既に先日もネ、練の手下に有名な美男子が有り、夫が照子に思ひを掛け、練の留守を見圖ひ、何か一言、照子の耳に細語た相です、スルと照子は返事もせず、兼て練から貰ツて居る懷劍を取るより早く私しの心は此通りだと云ひ其者を刺通しました、有も其者は未だ死切らず半死半生で居ます所に練が歸り、其事を聞て直に其者に十々滅を刺したと申ます、ヱ旦那、荒熊の樣な恐しげな顏容の上、而も、海賊まで働く樣な惡人だのに、夫へ又操を立てる妻が有るとは實に不思議では有ませんか、お負に、其女が貴族の奧方にでも仕度いと云ふ程の美人ですゼ、練などの妻にして置くは勿體ないと思ひます、尤も爾う操が正しいから練が自分の妻にして居るのです、若し操が腐ツて居れば幾等美人だとて妻には出來無いぢや有ませんか、男の身として妻に欺かれる樣で何うして勘辨が出來ませう、殊に練は氣の嚴しい男ですから少しでも怪い妻なら直に殺して仕舞ひますワ。」
アヽ天地に容られぬ海賊でさへ妻には眞實に愛せらると云ふに、余波漂は何が爲に妻と親友とに欺かれ、生て此世に住む甲斐も無き不幸の身とはなりたるにぞ、余は殆ど涙の雨の目に湧き出んとするを漸く止めて。
「夫は何しろ感心な女だなア。」
「別に感心では有ません、夫が當前でせう、己が亭主の目を掠める樣では女で無く怪物です、殺す外は有ません、唯だ併し、其照子と云ふは年も若く練と比べれば丁度親子ほど違ひますのに、少しも練を厭がらず、却て練を愛するのを自慢にするかと思ふ程です。」
余は益々不愉快なり、聞くに從ひ愈々我が妻那稻の憎きを思ひ、自然に言葉まで荒々しくなりしと見え、船長も好い加減に切上て己が室へと退きたり。
余は唯だ一人と成り、話相手とする者も無きを結句心易き事に思ひ、是より又腹の中にて復讐の手段を温習するに、然り/\余は痛く我妻と友に欺かれたり、其代り痛く彼等に復讐せん、余は紳士なり、貴族なり、文明世界の男子なり、世の俗人と齋しく怒に乘じて一思に敵を殺す如き味も趣きも無き唯だ殺伐なる復讐を爲す可からず、紳士の如く貴族の如く將た文明の人の如く、研きに研きたる綿密なる復讐を要す、手を切らるれば手を切返せ、目を潰さるれば目を潰し返せ、名譽を傷けらるれば名譽を傷けて返せ、是が復讐の眞の原則なり、此原則を一歩も外さず、己が害せられし通り彼等を害して返し、己が辱しめられし通りに彼等を辱めて返さねばならず。
唯だ此の復讐の邪魔になるは余が娘星子なり、余が今まで餘りの腹立しさに殆ど星子が事を忘るゝ程なりしも、船の中にて波の音を聞ながら緩々と考へ見れば其母那稻には罪あるも星子には何の罪なし、去ばとて母なる那稻を苦むれば延て娘の星子をまで窘むるに當ざらんや、何とか星子だけ復讐の戰場より救ひ出す工夫は無きや、余は此の事をのみ只管に考へ廻すうち、忽ち又た最と忌はしき疑がひを起し來たれり、アヽ星子、是れ果して余が子なるか、表向き余が子なるも實は魏堂奴の汚れたる胤にあらぬか、アヽ憎し忌々し、阿父や阿父やと余の首に縋り附きし彼の細き手も、思へば僞りの手なりしか、爾とも心附ずして夫のみを苦勞とせし我心の鈍しさよ、アヽ今は何をか厭はん、星子も同じく敵の端なりと余は殆ど兩の拳を握固めしが、又篤と考へ直せば、否々々星子は何うしても余の娘なり、羅馬内家の立派な血筋を引けり、第一星子が那稻の腹に宿りしは婚姻から二ヶ月目にして、魏堂と那稻と通ぜしは夫より一月も後なりしと魏堂と那稻の問答にて明かなり、魏堂は確に余が婚姻より三月を經て初めて那稻の耳に細語くの折を得たりと云へり、夫のみならず、那稻も亦魏堂の前にて余を指して星子の父なりと云たり、且つ若し魏堂の胤ならば、彼れ幾分か星子を愛し痛はる可き筈なるに、彼れ少しも痛はる如き樣子[#「如き樣子」は底本では「妃き樣子」]なし、唯だ星子の生れしとき一度其額に接吻せしを見たれど、其後は少しも愛情の兆なし、今より思へば彼れ寧ろ那稻の腹に余の種の宿りしを嫉しく思ひしかと疑はるゝ節も無きに非ず。星子は何うしても余の子なり。其母と母の姦夫に仇を復すとも星子一人は助けざる可からず、好し、好し、復讐の以前に於ては獨り星子を救ふに難けれど、其復讐の濟み次第、余は充分に厚く星子を育つる手當せん、星子を思ふ愛の爲に復讐の鋒を鈍らしむ可からず往古の勇士戰場に向ふ時は家を忘れ子を忘れしとかや、余は復讐の戰場に上る者、星子を忘れずば有る可からず、止を得ぬ場合と爲らば星子を刺殺しても復讐の目的を貫かん、讀者余の復讐の決心は實に是ほど強かりき。
是より船中には別に記す可き事柄なし、風の順甚だ好りしかば此翌日午後の六時、早くもバレルモの港に着きたり、着きて錨を卸さんとする折しも、小船にて漕寄する幾人の警察官、宛も罪人を追ふ如く此船に取縋りて會釋もせずに上り來れり。扨て此船のうちに誰か捕縛さる可き人でも潜み居るにやと、余が怪む間も無く、眞先に進む警察官は「サア此船だ此船だ。[#「此船だ。」は底本では「此船だ」」]海賊王輕目郎、練をゲータの港かテルミニへ送つたは此の船だ」と打叫べり。
二〇
海賊を詮索する警察官の來りしを見て余は痛く驚きたれど、羅浦丸の船長は少しも恐るゝ樣子なく巧に警官の疑ひを言開き、決して輕目郎、練を送りたる覺無しと言ひ、果は立腹の色さへ見せて「正直に商賣する羅浦丸へ、其樣な汚名を附けては此後の營業に障ります」とて警官を叱り附けたり。其樣子の誠しやかなるには、余さへも先刻彼れが輕目郎を送りしと言たる其言葉が僞りなりしかと却て疑ふ程なれば、警察官は充分に滿足し「イヤ無根の噂を誠と思ひ、正直な船長に疑ひを掛けたは、此方の疏で有ツた」と詫の如き言葉を殘し、其儘船より立去りたり。
船長は警察官が全く陸に上りたるを見濟し、笑ひながら余に向ひ。
「何うです、警官を欺くのは旨い者でせう、併し斯う云ふ場合に嘘は吐ますが、決して不正直な男では有ませんよ」と言譯せり、余も頷きて。
「爾とも、人を助ける爲の嘘は、誠を云ふて人を殺すより功徳になる」と其行ひを賞しながら先に拂ひし船賃の外、猶ほ幾何の金を出し、是は昨日來の親切を謝する爲なりと云ひて渡すに、船長は殊の外喜びて、
「イヤ貴方の御用は此後何なりとも勤めます。就ては貴方のお名前を伺つて置き度い者です」と云ひ先づ自分の名札一葉を取出して、余に渡せり、余は其面を見るに「羅浦丸船長羅浦五郎」と記せり、余は更に我名を答へ「オヽ私は伯爵笹田折葉と云ふ者だ」と名乘りたり。
余は勿論姿を替て復讐に取掛る積なれば、波漂羅馬内の本名は用ひられず、如何なる僞名にす可きやと昨夜來考へしが、昔し余の母方の伯父に笹田折葉と云ふ貧窮貴族あり、此人唯だ伯爵の肩書あるのみにて家も無ければ妻も迎へず、纔に博奕の所得にて身を支ふるのみなりしが、余が八九歳の頃奮然として一身代作る氣に成り、印度へ向て出發したり、其後幾年の後に及び、印度の海邊にて溺死せしとて其土地の領事館より余の許まで知らせ來たれど、固より外に縁類の無き人なれば其知せは余の外へは傳はらず、世間にては其安否を氣遣ふ者も無く、笹田折葉と云ふ名前は何人にも忘れられたり、余は此人の名前を其儘用ふるが無難なりと思ひ、既に昨夜より定め置きたるゆゑ船長の問に逢ふてもマゴ附かず、直ちに伯爵笹田とは答へしなり。
是より船長に別れてパレルモへ上陸せしが、第一に土地の仕立屋に行き紳士の着る可き出來合の服を買ひ、猶ほ贅澤なる衣服幾襲を誂へ置き、此土地第一等のホテルを撰びて投宿し、給仕などへも充分の金を與へて、此頃印度より歸りたる大金持の貴族と見せ掛け、翌日は土地の銀行へ行き頭取に逢ひて彼の大金を預けたり、頭取も初めは其金高の非常に多きを怪む如くなりしが余が然る可く印度の有樣などを語り、猶ほ携へ居る寶石の中、可なり立派なる物二個を取り之を引出にとて贈りたれば、其疑ひ全く晴し如く、此上の交際を願ふとて樣々に余を待遇したり。
是よりして余の仕事は唯充分に姿を變へ、何人にも是が波漂の變身なりと見破られぬ稽古なり、勿論波漂は死したれば假令余が元の儘の姿なりとも波漂に非ずと言張る事難からねど、余は我妻を欺き我親友を欺かねばならず、彼等の心に少しにても疑ひを起されては折角の計事も破るゝの恐れあり、尤も此計事は實の所余が髮の白くなり、余が姿の變り果しより思ひ附きたる者には有れど、余は是だけの變り方にては安心出來ず、猶一層變らねばならず、今まで鼻の下に蓄え置し八字の髭も頭髮と共に白くなりたれば、此上に頤の髯、頬の鬚を延し試るに、孰れも白く延び來れり、然るに獨り恨めしきは余の顏なり、墓を出たる其當座痛く肉落ち頬骨出で、眼も深く落入りて見えたるに、一日/\經るに從ひ病後の人の肥立つ如く、頬も肉附けば眼もせり上げ、何うやら元の波漂らしく見ゆるに至りし事なり。
是も白髮と髯との爲め幾分か紛るゝとは云へ眼ばかりは詮方なし、太くして而も愛嬌あり、眸子甚だ黒くして且つ明なるは余が先祖より代々傳はりたる眼にして、余の父も斯の如く、余も亦斯の如し、父と子に多少の違ひは有れど那稻や魏堂の目より見れば余の眼は依然たる余が眼なり、之を充分に隱さずば終には彼等に疑はるゝ事と爲らんも知れず、扨如何にして此眼を隱す可や別に六しき事は無し、印度の暑き日に照されて眼病に罹り、日の光を見るに堪へずと云ひ、色の濃き黒目鏡を掛くれば足れり、斯く思ひて余は充分に目を蔽ふ太き黒目鏡を作らせ、之を掛けて鏡に向ふに、是ならば充分なり、顏の色は血氣壯の男子なれども髮と髯は七十以上の老人なり、其中を取り五十五歳か六歳ぐらゐには誰も見て、若々しき老爺と思ふならん、夫だけに見らるれば我より波漂なりと名乘るも、目鏡を外さぬ上は誰も誠とする者なし、好し/\と余は全く黒目鏡に滿足し、且つは變りたる我姿に滿足せり。
二一
是にて形だけは滿足なれど、余は此上に聲をも言葉附をも其他一切の振舞をも多少は變ねばならず、總て伊國の人は喜怒色に現れ易く、嬉しき時は手を打て喜び悲しい時は聲を發して泣くと云ふ如く、何かに附けて其の所行仰山なり、自ら勉て斯するに非ず、唯だ一國の氣風より自ら出る所にして中にも余の如きは總て情、殆ど人よりも過る性質なり、去れど復讐を企つる者は斯の如くなる可からず、心には如何ほど悲き事も上部には笑ツて濟ませ、腹の中にて煮返る程の怒りを包むも、顏は唯だ空嘯きて控へねばならず、幾等余の姿が旨く變りたるにもせよ、一切の癖、一切の振舞、總て波漂の儘にては到底目的を達し難し、姿よりも猶巧に猶深く、余は余の癖を改めん、是れ實に至難の事柄なり。
幸ひに余の宿れるホテルに、世界第一の冷淡國民と評さるゝ英國の紳士あり、此人こそ余が爲の好き手本なれ、此人パレルモ海邊の絶景を二階の窓より眺むるも、エヽ夏蠅と云ふ顏にて見下し、一點の笑も浮べねば感心の色も見せず、食堂に入るにも機械の如く何の味も趣きも無く歩み來り、食事には口を開けど笑にとては其前齒を見せし事なし、給仕を呼ぶにも、余ならば「コレコレ」と前置を附け優く呼ぶ所なれど、此人は前置も何も無く唯だ出し拔に「給仕」の一言、併も咽喉の底より出來る艷の無き聲にして宛がら牡牛の叫ぶに似、泣く兒の泣きしをも留るならんが、笑ふ大人の笑ひ聲をも停むるばかり、世間に愛嬌の必要なしと悟を開きての上なるかと疑はる。
余は立つにも坐するにも凡て此人に見習ひ、今までの早口を成る可く遲き言葉に使ひ、細くて凛々と響く聲を、成る可く太く邪慳な聲に變んとするに、是れ仲々一通りの事に非ず、何の一週間も稽古すればと思ひしに、十日を過ぎ廿日を過ぎ、卅日を過ても猶ほ思ふ程には行かず、凡そ四五十日の苦心にて初めて一通り上達したり、尤も個は唯だ皮層のみの事に非ず、實際に余が心は死して一たび生返りたる爲め、宛も凍たる水の如く、元の性質とは全く變り、器次第の素直な質が、嚴として動ぬ程の最と頑なる有樣と變じたれば、唯だ人眞似と稽古のみに變りしにあらで幾分かは自然に變りし者なる可し。果は我身自ら怪む程にて、驚く可き事を聞くも驚かず「何だ詰らぬ、其樣な事柄か」と先ず心に多寡を括り、然る上にて弛々と振向くと云ふ調子に成り、初は旦那/\と給仕などより世辭を云はれし身が「アンな氣難かしい客は無い」と蔭言云はれる迄に至りぬ、此向にては最早やネープル府に歸り行くも余は全くの他人なる可し。
他人として歸り行く其前に先づ先觸れが大切なれば、余は一思案せし上にて兼てネープル府の勢力ある交際新聞の主筆記者に宛て、其の先觸の文句を認め猶ほ五十圓の金子を封入し、余が爲に一項の雜報を掲げ呉れよとの手紙を送りたり、其雜報は左の如し
今より廿年前當府に笹田折葉と稱する伯爵の有りし事は、當時の貴族名鑑を見る迄も無く、今猶ほ交際社會に記憶する人ある可し、此の伯爵は千八百六十五年(か六年)の頃と覺ゆ、親しき交際場裡を脱し商業に身を委ねんとて印度へ向はれ出發せしが、爾來何等の便無きより或は死去せしならんなどの噂も有しが、伯爵は餘程幸運の方と見え、幾度か死地を踏たれども非常の艱難と辛苦にて終に驚く可き大身代を作り、餘年を樂しく送らん爲め此程其富を携へて印度より歸り來たれり、今は當府の惡疫を恐れバレルモに滯在中なれど、近々同地より來り、當地に永住の計を定るとの事なれば、知ると知らざるとの別なく、交際社會の人々は兩手を開きて伯爵を歡迎するならん、兔に角も我交際場裡に斯も由緒正しき富豪の一貴族を加ふるに、誠に目出度き限りと云ふ可し。
余は斯まで誇りて認めは置ざりしに、記者の筆加減にて書廣めたる者と知らる、記者は此雜報の載ある新聞紙二葉に、猶ほ懇ろなる挨拶の手紙を添へ余の許へ送り越したり、唯だ彼の五十圓の金子の事は受取りしとも受取ずとも何とも書て無けれども、余はネープル府新聞記者の風儀を知れり、嚴重なる英國の新聞記者とは違ひ、斯る賄賂、否報酬を無言にて受るは殆ど一定の役徳なり、尤も其俸給の中等官吏よりも安くして、其位地却て高等官吏より猶高きを思へば、此類の役徳なくば殆ど立ち難き内幕ならんか、英國の記者にても若し五十圓を百倍し五千圓贈り遣らば大抵の事は記すならん、東洋の記者に至りては纔か五圓にても筆を曲ると聞きたれば――。
此雜報は以外に効目あり、伊國中の諸新聞は孰れも之を拔書して報道し、又交際家の中には、早や余に宛て招待樣の手紙を送り來るも有り、余は稽古せし甲斐ありて左樣の手紙に驚きもせず、笑ひもせず、最も普通なる事の如く平氣に讀みて平氣に反古とし、落着きてネープル行きの用意を調へて居たるが、此年の十一月の中旬に至り流行病も全く鎭り、市中の有樣總て舊時に復せしと聞きたれば、明日にも此地を立んかと思ふ折しも、夕飯の用意調へるを報じ來りし給仕の者、何か打驚きたる樣子にて「旦那/\大變です」と打叫べり。余は冷かに見顧りて、
「何だ、大變などと仰山な、シヽリー島でも噴火の爲に埋沒つたと云ふのか。」
「イヽエ、此先の公園で大賊が捕はれました。」
「賊の捕まるのは當然の事では無いか。」
「イヽエ、幾月前から警察で探して居た輕目郎、練が捕まつたのです、早く行ツて御覽なさい」と言捨て其身は一散に奔走りたり。
二二
今までの余ならんには輕目郎、練の捕縛と聞き我れを忘れて飛で行く所なるも、今の余は唯だ冷淡一方の人間なり、容易には驚きも騷ぎもせず、給仕が立去りたる後にて悠々と考へ見るに、彼れ海賊王實に余が爲には大の恩人なり、余が命の助りたるも彼れが爲とし、復讐に用ゆる運動費も彼れの賜とす假令ひ餘所ながらにもせよ一目彼れの姿を見、私かに恩を謝せずば余は餘りに彼れを踏附にするに均し、兔に角も彼れの捕はれ居る所まで行きて見ん。
斯く思ひて余は室の出口に掛有る帽子を取り之を戴き外に出るに、練が捕縛の噂は早や此邊一般に傳はりしと見え、公園地を指して走り行く人多し、余は敢て走りはせず「何だ詰らぬ」と云ふ例の風にて、徐ろ/\と歩みながら頓て公園地に至れば、凡そ百人にも近からんと思はるゝ群衆の只中に、高く頭だけ上に出たる大男、是れ即ち練なる可し、成る程先日、羅浦丸の船長より聞し通り、顏中黒き髭髯に包まり、鋭き眼は濃き眉の下に輝き、一曲も二曲も有る可き面魂、此男にすら操を立る照子とやら云ふ美人あるかと思へば、何故余には操を守る那稻無かりしやと、殆ど怪しまるゝばかりなり。
練の左右には拔刀の憲兵二名附添ひ、猶ほ此方彼方に幾人の巡査あり、練は是等の頭の上より群衆を見廻しつゝ有しが、彼れ何故にや余の姿を見るより異樣に其眼を光せ、宛も余の本性を見破んとする如くに余の顏を打守れり、余は怪くも有り且つは不安心の思ひに堪へず、今まで一度も彼れを見し事も無ければ從ツて彼に我が顏を見知るゝ筈も無し、何故に彼れは群衆の中、特に余の顏にのみ眼を注ぐや、余が斯く怪みて猶ほ決せぬうち彼は猶ほ余の顏を見詰めし儘にて最と高き聲を發し「オヽ、貴樣の姿は實に能く變ツて居る、己の目にさへ見破る事が出來ぬから」と打叫べり。物に驚かじと決心したる余なれども、此言葉には實に腦天より冷水を浴せられし如く、身體も心もすくみたり。
貴樣とは誰の事ぞ、問ふ迄も無く余が事なり、去れど之を知るは唯だ余のみと見え群衆は口々に「誰の事だ/\」と怪み問へり、中にも憲兵の一人は直に練の肩を捕へ、[#「「」の脱字か]貴樣は誰に其樣な事を云ふのだ」と詰り問ふに、練は初て余の顏より眼を離し天を仰いでカラ/\と打笑ひ「ナアニ此方の事だよ、エ貴樣、貴樣ほど旨く姿が變れば己も捕まらずに濟だ者を、今と爲ては仕方が無い、併し貴樣は最う安心だよ、外の者は皆夫れ夫れ他國へ逃て仕舞たから、己の後でも吊ツて呉れ」と云ふ、余は益々氣味惡し、此言葉にて察すれば彼れは余が波漂なる事を知り、彼れの身代を盜み取りたる事をまで知れるに似たり。
彼れ如何にして知たるや、余は樣々に考へ廻して忽ち心に悟る事あり、讀めたり、讀めたり、余が襟に差す針の頭は是れ彼の夜光珠なり、余は印度より歸りたる大金滿家の容體を作らん爲め、早既に彼れの珠玉を夫々の飾物に作らせ、其中の殊に立派なる者を襟飾とし、過日より我が首に挿める爲、練は之れを見て早くも己れの品なるを知り、余をば我が手下の一人にて姿を變居る者と思ひ、餘所ながら余に分れを告げ後の吊ひまで托する者なる可し、去ればこそ彼は「己にさへ見破る事が出來ぬから。」
と云ひしなれ、彼れ余の本性は見破り得ぬも唯だ非常なる夜光珠の光に由り、一圖に手下と思へるならん、余が斯く悟ると共に警察官なども此中に練の手下が姿を變へて交り居る事と悟りし如く、現に余が傍なる一巡査は同僚の耳に細語き「誰か赤短劍の符牒を附て居る者が此中に在るだらう、探せ/\」と云ながら目を配れり。成る程赤短劍は練が黨の記號なれど、幸ひに余は其記號を身に帶びず、爾は云へ猶ほ不安心は少しも休まねば、何とかして人知れず茲を逃去り度きものと空しく心を惱ますのみ。
此とき練は猶ほ群衆の中を見廻し居たるが、何の爲か忽ち顏に非常なる怒の色を現し來れり、アア彼れ或は余の本性に氣附きたるには有ぬか、今まで余を手下の一人とのみ思ひし者が、能々見るに從ひて手下に有らで全く己の寶藏に忍び入り、己れの財貨を奪ひたる盜坊の上前取と見認めしに非ざるか、余は益々縮み込むに、練は「コレ曲者、茲へ來い、來い、斯う見えても未だ、手前の樣な曲者に欺かれる練では無いぞ」と云ふ。此時の彼れの眼は依然として空を眺むるのみなれば、果して今までの言葉に同じく余に向ひて言へるや否、夫とも余より外の者への言葉なるか定かには知り難きも、殆ど余が方を指すに似たり、此時憲兵は再び練の肩を捕へ「貴樣が曲者と云ふは誰だ、誰だ」と迫り問ふ、練は大喝一聲に「人の者を盜む彼の曲者だ」と云ひ猶ほ餘れる己が聲を制し得ぬ如く「練は人の物を盜むけれど手前の樣に、持主の目を掠めて密爾這入り、持主の知らぬ間に盜まうとはせぬ、白晝に堂々と推て行き、持主が短銃以て練を射殺うとして居る其船で物を盜む。詰り力盡の強盜だ、人を殺す代りには我力が足らぬ時は殺されるのを覺悟の上だ、英雄が戰爭して人の國を奪ふのと同じ事、海賊とは云はれても盜みはせぬ奪ふのだ、サア盜人め、茲へ來い、警官初め大勢の人の居る前で云ふて聞せる事が有る。」アヽ盜むと奪ふとは夫ほどの違ひ有るや否、余は夫等の事を考へる暇はなく、唯だ我が運の全く盡きたるを覺ゆるのみ。
二三
練が罵る聲に唯一人も應ずる者無ければ練は益々腹立しさに堪ぬ如く、一際聲を張上げて「コレ、其所に居る、ビス、カルダイ、照子からの言傳が有る、サア茲へ來い、茲へ來い」と呼ぶ、余はビスカルダイと云ふ名前を聞き、扨は此群衆の中に誰か斯る名前の人ありて、練が今罵れるは余にあらで即ち其人なるかと初て少しく安心し、此方彼方を見廻すに、余より纔に二三人隔てゝ立てる年三十近き一紳士、顏に賤みの笑を帶び、徐ろ/\と歩み出て練の傍に行き「オヽ海賊、到頭捕縛せられたな、手前の樣な奴に何も聞く事は無いが、餘り高い聲で罵るからサア聞て遣る、此ビスカルダイに何の用事が有る」と云へば練は返事する前、先づ廣く口を開き、件の紳士の面體にパツと唾を吐掛けたり、紳士は嚇と怒り「己れ」と言樣飛掛らんとするに憲兵が其間に立ちて、早くも練を捕へ「コレ何をする」と制するに、練は心地好げに打笑ひ、更に又紳士に向ひ、「サア飛附くなら飛附て見ろ、練は兩手を背中に廻し、此通り縛られては居るけれど、手前の樣な惡人を一人や二人蹴殺すは譯も無いぞ」と云ひ、猶ほ紳士が忌はしげに手拭を出し顏の唾を拭ふを待ち、
「手前は己の手下で有ながら、己の面がノツペリと綺麗な所から、譯もなく己の妻照子を盜む事が出來ると思ひ、己の目を盜では照子の傍に近寄り、徐々照子を欺し掛たが其手際は何うで有つた、今まで手前一人で無く照子に心を寄せた者は幾等も有るが、皆其思を遂ずして照子の懷劍に殺された、手前は猶も推強く照子の心の動かぬは全く己と云ふ邪魔者が有る爲と思ひ、己を無い者にする積で終に其筋の狗と爲り、憲兵を案内して己の隱家へ攻入らせ、此通り己を捕へさせた、定めし手前は嬉しからう、是で照子を天下晴れて我物にする事が出來ると思ふだらう、コレ卑怯者、能く聞け、練は海賊でも他人の妻は偸まぬぞ、物を盜んでも、持主の目を掠め誰も知らぬ間にコツソリと盜む樣な卑怯な振舞は未だ仕無い、同じ惡人でも男らしい惡人だ、夫だから操を立る女も有る、サア手前は最う己を除き之から照子を我物だと思ふだらう、我物か我物で無いか、今夜にも照子の許へ行て見ろ、照子は化粧して手前の來るのを待焦れて居る、爾サ身體は紅の樣な血に染り、頭挿の樣な懷劍を胸に刺し、恨を帶た貞女の死顏を手前に見せ度いと云て居た」此の毒々しき言葉にはビスカルダイ打驚き「ヤ、ヤ手前は照子を殺したな」「己が殺す者か、己は照子に向ひ、己が捕はれた其後はビスカルダイの世話に成り、己の事は忘れて呉れと諭したけれど、照子は其樣な根性の腐つた女では有ませんと言ひ、自分で胸を刺通した事は茲に居る憲兵が見て知て居る、嘘と思へば己が隱れて居た山の中に行て見ろ、照子の死骸が恨し相に手前の顏を睨むだらう、殺された者か自殺した者か、一目見れば分るから」と云ふ、ビスカルダイと云はるゝ男は殆ど立つ足も定らぬ如く蹌踉きて憲兵の背後に退きたり。
余は此樣子を見て心に無限の感を起し、海賊に情を立て海賊の爲に自殺する程の貞女が今の世に存するやと私に嘆息を洩せしが、又思へば斯る事考ふ可き時に非ず、海賊練が罵りしは、全く今のビスカルダイなるも、其前に「貴樣の姿は己にも見破る事が出來ぬ」と云ひしは確かに余の事なりしに相違なし、此上彼れより何か云はるゝ事ありては憲兵の疑ひも恐しげなれば立去るに如く事なしと、思ひながらも又彼れを顧みるに彼れの眼は再び余の顏に在り、何やら物言度げに目配せする如くなれば、余は逃るとも事既に遲きを知れり、一層の事大膽に吾より進みて危きを冒さば却て憲兵の疑ひを拂退くるに足らんかと、先づ衣嚢を探りて、五法の錢を取り、之を憲兵に握らせて「少しの間海賊と話を仕たいと思ひますが」憲兵は怪げに余を眺めしも余の胸には赤短劍の符牒も無く、外にも怪む可き所なければ、唯だ奇を好む一心より出る者と見て取し如く「長い話は許されません。」
「ナニ一言です。」
斯く云ひて余は臆する色も無く練の前に立ち「余は羅浦五郎と云ふ者の友達だが、何か彼れへ言附が有れば傳へて遣う」海賊は穴の開くほど余の顏を眺め小聲にて「分らぬ、分らぬ、何うしても分らぬ、アヽ此黒い眼鏡を取れば必ず分るけれど」と獨言たり。
果せるかな、彼れは余を見て手下の一人が旨く姿を變居る者と思へるなり、頓て彼れ當然の聲と爲り、「アヽ羅浦五郎か、練は愈々惡運が盡きたから、殺された後で、一片の囘向でも仕ろと地中海の船頭達へ傳へる樣に羅浦五郎へ言て呉れ」斯く言ひて彼れ再び小聲に成り「貴樣は秘密を知て居るだらうな」と問ふ、秘密とは何の秘密ぞ、勿論余の知る所に非ず、察するに彼れ此問にて余が眞に己の手下なるや否を試さんとの心ならん、余は忽ち思附く事あり、「知て居る、墓窖、墓窖」と答ふるに、練は滿足の體にて「アヽ那の儘地の底で腐らせるは惜い者だと思て居た、貴樣が知て居れば夫で好い、人知ず取出して貴樣の隨意に使ツて仕舞へ」此一言にて余は全く彼の大身代を練より遺産として貰ひ受けし者なり、余が嬉しさを推隱さんとし猶一言を答へぬうち、
「だけれど貴樣の姿が餘り能く變り過て己には分らぬ、貴樣は誰だ。」
「誰でも無い、秘密を知る一人サ、己より外にアレを知る者は無いから分て居るぢや無いか」余は斯る大膽不敵なる返事が如何にして余の口より出しやと我ながら怪む程なり、彼れ「多分貴樣だらうとは思ツたけれど」と言ひ、其後を繼がぬうち憲兵は余と彼とを引分たり、勿論是等の問答は小聲にて且つ早口なりし爲め憲兵の耳には入らず、余は猶ほ我身に恐るゝ所が無きを示す爲め「伯爵笹田折葉」の名札を取り憲兵に示すに彼れ恭々しく默禮し、其儘練を引きて去れり。
二四
縱し盜坊の身代にもせよ、縱し余が家累代の墓窖に隱し有りしにもせよ、縱又萬々止むを得ぬ復讐の爲にもせよ、輕目郎、練へ一言の斷りもせずして窃かに取出し遣ふ事余は幾分か氣掛に思ひたり、余は既に練の口より隨意に取出して使へとの許を得たり、是だけにしても彼の品が法律上余の物に成りしとは思はねど、兔に角余は我が罪の輕まりし想ひして誰に遠慮もせず、彼の財を使ひ得る事と爲れり、しても盜泉の水を呑まぬ君子の誡めは余決して知らぬに非ず、若し彼の寶を余の眞實の身代とし一身の樂みにも供へ、猶ほ子孫へも殘しなどせば、余が罪實に海賊王と相距る一歩なる可きも、余は唯だ復讐の兵糧とのみして之を使ふゆゑ、罪深くとも神も人も許すならん、否若し許さずば余は復讐を果したる後にて甘んじて其罪に服さん、然り練と同樣に死刑に處せらるゝも厭ひはせじ。
兎も角も余が一切の用意は調ひたり、最早や此地に長居する必要も無ければ愈々復讐に取掛る爲め、明日はネープルに歸り行かん、斯く思ひて余は我が宿に歸り、荷物など作り居るに夜の九時過る頃に及び名札を通じて余に面會を請ふと云ふ來客あり、名札の表には當地警察署長の肩書ある故、扨は海賊練の事に關し何か尋ぬる積ならんと余は早くも推量し、此方の室へ通らせて面會するに、署長は年尚ほ四十歳に足らず、目附口附隨分智慧の逞しげな人物なれば、誰を見ても罪人と思ひ、初より先づ疑ひて掛る程の俗物には非ず、禮も知り、作法も知る一廉の紳士なり、余が「私しは伯爵笹田折葉ですが」と名乘るを待ち彼れ恭しく口を開き、
「外では有ません、今日貴方は海賊と何か細語きながら話を仕たと聞ましたが。」
「ハイ、憲兵の許を得て其目の前で。」
「左樣、憲兵の目の前で憲兵に聞得ぬ程の低い聲で。」
余は大膽なる笑を浮めて、
「ハヽア、貴方の目には私しが海賊の手下とでも見えるのですナ。」
「イヤ爾とは未だ申ません」とて「未だ」の一語に妙な力を込て云ふは追々に余を手下と見做し兼ざる氣か、恐しき事どもなり。
余は微懼ともせぬを見て少し考へ、
「海賊へ何をお細語に成りましたか、夫を伺ひ度い者ですが。」
「イヤ何をとて、私しはホンの物好たり。
赤短劍の大寢棺は余が一昨夜見し儘にて、無數の寶は余の取出すを待てるに似たれば、余は其中より使ひ易き紙幣と銀劵()のみを取出すに、水夫の携ふる大形の手カバンへ一杯に詰込みて猶ほ半分も四分の一も取る能はず、何しろ多きだけ益々都合能き譯なれば少し面倒臭けれど十圓百圓千圓など云へる大札()と、大劵のみを擇取()り、カバンの張裂ける程に詰たり、其額()五十萬圓ほども有らんか詳しく數へも切れず、其外()に當座の旅費にと小札()にて幾百圓、之は左右の衣嚢に捻込み、猶ほ思ふ仔細も有れば、珠玉寶石などの中にて最も立派なる物を一袋ほど取出し、是だけ有らば如何なる事業にても意の如くならんと獨()頷き、殘る寶は再び棺の中に納め、元の通り葢をして縱しや海賊練()が檢()めに來()るとも外から見()は分取られしと氣の附かぬ樣、葢にも初めの通り釘を打合せ、凡そ五時間を經て、漸く穴の外に出()たり。穴の出口も余が爲めには大事の秘密、人に悟られては成らぬ故、是も、練より他の者へは決して分らぬ樣に塞ぎ、猶ほも復讐の工風を胸の中にて研()きながら此所を立去りたり。
是より指して行くは孰れの地ぞ、別に是と云ひ目指す所は無し、唯だ當分の中、此土地の人に見られぬが肝腎()なれば、出る船の都合次第何所までも旅立せんと、旅費に困らぬ氣易()さには深く考へるには及ばず、先づ港を指して行き波止場にて彼方此方を見廻すに、出船入船多き中に、最も人の目に立たぬ小型の帆前船()あり、今直ぐに錨を拔きて出發する樣子なれば、船長に聲を掛け何地()へと問へばパレルモ行なりと答ふ、乘せてと乞へば荷物船()にて客を載せる船に非ず、從つて客室()の設無()しと云ふ、余は最も氣に入りたり、斯る船こそ世を忍ぶ身に屈強なる隱れ場所なれば、數多()の船賃を差出()して漸く船長を承知させ此船に乘込たり。是が先()復讐の第一程()と云ふべきか。
一八
船は間も無く港を出()たり、幸ひ波平()かにして風も亦順なりしかば其行くこと矢よりも早く、餘りの無事に船長も徒然()に苦むと見え、日の暮()る頃に及び卷煙草の箱を手に持ち余の傍に進み來り。
「旦那、一本差上ませう」と云ふ、余は水夫の荒々しき言葉にて、
「旦那などと云はれては氣が詰るよ、ヱ船長、お前だツて同じ水の中の職人じや無いか、朋輩とか兄弟とか氣が詰らぬ樣に呼で呉()んな」と飽くまで水夫を氣取りで言ふに、彼れ猶ほ恭しき身構()にて、
「旦那、御笑談()仰有()ちや了()ません、餓鬼の頃から船乘をして居るだけに、本統の珊瑚漁師と、姿を變た紳士との見分は附きます。」
扨は、余の忍び姿には猶ほ黒人()を欺き得ぬ所あるにや、余は悸()と驚きたれども殆ど言紛らせる言葉を知らず、空しく彼れの顏を見るのみなるに、彼れ面白げなる笑を浮め、
「第一貴方のお手を見れば漁師で無い事が分ります、漁師の手に是ほど白く綺麗なのは有ません」と云ひ靜かに余の手を取上げたり。
余は拂ひも得せず我手を見るに、成るほど漁師の手に非ず、昨日は病後の衰へにて痛く萎びて見えたるに、今日は早や夫さへも幾等か復()りて殆ど元の波漂の手に近からんとす、彼れは猶ほ言葉を繼ぎ、
「第一貴方が此船に乘る時から、私しは本統の水夫で無いと思ひました、珊瑚漁など云ふ者は、隨分金になる仕事でも、其漁師は皆貧乏です、漁に行く爲め港を出る時には、誰の船へでも無代で乘込み、歸りに船賃だけの枝珊瑚を呉れるのです、貴方の樣に船長何うか載て呉れなどと丁寧に頼み、私しが斷れば莫大の船賃を下さるなど、其樣な珊瑚漁師が何處の世界に有ませう」余は如何()とも言開く事能はず、顏を赤らめてモヂ/\するに彼れ氣の毒と思ひしか「イヤナニ船長をして居()れば、忍びの紳士貴婦人などをお送り申す事は度々あります、有ても是が商賣の帆待()ですから、決して根問()は致しません、貴方の御身分は知りませんが、漁師の着物をお着()なさるには必ず夫だけの御都合が有るのでせうから、私しは知らぬ顏で又此次の御用を願ふのです、其代り此後若し貴方が再び忍びの旅行を成され度いときは、羅浦丸()の船長と云ひ、何時でも港でお問成()されば直に私しが御用を伺ひます、ハイ私しはお名前も聞かずお出先()も聞ず、宛()で唖の樣に成てお送り申ます。後で警察からでも、其外の人からでも、若しや是々の忍の紳士を載なんだかと問はるれば少しも覺えが有ませんと、立派に言開いて上ますから」と云ふ其言葉附顏附に氣を留()るも、更に惡意の有りげには見えず、全く親切一方の言葉なれば余は漸く安心して禮を述べつゝ、差出()せる彼の煙草を受て燻らせるに、怪む可し此煙草、余が贅澤の第一として、曾てハバナより取寄せし別製最上()と同じ品なり、勿論斯る荷船の船頭が持つ可き品に非ざれば、其の如何にして手に入()しやを問ふに、彼れ宛も遙か放れし陸地の人に聞るゝを厭ふ如く、四邊を見廻し聲を低くし、
「旦那だから申ますが、是は海賊王輕目郎練から貰ツたのですよ、此廣い伊太利で此の煙草を取寄せる贅澤家は練か羅馬内家の波漂樣か、朝廷の上役か其外には無い相()です。」
余は實に異樣なる想ひを爲したり、余が衣嚢()よりカバンの中に滿々()つる大金も、是れ輕目郎の物なるに、今又彼れの煙草を惠まる、余と彼れは如何なる前世の宿縁あるや、余は自ら顏色の變るかと思はるゝ程なるを強()て紛らせ。
「爾だらう、巴里で何時だか人の馳走に成た外は、此樣な煙草を呑だ事が無い、シタガ輕目郎、練の呑む煙草は何うして、お前の手に入()た。[#「」」欠字か]
「彼に貰()たのです。」
「オヽお前は海賊王を知て居るのか。」
「ハイ地中海の船頭で練を知ぬ者は一人も有ません、誰でも練から多少の賄賂()を受て居ます、夫だから彼は地中海を自由自在に逃廻り、警察が幾等嚴重にしても捕はれぬのです、何の船の船頭でも、練が密()に載て呉れと云へば決して否とは云得ません。[#「」」欠字か]
「ホヽ練は夫ほど剛()いのかなア。」
「世界第一と云ふ海賊ですから剛いには相違有りませんが、併()し彼れも最う運の盡でせう、昨年既に自分の乘る船は政府に捕はれ、今は行く先々で警察が待て居る程ですから、斯う云ふ中にも最う捕はれて居るかも知れません。」
「だけれどアレ程の大賊だから警察などの氣の附ぬ何處かの島へ隱れて居るだらう。」
「イヤ爾で有ません、地中海の島々は殘らず其筋の手が廻り、陸()より却て險呑ですから、彼れは今年の春以來、陸にばかり隱れて居ます、海賊が陸に上れば水を離れた魚()の樣な者で、幾等躁()ても逃れぬに極て居ます。」
「だがお前は大層練()の事に詳しいでは無いか。」
「と云ふ程でも有ませんが、實はネ、丁度先々月の今頃でした、私しがゲータの港に船を留て居ますと、夜の二時頃、髯だらけの、恐ろしげなる男が來て己()をテルミニ港()まで送れと云ひ莫大の賃金を差出ました、其男が即はちネリです、私しは直樣()其言葉に從ひましたが、彼れは最うテルミニの外に逃る所が無いと云ひ、其妻照子()と云ふ美人をも連て居ました。」
余は練の噂を聞取るの必要無けれど、何故()か聞度さの堪難ければ、猶彼是()と根を掘りて、
「ヱ、練が美人を連て居るのか。」
「美人もアレ程美しい女は澤山は有ますまい、旦那方に見せ度()と思ひますよ」余は寸刻()も心に忘れぬ不義者那稻に引較()べ「其樣な美人が能く練の樣な恐しい男に從ツて居るなア、宜しく練の目を掠め、手下の中の美男子とくツついて居るのぢや無いか。」と笑ひながら問試むるは、身の不幸より出來()る一種の愚痴と云ふ可きか、船長は余の問に呆れし如き顏を爲し、
「其樣な事でもすれば練が殺して仕舞ひますよ、照子は不思議な貞女です。」
アヽ盜賊の群にも貞女あり、反()て社會の上流たる貴族の家に不貞不操の妻あるか。
一九
余は冷笑()ふ調子にて、
「貞女と云はれる女ほど的()にならぬ者は無い、皮膚()は貞女で内心は飛だ食()せ者が多いから」と云ふに船長は熱心に、
「所が照子に限り決して爾で無く、上部()も内心も全くの貞女です、既に先日もネ、練の手下に有名な美男子が有り、夫が照子に思ひを掛け、練の留守を見圖ひ、何か一言、照子の耳に細語()た相です、スルと照子は返事もせず、兼て練から貰ツて居る懷劍を取るより早く私()しの心は此通りだと云ひ其者を刺通しました、有()も其者は未だ死切らず半死半生で居ます所に練が歸り、其事を聞て直に其者に十々滅()を刺したと申ます、ヱ旦那、荒熊の樣な恐しげな顏容()の上、而も、海賊まで働く樣な惡人だのに、夫へ又操を立てる妻が有るとは實に不思議では有ませんか、お負()に、其女が貴族の奧方にでも仕度いと云ふ程の美人ですゼ、練などの妻にして置くは勿體ないと思ひます、尤も爾う操が正しいから練が自分の妻にして居るのです、若し操が腐ツて居()れば幾等美人だとて妻には出來無いぢや有ませんか、男の身として妻に欺かれる樣で何うして勘辨が出來ませう、殊に練は氣の嚴しい男ですから少しでも怪い妻なら直に殺して仕舞ひますワ。」
アヽ天地に容()られぬ海賊でさへ妻には眞實に愛せらると云ふに、余波漂は何が爲に妻と親友とに欺かれ、生て此世に住む甲斐も無き不幸の身とはなりたるにぞ、余は殆ど涙の雨の目に湧き出んとするを漸く止めて。
「夫は何しろ感心な女だなア。」
「別に感心では有ません、夫が當前()でせう、己()が亭主の目を掠める樣では女で無く怪物です、殺す外は有ません、唯だ併し、其照子と云ふは年も若く練と比べれば丁度親子ほど違ひますのに、少しも練を厭がらず、却て練を愛するのを自慢にするかと思ふ程です。」
余は益々不愉快なり、聞くに從ひ愈々我が妻那稻の憎きを思ひ、自然に言葉まで荒々しくなりしと見え、船長も好い加減に切上()て己が室()へと退きたり。
余は唯だ一人と成り、話相手とする者も無きを結句心易き事に思ひ、是より又腹の中にて復讐の手段を温習()するに、然り/\余は痛く我妻と友に欺かれたり、其代り痛く彼等に復讐せん、余は紳士なり、貴族なり、文明世界の男子なり、世の俗人と齋()しく怒に乘じて一思()に敵を殺す如き味も趣きも無き唯だ殺伐なる復讐を爲す可からず、紳士の如く貴族の如く將()た文明の人の如く、研きに研きたる綿密なる復讐を要す、手を切らるれば手を切返せ、目を潰さるれば目を潰し返せ、名譽を傷()けらるれば名譽を傷けて返せ、是が復讐の眞の原則なり、此原則を一歩も外さず、己が害せられし通り彼等を害して返し、己が辱しめられし通りに彼等を辱めて返さねばならず。
唯だ此の復讐の邪魔になるは余が娘星子なり、余が今まで餘りの腹立しさに殆ど星子が事を忘るゝ程なりしも、船の中にて波の音を聞ながら緩々()と考へ見れば其母那稻には罪あるも星子には何の罪なし、去()ばとて母なる那稻を苦むれば延()て娘の星子をまで窘()むるに當()ざらんや、何とか星子だけ復讐の戰場より救ひ出()す工夫は無きや、余は此の事をのみ只管に考へ廻すうち、忽ち又た最と忌はしき疑がひを起し來たれり、アヽ星子、是れ果して余が子なるか、表向き余が子なるも實は魏堂奴()の汚れたる胤にあらぬか、アヽ憎し忌々し、阿父()や阿父やと余の首に縋り附きし彼の細き手も、思へば僞りの手なりしか、爾とも心附ずして夫のみを苦勞とせし我心の鈍()しさよ、アヽ今は何をか厭はん、星子も同じく敵の端なりと余は殆ど兩の拳を握固()めしが、又篤()と考へ直せば、否々々()星子は何うしても余の娘なり、羅馬内家の立派な血筋を引けり、第一星子が那稻の腹に宿りしは婚姻から二ヶ月目にして、魏堂と那稻と通ぜしは夫より一月も後なりしと魏堂と那稻の問答にて明かなり、魏堂は確に余が婚姻より三月を經て初めて那稻の耳に細語くの折を得たりと云へり、夫のみならず、那稻も亦魏堂の前にて余を指して星子の父なりと云たり、且つ若し魏堂の胤ならば、彼れ幾分か星子を愛し痛はる可き筈なるに、彼れ少しも痛はる如()き樣子[#「如き樣子」は底本では「妃き樣子」]なし、唯だ星子の生れしとき一度其額に接吻()せしを見たれど、其後は少しも愛情の兆()なし、今より思へば彼れ寧ろ那稻の腹に余の種の宿りしを嫉しく思ひしかと疑はるゝ節も無きに非ず。星子は何うしても余の子なり。其母と母の姦夫に仇を復すとも星子一人は助けざる可からず、好し、好し、復讐の以前に於ては獨り星子を救ふに難けれど、其復讐の濟み次第、余は充分に厚く星子を育つる手當せん、星子を思ふ愛の爲に復讐の鋒()を鈍らしむ可からず往古の勇士戰場に向ふ時は家を忘れ子を忘れしとかや、余は復讐の戰場に上る者、星子を忘れずば有る可からず、止()を得ぬ場合と爲らば星子を刺殺()しても復讐の目的を貫かん、讀者余の復讐の決心は實に是ほど強かりき。
是より船中には別に記す可き事柄なし、風の順()甚だ好()りしかば此翌日午後の六時、早くもバレルモの港に着きたり、着きて錨を卸さんとする折しも、小船にて漕寄する幾人の警察官、宛も罪人を追ふ如く此船に取縋りて會釋もせずに上り來れり。扨て此船のうちに誰か捕縛さる可き人でも潜み居()るにやと、余が怪む間も無く、眞先に進む警察官は「サア此船だ此船だ。[#「此船だ。」は底本では「此船だ」」]海賊王輕目郎、練をゲータの港かテルミニへ送つたは此の船だ」と打叫べり。
二〇
海賊を詮索する警察官の來りしを見て余は痛く驚きたれど、羅浦丸の船長は少しも恐るゝ樣子なく巧()に警官の疑ひを言開き、決して輕目郎、練を送りたる覺無()しと言ひ、果は立腹の色さへ見せて「正直に商賣する羅浦丸へ、其樣な汚名を附けては此後の營業に障ります」とて警官を叱り附けたり。其樣子の誠しやかなるには、余さへも先刻彼れが輕目郎を送りしと言たる其言葉が僞りなりしかと却て疑ふ程なれば、警察官は充分に滿足し「イヤ無根の噂を誠と思ひ、正直な船長に疑ひを掛けたは、此方の疏()で有ツた」と詫の如き言葉を殘し、其儘船より立去りたり。
船長は警察官が全く陸に上りたるを見濟し、笑ひながら余に向ひ。
「何うです、警官を欺くのは旨い者でせう、併し斯う云ふ場合に嘘は吐()ますが、決して不正直な男では有ませんよ」と言譯せり、余も頷()きて。
「爾とも、人を助ける爲の嘘は、誠を云ふて人を殺すより功徳になる」と其行ひを賞()しながら先に拂ひし船賃の外、猶ほ幾何()の金を出()し、是は昨日來の親切を謝する爲なりと云ひて渡すに、船長は殊の外喜びて、
「イヤ貴方の御用は此後何なりとも勤めます。就()ては貴方のお名前を伺つて置き度い者です」と云ひ先づ自分の名札一葉を取出()して、余に渡せり、余は其面()を見るに「羅浦丸船長羅浦五郎」と記せり、余は更に我名を答へ「オヽ私()は伯爵笹田折葉()と云ふ者だ」と名乘りたり。
余は勿論姿を替()て復讐に取掛る積なれば、波漂羅馬内の本名は用ひられず、如何なる僞名にす可きやと昨夜來考へしが、昔し余の母方の伯父に笹田折葉と云ふ貧窮貴族あり、此人唯だ伯爵の肩書あるのみにて家も無ければ妻も迎へず、纔()に博奕の所得にて身を支ふるのみなりしが、余が八九歳の頃奮然として一身代作る氣に成り、印度()へ向て出發したり、其後幾年の後に及び、印度の海邊()にて溺死せしとて其土地の領事館より余の許まで知らせ來たれど、固より外に縁類の無き人なれば其知せは余の外へは傳はらず、世間にては其安否を氣遣ふ者も無く、笹田折葉と云ふ名前は何人にも忘れられたり、余は此人の名前を其儘用ふるが無難なりと思ひ、既に昨夜より定め置きたるゆゑ船長の問に逢ふてもマゴ附かず、直ちに伯爵笹田とは答へしなり。
是より船長に別れてパレルモへ上陸せしが、第一に土地の仕立屋に行き紳士の着る可き出來合の服を買ひ、猶ほ贅澤なる衣服幾襲()を誂()へ置き、此土地第一等のホテルを撰びて投宿し、給仕などへも充分の金を與へて、此頃印度より歸りたる大金持の貴族と見せ掛け、翌日は土地の銀行へ行き頭取に逢ひて彼の大金を預けたり、頭取も初めは其金高の非常に多きを怪む如くなりしが余が然る可く印度の有樣などを語り、猶ほ携へ居る寶石の中、可なり立派なる物二個を取り之を引出()にとて贈りたれば、其疑ひ全く晴し如く、此上の交際を願ふとて樣々に余を待遇()したり。
是よりして余の仕事は唯充分に姿を變へ、何人にも是が波漂の變身なりと見破られぬ稽古なり、勿論波漂は死したれば假令()余が元の儘の姿なりとも波漂に非ずと言張る事難()からねど、余は我妻を欺き我親友を欺かねばならず、彼等の心に少しにても疑ひを起されては折角の計事()も破るゝの恐れあり、尤も此計事は實の所余が髮の白くなり、余が姿の變り果しより思ひ附きたる者には有れど、余は是だけの變り方にては安心出來ず、猶一層變らねばならず、今まで鼻の下に蓄え置し八字の髭()も頭髮と共に白くなりたれば、此上に頤()の髯()、頬の鬚()を延し試()るに、孰れも白く延び來れり、然るに獨り恨めしきは余の顏なり、墓を出たる其當座痛く肉落ち頬骨出で、眼も深く落入りて見えたるに、一日()/\經るに從ひ病後の人の肥立()つ如く、頬も肉附けば眼もせり上げ、何うやら元の波漂らしく見ゆるに至りし事なり。
是も白髮と髯との爲め幾分か紛るゝとは云へ眼ばかりは詮方なし、太くして而も愛嬌あり、眸子()甚だ黒くして且つ明()なるは余が先祖より代々傳はりたる眼にして、余の父も斯の如く、余も亦斯の如し、父と子に多少の違ひは有れど那稻や魏堂の目より見れば余の眼は依然たる余が眼なり、之を充分に隱さずば終()には彼等に疑はるゝ事と爲らんも知れず、扨如何にして此眼を隱す可()や別に六しき事は無し、印度の暑き日に照されて眼病に罹り、日の光を見るに堪へずと云ひ、色の濃き黒目鏡()を掛くれば足れり、斯く思ひて余は充分に目を蔽()ふ太き黒目鏡を作らせ、之を掛けて鏡に向ふに、是ならば充分なり、顏の色は血氣壯()の男子なれども髮と髯は七十以上の老人なり、其中を取り五十五歳か六歳ぐらゐには誰も見て、若々しき老爺()と思ふならん、夫だけに見らるれば我より波漂なりと名乘るも、目鏡を外さぬ上は誰も誠とする者なし、好し/\と余は全く黒目鏡に滿足し、且つは變りたる我姿に滿足せり。
二一
是にて形だけは滿足なれど、余は此上に聲をも言葉附をも其他一切の振舞をも多少は變ねばならず、總て伊國の人は喜怒色()に現れ易く、嬉しき時は手を打て喜び悲しい時は聲を發して泣くと云ふ如く、何かに附けて其の所行仰山なり、自()ら勉()て斯するに非ず、唯だ一國の氣風より自ら出()る所にして中にも余の如きは總て情、殆ど人よりも過()る性質なり、去れど復讐を企つる者は斯の如くなる可からず、心には如何ほど悲き事も上部には笑ツて濟ませ、腹の中にて煮返る程の怒りを包むも、顏は唯だ空嘯()きて控へねばならず、幾等余の姿が旨く變りたるにもせよ、一切の癖、一切の振舞、總て波漂の儘にては到底目的を達し難し、姿よりも猶巧に猶深く、余は余の癖を改めん、是れ實に至難の事柄なり。
幸ひに余の宿れるホテルに、世界第一の冷淡國民と評さるゝ英國の紳士あり、此人こそ余が爲の好き手本なれ、此人パレルモ海邊の絶景を二階の窓より眺むるも、エヽ夏蠅()と云ふ顏にて見下し、一點の笑も浮べねば感心の色も見せず、食堂に入るにも機械の如く何の味も趣きも無く歩み來り、食事には口を開けど笑()にとては其前齒を見せし事なし、給仕を呼ぶにも、余ならば「コレコレ」と前置を附け優く呼ぶ所なれど、此人は前置も何も無く唯だ出し拔に「給仕」の一言()、併も咽喉()の底より出來()る艷の無き聲にして宛()がら牡牛の叫ぶに似、泣く兒の泣きしをも留()るならんが、笑ふ大人の笑ひ聲をも停むるばかり、世間に愛嬌の必要なしと悟()を開きての上なるかと疑はる。
余は立つにも坐するにも凡て此人に見習ひ、今までの早口を成る可く遲き言葉に使ひ、細くて凛々と響く聲を、成る可く太く邪慳()な聲に變んとするに、是れ仲々一通りの事に非ず、何の一週間も稽古すればと思ひしに、十日を過ぎ廿日を過ぎ、卅日を過ても猶ほ思ふ程には行かず、凡そ四五十日の苦心にて初めて一通り上達したり、尤も個は唯だ皮層()のみの事に非ず、實際に余が心は死して一たび生返りたる爲め、宛も凍()たる水の如く、元の性質とは全く變り、器次第の素直な質()が、嚴として動ぬ程の最と頑()なる有樣と變じたれば、唯だ人眞似と稽古のみに變りしにあらで幾分かは自然に變りし者なる可し。果は我身自ら怪む程にて、驚く可き事を聞くも驚かず「何だ詰らぬ、其樣な事柄か」と先ず心に多寡()を括り、然る上にて弛々と振向くと云ふ調子に成り、初は旦那/\と給仕などより世辭を云はれし身が「アンな氣難かしい客は無い」と蔭言()云はれる迄に至りぬ、此向()にては最早やネープル府に歸り行くも余は全くの他人なる可し。
他人として歸り行く其前に先づ先觸()れが大切なれば、余は一思案せし上にて兼てネープル府の勢力ある交際新聞の主筆記者に宛て、其の先觸()の文句を認()め猶ほ五十圓の金子を封入し、余が爲に一項の雜報を掲げ呉れよとの手紙を送りたり、其雜報は左の如し
今より廿年前()當府に笹田折葉と稱する伯爵の有りし事は、當時の貴族名鑑を見る迄も無く、今猶ほ交際社會に記憶する人ある可し、此の伯爵は千八百六十五年(か六年)の頃と覺ゆ、親しき交際場裡を脱し商業に身を委ねんとて印度へ向はれ出發せしが、爾來何等の便無()きより或は死去せしならんなどの噂も有しが、伯爵は餘程幸運の方と見え、幾度()か死地を踏たれども非常の艱難と辛苦にて終に驚く可き大身代を作り、餘年を樂しく送らん爲め此程其富を携へて印度より歸り來たれり、今は當府の惡疫を恐れバレルモに滯在中なれど、近々()同地より來り、當地に永住の計を定()るとの事なれば、知ると知らざるとの別なく、交際社會の人々は兩手を開きて伯爵を歡迎するならん、兔に角も我交際場裡に斯も由緒正しき富豪の一貴族を加ふるに、誠に目出度き限りと云ふ可し。
余は斯まで誇りて認めは置ざりしに、記者の筆加減にて書廣めたる者と知らる、記者は此雜報の載ある新聞紙二葉に、猶ほ懇ろなる挨拶の手紙を添へ余の許へ送り越したり、唯だ彼の五十圓の金子の事は受取りしとも受取ずとも何とも書て無けれども、余はネープル府新聞記者の風儀を知れり、嚴重なる英國の新聞記者とは違ひ、斯る賄賂、否報酬を無言にて受るは殆ど一定の役徳なり、尤も其俸給の中等官吏よりも安くして、其位地却て高等官吏より猶高きを思へば、此類の役徳なくば殆ど立ち難き内幕ならんか、英國の記者にても若し五十圓を百倍し五千圓贈り遣らば大抵の事は記すならん、東洋の記者に至りては纔か五圓にても筆を曲()ると聞きたれば――。
此雜報は以外に効目あり、伊國中()の諸新聞は孰れも之を拔書して報道し、又交際家の中には、早や余に宛て招待樣()の手紙を送り來るも有り、余は稽古せし甲斐ありて左樣の手紙に驚きもせず、笑ひもせず、最も普通なる事の如く平氣に讀みて平氣に反古()とし、落着きてネープル行きの用意を調へて居たるが、此年の十一月の中旬()に至り流行病も全く鎭り、市中の有樣總て舊時に復()せしと聞きたれば、明日にも此地を立んかと思ふ折しも、夕飯の用意調へるを報じ來りし給仕の者、何か打驚きたる樣子にて「旦那/\大變です」と打叫べり。余は冷かに見顧りて、
「何だ、大變などと仰山な、シヽリー島でも噴火の爲に埋沒()つたと云ふのか。」
「イヽエ、此先の公園で大賊が捕はれました。」
「賊の捕まるのは當然()の事では無いか。」
「イヽエ、幾月前から警察で探して居た輕目郎、練が捕まつたのです、早く行ツて御覽なさい」と言捨て其身は一散に奔走()りたり。
二二
今までの余ならんには輕目郎()、練()の捕縛と聞き我れを忘れて飛で行く所なるも、今の余は唯だ冷淡一方の人間なり、容易には驚きも騷ぎもせず、給仕が立去りたる後にて悠々と考へ見るに、彼れ海賊王實に余が爲には大の恩人なり、余が命の助りたるも彼れが爲とし、復讐に用ゆる運動費も彼れの賜とす假令()ひ餘所()ながらにもせよ一目彼れの姿を見、私()かに恩を謝せずば余は餘りに彼れを踏附()にするに均()し、兔に角も彼れの捕はれ居る所まで行きて見ん。
斯く思ひて余は室()の出口に掛有る帽子を取り之を戴き外に出るに、練が捕縛の噂は早や此邊()一般に傳はりしと見え、公園地を指して走り行く人多し、余は敢()て走りはせず「何だ詰らぬ」と云ふ例の風にて、徐ろ/\と歩みながら頓て公園地に至れば、凡そ百人にも近からんと思はるゝ群衆の只中に、高く頭だけ上に出()たる大男、是れ即ち練なる可し、成る程先日、羅浦丸の船長より聞し通り、顏中黒き髭髯()に包まり、鋭き眼は濃き眉の下に輝き、一曲()も二曲も有る可き面魂()、此男にすら操を立()る照子とやら云ふ美人あるかと思へば、何故余には操を守る那稻無かりしやと、殆ど怪しまるゝばかりなり。
練の左右には拔刀の憲兵二名附添ひ、猶ほ此方彼方に幾人の巡査あり、練は是等の頭の上より群衆を見廻しつゝ有しが、彼れ何故にや余の姿を見るより異樣に其眼を光せ、宛も余の本性を見破んとする如くに余の顏を打守れり、余は怪くも有り且つは不安心の思ひに堪へず、今まで一度()も彼れを見し事も無ければ從ツて彼に我が顏を見知()るゝ筈も無し、何故に彼れは群衆の中、特に余の顏にのみ眼を注ぐや、余が斯く怪みて猶ほ決せぬうち彼は猶ほ余の顏を見詰めし儘にて最と高き聲を發し「オヽ、貴樣の姿は實に能く變ツて居る、己()の目にさへ見破る事が出來ぬから」と打叫べり。物に驚かじと決心したる余なれども、此言葉には實に腦天より冷水()を浴()せられし如く、身體も心もすくみたり。
貴樣とは誰の事ぞ、問ふ迄も無く余が事なり、去れど之を知るは唯だ余のみと見え群衆は口々に「誰の事だ/\」と怪み問へり、中にも憲兵の一人()は直()に練の肩を捕へ、[#「「」の脱字か]貴樣は誰に其樣な事を云ふのだ」と詰()り問ふに、練は初て余の顏より眼を離し天を仰いでカラ/\と打笑ひ「ナアニ此方()の事だよ、エ貴樣、貴樣ほど旨く姿が變れば己も捕まらずに濟だ者を、今と爲ては仕方が無い、併し貴樣は最う安心だよ、外の者は皆夫()れ夫()れ他國へ逃て仕舞たから、己の後でも吊()ツて呉れ」と云ふ、余は益々氣味惡し、此言葉にて察すれば彼れは余が波漂なる事を知り、彼れの身代を盜み取りたる事をまで知れるに似たり。
彼れ如何にして知たるや、余は樣々に考へ廻して忽ち心に悟る事あり、讀めたり、讀めたり、余が襟に差す針の頭()は是れ彼の夜光珠()なり、余は印度より歸りたる大金滿家の容體を作らん爲め、早既()に彼れの珠玉を夫々の飾物()に作らせ、其中の殊に立派なる者を襟飾とし、過日より我が首に挿()める爲、練は之れを見て早くも己れの品なるを知り、余をば我が手下の一人()にて姿を變居る者と思ひ、餘所ながら余に分れを告げ後の吊ひまで托()する者なる可し、去ればこそ彼は「己にさへ見破る事が出來ぬから。」
と云ひしなれ、彼れ余の本性は見破り得ぬも唯だ非常なる夜光珠の光に由()り、一圖()に手下と思へるならん、余が斯く悟ると共に警察官なども此中に練の手下が姿を變へて交り居る事と悟りし如く、現に余が傍なる一巡査は同僚の耳に細語き「誰か赤短劍の符牒を附て居る者が此中に在るだらう、探せ/\」と云ながら目を配れり。成る程赤短劍は練が黨の記號なれど、幸ひに余は其記號を身に帶びず、爾は云へ猶ほ不安心は少しも休まねば、何とかして人知れず茲を逃去り度きものと空しく心を惱ますのみ。
此とき練は猶ほ群衆の中を見廻し居たるが、何の爲か忽ち顏に非常なる怒の色を現し來れり、アア彼れ或は余の本性に氣附きたるには有ぬか、今まで余を手下の一人()とのみ思ひし者が、能々()見るに從ひて手下に有らで全く己の寶藏に忍び入り、己れの財貨を奪ひたる盜坊()の上前取と見認()めしに非ざるか、余は益々縮み込むに、練は「コレ曲者、茲へ來い、來い、斯う見えても未だ、手前の樣な曲者に欺かれる練では無いぞ」と云ふ。此時の彼れの眼は依然として空を眺むるのみなれば、果して今までの言葉に同じく余に向ひて言へるや否()、夫とも余より外の者への言葉なるか定かには知り難きも、殆ど余が方を指()すに似たり、此時憲兵は再び練の肩を捕へ「貴樣が曲者と云ふは誰だ、誰だ」と迫り問ふ、練は大喝一聲に「人の者を盜む彼の曲者だ」と云ひ猶ほ餘れる己が聲を制し得ぬ如く「練は人の物を盜むけれど手前の樣に、持主の目を掠めて密爾()這入()り、持主の知らぬ間に盜まうとはせぬ、白晝に堂々と推て行き、持主が短銃()以て練を射殺()うとして居る其船で物を盜む。詰り力盡の強盜だ、人を殺す代りには我力が足らぬ時は殺されるのを覺悟の上だ、英雄が戰爭して人の國を奪ふのと同じ事、海賊とは云はれても盜みはせぬ奪ふのだ、サア盜人め、茲へ來い、警官初め大勢の人の居る前で云ふて聞せる事が有る。」アヽ盜むと奪ふとは夫ほどの違ひ有るや否、余は夫等の事を考へる暇()はなく、唯だ我が運の全く盡きたるを覺ゆるのみ。
二三
練が罵る聲に唯一人も應ずる者無ければ練は益々腹立しさに堪ぬ如く、一際聲を張上げて「コレ、其所()に居る、ビス、カルダイ、照子からの言傳()が有る、サア茲へ來い、茲へ來い」と呼ぶ、余はビスカルダイと云ふ名前を聞き、扨は此群衆の中に誰か斯る名前の人ありて、練が今罵れるは余にあらで即ち其人なるかと初て少しく安心し、此方彼方を見廻すに、余より纔()に二三人隔てゝ立てる年三十近き一紳士、顏に賤()みの笑を帶び、徐ろ/\と歩み出()て練の傍に行き「オヽ海賊、到頭捕縛せられたな、手前の樣な奴に何も聞く事は無いが、餘り高い聲で罵るからサア聞て遣る、此ビスカルダイに何の用事が有る」と云へば練は返事する前、先づ廣く口を開き、件()の紳士の面體()にパツと唾を吐掛けたり、紳士は嚇()と怒り「己れ」と言樣飛掛らんとするに憲兵が其間に立ちて、早くも練を捕へ「コレ何をする」と制するに、練は心地好()げに打笑ひ、更に又紳士に向ひ、「サア飛附くなら飛附て見ろ、練は兩手を背中に廻し、此通り縛られては居るけれど、手前の樣な惡人を一人や二人蹴殺すは譯も無いぞ」と云ひ、猶ほ紳士が忌はしげに手拭()を出し顏の唾を拭ふを待ち、
「手前は己()の手下で有ながら、己()の面()がノツペリと綺麗な所から、譯もなく己の妻照子を盜む事が出來ると思ひ、己の目を盜では照子の傍に近寄り、徐々照子を欺()し掛たが其手際は何うで有つた、今まで手前一人で無く照子に心を寄せた者は幾等も有るが、皆其思()を遂ずして照子の懷劍に殺された、手前は猶も推強()く照子の心の動かぬは全く己と云ふ邪魔者が有る爲と思ひ、己を無い者にする積()で終()に其筋の狗()と爲り、憲兵を案内して己の隱家へ攻入らせ、此通り己を捕へさせた、定めし手前は嬉しからう、是で照子を天下晴れて我物にする事が出來ると思ふだらう、コレ卑怯者、能く聞け、練は海賊でも他人の妻は偸()まぬぞ、物を盜んでも、持主の目を掠め誰も知らぬ間にコツソリと盜む樣な卑怯な振舞は未だ仕無い、同じ惡人でも男らしい惡人だ、夫だから操を立る女も有る、サア手前は最う己を除き之から照子を我物だと思ふだらう、我物か我物で無いか、今夜にも照子の許へ行て見ろ、照子は化粧して手前の來るのを待焦れて居る、爾サ身體は紅の樣な血に染り、頭挿()の樣な懷劍を胸に刺し、恨を帶た貞女の死顏を手前に見せ度いと云て居た」此の毒々しき言葉にはビスカルダイ打驚き「ヤ、ヤ手前は照子を殺したな」「己が殺す者か、己は照子に向ひ、己が捕はれた其後はビスカルダイの世話に成り、己の事は忘れて呉れと諭したけれど、照子は其樣な根性の腐つた女では有ませんと言ひ、自分で胸を刺通した事は茲に居る憲兵が見て知て居る、嘘と思へば己が隱れて居た山の中に行て見ろ、照子の死骸が恨し相に手前の顏を睨むだらう、殺された者か自殺した者か、一目見れば分るから」と云ふ、ビスカルダイと云はるゝ男は殆ど立つ足も定らぬ如く蹌踉()きて憲兵の背後()に退きたり。
余は此樣子を見て心に無限の感を起し、海賊に情を立て海賊の爲に自殺する程の貞女が今の世に存するやと私()に嘆息を洩()せしが、又思へば斯る事考ふ可き時に非ず、海賊練が罵りしは、全く今のビスカルダイなるも、其前に「貴樣の姿は己にも見破る事が出來ぬ」と云ひしは確かに余の事なりしに相違なし、此上彼れより何か云はるゝ事ありては憲兵の疑ひも恐しげなれば立去るに如()く事なしと、思ひながらも又彼れを顧みるに彼れの眼は再び余の顏に在り、何やら物言度げに目配せする如くなれば、余は逃()るとも事既に遲きを知れり、一層()の事大膽に吾より進みて危きを冒さば却て憲兵の疑ひを拂退()くるに足らんかと、先づ衣嚢を探りて、五法()()の錢を取り、之を憲兵に握らせて「少しの間海賊と話を仕たいと思ひますが」憲兵は怪げに余を眺めしも余の胸には赤短劍の符牒も無く、外にも怪む可き所なければ、唯だ奇を好む一心より出る者と見て取し如く「長い話は許されません。」
「ナニ一言()です。」
斯く云ひて余は臆する色も無く練の前に立ち「余は羅浦五郎と云ふ者の友達だが、何か彼れへ言附()が有れば傳へて遣()う」海賊は穴の開くほど余の顏を眺め小聲にて「分らぬ、分らぬ、何うしても分らぬ、アヽ此黒い眼鏡を取れば必ず分るけれど」と獨言()たり。
果せるかな、彼れは余を見て手下の一人()が旨く姿を變居る者と思へるなり、頓て彼れ當然()の聲と爲り、「アヽ羅浦五郎か、練は愈々惡運が盡きたから、殺された後で、一片の囘向()でも仕ろと地中海の船頭達へ傳へる樣に羅浦五郎へ言て呉れ」斯く言ひて彼れ再び小聲に成り「貴樣は秘密を知て居るだらうな」と問ふ、秘密とは何の秘密ぞ、勿論余の知る所に非ず、察するに彼れ此問にて余が眞に己の手下なるや否()を試さんとの心ならん、余は忽ち思附く事あり、「知て居る、墓窖()、墓窖」と答ふるに、練は滿足の體()にて「アヽ那()の儘地の底で腐らせるは惜い者だと思て居た、貴樣が知て居れば夫で好い、人知ず取出して貴樣の隨意に使ツて仕舞へ」此一言()にて余は全く彼の大身代を練より遺産として貰ひ受けし者なり、余が嬉しさを推隱さんとし猶一言を答へぬうち、
「だけれど貴樣の姿が餘り能く變り過て己には分らぬ、貴樣は誰だ。」
「誰でも無い、秘密を知る一人()サ、己より外にアレを知る者は無いから分て居るぢや無いか」余は斯る大膽不敵なる返事が如何にして余の口より出()しやと我ながら怪む程なり、彼れ「多分貴樣だらうとは思ツたけれど」と言ひ、其後を繼がぬうち憲兵は余と彼とを引分たり、勿論是等の問答は小聲にて且つ早口なりし爲め憲兵の耳には入()らず、余は猶ほ我身に恐るゝ所が無きを示す爲め「伯爵笹田折葉」の名札を取り憲兵に示すに彼れ恭々しく默禮し、其儘練を引きて去れり。
二四
縱し盜坊()の身代にもせよ、縱し余が家累代の墓窖に隱し有りしにもせよ、縱()又萬々止むを得ぬ復讐の爲にもせよ、輕目郎、練へ一言()の斷りもせずして窃()かに取出()し遣ふ事余は幾分か氣掛()に思ひたり、余は既に練の口より隨意に取出して使へとの許()を得たり、是だけにしても彼の品が法律上余の物に成りしとは思はねど、兔に角余は我が罪の輕()まりし想ひして誰に遠慮もせず、彼の財()を使ひ得る事と爲れり、()しても盜泉の水を呑まぬ君子の誡()めは余決して知らぬに非ず、若し彼の寶を余の眞實の身代とし一身の樂みにも供()へ、猶ほ子孫へも殘しなどせば、余が罪實に海賊王と相距()る一歩なる可きも、余は唯だ復讐の兵糧とのみして之を使ふゆゑ、罪深くとも神も人も許すならん、否若し許さずば余は復讐を果したる後にて甘んじて其罪に服さん、然り練と同樣に死刑に處せらるゝも厭ひはせじ。
兎も角も余が一切の用意は調ひたり、最早や此地に長居する必要も無ければ愈々復讐に取掛る爲め、明日はネープルに歸り行かん、斯く思ひて余は我が宿に歸り、荷物など作り居るに夜の九時過()る頃に及び名札を通じて余に面會を請ふと云ふ來客あり、名札の表には當地警察署長の肩書ある故、扨は海賊練の事に關し何か尋ぬる積ならんと余は早くも推量し、此方()の室()へ通らせて面會するに、署長は年尚()ほ四十歳に足らず、目附口附隨分智慧の逞しげな人物なれば、誰を見ても罪人と思ひ、初より先づ疑ひて掛る程の俗物には非ず、禮も知り、作法も知る一廉()の紳士なり、余が「私()しは伯爵笹田折葉ですが」と名乘るを待ち彼れ恭しく口を開き、
「外では有ません、今日貴方は海賊と何か細語きながら話を仕たと聞ましたが。」
「ハイ、憲兵の許を得て其目の前で。」
「左樣、憲兵の目の前で憲兵に聞得ぬ程の低い聲で。」
余は大膽なる笑を浮めて、
「ハヽア、貴方の目には私しが海賊の手下とでも見えるのですナ。」
「イヤ爾とは未だ申ません」とて「未だ」の一語に妙な力を込て云ふは追々に余を手下と見做()し兼ざる氣か、恐しき事どもなり。
余は微懼()ともせぬを見て少し考へ、
「海賊へ何をお細語に成りましたか、夫を伺ひ度い者ですが。」
「イヤ何をとて、私しはホンの物好()、兼て練の名前を聞て居ますから何の樣な人物か話を仕度いと思ツた丈です、夫も話の種が無いから、群衆の噂を其儘種に致しました。」
「群衆の噂とは。」
「ハイ先日警察署で羅浦五郎とか云ふ者を疑ひ、其者の船で逃たのだとて、其船を調()たとか群衆の者が言ひましたから、私しは練に向ひ、己()は羅浦の友人だが彼へ言傳()は無いかと問ました。
「爾すると彼れが地中海の船頭へ云々()と答たと云ふ事は、既に憲兵から聞ましたが、其後で小聲で言た事は何事です。」
「アレハ練が余を疑ツて試す積でせう、お前は秘密を知てるかと小聲で聞ましたから、私しは兼て度度()の航海に人の話で聞いて居る Vault と云ふ語を思ひ出し、ヴヲルト/\と答へました。[#「」」欠字か]
「ヴヲルトとは墓窖と云ふ語ですが。」
「ハイ、船乘は船の中の物置をヴヲルトと云ます、墓窖で無く船倉です。」
「船倉が何の秘密です。」
余は又笑を浮め、
「お問成()る迄も無く貴方は御存()でせう、地中海の海賊等は仲間のことを船倉()と云ふのです。」
「スルト貴方は練に向ひ汝の仲間だ/\と答へたのですネ、實際仲間でも無いのに。」
「ハイ、夫ですから練は怪み、俺の仲間に貴樣の樣な者は無いと云ひ、貴樣が餘り能く姿を替て居るから己()には分らぬと云ました、唯だ是だけの問答で直()に憲兵に引分られましたが、練は私しの白髮()を見、事に由ると手下の誰かゞ姿でも替へて居るのかと怪んで、決し兼た樣子でした。」
明される丈の誠を明し、吐()れる丈の嘘を吐()たる余の返事を署長は幾分か信じ初たるに似たり、ヴヲルトの語を仲間の符牒とは余の作り事に非ず、少しく地中海を航行する者が誰しも聞知れる所なれば、署長は猶更誠と思ひしならん、余は此圖を外さず、
「私しが眞實彼れの手下とか仲間とか云ふ者ならば、第一詮議の嚴しい此土地に二月以上も逗留する筈は無く、況()てや練の捕縛と聞けば其傍へも寄附()ません、大膽に憲兵の傍で彼と話など仕ますものか」此辯解は又も署長を一分ほど余が方()へ引寄せたる事、其顏附にて明白なり、猶も余は歩を進め、
「併しお役目ゆゑ私しを疑ふのは當然です、私しも充分に疑はれ、其代()り後へ塵ほどの疑ひも殘らぬ樣に辯解して置度()いと思ひます、是から私しは故郷ネープル府へ永住する身ですから、少しの疑ひでも附纒()はれては困ります。」
「御尤も。」
「夫とも練の同類の中で私しに似寄た者が有て、其者が未だ捕縛されずに居るとでも云ふのですか。」
「イエ爾でも有ません、若し其樣な事が有れば斯して私しが面會は願はず、直に貴方を拘引するかも知ませんが、其樣な事が無いから今の所では唯だ怪む丈に留り、此通り貴方の名譽に障らぬ樣、私服の儘で内々お尋ね申すのです。」
「では斯して戴きませう、誰か貴方の吏員中()に練の同類を殘らず見知て居る者は有ませんか、若し有れば其者へ私しの顏を篤と見せれば、私しが果して練の同類中の一人()か否やと云ふ事が直に分りませう。」
署長は滿足の樣子にて、
「ハイ、私しも實は爾願ひ度いのです、失禮では有ますが幸ひ練の同類を殘らず知て居る者が有ますから、其者に貴方の人相を篤と見せ度いと思ひ、實は連て來て戸の外へ待たして有ます。」
斯までも余を疑ひしかと思へば、余は今更らゾツと過去()し危ふさを思ひ出せしも、人相を見らるゝは何よりも好む所ろ、余の顏が練の手下の顏に有ぬは勿論の次第なれば、余は殆ど嬉げに、
「直に其者をお呼入成()さい」と云ふ、署長は背後()を向きて高く啖拂()ひを發するに之が即ち合圖と見え、聲に應じて入來()るは、先刻練に罵られし彼のビスカルダイとやら云へる男なり。彼れ署長の耳に何事をか細語くと見る間に署長は余に向ひ「失禮ですが何うぞ、其黒目鏡を外して下さい」と請ふ。
「イヤ、私しは眼病ゆゑ、之を外すは醫者より停られて居()ますが、今は致し方が有ません、サア能く御覽を願ひます」と云ひ目鏡を外して波漂の眼を露出()したり。
二五
目鏡を外した露出しの余の眼()は、寧ろ余の信用を増さうとも損する者に非ず、盜坊の眼に非ずして貴族の眼なり、氣味惡げに非ずして愛らしく、惡人と見えずして善人と見ゆ。
去ればにやビスカルダイと云ふ彼の男も、警察署長も一目見て余が眼の最と晴やかなるに驚きし樣子なり、ビスカルダイは一語をも發し得ず、殆ど呆氣に取られたる姿にて、署長の顏を眺むるのみ、署長は迫込()みて、
「ビスカルダイ、何うだ、此方()の顏を見た覺えは有るか。」
「有ません、有ません、輕目郎、練の同類の中に此樣な眼を持た男は一人も有ません。」
余がグツと安心すると齊()しく、署長はグツと力を落し、極()り惡げに首()を垂れたり。余は之を慰むる如くに、
「イヤ何に、貴方はお職掌柄()で私()しを調たのですから、私しは少しも貴方を咎めません、却て貴方が職務に熱心なのを感心します、殊に私しの眼が盜坊の眼と違ツて居るとは此上も無い私しの滿足で、詰る所ろ貴方がたから此男は決して海賊の同類で無いと云ふ保證を附て貰ふ樣な者ですから、此後再び怪まれる憂ひが無くなツたのです。」
署長は余の一言()/\に頭()を垂れ、額に冷汗を流すかと怪まるゝ程なりしが、暫くにして又思ひ返せし如く恐々()に余を見上げ、
「ハイ本統に貴方の身へ保證を付けます、此上若し貴方のお頭()の髮()を檢()めさせて下されば」と云ふ、アヽ彼れ、十分の疑ひが九分まで解けしも、猶ほ一分余の白髮()に疑ひを殘し、若しや假鬘()では無いかと訝()れる者と見ゆ、余は殆ど可笑()さに堪ざれば、
「アハヽヽ夫こそお易い事柄です」と笑ひながら答ふるに、署長は汗を拭きながら、
「イヤ是とても決してお疑ひするのでは有ません、唯今眼を拜見した所では、未だ白髮に成るやうな年頃とも思はれませぬのに、黒い毛が一本も有ませぬから、唯だ念の爲に斯願ふ丈の事です」と言譯せり。
「サア充分念を入れて御覽なさい」と云ひ余は我頭()をランプに迫附()け、兩手にて髮の毛を掻亂()して見せしむるに、署長は右見左見()打眺め、疑ひの晴るゝに從ひ挨拶の言葉にも困りしが、
「成るほど之は美しい髮の毛です」傍に立つビスカルダイは、檢むる丈け無益と思ふにや、
「イヤ長官、假鬘と本統の毛は一目見て分ります、此方()の毛は決して假鬘でも無く、又決して染た者でも有ません、根から白く生出()て居()ります」余も之に口を添へ、
「イヤ署長、何所でも好いから五六本引拔て御覽なさい。」
署長は先程より引拔たしと思ひ得たりと見え「夫では餘り失禮ですが」と云ながらも其手を差し延べ「本統に拔ても構ひませんか。」
「ハイ貴方が職務に熱心なるに免じ、此白髮幾筋を贈りませう。」
署長は余が頭()の頂邊()にて最も長き者を撰び一度に二三本づつ三度に拔き、拔く度()に其毛をば直ちに己が手の甲へと留()らせたり。勿論拔立の活毛()なれば其根は宛も糊の如く、直ちに其所ろへ固着()くに、署長は初て心底から疑ひの解けし如く、
「イヤ斯までお疑ひ申して誠に申譯が有ません、夫にしても貴方の白髮は本統に不思議です、どうして斯うお早くから。」
「イヤ長く印度に居て、熱帶の天日に洒()したから此樣に成りました。」
「成る程、爾ででも無ければ此樣な事は有ません、私しは今までも假鬘だと思て居ました」と云ひつゝ手の甲の毛を剥()り取り、指に卷きて卓子()の下に打捨て、更に又た「其の代り此の後貴方の身を何と疑がふ者が有らうとも、私()しが保證します、バレルモ警察署長に問へト斯うお答へ成されば宜しい。」
余は輕く受け、
「イヤ、ナニ是から故郷へ歸るのですから再び怪まれる樣な折は有ますまい、故郷には今も猶ほ笹田折葉の名前を覺えて居る者も有り、私()しを迎へる者も有ますから」署長は益々面目無げに、疑ひたる過ちを謝し、此後當地に用事も有らば何なりと言附けられ度しなど繰返して止まず。
是にて余が身は先づ/\青天白日と爲りたれば、余は是より猶ほ一時間ほど署長を引留め、上等の煙草及び古酒などを馳走しながら、輕目郎、練の事を問ふに、練は遠からず死刑に處せらる可く、又其手下の重()なる者は大方捕へ盡したれど、其餘()は諸國へ散亂したれば又と此國へ歸り來()る事に非ずと云へり。左すれば墓窖の中の身代益々以て余の物なり、天余が不幸を憐()み一切の邪魔者を拂ひ退け、前後に顧慮()する事も無く一意に復讐を行はしめんとするに似たり。此翌日愈々此宿を引拂ひ復讐の地、ネープル府に向け船に乘れり。
海上何の異状()も無く翌々日の朝七時頃に故郷に着きたり、是れ余が此地を去りてより凡そ百日の後にして千八百八十四年十一月の末なりき。余が此地に歸る事既に新聞紙の報じたる所なれば、重()なる宿屋は悉く引札樣()の招待状を余に寄せ有り、余は其中にて最も上等なる者を撰びて直ちに之に投宿し、金を湯水の如くに撒きて室()の飾()などを差圖()するに、宿屋の者等は眞に天子の來臨の如くに喜び、給使()より其他の召使ひに至るまで寄ると障ると余を褒むる噂のみなり、午後に至り全く飾附けも終り、先づ當分の余の住居()出來たれば、余は猶ほ彼れ是れの用意を調へ、頓て夕刻の七時に至り、散歩に行くと言置きて徐ろ徐ろと此家()を出()たり。
指して行くは孰れの家ぞ、余が波漂たりし頃毎夜の樣に魏堂と共に立寄りたる當時流行の可否茶館()なり。土地の紳士大抵茲に寄集ふことなれば、魏堂も定し來り居るならんと思ひ、歩み入て廣場の一方に腰打掛け、室中()を見廻すに余より幾間をも隔てたる卓子に向ひ、我こそは當府第一の紳士ぞと云はぬばかりの顏附にて、佛國のフヰガロ新聞を讀む一人()は、實に是れ余が僞りの友誠の敵、余が妻那稻を偸みし奸夫、彼の花里魏堂なり。其小指より燦々()と光を放つ夜光珠の指環も、確に見覺えある余の指環なり。
二六
此時給使は余を上等の客と見て取りしか、直ちに來りて「旦那樣此方()の卓子が綺麗です」と云ひ余を魏堂の隣に案内し行きたり、魏堂は新聞紙の頂邊()より余の姿を一寸()と見たれど、白髮()にして黒目鏡の老紳士、氣を留()るにも足らずと見しか、又知らぬ顏して新聞に顏を隱せり。余は早や戰場に踏入りたる心なれば、百日以來練り固()に固めたる濁聲()にて給仕に珈琲()を命じ、飮終りて頓て價を取らせ、猶ほ充分の祝儀を與ふるに、何思ひけん魏堂は新聞紙を下に置き前よりも樣子ありげ、且は不安氣に余の横顏を眺めたり。
横顏は眞向()よりも却て化()の皮の剥易()き者と知る故、余は手を延して新聞紙を取るに事寄せ故()と魏堂の方に向くに、今の祝儀に浮されたる給仕は氣を利かせ「イヤ新聞紙なら此方が今着たばかりです」とて折たる儘の一枚を持來れり。余は急に之を開かんともせず、贅澤を仕飽きたる人の懶()さを眞似、仰向けに椅子に寄り、左の手に燻る葉卷の煙草を持ち、横柄に室中を見廻すと云ふは假の名、實は黒目鏡を四方に光らせながら、
「コレ/\給仕、茲はネープル府の紳士が大抵は來る所と聞たが。」
「ハイ何方()樣も皆入()ツしやいます。」
「伯爵波漂、羅馬内氏は來られぬか」此語を聞きて魏堂はビクリと身を動せしか、給仕は合點の顏にて「アヽ貴方樣は未()此土地に入()しツた計()りと見えますな、波漂樣は三月ほど前()に亡なりました。」
「エヽ何だと、波漂が死んだ、若いのに其樣な筈は無い。」
「イエ、此土地の人は皆知て居ます、其當座は惜まぬ人は無い程でした。」
「ヤレ/\夫は殘念な事をした。折角己()が來たのに間に合なんだか」余の失望を給仕は氣の毒げに、「貴方樣は波漂樣を尋ねてお出成()ツたのですか。」
「イヤ夫ばかりで來たでは無いが、己は波漂の父とは極懇意な友達でな、永年旅に出て居たが此頃久し振に歸たから夫で逢たいと思ツたのサ、アヽ己が此土地を立つ頃は波漂が猶()だ子供で有たが、最う死だのか、定めし流行病にでも罹つたのだらうな。」
「ハイ。」
「親父は十餘年前()に死ぬるし、今又、波漂が死んだと有れば、ハテナ羅馬内家は絶て仕舞ふか、夫とも波漂に女房でも出來て居たかの。」
「ハイ綺麗な奧樣がお有り成()ツて、お子供()も一人出來て居ます。」とて給仕が猶ほ多舌()り出()さんとする折しも、魏堂奴()、何やら用ありげに此方()を向くにぞ、余も亦應じて黒眼鏡を彼れの生白き顏に向くるに、彼れ交際に慣たる優しき聲にて、
「イヤ失禮ですが、私()しはお尋()の波漂とは極親密に致した者です、彼の事ならば大抵存じて居ますからお尋ねならば、私しからお返事致しませうか」と云へり。
其聲其言樣()、總て余が兄よりも弟よりも猶親しく交りし其頃の魏堂の聲、其頃の魏堂の言樣なり。余が耳にも昔聞慣れし謠曲を聞く想ひにて、怒りの裡に又一種の悲みを催()し、頓()には返す聲さへも出兼()ぬる程なりしも、今より斯く心弱くては叶はずと魏堂が猶ほ怪まぬうち早くも練固めたる聲に復り、
「オヽ貴方が波漂の親友ですか、是は何より幸ひです、此後益々御懇意を願はねば成ませぬが」と云つつ余は名札を出()し、謹みて魏堂に渡すに、彼れ一目見て打驚き、
「ヤ、ヤ、貴方が伯爵笹田折葉氏()ですか、貴方が當地にお出()の事は既に上流新聞紙が皆報道した所で、我々交際社會の者は首を延して待て居ました。其笹田伯爵に私しが第一にお目に掛るとは實に私しの名譽です、私しこそ御懇意に願はねば成ません」と云ひ、彼れ殆ど媚()る如くに其手を余の前に差出()せり。
差出せし其手をば余は禮儀として握らねば成らぬとは、余は餘りの忌々しさにゾツと寒氣がして身體中鳥肌に成るかと覺えたり、去ればとて握らねば成らぬ場合、手袋の儘、之を握るに彼れ熱心に握り返す其温さは今の寒氣を追出()し、皮を隔てゝ余の手を燒くに似たり。斯る僞りの人物と交りを結ぶ余が心の辛さ、是も今更ら驚く可きに非ずとは云へ、余は殆ど我心を制し兼る程なりき、去れど今茲にて此辛さを堪へ得しからは、宛も最初の灸を堪へし如く、此後は幾度()彼れの手を握るも平氣なる可く、彼れに眞實の友と見せて、共に笑ひもせん興じもせん、先づ、皮切だけ濟せしは幸ひなりと、余が靜に手を引けば、彼は余の心の騷ぎしとは氣も附かず自分の名刺を取出()して余に渡し、
「私しは不束な畫工()、花里魏堂です、是れからは貴方の下僕()も同樣です。」
「イヤ私()しこそ。」
「では一杯傾けて此交りを祝しませう」と云ひ、彼れ給仕を呼びて酒を命じ、其來()るまでと云ひ、余に煙草を差出()せり、煙草は勿論容物()まで余の品なれば、余は夫を手に受て眺めながら、
「仲々立派な美術品です、おや、H()の字とR()の字を彫附て有ますな、故人の遺身()とでも言相()ですが。」
「爾です、波漂の遺身です。」
「なるほど、それでH()の字とR()の字ですか。」
「ハイ波漂が死()る時、持て居()つたのを、葬つた宣教師が外の品々と共に夫人の許へ送り屆けたのです。」
「夫を夫人から貴方へ遺身に贈られたと云ふのですネ」と余が無理に笑を浮べて問へば彼れ滿足げに、
「左樣()です」と答へ、更に己の未來の妻を紹介する心にや、彼れ又笑を浮べ、
「何うせ貴方は夫人にお逢成さるのでせうが驚いては了ませんよ、世界中の美人の顏を見盡した太陽に問ふて見ても、恐らく是ほど愛らしい顏を照した事が無いと答へませう。」
余は強()て冷淡に、
「オヽ夫ほどの美人ですか。」
「美人と云ふ名は追附きません、初て天降つた天女です、貴方が若し少年ならば私しは此樣な事は言ひません險呑ですから、併し貴方の白髮()を見れば、斯樣な事を打明けて無難なお年頃と見認()ますから遠慮無しに云ますが、ハイ本統に天女です、波漂なぞの女房には本統に勿體ない程でした。」
波漂なぞとは何事ぞ、殊に「なぞ」の妻には勿體なしとは、彼れ如何ほどに余を見下げ居()るにやと思ひ、余は探りを容()れ、
「だけれど波漂は父に似て幼い頃は隨分立派な男で、心も仲々好さ相に見ましたが。」
「左樣()サ、褒めて言へば善人、公平に評すれば愚物ですよ、死だ友人を誹()るでは有ませんが彼れの性質を算盤()に掛け一々に〆上()て見ますと、出て來る高は何うしても愚人()です。」
己れ魏堂め、人非人め!
二七
己れ人非人め、心に斯くも余を見下しながら、皮膚()を粧()ひて余に親友と呼れるを旨()んじ余が家に入込()しのみならず、余が妻を奪ひ[#「妻を奪ひ」は底本では「妻を奪も」]、死だ後では余の一切の物を我物とし、而も余を愚人よ、愚物よ、と罵る乎()、余若し胸に充分なる復讐の考へ無くば、唯ツた今此所にて彼が喉笛を掴み潰し息の根を止て呉れる所ならん、怒りては成らずと心得ながらも殆ど怒らぬ事能はざる程なればなり。
彼れ猶ほ語を續け、
「第一波漂と云ふ奴は、人に物を頼まれゝば決して否()と云ふ事の出來ぬ男でした、ヱ愚人では有ませんか、少しの事を憐れがり、人に物を施す事はすれど自分で一錢たりとも親の身代を殖()す事を知らず、幸ひ大家に生れたから慈善家などと褒られた樣な者の、若し貧家に生れたら取り所()の無い厄介者です、彼を褒るのは其實彼れを煽起()るのです、煽起に乘つて親の身代を減す男ですから智慧の底が知れて居ませう、其一命を落したのも矢張り慈善と云ふ煽起に乘り、惡疫の病者を救はうとした柄()です、先づ命知らずです」と憎々しげに云來れり。
交際の社會では斯る言廻しを才辯()とも話上手とも云ひ、持囃()す事なれど、余は最早や此上我が腹立を制し得まじと思ふ迄に至りたれば、彼れの言葉を停()むる爲め無理に聲高き笑ひを發し、
「アハヽ之は可笑しい、本統に其通りですよ今の世で善人と云ふは畢竟愚人の異名です、貴方の意見は私しの意見と符合します」と云ひ猶ほ面白さに堪へぬ如く手を拍()て紛らせるに、彼れも亦余と同じく打笑へり。
斯る所へ給仕は銘酒の瓶()を持ち來りし故、余は救ひを得し心にて之を呑み、彼れも話の咽()を濕()すと云ふ風にて之を呑み、話は續いて余が死してより葬式の事に移り、魏堂自ら彼の宣教師に從ひ余を墓場まで送りたりと云ふにぞ、余は故()と怪訝の顏にて、
「貴方は惡疫の死人を墓場まで送るなどと實に險呑では有りませんか、貴方も幾分か慈善家にかぶれましたか」と笑ふに彼れ「違ひ無い」と和して笑ひ更に又、
「イエ慈善と云ふ譯では有ませんが、其頃私しは波漂の家()に逗留して居ましたから、詰り浮世の義理と云ふ者、夫に私しは他人と違ひ少しも惡疫を恐れません。」
「ヱ。」
「イヤサ實に詰らぬ事柄ですが、自分で深く信じて居る事が有るのです、お笑に成るかも知れませんが、幼いとき東洋から來た人相見が私しを見て、此兒()は決して病氣で死ぬる質()で無いと云た相です、乳婆が何度も話ました、眞逆()に當りは仕舞()ますけれど、夫でも私しは何と無く其豫言が當る樣な氣が仕ます。」
余は今まで魏堂と交りたれど此事は今聞くが初めてなれば、事新しき想ひにて、
「へエヽ、病ひで死なねば何で死ぬると云ひました。」
「夫がサ、不思議な豫言ですよ、一度極懇意にした親友に殺されるのだと云ひました」余は殆ど悸()つとしたり。
「成るほど不思議な豫言ですネエ。」
「所が今と成ては其豫言が外れて居ますよ、私しの先づ親友と云ふは波漂ですが、彼が私しを殺す筈も無し、外に親友は有ませず、波漂は既に此世の人では有ませんから、何うやら誰にも殺されずに濟み相です」否々濟み相に無し何()やら豫言が當り相なり。
余は腹の中で頷きつゝ、夫にしても魏堂が如何の心にて斯る事を云ふにやと佶()と彼の顏を詠()むるに、幸ひ余が眼は兼ての黒目鏡に隱れたれば彼れ夫とも心附かず、去れば彼の顏、今まで晴々しかりしに引替へ何と無く曇りて見え、悄()や悲げなる所あるは、或は己が心に幾分か咎むる所の有るが爲にや、夫とも虫が知すと云ふ類()にも有らんか、
「では矢張り、波漂を親友として愛して居たのですネ、貴方は。」
「イエ愛すると云ふ程では有ません、唯だ彼れは私しの畫()を幾枚も買て呉れましたから、夫で商人()が花客()を思ふ樣に彼を思た丈の事です、貧畫工は誰でも買て呉れる人に世辭を云ひます、友達では無く世辭の相手と云ふ位です、夫に彼れは妻を娶りましたから。」
「成るほど妻が貴方と波漂の間を隔てたと云ふのですな。」
「と云ふでも有ませんが、詰り妻を持てば誰しも知人に疎々()しくなる勘定です」と云ひしも、彼れは此話を餘り好まぬと見え外の事柄に移りたしと云ふ風にて「オヽ斯云ふ中に酒も盡き、夜も八時を過ました、少し散歩でも仕ませうか」余は立派なる時計を出して眺め、
「成る程八時過です、御覽の通り私しは眼病で、餘りランプの光る所は好く有ません、夫に夜更()しも老體に障りますから最う宿へ歸ツて休みませう、何()です私しの宿まで行ませんか」と云ひ拂ひを濟して立上るに、彼れ同意せし如く余と並びて茲を出()たり。
余は歩みながら、
「併し是非とも貴方の描た繪を拜見仕度い者です、私()しも好()ですから波漂が買た位は買ますよ、波漂の代りに笹田と云ふ花客が出來たと思へば好いでせう。」
「夫は最う何より有難いお言葉です、必ず御覽に入れませうですがネ、仕合せな事に私しも波漂の居た頃ほどは貧くも無いのです、實の所ろ最う、六ヶ月も經てば、畫工を罷()やうと思ツて居ます。」
「オヽ夫は結構、誰かの身代でも讓られて、金滿家に成ると云ふのですネ。」
「左樣サ、身代を讓られると云ふでも有ませんが、詰り先づ同じ事です、非常な身代を持た或婦人と婚姻するのですから。」
アヽ人非人め、今より六ヶ月の後余が妻那稻と婚姻する積りにて、余の身代を當込()みに早や斯る廣言を吐くなるや。
二八
アヽ魏堂、今より六月の後に婚姻すると云ひ早や事定りし如く思へど、其六月の間には、如何ほど恐しき大珍事の起るやも知る可からず、珍味佳肴()も皿より口に入()る間に、箸を脱()して辷()り落()る過ちの有るを知らずや、彼れが樂む六ヶ月は余が復讐の熟する期()なり。
彼れ殆ど鼻唄を謠()はぬばかりに打興じたる面持なれど、其身の邊()に己れを詛()ふ白髮鬼の附纒()へるを知らば、斯まで氣輕く心浮ぶを得んや、余は斯思ひて、窃()に彼れの顏を見るに、彼れ見らるゝと悟りてか余に振向き、
「ですが伯爵、貴方は諸國を旅行した丈け定しめ[#「定しめ」底本ママ]美人を澤山御覽なさツたでせう。」
余は極めて餘所/\しく、
「エ美人、ナアニ美人でも愛情でも金さへ有れば買取れる一種の商品だと思ひますから、私しは唯だ金を稼ぐ一方で美人などに振向く暇は無ツたのです、美人を美人と思はねば、美人と醜婦()の鑑定さへ私しには附兼ますよ。」
魏堂は笑ひて、
「アヽ丁度波漂も其通り美人には冷淡でしたよ、尤も貴方は充分の經驗を經た上の事、波漂は經驗も何も無く、自分の愚さで爾思ツて居たのですから、美人を見ると直に其意見が變り、氣狂()の樣に成て婚禮しました。」
「では餘程の美人と見えますネ。」
「ハイ美人と醜婦の鑑定が六かしと仰有()る貴方でも、一目見れば成る程世界中の女は皆醜婦だと思ひます。勿論貴方は夫人にお逢ひ成さるでせう。」
「波漂の後家にですか。」
「左樣。」
「イエ/\、夫ばかりは御免蒙ります、御覽の通り朴訥()き老人が女の前では旨く口をきく事も出來ず、況()てや所天を失ツて泣てばかり居る女は大嫌ひです。」
大嫌ひと聞きては益々逢せ度()る事必定なり、彼は少し小聲にて、
「所がネ、爾う泣悲んでは居ませんよ、是非私しが紹介しませう。」
奸夫が眞の所天に向ひ、其妻に紹介せんとは古往今來()有ツた例()しか、此時宛も余が宿の入口まで歩み來たれば、魏堂が立留るを余は控へつ、
「爾ですか、泣悲しんでは居ませんか。」
「眞の美人は爾う愚痴ツぽい者では有ません、夫に悲むほど波漂を愛して居たので無く、寧ろ厭がツて居ましたもの。」余は宿の石段を登り乍ら、
「サア、立寄て暫く話てお出()なさい、幸ひ自慢の葡萄酒も有りますから一瓶口を開きませう、ハア爾ですか寧ろ嫌ツて居たのですか。」
魏堂は余に引れて内に入()り共に廊下を歩みながら、
「餘()ぽどの才子()で無ければ、アノ樣な美人には愛せられませんよ」と暗に餘ぽどの才子()を以て自ら居る、誠にお坐の冷果()た次第ならずや。
頓て室に達し、余は戸を開きて請()ずるに、彼れ畫を批評する如き目にて、先づ室の飾附けを見廻せり、余は獨言の如く、
「才子で無ければ愛せられませんかなア、私しは又金さへ有れば愚人でも愛せられるかと思ひましたが」と答へながらに立廻りて葡萄酒を拔來たるに、魏堂は余の後影()を等分に眺め居たるが、やがて一口呑み、
「伯爵、貴方は本統に皇族の贅澤です、室と云ひ、飮食物と云ひ」
「イヤ私しの今までの苦勞と身代に比べては、未だ是だけの贅澤では足りません。」
貴方と那稻の命まで貰はねばとの心を暗に籠めて云ふに、彼れ悟らう由も無ければ、何の故にや、少し不安心の樣子にて眉の間に曇を現し、
「伯爵、他人の空肖()と云ふ者か、貴方の立廻る後影()は何うも波漂と生冩()しですよ。」
余は驚かぬに非ず、去れど確に落着()て、
「イヤ背の高い人同志は大抵後影()が肖()た者ですよ、併し貴方の親友に似て居()れば私しも滿足です」と紛らせど、彼れ猶ほ解け兼る如く余の顏を眺むるにぞ、余は茲ぞと、少しも怯まず彼れを見返し、
「顏まで肖て居ますか、ハヽア私しと似た顏では波漂が妻に嫌はれたも無理は無い」と戯れたり。勿論肖し所ある可きなれど、波漂の時には淨く剃附()け居たる腮()にも頬にも、今は一面の鬚髯()を生()し、而も其鬚髯雪の如く白くして唯だ顏中の商標たる眼は濃き目鏡に隱したれば夫と疑ふ筈はなし、殊に余が大膽な振舞は全く彼れを眩()し得たり、彼れ初めて打解けつゝ是より酒の盡るまで笑ひ興じて話せしが、九時半を打つ時計の音に驚きて、イザ去らんと立上り、
「では又お目に掛りますが、兔に角貴方の事を伯爵夫人(即ち余が妻)へ話ても好()でせう、夫人は必ず喜んでお目に掛りますよ。」
余は夏蠅()しと云ふ顏を見せ、
「イヤ私しは女の詰らぬ話など聞くのは好みません、何所の婦人も宛()で小兒()の云ふ樣な取留の無い事ばかり話ますから、私しなどは殆ど返答にも困ります」と云ひ掛て少し考へ「ですが、アヽ爾だ、貴方に願ツて言傳()を仕て頂きませうか。」
「イヤ最う貴方のお言傳なら何なりと」
「夫でも貴方は何時夫人にお逢成さるか分りますまい。」
魏堂は少し顏紅()めながらも、畜生め、
「イヤ實は、今夜是から夫人の許まで行く用事が有ますから」と言切りたり。
讀者よ、余が言傳と云ふ、固()より今思ひ附し事に非ず、是も兼て定め置きし余が計略()の一なれば、余は其計略に相當する心廣き口調にて、
「實はネ、昔し私しが當地を出立する頃、波漂の父に旅費までも厄介を掛たのです、恩も怨()も充分に酬()ゆる迄は忘れぬが私しの氣質ですから(とて殊更に怨を聞かせ)何うか世界に類の無い報い方を仕度いと思ひ、自分で褒るのも異な者ですが、二十年の間油斷なく目を配り、最上の珠玉寶石類を集めました、金では價()が積れぬ程の品物ですが、遺憾な事には其恩ある父は死に、波漂の代と爲たのを聞きましたから、切()ては波漂に贈り度いと思ひ故々()持て來ました所、波漂も既に冥府()の人、私しの恩返しは既に相手が無くなりました、けれども又考へるに波漂が生て居るならば勿論飾り物の事ですから、其妻伯爵夫人の物に成ませう、而見()れば波漂が死だとても矢張り夫人へ送るのが順序かと思ひますから、夫人が受納めて下さるか下さらぬか、貴方から穩()かに夫人の意見を伺ツては下されませんか。」
勿論牡丹餅で頬片()てふ東洋の諺より猶ほ難有()き次第なれば、問ふにや及ぶと云ふ所なれど之を問ふが紳士の虚禮、魏堂は一句一句に頬を崩し、
「イヤ其樣なお使ひなら何度でも言附()り度い者です、殊に夫人は珠石が其姿に似合ますから、何れほど歡()ぶか知れません、併し折角のお言傳ゆゑ、充分貴方の本意が通ずる樣に尋ねて見ませう。」
斯く答へながら彼れ夫人を喜()すの一刻も早きを欲する如く、尻をモヂ/\と落附かねば、余は思遣り能く、
「では花里さん、明日()にも其お返事をお聞かせ下さい」とは「是れ/\サア之を機()にお歸り成さい」の謎も同樣、彼れホク/\と轉がりて辭し去れり。
二九
奸夫魏堂、姦婦那稻、此兩個()の中()余は孰れを最も憎む可きや、魏堂の憎き事此上無けれど、那稻は魏堂よりも猶憎し、魏堂は余が親友と云ふ丈なれど、那稻は實に余が妻なり、神の前に立ち、余と生涯變らじと誓ひたる身を以て、婚姻後纔()か三月にして仇()し男に情を寄す、其罪遙に魏堂に優れり、那稻の心若し清くば魏堂如何に那稻を誘()ふとも姦を爲すまでには至らじ、那稻の心既に濁らば、縱し魏堂無しとするも那稻は必ず外に男を求むるに至らん、魏堂の罪は四分にして那稻の罪は六分なり、否魏堂の罪十分にして那稻の罪は十二分なり、去れば余が復讐の眞の目的は魏堂に在るよりも那稻に在り、魏堂を十分に苦めて、那稻を十二分に苦めざる可()らず。
余は初より實に此心なり、故に魏堂若し余に對し少しにては波漂の死を憐む如き言葉を、吐き、波漂を惜む如き心を現はしなば、余は幾分か彼れの罪を恕()し、幾分か復讐の計略()を替へ、重に那稻を酷()く責る氣に成りしも知れず、然るに彼れ余に逢ひてより、口に云ふ所、一言()として波漂を譏()るに非ざる無く愚人と云ひ、愚物と云ひ、馬鹿と罵り、痴人()と嘲る、凡そ死せし朋友を傷()くる者は縱し奸夫に非ずとも余は十分に責ねばならず、況()てや彼れ余に人生第一の侮辱を與へ、其の上にて余の生前を毀()けて殆ど餘す所なし、余は復讐の計畫を一層強く締上()るとも決して弛くする能はず。
余は彼が立去りし後にて一句/\に彼の言葉を想ひ出()し、今まで秘し隱しに隱し居たる滿腔の怒りは宛も樋()の口を切りし如く一時に發し、眠らんとするも眠られず、曉方()までは寢臺()の上にて唯だ悔し涙に呉るゝのみなりしが、五時の時計を聞くに及びて漸く疲れて夢に入れり、夢は唯だ我身が鬼と爲りて魏堂と那稻の咽笛に噛附くと云ふ如き怨()の有樣を見るのみなりしが、滿身に寢汗をかき魘()されながら目を覺ませし頃は、早や朝の九時を過ぎ居たり。
大事を心に計()む者が斯く輕々しく怒りては成ずと思ひ、冷水()にて身體を拭ひ、鏡に向ひて我が姿を落附け、浮世の憂サを知らぬ如き笑()しげなる老紳士と爲り漸く朝飯を濟せし所へ、早や入來()るのは彼の魏堂なり、讀者余は彼れを魏堂と呼ばず寧ろ僞奴()と綽名()しても猶足らぬ程に思ふなり。僞奴め昨夜より早()慣々しく、
「イヤ朝ツぱらからお邪魔致して相濟みませんが」と頬笑みながら口を開き「伯爵夫人に言附けられ參らぬ譯に行きませぬ、實に之を見ると男は美人の奴隷ですよ。」
「左樣サ、奴隷の中に又、私()しの樣に美人を恐れる變り物も有ますのサ。」
「今朝は全()たく伯爵夫人からの使ひとして參たのです、夫人の申しますには」と言掛るを余は妨げ、
「アヽ既に昨夜の中に貴方は夫人に逢たと見えますネ。」
僞奴め少しく赤面して、
「ハイ、ナニ僅か五分間ばかりです」と言譯の如く云ふは流石に氣の咎める者と知らる、彼れは六ヶ月の後に婚禮するとは既に余に向ツて披露せし所なれど、其の相手が波漂の未亡夫人なりとは猶ほ打明得ぬ所なり、何()の時、如何にして打明くるや、余は竊()かに怪しむなり。
「所で貴方のお言附を詳しく夫人へ申しました所、夫人は篤()くお禮を申して呉れとの事で、夫にしても一應貴方から夫人の許をお尋ね下され、一旦お近附()に成た其上で無()れば、頂くのも餘り失禮に當るから、兔に角何()かお連申して來て呉れと、斯う夫人は云ました。成程是が最もな作法だと私しも思ひます。爾でせう、ネ伯爵、さすれば何時貴方は夫人の許へお出下されませう、夫人は成る可く面會を謝絶して居ますけれど、貴方の爲には規則を破ると申します、貴方は羅馬内家の古くからの友達ゆゑ特別だと云ました。」
余は少しも喜ばぬ顏色にて、
「イヤ爾まで云はれるは有難いとは思ひますが、何しろ猶ほ當分お尋ね申すと云ふ事は出來ませんよ、先()ア何と斷つて好いか、交際社會の言葉には一向不得手の私()しですから、貴方の口で何とでも角の立ぬ樣に斷ツて頂きませう。」
「エ、エ、貴方は本統に貴夫人の招きを斷るのですか。而も特別の招ぎを」
「ハイ私しは御覽の通り我儘の老人ゆゑ、貴夫人の爲でも美人の爲でも、自分の意を曲る事は出來ません、夫に當分の所は色々用事も有ますから、用事が濟だ上は兔も角、夫までは仕方が有ません、何うも貴夫人のごく丁寧な廻りくどい言廻しを聞くと、私しなどは附打()の返事しか出來ぬゆゑ直()に頭痛が仕て來ます。」
魏堂は可笑()しさに堪ぬ如く聲を放ち、
「オヽ伯爵、貴方は本統の奇人です、心底()から美人を憎むと見えますな。」
「ナニ憎むと云ふのは強過ます憎むにも嫌ふにも足らぬ、詰り度外に置く可き商品だと思ツて居ます、實に爾ですよ、譬へて見れば美人は先づ綺麗な紙で包んだ荷物の樣な者です、人は包み紙の綺麗なのに目が眩んで直に自分で背負込()みますが、綺麗な包み紙は直に皺苦茶になり、破れて仕まひ、後に殘るは荷物の重さばかりです、女は隨分重い荷物で生涯捨るにも捨られず、末には其重さに堪兼ね、自分が壓附()られて頭の上らぬ樣になる人も隨分有るでは有ませんか。」
魏堂は苦々しく、
「成るほど爾云へば先づ其樣な者ですけれど。」
「イヤ貴方は丁度美人を戀しがる年頃、私しは美人に最う用のない老人、到底美人の議論では意見の合ふ筈が無い、夫よりは意見の合ふ繪畫の事を話しませう、爾々()昨夜約束した通り今日は貴方の住居()を訪()ひ、貴方の描た物を見せて頂きませう、勿論、お差支()へは有りますまいネ。」
「イヤ差支へ處か是非とも、私しから願ふ所です、が夫にしても」
「イヤ幸ひ午後の三時と四時の間が暇ですから三時過に上()ります、其時間で宜()でせう。」
「ハイ。」
「併し貴方に見せて貰ふばかりでは無く、アヽ那()の夫人に贈る珠玉寶石の飾物を茲で貴方に見て頂きませう、何うです。」
魏堂は眞實見た相なる顏附にて、
「ハイ見せて頂きませうか。」と云ふ。
余は立ちて戸棚より、豫()てパレルモにて作らせたる飾物の箱を取り來り、之を魏堂の前なる卓子()の上に置きて葢を開くに、中より燦然として現るゝは是れ輕目郎、練の寶物、其餘りの美しさには余さへも驚くばかりなり。
三〇
余さへも驚く程なれば、僞奴()は猶更()ら驚きたり。
「エ伯爵、貴方は何うして是ほどの寶を集めました、この光珠()は、此の紅石()は、此の緑珠()は、此の碧玉()は」と口續()けに嘆賞()せり。實に是等の珠玉は金に飽せて求むるとも其大()さ其輝き方、類稀()れなる者にして容易には求む可からず、余は惜氣()も無く、
「イヤ私しが波漂の父に受た恩は、仲々是位で未返()されません。」
「イヤ何の樣な恩か知ませんが、是で返し盡されぬ恩と云ふは有ません、是ほど立派な玉の類は帝王の冠物()、兼て練の名前を聞て居ますから何の樣な人物か話を仕度いと思ツた丈です、夫も話の種が無いから、群衆の噂を其儘種に致しました。」
「群衆の噂とは。」
「ハイ先日警察署で羅浦五郎とか云ふ者を疑ひ、其者の船で逃たのだとて、其船を調()たとか群衆の者が言ひましたから、私しは練に向ひ、己()は羅浦の友人だが彼へ言傳()は無いかと問ました。
「爾すると彼れが地中海の船頭へ云々()と答たと云ふ事は、既に憲兵から聞ましたが、其後で小聲で言た事は何事です。」
「アレハ練が余を疑ツて試す積でせう、お前は秘密を知てるかと小聲で聞ましたから、私しは兼て度度()の航海に人の話で聞いて居る Vault と云ふ語を思ひ出し、ヴヲルト/\と答へました。[#「」」欠字か]
「ヴヲルトとは墓窖と云ふ語ですが。」
「ハイ、船乘は船の中の物置をヴヲルトと云ます、墓窖で無く船倉です。」
「船倉が何の秘密です。」
余は又笑を浮め、
「お問成()る迄も無く貴方は御存()でせう、地中海の海賊等は仲間のことを船倉()と云ふのです。」
「スルト貴方は練に向ひ汝の仲間だ/\と答へたのですネ、實際仲間でも無いのに。」
「ハイ、夫ですから練は怪み、俺の仲間に貴樣の樣な者は無いと云ひ、貴樣が餘り能く姿を替て居るから己()には分らぬと云ました、唯だ是だけの問答で直()に憲兵に引分られましたが、練は私しの白髮()を見、事に由ると手下の誰かゞ姿でも替へて居るのかと怪んで、決し兼た樣子でした。」
明される丈の誠を明し、吐()れる丈の嘘を吐()たる余の返事を署長は幾分か信じ初たるに似たり、ヴヲルトの語を仲間の符牒とは余の作り事に非ず、少しく地中海を航行する者が誰しも聞知れる所なれば、署長は猶更誠と思ひしならん、余は此圖を外さず、
「私しが眞實彼れの手下とか仲間とか云ふ者ならば、第一詮議の嚴しい此土地に二月以上も逗留する筈は無く、況()てや練の捕縛と聞けば其傍へも寄附()ません、大膽に憲兵の傍で彼と話など仕ますものか」此辯解は又も署長を一分ほど余が方()へ引寄せたる事、其顏附にて明白なり、猶も余は歩を進め、
「併しお役目ゆゑ私しを疑ふのは當然です、私しも充分に疑はれ、其代()り後へ塵ほどの疑ひも殘らぬ樣に辯解して置度()いと思ひます、是から私しは故郷ネープル府へ永住する身ですから、少しの疑ひでも附纒()はれては困ります。」
「御尤も。」
「夫とも練の同類の中で私しに似寄た者が有て、其者が未だ捕縛されずに居るとでも云ふのですか。」
「イエ爾でも有ません、若し其樣な事が有れば斯して私しが面會は願はず、直に貴方を拘引するかも知ませんが、其樣な事が無いから今の所では唯だ怪む丈に留り、此通り貴方の名譽に障らぬ樣、私服の儘で内々お尋ね申すのです。」
「では斯して戴きませう、誰か貴方の吏員中()に練の同類を殘らず見知て居る者は有ませんか、若し有れば其者へ私しの顏を篤と見せれば、私しが果して練の同類中の一人()か否やと云ふ事が直に分りませう。」
署長は滿足の樣子にて、
「ハイ、私しも實は爾願ひ度いのです、失禮では有ますが幸ひ練の同類を殘らず知て居る者が有ますから、其者に貴方の人相を篤と見せ度いと思ひ、實は連て來て戸の外へ待たして有ます。」
斯までも余を疑ひしかと思へば、余は今更らゾツと過去()し危ふさを思ひ出せしも、人相を見らるゝは何よりも好む所ろ、余の顏が練の手下の顏に有ぬは勿論の次第なれば、余は殆ど嬉げに、
「直に其者をお呼入成()さい」と云ふ、署長は背後()を向きて高く啖拂()ひを發するに之が即ち合圖と見え、聲に應じて入來()るは、先刻練に罵られし彼のビスカルダイとやら云へる男なり。彼れ署長の耳に何事をか細語くと見る間に署長は余に向ひ「失禮ですが何うぞ、其黒目鏡を外して下さい」と請ふ。
「イヤ、私しは眼病ゆゑ、之を外すは醫者より停られて居()ますが、今は致し方が有ません、サア能く御覽を願ひます」と云ひ目鏡を外して波漂の眼を露出()したり。
二五
目鏡を外した露出しの余の眼()は、寧ろ余の信用を増さうとも損する者に非ず、盜坊の眼に非ずして貴族の眼なり、氣味惡げに非ずして愛らしく、惡人と見えずして善人と見ゆ。
去ればにやビスカルダイと云ふ彼の男も、警察署長も一目見て余が眼の最と晴やかなるに驚きし樣子なり、ビスカルダイは一語をも發し得ず、殆ど呆氣に取られたる姿にて、署長の顏を眺むるのみ、署長は迫込()みて、
「ビスカルダイ、何うだ、此方()の顏を見た覺えは有るか。」
「有ません、有ません、輕目郎、練の同類の中に此樣な眼を持た男は一人も有ません。」
余がグツと安心すると齊()しく、署長はグツと力を落し、極()り惡げに首()を垂れたり。余は之を慰むる如くに、
「イヤ何に、貴方はお職掌柄()で私()しを調たのですから、私しは少しも貴方を咎めません、却て貴方が職務に熱心なのを感心します、殊に私しの眼が盜坊の眼と違ツて居るとは此上も無い私しの滿足で、詰る所ろ貴方がたから此男は決して海賊の同類で無いと云ふ保證を附て貰ふ樣な者ですから、此後再び怪まれる憂ひが無くなツたのです。」
署長は余の一言()/\に頭()を垂れ、額に冷汗を流すかと怪まるゝ程なりしが、暫くにして又思ひ返せし如く恐々()に余を見上げ、
「ハイ本統に貴方の身へ保證を付けます、此上若し貴方のお頭()の髮()を檢()めさせて下されば」と云ふ、アヽ彼れ、十分の疑ひが九分まで解けしも、猶ほ一分余の白髮()に疑ひを殘し、若しや假鬘()では無いかと訝()れる者と見ゆ、余は殆ど可笑()さに堪ざれば、
「アハヽヽ夫こそお易い事柄です」と笑ひながら答ふるに、署長は汗を拭きながら、
「イヤ是とても決してお疑ひするのでは有ません、唯今眼を拜見した所では、未だ白髮に成るやうな年頃とも思はれませぬのに、黒い毛が一本も有ませぬから、唯だ念の爲に斯願ふ丈の事です」と言譯せり。
「サア充分念を入れて御覽なさい」と云ひ余は我頭()をランプに迫附()け、兩手にて髮の毛を掻亂()して見せしむるに、署長は右見左見()打眺め、疑ひの晴るゝに從ひ挨拶の言葉にも困りしが、
「成るほど之は美しい髮の毛です」傍に立つビスカルダイは、檢むる丈け無益と思ふにや、
「イヤ長官、假鬘と本統の毛は一目見て分ります、此方()の毛は決して假鬘でも無く、又決して染た者でも有ません、根から白く生出()て居()ります」余も之に口を添へ、
「イヤ署長、何所でも好いから五六本引拔て御覽なさい。」
署長は先程より引拔たしと思ひ得たりと見え「夫では餘り失禮ですが」と云ながらも其手を差し延べ「本統に拔ても構ひませんか。」
「ハイ貴方が職務に熱心なるに免じ、此白髮幾筋を贈りませう。」
署長は余が頭()の頂邊()にて最も長き者を撰び一度に二三本づつ三度に拔き、拔く度()に其毛をば直ちに己が手の甲へと留()らせたり。勿論拔立の活毛()なれば其根は宛も糊の如く、直ちに其所ろへ固着()くに、署長は初て心底から疑ひの解けし如く、
「イヤ斯までお疑ひ申して誠に申譯が有ません、夫にしても貴方の白髮は本統に不思議です、どうして斯うお早くから。」
「イヤ長く印度に居て、熱帶の天日に洒()したから此樣に成りました。」
「成る程、爾ででも無ければ此樣な事は有ません、私しは今までも假鬘だと思て居ました」と云ひつゝ手の甲の毛を剥()り取り、指に卷きて卓子()の下に打捨て、更に又た「其の代り此の後貴方の身を何と疑がふ者が有らうとも、私()しが保證します、バレルモ警察署長に問へト斯うお答へ成されば宜しい。」
余は輕く受け、
「イヤ、ナニ是から故郷へ歸るのですから再び怪まれる樣な折は有ますまい、故郷には今も猶ほ笹田折葉の名前を覺えて居る者も有り、私()しを迎へる者も有ますから」署長は益々面目無げに、疑ひたる過ちを謝し、此後當地に用事も有らば何なりと言附けられ度しなど繰返して止まず。
是にて余が身は先づ/\青天白日と爲りたれば、余は是より猶ほ一時間ほど署長を引留め、上等の煙草及び古酒などを馳走しながら、輕目郎、練の事を問ふに、練は遠からず死刑に處せらる可く、又其手下の重()なる者は大方捕へ盡したれど、其餘()は諸國へ散亂したれば又と此國へ歸り來()る事に非ずと云へり。左すれば墓窖の中の身代益々以て余の物なり、天余が不幸を憐()み一切の邪魔者を拂ひ退け、前後に顧慮()する事も無く一意に復讐を行はしめんとするに似たり。此翌日愈々此宿を引拂ひ復讐の地、ネープル府に向け船に乘れり。
海上何の異状()も無く翌々日の朝七時頃に故郷に着きたり、是れ余が此地を去りてより凡そ百日の後にして千八百八十四年十一月の末なりき。余が此地に歸る事既に新聞紙の報じたる所なれば、重()なる宿屋は悉く引札樣()の招待状を余に寄せ有り、余は其中にて最も上等なる者を撰びて直ちに之に投宿し、金を湯水の如くに撒きて室()の飾()などを差圖()するに、宿屋の者等は眞に天子の來臨の如くに喜び、給使()より其他の召使ひに至るまで寄ると障ると余を褒むる噂のみなり、午後に至り全く飾附けも終り、先づ當分の余の住居()出來たれば、余は猶ほ彼れ是れの用意を調へ、頓て夕刻の七時に至り、散歩に行くと言置きて徐ろ徐ろと此家()を出()たり。
指して行くは孰れの家ぞ、余が波漂たりし頃毎夜の樣に魏堂と共に立寄りたる當時流行の可否茶館()なり。土地の紳士大抵茲に寄集ふことなれば、魏堂も定し來り居るならんと思ひ、歩み入て廣場の一方に腰打掛け、室中()を見廻すに余より幾間をも隔てたる卓子に向ひ、我こそは當府第一の紳士ぞと云はぬばかりの顏附にて、佛國のフヰガロ新聞を讀む一人()は、實に是れ余が僞りの友誠の敵、余が妻那稻を偸みし奸夫、彼の花里魏堂なり。其小指より燦々()と光を放つ夜光珠の指環も、確に見覺えある余の指環なり。
二六
此時給使は余を上等の客と見て取りしか、直ちに來りて「旦那樣此方()の卓子が綺麗です」と云ひ余を魏堂の隣に案内し行きたり、魏堂は新聞紙の頂邊()より余の姿を一寸()と見たれど、白髮()にして黒目鏡の老紳士、氣を留()るにも足らずと見しか、又知らぬ顏して新聞に顏を隱せり。余は早や戰場に踏入りたる心なれば、百日以來練り固()に固めたる濁聲()にて給仕に珈琲()を命じ、飮終りて頓て價を取らせ、猶ほ充分の祝儀を與ふるに、何思ひけん魏堂は新聞紙を下に置き前よりも樣子ありげ、且は不安氣に余の横顏を眺めたり。
横顏は眞向()よりも却て化()の皮の剥易()き者と知る故、余は手を延して新聞紙を取るに事寄せ故()と魏堂の方に向くに、今の祝儀に浮されたる給仕は氣を利かせ「イヤ新聞紙なら此方が今着たばかりです」とて折たる儘の一枚を持來れり。余は急に之を開かんともせず、贅澤を仕飽きたる人の懶()さを眞似、仰向けに椅子に寄り、左の手に燻る葉卷の煙草を持ち、横柄に室中を見廻すと云ふは假の名、實は黒目鏡を四方に光らせながら、
「コレ/\給仕、茲はネープル府の紳士が大抵は來る所と聞たが。」
「ハイ何方()樣も皆入()ツしやいます。」
「伯爵波漂、羅馬内氏は來られぬか」此語を聞きて魏堂はビクリと身を動せしか、給仕は合點の顏にて「アヽ貴方樣は未()此土地に入()しツた計()りと見えますな、波漂樣は三月ほど前()に亡なりました。」
「エヽ何だと、波漂が死んだ、若いのに其樣な筈は無い。」
「イエ、此土地の人は皆知て居ます、其當座は惜まぬ人は無い程でした。」
「ヤレ/\夫は殘念な事をした。折角己()が來たのに間に合なんだか」余の失望を給仕は氣の毒げに、「貴方樣は波漂樣を尋ねてお出成()ツたのですか。」
「イヤ夫ばかりで來たでは無いが、己は波漂の父とは極懇意な友達でな、永年旅に出て居たが此頃久し振に歸たから夫で逢たいと思ツたのサ、アヽ己が此土地を立つ頃は波漂が猶()だ子供で有たが、最う死だのか、定めし流行病にでも罹つたのだらうな。」
「ハイ。」
「親父は十餘年前()に死ぬるし、今又、波漂が死んだと有れば、ハテナ羅馬内家は絶て仕舞ふか、夫とも波漂に女房でも出來て居たかの。」
「ハイ綺麗な奧樣がお有り成()ツて、お子供()も一人出來て居ます。」とて給仕が猶ほ多舌()り出()さんとする折しも、魏堂奴()、何やら用ありげに此方()を向くにぞ、余も亦應じて黒眼鏡を彼れの生白き顏に向くるに、彼れ交際に慣たる優しき聲にて、
「イヤ失禮ですが、私()しはお尋()の波漂とは極親密に致した者です、彼の事ならば大抵存じて居ますからお尋ねならば、私しからお返事致しませうか」と云へり。
其聲其言樣()、總て余が兄よりも弟よりも猶親しく交りし其頃の魏堂の聲、其頃の魏堂の言樣なり。余が耳にも昔聞慣れし謠曲を聞く想ひにて、怒りの裡に又一種の悲みを催()し、頓()には返す聲さへも出兼()ぬる程なりしも、今より斯く心弱くては叶はずと魏堂が猶ほ怪まぬうち早くも練固めたる聲に復り、
「オヽ貴方が波漂の親友ですか、是は何より幸ひです、此後益々御懇意を願はねば成ませぬが」と云つつ余は名札を出()し、謹みて魏堂に渡すに、彼れ一目見て打驚き、
「ヤ、ヤ、貴方が伯爵笹田折葉氏()ですか、貴方が當地にお出()の事は既に上流新聞紙が皆報道した所で、我々交際社會の者は首を延して待て居ました。其笹田伯爵に私しが第一にお目に掛るとは實に私しの名譽です、私しこそ御懇意に願はねば成ません」と云ひ、彼れ殆ど媚()る如くに其手を余の前に差出()せり。
差出せし其手をば余は禮儀として握らねば成らぬとは、余は餘りの忌々しさにゾツと寒氣がして身體中鳥肌に成るかと覺えたり、去ればとて握らねば成らぬ場合、手袋の儘、之を握るに彼れ熱心に握り返す其温さは今の寒氣を追出()し、皮を隔てゝ余の手を燒くに似たり。斯る僞りの人物と交りを結ぶ余が心の辛さ、是も今更ら驚く可きに非ずとは云へ、余は殆ど我心を制し兼る程なりき、去れど今茲にて此辛さを堪へ得しからは、宛も最初の灸を堪へし如く、此後は幾度()彼れの手を握るも平氣なる可く、彼れに眞實の友と見せて、共に笑ひもせん興じもせん、先づ、皮切だけ濟せしは幸ひなりと、余が靜に手を引けば、彼は余の心の騷ぎしとは氣も附かず自分の名刺を取出()して余に渡し、
「私しは不束な畫工()、花里魏堂です、是れからは貴方の下僕()も同樣です。」
「イヤ私()しこそ。」
「では一杯傾けて此交りを祝しませう」と云ひ、彼れ給仕を呼びて酒を命じ、其來()るまでと云ひ、余に煙草を差出()せり、煙草は勿論容物()まで余の品なれば、余は夫を手に受て眺めながら、
「仲々立派な美術品です、おや、H()の字とR()の字を彫附て有ますな、故人の遺身()とでも言相()ですが。」
「爾です、波漂の遺身です。」
「なるほど、それでH()の字とR()の字ですか。」
「ハイ波漂が死()る時、持て居()つたのを、葬つた宣教師が外の品々と共に夫人の許へ送り屆けたのです。」
「夫を夫人から貴方へ遺身に贈られたと云ふのですネ」と余が無理に笑を浮べて問へば彼れ滿足げに、
「左樣()です」と答へ、更に己の未來の妻を紹介する心にや、彼れ又笑を浮べ、
「何うせ貴方は夫人にお逢成さるのでせうが驚いては了ませんよ、世界中の美人の顏を見盡した太陽に問ふて見ても、恐らく是ほど愛らしい顏を照した事が無いと答へませう。」
余は強()て冷淡に、
「オヽ夫ほどの美人ですか。」
「美人と云ふ名は追附きません、初て天降つた天女です、貴方が若し少年ならば私しは此樣な事は言ひません險呑ですから、併し貴方の白髮()を見れば、斯樣な事を打明けて無難なお年頃と見認()ますから遠慮無しに云ますが、ハイ本統に天女です、波漂なぞの女房には本統に勿體ない程でした。」
波漂なぞとは何事ぞ、殊に「なぞ」の妻には勿體なしとは、彼れ如何ほどに余を見下げ居()るにやと思ひ、余は探りを容()れ、
「だけれど波漂は父に似て幼い頃は隨分立派な男で、心も仲々好さ相に見ましたが。」
「左樣()サ、褒めて言へば善人、公平に評すれば愚物ですよ、死だ友人を誹()るでは有ませんが彼れの性質を算盤()に掛け一々に〆上()て見ますと、出て來る高は何うしても愚人()です。」
己れ魏堂め、人非人め!
二七
己れ人非人め、心に斯くも余を見下しながら、皮膚()を粧()ひて余に親友と呼れるを旨()んじ余が家に入込()しのみならず、余が妻を奪ひ[#「妻を奪ひ」は底本では「妻を奪も」]、死だ後では余の一切の物を我物とし、而も余を愚人よ、愚物よ、と罵る乎()、余若し胸に充分なる復讐の考へ無くば、唯ツた今此所にて彼が喉笛を掴み潰し息の根を止て呉れる所ならん、怒りては成らずと心得ながらも殆ど怒らぬ事能はざる程なればなり。
彼れ猶ほ語を續け、
「第一波漂と云ふ奴は、人に物を頼まれゝば決して否()と云ふ事の出來ぬ男でした、ヱ愚人では有ませんか、少しの事を憐れがり、人に物を施す事はすれど自分で一錢たりとも親の身代を殖()す事を知らず、幸ひ大家に生れたから慈善家などと褒られた樣な者の、若し貧家に生れたら取り所()の無い厄介者です、彼を褒るのは其實彼れを煽起()るのです、煽起に乘つて親の身代を減す男ですから智慧の底が知れて居ませう、其一命を落したのも矢張り慈善と云ふ煽起に乘り、惡疫の病者を救はうとした柄()です、先づ命知らずです」と憎々しげに云來れり。
交際の社會では斯る言廻しを才辯()とも話上手とも云ひ、持囃()す事なれど、余は最早や此上我が腹立を制し得まじと思ふ迄に至りたれば、彼れの言葉を停()むる爲め無理に聲高き笑ひを發し、
「アハヽ之は可笑しい、本統に其通りですよ今の世で善人と云ふは畢竟愚人の異名です、貴方の意見は私しの意見と符合します」と云ひ猶ほ面白さに堪へぬ如く手を拍()て紛らせるに、彼れも亦余と同じく打笑へり。
斯る所へ給仕は銘酒の瓶()を持ち來りし故、余は救ひを得し心にて之を呑み、彼れも話の咽()を濕()すと云ふ風にて之を呑み、話は續いて余が死してより葬式の事に移り、魏堂自ら彼の宣教師に從ひ余を墓場まで送りたりと云ふにぞ、余は故()と怪訝の顏にて、
「貴方は惡疫の死人を墓場まで送るなどと實に險呑では有りませんか、貴方も幾分か慈善家にかぶれましたか」と笑ふに彼れ「違ひ無い」と和して笑ひ更に又、
「イエ慈善と云ふ譯では有ませんが、其頃私しは波漂の家()に逗留して居ましたから、詰り浮世の義理と云ふ者、夫に私しは他人と違ひ少しも惡疫を恐れません。」
「ヱ。」
「イヤサ實に詰らぬ事柄ですが、自分で深く信じて居る事が有るのです、お笑に成るかも知れませんが、幼いとき東洋から來た人相見が私しを見て、此兒()は決して病氣で死ぬる質()で無いと云た相です、乳婆が何度も話ました、眞逆()に當りは仕舞()ますけれど、夫でも私しは何と無く其豫言が當る樣な氣が仕ます。」
余は今まで魏堂と交りたれど此事は今聞くが初めてなれば、事新しき想ひにて、
「へエヽ、病ひで死なねば何で死ぬると云ひました。」
「夫がサ、不思議な豫言ですよ、一度極懇意にした親友に殺されるのだと云ひました」余は殆ど悸()つとしたり。
「成るほど不思議な豫言ですネエ。」
「所が今と成ては其豫言が外れて居ますよ、私しの先づ親友と云ふは波漂ですが、彼が私しを殺す筈も無し、外に親友は有ませず、波漂は既に此世の人では有ませんから、何うやら誰にも殺されずに濟み相です」否々濟み相に無し何()やら豫言が當り相なり。
余は腹の中で頷きつゝ、夫にしても魏堂が如何の心にて斯る事を云ふにやと佶()と彼の顏を詠()むるに、幸ひ余が眼は兼ての黒目鏡に隱れたれば彼れ夫とも心附かず、去れば彼の顏、今まで晴々しかりしに引替へ何と無く曇りて見え、悄()や悲げなる所あるは、或は己が心に幾分か咎むる所の有るが爲にや、夫とも虫が知すと云ふ類()にも有らんか、
「では矢張り、波漂を親友として愛して居たのですネ、貴方は。」
「イエ愛すると云ふ程では有ません、唯だ彼れは私しの畫()を幾枚も買て呉れましたから、夫で商人()が花客()を思ふ樣に彼を思た丈の事です、貧畫工は誰でも買て呉れる人に世辭を云ひます、友達では無く世辭の相手と云ふ位です、夫に彼れは妻を娶りましたから。」
「成るほど妻が貴方と波漂の間を隔てたと云ふのですな。」
「と云ふでも有ませんが、詰り妻を持てば誰しも知人に疎々()しくなる勘定です」と云ひしも、彼れは此話を餘り好まぬと見え外の事柄に移りたしと云ふ風にて「オヽ斯云ふ中に酒も盡き、夜も八時を過ました、少し散歩でも仕ませうか」余は立派なる時計を出して眺め、
「成る程八時過です、御覽の通り私しは眼病で、餘りランプの光る所は好く有ません、夫に夜更()しも老體に障りますから最う宿へ歸ツて休みませう、何()です私しの宿まで行ませんか」と云ひ拂ひを濟して立上るに、彼れ同意せし如く余と並びて茲を出()たり。
余は歩みながら、
「併し是非とも貴方の描た繪を拜見仕度い者です、私()しも好()ですから波漂が買た位は買ますよ、波漂の代りに笹田と云ふ花客が出來たと思へば好いでせう。」
「夫は最う何より有難いお言葉です、必ず御覽に入れませうですがネ、仕合せな事に私しも波漂の居た頃ほどは貧くも無いのです、實の所ろ最う、六ヶ月も經てば、畫工を罷()やうと思ツて居ます。」
「オヽ夫は結構、誰かの身代でも讓られて、金滿家に成ると云ふのですネ。」
「左樣サ、身代を讓られると云ふでも有ませんが、詰り先づ同じ事です、非常な身代を持た或婦人と婚姻するのですから。」
アヽ人非人め、今より六ヶ月の後余が妻那稻と婚姻する積りにて、余の身代を當込()みに早や斯る廣言を吐くなるや。
二八
アヽ魏堂、今より六月の後に婚姻すると云ひ早や事定りし如く思へど、其六月の間には、如何ほど恐しき大珍事の起るやも知る可からず、珍味佳肴()も皿より口に入()る間に、箸を脱()して辷()り落()る過ちの有るを知らずや、彼れが樂む六ヶ月は余が復讐の熟する期()なり。
彼れ殆ど鼻唄を謠()はぬばかりに打興じたる面持なれど、其身の邊()に己れを詛()ふ白髮鬼の附纒()へるを知らば、斯まで氣輕く心浮ぶを得んや、余は斯思ひて、窃()に彼れの顏を見るに、彼れ見らるゝと悟りてか余に振向き、
「ですが伯爵、貴方は諸國を旅行した丈け定しめ[#「定しめ」底本ママ]美人を澤山御覽なさツたでせう。」
余は極めて餘所/\しく、
「エ美人、ナアニ美人でも愛情でも金さへ有れば買取れる一種の商品だと思ひますから、私しは唯だ金を稼ぐ一方で美人などに振向く暇は無ツたのです、美人を美人と思はねば、美人と醜婦()の鑑定さへ私しには附兼ますよ。」
魏堂は笑ひて、
「アヽ丁度波漂も其通り美人には冷淡でしたよ、尤も貴方は充分の經驗を經た上の事、波漂は經驗も何も無く、自分の愚さで爾思ツて居たのですから、美人を見ると直に其意見が變り、氣狂()の樣に成て婚禮しました。」
「では餘程の美人と見えますネ。」
「ハイ美人と醜婦の鑑定が六かしと仰有()る貴方でも、一目見れば成る程世界中の女は皆醜婦だと思ひます。勿論貴方は夫人にお逢ひ成さるでせう。」
「波漂の後家にですか。」
「左樣。」
「イエ/\、夫ばかりは御免蒙ります、御覽の通り朴訥()き老人が女の前では旨く口をきく事も出來ず、況()てや所天を失ツて泣てばかり居る女は大嫌ひです。」
大嫌ひと聞きては益々逢せ度()る事必定なり、彼は少し小聲にて、
「所がネ、爾う泣悲んでは居ませんよ、是非私しが紹介しませう。」
奸夫が眞の所天に向ひ、其妻に紹介せんとは古往今來()有ツた例()しか、此時宛も余が宿の入口まで歩み來たれば、魏堂が立留るを余は控へつ、
「爾ですか、泣悲しんでは居ませんか。」
「眞の美人は爾う愚痴ツぽい者では有ません、夫に悲むほど波漂を愛して居たので無く、寧ろ厭がツて居ましたもの。」余は宿の石段を登り乍ら、
「サア、立寄て暫く話てお出()なさい、幸ひ自慢の葡萄酒も有りますから一瓶口を開きませう、ハア爾ですか寧ろ嫌ツて居たのですか。」
魏堂は余に引れて内に入()り共に廊下を歩みながら、
「餘()ぽどの才子()で無ければ、アノ樣な美人には愛せられませんよ」と暗に餘ぽどの才子()を以て自ら居る、誠にお坐の冷果()た次第ならずや。
頓て室に達し、余は戸を開きて請()ずるに、彼れ畫を批評する如き目にて、先づ室の飾附けを見廻せり、余は獨言の如く、
「才子で無ければ愛せられませんかなア、私しは又金さへ有れば愚人でも愛せられるかと思ひましたが」と答へながらに立廻りて葡萄酒を拔來たるに、魏堂は余の後影()を等分に眺め居たるが、やがて一口呑み、
「伯爵、貴方は本統に皇族の贅澤です、室と云ひ、飮食物と云ひ」
「イヤ私しの今までの苦勞と身代に比べては、未だ是だけの贅澤では足りません。」
貴方と那稻の命まで貰はねばとの心を暗に籠めて云ふに、彼れ悟らう由も無ければ、何の故にや、少し不安心の樣子にて眉の間に曇を現し、
「伯爵、他人の空肖()と云ふ者か、貴方の立廻る後影()は何うも波漂と生冩()しですよ。」
余は驚かぬに非ず、去れど確に落着()て、
「イヤ背の高い人同志は大抵後影()が肖()た者ですよ、併し貴方の親友に似て居()れば私しも滿足です」と紛らせど、彼れ猶ほ解け兼る如く余の顏を眺むるにぞ、余は茲ぞと、少しも怯まず彼れを見返し、
「顏まで肖て居ますか、ハヽア私しと似た顏では波漂が妻に嫌はれたも無理は無い」と戯れたり。勿論肖し所ある可きなれど、波漂の時には淨く剃附()け居たる腮()にも頬にも、今は一面の鬚髯()を生()し、而も其鬚髯雪の如く白くして唯だ顏中の商標たる眼は濃き目鏡に隱したれば夫と疑ふ筈はなし、殊に余が大膽な振舞は全く彼れを眩()し得たり、彼れ初めて打解けつゝ是より酒の盡るまで笑ひ興じて話せしが、九時半を打つ時計の音に驚きて、イザ去らんと立上り、
「では又お目に掛りますが、兔に角貴方の事を伯爵夫人(即ち余が妻)へ話ても好()でせう、夫人は必ず喜んでお目に掛りますよ。」
余は夏蠅()しと云ふ顏を見せ、
「イヤ私しは女の詰らぬ話など聞くのは好みません、何所の婦人も宛()で小兒()の云ふ樣な取留の無い事ばかり話ますから、私しなどは殆ど返答にも困ります」と云ひ掛て少し考へ「ですが、アヽ爾だ、貴方に願ツて言傳()を仕て頂きませうか。」
「イヤ最う貴方のお言傳なら何なりと」
「夫でも貴方は何時夫人にお逢成さるか分りますまい。」
魏堂は少し顏紅()めながらも、畜生め、
「イヤ實は、今夜是から夫人の許まで行く用事が有ますから」と言切りたり。
讀者よ、余が言傳と云ふ、固()より今思ひ附し事に非ず、是も兼て定め置きし余が計略()の一なれば、余は其計略に相當する心廣き口調にて、
「實はネ、昔し私しが當地を出立する頃、波漂の父に旅費までも厄介を掛たのです、恩も怨()も充分に酬()ゆる迄は忘れぬが私しの氣質ですから(とて殊更に怨を聞かせ)何うか世界に類の無い報い方を仕度いと思ひ、自分で褒るのも異な者ですが、二十年の間油斷なく目を配り、最上の珠玉寶石類を集めました、金では價()が積れぬ程の品物ですが、遺憾な事には其恩ある父は死に、波漂の代と爲たのを聞きましたから、切()ては波漂に贈り度いと思ひ故々()持て來ました所、波漂も既に冥府()の人、私しの恩返しは既に相手が無くなりました、けれども又考へるに波漂が生て居るならば勿論飾り物の事ですから、其妻伯爵夫人の物に成ませう、而見()れば波漂が死だとても矢張り夫人へ送るのが順序かと思ひますから、夫人が受納めて下さるか下さらぬか、貴方から穩()かに夫人の意見を伺ツては下されませんか。」
勿論牡丹餅で頬片()てふ東洋の諺より猶ほ難有()き次第なれば、問ふにや及ぶと云ふ所なれど之を問ふが紳士の虚禮、魏堂は一句一句に頬を崩し、
「イヤ其樣なお使ひなら何度でも言附()り度い者です、殊に夫人は珠石が其姿に似合ますから、何れほど歡()ぶか知れません、併し折角のお言傳ゆゑ、充分貴方の本意が通ずる樣に尋ねて見ませう。」
斯く答へながら彼れ夫人を喜()すの一刻も早きを欲する如く、尻をモヂ/\と落附かねば、余は思遣り能く、
「では花里さん、明日()にも其お返事をお聞かせ下さい」とは「是れ/\サア之を機()にお歸り成さい」の謎も同樣、彼れホク/\と轉がりて辭し去れり。
二九
奸夫魏堂、姦婦那稻、此兩個()の中()余は孰れを最も憎む可きや、魏堂の憎き事此上無けれど、那稻は魏堂よりも猶憎し、魏堂は余が親友と云ふ丈なれど、那稻は實に余が妻なり、神の前に立ち、余と生涯變らじと誓ひたる身を以て、婚姻後纔()か三月にして仇()し男に情を寄す、其罪遙に魏堂に優れり、那稻の心若し清くば魏堂如何に那稻を誘()ふとも姦を爲すまでには至らじ、那稻の心既に濁らば、縱し魏堂無しとするも那稻は必ず外に男を求むるに至らん、魏堂の罪は四分にして那稻の罪は六分なり、否魏堂の罪十分にして那稻の罪は十二分なり、去れば余が復讐の眞の目的は魏堂に在るよりも那稻に在り、魏堂を十分に苦めて、那稻を十二分に苦めざる可()らず。
余は初より實に此心なり、故に魏堂若し余に對し少しにては波漂の死を憐む如き言葉を、吐き、波漂を惜む如き心を現はしなば、余は幾分か彼れの罪を恕()し、幾分か復讐の計略()を替へ、重に那稻を酷()く責る氣に成りしも知れず、然るに彼れ余に逢ひてより、口に云ふ所、一言()として波漂を譏()るに非ざる無く愚人と云ひ、愚物と云ひ、馬鹿と罵り、痴人()と嘲る、凡そ死せし朋友を傷()くる者は縱し奸夫に非ずとも余は十分に責ねばならず、況()てや彼れ余に人生第一の侮辱を與へ、其の上にて余の生前を毀()けて殆ど餘す所なし、余は復讐の計畫を一層強く締上()るとも決して弛くする能はず。
余は彼が立去りし後にて一句/\に彼の言葉を想ひ出()し、今まで秘し隱しに隱し居たる滿腔の怒りは宛も樋()の口を切りし如く一時に發し、眠らんとするも眠られず、曉方()までは寢臺()の上にて唯だ悔し涙に呉るゝのみなりしが、五時の時計を聞くに及びて漸く疲れて夢に入れり、夢は唯だ我身が鬼と爲りて魏堂と那稻の咽笛に噛附くと云ふ如き怨()の有樣を見るのみなりしが、滿身に寢汗をかき魘()されながら目を覺ませし頃は、早や朝の九時を過ぎ居たり。
大事を心に計()む者が斯く輕々しく怒りては成ずと思ひ、冷水()にて身體を拭ひ、鏡に向ひて我が姿を落附け、浮世の憂サを知らぬ如き笑()しげなる老紳士と爲り漸く朝飯を濟せし所へ、早や入來()るのは彼の魏堂なり、讀者余は彼れを魏堂と呼ばず寧ろ僞奴()と綽名()しても猶足らぬ程に思ふなり。僞奴め昨夜より早()慣々しく、
「イヤ朝ツぱらからお邪魔致して相濟みませんが」と頬笑みながら口を開き「伯爵夫人に言附けられ參らぬ譯に行きませぬ、實に之を見ると男は美人の奴隷ですよ。」
「左樣サ、奴隷の中に又、私()しの樣に美人を恐れる變り物も有ますのサ。」
「今朝は全()たく伯爵夫人からの使ひとして參たのです、夫人の申しますには」と言掛るを余は妨げ、
「アヽ既に昨夜の中に貴方は夫人に逢たと見えますネ。」
僞奴め少しく赤面して、
「ハイ、ナニ僅か五分間ばかりです」と言譯の如く云ふは流石に氣の咎める者と知らる、彼れは六ヶ月の後に婚禮するとは既に余に向ツて披露せし所なれど、其の相手が波漂の未亡夫人なりとは猶ほ打明得ぬ所なり、何()の時、如何にして打明くるや、余は竊()かに怪しむなり。
「所で貴方のお言附を詳しく夫人へ申しました所、夫人は篤()くお禮を申して呉れとの事で、夫にしても一應貴方から夫人の許をお尋ね下され、一旦お近附()に成た其上で無()れば、頂くのも餘り失禮に當るから、兔に角何()かお連申して來て呉れと、斯う夫人は云ました。成程是が最もな作法だと私しも思ひます。爾でせう、ネ伯爵、さすれば何時貴方は夫人の許へお出下されませう、夫人は成る可く面會を謝絶して居ますけれど、貴方の爲には規則を破ると申します、貴方は羅馬内家の古くからの友達ゆゑ特別だと云ました。」
余は少しも喜ばぬ顏色にて、
「イヤ爾まで云はれるは有難いとは思ひますが、何しろ猶ほ當分お尋ね申すと云ふ事は出來ませんよ、先()ア何と斷つて好いか、交際社會の言葉には一向不得手の私()しですから、貴方の口で何とでも角の立ぬ樣に斷ツて頂きませう。」
「エ、エ、貴方は本統に貴夫人の招きを斷るのですか。而も特別の招ぎを」
「ハイ私しは御覽の通り我儘の老人ゆゑ、貴夫人の爲でも美人の爲でも、自分の意を曲る事は出來ません、夫に當分の所は色々用事も有ますから、用事が濟だ上は兔も角、夫までは仕方が有ません、何うも貴夫人のごく丁寧な廻りくどい言廻しを聞くと、私しなどは附打()の返事しか出來ぬゆゑ直()に頭痛が仕て來ます。」
魏堂は可笑()しさに堪ぬ如く聲を放ち、
「オヽ伯爵、貴方は本統の奇人です、心底()から美人を憎むと見えますな。」
「ナニ憎むと云ふのは強過ます憎むにも嫌ふにも足らぬ、詰り度外に置く可き商品だと思ツて居ます、實に爾ですよ、譬へて見れば美人は先づ綺麗な紙で包んだ荷物の樣な者です、人は包み紙の綺麗なのに目が眩んで直に自分で背負込()みますが、綺麗な包み紙は直に皺苦茶になり、破れて仕まひ、後に殘るは荷物の重さばかりです、女は隨分重い荷物で生涯捨るにも捨られず、末には其重さに堪兼ね、自分が壓附()られて頭の上らぬ樣になる人も隨分有るでは有ませんか。」
魏堂は苦々しく、
「成るほど爾云へば先づ其樣な者ですけれど。」
「イヤ貴方は丁度美人を戀しがる年頃、私しは美人に最う用のない老人、到底美人の議論では意見の合ふ筈が無い、夫よりは意見の合ふ繪畫の事を話しませう、爾々()昨夜約束した通り今日は貴方の住居()を訪()ひ、貴方の描た物を見せて頂きませう、勿論、お差支()へは有りますまいネ。」
「イヤ差支へ處か是非とも、私しから願ふ所です、が夫にしても」
「イヤ幸ひ午後の三時と四時の間が暇ですから三時過に上()ります、其時間で宜()でせう。」
「ハイ。」
「併し貴方に見せて貰ふばかりでは無く、アヽ那()の夫人に贈る珠玉寶石の飾物を茲で貴方に見て頂きませう、何うです。」
魏堂は眞實見た相なる顏附にて、
「ハイ見せて頂きませうか。」と云ふ。
余は立ちて戸棚より、豫()てパレルモにて作らせたる飾物の箱を取り來り、之を魏堂の前なる卓子()の上に置きて葢を開くに、中より燦然として現るゝは是れ輕目郎、練の寶物、其餘りの美しさには余さへも驚くばかりなり。
三〇
余さへも驚く程なれば、僞奴()は猶更()ら驚きたり。
「エ伯爵、貴方は何うして是ほどの寶を集めました、この光珠()は、此の紅石()は、此の緑珠()は、此の碧玉()は」と口續()けに嘆賞()せり。實に是等の珠玉は金に飽せて求むるとも其大()さ其輝き方、類稀()れなる者にして容易には求む可からず、余は惜氣()も無く、
「イヤ私しが波漂の父に受た恩は、仲々是位で未返()されません。」
「イヤ何の樣な恩か知ませんが、是で返し盡されぬ恩と云ふは有ません、是ほど立派な玉の類は帝王の冠物()にも多くは着て居ませんぜ。」
「爾云はるれば私しも滿足です、何うか貴方の盡力で之を夫人へ納めて頂き度い者ですが。」
「夫は私()しの最も嬉()ぶ盡力ですが、夫にしても貴方は夫人の許をお訪()なさいな、夫人も是ほどの物を頂けば、直々お目に掛ツてお禮を云はずには居られません。」
余は殆ど落膽の顏にて、
「では致し方が有ません、夫人の許を訪ねると致しませう、が然し、今日は了()ませんよ、今は未だ旅の空も同じことで、夫々の荷物調度なども取寄せませず、居間の飾附さへ終らぬ程ですから、兔に角幾等か身を落附け、是で愈々交際社會へ出られると云ふ樣に成て、其上でお目に掛りませう。」
「夫は何時の事です。」
「ナニ茲三日か四日です、遲くも今日より五日目には伺ひますから、其前觸()と云ふも大變だが、先づ前觸兼土産物の樣な積で是を貴方が持て行て屆けて下さい」と云ひ、箱に葢して鍵まで添へて差出()すに、魏堂は面()だけ當惑氣な色を粧()へど夫人が之を貰ふは即ち自分の未來の妻が貰ふ者にて、六月の後は我物と成る道理なれば殆ど嬉しさを包み得ず、
「伯爵、貴方は本統に交際社會の帝王です。帝王の言葉に背くとは恐れ多い次第ですから、宜しい私しが特命全權公使と云ふ積で、女皇()の許に屆けませう。」とて其箱を抱上()たり。
余は波漂たりし頃、僞奴が斯く金持に媚諂()ふ卑屈の性質を隱せりとは見破り得ず、貧()けれども一廉の氣象ある男と思ひ得たるに今は彼れの卑劣、卑陋()なる本性を露出()しに見るを得たり。去れど勿論余は其色を見せず最と笑ましげに、
「では花里さん、私しは是から種々用事も有ますから後刻貴方の畫室()でお目に掛りませう。」
「ハイ夫では取敢()へず之を夫人に送り屆け、夫から宅へ歸ツてお待受けしますから」と是だけの言葉を殘し、僞奴は踏む足も定まらぬほど歡びて立去れり。
是より午後の三時まで別に記す程の事も無し、唯だ余が昨日此家の主人に向ひ、最も謹直なる從者一人()雇度()しと頼み置()しに、適當の男ありしとて年廿七八なる瓶藏()と云へる男を連來れり。余は之を試し見るに充分從者の務()に慣れ、且つ思ひしよりも謹直の男と見たれば、直ちに雇入れの約束を爲し、猶ほ是よりして余が追々交際社會に乘出()る用意にと此土地の紳士達へ通手()に應じて手紙或は土産物、或は我が名札などを配らせしが、此事の終る頃、丁度魏堂の家を訪ふ可き刻限と爲りたれば、余は衣服も一際立派に着飾り、目鏡の曇りを能く拭ひて出行きたり。
僞奴の家も岡の小高き所に在り、余は暗()にも迷はぬ程能く道を知れど是も體裁なれば片手に僞奴より貰ひたる名札を持ち其番地を讀みながら尋ね行きて、幾度も鳴したる案内の鈴を引鳴すに、僞奴自ら出迎()へ、直ちに二階の繪畫室へと招じたり、見れば彼れ余が死してより最早や繪を書きて賣るに及ばぬ身と爲しと見え、余が生前に畫き掛け有りし額面も其後一筆を加へたる後を見ず、尤も余を迎へんが爲め俄()に掃除を施したりとは見ゆれど、孰れの繪も皆余が生前買殘したる者のみにして新しき者とては一個も無し、室の中央なる卓子に挿したる花も余が家の庭より折來りし者なり、余は立ちて四方の額を眺めながら、
「花里さん、斯う美しい畫室の中へ坐して居る姿を見れば、貴方は職業も美術家だが、貴方の姿も一個の美術です」と褒むるに彼れ頬笑みて、
「伯爵、貴方も見掛に寄らぬお世辭家ですよ」と云ひ更に又「オヽ先刻の品物は早速伯爵夫人へ屆けましたが、夫は/\夫人の驚きと歡びは一通りで有ませんでした。」
余は其話を好まぬ如く單に、
「夫は御苦勞でした」と答へ、再び畫の方に振向て、旨くも無き物を旨しと褒め、唯だ最も大くして價()の最も高相()なる分を五六枚撰びて買ふに、魏堂は余を待遇()すの少しでも厚きを勉め、面白可笑しく樣々の話を持出()すに、其の新しげなる洒落も總て余が一旦聞きたる洒落にて其の利口氣なる美術論の中には、余が曾て説聞せたる者も多し、彼れは實に實()を拔きたる卵子()の殼の如く上部のみ綺麗にして味も無く腹も無き、尤も俗なる人物なり、余は斯る淺墓の人物を何うして、親友と爲したるや、今は余自ら合點の行かぬ程なり。話す事半時間の餘()に及びて彼は己が心の賤()さを悉く打明盡し、余と隔て無き昵懇の間柄らしくなれり。
斯る折しも誰なるか馬車に乘りて此家に來り入口に車を留めし音、手に取る如く聞えたれば、余は佶()と魏堂の顏を見、
「オヤ誰か來る約束でも有ましたか。」と云ふ。
彼れ稍()や當惑氣なる笑を浮べ、
「イエ、爾でも、アヽ何うでしたか」と曖昧なる返事の終らぬうち、早や案内を請ふ鈴の音聞ゆ、魏堂は余に挨拶もせず玄關さして降()り去れり、アヽ讀者、蟲が知すと云ふ者か余は殆ど其來客の誰なるやを知れり、讀者も必ず推()し得ん、余は俄に高く打つ我が動悸を制し、強敵を待つ勇士の如く立上りて足を踏〆()め、黒目鏡を確()と目に當て、且()靜に且騷ぎて控ゆるに、頓て僞奴の足音の後に從ふ猶ほ輕き足音も聞え戸の外にて僞奴が何やらん細語く聲も聞え、絹服の音も聞ゆ、余が胸は張裂くばかり、何思ふ暇も無く僞奴は宛も女皇を迎へ入れる程の謙遜にて戸を開けり、閾()にソツと立現はれ余と顏と顏見合せたる來客は、讀者讀者、余が妻の那稻なり、余は那稻と正面に出會()ひたり。
三一
那稻と顏を合せて立ち、余は唯だアツと逆上()せたり、太陽を見て暈()ゆからぬ程の黒目鏡も那稻の顏には敵する能はず、眼の眩むは愚な事、氣も魂も轉倒し、宛も首()を釣鐘の中に入れ、外より不意に撞鳴()されしかと云ふ如き氣持にて暫しが程は我か人かの區別も附かず、アヽ讀者、那稻は如何にして斯く迄も美しきや、眞の美人は見れば見るだけ愈々愛らしく、見る度毎に深く美しさの優()り行くと聞きたるが、那稻は實に其類()なり、彼の美しき事は豫て知れり、(勿論余が妻なれば)去れど百日見ざりし余が目には殆ど初めて見し美人の如く見ゆ、覆面と共に背後に投げたる金髮は櫻色の顏を露出()し、之に黒き喪服の能く似合ひたる具合は何とも云へた者で無し、女を嫌ひし余波漂が、昔し一目で現()を拔したるも道理、今は其時より確に又幾倍か立優りて世界に又と無き若後家なり、爾()は云へ余が取上()せたるは唯だ彼の美しきのみに非ず、欺かれし過去の場合、一時に余が心に迫り來り、余は何として好()かを知らず、余が戸惑ひて有る間、那稻は閾の上に立ち、俄には進み來らず愛らしき中の最も愛らしき笑を浮めながら、又恭々しげに余を眺め、自ら手を延べて進み行くを待つ樣なりしも余は進む能はず、退()きも動きもせざれば彼少し羞()らひて歩み出で、間違へば何うしやうと氣遣ふ如き、覺束()なき言葉にて、
「貴方が笹田……伯爵……ですか」と問へり。
余は必死の思ひにて返事せんと揉掻()けども舌剛()り咽乾()きて聲は胸の中にて塞がり、我れながら我が不體裁が面目なし、まごつく樣を隱す爲め漸く首を垂るゝに、先は之を見て「ハイ」と云ふ返事と見做()せしか、嬉しげに又一足進來()れり。
余は實に我が腑甲斐無()さに愛想が盡きたり、那稻は自ら類稀()なる美人たるを知り、如何なる男と我が目の前には平服()すると知りて、人を見るを埃芥()の如く、其羞()らふ樣も覺束なき口の利()き樣()も總て我が愛らしさを深くする手段にして、腹の中には何とも思はぬ事、余は能く知れり、知りながらも之に敵する能はずして戸惑ふとは何の事ぞ、併し先づ/\垂れし首が返事となり、別に言葉を發せずして事の足りしは重疊の仕合せなりと漸く安心するに從ひ、塞がりし咽の忽ち開き今まで閂()え居たる「ハイ」の一聲、我知らず最()高らかに口より出()たる極()りの惡さ、出す時に出ず、出さぬ時に出る、氣が上()せれば物事が斯も不手際に行く者か。
那稻の背後()に控へたる僞奴も、成る程伯爵は女の前に出た事の無い人と見て取て、笑ひしならん、余が目には彼れの姿は見えず、殆ど一切の物が總て見えず、那稻も或は可笑しさに堪ざりしやも知れねど、彼は更に其色を見せず、唯だ嬉しげに頬笑みて、
「アヽ左樣ですか、私しは羅馬内伯爵夫人ですが、實は今日()貴方が[#「貴方が」は底本では「貴女が」]此畫室()にお出()になると聞き少しも早くお目に掛り、直々()にお禮を申さねば濟まぬと思ひまして、イエ最うアレ程の立派な品は拜見するさへ初てゞす」と云ひつゝ細き手を延べ余に握らせんとす、余は茲に至りて我心の餘りに弱く我身の餘りに活智無()さが腹立しく、エヽ悔しいと云ふ了見にて無作法に其手を取り、碎くる程に握り締たり、定めし指環が左右の肉に深く食入()り痛き事ならんと察せらるれど、流石に痛しとは口に出()さず、余は是にて漸く度胸が定まり人心地附きたれば、最早や詰らぬ失策にて事を過ちてはならずと、心を丹田の底に沈め、豫て勉強せし聲音にて、
「イヤ夫人、爾までお禮を仰有られては痛み入()ます、殊に御不幸の後間も無い所へ、アノ樣な飾物など贈りますのは餘りに場合を知らぬ仕打()で、定めし情無しと思召しませうが、イヤ最う貴女の御不幸を察せぬでは有ません、何うか悲しみの分()てる者なら幾分か私()しの身に分ちて、貴女のお心を輕く仕度いと思ひますが、若し波漂殿が生て居れば、今頃は同人の手から貴女に渡されて居るだらうと思ひますから、夫で花里氏へも爾云てお送り申たのです、悲き場合に不似合な贈物とお叱りを受ませぬのは、却て私しからお禮を申さねばなりませぬ。」
聲は作りし聲なれど言葉は是れ一句/\總て交際社會の撰拔()なれば、僞奴若し茲に有りて之を聞かば、余が貴夫人の前にて口きく事さへ知らぬと云ひし其言葉の違ふを怪み殆ど目を圓()くして呆れしやも知る可からず、去れど彼は茶菓子など運ばん爲め下去()りて茲には非ず、那稻も幾分かは余が言方の初の不調法サに似ぬを怪みてか、夫とも外に疑ふ所でも有るか、余が言葉の中程を過し頃より少し顏の色を青くし、殆ど氣味惡いとも云ふ可き程の樣子にて余の目鏡を見る、余は益々大膽を増し來り少しも臆せず那稻の顏を見返すに、那稻は握られし手を徐ろ/\と引きたれば余は更にソフアーを取り與ふるに、那稻は最と平然と宛も朝廷より退きて私室に入()りたる女皇の如く之に靠()れ、猶ほ何事をか考へながら余の顏を眺むるのみ、斯る所へ僞奴は來り、滿足の樣子に打笑ひ、
「何うです伯爵、到頭計略に罹りましたネ、貴方の隨意に放()せて置けば何時まで貴方が夫人の許へ尋ねて行ぬかも知ませんから、私しと夫人と相談して、今日()は貴方の意外に此面會を仕組だのです」と云ふ、知らず讀者よ、是より奸夫姦婦と欺かれたる其所天と三人の交際は如何なる方角に進み行く可き。
三二
成る程僞奴は不意に余を那稻に逢はせる積りにて豫て那稻と打合せ置きたる者なる可し、余は嬉しげに「イヤ最う此樣な計略には何度でも罹り度い者です、斯も美しい夫人のお顏を出拔に拜見するのは世に是ほどの有難い驚きは有ません、殊に夫人は波漂殿が亡なられて未だ間も無く、其悲みとてもお忘れ成さるまいに、特別に私しの爲め茲までお出下さツたのは實に私しの身に取り、此上も無い名譽です。」
那稻は此言葉を聞き、宛かも死せし波漂を思ひ出だし悲しさに堪えずと云ふ如く聲を曇らせ、
「ネエ先ア、何うして波漂が亡くなりましたか今考へても夢の樣です、本統に死だ者とは思はれぬ程ですよ。」
思はれぬ筈なり、波漂は此通り活()て居る者をト余は腹の底にて冷笑するに、那稻は猶ほ半ば泣聲にて「彼れが活て居ますれば何れ程か貴方のお出()を喜んだ事でせう、夫を思ふと、私()しは、今更の樣に悲しく成ります」と云ふ中に涙は兩の目に浮び來れり。
涙を浮かべる丈が猶()だ僞奴よりは殊勝なりと云ふ事勿()れ、讀者よ眞に男を欺()す程の毒婦ならば涙は自由自在に出る者なり、男子が常に婦人の術中に陷るは毎()も此の上部の涙を眞實の涙と思ひ違へての爲なり、余は幸ひに今まで滿三年の餘()も那稻を妻とし、幾度も彼が余の爲めに泣き、余の爲に悲しみたる場合を知る故、既に其間の事を熟々()と考へて、其時の涙は皆空涙なりしを悟り、此後何の樣な事ありとも再び那稻の涙には欺かれじと既に此復讐を初むる前我が臍()を固めたる事なれば少しも此涙に心動かず、却て是が人を欺く奧の手かと憎さを催す程の事なり。去るにても余に向ひ散々波漂を罵りたる彼れ僞奴めは、此場合何の樣な顏色をして居る事かと余は夫と無く彼れに振向き、其顏を那稻の顏と見較()ぶるに、彼れは流石に極り惡きか、空咳に紛らせて顏を反()せり、アヽ空咳と空涙、孰れも僞りたるは同樣なれど、人を欺く手際に於ては那稻が遙に僞奴の上なり、僞奴實に惡人とは云へ、猶ほ那稻の足許にも追附かず、余は斯く思ひて腹に呑込み、更に然る可き慰めの聲を作り、
「イヤ夫人、今は最う歎いても詮ない事です、夫よりも御自分で病にでもならぬ樣諦めて浮き/\と氣を持直すのが大事です、殊に貴方の年頃と美しさではナニ其樣にお悔み成さる事は有りません、今に又慰めて呉れる人も出來、從ツて又樂い事も出て來ますよ。」
那稻は漸くに涙を納め、僞奴も亦此忠告には暗に己れの肩を持つ者と思ひしか、
「本統に其通りです」と賛成したり、左れど那稻は僞奴ほど淺果()には喜ばず、寧ろ恨めしげなる調子にて、
「本統に爾ですよ、ハイ悲む丈け無駄だとは諦めましても、誰も私しを慰めて呉れませぬもの、貴方さへも私しの住居()に來て下さらぬでは有ませんか」と怨ずる如くに余の顏を眺め上ぐる其眼の内にも外にも云ふに云はれぬ趣きあり、貴方さへもの「さへも」の語に深き心を籠()て有るとは盲目()でも明かなる可し。
盲目にあらぬ僞奴の眼は早くも夫と見、既に氣の揉める緒口()を開きしか、少し嘲笑ふ如き氣味にて、
「夫人、貴方は此伯爵が全くの女嫌ひで、美人と云ふ文字を眺めても身振()ひする程だと云ふ事を未だ御存じ無いのです、ネエ伯爵」と余に迄も念を推すは、暗に豫防の襯染()を爲す者ならん其心の深さ淺さ大抵是だけにて分るに非ずや、去れど余も亦茲に至りては僞奴が思はぬ程の曲者なり、最()輕き口調にて、
「爾です通例の美人には殆ど身震ひも致しますが、天女とも見擬はるゝ眞の美人の笑顏には何うして敵たふ事が出來ませう」と云ひ、目鏡を隔てゝ那稻の顏を見返すに、那稻は初て其悲げなる樣子を掻消し、又一入晴々しく其眼を張開きたり、是れ問ふまでも無く既に余を惱殺し、奴隷の如くならしめんとの心にして、即ち妖婦たる眞の性根を現はさんとする者ならん。是れが其の手初めか、既に綿より柔らかな手の先をば卓子の上なる余の手に載せ、
「オヤ私しが其天女ですか、天女の言葉には負()かぬ者です。」
「イヤ何うして負きませう。」
「では、明日()私しの許をお訪()ひ下さると仰()るのですネ、夫では魏!」
魏堂を呼捨にする口癖を思はず、洩さんとし周章()しく言直し、
「夫では花里さん、貴方がお供をして下さいよ」僞奴を供とし、余を賓客とす、固より當然の場合なれど、其の言樣に何と無く區別あり、余と僞奴との間に充分輕重の隔てを附けし如くなれば、僞奴は愈々氣色を損ぜし如く又も嘲りの笑を浮め、
「アヽ私しから幾等爾申しても決して貴方の許を尋ねやうと言()なんだ伯爵が、貴女の一言()に早や心を飜()へしたのは何よりも結構です。」
アヽ心を飜へすとは大仰なり、今少し言樣も有る可きに、彼れは殊更に斯く耳障りなる言葉を使へり、去れど那稻は其上に出()て余の肩を持たんとし、
「夫れは貴方、花里さんの言葉と私しの言葉を一樣にお聞なされます者か、ネエ伯爵」と唯一言()の言廻しにて僞奴の人品を殆ど足の下に蹴落したり、彼何所までも僞奴をからかひて窘()めんとする者と見ゆ、爾は云へ余も其言葉に調子を合せ「夫は爾です、貴方のお顏を見れば鬼でも心が柔()ぎます」と答へたり。
三三
那稻は猶ほ僞奴を退者()にして、一言二言余と談話せしが、初對面の席に長居は作法に非ずと見てか、早や彼れ去らんとする如くに立上れり、余は笑顏にて「本統に天女の降臨です、美しいお姿を充分には拜ませず、直に又お歸りですか。」
那稻も同じく笑顏にて、
「ハイ、其代り貴方のお約束を當にして歸るのです、明日()若しお出が成らねば天女は罰()を當てますよ。」
余は何も彼も復讐の一念にて忘れし中に唯だ余は娘星子の事のみは猶ほ氣に掛り、不實なる其母を見るに附け、星子の安否が益々聞き度ければ、夫と無く言葉を廻し「オヽ花里さんから聞ましたには、波漂殿に娘御がお有成ツたとか云ひますが。」
那稻も初めて思出せしと見え、
「ハイ本統に能く波漂に似て居ますよ、明日お出に成ればお目通を致させませう」と云ひ、更に無量の意味ある眼と共に「佶()とお出なさいよ」との一語を添へ、再び其手を余の前に差出せり。
余は最早や其手を握るに何の臆()れを取らぬのみかは、猶ほ一際の大膽を加へ取上て唇を其甲に推附るに那稻も之を怪まず、其儘にして余の黒目鏡を眺め居たるが、餘り永きは作法に負()くと思ひしか、頓て其手を退きながら、
「アヽ貴方はお目がお惡いと見えますネ」
「ハイ長く熱帶の日光に射られました爲め、夫に最う年も年ですから。」
「エ貴方は猶()だ其樣なお年とは見えません、私しの目から見れば大層お若い樣ですが」と是は滿更の世辭で無く、血氣壯()な余が頬の血色を見て寧ろ怪げに問ふに似たれば、余は故()と驚きて、
「此樣な白髮頭でも猶ほ若いと仰有るか。」
「若くても白髮の人は幾らも有ります、禿()た頭は婦人に厭がられますけれど、白髮は却て尊敬されます、私しなども尊敬する一人()ですよ。却て髮の毛の黒い方より氣が許されます……頼母()しいと思ひます。」斯く云ひながら早や閾の所まで出()たれば、余と僞奴と其右左()より手を取りて扶()け行かんとするに、那稻は僞奴を捨てゝ余の手に縋り、外に出()て馬車に上()るまで總て嬉げに余の腕を杖とし居たり。
余も僞奴も馬車の影見えずなるまで見送りて再び畫室へ入()りたるが、見れば僞奴の顏、先程の笑()しげなりしと打て代り、眉と眉の間最()と狹くなり、餘ほど氣に掛る事の有る如く物も云はで茫然と考へ入るのみ、讀めたり讀めたり、彼は那稻が己れの手を捨て殊更に余が手を撰びし爲め、早や腹の中に嫉妬と云へる毒虫生じ、チクリ/\と彼れの心を螫()すと見えたり、斯も淺果()なる男ならば、余が復讐は益々易しと余は心に祝しながら、
「コレ花里君、何を其樣に考へます」と云ひ、其肩に手を置けども彼れ唯だビクリと動きしのみ、猶ほ何の返事も無し。
余は一本の葉卷を取り、
「オヤ/\是は痛()い鬱()ぎ方だ、先ア是でも燻らせ成さい」と彼れに與へ「全體アノ樣な美人を見て何故其樣に鬱ぎます、眞に絶世の美人です、私しは唯だ一度逢たばかりで心が清々()と仕て來ました。」
彼れ煙草を呑もせず、唯だ指先に捻るのみにて殆ど忌はしげに余の顏を見、
「だから私しが前以て爾云て置ました、開闢()以來是ほどの美人は無いと、ヱ、美人嫌ひと云ふ貴方だけれど、全く心醉して仕舞たでは有ませんか」と云ひ猶ほ嘲ける如く「貴方は餘ぽど心の確な方だらうと思て居ましたのに」豈圖()らんや爾()に非ずとの意は充分に明白なり、余は少し驚きたる顏色()にて、
「オヤ、私が心醉したと仰有るか、未()心醉は仕ない積ですが、兔に角非常の美人と云ふ點は全く貴方に同意です」彼れは少し鋭く、
「同意だから、夫から何うしたと仰有います。」
「イヤ同意した丈の事で夫からは未だ何とも言ひません。」
彼れ暫し考へて、佶と余の顏を見詰め、
「ですから言はぬ事では有ません、此後は餘程用心ならさぬと了ませんよ。」
余は合點の行かぬ振()にて、
「ヱ、用心とは何を。」
「イヱサ、那稻夫人に就()て。」
「那稻夫人に就て何を用心するのです、アレ程の美人でも何か險呑な所が有りますか。」
「イヤ爾()云ふのでは有ませんが、初對面の人へアノ樣に慣々しくするのは夫人の癖です、癖と知らずに大抵の人が何にか自分ばかり特別に夫人の愛を得て居る樣に思ひ、飛だ思違ひを致しますから。」
「ヘヽエ、其樣な事が有ましたか。」
「イヤ未だ有()は仕ませんが現に貴方でもサ、交際上一通りの世辭を眞實の言葉と思ひ、深入をする樣になると」最と遠廻しに言來るを余は初めて合點行きし如く、
「アヽ其樣な意味で夫を用心せよと云ひますか。[#「云ひますか。」は底本では「云ひますか」」]是は可笑しい、私しが此年で夫人の愛に迷ふなどと、コレ花里さん其點だけは充分に御安心なさい、心配する丈け無益です、夫人の目から見れば、私しは全く父とも云ふ年配ですが。」
此誠しやかなる言葉に彼れ少し安心せしも、猶ほ注意して余の顏を眺めながら、
「でも夫人は貴方を見て、爾う老人には見えぬと云ひ、猶ほ色々の事を云ひました。」
余は腹の中にて彼れの心配を最()面白く思ひ乍()ら、
「サア夫が交際上の世辭と云ふ者では有ませんか、夫を誰が眞に受ませう、最も夫人とても所天に分れて間も無い事で頼少ない身の上ゆゑ、宛も父が我子を保護する樣に夫人を保護して上()るかも知れませんが貴方の氣遣ふ情夫の樣には決して成ません。夫人が若し情夫でも持つ程なら第一貴方を撰みますよ、貴方こそ夫人に似合しい美男子で、私しと比べ者に成ませうか」彼れ漸く落着て極りの惡さを隱さん爲め、初て前の葉卷を燻らせ宛も言譯する如く、
「イヤ實は波漂の生て居ます中から、波漂が私しを兄か弟の樣に見做し、夫人と私しの間に殆ど輕重を附ぬ程でしたから、從ツて私と夫人の間も全く兄妹の樣に成ました、波漂が亡く成て見れば私しこそアノ夫人を我妹の樣に保護して遣らねば成ません。夫に夫人が御覽の通り年も若く隨分身を誤り兼ぬ質()ですから、夫ゆゑ私が非常に氣を揉み、貴方に迄も用心成さいと云たのです、分りましたか。」
「ハイ、能く分りました、無論の事です。」
余は眞面目に頷きたるが、眞に能く分りたり、彼れの意は己が畑に鋤()を容()るゝ密獵者を防がんとするに在るなり、彼れに取りて當然なれども、彼れ自身既に密獵者にして主人を追退()け、自ら主人と爲りたる者なれば眞實の畑主たる余に取りては少しも當然の事に非ず、余が腹の中には別に余だけの思案ありとは彼れ密獵者知るや知らずや。
三四
爾()は云へ僞奴は余の深意を悟らず、那稻が余を厚く待遇()せしも全く一通の世辭にして余とても我が頭の白髮に耻ぢ、嫉()まるゝ如き振舞をする者に非ずと、彼れ全く斯く思ひ詰()るに至りしかば、益々機嫌も好くなりて、明日夫人の許を問ふ可き時間など打合せたり。
猶も彼れ樣々の世間話を持出んとし余も亦事に托しては彼れの了見を試みんと思ふにぞ、彼れの話を妨げんとせず、却て我が思ふ方角へと誘()き行くに、彼れが義理も徳義も解せずして唯だ私欲一方の人間たる事、愈々以て明白なり、彼れの品格を傷()くる如き言葉、續々と彼れの口より出來()れり、夫等の話を一々茲に掲ぐる要なけれど、唯だ其一二を參考までに記さんに、
彼れは男女()の間を説き、少しも定りたる操無き者と爲し「ナアニ女が廿歳()前後の時は隨分見ても綺麗で、殊に愛嬌も有りますから、男は其愛嬌を値打と見て妻とするのです、夫が追々年を取れば愛嬌は次第に消え、美しい顏も皺と爲り、白い色も赤くなり、優しい姿も肥太ツて醜くなります、お負()に所天に慣るに從ひ、勤ると云ふ氣が無くなり、初は厭な事も推隱して曲て笑顏も作り、所天の機嫌を取た者が、末には其の遠慮が消え、眞實嬉しい時の外は喜びもせず、腹の立つ事が有れば容赦も無く腹を立ると云ふ樣に、總てに飾り氣が無く成ますから、愛嬌は消て仕まひ取る所の無い荷物と爲ります、サア初め愛嬌を見込で買た者が、愛嬌の無い事に爲れば、丁度旨からうと思て買た食物が味の變ツて無味()くなると同じ事ゆゑ、打捨る外は有ますまい、世間の所天が浮氣をするは總て此理屈です、法律で一夫一婦などと限たのは實に人情に合はぬ仕方で、譬へば一旦買た食物は假令()ひ味が變ツても喫()ねばならぬ、決して外の食物に指を染るなト云ふのと同じ事です」と云ひ猶ほ淺墓なる議論にて宗教道徳を罵る故、余は愛想を盡()ながらも故と言葉を合せ、
「夫は爾です、今の世界は何事も當人の都合次第で、都合に由()ては親友をも欺ねば成ません、明日此者を殺さうと思つても、笑顏を見せて親しく交ツて居る樣な場合も有ませう。」
「爾ですとも、若し今の世に基督()が生れて來れば必ず十誡()へ追加して、決して他人に見破るる勿()れと云ふ第十一誡を作りませう、他人に分らぬ樣に、惡き評判()を立てられぬ樣にすれば何の樣な惡事でも構ひません、詰()り露見すればこそ惡事、露見せねば惡とも善とも云はれずに濟のです」斯く云ひて今度は女の方に移り「女の婚禮前は何よりも操が大切です、若し惡い名前を受ては生涯好い所天を持つ事が出來ません、其代り愈々婚禮すれば、操など云ふ事は要らぬ事で、即ち第十一誡を能く守り、人に見破られぬ樣にすれば、縱()や他人の子を孕んだに仕た所が所天の子と見分の附く者で無く、誰にも咎められずに濟むのです、畢竟見破られると云ふは度胸も智慧も無い女の事、眞に度胸と智慧の有る女は死ぬまでも所天の眼を眩()せ果()せます」と云ひ次は所天の事に及ぼし、「或は又分ツた所が所天は如何ともする事が出來ません、怒ツて若()世間へ分れば自分の耻()、離縁をすれば妻は其後天下晴れて奸夫の妻と爲るかも知れず、止()を得ず決鬪するとした所で、勝つと敗()るは其時の運次第、事に由ては姦夫()に射殺()されます、縱し又勝たとしても、妻の眼から見ると決鬪の爲め所天の値打は益々下り、妻は愈々先の男を大事に思ふ事に成ます、ですから、私しなどは妻を偸()まれて居る人の顏を見ると本統に可笑しくなります。」
是までは余も笑顏にて聞きたれど最早や顏色を包む能はず、此上一刻でも茲に居れば我を忘れて彼の咽へ飛附くに至る事必定なり、余は止()を得ずして立上るに僞奴も其樣子を怪みて、
「オヤ伯爵、貴方は何うか成()れましたか、お顏の色が大層變ツて來ましたが。」
「イヤナニ、是は私しの持病です、永く一所()に据()ツて居ると直に目暈()が仕て來ます、實に年取ると致し方が有ません。」
「ブランデーでも上ませうか。」
「イエ此樣な時には唯だ靜かに寢る外は有ません、失禮ですが宿へ歸りませう、先刻求めた彼()の畫類は後ほど下部()を取に寄越しますから」と云ひ、是にて魏堂に分れを告げ、余は殆ど逃()る如く我が宿へと歸りたり。
歸りて居間に歩み入れば卓子の上に、草の莖を以て編たる美しき籠ありて中には蜜柑を初め樣々の見事なる菓物()を盛れるにぞ、余は前世の波漂の家に斯る菓物の多かりしを思出()し、何人が茲に置きたるやと疑ひ、其籠を手に取り上()るに、添へて一枚の名刺あり、其傍らに、
明日()お尋ね下さると言給ひし先刻の御約束を、思ひ出させ給ふ爲めに庭園の菓物を、
羅馬内伯爵夫人より、笹田伯爵に贈り候、
文字は見覺()ある那稻の筆なり、アヽ彼れ、余が富の一方()ならぬを見て取り、早や余を擒()にする積にて斯もふざけたる眞似をするにやと、余は今まで堪へ居し怒を一時に發し、室の隅へと其籠を叩き附けたり。
三五
翌日は晝少し過に、余は魏堂に伴はれ羅馬内家を尋ねて行()けり、行きて第一に余が耳に響きしは「好く先ア入()しつて下されました」と余を迎ふる那稻の聲なり。
是れ夢か是れ實()か。余は余の家の庭に立ち余の妻の笑顏に迎へられ、而も余が身のみ他人なり、暫しが程は余が心全く紊()れて、見れども見えず思へども思ふ能はず、唯だ見慣たる縁側に、見慣たる庭の木の枝垂れ掛り、昔し我家とせし立派なる家、昔し我身が遊び戲れし樂しき有樣など宛も走馬燈の如く目の前に散らつくのみ。
余は機械の如く一脚()歩み、又二脚()と進むに連れ次第/\に我が心が我れに復り、是れ夢ならで總て現實の眞事()なるを知り、忽ち胸の底よりして最と深き涙の込上來り我咽()に塞がるを覺えたり。
凡そ鐵心石腸()の人も時ありて泣く事もあり、其泣くや血の涙なり、余今我が心を弛め、恣()まに泣くを得ば余が眼よりはふり落()るは必ず涙に非ずして血なる可し、玄關も庭も座敷も木も石も余が爲には舊友の想()あれど、昔の懷しき趣きを留めずして何とやら悲しみを帶びて見ゆ、主人の落ぶれ果し如くに此家()の零落せるも遠きに非じ、アヽ主人、主人、誰が此家()の主人なるぞト、余は窃()に疑ひて傍に立つ魏堂の姿を偸視()たり。
否々假令()ひ此家を雨の虐()げ風の荒()むに任せて置き見る影も無く廢()らしむとも、魏堂の如き僞りの人を主人と爲す可からず、古來羅馬内家に一人()の僞人()なし、主人は依然たる余波漂にして家は變らず余が家なり、去ればとて主人たる余に何の力があるや、余には家ありて家なきなり。名前まで人の名前、身に纒う美衣()口に飽く珍味も、總て世人()の穢()はしとする盜坊の賜物()なり、人にして鬼籍に在る身、既に人たること能はねば主人たること固()より能はず、想へば橋の下に餓死()る乞食とても余よりは富めり、余ほど心の零落し荒れ凉()たるもの孰れにか有らんや。
見れば變らぬ内に變りたる所も有り、余が毎()に縁()の片端より動かさゞりし讀書臺は其下の深き安易椅子()と共に取退()られ、余が籠に入れ飼置きし小鳥も見えず、余と魏堂を迎へて門の戸を開きし余の從者も活き/\しき顏の色艷消え失せて味氣なき人と爲れり、何ぞ氣力の少くして影の薄きや、殊に余が物足らぬ心地せらるゝはイビスと名附()る余の愛犬なり、個は余がハイランドの友人より贈られし稀代の名犬にして、毎()も余が讀書臺の許なる縁先に寢居たるに今は其影も見えず、如何なる所へ連行()かれて繋れ居るにや、余は殆ど腹立しく其邊りを見廻したり。
那稻は余の顏色を見て氣遣はしげに、
「オヤ伯爵、貴方は茲に入()ツたのを最()後悔なさるのですか。」
余は愕然と我に復り、
「何う致しまして、宛も亡者が初て極樂の庭に入()た心地です、ハイ眞の喜びは無言です、夫人」とて其顏を眺むるに、那稻は少し羞()らふ如く眼を垂れたり。魏堂は氣短かく自裂()る體()にて眉の間を狹くしたれど、彼敢()て口を開かず。
是より導かれて廣く凉しき客室に入()れば、茲には多少の變りあり、余が十四五の時作らせし余の半身像は床の間より取去られ、彼の朝廷より贈られし薔薇の鉢植も茲に見えず、其花を摘盡して其木まで枯せし者にあらぬか、唯舊時の儘なるは僞奴と那稻と並坐()して彈()ずるを好みし音樂臺にして、今も日々用ふると見え其葢さへも開きし儘なり、余は思はず深く嘆息し「成程舊()の通()だ」と口走るに魏堂は怪げに聞咎め、
「ヱ、舊の通り。」
「イヤサ、猶ほ波漂の父が生て居る頃幾度()も此家に來ましたが、其頃と餘り變りません。」
是を話の緒口()とし那稻は直()に尾に附きて、
「では定めて波漂の阿母()を御存()でせうネ。」
「ハイ。」
「何の樣な方でした。」
余は此の汚れたる女の前にて清き我母の事を語るさへ勿體なき氣のせられ暫し躊躇()ひしも、那稻の眼に催促せられ、
「左樣實に美しい婦人でしたが自分の美しさには氣も附()ず、夫れは/\他人の事ばかり心配して善く家を治め、此内へ這入()て來れば直に最う善人の住家でと分る樣でした、併し惜い事に早く亡なりまして」と云ふに魏堂は之を聞き、昨日己れが余に打明けし其淺墓なる道徳論に照()してか又嘲笑ふ調子にて、
「アヽ其樣な堅い夫人は早く死()るが仕合せです、永く生て居られては夫こそ所天のお荷物だ、ネヱ、伯爵。」
余は赫()として眼の血走る心地したれど漸く堪へて、
「何うですか、夫人の死を惜()ぬ者は無い程でした、此頃の道徳に照せば貴方の云ふ通りかも知れませぬが。」
那稻は流石に余の不快なる顏色を見て取し如く、
「イエ伯爵、魏――、花里さんの云ふ事を氣に留ては了()ませんよ、馬鹿な事ばかり云まして」と云掛け、魏堂の眼の異樣に光るをチラリと見て「最も腹の中では口ほど馬鹿な事を思ツて居るのでは有ますまいが、所天波漂なども折々は本統に他人の前へ出されぬ男だと云ました。」
是れ一面には余を宥()め、一面には痛く魏堂を嗜()むる掛引と察せらる、斯て那稻は猶も話を外の事柄に移さんとする如く、
「ですが伯爵、貴方は夫ほど此家の人々を御存()ゆゑ、娘星子にもお目通りさせませうか。」
余は高く打つ胸の浪()を推鎭()めつ、
「ハイ貴女と波漂の間に生れた孃さんなら、私しは自分の孫の樣に思ひます、何うぞ是へお呼成ツて。」
那稻は直ちに下女を呼び星子を寄越せと命ずるに、下女の退きてより暫くして最と覺束()なき手先にて恐る/\戸を開かんとする如く、外から其引手を廻す者有りと見る間に余の娘星子は閾の内に現れ來れり。
余は一目にて星子の痛く變りしを見て取たり、余の不在は纔()か百日ばかりなりしに、其間に如何なる取扱ひを受しにや、總體の樣子何と無く窶()れて見え、何處にか恐れと不安心の色を留め、笑ましげなる其眼は悲くも諦めたる影を帶ぶ、凡そ斯る顏附()は大人にしてすら氣の毒げに思はるゝ者なるに四年に滿()ぬ女の兒()が早くも此陰氣なる樣と爲るとは實に斷腸の限ならずや、余が死してより繼子の如くに待()はるゝは是だけにて明かなり、況()してや、知らぬ人にも能く親みし昔に引替へ人に怯える樣子あり。
室の中ほどまで出て、第一に魏堂を睨み視()、敢()て進まず、魏堂は笑ひながら、
「何だ惡魔でも見る樣な目で己()を見てサ、今日はナニ叱らぬから茲にお出()、此の方はお前の父()を能()知て居るよ」と云ふ。
パパの一語に少しく眼を晴れやかにし不思議にも那稻の許へ行かずして余の所に馳來()り、其細き手を余の手に當()たり、當し手の柔かにして且愛くるしサ、深く余が心の底までも浸透()るかと疑はるゝ程なれば、余は顏色を保つ能はず、引寄せて接吻するに紛らせ星子が前額()に俯向()きて顏を隱せり、涙を出()さゞらんとするも自ら出で、黒き眼鏡の裏を濕()したれば余は心弱しと身を叱り、唇を千切る程噛締()て漸く顏だけは繕ひ得たれば靜に之を上來()れり、今思ふも如何にして顏だけ繕ひ得しやと自ら怪まるゝ程なり、星子は余の眼鏡をも白髮をも恐れずして頓()て余が膝に上()り、全く安心せし體に坐し、最と熱心に余の顏を見上ぐるにぞ余は又も我顏の頽()んとするを覺えしも、那稻と云ひ魏堂と云ひ共に此樣子を眺め居る事なれば余は實に必死の想ひ息を殺して堪ふるに、星子は何故にや其の悲げなる目の中に昔の如き笑を浮め、顏中悉く嬉しげなる筋を現し、曾て父波漂に接吻せられし如く余の接吻を迎ふるにぞ、余も今は堪へ得ず殆ど玉の緒の絶ゆる思ひにて犇()と我が胸に抱締めつ、又も我顏を其の柔らかなる髮の毛に推隱し、斯くしながらも那稻と魏堂が、余の樣子を怪みはせぬかと思へば彼等の姿を偸み視たり。
三六
星子が余に親()むは實は天然の血縁爭ふ可からざる所なるか、或は又那稻や魏堂の如き僞り有る心は却て他の僞りを見破る能はず、余の白髮と黒眼鏡の僞りに欺かるゝも、星子の胸に横()はる眞()の愛は余の僞りに眩()されず、何と無く余を父の如く思ふ者にや、兔に角も余の膝は父の膝、余の手は父の手にして孰れも握り慣れ握り慣れたる所なれば、余の傍に來りて何と無く居心()よきには相違無し。
余が忍び泣く樣、星子が親しむ樣、若しも兩人()の疑ひを引きはせぬかと余は兩人を偸み視るに別に怪む樣子も無し、尤も余は一旦死せし者にして殊に魏堂は余の葬式にまで立會し事なれば、余が星子の父波漂なりと如何でか知らんや。余は斯くと見て取り漸くに安心したれば又も波漂に似氣()も無き最も剛()き聲を作りて星子に向ひ「オヽ孃ちやんの名は星子、大くなれば星の樣に仰がれると云ふ好い名前です」
星子は宛も余が聲の父の聲に似ぬを怪む如く少し考へ、
「アヽ、パパも爾云()てよ。」
「爾だらう、爾だらう」と言ひて余は其首()を撫廻すに那稻は傍らより、
「パパが餘りお前に優くしたから、云ふ事を聞かぬ兒に成て仕方が無い、パパの居る時は是ほどでも無かツたのに。」
星子は之を聞き物言度げに唇頭()を震はせたれど言ふ能はず、余は猶ほ星子にのみ向ひて、
「此樣な好い兒に優しく仕無くて何と仕やう、云ふ事聞かぬの惡戯のと其樣な事は無い、ネエ星ちやん。」
星子は猶も無言なれども、宛も大人が辛き時に發するほどの溜息にて>にも多くは着て居ませんぜ。」
「爾云はるれば私しも滿足です、何うか貴方の盡力で之を夫人へ納めて頂き度い者ですが。」
「夫は私()しの最も嬉()ぶ盡力ですが、夫にしても貴方は夫人の許をお訪()なさいな、夫人も是ほどの物を頂けば、直々お目に掛ツてお禮を云はずには居られません。」
余は殆ど落膽の顏にて、
「では致し方が有ません、夫人の許を訪ねると致しませう、が然し、今日は了()ませんよ、今は未だ旅の空も同じことで、夫々の荷物調度なども取寄せませず、居間の飾附さへ終らぬ程ですから、兔に角幾等か身を落附け、是で愈々交際社會へ出られると云ふ樣に成て、其上でお目に掛りませう。」
「夫は何時の事です。」
「ナニ茲三日か四日です、遲くも今日より五日目には伺ひますから、其前觸()と云ふも大變だが、先づ前觸兼土産物の樣な積で是を貴方が持て行て屆けて下さい」と云ひ、箱に葢して鍵まで添へて差出()すに、魏堂は面()だけ當惑氣な色を粧()へど夫人が之を貰ふは即ち自分の未來の妻が貰ふ者にて、六月の後は我物と成る道理なれば殆ど嬉しさを包み得ず、
「伯爵、貴方は本統に交際社會の帝王です。帝王の言葉に背くとは恐れ多い次第ですから、宜しい私しが特命全權公使と云ふ積で、女皇()の許に屆けませう。」とて其箱を抱上()たり。
余は波漂たりし頃、僞奴が斯く金持に媚諂()ふ卑屈の性質を隱せりとは見破り得ず、貧()けれども一廉の氣象ある男と思ひ得たるに今は彼れの卑劣、卑陋()なる本性を露出()しに見るを得たり。去れど勿論余は其色を見せず最と笑ましげに、
「では花里さん、私しは是から種々用事も有ますから後刻貴方の畫室()でお目に掛りませう。」
「ハイ夫では取敢()へず之を夫人に送り屆け、夫から宅へ歸ツてお待受けしますから」と是だけの言葉を殘し、僞奴は踏む足も定まらぬほど歡びて立去れり。
是より午後の三時まで別に記す程の事も無し、唯だ余が昨日此家の主人に向ひ、最も謹直なる從者一人()雇度()しと頼み置()しに、適當の男ありしとて年廿七八なる瓶藏()と云へる男を連來れり。余は之を試し見るに充分從者の務()に慣れ、且つ思ひしよりも謹直の男と見たれば、直ちに雇入れの約束を爲し、猶ほ是よりして余が追々交際社會に乘出()る用意にと此土地の紳士達へ通手()に應じて手紙或は土産物、或は我が名札などを配らせしが、此事の終る頃、丁度魏堂の家を訪ふ可き刻限と爲りたれば、余は衣服も一際立派に着飾り、目鏡の曇りを能く拭ひて出行きたり。
僞奴の家も岡の小高き所に在り、余は暗()にも迷はぬ程能く道を知れど是も體裁なれば片手に僞奴より貰ひたる名札を持ち其番地を讀みながら尋ね行きて、幾度も鳴したる案内の鈴を引鳴すに、僞奴自ら出迎()へ、直ちに二階の繪畫室へと招じたり、見れば彼れ余が死してより最早や繪を書きて賣るに及ばぬ身と爲しと見え、余が生前に畫き掛け有りし額面も其後一筆を加へたる後を見ず、尤も余を迎へんが爲め俄()に掃除を施したりとは見ゆれど、孰れの繪も皆余が生前買殘したる者のみにして新しき者とては一個も無し、室の中央なる卓子に挿したる花も余が家の庭より折來りし者なり、余は立ちて四方の額を眺めながら、
「花里さん、斯う美しい畫室の中へ坐して居る姿を見れば、貴方は職業も美術家だが、貴方の姿も一個の美術です」と褒むるに彼れ頬笑みて、
「伯爵、貴方も見掛に寄らぬお世辭家ですよ」と云ひ更に又「オヽ先刻の品物は早速伯爵夫人へ屆けましたが、夫は/\夫人の驚きと歡びは一通りで有ませんでした。」
余は其話を好まぬ如く單に、
「夫は御苦勞でした」と答へ、再び畫の方に振向て、旨くも無き物を旨しと褒め、唯だ最も大くして價()の最も高相()なる分を五六枚撰びて買ふに、魏堂は余を待遇()すの少しでも厚きを勉め、面白可笑しく樣々の話を持出()すに、其の新しげなる洒落も總て余が一旦聞きたる洒落にて其の利口氣なる美術論の中には、余が曾て説聞せたる者も多し、彼れは實に實()を拔きたる卵子()の殼の如く上部のみ綺麗にして味も無く腹も無き、尤も俗なる人物なり、余は斯る淺墓の人物を何うして、親友と爲したるや、今は余自ら合點の行かぬ程なり。話す事半時間の餘()に及びて彼は己が心の賤()さを悉く打明盡し、余と隔て無き昵懇の間柄らしくなれり。
斯る折しも誰なるか馬車に乘りて此家に來り入口に車を留めし音、手に取る如く聞えたれば、余は佶()と魏堂の顏を見、
「オヤ誰か來る約束でも有ましたか。」と云ふ。
彼れ稍()や當惑氣なる笑を浮べ、
「イエ、爾でも、アヽ何うでしたか」と曖昧なる返事の終らぬうち、早や案内を請ふ鈴の音聞ゆ、魏堂は余に挨拶もせず玄關さして降()り去れり、アヽ讀者、蟲が知すと云ふ者か余は殆ど其來客の誰なるやを知れり、讀者も必ず推()し得ん、余は俄に高く打つ我が動悸を制し、強敵を待つ勇士の如く立上りて足を踏〆()め、黒目鏡を確()と目に當て、且()靜に且騷ぎて控ゆるに、頓て僞奴の足音の後に從ふ猶ほ輕き足音も聞え戸の外にて僞奴が何やらん細語く聲も聞え、絹服の音も聞ゆ、余が胸は張裂くばかり、何思ふ暇も無く僞奴は宛も女皇を迎へ入れる程の謙遜にて戸を開けり、閾()にソツと立現はれ余と顏と顏見合せたる來客は、讀者讀者、余が妻の那稻なり、余は那稻と正面に出會()ひたり。
三一
那稻と顏を合せて立ち、余は唯だアツと逆上()せたり、太陽を見て暈()ゆからぬ程の黒目鏡も那稻の顏には敵する能はず、眼の眩むは愚な事、氣も魂も轉倒し、宛も首()を釣鐘の中に入れ、外より不意に撞鳴()されしかと云ふ如き氣持にて暫しが程は我か人かの區別も附かず、アヽ讀者、那稻は如何にして斯く迄も美しきや、眞の美人は見れば見るだけ愈々愛らしく、見る度毎に深く美しさの優()り行くと聞きたるが、那稻は實に其類()なり、彼の美しき事は豫て知れり、(勿論余が妻なれば)去れど百日見ざりし余が目には殆ど初めて見し美人の如く見ゆ、覆面と共に背後に投げたる金髮は櫻色の顏を露出()し、之に黒き喪服の能く似合ひたる具合は何とも云へた者で無し、女を嫌ひし余波漂が、昔し一目で現()を拔したるも道理、今は其時より確に又幾倍か立優りて世界に又と無き若後家なり、爾()は云へ余が取上()せたるは唯だ彼の美しきのみに非ず、欺かれし過去の場合、一時に余が心に迫り來り、余は何として好()かを知らず、余が戸惑ひて有る間、那稻は閾の上に立ち、俄には進み來らず愛らしき中の最も愛らしき笑を浮めながら、又恭々しげに余を眺め、自ら手を延べて進み行くを待つ樣なりしも余は進む能はず、退()きも動きもせざれば彼少し羞()らひて歩み出で、間違へば何うしやうと氣遣ふ如き、覺束()なき言葉にて、
「貴方が笹田……伯爵……ですか」と問へり。
余は必死の思ひにて返事せんと揉掻()けども舌剛()り咽乾()きて聲は胸の中にて塞がり、我れながら我が不體裁が面目なし、まごつく樣を隱す爲め漸く首を垂るゝに、先は之を見て「ハイ」と云ふ返事と見做()せしか、嬉しげに又一足進來()れり。
余は實に我が腑甲斐無()さに愛想が盡きたり、那稻は自ら類稀()なる美人たるを知り、如何なる男と我が目の前には平服()すると知りて、人を見るを埃芥()の如く、其羞()らふ樣も覺束なき口の利()き樣()も總て我が愛らしさを深くする手段にして、腹の中には何とも思はぬ事、余は能く知れり、知りながらも之に敵する能はずして戸惑ふとは何の事ぞ、併し先づ/\垂れし首が返事となり、別に言葉を發せずして事の足りしは重疊の仕合せなりと漸く安心するに從ひ、塞がりし咽の忽ち開き今まで閂()え居たる「ハイ」の一聲、我知らず最()高らかに口より出()たる極()りの惡さ、出す時に出ず、出さぬ時に出る、氣が上()せれば物事が斯も不手際に行く者か。
那稻の背後()に控へたる僞奴も、成る程伯爵は女の前に出た事の無い人と見て取て、笑ひしならん、余が目には彼れの姿は見えず、殆ど一切の物が總て見えず、那稻も或は可笑しさに堪ざりしやも知れねど、彼は更に其色を見せず、唯だ嬉しげに頬笑みて、
「アヽ左樣ですか、私しは羅馬内伯爵夫人ですが、實は今日()貴方が[#「貴方が」は底本では「貴女が」]此畫室()にお出()になると聞き少しも早くお目に掛り、直々()にお禮を申さねば濟まぬと思ひまして、イエ最うアレ程の立派な品は拜見するさへ初てゞす」と云ひつゝ細き手を延べ余に握らせんとす、余は茲に至りて我心の餘りに弱く我身の餘りに活智無()さが腹立しく、エヽ悔しいと云ふ了見にて無作法に其手を取り、碎くる程に握り締たり、定めし指環が左右の肉に深く食入()り痛き事ならんと察せらるれど、流石に痛しとは口に出()さず、余は是にて漸く度胸が定まり人心地附きたれば、最早や詰らぬ失策にて事を過ちてはならずと、心を丹田の底に沈め、豫て勉強せし聲音にて、
「イヤ夫人、爾までお禮を仰有られては痛み入()ます、殊に御不幸の後間も無い所へ、アノ樣な飾物など贈りますのは餘りに場合を知らぬ仕打()で、定めし情無しと思召しませうが、イヤ最う貴女の御不幸を察せぬでは有ません、何うか悲しみの分()てる者なら幾分か私()しの身に分ちて、貴女のお心を輕く仕度いと思ひますが、若し波漂殿が生て居れば、今頃は同人の手から貴女に渡されて居るだらうと思ひますから、夫で花里氏へも爾云てお送り申たのです、悲き場合に不似合な贈物とお叱りを受ませぬのは、却て私しからお禮を申さねばなりませぬ。」
聲は作りし聲なれど言葉は是れ一句/\總て交際社會の撰拔()なれば、僞奴若し茲に有りて之を聞かば、余が貴夫人の前にて口きく事さへ知らぬと云ひし其言葉の違ふを怪み殆ど目を圓()くして呆れしやも知る可からず、去れど彼は茶菓子など運ばん爲め下去()りて茲には非ず、那稻も幾分かは余が言方の初の不調法サに似ぬを怪みてか、夫とも外に疑ふ所でも有るか、余が言葉の中程を過し頃より少し顏の色を青くし、殆ど氣味惡いとも云ふ可き程の樣子にて余の目鏡を見る、余は益々大膽を増し來り少しも臆せず那稻の顏を見返すに、那稻は握られし手を徐ろ/\と引きたれば余は更にソフアーを取り與ふるに、那稻は最と平然と宛も朝廷より退きて私室に入()りたる女皇の如く之に靠()れ、猶ほ何事をか考へながら余の顏を眺むるのみ、斯る所へ僞奴は來り、滿足の樣子に打笑ひ、
「何うです伯爵、到頭計略に罹りましたネ、貴方の隨意に放()せて置けば何時まで貴方が夫人の許へ尋ねて行ぬかも知ませんから、私しと夫人と相談して、今日()は貴方の意外に此面會を仕組だのです」と云ふ、知らず讀者よ、是より奸夫姦婦と欺かれたる其所天と三人の交際は如何なる方角に進み行く可き。
三二
成る程僞奴は不意に余を那稻に逢はせる積りにて豫て那稻と打合せ置きたる者なる可し、余は嬉しげに「イヤ最う此樣な計略には何度でも罹り度い者です、斯も美しい夫人のお顏を出拔に拜見するのは世に是ほどの有難い驚きは有ません、殊に夫人は波漂殿が亡なられて未だ間も無く、其悲みとてもお忘れ成さるまいに、特別に私しの爲め茲までお出下さツたのは實に私しの身に取り、此上も無い名譽です。」
那稻は此言葉を聞き、宛かも死せし波漂を思ひ出だし悲しさに堪えずと云ふ如く聲を曇らせ、
「ネエ先ア、何うして波漂が亡くなりましたか今考へても夢の樣です、本統に死だ者とは思はれぬ程ですよ。」
思はれぬ筈なり、波漂は此通り活()て居る者をト余は腹の底にて冷笑するに、那稻は猶ほ半ば泣聲にて「彼れが活て居ますれば何れ程か貴方のお出()を喜んだ事でせう、夫を思ふと、私()しは、今更の樣に悲しく成ります」と云ふ中に涙は兩の目に浮び來れり。
涙を浮かべる丈が猶()だ僞奴よりは殊勝なりと云ふ事勿()れ、讀者よ眞に男を欺()す程の毒婦ならば涙は自由自在に出る者なり、男子が常に婦人の術中に陷るは毎()も此の上部の涙を眞實の涙と思ひ違へての爲なり、余は幸ひに今まで滿三年の餘()も那稻を妻とし、幾度も彼が余の爲めに泣き、余の爲に悲しみたる場合を知る故、既に其間の事を熟々()と考へて、其時の涙は皆空涙なりしを悟り、此後何の樣な事ありとも再び那稻の涙には欺かれじと既に此復讐を初むる前我が臍()を固めたる事なれば少しも此涙に心動かず、却て是が人を欺く奧の手かと憎さを催す程の事なり。去るにても余に向ひ散々波漂を罵りたる彼れ僞奴めは、此場合何の樣な顏色をして居る事かと余は夫と無く彼れに振向き、其顏を那稻の顏と見較()ぶるに、彼れは流石に極り惡きか、空咳に紛らせて顏を反()せり、アヽ空咳と空涙、孰れも僞りたるは同樣なれど、人を欺く手際に於ては那稻が遙に僞奴の上なり、僞奴實に惡人とは云へ、猶ほ那稻の足許にも追附かず、余は斯く思ひて腹に呑込み、更に然る可き慰めの聲を作り、
「イヤ夫人、今は最う歎いても詮ない事です、夫よりも御自分で病にでもならぬ樣諦めて浮き/\と氣を持直すのが大事です、殊に貴方の年頃と美しさではナニ其樣にお悔み成さる事は有りません、今に又慰めて呉れる人も出來、從ツて又樂い事も出て來ますよ。」
那稻は漸くに涙を納め、僞奴も亦此忠告には暗に己れの肩を持つ者と思ひしか、
「本統に其通りです」と賛成したり、左れど那稻は僞奴ほど淺果()には喜ばず、寧ろ恨めしげなる調子にて、
「本統に爾ですよ、ハイ悲む丈け無駄だとは諦めましても、誰も私しを慰めて呉れませぬもの、貴方さへも私しの住居()に來て下さらぬでは有ませんか」と怨ずる如くに余の顏を眺め上ぐる其眼の内にも外にも云ふに云はれぬ趣きあり、貴方さへもの「さへも」の語に深き心を籠()て有るとは盲目()でも明かなる可し。
盲目にあらぬ僞奴の眼は早くも夫と見、既に氣の揉める緒口()を開きしか、少し嘲笑ふ如き氣味にて、
「夫人、貴方は此伯爵が全くの女嫌ひで、美人と云ふ文字を眺めても身振()ひする程だと云ふ事を未だ御存じ無いのです、ネエ伯爵」と余に迄も念を推すは、暗に豫防の襯染()を爲す者ならん其心の深さ淺さ大抵是だけにて分るに非ずや、去れど余も亦茲に至りては僞奴が思はぬ程の曲者なり、最()輕き口調にて、
「爾です通例の美人には殆ど身震ひも致しますが、天女とも見擬はるゝ眞の美人の笑顏には何うして敵たふ事が出來ませう」と云ひ、目鏡を隔てゝ那稻の顏を見返すに、那稻は初て其悲げなる樣子を掻消し、又一入晴々しく其眼を張開きたり、是れ問ふまでも無く既に余を惱殺し、奴隷の如くならしめんとの心にして、即ち妖婦たる眞の性根を現はさんとする者ならん。是れが其の手初めか、既に綿より柔らかな手の先をば卓子の上なる余の手に載せ、
「オヤ私しが其天女ですか、天女の言葉には負()かぬ者です。」
「イヤ何うして負きませう。」
「では、明日()私しの許をお訪()ひ下さると仰()るのですネ、夫では魏!」
魏堂を呼捨にする口癖を思はず、洩さんとし周章()しく言直し、
「夫では花里さん、貴方がお供をして下さいよ」僞奴を供とし、余を賓客とす、固より當然の場合なれど、其の言樣に何と無く區別あり、余と僞奴との間に充分輕重の隔てを附けし如くなれば、僞奴は愈々氣色を損ぜし如く又も嘲りの笑を浮め、
「アヽ私しから幾等爾申しても決して貴方の許を尋ねやうと言()なんだ伯爵が、貴女の一言()に早や心を飜()へしたのは何よりも結構です。」
アヽ心を飜へすとは大仰なり、今少し言樣も有る可きに、彼れは殊更に斯く耳障りなる言葉を使へり、去れど那稻は其上に出()て余の肩を持たんとし、
「夫れは貴方、花里さんの言葉と私しの言葉を一樣にお聞なされます者か、ネエ伯爵」と唯一言()の言廻しにて僞奴の人品を殆ど足の下に蹴落したり、彼何所までも僞奴をからかひて窘()めんとする者と見ゆ、爾は云へ余も其言葉に調子を合せ「夫は爾です、貴方のお顏を見れば鬼でも心が柔()ぎます」と答へたり。
三三
那稻は猶ほ僞奴を退者()にして、一言二言余と談話せしが、初對面の席に長居は作法に非ずと見てか、早や彼れ去らんとする如くに立上れり、余は笑顏にて「本統に天女の降臨です、美しいお姿を充分には拜ませず、直に又お歸りですか。」
那稻も同じく笑顏にて、
「ハイ、其代り貴方のお約束を當にして歸るのです、明日()若しお出が成らねば天女は罰()を當てますよ。」
余は何も彼も復讐の一念にて忘れし中に唯だ余は娘星子の事のみは猶ほ氣に掛り、不實なる其母を見るに附け、星子の安否が益々聞き度ければ、夫と無く言葉を廻し「オヽ花里さんから聞ましたには、波漂殿に娘御がお有成ツたとか云ひますが。」
那稻も初めて思出せしと見え、
「ハイ本統に能く波漂に似て居ますよ、明日お出に成ればお目通を致させませう」と云ひ、更に無量の意味ある眼と共に「佶()とお出なさいよ」との一語を添へ、再び其手を余の前に差出せり。
余は最早や其手を握るに何の臆()れを取らぬのみかは、猶ほ一際の大膽を加へ取上て唇を其甲に推附るに那稻も之を怪まず、其儘にして余の黒目鏡を眺め居たるが、餘り永きは作法に負()くと思ひしか、頓て其手を退きながら、
「アヽ貴方はお目がお惡いと見えますネ」
「ハイ長く熱帶の日光に射られました爲め、夫に最う年も年ですから。」
「エ貴方は猶()だ其樣なお年とは見えません、私しの目から見れば大層お若い樣ですが」と是は滿更の世辭で無く、血氣壯()な余が頬の血色を見て寧ろ怪げに問ふに似たれば、余は故()と驚きて、
「此樣な白髮頭でも猶ほ若いと仰有るか。」
「若くても白髮の人は幾らも有ります、禿()た頭は婦人に厭がられますけれど、白髮は却て尊敬されます、私しなども尊敬する一人()ですよ。却て髮の毛の黒い方より氣が許されます……頼母()しいと思ひます。」斯く云ひながら早や閾の所まで出()たれば、余と僞奴と其右左()より手を取りて扶()け行かんとするに、那稻は僞奴を捨てゝ余の手に縋り、外に出()て馬車に上()るまで總て嬉げに余の腕を杖とし居たり。
余も僞奴も馬車の影見えずなるまで見送りて再び畫室へ入()りたるが、見れば僞奴の顏、先程の笑()しげなりしと打て代り、眉と眉の間最()と狹くなり、餘ほど氣に掛る事の有る如く物も云はで茫然と考へ入るのみ、讀めたり讀めたり、彼は那稻が己れの手を捨て殊更に余が手を撰びし爲め、早や腹の中に嫉妬と云へる毒虫生じ、チクリ/\と彼れの心を螫()すと見えたり、斯も淺果()なる男ならば、余が復讐は益々易しと余は心に祝しながら、
「コレ花里君、何を其樣に考へます」と云ひ、其肩に手を置けども彼れ唯だビクリと動きしのみ、猶ほ何の返事も無し。
余は一本の葉卷を取り、
「オヤ/\是は痛()い鬱()ぎ方だ、先ア是でも燻らせ成さい」と彼れに與へ「全體アノ樣な美人を見て何故其樣に鬱ぎます、眞に絶世の美人です、私しは唯だ一度逢たばかりで心が清々()と仕て來ました。」
彼れ煙草を呑もせず、唯だ指先に捻るのみにて殆ど忌はしげに余の顏を見、
「だから私しが前以て爾云て置ました、開闢()以來是ほどの美人は無いと、ヱ、美人嫌ひと云ふ貴方だけれど、全く心醉して仕舞たでは有ませんか」と云ひ猶ほ嘲ける如く「貴方は餘ぽど心の確な方だらうと思て居ましたのに」豈圖()らんや爾()に非ずとの意は充分に明白なり、余は少し驚きたる顏色()にて、
「オヤ、私が心醉したと仰有るか、未()心醉は仕ない積ですが、兔に角非常の美人と云ふ點は全く貴方に同意です」彼れは少し鋭く、
「同意だから、夫から何うしたと仰有います。」
「イヤ同意した丈の事で夫からは未だ何とも言ひません。」
彼れ暫し考へて、佶と余の顏を見詰め、
「ですから言はぬ事では有ません、此後は餘程用心ならさぬと了ませんよ。」
余は合點の行かぬ振()にて、
「ヱ、用心とは何を。」
「イヱサ、那稻夫人に就()て。」
「那稻夫人に就て何を用心するのです、アレ程の美人でも何か險呑な所が有りますか。」
「イヤ爾()云ふのでは有ませんが、初對面の人へアノ樣に慣々しくするのは夫人の癖です、癖と知らずに大抵の人が何にか自分ばかり特別に夫人の愛を得て居る樣に思ひ、飛だ思違ひを致しますから。」
「ヘヽエ、其樣な事が有ましたか。」
「イヤ未だ有()は仕ませんが現に貴方でもサ、交際上一通りの世辭を眞實の言葉と思ひ、深入をする樣になると」最と遠廻しに言來るを余は初めて合點行きし如く、
「アヽ其樣な意味で夫を用心せよと云ひますか。[#「云ひますか。」は底本では「云ひますか」」]是は可笑しい、私しが此年で夫人の愛に迷ふなどと、コレ花里さん其點だけは充分に御安心なさい、心配する丈け無益です、夫人の目から見れば、私しは全く父とも云ふ年配ですが。」
此誠しやかなる言葉に彼れ少し安心せしも、猶ほ注意して余の顏を眺めながら、
「でも夫人は貴方を見て、爾う老人には見えぬと云ひ、猶ほ色々の事を云ひました。」
余は腹の中にて彼れの心配を最()面白く思ひ乍()ら、
「サア夫が交際上の世辭と云ふ者では有ませんか、夫を誰が眞に受ませう、最も夫人とても所天に分れて間も無い事で頼少ない身の上ゆゑ、宛も父が我子を保護する樣に夫人を保護して上()るかも知れませんが貴方の氣遣ふ情夫の樣には決して成ません。夫人が若し情夫でも持つ程なら第一貴方を撰みますよ、貴方こそ夫人に似合しい美男子で、私しと比べ者に成ませうか」彼れ漸く落着て極りの惡さを隱さん爲め、初て前の葉卷を燻らせ宛も言譯する如く、
「イヤ實は波漂の生て居ます中から、波漂が私しを兄か弟の樣に見做し、夫人と私しの間に殆ど輕重を附ぬ程でしたから、從ツて私と夫人の間も全く兄妹の樣に成ました、波漂が亡く成て見れば私しこそアノ夫人を我妹の樣に保護して遣らねば成ません。夫に夫人が御覽の通り年も若く隨分身を誤り兼ぬ質()ですから、夫ゆゑ私が非常に氣を揉み、貴方に迄も用心成さいと云たのです、分りましたか。」
「ハイ、能く分りました、無論の事です。」
余は眞面目に頷きたるが、眞に能く分りたり、彼れの意は己が畑に鋤()を容()るゝ密獵者を防がんとするに在るなり、彼れに取りて當然なれども、彼れ自身既に密獵者にして主人を追退()け、自ら主人と爲りたる者なれば眞實の畑主たる余に取りては少しも當然の事に非ず、余が腹の中には別に余だけの思案ありとは彼れ密獵者知るや知らずや。
三四
爾()は云へ僞奴は余の深意を悟らず、那稻が余を厚く待遇()せしも全く一通の世辭にして余とても我が頭の白髮に耻ぢ、嫉()まるゝ如き振舞をする者に非ずと、彼れ全く斯く思ひ詰()るに至りしかば、益々機嫌も好くなりて、明日夫人の許を問ふ可き時間など打合せたり。
猶も彼れ樣々の世間話を持出んとし余も亦事に托しては彼れの了見を試みんと思ふにぞ、彼れの話を妨げんとせず、却て我が思ふ方角へと誘()き行くに、彼れが義理も徳義も解せずして唯だ私欲一方の人間たる事、愈々以て明白なり、彼れの品格を傷()くる如き言葉、續々と彼れの口より出來()れり、夫等の話を一々茲に掲ぐる要なけれど、唯だ其一二を參考までに記さんに、
彼れは男女()の間を説き、少しも定りたる操無き者と爲し「ナアニ女が廿歳()前後の時は隨分見ても綺麗で、殊に愛嬌も有りますから、男は其愛嬌を値打と見て妻とするのです、夫が追々年を取れば愛嬌は次第に消え、美しい顏も皺と爲り、白い色も赤くなり、優しい姿も肥太ツて醜くなります、お負()に所天に慣るに從ひ、勤ると云ふ氣が無くなり、初は厭な事も推隱して曲て笑顏も作り、所天の機嫌を取た者が、末には其の遠慮が消え、眞實嬉しい時の外は喜びもせず、腹の立つ事が有れば容赦も無く腹を立ると云ふ樣に、總てに飾り氣が無く成ますから、愛嬌は消て仕まひ取る所の無い荷物と爲ります、サア初め愛嬌を見込で買た者が、愛嬌の無い事に爲れば、丁度旨からうと思て買た食物が味の變ツて無味()くなると同じ事ゆゑ、打捨る外は有ますまい、世間の所天が浮氣をするは總て此理屈です、法律で一夫一婦などと限たのは實に人情に合はぬ仕方で、譬へば一旦買た食物は假令()ひ味が變ツても喫()ねばならぬ、決して外の食物に指を染るなト云ふのと同じ事です」と云ひ猶ほ淺墓なる議論にて宗教道徳を罵る故、余は愛想を盡()ながらも故と言葉を合せ、
「夫は爾です、今の世界は何事も當人の都合次第で、都合に由()ては親友をも欺ねば成ません、明日此者を殺さうと思つても、笑顏を見せて親しく交ツて居る樣な場合も有ませう。」
「爾ですとも、若し今の世に基督()が生れて來れば必ず十誡()へ追加して、決して他人に見破るる勿()れと云ふ第十一誡を作りませう、他人に分らぬ樣に、惡き評判()を立てられぬ樣にすれば何の樣な惡事でも構ひません、詰()り露見すればこそ惡事、露見せねば惡とも善とも云はれずに濟のです」斯く云ひて今度は女の方に移り「女の婚禮前は何よりも操が大切です、若し惡い名前を受ては生涯好い所天を持つ事が出來ません、其代り愈々婚禮すれば、操など云ふ事は要らぬ事で、即ち第十一誡を能く守り、人に見破られぬ樣にすれば、縱()や他人の子を孕んだに仕た所が所天の子と見分の附く者で無く、誰にも咎められずに濟むのです、畢竟見破られると云ふは度胸も智慧も無い女の事、眞に度胸と智慧の有る女は死ぬまでも所天の眼を眩()せ果()せます」と云ひ次は所天の事に及ぼし、「或は又分ツた所が所天は如何ともする事が出來ません、怒ツて若()世間へ分れば自分の耻()、離縁をすれば妻は其後天下晴れて奸夫の妻と爲るかも知れず、止()を得ず決鬪するとした所で、勝つと敗()るは其時の運次第、事に由ては姦夫()に射殺()されます、縱し又勝たとしても、妻の眼から見ると決鬪の爲め所天の値打は益々下り、妻は愈々先の男を大事に思ふ事に成ます、ですから、私しなどは妻を偸()まれて居る人の顏を見ると本統に可笑しくなります。」
是までは余も笑顏にて聞きたれど最早や顏色を包む能はず、此上一刻でも茲に居れば我を忘れて彼の咽へ飛附くに至る事必定なり、余は止()を得ずして立上るに僞奴も其樣子を怪みて、
「オヤ伯爵、貴方は何うか成()れましたか、お顏の色が大層變ツて來ましたが。」
「イヤナニ、是は私しの持病です、永く一所()に据()ツて居ると直に目暈()が仕て來ます、實に年取ると致し方が有ません。」
「ブランデーでも上ませうか。」
「イエ此樣な時には唯だ靜かに寢る外は有ません、失禮ですが宿へ歸りませう、先刻求めた彼()の畫類は後ほど下部()を取に寄越しますから」と云ひ、是にて魏堂に分れを告げ、余は殆ど逃()る如く我が宿へと歸りたり。
歸りて居間に歩み入れば卓子の上に、草の莖を以て編たる美しき籠ありて中には蜜柑を初め樣々の見事なる菓物()を盛れるにぞ、余は前世の波漂の家に斯る菓物の多かりしを思出()し、何人が茲に置きたるやと疑ひ、其籠を手に取り上()るに、添へて一枚の名刺あり、其傍らに、
明日()お尋ね下さると言給ひし先刻の御約束を、思ひ出させ給ふ爲めに庭園の菓物を、
羅馬内伯爵夫人より、笹田伯爵に贈り候、
文字は見覺()ある那稻の筆なり、アヽ彼れ、余が富の一方()ならぬを見て取り、早や余を擒()にする積にて斯もふざけたる眞似をするにやと、余は今まで堪へ居し怒を一時に發し、室の隅へと其籠を叩き附けたり。
三五
翌日は晝少し過に、余は魏堂に伴はれ羅馬内家を尋ねて行()けり、行きて第一に余が耳に響きしは「好く先ア入()しつて下されました」と余を迎ふる那稻の聲なり。
是れ夢か是れ實()か。余は余の家の庭に立ち余の妻の笑顏に迎へられ、而も余が身のみ他人なり、暫しが程は余が心全く紊()れて、見れども見えず思へども思ふ能はず、唯だ見慣たる縁側に、見慣たる庭の木の枝垂れ掛り、昔し我家とせし立派なる家、昔し我身が遊び戲れし樂しき有樣など宛も走馬燈の如く目の前に散らつくのみ。
余は機械の如く一脚()歩み、又二脚()と進むに連れ次第/\に我が心が我れに復り、是れ夢ならで總て現實の眞事()なるを知り、忽ち胸の底よりして最と深き涙の込上來り我咽()に塞がるを覺えたり。
凡そ鐵心石腸()の人も時ありて泣く事もあり、其泣くや血の涙なり、余今我が心を弛め、恣()まに泣くを得ば余が眼よりはふり落()るは必ず涙に非ずして血なる可し、玄關も庭も座敷も木も石も余が爲には舊友の想()あれど、昔の懷しき趣きを留めずして何とやら悲しみを帶びて見ゆ、主人の落ぶれ果し如くに此家()の零落せるも遠きに非じ、アヽ主人、主人、誰が此家()の主人なるぞト、余は窃()に疑ひて傍に立つ魏堂の姿を偸視()たり。
否々假令()ひ此家を雨の虐()げ風の荒()むに任せて置き見る影も無く廢()らしむとも、魏堂の如き僞りの人を主人と爲す可からず、古來羅馬内家に一人()の僞人()なし、主人は依然たる余波漂にして家は變らず余が家なり、去ればとて主人たる余に何の力があるや、余には家ありて家なきなり。名前まで人の名前、身に纒う美衣()口に飽く珍味も、總て世人()の穢()はしとする盜坊の賜物()なり、人にして鬼籍に在る身、既に人たること能はねば主人たること固()より能はず、想へば橋の下に餓死()る乞食とても余よりは富めり、余ほど心の零落し荒れ凉()たるもの孰れにか有らんや。
見れば變らぬ内に變りたる所も有り、余が毎()に縁()の片端より動かさゞりし讀書臺は其下の深き安易椅子()と共に取退()られ、余が籠に入れ飼置きし小鳥も見えず、余と魏堂を迎へて門の戸を開きし余の從者も活き/\しき顏の色艷消え失せて味氣なき人と爲れり、何ぞ氣力の少くして影の薄きや、殊に余が物足らぬ心地せらるゝはイビスと名附()る余の愛犬なり、個は余がハイランドの友人より贈られし稀代の名犬にして、毎()も余が讀書臺の許なる縁先に寢居たるに今は其影も見えず、如何なる所へ連行()かれて繋れ居るにや、余は殆ど腹立しく其邊りを見廻したり。
那稻は余の顏色を見て氣遣はしげに、
「オヤ伯爵、貴方は茲に入()ツたのを最()後悔なさるのですか。」
余は愕然と我に復り、
「何う致しまして、宛も亡者が初て極樂の庭に入()た心地です、ハイ眞の喜びは無言です、夫人」とて其顏を眺むるに、那稻は少し羞()らふ如く眼を垂れたり。魏堂は氣短かく自裂()る體()にて眉の間を狹くしたれど、彼敢()て口を開かず。
是より導かれて廣く凉しき客室に入()れば、茲には多少の變りあり、余が十四五の時作らせし余の半身像は床の間より取去られ、彼の朝廷より贈られし薔薇の鉢植も茲に見えず、其花を摘盡して其木まで枯せし者にあらぬか、唯舊時の儘なるは僞奴と那稻と並坐()して彈()ずるを好みし音樂臺にして、今も日々用ふると見え其葢さへも開きし儘なり、余は思はず深く嘆息し「成程舊()の通()だ」と口走るに魏堂は怪げに聞咎め、
「ヱ、舊の通り。」
「イヤサ、猶ほ波漂の父が生て居る頃幾度()も此家に來ましたが、其頃と餘り變りません。」
是を話の緒口()とし那稻は直()に尾に附きて、
「では定めて波漂の阿母()を御存()でせうネ。」
「ハイ。」
「何の樣な方でした。」
余は此の汚れたる女の前にて清き我母の事を語るさへ勿體なき氣のせられ暫し躊躇()ひしも、那稻の眼に催促せられ、
「左樣實に美しい婦人でしたが自分の美しさには氣も附()ず、夫れは/\他人の事ばかり心配して善く家を治め、此内へ這入()て來れば直に最う善人の住家でと分る樣でした、併し惜い事に早く亡なりまして」と云ふに魏堂は之を聞き、昨日己れが余に打明けし其淺墓なる道徳論に照()してか又嘲笑ふ調子にて、
「アヽ其樣な堅い夫人は早く死()るが仕合せです、永く生て居られては夫こそ所天のお荷物だ、ネヱ、伯爵。」
余は赫()として眼の血走る心地したれど漸く堪へて、
「何うですか、夫人の死を惜()ぬ者は無い程でした、此頃の道徳に照せば貴方の云ふ通りかも知れませぬが。」
那稻は流石に余の不快なる顏色を見て取し如く、
「イエ伯爵、魏――、花里さんの云ふ事を氣に留ては了()ませんよ、馬鹿な事ばかり云まして」と云掛け、魏堂の眼の異樣に光るをチラリと見て「最も腹の中では口ほど馬鹿な事を思ツて居るのでは有ますまいが、所天波漂なども折々は本統に他人の前へ出されぬ男だと云ました。」
是れ一面には余を宥()め、一面には痛く魏堂を嗜()むる掛引と察せらる、斯て那稻は猶も話を外の事柄に移さんとする如く、
「ですが伯爵、貴方は夫ほど此家の人々を御存()ゆゑ、娘星子にもお目通りさせませうか。」
余は高く打つ胸の浪()を推鎭()めつ、
「ハイ貴女と波漂の間に生れた孃さんなら、私しは自分の孫の樣に思ひます、何うぞ是へお呼成ツて。」
那稻は直ちに下女を呼び星子を寄越せと命ずるに、下女の退きてより暫くして最と覺束()なき手先にて恐る/\戸を開かんとする如く、外から其引手を廻す者有りと見る間に余の娘星子は閾の内に現れ來れり。
余は一目にて星子の痛く變りしを見て取たり、余の不在は纔()か百日ばかりなりしに、其間に如何なる取扱ひを受しにや、總體の樣子何と無く窶()れて見え、何處にか恐れと不安心の色を留め、笑ましげなる其眼は悲くも諦めたる影を帶ぶ、凡そ斯る顏附()は大人にしてすら氣の毒げに思はるゝ者なるに四年に滿()ぬ女の兒()が早くも此陰氣なる樣と爲るとは實に斷腸の限ならずや、余が死してより繼子の如くに待()はるゝは是だけにて明かなり、況()してや、知らぬ人にも能く親みし昔に引替へ人に怯える樣子あり。
室の中ほどまで出て、第一に魏堂を睨み視()、敢()て進まず、魏堂は笑ひながら、
「何だ惡魔でも見る樣な目で己()を見てサ、今日はナニ叱らぬから茲にお出()、此の方はお前の父()を能()知て居るよ」と云ふ。
パパの一語に少しく眼を晴れやかにし不思議にも那稻の許へ行かずして余の所に馳來()り、其細き手を余の手に當()たり、當し手の柔かにして且愛くるしサ、深く余が心の底までも浸透()るかと疑はるゝ程なれば、余は顏色を保つ能はず、引寄せて接吻するに紛らせ星子が前額()に俯向()きて顏を隱せり、涙を出()さゞらんとするも自ら出で、黒き眼鏡の裏を濕()したれば余は心弱しと身を叱り、唇を千切る程噛締()て漸く顏だけは繕ひ得たれば靜に之を上來()れり、今思ふも如何にして顏だけ繕ひ得しやと自ら怪まるゝ程なり、星子は余の眼鏡をも白髮をも恐れずして頓()て余が膝に上()り、全く安心せし體に坐し、最と熱心に余の顏を見上ぐるにぞ余は又も我顏の頽()んとするを覺えしも、那稻と云ひ魏堂と云ひ共に此樣子を眺め居る事なれば余は實に必死の想ひ息を殺して堪ふるに、星子は何故にや其の悲げなる目の中に昔の如き笑を浮め、顏中悉く嬉しげなる筋を現し、曾て父波漂に接吻せられし如く余の接吻を迎ふるにぞ、余も今は堪へ得ず殆ど玉の緒の絶ゆる思ひにて犇()と我が胸に抱締めつ、又も我顏を其の柔らかなる髮の毛に推隱し、斯くしながらも那稻と魏堂が、余の樣子を怪みはせぬかと思へば彼等の姿を偸み視たり。
三六
星子が余に親()むは實は天然の血縁爭ふ可からざる所なるか、或は又那稻や魏堂の如き僞り有る心は却て他の僞りを見破る能はず、余の白髮と黒眼鏡の僞りに欺かるゝも、星子の胸に横()はる眞()の愛は余の僞りに眩()されず、何と無く余を父の如く思ふ者にや、兔に角も余の膝は父の膝、余の手は父の手にして孰れも握り慣れ握り慣れたる所なれば、余の傍に來りて何と無く居心()よきには相違無し。
余が忍び泣く樣、星子が親しむ樣、若しも兩人()の疑ひを引きはせぬかと余は兩人を偸み視るに別に怪む樣子も無し、尤も余は一旦死せし者にして殊に魏堂は余の葬式にまで立會し事なれば、余が星子の父波漂なりと如何でか知らんや。余は斯くと見て取り漸くに安心したれば又も波漂に似氣()も無き最も剛()き聲を作りて星子に向ひ「オヽ孃ちやんの名は星子、大くなれば星の樣に仰がれると云ふ好い名前です」
星子は宛も余が聲の父の聲に似ぬを怪む如く少し考へ、
「アヽ、パパも爾云()てよ。」
「爾だらう、爾だらう」と言ひて余は其首()を撫廻すに那稻は傍らより、
「パパが餘りお前に優くしたから、云ふ事を聞かぬ兒に成て仕方が無い、パパの居る時は是ほどでも無かツたのに。」
星子は之を聞き物言度げに唇頭()を震はせたれど言ふ能はず、余は猶ほ星子にのみ向ひて、
「此樣な好い兒に優しく仕無くて何と仕やう、云ふ事聞かぬの惡戯のと其樣な事は無い、ネエ星ちやん。」
星子は猶も無言なれども、宛も大人が辛き時に發するほどの溜息にて其愛らしき胸に波を打せり、言へば益々叱らるゝと恐れての事ならんが、頑是なき此の幼女に誰が斯る遠慮と斯る恐れの癖を附けたるぞや、頓て星子は其首()を仰向()に余が腕にもたせ、訴ふる如き目に余を見上げて、
「伯父ちやんは、パパを見たの、餘所で見たの、パパは何時歸るの」と問ふ、
「オヽ爾云ふパパは我なるぞ、汝の顏を見、汝が惡人等に苦めらるゝを救はん爲め今此通り歸り來れり、安心せよ、星子」と余は言度く、且つ抱締たき事山々なり、實に余は計()に計()みし復讐の一念を投捨()ても星子を我が娘と呼び、[#「娘と呼び、」は底本では「娘と呼び。」]星子にパパよと呼()れたし、アヽ余は何の罪ぞ、現在我娘を見ながら、父よ娘よと名乘る能はず、又父として救ふ能はず、斯も苦しき目に逢さるゝ者かと感慨殆ど胸に迫り暫しが程は聲も出でず、此樣を何と見しか魏堂は自ら星子に答へんとする如く進み出で、
「コレ小()いの」名の有る者を小いのとは呼樣()からして邪慳()なり「お前のパパは死で仕舞たじや無いか」と云ひ猶ほ余の顏を眺めながら「死だと云ふ言葉が分らぬから仕方が無い」と獨言()の如くに云ひ更に又「遠い所へ行つて仕舞たよ、お前が餘りに惡戯だから、お前の樣な惡い兒の無い所へ逃て行たのだよ、お前が好い兒に直るまでは再び歸て來る事では無い。」
アヽ是れ何等の邪慳なる又何等の鬼々()しき言葉なるぞ、余が不在と爲て後は常に斯る言葉を以て星子を苦め、二言めには惡戯/\と責る故、星子の幼心には如何にせば叱られぬか、如何にせば父が歸り來るかと爾る類()の心配が幼き胸の力に餘り、自然と姿の窮()たる者に非ずや、何かは然()かれ星子は此言葉を聞き、泣もせず恐もせず、余を背盾()と思ふ如く心強げに魏堂を賤()め、且()辱しめる如くに根強く見遣れり、幼兒()が斯る目遣()ひするも不思議なれど是れ實に羅馬内()一家()の爭はれぬ目遣ひなり、既に余の父の如きも笑む時は小兒()をも懷()るほど優しけれど、怒る眼は殆ど三軍をも辟易せしめ、又賤みて見る眼は其人をして宛も冷水()を浴せらるゝ如くゾツとして身の縮むを覺えしめたり、他人は知らず余は屡々()其の眼を見て其度()に斯く思ひたり、余も又同じ眼なりとは幾度()も知る人より評されし事も有りしが、流石に羅馬内家の筋を引く星子、幼けれども爭はれぬ所ありと、余が窃()に滿足する暇も無く、魏堂は此眼を見て打笑ひ、
「何うだ、アノ生意氣な目遣ひは、宛()で波漂を其儘だ、此の顏へ斯う髭を生して遣れば、少しも違はぬ」と云ひながら、進みて星子を確()と捕へ、其房々せし髮の毛の先を取り之を折曲て宛も口髭の如く星子の鼻の下に當んとす、星子は且怒り且厭がり、揉掻()きて余が手の間に逃入()んとするに益々揉掻ば益々捕へ、見るに堪へぬほど窘()むれども母那稻も唯頬笑むのみ、アヽ何等の無情なる奴等ぞと、余は腹立しさ赫()と迫込()み、殆ど引奪()る如く星子を引て我手に確と抱き、あはや大渇一聲に僞奴を叱らんと口まで出()たれど、否々と思ひ直し、唯だ丈夫なる聲音にて「おふざけ爲さるな花里さん、力なき者に力を加へるは禽獸の振舞です」と矯()めたり。
余は優く言()し積なれど左()ほど優しくは無かりしと見え、僞奴は笑ひながらも最と不安心げに、宛()ながら飼主に叱られし猿の如く、窓の許に退きて唯だ外の方()を眺むるのみ。
余は那稻に向ひて、
「本統に幼兒は育て方が肝腎です、稚()ひ時に窘()めらるれば成長して意地が惡くなります、殊に羅馬内家の氣質は昔から怨みも恩も忘れぬに在ますから、幼兒とても侮られません。」
那稻も成る程魏堂の振舞の過しを感ぜしか、眞實に余の言葉を賛成する如き眼にて余を見上げ、
「本統に爾ですよ、其代り貴方の樣に優しく仕て下されば、其御恩は成長して後までも覺えて居ませう、母までも有難いと思ひます。」
アヽ斯も妖婦の口前は巧みなものか。
三七
斯くて有る所へ下僕()の者來り食事の用意調ひたるを報じたれば、余は星子と分れねば成らぬ事と爲れり、殊に那稻も、
「サア伯爵、食堂へ御案内致しませう」と云ながら斜めに星子を睨み「早く立去れ」との意を示したれば星子も其心を合點せしと見え、殘り惜氣に余の膝より離れたり。余は小聲にて「是からは時々來て抱て上げますよ」と云ふに、星子は嬉しげに含首()きつゝ下僕に從ひて立去りたり、余は後々星子を我が養女の如く貰ひ受る事にせんかとの心も有れば、先づ其下染()に痛く星子の綺倆()を褒むるに、那稻も魏堂も星子の褒らるゝを厭ふの樣子、其目の色は明らかなり。
頓て食堂に歩み入ば那稻は余を上席に請()じ、
「貴方は當家の先代の知人()ゆゑ、何うか主人の席にお着()を願ひます」とて波漂が昔し据りたる所に余を据らせ、其身は余が妻の如く余の右に座し、魏堂をば一通の客の如く余の左に着席させたり。此外に猶一人、個は是れ永年()余波漂に仕へたる從者にして、年五十餘りなる老僕、名を皺薦()と呼ばるる者、酌の爲に來りて此食堂に在りて宛も余の背後()に立てり。
是等の有樣は波漂が死せざりし以前に變らず、余は其頃の幸福を今更の如くに思ひ出し、實に黒眼鏡を取外し[#「黒眼鏡を取外し」は底本では「黒眼鏡を取外れ」]露出()の波漂其儘と爲り、昔の如く打解けて食事したき事山々なれど、余は猶ほ爾る贅澤の時に非ず、慇懃に作法を守り身を頽()さずして控ゆるに、老僕皺薦は余の背姿()を見て痛く怪しむる者の如く、其の手を延べて余の盃()に酒注()ぐ度に不審相()に余の横顏を偸み視んとす余は夫が夏蠅()ければ素知ぬ顏にて眼を向()の壁の方に注ぐに、此時深く目に留まるは壁に掛けたる余が父の肖像なり、是れ今より幾年前余が故々()此所に懸()けさせたる者にして、奸夫姦婦が今猶ほ之を取外さぬは殆ど不思議と云ふ可き程なり。余は眺()るに從ひて懷かしき父の顏、活()て動く如き心地せられ、又思へば其嚴かなる眼は余が不義不徳なる男女()を引入れ、羅馬内家を汚せしのみか我身をまで亡()さんとする余の罪を叱り給ふに似たり。
余は殆ど感慨に堪へず暫しが程は何も彼も打忘れて眺め入るに、魏堂は此有樣を怪みてか、
「伯爵、アノ姿繪がお目に留りましたか」と云ふ、余は忽ち我に復り、
「留りますとも、親友の肖像ですもの、波漂も定めしアノ父に似て居たでせうネ」と云ふに、
「左樣サ、餘ほど似ては居ましたが、無論父から見ると餘ほど人物が劣て居ました。」
余は少し癪に障り、
「夫は爾でせう、波漂の父は殆ど當國第一の人物で、加武兒()を知り、鵞伯()を知る者は皆羅馬内將軍の勳功を知て居る程ですもの、併し波漂とても幼い頃の樣子では仲々見所の有る男でしたが」と云ふに、魏堂が猶ほ返事せぬ間に、老僕皺薦は背後にて意味有りげに咳拂ひしたり。
此の咳は彼の癖にして何か物言度しと思ふ時、其合圖に發するなり、余は勿論之を知り、那稻も亦知れる故、那稻は彼れが口出するを厭ふ如く其眉を顰()むれど、余は頓着無く彼れに向ひ、
「オヽお前は定めし波漂殿には長く使はれ、其氣質も知て居るだらうが」と云掛()るに、皺薦は今こそと思ふ如く、余が言葉の終らぬに口を開き、
「知て居ますとも、十年以上御恩を受て居ましたもの。」
「併し私()が此家へ來た頃は未()お前は雇はれて居なんだと見える。お前の顏は見覺えが無い樣に思ふが」
「ハイ、爾でせうとも、私()しは大旦那のお友達を一向存()ません、其代り若旦那波漂樣の事ならば是知らぬと云ふは有ません、猶()だお年も若いのにアノ樣な好く出來た方は無く、大旦那に優()らうとも劣た所は有ません、殊に心のお廣い方で何事も大目に見て入()しツたから、義理知ずの人間は莫大の恩を受ながら却て波漂樣に濟まぬ事をし、恩を仇で酬()ゆる樣な振舞も有ました、私()し風情が口を出す譯にも行()ませず傍()で見て居ては齒痒ひ樣にも思ひました。」
扨は此者余が波漂たりし頃よりして早くも魏堂と那稻の不義を知り、窃かに齒切()りして居たりと見ゆ、此言葉に魏堂も那稻も不興なる體なれど余の問に答ふるを制する事も出來難く、唯だ眉を顰むるのみ。
皺薦は猶ほ語を繼ぎ、
「先ア那()の樣な好い方が何うしてお亡なりに成されたか、今思ふても嘘の樣です、私しは外の者にも爾云ひます、縱んば本統に死だとしても、其の魂魄は此世に留り必ず惡人へ罰()を當ます、アノ樣な方を欺いて好い者ですか、私しが幾度も斯樣な事を言ますから、奧方からは時々お叱りを受ますが、今に罰の當るのを知らぬ惡人等は私しの言葉を何とも思ひません。」
夫と明さまには云はねど兩人()の事を遠廻しに余に訴へ、胸の不平を洩さんとする其心は明かなり、一心同體と云ふ我妻に不義の者あり、給金で雇ひたる下僕風情に却て此の忠義を見る世の中は斯の如き者なるか、彼は猶ほ其剛骨()を見せ、
「ハイ、若旦那がお亡なり成()つてからは私しなどは何時解傭()せらるゝか分りません、何でも奧方の氣に入()れる事を云ひ、永く給金を頂くのが身の爲とは知て居()ますが、夫でも恩は恩、恨みは恨み、人間正直で無くては成らぬと云ふ事だけは心得て居ますから」とて益々云募らんとするを那稻は最早や捨置難しと見し如く、鋭く彼れを顧みて、
「コレお前はお客樣の前で何を云ふ、お客樣に失禮と云ふ事を知らぬか」と叱り附()るに、是には彼れ辟易し、唯だ深く嘆息せしのみにて、再び元の通り余の背後に立ち、急に己が職務を思ひ出()せし如く一同の盃に酒を注ぎたり。
三八
皺薦は既に元の席に復()し全くの無言と爲れば那稻は大()に安心せし如く、是より自ら此席の達者()と爲り頻りに談話を初めたり。
讀者よ、那稻の話は巧みなる事は余は豫()て知れり、去れども是ほどまで妙()を得しとは實に思寄()らざりき、彼れ全く余の魂を奪ひ、余の心を迷はせ、余を擒()の如く奴隷の如く蠱惑する所存にて有る丈の秘術を盡す者と知らる、彼れは其聲の麗しきのみに有らで其舌も又世に稀()なきほど爽かなり、殊に又談話の秘訣たる、自由自在に人を笑はせ人を驚かせ、人を面白がらせる呼吸を知れり、幾日前()新聞紙にて讀知れる事柄も那稻の口より出()る時は、新聞記者の筆に無き警語妙句()の其間に加はりて古きも新しくなり、平凡も絶妙と爲る、忽ちにして諷刺()、忽ちにして諧謔()、是ほどの才辯は女流社會に多く得難し、孰れの交際場裡に連行()くも必ず其席の女王たる値打は有らん、余は感心するよりも寧ろ腹立しくなりたれば、ズツト心を冷淡にし、この才辨に釣込れぬ用意を爲しつゝ批評家の耳を以て之を聞くに、巧みは成る程巧()なれども無瑕()とは云ひがたし、或人の言葉に「女流の談()は谷川の水音に似たり、聞く耳には爽かなれど深さとては更に無く、直に底の知れる者なり」と云ひし如く、如何にも出所()淺はかにして窺ひ難き泉源()の有るに非ず、アヽ是ほどならば未だ余の心を迷はすには程遠しと、余は漸く多寡を括り充分に安心したれば、是よりは余も敢()て劣らず氣を輕くして調子を合すに、話益々熟し行き、愈々佳境に入るに從ひ此席は全く余と那稻の席と爲り、魏堂は有れども退()け者に異ならず、余は初より魏堂の樣子に氣を配るに、彼れは那稻と余と親密に見ゆるに從ひ徐々()と不興氣()なる色を増し、果()は殆ど心配氣、否殆ど嫉ましげ悔しげに其眼を光せる迄に至りしかば、余は強()て話を彼れの方に向け幾度と無く、
「ネエ花里さん、貴方も爾は思ひませんか」など、彼れの言葉を釣り出()さんと試むれど彼れ唯だ止を得ずして、
「ハイ」とか「イヽエ」とか味の無き一言()にて余を追ひ拂ふのみ、夫さへも怒りを帶し口調なれば、那稻も夫と見てか、
「ネエ伯爵、花里さんは此通り不調法ですもの、是では本統の交際の席には出されぬでは有ませんか」と云ひ、更に魏堂に向ひ「貴方も爾では有ませんか、伯爵を案内して茲に來ながら、何故其樣に無愛想です、此樣な打解けた席で話を稽古せねば何時までも人の前へは出られませんよ」と云ふ。
實に是れ魏堂を足の下に蹶仆()し、地の底に蹈埋()める如き言葉なれば魏堂最早や堪へ兼し者の如く、一入()眼を腹立しげに光せたり。去れど那稻は魏堂の面白からぬを却て面白しとする如く、事に紛せて心地好げに打笑ひ、魏堂に怒り狂ふ暇を與へず、猶も話を進めんとするに、魏堂の堪忍は最早や盡きたる者の如く、彼れ顏色()を青くして唇を微()に震はせ、今にも一句の隙間あらば余か那稻に掴み掛らんと待つに似たり。
余は何とかして彼れを慰め今の内に取鎭めねば成るまじと心配するに流石那稻は氣を利かせ、
「ツイ浮々()と獨りで多舌()て居ましたよ、殿方は又殿方同士で、女に聞かされぬお話が有ませうサア私しは是で退きますから、後はお二人で私しの惡口でも、世間の女の噂でも御勝手にお話なさい、其代り私しは座敷の縁側でコーヒの用意をしてお待申しますから」と云ひ、余に八分魏堂には唯だ二分、美しく笑顏を見せて立上れり。
此時は既に從者皺薦も去りたる後なれば、余は宛も女皇を送る如き敬意を表し、直()に立ちて先に廻り、手ずから出口の戸を開くに、那稻は口及び眼にて、
「是は有難う御座います」と一樣に會釋して出行()きたり。
余は再び卓子に返り、先づ酒を魏堂の杯()に注ぎて坐するに魏堂は一語をも發せず、猶ほ鋭き目附にて光る銀の皿を見詰るのみなるは宛()がら己れの心を鏡に冩し、其の怒りの一方ならぬを眺むるに似たり。
余も暫しは無言にて靜に我が復讐の此後の方寸()を考ふるに、勝の見えたる將棋にて猶ほも其勝を立派にせん爲め、故()と落着きて考ふるに似、其面白さ云ふばかり無し、好し/\是よりは擒縱自在()、寛()かに次の手を下し、充分機會の熟するを待ねばならず、殆ど獨言の如く、
「アヽ實に美人だ、恐らく天下の第一人だ、其上に心と云ひ智慧と云ひ」と呟きて猶ほ終らぬに、魏堂は聞咎めて突然其顏を上げたれば余は彼れに先んじて「花里さん、貴方のお見立には實に感心しましたよ」彼れ怒りのアハヤ破裂せんとする聲にて、
「エ、何です」と嚴しく問ふ、
「アヽ若い、若い、貴方は猶だ年がお若い」と心廣げに笑ひながら、「コレ花里さん、何故私しへ其樣に隱します、貴方が是ほどに思つて居るのを夫人の方で何とも思はぬとならば、夫こそ夫人が愚かです。」
彼れ驚きて目を張開き、
「ヱ、ヱ、夫では貴方は。」
「ハイ、私しは何も彼も見て取ました、貴方が夫人を愛して居るはギラギラ明るく分りましたのみならず私しは賛成です、地の下の波漂とても必ず賛成して居りませう、第一アレ程若く美しい妻が生涯後家で暮すだらうとは幾等馬鹿でも思ひますまい、既に後家では暮さぬとすれば氣心の知れぬ者に渡すより、自分の弟の樣にした第一の親友に渡すのが其本望に違ひない、私しは波漂に成代ツて賛成します、アレほど美しい未亡人を若しも波漂の憎む樣な人の妻にせば波漂ばかりか、叔父同樣の私しまで遺憾です、貴方へならば自分の後を我が弟に嗣()した樣に滿足しませう」と云ひ、余は勇み立つて一杯を傾くるに、淺墓なる愚人魏堂奴()、今までの疑ひは朝日に逢ふ霜の如く消盡()し、歡びに我を忘れて熱心に余の手を取り、
「伯爵、今まで貴方を疑ツて重々濟ませんが、實に私しは嫉妬の爲め氣が狂ふ所でした、貴方が夫人の愛を得る積で居るかと此樣に疑ツて貴方を殺さうかと思ひました、本統に淺墓な私しの罪をお許し下さい」と余が前に鰭伏()さぬばかりに謝したり。
三九
實に魏堂、余を嫉みて殺さんかと迄に思ひしならん、其心を白状して余に謝する樣、如何にも疑ひの重荷を卸して發()と安心せし樣子なれば余は寛大に頬笑()て、
「イヤ、相手を殺す氣に成る位で無くては本統の愛情とは云はれますまい、貴方の愛情が爾まで深いのは夫人の爲めに幸ひです」と云ふに、彼れ再び余の手に取附き、
「本統に貴方は人情を噛分た方ですよ、爾云て下さるので、私しは漸()と胸が鎭まりました、貴方と夫人が親しげに話して居る間は實に、最う、腹が立て、人心()は有ませんでした。」
「夫が戀する人の常でせう、心配するに及ばぬ事を心配し、所謂()る疑心暗鬼を生じて自分と自分の身を苦めるのです、私しなどの年頃となると温かな美人の肌より、冷い黄金の手觸りが難有()く、若氣の人のする事を見ると唯最()う可笑しく成て來ます」魏堂は愈々落着きて一杯を呑干しつ、
「夫では伯爵、最う何もかも貴方へ打明けて仕舞ひますがネ」と云掛けて少し其聲を低め「實の所、貴方がお察しの通りです、全く私しは夫人を愛して居ます、イヤサ愛するとばかりでは未()言葉が足()ません、實に夫人の爲に生き、夫人の爲に死ぬる程です、ハイ唯の一刻でも夫人を思はぬ暇は無く、私しの怒るのも喜ぶのも總て夫人の顏色に由るのです、自分の心が全く夫人の心の中に溶け込んで仕舞たかと思ひます」と云ふ樣さへも眞に心の溶()け込し人の如くなれば、余は冷淡に其熱心の樣子を見ながら、
「貴方の心は爾として、夫で、夫人の心は何うです、貴方を愛して居ると思ひますか。」
「思ひますか? イヤ伯爵、夫人は既に」言掛けて彼、少し顏を赤らめ「イヤ此樣な事は夫人の許()を得た上で無ければ貴方に申されませんが、兔に角夫人は其所天を愛して居ませんでした。」[#底本では「」」欠字]
「夫は能く有る例()さ、止を得ぬ事情の爲め其人と婚禮しても、生涯其所天を愛すると云ふ心が起らず、唯だ女の道として諦めて其所天を守て居るのは。」
「爾です、爾です。」
「夫で此夫人が充分波漂を愛して居()なんだ云ふ事は、私の目にも分りますが。」
「爾でせうとも、イヽエ夫れも無理は有ませんよ、波漂は三文の値打も無い男ですもの、全體此樣な美人を妻にしたのが心得違ひですワ」余はムツと熱血の顏に上()るのを覺えしも漸く堪へて、
「イヤ、波漂が何うで有()うと彼れは既に死だ人です、死人の事を後で彼れ是れ評するはお止め成さい」と云ひ、ズツと嚴重な顏附にて魏堂を眺め「[#「魏堂を眺め「」は底本では「魏堂を眺め」」]兔に角も、夫人は波漂に對し女の操は守て居たでせう、波漂が此後十年二十年生ても夫人は其妻として充分妻の道を踏み、彼れに仕へる積で居たでせう、ヱ、爾で有ませんでしたか、波漂の存命中より他人に心を寄せ、波漂を欺き婦道を誤る樣な行ひが有ましたか。」
流石の魏堂も此問には幾分か氣の咎め無き能はず、其眼を垂れ小聲にて、
「イヱ、其樣な事は有ません。」
余は猶一歩攻め入りて、
「茲には波漂の父の繪姿も懸て居ますし、茲で私の問()のは波漂の父が問と同じ事です、貴方はアノ繪姿に對し充分にお返事を成さい、夫人が其通り婦道を守て居たとすれば勿論、貴方も友人の道を守り、波漂が存命中は窃()に夫人を愛する抔()云ふ事なく、最も誠實にして居たのでせう。」
魏堂は卓子の上に置く其手先の震へるを隱し得ず「勿論です」と答ふれども其聲何うやら喉に閊()え甚だ出難()き樣に見えたり。余は礑()と手を打て、
「夫なら貴方と夫人との戀仲は少しも非難する所が有ません、貴方は友人の道を守り、夫人は女の操を立て、互に全くの他人で居て、波漂が死でから初めて愛情が出來たと爲()れば波漂に對し少しも不實な所なく、紳士貴婦人の振舞ですから、波漂も父も充分に賛成しませう、私しも賛成します、善にも惡にも總て報()は有ますから、此清い愛情には必ずそれだけの酬()いが來ませう、ハイ夫だけの酬()を私しは祈ります」と繰返すに、魏堂は殆ど恐しげに彼()の繪姿を眺めたり。
良()やありて彼れ漸く氣を落着け、強()て笑顏を作りつゝ、
「併し御賛成と爲らば貴方は無論夫人を愛する樣な事は有ますまいネ。」
「イヤ愛しますとも、アノ樣な美人を愛せぬ者が有ませうか、併し私しの愛するのは貴方の愛するのと違ひ、丁度我が娘を可愛がる心です、男女の愛情では有ません、尤も!」と言葉を濁()すに魏堂は迫込()み、
「ヱ、尤も何うしました。」
「イヤサ、尤も夫人の方から私しを愛し初()め、私しの愛を求むれば格別です、其場合には男として夫人の愛に酬いぬと云ふ譯には行きませぬから」と云ひ、余は聲を放て打笑ふに、魏堂は呆れし眼にて余を眺め、
「ヱ、女の方から愛を求める、何()うしたとて其樣な事が有ますものか、女は縱()や愛したとしても、自分から男子へ愛を求めませぬ。」
「イヤサ是は笑談()サ、唯だ私しの心持は是ほどだから、大丈夫。先づ安心しなさいと云ふ事サ」とて余は再び打笑へり。彼れも余と同じく笑ひ、
「貴方も仲々笑談を仰言()るよ」と云ひ、漸く眞の安心を得し如くなれば余は立ちて、
「併し夫人が珈琲の用意をして待て居ませう、ドレ行()うでは有りませんか」と是れにて彼れと手を引合ひ、此食堂を立出()たり。
四〇
魏堂と並びて食堂を出で、縁側に歩み來れば、那稻は魏堂の余に打解けたる樣子を見、大()に安心せしに似たり、察するに那稻は先刻よりして魏堂が若し嫉妬の爲め何か亂暴なる振舞に及びはせぬかと窃に恐れ居たりと見ゆ、アヽ魏堂の樣子既に那稻を恐れしむるとは、是も余が復讐に取り都合好き一ヶ條なりと余は腹の中で頷()たり。頓て那稻が持出()る珈琲を呑終りし頃、後園()の方()に當り呻吟する犬の泣聲聞ゆるにぞ、余は直に愛犬イビスが邪慳に繋れ居る事と悟り、故と怪む調子にて、
「オヤ、那()聲は何でせう、夫人」と問ふに、
「那()れは波漂の飼て居たイビスと云ふ犬ですよ、時々アノ樣に厭な聲を出して困ります。」
「ヘエ、何所に繋()で有ますか。」
「後庭()に繋で有ます、變な犬で波漂が亡なりましてから、毎()も娘星子の室に來て、一緒に寢たがツて仕方が有ませんから堅く鎖で繋せました。」
余は聞來りて實に異樣の想ひを爲したり、彼れ或は飼主に忠義なる其天性より、余の娘星子の身の上を氣遣ひ、傍に附添ひ守()んとするに有らぬか、兔に角彼れは余に眞實を盡す爲め、不實なる奴等より痛く罸せられし者なり、余は急に彼れを見度き心地し、
「夫人、私しは豫てより犬が好()で、又不思議な事には何の樣な剛()い犬でも私しには宛()で主人の如く初から馴染()ますが、何うでせう其イビスとやらを是に連出し私しに見せては下されませんか。」
那稻は怪みもせず、
「お易い事です、花里さん解()て遣て下さいまし。」
魏堂は逡巡()し、
「イヤ是ばかりは御免蒙ります、先日も最()少しで私しに噛附く所でした、此頃は宛で氣でも違ツたかと思はれます。」
「本統に貴方を見ると敵()の樣に狂ひます、其癖星子が傍へ行くと尾を掉()て何時までも星子を遊せて居る樣ですが」
余は心の中にて益々イビスの賢さを知り、彼れは魏堂めが此家にて早や主人顏するを心憎しと思ひ、余に代りて彼れを追拂はんと勤め居る者なり。
「では私しが自分で行き其繋ぎを解て遣ませう。」
「イエ夫には及びません、皺薦に解かせませう」と云ひ直()に皺薦を呼びて命ずるに、皺薦は又もや最と怪げに余の顏を眺めながら畏()みて立去りしが、是より纔()か五分間も經ぬうちに彼方の邊にて二聲ほど最と嬉げに吠()るを聞く間に、早や庭木を鳴しながら一散に馳來()る大犬は即ち是れイビスなり、彼れは魏堂にも那稻にも目を留めず、一直線に余の所に來り、殆ど滑()けつ轉()びつして余が膝に飛掛り、余が手を嘗め足を吸ふなど其樣主人の返りしを嬉びて自ら制し兼たるに似たり、那稻も魏堂も無言の儘、最と怪げに此樣を眺むるにぞ、
「何うです、此通りでせう、何の犬でも私しへは皆斯()です」と云ひながら其頭()を抑ふるに、彼忽ち身を横()へ、唯だ其首だけを擧げて余を眺むるは余が姿の痛く變りしを氣遣ふに似たり。
然り余が姿は變りしも彼れの眞實なる天性は之に欺かるゝ事なく、余を主人として少しも疑はず、余は「オヽ可愛や」と云ふ如くに再び其首輪の邊を撫づるに、何故か那稻は痛く不安心の色を現し、顏を少しく青くして其手先まで震わせるにぞ余は故()と、
「オヤ夫人、貴女は此怜悧な犬を恐しいとお思ひですか。」
那稻は強て笑を浮め、
「イエ、他人に馴染()だ事の無い此犬が貴方へ」と言掛けて又怪げに「彼れは波漂より外の者へは決して其樣に仕ませんが實に不思議ですよ」アヽ那稻、若しや之が爲余を波漂の再生だと疑ふには至らざるか、余が少し危()む間に魏堂も同じく不審氣に、「本統に不思議です此頃私しの顏さへ見れば()りますのに今は貴方へ氣を取られ私しの事を忘れて居ます」と云ふ、此聲を聞くやイビスは忽ち魏堂を睨み「ナアニ忘れては居ないぞ」と云ふ如くに()り初しも余が制止に從ひて直に止()みたり、此犬實に魏堂の汚れたる心底()を見拔()し者にや、余が存命中に魏堂にも能く馴染居たるに今に及びて斯く彼れを憎むは、殆ど畜生の所爲()と思はれず。
去れど余は唯だ魏堂と那稻の怪みを解かん爲め、殊更聲を落着けて、
「イヤ犬の天性ほど鋭敏な者は有ません、人を見て直()に此人は犬好()か犬嫌ひかと云ふ事を知て居ます、私しは非常な犬好ですから、夫ゆゑ何()の犬でも私しを親友の樣に思ふのです、少しも不思議は有ません」と云ふに二人とも漸く合點せし如く其顏色をも囘復したれば、余は猶ほ犬を膝許に置きしまゝ月の出る頃まで話し居たり。
愈々分れ去るに臨み「私しが繋ぎ附れば犬は何時までも音()なしく仕て居ます」と云ひてイビスを後庭()に繋ぎ遣り斯して分()を告げけるが、魏堂は是非とも余が宿まで送り行んと云ひたるも、余は一人が氣安しとて之を辭し、月に歩みて羅馬内家の門を出()しが、思へば此後にて魏堂と那稻が余の評()を爲せるに相違なく()を偸み聞かざれば猶ほ充分安心し難き所あり、好しと心に點頭()て余は先にも忍びし事の有る彼の裏門の小徑を潜()り、庭に行きて木の影に潜()み窺ひ見るに果せる哉、果せる哉、魏堂は最と醜き體にて那稻の身體を半ば抱き、少し嫉妬を帶し聲にて、
「那稻、お前は本統に邪慳だよ、己()に何れほど心配させたか知れぬ、伯爵に秋波()ばかり使ツてサ」那稻は殆ど平氣にて、
「使はふと使ふまいと私しの勝手だよ、老人と云ふけれど隨分立派な人ぢや無いか、アノ黒目鏡を外せばお前より好い男かも知れないよ」と云ひ、魏堂の尋常()ならぬ顏を見て更に、
「夫は嘘サ、那()あして機嫌を取て置けば又夜光珠を呉れるかも知れないからさ」[#「知れないからさ」」は底本では「知れないからさ、」]
「夜光珠を呉れゝば愛する氣か、爾じやア有るまい、夫れ見なよ、夫だのに己に餘計の心配をさせる事は無いぢやないか、アノ老爺()、那あ見えて呆れる程自惚()が強いぜ、先刻も何と云ふかと思へば、女の方から愛を求めねば決して女を愛さ無いとサ、アノ年で女から愛を求められるかと思ツて居る、エ呆れた者だらう」那稻は別に賛成せず、
「オヤ爾、男は夫くらゐ氣位が高いが好い、無暗()に女の機嫌を取りなどする見識の無い人は私しは嫌ひだよ」と云ひしが、何思ひけん忽ち眞面目の調子に返り「だけれど私しの氣の迷ひか知らないけれど、アノ伯爵は實に能く波漂に似た所が有るでは無いか」[#「有るでは無いか」」は底本では「有るでは無いか、」]
「己も初めて見た時に既に爾思たよ、何うかすると生冩しの所が有る」[#「生冩しの所が有る」」は底本では「生冩しの所が有る、」]
「爾思ふと何だか薄氣味が惡いねえ。」
「ナアニ己は其晩直()に華族名鑑を調べて見て疑ひが晴れた、アレは波漂の母の兄だゼ、自分には今金持に成たから生()じ親類と名乘ては夏蠅()とでも思ふのか爾までは打明けぬが、全く母の兄で博奕の爲めに食詰めて印度へ出稼ぎに行たのだ、爾う血筋が近いから肖()て居るのは無理は無いオヽ寒く爲つて來た、ドレ内に入()うよ」と云ひ手を取合ひて奧に入()り其姿見えずなれり。
此樣子にては彼等到底余は波漂の再來なりと見破る筈なく、彼等の死運は全く余の手の内に在る者なれば最早や余は前後に顧慮()する所なし、成る丈け大狂言を急がねばならずと、頓て安心して此所()を立去りたり。
四一
是より凡そ一月ほどは何事も無く、極めて滑()かに過ぎ行きたり。余若し胸に復讐の大目的なかりせば、余は笹田折葉()と云ふ僞名の儘にて生涯を送る氣に成りしやも知れず、笹田折葉と云ふ新貴族は昔の伯爵波漂よりも猶手厚く待遇()され、殆ど交際場裡の王と迄立られて何不足なき身の上と成り、榮耀榮華總て心の儘なるに至ればなり。余の噂は到る所の人の口に登り、新聞紙なども余が一舉一動を書立て報道し、富()る人も貧()き人も笹田伯爵の身代ばかりは底が知れずと言囃すに至れり。夫も無理ならず、余は宿の厩に八頭の名馬を飼()せ、内四頭は二頭づつ交代に余の馬車を引く用に供へ、殘る四頭は余と交る紳士、誰にても貸與へて送り迎への爲に用ひ、猶ほ此外に上等の馬車二輌、遊船と稱する小蒸氣船一艘、是はネープルの灣に浮べて廣く交際家の乘るに任せるなど、贅澤と云ふ贅澤は極めぬ事無き勢()なれば、孰れの宴席にも伯爵笹田の姿見えずば宴席の體を爲さずと云はれ、年頃の娘持つ親達は此の白髮()の老人を婿にせんとて、折に觸れ通傳()に應じて巧に其娘を紹介し余の面前に連來る、其有樣は奴隷商人が奴隷を豪家の庭に引出()して主人の撰び取るを幸()とするに異()らず、殊に驚くべきは斯る妙齡の美人達が孰れも「所天()には金滿家を撰ぶに限る」と云ふ當世の格言を服膺()して、余をば年若き美男子よりも猶一入追ひ慕ひ羞らふ體、媚る體、余を迷はさうとする體、皆眞に迫り老人の心を蕩()さんばかりなり、宴會の席にては余の左右に必ず幾群の美人集ひ其細語く言葉の中には「先ア那のお髮の綺麗なこと」などと云ふ聲の洩るるを聞けり、白髮も當人に金さへ有れば、少年の頭髮より猶美くしく見ゆるものにや。勿論斯る有樣なれば市内の商人我れ先に余の御用を勤めんと欲し、余の新從者瓶藏()に樣々の品を贈れど、瓶藏は世に珍しき正直なる男にて賄賂に目が眩み余を惑()すなどの事を爲さず、一々其事を打明けて余の差圖()を待つ程なれば、余は飛()だ良き從者を置き當()たりと深く心に滿足したり。
斯る中にも余が最も心を盡せしは目指す敵()魏堂に對する仕向方()なり、復讐の大鐵槌を打卸し彼れの幸福を微塵に碎く前に當り、余は充分彼れを安心させ、彼れが無二の友と爲り、彼れを心醉させねばならず、昔し波漂が彼を信ぜし通り、彼れに余を信ぜしめねば余が復讐は全()からずと余は斯く思ふが爲め、有る丈の親切を彼れに盡し、或は彼が歌牌()の負債を余は陰()に廻りて窃に仕拂ひ、彼れを且驚き且喜ばしめ、或は彼れが欲相()に噂する品物を買ひ贈るなど、痒い所へ手が屆く程に爲したれば、幾週も經ぬうちに彼れ全く心醉()ひ、余を信ずる事は己れを信ずる如く、何も彼も余に打明け余に相談する程とはなりぬ、アヽ彼れ余を恐る可き敵と知らずして其身の秘密を打明くるとは愚かと云ふも仲々なり。
余は猶ほ幾度()か彼れ及び彼れの相知れる若紳士達を集め、興に乘じて彼に充分の酒を呑ましむるに彼れ貧しかりし以前と違ひ、何事にも慢心を生じたる上なれば、一切の留度()を失ひ、泥の如く溶けるまでに食醉()ひ、全くの泥醉漢()と爲り、職人か何ぞの樣に俗極()る本姓を現して蹌踉()きながら歸り行く時も多し アヽ彼れ歸り行くは孰れの家ぞ、問ふ迄も無く余波漂の家、余が妻那稻の許なる可し。那稻は類()の無き毒婦とは云へ上流社會の毒婦にして、世に云ふアバ摺()の下等なる女と違へば、飽()までも優美高尚なる振舞をこそ喜べ、醉泥()れて前後も知らぬ如き下郎的の舉動には愛素()を盡()す事必然なれば、余は魏堂の蹌踉き行く樣を見る毎に心の中にて笑ひたり。
斯く魏堂を蕩しながら一方には又那稻に向ひて余は徐ろ/\と懇意を深くし、何()の日、何の時にても自由自在に其家に入行()く丈の許()を得、或時は余の書齋に入()り、余が豫()て愛讀せし書を取出して讀み、或は娘星子を抱上て戯るゝなど實に他人としては此上なき特權()なり。去れど那稻の所天波漂としては誠に異樣なる特權と云ふ可く、風の音にも下僕の影にも猶ほ用心せざるを得ず、殊に余が勤むるは少しも魏堂の疑ひと嫉妬とを引起してはならぬとの一心に在れば、一たびも那稻の許に夜を深()したる事は無く、必ず魏堂よりも先に歸り來たれり、先づ那稻に對しては父とも云ふ可き有樣にして、誰の目にも怪しからぬ清き親切をのみ盡すに、流石の妖婦は余が痛く魏堂の嫉妬を憚ると見て取りて、最早や魏堂をからかひ怒らせる如き振舞無く、魏堂の見る前にては余に對して充分の他人行儀を守る事、宛も昔し波漂の前にて魏堂に對して他人行儀を守りしに異ならず。
去れど魏堂が少しの間でも其席に居無くなれば那稻の眼は忽ち秋波と爲りて余の黒眼鏡に向へり、或は夫と無く魏堂を賤しめ辱めて余を引立て、余に寄添ひては離れ難なき振()を示し、余も又、木石にあらぬを示して時には其手を觸れども[#「其手を觸れども」は底本では「其手を振れども」]那稻は咎めもせず、其手を引もせず、却つて握らるゝの長きを祈る者の如く話の調子を勵()し行き、宛も話に身が入()りて己()が手先を余に握られ居るや否()を忘れたる如くに持做()し、少しも余に極惡()き想()を爲さしめず、是のみならず朝な/\に意中の人が互に相尋()ぬる如く、余の許へ菓物などを贈り來れども余は之を他言せず、從者瓶藏とても他言などする如き男にあらねば、魏堂は此有樣を疑ひ知る由も無し、夫や是やにて察すれば那稻は確に魏堂の目を掠めて余の心を得んと決したる者にして、余も又心を得られんと決せし者なり、余が他の宴席などに招かれ、外の婦人達に持做()れし話をすれば、那稻の顏にはじらさるゝ戀人の如く、陽()に不愉快の色見ゆるも可笑し、余は大分に我が道の進みしを覺ゆるにぞ、時々は魏堂の嫉妬を引起して見度しと思ひ夫と無く仄()めかせど、今は魏堂、深く余を信用して少しも嫉妬を起さぬこと宛も昔しの波漂に似たり、而も彼れ折々は余に向ひて波漂を評し「彼れは氣の毒な愚人でした、アレほど欺()され易い男は有ません」と云へり。斯く云ふ魏堂自らこそ氣の毒な愚人にして、易々と余に欺され居る者に非ずや、愈々余が復讐の大鐵槌を打卸す時に爲らば知らず彼れ如何()の顏色を爲さんとするや。
四二
勿論余が屡々那稻の許を訪ふに連れ、娘星子は益々余に親()み曾て其の父波漂を慕ひし如く余を慕ふにぞ、余は波漂が幾度も話し聞せし東洋の「勝々山」を初め、近年英譯せられし「爺は山へ柴刈に」などの昔譚()を語り聞すに星子は親船に乘る如く、余の膝に乘り聞きながら眠り込む事も多し。星子を護育()つる乳婆のお朝と云へる老女は余をも育てたる女なれば、若しや余の聞かせる話と、波漂の曾て聞せたる話と同じき爲め、身の上を疑ひはせぬかと氣遣へども、お朝は彼の從者皺薦と違ひ、既に年老て其目も充分に明らかならねば少しも疑ふ樣子なし、唯だ皺薦ばかりは逢ふ度ごとに余を疑ふの心を深くするに似たれば、余は成る可く彼れに顏合さぬ樣にすれど、お朝には爾る用心に及ばずと思ふ故、余は幾度も星子をお朝に連()させて余の宿へ伴ひ來るに星子もお朝も此上なく打喜び、一日遊びて歸る事も度々なりき。
斯()て十二月の中程に及びし頃、何故にや星子は身體の次第に衰へる樣子あり、頬の色も一日一日に艷を退()き、且は其肉も落ち眼は日頃よりも廣く開きて小兒らしき愛嬌を失ひ何とやら悲げに見え、少しの遊びにも直()に疲れる樣子なれば余は私()に心を痛め乳婆に注意せよと告()るに、乳婆は宛も母なる那稻の邪慳なるを咎むる如く唯深く嘆息するのみ、余が心は益々安からず或時那稻に向ひ、一般に小兒の育て方などを話し、終()に星子の此頃の樣子を語るに那稻は別に氣にも留めず「ナニ那の子は餘り菓子などを食過()る柄()の事です」と一言()に言拂ひたれば余は殆ど腹立しさに堪へず、此女め己れの所天を愛せぬのみか我が子をまで愛せざるやと、腹の中に罵りたれども如何とも詮方なければ、此の折は先づ此儘にして止み其愛らしき胸に波を打せり、言へば益々叱らるゝと恐れての事ならんが、頑是なき此の幼女に誰が斯る遠慮と斯る恐れの癖を附けたるぞや、頓て星子は其首()を仰向()に余が腕にもたせ、訴ふる如き目に余を見上げて、
「伯父ちやんは、パパを見たの、餘所で見たの、パパは何時歸るの」と問ふ、
「オヽ爾云ふパパは我なるぞ、汝の顏を見、汝が惡人等に苦めらるゝを救はん爲め今此通り歸り來れり、安心せよ、星子」と余は言度く、且つ抱締たき事山々なり、實に余は計()に計()みし復讐の一念を投捨()ても星子を我が娘と呼び、[#「娘と呼び、」は底本では「娘と呼び。」]星子にパパよと呼()れたし、アヽ余は何の罪ぞ、現在我娘を見ながら、父よ娘よと名乘る能はず、又父として救ふ能はず、斯も苦しき目に逢さるゝ者かと感慨殆ど胸に迫り暫しが程は聲も出でず、此樣を何と見しか魏堂は自ら星子に答へんとする如く進み出で、
「コレ小()いの」名の有る者を小いのとは呼樣()からして邪慳()なり「お前のパパは死で仕舞たじや無いか」と云ひ猶ほ余の顏を眺めながら「死だと云ふ言葉が分らぬから仕方が無い」と獨言()の如くに云ひ更に又「遠い所へ行つて仕舞たよ、お前が餘りに惡戯だから、お前の樣な惡い兒の無い所へ逃て行たのだよ、お前が好い兒に直るまでは再び歸て來る事では無い。」
アヽ是れ何等の邪慳なる又何等の鬼々()しき言葉なるぞ、余が不在と爲て後は常に斯る言葉を以て星子を苦め、二言めには惡戯/\と責る故、星子の幼心には如何にせば叱られぬか、如何にせば父が歸り來るかと爾る類()の心配が幼き胸の力に餘り、自然と姿の窮()たる者に非ずや、何かは然()かれ星子は此言葉を聞き、泣もせず恐もせず、余を背盾()と思ふ如く心強げに魏堂を賤()め、且()辱しめる如くに根強く見遣れり、幼兒()が斯る目遣()ひするも不思議なれど是れ實に羅馬内()一家()の爭はれぬ目遣ひなり、既に余の父の如きも笑む時は小兒()をも懷()るほど優しけれど、怒る眼は殆ど三軍をも辟易せしめ、又賤みて見る眼は其人をして宛も冷水()を浴せらるゝ如くゾツとして身の縮むを覺えしめたり、他人は知らず余は屡々()其の眼を見て其度()に斯く思ひたり、余も又同じ眼なりとは幾度()も知る人より評されし事も有りしが、流石に羅馬内家の筋を引く星子、幼けれども爭はれぬ所ありと、余が窃()に滿足する暇も無く、魏堂は此眼を見て打笑ひ、
「何うだ、アノ生意氣な目遣ひは、宛()で波漂を其儘だ、此の顏へ斯う髭を生して遣れば、少しも違はぬ」と云ひながら、進みて星子を確()と捕へ、其房々せし髮の毛の先を取り之を折曲て宛も口髭の如く星子の鼻の下に當んとす、星子は且怒り且厭がり、揉掻()きて余が手の間に逃入()んとするに益々揉掻ば益々捕へ、見るに堪へぬほど窘()むれども母那稻も唯頬笑むのみ、アヽ何等の無情なる奴等ぞと、余は腹立しさ赫()と迫込()み、殆ど引奪()る如く星子を引て我手に確と抱き、あはや大渇一聲に僞奴を叱らんと口まで出()たれど、否々と思ひ直し、唯だ丈夫なる聲音にて「おふざけ爲さるな花里さん、力なき者に力を加へるは禽獸の振舞です」と矯()めたり。
余は優く言()し積なれど左()ほど優しくは無かりしと見え、僞奴は笑ひながらも最と不安心げに、宛()ながら飼主に叱られし猿の如く、窓の許に退きて唯だ外の方()を眺むるのみ。
余は那稻に向ひて、
「本統に幼兒は育て方が肝腎です、稚()ひ時に窘()めらるれば成長して意地が惡くなります、殊に羅馬内家の氣質は昔から怨みも恩も忘れぬに在ますから、幼兒とても侮られません。」
那稻も成る程魏堂の振舞の過しを感ぜしか、眞實に余の言葉を賛成する如き眼にて余を見上げ、
「本統に爾ですよ、其代り貴方の樣に優しく仕て下されば、其御恩は成長して後までも覺えて居ませう、母までも有難いと思ひます。」
アヽ斯も妖婦の口前は巧みなものか。
三七
斯くて有る所へ下僕()の者來り食事の用意調ひたるを報じたれば、余は星子と分れねば成らぬ事と爲れり、殊に那稻も、
「サア伯爵、食堂へ御案内致しませう」と云ながら斜めに星子を睨み「早く立去れ」との意を示したれば星子も其心を合點せしと見え、殘り惜氣に余の膝より離れたり。余は小聲にて「是からは時々來て抱て上げますよ」と云ふに、星子は嬉しげに含首()きつゝ下僕に從ひて立去りたり、余は後々星子を我が養女の如く貰ひ受る事にせんかとの心も有れば、先づ其下染()に痛く星子の綺倆()を褒むるに、那稻も魏堂も星子の褒らるゝを厭ふの樣子、其目の色は明らかなり。
頓て食堂に歩み入ば那稻は余を上席に請()じ、
「貴方は當家の先代の知人()ゆゑ、何うか主人の席にお着()を願ひます」とて波漂が昔し据りたる所に余を据らせ、其身は余が妻の如く余の右に座し、魏堂をば一通の客の如く余の左に着席させたり。此外に猶一人、個は是れ永年()余波漂に仕へたる從者にして、年五十餘りなる老僕、名を皺薦()と呼ばるる者、酌の爲に來りて此食堂に在りて宛も余の背後()に立てり。
是等の有樣は波漂が死せざりし以前に變らず、余は其頃の幸福を今更の如くに思ひ出し、實に黒眼鏡を取外し[#「黒眼鏡を取外し」は底本では「黒眼鏡を取外れ」]露出()の波漂其儘と爲り、昔の如く打解けて食事したき事山々なれど、余は猶ほ爾る贅澤の時に非ず、慇懃に作法を守り身を頽()さずして控ゆるに、老僕皺薦は余の背姿()を見て痛く怪しむる者の如く、其の手を延べて余の盃()に酒注()ぐ度に不審相()に余の横顏を偸み視んとす余は夫が夏蠅()ければ素知ぬ顏にて眼を向()の壁の方に注ぐに、此時深く目に留まるは壁に掛けたる余が父の肖像なり、是れ今より幾年前余が故々()此所に懸()けさせたる者にして、奸夫姦婦が今猶ほ之を取外さぬは殆ど不思議と云ふ可き程なり。余は眺()るに從ひて懷かしき父の顏、活()て動く如き心地せられ、又思へば其嚴かなる眼は余が不義不徳なる男女()を引入れ、羅馬内家を汚せしのみか我身をまで亡()さんとする余の罪を叱り給ふに似たり。
余は殆ど感慨に堪へず暫しが程は何も彼も打忘れて眺め入るに、魏堂は此有樣を怪みてか、
「伯爵、アノ姿繪がお目に留りましたか」と云ふ、余は忽ち我に復り、
「留りますとも、親友の肖像ですもの、波漂も定めしアノ父に似て居たでせうネ」と云ふに、
「左樣サ、餘ほど似ては居ましたが、無論父から見ると餘ほど人物が劣て居ました。」
余は少し癪に障り、
「夫は爾でせう、波漂の父は殆ど當國第一の人物で、加武兒()を知り、鵞伯()を知る者は皆羅馬内將軍の勳功を知て居る程ですもの、併し波漂とても幼い頃の樣子では仲々見所の有る男でしたが」と云ふに、魏堂が猶ほ返事せぬ間に、老僕皺薦は背後にて意味有りげに咳拂ひしたり。
此の咳は彼の癖にして何か物言度しと思ふ時、其合圖に發するなり、余は勿論之を知り、那稻も亦知れる故、那稻は彼れが口出するを厭ふ如く其眉を顰()むれど、余は頓着無く彼れに向ひ、
「オヽお前は定めし波漂殿には長く使はれ、其氣質も知て居るだらうが」と云掛()るに、皺薦は今こそと思ふ如く、余が言葉の終らぬに口を開き、
「知て居ますとも、十年以上御恩を受て居ましたもの。」
「併し私()が此家へ來た頃は未()お前は雇はれて居なんだと見える。お前の顏は見覺えが無い樣に思ふが」
「ハイ、爾でせうとも、私()しは大旦那のお友達を一向存()ません、其代り若旦那波漂樣の事ならば是知らぬと云ふは有ません、猶()だお年も若いのにアノ樣な好く出來た方は無く、大旦那に優()らうとも劣た所は有ません、殊に心のお廣い方で何事も大目に見て入()しツたから、義理知ずの人間は莫大の恩を受ながら却て波漂樣に濟まぬ事をし、恩を仇で酬()ゆる樣な振舞も有ました、私()し風情が口を出す譯にも行()ませず傍()で見て居ては齒痒ひ樣にも思ひました。」
扨は此者余が波漂たりし頃よりして早くも魏堂と那稻の不義を知り、窃かに齒切()りして居たりと見ゆ、此言葉に魏堂も那稻も不興なる體なれど余の問に答ふるを制する事も出來難く、唯だ眉を顰むるのみ。
皺薦は猶ほ語を繼ぎ、
「先ア那()の樣な好い方が何うしてお亡なりに成されたか、今思ふても嘘の樣です、私しは外の者にも爾云ひます、縱んば本統に死だとしても、其の魂魄は此世に留り必ず惡人へ罰()を當ます、アノ樣な方を欺いて好い者ですか、私しが幾度も斯樣な事を言ますから、奧方からは時々お叱りを受ますが、今に罰の當るのを知らぬ惡人等は私しの言葉を何とも思ひません。」
夫と明さまには云はねど兩人()の事を遠廻しに余に訴へ、胸の不平を洩さんとする其心は明かなり、一心同體と云ふ我妻に不義の者あり、給金で雇ひたる下僕風情に却て此の忠義を見る世の中は斯の如き者なるか、彼は猶ほ其剛骨()を見せ、
「ハイ、若旦那がお亡なり成()つてからは私しなどは何時解傭()せらるゝか分りません、何でも奧方の氣に入()れる事を云ひ、永く給金を頂くのが身の爲とは知て居()ますが、夫でも恩は恩、恨みは恨み、人間正直で無くては成らぬと云ふ事だけは心得て居ますから」とて益々云募らんとするを那稻は最早や捨置難しと見し如く、鋭く彼れを顧みて、
「コレお前はお客樣の前で何を云ふ、お客樣に失禮と云ふ事を知らぬか」と叱り附()るに、是には彼れ辟易し、唯だ深く嘆息せしのみにて、再び元の通り余の背後に立ち、急に己が職務を思ひ出()せし如く一同の盃に酒を注ぎたり。
三八
皺薦は既に元の席に復()し全くの無言と爲れば那稻は大()に安心せし如く、是より自ら此席の達者()と爲り頻りに談話を初めたり。
讀者よ、那稻の話は巧みなる事は余は豫()て知れり、去れども是ほどまで妙()を得しとは實に思寄()らざりき、彼れ全く余の魂を奪ひ、余の心を迷はせ、余を擒()の如く奴隷の如く蠱惑する所存にて有る丈の秘術を盡す者と知らる、彼れは其聲の麗しきのみに有らで其舌も又世に稀()なきほど爽かなり、殊に又談話の秘訣たる、自由自在に人を笑はせ人を驚かせ、人を面白がらせる呼吸を知れり、幾日前()新聞紙にて讀知れる事柄も那稻の口より出()る時は、新聞記者の筆に無き警語妙句()の其間に加はりて古きも新しくなり、平凡も絶妙と爲る、忽ちにして諷刺()、忽ちにして諧謔()、是ほどの才辯は女流社會に多く得難し、孰れの交際場裡に連行()くも必ず其席の女王たる値打は有らん、余は感心するよりも寧ろ腹立しくなりたれば、ズツト心を冷淡にし、この才辨に釣込れぬ用意を爲しつゝ批評家の耳を以て之を聞くに、巧みは成る程巧()なれども無瑕()とは云ひがたし、或人の言葉に「女流の談()は谷川の水音に似たり、聞く耳には爽かなれど深さとては更に無く、直に底の知れる者なり」と云ひし如く、如何にも出所()淺はかにして窺ひ難き泉源()の有るに非ず、アヽ是ほどならば未だ余の心を迷はすには程遠しと、余は漸く多寡を括り充分に安心したれば、是よりは余も敢()て劣らず氣を輕くして調子を合すに、話益々熟し行き、愈々佳境に入るに從ひ此席は全く余と那稻の席と爲り、魏堂は有れども退()け者に異ならず、余は初より魏堂の樣子に氣を配るに、彼れは那稻と余と親密に見ゆるに從ひ徐々()と不興氣()なる色を増し、果()は殆ど心配氣、否殆ど嫉ましげ悔しげに其眼を光せる迄に至りしかば、余は強()て話を彼れの方に向け幾度と無く、
「ネエ花里さん、貴方も爾は思ひませんか」など、彼れの言葉を釣り出()さんと試むれど彼れ唯だ止を得ずして、
「ハイ」とか「イヽエ」とか味の無き一言()にて余を追ひ拂ふのみ、夫さへも怒りを帶し口調なれば、那稻も夫と見てか、
「ネエ伯爵、花里さんは此通り不調法ですもの、是では本統の交際の席には出されぬでは有ませんか」と云ひ、更に魏堂に向ひ「貴方も爾では有ませんか、伯爵を案内して茲に來ながら、何故其樣に無愛想です、此樣な打解けた席で話を稽古せねば何時までも人の前へは出られませんよ」と云ふ。
實に是れ魏堂を足の下に蹶仆()し、地の底に蹈埋()める如き言葉なれば魏堂最早や堪へ兼し者の如く、一入()眼を腹立しげに光せたり。去れど那稻は魏堂の面白からぬを却て面白しとする如く、事に紛せて心地好げに打笑ひ、魏堂に怒り狂ふ暇を與へず、猶も話を進めんとするに、魏堂の堪忍は最早や盡きたる者の如く、彼れ顏色()を青くして唇を微()に震はせ、今にも一句の隙間あらば余か那稻に掴み掛らんと待つに似たり。
余は何とかして彼れを慰め今の内に取鎭めねば成るまじと心配するに流石那稻は氣を利かせ、
「ツイ浮々()と獨りで多舌()て居ましたよ、殿方は又殿方同士で、女に聞かされぬお話が有ませうサア私しは是で退きますから、後はお二人で私しの惡口でも、世間の女の噂でも御勝手にお話なさい、其代り私しは座敷の縁側でコーヒの用意をしてお待申しますから」と云ひ、余に八分魏堂には唯だ二分、美しく笑顏を見せて立上れり。
此時は既に從者皺薦も去りたる後なれば、余は宛も女皇を送る如き敬意を表し、直()に立ちて先に廻り、手ずから出口の戸を開くに、那稻は口及び眼にて、
「是は有難う御座います」と一樣に會釋して出行()きたり。
余は再び卓子に返り、先づ酒を魏堂の杯()に注ぎて坐するに魏堂は一語をも發せず、猶ほ鋭き目附にて光る銀の皿を見詰るのみなるは宛()がら己れの心を鏡に冩し、其の怒りの一方ならぬを眺むるに似たり。
余も暫しは無言にて靜に我が復讐の此後の方寸()を考ふるに、勝の見えたる將棋にて猶ほも其勝を立派にせん爲め、故()と落着きて考ふるに似、其面白さ云ふばかり無し、好し/\是よりは擒縱自在()、寛()かに次の手を下し、充分機會の熟するを待ねばならず、殆ど獨言の如く、
「アヽ實に美人だ、恐らく天下の第一人だ、其上に心と云ひ智慧と云ひ」と呟きて猶ほ終らぬに、魏堂は聞咎めて突然其顏を上げたれば余は彼れに先んじて「花里さん、貴方のお見立には實に感心しましたよ」彼れ怒りのアハヤ破裂せんとする聲にて、
「エ、何です」と嚴しく問ふ、
「アヽ若い、若い、貴方は猶だ年がお若い」と心廣げに笑ひながら、「コレ花里さん、何故私しへ其樣に隱します、貴方が是ほどに思つて居るのを夫人の方で何とも思はぬとならば、夫こそ夫人が愚かです。」
彼れ驚きて目を張開き、
「ヱ、ヱ、夫では貴方は。」
「ハイ、私しは何も彼も見て取ました、貴方が夫人を愛して居るはギラギラ明るく分りましたのみならず私しは賛成です、地の下の波漂とても必ず賛成して居りませう、第一アレ程若く美しい妻が生涯後家で暮すだらうとは幾等馬鹿でも思ひますまい、既に後家では暮さぬとすれば氣心の知れぬ者に渡すより、自分の弟の樣にした第一の親友に渡すのが其本望に違ひない、私しは波漂に成代ツて賛成します、アレほど美しい未亡人を若しも波漂の憎む樣な人の妻にせば波漂ばかりか、叔父同樣の私しまで遺憾です、貴方へならば自分の後を我が弟に嗣()した樣に滿足しませう」と云ひ、余は勇み立つて一杯を傾くるに、淺墓なる愚人魏堂奴()、今までの疑ひは朝日に逢ふ霜の如く消盡()し、歡びに我を忘れて熱心に余の手を取り、
「伯爵、今まで貴方を疑ツて重々濟ませんが、實に私しは嫉妬の爲め氣が狂ふ所でした、貴方が夫人の愛を得る積で居るかと此樣に疑ツて貴方を殺さうかと思ひました、本統に淺墓な私しの罪をお許し下さい」と余が前に鰭伏()さぬばかりに謝したり。
三九
實に魏堂、余を嫉みて殺さんかと迄に思ひしならん、其心を白状して余に謝する樣、如何にも疑ひの重荷を卸して發()と安心せし樣子なれば余は寛大に頬笑()て、
「イヤ、相手を殺す氣に成る位で無くては本統の愛情とは云はれますまい、貴方の愛情が爾まで深いのは夫人の爲めに幸ひです」と云ふに、彼れ再び余の手に取附き、
「本統に貴方は人情を噛分た方ですよ、爾云て下さるので、私しは漸()と胸が鎭まりました、貴方と夫人が親しげに話して居る間は實に、最う、腹が立て、人心()は有ませんでした。」
「夫が戀する人の常でせう、心配するに及ばぬ事を心配し、所謂()る疑心暗鬼を生じて自分と自分の身を苦めるのです、私しなどの年頃となると温かな美人の肌より、冷い黄金の手觸りが難有()く、若氣の人のする事を見ると唯最()う可笑しく成て來ます」魏堂は愈々落着きて一杯を呑干しつ、
「夫では伯爵、最う何もかも貴方へ打明けて仕舞ひますがネ」と云掛けて少し其聲を低め「實の所、貴方がお察しの通りです、全く私しは夫人を愛して居ます、イヤサ愛するとばかりでは未()言葉が足()ません、實に夫人の爲に生き、夫人の爲に死ぬる程です、ハイ唯の一刻でも夫人を思はぬ暇は無く、私しの怒るのも喜ぶのも總て夫人の顏色に由るのです、自分の心が全く夫人の心の中に溶け込んで仕舞たかと思ひます」と云ふ樣さへも眞に心の溶()け込し人の如くなれば、余は冷淡に其熱心の樣子を見ながら、
「貴方の心は爾として、夫で、夫人の心は何うです、貴方を愛して居ると思ひますか。」
「思ひますか? イヤ伯爵、夫人は既に」言掛けて彼、少し顏を赤らめ「イヤ此樣な事は夫人の許()を得た上で無ければ貴方に申されませんが、兔に角夫人は其所天を愛して居ませんでした。」[#底本では「」」欠字]
「夫は能く有る例()さ、止を得ぬ事情の爲め其人と婚禮しても、生涯其所天を愛すると云ふ心が起らず、唯だ女の道として諦めて其所天を守て居るのは。」
「爾です、爾です。」
「夫で此夫人が充分波漂を愛して居()なんだ云ふ事は、私の目にも分りますが。」
「爾でせうとも、イヽエ夫れも無理は有ませんよ、波漂は三文の値打も無い男ですもの、全體此樣な美人を妻にしたのが心得違ひですワ」余はムツと熱血の顏に上()るのを覺えしも漸く堪へて、
「イヤ、波漂が何うで有()うと彼れは既に死だ人です、死人の事を後で彼れ是れ評するはお止め成さい」と云ひ、ズツと嚴重な顏附にて魏堂を眺め「[#「魏堂を眺め「」は底本では「魏堂を眺め」」]兔に角も、夫人は波漂に對し女の操は守て居たでせう、波漂が此後十年二十年生ても夫人は其妻として充分妻の道を踏み、彼れに仕へる積で居たでせう、ヱ、爾で有ませんでしたか、波漂の存命中より他人に心を寄せ、波漂を欺き婦道を誤る樣な行ひが有ましたか。」
流石の魏堂も此問には幾分か氣の咎め無き能はず、其眼を垂れ小聲にて、
「イヱ、其樣な事は有ません。」
余は猶一歩攻め入りて、
「茲には波漂の父の繪姿も懸て居ますし、茲で私の問()のは波漂の父が問と同じ事です、貴方はアノ繪姿に對し充分にお返事を成さい、夫人が其通り婦道を守て居たとすれば勿論、貴方も友人の道を守り、波漂が存命中は窃()に夫人を愛する抔()云ふ事なく、最も誠實にして居たのでせう。」
魏堂は卓子の上に置く其手先の震へるを隱し得ず「勿論です」と答ふれども其聲何うやら喉に閊()え甚だ出難()き樣に見えたり。余は礑()と手を打て、
「夫なら貴方と夫人との戀仲は少しも非難する所が有ません、貴方は友人の道を守り、夫人は女の操を立て、互に全くの他人で居て、波漂が死でから初めて愛情が出來たと爲()れば波漂に對し少しも不實な所なく、紳士貴婦人の振舞ですから、波漂も父も充分に賛成しませう、私しも賛成します、善にも惡にも總て報()は有ますから、此清い愛情には必ずそれだけの酬()いが來ませう、ハイ夫だけの酬()を私しは祈ります」と繰返すに、魏堂は殆ど恐しげに彼()の繪姿を眺めたり。
良()やありて彼れ漸く氣を落着け、強()て笑顏を作りつゝ、
「併し御賛成と爲らば貴方は無論夫人を愛する樣な事は有ますまいネ。」
「イヤ愛しますとも、アノ樣な美人を愛せぬ者が有ませうか、併し私しの愛するのは貴方の愛するのと違ひ、丁度我が娘を可愛がる心です、男女の愛情では有ません、尤も!」と言葉を濁()すに魏堂は迫込()み、
「ヱ、尤も何うしました。」
「イヤサ、尤も夫人の方から私しを愛し初()め、私しの愛を求むれば格別です、其場合には男として夫人の愛に酬いぬと云ふ譯には行きませぬから」と云ひ、余は聲を放て打笑ふに、魏堂は呆れし眼にて余を眺め、
「ヱ、女の方から愛を求める、何()うしたとて其樣な事が有ますものか、女は縱()や愛したとしても、自分から男子へ愛を求めませぬ。」
「イヤサ是は笑談()サ、唯だ私しの心持は是ほどだから、大丈夫。先づ安心しなさいと云ふ事サ」とて余は再び打笑へり。彼れも余と同じく笑ひ、
「貴方も仲々笑談を仰言()るよ」と云ひ、漸く眞の安心を得し如くなれば余は立ちて、
「併し夫人が珈琲の用意をして待て居ませう、ドレ行()うでは有りませんか」と是れにて彼れと手を引合ひ、此食堂を立出()たり。
四〇
魏堂と並びて食堂を出で、縁側に歩み來れば、那稻は魏堂の余に打解けたる樣子を見、大()に安心せしに似たり、察するに那稻は先刻よりして魏堂が若し嫉妬の爲め何か亂暴なる振舞に及びはせぬかと窃に恐れ居たりと見ゆ、アヽ魏堂の樣子既に那稻を恐れしむるとは、是も余が復讐に取り都合好き一ヶ條なりと余は腹の中で頷()たり。頓て那稻が持出()る珈琲を呑終りし頃、後園()の方()に當り呻吟する犬の泣聲聞ゆるにぞ、余は直に愛犬イビスが邪慳に繋れ居る事と悟り、故と怪む調子にて、
「オヤ、那()聲は何でせう、夫人」と問ふに、
「那()れは波漂の飼て居たイビスと云ふ犬ですよ、時々アノ樣に厭な聲を出して困ります。」
「ヘエ、何所に繋()で有ますか。」
「後庭()に繋で有ます、變な犬で波漂が亡なりましてから、毎()も娘星子の室に來て、一緒に寢たがツて仕方が有ませんから堅く鎖で繋せました。」
余は聞來りて實に異樣の想ひを爲したり、彼れ或は飼主に忠義なる其天性より、余の娘星子の身の上を氣遣ひ、傍に附添ひ守()んとするに有らぬか、兔に角彼れは余に眞實を盡す爲め、不實なる奴等より痛く罸せられし者なり、余は急に彼れを見度き心地し、
「夫人、私しは豫てより犬が好()で、又不思議な事には何の樣な剛()い犬でも私しには宛()で主人の如く初から馴染()ますが、何うでせう其イビスとやらを是に連出し私しに見せては下されませんか。」
那稻は怪みもせず、
「お易い事です、花里さん解()て遣て下さいまし。」
魏堂は逡巡()し、
「イヤ是ばかりは御免蒙ります、先日も最()少しで私しに噛附く所でした、此頃は宛で氣でも違ツたかと思はれます。」
「本統に貴方を見ると敵()の樣に狂ひます、其癖星子が傍へ行くと尾を掉()て何時までも星子を遊せて居る樣ですが」
余は心の中にて益々イビスの賢さを知り、彼れは魏堂めが此家にて早や主人顏するを心憎しと思ひ、余に代りて彼れを追拂はんと勤め居る者なり。
「では私しが自分で行き其繋ぎを解て遣ませう。」
「イエ夫には及びません、皺薦に解かせませう」と云ひ直()に皺薦を呼びて命ずるに、皺薦は又もや最と怪げに余の顏を眺めながら畏()みて立去りしが、是より纔()か五分間も經ぬうちに彼方の邊にて二聲ほど最と嬉げに吠()るを聞く間に、早や庭木を鳴しながら一散に馳來()る大犬は即ち是れイビスなり、彼れは魏堂にも那稻にも目を留めず、一直線に余の所に來り、殆ど滑()けつ轉()びつして余が膝に飛掛り、余が手を嘗め足を吸ふなど其樣主人の返りしを嬉びて自ら制し兼たるに似たり、那稻も魏堂も無言の儘、最と怪げに此樣を眺むるにぞ、
「何うです、此通りでせう、何の犬でも私しへは皆斯()です」と云ひながら其頭()を抑ふるに、彼忽ち身を横()へ、唯だ其首だけを擧げて余を眺むるは余が姿の痛く變りしを氣遣ふに似たり。
然り余が姿は變りしも彼れの眞實なる天性は之に欺かるゝ事なく、余を主人として少しも疑はず、余は「オヽ可愛や」と云ふ如くに再び其首輪の邊を撫づるに、何故か那稻は痛く不安心の色を現し、顏を少しく青くして其手先まで震わせるにぞ余は故()と、
「オヤ夫人、貴女は此怜悧な犬を恐しいとお思ひですか。」
那稻は強て笑を浮め、
「イエ、他人に馴染()だ事の無い此犬が貴方へ」と言掛けて又怪げに「彼れは波漂より外の者へは決して其樣に仕ませんが實に不思議ですよ」アヽ那稻、若しや之が爲余を波漂の再生だと疑ふには至らざるか、余が少し危()む間に魏堂も同じく不審氣に、「本統に不思議です此頃私しの顏さへ見れば()りますのに今は貴方へ氣を取られ私しの事を忘れて居ます」と云ふ、此聲を聞くやイビスは忽ち魏堂を睨み「ナアニ忘れては居ないぞ」と云ふ如くに()り初しも余が制止に從ひて直に止()みたり、此犬實に魏堂の汚れたる心底()を見拔()し者にや、余が存命中に魏堂にも能く馴染居たるに今に及びて斯く彼れを憎むは、殆ど畜生の所爲()と思はれず。
去れど余は唯だ魏堂と那稻の怪みを解かん爲め、殊更聲を落着けて、
「イヤ犬の天性ほど鋭敏な者は有ません、人を見て直()に此人は犬好()か犬嫌ひかと云ふ事を知て居ます、私しは非常な犬好ですから、夫ゆゑ何()の犬でも私しを親友の樣に思ふのです、少しも不思議は有ません」と云ふに二人とも漸く合點せし如く其顏色をも囘復したれば、余は猶ほ犬を膝許に置きしまゝ月の出る頃まで話し居たり。
愈々分れ去るに臨み「私しが繋ぎ附れば犬は何時までも音()なしく仕て居ます」と云ひてイビスを後庭()に繋ぎ遣り斯して分()を告げけるが、魏堂は是非とも余が宿まで送り行んと云ひたるも、余は一人が氣安しとて之を辭し、月に歩みて羅馬内家の門を出()しが、思へば此後にて魏堂と那稻が余の評()を爲せるに相違なく()を偸み聞かざれば猶ほ充分安心し難き所あり、好しと心に點頭()て余は先にも忍びし事の有る彼の裏門の小徑を潜()り、庭に行きて木の影に潜()み窺ひ見るに果せる哉、果せる哉、魏堂は最と醜き體にて那稻の身體を半ば抱き、少し嫉妬を帶し聲にて、
「那稻、お前は本統に邪慳だよ、己()に何れほど心配させたか知れぬ、伯爵に秋波()ばかり使ツてサ」那稻は殆ど平氣にて、
「使はふと使ふまいと私しの勝手だよ、老人と云ふけれど隨分立派な人ぢや無いか、アノ黒目鏡を外せばお前より好い男かも知れないよ」と云ひ、魏堂の尋常()ならぬ顏を見て更に、
「夫は嘘サ、那()あして機嫌を取て置けば又夜光珠を呉れるかも知れないからさ」[#「知れないからさ」」は底本では「知れないからさ、」]
「夜光珠を呉れゝば愛する氣か、爾じやア有るまい、夫れ見なよ、夫だのに己に餘計の心配をさせる事は無いぢやないか、アノ老爺()、那あ見えて呆れる程自惚()が強いぜ、先刻も何と云ふかと思へば、女の方から愛を求めねば決して女を愛さ無いとサ、アノ年で女から愛を求められるかと思ツて居る、エ呆れた者だらう」那稻は別に賛成せず、
「オヤ爾、男は夫くらゐ氣位が高いが好い、無暗()に女の機嫌を取りなどする見識の無い人は私しは嫌ひだよ」と云ひしが、何思ひけん忽ち眞面目の調子に返り「だけれど私しの氣の迷ひか知らないけれど、アノ伯爵は實に能く波漂に似た所が有るでは無いか」[#「有るでは無いか」」は底本では「有るでは無いか、」]
「己も初めて見た時に既に爾思たよ、何うかすると生冩しの所が有る」[#「生冩しの所が有る」」は底本では「生冩しの所が有る、」]
「爾思ふと何だか薄氣味が惡いねえ。」
「ナアニ己は其晩直()に華族名鑑を調べて見て疑ひが晴れた、アレは波漂の母の兄だゼ、自分には今金持に成たから生()じ親類と名乘ては夏蠅()とでも思ふのか爾までは打明けぬが、全く母の兄で博奕の爲めに食詰めて印度へ出稼ぎに行たのだ、爾う血筋が近いから肖()て居るのは無理は無いオヽ寒く爲つて來た、ドレ内に入()うよ」と云ひ手を取合ひて奧に入()り其姿見えずなれり。
此樣子にては彼等到底余は波漂の再來なりと見破る筈なく、彼等の死運は全く余の手の内に在る者なれば最早や余は前後に顧慮()する所なし、成る丈け大狂言を急がねばならずと、頓て安心して此所()を立去りたり。
四一
是より凡そ一月ほどは何事も無く、極めて滑()かに過ぎ行きたり。余若し胸に復讐の大目的なかりせば、余は笹田折葉()と云ふ僞名の儘にて生涯を送る氣に成りしやも知れず、笹田折葉と云ふ新貴族は昔の伯爵波漂よりも猶手厚く待遇()され、殆ど交際場裡の王と迄立られて何不足なき身の上と成り、榮耀榮華總て心の儘なるに至ればなり。余の噂は到る所の人の口に登り、新聞紙なども余が一舉一動を書立て報道し、富()る人も貧()き人も笹田伯爵の身代ばかりは底が知れずと言囃すに至れり。夫も無理ならず、余は宿の厩に八頭の名馬を飼()せ、内四頭は二頭づつ交代に余の馬車を引く用に供へ、殘る四頭は余と交る紳士、誰にても貸與へて送り迎への爲に用ひ、猶ほ此外に上等の馬車二輌、遊船と稱する小蒸氣船一艘、是はネープルの灣に浮べて廣く交際家の乘るに任せるなど、贅澤と云ふ贅澤は極めぬ事無き勢()なれば、孰れの宴席にも伯爵笹田の姿見えずば宴席の體を爲さずと云はれ、年頃の娘持つ親達は此の白髮()の老人を婿にせんとて、折に觸れ通傳()に應じて巧に其娘を紹介し余の面前に連來る、其有樣は奴隷商人が奴隷を豪家の庭に引出()して主人の撰び取るを幸()とするに異()らず、殊に驚くべきは斯る妙齡の美人達が孰れも「所天()には金滿家を撰ぶに限る」と云ふ當世の格言を服膺()して、余をば年若き美男子よりも猶一入追ひ慕ひ羞らふ體、媚る體、余を迷はさうとする體、皆眞に迫り老人の心を蕩()さんばかりなり、宴會の席にては余の左右に必ず幾群の美人集ひ其細語く言葉の中には「先ア那のお髮の綺麗なこと」などと云ふ聲の洩るるを聞けり、白髮も當人に金さへ有れば、少年の頭髮より猶美くしく見ゆるものにや。勿論斯る有樣なれば市内の商人我れ先に余の御用を勤めんと欲し、余の新從者瓶藏()に樣々の品を贈れど、瓶藏は世に珍しき正直なる男にて賄賂に目が眩み余を惑()すなどの事を爲さず、一々其事を打明けて余の差圖()を待つ程なれば、余は飛()だ良き從者を置き當()たりと深く心に滿足したり。
斯る中にも余が最も心を盡せしは目指す敵()魏堂に對する仕向方()なり、復讐の大鐵槌を打卸し彼れの幸福を微塵に碎く前に當り、余は充分彼れを安心させ、彼れが無二の友と爲り、彼れを心醉させねばならず、昔し波漂が彼を信ぜし通り、彼れに余を信ぜしめねば余が復讐は全()からずと余は斯く思ふが爲め、有る丈の親切を彼れに盡し、或は彼が歌牌()の負債を余は陰()に廻りて窃に仕拂ひ、彼れを且驚き且喜ばしめ、或は彼れが欲相()に噂する品物を買ひ贈るなど、痒い所へ手が屆く程に爲したれば、幾週も經ぬうちに彼れ全く心醉()ひ、余を信ずる事は己れを信ずる如く、何も彼も余に打明け余に相談する程とはなりぬ、アヽ彼れ余を恐る可き敵と知らずして其身の秘密を打明くるとは愚かと云ふも仲々なり。
余は猶ほ幾度()か彼れ及び彼れの相知れる若紳士達を集め、興に乘じて彼に充分の酒を呑ましむるに彼れ貧しかりし以前と違ひ、何事にも慢心を生じたる上なれば、一切の留度()を失ひ、泥の如く溶けるまでに食醉()ひ、全くの泥醉漢()と爲り、職人か何ぞの樣に俗極()る本姓を現して蹌踉()きながら歸り行く時も多し アヽ彼れ歸り行くは孰れの家ぞ、問ふ迄も無く余波漂の家、余が妻那稻の許なる可し。那稻は類()の無き毒婦とは云へ上流社會の毒婦にして、世に云ふアバ摺()の下等なる女と違へば、飽()までも優美高尚なる振舞をこそ喜べ、醉泥()れて前後も知らぬ如き下郎的の舉動には愛素()を盡()す事必然なれば、余は魏堂の蹌踉き行く樣を見る毎に心の中にて笑ひたり。
斯く魏堂を蕩しながら一方には又那稻に向ひて余は徐ろ/\と懇意を深くし、何()の日、何の時にても自由自在に其家に入行()く丈の許()を得、或時は余の書齋に入()り、余が豫()て愛讀せし書を取出して讀み、或は娘星子を抱上て戯るゝなど實に他人としては此上なき特權()なり。去れど那稻の所天波漂としては誠に異樣なる特權と云ふ可く、風の音にも下僕の影にも猶ほ用心せざるを得ず、殊に余が勤むるは少しも魏堂の疑ひと嫉妬とを引起してはならぬとの一心に在れば、一たびも那稻の許に夜を深()したる事は無く、必ず魏堂よりも先に歸り來たれり、先づ那稻に對しては父とも云ふ可き有樣にして、誰の目にも怪しからぬ清き親切をのみ盡すに、流石の妖婦は余が痛く魏堂の嫉妬を憚ると見て取りて、最早や魏堂をからかひ怒らせる如き振舞無く、魏堂の見る前にては余に對して充分の他人行儀を守る事、宛も昔し波漂の前にて魏堂に對して他人行儀を守りしに異ならず。
去れど魏堂が少しの間でも其席に居無くなれば那稻の眼は忽ち秋波と爲りて余の黒眼鏡に向へり、或は夫と無く魏堂を賤しめ辱めて余を引立て、余に寄添ひては離れ難なき振()を示し、余も又、木石にあらぬを示して時には其手を觸れども[#「其手を觸れども」は底本では「其手を振れども」]那稻は咎めもせず、其手を引もせず、却つて握らるゝの長きを祈る者の如く話の調子を勵()し行き、宛も話に身が入()りて己()が手先を余に握られ居るや否()を忘れたる如くに持做()し、少しも余に極惡()き想()を爲さしめず、是のみならず朝な/\に意中の人が互に相尋()ぬる如く、余の許へ菓物などを贈り來れども余は之を他言せず、從者瓶藏とても他言などする如き男にあらねば、魏堂は此有樣を疑ひ知る由も無し、夫や是やにて察すれば那稻は確に魏堂の目を掠めて余の心を得んと決したる者にして、余も又心を得られんと決せし者なり、余が他の宴席などに招かれ、外の婦人達に持做()れし話をすれば、那稻の顏にはじらさるゝ戀人の如く、陽()に不愉快の色見ゆるも可笑し、余は大分に我が道の進みしを覺ゆるにぞ、時々は魏堂の嫉妬を引起して見度しと思ひ夫と無く仄()めかせど、今は魏堂、深く余を信用して少しも嫉妬を起さぬこと宛も昔しの波漂に似たり、而も彼れ折々は余に向ひて波漂を評し「彼れは氣の毒な愚人でした、アレほど欺()され易い男は有ません」と云へり。斯く云ふ魏堂自らこそ氣の毒な愚人にして、易々と余に欺され居る者に非ずや、愈々余が復讐の大鐵槌を打卸す時に爲らば知らず彼れ如何()の顏色を爲さんとするや。
四二
勿論余が屡々那稻の許を訪ふに連れ、娘星子は益々余に親()み曾て其の父波漂を慕ひし如く余を慕ふにぞ、余は波漂が幾度も話し聞せし東洋の「勝々山」を初め、近年英譯せられし「爺は山へ柴刈に」などの昔譚()を語り聞すに星子は親船に乘る如く、余の膝に乘り聞きながら眠り込む事も多し。星子を護育()つる乳婆のお朝と云へる老女は余をも育てたる女なれば、若しや余の聞かせる話と、波漂の曾て聞せたる話と同じき爲め、身の上を疑ひはせぬかと氣遣へども、お朝は彼の從者皺薦と違ひ、既に年老て其目も充分に明らかならねば少しも疑ふ樣子なし、唯だ皺薦ばかりは逢ふ度ごとに余を疑ふの心を深くするに似たれば、余は成る可く彼れに顏合さぬ樣にすれど、お朝には爾る用心に及ばずと思ふ故、余は幾度も星子をお朝に連()させて余の宿へ伴ひ來るに星子もお朝も此上なく打喜び、一日遊びて歸る事も度々なりき。
斯()て十二月の中程に及びし頃、何故にや星子は身體の次第に衰へる樣子あり、頬の色も一日一日に艷を退()き、且は其肉も落ち眼は日頃よりも廣く開きて小兒らしき愛嬌を失ひ何とやら悲げに見え、少しの遊びにも直()に疲れる樣子なれば余は私()に心を痛め乳婆に注意せよと告()るに、乳婆は宛も母なる那稻の邪慳なるを咎むる如く唯深く嘆息するのみ、余が心は益々安からず或時那稻に向ひ、一般に小兒の育て方などを話し、終()に星子の此頃の樣子を語るに那稻は別に氣にも留めず「ナニ那の子は餘り菓子などを食過()る柄()の事です」と一言()に言拂ひたれば余は殆ど腹立しさに堪へず、此女め己れの所天を愛せぬのみか我が子をまで愛せざるやと、腹の中に罵りたれども如何とも詮方なければ、此の折は先づ此儘にして止みたり。
此頃は氣候も追々寒くなり、船遊びは止みて更に盛()なる夜會の頃とはなりたれば余は一夜の舞踏を催さんものと其仕度を爲し居たるに、天の助けとも云ふ可きか余が復讐を一入推早める不意の仕合せこそ出來にけれ。茲に其次第を記さんに、此月十七日の晝過なりし彼れ魏堂め案内も乞はず遽()だしげに余の室に飛入來()り、何か氣に掛る面持にて、歎息と共に其身を椅子の上に投げたれば余は怪む調子にて、
「オヤ花里さん何か心配な事が出來たと見えますネ、何事です、金錢の心配ですか、夫ならば私しの金を幾等でも銀行から引出してお遣ひ成さい」と云ふに彼れ難有()げに笑みたれど猶ほ腑に落ぬ樣子にて、
「イヤ其樣な事では有ません、本統に弱りました。」
「ヱ、夫では夫人の氣が變り、貴方と婚禮するのが否()に成たとでも云ふのですか。」彼れ猶ほ此點だけは勝誇る人の如き笑を浮めて、
「イヤ其樣な事では有ません、縱や夫人が否に成ても決して否とは云はせませぬから。」
「ヱ、否とは云はせぬ、とは又痛()い劍幕ですネ、何か夫人が大事な秘密を貴方へ握られて居る樣にも聞えますが」と余が笑ひながら云ふ言葉も彼れの灸所()に當りしか彼れは少し面目無げに、
「イヤ是は私しの言過()です、勿論否と云ふも應と云ふも全く夫人の自由ですが、今まで私しを勵して置て、今さら否と云ふ樣な其樣な定らぬ了簡()の夫人では有ませんから。」
「では何事です。」
「實はネ、當分の間、此土地を去り羅馬へ行かねば成ぬのです。」
余は是だけ聞き、早や嬉しさの胸に滿つるを覺えたり、此土地を立去るとは戰場を空にして敵なる余の蹂躙に任せるなり、余は獨りにて悠々と戰備を備()へ、彼が討死に歸るを待たん、海路の日和とは此事なりと、躍る心を顏には示さず、
「ヱ羅馬へ行く、夫は大變ですネ。」
「ハイ大變でも致方()が有ません、實はネ。羅馬に私しの叔父が有て今死掛て居ると云ひます其叔父が豫てより私しを相續人と定め、死()ば其財産が總て私しの手許へ轉()り込む事に成て居ますが、今行て死際の看病せぬと、又何の樣な氣に成て其遺言書を書替るかも知ません。」
「成る程、夫は行かぬと云ふ譯に行きますまいネ。」
「ハイ代言人が爾云ふのです、何うしても今行かねば叔父の身代を人に取られると。」
「では、お出()なさい。留守中の事は及ばずながら私しが。」
「イヤ爾仰有()ツて下されば本統に安心します、實は貴方へ命より大事の者を預()て置ねば成りませんから。」
「ヱ、命より。」
「ハイ、と云ふのは夫人の事です、アノ通り年は若くて綺倆は好し、眞に引手數多と云ふ者ですから、私しの留守中に誰か嚴重に番をして他人を夫人の許へ寄附けぬ樣にして呉れる人が無ければ、私しは一日も此土地を去れません、貴方ならば年頃と云ひ身分と云ひ此上も無い番人、イヤサ番人と云ふは失禮ですが此上も無い保護者ですから、私しが歸る迄の所を充分に取締ツて、何うか夫人の身に過ちの無い樣に嚴重に保護して頂き度い者です」アヽ彼れ全く余の術中に陷()たり、誰よりも彼よりも余が一番の險呑なる大敵なるを知らざるか、盜人に鍵を托すとは彼れが事なり。余は極めて眞面目になり、
「貴方が爾うお頼み成()らずとも、私しも彼()の家()の先代よりの親友として、夫だけの注意はせねば成ませぬ。」
「爾ですとも、若しも夫人の目に留り、夫人の心を動かせる樣な紳士でも有れば……」
余はグツと勇み立ち、
「爾ですとも夫人の心を、相當の持主より盜み取る惡紳士でも有れば、夫こそ私しが其奴()の身體を鞘の樣に私しの刀を根本まで指通()さねば勘辨しませぬ」と彼れが曾て那稻に向ひて吐きし言葉を其儘に繰返すに、彼は何とやら覺え有る語と感ぜしにや、最と怪しげに余の顏を見上げたり。
四三
魏堂が余の言葉に耳聳()て、怪みて余の顏を見上()るを、余は旨く紛らせねばならずと思ひ、一入顏色を嚴重にして、
「イヤ貴方に取りては許嫁の妻を他人の中に殘し、自分は旅に出る譯ゆゑ此上無い大事()です、宜()い花里さん、私しが引受けて充分に夫人の身を見張て上ます、左樣サ先づ夫人の兄にでも成た氣で」と云ふに魏堂は漸く心の鎭まりし如く、
「ハイ、爾仰有ツて下されば安心です。」
「尤も此樣な役目は私しの柄()に在りません、總て面倒な事は大嫌ひの老人ゆゑ成る可くは斷り度いのです、けれども、見渡した所で私しの外に夫人を保管する適當の人は無く、夫に私しが斷われば貴方は安心して此地を立つ事が出來まいと思ふから、夫で私しは引受けて上るのです。」
「イヤ最う何より有難いと思ひます」とて魏堂は手先を差延()るにぞ余は之を握りながら、猶ほ充分に彼れの顏を眺め、
「是()は實に友人の役目と云ふ者でせう、譬へば波漂が生て居て暫し旅行するから留守中何うか妻の那稻を保管して呉れと貴方へ頼めば貴方は何うします、隨分六()かしい役目と思ツても友誼の上から止を得ず引請()ませう、引請た上では必ず充分注意して夫人を保護し、充分に實意を盡しませう、ハイ私しとても紳士です、貴方が波漂に盡した通りの實意を必ず貴方へ盡します、波漂の留守に貴方が夫人を保護した通りに夫人を保護します、是ならば安心でせう」と其の實は最と毒々しき言葉なれど余は全くの平氣にて何の心も無き如く言現すに、魏堂は宛も毒蟲にでも蟄()れし如く打驚き、顏の血色全く褪めて青きこと鉛の如し。
彼は暫しが程、且疑ひ且懼()れて殆ど決し兼る如く、不安心なる其眼を余が顏より室中()總體へ注ぎ、將に何事をか言出()んとする樣子なりしが、余が顏の餘りに眞面目にして且餘りに平氣なる爲め、扨は何の意も無き一通りの言葉なりしかト、漸くに見て取りし如く言葉を控へて顏の色をも恢復したれど、深き手傷の容易に癒()ざると同じく、余が言葉にて彼れの心に負せたる痛傷()は猶ほ幾分か其痛みを殘すと見え、彼れは更に豫防の伏線を張る如く、
「イヤ、貴方は名譽ある方ですから、其名譽に對しても友人に負()く樣な事は出來ぬ筈です。」
「爾ですとも。」
「私しは只管ら貴方の名譽を當てにし、貴方を信じて立去ります。」
「ハイ私しの名譽は貴方の名譽も同じ事です、貴方は自分を當にする通り私しを當にし、自分を信ずる通り私しをお信じなさい、自分に劣らぬ番人を雇入れたと思へば決して間違ひは有りません、詰る所ろ、貴方が自分で夫人を保管する樣な者ですから」と云ふに此言葉にも彼れビクリと身動きしたれど、頓て樣子を整へたれば、余も今は彼れの心に針を刺す時に非ずと見、更に分れの惜()き顏色にて、
「ですが花里さん、出發は何時()ですか。」
「明朝の汽車で立ちます。」
余は卓子の上に在る、宴會の献立書()に目を配りつ、
「實は爾とも知ませんから近々()舞踏會を催す積で御覽の通り、招待状まで書掛けて有ますが、夫では貴方の歸るまで延しませう、留守中に餘り交際を盛()にしては自然と夫人を保管する役目が疎()かになり、貴方に氣を揉ませる樣な者ですから」彼も是には感ぜし如く、
「爾まで貴方に迷惑を掛けましては。」
「イヤ少しも迷惑は有ません、大切()の親友が出席せぬのに舞踏會を開いたとて何の面白みも有ません。」
彼れ眞實有難さうに、
「伯爵此御恩は實に。」
「イヤ恩でも何でも有ません、其代り又貴方へ此後何れほど厭な役目を頼むかも知れませんから友人は總てお互です、併し貴方は明朝の出發とならば最う歸て荷作などをせねば成ますまい。」
此言葉に迫立()られ彼れは全く余を親切の人と信じ、分れを告()て去らんとするにぞ、余は更に、
「では明朝停車場()まで送りませう」と言葉を番()へ、戸の口まで見送りたり、是れより彼れ果して荷作に取掛りしや夜に入()るも再び余が許に來()らず、否荷作には非ずして彼れは那稻の許に行き、留守中那稻の身持を確め置かん爲め、且慰め且口説きつゝ有るならん、彼れが那稻を抱上げて、分れを惜む優()き言葉を口移しに細語く樣、殆ど余の目の前に浮び來れど余は怒りもせず嫉()みもせず、今夜が魏堂と那稻の逢納めなりと、獨り腹の中に笑む余が心も亦恐ろしと云ふべきのみ。
四四
翌日の朝、余は約束の通り魏堂を送る爲め停車場()に行きたるに魏堂は早や茲に在り、余の姿を見て喜ぶ色見えたれど彼れの樣子は何所()と無く落付かぬ所あり、顏の色まで蒼醒()めたるは此地を去るを不安心に思ふが爲ならん、殊に彼れは少しの事も疳()に障る如く、鐵道人足に差圖する聲も宛()ながら喧嘩に似、二言目には腹立しげに舌鼓()せり、頓て發車の時刻と爲れば彼れ余が耳に口を寄せ「夫人の事を呉々も頼みましたよ」と細語くにぞ、
「宜しいとも、全く貴方に成替つて保管します」と答ふるに、成替つての一語さへ幾等か耳障りの樣なりしも彼れは猶ほ笑を浮め、青く不安心の面持にて余の手を握れり。
是れが余と魏堂との別れ、其中に汽笛の聲に連れ汽車は發ち、見送る間も無く其影を隱したれば余は全く唯()一人の身とはなりぬ、然し唯一人なれば、誰に邪魔される恐れも無く、是より那稻を訪行()きて我が思ふ存分に責めさいなむも自由なり、波漂の本性を現し、不義の罪を數え立て其上句()に刺殺すも余の隨意なり、全く那稻は余が手の中に在り、復讐は掌を翔()すより猶ほ容易し、が恨の刃を磨()ぎ一思ひに刺殺すとも、余は謀殺の罪には落()まじ、裁判所に引出さるゝも陪審員は情状を酌量して必ず余が罪を減ず可しとするならん、否々余は那稻を刺殺す如き爾る淺墓の復讐を爲す可からず、人を殺すは殺すより外に、猶ほ味の良き復讐の法あるを知らぬ智慧なき俗人の爲す所なり、余は初より爾る俗手段を好まずして文明人の復讐と云はるゝに足る充分の工風を定めあり、辛くとも氣を永くし、其工風を實行せんのみ、血氣に早りて普通の殘酷なる手段を取りては世に類()なき魏堂と那稻の大罪を罰するに足らずと、胸に問ひ胸に答へて獨り此方()へと歩み來()るに、向うの方より息迫切()て走來()る一人()は、余の從者瓶藏なり。
瓶藏は余の姿を見て立留り「急用」として余に宛たる一通の手紙を差出すにぞ、何事ぞと披()き見るに即ち那稻より寄越せしものにて其の文短く、
「至急御出下()されたし、星子急病にて御身に逢たしと申候()」
とのみ有り。
余は復讐の一念胸に塞るが中にも星子が事は絶えず心に掛れる故、余はハツと驚きて、
「誰が是を持て來た。」
「老僕皺薦が持參しました。」
「他に何か言はなんだか。」
「ハイ皺薦は心配氣に泣て居ました、羅馬内家の孃樣が喉に熱をお持成つたと云ましたが定めしヂフテリヤ病()の事でせう、昨晩は乳婆お朝も夫程とは思はなんだ相()ですが今朝()に至り益々重くなり、今は殆ど危篤だと申ました。」
「勿論醫者を迎へたゞらうな。」
「ハイ迎へました、併し」
「併し何うした。」
「イヤ醫者の來たのが遲過たと申ます」余は涙の胸に込上()るを覺えしも、今は泣く時に非ずと直に居合す貸馬車を雇はせて之に乘り、瓶藏には日の暮るゝまで宿へは歸らずと言置きて、一散に余が家羅馬内家を指し走らせたり。
到れば門の戸は宛も余を迎ふる如く開きて有り、馬車を下()りて歩み入れば、彼の老僕皺薦が最と悲げなる樣子にて出で迎へしにぞ、余は息も世話()しく「孃樣の病氣は何うだ」彼れは無言にて玄關を指さすにぞ、余は其方()を見るに、今しも玄關より歩み出()るは、豫て此近邊に來りて開業せる有名なる英國の醫者なれば余は驅寄()りて尋ぬるに醫師は靜に余を玄關の別室に連て入()り、他聞を憚る如く入口の戸を閉ぢし上にて、
「實は容易ならぬ手後()れです、重くなる迄何の手當もせずに捨置た者と見えます、私()しの見た所では、元來の體格は丈夫ですが近來痛く衰弱して何の病にでも感染するばかりに成て居ました、何うして今まで醫者に見せずに置いた者ですか、乳母の話を聞きますと昨夜既に尋常()ならぬ樣子が有ましたけれど、十時から後は奧方が寢室()に籠()り誰をも中に入()ぬ爲め、孃さまの病氣を知せる事も出來ず、空しく朝まで待つたのだと申ます。」
余は聞來りて殆ど腸()の絶ゆる想ひ、如何なれば那稻は昨夜の十時より其寢室に何人をも近()けざりしぞ、讀めたり讀めたり、魏堂が分れに來りし爲め、二人寢室に閉籠り、余が昨日推せし通り分れを惜み居し者なる可し、其間に我が娘が危篤の病に罹るをも顧みざりしが、彼れが薄情は豫て知れども余に對する愛情は禽獸さへも變らぬに、彼れ禽獸にも劣る女が、如何ほど薄情なればとて己の腹を痛めたる我子だけは育て上()る親切ある可しと今まで安心し居たるは余が重々の過ちなりきと、余は遺憾遣る方なく空しく洪嘆()を發するに、醫師は語を繼ぎ、
「孃は頻()に貴方を呼で來て呉れと云ふのです、夫人は若も貴方に傳染しては惡いとて容易に呼()に上()ると仰有らぬのを漸く私しが説勸()めました、尤も熱病の事ゆゑ險呑は險呑ですが」余は殆ど氣を燥()ち、
「イヤ傳染などは少しも恐れません。」
醫師は余の勇氣に感心せし如く頷きて、
「では直ぐ病床へ。」
「ハイ參りませう。」
「私しは他の病用の爲めお暇()に致しますが、卅分經ては再び茲へ參ります。」
「イヤお待なさい、最う全く見込が有ませんか。」
「ハイ何うも致方()が有ません、併し苦みを弛める藥を乳母に與へ、其外何事も差圖して有ますから私しが居無くとも差支へは有ません、唯だ靜かに暖かく寢かして置くばかりです、尤も今より卅分を經()ば病が極度に達しますから、其時來て再び診察すれば又能く分ります」と云ひ醫師は敬禮して立去れり。余は是より星子の病室を指し下女に案内せられて廊下を歩みつ、小聲にて其下女に向ひ「夫人は今何所に居る」と問ふに、下女は目を見張り、「[#底本では「「」欠字]奧樣ですか、傳染が恐しいと仰有り、お寢室に籠籠()ツた儘、出てお出()に成ません」余は怒りの色を隱し「孃が病氣に成てから、夫人は未だ孃の顏を見ないのか?」[#底本では「」」欠字]
「ハイ一度も御覽に成ません。」
余は益々愛想を盡()し、是よりは又尋ねず、差足しつゝ星子の病室へと入行()きたり。
四五
靜に病室の中()に入()れば、窓の光線を遮らん爲め簾を半ば卸して、薄暗き室の内に白布の小さき寢臺があり、之に星子を寢かせて、傍らには老女のお朝心細げに念佛()を唱へながら腰を掛く、此樣を見る丈にて余は既に哀れを催し無言にて立留るにお朝は夫と知り「旦那と云ひ、孃樣と云ひ達者で生き殘るは唯だ惡人ばかりです」と呟きて余を星子の枕邊()に掛けさせたり。
「父()よ」と一聲、最()細く且弱き呻きの聲は寢臺の中程に起直りたる星子の口より苦げに出來たれば、先づ其樣を見るに頬は熱の爲に紅けれど痛く疲れて早や肉までも落しこと、太く開ける眼にて能く知らる、余は痛はしさに得堪へず手を延べて抱かんとするに、星子は乾きたる唇を半ば開きて余を接吻せんとするにぞ、余は頬を之に當てつゝ總て、
「孃樣、苦しくとも辛抱して靜に寢て居ねば了ませんよ、其中には直りますから」と云ひ穩かに其身體を横()へ遣るに星子は敢て逆はず音()なしく横に成りしも、猶ほ其片手は延()て余の手を控へし儘なり、余も之を離さんとはせず輕く其身を撫摩()るに老女は星子の息遣ひ如何にも苦げなるを察し、水にて細き口唇()を濕()し、猶ほ醫者より預れる水藥()數滴を垂して呑したり、之に力を得てか星子は又口を開き「父()よ」と云ひ余が俄に應ぜざるを見、幼心にも少し極惡く思ひしか羞らふ體にて、
「貴方()は父()ぢやないの、私しの父()でせう」と問ふ、老女は獨り合點して「アヽ亡なられた旦那樣が冥府()から迎へにお出成つたのです、孃樣の目には必ず旦那の姿が見えるのでせう」と云ひ、前よりも猶熱心に又も念佛を唱へ出せり。
星子は暫くにして殆ど眠んとする如く目を細くしながらも、猶余の手に縋り、
「父()よ咽喉が――咽喉が痛い、貴方()にも直らないの。」
オヽ可愛の者や、若し其痛みを余が咽に移す可き工夫も有らばと、余は人間の無力を恨みながら纔()に星子の頭()を撫で、
「音なしくして堪へて居()れば今に直るから」と賺()すのみ、余が若し復讐の目的さへ抱かずば「吾()こそ御身の父なるぞ、御身の父茲に在り、氣を安くせよ星子」と云聞け、幾分か其苦みを忘れさせ得べきに、今は夫さへ叶はずと思へば、轉()ど悲さの胸に迫りて胸張裂()る想ひ有り、之も畢竟那稻と魏堂の爲ならば、是に就()けても余が復讐は益々重くせねばならぬ次第と、余は星子にも老女にも知さずして一人窃に齒を噛みたり。
又暫くにして星子は余が曾て羅馬より買ひ來り個は和女()の弟分()なりと戯れながら與へたる人形の今猶ほ枕許に在るを指()し、
「父()よ、弟も私しと一緒に貴方()の歸るを待て居ました、弟より私しの方が猶待て居ましたよ。」
と云ひ、自ら起直りて其人形を取らんとせしが、此時フト老女の姿を目に留め「お朝や。」
「ハイ孃樣」
「お前、何を泣て居る、父()が歸て來て嬉しく無いか」と言掛()るや忽ちに身體中を引絞る程の急激なる痙攣を起し來り呼吸さへ塞がりて殆ど絶入()るかと疑はるゝにぞ、余も老女も遽()しく立ちて星子を扶()け、柔かに又寢かせるに徐ろり/\と其痛みは靜りたれど、餘ほど星子が身の力に應()へしと見え、顏色全く青白くなり前額()に脂汗を浮べたれば、余は成る可く取鎭めんとて、
「孃樣、最う物を言つては否()ません、靜にして居れば苦く無い樣に成りますから」星子は唯だ余の顏を打眺むるのみなりしが、良()ありて、
「キスして下さい、爾すれば快()くなります」余は可愛さに堪難き余の本性を恣()に現して接吻するに、星子は漸く安心せし如く眼を閉ぢ眠りしが痛()を忘れしか、少しも動かず物言はぬ事と爲りぬ。
斯て十分、二十分、三十分と過()し頃約束の如く以前の醫師が入來り、忍足にて寢臺に寄り先づ星子の顏を眺め、次には挨拶の如く余に目配せして腰を卸すに、此時星子は驚き覺め、余を見ながらに又も起直らんとするにぞ、余は痛()りて「又咽喉が痛んで來たかの」と問ふに、星子は殆ど聞取兼る程の細き聲にて、
「イヽエ、最う全然()り直りました、父()が歸て來ましたから婆()に着物を着せて貰つて是から父()と遊びます」と云ふ、醫師は此樣を見て、
「アヽ他人を見て父などと、腦髓が迷ひ初()ました、最う長い事は有ません」と呟くに星子は此言葉の聞えぬ如く余の首にまつはり附き、
「父()は何故其樣な黒い物を目に當ます」問ふ聲は愈々細くなり、今は余が外には全く聞えず「夫も矢張り目鏡?」余が無言にて點頭()けば「誰かゞ父()の目を傷()めたの、父()よ、其目鏡を除()て、父()の目を見せて……」[#底本では「」」欠字]余は此請()に當惑して殆ど如何()す可きかを知らず、暫し躊躇()ふのみなりしも是れ余が娘の臨終()の願ひなり。之を聽ずに濟さる可き、余は左右を顧見()るに老女は念佛に頭を垂れ、醫師も其顏を俯向()け居るにぞ余は幸ひと手を上げて手早く眼鏡を前の方に引外し、初て露出しに余の顏を見せしむるに星子は嬉しさに我を忘れし如く、
「オヽ父()だ父()だ」と叫びしが、是ぞこれ此世の名殘()り再び催す痙攣に堪へ得ずして、抱かれし余が膝の上に死したり。讀者よ此時の有樣は余詳しく記す能はず、思ひ出すさへ余が爲めに涙の種なればなり。
四六
後にも先にも余に取りて唯だ一人の娘星子、可哀()や滿三年を一期()として茲に死したり、余は其死骸を我膝から卸す能はず、泣くとも無しに唯だ涙の點々とはふり落るを覺ゆ、其外は總て夢中なり。
斯る有樣を醫師は見て氣の毒と思ひしか、傍らより親切なる聲音にて、
「サア伯爵、此所()を引上ませう、是で孃も最う一切の苦痛を知らぬ事と爲ました、尤も死際の心の迷ひで貴方を自分の父だと思ツた爲め左まで苦まずに終つたのは孃に取り幸ひですが、貴方は又父()よ/\と呼ばれた爲め、殆ど我が娘でも失ツた樣な氣が成さるのでせう。」
「ハイ、我が娘――」と迄に言掛しも「です」と確に言切られぬ余が胸の術()なさは紙にも筆にも盡された物に非ず、余は涙を呑込みつ、優しき死骸を餘温()の猶冷めぬ寢臺に返し其姿を眺むるに、握り締し兩の手は父に縋りて放し難き心かと疑はれ、空しく開きたる其眼は死して後まで余の顏を見たしと思ふ爲にもや、「可愛の者」と呟きながら余は切()てもの心遣()に、散ばりたる其髮の毛を指で梳撫()で徐()に其眼を閉ぢさせるに、乳母は此時首()より細き十字架を脱()して之を星子の胸に置きしも、唯泣ぢやくりにて念佛の聲も續かず、暫くにして乳母は涙を拭ひ纔()に「夫人()へ直()にお知せ申さねば成ませぬが」と云ふに、思ふ事遠慮無く打明て憚らぬ英國醫は、
「全體、孃が死()るまで夫人()が茲へ來ぬのが間違て居ます。枕許へ附切に附いて居る筈でせうに。」
然り/\母の身として同じ家に住()ひ乍ら、娘の死目を餘所に見る那稻の如き無情の母が何れに在る、乳母は取繕らふ心にや夫とも日頃の不平を知らずして洩す者にや。
「孃樣もただ父々()と仰有るばかりで、母()の事は一言も仰有りません」と云ふ。余は最早や笹田伯爵たる姿を支()て此所に長居する能はず、天性の波漂に返り聲を放ちて泣出し度き迄に至りしかば其心を紛らせんと醫師の肩を突き「共に來れ」と促すの意を示して立上ると醫師も直ちに立上り、余と共に婆()に向ひ又來らんと云ひし儘此室を出()たり。
出()て廊下を、那稻の室に曲る所まで來()るに醫師は余を控へ、
「夫人へは貴方が知らせて下されますか。」
「イエ、私しは自分だけで充分悲いのに、此上夫人の泣顏を見る勇氣が有ません」醫師は嘲ける顏にて、「アノ夫人が泣くと思ひますか」と云ひ更に又「イヤ、女俳優()も及ばぬ程の方ですから成る程、誠しやかに泣き悲みませう。」
斯く云ながら醫師は那稻の室へ曲り行きしが、頓て室の中にて驚きて絹服の騷ぐ音は魂消る如き泣聲と共に來り、醫師の言葉も其間に交りて聞えたり、暫くにして醫師は厄拂()を濟せしと云ふ顏にて出來()り、「果せる哉です、泣く眞似から氣絶の眞似まで悲い狂言は仕盡しました、アノ樣な美人より醜婦の方が優()ですネエ」と云ひ玄關の方を指して去んとするにぞ、余も其後に從はんとするに醫師は振向き「イヤ貴方には猶ほ夫人が何か御用が有る相です、暫し待せて下さいと云はれました。」
余は[#「余は」は底本では「「余は」]何の用なるを知らざれど、其言葉を守りて踏止()り暫し階段の下を徘徊するに、[#「徘徊するに、」は底本では「徘徊するに。」]萬感胸に集りて殆ど我身が今何()の所に在るやを忘れ、首()を垂れて默考するのみ、其暇に誰やらん余が背後()に來り、右見左見()余が姿を眺むる者あれど余は夫とも心附ず、否心附ながら心茲に在らざれば自()ら氣に留んともせず、猶ほも考ふるのみなるに背後の人余の注意を呼ぶ如く咳拂ひしたれば、初て余は振向見るに是なん豫てより主人波漂は猶ほ死せずと云ひて余を疑ふの樣子ある老僕皺薦なり。余は彼れの顏色を見、何と無く彼れが余の背姿()にて余と見破りたる樣子なるを認めたればハツト驚きて聲も出()ず、彼れ樣子ありげに余の顏を眺めながら「夫人が之を貴方に渡して呉れと仰有りました」とて一通の書附を差出()せり、余が手を延べて受取る間に彼れは少し震へる聲にて殆ど獨語()の如く「お可哀相に孃樣は亡なツたが、夫でも父君波漂樣の猶()だ生て居()つしやるのは意外の幸ひだ、爾とも波漂樣が死る筈が無い、他人は死だ/\と噂しても、其噂に釣込れる樣な皺薦ぢや無い」と云ふ。余は耳に留ぬ振にて那稻よりの書附を開き見るに、「妾は唯だ絶入るばかりに悲くなり心紊()れて何事も手に附かず候まゝ何とぞ伯爵御身より星子死去の事は羅馬なる花里魏堂氏に御電報なし下され度候。」
と記せり、余の讀終るを待ち皺薦は宛も余が手でも握らんと思ふ如く一足前に進みたれば、余は豫て稽古せし最も邪慳なる聲音にて、
「夫人に、伯爵が承知致しましたと爾云て呉れ、此他何なりと唯仰せの儘に致します」と是だけ云ふに彼れ猶ほ余の顏を眺めて止まざれば「エ、分ツたのか」と叱る如く念を推すに、
「ハイ、貴方のお言葉が分ら無いで何としませう、何も彼も分りました、全く合點が行きました波漂樣の仰有る事、何事でも直に合點した事は是までとても波漂樣が御存()な筈ですが」と云ふ。
讀者、讀者、此言葉を聞く者誰か又彼れが余の本性を見破り得しと心附()ざらんや、余は全く忠義一徹なる彼れの慧眼に見破られたり、余が巧に計()たる大復讐も是よりして破るゝやも知る可からず、余は實に必死の想ひ、茲ぞ大事の大事なれば我が聲の中にて最も荒々しき處を撰り出し、
「波漂、波漂と、死だ主人が何うしたと云ふのだ、其樣な事は聞度く無い、早く余の返事を夫人に爾言へ」と叱りつゝ容赦無く彼れの胸を突飛すに、彼れ一間ほど後へ蹌踉き漸くにして足を踏留()しが、痛く余の疎暴()なる振舞を怒る如く噴然たる調子にて、
「ハイ主人波漂は決して貴方の樣な無作法の人では有ませんでした」と云ひ切り更に其口の中にて「アヽ己は馬鹿だ、馬鹿だ、波漂樣とは全く違つて居る、似た樣に思ツたけれど慈悲深い波漂樣とは似ても附かず、老人を突飛して恥と思はぬ全くの似非()紳士だ」と呟きたり。扨は余の邪慳なる振舞も其功()あり、余を看破りたる彼れの眼を再び眩す事を得たり、余は漸くに安心し揚々たる振を作りて此所を立去りたれど、腹の中には痛く老僕を虐げたる我が非を悔いたり。
四七
星子の死したる病室を心の中にて見返りながら羅馬内家の玄關を立出()れば芝草の上に目に留る一物()あり、是なん豫て星子が余の愛犬イビスに投與へ其の咬()え歸るを樂みとしたる護謨製()の球()なれば、余は之を星子の遺物()と思ひて拾ひ上げ、衣嚢()に納めて茲を去れり。
夫より宿に歸る道にて電信局に立寄り、那稻より頼まれし通りに羅馬なる花里魏堂へ星子死去の訃音()を送れり、魏堂受取りて如何に思ふや、星子を己れと那稻の間に横()はる唯だ一つの邪魔と見做せる程なれば、曾て余の死せしを歡()たる如くに定めし喜ぶ事なる可し。
頓て余は宿に着きしが、先づ從者瓶藏に向ひ今明兩日()は假令()ひ何人が尋ね來()るとも面會を謝絶せよと言附け置き、一室に閉籠りて波漂の本性に立歸り、打寛()ぎて考へ廻すに、娘星子を敢えなくも死なせし事、如何に思ふとも斷念樣()なし、星子は羅馬内家の唯だ一人の血筋にして余が死するも猶ほ先祖の後裔を永くする者、實に星子のみなりしに彼れ死しては羅馬内家は余と共に絶果()るなり、尤も余が既に僞()りある女を迎へし爲め羅馬内家は汚れたる者にして、余一人の過ちは充分先祖より咎めを受くる次第なれど、切()て星子だに生存()らふれば再興の望み有り、此後幾年の末までも子孫連綿と榮え行き再び世に敬はるゝ仁人君子()を此家より生出()す事無からんや星子死しては其望み全く絶え、古()へ十字軍の時代より歴史にも名を留めし伊國の名族羅馬内家は、無爲無力なる波漂を家筋の殿()りとして、十九世紀の後半に滅()る者なり、之を思へば余が恨み愈々深し。
遮莫()れ又思直せば星子は余と那稻の間を繋ぐ天然の鎖なり、彼れの存()する間は余と那稻と切るに切られぬ夫婦にして余が復讐の大決心も幾分か彼れが爲に妨らるゝ事無しとせず、彼れ既に死す、最早や那稻は余が爲めに全くの他人なり仇敵()なり、殊に星子は汚らはしき女の腹に宿りたる者にして、假令成長するとも世間にて母の惡名を覺え居る間は、其身の上に面白からぬ事多く生涯不幸の月日を送るやも知る可からず、惡事を知らず欲心を解せずして少しも罪に汚されざる清淨無垢の生涯を一期()として早く天國に上り行きしは却て其身の幸ひとも云ふ可きか、羅馬内家が絶果()るのは果可()き時が來りし爲なり、歎くとも詮方なし、余は唯だ手足纒ひの星子死したるを幸ひとし益々復讐の歩掻()を早む可きのみ。
漸くに斯思ひ直したれば翌日は星子の葬式を如何にするやと那稻夫人に問ひたるに、彼()夫人は氣分惡()くして自ら其事を取圖()らふ能はずと云ふにぞ、余は結句幸ひと親切めかして自ら其事を引受()しが、死して前後の覺え無き者とは云へ、余が恐しき想()を爲したる彼の墓窖に葬るに忍びず、依()てネーブルの岳()の最も見晴し好き所に土地を買ひて茲に葬り、其上に大理石の十字形の碑()を建て“Una stella surnila”(消えたる星)の數文字を記し、父母の名及び生死()の年月日を切附()させたり。是が余の生涯にて最も悲しき仕事なりき。
此事濟()てよりは、余は屡々夫人の許を訪()ども今迄よりズツと冷淡否寧ろ謹嚴なる體を示し、夫人より呼迎への手紙來()ずば行ず行()とも餘り夫人に親()まず、夫人と對()ひ坐()ながらも絶ず哲學の窮窟なる書類を膝に置き、夫人より話を掛らるゝに非ずば我より口を開く事なく夫人の話終るが否、直()に又書を開き、殆ど夫人の美しき容貌の目に留らぬ如くするに、夫人は余に媚び余の心を擒()にせんとすること益々甚だしく、宛も魏堂の留守中に是非とも余を手の中に圓()め込()んと決心せしに似たり。斯る中にも魏堂よりは幾度も手紙來れり、其うち夫人への分には何事を記しあるや、固()より余の知る所にあらねど余への手紙には相變らず卑賤なる文句多し、既に星子の知せに接したる返事には左の如き一項あり、
「勿論小生に取りては寧ろ厄介を拂ひたる如き者にて却て安心致し候小生と那稻の間は此後とても成る可く波漂の事を忘るゝが幸福にて、星子は毎()に其忘れ度き事を思ひ出させる遺身()たるに外ならず候」と在り又一項には「病中なる小生の伯父は既に冥途()の戸廣く開き歩み入るばかりと相成居候()に猶ほ躊躇して歩み入らず誠に自烈()たき限りに候時々は伯父の身代を捨()るとも一層那稻の傍へ走り返らんかと思ひ候、實に小生は那稻と離れては一寸()の幸福も無く貴下に那稻の監督を托し置()候へども猶ほ何とやら氣掛りにて夜も落々と眠られぬ程に御座候」と有り余は特に此一節を開き、明かなる聲にて那稻に讀みて聞せるに、那稻は聞くに從ひて頬の色紅()と爲り我知らず怒を催したる樣子にて其唇まで震はせつ、「餘()り失禮な書方です」と叫びしが頓て又女の嗜みを思ひ出()せし如く強()て心を落附し振と爲り、
「是で花里さんの推()の強さが分りました、貴方が此手紙をお見せ下さらずば斯までとは思はずに仕舞ふ所でした、實はネ、所天波漂が餘り魏堂を愛し過ましたから彼れは圖に乘り、私()しを自分の妹か何ぞの樣に思ひ、兄が妹を壓附()る樣に私しへ推附がましい振舞が有のです、私()しも所天の親友と思へば成る可く遠慮して堪へて居ましたが、斯成()ては捨置かれません。」
余は苦々しき笑顏を浮べぬ、成る可く遠慮して堪へしとは何の事ぞ、魏堂が我が身體に卷附きて我が首を抱き接吻するをも堪へ居たるか、成るほど非常なる堪へ過なり、左は云へ余に取りては茲が是れ附入所()ろ、將棋なら王手飛車を掛る手にて、
「左樣ですか、併し花里氏は近々()貴女と婚禮をする樣に云つて居ましたよ、」那稻は案外に輕く受け、
「御笑談を。」
「イエ私しは笑談など云ひません」那稻は火()と怒る如く席を立しが更に余の身に近()き空椅子に移座()し、熱心に余の顏を見上げ、
「エ花里さんが私しと婚禮を。餘り非道い、餘りズー/\しいと云ふ者です、エ伯爵、花里さんは本氣の沙汰で其樣な事を言ひましたか。」
余は實に那稻のヅウヅウしさに呆れ、猶ほ其の嘘を誠とする振舞言語の巧なるに驚きながら言葉短かく、
「無論本氣の沙汰でせう。」
那稻は殆ど悔しさの涙聲にて、
「貴方までも夫を本氣と仰有るは餘りお情無いでは有ませんか、第一私しがアノ樣な者を所天にするとお思ひなさるか。」
余は餘りの僞りに氣を呑れて暫しは返事する能はず、女とは是ほど人を欺く妙を得し者なるか、夫とも那稻は既に魏堂と交代()せし深き語らひを忘れたるにや、那稻の心は石版の如く熱く石版の如く冷く、一たび書記()したる愛の文字()も一片の海綿にて跡形も無く拭ひ取るを得るにや、アヽアヽ讀者、余は魏堂を憐()まざらんと欲するも得ず、彼れも亦余が曾て那稻に欺かれしと同樣に欺かれて余と同樣なる絶望の境涯に陷入()んとするか、然り然り彼れ全く余と同じ目に逢()んとす、去れど余は今更何をか驚き復()何をか憐まん、彼れを同じ欺きに掛け同じ目に逢はしむること是れ余が復讐の一部に非ずや、目を剥()らるれば目を剥り返し、齒を拔かるれば齒を拔き返せ、是れ古勇士の奉じたる復讐の大法なればなり。
四八
余が返事に迷ひ一言()も發し得ぬ間に、那稻は猶ほ熱心に其問を繰返し、
「エ伯爵、貴方まで本統に私しが花里氏の樣な俗人を所天にするだらうとお思ひに成ましたか」俗人とは能くも巧に魏堂を評し得し者哉、彼實に俗極まる人物なり、去れば那稻の目によほど俗人に見ゆるならば、何故彼れを余に乘代()て余が目を偸み、深く彼れと言交せしや、僞りにも程こそ有()と余は益々呆れながらも、返事せぬ譯には行かねば、
「ハイ思ひましたよ、實際爾う思ふが當然では有ませんか、花里氏は年も若し容貌と云へば世に稀れな美男子で、殊に羅馬に居る其伯父が死()れば、可なりの財産家にも成ますし、所天としては少しも言分の無い人物かと思ひます、其上貴方の所天波漂が爲には唯一人の親友で有たと云ふ事では有ませんか」と隨分力強き口實を持出すに那稻の僞りの口前は之が爲にビクともせず、却て一層の好き種を得し如くに附入りて、
「サア夫だから猶更()ら私しの所天には出來ないと云ふのです」余は合點の行かぬ如く目を見開き、
「ヱ、夫だからとは。」
「イヤサ所天波漂の親友ですからサ、縱や私しが花里氏を愛したとした所で所天の親友を二度目の[#「二度目の」は底本では「一度目の」]所天に撰ぶのは厭な事です、増()てや私しはアノ人の餘り俗々しい振舞には波漂の在世中から愛想を盡かして居ますもの。」
本統に嘘ばかり、余は何()の口で彼樣な事が空々しく云はるゝにやと殆ど怪みて那稻の口許を眺むるに、那稻は宛も千里の馬が己の蹄の音に勇み益々走り出()す如く、我が口前の巧なるに劇()されしか、愈々僞りを言募()り、
「先ア考へて下されば分りませう、私しが彼れと婚禮して御覽なさい、世間の夏蠅()い人の口は必ず得たり畏()しと色々の説を立て、那稻夫人は所天波漂の生て居る内から既に花里氏と譯が有たなどと、私しを傷けるに極て居ます。」
旨し、旨し、シセロ、デズゼモニの辨舌より猶旨し、去れど是れ何も彼も知悉()す余の心を欺くに足らず、波漂若し惡疫に死せずば毒害してゞも魏堂は御身と添遂んなど云ひし、恐しき言葉を今以て鼓膜の底に蓄ふる余波漂の耳を誣()ふ可からず、増してや此の言譯けは全く我れと我が汚()れを白状するに同じ、日頃より心に斯る心配を抱()き魏堂と婚禮する曉()に、若()や世間の人より斯く見拔かれはせぬかと疵持つ脚の弱味にて常々心配せるが爲め、折に觸れては其心配を洩すなり、少しも汚れの無き人は斯くまで細かに氣の附く者に非ず、縱や又氣が附くとも自分の心確なる故、世間の評()たり。
此頃は氣候も追々寒くなり、船遊びは止みて更に盛()なる夜會の頃とはなりたれば余は一夜の舞踏を催さんものと其仕度を爲し居たるに、天の助けとも云ふ可きか余が復讐を一入推早める不意の仕合せこそ出來にけれ。茲に其次第を記さんに、此月十七日の晝過なりし彼れ魏堂め案内も乞はず遽()だしげに余の室に飛入來()り、何か氣に掛る面持にて、歎息と共に其身を椅子の上に投げたれば余は怪む調子にて、
「オヤ花里さん何か心配な事が出來たと見えますネ、何事です、金錢の心配ですか、夫ならば私しの金を幾等でも銀行から引出してお遣ひ成さい」と云ふに彼れ難有()げに笑みたれど猶ほ腑に落ぬ樣子にて、
「イヤ其樣な事では有ません、本統に弱りました。」
「ヱ、夫では夫人の氣が變り、貴方と婚禮するのが否()に成たとでも云ふのですか。」彼れ猶ほ此點だけは勝誇る人の如き笑を浮めて、
「イヤ其樣な事では有ません、縱や夫人が否に成ても決して否とは云はせませぬから。」
「ヱ、否とは云はせぬ、とは又痛()い劍幕ですネ、何か夫人が大事な秘密を貴方へ握られて居る樣にも聞えますが」と余が笑ひながら云ふ言葉も彼れの灸所()に當りしか彼れは少し面目無げに、
「イヤ是は私しの言過()です、勿論否と云ふも應と云ふも全く夫人の自由ですが、今まで私しを勵して置て、今さら否と云ふ樣な其樣な定らぬ了簡()の夫人では有ませんから。」
「では何事です。」
「實はネ、當分の間、此土地を去り羅馬へ行かねば成ぬのです。」
余は是だけ聞き、早や嬉しさの胸に滿つるを覺えたり、此土地を立去るとは戰場を空にして敵なる余の蹂躙に任せるなり、余は獨りにて悠々と戰備を備()へ、彼が討死に歸るを待たん、海路の日和とは此事なりと、躍る心を顏には示さず、
「ヱ羅馬へ行く、夫は大變ですネ。」
「ハイ大變でも致方()が有ません、實はネ。羅馬に私しの叔父が有て今死掛て居ると云ひます其叔父が豫てより私しを相續人と定め、死()ば其財産が總て私しの手許へ轉()り込む事に成て居ますが、今行て死際の看病せぬと、又何の樣な氣に成て其遺言書を書替るかも知ません。」
「成る程、夫は行かぬと云ふ譯に行きますまいネ。」
「ハイ代言人が爾云ふのです、何うしても今行かねば叔父の身代を人に取られると。」
「では、お出()なさい。留守中の事は及ばずながら私しが。」
「イヤ爾仰有()ツて下されば本統に安心します、實は貴方へ命より大事の者を預()て置ねば成りませんから。」
「ヱ、命より。」
「ハイ、と云ふのは夫人の事です、アノ通り年は若くて綺倆は好し、眞に引手數多と云ふ者ですから、私しの留守中に誰か嚴重に番をして他人を夫人の許へ寄附けぬ樣にして呉れる人が無ければ、私しは一日も此土地を去れません、貴方ならば年頃と云ひ身分と云ひ此上も無い番人、イヤサ番人と云ふは失禮ですが此上も無い保護者ですから、私しが歸る迄の所を充分に取締ツて、何うか夫人の身に過ちの無い樣に嚴重に保護して頂き度い者です」アヽ彼れ全く余の術中に陷()たり、誰よりも彼よりも余が一番の險呑なる大敵なるを知らざるか、盜人に鍵を托すとは彼れが事なり。余は極めて眞面目になり、
「貴方が爾うお頼み成()らずとも、私しも彼()の家()の先代よりの親友として、夫だけの注意はせねば成ませぬ。」
「爾ですとも、若しも夫人の目に留り、夫人の心を動かせる樣な紳士でも有れば……」
余はグツと勇み立ち、
「爾ですとも夫人の心を、相當の持主より盜み取る惡紳士でも有れば、夫こそ私しが其奴()の身體を鞘の樣に私しの刀を根本まで指通()さねば勘辨しませぬ」と彼れが曾て那稻に向ひて吐きし言葉を其儘に繰返すに、彼は何とやら覺え有る語と感ぜしにや、最と怪しげに余の顏を見上げたり。
四三
魏堂が余の言葉に耳聳()て、怪みて余の顏を見上()るを、余は旨く紛らせねばならずと思ひ、一入顏色を嚴重にして、
「イヤ貴方に取りては許嫁の妻を他人の中に殘し、自分は旅に出る譯ゆゑ此上無い大事()です、宜()い花里さん、私しが引受けて充分に夫人の身を見張て上ます、左樣サ先づ夫人の兄にでも成た氣で」と云ふに魏堂は漸く心の鎭まりし如く、
「ハイ、爾仰有ツて下されば安心です。」
「尤も此樣な役目は私しの柄()に在りません、總て面倒な事は大嫌ひの老人ゆゑ成る可くは斷り度いのです、けれども、見渡した所で私しの外に夫人を保管する適當の人は無く、夫に私しが斷われば貴方は安心して此地を立つ事が出來まいと思ふから、夫で私しは引受けて上るのです。」
「イヤ最う何より有難いと思ひます」とて魏堂は手先を差延()るにぞ余は之を握りながら、猶ほ充分に彼れの顏を眺め、
「是()は實に友人の役目と云ふ者でせう、譬へば波漂が生て居て暫し旅行するから留守中何うか妻の那稻を保管して呉れと貴方へ頼めば貴方は何うします、隨分六()かしい役目と思ツても友誼の上から止を得ず引請()ませう、引請た上では必ず充分注意して夫人を保護し、充分に實意を盡しませう、ハイ私しとても紳士です、貴方が波漂に盡した通りの實意を必ず貴方へ盡します、波漂の留守に貴方が夫人を保護した通りに夫人を保護します、是ならば安心でせう」と其の實は最と毒々しき言葉なれど余は全くの平氣にて何の心も無き如く言現すに、魏堂は宛も毒蟲にでも蟄()れし如く打驚き、顏の血色全く褪めて青きこと鉛の如し。
彼は暫しが程、且疑ひ且懼()れて殆ど決し兼る如く、不安心なる其眼を余が顏より室中()總體へ注ぎ、將に何事をか言出()んとする樣子なりしが、余が顏の餘りに眞面目にして且餘りに平氣なる爲め、扨は何の意も無き一通りの言葉なりしかト、漸くに見て取りし如く言葉を控へて顏の色をも恢復したれど、深き手傷の容易に癒()ざると同じく、余が言葉にて彼れの心に負せたる痛傷()は猶ほ幾分か其痛みを殘すと見え、彼れは更に豫防の伏線を張る如く、
「イヤ、貴方は名譽ある方ですから、其名譽に對しても友人に負()く樣な事は出來ぬ筈です。」
「爾ですとも。」
「私しは只管ら貴方の名譽を當てにし、貴方を信じて立去ります。」
「ハイ私しの名譽は貴方の名譽も同じ事です、貴方は自分を當にする通り私しを當にし、自分を信ずる通り私しをお信じなさい、自分に劣らぬ番人を雇入れたと思へば決して間違ひは有りません、詰る所ろ、貴方が自分で夫人を保管する樣な者ですから」と云ふに此言葉にも彼れビクリと身動きしたれど、頓て樣子を整へたれば、余も今は彼れの心に針を刺す時に非ずと見、更に分れの惜()き顏色にて、
「ですが花里さん、出發は何時()ですか。」
「明朝の汽車で立ちます。」
余は卓子の上に在る、宴會の献立書()に目を配りつ、
「實は爾とも知ませんから近々()舞踏會を催す積で御覽の通り、招待状まで書掛けて有ますが、夫では貴方の歸るまで延しませう、留守中に餘り交際を盛()にしては自然と夫人を保管する役目が疎()かになり、貴方に氣を揉ませる樣な者ですから」彼も是には感ぜし如く、
「爾まで貴方に迷惑を掛けましては。」
「イヤ少しも迷惑は有ません、大切()の親友が出席せぬのに舞踏會を開いたとて何の面白みも有ません。」
彼れ眞實有難さうに、
「伯爵此御恩は實に。」
「イヤ恩でも何でも有ません、其代り又貴方へ此後何れほど厭な役目を頼むかも知れませんから友人は總てお互です、併し貴方は明朝の出發とならば最う歸て荷作などをせねば成ますまい。」
此言葉に迫立()られ彼れは全く余を親切の人と信じ、分れを告()て去らんとするにぞ、余は更に、
「では明朝停車場()まで送りませう」と言葉を番()へ、戸の口まで見送りたり、是れより彼れ果して荷作に取掛りしや夜に入()るも再び余が許に來()らず、否荷作には非ずして彼れは那稻の許に行き、留守中那稻の身持を確め置かん爲め、且慰め且口説きつゝ有るならん、彼れが那稻を抱上げて、分れを惜む優()き言葉を口移しに細語く樣、殆ど余の目の前に浮び來れど余は怒りもせず嫉()みもせず、今夜が魏堂と那稻の逢納めなりと、獨り腹の中に笑む余が心も亦恐ろしと云ふべきのみ。
四四
翌日の朝、余は約束の通り魏堂を送る爲め停車場()に行きたるに魏堂は早や茲に在り、余の姿を見て喜ぶ色見えたれど彼れの樣子は何所()と無く落付かぬ所あり、顏の色まで蒼醒()めたるは此地を去るを不安心に思ふが爲ならん、殊に彼れは少しの事も疳()に障る如く、鐵道人足に差圖する聲も宛()ながら喧嘩に似、二言目には腹立しげに舌鼓()せり、頓て發車の時刻と爲れば彼れ余が耳に口を寄せ「夫人の事を呉々も頼みましたよ」と細語くにぞ、
「宜しいとも、全く貴方に成替つて保管します」と答ふるに、成替つての一語さへ幾等か耳障りの樣なりしも彼れは猶ほ笑を浮め、青く不安心の面持にて余の手を握れり。
是れが余と魏堂との別れ、其中に汽笛の聲に連れ汽車は發ち、見送る間も無く其影を隱したれば余は全く唯()一人の身とはなりぬ、然し唯一人なれば、誰に邪魔される恐れも無く、是より那稻を訪行()きて我が思ふ存分に責めさいなむも自由なり、波漂の本性を現し、不義の罪を數え立て其上句()に刺殺すも余の隨意なり、全く那稻は余が手の中に在り、復讐は掌を翔()すより猶ほ容易し、が恨の刃を磨()ぎ一思ひに刺殺すとも、余は謀殺の罪には落()まじ、裁判所に引出さるゝも陪審員は情状を酌量して必ず余が罪を減ず可しとするならん、否々余は那稻を刺殺す如き爾る淺墓の復讐を爲す可からず、人を殺すは殺すより外に、猶ほ味の良き復讐の法あるを知らぬ智慧なき俗人の爲す所なり、余は初より爾る俗手段を好まずして文明人の復讐と云はるゝに足る充分の工風を定めあり、辛くとも氣を永くし、其工風を實行せんのみ、血氣に早りて普通の殘酷なる手段を取りては世に類()なき魏堂と那稻の大罪を罰するに足らずと、胸に問ひ胸に答へて獨り此方()へと歩み來()るに、向うの方より息迫切()て走來()る一人()は、余の從者瓶藏なり。
瓶藏は余の姿を見て立留り「急用」として余に宛たる一通の手紙を差出すにぞ、何事ぞと披()き見るに即ち那稻より寄越せしものにて其の文短く、
「至急御出下()されたし、星子急病にて御身に逢たしと申候()」
とのみ有り。
余は復讐の一念胸に塞るが中にも星子が事は絶えず心に掛れる故、余はハツと驚きて、
「誰が是を持て來た。」
「老僕皺薦が持參しました。」
「他に何か言はなんだか。」
「ハイ皺薦は心配氣に泣て居ました、羅馬内家の孃樣が喉に熱をお持成つたと云ましたが定めしヂフテリヤ病()の事でせう、昨晩は乳婆お朝も夫程とは思はなんだ相()ですが今朝()に至り益々重くなり、今は殆ど危篤だと申ました。」
「勿論醫者を迎へたゞらうな。」
「ハイ迎へました、併し」
「併し何うした。」
「イヤ醫者の來たのが遲過たと申ます」余は涙の胸に込上()るを覺えしも、今は泣く時に非ずと直に居合す貸馬車を雇はせて之に乘り、瓶藏には日の暮るゝまで宿へは歸らずと言置きて、一散に余が家羅馬内家を指し走らせたり。
到れば門の戸は宛も余を迎ふる如く開きて有り、馬車を下()りて歩み入れば、彼の老僕皺薦が最と悲げなる樣子にて出で迎へしにぞ、余は息も世話()しく「孃樣の病氣は何うだ」彼れは無言にて玄關を指さすにぞ、余は其方()を見るに、今しも玄關より歩み出()るは、豫て此近邊に來りて開業せる有名なる英國の醫者なれば余は驅寄()りて尋ぬるに醫師は靜に余を玄關の別室に連て入()り、他聞を憚る如く入口の戸を閉ぢし上にて、
「實は容易ならぬ手後()れです、重くなる迄何の手當もせずに捨置た者と見えます、私()しの見た所では、元來の體格は丈夫ですが近來痛く衰弱して何の病にでも感染するばかりに成て居ました、何うして今まで醫者に見せずに置いた者ですか、乳母の話を聞きますと昨夜既に尋常()ならぬ樣子が有ましたけれど、十時から後は奧方が寢室()に籠()り誰をも中に入()ぬ爲め、孃さまの病氣を知せる事も出來ず、空しく朝まで待つたのだと申ます。」
余は聞來りて殆ど腸()の絶ゆる想ひ、如何なれば那稻は昨夜の十時より其寢室に何人をも近()けざりしぞ、讀めたり讀めたり、魏堂が分れに來りし爲め、二人寢室に閉籠り、余が昨日推せし通り分れを惜み居し者なる可し、其間に我が娘が危篤の病に罹るをも顧みざりしが、彼れが薄情は豫て知れども余に對する愛情は禽獸さへも變らぬに、彼れ禽獸にも劣る女が、如何ほど薄情なればとて己の腹を痛めたる我子だけは育て上()る親切ある可しと今まで安心し居たるは余が重々の過ちなりきと、余は遺憾遣る方なく空しく洪嘆()を發するに、醫師は語を繼ぎ、
「孃は頻()に貴方を呼で來て呉れと云ふのです、夫人は若も貴方に傳染しては惡いとて容易に呼()に上()ると仰有らぬのを漸く私しが説勸()めました、尤も熱病の事ゆゑ險呑は險呑ですが」余は殆ど氣を燥()ち、
「イヤ傳染などは少しも恐れません。」
醫師は余の勇氣に感心せし如く頷きて、
「では直ぐ病床へ。」
「ハイ參りませう。」
「私しは他の病用の爲めお暇()に致しますが、卅分經ては再び茲へ參ります。」
「イヤお待なさい、最う全く見込が有ませんか。」
「ハイ何うも致方()が有ません、併し苦みを弛める藥を乳母に與へ、其外何事も差圖して有ますから私しが居無くとも差支へは有ません、唯だ靜かに暖かく寢かして置くばかりです、尤も今より卅分を經()ば病が極度に達しますから、其時來て再び診察すれば又能く分ります」と云ひ醫師は敬禮して立去れり。余は是より星子の病室を指し下女に案内せられて廊下を歩みつ、小聲にて其下女に向ひ「夫人は今何所に居る」と問ふに、下女は目を見張り、「[#底本では「「」欠字]奧樣ですか、傳染が恐しいと仰有り、お寢室に籠籠()ツた儘、出てお出()に成ません」余は怒りの色を隱し「孃が病氣に成てから、夫人は未だ孃の顏を見ないのか?」[#底本では「」」欠字]
「ハイ一度も御覽に成ません。」
余は益々愛想を盡()し、是よりは又尋ねず、差足しつゝ星子の病室へと入行()きたり。
四五
靜に病室の中()に入()れば、窓の光線を遮らん爲め簾を半ば卸して、薄暗き室の内に白布の小さき寢臺があり、之に星子を寢かせて、傍らには老女のお朝心細げに念佛()を唱へながら腰を掛く、此樣を見る丈にて余は既に哀れを催し無言にて立留るにお朝は夫と知り「旦那と云ひ、孃樣と云ひ達者で生き殘るは唯だ惡人ばかりです」と呟きて余を星子の枕邊()に掛けさせたり。
「父()よ」と一聲、最()細く且弱き呻きの聲は寢臺の中程に起直りたる星子の口より苦げに出來たれば、先づ其樣を見るに頬は熱の爲に紅けれど痛く疲れて早や肉までも落しこと、太く開ける眼にて能く知らる、余は痛はしさに得堪へず手を延べて抱かんとするに、星子は乾きたる唇を半ば開きて余を接吻せんとするにぞ、余は頬を之に當てつゝ總て、
「孃樣、苦しくとも辛抱して靜に寢て居ねば了ませんよ、其中には直りますから」と云ひ穩かに其身體を横()へ遣るに星子は敢て逆はず音()なしく横に成りしも、猶ほ其片手は延()て余の手を控へし儘なり、余も之を離さんとはせず輕く其身を撫摩()るに老女は星子の息遣ひ如何にも苦げなるを察し、水にて細き口唇()を濕()し、猶ほ醫者より預れる水藥()數滴を垂して呑したり、之に力を得てか星子は又口を開き「父()よ」と云ひ余が俄に應ぜざるを見、幼心にも少し極惡く思ひしか羞らふ體にて、
「貴方()は父()ぢやないの、私しの父()でせう」と問ふ、老女は獨り合點して「アヽ亡なられた旦那樣が冥府()から迎へにお出成つたのです、孃樣の目には必ず旦那の姿が見えるのでせう」と云ひ、前よりも猶熱心に又も念佛を唱へ出せり。
星子は暫くにして殆ど眠んとする如く目を細くしながらも、猶余の手に縋り、
「父()よ咽喉が――咽喉が痛い、貴方()にも直らないの。」
オヽ可愛の者や、若し其痛みを余が咽に移す可き工夫も有らばと、余は人間の無力を恨みながら纔()に星子の頭()を撫で、
「音なしくして堪へて居()れば今に直るから」と賺()すのみ、余が若し復讐の目的さへ抱かずば「吾()こそ御身の父なるぞ、御身の父茲に在り、氣を安くせよ星子」と云聞け、幾分か其苦みを忘れさせ得べきに、今は夫さへ叶はずと思へば、轉()ど悲さの胸に迫りて胸張裂()る想ひ有り、之も畢竟那稻と魏堂の爲ならば、是に就()けても余が復讐は益々重くせねばならぬ次第と、余は星子にも老女にも知さずして一人窃に齒を噛みたり。
又暫くにして星子は余が曾て羅馬より買ひ來り個は和女()の弟分()なりと戯れながら與へたる人形の今猶ほ枕許に在るを指()し、
「父()よ、弟も私しと一緒に貴方()の歸るを待て居ました、弟より私しの方が猶待て居ましたよ。」
と云ひ、自ら起直りて其人形を取らんとせしが、此時フト老女の姿を目に留め「お朝や。」
「ハイ孃樣」
「お前、何を泣て居る、父()が歸て來て嬉しく無いか」と言掛()るや忽ちに身體中を引絞る程の急激なる痙攣を起し來り呼吸さへ塞がりて殆ど絶入()るかと疑はるゝにぞ、余も老女も遽()しく立ちて星子を扶()け、柔かに又寢かせるに徐ろり/\と其痛みは靜りたれど、餘ほど星子が身の力に應()へしと見え、顏色全く青白くなり前額()に脂汗を浮べたれば、余は成る可く取鎭めんとて、
「孃樣、最う物を言つては否()ません、靜にして居れば苦く無い樣に成りますから」星子は唯だ余の顏を打眺むるのみなりしが、良()ありて、
「キスして下さい、爾すれば快()くなります」余は可愛さに堪難き余の本性を恣()に現して接吻するに、星子は漸く安心せし如く眼を閉ぢ眠りしが痛()を忘れしか、少しも動かず物言はぬ事と爲りぬ。
斯て十分、二十分、三十分と過()し頃約束の如く以前の醫師が入來り、忍足にて寢臺に寄り先づ星子の顏を眺め、次には挨拶の如く余に目配せして腰を卸すに、此時星子は驚き覺め、余を見ながらに又も起直らんとするにぞ、余は痛()りて「又咽喉が痛んで來たかの」と問ふに、星子は殆ど聞取兼る程の細き聲にて、
「イヽエ、最う全然()り直りました、父()が歸て來ましたから婆()に着物を着せて貰つて是から父()と遊びます」と云ふ、醫師は此樣を見て、
「アヽ他人を見て父などと、腦髓が迷ひ初()ました、最う長い事は有ません」と呟くに星子は此言葉の聞えぬ如く余の首にまつはり附き、
「父()は何故其樣な黒い物を目に當ます」問ふ聲は愈々細くなり、今は余が外には全く聞えず「夫も矢張り目鏡?」余が無言にて點頭()けば「誰かゞ父()の目を傷()めたの、父()よ、其目鏡を除()て、父()の目を見せて……」[#底本では「」」欠字]余は此請()に當惑して殆ど如何()す可きかを知らず、暫し躊躇()ふのみなりしも是れ余が娘の臨終()の願ひなり。之を聽ずに濟さる可き、余は左右を顧見()るに老女は念佛に頭を垂れ、醫師も其顏を俯向()け居るにぞ余は幸ひと手を上げて手早く眼鏡を前の方に引外し、初て露出しに余の顏を見せしむるに星子は嬉しさに我を忘れし如く、
「オヽ父()だ父()だ」と叫びしが、是ぞこれ此世の名殘()り再び催す痙攣に堪へ得ずして、抱かれし余が膝の上に死したり。讀者よ此時の有樣は余詳しく記す能はず、思ひ出すさへ余が爲めに涙の種なればなり。
四六
後にも先にも余に取りて唯だ一人の娘星子、可哀()や滿三年を一期()として茲に死したり、余は其死骸を我膝から卸す能はず、泣くとも無しに唯だ涙の點々とはふり落るを覺ゆ、其外は總て夢中なり。
斯る有樣を醫師は見て氣の毒と思ひしか、傍らより親切なる聲音にて、
「サア伯爵、此所()を引上ませう、是で孃も最う一切の苦痛を知らぬ事と爲ました、尤も死際の心の迷ひで貴方を自分の父だと思ツた爲め左まで苦まずに終つたのは孃に取り幸ひですが、貴方は又父()よ/\と呼ばれた爲め、殆ど我が娘でも失ツた樣な氣が成さるのでせう。」
「ハイ、我が娘――」と迄に言掛しも「です」と確に言切られぬ余が胸の術()なさは紙にも筆にも盡された物に非ず、余は涙を呑込みつ、優しき死骸を餘温()の猶冷めぬ寢臺に返し其姿を眺むるに、握り締し兩の手は父に縋りて放し難き心かと疑はれ、空しく開きたる其眼は死して後まで余の顏を見たしと思ふ爲にもや、「可愛の者」と呟きながら余は切()てもの心遣()に、散ばりたる其髮の毛を指で梳撫()で徐()に其眼を閉ぢさせるに、乳母は此時首()より細き十字架を脱()して之を星子の胸に置きしも、唯泣ぢやくりにて念佛の聲も續かず、暫くにして乳母は涙を拭ひ纔()に「夫人()へ直()にお知せ申さねば成ませぬが」と云ふに、思ふ事遠慮無く打明て憚らぬ英國醫は、
「全體、孃が死()るまで夫人()が茲へ來ぬのが間違て居ます。枕許へ附切に附いて居る筈でせうに。」
然り/\母の身として同じ家に住()ひ乍ら、娘の死目を餘所に見る那稻の如き無情の母が何れに在る、乳母は取繕らふ心にや夫とも日頃の不平を知らずして洩す者にや。
「孃樣もただ父々()と仰有るばかりで、母()の事は一言も仰有りません」と云ふ。余は最早や笹田伯爵たる姿を支()て此所に長居する能はず、天性の波漂に返り聲を放ちて泣出し度き迄に至りしかば其心を紛らせんと醫師の肩を突き「共に來れ」と促すの意を示して立上ると醫師も直ちに立上り、余と共に婆()に向ひ又來らんと云ひし儘此室を出()たり。
出()て廊下を、那稻の室に曲る所まで來()るに醫師は余を控へ、
「夫人へは貴方が知らせて下されますか。」
「イエ、私しは自分だけで充分悲いのに、此上夫人の泣顏を見る勇氣が有ません」醫師は嘲ける顏にて、「アノ夫人が泣くと思ひますか」と云ひ更に又「イヤ、女俳優()も及ばぬ程の方ですから成る程、誠しやかに泣き悲みませう。」
斯く云ながら醫師は那稻の室へ曲り行きしが、頓て室の中にて驚きて絹服の騷ぐ音は魂消る如き泣聲と共に來り、醫師の言葉も其間に交りて聞えたり、暫くにして醫師は厄拂()を濟せしと云ふ顏にて出來()り、「果せる哉です、泣く眞似から氣絶の眞似まで悲い狂言は仕盡しました、アノ樣な美人より醜婦の方が優()ですネエ」と云ひ玄關の方を指して去んとするにぞ、余も其後に從はんとするに醫師は振向き「イヤ貴方には猶ほ夫人が何か御用が有る相です、暫し待せて下さいと云はれました。」
余は[#「余は」は底本では「「余は」]何の用なるを知らざれど、其言葉を守りて踏止()り暫し階段の下を徘徊するに、[#「徘徊するに、」は底本では「徘徊するに。」]萬感胸に集りて殆ど我身が今何()の所に在るやを忘れ、首()を垂れて默考するのみ、其暇に誰やらん余が背後()に來り、右見左見()余が姿を眺むる者あれど余は夫とも心附ず、否心附ながら心茲に在らざれば自()ら氣に留んともせず、猶ほも考ふるのみなるに背後の人余の注意を呼ぶ如く咳拂ひしたれば、初て余は振向見るに是なん豫てより主人波漂は猶ほ死せずと云ひて余を疑ふの樣子ある老僕皺薦なり。余は彼れの顏色を見、何と無く彼れが余の背姿()にて余と見破りたる樣子なるを認めたればハツト驚きて聲も出()ず、彼れ樣子ありげに余の顏を眺めながら「夫人が之を貴方に渡して呉れと仰有りました」とて一通の書附を差出()せり、余が手を延べて受取る間に彼れは少し震へる聲にて殆ど獨語()の如く「お可哀相に孃樣は亡なツたが、夫でも父君波漂樣の猶()だ生て居()つしやるのは意外の幸ひだ、爾とも波漂樣が死る筈が無い、他人は死だ/\と噂しても、其噂に釣込れる樣な皺薦ぢや無い」と云ふ。余は耳に留ぬ振にて那稻よりの書附を開き見るに、「妾は唯だ絶入るばかりに悲くなり心紊()れて何事も手に附かず候まゝ何とぞ伯爵御身より星子死去の事は羅馬なる花里魏堂氏に御電報なし下され度候。」
と記せり、余の讀終るを待ち皺薦は宛も余が手でも握らんと思ふ如く一足前に進みたれば、余は豫て稽古せし最も邪慳なる聲音にて、
「夫人に、伯爵が承知致しましたと爾云て呉れ、此他何なりと唯仰せの儘に致します」と是だけ云ふに彼れ猶ほ余の顏を眺めて止まざれば「エ、分ツたのか」と叱る如く念を推すに、
「ハイ、貴方のお言葉が分ら無いで何としませう、何も彼も分りました、全く合點が行きました波漂樣の仰有る事、何事でも直に合點した事は是までとても波漂樣が御存()な筈ですが」と云ふ。
讀者、讀者、此言葉を聞く者誰か又彼れが余の本性を見破り得しと心附()ざらんや、余は全く忠義一徹なる彼れの慧眼に見破られたり、余が巧に計()たる大復讐も是よりして破るゝやも知る可からず、余は實に必死の想ひ、茲ぞ大事の大事なれば我が聲の中にて最も荒々しき處を撰り出し、
「波漂、波漂と、死だ主人が何うしたと云ふのだ、其樣な事は聞度く無い、早く余の返事を夫人に爾言へ」と叱りつゝ容赦無く彼れの胸を突飛すに、彼れ一間ほど後へ蹌踉き漸くにして足を踏留()しが、痛く余の疎暴()なる振舞を怒る如く噴然たる調子にて、
「ハイ主人波漂は決して貴方の樣な無作法の人では有ませんでした」と云ひ切り更に其口の中にて「アヽ己は馬鹿だ、馬鹿だ、波漂樣とは全く違つて居る、似た樣に思ツたけれど慈悲深い波漂樣とは似ても附かず、老人を突飛して恥と思はぬ全くの似非()紳士だ」と呟きたり。扨は余の邪慳なる振舞も其功()あり、余を看破りたる彼れの眼を再び眩す事を得たり、余は漸くに安心し揚々たる振を作りて此所を立去りたれど、腹の中には痛く老僕を虐げたる我が非を悔いたり。
四七
星子の死したる病室を心の中にて見返りながら羅馬内家の玄關を立出()れば芝草の上に目に留る一物()あり、是なん豫て星子が余の愛犬イビスに投與へ其の咬()え歸るを樂みとしたる護謨製()の球()なれば、余は之を星子の遺物()と思ひて拾ひ上げ、衣嚢()に納めて茲を去れり。
夫より宿に歸る道にて電信局に立寄り、那稻より頼まれし通りに羅馬なる花里魏堂へ星子死去の訃音()を送れり、魏堂受取りて如何に思ふや、星子を己れと那稻の間に横()はる唯だ一つの邪魔と見做せる程なれば、曾て余の死せしを歡()たる如くに定めし喜ぶ事なる可し。
頓て余は宿に着きしが、先づ從者瓶藏に向ひ今明兩日()は假令()ひ何人が尋ね來()るとも面會を謝絶せよと言附け置き、一室に閉籠りて波漂の本性に立歸り、打寛()ぎて考へ廻すに、娘星子を敢えなくも死なせし事、如何に思ふとも斷念樣()なし、星子は羅馬内家の唯だ一人の血筋にして余が死するも猶ほ先祖の後裔を永くする者、實に星子のみなりしに彼れ死しては羅馬内家は余と共に絶果()るなり、尤も余が既に僞()りある女を迎へし爲め羅馬内家は汚れたる者にして、余一人の過ちは充分先祖より咎めを受くる次第なれど、切()て星子だに生存()らふれば再興の望み有り、此後幾年の末までも子孫連綿と榮え行き再び世に敬はるゝ仁人君子()を此家より生出()す事無からんや星子死しては其望み全く絶え、古()へ十字軍の時代より歴史にも名を留めし伊國の名族羅馬内家は、無爲無力なる波漂を家筋の殿()りとして、十九世紀の後半に滅()る者なり、之を思へば余が恨み愈々深し。
遮莫()れ又思直せば星子は余と那稻の間を繋ぐ天然の鎖なり、彼れの存()する間は余と那稻と切るに切られぬ夫婦にして余が復讐の大決心も幾分か彼れが爲に妨らるゝ事無しとせず、彼れ既に死す、最早や那稻は余が爲めに全くの他人なり仇敵()なり、殊に星子は汚らはしき女の腹に宿りたる者にして、假令成長するとも世間にて母の惡名を覺え居る間は、其身の上に面白からぬ事多く生涯不幸の月日を送るやも知る可からず、惡事を知らず欲心を解せずして少しも罪に汚されざる清淨無垢の生涯を一期()として早く天國に上り行きしは却て其身の幸ひとも云ふ可きか、羅馬内家が絶果()るのは果可()き時が來りし爲なり、歎くとも詮方なし、余は唯だ手足纒ひの星子死したるを幸ひとし益々復讐の歩掻()を早む可きのみ。
漸くに斯思ひ直したれば翌日は星子の葬式を如何にするやと那稻夫人に問ひたるに、彼()夫人は氣分惡()くして自ら其事を取圖()らふ能はずと云ふにぞ、余は結句幸ひと親切めかして自ら其事を引受()しが、死して前後の覺え無き者とは云へ、余が恐しき想()を爲したる彼の墓窖に葬るに忍びず、依()てネーブルの岳()の最も見晴し好き所に土地を買ひて茲に葬り、其上に大理石の十字形の碑()を建て“Una stella surnila”(消えたる星)の數文字を記し、父母の名及び生死()の年月日を切附()させたり。是が余の生涯にて最も悲しき仕事なりき。
此事濟()てよりは、余は屡々夫人の許を訪()ども今迄よりズツと冷淡否寧ろ謹嚴なる體を示し、夫人より呼迎への手紙來()ずば行ず行()とも餘り夫人に親()まず、夫人と對()ひ坐()ながらも絶ず哲學の窮窟なる書類を膝に置き、夫人より話を掛らるゝに非ずば我より口を開く事なく夫人の話終るが否、直()に又書を開き、殆ど夫人の美しき容貌の目に留らぬ如くするに、夫人は余に媚び余の心を擒()にせんとすること益々甚だしく、宛も魏堂の留守中に是非とも余を手の中に圓()め込()んと決心せしに似たり。斯る中にも魏堂よりは幾度も手紙來れり、其うち夫人への分には何事を記しあるや、固()より余の知る所にあらねど余への手紙には相變らず卑賤なる文句多し、既に星子の知せに接したる返事には左の如き一項あり、
「勿論小生に取りては寧ろ厄介を拂ひたる如き者にて却て安心致し候小生と那稻の間は此後とても成る可く波漂の事を忘るゝが幸福にて、星子は毎()に其忘れ度き事を思ひ出させる遺身()たるに外ならず候」と在り又一項には「病中なる小生の伯父は既に冥途()の戸廣く開き歩み入るばかりと相成居候()に猶ほ躊躇して歩み入らず誠に自烈()たき限りに候時々は伯父の身代を捨()るとも一層那稻の傍へ走り返らんかと思ひ候、實に小生は那稻と離れては一寸()の幸福も無く貴下に那稻の監督を托し置()候へども猶ほ何とやら氣掛りにて夜も落々と眠られぬ程に御座候」と有り余は特に此一節を開き、明かなる聲にて那稻に讀みて聞せるに、那稻は聞くに從ひて頬の色紅()と爲り我知らず怒を催したる樣子にて其唇まで震はせつ、「餘()り失禮な書方です」と叫びしが頓て又女の嗜みを思ひ出()せし如く強()て心を落附し振と爲り、
「是で花里さんの推()の強さが分りました、貴方が此手紙をお見せ下さらずば斯までとは思はずに仕舞ふ所でした、實はネ、所天波漂が餘り魏堂を愛し過ましたから彼れは圖に乘り、私()しを自分の妹か何ぞの樣に思ひ、兄が妹を壓附()る樣に私しへ推附がましい振舞が有のです、私()しも所天の親友と思へば成る可く遠慮して堪へて居ましたが、斯成()ては捨置かれません。」
余は苦々しき笑顏を浮べぬ、成る可く遠慮して堪へしとは何の事ぞ、魏堂が我が身體に卷附きて我が首を抱き接吻するをも堪へ居たるか、成るほど非常なる堪へ過なり、左は云へ余に取りては茲が是れ附入所()ろ、將棋なら王手飛車を掛る手にて、
「左樣ですか、併し花里氏は近々()貴女と婚禮をする樣に云つて居ましたよ、」那稻は案外に輕く受け、
「御笑談を。」
「イエ私しは笑談など云ひません」那稻は火()と怒る如く席を立しが更に余の身に近()き空椅子に移座()し、熱心に余の顏を見上げ、
「エ花里さんが私しと婚禮を。餘り非道い、餘りズー/\しいと云ふ者です、エ伯爵、花里さんは本氣の沙汰で其樣な事を言ひましたか。」
余は實に那稻のヅウヅウしさに呆れ、猶ほ其の嘘を誠とする振舞言語の巧なるに驚きながら言葉短かく、
「無論本氣の沙汰でせう。」
那稻は殆ど悔しさの涙聲にて、
「貴方までも夫を本氣と仰有るは餘りお情無いでは有ませんか、第一私しがアノ樣な者を所天にするとお思ひなさるか。」
余は餘りの僞りに氣を呑れて暫しは返事する能はず、女とは是ほど人を欺く妙を得し者なるか、夫とも那稻は既に魏堂と交代()せし深き語らひを忘れたるにや、那稻の心は石版の如く熱く石版の如く冷く、一たび書記()したる愛の文字()も一片の海綿にて跡形も無く拭ひ取るを得るにや、アヽアヽ讀者、余は魏堂を憐()まざらんと欲するも得ず、彼れも亦余が曾て那稻に欺かれしと同樣に欺かれて余と同樣なる絶望の境涯に陷入()んとするか、然り然り彼れ全く余と同じ目に逢()んとす、去れど余は今更何をか驚き復()何をか憐まん、彼れを同じ欺きに掛け同じ目に逢はしむること是れ余が復讐の一部に非ずや、目を剥()らるれば目を剥り返し、齒を拔かるれば齒を拔き返せ、是れ古勇士の奉じたる復讐の大法なればなり。
四八
余が返事に迷ひ一言()も發し得ぬ間に、那稻は猶ほ熱心に其問を繰返し、
「エ伯爵、貴方まで本統に私しが花里氏の樣な俗人を所天にするだらうとお思ひに成ましたか」俗人とは能くも巧に魏堂を評し得し者哉、彼實に俗極まる人物なり、去れば那稻の目によほど俗人に見ゆるならば、何故彼れを余に乘代()て余が目を偸み、深く彼れと言交せしや、僞りにも程こそ有()と余は益々呆れながらも、返事せぬ譯には行かねば、
「ハイ思ひましたよ、實際爾う思ふが當然では有ませんか、花里氏は年も若し容貌と云へば世に稀れな美男子で、殊に羅馬に居る其伯父が死()れば、可なりの財産家にも成ますし、所天としては少しも言分の無い人物かと思ひます、其上貴方の所天波漂が爲には唯一人の親友で有たと云ふ事では有ませんか」と隨分力強き口實を持出すに那稻の僞りの口前は之が爲にビクともせず、却て一層の好き種を得し如くに附入りて、
「サア夫だから猶更()ら私しの所天には出來ないと云ふのです」余は合點の行かぬ如く目を見開き、
「ヱ、夫だからとは。」
「イヤサ所天波漂の親友ですからサ、縱や私しが花里氏を愛したとした所で所天の親友を二度目の[#「二度目の」は底本では「一度目の」]所天に撰ぶのは厭な事です、増()てや私しはアノ人の餘り俗々しい振舞には波漂の在世中から愛想を盡かして居ますもの。」
本統に嘘ばかり、余は何()の口で彼樣な事が空々しく云はるゝにやと殆ど怪みて那稻の口許を眺むるに、那稻は宛も千里の馬が己の蹄の音に勇み益々走り出()す如く、我が口前の巧なるに劇()されしか、愈々僞りを言募()り、
「先ア考へて下されば分りませう、私しが彼れと婚禮して御覽なさい、世間の夏蠅()い人の口は必ず得たり畏()しと色々の説を立て、那稻夫人は所天波漂の生て居る内から既に花里氏と譯が有たなどと、私しを傷けるに極て居ます。」
旨し、旨し、シセロ、デズゼモニの辨舌より猶旨し、去れど是れ何も彼も知悉()す余の心を欺くに足らず、波漂若し惡疫に死せずば毒害してゞも魏堂は御身と添遂んなど云ひし、恐しき言葉を今以て鼓膜の底に蓄ふる余波漂の耳を誣()ふ可からず、増してや此の言譯けは全く我れと我が汚()れを白状するに同じ、日頃より心に斯る心配を抱()き魏堂と婚禮する曉()に、若()や世間の人より斯く見拔かれはせぬかと疵持つ脚の弱味にて常々心配せるが爲め、折に觸れては其心配を洩すなり、少しも汚れの無き人は斯くまで細かに氣の附く者に非ず、縱や又氣が附くとも自分の心確なる故、世間の評()などを恐れず、譏()らば譏れ我が身の譏らるゝ種なき故我は間違ひたる譏りを恐れずと、一種冐し難い尊嚴の有る可きに左は無くして我より先づ人の噂を取越して恐るゝとは、アヽ誰か云ふ天に口なし、人をして言()しむと、又云ふ、問ふに落ずして語るに落ると、那稻實に其の適例なり。
爾は云へ余も今は笹田折葉と云ふ名前からして既に僞りを以て固めたる人物なり、僞りを以て僞りに報()ゆ、欺()れてのみ居()る可きに非ず、我よりも欺さねばと思ふにぞ、グツと那稻に肩を入()るゝ振を示し、
「イエ夫人、不肖折葉の生て居る間()は決して貴女を譏らせません、ハイ指一つ指()せません」と云()り、那稻が嬉く且有難げに笑()て而して頷くを見濟まし更に「シタが貴女が花里魏堂を厭ふと仰有るのは夫は本統の事ですか。」
「本統ですとも、アノ人は口にも心にも少しも紳士らしい所が無く、其上に酒でも呑ば、丸で無頼漢()の樣ですもの、時によると此家へ寄附るのも厭だと思ひます、ハイアノヅー/\しさでは何の樣な事を仕出かすかと恐しくなる時も有ります。」
是だけは或は本音なるかも知ず、此頃の魏堂の振舞或は那稻の目に餘る所も有らん、余が恣()まゝに酒を勸め泥の如く醉()しみたる折などは如何にも無頼漢の本性を現はし、他人の前には突出難きほど泥醉して那稻の許に來りたる事も多し、余は心に斯く思へど顏には示さず最()靜に最()眞面目に那稻の顏を眺むるに、那稻は寧ろ心配氣に少し其顏を青くし、且は先刻より慰()半分に膝に載せ居し其編物を持つ手先さへ幾分か震へるに似たり、余は少し色を柔()げ、
「本統に貴女が魏堂を嫌ひ成るとならば、ヤレ/\魏堂は先ア何れ程失望する事でせう、可哀相に、ですが又一方から考へると私しは爾聞て誠に嬉しいと思ひます」嬉しいとは何が嬉しい、余は心ありげの意を込て云ふに、此意を汲取り得ぬ那稻に非ず、熱心に首()を延べ、[#「首を延べ、」は底本では「首を延べ」」]
「エ、貴方は嬉しいと仰有いますか、オホヽ御笑談ばかり。」
「イヤ嬉しい筈でせう、魏堂が嫌()はるれば、今まで魏堂に遠慮して控て居た外の人も遠慮なく貴女の前へ出、心の丈を打明る事も出來ると云ふ樣な勘定ですもの。」
那稻は一度()は嬉げに飛立ちしが、又直()に絶望の色を示し、
「爾ならば私しも仕合せですが、了ませんよ、ハイ了ませんよ、其の私しの前へ出ようと云ふ外の人には魏堂が出る事の出來ぬ樣に、私しの番人を頼で有ますもの。」
アヽ話は益々危き境に推寄せんとす、余は我ながら進歩の餘り早かりしに驚きて暫し無言の儘控ふるに、那稻は輕く歎息して、
「私しは花里さんの歸る前に此土地を立去うかと思ひますの、ハイ色々と考へて見ますに、最う立去る外は有ません。」
「とは又何う云ふ譯で。」
那稻は兩の頬を紅の如くし、
「だつて彼れが歸れば何れほど私しを窘()めるかも知れませんもの、貴方にさへ私しを妻にする抔()と云ふ程ですから、二度と彼に逢ぬ樣、此土地を立去るが近道です」余は「何の彼れ輩()が」と云はぬばかりに兩の肩を聳()かすを那稻は見て取り「最も貴方が保護して下されますゆゑ、安心は安心ですが、夫かとて毎()までも貴方の保護を受ると云ふ譯には行きますまいし」と云ひ來り、余は茲ぞ余が待に待たる機會なり、逃すべからずと臍を固め一歩()椅子を迫寄()せて、
「エ夫人、何故何時までも私しの保護を受る譯に行きません、貴女のお心一つで何うともなる事柄ですのに。」
那稻も茲に至りては氣が氣にあらぬ如く椅子より半ば立んとして又腰を卸し、膝なる編物の我知らず落るに任せて、
「エ私しの心一つとは。」
問返す聲も震ひ、且其樣の心配氣にして腫物に障るより猶忍々()と用心を示す振舞ひ、僞()ならば非常の上手、誠ならば非常の熱心、僞()か誠かの判斷は唯讀む人の隨意に任せん、余は心を石よりも堅くし先づ落たる其編物を取りて恭々()しく夫人の膝に返し握らせ、其間も絶えず夫人の顏を見上げながら充分落着きたる聲音にて、
「ハイ貴方の心一つで何時までも私しの保護を受られます、生涯一緒にも居られます、左樣! 私しの妻になりさへすれば」アヽ今までの憂苦勞()も此の短き唯一句を發す可き機會を熟せしめんのみの爲なりし、思へば那稻の返事氣遣はしく、末の末まで考へて今さら物に驚かぬ余が心にも動悸の波高く打つを覺ゆ。
四九
「余が妻になりさへすれば」と初めて封切る大事の言葉、那稻の返事氣遣はしと思ふ間も無く那稻は其身が復讐の大仕掛に卷込るゝ緒口()と知らぬ悲しさ、只嬉げに飛立て「オヽ伯爵」と云ひ猶何事をか續けんとするにぞ、余は先づ其言葉を推靜める如くに片手を差延べ、暫し那稻を默らせ置きて、
「イヤ夫人、御覽の通り私しは年も年、若い頃からの艱難辛苦に容貌も頽()て居るし、健康とても人並より衰へた身體です、貴女の所天に釣合はぬと云ふ事は能く知て居ますが、唯幸ひには地位も有り信用も有り、貴女が他人から窘()られるのを防ぐには適當の護衞兵かと思ひます、夫に又身代とても老い先短い私しが一人で何れほど使ても到底遣ひ盡されぬほど有ますから、何うか共々に樂く費す相手が欲いと豫て思て居たのです」と云ひ、更に夫人の顏を確()と眺めて「殊に貴女の樣に一點の申分ない稀な美人を此儘置くも惜いもの、女皇に劣らぬ榮耀榮華を盡しても貴女の美しさには猶ほ不足だと思ひますから、何うか美しさ相應の御身分に仕て上度()いのが豫て私しの願ひです、夫も貴女が私しをお嫌ひ成れば夫までゞすが、生涯共々に暮されるとお思ひ成らば何うか腹臟なき御返事を願ひます、私しは最う若い男の樣に熱心に掻口説()く事も出來ず、血液も冷たく、脈も遲く打つ老人ですが、其代り血氣に早る人と違ひ篤と物事考へた上で云ふのですから、口に云ふ丈の事は必ず仕遂てお目に掛けます」と最()不調法なる言廻し榮耀の外に高尚なる望み無き心賤き那稻に取りては、身代なき若紳士の最巧()なる言廻しより猶ほ効目ある可しと思ふにぞ、余は落着きて結果如何にと見てあるに、余が言葉の初まりし時より其顏幾度か赤くなり、青くなり變る度毎に又一種の美しさを現し居たるが、聞き終りて暫しがほど無言に沈み、深く考へ込む樣なりしも、忽ち「大願成就」と云ふ如き喜びの笑の爲め、其唇動き初めぬ。
頓て那稻は靜に膝の上なる編物を取りて傍()に置き來りてヒタと余に寄添ひたり、アヽ那稻が斯く余と密接して座せしは實に一昔の夢にぞある否一昔と云ふ程の月日は經たねど、余が爲には一生を隔てしとも云ふ可く、唯だ恍()として夢の心地、頬に慣たる那稻の息は昔の温かさを想ひ出()し、媚を含て見上()る眼は今も猶ほ深く余が心に徹す、余とても是れ木石に非ず、實に多恨多涙の人豈()に懷舊の情無からんや。
余は眞に腸()の底よりして我が神經の紊來()る心地したれど、猶ほ何氣なく控ふるに那稻は愛情の溢るるかと思はるゝ優しき聲にて、
「では私()しと婚禮はすれど、眞實私()しを愛するのでは無いと仰有るのですネ」と云ひ且恨み且訴ふる如くに余を見上げ、其白き手を力無く余が肩に掛け、聞ゆる如く又聞えぬ如くに、低き歎息を漏したり。余は坐()ろに斷腸の想ひあり、オヽ那稻かと云ひて其身を抱き締め昔しの愛を温め度き程にまで我知らず推寄せたれども、余が心の何()れかに忽ち余を嘲る聲あり、愚か/\汝波漂一度び復讐の念を起し名を捨て身を捨て其情其欲を捨ながら、未だ目的の半ばに達せず再び那稻の毒舌に罹らんとするか、ト殆ど叱る如くに聞えたり、是れ余が良心の聲なる可し、余は那稻が少し怪む程に身震ひしたるも、必死の想ひにて我が本心を呼返し、今までの決心に立廻りて、先づ柔かに那稻を抱()き、少し余が身より取離すに、那稻は猶も細語き聲にて、
「イヽエ、分つて居ます、貴方は私しをお愛し成()らぬのですよ、ハイ、佶()と爾ですよ、ですがネ、私しは」と言掛けて口籠り又一際聲を低くし「あの私しは――眞に貴方を愛して居ます」と虫の音よりも細く云ひ、赤らむ顏を余の胸に推隱したり。
五〇
余を愛すと云ひて顏を隱す、眞に余を愛するか、余は其言葉の僞りなるを知れども、何氣なく那稻の手を取り誠と思ひて嬉しがる樣を示し、同じく小聲にて、
「ヱ、私しをお愛し成さると、イエ/\誠とは思はれません、其樣な事は有ません。」
那稻は少しく顏を上げしも猶ほ余の顏を見上る程には至らず、充分に羞らふ體を留て、
「本統ですよ、初てお目に掛つた時、永く此方()とお附合ひ申せば必ず愛する事と成るだらうと何だか其樣な氣が致しました、私しは所天波漂をさへ愛せずに仕舞ひました、ハイ夫婦と云ふ名前は有ても私しの方に眞の愛情は有ませんでした、貴方は何處やら波漂に似た所が有ますけれど、お心の確な事から總ての成され方が波漂に立優()り、二人とは世の中に無い方だと思ひます、斯く申しても誠と爲さるか爲さらぬかは知ませんが私しの心だけは誠です、私しが本統に男を愛するは唯だ貴方が初めてゞす。」[#底本では「」」欠字]
貴方が初めてとの一言()は確に那稻が魏堂に對()ひて、吐きたる語なり、初てと云ふ事が二度も三度も有り得可きか、能くも心が咎めずして斯る言葉が幾度()も吐かれる事よト余は胸惡く感じながらも、
「では、愈()よ私しと夫婦に成らうと仰有るか。」
「ハイ夫婦になります、爾して伯爵」と言掛けしが既に夫婦の約束をせし上は伯爵などの尊稱は呼ばずして其の名を呼ぶが情の親()きを示す者なれば「イヤ折葉、貴方の名前は折葉でしたネ」と恐る/\問掛る、余は機械的の味なき聲にて、
「ハイ折葉です。」
「私しは折葉と云ひますから貴方も私しを那稻と呼捨にして下さい」早や幾分か言葉の調子まで慣々しくするは怪むに足らずとは云へ、余は異樣なる想ひを爲したり。
「では折葉、今は私しを愛せずとも今に貴方の心の中へ充分の愛情が出來、充分私しを愛する樣に、ドレ私しは仕て上ます」と云ひ其優()かなる身體にて早くも余が身體に縋る如く巣作()りて恐しきほど愛らしき其顏を滿面余に眺めさせつゝ、
「接吻なさい、サ、接吻して下さい」と云ひ唇を上げて待つ樣、曾て此女が魏堂に對ひて斯くせしに異ならず、余は殆ど腦髓に旋風()の吹起りしとも疑はるゝほど目眩()ひ眼暈()みながらも逃るゝに逃れぬ場合、俯向()き掛りて我が唇を接したるも、其辛サ其厭さは毒蛇の口を嘗るより猶一入の想ひなり、殊に此の惡女め斯までの僞りを以て余を弄し、余に斯までの辛き想()を爲さしむるかと思へば今は腹立しさに堪へず、其身を抱上げ又も元の椅子に推返しつ、怒りを包む鋭き聲にて、
「眞實私しを愛すると仰有るか。」
「ハイ眞實で無くて此樣な事が云はれませうか、又出來ませうか。」
「夫で男を眞に愛するのは私しが初てゞすか。」
「ハイ初てゞす。」
「魏堂を愛した事は有ませんか。」
「決して、決して。」
「彼れ曾て私しが今した樣に貴方は接吻した事は有りませんか。」
「唯だの一度でも有ません。」
隨()ツて問へば隨ツて答ふ、其言葉の爽かなるは、僞りとも思はれぬのみかは誠としても通例の婦人には斯()ほどまでには行き難からん、余は宛も田舍漢()が彼の幾色の金巾()を口の内より噴出()す手品師に驚きて其口許を眺むる如く、暫しは唯だ那稻の口附を見るのみなりしが、漸くにして我れに復り、先づ那稻の細き手を取り、余が昔波漂たりし頃、其指に環()め遣りたる比翼の指環を徐ろ/\と脱外()し、其の後へ豫て余が斯る時の用意にもと作らせて持居たる貴重なる夜光珠()の指環を環めて返すに、那稻は千金の賜物より猶ほ嬉しげに飛立ちつ、
「オヽ何うも綺麗な事、貴方は本統に勿體ないほど私しを好くして下されます」と云ひ横手より斜に顏を出()して余を接吻し、其儘柔かく余に靠()れ掛りつ、他愛も無く手を上げて指環の光を透()し見るのみなりしが、頓て何やらん少し心配氣なる樣子にて「此婚禮の約束は何時披露成されます。」と問ひ是だけにては猶ほ意を盡さぬと云ふ如く更に又「直()に花里魏堂氏へ――知せて遣り――は成されますまいネ。」
心配の在る所は充分に明かなれば、余は故()と安心させる爲め、
「ハイ、知せて遣ると、彼れ驚いて直にも歸るかも知れませんから、先づ彼れが歸る迄は知さずに置きませう。」
那稻は充分に滿足し唯だ餘りの歡()ばしさに恍惚として何も彼も忘れし如く、幾時の間は余と顏を見合せて頬笑むのみなり、若しも那稻にして余が實は曩()に己れが欺きたる眞の所天波漂なる事を知らば、斯く頬笑む事も無かる可きに、アヽ斯く接吻する事も無かる可きに、神ならぬ身の露知らずとは實に那稻の今の身の上を云()なる可し。斯る事幾時刻に及びし末那稻はやをら身を起し、其眼に量り難き媚を浮めて余を見上げ、
「ですがネ、私しは唯一つお願ひが有ますよ、イエお願ひと云ふのも變ですが本統に詰ら無い事柄ですよ、」
余は眞面目に。
「イヤ其樣に云はずとも、貴方の思ふ事ならば何なりと、ハイ最うお互ひに少しの遠慮も有ませんから」と勵ますに那稻は又笑み、
「實はネ、少しの間其の黒目鏡を外してお見せ成さい、貴方のお目を眼鏡なしに見せて戴き度いのです」余は無理も無き此願ひに驚きて思はず、椅子より立上れり。
五一
黒眼鏡を取外して余が眼を見せよとは、余が妻たらんとする者に取り尤も千萬の願なれども余に取りては大難題なり、余は最後の時の來るまで、此眼を隱し置かねばならず。爾れば余は、驚ろきながらも最と冷淡に構へて、
「イヤ是ばかりは許して貰はねば成ません、眼鏡を外せば光線の爲め非常な痛みを感ずるのみかは、終には療治も屆かぬ程の盲目()になるぞと豫て醫者からも誡められて居る次第ですから、併し其中に又見せて上る時が來ませう。」
「時とは何時の事ですか。」
「ハイ愈々婚禮の式が濟めば其晩に見せて上げます」那稻は少し自烈()たげに、
「オヤオヤ待遠()い事ですネエ。」
「ハイ待遠いは私しも同樣です、成る可く早く婚禮を濟す事に今から其日取を極て置きませうか、左樣サ今が十二月ですから來()る新年の二月と仕やうでは有ませんか。」
那稻は殆ど力なく、
「だツて所天に分れて未だ間も無く、夫に星子の無()なツたのもホンの先日ですもの。」
「イヤサ夫人、二月になれば波漂殿の不幸から早や半年以上を經ます、貴女の樣な若い方が半年も獨()で暮せば充分に義理が立()ます、夫に星子の亡なツたのは猶更ら貴方の淋しさを増す道理、夫が爲に婚禮を急()だと云へば誰も無理とは云ません、縱し又彼れ是れ云ふ者が有たにしろ夫等の口を塞ぐ工夫は幾等も私しの胸に在ます」とて宛も()る者と決鬪して御身の爲めに其者を殺す可しと云ふ程の意を示すに、那稻は余を斯までも心醉せしめ得しかと自ら滿足する如く笑を浮めて、
「では其通りに致しませう夫に又、今まで女嫌ひだと評判を取て居た貴方が熱心に私しを戀慕ふ人と爲り、爾まで力を入て下されば私しも其名譽に對し萬事貴方の云ふ儘に從ひませう。」
「ですが夫人、私しは世間で云ふ戀人の樣な熱心に戀慕ふ戀人では有ませんよ、尤も早く婚禮をしたい事は仕度いのですが。」
「何故、爾早く婚禮が仕度いのです。」
「何故と云て解明す事は出來ません、唯何と無く貴女を我が物に仕度いのです、他人が二人の間へ立入らぬ樣貴女を眞に私し一人()の物、私しの自分の身も同樣に――」
那稻は又笑み、
「ソレ其樣に思ふのが愛情と云ふ者です、貴方は知らず/\私しを愛して居るのです、尤も貴方の御身分では私し風情を愛するとは御自分の心にも承知する事が出來ぬかも知ませんが、全く私しをお愛し成さればこそ其樣な氣がするのです。」
余は暫しが程無言の末「左樣サ、或は爾かも知れません、何分此樣な事には經驗が有ませんから自分の心が愛情か愛情で無いか其區別も附ませんが、兔も角貴女が他人の物に若し成()うかと思ふと何だか腹の立つ樣な氣がして。」
「夫が嫉妬の始まりです、嫉妬の無いのは誠の愛で無いと申します。」
「片時も貴方の傍()を離れては安心が出來ません」と云ながらも、僞りを以て固めたる不義の妻に斯る優しき語を吐くかと思へば殆ど腹立しさに堪へず、拳を確()と握り締るに那稻は夫とも心附()ず、猶ほ嬉しげなる顏の色にて、
「貴方が爾まで思ふて下されば、婚禮して後々も益々私しの身の仕合せだらうと思ひます。」
斯く云ふ心の裏面()を探れば余の心甚だ欺き易しと見、婚禮して後までも余の目を掠めて他の男を愛する事隨意なりと思ひて自ら喜べる者なる可し、年老いたる男を所天として喜ぶ女は孰れも其欺き易きを喜べるなりとは或る通人の金言ならずや。幾時を經て余は分れを告げん爲め椅子を離れ、
「イヤ彼是()と云ふ内に夜も更けます、私しは實の所ろ病人も同樣で夜更()しが出來ませぬ故、今夜は是でお暇()に致します。」
那稻も同じく椅子を離れ、分れ惜げに余を見上げて、
「だツて夫ほどの病人ではお有なさるまい、尤も私しの手で介抱すれば追々に直りますよ、ハイ眞實の愛情を以て他人に眞似の出來ぬほど介抱し、夫で健康に復ツたと云はるれば私しも肩身の廣い想ひが致します。」
「夫も爾でせうが、此樣な老人、イヤ病人を所天に撰び今に後悔なさるかも知ませんよ」那稻は斷乎()と決して、
「後悔致しません、後悔などとは愛せぬ人の云ふ事です、眞に愛すれば其人の病氣には自分も共に病氣になるのを願ふ程だと申()ますもの。ですが、貴方の身體附では爾弱い樣にも見えません。」
「イヤ元から可弱い骨骼では無いのですが」と云ひながら余は我身を引延して立つに如何にせしか那稻は痛く驚き且つ恐るゝ者の如く「アレー」と一聲高く叫び殆ど蹌踉きて背後()の方に仆()れんとするにぞ、氣絶でもせぬかと思ひ余は遽()しく手を延べて抱留めつ、
「夫人、夫人、何うか仕ましたか、氣分でも惡いのですか」と迫問()ふに那稻は苦き息を吐()き、暫し虚呂虚呂()と四邊()を見るのみなりしが、
「アヽ本統に恟()りしました。」
「何を其樣に。」
「イエ何でも好う御座います、貴方は若し、若し波漂の何かでは有ませんか」と云來り自ら思ひ直せし如く又吐息して「[#「底本では「」欠字]餘()り能く波漂に、ハイ貴方の立上る姿が似て居ましたから、アヽ私しは最う、波漂の幽靈が出たのだと此樣に思ひ、イヤ風()と其樣な氣がして本統に恟り致しました」と云ふ聲も落着かず、前額()には玉の如き汗を帶ぶ。
五二
余を波漂の幽靈と思ひしも理()りや、余は實に波漂の幽靈なり、墓の中より出來()りて那稻に仇()する者なれば、彼れ既に余が姿に魘()はれし者なる可し、去れど余が眞に彼れを魘()ふは猶ほ是より後の事なり、今は成る可く彼れの恐れを推鎭め安心させて置かねばならず、去れば余は柔かなる聲にて「イヱ、夫人私しは波漂の何でも有ません、似て居るのは偶然でせう」と云ひながら傍らの卓子に在る瓶()を取り、其中の水を硝盃()に移して與ふるに那稻は心地好げに呑乾()せしも猶ほ暫しがほど無言なり。
此夜は宵の程よりして天氣稍()や變り居たるが此頃に及びて殆ど嵐に爲り庭の樹々など恨()を帶びて叫ぶに似、最と物凄く聞え初()しかば、罪深き那稻の神經は之にすら驚さるゝ如く、彼れ恐しさに堪へぬ聲にて「其窓を閉めて下さい、其窓を」と云ふ余は從ひて窓を鎖()すに、此時降出()せし雨の足は斜()に余の顏を拂ふ、余は半拭()にて拭ひながら座に歸り、樣々那稻を慰むるに、那稻は穩かならぬ胸を撫でつゝ「アア漸()と是で落着きました、自分でも餘()り馬鹿げてお話も出來ませんが、本統に貴方を波漂かと思ひました、アヽ恐しいと思ひました」余は片頬に笑を浮め「私しを恐れるとは、アハヽ爾仰有ツては許婚()の所天には難有()い世辭では有ません」と云ひ、那稻が同じく笑ひながらも猶()も氣味惡き樣子の有るを見、余は更に眞面()と爲り「併し、貴方が若し思ひ直して私しとの約束を後悔なされば今の中にお取り消し成さるのは御隨意です、貴女を保護する積りの者が却て貴女を恐れさせては私しの本意に背きますから、私しは我身の不運と斷念()め、唯だ今まで通りに貴女の親友で暮す丈です」那稻は此眞面なる言葉に少し驚き、驚くに從ひて其正氣も大()に復りし如く、椅子より半ば起直りて「何ですネエ貴方は斯樣な事を氣にお留成ツてサ、私しの恐れたのは貴方を恐れたのでは有りません、唯だ女の愚()な心から詰らぬ思ひ違ひを仕たのです、斯う約束を定めた上で假令ひ何の樣な事が有()うと此幸福を取消されます者か」と云ひ侘()る如くに余の手を取り、大切()の寶物()でも取扱かふ如くに、兩手を添へて自分の胸に推隱しぬ。余も安心の色を見せ「アヽ爾云つて下されば是に安心して今夜はお暇いたしませう、貴女は餘程神經が疲れて居ますから、早くお寢間()へ退()いて明朝まで緩()くりとお息()み成さるが好いでせう」那稻は余を見詰めて、
「オヤ天氣の惡いのにお歸り成さるの」余は勿論今までとても此家に泊りし事なし、
「ハイ夫婦の約束が出來た上は婚禮する迄世間體が大事です、宿へ歸て貴女の夢でも見ながらに眠りませう」那稻は早や慣々しく、
「オヤ憎らしいほど口先がお上手な事、是からは他所()で其樣な事を仰有ると諾()ませんよ」と云ひて握れる余の手を堅く締め別れの接吻を移すにぞ、余は腹の中にて此女貴婦人の名あるに似ず、賣色女()にも劣らざる手の有る事よと一入愛想を盡しながらも同じく別れの接吻()を復し「イザ」と其所()を立去りたり。
巳()にして門の外に出()れば夜色()、墨よりも暗くして風は帽子を飛す程に吹き、雨は頬を叩きて痛きを覺ゆ、日頃なら唯の一歩も進み得ぬ所なるに、余は今まで幾時間か、矯()めに矯め、抑へに抑へ居たる我が神經の反動にて風も雨も苦には思はず、却て胸に蟠()る我が怒りを誘ひ出して發散させる良藥の如くに想ひ、見る人も聞く人も無き心易さに、余は風と共に大聲()を發し、或は泣き或は罵り、手を揚げ足を振廻して全くの狂人()の如く狂ひ廻りて歩み去れり。思ふに此時若し此雨風に逢はず、斯くの如き氣儘勝手なる振舞を爲す事無かりせば余の不平は殆ど洩すに由なく、余は眞に發狂するか左なくとも氣盡き魂()絶え、此復讐の大狂言を演じ終るに堪得ざる事と爲りしならん、漸くにして我宿の門前まで來りし頃は唯だグツたりと疲れ果て、殆ど足を引く力も無けれど、其代り我が腸()を引繰返()し、僞りの分子を悉く洗ひ捨たる心地して快()き事云ふ可からず。頓て戸を開きて内に入()れば出迎()ふる從者瓶藏、余が姿の雨に打たれ風に揉()れて狂人()も唯ならぬを見て痛く驚き怪むにぞ、余は叱る如く目配せして廊下を傳ひ、將()に我が室に入()らんとする時、十圓の金貨を取出し與ふるに、彼れ益々怪みて「何かお買物でも成さるのですか。」
「イヤ其方()の無言を買ふのだ。」
唯だ是だけの返事にて余は正直なる彼れ瓶藏が能く余の意を合點し、決して余は怪き樣にて歸りしを他言せぬと知れば安心して室に入()り、内より堅く戸を鎖()して先づ着物を改め、次に鏡に向ひて黒き眼鏡を外し我が顏を眺むるに、艱難辛苦に身を窶()す人に似ず昔の波漂と同樣に肥太()り、唯だ髮と髯の白くなりたる違ひこそあれ、目鼻だちより顏の色まで充分に若やぎて全く昔しの波漂なり、此向()なら愈々眼鏡を外す可き時に外さば余を知る者必ず白髮鬼の波漂なるを知らん、余の復讐も思ふ通りに行はるゝ事必定なれば余は滿足の笑を浮めて寢()に就きたり。
五三
是よりは又毎日、余必ず一度づつ那稻の許を訪ふに、彼れ益々打解來るが中にも何とやら羞ふが如き體も見え、若しや彼れは眞實に余を愛し初()しにやと疑はるゝ所も有れど否々是れが彼れの手の在る所ろ、彼れが天然に男を欺く妙を得し所ならんと余は思へり。
斯る間にも余は宛も動物學者が自分の飼犬を視察する如き冷淡なる批評眼にて那稻の人と爲()を深く見るに、彼れは全く美しき皮を以て穢()き心を包みたる怪物なり、彼れが慾心には殆ど底がなきかと疑はれ、他人より贈り來()る者ならば高値なる金銀珠玉の類は勿論、詰らぬ草花の類までも、啻()に遠慮せぬのみかは眞實に嬉()びて受納め、決して我物と定めたる品物だけに滿足して控ゆる能はず、他()れが一人の男を守る能はずして、通ず可からざる人にまで通ずるも矢張り此の慾心の一種ならんか、余は深く見るに從ひ心の底まで見え透く如き氣のせられ一日々々()に愈々愛想を盡すのみ、果()は假令ひ一度()たりとも何うして斯る女を愛したるやと我ながら我心が合點行かず自ら怪む程と爲りぬ。爾は云へ唯だ其の外面の美しさは實に又非常にして誰としも一目見てゾツと魂の有頂天外に飛去らぬは莫()く、斯まで愛想を盡したる余でさへ、少し油斷して見る時は、殆ど振附()く程に思ふ場合も無きに非ず、察するに男心と云ふ者は、縱や如何ほど堅固にもせよ、到底女の顏の美しさには勝てず、女に迷()さるゝ樣に作られし者なるか、夫とも那稻が特別に如何なる男をも取挫()ぐほど美しく作られたるにや。十二月も既に末つ方()に推寄()し頃、羅馬なる花里魏堂より左の如き手紙が來れり、其文、
「難有()し、余が伯父は終に死し、其身代は悉く余が者と爲りたり、伯爵よ、余は實に飛で歸り度き程に思へど、其財産を余が名前に切替()るに付き猶ほ幾分の用事あり、夫を濟まして來()る廿七八日には必ず歸る積りなり、尤も那稻へは余の歸る事を知らさずに置かれ度く、余は唯だ不意に歸りて那稻の且驚き且喜ぶ姿を見んとす、勿論那稻よりは幾度も充分の愛情を籠めたる手紙が來り、余を待兼居る樣は大抵は分り居()れど、戀人同士の心中は又格別ゆゑ御察し下さる可し、猶ほ伯爵御身には是まで一方()ならぬ負債あれど此度は身代を得しを幸ひ、歸着次第御拂()ひを申すべく、左すれば余の名譽滿足致し候」云々()とあり。
余は幾度も讀返して腹の中に笑ひたり「那稻より充分の愛情を籠()たる手紙來り」と云ふからは彼れ那稻の心既に巳()に余に移りしを知ざるならん、彼れは今や余と那稻の爲に馬鹿にせらるゝ事、殆ど其昔し余が彼れと那稻に馬鹿にせられしに劣らず、那稻は定めし彼れが急ぎ返るを恐れ、殊更に安心させ油斷させる爲め氣息()めの手紙を送りしなる可し、彼れ又余に對して「一方ならぬ負債あり」と云へど其締高()の如何ほど大()なるやは彼れ自ら知らざるならん、負債も負債、金錢にては到底償ふ事を得ず命を以て償ふも猶ほ足らざる程なるを知らざるか、彼れが自己の名譽も滿足すると云ふ、彼れ此地に歸る上は果して滿足するほどの名譽あるや如何に、思へば彼れも愚なる男なる哉。
爾は云へ彼れの歸り來()る時は余が復讐の大舞臺愈々幕開()と爲る時なれば、余は夫までに多少の用意を濟せ置かねばならずと、其積で一通の返事を認()め直ちに彼れへ向け送り出()せり。其文――
親友よ、到頭伯父の身代御身の物と爲りしは余に於ても喜ばし、歸りの事を那稻に知さず不意に行きて驚かさんとの事、戀人の心は斯()した者かと實以()て羨ましけれど余萬々()承知したり、其代り余も君に願ひあり、來()る廿八日の夜を以て余は君の歸着を祝()する爲め平生交友の紳士のみを招ぎ(一人()も婦人を交えず)小宴を開き度く、君は同日を以て歸る事とし、夫人の許へ行く前に先づ余の許に來り、其宴()に列席せよ、君は一刻も早く夫人に逢度き事ならんが、()を一二時間引延()すは益々思ひを切()にする道理なれば、逢見()るの歡びも却て一入加()らん、君が歸着の時間を報電せば余は停車場()まで迎ひの馬車を出()し置き、直ちに君を擒にして宴會の席まで連來()る可し、是だけの余の請()を承諾せぬ如き君では無からんと信ず、兔に角も一報を待つ。
此返事を送り出()し、余は殆ど勇士が戰場に臨む如く、最早や一刻も油斷す可きに非ずと思へば第一に那稻に打合せ置く事も有り、是より又も羅馬内家を指し出で行きたり、那稻との打合せは畢竟如何()の事ぞ。
五四
余は那稻を訪ふ度に素手にて行きたる事無ければ、此日も柳の枝にて組做()したる太き提籠()に美しき白菫茱()の花を溢るゝ程に盛り、之を土産に提()さへて馬車に乘りたり。思ひ出()せば、先年余が娘星子の生れたるも色こそ違へ恰度()紫色の菫茱花咲く頃にして、其時魏堂が星子を見、余に言聞けたる異樣の言葉、何の心とも分らざりしが今より見れば最()も最も明白にて、彼れ偏()に余を愚弄せしなり、斯く云ふも猶ほ悟らざるかと愚弄半分に余を試せしなり。今は其愚弄を彼れに返し、余の耻辱()を雪()ぐ可き時來れりと思へば心自()から勇み立ち、馬車の何時羅馬内家に着きたるを知らぬ程なりき。
頓て取次の下女に從ひ那稻の室に通れば、那稻は例の通り嬉びて余の土産物を下女の手より受取りつ之を卓子()の中央に飾りし上にて、直ちに其下女を退け、余に向ひて腰を卸したれば、余は挨拶も述()ずして先づ用事の言葉に掛り、
「花里魏堂氏から手紙が來ましたよ」と云ふに那稻は、クリと驚きながらも何氣なき體を粧()ひて、後の言葉の出()るを待つにぞ「花里氏は明日()か明後日()歸ると云ひます、歸れば定めし貴女が歡ぶだらうと思ひ、夫が何より樂みだなどと書て有ます」と云ふに那稻は最早や平氣なる能はず、辯解し度き樣子にて唇を動かしたれど言葉容易に出來()らず、余は猶進み「彼れ歸て來て貴女と私しの婚禮約束が出來たと聞けば定めし失望する事でせう、事に由ると立腹して貴女を酷い目に逢せるなどと云ふかも知れますまい」那稻は「ハイ」とも「イエ」とも答ふる能はず「ハイ」と云はゞ今まで魏堂に堅き約束を爲し置きしと白状するに同じく「イヽエ」と云へば彼れが眞實歸り來りて怒りし時化けの皮現れん、余は其のもぢもぢする樣を見て言葉を弛め「イヤサ貴女は魏堂に何の約束も仕た事無く、自分の自由になる身體で私しと夫婦に成ても魏堂に怨まれる筋は有ますまいが、夫にしても魏堂はアノ通りの分らず漢()ですから、當の外れた樣に思ひ貴女に仇()せぬとも限りません。」
那稻は發()と息を吐()ぎ、
「爾です、爾です、彼れ本統に呆れる程自惚()の強い男で、私しを自分の妻にでも成る者の樣に思ツて居る樣子も見えますから。」
「左樣、兔に角貴女は一時魏堂をお避()なすツては如何です。」
「ヱ。」
「イヤサ少しの間魏堂に顏を合さぬ樣、此家を立去て親類の家へ泊掛()けに行くとか、或は温泉場へでも行き保養して、夫から魏堂の怒りの冷()た頃歸ツて來る事にしては、ヱ、實は此事をお勸めに私しは上()りましたが。」
余は實に暫し那稻を魏堂の目に觸れぬ處へ置き度しと思ふが爲め、其打合せに來りしなり。那稻は暫し考へ居たるが勿論好む所なれば、
「ハイ貴方が爾云て下さればお言葉に從ひませう、尤も彼れから怒()られる謂()れは有ませんけれど」と猶ほ體裁を繕はんとす、
「ハイ彼れが怒る可き謂れの有無()に拘()りません。」
「ですが彼れ又貴方を捕へて何の樣な事をするか知れません、貴方も私しも一緒に暫し此土地を去らうでは有ませんか」彼れ自分の留守の間()に、余が魏堂の口よりして色々の事を聞取るならんと恐るゝにや。
「ナニ私しは殘ツて彼れを宥めた方が好いでせう、兩個()とも此地に居なければ、彼れ或は何處までも尋ねて來るかも知れません。」
此言開きには那稻實()にもと思ひしに似たれば、余は言葉の序()でにて「貴女は魏堂へ手紙を送ツたと云ひますな」何の氣も無き如くに見せ最()輕々と問出()せど、那稻が爲には最も不意の問題なれば彼れは返事に詰りしも、漸くにして、
「ハイ實は前の所天波漂が餘り彼を愛し過ぎ、遺言の中へも萬事彼れに相談せよなどと書て有ますから、唯だ儀式だけに或る家政上の用事に就き彼れへ手紙を送りました、けれども押の強い彼れの事ゆゑ定めし貴方へは私しが幾度も手紙を寄越した樣に書き、猶ほ戀手紙でも送ツた程に自慢して書て有るだらうと思ひます、爾でせうネ伯爵」アヽ是れ何等の恐ろしき口先なるぞ、余が是と云はぬうち早や然る可く言ひくるめて疑ひの根を斷()んとす、余は窃に呆れながらも話を初()の筋に返し「愈々此土地を立つとすれば何所へ行きます」那稻は余が疑ひの雲巳()に通り過せしと見て安心し、ズツト眞面目なる顏に返り「私しは此家へ來る前まで此土地より十哩()ほど離れた尼寺に居ましたが再び其尼寺へ行て居やうかと思ひます」温泉場と云はずして尼寺と云ふ心に魏堂を恐るゝ事甚だ深きを見る可し。
余は唯だ感心せし色を示し「夫は何より結構なお心掛けです」那稻は圖に乘り「イエ爾でも有ませんが此家に來てから、何彼()に紛れ、神に上()る祈まで疎略()になり信仰を怠る、イヤ怠ると云ふ事も有ませんが何だか神への勤めが足りぬ樣な氣がしますから、貴方と婚禮する前に充分信仰も固め、神の惠みをも祈つて置き度と思ひます、此樣な時で無ければ再び落着て祈る時も有りませんから。」
汝の汚()れたる口より神を祈るは眞に神威を汚()す者なりと余は腹立しさに堪へざれど、切()ては那稻の良心を自ら咎めさせて見んと思ひ「イヤ貴女の樣な清き口より發する祈は神も必ず聽て呉れませう、亡夫波漂の爲にお祈なさい、貴方が彼れへ貞節を盡した事は實に女の鑑だと世間でも噂して居る程ですから、神は必ず貴方の心の清きを充分見拔て居ませう」と云ふに、此言葉には流石の毒婦も最と不安心の樣子にて椅子の儘に逡巡()するかと思はれたり。
「ですが貴女は何時其尼寺へ行く積りです。」
「ハイ今日直()に參ます、魏堂は疑ひ深い男ですから明後日歸ると云て置て出拔()に今日歸るかも知ません、虫が知すか私しは何とやら變な氣が仕ますから、ハイ是から直に其仕度()に掛らせます」今日直に逃行()くとは、心に一方ならぬ弱味があると思ひ遣られて小氣味よし。
五五
那稻が魏堂を恐るゝ樣、充分に明白なれど、今日直に逃行()かんとするは結句余に取りても幸ひなれば、余は其事を賛成し「イヤ夫が却て結構です、併し尼寺へ入()るとても私しが逢に行けば貴女に面會は出來ませうネ、外の男と違ひ許婚の所天ですから。」
「ハイ、何時でも逢()れる樣に私しから其の取締人に言て置きます、尼寺の規則は極嚴重ですけれど、私しは舊()の徒弟と云ふ丈で今は徒弟で無く客分ですから夫位の自由は許して呉れます、其代り時々貴方が逢に來て下さらねば了ませんよ、私しも心配ですから。」
「ハイ折を見て逢に行きます、併し今日()は是れから直に其の仕度に掛らねば成りますまい、私しはお暇に致します。」
斯云ひて余は立上るに、那稻は引留めんとする如くに續()て立ち「イヤ歸しません、接吻の濟むまでは」と云ひ、笑顏を作りて余が方()に寄り來たる、其容子の愛らしさ優しさには余も殆ど魂を奪はれ、我知らず抱き寄せんとする程なりしも、忽ちにして思ひ直せば是れ僞りの笑顏なり、魏堂にも盜ませし笑顏なり、余が生涯を過ちて血統連綿たる羅馬内家を亡さんとする者總て此僞りの笑顏ならぬは莫し、斯思へば彼れを抱くこと火を抱くより猶辛けれど、是も復讐の階梯と思へば虫を殺して那稻が云ふ儘に任せ、愛の爲め前後夢中なる戀人の眞似をして分れ去りたり。
宿に歸れば最早や此上に差迫る用事は無し、愈()よ魏堂奴()の歸り來るまで先づ暇な身體なれど萬事手廻しが肝心なりと思へば、余は一方の戸棚より皮製の異樣なる箱を取出し、從者瓶藏を呼びて開かしむるに、彼は怪げに余の顏を眺むれども、能く其分を守りて一語の無駄言()を發せず、命に應じて推開く箱の中より現れ出()るは、立派に仕立たる一對二挺の短銃()なり。彼れ精密に打眺めて「二挺とも掃除をせねば行くまいと思ひます。」
「早速掃除して置け」彼れ今は不審に得堪ず、恐る/\余を眺めて「旦那樣でも此樣な物をお用ひなさる事が有ますか。」
「有るか無いか默つて見て居れば分る事だ」此の無愛想なる言葉に彼れ忽ち己の身分と職務を思ひ出だせし如く「恐れ入ました」と小聲に云ひ、其短銃を箱の儘に持ちて余の前より退かんとす、余は呼留めて「コレ瓶藏、其方()は近頃珍しい若者で、能く余に仕へて呉れるが近々()の中猶又其方に非常な役目を言附る事が有るかも知れぬ、何の樣な辛い事でも、無言()て勤めて呉れるか」瓶藏は敢()て驚かず寧ろ喜ばしげなる樣子にて「旦那樣、瓶藏は兵役を濟せた男です、魂ひは猶ほ武人です、勤()と云ふ事は能く心得て居ますから。」
「イヤ夫は感心だ。」
「貴方樣のお爲には鐵砲の筒先に立ち的にせられるも厭ひません」斷乎たる返事の中には充分の勇氣も見ゆるにぞ余は眞に感心して手を差延べ、瓶藏の手先を握りて振るに、彼れ全く心服せし如く、俯向()て余が手の甲を接吻し、無言の儘に立去りたり。
アヽ瓶藏は唯一遍の雇人()なるに余が爲に死するを厭()ずと云ふ、彼れのみか老僕の皺薦も、猶ほ飼犬のイビスまでも眞實余が爲に忠義を盡すに尼寺にて嚴重の教育を受たる那稻生涯余と一體なる夫婦の縁を結び、神の机に膝を折て變る事なしと誓ひながら、却て余に一寸の忠義も無く余を欺きて不義の快樂を貪らんとす、其相手たる魏堂も亦余が爲には雇人の如き淺き關係に止()らず、殆ど兄よりも父にも猶深き恩を受け、余の信認()を得ながらに余を欺きて憚らず、思へば思ふに從がひて彼等の罪益々深し、爾は云へ今は愈々復讐の間際まで推寄せたれば何事も云ふに及ばずと余は胸を撫でて控へたるが、是より夜に入()り余が夜食を濟せし頃、瓶藏は一通の書附を持ちて余の室に來たり「只今羅馬内夫人の馬丁()が是を屆けて參りました」と云ふ、開きて讀めば那稻が尼寺に着きて認めたる者にして、
「折葉よ、妾()は只今無事に此寺に着きたり、今朝ほどの御身の振舞眞實に妾などを恐れず、
譏()らば譏れ我が身の譏らるゝ種なき故我は間違ひたる譏りを恐れずと、一種冐し難い尊嚴の有る可きに左は無くして我より先づ人の噂を取越して恐るゝとは、アヽ誰か云ふ天に口なし、人をして
言()しむと、又云ふ、問ふに落ずして語るに落ると、那稻實に其の適例なり。
爾は云へ余も今は笹田折葉と云ふ名前からして既に僞りを以て固めたる人物なり、僞りを以て僞りに
報()ゆ、
欺()れてのみ
居()る可きに非ず、我よりも欺さねばと思ふにぞ、グツと那稻に肩を
入()るゝ振を示し、
「イエ夫人、不肖折葉の生て居る
間()は決して貴女を譏らせません、ハイ指一つ
指()せません」と
云()り、那稻が嬉く且有難げに
笑()て而して頷くを見濟まし更に「シタが貴女が花里魏堂を厭ふと仰有るのは夫は本統の事ですか。」
「本統ですとも、アノ人は口にも心にも少しも紳士らしい所が無く、其上に酒でも呑ば、丸で
無頼漢()の樣ですもの、時によると此家へ寄附るのも厭だと思ひます、ハイアノヅー/\しさでは何の樣な事を仕出かすかと恐しくなる時も有ります。」
是だけは或は本音なるかも知ず、此頃の魏堂の振舞或は那稻の目に餘る所も有らん、余が
恣()まゝに酒を勸め泥の如く
醉()しみたる折などは如何にも無頼漢の本性を現はし、他人の前には突出難きほど泥醉して那稻の許に來りたる事も多し、余は心に斯く思へど顏には示さず
最()靜に
最()眞面目に那稻の顏を眺むるに、那稻は寧ろ心配氣に少し其顏を青くし、且は先刻より
慰()半分に膝に載せ居し其編物を持つ手先さへ幾分か震へるに似たり、余は少し色を
柔()げ、
「本統に貴女が魏堂を嫌ひ成るとならば、ヤレ/\魏堂は先ア何れ程失望する事でせう、可哀相に、ですが又一方から考へると私しは爾聞て誠に嬉しいと思ひます」嬉しいとは何が嬉しい、余は心ありげの意を込て云ふに、此意を汲取り得ぬ那稻に非ず、熱心に
首()を延べ、
[#「首を延べ、」は底本では「首を延べ」」]
「エ、貴方は嬉しいと仰有いますか、オホヽ御笑談ばかり。」
「イヤ嬉しい筈でせう、魏堂が
嫌()はるれば、今まで魏堂に遠慮して控て居た外の人も遠慮なく貴女の前へ出、心の丈を打明る事も出來ると云ふ樣な勘定ですもの。」
那稻は
一度()は嬉げに飛立ちしが、又
直()に絶望の色を示し、
「爾ならば私しも仕合せですが、了ませんよ、ハイ了ませんよ、其の私しの前へ出ようと云ふ外の人には魏堂が出る事の出來ぬ樣に、私しの番人を頼で有ますもの。」
アヽ話は益々危き境に推寄せんとす、余は我ながら進歩の餘り早かりしに驚きて暫し無言の儘控ふるに、那稻は輕く歎息して、
「私しは花里さんの歸る前に此土地を立去うかと思ひますの、ハイ色々と考へて見ますに、最う立去る外は有ません。」
「とは又何う云ふ譯で。」
那稻は兩の頬を紅の如くし、
「だつて彼れが歸れば何れほど私しを
窘()めるかも知れませんもの、貴方にさへ私しを妻にする
抔()と云ふ程ですから、二度と彼に逢ぬ樣、此土地を立去るが近道です」余は「何の彼れ
輩()が」と云はぬばかりに兩の肩を
聳()かすを那稻は見て取り「最も貴方が保護して下されますゆゑ、安心は安心ですが、夫かとて
毎()までも貴方の保護を受ると云ふ譯には行きますまいし」と云ひ來り、余は茲ぞ余が待に待たる機會なり、逃すべからずと臍を固め
一歩()椅子を
迫寄()せて、
「エ夫人、何故何時までも私しの保護を受る譯に行きません、貴女のお心一つで何うともなる事柄ですのに。」
那稻も茲に至りては氣が氣にあらぬ如く椅子より半ば立んとして又腰を卸し、膝なる編物の我知らず落るに任せて、
「エ私しの心一つとは。」
問返す聲も震ひ、且其樣の心配氣にして腫物に障るより猶
忍々()と用心を示す振舞ひ、
僞()ならば非常の上手、誠ならば非常の熱心、
僞()か誠かの判斷は唯讀む人の隨意に任せん、余は心を石よりも堅くし先づ落たる其編物を取りて
恭々()しく夫人の膝に返し握らせ、其間も絶えず夫人の顏を見上げながら充分落着きたる聲音にて、
「ハイ貴方の心一つで何時までも私しの保護を受られます、生涯一緒にも居られます、左樣! 私しの妻になりさへすれば」アヽ今までの
憂苦勞()も此の短き唯一句を發す可き機會を熟せしめんのみの爲なりし、思へば那稻の返事氣遣はしく、末の末まで考へて今さら物に驚かぬ余が心にも動悸の波高く打つを覺ゆ。
四九
「余が妻になりさへすれば」と初めて封切る大事の言葉、那稻の返事氣遣はしと思ふ間も無く那稻は其身が復讐の大仕掛に卷込るゝ
緒口()と知らぬ悲しさ、只嬉げに飛立て「オヽ伯爵」と云ひ猶何事をか續けんとするにぞ、余は先づ其言葉を推靜める如くに片手を差延べ、暫し那稻を默らせ置きて、
「イヤ夫人、御覽の通り私しは年も年、若い頃からの艱難辛苦に容貌も
頽()て居るし、健康とても人並より衰へた身體です、貴女の所天に釣合はぬと云ふ事は能く知て居ますが、唯幸ひには地位も有り信用も有り、貴女が他人から
窘()られるのを防ぐには適當の護衞兵かと思ひます、夫に又身代とても老い先短い私しが一人で何れほど使ても到底遣ひ盡されぬほど有ますから、何うか共々に樂く費す相手が欲いと豫て思て居たのです」と云ひ、更に夫人の顏を
確()と眺めて「殊に貴女の樣に一點の申分ない稀な美人を此儘置くも惜いもの、女皇に劣らぬ榮耀榮華を盡しても貴女の美しさには猶ほ不足だと思ひますから、何うか美しさ相應の御身分に仕て
上度()いのが豫て私しの願ひです、夫も貴女が私しをお嫌ひ成れば夫までゞすが、生涯共々に暮されるとお思ひ成らば何うか腹臟なき御返事を願ひます、私しは最う若い男の樣に熱心に
掻口説()く事も出來ず、血液も冷たく、脈も遲く打つ老人ですが、其代り血氣に早る人と違ひ篤と物事考へた上で云ふのですから、口に云ふ丈の事は必ず仕遂てお目に掛けます」と
最()不調法なる言廻し榮耀の外に高尚なる望み無き心賤き那稻に取りては、身代なき若紳士の
最巧()なる言廻しより猶ほ効目ある可しと思ふにぞ、余は落着きて結果如何にと見てあるに、余が言葉の初まりし時より其顏幾度か赤くなり、青くなり變る度毎に又一種の美しさを現し居たるが、聞き終りて暫しがほど無言に沈み、深く考へ込む樣なりしも、忽ち「大願成就」と云ふ如き喜びの笑の爲め、其唇動き初めぬ。
頓て那稻は靜に膝の上なる編物を取りて
傍()に置き來りてヒタと余に寄添ひたり、アヽ那稻が斯く余と密接して座せしは實に一昔の夢にぞある否一昔と云ふ程の月日は經たねど、余が爲には一生を隔てしとも云ふ可く、唯だ
恍()として夢の心地、頬に慣たる那稻の息は昔の温かさを想ひ
出()し、媚を含て
見上()る眼は今も猶ほ深く余が心に徹す、余とても是れ木石に非ず、實に多恨多涙の人
豈()に懷舊の情無からんや。
余は眞に
腸()の底よりして我が神經の
紊來()る心地したれど、猶ほ何氣なく控ふるに那稻は愛情の溢るるかと思はるゝ優しき聲にて、
「では
私()しと婚禮はすれど、眞實
私()しを愛するのでは無いと仰有るのですネ」と云ひ且恨み且訴ふる如くに余を見上げ、其白き手を力無く余が肩に掛け、聞ゆる如く又聞えぬ如くに、低き歎息を漏したり。余は
坐()ろに斷腸の想ひあり、オヽ那稻かと云ひて其身を抱き締め昔しの愛を温め度き程にまで我知らず推寄せたれども、余が心の
何()れかに忽ち余を嘲る聲あり、愚か/\汝波漂一度び復讐の念を起し名を捨て身を捨て其情其欲を捨ながら、未だ目的の半ばに達せず再び那稻の毒舌に罹らんとするか、ト殆ど叱る如くに聞えたり、是れ余が良心の聲なる可し、余は那稻が少し怪む程に身震ひしたるも、必死の想ひにて我が本心を呼返し、今までの決心に立廻りて、先づ柔かに那稻を
抱()き、少し余が身より取離すに、那稻は猶も細語き聲にて、
「イヽエ、分つて居ます、貴方は私しをお愛し
成()らぬのですよ、ハイ、
佶()と爾ですよ、ですがネ、私しは」と言掛けて口籠り又一際聲を低くし「あの私しは――眞に貴方を愛して居ます」と虫の音よりも細く云ひ、赤らむ顏を余の胸に推隱したり。
五〇
余を愛すと云ひて顏を隱す、眞に余を愛するか、余は其言葉の僞りなるを知れども、何氣なく那稻の手を取り誠と思ひて嬉しがる樣を示し、同じく小聲にて、
「ヱ、私しをお愛し成さると、イエ/\誠とは思はれません、其樣な事は有ません。」
那稻は少しく顏を上げしも猶ほ余の顏を見上る程には至らず、充分に羞らふ體を留て、
「本統ですよ、初てお目に掛つた時、永く
此方()とお附合ひ申せば必ず愛する事と成るだらうと何だか其樣な氣が致しました、私しは所天波漂をさへ愛せずに仕舞ひました、ハイ夫婦と云ふ名前は有ても私しの方に眞の愛情は有ませんでした、貴方は何處やら波漂に似た所が有ますけれど、お心の確な事から總ての成され方が波漂に
立優()り、二人とは世の中に無い方だと思ひます、斯く申しても誠と爲さるか爲さらぬかは知ませんが私しの心だけは誠です、私しが本統に男を愛するは唯だ貴方が初めてゞす。」
[#底本では「」」欠字]
貴方が初めてとの一
言()は確に那稻が魏堂に
對()ひて、吐きたる語なり、初てと云ふ事が二度も三度も有り得可きか、能くも心が咎めずして斯る言葉が
幾度()も吐かれる事よト余は胸惡く感じながらも、
「では、
愈()よ私しと夫婦に成らうと仰有るか。」
「ハイ夫婦になります、爾して伯爵」と言掛けしが既に夫婦の約束をせし上は伯爵などの尊稱は呼ばずして其の名を呼ぶが情の
親()きを示す者なれば「イヤ折葉、貴方の名前は折葉でしたネ」と恐る/\問掛る、余は機械的の味なき聲にて、
「ハイ折葉です。」
「私しは折葉と云ひますから貴方も私しを那稻と呼捨にして下さい」早や幾分か言葉の調子まで慣々しくするは怪むに足らずとは云へ、余は異樣なる想ひを爲したり。
「では折葉、今は私しを愛せずとも今に貴方の心の中へ充分の愛情が出來、充分私しを愛する樣に、ドレ私しは仕て上ます」と云ひ
其優()かなる身體にて早くも余が身體に縋る如く
巣作()りて恐しきほど愛らしき其顏を滿面余に眺めさせつゝ、
「接吻なさい、サ、接吻して下さい」と云ひ唇を上げて待つ樣、曾て此女が魏堂に對ひて斯くせしに異ならず、余は殆ど腦髓に
旋風()の吹起りしとも疑はるゝほど
目眩()ひ
眼暈()みながらも逃るゝに逃れぬ場合、
俯向()き掛りて我が唇を接したるも、其辛サ其厭さは毒蛇の口を嘗るより猶一入の想ひなり、殊に此の惡女め斯までの僞りを以て余を弄し、余に斯までの辛き
想()を爲さしむるかと思へば今は腹立しさに堪へず、其身を抱上げ又も元の椅子に推返しつ、怒りを包む鋭き聲にて、
「眞實私しを愛すると仰有るか。」
「ハイ眞實で無くて此樣な事が云はれませうか、又出來ませうか。」
「夫で男を眞に愛するのは私しが初てゞすか。」
「ハイ初てゞす。」
「魏堂を愛した事は有ませんか。」
「決して、決して。」
「彼れ曾て私しが今した樣に貴方は接吻した事は有りませんか。」
「唯だの一度でも有ません。」
隨()ツて問へば隨ツて答ふ、其言葉の爽かなるは、僞りとも思はれぬのみかは誠としても通例の婦人には
斯()ほどまでには行き難からん、余は宛も
田舍漢()が彼の幾色の
金巾()を口の内より
噴出()す手品師に驚きて其口許を眺むる如く、暫しは唯だ那稻の口附を見るのみなりしが、漸くにして我れに復り、先づ那稻の細き手を取り、余が昔波漂たりし頃、其指に
環()め遣りたる比翼の指環を徐ろ/\と
脱外()し、其の後へ豫て余が斯る時の用意にもと作らせて持居たる貴重なる
夜光珠()の指環を環めて返すに、那稻は千金の賜物より猶ほ嬉しげに飛立ちつ、
「オヽ何うも綺麗な事、貴方は本統に勿體ないほど私しを好くして下されます」と云ひ横手より斜に顏を
出()して余を接吻し、其儘柔かく余に
靠()れ掛りつ、他愛も無く手を上げて指環の光を
透()し見るのみなりしが、頓て何やらん少し心配氣なる樣子にて「此婚禮の約束は何時披露成されます。」と問ひ是だけにては猶ほ意を盡さぬと云ふ如く更に又「
直()に花里魏堂氏へ――知せて遣り――は成されますまいネ。」
心配の在る所は充分に明かなれば、余は
故()と安心させる爲め、
「ハイ、知せて遣ると、彼れ驚いて直にも歸るかも知れませんから、先づ彼れが歸る迄は知さずに置きませう。」
那稻は充分に滿足し唯だ餘りの
歡()ばしさに恍惚として何も彼も忘れし如く、幾時の間は余と顏を見合せて頬笑むのみなり、若しも那稻にして余が實は
曩()に己れが欺きたる眞の所天波漂なる事を知らば、斯く頬笑む事も無かる可きに、アヽ斯く接吻する事も無かる可きに、神ならぬ身の露知らずとは實に那稻の今の身の上を
云()なる可し。斯る事幾時刻に及びし末那稻はやをら身を起し、其眼に量り難き媚を浮めて余を見上げ、
「ですがネ、私しは唯一つお願ひが有ますよ、イエお願ひと云ふのも變ですが本統に詰ら無い事柄ですよ、」
余は眞面目に。
「イヤ其樣に云はずとも、貴方の思ふ事ならば何なりと、ハイ最うお互ひに少しの遠慮も有ませんから」と勵ますに那稻は又笑み、
「實はネ、少しの間其の黒目鏡を外してお見せ成さい、貴方のお目を眼鏡なしに見せて戴き度いのです」余は無理も無き此願ひに驚きて思はず、椅子より立上れり。
五一
黒眼鏡を取外して余が眼を見せよとは、余が妻たらんとする者に取り尤も千萬の願なれども余に取りては大難題なり、余は最後の時の來るまで、此眼を隱し置かねばならず。爾れば余は、驚ろきながらも最と冷淡に構へて、
「イヤ是ばかりは許して貰はねば成ません、眼鏡を外せば光線の爲め非常な痛みを感ずるのみかは、終には療治も屆かぬ程の
盲目()になるぞと豫て醫者からも誡められて居る次第ですから、併し其中に又見せて上る時が來ませう。」
「時とは何時の事ですか。」
「ハイ愈々婚禮の式が濟めば其晩に見せて上げます」那稻は少し
自烈()たげに、
「オヤオヤ
待遠()い事ですネエ。」
「ハイ待遠いは私しも同樣です、成る可く早く婚禮を濟す事に今から其日取を極て置きませうか、左樣サ今が十二月ですから
來()る新年の二月と仕やうでは有ませんか。」
那稻は殆ど力なく、
「だツて所天に分れて未だ間も無く、夫に星子の
無()なツたのもホンの先日ですもの。」
「イヤサ夫人、二月になれば波漂殿の不幸から早や半年以上を經ます、貴女の樣な若い方が半年も
獨()で暮せば充分に義理が
立()ます、夫に星子の亡なツたのは猶更ら貴方の淋しさを増す道理、夫が爲に婚禮を
急()だと云へば誰も無理とは云ません、縱し又彼れ是れ云ふ者が有たにしろ夫等の口を塞ぐ工夫は幾等も私しの胸に在ます」とて宛も
()る者と決鬪して御身の爲めに其者を殺す可しと云ふ程の意を示すに、那稻は余を斯までも心醉せしめ得しかと自ら滿足する如く笑を浮めて、
「では其通りに致しませう夫に又、今まで女嫌ひだと評判を取て居た貴方が熱心に私しを戀慕ふ人と爲り、爾まで力を入て下されば私しも其名譽に對し萬事貴方の云ふ儘に從ひませう。」
「ですが夫人、私しは世間で云ふ戀人の樣な熱心に戀慕ふ戀人では有ませんよ、尤も早く婚禮をしたい事は仕度いのですが。」
「何故、爾早く婚禮が仕度いのです。」
「何故と云て解明す事は出來ません、唯何と無く貴女を我が物に仕度いのです、他人が二人の間へ立入らぬ樣貴女を眞に私し一
人()の物、私しの自分の身も同樣に――」
那稻は又笑み、
「ソレ其樣に思ふのが愛情と云ふ者です、貴方は知らず/\私しを愛して居るのです、尤も貴方の御身分では私し風情を愛するとは御自分の心にも承知する事が出來ぬかも知ませんが、全く私しをお愛し成さればこそ其樣な氣がするのです。」
余は暫しが程無言の末「左樣サ、或は爾かも知れません、何分此樣な事には經驗が有ませんから自分の心が愛情か愛情で無いか其區別も附ませんが、兔も角貴女が他人の物に若し
成()うかと思ふと何だか腹の立つ樣な氣がして。」
「夫が嫉妬の始まりです、嫉妬の無いのは誠の愛で無いと申します。」
「片時も貴方の
傍()を離れては安心が出來ません」と云ながらも、僞りを以て固めたる不義の妻に斯る優しき語を吐くかと思へば殆ど腹立しさに堪へず、拳を
確()と握り締るに那稻は夫とも
心附()ず、猶ほ嬉しげなる顏の色にて、
「貴方が爾まで思ふて下されば、婚禮して後々も益々私しの身の仕合せだらうと思ひます。」
斯く云ふ心の
裏面()を探れば余の心甚だ欺き易しと見、婚禮して後までも余の目を掠めて他の男を愛する事隨意なりと思ひて自ら喜べる者なる可し、年老いたる男を所天として喜ぶ女は孰れも其欺き易きを喜べるなりとは或る通人の金言ならずや。幾時を經て余は分れを告げん爲め椅子を離れ、
「イヤ
彼是()と云ふ内に夜も更けます、私しは實の所ろ病人も同樣で
夜更()しが出來ませぬ故、今夜は是でお
暇()に致します。」
那稻も同じく椅子を離れ、分れ惜げに余を見上げて、
「だツて夫ほどの病人ではお有なさるまい、尤も私しの手で介抱すれば追々に直りますよ、ハイ眞實の愛情を以て他人に眞似の出來ぬほど介抱し、夫で健康に復ツたと云はるれば私しも肩身の廣い想ひが致します。」
「夫も爾でせうが、此樣な老人、イヤ病人を所天に撰び今に後悔なさるかも知ませんよ」那稻は
斷乎()と決して、
「後悔致しません、後悔などとは愛せぬ人の云ふ事です、眞に愛すれば其人の病氣には自分も共に病氣になるのを願ふ程だと
申()ますもの。ですが、貴方の身體附では爾弱い樣にも見えません。」
「イヤ元から可弱い骨骼では無いのですが」と云ひながら余は我身を引延して立つに如何にせしか那稻は痛く驚き且つ恐るゝ者の如く「アレー」と一聲高く叫び殆ど蹌踉きて
背後()の方に
仆()れんとするにぞ、氣絶でもせぬかと思ひ余は
遽()しく手を延べて抱留めつ、
「夫人、夫人、何うか仕ましたか、氣分でも惡いのですか」と
迫問()ふに那稻は苦き息を
吐()き、暫し
虚呂虚呂()と
四邊()を見るのみなりしが、
「アヽ本統に
恟()りしました。」
「何を其樣に。」
「イエ何でも好う御座います、貴方は若し、若し波漂の何かでは有ませんか」と云來り自ら思ひ直せし如く又吐息して「
[#「底本では「」欠字]餘()り能く波漂に、ハイ貴方の立上る姿が似て居ましたから、アヽ私しは最う、波漂の幽靈が出たのだと此樣に思ひ、イヤ
風()と其樣な氣がして本統に恟り致しました」と云ふ聲も落着かず、
前額()には玉の如き汗を帶ぶ。
五二
余を波漂の幽靈と思ひしも
理()りや、余は實に波漂の幽靈なり、墓の中より
出來()りて那稻に
仇()する者なれば、彼れ既に余が姿に
魘()はれし者なる可し、去れど余が眞に彼れを
魘()ふは猶ほ是より後の事なり、今は成る可く彼れの恐れを推鎭め安心させて置かねばならず、去れば余は柔かなる聲にて「イヱ、夫人私しは波漂の何でも有ません、似て居るのは偶然でせう」と云ひながら傍らの卓子に在る
瓶()を取り、其中の水を
硝盃()に移して與ふるに那稻は心地好げに
呑乾()せしも猶ほ暫しがほど無言なり。
此夜は宵の程よりして天氣
稍()や變り居たるが此頃に及びて殆ど嵐に爲り庭の樹々など
恨()を帶びて叫ぶに似、最と物凄く聞え
初()しかば、罪深き那稻の神經は之にすら驚さるゝ如く、彼れ恐しさに堪へぬ聲にて「其窓を閉めて下さい、其窓を」と云ふ余は從ひて窓を
鎖()すに、此時
降出()せし雨の足は
斜()に余の顏を拂ふ、余は
半拭()にて拭ひながら座に歸り、樣々那稻を慰むるに、那稻は穩かならぬ胸を撫でつゝ「アア
漸()と是で落着きました、自分でも
餘()り馬鹿げてお話も出來ませんが、本統に貴方を波漂かと思ひました、アヽ恐しいと思ひました」余は片頬に笑を浮め「私しを恐れるとは、アハヽ爾仰有ツては
許婚()の所天には
難有()い世辭では有ません」と云ひ、那稻が同じく笑ひながらも
猶()も氣味惡き樣子の有るを見、余は更に
眞面()と爲り「併し、貴方が若し思ひ直して私しとの約束を後悔なされば今の中にお取り消し成さるのは御隨意です、貴女を保護する積りの者が却て貴女を恐れさせては私しの本意に背きますから、私しは我身の不運と
斷念()め、唯だ今まで通りに貴女の親友で暮す丈です」那稻は此眞面なる言葉に少し驚き、驚くに從ひて其正氣も
大()に復りし如く、椅子より半ば起直りて「何ですネエ貴方は斯樣な事を氣にお留成ツてサ、私しの恐れたのは貴方を恐れたのでは有りません、唯だ女の
愚()な心から詰らぬ思ひ違ひを仕たのです、斯う約束を定めた上で假令ひ何の樣な事が
有()うと此幸福を取消されます者か」と云ひ
侘()る如くに余の手を取り、
大切()の
寶物()でも取扱かふ如くに、兩手を添へて自分の胸に推隱しぬ。余も安心の色を見せ「アヽ爾云つて下されば是に安心して今夜はお暇いたしませう、貴女は餘程神經が疲れて居ますから、早くお
寢間()へ
退()いて明朝まで
緩()くりとお
息()み成さるが好いでせう」那稻は余を見詰めて、
「オヤ天氣の惡いのにお歸り成さるの」余は勿論今までとても此家に泊りし事なし、
「ハイ夫婦の約束が出來た上は婚禮する迄世間體が大事です、宿へ歸て貴女の夢でも見ながらに眠りませう」那稻は早や慣々しく、
「オヤ憎らしいほど口先がお上手な事、是からは
他所()で其樣な事を仰有ると
諾()ませんよ」と云ひて握れる余の手を堅く締め別れの接吻を移すにぞ、余は腹の中にて此女貴婦人の名あるに似ず、
賣色女()にも劣らざる手の有る事よと一入愛想を盡しながらも同じく別れの
接吻()を復し「イザ」と
其所()を立去りたり。
巳()にして門の外に
出()れば
夜色()、墨よりも暗くして風は帽子を飛す程に吹き、雨は頬を叩きて痛きを覺ゆ、日頃なら唯の一歩も進み得ぬ所なるに、余は今まで幾時間か、
矯()めに矯め、抑へに抑へ居たる我が神經の反動にて風も雨も苦には思はず、却て胸に
蟠()る我が怒りを誘ひ出して發散させる良藥の如くに想ひ、見る人も聞く人も無き心易さに、余は風と共に
大聲()を發し、或は泣き或は罵り、手を揚げ足を振廻して全くの
狂人()の如く狂ひ廻りて歩み去れり。思ふに此時若し此雨風に逢はず、斯くの如き氣儘勝手なる振舞を爲す事無かりせば余の不平は殆ど洩すに由なく、余は眞に發狂するか左なくとも氣盡き
魂()絶え、此復讐の大狂言を演じ終るに堪得ざる事と爲りしならん、漸くにして我宿の門前まで來りし頃は唯だグツたりと疲れ果て、殆ど足を引く力も無けれど、其代り我が
腸()を
引繰返()し、僞りの分子を悉く洗ひ捨たる心地して
快()き事云ふ可からず。頓て戸を開きて内に
入()れば
出迎()ふる從者瓶藏、余が姿の雨に打たれ風に
揉()れて
狂人()も唯ならぬを見て痛く驚き怪むにぞ、余は叱る如く目配せして廊下を傳ひ、
將()に我が室に
入()らんとする時、十圓の金貨を取出し與ふるに、彼れ益々怪みて「何かお買物でも成さるのですか。」
「イヤ
其方()の無言を買ふのだ。」
唯だ是だけの返事にて余は正直なる彼れ瓶藏が能く余の意を合點し、決して余は怪き樣にて歸りしを他言せぬと知れば安心して室に
入()り、内より堅く戸を
鎖()して先づ着物を改め、次に鏡に向ひて黒き眼鏡を外し我が顏を眺むるに、艱難辛苦に身を
窶()す人に似ず昔の波漂と同樣に
肥太()り、唯だ髮と髯の白くなりたる違ひこそあれ、目鼻だちより顏の色まで充分に若やぎて全く昔しの波漂なり、
此向()なら愈々眼鏡を外す可き時に外さば余を知る者必ず白髮鬼の波漂なるを知らん、余の復讐も思ふ通りに行はるゝ事必定なれば余は滿足の笑を浮めて
寢()に就きたり。
五三
是よりは又毎日、余必ず一度づつ那稻の許を訪ふに、彼れ益々打解來るが中にも何とやら羞ふが如き體も見え、若しや彼れは眞實に余を愛し
初()しにやと疑はるゝ所も有れど否々是れが彼れの手の在る所ろ、彼れが天然に男を欺く妙を得し所ならんと余は思へり。
斯る間にも余は宛も動物學者が自分の飼犬を視察する如き冷淡なる批評眼にて那稻の人と
爲()を深く見るに、彼れは全く美しき皮を以て
穢()き心を包みたる怪物なり、彼れが慾心には殆ど底がなきかと疑はれ、他人より贈り
來()る者ならば高値なる金銀珠玉の類は勿論、詰らぬ草花の類までも、
啻()に遠慮せぬのみかは眞實に
嬉()びて受納め、決して我物と定めたる品物だけに滿足して控ゆる能はず、
他()れが一人の男を守る能はずして、通ず可からざる人にまで通ずるも矢張り此の慾心の一種ならんか、余は深く見るに從ひ心の底まで見え透く如き氣のせられ
一日々々()に愈々愛想を盡すのみ、
果()は假令ひ
一度()たりとも何うして斯る女を愛したるやと我ながら我心が合點行かず自ら怪む程と爲りぬ。爾は云へ唯だ其の外面の美しさは實に又非常にして誰としも一目見てゾツと魂の有頂天外に飛去らぬは
莫()く、斯まで愛想を盡したる余でさへ、少し油斷して見る時は、殆ど
振附()く程に思ふ場合も無きに非ず、察するに男心と云ふ者は、縱や如何ほど堅固にもせよ、到底女の顏の美しさには勝てず、女に
迷()さるゝ樣に作られし者なるか、夫とも那稻が特別に如何なる男をも
取挫()ぐほど美しく作られたるにや。十二月も既に末つ
方()に
推寄()し頃、羅馬なる花里魏堂より左の如き手紙が來れり、其文、
「
難有()し、余が伯父は終に死し、其身代は悉く余が者と爲りたり、伯爵よ、余は實に飛で歸り度き程に思へど、其財産を余が名前に
切替()るに付き猶ほ幾分の用事あり、夫を濟まして
來()る廿七八日には必ず歸る積りなり、尤も那稻へは余の歸る事を知らさずに置かれ度く、余は唯だ不意に歸りて那稻の且驚き且喜ぶ姿を見んとす、勿論那稻よりは幾度も充分の愛情を籠めたる手紙が來り、余を待兼居る樣は大抵は分り
居()れど、戀人同士の心中は又格別ゆゑ御察し下さる可し、猶ほ伯爵御身には是まで
一方()ならぬ負債あれど此度は身代を得しを幸ひ、歸着次第
御拂()ひを申すべく、左すれば余の名譽滿足致し候」
云々()とあり。
余は幾度も讀返して腹の中に笑ひたり「那稻より充分の愛情を
籠()たる手紙來り」と云ふからは彼れ那稻の心既に
巳()に余に移りしを知ざるならん、彼れは今や余と那稻の爲に馬鹿にせらるゝ事、殆ど其昔し余が彼れと那稻に馬鹿にせられしに劣らず、那稻は定めし彼れが急ぎ返るを恐れ、殊更に安心させ油斷させる爲め
氣息()めの手紙を送りしなる可し、彼れ又余に對して「一方ならぬ負債あり」と云へど其
締高()の如何ほど
大()なるやは彼れ自ら知らざるならん、負債も負債、金錢にては到底償ふ事を得ず命を以て償ふも猶ほ足らざる程なるを知らざるか、彼れが自己の名譽も滿足すると云ふ、彼れ此地に歸る上は果して滿足するほどの名譽あるや如何に、思へば彼れも愚なる男なる哉。
爾は云へ彼れの歸り
來()る時は余が復讐の大舞臺愈々
幕開()と爲る時なれば、余は夫までに多少の用意を濟せ置かねばならずと、其積で一通の返事を
認()め直ちに彼れへ向け送り
出()せり。其文――
親友よ、到頭伯父の身代御身の物と爲りしは余に於ても喜ばし、歸りの事を那稻に知さず不意に行きて驚かさんとの事、戀人の心は
斯()した者かと
實以()て羨ましけれど余
萬々()承知したり、其代り余も君に願ひあり、
來()る廿八日の夜を以て余は君の歸着を
祝()する爲め平生交友の紳士のみを招ぎ(一
人()も婦人を交えず)小宴を開き度く、君は同日を以て歸る事とし、夫人の許へ行く前に先づ余の許に來り、
其宴()に列席せよ、君は一刻も早く夫人に逢度き事ならんが、
()を一二時間
引延()すは益々思ひを
切()にする道理なれば、
逢見()るの歡びも却て
一入加()らん、君が歸着の時間を報電せば余は
停車場()まで迎ひの馬車を
出()し置き、直ちに君を
擒にして宴會の席まで
連來()る可し、是だけの余の
請()を承諾せぬ如き君では無からんと信ず、兔に角も一報を待つ。
此返事を送り
出()し、余は殆ど勇士が戰場に臨む如く、最早や一刻も油斷す可きに非ずと思へば第一に那稻に打合せ置く事も有り、是より又も羅馬内家を指し出で行きたり、那稻との打合せは畢竟
如何()の事ぞ。
五四
余は那稻を訪ふ度に素手にて行きたる事無ければ、此日も柳の枝にて
組做()したる太き
提籠()に美しき
白菫茱()の花を溢るゝ程に盛り、之を土産に
提()さへて馬車に乘りたり。思ひ
出()せば、先年余が娘星子の生れたるも色こそ違へ
恰度()紫色の菫茱花咲く頃にして、其時魏堂が星子を見、余に言聞けたる異樣の言葉、何の心とも分らざりしが今より見れば
最()も最も明白にて、彼れ
偏()に余を愚弄せしなり、斯く云ふも猶ほ悟らざるかと愚弄半分に余を試せしなり。今は其愚弄を彼れに返し、余の
耻辱()を
雪()ぐ可き時來れりと思へば
心自()から勇み立ち、馬車の何時羅馬内家に着きたるを知らぬ程なりき。
頓て取次の下女に從ひ那稻の室に通れば、那稻は例の通り嬉びて余の土産物を下女の手より受取りつ之を
卓子()の中央に飾りし上にて、直ちに其下女を退け、余に向ひて腰を卸したれば、余は挨拶も
述()ずして先づ用事の言葉に掛り、
「花里魏堂氏から手紙が來ましたよ」と云ふに那稻は、クリと驚きながらも何氣なき體を
粧()ひて、後の言葉の
出()るを待つにぞ「花里氏は
明日()か
明後日()歸ると云ひます、歸れば定めし貴女が歡ぶだらうと思ひ、夫が何より樂みだなどと書て有ます」と云ふに那稻は最早や平氣なる能はず、辯解し度き樣子にて唇を動かしたれど言葉容易に
出來()らず、余は猶進み「彼れ歸て來て貴女と私しの婚禮約束が出來たと聞けば定めし失望する事でせう、事に由ると立腹して貴女を酷い目に逢せるなどと云ふかも知れますまい」那稻は「ハイ」とも「イエ」とも答ふる能はず「ハイ」と云はゞ今まで魏堂に堅き約束を爲し置きしと白状するに同じく「イヽエ」と云へば彼れが眞實歸り來りて怒りし時化けの皮現れん、余は其のもぢもぢする樣を見て言葉を弛め「イヤサ貴女は魏堂に何の約束も仕た事無く、自分の自由になる身體で私しと夫婦に成ても魏堂に怨まれる筋は有ますまいが、夫にしても魏堂はアノ通りの分らず
漢()ですから、當の外れた樣に思ひ貴女に
仇()せぬとも限りません。」
那稻は
發()と息を
吐()ぎ、
「爾です、爾です、彼れ本統に呆れる程
自惚()の強い男で、私しを自分の妻にでも成る者の樣に思ツて居る樣子も見えますから。」
「左樣、兔に角貴女は一時魏堂をお
避()なすツては如何です。」
「ヱ。」
「イヤサ少しの間魏堂に顏を合さぬ樣、此家を立去て親類の家へ
泊掛()けに行くとか、或は温泉場へでも行き保養して、夫から魏堂の怒りの
冷()た頃歸ツて來る事にしては、ヱ、實は此事をお勸めに私しは
上()りましたが。」
余は實に暫し那稻を魏堂の目に觸れぬ處へ置き度しと思ふが爲め、其打合せに來りしなり。那稻は暫し考へ居たるが勿論好む所なれば、
「ハイ貴方が爾云て下さればお言葉に從ひませう、尤も彼れから
怒()られる
謂()れは有ませんけれど」と猶ほ體裁を繕はんとす、
「ハイ彼れが怒る可き謂れの
有無()に
拘()りません。」
「ですが彼れ又貴方を捕へて何の樣な事をするか知れません、貴方も私しも一緒に暫し此土地を去らうでは有ませんか」彼れ自分の留守の
間()に、余が魏堂の口よりして色々の事を聞取るならんと恐るゝにや。
「ナニ私しは殘ツて彼れを宥めた方が好いでせう、
兩個()とも此地に居なければ、彼れ或は何處までも尋ねて來るかも知れません。」
此言開きには那稻
實()にもと思ひしに似たれば、余は言葉の
序()でにて「貴女は魏堂へ手紙を送ツたと云ひますな」何の氣も無き如くに見せ
最()輕々と
問出()せど、那稻が爲には最も不意の問題なれば彼れは返事に詰りしも、漸くにして、
「ハイ實は前の所天波漂が餘り彼を愛し過ぎ、遺言の中へも萬事彼れに相談せよなどと書て有ますから、唯だ儀式だけに或る家政上の用事に就き彼れへ手紙を送りました、けれども押の強い彼れの事ゆゑ定めし貴方へは私しが幾度も手紙を寄越した樣に書き、猶ほ戀手紙でも送ツた程に自慢して書て有るだらうと思ひます、爾でせうネ伯爵」アヽ是れ何等の恐ろしき口先なるぞ、余が是と云はぬうち早や然る可く言ひくるめて疑ひの根を
斷()んとす、余は窃に呆れながらも話を
初()の筋に返し「愈々此土地を立つとすれば何所へ行きます」那稻は余が疑ひの雲
巳()に通り過せしと見て安心し、ズツト眞面目なる顏に返り「私しは此家へ來る前まで此土地より十
哩()ほど離れた尼寺に居ましたが再び其尼寺へ行て居やうかと思ひます」温泉場と云はずして尼寺と云ふ心に魏堂を恐るゝ事甚だ深きを見る可し。
余は唯だ感心せし色を示し「夫は何より結構なお心掛けです」那稻は圖に乘り「イエ爾でも有ませんが此家に來てから、
何彼()に紛れ、神に
上()る祈まで
疎略()になり信仰を怠る、イヤ怠ると云ふ事も有ませんが何だか神への勤めが足りぬ樣な氣がしますから、貴方と婚禮する前に充分信仰も固め、神の惠みをも祈つて置き度と思ひます、此樣な時で無ければ再び落着て祈る時も有りませんから。」
汝の
汚()れたる口より神を祈るは眞に神威を
汚()す者なりと余は腹立しさに堪へざれど、
切()ては那稻の良心を自ら咎めさせて見んと思ひ「イヤ貴女の樣な清き口より發する祈は神も必ず聽て呉れませう、亡夫波漂の爲にお祈なさい、貴方が彼れへ貞節を盡した事は實に女の鑑だと世間でも噂して居る程ですから、神は必ず貴方の心の清きを充分見拔て居ませう」と云ふに、此言葉には流石の毒婦も最と不安心の樣子にて椅子の儘に
逡巡()するかと思はれたり。
「ですが貴女は何時其尼寺へ行く積りです。」
「ハイ今日
直()に參ます、魏堂は疑ひ深い男ですから明後日歸ると云て置て
出拔()に今日歸るかも知ません、虫が知すか私しは何とやら變な氣が仕ますから、ハイ是から直に其
仕度()に掛らせます」今日直に
逃行()くとは、心に一方ならぬ弱味があると思ひ遣られて小氣味よし。
五五
那稻が魏堂を恐るゝ樣、充分に明白なれど、今日直に
逃行()かんとするは結句余に取りても幸ひなれば、余は其事を賛成し「イヤ夫が却て結構です、併し尼寺へ
入()るとても私しが逢に行けば貴女に面會は出來ませうネ、外の男と違ひ許婚の所天ですから。」
「ハイ、何時でも
逢()れる樣に私しから其の取締人に言て置きます、尼寺の規則は極嚴重ですけれど、私しは
舊()の徒弟と云ふ丈で今は徒弟で無く客分ですから夫位の自由は許して呉れます、其代り時々貴方が逢に來て下さらねば了ませんよ、私しも心配ですから。」
「ハイ折を見て逢に行きます、併し
今日()は是れから直に其の仕度に掛らねば成りますまい、私しはお暇に致します。」
斯云ひて余は立上るに、那稻は引留めんとする如くに
續()て立ち「イヤ歸しません、接吻の濟むまでは」と云ひ、笑顏を作りて余が
方()に寄り來たる、其容子の愛らしさ優しさには余も殆ど魂を奪はれ、我知らず抱き寄せんとする程なりしも、忽ちにして思ひ直せば是れ僞りの笑顏なり、魏堂にも盜ませし笑顏なり、余が生涯を過ちて血統連綿たる羅馬内家を亡さんとする者總て此僞りの笑顏ならぬは莫し、斯思へば彼れを抱くこと火を抱くより猶辛けれど、是も復讐の階梯と思へば虫を殺して那稻が云ふ儘に任せ、愛の爲め前後夢中なる戀人の眞似をして分れ去りたり。
宿に歸れば最早や此上に差迫る用事は無し、
愈()よ魏堂
奴()の歸り來るまで先づ暇な身體なれど萬事手廻しが肝心なりと思へば、余は一方の戸棚より皮製の異樣なる箱を取出し、從者瓶藏を呼びて開かしむるに、彼は怪げに余の顏を眺むれども、能く其分を守りて一語の
無駄言()を發せず、命に應じて推開く箱の中より現れ
出()るは、立派に仕立たる一對二挺の
短銃()なり。彼れ精密に打眺めて「二挺とも掃除をせねば行くまいと思ひます。」
「早速掃除して置け」彼れ今は不審に得堪ず、恐る/\余を眺めて「旦那樣でも此樣な物をお用ひなさる事が有ますか。」
「有るか無いか默つて見て居れば分る事だ」此の無愛想なる言葉に彼れ忽ち己の身分と職務を思ひ出だせし如く「恐れ入ました」と小聲に云ひ、其短銃を箱の儘に持ちて余の前より退かんとす、余は呼留めて「コレ瓶藏、
其方()は近頃珍しい若者で、能く余に仕へて呉れるが
近々()の中猶又其方に非常な役目を言附る事が有るかも知れぬ、何の樣な辛い事でも、
無言()て勤めて呉れるか」瓶藏は
敢()て驚かず寧ろ喜ばしげなる樣子にて「旦那樣、瓶藏は兵役を濟せた男です、魂ひは猶ほ武人です、
勤()と云ふ事は能く心得て居ますから。」
「イヤ夫は感心だ。」
「貴方樣のお爲には鐵砲の筒先に立ち的にせられるも厭ひません」斷乎たる返事の中には充分の勇氣も見ゆるにぞ余は眞に感心して手を差延べ、瓶藏の手先を握りて振るに、彼れ全く心服せし如く、
俯向()て余が手の甲を接吻し、無言の儘に立去りたり。
アヽ瓶藏は唯一遍の
雇人()なるに余が爲に死するを
厭()ずと云ふ、彼れのみか老僕の皺薦も、猶ほ飼犬のイビスまでも眞實余が爲に忠義を盡すに尼寺にて嚴重の教育を受たる那稻生涯余と一體なる夫婦の縁を結び、神の机に膝を折て變る事なしと誓ひながら、却て余に一寸の忠義も無く余を欺きて不義の快樂を貪らんとす、其相手たる魏堂も亦余が爲には雇人の如き淺き關係に
止()らず、殆ど兄よりも父にも猶深き恩を受け、余の
信認()を得ながらに余を欺きて憚らず、思へば思ふに從がひて彼等の罪益々深し、爾は云へ今は愈々復讐の間際まで推寄せたれば何事も云ふに及ばずと余は胸を撫でて控へたるが、是より夜に
入()り余が夜食を濟せし頃、瓶藏は一通の書附を持ちて余の室に來たり「只今羅馬内夫人の
馬丁()が是を屆けて參りました」と云ふ、開きて讀めば那稻が尼寺に着きて認めたる者にして、
「折葉よ、
妾()は只今無事に此寺に着きたり、今朝ほどの御身の振舞眞實に
妾()を愛する如くに見えたる事など思ひ
出()せば、嬉しさ心に餘りて忘れられぬほどに思ひ候、當寺の尼達孰れも昔しなじみ故妾の來りしを喜ぶ事一方ならず、既に御身が
何時來()るとも差支へなき樣計らひ置きたれば、
何時()までも妾を淋しさに堪ざらしむる勿れ」とあり。
其筆より
出()る文句も其口より
出()る文句と同樣に巧にして同樣に僞りなれば余は瓶藏の退きたる後にて「ヱヽ汚らはし」と打叫び
寸斷々々()に引裂きて火に
燻()べたり、茲に至りては、最早や一
日()の心を勞したる疲れの爲め、氣分の甚だ
惡()きを覺ゆるに至りたれば余は
臥床()に
入()たるが、疲れながらも容易には眠る能はず、
翌朝()の
明方()に至り
纔()に
微睡()みて目を覺せしが再び眠り得べしとも思はれねば其儘にして
起出()るに、
大()に余の心を引立る一
物()こそあれ、
()は外ならず羅馬より發したる魏堂の電報なり、其文甚だ明かにて、
「仰せの如く
來()る廿八日歸り行く、御地の
停車場()に着くは午後六時三十分なり、那稻の許へ行くよりも先づ第一に御身の許に行き、
御申越()しの
宴()に
列()なる可し、余の爲に斯まで盡さるゝ御恩は御目に掛りし上ならでは到底謝し盡されず」
云々()と有り。
余は宛も相撲取が土俵に
上()りて相手と顏を合するや忽ち何も彼も打忘れて唯だ總身に力瘤の現はれ來ると同じく、寢不足も氣分の
惡()きも全く忘れ、唯だ武者振ひに身の振ふを覺ゆるのみ讀者余は既に復讐の土俵際に臨みし者なり、待に待たる土俵際は實に
爰()なり。
五六
愈々魏堂が歸り
來()る廿八日とはなりぬ、彼れを歡迎する宴席は余が
畢生()の氣力を注ぐ大復讐の
序開()きなれば余は朝の中よりして充分に心を盡し其用意に取掛りたり。會場は即ち余が宿の階下なる大廣間にして今までとても可なり立派なる會食の堂なりしを余は猶ほ一入の贅澤を加へん爲め、宿の
主人()に
數多()の金を取らせ、數日
前()より既に其飾附を
取毀()し、壁に掛たる鏡より床に敷く
絨氈()までも凡そ當國で手に
入()る丈の高價なるを取揃へ、椅子一脚にても大抵の家の爲には一身代とも云はる可き程の金目を掛けたれば、其他窓掛け
卓子掛()まで殆ど
美盡()くし
善盡()し、
奢()に
耽()る東洋の王宮にも斯まで
奢侈()を極めたる室は
無()らんと思はるゝ迄に出來上れり、之に準じて客に饗する
酒肴()は又驚く可き上等品にして、盃一杯に十
圓金()を盛る程の割合に當れど、余は敢て驚かず、宿屋の主人や給仕達などが、
「何の樣な宴會かは知りませんが是では餘り勿體な過ます」と評するを余は唯だ
笑()て聞流すのみ、飾附の爲め
雇()たる職人の一
人()は其仲間に向ひ「ヱ、帝王の婚禮でも是ほど立派な用意は出來まいぜ」と呟きたれど、余は心の中にて「浮世の
樂()一切を捨盡し、復讐の外に何の目的も無き余波漂が其復讐の用意なれば、世界に例の無き事もせざる可からず」と呟きしのみ。
此日余が招待を發したるは魏堂と余の
知人()の中にて撰びたる者にして其數十三人、余と魏堂を加へて十五人なり、孰れも招きに應ずるの返事を送り越したれば余は殊の外滿足して待居るうち、漸く午後の六時と爲れり。朝の中は天氣も曇り勝にて殊に風さへも加はり、
一荒()あるかと氣遣はれしも此時に至り最と穩かに
晴鎭()まりたれば、余は先づ魏堂への約束通り停車場へ馬車を遣り、自分は客を迎ふる用意の爲め、
着服()を改めんとて從者瓶藏を從へて室に
入()れり先づ箪笥より最も新しき
一襲()を
取出()し、次には
光輝()の非常なる夜光珠の
鈕()を取り之を瓶藏に渡して
白衿()の胸に附けよと命ずるに、瓶藏は受取りて其鈕を己が袖口に當て磨き、暫くにして附終りたり、余は
徐()ろに彼れに向ひ「コレ瓶藏。」
「ハイ旦那樣。」
「今夜の宴會に
其方()は余の椅子の後に立ち酒を注ぐ役を勤めるのだぞ。」
「ハイ心得ました。」
「其中にも花里魏堂氏の
盃()に注意せよ花里氏は余の右に
据()るから何時でも其盃に
浪々()酒の有る樣に氣を附けろ、少しの間でも盃が空に成らば其の方の手落にするから。」
「ハイ心得ました。」
「夫から何の樣な椿事が起らうとも、其方決して驚いては成らぬ、平氣で
其處()に立て
居()れ、何でも宴會の始めから終りまで、
己()の差圖が無い以上は決して
其所()より動いては成らぬ。」
「畏まりました」答へながらも何の爲め斯る嚴重の命令を
受()るにやと怪む體の現るゝも無理も無し。余は輕く笑みて
一歩()進み彼れの腕に余の手を當てつゝ「先日渡した短銃は何うした。」
「二挺とも充分に掃除して、
何時()でも使はれる樣にしお居間の卓子の上に載せて有ります」余は喜びて「では好し、是から其方は客の來るまで
疎()の無い樣、客室を見廻つてゐて
居()れ」と云ふに、瓶藏は充分呑込みし樣子にて立去りたり。
後に余は鏡を控へ、念の
入()る丈け念を入れて
朝粧()に取掛れり、余は波漂たりし頃より衣服には隨分注意する
質()にして折に應じての
着()し
方()は
悉々()く能く心得たり、殊に世の中には如何ほど立派なる衣類を着るも更に引立たずして給仕の燕尾服と間違へらるゝ如き人も有れど、余は幸ひにして格好好しと
唱()せらるゝ部類にて、衣服の立派になるに從ひ愈々品格も上る方なれば着替が終りて鏡面に
[#「鏡面に」は底本では「帳面に」]寫る姿は我ながら見違へるばかりなり、斯て愈々服裝の終りし時しも
戸外()の
方()に
輾()り
來()る馬車の音、
疑()ひも無き
停車場()まで魏堂を迎へに
出()したる余が馬車なれば、余は既に我が敵の近く戰場に寄せ來りしを知り、熱血の顏に
上()り、動悸の早く打つを覺えたれど自ら心を推鎭め彼れを迎へんとて廊下に
出()たり。
五七
余が廊下に
出()るや殆ど魏堂と鉢合せする程に
出逢()へり、彼れ長々の伯父の看病に顏に幾分か其顏の
窶()れたる所も見ゆれど、伯父の身代を我物とせし嬉しさは其窶れを推隱して猶ほ餘る程に歡びの色を添へたり、彼れ余を見るや早く打笑ひて、
「イヤ伯爵貴方のお手の行屆くには
唯最()感々服々の外有りません、お顏色も餘ほど若やいで見えますぜ。」
「イヤ夫は私しが云ふ事です、貴方こそ若やぎました、身代が出來ると何うしても人品が
上()りますよ」云ながら余は彼れを居間の中へ導き
入()るゝに、彼れは第一に
彼()の瓶藏が磨きて卓子の上に載せたる短銃の箱に目を留め、異樣に顏の筋を動かしたれども通例の
短銃箱()とは其作り方
異()にして
飾立()も見事なれば、短銃には非じと思ひしが更に目を轉じて余の服裝に注ぎ、
「オヤ貴方が是程のお拵へなら、賓客の席に
据()る私しも此の
旅着()の儘では出られません、幸ひ荷物も貴方の馬車で
停車場()から持て來たのですから次の間で着替へませう。
[#「着替へませう。」は底本では「着替へませう、」]」
「イヤ夫は急ぐに及びません先づ是でも呑で
緩()くり」と云ながら余は常に居間の中に蓄へある古酒の口を拔き、
盃()に注ぎて彼れの前に置くに、彼れ咽の乾きし人が水呑む如くに呑ながら、
「實は
停車場()から直に那稻夫人の許へ行度いと思ひましたが貴方への約束ゆゑ。」
「イヤ那稻夫人の事は爾心配するに及びません、貴方の留守中私しより外の男は一人も夫人の傍へ近きません」彼れ安心して胸を撫で「爾だらうとは思ひますが。」
「思ひますが片時も早く顏見せて喜ばせ度いと云ふのですが、爾うお急ぎ成さるなバイロン詩伯が云ふ通り星と女は夜に
入()つて能く見える者ですから少々
更()ても構ひません。」
「夫は爾ですが」と云ひて彼れ漸く鎭りつ更に語を轉じて「今夜招がれる賓客は誰々ですか」と問ふ、
「イヤ孰れも貴方の知た人です」と云ひ余が讀上る人名は皆此土地にて交際界の
達者()にて、此人々に
擯()けらるれば高貴社會へ
顏向()も出來ぬと云ふ程、嚴重なる紳士達なれば、魏堂は一方に其身の窮屈を恐るるよりも此紳士達に迎へらるゝ己れの名譽を喜ぶ如く「成る程、撰びに撰んだ顏揃ひです、是ならば那稻夫人に逢ふのが遲れるのも厭ひません。」
[#底本では「」」欠字]
余は腹の中にてヘン那稻夫人には逢るか逢ぬか分らぬ
哩()と呟きながら、來客名簿の最後に讀上る人名は、當時佛國の決鬪社會に東西の
兩大關()とまで噂さるゝ
大()の決鬪家ダベン侯爵及び中佐ハメル氏なり、魏堂は此名を聞きて色を變じ、
「オヤ/\大層恐ろしい。」
「エ何が恐ろしい、此兩君は先達て貴方が私しを紹介したでは有ませんか、其時貴方は斯る有名の人が一緒に當府に遊びに來たは殆ど例の無い事で、當府の名譽だと言たでは有ませんか、夫だから私しは招いたのです。」
「成る程夫は爾ですが、少しの事から喧嘩でも
買()れると困りますから。」
「ナニ今夜の席に喧嘩の種が有ますものか」魏堂は全く合點して「夫は爾です、
何故()か私しは此頃に至り少しの事も氣に成て變に神經が落着きません。」
「尤もです、夫人と分れて居た爲でせう、一夜夫人の
接吻()を受れば何の樣な神經でも落着きます」と云つて笑ふに魏堂も同じく笑ひたれど、何とやら餘韻の無き不安心なる笑ひ樣なり。
頓て彼來客人名簿を手に取て見直しながら。
「ですが伯爵、今夜の
宴()は唯私を歡迎する計りの爲ですか。」
「勿論です、縱や外に多少の
目的()が
有()としても總て貴方を
目的()です、貴方が歸ねば決して此宴は開きません」魏堂は身に餘る光榮を謝する如く額に手を當て、
「夫は私しへ餘り貫目を
附過()ます、迚も私しは是ほどの歡迎を受る値打は有ません。」
「ナニ値打が無い、夫は自分を踏倒さうと云ふ者です、今夜出席する紳士の内に一人として貴方を敬愛せぬは有ません、私が若しこの宴を開かねば誰か外の人が開きました、既に那稻夫人の前の所天波漂殿なども貴方を兄弟の樣に大事に仕たと云ふ事では有ませんか」と云ふに波漂の名前は神經の穩かならぬ彼れが心に
最()痛く應へしと見え、彼れビクリと驚きて、
「最う伯爵、後生ですから波漂の名を云はぬ樣に仕て下さい、夫でなくとも此數日間彼れの事が心に浮んで困ります。」
「夫は何う云ふ譯で。」
「イヤ伯父の死際の苦みを見て、フト波漂の事を思ひ出しました、伯父は既に身體の力も拔け、自然の衰へで死る身だのに是ほど苦むかと思へば、血氣
盛()の波漂が死る時には何れ程か苦い事だツたらうとツイ此樣に思ひました」然り/\波漂は死際の苦みより猶ほ死後の苦みに堪へず、夫が爲め汝に仇を復す心を起し、此通り白髮の鬼と爲り此世に來りて汝の身に附きまとへり、
今現()に汝の前に立つ余が取も直さず其波漂なるを知らざるか。
彼れ猶ほ語を繼ぎ、
「波漂と私しは小學校からの友達で、散歩する時なども丁度女生徒の樣に首と首とに手を卷合ひ、少しも離れぬ程でした、殊に彼れ私しより身體が一層強かツたから、死神と鬪ふ間の其苦みは非常に激かツた者に相違有りません」彼れが余波漂を優き言葉にて評するは唯だ此れが初てなり、余も異樣に神經の動くを覺えたれば、
「イヤ花里さん、此樣な話は宴會の
前()に不適當です、
先()ア着物でも着替へてお
出成()さい」彼れ
思出()せし如く「アヽ爾しませう」と云ひて立ち「本統に蟲が知すか夫とも神經の
狂()だか、何と無く胸に恐ろしげな感じが浮びます、何うか過ちでも無ければ好いと自分で氣遣ツて居るのです」と云ふ、成る程其顏色さへ、惡夢に魘され我聲に驚きて目を覺せし人に似たり。余は「全く伯父の死際の事を
未()忘れぬ爲ですよ」と評して彼れを次の間へ送り
出()せしが、思へば彼れ實に憐れむ可し、今まで余は唯だ彼れを憎む一方にて
憐()の念は露ほども
無()りしに、如何にも昔し學校に
居()し頃を思へば余と彼れは首に手を卷合て散歩したり、夫が今は是れ
敵()と敵、是と云ふも畢竟は那稻と云へる僞り女が余と魏堂の間に
入()たればこそ、之を思へば那稻の罪魏堂よりも幾倍なり、那稻さへ無りせば彼れも僞りに染られず昔の清き魏堂にして余も此世界に唯一人の世捨人とはなるまじきに、
爾()は云へ今更ら復る可き事に非ず、
指()て行く可き余が道は
今日()までの定めの如く先づ重く魏堂を罰し次に猶重く那稻を罰する大復讐の一筋のみ。
五八
既にして
夜()の八時に至れば兼て招待せし賓客は或は二
人()或は三人づゝ集りしか、其中にて唯だ
二人()だけは不意に急用の生ぜし爲め遺憾ながら宴に列なる能はずして丁寧なる斷り状を持せ越したり、是にて主客十五人の兼ての定めは減じて十三人とは成りたるが、
抑()も十三と云へる數は耶蘇教の
古事()にて最と不吉に當ると見做され、歐米孰れの國にても忌嫌はるゝ習ひなる事讀者の既に知る所なる可し、勿論道理の上に於て十三人なるも十五人なるも少しも異なる所なく、數の爲に不吉なる事の起るなどとは全くの妄信なれども、殊に
伊太利()は斯る事を信ずるの國にして、若し一個の卓子に十三人の客集れば其中の一
人()は必ず一同に
負()くの人と爲り殺さるゝに至る可しと云ひ傳ふ、誠に愚なる云傳へなれども余は今夜の席にて余の
爲()んとする仕事などを思ひ合はせ、偶然にもせよ此宴席が十三人の數と爲りしは誠に不思議の事なる哉と心の中に
含()きたり、去れど氣の附ずに居る來客に斯樣の事を
故々()吹聽しては大に興を妨ぐる道理なれば、余は無言にて一同を宴會の
室()に
入()るゝに、茲は是れ酒池肉林、注意
隈()なく行屆きて人に一點の不快だも與へぬ樣に用意せし事なれば、客は唯だ見る物毎の立派なるに氣を奪はれ、頭數の不揃なるには氣も附ぬ樣子にて
我勝()に主人の行屆けるを褒め、暫しが程は且呑み且食ひ且
笑談()し
和氣靉々()と室中に滿渡る程なりしが、何の爲にや次第/\に話し聲低く爲り、
一人()り默り二人默りて
果()は宛も病人の枕許に通夜でもする人の如く只だ
寂然()と
鎭()りたり。
扨は誰も彼れも口に出しては云はざれど
自()から此數に氣が附しかと余は主人の身として
私()に心を痛むるに此時佛國の大決鬪家ダベン侯爵は聲を揚げ、
「諸君は何等の鎭り方です、是ほど結構な宴に臨み、互ひに
鬱()ぎ込で仕舞ふとは主人伯爵に對して失禮なのみならず、實に寶の山に
入()ながら手を
空()くすると同樣では有ませんか。今夜の樣に酒は旨く、肉は
豐()に、而も
居心()の好い宴會は又と有る事では有ません」フレシヤと云へる一紳士其尾に附き「而も此樣に氣の合た名士のみの集會は求めても得られません」と
勉()て客の氣を引立んとすれど更に引立つ樣子なく、却て益々沈むのみ、最早や詮方なし余は立上りて十三の數の忌むに足らぬを辯解せんかと殆ど其身構へするに、此時當府第一の交際家と知られたるマリナ男爵立上り「アヽ分りました諸君が益々陰氣になるは
此室()に居並ぶ數が丁度十三で有るからの事でせう、斯樣な事を氣に掛けて此良夜を空くするとは人に聞れても我々が
耻()しいでは有ませんか、文明の紳士とも云はれる者が詰らぬ言傳へを信ずるとは何事です、成る程
猶太國()の
古事()で十三人の中一人だけ敵に内通し
終()に殺されたと云ふ事は有るにもせよ、夫が今夜の吾々と何の關係が有りませう、我々は彼の猶太人イスカリオとは違ひますから、此親密な十三人の中に誰が殺され、命が無くなるのだと云ふのです、皆百歳も生延る積では有ませんか」と述べ席中を見渡すに、一同
實()にもと思ひしか「ヒヤヒヤ」とて手を打叩き、又愉快げに騷ぎ
出()す其中に唯だ魏堂一人は最も深く神經を痛めし如く容易には引立たず、卓子の上に置く其手先さへ
微()に震ひ動くを見る、察するに彼れ其身が
將()に大復讐を加へられんとする場合にまで臨める爲め、神經
自()から感應する者にや有らん。
余は先づ
主()として彼れの浮立つ樣、種々の話を
持掛()るに、彼れは瓶藏が注ぐ酒の力に漸く心を取直ほし雜話をも初むるに至りしかば、是よりして席上は今までの反動にて一層の賑ひを添へ、客と客思ひ/\に
己()が得意の話を
持出()し人の言葉は耳に
入()らず、決鬪家ダベン侯爵の如きは隣の人に撃劍の秘術を解き、口にて言盡されぬ所は實物にて示す氣か、皿の上なる
小刀()を取り或は上段或は
下段()、敵が斯すれば茲を突くなどと罪も無き
豕()の肉をば知らず/″\
寸斷()/\に切りたるも
可笑()し、唯だ余のみは此騷ぎに釣込るると見せながら初より一滴の酒を呑ず、心を
最()も確にして
機會()の
來()るを待居たるに今は酒も早や充分廻り興も
盛()に達したれば最早や好き時刻と思ひ、夫と無く魏堂の樣子を見るに彼れ
傍()の人に向ひ
喋々()と那稻夫人の美しき容貌を説き誇れり、勿論那稻と云ふ名前は出さねど余の耳には
蔽()ふ可くも非ず、茲なりと余は微笑みて卓子の小口に立上り、演説する辯士の身構へにて先づ一聲「諸君」と呼び、一同を見渡したり、是より余が
説出()る所を聞け。
五九
アヽ讀者、余が僞奴の僞りを知りてより今に至るまで既に三千五百時間、其間余が心は一寸の絶間
も()無く人たる者の
堪()へ得ざる汚辱を堪へ、譬ふるに物無き苦惱を受け、唯だ復讐の時熟するを待居たり。時として刻として余が胸には深く劍を刺して
剔()らるゝ程の痛みを感ぜぬは無く、一時間に一度としても余が腹は
千切()に千切て三千五百
切()の
寸斷()/\と爲りし者なり、血にも餘り涙にも猶餘る余が想ひは、積に積て茲に
張裂()る間際とは成りしなり、卓子の一端に立ちて一同を眺め、返す眼に魏堂の顏を
睨()む、余が目の光は、若し黒目鏡を外せしならば滿堂の來客を燒殺す程なりしやも知る可からず、余は唯だ必死の想ひにて先づ聲を和げ再び「諸君よ」と打叫ぶに
興酣()なる來客は余の聲容易に耳に
入()らず、余の左に坐すマリナ男爵は余を氣の毒に思ふ如く、
食刀()の柄を以て卓子の上を叩くに、此音に驚かされ一同漸く鎭りて余の言葉を謹聽するに至れり。
余は
徐()ろに説きて云ふ。
「折角諸君の打興じたる所をお妨げ申すは
心無()の
業()ですが、決してお妨げ申すので無く、實は諸君に最も
歡()しき一事を報じ一層其の興を深くせん爲で有ます(ヒヤ/\の聲起る)諸君今夕の宴會は既に招待状に記した通り是なる花里魏堂君を歡迎する爲で有ます、花里君は後進の交際家とは云へ此席に列する紳士は
孰()れも花里君を兄弟の如く思ひ、君の歡びは共に歡び君の悲みは共に悲む間柄で有ませう(然り、然り)此花里君が今夕羅馬より歸られたのは唯の歸郷では無く最も
嬉()ばしき歸郷です、花里君は非常なる財産を相續して其の身に相應する丈の身代を得て歸られました。是よりの花里君は
今日()までの君と違ひ最も裕福なる紳士ゆゑ、私しは諸君と共に花里君の爲めに
祝盃()を
舉()ん事を望みます」と
述()るに拍手喝采は卓子の周圍より隈なく起れり、喝采の終ると共に一同は盃を上げて「花里魏堂君の萬福を祈る」と云ひ一
聲()に
呑乾()すも、魏堂は殆ど人間滿足の絶頂に達したる如く其笑顏を隱し得ず、餘りに
笑頽()るを極り惡しと思ひしか、
纔()に
小卷()の煙草を
燻()らし、窓に振向きて
漁火()點々たる
寧府灣()を眺むるのみ。
余は實に魏堂が如何ほど嬉ばしきやを知れり、彼れは早や交際社會の
大達者()と
爲濟()せし氣にて是より後は榮耀も快樂も唯だ心の儘ならんと思へるなり、然れども今が彼れ魏堂の最後の
樂()なり、彼れが身には此後に樂なからん。
上()る事
愈々()高ければ
落()る痛みも益々強き譬へ、余は唯だ彼れを九地の底に落さんが爲め先づ九天の上に揚げたるなり。
余は一同が魏堂を祝す聲の
稍()や鎭るを待ち、再び聲を繼ぎ、
「併し乍ら諸君よ、此外に
猶()だ一つ、最も之は
序()ですが、諸君に披露して同じく歡んで頂かねば成らぬ事が有ます(謹聽、謹聽)と申すは外で無く
近々()私し伯爵笹田折葉の身に降掛る最大の幸福です」異樣なる言葉に來客益々耳を澄し、今は余が一呼一吸をも聞洩さじとするに似たり。
「諸君は定めて意外だと思ひませうが私しすらも意外です、
御存()の通り私しは禮儀に馴れず交際の作法にも
嫻()はず(ノー、ノー、の聲四方より起る)イヤ幾等
否々()と仰有つても兔に角私しは花里氏を始め滿堂の諸君の樣に決して貴婦人から大騷ぎをされる樣な男では有ません、私し自身も今の今まで婦人の事には斷念して
居()りました」是れまで云ひ來たるに來客は孰れも「成る程意外の
事哉()」と云はぬばかりに顏見合ひ、中にも魏堂は殆ど呆れ返りし如く其煙草を取落としたり。
「私しは年も年、健康も今は衰へ、半ば病人、半ば盲目と云ふ程ですが、是が本統に結ぶの神の悪戯とでも云ふ者か天女の樣な美しい婦人に逢ひ、其婦人が私しを
惡()からず思ひ
初()めると云ふ事に成ました故、私しは近々婚禮するのです」魏堂は何思ひけん顏の色を青くして立上り、余に問ふ事の有る如く其
唇頭()を動せしも、忽ち思ひ直してか尻餅
搗()きたり、他の一同は暫し言葉も無き程に驚きしが、頓て口々に祝辭を述べ「笹田伯爵萬歳」と云ふも有れば「新夫人萬歳」と呼ぶも有り、一ダースの口より
出()る歡びの聲は暫しが程鳴りも止まず、最後に一
人()、余と同じく獨身主義を取る
鵞泥()子爵聲高く余を呼掛け「伯爵よ、婚禮さへせねば
寧府()の美人は皆我物も同じ事です、其中の一
人()を撰び法律上の我物とせば他の美人は皆失望して我が物で無くなります、貴方は一
人()の美人の爲め百人の美人を失ひますよ」と笑ひながらに問掛る、余は
眞目()に之を受け、
「イヤお説は豫てより私しも同意です、同意なればこそ五十餘歳の
今日()が日まで獨身主義を貫きましたが、悲や眞の美人に逢ては如何ほどの獨身主義も粉々に
頽()れます、世界に又と有るまいと思はるゝ程の笑顏で私しの前に來り、私しの意を迎へ、私しの機嫌を取り、私しに婚禮の申込を促します。
人木石()にあらぬ限は之が無情に振捨られませうか(ヒヤヒヤ)兔に角も今は既に確定して婚禮をするばかりですから諸君何とぞ私しの未來の妻の爲に祝杯を
擧()ん事を希望します。」
鵞泥子爵第一に高く
盃()きを上げ、他の人々も
勇()て其例に從へども、獨り魏堂のみは何やら
最()と氣遣はしげにて容易には
立()んとせず、此時マリイ侯爵は余に向ひ「願はくは其新夫人のお名前まで御披露あらん事を」と云ふに魏堂も初めて力を得し如く立上り、乾きて聲の
通()ぜざる喉をば一
盃()の酒に
濕()し、猶も震へる不穩の調子にて「私しも其問を發しやうと思ツて居ました、名を聞たとて定めし我々の知らぬ美人で有ませうが、夫にしても名を聞かねば」と云ひ漸く外の人々と同じく盃を取上げたり、余は音聲を朗らかにし、
「夫では茲で披露しませう、私しの新夫人は諸君が皆御存じです、故伯爵波漂羅馬内の妻たりし那稻夫人で有ます。」
一同ワツと驚きて猶ほ其驚きの聲を發せず、
髮()をも
容()ざる
際疾()き
間()に、魏堂は早や烈火の如く、怒りに怒る叫び聲にて、
「己れ惡人
奴()、人非人奴。」
と鋭く余を罵るが否や手に持てる波々の祝盃を、碎けるばかりに余の顏に叩き附たり、狼藉、狼藉、滿堂は唯だ
鼎()の沸くに似たり。
六〇
盃を余の顏に叩き
附()る花里魏堂の振舞は實に亂暴とも狼藉とも評し樣なし、事情を知らぬ來客は口口に「個は
怪()しからぬ」と打叫びて
總立()に立上り、アワヤと云ふ間に早や魏堂を取圍みぬ。余は此の鼎の湧くが如き中に、泰然と
立()し儘にて先づ
半拭()を取り肩の當りより滴り落る酒を拭ふに、第一に魏堂の右の腕を碎くるばかりに握りたるは佛國の決鬪家ハメル氏なり、氏は
迫込()みて
雷()の如き
大音()にて「コレ花里君、君は
醉倒()れたか、氣が違たか、自分の振舞を知て居るか」と頭より
噛附()くる。
魏堂が怒れる
面色()は
宛()がら繩に罹りたる虎に似たり、眼の光凄まじきのみならず見る
中()に額の
筋々()膨上()り、顏中紫色と爲り殆ど張裂くる程に見ゆ、彼れ片手を
捕()れながら猶ほ余の立つ所に迫り來り、口より吐く熱き息は余の顏に
火焔()の如く掛るを覺ゆ、彼れ
幾時()か言葉も
出()ず、唯だきり/\と齒を鳴すのみなりしが、又も怒れる聲にて「己れ人非人、己れの胸を
刺通()さねば置ぬぞ」と叫び躍りて余に
飛附()んとするを左より又取て押へしは是ぞ佛國の決鬪家彼のダベン侯爵なり。侯爵は
敢()て騷がぬ調子にて「
猶()だ早い、猶だ早い、コーレ吾々紳士は縱し
何()れ程の立腹が
有()うとも
人殺()の罪は犯されぬ、決鬪と云ふ公明な
條規()の無い世の中じやア有るまいし、コレ花里氏、君は惡魔にでも取附れたか今夜の主人公に何故其樣な無禮を加へる、何故、ヱ、何故!」
[#底本では「」」欠字]
魏堂は
徒()に
握()まれし兩の手を
振退()んと
揉掻()きながら、
「何故だか彼れに問へ、彼れに問へ、彼れ自分に
覺()が有る、彼れに問へ」來客は此言葉に余が何か云ふ事かと眼を余の顏に轉じ來れり。中に彼のフレシヤ氏は、
「彼れに問へとて伯爵は返事するに及びませぬ、充分の返事が有ても茲は花里氏から其譯を云ふ可き時です。」
余は此言葉を聞流し、自ら怒を
推靜()たる聲にて、
「イヤ諸君、私しに問ふた處で、此の
方()の立腹するのが何の爲だか何うして私しに分りませう、
夫共()此花里氏は唯今私しの披露した夫人に對して自分で何か望みを
屬()し、私しを辱しむる口實でも持て居るのか知れませんが」と云ながら魏堂を見遣るに、彼れ餘りの立腹に今にも氣絶せぬにやと氣遣はる。彼れ殆ど息の止る如き聲にて、
「何だ口實でも、口實でも馬鹿め、己れの口から
能()く
先()ア其樣な事が。」
交際家マリナ男爵は穩かに、
「花里氏、夫は唯だ
罵詈()と云ふもの、紳士は何處までも筋道を立て云はねば、コレ花里氏、君は一婦人の爲に笹田伯爵と云ふ大事の親友を失ふ氣か、婦人は幾等でも有る、親友は又と無いぜ。」
余は猶ほ胸より下の酒を拭ひながら、
「イヤ若し花里氏が唯だ夫人に對する失望の爲め斯る怒りを發したと爲らば私しは深くは咎めません、年が若く
血氣感()で隨分是くらゐの事は有り
内()です、充分私しの謝罪の語を
述()れば、私しは彼れを許し、全く此暴行を忘れて遣ります」決鬪家ハメル氏は「イヤ伯爵、是ほどの無禮を一片の詫言葉で許すとは實に前代未聞です、貴方は心が廣過ます、人を許すに
吝()ならぬ
基督()さへ
猶太人()を許さぬでは有ませんか、今夜の花里氏の振舞は許す事の出來るものと全く種類が違ひます」温和なマンシニ氏すらも「全く其通りです」と賛成せり。
魏堂は
唯怒()のみ身に
存()して其他一切の情は悉く消盡し、全身怒の固りに
化()たる如く「ナニ謝罪、謝罪、
反對()だ、反對だ」と叫びながら、客の
中()にて誰か我身に賛成する者は無きやと見廻る如くなりしが、非常の失望は非常の力を與ふるとか「ヱヽ、放せ」と高く叫びてハメル氏とダベン侯爵を拂ひ退け、
有合()す
盃()を取りてグツと一口に
呑乾()せしは、餘りに咽が乾きて聲さへ自由に
出()ざるが爲なる可し。
斯くて彼は一直線に余が許に飛來り「
嘘吐()き
奴()、耻知らず奴、手前の樣な人非人が又と有うか、夫人を
偸()みやがツて、
己()を馬鹿に仕やがツて、命を取らねば承知し
無()ぞ。」
余は茲に至り
聊()か滿足の想ひなり、嘲る
笑()の口許に浮び來るを食止めて猶ほ眞面目なる色を示し、半ば彼れ、半ば來客に向かひつゝ「ハイ命の
取遣()も時宜に依ては決して辭しません、笹田折葉老體と
雖()もお相手致しませう、けれども花里さん、貴方から其樣に言はるゝ理由が更に私しには分りません、今申す夫人は貴方に對し少しの愛情も無く、從ツて何の約束も仕た事無く、何の
勵()ましも
與()た事が無いのです、
偏()に自由の身で有て誰憚らず私しと夫婦約束を仕たのです、若し少しでも貴方に
勵()しを與へた樣な形跡が有れば、不肖折葉は直に此約束を解き、夫人を貴方に贈りませう、實に貴方の恨むのが奇怪です。」
一同の
客仁()は余の寛大なるに感ぜし如く「花里氏は餘り酷い、
賤()し過る」と評するも有れば「伯爵は實に聖人だ」と云ふも有り、ダベン侯爵は猶も落着き「實に聖人です、私ならアノ樣に事を
分()た問答などは仕て居ません」と云ふに「勿論です」「私しでも」「私しでも」と云ふ聲は殘らずの口より
出()たり。茲に至りて魏堂の顏は鉛色の如くに青く、其眼は毒蛇の目の如くに鋭し、彼れ猶一足余に
迫寄()り「
己()れは夫人が少しも此花里を愛せぬと
拔()したな、
盜坊奴()、臆病者奴人で無し奴、爾して
己()に謝罪せよと云ふのか、サア己の謝罪は此通りだ」と云ふより早く彼余の横顏を痛く叩けり。
彼れが指なる
夜光珠()の指環(即ち余波漂の指環)は余の頬に傷を附け、點々と血の流るゝに至らしめたり、一同の客人は之を見て
嚇()と怒り、
將()に彼れ魏堂に向ひ爲す所ろ
有()んと見えしが、余は頬の血を拭ひながら彼のダベン侯爵に
[#「ダベン侯爵に」は底本では「タベン侯爵に」]打向ひ騷がぬ聲にて「侯爵、事茲に至ては私しより花里氏への返事は唯一つしか有ません、貴方は其返事の介添人と爲り、決鬪の準備をお運び下されますまいか」侯爵は肩を
聳()かし「進んで介添人を勤めませう」と云切たり。
六一
讀者よ、魏堂が血眼に怒り狂ひ、余に盃を叩き附け、余の頬に血の出るまで打擲して余を辱しめんとするは是れ余が此上も無く滿足に思ふ處なり。余は此時ほどの愉快は無し、彼れが心の
苦()み如何ばかりぞ、余が彼れと余の妻那稻の
抱合()しを見し時よりも彼れは猶ほ腹立しく思へるならん、猶ほ絶望せるならん、品位正しき滿座の中にて前後に構はず荒狂ふ、アヽ彼れ余を辱しむるにあらで自ら其身を辱しむるなり、滿座の客皆彼れを叱り
懲()して唯だ余の寛大なる處置に服せり。余はまた何をか顧みんや、此上に余は是れより彼れと決鬪し、
無惜々々()と彼れの
汚()たる
腑()を
剔()り拔く場合を得たり、名譽ある佛國の決鬪家ダベン侯爵すら勇み進んで余の介添人たるを承諾せり、愉快、愉快、
待()に
待()たる余が復讐の時來れり。
彼れ魏堂め
斯()と見て
大聲()に「勿論ヨ、決鬪サ、決鬪サ」と高く
呼()はり、
室中()を驅廻るは誰れか介添人たらんと
申出()る者ある可しとの所存なるにや、滿座の客誰一人聲を發せず、唯だ
賤()み
斥()くる眼にて彼れを見るのみなれば、彼れ猶ほ怒れる顏の儘にて
終()にフレシヤ氏の前に立留れり。
氏は元陸軍の大佐にして當時の勇士、人に
物頼()れて「
否()」と
一歩退(を愛する如くに見えたる事など思ひ
出(いだ)せば、嬉しさ心に餘りて忘れられぬほどに思ひ候、當寺の尼達孰れも昔しなじみ故妾の來りしを喜ぶ事一方ならず、既に御身が
何時來(なんどききた)るとも差支へなき樣計らひ置きたれば、
何時(いつ)までも妾を淋しさに堪ざらしむる勿れ」とあり。
其筆より
出(いづ)る文句も其口より
出(いづ)る文句と同樣に巧にして同樣に僞りなれば余は瓶藏の退きたる後にて「ヱヽ汚らはし」と打叫び
寸斷々々(ずだ/\)に引裂きて火に
燻(く)べたり、茲に至りては、最早や一
日(じつ)の心を勞したる疲れの爲め、氣分の甚だ
惡(あし)きを覺ゆるに至りたれば余は
臥床(ふしど)に
入(いり)たるが、疲れながらも容易には眠る能はず、
翌朝(よくてう)の
明方(あけがた)に至り
纔(わづか)に
微睡(まどろ)みて目を覺せしが再び眠り得べしとも思はれねば其儘にして
起出(おきいづ)るに、
大(おほい)に余の心を引立る一
物(もつ)こそあれ、
(そ)は外ならず羅馬より發したる魏堂の電報なり、其文甚だ明かにて、
「仰せの如く
來(きた)る廿八日歸り行く、御地の
停車場(すてーしよん)に着くは午後六時三十分なり、那稻の許へ行くよりも先づ第一に御身の許に行き、
御申越(おんまをしこ)しの
宴(えん)に
列(つら)なる可し、余の爲に斯まで盡さるゝ御恩は御目に掛りし上ならでは到底謝し盡されず」
云々(しか/″\)と有り。
余は宛も相撲取が土俵に
上(のぼ)りて相手と顏を合するや忽ち何も彼も打忘れて唯だ總身に力瘤の現はれ來ると同じく、寢不足も氣分の
惡(あし)きも全く忘れ、唯だ武者振ひに身の振ふを覺ゆるのみ讀者余は既に復讐の土俵際に臨みし者なり、待に待たる土俵際は實に
爰(こゝ)なり。
五六
愈々魏堂が歸り
來(きた)る廿八日とはなりぬ、彼れを歡迎する宴席は余が
畢生(ひつしやう)の氣力を注ぐ大復讐の
序開(じよびら)きなれば余は朝の中よりして充分に心を盡し其用意に取掛りたり。會場は即ち余が宿の階下なる大廣間にして今までとても可なり立派なる會食の堂なりしを余は猶ほ一入の贅澤を加へん爲め、宿の
主人(あるじ)に
數多(あまた)の金を取らせ、數日
前(ぜん)より既に其飾附を
取毀(とりこは)し、壁に掛たる鏡より床に敷く
絨氈(じうたん)までも凡そ當國で手に
入(い)る丈の高價なるを取揃へ、椅子一脚にても大抵の家の爲には一身代とも云はる可き程の金目を掛けたれば、其他窓掛け
卓子掛(ていぶるがけ)まで殆ど
美盡(びつく)くし
善盡(ぜんつく)し、
奢(おごり)に
耽(ふけ)る東洋の王宮にも斯まで
奢侈(しやし)を極めたる室は
無(なか)らんと思はるゝ迄に出來上れり、之に準じて客に饗する
酒肴(さけさかな)は又驚く可き上等品にして、盃一杯に十
圓金(えんきん)を盛る程の割合に當れど、余は敢て驚かず、宿屋の主人や給仕達などが、
「何の樣な宴會かは知りませんが是では餘り勿體な過ます」と評するを余は唯だ
笑(ゑみ)て聞流すのみ、飾附の爲め
雇(やとひ)たる職人の一
人(にん)は其仲間に向ひ「ヱ、帝王の婚禮でも是ほど立派な用意は出來まいぜ」と呟きたれど、余は心の中にて「浮世の
樂(たのしみ)一切を捨盡し、復讐の外に何の目的も無き余波漂が其復讐の用意なれば、世界に例の無き事もせざる可からず」と呟きしのみ。
此日余が招待を發したるは魏堂と余の
知人(しりびと)の中にて撰びたる者にして其數十三人、余と魏堂を加へて十五人なり、孰れも招きに應ずるの返事を送り越したれば余は殊の外滿足して待居るうち、漸く午後の六時と爲れり。朝の中は天氣も曇り勝にて殊に風さへも加はり、
一荒(ひとあれ)あるかと氣遣はれしも此時に至り最と穩かに
晴鎭(はれしづ)まりたれば、余は先づ魏堂への約束通り停車場へ馬車を遣り、自分は客を迎ふる用意の爲め、
着服(ちやくふく)を改めんとて從者瓶藏を從へて室に
入(い)れり先づ箪笥より最も新しき
一襲(ひとかさね)を
取出(とりいだ)し、次には
光輝(ひかり)の非常なる夜光珠の
鈕(ぼたん)を取り之を瓶藏に渡して
白衿(しやつ)の胸に附けよと命ずるに、瓶藏は受取りて其鈕を己が袖口に當て磨き、暫くにして附終りたり、余は
徐(おもむ)ろに彼れに向ひ「コレ瓶藏。」
「ハイ旦那樣。」
「今夜の宴會に
其方(そのはう)は余の椅子の後に立ち酒を注ぐ役を勤めるのだぞ。」
「ハイ心得ました。」
「其中にも花里魏堂氏の
盃(さかづき)に注意せよ花里氏は余の右に
据(すわ)るから何時でも其盃に
浪々(なみ/\)酒の有る樣に氣を附けろ、少しの間でも盃が空に成らば其の方の手落にするから。」
「ハイ心得ました。」
「夫から何の樣な椿事が起らうとも、其方決して驚いては成らぬ、平氣で
其處(そこ)に立て
居(を)れ、何でも宴會の始めから終りまで、
己(おれ)の差圖が無い以上は決して
其所(そこ)より動いては成らぬ。」
「畏まりました」答へながらも何の爲め斯る嚴重の命令を
受(うく)るにやと怪む體の現るゝも無理も無し。余は輕く笑みて
一歩(ひとあし)進み彼れの腕に余の手を當てつゝ「先日渡した短銃は何うした。」
「二挺とも充分に掃除して、
何時(なんどき)でも使はれる樣にしお居間の卓子の上に載せて有ります」余は喜びて「では好し、是から其方は客の來るまで
疎(そさう)の無い樣、客室を見廻つてゐて
居(を)れ」と云ふに、瓶藏は充分呑込みし樣子にて立去りたり。
後に余は鏡を控へ、念の
入(い)る丈け念を入れて
朝粧(ていしやう)に取掛れり、余は波漂たりし頃より衣服には隨分注意する
質(たち)にして折に應じての
着(ちやく)し
方(かた)は
悉々(こと/″\)く能く心得たり、殊に世の中には如何ほど立派なる衣類を着るも更に引立たずして給仕の燕尾服と間違へらるゝ如き人も有れど、余は幸ひにして格好好しと
唱(しやう)せらるゝ部類にて、衣服の立派になるに從ひ愈々品格も上る方なれば着替が終りて鏡面に
[#「鏡面に」は底本では「帳面に」]寫る姿は我ながら見違へるばかりなり、斯て愈々服裝の終りし時しも
戸外(おもて)の
方(かた)に
輾(きし)り
來(きた)る馬車の音、
疑(まが)ひも無き
停車場(すてーしよん)まで魏堂を迎へに
出(いだ)したる余が馬車なれば、余は既に我が敵の近く戰場に寄せ來りしを知り、熱血の顏に
上(のぼ)り、動悸の早く打つを覺えたれど自ら心を推鎭め彼れを迎へんとて廊下に
出(いで)たり。
五七
余が廊下に
出(いづ)るや殆ど魏堂と鉢合せする程に
出逢(いであ)へり、彼れ長々の伯父の看病に顏に幾分か其顏の
窶(やつ)れたる所も見ゆれど、伯父の身代を我物とせし嬉しさは其窶れを推隱して猶ほ餘る程に歡びの色を添へたり、彼れ余を見るや早く打笑ひて、
「イヤ伯爵貴方のお手の行屆くには
唯最(たゞもう)感々服々の外有りません、お顏色も餘ほど若やいで見えますぜ。」
「イヤ夫は私しが云ふ事です、貴方こそ若やぎました、身代が出來ると何うしても人品が
上(あが)りますよ」云ながら余は彼れを居間の中へ導き
入(い)るゝに、彼れは第一に
彼(か)の瓶藏が磨きて卓子の上に載せたる短銃の箱に目を留め、異樣に顏の筋を動かしたれども通例の
短銃箱(ぴすとるばこ)とは其作り方
異(こと)にして
飾立(かざりたて)も見事なれば、短銃には非じと思ひしが更に目を轉じて余の服裝に注ぎ、
「オヤ貴方が是程のお拵へなら、賓客の席に
据(すわ)る私しも此の
旅着(たびぎ)の儘では出られません、幸ひ荷物も貴方の馬車で
停車場(ていしやぢやう)から持て來たのですから次の間で着替へませう。
[#「着替へませう。」は底本では「着替へませう、」]」
「イヤ夫は急ぐに及びません先づ是でも呑で
緩(ゆつ)くり」と云ながら余は常に居間の中に蓄へある古酒の口を拔き、
盃(こつぷ)に注ぎて彼れの前に置くに、彼れ咽の乾きし人が水呑む如くに呑ながら、
「實は
停車場(すてーしよん)から直に那稻夫人の許へ行度いと思ひましたが貴方への約束ゆゑ。」
「イヤ那稻夫人の事は爾心配するに及びません、貴方の留守中私しより外の男は一人も夫人の傍へ近きません」彼れ安心して胸を撫で「爾だらうとは思ひますが。」
「思ひますが片時も早く顏見せて喜ばせ度いと云ふのですが、爾うお急ぎ成さるなバイロン詩伯が云ふ通り星と女は夜に
入(い)つて能く見える者ですから少々
更(ふけ)ても構ひません。」
「夫は爾ですが」と云ひて彼れ漸く鎭りつ更に語を轉じて「今夜招がれる賓客は誰々ですか」と問ふ、
「イヤ孰れも貴方の知た人です」と云ひ余が讀上る人名は皆此土地にて交際界の
達者(たてもの)にて、此人々に
擯(しりぞ)けらるれば高貴社會へ
顏向(かほむけ)も出來ぬと云ふ程、嚴重なる紳士達なれば、魏堂は一方に其身の窮屈を恐るるよりも此紳士達に迎へらるゝ己れの名譽を喜ぶ如く「成る程、撰びに撰んだ顏揃ひです、是ならば那稻夫人に逢ふのが遲れるのも厭ひません。」
[#底本では「」」欠字]
余は腹の中にてヘン那稻夫人には逢るか逢ぬか分らぬ
哩(わい)と呟きながら、來客名簿の最後に讀上る人名は、當時佛國の決鬪社會に東西の
兩大關(りやうおほぜき)とまで噂さるゝ
大(だい)の決鬪家ダベン侯爵及び中佐ハメル氏なり、魏堂は此名を聞きて色を變じ、
「オヤ/\大層恐ろしい。」
「エ何が恐ろしい、此兩君は先達て貴方が私しを紹介したでは有ませんか、其時貴方は斯る有名の人が一緒に當府に遊びに來たは殆ど例の無い事で、當府の名譽だと言たでは有ませんか、夫だから私しは招いたのです。」
「成る程夫は爾ですが、少しの事から喧嘩でも
買(かは)れると困りますから。」
「ナニ今夜の席に喧嘩の種が有ますものか」魏堂は全く合點して「夫は爾です、
何故(なにゆゑ)か私しは此頃に至り少しの事も氣に成て變に神經が落着きません。」
「尤もです、夫人と分れて居た爲でせう、一夜夫人の
接吻(きつす)を受れば何の樣な神經でも落着きます」と云つて笑ふに魏堂も同じく笑ひたれど、何とやら餘韻の無き不安心なる笑ひ樣なり。
頓て彼來客人名簿を手に取て見直しながら。
「ですが伯爵、今夜の
宴(えん)は唯私を歡迎する計りの爲ですか。」
「勿論です、縱や外に多少の
目的(もくてき)が
有(ある)としても總て貴方を
目的(めあて)です、貴方が歸ねば決して此宴は開きません」魏堂は身に餘る光榮を謝する如く額に手を當て、
「夫は私しへ餘り貫目を
附過(つけすぎ)ます、迚も私しは是ほどの歡迎を受る値打は有ません。」
「ナニ値打が無い、夫は自分を踏倒さうと云ふ者です、今夜出席する紳士の内に一人として貴方を敬愛せぬは有ません、私が若しこの宴を開かねば誰か外の人が開きました、既に那稻夫人の前の所天波漂殿なども貴方を兄弟の樣に大事に仕たと云ふ事では有ませんか」と云ふに波漂の名前は神經の穩かならぬ彼れが心に
最(いと)痛く應へしと見え、彼れビクリと驚きて、
「最う伯爵、後生ですから波漂の名を云はぬ樣に仕て下さい、夫でなくとも此數日間彼れの事が心に浮んで困ります。」
「夫は何う云ふ譯で。」
「イヤ伯父の死際の苦みを見て、フト波漂の事を思ひ出しました、伯父は既に身體の力も拔け、自然の衰へで死る身だのに是ほど苦むかと思へば、血氣
盛(さかん)の波漂が死る時には何れ程か苦い事だツたらうとツイ此樣に思ひました」然り/\波漂は死際の苦みより猶ほ死後の苦みに堪へず、夫が爲め汝に仇を復す心を起し、此通り白髮の鬼と爲り此世に來りて汝の身に附きまとへり、
今現(いまげん)に汝の前に立つ余が取も直さず其波漂なるを知らざるか。
彼れ猶ほ語を繼ぎ、
「波漂と私しは小學校からの友達で、散歩する時なども丁度女生徒の樣に首と首とに手を卷合ひ、少しも離れぬ程でした、殊に彼れ私しより身體が一層強かツたから、死神と鬪ふ間の其苦みは非常に激かツた者に相違有りません」彼れが余波漂を優き言葉にて評するは唯だ此れが初てなり、余も異樣に神經の動くを覺えたれば、
「イヤ花里さん、此樣な話は宴會の
前(ぜん)に不適當です、
先(ま)ア着物でも着替へてお
出成(いでな)さい」彼れ
思出(おもひいだ)せし如く「アヽ爾しませう」と云ひて立ち「本統に蟲が知すか夫とも神經の
狂(くるひ)だか、何と無く胸に恐ろしげな感じが浮びます、何うか過ちでも無ければ好いと自分で氣遣ツて居るのです」と云ふ、成る程其顏色さへ、惡夢に魘され我聲に驚きて目を覺せし人に似たり。余は「全く伯父の死際の事を
未(まだ)忘れぬ爲ですよ」と評して彼れを次の間へ送り
出(いだ)せしが、思へば彼れ實に憐れむ可し、今まで余は唯だ彼れを憎む一方にて
憐(あはれ)の念は露ほども
無(なか)りしに、如何にも昔し學校に
居(をり)し頃を思へば余と彼れは首に手を卷合て散歩したり、夫が今は是れ
敵(かたき)と敵、是と云ふも畢竟は那稻と云へる僞り女が余と魏堂の間に
入(いり)たればこそ、之を思へば那稻の罪魏堂よりも幾倍なり、那稻さへ無りせば彼れも僞りに染られず昔の清き魏堂にして余も此世界に唯一人の世捨人とはなるまじきに、
爾(さ)は云へ今更ら復る可き事に非ず、
指(さし)て行く可き余が道は
今日(こんにち)までの定めの如く先づ重く魏堂を罰し次に猶重く那稻を罰する大復讐の一筋のみ。
五八
既にして
夜(よ)の八時に至れば兼て招待せし賓客は或は二
人(にん)或は三人づゝ集りしか、其中にて唯だ
二人(ふたり)だけは不意に急用の生ぜし爲め遺憾ながら宴に列なる能はずして丁寧なる斷り状を持せ越したり、是にて主客十五人の兼ての定めは減じて十三人とは成りたるが、
抑(そ)も十三と云へる數は耶蘇教の
古事(ふるごと)にて最と不吉に當ると見做され、歐米孰れの國にても忌嫌はるゝ習ひなる事讀者の既に知る所なる可し、勿論道理の上に於て十三人なるも十五人なるも少しも異なる所なく、數の爲に不吉なる事の起るなどとは全くの妄信なれども、殊に
伊太利(いたりや)は斯る事を信ずるの國にして、若し一個の卓子に十三人の客集れば其中の一
人(にん)は必ず一同に
負(そむ)くの人と爲り殺さるゝに至る可しと云ひ傳ふ、誠に愚なる云傳へなれども余は今夜の席にて余の
爲(なさ)んとする仕事などを思ひ合はせ、偶然にもせよ此宴席が十三人の數と爲りしは誠に不思議の事なる哉と心の中に
含(うなづ)きたり、去れど氣の附ずに居る來客に斯樣の事を
故々(わざ/\)吹聽しては大に興を妨ぐる道理なれば、余は無言にて一同を宴會の
室(しつ)に
入(い)るゝに、茲は是れ酒池肉林、注意
隈(くま)なく行屆きて人に一點の不快だも與へぬ樣に用意せし事なれば、客は唯だ見る物毎の立派なるに氣を奪はれ、頭數の不揃なるには氣も附ぬ樣子にて
我勝(われがち)に主人の行屆けるを褒め、暫しが程は且呑み且食ひ且
笑談(じやうだん)し
和氣靉々(わきあい/\)と室中に滿渡る程なりしが、何の爲にや次第/\に話し聲低く爲り、
一人(ひと)り默り二人默りて
果(はて)は宛も病人の枕許に通夜でもする人の如く只だ
寂然(ひつそり)と
鎭(しづま)りたり。
扨は誰も彼れも口に出しては云はざれど
自(おのづ)から此數に氣が附しかと余は主人の身として
私(ひそか)に心を痛むるに此時佛國の大決鬪家ダベン侯爵は聲を揚げ、
「諸君は何等の鎭り方です、是ほど結構な宴に臨み、互ひに
鬱(ふさ)ぎ込で仕舞ふとは主人伯爵に對して失禮なのみならず、實に寶の山に
入(いり)ながら手を
空(むなし)くすると同樣では有ませんか。今夜の樣に酒は旨く、肉は
豐(ゆたか)に、而も
居心(ゐごゝろ)の好い宴會は又と有る事では有ません」フレシヤと云へる一紳士其尾に附き「而も此樣に氣の合た名士のみの集會は求めても得られません」と
勉(つとめ)て客の氣を引立んとすれど更に引立つ樣子なく、却て益々沈むのみ、最早や詮方なし余は立上りて十三の數の忌むに足らぬを辯解せんかと殆ど其身構へするに、此時當府第一の交際家と知られたるマリナ男爵立上り「アヽ分りました諸君が益々陰氣になるは
此室(このへや)に居並ぶ數が丁度十三で有るからの事でせう、斯樣な事を氣に掛けて此良夜を空くするとは人に聞れても我々が
耻(はづか)しいでは有ませんか、文明の紳士とも云はれる者が詰らぬ言傳へを信ずるとは何事です、成る程
猶太國(ゆだやこく)の
古事(こじ)で十三人の中一人だけ敵に内通し
終(つひ)に殺されたと云ふ事は有るにもせよ、夫が今夜の吾々と何の關係が有りませう、我々は彼の猶太人イスカリオとは違ひますから、此親密な十三人の中に誰が殺され、命が無くなるのだと云ふのです、皆百歳も生延る積では有ませんか」と述べ席中を見渡すに、一同
實(げ)にもと思ひしか「ヒヤヒヤ」とて手を打叩き、又愉快げに騷ぎ
出(いだ)す其中に唯だ魏堂一人は最も深く神經を痛めし如く容易には引立たず、卓子の上に置く其手先さへ
微(かすか)に震ひ動くを見る、察するに彼れ其身が
將(まさ)に大復讐を加へられんとする場合にまで臨める爲め、神經
自(おのづ)から感應する者にや有らん。
余は先づ
主(しゆ)として彼れの浮立つ樣、種々の話を
持掛(もちかく)るに、彼れは瓶藏が注ぐ酒の力に漸く心を取直ほし雜話をも初むるに至りしかば、是よりして席上は今までの反動にて一層の賑ひを添へ、客と客思ひ/\に
己(おの)が得意の話を
持出(もちいだ)し人の言葉は耳に
入(い)らず、決鬪家ダベン侯爵の如きは隣の人に撃劍の秘術を解き、口にて言盡されぬ所は實物にて示す氣か、皿の上なる
小刀(ないふ)を取り或は上段或は
下段(げだん)、敵が斯すれば茲を突くなどと罪も無き
豕(ぶた)の肉をば知らず/″\
寸斷(ずた)/\に切りたるも
可笑(をか)し、唯だ余のみは此騷ぎに釣込るると見せながら初より一滴の酒を呑ず、心を
最(いと)も確にして
機會(をり)の
來(きた)るを待居たるに今は酒も早や充分廻り興も
盛(さかり)に達したれば最早や好き時刻と思ひ、夫と無く魏堂の樣子を見るに彼れ
傍(かたへ)の人に向ひ
喋々(てふ/\)と那稻夫人の美しき容貌を説き誇れり、勿論那稻と云ふ名前は出さねど余の耳には
蔽(おほ)ふ可くも非ず、茲なりと余は微笑みて卓子の小口に立上り、演説する辯士の身構へにて先づ一聲「諸君」と呼び、一同を見渡したり、是より余が
説出(ときいづ)る所を聞け。
五九
アヽ讀者、余が僞奴の僞りを知りてより今に至るまで既に三千五百時間、其間余が心は一寸の絶間
も(たえま)無く人たる者の
堪(た)へ得ざる汚辱を堪へ、譬ふるに物無き苦惱を受け、唯だ復讐の時熟するを待居たり。時として刻として余が胸には深く劍を刺して
剔(ゑぐ)らるゝ程の痛みを感ぜぬは無く、一時間に一度としても余が腹は
千切(ちぎれ)に千切て三千五百
切(ぎれ)の
寸斷(ずだ)/\と爲りし者なり、血にも餘り涙にも猶餘る余が想ひは、積に積て茲に
張裂(はりさく)る間際とは成りしなり、卓子の一端に立ちて一同を眺め、返す眼に魏堂の顏を
睨(なが)む、余が目の光は、若し黒目鏡を外せしならば滿堂の來客を燒殺す程なりしやも知る可からず、余は唯だ必死の想ひにて先づ聲を和げ再び「諸君よ」と打叫ぶに
興酣(きようたけなは)なる來客は余の聲容易に耳に
入(い)らず、余の左に坐すマリナ男爵は余を氣の毒に思ふ如く、
食刀(ないふ)の柄を以て卓子の上を叩くに、此音に驚かされ一同漸く鎭りて余の言葉を謹聽するに至れり。
余は
徐(おもむ)ろに説きて云ふ。
「折角諸君の打興じたる所をお妨げ申すは
心無(こゝろなし)の
業(わざ)ですが、決してお妨げ申すので無く、實は諸君に最も
歡(よろこば)しき一事を報じ一層其の興を深くせん爲で有ます(ヒヤ/\の聲起る)諸君今夕の宴會は既に招待状に記した通り是なる花里魏堂君を歡迎する爲で有ます、花里君は後進の交際家とは云へ此席に列する紳士は
孰(いづ)れも花里君を兄弟の如く思ひ、君の歡びは共に歡び君の悲みは共に悲む間柄で有ませう(然り、然り)此花里君が今夕羅馬より歸られたのは唯の歸郷では無く最も
嬉(よろこ)ばしき歸郷です、花里君は非常なる財産を相續して其の身に相應する丈の身代を得て歸られました。是よりの花里君は
今日(こんにち)までの君と違ひ最も裕福なる紳士ゆゑ、私しは諸君と共に花里君の爲めに
祝盃(しゆくはい)を
舉(あげ)ん事を望みます」と
述(のぶ)るに拍手喝采は卓子の周圍より隈なく起れり、喝采の終ると共に一同は盃を上げて「花里魏堂君の萬福を祈る」と云ひ一
聲(せい)に
呑乾(のみほ)すも、魏堂は殆ど人間滿足の絶頂に達したる如く其笑顏を隱し得ず、餘りに
笑頽(ゑみくづる)るを極り惡しと思ひしか、
纔(わづか)に
小卷(こまき)の煙草を
燻(くゆ)らし、窓に振向きて
漁火(ぎよくわ)點々たる
寧府灣(ねいぷるわん)を眺むるのみ。
余は實に魏堂が如何ほど嬉ばしきやを知れり、彼れは早や交際社會の
大達者(おほたてもの)と
爲濟(なりすま)せし氣にて是より後は榮耀も快樂も唯だ心の儘ならんと思へるなり、然れども今が彼れ魏堂の最後の
樂(たのしみ)なり、彼れが身には此後に樂なからん。
上(のぼ)る事
愈々(いよ/\)高ければ
落(おつ)る痛みも益々強き譬へ、余は唯だ彼れを九地の底に落さんが爲め先づ九天の上に揚げたるなり。
余は一同が魏堂を祝す聲の
稍(や)や鎭るを待ち、再び聲を繼ぎ、
「併し乍ら諸君よ、此外に
猶(ま)だ一つ、最も之は
序(ついで)ですが、諸君に披露して同じく歡んで頂かねば成らぬ事が有ます(謹聽、謹聽)と申すは外で無く
近々(きん/\)私し伯爵笹田折葉の身に降掛る最大の幸福です」異樣なる言葉に來客益々耳を澄し、今は余が一呼一吸をも聞洩さじとするに似たり。
「諸君は定めて意外だと思ひませうが私しすらも意外です、
御存(ごぞんじ)の通り私しは禮儀に馴れず交際の作法にも
嫻(なら)はず(ノー、ノー、の聲四方より起る)イヤ幾等
否々(のう/\)と仰有つても兔に角私しは花里氏を始め滿堂の諸君の樣に決して貴婦人から大騷ぎをされる樣な男では有ません、私し自身も今の今まで婦人の事には斷念して
居(を)りました」是れまで云ひ來たるに來客は孰れも「成る程意外の
事哉(ことかな)」と云はぬばかりに顏見合ひ、中にも魏堂は殆ど呆れ返りし如く其煙草を取落としたり。
「私しは年も年、健康も今は衰へ、半ば病人、半ば盲目と云ふ程ですが、是が本統に結ぶの神の悪戯とでも云ふ者か天女の樣な美しい婦人に逢ひ、其婦人が私しを
惡(にく)からず思ひ
初(そ)めると云ふ事に成ました故、私しは近々婚禮するのです」魏堂は何思ひけん顏の色を青くして立上り、余に問ふ事の有る如く其
唇頭(くちびる)を動せしも、忽ち思ひ直してか尻餅
搗(つ)きたり、他の一同は暫し言葉も無き程に驚きしが、頓て口々に祝辭を述べ「笹田伯爵萬歳」と云ふも有れば「新夫人萬歳」と呼ぶも有り、一ダースの口より
出(いづ)る歡びの聲は暫しが程鳴りも止まず、最後に一
人(にん)、余と同じく獨身主義を取る
鵞泥(ガルドロ)子爵聲高く余を呼掛け「伯爵よ、婚禮さへせねば
寧府(ねいぷる)の美人は皆我物も同じ事です、其中の一
人(にん)を撰び法律上の我物とせば他の美人は皆失望して我が物で無くなります、貴方は一
人(にん)の美人の爲め百人の美人を失ひますよ」と笑ひながらに問掛る、余は
眞目(まじめ)に之を受け、
「イヤお説は豫てより私しも同意です、同意なればこそ五十餘歳の
今日(こんにち)が日まで獨身主義を貫きましたが、悲や眞の美人に逢ては如何ほどの獨身主義も粉々に
頽(くづ)れます、世界に又と有るまいと思はるゝ程の笑顏で私しの前に來り、私しの意を迎へ、私しの機嫌を取り、私しに婚禮の申込を促します。
人木石(ひとぼくせき)にあらぬ限は之が無情に振捨られませうか(ヒヤヒヤ)兔に角も今は既に確定して婚禮をするばかりですから諸君何とぞ私しの未來の妻の爲に祝杯を
擧(あげ)ん事を希望します。」
鵞泥子爵第一に高く
盃(さかづ)きを上げ、他の人々も
勇(いさみ)て其例に從へども、獨り魏堂のみは何やら
最(い)と氣遣はしげにて容易には
立(たゝ)んとせず、此時マリイ侯爵は余に向ひ「願はくは其新夫人のお名前まで御披露あらん事を」と云ふに魏堂も初めて力を得し如く立上り、乾きて聲の
通(つう)ぜざる喉をば一
盃(ぱい)の酒に
濕(うるほ)し、猶も震へる不穩の調子にて「私しも其問を發しやうと思ツて居ました、名を聞たとて定めし我々の知らぬ美人で有ませうが、夫にしても名を聞かねば」と云ひ漸く外の人々と同じく盃を取上げたり、余は音聲を朗らかにし、
「夫では茲で披露しませう、私しの新夫人は諸君が皆御存じです、故伯爵波漂羅馬内の妻たりし那稻夫人で有ます。」
一同ワツと驚きて猶ほ其驚きの聲を發せず、
髮(はつ)をも
容(いれ)ざる
際疾(きわど)き
間(かん)に、魏堂は早や烈火の如く、怒りに怒る叫び聲にて、
「己れ惡人
奴(め)、人非人奴。」
と鋭く余を罵るが否や手に持てる波々の祝盃を、碎けるばかりに余の顏に叩き附たり、狼藉、狼藉、滿堂は唯だ
鼎(かなへ)の沸くに似たり。
六〇
盃を余の顏に叩き
附(つく)る花里魏堂の振舞は實に亂暴とも狼藉とも評し樣なし、事情を知らぬ來客は口口に「個は
怪(け)しからぬ」と打叫びて
總立(そうだち)に立上り、アワヤと云ふ間に早や魏堂を取圍みぬ。余は此の鼎の湧くが如き中に、泰然と
立(たち)し儘にて先づ
半拭(はんけち)を取り肩の當りより滴り落る酒を拭ふに、第一に魏堂の右の腕を碎くるばかりに握りたるは佛國の決鬪家ハメル氏なり、氏は
迫込(せきこ)みて
雷(らい)の如き
大音(だいおん)にて「コレ花里君、君は
醉倒(ゑひど)れたか、氣が違たか、自分の振舞を知て居るか」と頭より
噛附(かみつ)くる。
魏堂が怒れる
面色(めんしよく)は
宛(さな)がら繩に罹りたる虎に似たり、眼の光凄まじきのみならず見る
中(うち)に額の
筋々(すぢ/\)膨上(はれあが)り、顏中紫色と爲り殆ど張裂くる程に見ゆ、彼れ片手を
捕(とらは)れながら猶ほ余の立つ所に迫り來り、口より吐く熱き息は余の顏に
火焔(ほのほ)の如く掛るを覺ゆ、彼れ
幾時(いくとき)か言葉も
出(いで)ず、唯だきり/\と齒を鳴すのみなりしが、又も怒れる聲にて「己れ人非人、己れの胸を
刺通(さしとほ)さねば置ぬぞ」と叫び躍りて余に
飛附(とびつか)んとするを左より又取て押へしは是ぞ佛國の決鬪家彼のダベン侯爵なり。侯爵は
敢(あへ)て騷がぬ調子にて「
猶(ま)だ早い、猶だ早い、コーレ吾々紳士は縱し
何(ど)れ程の立腹が
有(あら)うとも
人殺(ひとごろし)の罪は犯されぬ、決鬪と云ふ公明な
條規(でうき)の無い世の中じやア有るまいし、コレ花里氏、君は惡魔にでも取附れたか今夜の主人公に何故其樣な無禮を加へる、何故、ヱ、何故!」
[#底本では「」」欠字]
魏堂は
徒(いたづら)に
握(つか)まれし兩の手を
振退(ふりのけ)んと
揉掻(もが)きながら、
「何故だか彼れに問へ、彼れに問へ、彼れ自分に
覺(おぼえ)が有る、彼れに問へ」來客は此言葉に余が何か云ふ事かと眼を余の顏に轉じ來れり。中に彼のフレシヤ氏は、
「彼れに問へとて伯爵は返事するに及びませぬ、充分の返事が有ても茲は花里氏から其譯を云ふ可き時です。」
余は此言葉を聞流し、自ら怒を
推靜(おししづめ)たる聲にて、
「イヤ諸君、私しに問ふた處で、此の
方(かた)の立腹するのが何の爲だか何うして私しに分りませう、
夫共(それとも)此花里氏は唯今私しの披露した夫人に對して自分で何か望みを
屬(ぞく)し、私しを辱しむる口實でも持て居るのか知れませんが」と云ながら魏堂を見遣るに、彼れ餘りの立腹に今にも氣絶せぬにやと氣遣はる。彼れ殆ど息の止る如き聲にて、
「何だ口實でも、口實でも馬鹿め、己れの口から
能(よ)く
先(ま)ア其樣な事が。」
交際家マリナ男爵は穩かに、
「花里氏、夫は唯だ
罵詈(ばり)と云ふもの、紳士は何處までも筋道を立て云はねば、コレ花里氏、君は一婦人の爲に笹田伯爵と云ふ大事の親友を失ふ氣か、婦人は幾等でも有る、親友は又と無いぜ。」
余は猶ほ胸より下の酒を拭ひながら、
「イヤ若し花里氏が唯だ夫人に對する失望の爲め斯る怒りを發したと爲らば私しは深くは咎めません、年が若く
血氣感(けつきかん)で隨分是くらゐの事は有り
内(うち)です、充分私しの謝罪の語を
述(のぶ)れば、私しは彼れを許し、全く此暴行を忘れて遣ります」決鬪家ハメル氏は「イヤ伯爵、是ほどの無禮を一片の詫言葉で許すとは實に前代未聞です、貴方は心が廣過ます、人を許すに
吝(やぶさか)ならぬ
基督(きりすと)さへ
猶太人(ゆだやじん)を許さぬでは有ませんか、今夜の花里氏の振舞は許す事の出來るものと全く種類が違ひます」温和なマンシニ氏すらも「全く其通りです」と賛成せり。
魏堂は
唯怒(たゞいかり)のみ身に
存(そん)して其他一切の情は悉く消盡し、全身怒の固りに
化(ばけ)たる如く「ナニ謝罪、謝罪、
反對(あべこべ)だ、反對だ」と叫びながら、客の
中(うち)にて誰か我身に賛成する者は無きやと見廻る如くなりしが、非常の失望は非常の力を與ふるとか「ヱヽ、放せ」と高く叫びてハメル氏とダベン侯爵を拂ひ退け、
有合(ありあは)す
盃(こつぷ)を取りてグツと一口に
呑乾(のみほ)せしは、餘りに咽が乾きて聲さへ自由に
出(いで)ざるが爲なる可し。
斯くて彼は一直線に余が許に飛來り「
嘘吐(うそつ)き
奴(め)、耻知らず奴、手前の樣な人非人が又と有うか、夫人を
偸(ぬす)みやがツて、
己(おれ)を馬鹿に仕やがツて、命を取らねば承知し
無(ない)ぞ。」
余は茲に至り
聊(いさゝ)か滿足の想ひなり、嘲る
笑(わらひ)の口許に浮び來るを食止めて猶ほ眞面目なる色を示し、半ば彼れ、半ば來客に向かひつゝ「ハイ命の
取遣(とりやり)も時宜に依ては決して辭しません、笹田折葉老體と
雖(いへど)もお相手致しませう、けれども花里さん、貴方から其樣に言はるゝ理由が更に私しには分りません、今申す夫人は貴方に對し少しの愛情も無く、從ツて何の約束も仕た事無く、何の
勵(はげ)ましも
與(あたへ)た事が無いのです、
偏(ひとへ)に自由の身で有て誰憚らず私しと夫婦約束を仕たのです、若し少しでも貴方に
勵(はげま)しを與へた樣な形跡が有れば、不肖折葉は直に此約束を解き、夫人を貴方に贈りませう、實に貴方の恨むのが奇怪です。」
一同の
客仁(きやくじん)は余の寛大なるに感ぜし如く「花里氏は餘り酷い、
賤(いや)し過る」と評するも有れば「伯爵は實に聖人だ」と云ふも有り、ダベン侯爵は猶も落着き「實に聖人です、私ならアノ樣に事を
分(わけ)た問答などは仕て居ません」と云ふに「勿論です」「私しでも」「私しでも」と云ふ聲は殘らずの口より
出(いで)たり。茲に至りて魏堂の顏は鉛色の如くに青く、其眼は毒蛇の目の如くに鋭し、彼れ猶一足余に
迫寄(せきよ)り「
己(おの)れは夫人が少しも此花里を愛せぬと
拔(ぬか)したな、
盜坊奴(どろばうめ)、臆病者奴人で無し奴、爾して
己(おれ)に謝罪せよと云ふのか、サア己の謝罪は此通りだ」と云ふより早く彼余の横顏を痛く叩けり。
彼れが指なる
夜光珠(だいやもんど)の指環(即ち余波漂の指環)は余の頬に傷を附け、點々と血の流るゝに至らしめたり、一同の客人は之を見て
嚇(くわつ)と怒り、
將(まさ)に彼れ魏堂に向ひ爲す所ろ
有(あら)んと見えしが、余は頬の血を拭ひながら彼のダベン侯爵に
[#「ダベン侯爵に」は底本では「タベン侯爵に」]打向ひ騷がぬ聲にて「侯爵、事茲に至ては私しより花里氏への返事は唯一つしか有ません、貴方は其返事の介添人と爲り、決鬪の準備をお運び下されますまいか」侯爵は肩を
聳(そびや)かし「進んで介添人を勤めませう」と云切たり。
六一
讀者よ、魏堂が血眼に怒り狂ひ、余に盃を叩き附け、余の頬に血の出るまで打擲して余を辱しめんとするは是れ余が此上も無く滿足に思ふ處なり。余は此時ほどの愉快は無し、彼れが心の
苦(くるし)み如何ばかりぞ、余が彼れと余の妻那稻の
抱合(だきあひ)しを見し時よりも彼れは猶ほ腹立しく思へるならん、猶ほ絶望せるならん、品位正しき滿座の中にて前後に構はず荒狂ふ、アヽ彼れ余を辱しむるにあらで自ら其身を辱しむるなり、滿座の客皆彼れを叱り
懲(こら)して唯だ余の寛大なる處置に服せり。余はまた何をか顧みんや、此上に余は是れより彼れと決鬪し、
無惜々々(むざ/\)と彼れの
汚(けがれ)たる
腑(はらわた)を
剔(ゑぐ)り拔く場合を得たり、名譽ある佛國の決鬪家ダベン侯爵すら勇み進んで余の介添人たるを承諾せり、愉快、愉快、
待(まち)に
待(まつ)たる余が復讐の時來れり。
彼れ魏堂め
斯(かく)と見て
大聲(たいせい)に「勿論ヨ、決鬪サ、決鬪サ」と高く
呼(よば)はり、
室中(へやぢう)を驅廻るは誰れか介添人たらんと
申出(まをしいづ)る者ある可しとの所存なるにや、滿座の客誰一人聲を發せず、唯だ
賤(いやし)み
斥(しりぞ)くる眼にて彼れを見るのみなれば、彼れ猶ほ怒れる顏の儘にて
終(つひ)にフレシヤ氏の前に立留れり。
氏は元陸軍の大佐にして當時の勇士、人に
物頼(ものたのま)れて「
否(いや)」と
一歩退(ひとあしひ)きし事なし。魏堂め
其氣象(そのきしやう)を見拔きての事ならん、頓て息も世話しく「大佐、大佐」と呼掛けて「
私(わたく)しの爲に介添人を勤めて下さるのは、眞に貴方一人です、お
願(ねがひ)ですから何うぞ」と
言掛(いひかく)るに大佐は生れてより
初(はじめ)ての拒み言葉、斷乎たる
口附(くちつき)にて「イエ
了(いけ)ません」と滿場に聞ゆるほど高く叫び更に「私しは勤め度いが、良心が承知しません、貴方の方が惡い事は
三歳兒(みつご)にも分りますのに何うして其介添人に成られませう、私しは是より進んでダベン侯爵と共に笹田伯の介添人に
成度(なりたい)のです、是から侯爵に其許諾を得やうと思つて居る所です」とて物の見事に
刎退(はねのけ)つ
復(ふたゝ)び魏堂に
振向(ふりむか)ず、其儘余の介添人たるダベン侯爵の許に來れり、侯爵は嬉しげにフレシヤ氏を迎へ「貴方なら最も私しの望む所です」とて一も二も無く承諾せり、是にて余の介添人は早や侯爵と大佐との兩人に定りつれ。
魏堂は恨めしげに大佐と余を睨み捨て、次には侯爵と同じ佛國の決鬪家たるハメル氏に向ひたり、去れど流石の氏もフレシヤ氏と同じく
刎附(はねつけ)たれば魏堂は此上の恥辱は無しと更に又
一入(ひとしほ)の恨みを加ふる如く、
前額(ひたひ)の青筋を恐ろしきほど膨らせしも、茲に至りては詮方なし。彼れ殘る座客に向ひ一人々々に同じ事を
請(こひ)たれど孰れも唯だ「否です」「
眞平(まつぴら)です」と一
言(げん)に
退(しりぞ)くるのみなるにぞ、彼れ殆ど
泣(なく)が如く深き
呻吟(うめき)の聲を發せり。
余の介添人ダベン侯爵は此樣を
見兼(みかね)しにや、つかつかと彼れの傍に進み何か
注告(ちうこく)する
樣(やう)なりしが、彼れ忽ち其注告に從ひし如く、其儘彼方に
振向(ふりむき)て後をも見ずに此室を立去りたり。其樣宛も
傷(て)を
負(おひ)し
猪(ゐのしゝ)の去るに似たり。
アヽ彼れ孰れに行き何事を爲さんとするにや、余は怪さに堪へざれば、此時までも
直(な)ほ正直に余の
背後(うしろ)に立てる余の從者瓶藏に向ひ、小聲にて「
窃(ひそか)に彼れの後を
尾(つ)け、何をするか見屆けて來い」とさゝやくに瓶藏はグツと呑込み、夫とは無しに彼れ魏堂の後を追ひ、横手の出口より
出去(いでさ)りたり。去れど來客一人として之に氣附きしは無き樣子なり。
ダベン侯爵は直ちに余の許に來り、今しも魏堂に注告せし事柄を説明す心の如く「御覽の通り誰も彼れの爲め介添を承知する人が有ませんから、外へ行て求めて來るが好からうと云て遣りました、夫だから彼れ立去りましたが、實に不幸千萬な事件です」と
惆然(てうぜん)たる色を示すに、決鬪家ハメル氏は是に和し「實に不幸千萬な事件です」と口には云へど心には愉快千萬と思ふ如く、少しも憂ふる色も無く
反(かへつ)て
武者振(むしやぶるひ)に身を震せ「其代り萬が一、貴方が負る樣な事でも有れば、後で私しが然る可き口實を設け、彼れを殺して仕舞ひます」と太き拳を握り
締(しめ)しが、是よりは殘る人々孰れも余の
周圍(ぐるり)に集り、或は魏堂の無禮を罵り、或は余の不幸を慰め、或は又余が彼れに對するの餘り寛大に過たるを
齒痒(はがゆ)がるのみ。
其中に介添の侯爵は大佐と何か
細語(さゝや)き合ひて余に向ひ「今に向うの介添人が來ませうから、私共兩人、
[#「私共兩人、」は底本では「私共兩人 」]夫まで委細の手筈を相談しながら
此家(このや)に控へて待つと仕ませう」と云ひ、更に其時計を眺めて「既に夜も十二時になりましては餘り眠る暇も有ませんが、此樣な事は永びく
丈(だ)け不利益ですから愈々立合を明朝六時と致しませう、貴方は異存有ませんか」余は恭しく
首(かうべ)を垂れつゝ「少しも異存は有りません。」
「夫から貴方が
耻(はづか)しめられた方ですから決鬪の武器は貴方が定めねば成りません、何に致します、長劍ですか。」
然り然り長劍ならば余は充分稽古して人に恐れらるゝ程の腕前あり、之に引替へ魏堂は殆ど劍を持ちたる事も無く余に殺さるゝは必然なり、左は云へ敵の不得手を知り、
其虚(そのきよ)に乘じて
我得手(わがえて)を撰ぶことは勇士の
快(こゝろよし)とせざる所ろ、余は勇士に
非(あら)ざるも今まで我心に
耻(はづ)る如き振舞をせず、何も彼も正直一方に運び來し今と爲り、卑怯に己の得手をのみ撰び、公明正大なる此復讐を唯一歩にして我心に耻る如き者と爲さしむ可けんや、夫よりは彼れも上手余も亦上手なる
短銃(ぴすとる)を以て
鬪(たゝかは)んと「イエ、短銃に致します」と云切るに兼て魏堂が短銃射撃に
巧(たくみ)なるを知る座客の
中(うち)には、余の運命を氣遣ふにや、窃かに色を變るも有り
嗚呼(あゝ)人々が
贋笹田僞折葉(にせさゝだぎをりは)を氣遣ふこと斯までも深くして、昔の波漂を愛せしに劣ぬかと思へば余は何と無く涙の催さんとするを覺えたれど、猶ほ泰然として「ハイ短銃です」と再び云切りたり。
六二
左(さ)しもの侯爵も「
短銃(ぴすとる)」と云ふ余の決心を
危(あやぶ)む如く「全く夫で好いのですか」と問ひたれど余が斷乎として動かぬを見て、
偖(さて)は腕に覺えの有る事ならんと漸く安心せし者にや「では夫と定めませう」と云ひ、更に又「爾して場所は
此市(このまち)の
背後(うしろ)に在る丘の上の平地と仕ませう、丁度羅馬内家の裏手十町ほどの所に當りますが、
彼所(あそこ)ならば
極靜(ごくしづか)で妨ぐる人も無く落附て戰はれますから」
扨(さて)は余が家の墓窖に接したる場所を撰みし者なり。余が復讐の初まりしも
彼(あ)の地、行ふも彼の地なれば余は充分滿足し、余は無言にて
點頭(うなづ)くに、
「
左(さ)すれば、是れで
大略(あらまし)は定りました、時間は明朝の六時で、場所はは丘の上、武器は短銃と唯だ
極(きま)らぬは貴方と花里氏の立つ距離ですが、是は
向(むかう)の介添人が來るのを待ち双方の協議を以て定ます」余は勿論異存無ければ有難げに其手を握り締しが、此の間殘る來客は
稍(や)や
興醒(きようさ)めて見えたれば余は此等一同に打向ひ「皆樣、今夜の宴會は遺憾ながら寧ろ不愉快に終る事と爲りました會主たる私しの身に取りては誠に
申譯無(まをしわけな)き
不行屆(ふゆきとどき)です。幾重にも皆樣に謝罪を申さねば成ません、
然(しか)し私しが皆樣をお招き申すは決して是が終りでは無く、
此後(こののち)とても充分其場合が有る事と信じます、萬一明朝の決鬪に私しが
負(まけ)を取り再びお目に掛らずに此世を去る事とも成らば、其時こそは今夜の皆樣の御厚意を冥途の底までも覺えて行きます、又幸ひにして、生殘れば先刻披露致しました那稻夫人と婚禮するも遠き事では有ませぬ故、其節こそは充分の
盛宴(せいえん)を張り、今宵の樣な不祥を見ずに皆樣共に歡を盡し今宵の不出來を償う事に致しませう、最早や決鬪するに極りし以上は諸君の面前を
憚(はばか)ります故、
御免蒙(ごめんかうむ)りて私しは此席を
退(しりぞ)きます、諸君お
更(さら)ば」と一禮して退かんとするに一同は立來りて再び余を取圍みつ我先にと余の手を取り、今夜の宴は
縱(よ)し不詳に終りしとするも、決して主人の厚意を疑はずと、云ひて益々此の
後(のち)の交情を温めんと誓ひ、
交(かは)る/″\余を慰めたり。
余は漸くにして是等の挨拶を終り、二階なる余の室に
入(い)りホツと息して身を引伸すに、此時來客の二
人(にん)或は三人づゝ歸り行く聲も聞え、余の介添人たる侯爵と大佐とが別室より給仕を呼び熱き
珈琲(かうひ)を云附る聲も聞ゆ、又暫くにして給仕等は彼の宴席に
食殘(くひのこ)る肴などを片附ると覺しく皿小鉢の音も彼等が今宵の椿事を噂さする聲と共に聞ゆるにぞ、余は痛く人々を驚かせしもの哉と思ふに連れ、又思ひ
出(いづ)るは先刻
卓子(ていぶる)を圍みたる主客の數なり、十三人坐る
中(うち)には必ず一
人(にん)の
反者(はんしや)あり命を失ふに至るとの言傳へ、恐ろしき程當りし者なり、命を失う一
人(にん)とは余の事なるや
將(は)た魏堂の事なるや、將た確かに魏堂の事なるを知る、若し決鬪に
敗(はい)を取り明日殺さるゝ人ならば世に云ふ蟲の知らせにて心に必ず穩かならぬ所ある可きに、左は無くして余の心は
月照(つきてら)す
寧府灣(ねいぷるわん)の水よりも
平(たひら)かにして冷然と落着きたり、神經を騷がす如きこと更に無く、唯だ復讐の意の如く運び行く愉快を知るのみ、アヽ彼れ花里魏堂
奴(め)昔し余を苦めたる通りに今は余に苦められ、余が怒りし通りに怒り、余が彼れに那稻を
偸(ぬす)み取られし通りに其那稻を余に奪はれ、余が欺かれし通りに欺かる、察するに彼れの心は今
將(まさ)に云ふに云はれぬ苦惱の
中(うち)にあり、一刻一刻生延るに從ひて其苦惱益々重り行く者なる可し、明朝余が彼れを殺すは其重り行く苦惱を
止(とゞ)め彼れを救ふに
均(ひと)しき者なり、本來云へば
何時(いつ)までも彼を其苦みの中に
生(いか)せ置き自ら藻掻き死ぬるまで待つ可きなれど、余は最早や彼れを殺し彼を苦も知らず樂も知らぬ暗黒界へ
投入(なげいる)る丈にて勘辯して
可(か)なり、誰も余の復讐を輕過ぎるとは云はぬならん。
斯く獨り考へて、獨り
含(うな)づくうち夜は早や二時を過たれば是より余は
方(かた)ばかりの遺言を
認(したゝ)め、余が一切の
財物(ざいぶつ)を從僕瓶藏の忠實に
面(めん)じ彼れに送る者なりとの意を記し、漸く筆を置きし所へ、足音靜かに
入來(いりきた)る一
人(にん)あり是なん
件(くだん)の瓶藏にして、先刻余が魏堂の後に
尾(つ)け遣りし其の使ひを果し得て歸りたる者と知らる。
余は
首(かうべ)を擧げて彼れを迎へ「オヽ
歸(かへつ)たか瓶藏、花里魏堂は何うした」と問ふ、日頃物に騷がざる瓶藏なれど今夜ばかりは自ら制し
兼(かね)る如く「本統に大變ですよ」と力を込めて
云出(いひいづ)る。
「大變とは何が。」
「イエ花里さんの
立腹方(りつぷくかた)が、
能(よ)く先ア氣が違はずに濟だと思ひます、明朝あたりは事に
由(よ)ると氣違ひに成て居るかも知れません。」
「能く夫まで見屆けた、ドレ彼れが茲を出てから何うしたか、今は又
何(どう)して居るか詳しく聞かせ」と
迫立(せきたつ)る余が言葉に從ひて彼れが説き出す所如何ならん。
六三
瓶藏は余が言葉に應じ、夜の寒きも
猶出(なほいづ)る額の汗を拭ひながら、
「此家を出るや否花里氏は
拳固(げんこ)を空中に振ながら海岸の方に
奔(はし)りました、身體中の血が悉く頭に
上(あがつ)た者か、走る足もフラ/\して地に着かぬかと疑はれます、
偖(さて)は此人
身投(みなげ)でもする積で海岸に行くのかと氣遣ひましたが、爾では無く全く腹立の爲め夢中になり方角を取違へたのです、頓て四五丁も走つた頃アヽ
斯(かう)では無つたと叫び立止つて四方を見廻す樣子ゆゑ、私しは
見認(みとめ)られては成らぬと思ひ軒下へ隱れました、彼れ花里氏は齒をボリ/\と
噛鳴(かみなら)し、エヽ人非人めエヽ薄情女めなどと此樣な事を口走つて居ましたが其所へ丁度空の馬車が通り掛りました、彼れ此馬車を呼止めてサア
大急(おほいそぎ)で羅馬内家の門前まで遣れと命じ其儘
飛乘(とびのり)ました故、扨は那稻夫人に逢に行くのかト私しも直に其馬車の
背後(うしろ)にブラ下りました、三十分と
經(たゝ)ぬうち馬車は羅馬内家の門に
停(とゞ)まり、彼れ花里氏も
降(おり)ましたから私くし直に馬車を離れ、一方の茂りへ隱れましたが彼れは
急(いそ)がしく拂ひを濟して馬車を
追遣(おひや)り、門の戸に
近(ちかづ)いて碎けるばかりに叩き初めました凡そ六七度も叩きましたが中より何の返事も有ません、彼れ益々狂ひ
出(いだ)し今は門を
推破(おしやぶ)ると決心したか、コレ皺薦茲開ぬかと云ひ、那稻/\などと大聲
上(あげ)て蹴るやら突くやら散々に力を加へましたが十五分も
經(たつ)たかと思ふ頃漸く内より皺薦の返事が聞え、頓て提灯を提げて出る其
火影(ひかげ)が見えました、最も皺薦も餘ほど驚いた者と見えブル/\と手が震へ、提灯の火影が
搖(ゆす)ぶるかと思ふ樣に動きました、彼れ花里は皺薦が門の戸を開るを
待兼(まちかね)て
己(おれ)は那稻に逢ひに來たのだ、那稻を起せと叫びました、皺薦は咽でも
締(しめ)られたかと思ふ樣に
涸(かれ)た聲で咳をせき、イヤ夫人はお留守です
此家(このや)には
居(をり)ませんと答へました、彼れ花里
火(くわつ)と怒り、
直(たゞち)に皺薦の胸倉を取り、
己(おの)れまで笹田折葉に
荷擔(かたん)して
己(おれ)を欺くのかと云ひ容赦も無く振廻します故、私しは
餘(よつ)ぽど隱れ場から飛出して彼れを
救(すくつ)て
遣(やら)うかと思ひましたが、貴方樣の
言附(いひつけ)も有ますゆゑヤツとの事で思ひ直し、イヤ/\今出ては成らぬと元の所に控へて居ました。」
「オヽ夫は能く控へて居た。」
「皺薦は振られながら、イエ嘘では有ません本統ですと叫びましたが、其聲花里氏の耳へ入ると彼れ初めて手を弛め、何だ本統だと、夫なら行た先は
何所(どこ)だ、
有體(ありてい)に白状せよ、ハイハイ何でも茲から十
哩(まいる)ほどあるアナンジユタの
尼院(あまでら)だと申ます、何だ尼院
己(おれ)を避る爲めアノ笹田めが、尼院に
推込(おしこん)だのかと云ひつゝ、可哀相に皺薦を
突飛(つきとば)しました、皺薦は彼方へ
仆(たふ)れ提灯までも滅茶々々に
毀(こは)れましたが、花里は猶ほ
暗(やみ)の中で散々に皺薦を罵り、
老耄(おいぼれ)め
死(しぬ)るまで仆れて居ろと云ひ其の所を驅出しました、後に皺薦は
漸(やうや)う起き門を締めて
退(の)いた樣ですが、花里は一散に林の中を通り拔け横手の
大道(だいだう)に走り出ました、私しも殆ど從ひ兼る程でしたが大道を四五間も歩むかと思ふ内、彼れ花里は餘り
逆上(のぼせ)て目が
眩(くらん)だか、
堂(どう)と其所へ仆れたまゝ氣絶して仕舞ひました。」
「エヽ、魏堂が氣絶した。」
「ハイ氣絶しました。」
「夫から
何(どう)した。」
「私しも此儘には
捨置(すておか)れぬと思ひ帽子を目深に引下て、
外被(うはぎ)の襟を捲上げ充分に顏を隱し、靜かに彼れを抱起して、傍らに在る噴水の水を
掬(すく)ひ、彼の顏へ
打掛(うちかけ)ました、彼漸く氣が
附(つき)ましたが私しを眞の他人と思ひ、言葉
短(みじか)に禮を述べ、ツイ目が眩んで
倒(たふ)れたのだと言譯し、夫から噴水の水を一升ほども呑み、アヽ是で心地が
直(なほつ)たと云ひながら町の方へ
下(くだ)りました、私しは猶ほ其の後を
尾(つ)けましたが彼れ裏町の或る居酒屋へ這入り、中から放蕩に身を
持頽(もちくづ)したかと思はれる二人の紳士を連て來ました。」
「ハヽア夫は介添人に頼んだな。」
「ハイ爾と見えます、言葉は
聢(しか)と聞えませんが
爾(さ)も悔し
相(さう)に二人へ何か頼みますと、二人とも直に承知した樣でした、既に唯今私しの歸たとき其二人が此家へ來て貴方樣の介添人と何か相談して居ました。」
「爾か、最う相談して歸たのか。」
「イエ、
猶(ま)だ多分相談して居るのでせう。」
「夫から何うした。」
「夫から彼れ花里は其二人に分れ、自分の
住居(すまひ)へと
歸(かへり)ました、彼れ
衣嚢(かくし)から鍵を出し住居の戸を開いて
入(いり)ましたゆゑ、何か探して又出て來るのかと思ひ私しは廿分ほども外で樣子を見て居ましたが、再び出て來る樣子も無く、彼れ何でも椅子の上に沈み込だ儘と見え、窓から
明(あかり)も見えません、暫くすると
暗(やみ)の中から
泣聲(なきごゑ)が聞えますゆゑ能く聞けば彼れですよ、ヱヽ殘念だ笹田奴に
欺(だま)されたと叫び、彼れ
燈(あかり)も
點(つけ)ずに泣て居ます、多分夜の明るまで泣明かす事でせうよ。」
「夫から何うした。」
「
是丈(これだけ)見屆ければ
最外(もうほか)に見る事も有りませぬ故、早く貴方に是だけの事を申上げ度いと思ひ歸つて來ました。」
余は是だけの事を聞き、益々心地よき
想(おもひ)したれば更に言葉を改めて、
「是れ瓶藏、
其方(そのはう)も見た通り今夜花里氏が滿座の中で
己(おれ)に加へた辱しめは血を以て洗ひ清むる外は無い、己が
死(しぬ)れば其方は他に口を求めて奉公しろ、眞逆に殺されるとは思はぬが勝負は運次第ゆゑ仕方が無い、夫に
就(つい)ては先日掃除した短銃を直に
用(もち)ゐられる樣猶ほ能く檢めて組直して置け」と云ひ瓶藏が垂れし
首(かうべ)を上げる間に余は寢室へと
退(しりぞ)きたり。
六四
寢室(ねや)に
退(しりぞ)きて
寢臺(ねだい)の上に
倒(たふ)れしかど容易に
寢(ねむ)る可くも有らず、
熟々(つらつら)と
明晨(あした)の事を考へ見るに余が殺さるゝや、
將(は)た魏堂が殺さるゝや、勿論其時まで定まらぬ所なれど、余は魏堂よりも心
落着(おちつ)き更に狙ひの狂ふ可しと思はるゝ所なし。余は心に
滿々(みちみ)つる喜びを蓄へ彼れは隱かならぬ恨みを包めり、彼れ
短銃(ぴすとる)の射撃に於ては名を知られし名人なれど余とても彼れに劣る可しとは思はず、彼れ既に瓶藏の知らせの通り明朝は氣の違ふも計られぬ程なれば手先も多少は
振(ふる)へるならんが、余は少しも
爾(さ)る事なしと自ら斯く思ひながら、手を
差延(さしのべ)て
其動靜(そのどうせい)を試みるに、
固(もと)より精神の
確(たしか)なれば筋一本の狂ひも無く
宛(さ)ながら石像の腕に似たり、斯く靜かなる腕を以て狙ひの違ふ事あらんとは何うしても思はれず、余彼れに殺さるゝやも知れざれど彼れも必ず余に殺さるゝを免れじ、否余が神經に感ずる所は、何と無く彼れの
彈丸(たま)外(ほか)に
反(そ)れ余の彈丸のみ
中(あた)るに似たり。
然り余は無難に
免(のが)れ得て彼れ必ず其場に
仆(たふ)れん、アヽ余は彼の
孰(いづ)れの所を狙ふ可きか、腐れたる
腑(はらわた)を射るも
邪慳(じゃけん)なる其胸を射るも、唯だ余の狙ひ一つなり、心臟を射て即死せしめんか否々、即死は彼れを罰する道として餘り輕きに過るなり、試みに余が彼れに
窘(くるし)められし今までの
苦(くるし)みを見よ、余は之が爲に頭髮の悉く白くなりしに
非(あら)ずや、墓穴に
入(いれ)られて死切れず、生返り來りて此復讐を
計(たく)むに至れる余の惱みは到底一發の短銃にて頓死する如きの比に非ず、余が受たる丈の苦みは今と爲りては到底人間の仕業にて彼れに受させ得ぬ次第なれど、左ればとて彼れを頓死せしめて幾分間か彼れが死際の苦痛を長くする位は出來難き所に非ず、好し/\余は彼れの心臟を狙はずして心臟より
僅(わづか)ばかり上の方を狙はざる可からず、左すれば彼れ即死せずして、
幾何(いくばく)か苦むこと必然なれば余は其間に彼れに向ひ、余が笹田折葉に非ずして彼れの昔の親友たる波漂羅馬内なる事を
知(しら)しめねばならず、波漂が
唯(ただ)復讐の一念より今までの艱難辛苦を重ねたる事を知せ、彼れをして心を
措(お)くの地なきまで眞實に
悔(くや)しめねばならず。
思案漸く
定(さだま)るうち余は眠るとも無く眠りに就きたり、初はウト/\と唯だ
獨睡(まどろ)むのみなりしも頓ては前後も知らぬ全くの熟睡と爲り、大いに身心を
安(やす)め得たり。幾時の後、
枕頭(まくらもと)なる戸の開く音に驚き
醒(さ)めハツと
頭(かうべ)を上げ見れば湯氣の立つ熱き
珈琲(かうひ)を手に
持(もち)て、彼の瓶藏が
入來(いりきた)るなり。
「オヽ瓶藏、寢過たで
有(あら)うがな。」
「イエ、今が五時廿五分前です、丁度好い時間だらうと思ひお
起(おこ)しに參りました、お
召換(めしかへ)も次の間へ取揃へて有ますからお仕度を成されませう」
言捨(いひすて)て退く。
後(あと)に余は
起出(おきいで)て其珈琲に口を
濕(うる)ほし幾分間と經ぬうちに早や顏も洗ひ
被物(きもの)も
着替(つけか)へ、居間に
出(いで)て鏡に我が姿を照し見るに、雪の如き髮、雪の如き髯に包まれ、
年老(としおい)たる我が顏は昔の波漂と同じからねど爽かなる
眼(まなこ)の樣子より、
實(み)の
入(いり)たる頬の具合、
誰(たれ)か波漂なるを疑はんや、
縱(よ)し髮の色を染めずとも、若し頬より顎の髯を
剃落(そりおと)し唯だ
鼻下(びか)八字の髯のみと爲し、黒き眼鏡を取外さば其儘の波漂なり、黒き目鏡を取外す丈にても既に面影の
舊(もと)に歸るを見る。
余が心配氣なき我が顏色に滿足し再び黒目鏡を掛け終る所へ瓶藏又
入來(いりきた)り「何うか私しもお伴をさせて頂きませう。」
「何にも云はずに唯だ
從(つい)て來る丈なら連て
行(ゆか)うが。」
「ハイ一
言(ごん)も云はずにお伴を致します。」
「では來い、最う介添人の用意は好いか。」
「ハイ、ダベン侯爵も、フレシヤ大佐も早や馬車に乘り、
此家(このや)の前に待て居ます」余は其儘居間を
出(いづ)るに瓶藏は彼の一對の短銃を持ち從ひ來れり、頓て門に出で馬車に乘れば侯爵は親しげに余の手を握りながら、鋭く瓶藏の顏を
詠(なが)めつ「彼れは安心な人物ですか。」
「此上も無い安心です、私しが傷でも受た場合に彼れ自分で介抱せねば氣が濟まぬから、夫で從て來るのです」侯爵は「成る程正直
相(さう)な從者です」と評して彼れの
隨(したが)ひ
來(きた)るを許したるが此時宿の主人も
周章(あわて)ながら送りて出で「皆樣、三人前の食事を揃へてお
待申(まちまをし)ます、お
歸(かへり)の上は
屹度(きつと)祝盃(しゆくはい)で御座いませう」と世辭を述ぶ、馬車は漸く
輾(きし)り
出(いだ)すに大佐フレシヤ氏は最と眞面目に「此頃の決鬪は唯だ儀式だけで、料理屋へ祝盃の用意を命じて
置(おい)て出て行きます、昔の遺言を
認(したゝ)め置き水盃で出掛たのとは大違ひです」と云へば侯爵も苦き顏にて、「
[#底本では「「」欠字]併し今日のは其の樣な儀式だけの決鬪では有りますまい。」
「勿論です。」
「
爾無(さうな)くては叶ひません、併し侯爵、佛國でも貴方が現はれてから實に昔の決鬪を再興したと云ふ趣きが有ますよ、貴方に敵對すれば血を見た丈では治まらず必ず其場で
死(しに)ますから。」
「左樣サ、私しは或時人に辱しめられ深く自ら決心しました、
此後(こののち)苟(いやし)くも己を辱しめる者は決して生て此世に
居(を)られぬ事に仕て
遣(やり)たいと
斯(かう)思つたから、是より一生懸命で撃劍を
學(まなん)だのです。」
「昨夜來會したハメル氏も確か貴方の弟子でせう。」
「ハイ弟子ですが、彼れは決鬪に唯だ勝て敵を殺すと云ふ丈の目的で文明の決鬪と云ふ事を知らぬから困ります、私しは
飽(あく)までも綺麗に遣るのが文明の主意と知る故、唯だ劍の先で
一突(ひとつき)に、餘り血も出ぬ樣に
灸所(きうしよ)を突て殺します、
假令(たと)ひ遺族が其死骸を引取て檢めても餘り殘酷とは思ひません、夫に引替へ彼れは唯だ殺したい一心で敵に隙間さへ有れば所嫌はず傷附けて
宛(まる)で最う下手な
豕屋(ぶたや)が豕を殺す樣に血だらけに仕ますから人が
恐(おそれ)るのです、
兼々(かね/″\)言聞(いひきか)すけれど仕方が有ません、其樣な決鬪ならば寧ろ短銃で射合ふのが幾等増しかも知れません、今日伯爵が短銃を撰んだのも多分茲等の深意でせう」と、余が
方(かた)に振向たれば余も「左樣」と
答(こたふ)るに、此時馬車は早や
定(さだめ)の決鬪場へと
着(ちやく)しぬ。
六五
既に定めの場所に着き、一同と共に馬車を
下(くだ)るに羅馬内家の
墓窖(はかぐら)は彼方に見え、余に樣々の事を思ひ
出(いだ)さしむ種と爲り、一際余が復讐の思ひを強くすれども相手の魏堂は未だ
來(きた)らず、唯だ双方の介添人が昨夜の中に雇ひ入れたる一
人(にん)の外科醫
人待(ひとま)ち顏に佇ずめるを見るのみ。
頓て朝の六時を報ずる鐘の聲、近邊の寺より聞え
來(きた)るに
其音(そのね)の猶ほ終らぬうち介添人ダベン侯爵「ソレ來た」と呟きたれば余も一方を振向見るに成るほど介添と思はるゝ二
人(にん)の紳士に
伴(ともな)はれて、彼れ魏堂のソロ/\と歩み
來(きた)るを見る。
魏堂は帽子を目深く引下げて、毛皮附きたる
外被(うはぎ)の襟を捲り上げ、其顏を隱せるのみか猶ほ愈々決鬪と云ふ時まで余の顏を見るをだに厭ふ如く、
此方(こなた)へとては見向もせざれば、其顏色の如何ほど
打欝(うちふさ)げるやを知るに由なし。余も今又充分余の顏を見せ又彼の顏を見る折の
來(きた)るを知れば進み行きて
窺(のぞ)きもせず、冷然として控ゆるに彼れ
宛(あたか)も疲れ果たる人の如く
但(と)ある樹の幹に寄掛りて留りたり。
是より彼れの介添人はダベン侯爵の許に來り一通りの挨拶して「距離は昨夜の御相談通り、七間離れると云ふことに致しませう」と云ひ侯爵も「ハイ異存ありません」と答へ、是より余の立つ所を定め、次に
足數(あしかず)にて共に其距離を計りたり。
此間に余は我が外被を脱ぎて瓶藏に渡しなどしつ少しばかりの用意を
調(しら)ぶるに、余の身は宛も木石の如く、今に何の情慾も何の感覺も無し、武者振ひとて能く人の云ふ所なれど震ひもせねば動きもせず、唯だ魏堂を
射殺(いころ)す短銃の發射機械と爲りたるに似たり。暫くにして距離の測量を終り介添兩人は更に短銃の檢査を初め、
彈丸(たま)をも夫々込め直して立來り「サア雙方を決鬪の場所へ立せませう」と云ひ余と魏堂とを定めの位置に
引出(ひきいだ)せり。
魏堂は今まで疲れし人と
見(みえ)しに似ず、手早く其の外套と帽子を脱ぎ大足で
歩來(あゆみきた)り、足踏定めて
突立(つゝたち)しが、余は此時初めて魏堂の樣子を見るに彼れ
夜一夜(よひとよ)を
恨(うらみ)に明し、
眠(ねむり)さへも得ざりしと見え顏の色青くして兩の眼の周りに紫色の血色を
繞(めぐ)らせり。
且(かつ)は彼れ目遣ひさへ落附かず、唯だ余を射殺さん一心と見え、唇までも恨めしげに堅く閉ざしつゝ、殆ど
引奪(ひきたく)る程の勢ひにて介添人の手より
彼(か)の短銃を受取りて充分に檢め始めたり、アヽ彼れ斯くまでに心騷ぎて如何で機械の如く落着きたる余に勝つ事を得ん、余は寧ろ彼れが今
一入(ひとしほ)魂を据ゑ如何にも是ならば狙ひ損ずる事あらじと余に思はるゝ如くならんを望む、尤も唯だ七間の距離にして彼れの手練を以てする事なれば余を射損ずること
萬々(ばん/\)無き筈なれど、余は何と無く敵として物足らぬ心地するなり、余も足を踏締て
立(たつ)たるが此時フト心に浮ぶは余が黒き目鏡なり、第一余とても充分狙ひに念を入ずば成らぬ場合、
眼(まなこ)を遮る者がありては夫が爲に不覺を取る事無しとも云はれず、且は又今にして波漂が
露出(むきだし)の眼を彼れに見せずば、何の時にか
復(ま)た彼れに余笹田折葉こそ彼れに
窘(くるし)められ辱しめられたる波漂羅馬内なる事を知しめ得んや、
斯(かく)思ひて先づ
四邊(あたり)を見廻すに生前の余波漂を知れる者魏堂の外に一
人(にん)も無し、ダベン侯爵は此頃佛國より來りし丈にて
曾(かつ)て波漂を知りし事なく、又魏堂の介添人も余の從者瓶藏も
固(もと)より余を知る者に非ず、獨り大佐フレシヤ氏のみは數年前より
交(まじは)りたる人なれど彼れ幸ひに余が
背後(うしろ)より
斜(なゝめ)の方向に幾間も離れて立てり。余の顏を見る氣遣ひなし、余は猶ほ魏堂の外に那稻と云ふ幾倍も憎む可き敵を控ゆる故那稻に
仇(あだ)を
復(ふく)するの時までは余が波漂なる事を
何人(なにびと)にも知せ難けれど、茲にて目鏡を取外すは唯だ死際の魏堂一
人(にん)に顏を示すに
止(とゞま)る故、
敢(あへ)て憚る所なし、魏堂は冥途の土産までに余の顏を覺え行く者ならんト、余は少しの間に隈なく考へ終りたれば好しト心に
含(うなづ)きつ手早く彼の目鏡を外し之を我が
衣嚢(かくし)に納めつ、最と晴やかなる羅馬内家代々の眼を露出にし、
佶(きつ)と
見張(みはり)て魏堂の顏を眺めたり。
六六
目鏡を脱せし余が眼の晴やかなるにはダベン侯爵も
[#「ダベン侯爵も」は底本では「タベン侯爵も」]驚きしと見え、余に短銃を渡しながら「貴方は目鏡の無い方が餘程若く見えます、アヽ何うしても
伊國(いたりや)の貴族に屬する一種高尚
靈活(れいくわつ)な眼です」と呟きながら余を
褒(ほめ)たり。
余は短銃を受取りつゝ笑ひながらに「左樣ですか」と
答流(こたへなが)し、猶ほ
形(かた)ばかり其の短銃の具合を檢むるに、固より瓶藏が手入せし儘にして申分有る筈無ければ「滿足です」と返事して更に又
身構(みがまへ)を直しつつ魏堂の方に打向へり。魏堂は猶ほ余が顏には心も留めず、
頻(しき)りに短銃を檢査するのみなりしが此時
背後(うしろ)の
方(かた)に立つフレシヤ氏は
遙(はるか)に魏堂の介添人を呼び「最う萬事整ひましたか」と云ふ、
彼(か)の介添人も侯爵も一齋に「サア用意は宜しい」と答へ、更に侯爵は余と魏堂とに合圖する爲と覺しく、白き
半拭(はんけち)を手に提げて余と魏堂との眞中頃と思はるゝ所に立ち「サア愈々初まるのだ」と云ひ、其半拭を振り上げたり。
此時までは猶ほ短銃を兎に角と檢め居たる彼れ魏堂は初めて頭を擧げ來り、露出なる余の顏に目を注げり。アヽ讀者、此時の魏堂の驚き余は何と云ひて形容す可きか、左なきだに青き彼れの顏は忽ち鉛色より土色と爲り、驚愕と云はんか當惑と云はんか殆ど評しやう無き樣を示せり、察するに彼れ余を見て波漂の幽靈現れ
出(いで)し者と思ひしならん、然り幽靈に
魘(おそは)れて魂の消ゆるほど震へ上りし人の顏正しく斯くの如くなる可し、否其顏より魏堂の彼は猶ほ
一入(ひとし)ほ
魘(おそ)はれたる者なり、目附は全く狂人の目附、顏は恐しさに堪へざる顏、余は實に目鏡を外せし余の顏が斯までも彼れを驚かさんとは思はざりき、彼れは神の助けを
呼(よば)んとする心にや、夫とも介添人に訴へん積なるか、其唇を開きたれど彼れの喉には
聲涸盡(こえかれつく)し、一句の言葉を發し得ず、彼れは短銃を持ちしまゝ定めの場所より
二歩(ふたあし)、
三歩(みあし)きし事なし。魏堂め
其氣象(そのきしやう)を見拔きての事ならん、頓て息も世話しく「大佐、大佐」と呼掛けて「
私(わたく)しの爲に介添人を勤めて下さるのは、眞に貴方一人です、お
願(ねがひ)ですから何うぞ」と
言掛(いひかく)るに大佐は生れてより
初(はじめ)ての拒み言葉、斷乎たる
口附(くちつき)にて「イエ
了(いけ)ません」と滿場に聞ゆるほど高く叫び更に「私しは勤め度いが、良心が承知しません、貴方の方が惡い事は
三歳兒(みつご)にも分りますのに何うして其介添人に成られませう、私しは是より進んでダベン侯爵と共に笹田伯の介添人に
成度(なりたい)のです、是から侯爵に其許諾を得やうと思つて居る所です」とて物の見事に
刎退(はねのけ)つ
復(ふたゝ)び魏堂に
振向(ふりむか)ず、其儘余の介添人たるダベン侯爵の許に來れり、侯爵は嬉しげにフレシヤ氏を迎へ「貴方なら最も私しの望む所です」とて一も二も無く承諾せり、是にて余の介添人は早や侯爵と大佐との兩人に定りつれ。
魏堂は恨めしげに大佐と余を睨み捨て、次には侯爵と同じ佛國の決鬪家たるハメル氏に向ひたり、去れど流石の氏もフレシヤ氏と同じく
刎附(はねつけ)たれば魏堂は此上の恥辱は無しと更に又
一入(ひとしほ)の恨みを加ふる如く、
前額(ひたひ)の青筋を恐ろしきほど膨らせしも、茲に至りては詮方なし。彼れ殘る座客に向ひ一人々々に同じ事を
請(こひ)たれど孰れも唯だ「否です」「
眞平(まつぴら)です」と一
言(げん)に
退(しりぞ)くるのみなるにぞ、彼れ殆ど
泣(なく)が如く深き
呻吟(うめき)の聲を發せり。
余の介添人ダベン侯爵は此樣を
見兼(みかね)しにや、つかつかと彼れの傍に進み何か
注告(ちうこく)する
樣(やう)なりしが、彼れ忽ち其注告に從ひし如く、其儘彼方に
振向(ふりむき)て後をも見ずに此室を立去りたり。其樣宛も
傷(て)を
負(おひ)し
猪(ゐのしゝ)の去るに似たり。
アヽ彼れ孰れに行き何事を爲さんとするにや、余は怪さに堪へざれば、此時までも
直(な)ほ正直に余の
背後(うしろ)に立てる余の從者瓶藏に向ひ、小聲にて「
窃(ひそか)に彼れの後を
尾(つ)け、何をするか見屆けて來い」とさゝやくに瓶藏はグツと呑込み、夫とは無しに彼れ魏堂の後を追ひ、横手の出口より
出去(いでさ)りたり。去れど來客一人として之に氣附きしは無き樣子なり。
ダベン侯爵は直ちに余の許に來り、今しも魏堂に注告せし事柄を説明す心の如く「御覽の通り誰も彼れの爲め介添を承知する人が有ませんから、外へ行て求めて來るが好からうと云て遣りました、夫だから彼れ立去りましたが、實に不幸千萬な事件です」と
惆然(てうぜん)たる色を示すに、決鬪家ハメル氏は是に和し「實に不幸千萬な事件です」と口には云へど心には愉快千萬と思ふ如く、少しも憂ふる色も無く
反(かへつ)て
武者振(むしやぶるひ)に身を震せ「其代り萬が一、貴方が負る樣な事でも有れば、後で私しが然る可き口實を設け、彼れを殺して仕舞ひます」と太き拳を握り
締(しめ)しが、是よりは殘る人々孰れも余の
周圍(ぐるり)に集り、或は魏堂の無禮を罵り、或は余の不幸を慰め、或は又余が彼れに對するの餘り寛大に過たるを
齒痒(はがゆ)がるのみ。
其中に介添の侯爵は大佐と何か
細語(さゝや)き合ひて余に向ひ「今に向うの介添人が來ませうから、私共兩人、
[#「私共兩人、」は底本では「私共兩人 」]夫まで委細の手筈を相談しながら
此家(このや)に控へて待つと仕ませう」と云ひ、更に其時計を眺めて「既に夜も十二時になりましては餘り眠る暇も有ませんが、此樣な事は永びく
丈(だ)け不利益ですから愈々立合を明朝六時と致しませう、貴方は異存有ませんか」余は恭しく
首(かうべ)を垂れつゝ「少しも異存は有りません。」
「夫から貴方が
耻(はづか)しめられた方ですから決鬪の武器は貴方が定めねば成りません、何に致します、長劍ですか。」
然り然り長劍ならば余は充分稽古して人に恐れらるゝ程の腕前あり、之に引替へ魏堂は殆ど劍を持ちたる事も無く余に殺さるゝは必然なり、左は云へ敵の不得手を知り、
其虚(そのきよ)に乘じて
我得手(わがえて)を撰ぶことは勇士の
快(こゝろよし)とせざる所ろ、余は勇士に
非(あら)ざるも今まで我心に
耻(はづ)る如き振舞をせず、何も彼も正直一方に運び來し今と爲り、卑怯に己の得手をのみ撰び、公明正大なる此復讐を唯一歩にして我心に耻る如き者と爲さしむ可けんや、夫よりは彼れも上手余も亦上手なる
短銃(ぴすとる)を以て
鬪(たゝかは)んと「イエ、短銃に致します」と云切るに兼て魏堂が短銃射撃に
巧(たくみ)なるを知る座客の
中(うち)には、余の運命を氣遣ふにや、窃かに色を變るも有り
嗚呼(あゝ)人々が
贋笹田僞折葉(にせさゝだぎをりは)を氣遣ふこと斯までも深くして、昔の波漂を愛せしに劣ぬかと思へば余は何と無く涙の催さんとするを覺えたれど、猶ほ泰然として「ハイ短銃です」と再び云切りたり。
六二
左(さ)しもの侯爵も「
短銃(ぴすとる)」と云ふ余の決心を
危(あやぶ)む如く「全く夫で好いのですか」と問ひたれど余が斷乎として動かぬを見て、
偖(さて)は腕に覺えの有る事ならんと漸く安心せし者にや「では夫と定めませう」と云ひ、更に又「爾して場所は
此市(このまち)の
背後(うしろ)に在る丘の上の平地と仕ませう、丁度羅馬内家の裏手十町ほどの所に當りますが、
彼所(あそこ)ならば
極靜(ごくしづか)で妨ぐる人も無く落附て戰はれますから」
扨(さて)は余が家の墓窖に接したる場所を撰みし者なり。余が復讐の初まりしも
彼(あ)の地、行ふも彼の地なれば余は充分滿足し、余は無言にて
點頭(うなづ)くに、
「
左(さ)すれば、是れで
大略(あらまし)は定りました、時間は明朝の六時で、場所はは丘の上、武器は短銃と唯だ
極(きま)らぬは貴方と花里氏の立つ距離ですが、是は
向(むかう)の介添人が來るのを待ち双方の協議を以て定ます」余は勿論異存無ければ有難げに其手を握り締しが、此の間殘る來客は
稍(や)や
興醒(きようさ)めて見えたれば余は此等一同に打向ひ「皆樣、今夜の宴會は遺憾ながら寧ろ不愉快に終る事と爲りました會主たる私しの身に取りては誠に
申譯無(まをしわけな)き
不行屆(ふゆきとどき)です。幾重にも皆樣に謝罪を申さねば成ません、
然(しか)し私しが皆樣をお招き申すは決して是が終りでは無く、
此後(こののち)とても充分其場合が有る事と信じます、萬一明朝の決鬪に私しが
負(まけ)を取り再びお目に掛らずに此世を去る事とも成らば、其時こそは今夜の皆樣の御厚意を冥途の底までも覺えて行きます、又幸ひにして、生殘れば先刻披露致しました那稻夫人と婚禮するも遠き事では有ませぬ故、其節こそは充分の
盛宴(せいえん)を張り、今宵の樣な不祥を見ずに皆樣共に歡を盡し今宵の不出來を償う事に致しませう、最早や決鬪するに極りし以上は諸君の面前を
憚(はばか)ります故、
御免蒙(ごめんかうむ)りて私しは此席を
退(しりぞ)きます、諸君お
更(さら)ば」と一禮して退かんとするに一同は立來りて再び余を取圍みつ我先にと余の手を取り、今夜の宴は
縱(よ)し不詳に終りしとするも、決して主人の厚意を疑はずと、云ひて益々此の
後(のち)の交情を温めんと誓ひ、
交(かは)る/″\余を慰めたり。
余は漸くにして是等の挨拶を終り、二階なる余の室に
入(い)りホツと息して身を引伸すに、此時來客の二
人(にん)或は三人づゝ歸り行く聲も聞え、余の介添人たる侯爵と大佐とが別室より給仕を呼び熱き
珈琲(かうひ)を云附る聲も聞ゆ、又暫くにして給仕等は彼の宴席に
食殘(くひのこ)る肴などを片附ると覺しく皿小鉢の音も彼等が今宵の椿事を噂さする聲と共に聞ゆるにぞ、余は痛く人々を驚かせしもの哉と思ふに連れ、又思ひ
出(いづ)るは先刻
卓子(ていぶる)を圍みたる主客の數なり、十三人坐る
中(うち)には必ず一
人(にん)の
反者(はんしや)あり命を失ふに至るとの言傳へ、恐ろしき程當りし者なり、命を失う一
人(にん)とは余の事なるや
將(は)た魏堂の事なるや、將た確かに魏堂の事なるを知る、若し決鬪に
敗(はい)を取り明日殺さるゝ人ならば世に云ふ蟲の知らせにて心に必ず穩かならぬ所ある可きに、左は無くして余の心は
月照(つきてら)す
寧府灣(ねいぷるわん)の水よりも
平(たひら)かにして冷然と落着きたり、神經を騷がす如きこと更に無く、唯だ復讐の意の如く運び行く愉快を知るのみ、アヽ彼れ花里魏堂
奴(め)昔し余を苦めたる通りに今は余に苦められ、余が怒りし通りに怒り、余が彼れに那稻を
偸(ぬす)み取られし通りに其那稻を余に奪はれ、余が欺かれし通りに欺かる、察するに彼れの心は今
將(まさ)に云ふに云はれぬ苦惱の
中(うち)にあり、一刻一刻生延るに從ひて其苦惱益々重り行く者なる可し、明朝余が彼れを殺すは其重り行く苦惱を
止(とゞ)め彼れを救ふに
均(ひと)しき者なり、本來云へば
何時(いつ)までも彼を其苦みの中に
生(いか)せ置き自ら藻掻き死ぬるまで待つ可きなれど、余は最早や彼れを殺し彼を苦も知らず樂も知らぬ暗黒界へ
投入(なげいる)る丈にて勘辯して
可(か)なり、誰も余の復讐を輕過ぎるとは云はぬならん。
斯く獨り考へて、獨り
含(うな)づくうち夜は早や二時を過たれば是より余は
方(かた)ばかりの遺言を
認(したゝ)め、余が一切の
財物(ざいぶつ)を從僕瓶藏の忠實に
面(めん)じ彼れに送る者なりとの意を記し、漸く筆を置きし所へ、足音靜かに
入來(いりきた)る一
人(にん)あり是なん
件(くだん)の瓶藏にして、先刻余が魏堂の後に
尾(つ)け遣りし其の使ひを果し得て歸りたる者と知らる。
余は
首(かうべ)を擧げて彼れを迎へ「オヽ
歸(かへつ)たか瓶藏、花里魏堂は何うした」と問ふ、日頃物に騷がざる瓶藏なれど今夜ばかりは自ら制し
兼(かね)る如く「本統に大變ですよ」と力を込めて
云出(いひいづ)る。
「大變とは何が。」
「イエ花里さんの
立腹方(りつぷくかた)が、
能(よ)く先ア氣が違はずに濟だと思ひます、明朝あたりは事に
由(よ)ると氣違ひに成て居るかも知れません。」
「能く夫まで見屆けた、ドレ彼れが茲を出てから何うしたか、今は又
何(どう)して居るか詳しく聞かせ」と
迫立(せきたつ)る余が言葉に從ひて彼れが説き出す所如何ならん。
六三
瓶藏は余が言葉に應じ、夜の寒きも
猶出(なほいづ)る額の汗を拭ひながら、
「此家を出るや否花里氏は
拳固(げんこ)を空中に振ながら海岸の方に
奔(はし)りました、身體中の血が悉く頭に
上(あがつ)た者か、走る足もフラ/\して地に着かぬかと疑はれます、
偖(さて)は此人
身投(みなげ)でもする積で海岸に行くのかと氣遣ひましたが、爾では無く全く腹立の爲め夢中になり方角を取違へたのです、頓て四五丁も走つた頃アヽ
斯(かう)では無つたと叫び立止つて四方を見廻す樣子ゆゑ、私しは
見認(みとめ)られては成らぬと思ひ軒下へ隱れました、彼れ花里氏は齒をボリ/\と
噛鳴(かみなら)し、エヽ人非人めエヽ薄情女めなどと此樣な事を口走つて居ましたが其所へ丁度空の馬車が通り掛りました、彼れ此馬車を呼止めてサア
大急(おほいそぎ)で羅馬内家の門前まで遣れと命じ其儘
飛乘(とびのり)ました故、扨は那稻夫人に逢に行くのかト私しも直に其馬車の
背後(うしろ)にブラ下りました、三十分と
經(たゝ)ぬうち馬車は羅馬内家の門に
停(とゞ)まり、彼れ花里氏も
降(おり)ましたから私くし直に馬車を離れ、一方の茂りへ隱れましたが彼れは
急(いそ)がしく拂ひを濟して馬車を
追遣(おひや)り、門の戸に
近(ちかづ)いて碎けるばかりに叩き初めました凡そ六七度も叩きましたが中より何の返事も有ません、彼れ益々狂ひ
出(いだ)し今は門を
推破(おしやぶ)ると決心したか、コレ皺薦茲開ぬかと云ひ、那稻/\などと大聲
上(あげ)て蹴るやら突くやら散々に力を加へましたが十五分も
經(たつ)たかと思ふ頃漸く内より皺薦の返事が聞え、頓て提灯を提げて出る其
火影(ひかげ)が見えました、最も皺薦も餘ほど驚いた者と見えブル/\と手が震へ、提灯の火影が
搖(ゆす)ぶるかと思ふ樣に動きました、彼れ花里は皺薦が門の戸を開るを
待兼(まちかね)て
己(おれ)は那稻に逢ひに來たのだ、那稻を起せと叫びました、皺薦は咽でも
締(しめ)られたかと思ふ樣に
涸(かれ)た聲で咳をせき、イヤ夫人はお留守です
此家(このや)には
居(をり)ませんと答へました、彼れ花里
火(くわつ)と怒り、
直(たゞち)に皺薦の胸倉を取り、
己(おの)れまで笹田折葉に
荷擔(かたん)して
己(おれ)を欺くのかと云ひ容赦も無く振廻します故、私しは
餘(よつ)ぽど隱れ場から飛出して彼れを
救(すくつ)て
遣(やら)うかと思ひましたが、貴方樣の
言附(いひつけ)も有ますゆゑヤツとの事で思ひ直し、イヤ/\今出ては成らぬと元の所に控へて居ました。」
「オヽ夫は能く控へて居た。」
「皺薦は振られながら、イエ嘘では有ません本統ですと叫びましたが、其聲花里氏の耳へ入ると彼れ初めて手を弛め、何だ本統だと、夫なら行た先は
何所(どこ)だ、
有體(ありてい)に白状せよ、ハイハイ何でも茲から十
哩(まいる)ほどあるアナンジユタの
尼院(あまでら)だと申ます、何だ尼院
己(おれ)を避る爲めアノ笹田めが、尼院に
推込(おしこん)だのかと云ひつゝ、可哀相に皺薦を
突飛(つきとば)しました、皺薦は彼方へ
仆(たふ)れ提灯までも滅茶々々に
毀(こは)れましたが、花里は猶ほ
暗(やみ)の中で散々に皺薦を罵り、
老耄(おいぼれ)め
死(しぬ)るまで仆れて居ろと云ひ其の所を驅出しました、後に皺薦は
漸(やうや)う起き門を締めて
退(の)いた樣ですが、花里は一散に林の中を通り拔け横手の
大道(だいだう)に走り出ました、私しも殆ど從ひ兼る程でしたが大道を四五間も歩むかと思ふ内、彼れ花里は餘り
逆上(のぼせ)て目が
眩(くらん)だか、
堂(どう)と其所へ仆れたまゝ氣絶して仕舞ひました。」
「エヽ、魏堂が氣絶した。」
「ハイ氣絶しました。」
「夫から
何(どう)した。」
「私しも此儘には
捨置(すておか)れぬと思ひ帽子を目深に引下て、
外被(うはぎ)の襟を捲上げ充分に顏を隱し、靜かに彼れを抱起して、傍らに在る噴水の水を
掬(すく)ひ、彼の顏へ
打掛(うちかけ)ました、彼漸く氣が
附(つき)ましたが私しを眞の他人と思ひ、言葉
短(みじか)に禮を述べ、ツイ目が眩んで
倒(たふ)れたのだと言譯し、夫から噴水の水を一升ほども呑み、アヽ是で心地が
直(なほつ)たと云ひながら町の方へ
下(くだ)りました、私しは猶ほ其の後を
尾(つ)けましたが彼れ裏町の或る居酒屋へ這入り、中から放蕩に身を
持頽(もちくづ)したかと思はれる二人の紳士を連て來ました。」
「ハヽア夫は介添人に頼んだな。」
「ハイ爾と見えます、言葉は
聢(しか)と聞えませんが
爾(さ)も悔し
相(さう)に二人へ何か頼みますと、二人とも直に承知した樣でした、既に唯今私しの歸たとき其二人が此家へ來て貴方樣の介添人と何か相談して居ました。」
「爾か、最う相談して歸たのか。」
「イエ、
猶(ま)だ多分相談して居るのでせう。」
「夫から何うした。」
「夫から彼れ花里は其二人に分れ、自分の
住居(すまひ)へと
歸(かへり)ました、彼れ
衣嚢(かくし)から鍵を出し住居の戸を開いて
入(いり)ましたゆゑ、何か探して又出て來るのかと思ひ私しは廿分ほども外で樣子を見て居ましたが、再び出て來る樣子も無く、彼れ何でも椅子の上に沈み込だ儘と見え、窓から
明(あかり)も見えません、暫くすると
暗(やみ)の中から
泣聲(なきごゑ)が聞えますゆゑ能く聞けば彼れですよ、ヱヽ殘念だ笹田奴に
欺(だま)されたと叫び、彼れ
燈(あかり)も
點(つけ)ずに泣て居ます、多分夜の明るまで泣明かす事でせうよ。」
「夫から何うした。」
「
是丈(これだけ)見屆ければ
最外(もうほか)に見る事も有りませぬ故、早く貴方に是だけの事を申上げ度いと思ひ歸つて來ました。」
余は是だけの事を聞き、益々心地よき
想(おもひ)したれば更に言葉を改めて、
「是れ瓶藏、
其方(そのはう)も見た通り今夜花里氏が滿座の中で
己(おれ)に加へた辱しめは血を以て洗ひ清むる外は無い、己が
死(しぬ)れば其方は他に口を求めて奉公しろ、眞逆に殺されるとは思はぬが勝負は運次第ゆゑ仕方が無い、夫に
就(つい)ては先日掃除した短銃を直に
用(もち)ゐられる樣猶ほ能く檢めて組直して置け」と云ひ瓶藏が垂れし
首(かうべ)を上げる間に余は寢室へと
退(しりぞ)きたり。
六四
寢室(ねや)に
退(しりぞ)きて
寢臺(ねだい)の上に
倒(たふ)れしかど容易に
寢(ねむ)る可くも有らず、
熟々(つらつら)と
明晨(あした)の事を考へ見るに余が殺さるゝや、
將(は)た魏堂が殺さるゝや、勿論其時まで定まらぬ所なれど、余は魏堂よりも心
落着(おちつ)き更に狙ひの狂ふ可しと思はるゝ所なし。余は心に
滿々(みちみ)つる喜びを蓄へ彼れは隱かならぬ恨みを包めり、彼れ
短銃(ぴすとる)の射撃に於ては名を知られし名人なれど余とても彼れに劣る可しとは思はず、彼れ既に瓶藏の知らせの通り明朝は氣の違ふも計られぬ程なれば手先も多少は
振(ふる)へるならんが、余は少しも
爾(さ)る事なしと自ら斯く思ひながら、手を
差延(さしのべ)て
其動靜(そのどうせい)を試みるに、
固(もと)より精神の
確(たしか)なれば筋一本の狂ひも無く
宛(さ)ながら石像の腕に似たり、斯く靜かなる腕を以て狙ひの違ふ事あらんとは何うしても思はれず、余彼れに殺さるゝやも知れざれど彼れも必ず余に殺さるゝを免れじ、否余が神經に感ずる所は、何と無く彼れの
彈丸(たま)外(ほか)に
反(そ)れ余の彈丸のみ
中(あた)るに似たり。
然り余は無難に
免(のが)れ得て彼れ必ず其場に
仆(たふ)れん、アヽ余は彼の
孰(いづ)れの所を狙ふ可きか、腐れたる
腑(はらわた)を射るも
邪慳(じゃけん)なる其胸を射るも、唯だ余の狙ひ一つなり、心臟を射て即死せしめんか否々、即死は彼れを罰する道として餘り輕きに過るなり、試みに余が彼れに
窘(くるし)められし今までの
苦(くるし)みを見よ、余は之が爲に頭髮の悉く白くなりしに
非(あら)ずや、墓穴に
入(いれ)られて死切れず、生返り來りて此復讐を
計(たく)むに至れる余の惱みは到底一發の短銃にて頓死する如きの比に非ず、余が受たる丈の苦みは今と爲りては到底人間の仕業にて彼れに受させ得ぬ次第なれど、左ればとて彼れを頓死せしめて幾分間か彼れが死際の苦痛を長くする位は出來難き所に非ず、好し/\余は彼れの心臟を狙はずして心臟より
僅(わづか)ばかり上の方を狙はざる可からず、左すれば彼れ即死せずして、
幾何(いくばく)か苦むこと必然なれば余は其間に彼れに向ひ、余が笹田折葉に非ずして彼れの昔の親友たる波漂羅馬内なる事を
知(しら)しめねばならず、波漂が
唯(ただ)復讐の一念より今までの艱難辛苦を重ねたる事を知せ、彼れをして心を
措(お)くの地なきまで眞實に
悔(くや)しめねばならず。
思案漸く
定(さだま)るうち余は眠るとも無く眠りに就きたり、初はウト/\と唯だ
獨睡(まどろ)むのみなりしも頓ては前後も知らぬ全くの熟睡と爲り、大いに身心を
安(やす)め得たり。幾時の後、
枕頭(まくらもと)なる戸の開く音に驚き
醒(さ)めハツと
頭(かうべ)を上げ見れば湯氣の立つ熱き
珈琲(かうひ)を手に
持(もち)て、彼の瓶藏が
入來(いりきた)るなり。
「オヽ瓶藏、寢過たで
有(あら)うがな。」
「イエ、今が五時廿五分前です、丁度好い時間だらうと思ひお
起(おこ)しに參りました、お
召換(めしかへ)も次の間へ取揃へて有ますからお仕度を成されませう」
言捨(いひすて)て退く。
後(あと)に余は
起出(おきいで)て其珈琲に口を
濕(うる)ほし幾分間と經ぬうちに早や顏も洗ひ
被物(きもの)も
着替(つけか)へ、居間に
出(いで)て鏡に我が姿を照し見るに、雪の如き髮、雪の如き髯に包まれ、
年老(としおい)たる我が顏は昔の波漂と同じからねど爽かなる
眼(まなこ)の樣子より、
實(み)の
入(いり)たる頬の具合、
誰(たれ)か波漂なるを疑はんや、
縱(よ)し髮の色を染めずとも、若し頬より顎の髯を
剃落(そりおと)し唯だ
鼻下(びか)八字の髯のみと爲し、黒き眼鏡を取外さば其儘の波漂なり、黒き目鏡を取外す丈にても既に面影の
舊(もと)に歸るを見る。
余が心配氣なき我が顏色に滿足し再び黒目鏡を掛け終る所へ瓶藏又
入來(いりきた)り「何うか私しもお伴をさせて頂きませう。」
「何にも云はずに唯だ
從(つい)て來る丈なら連て
行(ゆか)うが。」
「ハイ一
言(ごん)も云はずにお伴を致します。」
「では來い、最う介添人の用意は好いか。」
「ハイ、ダベン侯爵も、フレシヤ大佐も早や馬車に乘り、
此家(このや)の前に待て居ます」余は其儘居間を
出(いづ)るに瓶藏は彼の一對の短銃を持ち從ひ來れり、頓て門に出で馬車に乘れば侯爵は親しげに余の手を握りながら、鋭く瓶藏の顏を
詠(なが)めつ「彼れは安心な人物ですか。」
「此上も無い安心です、私しが傷でも受た場合に彼れ自分で介抱せねば氣が濟まぬから、夫で從て來るのです」侯爵は「成る程正直
相(さう)な從者です」と評して彼れの
隨(したが)ひ
來(きた)るを許したるが此時宿の主人も
周章(あわて)ながら送りて出で「皆樣、三人前の食事を揃へてお
待申(まちまをし)ます、お
歸(かへり)の上は
屹度(きつと)祝盃(しゆくはい)で御座いませう」と世辭を述ぶ、馬車は漸く
輾(きし)り
出(いだ)すに大佐フレシヤ氏は最と眞面目に「此頃の決鬪は唯だ儀式だけで、料理屋へ祝盃の用意を命じて
置(おい)て出て行きます、昔の遺言を
認(したゝ)め置き水盃で出掛たのとは大違ひです」と云へば侯爵も苦き顏にて、「
[#底本では「「」欠字]併し今日のは其の樣な儀式だけの決鬪では有りますまい。」
「勿論です。」
「
爾無(さうな)くては叶ひません、併し侯爵、佛國でも貴方が現はれてから實に昔の決鬪を再興したと云ふ趣きが有ますよ、貴方に敵對すれば血を見た丈では治まらず必ず其場で
死(しに)ますから。」
「左樣サ、私しは或時人に辱しめられ深く自ら決心しました、
此後(こののち)苟(いやし)くも己を辱しめる者は決して生て此世に
居(を)られぬ事に仕て
遣(やり)たいと
斯(かう)思つたから、是より一生懸命で撃劍を
學(まなん)だのです。」
「昨夜來會したハメル氏も確か貴方の弟子でせう。」
「ハイ弟子ですが、彼れは決鬪に唯だ勝て敵を殺すと云ふ丈の目的で文明の決鬪と云ふ事を知らぬから困ります、私しは
飽(あく)までも綺麗に遣るのが文明の主意と知る故、唯だ劍の先で
一突(ひとつき)に、餘り血も出ぬ樣に
灸所(きうしよ)を突て殺します、
假令(たと)ひ遺族が其死骸を引取て檢めても餘り殘酷とは思ひません、夫に引替へ彼れは唯だ殺したい一心で敵に隙間さへ有れば所嫌はず傷附けて
宛(まる)で最う下手な
豕屋(ぶたや)が豕を殺す樣に血だらけに仕ますから人が
恐(おそれ)るのです、
兼々(かね/″\)言聞(いひきか)すけれど仕方が有ません、其樣な決鬪ならば寧ろ短銃で射合ふのが幾等増しかも知れません、今日伯爵が短銃を撰んだのも多分茲等の深意でせう」と、余が
方(かた)に振向たれば余も「左樣」と
答(こたふ)るに、此時馬車は早や
定(さだめ)の決鬪場へと
着(ちやく)しぬ。
六五
既に定めの場所に着き、一同と共に馬車を
下(くだ)るに羅馬内家の
墓窖(はかぐら)は彼方に見え、余に樣々の事を思ひ
出(いだ)さしむ種と爲り、一際余が復讐の思ひを強くすれども相手の魏堂は未だ
來(きた)らず、唯だ双方の介添人が昨夜の中に雇ひ入れたる一
人(にん)の外科醫
人待(ひとま)ち顏に佇ずめるを見るのみ。
頓て朝の六時を報ずる鐘の聲、近邊の寺より聞え
來(きた)るに
其音(そのね)の猶ほ終らぬうち介添人ダベン侯爵「ソレ來た」と呟きたれば余も一方を振向見るに成るほど介添と思はるゝ二
人(にん)の紳士に
伴(ともな)はれて、彼れ魏堂のソロ/\と歩み
來(きた)るを見る。
魏堂は帽子を目深く引下げて、毛皮附きたる
外被(うはぎ)の襟を捲り上げ、其顏を隱せるのみか猶ほ愈々決鬪と云ふ時まで余の顏を見るをだに厭ふ如く、
此方(こなた)へとては見向もせざれば、其顏色の如何ほど
打欝(うちふさ)げるやを知るに由なし。余も今又充分余の顏を見せ又彼の顏を見る折の
來(きた)るを知れば進み行きて
窺(のぞ)きもせず、冷然として控ゆるに彼れ
宛(あたか)も疲れ果たる人の如く
但(と)ある樹の幹に寄掛りて留りたり。
是より彼れの介添人はダベン侯爵の許に來り一通りの挨拶して「距離は昨夜の御相談通り、七間離れると云ふことに致しませう」と云ひ侯爵も「ハイ異存ありません」と答へ、是より余の立つ所を定め、次に
足數(あしかず)にて共に其距離を計りたり。
此間に余は我が外被を脱ぎて瓶藏に渡しなどしつ少しばかりの用意を
調(しら)ぶるに、余の身は宛も木石の如く、今に何の情慾も何の感覺も無し、武者振ひとて能く人の云ふ所なれど震ひもせねば動きもせず、唯だ魏堂を
射殺(いころ)す短銃の發射機械と爲りたるに似たり。暫くにして距離の測量を終り介添兩人は更に短銃の檢査を初め、
彈丸(たま)をも夫々込め直して立來り「サア雙方を決鬪の場所へ立せませう」と云ひ余と魏堂とを定めの位置に
引出(ひきいだ)せり。
魏堂は今まで疲れし人と
見(みえ)しに似ず、手早く其の外套と帽子を脱ぎ大足で
歩來(あゆみきた)り、足踏定めて
突立(つゝたち)しが、余は此時初めて魏堂の樣子を見るに彼れ
夜一夜(よひとよ)を
恨(うらみ)に明し、
眠(ねむり)さへも得ざりしと見え顏の色青くして兩の眼の周りに紫色の血色を
繞(めぐ)らせり。
且(かつ)は彼れ目遣ひさへ落附かず、唯だ余を射殺さん一心と見え、唇までも恨めしげに堅く閉ざしつゝ、殆ど
引奪(ひきたく)る程の勢ひにて介添人の手より
彼(か)の短銃を受取りて充分に檢め始めたり、アヽ彼れ斯くまでに心騷ぎて如何で機械の如く落着きたる余に勝つ事を得ん、余は寧ろ彼れが今
一入(ひとしほ)魂を据ゑ如何にも是ならば狙ひ損ずる事あらじと余に思はるゝ如くならんを望む、尤も唯だ七間の距離にして彼れの手練を以てする事なれば余を射損ずること
萬々(ばん/\)無き筈なれど、余は何と無く敵として物足らぬ心地するなり、余も足を踏締て
立(たつ)たるが此時フト心に浮ぶは余が黒き目鏡なり、第一余とても充分狙ひに念を入ずば成らぬ場合、
眼(まなこ)を遮る者がありては夫が爲に不覺を取る事無しとも云はれず、且は又今にして波漂が
露出(むきだし)の眼を彼れに見せずば、何の時にか
復(ま)た彼れに余笹田折葉こそ彼れに
窘(くるし)められ辱しめられたる波漂羅馬内なる事を知しめ得んや、
斯(かく)思ひて先づ
四邊(あたり)を見廻すに生前の余波漂を知れる者魏堂の外に一
人(にん)も無し、ダベン侯爵は此頃佛國より來りし丈にて
曾(かつ)て波漂を知りし事なく、又魏堂の介添人も余の從者瓶藏も
固(もと)より余を知る者に非ず、獨り大佐フレシヤ氏のみは數年前より
交(まじは)りたる人なれど彼れ幸ひに余が
背後(うしろ)より
斜(なゝめ)の方向に幾間も離れて立てり。余の顏を見る氣遣ひなし、余は猶ほ魏堂の外に那稻と云ふ幾倍も憎む可き敵を控ゆる故那稻に
仇(あだ)を
復(ふく)するの時までは余が波漂なる事を
何人(なにびと)にも知せ難けれど、茲にて目鏡を取外すは唯だ死際の魏堂一
人(にん)に顏を示すに
止(とゞま)る故、
敢(あへ)て憚る所なし、魏堂は冥途の土産までに余の顏を覺え行く者ならんト、余は少しの間に隈なく考へ終りたれば好しト心に
含(うなづ)きつ手早く彼の目鏡を外し之を我が
衣嚢(かくし)に納めつ、最と晴やかなる羅馬内家代々の眼を露出にし、
佶(きつ)と
見張(みはり)て魏堂の顏を眺めたり。
六六
目鏡を脱せし余が眼の晴やかなるにはダベン侯爵も
[#「ダベン侯爵も」は底本では「タベン侯爵も」]驚きしと見え、余に短銃を渡しながら「貴方は目鏡の無い方が餘程若く見えます、アヽ何うしても
伊國(いたりや)の貴族に屬する一種高尚
靈活(れいくわつ)な眼です」と呟きながら余を
褒(ほめ)たり。
余は短銃を受取りつゝ笑ひながらに「左樣ですか」と
答流(こたへなが)し、猶ほ
形(かた)ばかり其の短銃の具合を檢むるに、固より瓶藏が手入せし儘にして申分有る筈無ければ「滿足です」と返事して更に又
身構(みがまへ)を直しつつ魏堂の方に打向へり。魏堂は猶ほ余が顏には心も留めず、
頻(しき)りに短銃を檢査するのみなりしが此時
背後(うしろ)の
方(かた)に立つフレシヤ氏は
遙(はるか)に魏堂の介添人を呼び「最う萬事整ひましたか」と云ふ、
彼(か)の介添人も侯爵も一齋に「サア用意は宜しい」と答へ、更に侯爵は余と魏堂とに合圖する爲と覺しく、白き
半拭(はんけち)を手に提げて余と魏堂との眞中頃と思はるゝ所に立ち「サア愈々初まるのだ」と云ひ、其半拭を振り上げたり。
此時までは猶ほ短銃を兎に角と檢め居たる彼れ魏堂は初めて頭を擧げ來り、露出なる余の顏に目を注げり。アヽ讀者、此時の魏堂の驚き余は何と云ひて形容す可きか、左なきだに青き彼れの顏は忽ち鉛色より土色と爲り、驚愕と云はんか當惑と云はんか殆ど評しやう無き樣を示せり、察するに彼れ余を見て波漂の幽靈現れ
出(いで)し者と思ひしならん、然り幽靈に
魘(おそは)れて魂の消ゆるほど震へ上りし人の顏正しく斯くの如くなる可し、否其顏より魏堂の彼は猶ほ
一入(ひとし)ほ
魘(おそ)はれたる者なり、目附は全く狂人の目附、顏は恐しさに堪へざる顏、余は實に目鏡を外せし余の顏が斯までも彼れを驚かさんとは思はざりき、彼れは神の助けを
呼(よば)んとする心にや、夫とも介添人に訴へん積なるか、其唇を開きたれど彼れの喉には
聲涸盡(こえかれつく)し、一句の言葉を發し得ず、彼れは短銃を持ちしまゝ定めの場所より
二歩(ふたあし)、
三歩(みあし)ヨロ/\と
蹌踉(よろめ)きて退きたり。
彼れの介添人は如何にせしやと怪む如く走り來らんと爲したれど其間に魏堂は思ひ返し
確(か)と心を取直せし者なる可し、再び
突々(つか/\)と元の所に歩み來り、足踏固めて突立たり、去れど魘はれし彼れの顏は再び
舊(もと)の色に返らず、彼れは定めし余が波漂に似て見ゆるを己れの神經の爲と思ひ、我と我が心を叱りて勵せし者なる可し、彼れは唯だ余折葉を憎しと思ふ一心にて滿身の勇氣を絞り集めたる者なるべし。彼れ再び余の顏を見るに及び又蹌踉かんばかりなりしも今度は自ら悔しさに堪へぬ如く齒を噛締めて
其所(そのところ)に立留れり。
アヽ余は斯くまで彼を驚かせ又彼を苦むるを得ば復讐の上に於て遺憾なしと云ふ可きか、否々、余は彼れの樣を見て
猶更(なほさ)ら彼れを憎まざる事能はず、彼れ若し余を波漂なりと知らば己れの深き罪を悔い、其短銃を
投棄(なげすて)て余の前に
鰭伏(ひれふ)す可き所ならずや、彼れ余を波漂と知りしか
將(は)た波漂の幽靈と思ひしか、夫までは余の知る所ならねど兔に角彼れは余の眼が波漂の眼と同じきを見、一際余を殺さずに置き難しとの決心を強くせし如く、魘はれながらも己の神經を叱り、無理に己れの心を勵して立向ふこと
面憎(つらにく)し、余は少しも彼れを憐れまず唯だ彼れを憎むのみ。
合圖の役なるダベン侯爵は魏堂の異樣なる樣子を見、暫し其合圖を控へ居たるが頓て彼れの
身構(みがまへ)元に
復(かへ)るを見るや、一、二、三の掛聲を發せんとせり、勿論讀者の知れる如く一は短銃を上げよとの注意なり、二は狙ひを定めよとの命令なり、狙ひ既に定まらば三の掛聲にて双方一齊に發射する是れ決鬪の慣例なり。間も無く侯爵の朗かなる音聲は、
振動(ふりうごか)す半拭と共に「イチー」と叫べり、余も魏堂も
後(おく)れずに其筒口を上げたり、次に筒口の
相均(あひひとし)きを見「ニイ」と叫べり。
余は此聲に應じて魏堂を睨みて狙ひを定むると
齊(ひと)しく魏堂も亦余を見て狙ひを定めんとす、去れど狙ひを定むるには余の顏を見ぬ事能はず、彼れ余の顏を見るや、
且叱(かつしか)り、
且勵(かつはげ)ましたる彼れの神經も、殆ど
恨(うらみ)に光る余の眼には抵抗し得ぬと見え、益々恐れ
戰(をのゝ)くの色其顏を染め來れり、漸くにして彼れの眼余の眼と合ひたれば余は今までに堪へ/\し
我恨(わがうらみ)を彼れに知せるは茲なりと思ひ、凄く眼を
光(ひから)せて
勝誇(かちほこ)る笑を示し、彼れ睨めば、余も睨み返し、汝の腐りたる根性にて清き余を殺せるならば殺して見よと云はぬばかりに挑み掛け、暫しが程眼と眼にて人知れず戰ひ合ふのみなりしが、侯爵は狙ひの全く定まるを見、
大聲(たいせい)に「サン」と叫び、上げし半拭に拍子を附けて地の上に
抛(なげう)ちたり。
此聲を聞くが否や、余と魏堂は少しも後れ先立たず、宛も一發の音かと思はるゝ如く短銃を發射したり、音の猶ほ
我耳(わがみみ)に
入(い)るか
入(い)らぬかと疑はるゝ一轉瞬の間に魏堂の短銃の
彈丸(たま)は余が右の肩を掠め余のコートを
燻(くすぶ)らせて飛去れり、彼れ手の元狙ひ損ぜしなり、余の彈丸は彼れの孰れに
中(あた)りしぞと
眸(ひとみ)を定めて
篤(とく)と見るに、段々と散じ行く
烟(けむ)りの中にアヽ彼れ
仆(たふ)れもせず余と同じく突立ちて有り、余も亦彼れを射損じたるか、否々、否、百年の恨みを呑み、充分に狙ひたる余の狙ひ、寸も外るゝ筈なきに、
嗚呼(あゝ)是れ
如何(いかゞ)せし爲めなる
乎(か)、余は
最(もう)一發狙ひ直して彼れを
射殺(いころ)し度し、決鬪に非ずして人殺しなりと言はゞ言へ……。
六七
余は實に人殺しと云はるゝも厭ふ所に非ず、最う一發射直して彼れ魏堂を殺したし、彼れを射損ぜし悔しさは唯だ骨髓に徹するを覺ゆのみ、幾月の辛抱にて漸く茲まで
推寄(おしよせ)ながら
感腎(かんじん)の一歩にて過ちしかと、殆ど氣も狂はんとする折に及び、
烟(けむり)の中に突立ちたる彼れ魏堂は、カラリと短銃を手より落せり、落すと見る間に彼れが白き飾り
袗(しやつ)の胸板に
紅(くれなゐ)の血の
染出(そめいづ)るを見る、アヽ余の彈丸は狙ひを外れし者に非ず、全く彼れの胸を
射貫(いぬき)しなり、射貫たれども彼れ暫く仆れざりしなり、斯く思ふ暇も無く、彼れ前の
方(かた)に
一歩(ひとあし)進み其儘
(だう)と
俯伏(うつぶ)せに
倒(たふ)れたり、有難し、有難し、讀者よ余は實に決鬪に勝ちしなり、魏堂を射留めて復讐の一部を果せしなり。
見るうちに外科醫者は
其傍(そのそば)に走り寄れり、魏堂の介添人兩名も余の介添人ダベン侯爵も同じく其傍に寄れり、余は唯だ何と無く心の底の底より
湧出(わきいで)し五臟六腑に
滿渡(みちわた)る大滿足の想ひに、進む事も退く事も忘れ、元の所に立ちし儘見てあるに固より僅か五七間離れたる所なれば一同のする事も云ふ事も、手に取る如く見え且聞こゆ、あな
面白(おもしろ)のパノラマや。
外科醫は魏堂を抱起せり、魏堂は其の暗き眼を見開きて天を眺め、
食締(くひし)めたる齒は露出して有れど物も云はず動きもせず、彼れ死せしか氣絶せしか、侯爵は醫師に向ひ「何うでせう射撃の手際は」と問へり、流石其身の決鬪家たるだけに何より先に此決鬪の巧拙を聞かんとする
歟(か)、恐ろしきほど心の落着きし者なる哉、醫師も
馴(なれ)たる顏にて「言分有りませんが唯だ一寸ほど高過ぎました。」
一寸高く狙ひしは余に所存あつての事なるを知らざるか「最う一寸下へ當れば頓死する所でしたに」愈々未だ死切れず居る事なるか、余の目的は嘘ほどに旨く達せし者なり、侯爵は稀有の顏にて「オヤ
猶(ま)だ命が有るのですか。」
「ハイ到底助りは仕ませんが、僅ばかり灸所より離れた丈に、極靜かに仕て置けば猶だ暫く生て居ませう、
徐々(そろ/\)と遺言位は言置かれます、尤も痛く心を激すれば格別ですが。」
説明(ときあ)かす言葉の終るか終らぬに
彼(か)の恐しげに天を見張れる魏堂の眼に一種の感じと心とを浮べ
來(きた)れり、彼れ正氣に返らんとすると見えたり、頓て彼れ其目を一二度
開閉(しばたゝ)きて眸を定め、何か物を探す如くに、又疑はしげ訝しげに一同を眺め初めしが、
終(つひ)に探り/\て其眼余の顏に注ぎたり、余は此時既に元の如く黒目鏡を掛け
我眼(わがまなこ)を隱し居たれど、猶ほ魏堂は痛く感ずる所あると見え、其顏色最と異樣に
激(はげ)み來り、唇までも動かして
切(しき)りと物を
言度(いひた)げに見ゆ、醫師は夫と察してか直ちに携へ持つブランデーの口を拔き、彼れの齒の間へ
注(そゝ)ぎ込むに彼れ初めて力を得し如く、辛くも自ら身を起せり、是れが死際の餘力にやあらん彼れは左の手を傍に突き、右に余の姿を
指(ゆびさ)して調子の定まらざる聲を絞り「彼れに、アヽ彼に、話が有る」と云ひ、後は殆ど聞取り難き程の低き聲にて「
誰(た)れも聞かぬ所で、
誰(たれ)の耳にも
入(い)らぬ所で」と呟きたり。
是等の有樣、斯く細々と記しては何の恐しさも無けれど、實際に
深傷(ふかで)を負ひ、
將(まさ)に
死(しな)んとする人が其死を堪へて
物言(ものいは)んとするほど薄氣味惡き者は無し、流石の醫師まで色を
變(かふ)る程なれば侯爵は第一に立ちて
退(しりぞ)き、次には魏堂の介添人、最後には
彼(か)の醫師も半ば此有樣を見度く無き爲め、半ば魏堂の望みに從ひ、殆ど
話中(はなし)の聞えぬ邊まで退きて控へたり。
余は
斯(かく)と見て進み
出(い)で、彼れの顏に
暈(まば)ゆく射る朝日の光りを遮る如く彼れの前に身を
屈(かゞ)めて我顏を
突出(つきいだ)すに、彼れ猶ほ先刻の恐れを其儘に眼を留め、目鏡越しなる余の目を眺めつ「アヽ後生です、後生です、貴方の名前は、本名は、アヽ貴方は誰です」と、問ふ、聲も高く低く、殆ど幾月以來初めての憐れみを余が心に起さしむるに足る、アヽ讀者、余は魏堂に我が本性を打明くる時とはなれり。
六八
憐(あはれ)みの心起りはしつれ、積りに積る余の恨みは此時又異樣に
湧出來(わきいできた)れり、彼れを憐れむ程ならば此復讐を
企(たく)みはせず、彼れは實に
寸斷々々(ずた/\)に余に殺されても猶ほ
償(あがな)ひ足らぬ程の罪あるに非ずや、彼れの心猶ほ其罪を
悔(くゆ)るや否すら知れざるに、余
何(なん)ぞ彼れを憐む事あらんや。
余は確なる聲にて彼れ魏堂の問に答へ「コレ魏堂、汝は問ふ迄も無く余を知て居る筈だ、余の聲を聞け、余の姿を見よ、
頭(かみ)の毛こそ白くなつたが昨年まで汝が親友と
諛(へつら)ツた波漂だ、波漂羅馬内だ、汝
未(いま)だ忘れはすまい、汝余の妻を
偸(ぬすん)だでは無いか、余の家名を
(けが)し、余の財産を掠め、余の
面目(めんもく)を死後までも
蹂躙(ふみにじ)つた汝の罪が是くらゐの事で
亡(ほろ)ぶと思ふか。サア恨に變る波漂の
相合(さうがふ)を見て思ひ知れ」と云ひつゝ余は再び目鏡を外すに、復讐に
凝固(こりかたま)れる余の眼より發する光は彼れの目に太陽より猶ほ
暈(まば)ゆきにや、彼れ見返すこと能はず、其顏を
傍向(そむ)けんにも
身體(からだ)動かず、ブル/\と身を震はして眼を閉ぢ、暫し何事をか念ずる
體(さま)なりしが、漸くにして其の定らぬ目を開き「波漂! 波漂! 其樣な筈は無い、波漂は死だ、
墓窖(はかあな)へ葬られた、
棺(くわん)に
這入(はいつ)た其姿まで見屆けたのに。」
アヽ彼れ猶ほ余を波漂なりと信ぜぬにや、否必ずしも信ぜぬには有らで唯だ死して葬られし波漂が何うして生返るを得しやと怪むならん、余は一際彼れに
迫寄(せりよ)り、
「余は葬られたけれど、
生(いき)た儘で葬られたのだ、棺の中で正氣に歸り
墓窖(はかぐら)を破ツて出て來たのだ、其間の辛さ
術無(せつな)さは
管々(くだ/\)しく茲で云ふにも及ばぬ事、唯だ我家に歸て我妻や親友汝に迎られるを樂みに歸て行き、
面前(まのあたり)汝と妻の僞りを見た余の悔しさ腹立しさが性根の腐た汝には分らぬか、是れ
僞奴(ぎど)、僞り者」と云ひ又も鋭く彼れを睨むに、彼れ
魂魄(たましひ)の底の底より恐しさの襲ひ
來(きた)るが如く動かぬ身體を掻き藻掻き、若しも隱るゝに所あらば其姿を消してなりとも隱れんと想ふ如く、唯だ縮み込むのみにして、見る中に其
前額(ひたひ)に脂の汗を浮かべたり。
余も茲に至りては神經宛も張切りたる
弓弦(ゆんづる)の如く、
裂切(さけき)れんばかりにて少しの感じも痛く響き、我れながら狂氣する間際かと疑はる。
殊に彼れの樣子に
一方(ひとかた)ならぬ悔恨の色、
自(おのづ)から現はれ
來(きた)るにぞ、余は
半拭(はんけち)の端を以て靜に彼れが前額を拭き、斯して自から
我(わが)神經を
推鎭(おししづ)め、更に又其一端に
彼(か)の醫師が瓶の儘殘し行きたるブランデーを浸し、彼れの唇を
濕(うるほ)し遣りたり。
余は唯だ何と無く
兩眼(りやうがん)に涙の
漲(みなぎ)り
來(きた)るを覺ゆ、是れ嬉しさの爲か悲しさの爲か、
將(は)た魏堂を憐むが爲めか、自ら
其孰(そのいづ)れなるを
知(しら)ねど幾月の艱難辛苦にて漸く我が思ひを果したる
曉(あかつき)は、即ち我身に妻も無く子も無く、友も無く、家も無く、世に
存(なが)らふる甲斐だに無き
最(い)と淺ましき時なるかと思へば、感極ツて
泣(なか)ざるを得ず、爾は云へ今は泣くに泣れぬ場合なれば、余は
強(しひ)て口の端に
笑(ゑみ)を浮め、
「魏堂、汝の知る、ソレ裏庭の、余が常に讀書した腰掛の許まで行き、余は確に汝を見た、汝と那稻の僞りを見た、余が死だと思はれて居る其翌日の晩で有るのに、汝余が腰掛た通りに余の腰掛に腰を掛け、而も那稻を膝に抱き、那稻の細い手を
弄(もてあそ)び余を
譏(そし)り余を嘲り、爾して那稻の機嫌を取り、
接吻(せつぷん)まで仕た事は
祕(かく)しても隱されぬ、其時一間と
隔(へだ)たらぬ横手に屈み汝と那稻のする事を見て
躍出(をどりいで)もせず控へて居た余の心を何う思ふ、汝が昨夜余と那稻の結婚を聞た時に比べて見よ、汝は滿座の中も耻ぢず余に躍り掛つたでは無いか、汝さへ余に復讐を
企(たく)むのに余が汝と那稻とに復讐せずに居られやうか、コレ見よ、其時那稻と汝との胸に挿して居た一對のアノ花は、余が羅馬の朝廷から贈られた薔薇の花、余は汝等の後に廻り、後の證據と
落散(おちちつ)た其花を拾ひ、今も猶ほ持て居る」と云ひつゝ余は爾來我が
衣嚢(かくし)に離さぬ萎びたる
花瓣(はなびら)を
取出(とりいだ)して靜に彼れが目の下に置くに、流石の彼れも最早や一語の言譯なく、今は死際の善心に立返りしか「波漂、波漂、
詫(あやま)つた恐れ入つた」と繰返す其聲も蟲の息なり。
彼れ暫くにして又少し
首(こうべ)を上げ「ですが那稻は、イヤ夫人は貴方を
舊(もと)の
所天(をつと)だと知て居ますか」是れ猶ほ彼れの穢れたる
魂魄(たましひ)に徘徊する疑ひなる可し。
「イヤ
猶(ま)だ知らぬ、
然(しか)し余の
憎(にくみ)は汝より猶ほ那稻に積つて居るから、
近々(きん/\)婚禮すれば
直(すぐ)に余の本性を知せて呉れる。」
此一語に彼れ天にも地にも身の
置所(おきどころ)無き程に
戰(おのゝ)きつゝ、
「オヽ神よ」と
祈初(いのりはじ)めしも
心定(こゝろさだま)らねば其の祈り語を爲さず「恐ろしい、オヽ許して下さい、助けて、助けて」と叫ぶ折しも、傷口よりドツと血潮の
迸(ほとばし)り、其後を繼ぐ能はず、見る中に其息づかひ弱くなり、顏も次第に血の色を失ひ來れり、是れが臨終の有樣ならん。
去れど彼れ猶ほ力無き目に余を見上げつ、片手を延べて何物をか握らんとする樣子なるにぞ余は其意を悟り、我手を
出(いだ)して握らしむるに彼れ
引締(ひきしめ)て
己(おの)が罪の許されん事を願ふに似たり、余は今までより最と穩かに、
「夫から
後(のち)の事は云はずとも汝の知て居る通りだ、余の復讐を思知たか、ヱ余の心が分たか併し魏堂、是で何も彼も濟で
仕舞(しまつ)た、最う恨みも消たから余の心は汝の罪を許して遣る、何うか神にも其罪を許して貰へ」と云ふに彼れ初て善心の安心を得しなるか
血氣(ちのけ)無き唇に最と
可弱(かよわ)き笑を浮べたり、
其笑(そのゑみ)即ち昔し余の愛を得たる
幼時代(をさなじだい)の罪無き笑にて、深く余の心に徹したり。彼れ余が顏の
稍(や)や
柔(やはら)ぐを見、
微(かすか)なる
呻吟聲(うめきごゑ)にて、
「アヽ何も彼も濟で仕舞た、神よ、波漂よ、本統に許して呉れ」と
云(いひ)も猶ほ終らぬ間に忽ち總身に強き痙攣を引起し、横樣に
反仆(そりたふ)れて、長く震へる息を名殘に彼れ全く
縡切(ことき)れたり。
六九
讀者よ、魏堂の汚らはしき生涯は茲に盡きたり、彼れ實に余が復讐の手にて死したるなり、余が恨み是にて滿足せしとは云へ余には彼れよりも猶憎き那稻と云ふ大敵あり、那稻に
仇(あだ)を返す迄は寸も心を弛む可からず。
横樣に
反仆(そりたふ)れし魏堂の死骸に余は猶ほ手先を握られて
其所(そのところ)を去りも得せず、乾きたる眼にて彼れの死顏を見るに不義の色のみ眺めたる彼れの眼は
張開(はりひら)きて
旭(あさひ)に輝き物凄き
見得(みえ)を
爲(なせ)ども、僞りの外云ひし事なき彼れの口に一種の笑を浮ぶるは余に其罪を許されたる嬉しさなるや、
將(は)た余の怒り
一方(ひとかた)ならざりし
凄(すさま)じさに恐れ、媚び慰めて余を
賺(すか)さん僞りの笑なるか、今より思ふも其に孰れなるを判じ得ざれど、余は唯だ餘りの感じに胸も板の如くになり、最早や
此所(このところ)に
永居(ながゐ)する能はず、握れる魏堂の手を解かんとするに此時始めて目に留まるは
兼(かね)て那稻が彼れに贈りし余が前身の指環なり、是なん余が家代々の寶の
一(いつ)なる
夜光珠(だいやもんど)を嵌め
込(こみ)し者なれば、彼れの汚れたる死骸に着け置く可からず、余は靜に之を拔取りて
衣嚢(ポケツト)に收め、魏堂の手を離して立上り、再び黒目鏡に目を隱すに、此時醫師初め介添人一同は再び茲に寄來れり。
孰れも無言にて魏堂の有樣を
見(みる)のみなりしがフレシヤ氏は眉を
顰(ひそ)め「オヤ/\
縡切(ことぎれ)と爲たのですか」と余に問へり「ハイ」と口に
出(いだ)して答へては余が聲の震へんを
恐(おそ)る、余は唯だ重く
點頭(うなづ)きて然りとの意を示すに、次には侯爵進み出で「併し彼れは死際に充分貴方へ謝罪の意を
述(のべ)たでせう」余は再び點頭くのみ。
此間に醫師は屈みて、開ける魏堂の目を
閉(とぢ)させなど樣々の手當を爲すに、侯爵は余が顏に深き惱みの浮べるを見てか余を
傍(かた)へに引き「イヤ貴方は
直(すぐ)にお歸り成さい、爾して葡萄酒に勇氣を附けるが必要でせう、貴方の顏色は
宛(まる)で病人かと見えます、尤も決鬪とは云へ之が爲に人命が
亡(ほろ)びて見れば
誰(たれ)も好い心地はせぬ者です、貴方が顏色の變る迄に彼れの死を憐むは慈悲深い證據ゆゑ敬服の外有りませんが、併しナニ
今日(こんにち)の事は彼れに許し難い無禮が
有(あれ)ばこそ茲に至たのです、誰に聞かれても貴方の舉動に少しの悔む所も無く
耻(はづ)る所も有ません、唯だ貴方は少し氣を晴す爲め一週間位
近縣(きんけん)へ旅行するが好いでせう、其間に私しが一切此事の殘務を
片附(かたづけ)て上ますから」と此親切なる慰めの言葉を聞き余は
實(げ)にもと思ひたれば、
孰(いづ)くにや旅行す可きと心に暫し考へし末、遠くも有らぬ「アベリノ」が好からんと決したれば侯爵に其旨を告げて厚意を謝し、
徐(しづ)かに
此方(こなた)へと振向き
來(きた)るに、早や
下部(しもべ)の瓶藏が先程乘來りし馬車を控て待てるにぞ無言の儘に之に乘り、
此所(ここ)を立去りたり。
馬車の上にて考へ見るに旅行は成る可く
早速(さつそく)にするが上策なり、而も其前
尼院(あまでら)を問ひ一應那稻にも逢置くが都合好き故、最早宿へも歸るに及ばず、此儘先づアナンジヱタ(尼院の
在地(あるち))に行かんものと、瓶藏に其意を云聞け、宿に歸りて余の自分の馬車を用意し來たれと命じ、余自らは其儘に馬車より
下(くだ)るに
此處(こゝ)は是れ余が家なる羅馬内莊の
背後(うしろ)なり、那稻立去りてより余が家は今
如何(いかん)の有樣ぞ、余は立寄りて一目見度さに堪へざれば、瓶藏が馬車を整へて來る迄の間と思ひ、
獨(ひと)りそろ/\と門前まで歩み行くに門の戸は
鎖(とざ)さゞれど
毎(いつも)の如く
開放(あけはなし)もせず何とやら死人の有りし家の如くに見ゆるは主人那稻の留守なるが爲めにもや、昨夜魏堂が荒狂ひ、來りて
強(しひ)て戸を叩きしは
此邊(このほとり)なるにや、彼れが老僕皺薦を突飛して
仆(たふ)せしと云ふも
彼(か)の敷石の
邊(ほとり)なるにやなど其時よりの事を
考出(かんがへだ)すに從ひ心何と無く
物淋(ものさび)しく、襟元寒く身震ひのするを覺ゆ、思ひながら一
歩二歩(あしふたあし)、門の内へと
徘徊(さまよ)ひ
入(い)るに余の心益々沈み、高き木の日光を遮りて薄暗きは、死して行く、冥途の境涯かとも思はる、既にして眸を放てば行く手に誰やらん人の影あり、見るに從ひて其影次第に人と爲り、足を引きて余の
方(かた)に歩み
來(きた)る、誰ぞ、何者ぞ、余は怪みて問ふ力も無く、
其中(そのうち)に
能(よ)く顏を見れば今しも決鬪場に倒れたる魏堂の顏なり、開きし眼、閉ぢし唇旭に照して先に見し儘の有樣、胸の
痕(きず)より流れ
出(いづ)る血の色の何ぞ
夫(そ)れ
鮮(あざや)かなる、余が顏に掛る息何ぞ夫れ
腥(なまぐ)さきや、アヽ魏堂は確に
縡切(ことぎれ)と爲りたるに、如何にして茲に在るやと怪みて再び見れば是なん餘りに激動したる余が心の迷ひなり、魏堂の姿余が目に付き到る所に見ゆるなり、是等も一二日旅行せば消ゆる事必定なる故、余は今更恐れも驚きもせず、氣にさへも留ぬ程なるに、余が五臟の孰れにか痛く疲れたる所ありと見え、額に浮ぶ脂汗氣味惡く流れ
下(くだ)るにぞ、
半拭(はんけち)を出し推拭ひて又進むに、
中門(ちうもん)の戸も半ば閉ぢたり、余は益々死人の
境(きやう)に
入(い)る思ひし、自ら我が心に問へり、是れ
何人(なんぴと)が死したる者ぞ、アヽ死したるは主人波漂なり、即ち斯く云ふ己なり、今の余は余波漂に非ず、復讐の爲め墓の中より
出來(いできた)りたる惡魔なり、波漂は全く死したるなり、世に無き人なり、余若し波漂なりせば如何でか
其昔(そのむか)し友とせし魏堂を殺さん、然り余は波漂に非ず、復讐の惡魔なり、白髮鬼なり、波漂も魏堂も既に殺されて世に無き者なり、殺せしは誰ぞ是れ那稻なり、
仇(あだ)も恨みも總て那稻より來れるもの、那稻自ら余を殺し、又魏堂を殺したるに同じ、妖婦、妖婦、思へば實に一刻だも
生(いか)し置く可からざる妖婦なりと余が復讐の念
轉(うた)た強し。
七〇
余が那稻に對する復讐の念
轉(うた)た強きを覺ゆ折しも、遙か彼方より馬車の
輾(きし)り
來(く)る音聞えしかば
扨(さて)は彼の從者瓶藏が既に余の
言附通(いひつけどほ)り馬車の用意を整へて余を迎へに送りしなるかと余は初めて我れに
復(かへ)りし心地しつ、淋しげなる羅馬内家の庭より
出(いづ)るに、老僕皺薦も世の味氣なきを思ひ、己れの
室(へや)より
出(いで)ぬと見え、余が茲に來し事を誰一人知る者なし。
頓て屋敷の外を元の所まで
囘(めぐ)り
來(きた)れば、果して馬車と共に瓶藏の待てるにぞ、
今夕(こんせき)アベリノへ向け立つほどに汝は再び宿に歸り萬事其用意を爲せ、余は尼寺を
訪(と)ひ、汝が用意の整ふ頃、歸り
來(く)べしと瓶藏に告げ、馭者一人余一人にて直ちに尼寺の在るアナンジエタを指し馬車を進めしが、一時間と經ぬうちに其土地に着きたれば、
或(と)ある
旅店(りよてん)に馬車を
停(とゞ)め、余は
徒歩(かち)と爲りて尼寺の玄關を
音(おと)づるゝに、
豫(かね)て那稻が余の
來(きた)る事を
寺長(じちやう)に斷り置きしと見え、余は直ちに
奧深(おくふか)き書院かと思はるゝ一室に通されたり、暫くにして戸の外に絹の音あり、是れ必定那稻ならんと余が腰をも掛けずして待つ間も無く、那稻は靜に戸を開き、
窺(のぞ)く如くに首を
出(いだ)して、余の顏を見るより早く「オヤ
能(よ)く
入(いら)しツて下さツた」と余の
傍(そば)に
走來(はせきた)り、相も變らぬ其顏の美しさ、其の
言樣(いひやう)の愛らしさを見ながらも余は更に心動かず、戀人には不似合ひなほど嚴かなる音聲にて「
今日(こんにち)は、惡い事を知せに來ました」と云ひつゝ傍の椅子を那稻に渡すに、彼れ腰掛けは掛けたれど、余の樣子の異樣なるに何と無く恐れ氣遣ふ所あるに似たり、アヽ讀めたり彼れ余が定めし魏堂に
逢(あひ)しを知り、魏堂より何か自分に
拘(かゝ)はる祕密でも聞き、機嫌を損じて怒り
來(き)しには有らぬかと疑へるなり、疑ひの爲め其の心を苦むるは、余が
氣味好(きみよ)しと思ふ所なれば、余は猶更ら無言を守り彼れの顏を
打目守(うちまも)るのみなるに、彼れ今は
堪得(たへえ)ずして「エ、惡い知らせ
何(ど)の樣な事柄です、ではアノ魏堂に――お
逢成(あひなす)ツて」余は猶も計り知れぬ
顏附(かほつき)にて「ハイ逢ました、逢て今別れた儘です」と云ひつゝ
衣嚢(かくし)を探りて
先刻(せんこく)魏堂の死骸より拔取りし彼の指環を
取出(とりいだ)して「之は魏堂から貴女への贈り物です」と云ひて渡せり。
今までとても氣遣ひに青かりし那稻の顏は又一段と青さを増せり、恐れを帶びて余の顏を
見上(みあぐ)る
眼(まなこ)、
獵犬(かりいぬ)に
追詰(おひつめ)られし狐も斯くや、最早や魏堂の口よりして何も
斯(か)も
聞盡(きゝつく)せしに相違無しと思ひしならん、去ればとて余より何事も
云出(いひいで)ぬに辯解する事もならず、
恐々(こは/″\)ながら余が心の底を
探(さぐ)らんとする如く
戰(をのゝ)く手にて
件(くだん)の指環を受取りながら「オヤ、
私(わたく)しには合點が
行(ゆ)きませぬが」余は猶も無愛想なる聲にて「合點の行かぬ事は有ますまい、貴女が豫て魏堂に贈つた指環でせう」と云ひ益々
爾(さう)らしく見せ掛るに、恐れに聲も
涸盡(かれつく)せしかと疑がはるゝ程の調子にて「アヽ其指環ですか、アレは波漂が生前に餘り魏堂を愛して居た爲め、其
遺身(かたみ)にと
私(わた)しが魏堂へ贈つたのですが夫を今
私(わたく)しへ返すとは
何故(なにゆゑ)でせう。」
余は返事せず、猶ほ其顏を
見詰(みつめ)て有るに、流石曲者今は余の愛を
呼起(よびおこ)し深く余の心に訴ふる外無しと見て、眼に一ぱいの涙を浮め、恨しげに「貴方は
今日(こんにち)に限り
何故(なぜ)其樣に
餘所(よそ)/\しく成さるのです、番兵か何ぞの樣に
嚴(いかめ)しく立て居ずに、サア腰掛けて私しを安心させて下さいな、
接吻(きつす)を」と余を招くも、魏堂の死したる有樣が猶ほ目の前より消えぬ間に、如何で
此汚(このけが)れたる女に唇を接するに
堪(た)へんや、余は猶ほ膝を
折(をら)ずして初めの如く控ゆるに彼れ全くの
泣聲(なきごゑ)にて「アヽ貴方は最う愛情が消えたのですネ、
私(わた)しをお愛し成さらぬのですネ、私しの身の休まる樣、萬事保護して下さると
仰有(おつしや)つたのに」と云ひ
其所(そのところ)に泣伏すは
何所(どこ)まで人を欺くに妙を得し怪物ぞ!
去れど余は今より既に
他(か)れを苦むる所存に非ず、復讐には夫れ/″\の順序あり、今は先づ是だけにて充分なりと思ひ、少しく聲を
柔(やはら)げて「イヤ貴女の氣の休まる樣に充分保護して居るのです、貴女が魏堂を
蒼蠅(うるさ)いと
仰有(おつしや)たから夫では彼れを再び貴女へ
附纒(つきまと)はぬ樣に仕て
上(あげ)やうと約束し、
今日(けふ)は愈々其通り
仕果(しおほ)せたから、夫を知らせに來たのです。」
「ヱ、
何(なん)と」
「イヤサ、彼を再び歸らぬ所へ追拂ツて
仕終(しまつ)たのです。」
「ヱ、再び歸らぬ所ろ、では
若(も)し」と問ひ
來(きた)る語の終らぬうち余は
首(かうべ)を差延べて「ハイ彼れは最う此世には居ません、死人と
爲(し)て仕舞ひました。」
那稻は眞實に身を震はせたり、去れど悲みてに非ず唯だ驚きてなり「ヱ、ヱ、彼れが死人、彼が、貴方が彼を。」
「ハイ殺しました、彼れ非常に
私(わたく)しを辱め其上決鬪まで
言込(いひこみ)ました故、
今朝(こんてう)公明正大に決鬪し、彼を
射殺(いころ)して來たのです」大抵の夫人ならば恐ろしさに怯む所なれど那稻は怯むと見せて怯みはせず「アヽ夫で安心しました」と口にこそ
出(いだ)さねど心の
中(うち)は限り無く嬉しきと見え、早や其
青醒(あおざ)めたる顏に幾分の色を回復し來れり。
七一
魏堂の死を聞き那稻の顏には明かに安心の色見えしも、猶ほ其死際に自分の事か何か余の耳に
細語(さゝや)きはせざりしかと氣遣ふ如く、言葉を廻して樣々に
掘問(ほりと)ふにぞ、余は
手短(てみじか)く
掻摘(かいつま)みて魏堂が余に盃を叩き附たる有樣を語り「詰る所が是だけの事ですよ、貴方の名前は少しも彼の口から出ません、唯だ彼れは貴女を殺す氣に
成(なつ)たと見え、其席から
直(すぐ)に貴方の
家(うち)に
馳附(はせつ)け皺薦を呼び
聞(きゝ)ました
相(さう)です、けれど貴女が留守ゆゑ、何か惡口雜言して立去つたと云ふ事です」と告ぐるに、那稻は眞實に安心し、
初(はじめ)て嬉しげなる
笑(ゑみ)を浮め「本統に厭な男です、私しの留守へ向ひ惡口雜言するなどゝは、アヽ私しが日頃から餘り親切に
仕過(しすぎ)ましたよ。」
其人の死せしと聞き安心して
笑崩(ゑみくづ)るゝが親切と云ふ者なる
乎(か)、余は
其口前(そのくちまへ)に呆れたれど何氣なく「では
悲(かなし)いとは思ひませんか。」
「何で悲しいと思ひませうアノ樣な人間を、イエ本統ですよ、波漂が
生(いき)て居ます頃は彼れ幾等か遠慮して居た爲めか隨分紳士らしく見えましたが、波漂の死で
後(のち)は
賤(いやし)い氣質を其儘に現しまして、最う交際を斷らうかと是ほどに思た事も度々でした。」
「
爾(さう)聞けば私しも安心です、實は彼の死をお知せ
申(まを)し、貴女が若しや痛く
泣悲(なきかな)しみはせぬかと夫が唯だ心配ゆゑ」と云掛て余も初めて笑を示すに「オヤ夫で貴方は大層
眞面(まじめ)に、私しから物を云ても返事もせずに居たのですか。」
「ハイ。」
「本統に貴方は何から何まで能く氣をお配り成さる、夫でこそ私しの
見立(みたて)た
所天(をつと)です」と云ひ心の底より嬉しげに余が首に手を
卷(まい)て
傍(かたへ)の椅子へ
引卸(ひきおろ)しぬ。
余は
徐(おもむ)ろに其手を拂ひ「夫にネ、此決鬪の殘務が終るまで私しは獨りでアベリノへ旅行する
積(つもり)です、成る可くは貴女が
此尼院(このあまでら)を出る頃には私しも歸て來たいと思ひますから、
何時頃(いつごろ)茲をお
出成(でな)さるか
其日限(そのにちげん)を伺ひ度いのです」那稻は少し考へて「ハイ私しは一週間位逗留すると
寺長(じちやう)に
言込(いひこん)で有りますから一週間が
盡(つき)れば歸ります、夫に又、魏堂が死んだと成れば、何うしてもネーブルへ歸らねば成らぬ事柄が有りますから。」
とは又如何なる事柄にや、余は怪みて顏を見るに、彼れ少し
言憎(いひに)くげに
躊躇(ためら)ひしも「實はネ」と云ひて
)ヨロ/\と蹌踉(よろめ)きて退きたり。
彼れの介添人は如何にせしやと怪む如く走り來らんと爲したれど其間に魏堂は思ひ返し確(か)と心を取直せし者なる可し、再び突々(つか/\)と元の所に歩み來り、足踏固めて突立たり、去れど魘はれし彼れの顏は再び舊(もと)の色に返らず、彼れは定めし余が波漂に似て見ゆるを己れの神經の爲と思ひ、我と我が心を叱りて勵せし者なる可し、彼れは唯だ余折葉を憎しと思ふ一心にて滿身の勇氣を絞り集めたる者なるべし。彼れ再び余の顏を見るに及び又蹌踉かんばかりなりしも今度は自ら悔しさに堪へぬ如く齒を噛締めて其所(そのところ)に立留れり。
アヽ余は斯くまで彼を驚かせ又彼を苦むるを得ば復讐の上に於て遺憾なしと云ふ可きか、否々、余は彼れの樣を見て猶更(なほさ)ら彼れを憎まざる事能はず、彼れ若し余を波漂なりと知らば己れの深き罪を悔い、其短銃を投棄(なげすて)て余の前に鰭伏(ひれふ)す可き所ならずや、彼れ余を波漂と知りしか將(は)た波漂の幽靈と思ひしか、夫までは余の知る所ならねど兔に角彼れは余の眼が波漂の眼と同じきを見、一際余を殺さずに置き難しとの決心を強くせし如く、魘はれながらも己の神經を叱り、無理に己れの心を勵して立向ふこと面憎(つらにく)し、余は少しも彼れを憐れまず唯だ彼れを憎むのみ。
合圖の役なるダベン侯爵は魏堂の異樣なる樣子を見、暫し其合圖を控へ居たるが頓て彼れの身構(みがまへ)元に復(かへ)るを見るや、一、二、三の掛聲を發せんとせり、勿論讀者の知れる如く一は短銃を上げよとの注意なり、二は狙ひを定めよとの命令なり、狙ひ既に定まらば三の掛聲にて双方一齊に發射する是れ決鬪の慣例なり。間も無く侯爵の朗かなる音聲は、振動(ふりうごか)す半拭と共に「イチー」と叫べり、余も魏堂も後(おく)れずに其筒口を上げたり、次に筒口の相均(あひひとし)きを見「ニイ」と叫べり。
余は此聲に應じて魏堂を睨みて狙ひを定むると齊(ひと)しく魏堂も亦余を見て狙ひを定めんとす、去れど狙ひを定むるには余の顏を見ぬ事能はず、彼れ余の顏を見るや、且叱(かつしか)り、且勵(かつはげ)ましたる彼れの神經も、殆ど恨(うらみ)に光る余の眼には抵抗し得ぬと見え、益々恐れ戰(をのゝ)くの色其顏を染め來れり、漸くにして彼れの眼余の眼と合ひたれば余は今までに堪へ/\し我恨(わがうらみ)を彼れに知せるは茲なりと思ひ、凄く眼を光(ひから)せて勝誇(かちほこ)る笑を示し、彼れ睨めば、余も睨み返し、汝の腐りたる根性にて清き余を殺せるならば殺して見よと云はぬばかりに挑み掛け、暫しが程眼と眼にて人知れず戰ひ合ふのみなりしが、侯爵は狙ひの全く定まるを見、大聲(たいせい)に「サン」と叫び、上げし半拭に拍子を附けて地の上に抛(なげう)ちたり。
此聲を聞くが否や、余と魏堂は少しも後れ先立たず、宛も一發の音かと思はるゝ如く短銃を發射したり、音の猶ほ我耳(わがみみ)に入(い)るか入(い)らぬかと疑はるゝ一轉瞬の間に魏堂の短銃の彈丸(たま)は余が右の肩を掠め余のコートを燻(くすぶ)らせて飛去れり、彼れ手の元狙ひ損ぜしなり、余の彈丸は彼れの孰れに中(あた)りしぞと眸(ひとみ)を定めて篤(とく)と見るに、段々と散じ行く烟(けむ)りの中にアヽ彼れ仆(たふ)れもせず余と同じく突立ちて有り、余も亦彼れを射損じたるか、否々、否、百年の恨みを呑み、充分に狙ひたる余の狙ひ、寸も外るゝ筈なきに、嗚呼(あゝ)是れ如何(いかゞ)せし爲めなる乎(か)、余は最(もう)一發狙ひ直して彼れを射殺(いころ)し度し、決鬪に非ずして人殺しなりと言はゞ言へ……。
六七
余は實に人殺しと云はるゝも厭ふ所に非ず、最う一發射直して彼れ魏堂を殺したし、彼れを射損ぜし悔しさは唯だ骨髓に徹するを覺ゆのみ、幾月の辛抱にて漸く茲まで推寄(おしよせ)ながら感腎(かんじん)の一歩にて過ちしかと、殆ど氣も狂はんとする折に及び、烟(けむり)の中に突立ちたる彼れ魏堂は、カラリと短銃を手より落せり、落すと見る間に彼れが白き飾り袗(しやつ)の胸板に紅(くれなゐ)の血の染出(そめいづ)るを見る、アヽ余の彈丸は狙ひを外れし者に非ず、全く彼れの胸を射貫(いぬき)しなり、射貫たれども彼れ暫く仆れざりしなり、斯く思ふ暇も無く、彼れ前の方(かた)に一歩(ひとあし)進み其儘(だう)と俯伏(うつぶ)せに倒(たふ)れたり、有難し、有難し、讀者よ余は實に決鬪に勝ちしなり、魏堂を射留めて復讐の一部を果せしなり。
見るうちに外科醫者は其傍(そのそば)に走り寄れり、魏堂の介添人兩名も余の介添人ダベン侯爵も同じく其傍に寄れり、余は唯だ何と無く心の底の底より湧出(わきいで)し五臟六腑に滿渡(みちわた)る大滿足の想ひに、進む事も退く事も忘れ、元の所に立ちし儘見てあるに固より僅か五七間離れたる所なれば一同のする事も云ふ事も、手に取る如く見え且聞こゆ、あな面白(おもしろ)のパノラマや。
外科醫は魏堂を抱起せり、魏堂は其の暗き眼を見開きて天を眺め、食締(くひし)めたる齒は露出して有れど物も云はず動きもせず、彼れ死せしか氣絶せしか、侯爵は醫師に向ひ「何うでせう射撃の手際は」と問へり、流石其身の決鬪家たるだけに何より先に此決鬪の巧拙を聞かんとする歟(か)、恐ろしきほど心の落着きし者なる哉、醫師も馴(なれ)たる顏にて「言分有りませんが唯だ一寸ほど高過ぎました。」
一寸高く狙ひしは余に所存あつての事なるを知らざるか「最う一寸下へ當れば頓死する所でしたに」愈々未だ死切れず居る事なるか、余の目的は嘘ほどに旨く達せし者なり、侯爵は稀有の顏にて「オヤ猶(ま)だ命が有るのですか。」
「ハイ到底助りは仕ませんが、僅ばかり灸所より離れた丈に、極靜かに仕て置けば猶だ暫く生て居ませう、徐々(そろ/\)と遺言位は言置かれます、尤も痛く心を激すれば格別ですが。」
説明(ときあ)かす言葉の終るか終らぬに彼(か)の恐しげに天を見張れる魏堂の眼に一種の感じと心とを浮べ來(きた)れり、彼れ正氣に返らんとすると見えたり、頓て彼れ其目を一二度開閉(しばたゝ)きて眸を定め、何か物を探す如くに、又疑はしげ訝しげに一同を眺め初めしが、終(つひ)に探り/\て其眼余の顏に注ぎたり、余は此時既に元の如く黒目鏡を掛け我眼(わがまなこ)を隱し居たれど、猶ほ魏堂は痛く感ずる所あると見え、其顏色最と異樣に激(はげ)み來り、唇までも動かして切(しき)りと物を言度(いひた)げに見ゆ、醫師は夫と察してか直ちに携へ持つブランデーの口を拔き、彼れの齒の間へ注(そゝ)ぎ込むに彼れ初めて力を得し如く、辛くも自ら身を起せり、是れが死際の餘力にやあらん彼れは左の手を傍に突き、右に余の姿を指(ゆびさ)して調子の定まらざる聲を絞り「彼れに、アヽ彼に、話が有る」と云ひ、後は殆ど聞取り難き程の低き聲にて「誰(た)れも聞かぬ所で、誰(たれ)の耳にも入(い)らぬ所で」と呟きたり。
是等の有樣、斯く細々と記しては何の恐しさも無けれど、實際に深傷(ふかで)を負ひ、將(まさ)に死(しな)んとする人が其死を堪へて物言(ものいは)んとするほど薄氣味惡き者は無し、流石の醫師まで色を變(かふ)る程なれば侯爵は第一に立ちて退(しりぞ)き、次には魏堂の介添人、最後には彼(か)の醫師も半ば此有樣を見度く無き爲め、半ば魏堂の望みに從ひ、殆ど話中(はなし)の聞えぬ邊まで退きて控へたり。
余は斯(かく)と見て進み出(い)で、彼れの顏に暈(まば)ゆく射る朝日の光りを遮る如く彼れの前に身を屈(かゞ)めて我顏を突出(つきいだ)すに、彼れ猶ほ先刻の恐れを其儘に眼を留め、目鏡越しなる余の目を眺めつ「アヽ後生です、後生です、貴方の名前は、本名は、アヽ貴方は誰です」と、問ふ、聲も高く低く、殆ど幾月以來初めての憐れみを余が心に起さしむるに足る、アヽ讀者、余は魏堂に我が本性を打明くる時とはなれり。
六八
憐(あはれ)みの心起りはしつれ、積りに積る余の恨みは此時又異樣に湧出來(わきいできた)れり、彼れを憐れむ程ならば此復讐を企(たく)みはせず、彼れは實に寸斷々々(ずた/\)に余に殺されても猶ほ償(あがな)ひ足らぬ程の罪あるに非ずや、彼れの心猶ほ其罪を悔(くゆ)るや否すら知れざるに、余何(なん)ぞ彼れを憐む事あらんや。
余は確なる聲にて彼れ魏堂の問に答へ「コレ魏堂、汝は問ふ迄も無く余を知て居る筈だ、余の聲を聞け、余の姿を見よ、頭(かみ)の毛こそ白くなつたが昨年まで汝が親友と諛(へつら)ツた波漂だ、波漂羅馬内だ、汝未(いま)だ忘れはすまい、汝余の妻を偸(ぬすん)だでは無いか、余の家名を(けが)し、余の財産を掠め、余の面目(めんもく)を死後までも蹂躙(ふみにじ)つた汝の罪が是くらゐの事で亡(ほろ)ぶと思ふか。サア恨に變る波漂の相合(さうがふ)を見て思ひ知れ」と云ひつゝ余は再び目鏡を外すに、復讐に凝固(こりかたま)れる余の眼より發する光は彼れの目に太陽より猶ほ暈(まば)ゆきにや、彼れ見返すこと能はず、其顏を傍向(そむ)けんにも身體(からだ)動かず、ブル/\と身を震はして眼を閉ぢ、暫し何事をか念ずる體(さま)なりしが、漸くにして其の定らぬ目を開き「波漂! 波漂! 其樣な筈は無い、波漂は死だ、墓窖(はかあな)へ葬られた、棺(くわん)に這入(はいつ)た其姿まで見屆けたのに。」
アヽ彼れ猶ほ余を波漂なりと信ぜぬにや、否必ずしも信ぜぬには有らで唯だ死して葬られし波漂が何うして生返るを得しやと怪むならん、余は一際彼れに迫寄(せりよ)り、
「余は葬られたけれど、生(いき)た儘で葬られたのだ、棺の中で正氣に歸り墓窖(はかぐら)を破ツて出て來たのだ、其間の辛さ術無(せつな)さは管々(くだ/\)しく茲で云ふにも及ばぬ事、唯だ我家に歸て我妻や親友汝に迎られるを樂みに歸て行き、面前(まのあたり)汝と妻の僞りを見た余の悔しさ腹立しさが性根の腐た汝には分らぬか、是れ僞奴(ぎど)、僞り者」と云ひ又も鋭く彼れを睨むに、彼れ魂魄(たましひ)の底の底より恐しさの襲ひ來(きた)るが如く動かぬ身體を掻き藻掻き、若しも隱るゝに所あらば其姿を消してなりとも隱れんと想ふ如く、唯だ縮み込むのみにして、見る中に其前額(ひたひ)に脂の汗を浮かべたり。
余も茲に至りては神經宛も張切りたる弓弦(ゆんづる)の如く、裂切(さけき)れんばかりにて少しの感じも痛く響き、我れながら狂氣する間際かと疑はる。
殊に彼れの樣子に一方(ひとかた)ならぬ悔恨の色、自(おのづ)から現はれ來(きた)るにぞ、余は半拭(はんけち)の端を以て靜に彼れが前額を拭き、斯して自から我(わが)神經を推鎭(おししづ)め、更に又其一端に彼(か)の醫師が瓶の儘殘し行きたるブランデーを浸し、彼れの唇を濕(うるほ)し遣りたり。
余は唯だ何と無く兩眼(りやうがん)に涙の漲(みなぎ)り來(きた)るを覺ゆ、是れ嬉しさの爲か悲しさの爲か、將(は)た魏堂を憐むが爲めか、自ら其孰(そのいづ)れなるを知(しら)ねど幾月の艱難辛苦にて漸く我が思ひを果したる曉(あかつき)は、即ち我身に妻も無く子も無く、友も無く、家も無く、世に存(なが)らふる甲斐だに無き最(い)と淺ましき時なるかと思へば、感極ツて泣(なか)ざるを得ず、爾は云へ今は泣くに泣れぬ場合なれば、余は強(しひ)て口の端に笑(ゑみ)を浮め、
「魏堂、汝の知る、ソレ裏庭の、余が常に讀書した腰掛の許まで行き、余は確に汝を見た、汝と那稻の僞りを見た、余が死だと思はれて居る其翌日の晩で有るのに、汝余が腰掛た通りに余の腰掛に腰を掛け、而も那稻を膝に抱き、那稻の細い手を弄(もてあそ)び余を譏(そし)り余を嘲り、爾して那稻の機嫌を取り、接吻(せつぷん)まで仕た事は祕(かく)しても隱されぬ、其時一間と隔(へだ)たらぬ横手に屈み汝と那稻のする事を見て躍出(をどりいで)もせず控へて居た余の心を何う思ふ、汝が昨夜余と那稻の結婚を聞た時に比べて見よ、汝は滿座の中も耻ぢず余に躍り掛つたでは無いか、汝さへ余に復讐を企(たく)むのに余が汝と那稻とに復讐せずに居られやうか、コレ見よ、其時那稻と汝との胸に挿して居た一對のアノ花は、余が羅馬の朝廷から贈られた薔薇の花、余は汝等の後に廻り、後の證據と落散(おちちつ)た其花を拾ひ、今も猶ほ持て居る」と云ひつゝ余は爾來我が衣嚢(かくし)に離さぬ萎びたる花瓣(はなびら)を取出(とりいだ)して靜に彼れが目の下に置くに、流石の彼れも最早や一語の言譯なく、今は死際の善心に立返りしか「波漂、波漂、詫(あやま)つた恐れ入つた」と繰返す其聲も蟲の息なり。
彼れ暫くにして又少し首(こうべ)を上げ「ですが那稻は、イヤ夫人は貴方を舊(もと)の所天(をつと)だと知て居ますか」是れ猶ほ彼れの穢れたる魂魄(たましひ)に徘徊する疑ひなる可し。
「イヤ猶(ま)だ知らぬ、然(しか)し余の憎(にくみ)は汝より猶ほ那稻に積つて居るから、近々(きん/\)婚禮すれば直(すぐ)に余の本性を知せて呉れる。」
此一語に彼れ天にも地にも身の置所(おきどころ)無き程に戰(おのゝ)きつゝ、
「オヽ神よ」と祈初(いのりはじ)めしも心定(こゝろさだま)らねば其の祈り語を爲さず「恐ろしい、オヽ許して下さい、助けて、助けて」と叫ぶ折しも、傷口よりドツと血潮の迸(ほとばし)り、其後を繼ぐ能はず、見る中に其息づかひ弱くなり、顏も次第に血の色を失ひ來れり、是れが臨終の有樣ならん。
去れど彼れ猶ほ力無き目に余を見上げつ、片手を延べて何物をか握らんとする樣子なるにぞ余は其意を悟り、我手を出(いだ)して握らしむるに彼れ引締(ひきしめ)て己(おの)が罪の許されん事を願ふに似たり、余は今までより最と穩かに、
「夫から後(のち)の事は云はずとも汝の知て居る通りだ、余の復讐を思知たか、ヱ余の心が分たか併し魏堂、是で何も彼も濟で仕舞(しまつ)た、最う恨みも消たから余の心は汝の罪を許して遣る、何うか神にも其罪を許して貰へ」と云ふに彼れ初て善心の安心を得しなるか血氣(ちのけ)無き唇に最と可弱(かよわ)き笑を浮べたり、其笑(そのゑみ)即ち昔し余の愛を得たる幼時代(をさなじだい)の罪無き笑にて、深く余の心に徹したり。彼れ余が顏の稍(や)や柔(やはら)ぐを見、微(かすか)なる呻吟聲(うめきごゑ)にて、
「アヽ何も彼も濟で仕舞た、神よ、波漂よ、本統に許して呉れ」と云(いひ)も猶ほ終らぬ間に忽ち總身に強き痙攣を引起し、横樣に反仆(そりたふ)れて、長く震へる息を名殘に彼れ全く縡切(ことき)れたり。
六九
讀者よ、魏堂の汚らはしき生涯は茲に盡きたり、彼れ實に余が復讐の手にて死したるなり、余が恨み是にて滿足せしとは云へ余には彼れよりも猶憎き那稻と云ふ大敵あり、那稻に仇(あだ)を返す迄は寸も心を弛む可からず。
横樣に反仆(そりたふ)れし魏堂の死骸に余は猶ほ手先を握られて其所(そのところ)を去りも得せず、乾きたる眼にて彼れの死顏を見るに不義の色のみ眺めたる彼れの眼は張開(はりひら)きて旭(あさひ)に輝き物凄き見得(みえ)を爲(なせ)ども、僞りの外云ひし事なき彼れの口に一種の笑を浮ぶるは余に其罪を許されたる嬉しさなるや、將(は)た余の怒り一方(ひとかた)ならざりし凄(すさま)じさに恐れ、媚び慰めて余を賺(すか)さん僞りの笑なるか、今より思ふも其に孰れなるを判じ得ざれど、余は唯だ餘りの感じに胸も板の如くになり、最早や此所(このところ)に永居(ながゐ)する能はず、握れる魏堂の手を解かんとするに此時始めて目に留まるは兼(かね)て那稻が彼れに贈りし余が前身の指環なり、是なん余が家代々の寶の一(いつ)なる夜光珠(だいやもんど)を嵌め込(こみ)し者なれば、彼れの汚れたる死骸に着け置く可からず、余は靜に之を拔取りて衣嚢(ポケツト)に收め、魏堂の手を離して立上り、再び黒目鏡に目を隱すに、此時醫師初め介添人一同は再び茲に寄來れり。
孰れも無言にて魏堂の有樣を見(みる)のみなりしがフレシヤ氏は眉を顰(ひそ)め「オヤ/\縡切(ことぎれ)と爲たのですか」と余に問へり「ハイ」と口に出(いだ)して答へては余が聲の震へんを恐(おそ)る、余は唯だ重く點頭(うなづ)きて然りとの意を示すに、次には侯爵進み出で「併し彼れは死際に充分貴方へ謝罪の意を述(のべ)たでせう」余は再び點頭くのみ。
此間に醫師は屈みて、開ける魏堂の目を閉(とぢ)させなど樣々の手當を爲すに、侯爵は余が顏に深き惱みの浮べるを見てか余を傍(かた)へに引き「イヤ貴方は直(すぐ)にお歸り成さい、爾して葡萄酒に勇氣を附けるが必要でせう、貴方の顏色は宛(まる)で病人かと見えます、尤も決鬪とは云へ之が爲に人命が亡(ほろ)びて見れば誰(たれ)も好い心地はせぬ者です、貴方が顏色の變る迄に彼れの死を憐むは慈悲深い證據ゆゑ敬服の外有りませんが、併しナニ今日(こんにち)の事は彼れに許し難い無禮が有(あれ)ばこそ茲に至たのです、誰に聞かれても貴方の舉動に少しの悔む所も無く耻(はづ)る所も有ません、唯だ貴方は少し氣を晴す爲め一週間位近縣(きんけん)へ旅行するが好いでせう、其間に私しが一切此事の殘務を片附(かたづけ)て上ますから」と此親切なる慰めの言葉を聞き余は實(げ)にもと思ひたれば、孰(いづ)くにや旅行す可きと心に暫し考へし末、遠くも有らぬ「アベリノ」が好からんと決したれば侯爵に其旨を告げて厚意を謝し、徐(しづ)かに此方(こなた)へと振向き來(きた)るに、早や下部(しもべ)の瓶藏が先程乘來りし馬車を控て待てるにぞ無言の儘に之に乘り、此所(ここ)を立去りたり。
馬車の上にて考へ見るに旅行は成る可く早速(さつそく)にするが上策なり、而も其前尼院(あまでら)を問ひ一應那稻にも逢置くが都合好き故、最早宿へも歸るに及ばず、此儘先づアナンジヱタ(尼院の在地(あるち))に行かんものと、瓶藏に其意を云聞け、宿に歸りて余の自分の馬車を用意し來たれと命じ、余自らは其儘に馬車より下(くだ)るに此處(こゝ)は是れ余が家なる羅馬内莊の背後(うしろ)なり、那稻立去りてより余が家は今如何(いかん)の有樣ぞ、余は立寄りて一目見度さに堪へざれば、瓶藏が馬車を整へて來る迄の間と思ひ、獨(ひと)りそろ/\と門前まで歩み行くに門の戸は鎖(とざ)さゞれど毎(いつも)の如く開放(あけはなし)もせず何とやら死人の有りし家の如くに見ゆるは主人那稻の留守なるが爲めにもや、昨夜魏堂が荒狂ひ、來りて強(しひ)て戸を叩きしは此邊(このほとり)なるにや、彼れが老僕皺薦を突飛して仆(たふ)せしと云ふも彼(か)の敷石の邊(ほとり)なるにやなど其時よりの事を考出(かんがへだ)すに從ひ心何と無く物淋(ものさび)しく、襟元寒く身震ひのするを覺ゆ、思ひながら一歩二歩(あしふたあし)、門の内へと徘徊(さまよ)ひ入(い)るに余の心益々沈み、高き木の日光を遮りて薄暗きは、死して行く、冥途の境涯かとも思はる、既にして眸を放てば行く手に誰やらん人の影あり、見るに從ひて其影次第に人と爲り、足を引きて余の方(かた)に歩み來(きた)る、誰ぞ、何者ぞ、余は怪みて問ふ力も無く、其中(そのうち)に能(よ)く顏を見れば今しも決鬪場に倒れたる魏堂の顏なり、開きし眼、閉ぢし唇旭に照して先に見し儘の有樣、胸の痕(きず)より流れ出(いづ)る血の色の何ぞ夫(そ)れ鮮(あざや)かなる、余が顏に掛る息何ぞ夫れ腥(なまぐ)さきや、アヽ魏堂は確に縡切(ことぎれ)と爲りたるに、如何にして茲に在るやと怪みて再び見れば是なん餘りに激動したる余が心の迷ひなり、魏堂の姿余が目に付き到る所に見ゆるなり、是等も一二日旅行せば消ゆる事必定なる故、余は今更恐れも驚きもせず、氣にさへも留ぬ程なるに、余が五臟の孰れにか痛く疲れたる所ありと見え、額に浮ぶ脂汗氣味惡く流れ下(くだ)るにぞ、半拭(はんけち)を出し推拭ひて又進むに、中門(ちうもん)の戸も半ば閉ぢたり、余は益々死人の境(きやう)に入(い)る思ひし、自ら我が心に問へり、是れ何人(なんぴと)が死したる者ぞ、アヽ死したるは主人波漂なり、即ち斯く云ふ己なり、今の余は余波漂に非ず、復讐の爲め墓の中より出來(いできた)りたる惡魔なり、波漂は全く死したるなり、世に無き人なり、余若し波漂なりせば如何でか其昔(そのむか)し友とせし魏堂を殺さん、然り余は波漂に非ず、復讐の惡魔なり、白髮鬼なり、波漂も魏堂も既に殺されて世に無き者なり、殺せしは誰ぞ是れ那稻なり、仇(あだ)も恨みも總て那稻より來れるもの、那稻自ら余を殺し、又魏堂を殺したるに同じ、妖婦、妖婦、思へば實に一刻だも生(いか)し置く可からざる妖婦なりと余が復讐の念轉(うた)た強し。
七〇
余が那稻に對する復讐の念轉(うた)た強きを覺ゆ折しも、遙か彼方より馬車の輾(きし)り來(く)る音聞えしかば扨(さて)は彼の從者瓶藏が既に余の言附通(いひつけどほ)り馬車の用意を整へて余を迎へに送りしなるかと余は初めて我れに復(かへ)りし心地しつ、淋しげなる羅馬内家の庭より出(いづ)るに、老僕皺薦も世の味氣なきを思ひ、己れの室(へや)より出(いで)ぬと見え、余が茲に來し事を誰一人知る者なし。
頓て屋敷の外を元の所まで囘(めぐ)り來(きた)れば、果して馬車と共に瓶藏の待てるにぞ、今夕(こんせき)アベリノへ向け立つほどに汝は再び宿に歸り萬事其用意を爲せ、余は尼寺を訪(と)ひ、汝が用意の整ふ頃、歸り來(く)べしと瓶藏に告げ、馭者一人余一人にて直ちに尼寺の在るアナンジエタを指し馬車を進めしが、一時間と經ぬうちに其土地に着きたれば、或(と)ある旅店(りよてん)に馬車を停(とゞ)め、余は徒歩(かち)と爲りて尼寺の玄關を音(おと)づるゝに、豫(かね)て那稻が余の來(きた)る事を寺長(じちやう)に斷り置きしと見え、余は直ちに奧深(おくふか)き書院かと思はるゝ一室に通されたり、暫くにして戸の外に絹の音あり、是れ必定那稻ならんと余が腰をも掛けずして待つ間も無く、那稻は靜に戸を開き、窺(のぞ)く如くに首を出(いだ)して、余の顏を見るより早く「オヤ能(よ)く入(いら)しツて下さツた」と余の傍(そば)に走來(はせきた)り、相も變らぬ其顏の美しさ、其の言樣(いひやう)の愛らしさを見ながらも余は更に心動かず、戀人には不似合ひなほど嚴かなる音聲にて「今日(こんにち)は、惡い事を知せに來ました」と云ひつゝ傍の椅子を那稻に渡すに、彼れ腰掛けは掛けたれど、余の樣子の異樣なるに何と無く恐れ氣遣ふ所あるに似たり、アヽ讀めたり彼れ余が定めし魏堂に逢(あひ)しを知り、魏堂より何か自分に拘(かゝ)はる祕密でも聞き、機嫌を損じて怒り來(き)しには有らぬかと疑へるなり、疑ひの爲め其の心を苦むるは、余が氣味好(きみよ)しと思ふ所なれば、余は猶更ら無言を守り彼れの顏を打目守(うちまも)るのみなるに、彼れ今は堪得(たへえ)ずして「エ、惡い知らせ何(ど)の樣な事柄です、ではアノ魏堂に――お逢成(あひなす)ツて」余は猶も計り知れぬ顏附(かほつき)にて「ハイ逢ました、逢て今別れた儘です」と云ひつゝ衣嚢(かくし)を探りて先刻(せんこく)魏堂の死骸より拔取りし彼の指環を取出(とりいだ)して「之は魏堂から貴女への贈り物です」と云ひて渡せり。
今までとても氣遣ひに青かりし那稻の顏は又一段と青さを増せり、恐れを帶びて余の顏を見上(みあぐ)る眼(まなこ)、獵犬(かりいぬ)に追詰(おひつめ)られし狐も斯くや、最早や魏堂の口よりして何も斯(か)も聞盡(きゝつく)せしに相違無しと思ひしならん、去ればとて余より何事も云出(いひいで)ぬに辯解する事もならず、恐々(こは/″\)ながら余が心の底を探(さぐ)らんとする如く戰(をのゝ)く手にて件(くだん)の指環を受取りながら「オヤ、私(わたく)しには合點が行(ゆ)きませぬが」余は猶も無愛想なる聲にて「合點の行かぬ事は有ますまい、貴女が豫て魏堂に贈つた指環でせう」と云ひ益々爾(さう)らしく見せ掛るに、恐れに聲も涸盡(かれつく)せしかと疑がはるゝ程の調子にて「アヽ其指環ですか、アレは波漂が生前に餘り魏堂を愛して居た爲め、其遺身(かたみ)にと私(わた)しが魏堂へ贈つたのですが夫を今私(わたく)しへ返すとは何故(なにゆゑ)でせう。」
余は返事せず、猶ほ其顏を見詰(みつめ)て有るに、流石曲者今は余の愛を呼起(よびおこ)し深く余の心に訴ふる外無しと見て、眼に一ぱいの涙を浮め、恨しげに「貴方は今日(こんにち)に限り何故(なぜ)其樣に餘所(よそ)/\しく成さるのです、番兵か何ぞの樣に嚴(いかめ)しく立て居ずに、サア腰掛けて私しを安心させて下さいな、接吻(きつす)を」と余を招くも、魏堂の死したる有樣が猶ほ目の前より消えぬ間に、如何で此汚(このけが)れたる女に唇を接するに堪(た)へんや、余は猶ほ膝を折(をら)ずして初めの如く控ゆるに彼れ全くの泣聲(なきごゑ)にて「アヽ貴方は最う愛情が消えたのですネ、私(わた)しをお愛し成さらぬのですネ、私しの身の休まる樣、萬事保護して下さると仰有(おつしや)つたのに」と云ひ其所(そのところ)に泣伏すは何所(どこ)まで人を欺くに妙を得し怪物ぞ!
去れど余は今より既に他(か)れを苦むる所存に非ず、復讐には夫れ/″\の順序あり、今は先づ是だけにて充分なりと思ひ、少しく聲を柔(やはら)げて「イヤ貴女の氣の休まる樣に充分保護して居るのです、貴女が魏堂を蒼蠅(うるさ)いと仰有(おつしや)たから夫では彼れを再び貴女へ附纒(つきまと)はぬ樣に仕て上(あげ)やうと約束し、今日(けふ)は愈々其通り仕果(しおほ)せたから、夫を知らせに來たのです。」
「ヱ、何(なん)と」
「イヤサ、彼を再び歸らぬ所へ追拂ツて仕終(しまつ)たのです。」
「ヱ、再び歸らぬ所ろ、では若(も)し」と問ひ來(きた)る語の終らぬうち余は首(かうべ)を差延べて「ハイ彼れは最う此世には居ません、死人と爲(し)て仕舞ひました。」
那稻は眞實に身を震はせたり、去れど悲みてに非ず唯だ驚きてなり「ヱ、ヱ、彼れが死人、彼が、貴方が彼を。」
「ハイ殺しました、彼れ非常に私(わたく)しを辱め其上決鬪まで言込(いひこみ)ました故、今朝(こんてう)公明正大に決鬪し、彼を射殺(いころ)して來たのです」大抵の夫人ならば恐ろしさに怯む所なれど那稻は怯むと見せて怯みはせず「アヽ夫で安心しました」と口にこそ出(いだ)さねど心の中(うち)は限り無く嬉しきと見え、早や其青醒(あおざ)めたる顏に幾分の色を回復し來れり。
七一
魏堂の死を聞き那稻の顏には明かに安心の色見えしも、猶ほ其死際に自分の事か何か余の耳に細語(さゝや)きはせざりしかと氣遣ふ如く、言葉を廻して樣々に掘問(ほりと)ふにぞ、余は手短(てみじか)く掻摘(かいつま)みて魏堂が余に盃を叩き附たる有樣を語り「詰る所が是だけの事ですよ、貴方の名前は少しも彼の口から出ません、唯だ彼れは貴女を殺す氣に成(なつ)たと見え、其席から直(すぐ)に貴方の家(うち)に馳附(はせつ)け皺薦を呼び聞(きゝ)ました相(さう)です、けれど貴女が留守ゆゑ、何か惡口雜言して立去つたと云ふ事です」と告ぐるに、那稻は眞實に安心し、初(はじめ)て嬉しげなる笑(ゑみ)を浮め「本統に厭な男です、私しの留守へ向ひ惡口雜言するなどゝは、アヽ私しが日頃から餘り親切に仕過(しすぎ)ましたよ。」
其人の死せしと聞き安心して笑崩(ゑみくづ)るゝが親切と云ふ者なる乎(か)、余は其口前(そのくちまへ)に呆れたれど何氣なく「では悲(かなし)いとは思ひませんか。」
「何で悲しいと思ひませうアノ樣な人間を、イエ本統ですよ、波漂が生(いき)て居ます頃は彼れ幾等か遠慮して居た爲めか隨分紳士らしく見えましたが、波漂の死で後(のち)は賤(いやし)い氣質を其儘に現しまして、最う交際を斷らうかと是ほどに思た事も度々でした。」
「爾(さう)聞けば私しも安心です、實は彼の死をお知せ申(まを)し、貴女が若しや痛く泣悲(なきかな)しみはせぬかと夫が唯だ心配ゆゑ」と云掛て余も初めて笑を示すに「オヤ夫で貴方は大層眞面(まじめ)に、私しから物を云ても返事もせずに居たのですか。」
「ハイ。」
「本統に貴方は何から何まで能く氣をお配り成さる、夫でこそ私しの見立(みたて)た所天(をつと)です」と云ひ心の底より嬉しげに余が首に手を卷(まい)て傍(かたへ)の椅子へ引卸(ひきおろ)しぬ。
余は徐(おもむ)ろに其手を拂ひ「夫にネ、此決鬪の殘務が終るまで私しは獨りでアベリノへ旅行する積(つもり)です、成る可くは貴女が此尼院(このあまでら)を出る頃には私しも歸て來たいと思ひますから、何時頃(いつごろ)茲をお出成(でな)さるか其日限(そのにちげん)を伺ひ度いのです」那稻は少し考へて「ハイ私しは一週間位逗留すると寺長(じちやう)に言込(いひこん)で有りますから一週間が盡(つき)れば歸ります、夫に又、魏堂が死んだと成れば、何うしてもネーブルへ歸らねば成らぬ事柄が有りますから。」
とは又如何なる事柄にや、余は怪みて顏を見るに、彼れ少し言憎(いひに)くげに躊躇(ためら)ひしも「實はネ」と云ひて片頬(かたほ)に笑み「魏堂が先日羅馬へ立つ前に、人間は何時死ぬるかも知れぬから、達者な内に遺言を書て置かぬは大(おほい)なる間違(まちがひ)だと云ひ自分で遺言状を認(したゝ)めたのです」扨は彼れ蟲が知すと云ふ者にて己の近々(きん/\)に死するやも知れぬを想ひ遺言まで認めしかト余が異樣の想ひする間(ま)に、那稻は語を繼ぎ「其遺言を私しへ預(あづけ)て行(ゆ)きましたから、私は夫を寧府(ねいぷる)の役場へ持出さねば成ません。」
「シテ其の中には何の樣な事が書て有ます」那稻は又言憎げに「アノ私しへ何も彼(か)も讓る樣に書て有るかと思ひましたが。」
「ドレ、手近に[#「ドレ、手近に」は底本では「ドレ」手近に」]在るならお見せ成さい」手近も手近、己(おの)が衣嚢(かくし)の中よりして一通を取り出(いだ)したれば余は開きて檢(あらた)むるに成る程正式の遺言状にして其文中に「余が所有して死する一切の財産物件は悉く羅馬内家の那稻夫人へ無條件にて贈る者なり」と有り、アヽ魏堂は余が思ひしより猶ほ深く那稻に惑溺(わくでき)せし者なり、余が昔し波漂たりし頃にしても余は那稻の爲めに斯る遺言書は認め得ず、夫とも那稻の手の内にて旨く魏堂を説(とき)くるめ、斯く無條件の證文を認めさせし者なるか。
孰れにしても唯だ呆るゝの外(ほか)無ければ余は疉みて之を那稻の手に返し乍(なが)ら「是で見ると魏堂は眞實貴女を愛して居たと見えますネ。」
「サア腹の中(うち)では或は愛して居たかは知れませんが、併し私(わたく)しは爾とは認(みとめ)ませんでした」アヽ彼れに抱(いだか)れ彼に接吻せられ、彼れと夫婦の約束までして猶ほ彼れの愛を認めざりしと云ふか、余は殆ど返事する言葉なし、此暇に那稻は又も語を進め「ですが所有して死する一切の財貨物件と云へば魏堂が羅馬の伯父から讓られた財産も總て私しの物に成りませうか。」
アヽ讀者、此問(このとひ)を聞き何と思ふや、此の妖婦め、生涯使ふとも盡ぬ程ある余が家の財産を悉く我物とし、猶ほ心に飽足(あきた)らずして魏堂が羅馬の叔父より贈られし身代をまで我が手の裏に入れんとするにや、上部(うはべ)に誠の皮を被れる僞りの塊りなるのみに有らず、上部に無慾の色を飾る慾心の塊りなり、斯も恐ろしき怪物が又と有らうか、夫とも知らず一たびだも此女に魂を拔(ぬか)せしかと思へば、余の愚さも亦愛想が盡きたり。
勿論無條件の遺言なれば余は「爾です、何も彼も皆貴女の物です」と答ふるに那稻は殆ど嬉しさを隱し得ず、ホク/\と笑頽(ゑみくづ)れしが、更に又「爾すれば彼れの持て居る一切の書類なども矢張(やはり)私しの物ですネ」と念を推せり。
讀めたり、讀めたり、心の底の底までも悉く余には讀めたり、妖婦め、自分より魏堂へ贈りし幾通の艷書類(えんしよるゐ)、若しや他人の手に渡り、身の不行蹟(ふぎやうせき)が世に洩ては成らぬ故、夫等(それら)の書類をも取返して無き者にせんと思へるなり、斯も世を欺き人を欺く事にのみ心を勞せる稀代の惡婦を何(なん)とて此儘に許して置かる可き、復讐の爲ならずとも余は推潰(おしつぶ)すに猶豫(いうよ)せじ、況(まし)て余に對する彼れの罪又類無き程に重きをや、余は有りと有らゆる苦(くるし)みの手段を集め此妖婦の身に一時(いちどき)に浴(あび)せ掛(かく)るも猶ほ足らずと思ふのみ、最早憐む所は少しも無く、容赦する所ろ少しも無し。
七二
余は實に斯る惡婦の傍(そば)に一刻だも長居すること汚らはしと思ふ程なれば、好い加減に切上げん物と思ひ「イヤ夫人、貴方の傍に居れば知らず知らず時間が經(た)ちます、猶ほ私しはアベリノ行(ゆ)きの仕度萬端色色の用事が有ますゆゑ、今日(けふ)は是だけでお暇(いとま)に致しませう」と云ひ、將に椅子より離れんとするに、那稻は「少しお待(まち)なさい」と應(こた)へて余が手を取り、先に余が渡せし魏堂の指環(實は余波漂の指環)を余が小指に環(は)め「是はネ波漂が家に代々傳(つたは)ツた夜光珠(だいやもんど)です。貴方が持つ程の品では有りますまいが、夫でも私しの愛の印しです」余は胸の惡(あし)きを覺ゆれど元是(もとこ)れ余が爲の大事の品なり「ハイ此儘で肌身を離しません」と云ひ更に「アベリノから歸ツて來れば直にお目に掛れませうネ」と問ふに「其樣な事はお問成さるに及びません、多分は其時までに私しは寧府の屋敷に歸て居るだらうと思ひますが、若し歸て居無ければ直に茲まで迎へに來て頂きませう」と應ふ、余は此儘立去る可き所なれど彼れが心の虚々(うそ/\)しさ餘りの憎(にくら)しさに堪(た)へざれば夫と無く責め置かん者と思ひ「夫まで貴女は毎日神に祈りを捧げて居るのでせうネ」「ハイ神を祈るより外に用事は有ませんから。」
「では魏堂の爲にも冥福を祈てお遣り成さい、貴女は彼を愛せぬと仰有るけれど彼れは眞實に貴女を愛し、貴女の爲に私しと喧嘩して貴女の爲に命まで失ひました、貴女に祈て貰へば彼れの魂魄何(ど)れほど歡(よろこ)ぶか知れません、死人の魂は生前に自分を欺いた者や愛した者の傍へ來て、當分の中は附纒(つきまとつ)て居ると云ひますから、本統に功徳です」此言葉には惡婦もゾツと身を震(ふるは)したれば余は猶も附入(つけい)りて「夫に先(せん)の所天波漂とても、貴女の貞節を思ひ、常に貴女の傍に徘徊(さまよ)ふて居るかも知れません、彼れの爲にもお祈り成さい、ネ、爾すれば貴女も心に滿足でせう」と疉み掛るに、那稻は益々安(やす)からぬ樣子に見え、唇まで色を退(ひ)きしも、彼れは止むを得ず「ハイ充分に祈りませう」と云ふ音調(おんてう)も穩かならず。
愈々分(わか)れと爲(なり)たれば余は「夫では」と云ながら其手を取りて握り締(しむ)るに、余が先に那稻に與(あた)へし夜光珠の指環と、今しも那稻が余の手に嵌めたる指環とは、宛も切結ぶ太刀と太刀との如き光を發し何(なん)とやら物凄し、是が愈々復讐に取掛る前表(ぜんぺう)かと、余は異樣の思ひを爲し、俯向(うつむ)くとも無く俯向きて眺むるに、那稻も同じく俯向きて之を見しが、如何にせしか他(か)れの顏、痛く恐れに魘(おそ)はれしと云ふ如く忽ちに青くなれり。
余は何の故なるを知らず「オヤ何うかしましたか」と問ふに彼れ「イエ、ナニ」と打消して余の手を放せしが、猶ほ何とやら落附(おちつか)ぬ所あり、再び又余の手を取り「一寸(ちよつ)と貴方の手をお見せ成さい」と云ひ高く上て不思議相(さう)に見初(みはじ)めたり、是れ何の爲なるぞ、余が手には其の無名指(むめいし)の本(もと)の邊(ほとり)に幼き頃の惡戯(いたづら)にて傷(きずつ)けたる事ありて其傷今も猶ほ痕を殘せり、那稻は之に眼(まなこ)を留(とゞ)めたるに似たれば、余は笑ひながら「何が貴女の目に留(とま)りました」那稻は更に返事せず、猶も熟々(つく/″\)と眺めし末、余の顏を見上しが神經に一種の強き感じを引起せしと見え眼にも異樣なる色を帶び、唇も歪む如くに引締め來れり、頓て彼れ、我を忘れて發する如き聲にて、
「此手(このて)は、此手は、此指環を嵌めた此手は、波漂の手です、波漂の手と同じ事です、アレ無名指(くすりゆび)の元に在る傷までも」と叫びしまゝ、悶絶して仆れ掛れり。
七三
余の手を波漂の手に同じと云ひて那稻が卒倒するも無理ならず、余の手は實に波漂の手なればなり。
去れど余は卒倒したる那稻の始末に困(こん)じ、其身體を傍(かた)への椅子に寄掛け置き、周章(あわた)だしく鈴(べる)を鳴すに親切氣なる老尼(らうに)來りて、或(あるひ)は那稻の顏を冷水(ひやみづ)にて拭ふなど介抱の手を盡せば、其内に余は手袋を被(は)めて波漂の手を隱し、其背(そのせな)を撫で乍(なが)ら「那稻、那稻」と呼返すに、固(もと)より健康の身體なれば間も無く眼を見開きて「アヽ本統に波漂が現れたかと思ひました」と口の裏にて呟けり。惡婦とは云へ、心の底の孰れかに、波漂に濟まずとの念(おも)ひは有り時々氣の咎むる事有りと知らる。洵(まこと)に氣味の好き次第ならずや、斯(かく)て五分間と經ぬうちに那稻は元の機嫌に復したれば余は充分の親切を示し、何う見ても許婚(いひなづけ)の夫婦と見ゆる樣、愛深き言葉を番(つが)へ、殘り惜げに分れ去れば那稻も亦殘り惜げに送り去りしが、此夜余は定めの通り從者瓶藏を引連れて寧府を立ち、アベリノの地に到れり。
アベリノは讀者の知る如くサバト河を跨(また)ぎ山を負ひ海に臨める小村(こむら)にして伊國中(いたりやぢう)の最も靜かなる所なり、人の氣風質朴(しつぼく)にして土地の風景は絶佳(ぜつか)と稱せらるれども、唯だ贅澤なる別莊若(もし)くは旅亭などの設無(まうけな)き爲め縉紳(しん/\)の客の行(ゆ)く事稀(まれ)なり、時に詩人或は畫工などのまぐれ來る事は有るも是とて永く逗留せざれば、余の如き繁華を厭ふ人間には此上無き隱れ場所と云ふ可し、殊に余が泊りし家は海岸なれども漁師に非ず家の周圍(まはり)に菓物(くだもの)の畑あり、其菓物を賣捌(うりさば)きて唯一人の娘と共に不足なく世を送れる老女の家にして、老女は名をモンタイと稱すれど村中の誰彼より唯だ「伯母よ、伯母よ」と云はるゝのみにて名を呼ばるゝこと無きは永年寡婦(やもめ)の暮(くらし)を爲し、廣く人に尊(うやま)はるゝ爲にも有らん、余は寧府なる余が宿の主人より案内を得て此家へ來りし者なるが、老女の樣子に何とやら氣高く奧床(おくゆか)しき所ある故夫と無く身の上を聞くに、若かりし頃は村中評判の美人にして此家へ嫁(か)せし後も袖褄(そでつま)を引く痴漢(しれもの)多く、終(つひ)に其の一人(にん)は山の上より大石を轉がして菓物畑けに仕事せる此女の所天を壓殺(おしころ)し、己れの罪を全くの過ちなりと言張りて裁判を逃れし上、老女の許に詫來(わびきた)り、親切を以て老女に取入んとせしを老女は我(わが)所天の敵(かたき)として痛く辱しめ、再び來る事の出來ぬ程にして還(かへ)せしより、此れより後は烈女と云はれ、誰れ一人尊(うや)まはぬは無く、今日(こんにち)までも寡婦(くわふ)を守通(まもりとほ)せしとなり。是等の事を話すうちにも、或は悲しみ或は怒り、女ながらに侵し難き處(ところ)あるより、余は殆ど感心し、那稻の事に思比(おもひくら)べて同じ造化の作りし子に斯も相違の有る者かと心の中に歎息しつ更に娘の事を問ふに「ハイ娘李羅(りら)は」と云ひ諄々(じゆん/\)と今まで女の手一つにて育て上げたる艱難(かんなん)を説出(ときいだ)す、其顏には掬(く)み盡されぬ慈愛の色あり、余は少しの間なりとも斯る婦人の家に宿りしを喜び、之を孃李羅(ぢやうりら)にと云ひて少しばかりの土産ものを贈りたり。
是より余は唯だ山に登りて海を眺めなど朝に夕に此地の景色を探るのみなりしが、三日目の日は天曇り雨の降出相(ふりいでさう)に見えたれば室に籠りて讀書にも早や倦(う)みつ、話相手もがなと思ふ所へ、靜に瓶藏が入來りしかば余は引据て浮世話を初むるに、瓶藏は何やらん心に思ふ所ある如き調子にて「旦那樣は、李羅を御覽に成ましたか」と問へり。
「此家(このや)の娘か、名前は聞たが未だ見ない、何故其樣な事を問ふのだ」瓶藏は纔(わづか)に兵役を濟せしばかり猶ほ世事慣れぬ少年なれば、問返されて耻(はづか)しげに少し其頬を赤くしつ「イヤ大層美しい女ですから。」
「美しい女の餘り美しいは、毒蟲の美しいと同じ事で、其の最も美しい所に毒が有るのだ、昔から英雄豪傑を失敗させる者は皆美人だ」瓶藏は近々(きん/\)に婚禮する余が口には不似合の言葉と見てか、怪げに余を詠(なが)め「爾でも有ませうが、花の美しいのも、景色の美しいのも、又美人の美しいのも總て同じ事です、毒は見る人の目に在るのです、清い目で詠むれば心まで爽かに成りませう」余はこの格言に感服せり、見る人の眼にさへ毒なくば那稻の如き毒なりとも己に溺れざる人に毒する能はず、毒は男子の自ら招く所なりと深く心に感じながら、笑を浮めて「其方(そのはう)も中々の哲學者だ、爾思つて李羅孃を褒めるは好いが、己(おれ)の樣な老人は、其樣な若々しい言葉を聞く度に唯だ羨ましくなる計(ばかり)だ」瓶藏は俄に眞面目に成り「イヤ爾仰有る程の老人ではお有り成されません。」
「何だと、」
「イヤ私しは見て成らぬ所を見ましたかも知れませんが、アノ決鬪の時、目鏡を脱(はづ)した貴方のお顏を拜見しました、決して老人では有ません。」
「でも此白髮(このしらが)は。」
「夫はお生(うま)れ附(つき)でせう、貴方のお目と云ひ、頬の邊(あたり)の樣子と云ひ猶(ま)だ卅歳を幾歳(いくつ)もお越成(こえな)されません。」
三十を越えぬ身が早や生て居る甲斐も無き老人と爲果(なりはて)しかと思へば、余は涙の自(おのづ)から湧來(わききた)るを覺えたり「コレ瓶藏、人の老たと云ふは年には依らぬ、心に春の樣な陽氣を持てば、四十が五十でも若いと云ふもの、己(おれ)は眼は若くとも心は頭の白髮と同じく若い人の陽氣は無く、疾(とつ)くに老衰した人だ」と云ひ眼鏡を外して顏を示すに、瓶藏は余の味氣無き胸中を察してか、俯向(うつむき)しまゝ余の顏を見る能はず、アヽ彼れも亦余が爲めに泣けるにや。
余は話の陰氣なるに氣附き、忽ち心を取直して又笑(わらひ)つ「併し瓶藏、一度見たなら何度見るも[#「何度見るも」は底本では「何見見るも」]同じ事だ、唯だ其方が他言さへせねば。[#「」」欠字か]
「何で私しが他言などを。」
「己も爾思ふから其方には安心して居る、己は故有て黒目鏡を掛て居ゐるが此土地へ來れば夫にも及ばぬ故、今日からは再び寧府へ歸るまで脱(はづ)して置かう、外して能く其方の爲に李羅孃の顏を見て遣(やら)う、心は老て居るけれど女の人相が鑑定出來ぬ程でも無いから、見た上で己の思ふ儘の所を其方に聞せて遣る」と云ふに、瓶藏は有難げに頭(かうべ)を垂れ、余の手を捉へて接吻せしが、猶ほも余が身の墓なきを思ひ續けて涙を隱し得ぬ爲にや、顏を余に傍向(そむ)けし儘にて余の室より退(しりぞ)きたり。
七四
是より二日目にして余は親しく李羅を見たり、此の朝寧府なる彼のダベン侯爵より一通の手紙と共に何やらん小包を送り來(きた)れば、余は山の靜なる所に行き木の蔭(かげ)にて景色など眺めながら獨り窃(ひそか)に披(ひら)き見ん者と思ひ、其手紙其小包を衣嚢(かくし)に入れ山の半腹(はんぷく)まで登り行くに、道の傍(はた)に古寺(ふるでら)あり、斯る寺には得て古代の珍しき繪額(ゑがく)など有る者なれば、歩み入りて本堂を見廻すに是と云ふ程の物も無し、少し失望の想ひにて又立出(たちいで)んとする折しも年十四五と見ゆる小娘、神前に捧げん爲にや菓物の初生(はつを)を手に持ち余と摺違(すれちが)ひて本堂に入行(いりゆ)きたり。是若し瓶藏の褒立(ほめたつ)る宿の娘李羅には有(あら)ぬかと余は立止りて其再び出來(いできた)るを待つに、程なく捧げ終りしと見え徐(そ)ろ/\と引返し來りしかば、余は横手より其前に歩み出(いで)しが、唯一目(たゞひとめ)顏を見て、思はずも尊敬の念を生じ首(かうべ)を垂れて辭宜(じぎ)したり、是れ何の爲なるぞ、其顏の餘りに美しきが爲か、否否(いな/\)美しさは那稻に及ばず、殊に其衣服とても見る影も無き田舍娘の作りなれば少しも尊敬し首を垂るる所なし余は何の爲めに辭宜せしか、殆ど合點の行かぬ程なれども其容貌の孰れにか、何と無く清らかにして何と無く氣高き所あり、一目にて其心の純粹無垢なるを知らるゝが爲のみ、殊に何處やら其顏に宿の女主(あるじ)の面影も見ゆるにぞ余は是が李羅なるを疑はず、李羅は余の辭宜を見て少しく顏を紅(あか)めたるも、敢(あへ)て恐るゝ樣子は無く、最(い)と優(しと)やかに辭宜を返し、早や余を知れる者の如く「貴方樣は景色を御覽成さるのですか」と問へり、余は是に返事せず、唯だ柔かなる音聲にて「お前は李羅だネ」李羅は再び紅らみて「ハイ」と答へ更に「景色ならば是から左の方へ行くと大層好い所が御座います」と指さし示せり。
「お前は最う歸つて行くのか。」
「ハイ、貴方樣のお晝の仕度を致しますから。」
「オヽ感心だ、阿母(おつか)さんを手傳て珈琲でも拵(こしら)へるのか。」
「ハイ貴方樣の珈琲は毎(いつ)も私しが拵へます。」
「道理で旨いと思つたよ、爾して珈琲を拵へる傍(そば)へ毎も瓶藏が來て手傳て呉れるだらう。」
「ハイ、瓶藏さんは親切なお方ですよ、阿母さんも爾申(さうまを)します、夫にネ、私しを料理が上手だなどゝと云ますから、アノ方の珈琲も私しが。」
「オヽお前の手で拵へて遣るのか。」
「ハイ私しが拵へて上ると瓶藏さんは何れ程お歡びでせう」と罪も無く話す言葉に、譬(たと)へ樣無き愛らしき所あり。
余は結れし我が心も之が爲めに開く如き想ひあれば、瓶藏の見立(みたて)に感心し、打笑(うちゑみ)ながら「餘り瓶藏を嬉(よろこ)ばせると、寧府へ歸るのが否(いや)に成るかも知れぬから用心せぬと了(いけ)ないよ」と戲(たわむ)るゝに李羅は猶ほ其意を解し得ぬと見え、不審氣に頭(かうべ)を傾くれど別に羞(はづか)し相(さう)にはせず、瓶藏の[#「瓶藏の」は底本では「瓶造の」]如き正直者が斯る清き少女に目を附くるは天然の良縁とも云ふ可き者かと心の中に頷きて「イヤ李羅、阿母さんが待つて居やう、私(わし)はドレ左の方へ行き、今教はツた景色でも見て來やう」と云ふに李羅は「ハイ何時(いつ)お歸り成(な)ツてもお仕度の用意が出來て居る樣に仕て置きます」と答へ其儘に身を取直して、坂路(はんろ)を轉がる球(たま)より尚(な)ほ輕く降(くだ)り去れり。
余は其の後影(うしろかげ)を見遣(みやり)つゝ我知らず最深(いとふか)き歎息を洩したり、アヽ讀者余が生涯は最早や取返しの附かぬほど何も彼も全く失ひ盡せし者なり、世には斯まで清淨(しやう/″\)の少女も有るに余は再び妻を迎へ樂しき月日を送らんとて得(う)べからず、余は何が爲に李羅の如き罪も知らず汚れも知らぬ、眞に造化が作りし[#「造化が作りし」は底本では「造花が作りし」]儘なる女を求めずして那稻の如き毒深き者を娶(めとり)しや、アヽ問ふ迄も無く其仔細(しさい)能く分れり、余若し婚姻の以前に李羅の如き者を見たりとて、其清きを知る能はず、田舍娘と思ひ做(な)し、顧みもせざりしならん、余は實に社會の風俗に誤(あやま)られし者なり、余の如き紳士とも貴族とも云はるゝ者は社會の風俗に縛られて令孃とか「素性正しき」とか云へる細工物を娶らねばならず、令孃の名は美なれども實は風俗に細工せられ、禮儀の爲には笑(をか)しからぬに笑を浮め、尊ばぬ人に頭(かうべ)を垂れ、須(すべ)て交際の上に在る虚僞(うそいつは)りの掛引(かけひき)を呑みたる怪物ならずや、交際に慣れしと云ふは僞りに巧(たくみ)なる異名なり、天眞(てんしん)の爛漫(らんまん)たる李羅などに比べては、人の手をもて泥塗(どろぬり)し人形と、造化が作りし露出(むきだし)の美術ほどの相違は確に有り、泥塗りし人形は泥の爲に尊(たふと)まれて社會の上に贅澤を仕盡して世を送り、却て李羅の如き者は朝より晩まで脂汗の乾く暇なき勞働人(らうどうにん)の妻と爲り、厩の如き矮狹(いぶせ)き家に寢起(ねおき)して、榮耀(ええう)の何たるさへ知らずに可惜(あたら)生涯を費(つひや)し了(をは)る、思へば社會風俗と云へるもの、造化の美術を妨ぐる爲に惡魔の作りし金網なるか、余は惡魔と云ふ者の有る事を信ぜざりしも今は信ぜぬ事能はず、人はでん/\鼓(つゞみ)を手に持つ時より棺の底を足に踏む時まで惡魔の愚弄(おもちや)に爲れる者なり、中には婚禮と云ふ事は惡魔が人を馬鹿にする第一の大仕掛と、余は心の底より深き息を吐きながら再び見れば李羅の姿既に見えず、重き心を足と共に引摺りて、漸く李羅の指(さ)したる所まで登り行けば、伊國第一の絶景は扇の如く目の前に開き來れど余が心は開きもせず、唯だ人無きを幸ひに、但(と)ある木の根に腰を卸(おろ)し澁々(しぶ/\)として彼のダベン侯爵の手紙を披(ひら)き初めぬ。
七五
ダベン侯爵の手紙を披(ひら)き見るに、最初は決鬪の殘務を報じたる者にして、
「魏堂の死骸は羅馬内家の墓窖(はかぐら)の傍へ葬り候(さふらふ)其仔細は同人(どうにん)事(こと)豫(かね)て前(ぜん)羅馬内家の主人波漂殿の親友にて殆ど兄弟の如く仲好くせしとの事なれば、當人も地下の波漂殿も並葬(ならびはう)むらるゝ事滿足と存候(ぞんじさふらふ)」など記せり。
次に此手紙と共に來(きた)りし小包物の説明にして其文、
「此手紙と共に送れる小包は魏堂の死骸の衣嚢(かくし)より出(いで)たる書類に之れ有り、若しや其中に彼れの遺言書でも有はせぬかと、其中の一通を披き候所、圖(はから)ざりき貴下の許婚の妻たる那稻夫人より魏堂に贈りたる艷書樣の者に有之候(これありさふらふ)。」
扨は魏堂が羅馬に在る中、那稻より送りたる者と見ゆ、那稻何事を認めあるやと余は件(くだん)の小包を披見度(ひらきみた)さに堪(たへ)ざれど、猶ほ侯爵の手紙を讀續くるに、
「勿論斯る親展書類を拙者等の隨意に處分する事出來難けれど兔に角貴下は那稻夫人の所天も同樣なれば、貴下に送屆くるこそ當然と存じ候、拙者等の偶然に披き見たる一通に依れば那稻夫人と魏堂の間には何か深き約束でも出來居(できゐた)る者かとも存せられ候、殘る手紙は一通も披き見ざれば何事を認(したゝむ)るや知る由なけれど若しも彼の一通と同じ調子の筆法ならば、魏堂が貴下の婚禮披露を聞き怒り狂ひたるも滿更の無理とは思ひ申さず候、尤も個は拙者等の云事(いふこと)に非ず、貴下に於て殘(のこら)ず彼の手紙を御熟讀成され候はゞ自(おのづ)から相當の御判斷有る事と信じ候、唯拙者は友人の情として一言(ごん)申上度(まをしあげたき)は嶮しき坂の上を歩む者は、充分眼を開き萬事の案内を呑込まずば足踏外す事有之(ことこれあ)り、老年に及び妻を迎ふ者は先づ妻なる女の心中より日頃の行ひを篤と呑込み置くを事に必要と存じ候、夫故差出(さしで)がましくも斯る事諄々(くど/\)申述候(まをしのべさふらふ)、猶ほ魏堂の介添人より聞く所に由(よれ)ば魏堂は羅馬へ出發する以前に既に遺言書を認め有りと申す事、而も其遺言書を那稻夫人へ預け有る由に候へば此邊も貴下の篤と考ふ可き所かと存候、一身に取り何よりも大切なる遺言状の如き物を愛も情も無き夫人に渡し置(おく)如き事は餘り例の無き儀に御座候(ござさふらふ)、併し是等の判斷は如何(いかん)とも貴下に任せ候、次に決鬪の後事(こうじ)は何も彼も滑(なめら)かに相運び、左まで世間の噂にも上り申さず、此向(このむき)ならば貴下は何時(なんどき)たりとも御都合次第當地へ御歸り成され候て差支(さしつかへ)なく、決してアレが決鬪の一人(にん)かなどと世間の人より指さゝるゝ樣の事無之候(ことこれなくさふらふ)、貴下御立(おたち)の後は交際社會も何と無く物淋(ものさびし)く友人一同貴下の御歸(おかへり)の節を樂みて相待居候(あひまちをりさふらふ)頓首。[#「」」欠字か]
とあり。
余は先づ此手紙を卷きて納め次に小包の封を切るに、成程那稻の手紙なり、那稻が常に用ふる香氣入りの紙にして余が鼻には胸惡き感じあり、手紙の一端少しく血に染(そ)みたる痕あるは是れ余の射貫(いぬき)し魏堂が胸の血にや有らん、平生(へいぜい)なら手を觸るゝも厭はしき所なれど、此手紙と同じく那稻が身體の血に染むも遠きにあらじと余は眼に復讐者の笑を光らせ、先づ其手紙の月日を揃へ見るに那稻よりは一日置(じつおき)に音づれし物にして中には丁度余と夫婦の約束せし其夜(そのよ)に認めたる者も有り、余は順を追ひて讀行くに孰れも戀人と戀人の仲に取遣(とりやり)する文句にして他人には何の味だに無き程なれど、兔に角も愛情は充分籠り、男の心を蕩(とろ)かす如き文字(もんじ)も多く、殊に余に約束せし夜(よ)に認たる一通の如きは、魏堂を天にも地にも代難(かへがた)き男の樣に記し、魏堂の爲には命も入(い)らずと決心せし女かと疑はる、魏堂が是等の手紙を見て、己の留守に伯爵笹田が孜々(しゝ)として復讐の網を張居(はりゐ)たりと心附かぬは尤もと云ふ可し、之にて思ふも余が曾(かつ)て那稻に欺かれたること全く此通りにして、那稻は確に一時(じ)に幾人の所天を隱し、互ひに疑はざらしめじと云ふ往古の惡婦にも猶優(なほまさ)る計(たくみ)を備へて生れし者なり、察するに彼れ萬一魏堂が疑ひの心を起し、我身に何も彼も與ふると云ふ遺言の文句を書替る樣な事ありては一大事と見、殊に勉めて彼れの心を醉(よは)せたる者なるべし、那稻が愛と云ふも僞り、僞りと云ふも亦た僞り、彼れは唯だ貪慾と云ふ恐しき慾心の外に愛も情(なさけ)も無き女なり、愛と云ひ情(じやう)と云ひ其他一切の振舞は總て慾より出(いづ)る僞りにして、彼れの全身に誠の部分は唯だ貪慾の部分のみなり、余は斯く思ひつ、猶ほ讀みて末に至るに又一入(ひとしほ)余を驚かしむる一通あり、左の如し、讀者讀め!
七六
余が驚きたる一通と云ふは「魏堂よ、御身は何故に屡々(しば/\)婚禮の事を迫り來(きた)るや」と書出(かきだし)あり、是にて見れば魏堂め己れが伯父の身代を嗣(つ)ぎ俄分限(にわかぶんげん)と爲りたるを幸ひに至急那稻と婚禮する積にて其事を迫り來(きた)りしを那稻が旨く返事する者と見えたり、那稻一方には余と婚禮の約束ありて又一方より魏堂に迫らる、如何なる旨き口前にて此難所を切拔るにや、余は讀まぬ先より斯く思ひて呆れながら見下(みおろ)すに、「魏堂よ、眞の愛と眞の情(なさけ)は他人に知せるさへ惜(をし)き者なり、他人の知らぬ所に隱し、唯だ二人にて盡し合ふが御身と妾との情(じやう)に非ずや見よ妾が所天波漂の生存(いきながら)へ居たる頃、御身と妾は愛情を隱しながら如何ほどに樂かりし、實に御身と妾とは世間に類無き程の愛に非ずや、之に婚禮と云ふ儀式を添へ夫婦と云へる名を附くれば世間一般の味も無く趣きも無き愛となるのみ、人目を忍べばこそ愛情は神聖なれ、隔つる關(せき)の有ればこそ思ふ心の募(つの)るなれ、所天と云ひ妻と云ふは婚禮の儀式にて出來る者、情人(じやうじん)と云ひ情婦と云ふは心と心との約束にて、如何なる儀式にても作り得ず、所天を得(う)るは易く情人を得るは難(かた)し、所天は世に有觸(ありふ)れたもの、情人は又と無きもの、妾若し眞實に御身を愛せずば直ちに婚禮して所天とせん、去れど妾が愛は世間の妻が所天に對する最淺(いとあさ)き愛に非ず、夫婦の間に有得(ありえ)ざる深き愛なり、妾は何時までも此深き愛をば深き儘に守り度し、一旦婚禮の儀式を濟せば、深き情夫と情婦の愛は淺き夫婦の愛と爲る、妾は御身を高き情夫の位置より引落(ひきおろ)し低き所天の位置に降(くだ)すに忍びず、婚禮の爲め魏堂と云ふ所天を得るも魏堂と云ふ情夫を失ふは妾の實に忍びざる所なり、御身も亦那稻と云ふ妻を得て其代りに那稻と云ふ情婦を失ふは最惜(いとをし)き次第ならずや、魏堂よ魏堂、御身は何時までも妾の情夫なり、味の無き所天とするは勿體なし、妾は何時までも御身の情婦なり、妻などと云ふ愛想の盡易き者と爲るは互(たがひ)に大事の愛情を傷(きずつ)くるものに非ずや、魏堂よ、妾は何時までも波漂が生き居し時の通り御身を情人として隱し置き度し、大事の品は容易に他人に見せしむ可からず、御身は妾の命よりも大事なり、人にも世間にも知しては大事の愛を偸(ぬす)まるゝ心地するなり、又と無き情婦の極樂世界を御身は何故に夫婦の俗世界とは爲さんとするや、御身が婚禮せよと云ふは愛情の綱を切りて法律の綱にて結ばんと云ふなり、樂みを苦みとせんと云ふなり、御身の妻とせらるゝは御身の愛を消さるゝなり、御身に捨らるゝなり、又御身を捨るなり、御身は何時までも妾の情夫たれ所天たる勿(なか)れ、樂しき情(じやう)の世界より妾を辛き法律の世界に投込む勿れ、情夫は生涯の樂み妻は生涯の荷物。魏堂よ婚禮は情婦を縛りて荷物と爲す者なり、荷物とし荷物とせられて何の樂しき事あるや、最愛の情夫よ、再び婚禮など云ふ俗世界の俗儀式に戀々(れん/\)する勿れ。」
余は之を讀終りて那稻が筆の能く廻るより猶ほ其計(そのたくみ)の行屆けるに驚きたり、那稻は余と婚禮する後までも猶ほ魏堂を情夫として蓄へ置かん心なり、波漂を欺きしと同樣に彼れ魏堂を欺きながら猶ほ同樣に余を欺かんとする者なり、如何ほどの惡人たりとも斯くまで微妙なる工夫を廻(めぐ)らし、斯く大膽に斯く手際に、唯己れ一人(にん)の力にて計(はから)ひし者は古來あらじ。
一方に又其後那稻が余に寄せたる手紙如何(いかん)と見れば魏堂に送りし者よりも又一入の情を込めて波漂に死なれ兒に死なれてよりは如何(いか)ほど淋しかりしやを説き、名譽正しき所天を持つ其身の幸ひより夫婦の樂みを説き、操(みさを)を説き、道徳を説き、石をも動すかと疑はるゝ程に筆を廻せり、若し那稻の今までの振舞を知らずして斯る手紙を見れば誰れか那稻を當世第一の賢夫人と思(おもは)ざらんや、余は唯だ今更の如くに呆れ、殆ど氣持の惡(あし)きを覺えたれば「好し、是等の手紙が凡(すべ)て其身を責(せむ)る復讐の武器になるゾ」と打呟き、元の如くに疊み收め我宿(わがやど)に歸り來れり。
田舍住居(ずまひ)の氣樂さは、門に推開く戸とても無く、案内の鈴(べる)を推鳴す必要は猶更無ければ、突(つ)と入(い)りて庭の方へと歩み行くに娘李羅の立てる傍に余の從者瓶藏が、肉袗(しやつ)の袖口を肩の邊(あたり)まで捲(まく)り上げて、手頃の斧を上(あげ)つ下(おろ)しつ、乾(ほし)たる薪を割れるを見る、其樣宛も李羅の爲には如何なる勞も厭はずと云ふが如く李羅は又瓶藏の働き振(ぶり)に滿足し、其勞を助けんとて、傍(かたはら)より笑顏を以て勵ませる者に似たり、余は二人を驚かす要(えう)も無ければ足音を控へて其所に立(たち)し儘、猶も無邪氣なる兩人の振舞を眺め居たり。
七七
瓶藏と李羅の樣子、實に一對の好夫婦なり、今は戲事(まゝごと)に均(ひと)しけれど早晩(いつ)かは戲事の眞事(まこと)と爲る時節(じせつ)無からんや、アヽ瓶藏は[#「瓶藏は」は底本では「瓶造は」]主人の余よりも遙に仕合せ者なり、彼れが最と輕々と斧を上下する樣、何う見ても生れ附き斯る業(わざ)に適する如くにして今まで流行社會に立交(たちまじ)る紳士の從者とは思はれず、爲す事總て天然自然にして少しの無理も少しの苦痛も見えず、況(ま)して傍(かたへ)より李羅の之を勵すあり、彼れ心に如何ほどか樂しき事ぞや。
余は我を忘れし如く茫然として見遣ながらも心に樣々の思ひを描きぬ、アヽ余は既に情も無く欲も無き世捨人、否(いな)世に捨られし人、唯だ復讐の念の外は何事も知らずとは云へ、現在我が目の前の他人の斯も樂しげなる有樣を見て個(こ)を妨ぐるの無情を爲すに忍びんや、李羅は孝行者瓶藏の如き者を所天に持たば生涯の幸(さいはひy>片頬(かたほ)に笑み「魏堂が先日羅馬へ立つ前に、人間は何時死ぬるかも知れぬから、達者な内に遺言を書て置かぬは大(おほい)なる間違(まちがひ)だと云ひ自分で遺言状を認(したゝ)めたのです」扨は彼れ蟲が知すと云ふ者にて己の近々(きん/\)に死するやも知れぬを想ひ遺言まで認めしかト余が異樣の想ひする間(ま)に、那稻は語を繼ぎ「其遺言を私しへ預(あづけ)て行(ゆ)きましたから、私は夫を寧府(ねいぷる)の役場へ持出さねば成ません。」
「シテ其の中には何の樣な事が書て有ます」那稻は又言憎げに「アノ私しへ何も彼(か)も讓る樣に書て有るかと思ひましたが。」
「ドレ、手近に[#「ドレ、手近に」は底本では「ドレ」手近に」]在るならお見せ成さい」手近も手近、己(おの)が衣嚢(かくし)の中よりして一通を取り出(いだ)したれば余は開きて檢(あらた)むるに成る程正式の遺言状にして其文中に「余が所有して死する一切の財産物件は悉く羅馬内家の那稻夫人へ無條件にて贈る者なり」と有り、アヽ魏堂は余が思ひしより猶ほ深く那稻に惑溺(わくでき)せし者なり、余が昔し波漂たりし頃にしても余は那稻の爲めに斯る遺言書は認め得ず、夫とも那稻の手の内にて旨く魏堂を説(とき)くるめ、斯く無條件の證文を認めさせし者なるか。
孰れにしても唯だ呆るゝの外(ほか)無ければ余は疉みて之を那稻の手に返し乍(なが)ら「是で見ると魏堂は眞實貴女を愛して居たと見えますネ。」
「サア腹の中(うち)では或は愛して居たかは知れませんが、併し私(わたく)しは爾とは認(みとめ)ませんでした」アヽ彼れに抱(いだか)れ彼に接吻せられ、彼れと夫婦の約束までして猶ほ彼れの愛を認めざりしと云ふか、余は殆ど返事する言葉なし、此暇に那稻は又も語を進め「ですが所有して死する一切の財貨物件と云へば魏堂が羅馬の伯父から讓られた財産も總て私しの物に成りませうか。」
アヽ讀者、此問(このとひ)を聞き何と思ふや、此の妖婦め、生涯使ふとも盡ぬ程ある余が家の財産を悉く我物とし、猶ほ心に飽足(あきた)らずして魏堂が羅馬の叔父より贈られし身代をまで我が手の裏に入れんとするにや、上部(うはべ)に誠の皮を被れる僞りの塊りなるのみに有らず、上部に無慾の色を飾る慾心の塊りなり、斯も恐ろしき怪物が又と有らうか、夫とも知らず一たびだも此女に魂を拔(ぬか)せしかと思へば、余の愚さも亦愛想が盡きたり。
勿論無條件の遺言なれば余は「爾です、何も彼も皆貴女の物です」と答ふるに那稻は殆ど嬉しさを隱し得ず、ホク/\と笑頽(ゑみくづ)れしが、更に又「爾すれば彼れの持て居る一切の書類なども矢張(やはり)私しの物ですネ」と念を推せり。
讀めたり、讀めたり、心の底の底までも悉く余には讀めたり、妖婦め、自分より魏堂へ贈りし幾通の艷書類(えんしよるゐ)、若しや他人の手に渡り、身の不行蹟(ふぎやうせき)が世に洩ては成らぬ故、夫等(それら)の書類をも取返して無き者にせんと思へるなり、斯も世を欺き人を欺く事にのみ心を勞せる稀代の惡婦を何(なん)とて此儘に許して置かる可き、復讐の爲ならずとも余は推潰(おしつぶ)すに猶豫(いうよ)せじ、況(まし)て余に對する彼れの罪又類無き程に重きをや、余は有りと有らゆる苦(くるし)みの手段を集め此妖婦の身に一時(いちどき)に浴(あび)せ掛(かく)るも猶ほ足らずと思ふのみ、最早憐む所は少しも無く、容赦する所ろ少しも無し。
七二
余は實に斯る惡婦の傍(そば)に一刻だも長居すること汚らはしと思ふ程なれば、好い加減に切上げん物と思ひ「イヤ夫人、貴方の傍に居れば知らず知らず時間が經(た)ちます、猶ほ私しはアベリノ行(ゆ)きの仕度萬端色色の用事が有ますゆゑ、今日(けふ)は是だけでお暇(いとま)に致しませう」と云ひ、將に椅子より離れんとするに、那稻は「少しお待(まち)なさい」と應(こた)へて余が手を取り、先に余が渡せし魏堂の指環(實は余波漂の指環)を余が小指に環(は)め「是はネ波漂が家に代々傳(つたは)ツた夜光珠(だいやもんど)です。貴方が持つ程の品では有りますまいが、夫でも私しの愛の印しです」余は胸の惡(あし)きを覺ゆれど元是(もとこ)れ余が爲の大事の品なり「ハイ此儘で肌身を離しません」と云ひ更に「アベリノから歸ツて來れば直にお目に掛れませうネ」と問ふに「其樣な事はお問成さるに及びません、多分は其時までに私しは寧府の屋敷に歸て居るだらうと思ひますが、若し歸て居無ければ直に茲まで迎へに來て頂きませう」と應ふ、余は此儘立去る可き所なれど彼れが心の虚々(うそ/\)しさ餘りの憎(にくら)しさに堪(た)へざれば夫と無く責め置かん者と思ひ「夫まで貴女は毎日神に祈りを捧げて居るのでせうネ」「ハイ神を祈るより外に用事は有ませんから。」
「では魏堂の爲にも冥福を祈てお遣り成さい、貴女は彼を愛せぬと仰有るけれど彼れは眞實に貴女を愛し、貴女の爲に私しと喧嘩して貴女の爲に命まで失ひました、貴女に祈て貰へば彼れの魂魄何(ど)れほど歡(よろこ)ぶか知れません、死人の魂は生前に自分を欺いた者や愛した者の傍へ來て、當分の中は附纒(つきまとつ)て居ると云ひますから、本統に功徳です」此言葉には惡婦もゾツと身を震(ふるは)したれば余は猶も附入(つけい)りて「夫に先(せん)の所天波漂とても、貴女の貞節を思ひ、常に貴女の傍に徘徊(さまよ)ふて居るかも知れません、彼れの爲にもお祈り成さい、ネ、爾すれば貴女も心に滿足でせう」と疉み掛るに、那稻は益々安(やす)からぬ樣子に見え、唇まで色を退(ひ)きしも、彼れは止むを得ず「ハイ充分に祈りませう」と云ふ音調(おんてう)も穩かならず。
愈々分(わか)れと爲(なり)たれば余は「夫では」と云ながら其手を取りて握り締(しむ)るに、余が先に那稻に與(あた)へし夜光珠の指環と、今しも那稻が余の手に嵌めたる指環とは、宛も切結ぶ太刀と太刀との如き光を發し何(なん)とやら物凄し、是が愈々復讐に取掛る前表(ぜんぺう)かと、余は異樣の思ひを爲し、俯向(うつむ)くとも無く俯向きて眺むるに、那稻も同じく俯向きて之を見しが、如何にせしか他(か)れの顏、痛く恐れに魘(おそ)はれしと云ふ如く忽ちに青くなれり。
余は何の故なるを知らず「オヤ何うかしましたか」と問ふに彼れ「イエ、ナニ」と打消して余の手を放せしが、猶ほ何とやら落附(おちつか)ぬ所あり、再び又余の手を取り「一寸(ちよつ)と貴方の手をお見せ成さい」と云ひ高く上て不思議相(さう)に見初(みはじ)めたり、是れ何の爲なるぞ、余が手には其の無名指(むめいし)の本(もと)の邊(ほとり)に幼き頃の惡戯(いたづら)にて傷(きずつ)けたる事ありて其傷今も猶ほ痕を殘せり、那稻は之に眼(まなこ)を留(とゞ)めたるに似たれば、余は笑ひながら「何が貴女の目に留(とま)りました」那稻は更に返事せず、猶も熟々(つく/″\)と眺めし末、余の顏を見上しが神經に一種の強き感じを引起せしと見え眼にも異樣なる色を帶び、唇も歪む如くに引締め來れり、頓て彼れ、我を忘れて發する如き聲にて、
「此手(このて)は、此手は、此指環を嵌めた此手は、波漂の手です、波漂の手と同じ事です、アレ無名指(くすりゆび)の元に在る傷までも」と叫びしまゝ、悶絶して仆れ掛れり。
七三
余の手を波漂の手に同じと云ひて那稻が卒倒するも無理ならず、余の手は實に波漂の手なればなり。
去れど余は卒倒したる那稻の始末に困(こん)じ、其身體を傍(かた)への椅子に寄掛け置き、周章(あわた)だしく鈴(べる)を鳴すに親切氣なる老尼(らうに)來りて、或(あるひ)は那稻の顏を冷水(ひやみづ)にて拭ふなど介抱の手を盡せば、其内に余は手袋を被(は)めて波漂の手を隱し、其背(そのせな)を撫で乍(なが)ら「那稻、那稻」と呼返すに、固(もと)より健康の身體なれば間も無く眼を見開きて「アヽ本統に波漂が現れたかと思ひました」と口の裏にて呟けり。惡婦とは云へ、心の底の孰れかに、波漂に濟まずとの念(おも)ひは有り時々氣の咎むる事有りと知らる。洵(まこと)に氣味の好き次第ならずや、斯(かく)て五分間と經ぬうちに那稻は元の機嫌に復したれば余は充分の親切を示し、何う見ても許婚(いひなづけ)の夫婦と見ゆる樣、愛深き言葉を番(つが)へ、殘り惜げに分れ去れば那稻も亦殘り惜げに送り去りしが、此夜余は定めの通り從者瓶藏を引連れて寧府を立ち、アベリノの地に到れり。
アベリノは讀者の知る如くサバト河を跨(また)ぎ山を負ひ海に臨める小村(こむら)にして伊國中(いたりやぢう)の最も靜かなる所なり、人の氣風質朴(しつぼく)にして土地の風景は絶佳(ぜつか)と稱せらるれども、唯だ贅澤なる別莊若(もし)くは旅亭などの設無(まうけな)き爲め縉紳(しん/\)の客の行(ゆ)く事稀(まれ)なり、時に詩人或は畫工などのまぐれ來る事は有るも是とて永く逗留せざれば、余の如き繁華を厭ふ人間には此上無き隱れ場所と云ふ可し、殊に余が泊りし家は海岸なれども漁師に非ず家の周圍(まはり)に菓物(くだもの)の畑あり、其菓物を賣捌(うりさば)きて唯一人の娘と共に不足なく世を送れる老女の家にして、老女は名をモンタイと稱すれど村中の誰彼より唯だ「伯母よ、伯母よ」と云はるゝのみにて名を呼ばるゝこと無きは永年寡婦(やもめ)の暮(くらし)を爲し、廣く人に尊(うやま)はるゝ爲にも有らん、余は寧府なる余が宿の主人より案内を得て此家へ來りし者なるが、老女の樣子に何とやら氣高く奧床(おくゆか)しき所ある故夫と無く身の上を聞くに、若かりし頃は村中評判の美人にして此家へ嫁(か)せし後も袖褄(そでつま)を引く痴漢(しれもの)多く、終(つひ)に其の一人(にん)は山の上より大石を轉がして菓物畑けに仕事せる此女の所天を壓殺(おしころ)し、己れの罪を全くの過ちなりと言張りて裁判を逃れし上、老女の許に詫來(わびきた)り、親切を以て老女に取入んとせしを老女は我(わが)所天の敵(かたき)として痛く辱しめ、再び來る事の出來ぬ程にして還(かへ)せしより、此れより後は烈女と云はれ、誰れ一人尊(うや)まはぬは無く、今日(こんにち)までも寡婦(くわふ)を守通(まもりとほ)せしとなり。是等の事を話すうちにも、或は悲しみ或は怒り、女ながらに侵し難き處(ところ)あるより、余は殆ど感心し、那稻の事に思比(おもひくら)べて同じ造化の作りし子に斯も相違の有る者かと心の中に歎息しつ更に娘の事を問ふに「ハイ娘李羅(りら)は」と云ひ諄々(じゆん/\)と今まで女の手一つにて育て上げたる艱難(かんなん)を説出(ときいだ)す、其顏には掬(く)み盡されぬ慈愛の色あり、余は少しの間なりとも斯る婦人の家に宿りしを喜び、之を孃李羅(ぢやうりら)にと云ひて少しばかりの土産ものを贈りたり。
是より余は唯だ山に登りて海を眺めなど朝に夕に此地の景色を探るのみなりしが、三日目の日は天曇り雨の降出相(ふりいでさう)に見えたれば室に籠りて讀書にも早や倦(う)みつ、話相手もがなと思ふ所へ、靜に瓶藏が入來りしかば余は引据て浮世話を初むるに、瓶藏は何やらん心に思ふ所ある如き調子にて「旦那樣は、李羅を御覽に成ましたか」と問へり。
「此家(このや)の娘か、名前は聞たが未だ見ない、何故其樣な事を問ふのだ」瓶藏は纔(わづか)に兵役を濟せしばかり猶ほ世事慣れぬ少年なれば、問返されて耻(はづか)しげに少し其頬を赤くしつ「イヤ大層美しい女ですから。」
「美しい女の餘り美しいは、毒蟲の美しいと同じ事で、其の最も美しい所に毒が有るのだ、昔から英雄豪傑を失敗させる者は皆美人だ」瓶藏は近々(きん/\)に婚禮する余が口には不似合の言葉と見てか、怪げに余を詠(なが)め「爾でも有ませうが、花の美しいのも、景色の美しいのも、又美人の美しいのも總て同じ事です、毒は見る人の目に在るのです、清い目で詠むれば心まで爽かに成りませう」余はこの格言に感服せり、見る人の眼にさへ毒なくば那稻の如き毒なりとも己に溺れざる人に毒する能はず、毒は男子の自ら招く所なりと深く心に感じながら、笑を浮めて「其方(そのはう)も中々の哲學者だ、爾思つて李羅孃を褒めるは好いが、己(おれ)の樣な老人は、其樣な若々しい言葉を聞く度に唯だ羨ましくなる計(ばかり)だ」瓶藏は俄に眞面目に成り「イヤ爾仰有る程の老人ではお有り成されません。」
「何だと、」
「イヤ私しは見て成らぬ所を見ましたかも知れませんが、アノ決鬪の時、目鏡を脱(はづ)した貴方のお顏を拜見しました、決して老人では有ません。」
「でも此白髮(このしらが)は。」
「夫はお生(うま)れ附(つき)でせう、貴方のお目と云ひ、頬の邊(あたり)の樣子と云ひ猶(ま)だ卅歳を幾歳(いくつ)もお越成(こえな)されません。」
三十を越えぬ身が早や生て居る甲斐も無き老人と爲果(なりはて)しかと思へば、余は涙の自(おのづ)から湧來(わききた)るを覺えたり「コレ瓶藏、人の老たと云ふは年には依らぬ、心に春の樣な陽氣を持てば、四十が五十でも若いと云ふもの、己(おれ)は眼は若くとも心は頭の白髮と同じく若い人の陽氣は無く、疾(とつ)くに老衰した人だ」と云ひ眼鏡を外して顏を示すに、瓶藏は余の味氣無き胸中を察してか、俯向(うつむき)しまゝ余の顏を見る能はず、アヽ彼れも亦余が爲めに泣けるにや。
余は話の陰氣なるに氣附き、忽ち心を取直して又笑(わらひ)つ「併し瓶藏、一度見たなら何度見るも[#「何度見るも」は底本では「何見見るも」]同じ事だ、唯だ其方が他言さへせねば。[#「」」欠字か]
「何で私しが他言などを。」
「己も爾思ふから其方には安心して居る、己は故有て黒目鏡を掛て居ゐるが此土地へ來れば夫にも及ばぬ故、今日からは再び寧府へ歸るまで脱(はづ)して置かう、外して能く其方の爲に李羅孃の顏を見て遣(やら)う、心は老て居るけれど女の人相が鑑定出來ぬ程でも無いから、見た上で己の思ふ儘の所を其方に聞せて遣る」と云ふに、瓶藏は有難げに頭(かうべ)を垂れ、余の手を捉へて接吻せしが、猶ほも余が身の墓なきを思ひ續けて涙を隱し得ぬ爲にや、顏を余に傍向(そむ)けし儘にて余の室より退(しりぞ)きたり。
七四
是より二日目にして余は親しく李羅を見たり、此の朝寧府なる彼のダベン侯爵より一通の手紙と共に何やらん小包を送り來(きた)れば、余は山の靜なる所に行き木の蔭(かげ)にて景色など眺めながら獨り窃(ひそか)に披(ひら)き見ん者と思ひ、其手紙其小包を衣嚢(かくし)に入れ山の半腹(はんぷく)まで登り行くに、道の傍(はた)に古寺(ふるでら)あり、斯る寺には得て古代の珍しき繪額(ゑがく)など有る者なれば、歩み入りて本堂を見廻すに是と云ふ程の物も無し、少し失望の想ひにて又立出(たちいで)んとする折しも年十四五と見ゆる小娘、神前に捧げん爲にや菓物の初生(はつを)を手に持ち余と摺違(すれちが)ひて本堂に入行(いりゆ)きたり。是若し瓶藏の褒立(ほめたつ)る宿の娘李羅には有(あら)ぬかと余は立止りて其再び出來(いできた)るを待つに、程なく捧げ終りしと見え徐(そ)ろ/\と引返し來りしかば、余は横手より其前に歩み出(いで)しが、唯一目(たゞひとめ)顏を見て、思はずも尊敬の念を生じ首(かうべ)を垂れて辭宜(じぎ)したり、是れ何の爲なるぞ、其顏の餘りに美しきが爲か、否否(いな/\)美しさは那稻に及ばず、殊に其衣服とても見る影も無き田舍娘の作りなれば少しも尊敬し首を垂るる所なし余は何の爲めに辭宜せしか、殆ど合點の行かぬ程なれども其容貌の孰れにか、何と無く清らかにして何と無く氣高き所あり、一目にて其心の純粹無垢なるを知らるゝが爲のみ、殊に何處やら其顏に宿の女主(あるじ)の面影も見ゆるにぞ余は是が李羅なるを疑はず、李羅は余の辭宜を見て少しく顏を紅(あか)めたるも、敢(あへ)て恐るゝ樣子は無く、最(い)と優(しと)やかに辭宜を返し、早や余を知れる者の如く「貴方樣は景色を御覽成さるのですか」と問へり、余は是に返事せず、唯だ柔かなる音聲にて「お前は李羅だネ」李羅は再び紅らみて「ハイ」と答へ更に「景色ならば是から左の方へ行くと大層好い所が御座います」と指さし示せり。
「お前は最う歸つて行くのか。」
「ハイ、貴方樣のお晝の仕度を致しますから。」
「オヽ感心だ、阿母(おつか)さんを手傳て珈琲でも拵(こしら)へるのか。」
「ハイ貴方樣の珈琲は毎(いつ)も私しが拵へます。」
「道理で旨いと思つたよ、爾して珈琲を拵へる傍(そば)へ毎も瓶藏が來て手傳て呉れるだらう。」
「ハイ、瓶藏さんは親切なお方ですよ、阿母さんも爾申(さうまを)します、夫にネ、私しを料理が上手だなどゝと云ますから、アノ方の珈琲も私しが。」
「オヽお前の手で拵へて遣るのか。」
「ハイ私しが拵へて上ると瓶藏さんは何れ程お歡びでせう」と罪も無く話す言葉に、譬(たと)へ樣無き愛らしき所あり。
余は結れし我が心も之が爲めに開く如き想ひあれば、瓶藏の見立(みたて)に感心し、打笑(うちゑみ)ながら「餘り瓶藏を嬉(よろこ)ばせると、寧府へ歸るのが否(いや)に成るかも知れぬから用心せぬと了(いけ)ないよ」と戲(たわむ)るゝに李羅は猶ほ其意を解し得ぬと見え、不審氣に頭(かうべ)を傾くれど別に羞(はづか)し相(さう)にはせず、瓶藏の[#「瓶藏の」は底本では「瓶造の」]如き正直者が斯る清き少女に目を附くるは天然の良縁とも云ふ可き者かと心の中に頷きて「イヤ李羅、阿母さんが待つて居やう、私(わし)はドレ左の方へ行き、今教はツた景色でも見て來やう」と云ふに李羅は「ハイ何時(いつ)お歸り成(な)ツてもお仕度の用意が出來て居る樣に仕て置きます」と答へ其儘に身を取直して、坂路(はんろ)を轉がる球(たま)より尚(な)ほ輕く降(くだ)り去れり。
余は其の後影(うしろかげ)を見遣(みやり)つゝ我知らず最深(いとふか)き歎息を洩したり、アヽ讀者余が生涯は最早や取返しの附かぬほど何も彼も全く失ひ盡せし者なり、世には斯まで清淨(しやう/″\)の少女も有るに余は再び妻を迎へ樂しき月日を送らんとて得(う)べからず、余は何が爲に李羅の如き罪も知らず汚れも知らぬ、眞に造化が作りし[#「造化が作りし」は底本では「造花が作りし」]儘なる女を求めずして那稻の如き毒深き者を娶(めとり)しや、アヽ問ふ迄も無く其仔細(しさい)能く分れり、余若し婚姻の以前に李羅の如き者を見たりとて、其清きを知る能はず、田舍娘と思ひ做(な)し、顧みもせざりしならん、余は實に社會の風俗に誤(あやま)られし者なり、余の如き紳士とも貴族とも云はるゝ者は社會の風俗に縛られて令孃とか「素性正しき」とか云へる細工物を娶らねばならず、令孃の名は美なれども實は風俗に細工せられ、禮儀の爲には笑(をか)しからぬに笑を浮め、尊ばぬ人に頭(かうべ)を垂れ、須(すべ)て交際の上に在る虚僞(うそいつは)りの掛引(かけひき)を呑みたる怪物ならずや、交際に慣れしと云ふは僞りに巧(たくみ)なる異名なり、天眞(てんしん)の爛漫(らんまん)たる李羅などに比べては、人の手をもて泥塗(どろぬり)し人形と、造化が作りし露出(むきだし)の美術ほどの相違は確に有り、泥塗りし人形は泥の爲に尊(たふと)まれて社會の上に贅澤を仕盡して世を送り、却て李羅の如き者は朝より晩まで脂汗の乾く暇なき勞働人(らうどうにん)の妻と爲り、厩の如き矮狹(いぶせ)き家に寢起(ねおき)して、榮耀(ええう)の何たるさへ知らずに可惜(あたら)生涯を費(つひや)し了(をは)る、思へば社會風俗と云へるもの、造化の美術を妨ぐる爲に惡魔の作りし金網なるか、余は惡魔と云ふ者の有る事を信ぜざりしも今は信ぜぬ事能はず、人はでん/\鼓(つゞみ)を手に持つ時より棺の底を足に踏む時まで惡魔の愚弄(おもちや)に爲れる者なり、中には婚禮と云ふ事は惡魔が人を馬鹿にする第一の大仕掛と、余は心の底より深き息を吐きながら再び見れば李羅の姿既に見えず、重き心を足と共に引摺りて、漸く李羅の指(さ)したる所まで登り行けば、伊國第一の絶景は扇の如く目の前に開き來れど余が心は開きもせず、唯だ人無きを幸ひに、但(と)ある木の根に腰を卸(おろ)し澁々(しぶ/\)として彼のダベン侯爵の手紙を披(ひら)き初めぬ。
七五
ダベン侯爵の手紙を披(ひら)き見るに、最初は決鬪の殘務を報じたる者にして、
「魏堂の死骸は羅馬内家の墓窖(はかぐら)の傍へ葬り候(さふらふ)其仔細は同人(どうにん)事(こと)豫(かね)て前(ぜん)羅馬内家の主人波漂殿の親友にて殆ど兄弟の如く仲好くせしとの事なれば、當人も地下の波漂殿も並葬(ならびはう)むらるゝ事滿足と存候(ぞんじさふらふ)」など記せり。
次に此手紙と共に來(きた)りし小包物の説明にして其文、
「此手紙と共に送れる小包は魏堂の死骸の衣嚢(かくし)より出(いで)たる書類に之れ有り、若しや其中に彼れの遺言書でも有はせぬかと、其中の一通を披き候所、圖(はから)ざりき貴下の許婚の妻たる那稻夫人より魏堂に贈りたる艷書樣の者に有之候(これありさふらふ)。」
扨は魏堂が羅馬に在る中、那稻より送りたる者と見ゆ、那稻何事を認めあるやと余は件(くだん)の小包を披見度(ひらきみた)さに堪(たへ)ざれど、猶ほ侯爵の手紙を讀續くるに、
「勿論斯る親展書類を拙者等の隨意に處分する事出來難けれど兔に角貴下は那稻夫人の所天も同樣なれば、貴下に送屆くるこそ當然と存じ候、拙者等の偶然に披き見たる一通に依れば那稻夫人と魏堂の間には何か深き約束でも出來居(できゐた)る者かとも存せられ候、殘る手紙は一通も披き見ざれば何事を認(したゝむ)るや知る由なけれど若しも彼の一通と同じ調子の筆法ならば、魏堂が貴下の婚禮披露を聞き怒り狂ひたるも滿更の無理とは思ひ申さず候、尤も個は拙者等の云事(いふこと)に非ず、貴下に於て殘(のこら)ず彼の手紙を御熟讀成され候はゞ自(おのづ)から相當の御判斷有る事と信じ候、唯拙者は友人の情として一言(ごん)申上度(まをしあげたき)は嶮しき坂の上を歩む者は、充分眼を開き萬事の案内を呑込まずば足踏外す事有之(ことこれあ)り、老年に及び妻を迎ふ者は先づ妻なる女の心中より日頃の行ひを篤と呑込み置くを事に必要と存じ候、夫故差出(さしで)がましくも斯る事諄々(くど/\)申述候(まをしのべさふらふ)、猶ほ魏堂の介添人より聞く所に由(よれ)ば魏堂は羅馬へ出發する以前に既に遺言書を認め有りと申す事、而も其遺言書を那稻夫人へ預け有る由に候へば此邊も貴下の篤と考ふ可き所かと存候、一身に取り何よりも大切なる遺言状の如き物を愛も情も無き夫人に渡し置(おく)如き事は餘り例の無き儀に御座候(ござさふらふ)、併し是等の判斷は如何(いかん)とも貴下に任せ候、次に決鬪の後事(こうじ)は何も彼も滑(なめら)かに相運び、左まで世間の噂にも上り申さず、此向(このむき)ならば貴下は何時(なんどき)たりとも御都合次第當地へ御歸り成され候て差支(さしつかへ)なく、決してアレが決鬪の一人(にん)かなどと世間の人より指さゝるゝ樣の事無之候(ことこれなくさふらふ)、貴下御立(おたち)の後は交際社會も何と無く物淋(ものさびし)く友人一同貴下の御歸(おかへり)の節を樂みて相待居候(あひまちをりさふらふ)頓首。[#「」」欠字か]
とあり。
余は先づ此手紙を卷きて納め次に小包の封を切るに、成程那稻の手紙なり、那稻が常に用ふる香氣入りの紙にして余が鼻には胸惡き感じあり、手紙の一端少しく血に染(そ)みたる痕あるは是れ余の射貫(いぬき)し魏堂が胸の血にや有らん、平生(へいぜい)なら手を觸るゝも厭はしき所なれど、此手紙と同じく那稻が身體の血に染むも遠きにあらじと余は眼に復讐者の笑を光らせ、先づ其手紙の月日を揃へ見るに那稻よりは一日置(じつおき)に音づれし物にして中には丁度余と夫婦の約束せし其夜(そのよ)に認めたる者も有り、余は順を追ひて讀行くに孰れも戀人と戀人の仲に取遣(とりやり)する文句にして他人には何の味だに無き程なれど、兔に角も愛情は充分籠り、男の心を蕩(とろ)かす如き文字(もんじ)も多く、殊に余に約束せし夜(よ)に認たる一通の如きは、魏堂を天にも地にも代難(かへがた)き男の樣に記し、魏堂の爲には命も入(い)らずと決心せし女かと疑はる、魏堂が是等の手紙を見て、己の留守に伯爵笹田が孜々(しゝ)として復讐の網を張居(はりゐ)たりと心附かぬは尤もと云ふ可し、之にて思ふも余が曾(かつ)て那稻に欺かれたること全く此通りにして、那稻は確に一時(じ)に幾人の所天を隱し、互ひに疑はざらしめじと云ふ往古の惡婦にも猶優(なほまさ)る計(たくみ)を備へて生れし者なり、察するに彼れ萬一魏堂が疑ひの心を起し、我身に何も彼も與ふると云ふ遺言の文句を書替る樣な事ありては一大事と見、殊に勉めて彼れの心を醉(よは)せたる者なるべし、那稻が愛と云ふも僞り、僞りと云ふも亦た僞り、彼れは唯だ貪慾と云ふ恐しき慾心の外に愛も情(なさけ)も無き女なり、愛と云ひ情(じやう)と云ひ其他一切の振舞は總て慾より出(いづ)る僞りにして、彼れの全身に誠の部分は唯だ貪慾の部分のみなり、余は斯く思ひつ、猶ほ讀みて末に至るに又一入(ひとしほ)余を驚かしむる一通あり、左の如し、讀者讀め!
七六
余が驚きたる一通と云ふは「魏堂よ、御身は何故に屡々(しば/\)婚禮の事を迫り來(きた)るや」と書出(かきだし)あり、是にて見れば魏堂め己れが伯父の身代を嗣(つ)ぎ俄分限(にわかぶんげん)と爲りたるを幸ひに至急那稻と婚禮する積にて其事を迫り來(きた)りしを那稻が旨く返事する者と見えたり、那稻一方には余と婚禮の約束ありて又一方より魏堂に迫らる、如何なる旨き口前にて此難所を切拔るにや、余は讀まぬ先より斯く思ひて呆れながら見下(みおろ)すに、「魏堂よ、眞の愛と眞の情(なさけ)は他人に知せるさへ惜(をし)き者なり、他人の知らぬ所に隱し、唯だ二人にて盡し合ふが御身と妾との情(じやう)に非ずや見よ妾が所天波漂の生存(いきながら)へ居たる頃、御身と妾は愛情を隱しながら如何ほどに樂かりし、實に御身と妾とは世間に類無き程の愛に非ずや、之に婚禮と云ふ儀式を添へ夫婦と云へる名を附くれば世間一般の味も無く趣きも無き愛となるのみ、人目を忍べばこそ愛情は神聖なれ、隔つる關(せき)の有ればこそ思ふ心の募(つの)るなれ、所天と云ひ妻と云ふは婚禮の儀式にて出來る者、情人(じやうじん)と云ひ情婦と云ふは心と心との約束にて、如何なる儀式にても作り得ず、所天を得(う)るは易く情人を得るは難(かた)し、所天は世に有觸(ありふ)れたもの、情人は又と無きもの、妾若し眞實に御身を愛せずば直ちに婚禮して所天とせん、去れど妾が愛は世間の妻が所天に對する最淺(いとあさ)き愛に非ず、夫婦の間に有得(ありえ)ざる深き愛なり、妾は何時までも此深き愛をば深き儘に守り度し、一旦婚禮の儀式を濟せば、深き情夫と情婦の愛は淺き夫婦の愛と爲る、妾は御身を高き情夫の位置より引落(ひきおろ)し低き所天の位置に降(くだ)すに忍びず、婚禮の爲め魏堂と云ふ所天を得るも魏堂と云ふ情夫を失ふは妾の實に忍びざる所なり、御身も亦那稻と云ふ妻を得て其代りに那稻と云ふ情婦を失ふは最惜(いとをし)き次第ならずや、魏堂よ魏堂、御身は何時までも妾の情夫なり、味の無き所天とするは勿體なし、妾は何時までも御身の情婦なり、妻などと云ふ愛想の盡易き者と爲るは互(たがひ)に大事の愛情を傷(きずつ)くるものに非ずや、魏堂よ、妾は何時までも波漂が生き居し時の通り御身を情人として隱し置き度し、大事の品は容易に他人に見せしむ可からず、御身は妾の命よりも大事なり、人にも世間にも知しては大事の愛を偸(ぬす)まるゝ心地するなり、又と無き情婦の極樂世界を御身は何故に夫婦の俗世界とは爲さんとするや、御身が婚禮せよと云ふは愛情の綱を切りて法律の綱にて結ばんと云ふなり、樂みを苦みとせんと云ふなり、御身の妻とせらるゝは御身の愛を消さるゝなり、御身に捨らるゝなり、又御身を捨るなり、御身は何時までも妾の情夫たれ所天たる勿(なか)れ、樂しき情(じやう)の世界より妾を辛き法律の世界に投込む勿れ、情夫は生涯の樂み妻は生涯の荷物。魏堂よ婚禮は情婦を縛りて荷物と爲す者なり、荷物とし荷物とせられて何の樂しき事あるや、最愛の情夫よ、再び婚禮など云ふ俗世界の俗儀式に戀々(れん/\)する勿れ。」
余は之を讀終りて那稻が筆の能く廻るより猶ほ其計(そのたくみ)の行屆けるに驚きたり、那稻は余と婚禮する後までも猶ほ魏堂を情夫として蓄へ置かん心なり、波漂を欺きしと同樣に彼れ魏堂を欺きながら猶ほ同樣に余を欺かんとする者なり、如何ほどの惡人たりとも斯くまで微妙なる工夫を廻(めぐ)らし、斯く大膽に斯く手際に、唯己れ一人(にん)の力にて計(はから)ひし者は古來あらじ。
一方に又其後那稻が余に寄せたる手紙如何(いかん)と見れば魏堂に送りし者よりも又一入の情を込めて波漂に死なれ兒に死なれてよりは如何(いか)ほど淋しかりしやを説き、名譽正しき所天を持つ其身の幸ひより夫婦の樂みを説き、操(みさを)を説き、道徳を説き、石をも動すかと疑はるゝ程に筆を廻せり、若し那稻の今までの振舞を知らずして斯る手紙を見れば誰れか那稻を當世第一の賢夫人と思(おもは)ざらんや、余は唯だ今更の如くに呆れ、殆ど氣持の惡(あし)きを覺えたれば「好し、是等の手紙が凡(すべ)て其身を責(せむ)る復讐の武器になるゾ」と打呟き、元の如くに疊み收め我宿(わがやど)に歸り來れり。
田舍住居(ずまひ)の氣樂さは、門に推開く戸とても無く、案内の鈴(べる)を推鳴す必要は猶更無ければ、突(つ)と入(い)りて庭の方へと歩み行くに娘李羅の立てる傍に余の從者瓶藏が、肉袗(しやつ)の袖口を肩の邊(あたり)まで捲(まく)り上げて、手頃の斧を上(あげ)つ下(おろ)しつ、乾(ほし)たる薪を割れるを見る、其樣宛も李羅の爲には如何なる勞も厭はずと云ふが如く李羅は又瓶藏の働き振(ぶり)に滿足し、其勞を助けんとて、傍(かたはら)より笑顏を以て勵ませる者に似たり、余は二人を驚かす要(えう)も無ければ足音を控へて其所に立(たち)し儘、猶も無邪氣なる兩人の振舞を眺め居たり。
七七
瓶藏と李羅の樣子、實に一對の好夫婦なり、今は戲事(まゝごと)に均(ひと)しけれど早晩(いつ)かは戲事の眞事(まこと)と爲る時節(じせつ)無からんや、アヽ瓶藏は[#「瓶藏は」は底本では「瓶造は」]主人の余よりも遙に仕合せ者なり、彼れが最と輕々と斧を上下する樣、何う見ても生れ附き斯る業(わざ)に適する如くにして今まで流行社會に立交(たちまじ)る紳士の從者とは思はれず、爲す事總て天然自然にして少しの無理も少しの苦痛も見えず、況(ま)して傍(かたへ)より李羅の之を勵すあり、彼れ心に如何ほどか樂しき事ぞや。
余は我を忘れし如く茫然として見遣ながらも心に樣々の思ひを描きぬ、アヽ余は既に情も無く欲も無き世捨人、否(いな)世に捨られし人、唯だ復讐の念の外は何事も知らずとは云へ、現在我が目の前の他人の斯も樂しげなる有樣を見て個(こ)を妨ぐるの無情を爲すに忍びんや、李羅は孝行者瓶藏の如き者を所天に持たば生涯の幸(さいはひ)なる可く、瓶藏又此上無き正直者なり、李羅の所天となるに耻ぢず、余は恐しき復讐を企(くはだ)つる我身の罪を亡(ほろぼ)す爲め迫(せめ)ては二人の縁を結び、二人の幸福を全うせん、然し余が逗留の一週間は早や大方經(た)ち盡し明日(あす)か明後日は此土地を去る定めなるも、今去るは二人の幸福を破るなり、歸(かへり)たりとて那稻に對する大復讐を行ふ迄には猶ほ幾許(いくばく)の月日あれば急ぐには及ばぬ事、寧ろ此の土地の逗留を引延ばし此の戲事の熟して眞事と爲る其端緒(いとぐち)の出來るまで留(とゞ)まらん、然り男女(なんによ)二人を苦むる代りに又一方に男女二人の幸福を作る、是余が最後の仕事なり。斯く思ふうち李羅は樂げに打笑へり。何事を笑ふにやと見れば、瓶藏の手より斧を取り自ら瓶藏の割(わり)し通りに其薪を割(わら)んとするは瓶藏に汗を拭く暇を與へんとの心ならんか、瓶藏が額の邊(へん)を一拭(ぬぐひ)する時しも家の内より「李羅よ、李羅よ」と呼立(よびたつ)るは母の聲なり、李羅は應じて急(いそが)しく瓶藏に斧を戻し、ニツと綻ぶ笑顏を殘して其儘に走り去れば、瓶藏の[#「瓶藏の」は底本では「瓶造の」]斧の調子何と無く狂ひて見ゆるは余の僻目(ひがめ)か。
頓て余が徐々(しづ/\)と瓶藏の邊(ほとり)まで歩み行くに瓶藏は斧を置き、何とやら極り惡げに立直りぬ。
「オヽ其方は從者の役より斯樣(かやう)な仕事が好(すき)と見えるな」瓶藏少こし口籠りながら「イヱ、幼(ちひ)さい時から此樣な仕事を仕慣(しつけ)て居ますから――斧など持つと母の傍で戲事(いたづら)した子供の時など思ひ出します。」
「夫は尤もだ、人間の生涯に子供の時ほど樂しい時代は又と無いから、イヤ其方も早く斧を持つ樣な氣樂な生活に復り度いと思ふだらう。」
「でも貴方のお傍を立去らうとは思ひません。」
「ナニ己(おれ)の傍に何時までも居ると云ふ事は出來ぬ。」
「ヱヱ。」
「イヤサ、己の傍を離れても好いじや無いか、李羅と婚禮さへすれば」と半ば戲談(じやうだん)の如く半ば眞面目の如くに云へば瓶藏は顏を赤くし、殆ど眞劍の想ひを現し「婚禮、其樣な事が出來ますものか、李羅は未だ子供ですもの」と云ふ其裏は早く成長せよかしと祈るなるべし。
「イヤ今は子供でも、追(おつ)ては立派な娘と爲り母ともなる、其方が一緒に薪を割て見せる中には」瓶藏は「イヤ何うも」と云ひ面目無げに頭を掻くにぞ、余は一入聲を和(やはら)げ「イヤサ瓶藏、成る程李羅は其方の云ふ通り美しい、夫に又極めて清淨な心を持て居る、兎角世間の美しい女には清淨な心が少いもので、之に出會(でくわ)す男は生涯の幸ひと云ふもの、其方は何處までも李羅の清淨な心を尊(たつと)ばねばならぬ、他(あ)れならば誰の妻にも不足は無い、李羅を天よりの使(つかひ)と思ひ、其方の生涯を李羅の差圖に儘(まか)せて置けば其方も何不足なく世が送られると云ふ者だ」瓶藏は唯だ益々其顏を赤くするのみ。
「瓶藏、實は明日(あす)か明後日か此土地を立つ積りで有たが、今朝寧府から來た手紙の都合に由(よ)り逗留を延す事に成つたから其方も其積(そのつも)りで居ろ」瓶藏は余の心を覺(さと)りしや否。余も夫までは見拔き得ざれど永く此所(こゝ)に立ちては益々彼れに極りの惡きのみなりと思へば「ソレ天氣も曇(くもつ)て來た、折角割掛けた者なら、降(ふつ)て來ぬ中に割て仕舞て遣れ」と言捨て余は我が室へと立歸りぬ。
是より余は一月ほど此土地に留(とゞま)りしが其内に李羅は大(おほい)に余に慣れて、宛も飼馴れし駒鳥(こまどり)が其主人に慣染(なじ)む如き調子と爲りたれば、余は遠慮なく色々の事を聞(きゝ)もし言聞(いひきか)せもするに余が豫言は空(むなし)からず、李羅が瓶藏に對する樣子、何時の間にか變り來(きた)り、復(ま)た今までの唯一通(ただひととほ)りの友達には非ず、何とやら恥しげなる素振(そぶり)も見え、眞實に瓶藏の事を我事(わがこと)の如く打氣遣ふ樣子も見え、瓶藏が近附き來(きた)る度に其頬に紅(くれなゐ)の潮(てう)するを見るまでに至れり、讀者よ東天の紅なるは日の出の近きを知る可し、少女の紅(あか)らむは愛の兆すの遠からぬを卜(ぼく)し得(う)るに非ずや。
七八
斯くて凡そ廿日程を經(へ)、余は李羅の心の益々瓶藏に[#「瓶藏に」は底本では「瓶造に」]傾くを見たれば、最早や好(よ)き時分と思ひ李羅の母を呼寄(よびよ)するに、母は客待遇(きやくあしらひ)の事に就(つ)き何か小言でも言はるゝかと氣遣ふ如く余が室に入來(いりきた)りしかば、余は先づ爾る小言に非ずとて充分安心させし上「阿母(おつか)さん、呼寄せたは外でも無い、お前の娘李羅の事だ」母は猶ほ氣遣しげに「ヱ、李羅が何か疎(そさう)でも」余は成(な)る丈(たけ)聲を和げて「イヤ其樣な事では無い、李羅も最う追々(おひ/\)年頃に近(ちかづ)く故、母となれば婚禮の事も心配して遣ねば成るまいが、お前は何か考へでも有るのかネ。」
娘に婚禮させる事、母に取りては喜しき問題なれど、母一人子一人にて育てし者を手放して他(た)に縁附(えんづけ)るかと思へば俄(にはか)に心細き思ひするも當然にや、母は憂ひの色を現し「ハイ私しとても時々爾う思はぬでも有りませんが、今まで育て上(あげ)た者が此家に居無くなるかと思へば。」
「オヽ心細いは尤もだが。」
「イヱ、私しには李羅の外に老先(おいさき)の樂みも有ませず、今でも宛(まる)で産立(うみたて)の赤兒(あかんぼ)の樣な氣が致します、追々年頃には成ましても私しの目から見れば本統の世間知らずで、之を家(うち)より外へ出すは痛々しい樣に思ひまして。」
「夫は尤も、孰(いづれ)の母も其樣に思ふけれど、當人の身に成れば爾でも無いのサ、併し婚禮すると云(いふ)ても強(あなが)ち母親の手許から離れると云ふ譯では無い、何うだお前の爲には我産(わがうん)だ息子も同樣、少しも氣の置けぬ者を婿夫(むこ)として此家(このうち)へ迎へては。」
「ハイ氣に叶ツても。」
「娘の氣に叶はねば、爾とも/\娘の氣にも叶ひ爾して當人が喜(よろこん)で此家(このや)の婿に成るならば。」
「ハイ其樣な者が有れば結構ですけれど、此方が好ければ先が惡く。」
「イヤ爾も限らぬよ、阿母(おまへ)さへ承知なら是非私(わし)が世話を仕度(したい)が。」
「ヱ、貴方樣が。」
「爾とも私(わし)が自分で仲人に成り世話して見たい婿が有る、と云ふは外でも無い、從者瓶藏の樣な者を」母の涙は中(うち)より笑を浮め「アノ瓶藏殿、ハイ那(あ)の人ならば氣立も好し、若いに似合はず私しにも親切ですが、イヱ彼(あ)の方は李羅を何とも思ひません、唯だ一心に貴方樣に仕へて居(をり)ますもの」と云ふ心は、先づ七分承知の意なれば余は早や、ホツと安心して「成る程、私(わし)に一心で仕へて居るが、決して李羅を何とも思はぬ譯では無い、唯だ其樣な素振を見せては阿母(おまへ)も立腹するだらうし李羅も驚くだらうと思ひ自分で謹んで居る丈の事、先づ阿母の目で夫と無く氣を附て見成さい、兩人(ふたり)とも心の中(うち)では充分思ひ思はれて居る事が分るから」と云ひ余は豫て李羅の婚資として與(あたふ)る積にて五千法(ふらん)の金を包み置(おき)しが其一封を取出(とりいだ)して「コレ、阿母(おつか)さんや、此中には五千法の切手が有るが、豫て私(わし)が親孝行な娘に遣度(やりた)いと思ひ別にして溜(ため)て置(おい)た、之を李羅の婚資として李羅に遣るから」と云ひ來(きた)れば母は聞き終らずして打驚き打叫ぶも無理ならず、余は語を繼ぎ「イヤサ之を受取れば是非とも李羅を瓶藏の妻とせねば成らぬ樣に思ふだらうが爾では無い、是は李羅が誰の妻に成るにしても其婚資にするが好い、ナニ其樣に禮を云ふ事は無いよ、是位の金は私の身には何でも無い、是で他人を喜せる事が出來れば私は何よりも歡(よろこば)しい、尤も婚資の有る娘には、唯だ其婚資だけ附狙ふ痴漢等(しれものら)が彼是れ云寄(いひよ)る事も有る者ゆゑ、是は婚禮の當日まで誰にも知さずお前の腹の中へ仕舞(しまつ)て置くが好い、夫だけで私は滿足するから」と云ふに、母の歡び譬(たと)ふるに物も無く、余が自ら我が手を引き去る暇も無き間に早くも余の手を把(と)りて接吻し、殆ど涙ながらの聲にて「戴いては濟ませんが、李羅の生涯の幸福(かうふく)ゆゑ、母の身として娘の幸福(しあはせ)を妨げる樣な事は出來ません、娘に代(かはり)て戴きます、貴方樣は神のお使(つかひ)です、本統に神樣です、李羅も私しも、死(しぬ)まで朝夕の祈りに必ず貴方の幸福(かうふく)を神へお願ひ申(まをし)ますから」余は徐(おもむ)ろに手を引きつ「イヤ、私(わし)の樣な者は仲々祈(いのつ)て貰ふ程の値打は無い、唯だ死だ人々の爲に其罪の滅(ほろぶ)る樣に祈るが好い」と云ふ、余は實に復讐を果して何時死ぬも分らぬ身なり、死したる後にて死人の爲め一片の謝罪(わび)を神に捧げて呉(く)るゝ人も有らば、余が後生も安らかなるを得んか、思へば余も自(おのづ)から涙の浮ぶを覺えたり。
是より數日を經(へ)、宛も余が此處へ來りて卅日目の事なりき、余は最早や李羅と瓶藏を暫し引分るが好き頃と思ひ、瓶藏を呼び「コレ瓶藏、分れは愛情の試驗者なりと云事(いふこと)が有る、其方(そのはう)も少しの間李羅と分れて居れば李羅の心にも、其方と分れて居れば何れほど逢度(あひた)い想(おもひ)がするか自(おのづ)から分るだらう、明朝此地を立つ事とするから其積(そのつもり)で用意しろ」と云ひ渡し、翌日愈々(いよ/\)此地を立ちたり。
立つに臨みて瓶藏は日頃と變る色を見せねど、李羅は何やら悲げに其眼を垂れたり、母は目の邊(ほとり)、口の邊に意味有げなる笑を余に向ひて發するは李羅瓶藏兩人の樣子、追々余が云し方角に向ひ行くを認ての事なる可し、余は此靜(しづか)なる山里も今此時が見收めかと思へば、心細く胸欝(むねふさ)がり、口數もきく能はず、唯だ李羅を見て我が孫にでも分るゝ如く輕く其首(かうべ)を撫で「阿母さんに能く仕へるのだよ」と云ふ、此一語が分れの言葉、其儘船に乘込みたり。
頓て寧府に歸着(かへりつ)けば暮(くれ)より新年に跨りてのカアニバル大祭の最中(さなか)にして、市中の人々は躍(おど)り興じ、職業を忘れしかと疑はるゝ程に騷ぎ居て、余が決鬪の噂などは曩(さき)にダベン侯爵の手紙に在りし通り全く消盡(きえつく)して口にする人も無し、余は幸ひと思ひ是よりして唯だ一意に余が大復讐否(い)な那稻と婚禮の準備に取掛りぬ。
七九
那稻に對する余が復讐の第一歩は先づ彼れと婚禮するに在り、同じ女、同じ男、アヽ那稻と余は法律の面(おもて)に於て立派に婚禮せし夫婦なるに、夫婦敵(かたき)同士の間と爲り、夫婦再び婚禮する、世に是ほど奇怪なる事やある。
今よりして此時の事を思ふも余は實に夢かと疑ふ、余は一切の情慾を壓潰(おしつぶ)し自ら機械同樣の人と爲り、悲しきに泣かず、嬉しきに笑はず、兼て巧(たくみ)に計(たく)みたる復讐の手續きを一歩/\に行ひ往(ゆ)くのみ。或時は我身自ら發狂せしには有らぬかと疑ふ事も有り、又或時は我身眞(しん)に活(い)き眞に斯く働けるに非ずして唯だ發狂の熱に浮され、孰れかの狂癲院(きやうてんゐん)の一室に有り、斯く活き斯く爲(な)せる如く我が狂心にて妄想しつつ有るには有らぬかと怪みたり、去れど狂人の心に浮ぶ妄想が斯(かく)も明(あきら)かに又斯くも辻褄合ひ、過去より未來に聯貫(れんくわん)する者に非ず、然り/\余は全く活(いき)て働けるに相違なし、今までの事孰れを見るも引續きたる波漂が身の上にして我身に合點行(ゆ)かぬ所は無し、今は唯だ復讐の機械と爲り、人間界を脱したる迄の事なり、爾(さ)は云へ我身自ら我心(わがこゝろ)を疑ふ、是れ或(あるひ)は發狂の間際まで推寄(おしよ)せし者にあらぬか、然り讀者余は、必ず發狂の際(さい)なる可し、此儘にて長く續かば遠からず發狂せん余は發狂せぬうちに此復讐を仕遂(しと)げずばある可からず。
斯(かく)思ひて余は那稻と婚禮の日取を早め二月の或日と定めたる上、之を一般へ披露したり、勿論余がアベリノより歸りし時那稻も既に尼寺より歸り、羅馬内家に在りたれば那稻にも相談し能く承知させての上なり。
この披露より二日目なりしが、余は其用意に奔走する途中にて圖(はか)らずも先の介添人ダベン侯爵に逢たれば、先づ爾來(じらい)の挨拶より禮一通りを述終(のべをは)るに侯爵は何やら腑に落ちぬ顏附にて「貴方は愈々婚禮成さると見えますな」斯く問ふは無理ならず、侯爵は彼の魏堂の衣嚢(かくし)より出(いで)たる手紙に由(よ)り、那稻と魏堂の間に愛情の成立居(なりたちゐ)たるを知り、余が婚禮を不爲(ふため)と思ひて餘所(よそ)ながら忠告せし程なれば或は余が思止(おもひとま)りしかと察せしが爲なる可し、日頃の余ならば侯爵に對し面目無き所なれど余は強(しひ)て笑顏を作り「勿論ですよ、既に披露した通りです」侯爵の顏は猶心配げに曇り來り「爾ですか私しは又。」
「成る程分りました、多分私しが婚禮の約束を取消すだらうと思たでせう、其心配は有難く受ますが、ナニ侯爵、今時の女に爾う無傷なのは有ません、婚姻前(ぜん)の傷まで探して夫に嫉妬(やきもち)を燒くと云ふは當世で有ません、以前に誰を愛したにもせよ此後(こののち)私しを愛して呉(く)れゝば夫で私しの妻と云ふもの、兔に角那稻夫人の綺倆(きりやう)は御存じの通り世界一ゆゑ、世界一の女と婚禮すれば夫で私しの本望です」と半ば冗談の如く言消(いひけ)すに、侯爵は餘程呆れし者と見え暫し其顏を三四寸も長くせしが、流石佛國第一の決鬪家又第一の交際家たる丈に忽ち思直せし如く呵々(から/\)と打笑ひて「貴方が爾う開(ひら)けて居(を)れば其上の幸ひは有ません、貴方はお心まで餘ほど若返り成さつたネ」と云ひ猶ほ二三の雜話(ざつわ)を試みて分れ去れり。
後にも先にも余が此婚禮を心配氣に想ひしは唯だ侯爵一人(にん)なり、其他の人は知ると知らぬに論なく、余を世界第一等の幸福家の樣に褒(ほめ)そやし、寄ると障(さは)るとの噂にて、寧府(ねいぷる)全市(ぜんし)の人々、宛も自分で妻でも迎ふるかの如く浮立(うきたち)しは、余を非常なる金滿家と思ひ、此婚禮の爲には七濱(なゝはま)潤(うるほ)ふ程に想像する爲なるべし、勿論余に於ても是れが實に一世一代、晴れの婚禮、否(いな)實に晴れの復讐なれば、積(つみ)に積み集めたる海賊輕目郎練(かるめろねり)の、大身代(だいしんだい)を此(この)一擧(きよ)にて捲盡(まきつく)すほどの覺悟なり斯く思ひて益々萬端の仕度を急げば余が最初の妻、最後の妻、二重に重なる罪惡の那稻夫人も、急げば急ぐほど己れの壽命を切縮(きりちゞめ)る事とも知らず、余に負けぬほど準備を急ぎたり。
固(もと)より那稻は唯だ慾心の塊りなれば、金滿無双と噂さるゝ余と婚禮を舉(あ)ぐると此上無き愉快なる可し、殊に昨年(さくねん)の秋以來、寧府全市の娘達、娘を持てる親々達(おや/\たち)、我れ先に此の白髮(はくはつ)老人を擒(とりこ)にせんと言はず語らず競ひて網を張居(はりい)たる事なれば、其競爭に打勝ちし那稻の心持、財嚢(ざいのう)の賞を得し競馬の持主より猶ほ喜ばしき事なる可し、彼は今まで纏ひ居し黒き喪服を脱捨(ぬぎすて)て、粧(よそ)はねども美くしき其姿に粧(よそほひ)を凝(こら)し、毎日仕立屋を呼寄せて余波漂の遺したる大身代(おほしんだい)と魏堂の伯父より悖(さか)つて入(い)りし其財産を傾くるにも懸念せず、余が紳士社會より祝せらるゝと同じく彼れは貴婦人令孃社會より今は羨まれ嫉まれて、寄ると障ると譏(そし)らるゝ種と爲れども夫すら耳に入(い)らざれば厭ふ所なし、斯も自ら復讐の壺に入(い)るを急ぐかと思へば、余が發狂の期限も殆ど延(のび)る如き心地せらる。
八〇
余と那稻の婚禮は愈々サン、ゼネロの寺に於て行ふ事と定まりぬ、最初の婚禮も此寺とす、人も變らず場所までも同じけれど心の裏は恐しき相違なり、彼(か)の時は唯だ嬉しさの滿々(みち/\)て見る物聞く物凡(すべ)て余の新婚を祝するかと思はれしも、今は是れ恨みの一念、鐘樓(しようろう)に鳴る鐘の音(ね)まで那稻が罪を鳴(なら)す聲かと疑る。
那稻とても幾分は心も穩かならぬ所あると見え、婚禮の日の追々近くなるに連れ其樣子何と無く變り來れり、今までは波漂の喪服を着けながらも唯だ余の機嫌を取るのみにて笑(わらひ)の聲は彼れの口に絶えず、喜びの色は彼れの顏に絶(たえ)ざりしに、此頃は彼れ時々に打欝(うちふさ)ぎて見ゆる事があり、余が振向(ふりむけ)ば周章(あわて)て笑顏に復るとは云へ、世に云ふ蟲の知らせにて己(おの)が此先の運命の慘憺として最暗(いとくら)き所あると神經に感ずると見ゆ、殊に他(か)れ時々は余が傍向(わきむ)ける横顏を見詰めて最と怪げに其の眼(まなこ)を見張れる事さへ有るは、愈々以て余と波漂と面指(おもざし)の似たるを思ひ、是も亦我が神經の迷ひにやと自ら咎むる者と知らる。
今と爲りては如何ほどに咎むるとも余に咽首(のどくび)を握らるゝも同樣にて婚姻を取消さんにも消す可からず、逃(のが)るゝにも其道なし、余は宛も足の下に踏附(ふみつけ)たる毒蟲を苦むる如く、徐ろ/\と彼れを窘(くるし)む、是れ何の樂み無き余が身に取り切(せめ)てもの思遣(おもひや)りなり、彼れ婚禮の前に於て余を眞の波漂なりと悟らば悟れ、否々彼れ悟る筈は無し、唯だ己が身の神經を疑ふのみなり。
勿論余は那稻の家に出入(でい)りすると我家に出入(でい)ると同樣にして案内も請はず自由自在に那稻の室にも入(い)れば、波漂たりし頃の書齋にも入(い)り、總て其仕打に於ては昔し此家(このや)の主人たりし時に異なる無し、許婚の所天としては我儘過る特權(とくけん)なれども、家を奪はれ猶一生を奪はれたる大の被害者とし此家の先祖代々の主人としては少しも特權に非ず我儘に非ず、我家を他人の家と爲し出入(でいり)を咎められぬを幸ひとする、斯も頼無(たよりな)き生涯が又と此世に在る可きや。
若し老僕の皺薦なりと達者ならば彼れ猶ほ疑ひ深くして絶えず余に目を注(そゝ)ぐ可きも、彼れは先の夜荒荒しく魏堂に投附(なげつけ)られてより腰の骨を挫(くぢ)きしとやらにて打臥(うちふせ)し儘起(おき)も得せず、殊に取る年も年なれば身體(しんたい)益々衰へて余の乳婆(うば)たりし老女お朝に介抱せられ、纔(わづか)に蟲の息を保つのみ。此家(このいへ)に在りても何の益(やく)にも立(たゝ)ざれば既に那稻より其の親戚を呼び引取方(ひきとりかた)を命ぜしと見え、或時那稻は余に向ひ「アノ樣な者を置たとて何の益に立ませう」と云へり、嗚呼(あゝ)廿年來羅馬内家に仕へ、忠義に於て一點の欠(かく)る所無き老僕をば僅(わづか)に一月か二月か病臥(やみふ)せし爲め、家の片隅に寢かしめ置くすら成らずとして其癒えぬ間に追出(おひいだ)す、是を人情と云ふ可きか、尤も那稻が今までの仕打(しうち)に照せば怪むに足らぬゆゑ、余は腹の中にて怒りながら何事も云はずに止(や)みたり、那稻が無情(つれな)く彼れを捨つれば余に於て亦彼れを救ふの道あればなり。
是よりも猶余が心に深く浸(し)みしは此翌日余が那稻の許を尋ねし折(をり)、庭の横手に黒き一物(もつ)の横(よこた)はるを見たれば余は寄行(よりゆ)きて篤(とく)と見るに、是なん余が愛犬のイビスなり、彼れ何者にか射殺(いころ)されし者と見え、胸の只中に彈丸(たま)の傷あり、傷より出(い)でし血の痕は其の前足に傳はりて今も猶ほ鮮かなるにぞ、若(もし)や命の有る事かと其の首に手を掛けて搖動(ゆりうごか)すに、早や少しの温度も無く全(まつ)たく縡切(ことぎ)れし後の祭りなり。何人が何の爲めに射殺(いころ)せしや、實に腹立たしき限りなれば、那稻に事由(ことわけ)を聞(きか)んものと其處(そこ)より立上るに、一方の樹の影に園丁の働けるを見たれば、余は之を呼び「此犬は何うして死だ」と問ふに、
「ハイ今朝(こんてう)夫人の言附(いひつけ)で私し共が射殺(いころし)ました」扨は那稻が射殺させしか。
「ナンか惡い事でも仕たと見えるな、夫にしても可哀想な、ドレ貴樣に是を遣るから此死骸をアノ樹の許に丁寧に葬つて遣れ」と云ひ、五法(ふらん)の銀貨を與へて余が兼てより愛したる松の木の方(かた)を指さすに、園丁は褒美の金の多きに驚き「ハイ私しも夫人の仰(おほせ)で射殺た者の餘り可哀想ですから埋(うづ)めて遣うと思て居ました」と云ひつゝ銀貨を押戴(おしいたゞ)き衣嚢に納め、早や其の死骸を彼方(かなた)へと引去りたり。
余は直ちに家に入(い)り、那稻に逢ふより何氣なく「イビスを射殺させた相ですネ」と問ふに那稻はビクリと身振(みぶるひ)せしが、頓て悲げなる聲を作り「アレも波漂の飼犬ですから大事に活(いか)して置度(おきた)いと思ひましたが、活しては置(おか)れませぬ、是を御覽成(なさ)ツて下さい」と云ひ細き手先を示すにぞ、何の意にやと怪み見れば、獸の爪にて引抓(ひつかき)しと云ふ如き幾筋の傷ありて白き肌(はだえ)に青赤き痕を殘せり。
「オヤ此傷は。」
「サア那(あ)のイビスが附たのです、昨日私しが彼れを繋(つない)で有る箱の前を通りますと彼れ何の謂(いは)れも無く私しへ飛附(とびつき)ました、鎖が今一尺長ければ私しの喉へ噛附く所でしたが鎖の短い爲め是だけで濟だのです。」
扨は彼れ畜類の本能にて那稻が主人の仇敵(かたき)なるを感じ知り、噛殺さんと爲したるか、犬に忠あり義ありとは豫て聞く所なれど是程とは思はざりき、余は深く感じ入り、嗚呼イビスは犬にして人に優(まさ)り、那稻は人にして犬に劣ると口の中にて呟きながら更に「夫は實に大變でしたネ」「イエ私し一人なら我慢もしますが若し貴方にでも怪我させてはと思ひ夫故(それゆゑ)に」止(やむ)を得ず殺させしか、旨くも言繕(いひつくら)ふ者なる哉「イエ私しには何(ど)の犬も噛附きません、先日の彼れの仕打で分つて居(を)ります」と殆ど口まで出(いで)たれど、其儘云はずに控へて止みたり。
八一
余が復讐、否、余が婚禮の益々近づきたる時も、猶ほカアニバルの大祭は終らずして、寧府の市民引續きて戸外に躍り興じ、日々何(ど)の町も、極樂園(ごくらくゑん)になりしかと疑はるゝ許(ばか)りなるも、唯だ余波漂のみは衆(しう)と共に躍り興ずる心勿論無く、以前の如く交際場裡に出で行(ゆ)くも亦懶(ものう)し、去(され)ばとて婚禮の仕度は彌(いや)が上にも整ひ盡して一身何の用事も無く、唯だ婚禮の日、復讐の時、早く來(きた)れかしと祈るのみにて、待遠(まちどほ)きことと云ふ許り無く、殆ど我身の置所(おきどころ)にも困る程と爲りたれば、一日二日は書見(しよけん)などして暮せしも、二度と此世に用の無き身が書を讀みたりとて何の益か有らん、寢つ起(おき)つも今は飽(あき)はて、果(はて)は全く爲す事無く一日(じつ)の消し樣に考(かんがへ)あぐむ迄に至りしかば、最早や百計茲に盡きて、詮方なくも宿を踏出し諸人の面白氣なる樣を見向もせず、唯一人足の向ふが儘、目當も無く歩み去りたり、行(ゆ)き着く先は知らず是れ孰れの地ぞ。
人は何事も氣に連れる者、心の陽氣なる時は知らず/\陽氣なる地に向ひ、又陰氣なる時は求めずして陰氣の所に到る、余が到りしは陰氣も陰氣、余が曾(かつ)て死し曾て葬られし墓窖の邊(ほとり)なり、先に余と決鬪して死したる僞り者魏堂めの墓も此邊(このへん)に在り、余が身に取りては此邊(このあた)り唯だ何と無く我が故郷なるやに思はる。世間の人皆余を捨盡(すてつく)したる今と爲りても地獄ばかりは猶ほ余を捨てぬと見ゆ。
余は墓の邊(へん)を徘徊して、樣々の事を思ひ出し、唯だ暫しが間、日の永きを忘れ得たれば翌日も行き翌翌日も亦行けり。余が身の置所は地獄の隣より無き事にや、兔に角余の外に人無き場所とて泣くも笑ふも妨(さまたげ)らるゝ恐れ無く、笹田折葉の皮被る窮窟(きうくつ)も無(なけ)れば、猶ほ此上に墓窖の中までも入込(いりこ)み度しと思ふ如き氣のするは、實に何所(どこ)まで、心の陰氣になる者か、我身ながら怪しく思へり。
去れば最後に此處(こゝ)に到りし日の余は此墓窖の戸を開く可き鍵を探して持行きたり、此鍵は豫て羅馬内家に備へある者にして余の書齋に在りたるを余祕(ひそか)に探し出(いだ)したるなり、余は羅馬内家の主人として其家の鍵を持去るに何の不思議やある、爾(さ)は云へ余は此鍵を以て、敢(あへ)て墓窖の戸を開き、敢て其中に入(いら)んとせず、唯だ遠からず我手にて其戸を開かねばならぬ時の來(きた)る可きを思へば、鍵穴に其鍵を差込み、自由に其戸の開く事を試し見て胸の中に安心するのみ、幾度(いくたび)か差込み幾度か捻廻(ねぢまは)し、鍵穴の錆も取れ、輾(きし)らずに最と滑(なめ)らかに廻る樣を見、是ならば何時(なんどき)にても入行(いりゆ)かるゝと滿足すること限り無し、是れ勿論余の痴情(ちじやう)に非ず深き仔細の有る事と後に到りて思ひ知る可し。尤も此鍵あらずとも余一人は彼の海賊の拔け穴より出入(でいり)する事難(かた)からず、今は余が拔出(ぬけいで)し頃より草木尚茂りて其穴全く見えざれど、余の心には能く分れり、塞ぐも開くも隨意なれど個は余が祕密の穴、他人を出入させ又は他人と共に出入するには此鍵にて表口よりせざる可からず。
余は鍵穴の錆全く去りしに安心し此所(このところ)を立去りつ、歩み/\て波止場に至れり、個は少し目的の有る事にて、實は余が復讐の後の處分に付き自ら決(けつ)し兼(かね)る所の有ればなり、右(と)せんか左(かく)せんか、先づ波止場へ行(ゆき)ての上に思案にせんと、既にして到り見れば、茲もカアニバルの祭に浮され、餘多(あまた)の船頭水夫など、茲に一群(ひとむれ)、彼所(かしこ)に二群(ふたむれ)、或は謠(うた)ひ或は躍り、最(いと)樂しげに興じ居るにぞ、暫く彼方此方(かなたこなた)を見廻すのみなるに、漸く目に留(とま)る一人(にん)は躍りも餘り面白からずと思ふ如く群の外に出(いで)て、卷煙草吸ひながら海の方(かた)を詠(なが)め居る船長あり。
斯(かゝ)る眞面目の人こそ余が相談の相手なれト余は寄行きて其顏を見るに、天の助けとも云ふ可きか此人滿更の他人に非ず、余が曾て波漂の姿を變へ笹田折葉になるが爲めパレルモに航海せし其時の船長なり、海賊輕目郎練を逃したる話(はなし)せしも此人とし、余を珊瑚漁の漁夫(ぎよふ)に非ず必ず由緖(ゆかり)ある紳士ならんと見破りしも此人とす、船長羅浦(らうら)と名乘(なのり)たる其名前さへ猶余が耳に在れば余は近(ちかづ)きて呼掛(よびかく)るに、彼れ驚きて暫し余の顏を怪み見るのみなりしも、頓て心附(こゝろづき)し者の如く「オヽ笹田伯爵ですか」とて余を呼返し、其後余が當地にて極めて贅澤に暮せる事より、近々(きん/\)婚禮する事までも噂に聞き一たび尋ねんと思ひ居しなど語るに由(よ)り、余は此上無き幸ひと思ひ四方八方(よもやま)の話せし末、少し相談したき事も有ればと云ひ、其手を引きて更に人無き靜なる場所へと連行(つれゆ)きたり、余が相談とは如何(いかゞ)の事ぞ?
八二
余は四邊(あたり)に人無きを見濟し、船長羅浦に打向ひ「君は猶ほ輕目郎練の事を忘れまいね」と問ふに羅浦は熱心に余の顏を見「何うして忘れませう、可哀相に彼れ先日到頭死刑に成たと云ひますが、彼れが地中海に見え無(なく)なつてからは我々船頭も詰(つま)りません、少しも面白い儲仕事(まうけしごと)が無いのですから。」
「では今でも彼れがお前の船に載せ他國へ逃がして呉れと云へば、お前は逃してやるだらうネ。」
「夫は逃して遣(やり)ますとも、無賃でゝも逃がして遣ります。私しの船は丁度先日修覆(しうふく)して塗替(ぬりかへ)たばかりですから」と云ふ、是は弱きを助けんとする一片の義氣なれば余は少し安心して「實はお前の船で近々(きん/\)他國へ送て貰ひ度い人が有るが、何うだらうお前引請(ひきうけ)て送て遣(やつ)ては呉れまいか、船賃は輕目郎練の拂つたより猶多く拂つて遣るが」船長は少(すこし)く眉を顰(ひそ)め「夫は公然と送るのですか、極祕密に送るのですか。」
「極祕密に送るのサ」羅浦は忽ち頭(かうべ)なる可く、瓶藏又此上無き正直者なり、李羅の所天となるに耻ぢず、余は恐しき復讐を企(くはだ)つる我身の罪を亡(ほろぼ)す爲め迫(せめ)ては二人の縁を結び、二人の幸福を全うせん、然し余が逗留の一週間は早や大方經(た)ち盡し明日(あす)か明後日は此土地を去る定めなるも、今去るは二人の幸福を破るなり、歸(かへり)たりとて那稻に對する大復讐を行ふ迄には猶ほ幾許(いくばく)の月日あれば急ぐには及ばぬ事、寧ろ此の土地の逗留を引延ばし此の戲事の熟して眞事と爲る其端緒(いとぐち)の出來るまで留(とゞ)まらん、然り男女(なんによ)二人を苦むる代りに又一方に男女二人の幸福を作る、是余が最後の仕事なり。斯く思ふうち李羅は樂げに打笑へり。何事を笑ふにやと見れば、瓶藏の手より斧を取り自ら瓶藏の割(わり)し通りに其薪を割(わら)んとするは瓶藏に汗を拭く暇を與へんとの心ならんか、瓶藏が額の邊(へん)を一拭(ぬぐひ)する時しも家の内より「李羅よ、李羅よ」と呼立(よびたつ)るは母の聲なり、李羅は應じて急(いそが)しく瓶藏に斧を戻し、ニツと綻ぶ笑顏を殘して其儘に走り去れば、瓶藏の[#「瓶藏の」は底本では「瓶造の」]斧の調子何と無く狂ひて見ゆるは余の僻目(ひがめ)か。
頓て余が徐々(しづ/\)と瓶藏の邊(ほとり)まで歩み行くに瓶藏は斧を置き、何とやら極り惡げに立直りぬ。
「オヽ其方は從者の役より斯樣(かやう)な仕事が好(すき)と見えるな」瓶藏少こし口籠りながら「イヱ、幼(ちひ)さい時から此樣な仕事を仕慣(しつけ)て居ますから――斧など持つと母の傍で戲事(いたづら)した子供の時など思ひ出します。」
「夫は尤もだ、人間の生涯に子供の時ほど樂しい時代は又と無いから、イヤ其方も早く斧を持つ樣な氣樂な生活に復り度いと思ふだらう。」
「でも貴方のお傍を立去らうとは思ひません。」
「ナニ己(おれ)の傍に何時までも居ると云ふ事は出來ぬ。」
「ヱヱ。」
「イヤサ、己の傍を離れても好いじや無いか、李羅と婚禮さへすれば」と半ば戲談(じやうだん)の如く半ば眞面目の如くに云へば瓶藏は顏を赤くし、殆ど眞劍の想ひを現し「婚禮、其樣な事が出來ますものか、李羅は未だ子供ですもの」と云ふ其裏は早く成長せよかしと祈るなるべし。
「イヤ今は子供でも、追(おつ)ては立派な娘と爲り母ともなる、其方が一緒に薪を割て見せる中には」瓶藏は「イヤ何うも」と云ひ面目無げに頭を掻くにぞ、余は一入聲を和(やはら)げ「イヤサ瓶藏、成る程李羅は其方の云ふ通り美しい、夫に又極めて清淨な心を持て居る、兎角世間の美しい女には清淨な心が少いもので、之に出會(でくわ)す男は生涯の幸ひと云ふもの、其方は何處までも李羅の清淨な心を尊(たつと)ばねばならぬ、他(あ)れならば誰の妻にも不足は無い、李羅を天よりの使(つかひ)と思ひ、其方の生涯を李羅の差圖に儘(まか)せて置けば其方も何不足なく世が送られると云ふ者だ」瓶藏は唯だ益々其顏を赤くするのみ。
「瓶藏、實は明日(あす)か明後日か此土地を立つ積りで有たが、今朝寧府から來た手紙の都合に由(よ)り逗留を延す事に成つたから其方も其積(そのつも)りで居ろ」瓶藏は余の心を覺(さと)りしや否。余も夫までは見拔き得ざれど永く此所(こゝ)に立ちては益々彼れに極りの惡きのみなりと思へば「ソレ天氣も曇(くもつ)て來た、折角割掛けた者なら、降(ふつ)て來ぬ中に割て仕舞て遣れ」と言捨て余は我が室へと立歸りぬ。
是より余は一月ほど此土地に留(とゞま)りしが其内に李羅は大(おほい)に余に慣れて、宛も飼馴れし駒鳥(こまどり)が其主人に慣染(なじ)む如き調子と爲りたれば、余は遠慮なく色々の事を聞(きゝ)もし言聞(いひきか)せもするに余が豫言は空(むなし)からず、李羅が瓶藏に對する樣子、何時の間にか變り來(きた)り、復(ま)た今までの唯一通(ただひととほ)りの友達には非ず、何とやら恥しげなる素振(そぶり)も見え、眞實に瓶藏の事を我事(わがこと)の如く打氣遣ふ樣子も見え、瓶藏が近附き來(きた)る度に其頬に紅(くれなゐ)の潮(てう)するを見るまでに至れり、讀者よ東天の紅なるは日の出の近きを知る可し、少女の紅(あか)らむは愛の兆すの遠からぬを卜(ぼく)し得(う)るに非ずや。
七八
斯くて凡そ廿日程を經(へ)、余は李羅の心の益々瓶藏に[#「瓶藏に」は底本では「瓶造に」]傾くを見たれば、最早や好(よ)き時分と思ひ李羅の母を呼寄(よびよ)するに、母は客待遇(きやくあしらひ)の事に就(つ)き何か小言でも言はるゝかと氣遣ふ如く余が室に入來(いりきた)りしかば、余は先づ爾る小言に非ずとて充分安心させし上「阿母(おつか)さん、呼寄せたは外でも無い、お前の娘李羅の事だ」母は猶ほ氣遣しげに「ヱ、李羅が何か疎(そさう)でも」余は成(な)る丈(たけ)聲を和げて「イヤ其樣な事では無い、李羅も最う追々(おひ/\)年頃に近(ちかづ)く故、母となれば婚禮の事も心配して遣ねば成るまいが、お前は何か考へでも有るのかネ。」
娘に婚禮させる事、母に取りては喜しき問題なれど、母一人子一人にて育てし者を手放して他(た)に縁附(えんづけ)るかと思へば俄(にはか)に心細き思ひするも當然にや、母は憂ひの色を現し「ハイ私しとても時々爾う思はぬでも有りませんが、今まで育て上(あげ)た者が此家に居無くなるかと思へば。」
「オヽ心細いは尤もだが。」
「イヱ、私しには李羅の外に老先(おいさき)の樂みも有ませず、今でも宛(まる)で産立(うみたて)の赤兒(あかんぼ)の樣な氣が致します、追々年頃には成ましても私しの目から見れば本統の世間知らずで、之を家(うち)より外へ出すは痛々しい樣に思ひまして。」
「夫は尤も、孰(いづれ)の母も其樣に思ふけれど、當人の身に成れば爾でも無いのサ、併し婚禮すると云(いふ)ても強(あなが)ち母親の手許から離れると云ふ譯では無い、何うだお前の爲には我産(わがうん)だ息子も同樣、少しも氣の置けぬ者を婿夫(むこ)として此家(このうち)へ迎へては。」
「ハイ氣に叶ツても。」
「娘の氣に叶はねば、爾とも/\娘の氣にも叶ひ爾して當人が喜(よろこん)で此家(このや)の婿に成るならば。」
「ハイ其樣な者が有れば結構ですけれど、此方が好ければ先が惡く。」
「イヤ爾も限らぬよ、阿母(おまへ)さへ承知なら是非私(わし)が世話を仕度(したい)が。」
「ヱ、貴方樣が。」
「爾とも私(わし)が自分で仲人に成り世話して見たい婿が有る、と云ふは外でも無い、從者瓶藏の樣な者を」母の涙は中(うち)より笑を浮め「アノ瓶藏殿、ハイ那(あ)の人ならば氣立も好し、若いに似合はず私しにも親切ですが、イヱ彼(あ)の方は李羅を何とも思ひません、唯だ一心に貴方樣に仕へて居(をり)ますもの」と云ふ心は、先づ七分承知の意なれば余は早や、ホツと安心して「成る程、私(わし)に一心で仕へて居るが、決して李羅を何とも思はぬ譯では無い、唯だ其樣な素振を見せては阿母(おまへ)も立腹するだらうし李羅も驚くだらうと思ひ自分で謹んで居る丈の事、先づ阿母の目で夫と無く氣を附て見成さい、兩人(ふたり)とも心の中(うち)では充分思ひ思はれて居る事が分るから」と云ひ余は豫て李羅の婚資として與(あたふ)る積にて五千法(ふらん)の金を包み置(おき)しが其一封を取出(とりいだ)して「コレ、阿母(おつか)さんや、此中には五千法の切手が有るが、豫て私(わし)が親孝行な娘に遣度(やりた)いと思ひ別にして溜(ため)て置(おい)た、之を李羅の婚資として李羅に遣るから」と云ひ來(きた)れば母は聞き終らずして打驚き打叫ぶも無理ならず、余は語を繼ぎ「イヤサ之を受取れば是非とも李羅を瓶藏の妻とせねば成らぬ樣に思ふだらうが爾では無い、是は李羅が誰の妻に成るにしても其婚資にするが好い、ナニ其樣に禮を云ふ事は無いよ、是位の金は私の身には何でも無い、是で他人を喜せる事が出來れば私は何よりも歡(よろこば)しい、尤も婚資の有る娘には、唯だ其婚資だけ附狙ふ痴漢等(しれものら)が彼是れ云寄(いひよ)る事も有る者ゆゑ、是は婚禮の當日まで誰にも知さずお前の腹の中へ仕舞(しまつ)て置くが好い、夫だけで私は滿足するから」と云ふに、母の歡び譬(たと)ふるに物も無く、余が自ら我が手を引き去る暇も無き間に早くも余の手を把(と)りて接吻し、殆ど涙ながらの聲にて「戴いては濟ませんが、李羅の生涯の幸福(かうふく)ゆゑ、母の身として娘の幸福(しあはせ)を妨げる樣な事は出來ません、娘に代(かはり)て戴きます、貴方樣は神のお使(つかひ)です、本統に神樣です、李羅も私しも、死(しぬ)まで朝夕の祈りに必ず貴方の幸福(かうふく)を神へお願ひ申(まをし)ますから」余は徐(おもむ)ろに手を引きつ「イヤ、私(わし)の樣な者は仲々祈(いのつ)て貰ふ程の値打は無い、唯だ死だ人々の爲に其罪の滅(ほろぶ)る樣に祈るが好い」と云ふ、余は實に復讐を果して何時死ぬも分らぬ身なり、死したる後にて死人の爲め一片の謝罪(わび)を神に捧げて呉(く)るゝ人も有らば、余が後生も安らかなるを得んか、思へば余も自(おのづ)から涙の浮ぶを覺えたり。
是より數日を經(へ)、宛も余が此處へ來りて卅日目の事なりき、余は最早や李羅と瓶藏を暫し引分るが好き頃と思ひ、瓶藏を呼び「コレ瓶藏、分れは愛情の試驗者なりと云事(いふこと)が有る、其方(そのはう)も少しの間李羅と分れて居れば李羅の心にも、其方と分れて居れば何れほど逢度(あひた)い想(おもひ)がするか自(おのづ)から分るだらう、明朝此地を立つ事とするから其積(そのつもり)で用意しろ」と云ひ渡し、翌日愈々(いよ/\)此地を立ちたり。
立つに臨みて瓶藏は日頃と變る色を見せねど、李羅は何やら悲げに其眼を垂れたり、母は目の邊(ほとり)、口の邊に意味有げなる笑を余に向ひて發するは李羅瓶藏兩人の樣子、追々余が云し方角に向ひ行くを認ての事なる可し、余は此靜(しづか)なる山里も今此時が見收めかと思へば、心細く胸欝(むねふさ)がり、口數もきく能はず、唯だ李羅を見て我が孫にでも分るゝ如く輕く其首(かうべ)を撫で「阿母さんに能く仕へるのだよ」と云ふ、此一語が分れの言葉、其儘船に乘込みたり。
頓て寧府に歸着(かへりつ)けば暮(くれ)より新年に跨りてのカアニバル大祭の最中(さなか)にして、市中の人々は躍(おど)り興じ、職業を忘れしかと疑はるゝ程に騷ぎ居て、余が決鬪の噂などは曩(さき)にダベン侯爵の手紙に在りし通り全く消盡(きえつく)して口にする人も無し、余は幸ひと思ひ是よりして唯だ一意に余が大復讐否(い)な那稻と婚禮の準備に取掛りぬ。
七九
那稻に對する余が復讐の第一歩は先づ彼れと婚禮するに在り、同じ女、同じ男、アヽ那稻と余は法律の面(おもて)に於て立派に婚禮せし夫婦なるに、夫婦敵(かたき)同士の間と爲り、夫婦再び婚禮する、世に是ほど奇怪なる事やある。
今よりして此時の事を思ふも余は實に夢かと疑ふ、余は一切の情慾を壓潰(おしつぶ)し自ら機械同樣の人と爲り、悲しきに泣かず、嬉しきに笑はず、兼て巧(たくみ)に計(たく)みたる復讐の手續きを一歩/\に行ひ往(ゆ)くのみ。或時は我身自ら發狂せしには有らぬかと疑ふ事も有り、又或時は我身眞(しん)に活(い)き眞に斯く働けるに非ずして唯だ發狂の熱に浮され、孰れかの狂癲院(きやうてんゐん)の一室に有り、斯く活き斯く爲(な)せる如く我が狂心にて妄想しつつ有るには有らぬかと怪みたり、去れど狂人の心に浮ぶ妄想が斯(かく)も明(あきら)かに又斯くも辻褄合ひ、過去より未來に聯貫(れんくわん)する者に非ず、然り/\余は全く活(いき)て働けるに相違なし、今までの事孰れを見るも引續きたる波漂が身の上にして我身に合點行(ゆ)かぬ所は無し、今は唯だ復讐の機械と爲り、人間界を脱したる迄の事なり、爾(さ)は云へ我身自ら我心(わがこゝろ)を疑ふ、是れ或(あるひ)は發狂の間際まで推寄(おしよ)せし者にあらぬか、然り讀者余は、必ず發狂の際(さい)なる可し、此儘にて長く續かば遠からず發狂せん余は發狂せぬうちに此復讐を仕遂(しと)げずばある可からず。
斯(かく)思ひて余は那稻と婚禮の日取を早め二月の或日と定めたる上、之を一般へ披露したり、勿論余がアベリノより歸りし時那稻も既に尼寺より歸り、羅馬内家に在りたれば那稻にも相談し能く承知させての上なり。
この披露より二日目なりしが、余は其用意に奔走する途中にて圖(はか)らずも先の介添人ダベン侯爵に逢たれば、先づ爾來(じらい)の挨拶より禮一通りを述終(のべをは)るに侯爵は何やら腑に落ちぬ顏附にて「貴方は愈々婚禮成さると見えますな」斯く問ふは無理ならず、侯爵は彼の魏堂の衣嚢(かくし)より出(いで)たる手紙に由(よ)り、那稻と魏堂の間に愛情の成立居(なりたちゐ)たるを知り、余が婚禮を不爲(ふため)と思ひて餘所(よそ)ながら忠告せし程なれば或は余が思止(おもひとま)りしかと察せしが爲なる可し、日頃の余ならば侯爵に對し面目無き所なれど余は強(しひ)て笑顏を作り「勿論ですよ、既に披露した通りです」侯爵の顏は猶心配げに曇り來り「爾ですか私しは又。」
「成る程分りました、多分私しが婚禮の約束を取消すだらうと思たでせう、其心配は有難く受ますが、ナニ侯爵、今時の女に爾う無傷なのは有ません、婚姻前(ぜん)の傷まで探して夫に嫉妬(やきもち)を燒くと云ふは當世で有ません、以前に誰を愛したにもせよ此後(こののち)私しを愛して呉(く)れゝば夫で私しの妻と云ふもの、兔に角那稻夫人の綺倆(きりやう)は御存じの通り世界一ゆゑ、世界一の女と婚禮すれば夫で私しの本望です」と半ば冗談の如く言消(いひけ)すに、侯爵は餘程呆れし者と見え暫し其顏を三四寸も長くせしが、流石佛國第一の決鬪家又第一の交際家たる丈に忽ち思直せし如く呵々(から/\)と打笑ひて「貴方が爾う開(ひら)けて居(を)れば其上の幸ひは有ません、貴方はお心まで餘ほど若返り成さつたネ」と云ひ猶ほ二三の雜話(ざつわ)を試みて分れ去れり。
後にも先にも余が此婚禮を心配氣に想ひしは唯だ侯爵一人(にん)なり、其他の人は知ると知らぬに論なく、余を世界第一等の幸福家の樣に褒(ほめ)そやし、寄ると障(さは)るとの噂にて、寧府(ねいぷる)全市(ぜんし)の人々、宛も自分で妻でも迎ふるかの如く浮立(うきたち)しは、余を非常なる金滿家と思ひ、此婚禮の爲には七濱(なゝはま)潤(うるほ)ふ程に想像する爲なるべし、勿論余に於ても是れが實に一世一代、晴れの婚禮、否(いな)實に晴れの復讐なれば、積(つみ)に積み集めたる海賊輕目郎練(かるめろねり)の、大身代(だいしんだい)を此(この)一擧(きよ)にて捲盡(まきつく)すほどの覺悟なり斯く思ひて益々萬端の仕度を急げば余が最初の妻、最後の妻、二重に重なる罪惡の那稻夫人も、急げば急ぐほど己れの壽命を切縮(きりちゞめ)る事とも知らず、余に負けぬほど準備を急ぎたり。
固(もと)より那稻は唯だ慾心の塊りなれば、金滿無双と噂さるゝ余と婚禮を舉(あ)ぐると此上無き愉快なる可し、殊に昨年(さくねん)の秋以來、寧府全市の娘達、娘を持てる親々達(おや/\たち)、我れ先に此の白髮(はくはつ)老人を擒(とりこ)にせんと言はず語らず競ひて網を張居(はりい)たる事なれば、其競爭に打勝ちし那稻の心持、財嚢(ざいのう)の賞を得し競馬の持主より猶ほ喜ばしき事なる可し、彼は今まで纏ひ居し黒き喪服を脱捨(ぬぎすて)て、粧(よそ)はねども美くしき其姿に粧(よそほひ)を凝(こら)し、毎日仕立屋を呼寄せて余波漂の遺したる大身代(おほしんだい)と魏堂の伯父より悖(さか)つて入(い)りし其財産を傾くるにも懸念せず、余が紳士社會より祝せらるゝと同じく彼れは貴婦人令孃社會より今は羨まれ嫉まれて、寄ると障ると譏(そし)らるゝ種と爲れども夫すら耳に入(い)らざれば厭ふ所なし、斯も自ら復讐の壺に入(い)るを急ぐかと思へば、余が發狂の期限も殆ど延(のび)る如き心地せらる。
八〇
余と那稻の婚禮は愈々サン、ゼネロの寺に於て行ふ事と定まりぬ、最初の婚禮も此寺とす、人も變らず場所までも同じけれど心の裏は恐しき相違なり、彼(か)の時は唯だ嬉しさの滿々(みち/\)て見る物聞く物凡(すべ)て余の新婚を祝するかと思はれしも、今は是れ恨みの一念、鐘樓(しようろう)に鳴る鐘の音(ね)まで那稻が罪を鳴(なら)す聲かと疑る。
那稻とても幾分は心も穩かならぬ所あると見え、婚禮の日の追々近くなるに連れ其樣子何と無く變り來れり、今までは波漂の喪服を着けながらも唯だ余の機嫌を取るのみにて笑(わらひ)の聲は彼れの口に絶えず、喜びの色は彼れの顏に絶(たえ)ざりしに、此頃は彼れ時々に打欝(うちふさ)ぎて見ゆる事があり、余が振向(ふりむけ)ば周章(あわて)て笑顏に復るとは云へ、世に云ふ蟲の知らせにて己(おの)が此先の運命の慘憺として最暗(いとくら)き所あると神經に感ずると見ゆ、殊に他(か)れ時々は余が傍向(わきむ)ける横顏を見詰めて最と怪げに其の眼(まなこ)を見張れる事さへ有るは、愈々以て余と波漂と面指(おもざし)の似たるを思ひ、是も亦我が神經の迷ひにやと自ら咎むる者と知らる。
今と爲りては如何ほどに咎むるとも余に咽首(のどくび)を握らるゝも同樣にて婚姻を取消さんにも消す可からず、逃(のが)るゝにも其道なし、余は宛も足の下に踏附(ふみつけ)たる毒蟲を苦むる如く、徐ろ/\と彼れを窘(くるし)む、是れ何の樂み無き余が身に取り切(せめ)てもの思遣(おもひや)りなり、彼れ婚禮の前に於て余を眞の波漂なりと悟らば悟れ、否々彼れ悟る筈は無し、唯だ己が身の神經を疑ふのみなり。
勿論余は那稻の家に出入(でい)りすると我家に出入(でい)ると同樣にして案内も請はず自由自在に那稻の室にも入(い)れば、波漂たりし頃の書齋にも入(い)り、總て其仕打に於ては昔し此家(このや)の主人たりし時に異なる無し、許婚の所天としては我儘過る特權(とくけん)なれども、家を奪はれ猶一生を奪はれたる大の被害者とし此家の先祖代々の主人としては少しも特權に非ず我儘に非ず、我家を他人の家と爲し出入(でいり)を咎められぬを幸ひとする、斯も頼無(たよりな)き生涯が又と此世に在る可きや。
若し老僕の皺薦なりと達者ならば彼れ猶ほ疑ひ深くして絶えず余に目を注(そゝ)ぐ可きも、彼れは先の夜荒荒しく魏堂に投附(なげつけ)られてより腰の骨を挫(くぢ)きしとやらにて打臥(うちふせ)し儘起(おき)も得せず、殊に取る年も年なれば身體(しんたい)益々衰へて余の乳婆(うば)たりし老女お朝に介抱せられ、纔(わづか)に蟲の息を保つのみ。此家(このいへ)に在りても何の益(やく)にも立(たゝ)ざれば既に那稻より其の親戚を呼び引取方(ひきとりかた)を命ぜしと見え、或時那稻は余に向ひ「アノ樣な者を置たとて何の益に立ませう」と云へり、嗚呼(あゝ)廿年來羅馬内家に仕へ、忠義に於て一點の欠(かく)る所無き老僕をば僅(わづか)に一月か二月か病臥(やみふ)せし爲め、家の片隅に寢かしめ置くすら成らずとして其癒えぬ間に追出(おひいだ)す、是を人情と云ふ可きか、尤も那稻が今までの仕打(しうち)に照せば怪むに足らぬゆゑ、余は腹の中にて怒りながら何事も云はずに止(や)みたり、那稻が無情(つれな)く彼れを捨つれば余に於て亦彼れを救ふの道あればなり。
是よりも猶余が心に深く浸(し)みしは此翌日余が那稻の許を尋ねし折(をり)、庭の横手に黒き一物(もつ)の横(よこた)はるを見たれば余は寄行(よりゆ)きて篤(とく)と見るに、是なん余が愛犬のイビスなり、彼れ何者にか射殺(いころ)されし者と見え、胸の只中に彈丸(たま)の傷あり、傷より出(い)でし血の痕は其の前足に傳はりて今も猶ほ鮮かなるにぞ、若(もし)や命の有る事かと其の首に手を掛けて搖動(ゆりうごか)すに、早や少しの温度も無く全(まつ)たく縡切(ことぎ)れし後の祭りなり。何人が何の爲めに射殺(いころ)せしや、實に腹立たしき限りなれば、那稻に事由(ことわけ)を聞(きか)んものと其處(そこ)より立上るに、一方の樹の影に園丁の働けるを見たれば、余は之を呼び「此犬は何うして死だ」と問ふに、
「ハイ今朝(こんてう)夫人の言附(いひつけ)で私し共が射殺(いころし)ました」扨は那稻が射殺させしか。
「ナンか惡い事でも仕たと見えるな、夫にしても可哀想な、ドレ貴樣に是を遣るから此死骸をアノ樹の許に丁寧に葬つて遣れ」と云ひ、五法(ふらん)の銀貨を與へて余が兼てより愛したる松の木の方(かた)を指さすに、園丁は褒美の金の多きに驚き「ハイ私しも夫人の仰(おほせ)で射殺た者の餘り可哀想ですから埋(うづ)めて遣うと思て居ました」と云ひつゝ銀貨を押戴(おしいたゞ)き衣嚢に納め、早や其の死骸を彼方(かなた)へと引去りたり。
余は直ちに家に入(い)り、那稻に逢ふより何氣なく「イビスを射殺させた相ですネ」と問ふに那稻はビクリと身振(みぶるひ)せしが、頓て悲げなる聲を作り「アレも波漂の飼犬ですから大事に活(いか)して置度(おきた)いと思ひましたが、活しては置(おか)れませぬ、是を御覽成(なさ)ツて下さい」と云ひ細き手先を示すにぞ、何の意にやと怪み見れば、獸の爪にて引抓(ひつかき)しと云ふ如き幾筋の傷ありて白き肌(はだえ)に青赤き痕を殘せり。
「オヤ此傷は。」
「サア那(あ)のイビスが附たのです、昨日私しが彼れを繋(つない)で有る箱の前を通りますと彼れ何の謂(いは)れも無く私しへ飛附(とびつき)ました、鎖が今一尺長ければ私しの喉へ噛附く所でしたが鎖の短い爲め是だけで濟だのです。」
扨は彼れ畜類の本能にて那稻が主人の仇敵(かたき)なるを感じ知り、噛殺さんと爲したるか、犬に忠あり義ありとは豫て聞く所なれど是程とは思はざりき、余は深く感じ入り、嗚呼イビスは犬にして人に優(まさ)り、那稻は人にして犬に劣ると口の中にて呟きながら更に「夫は實に大變でしたネ」「イエ私し一人なら我慢もしますが若し貴方にでも怪我させてはと思ひ夫故(それゆゑ)に」止(やむ)を得ず殺させしか、旨くも言繕(いひつくら)ふ者なる哉「イエ私しには何(ど)の犬も噛附きません、先日の彼れの仕打で分つて居(を)ります」と殆ど口まで出(いで)たれど、其儘云はずに控へて止みたり。
八一
余が復讐、否、余が婚禮の益々近づきたる時も、猶ほカアニバルの大祭は終らずして、寧府の市民引續きて戸外に躍り興じ、日々何(ど)の町も、極樂園(ごくらくゑん)になりしかと疑はるゝ許(ばか)りなるも、唯だ余波漂のみは衆(しう)と共に躍り興ずる心勿論無く、以前の如く交際場裡に出で行(ゆ)くも亦懶(ものう)し、去(され)ばとて婚禮の仕度は彌(いや)が上にも整ひ盡して一身何の用事も無く、唯だ婚禮の日、復讐の時、早く來(きた)れかしと祈るのみにて、待遠(まちどほ)きことと云ふ許り無く、殆ど我身の置所(おきどころ)にも困る程と爲りたれば、一日二日は書見(しよけん)などして暮せしも、二度と此世に用の無き身が書を讀みたりとて何の益か有らん、寢つ起(おき)つも今は飽(あき)はて、果(はて)は全く爲す事無く一日(じつ)の消し樣に考(かんがへ)あぐむ迄に至りしかば、最早や百計茲に盡きて、詮方なくも宿を踏出し諸人の面白氣なる樣を見向もせず、唯一人足の向ふが儘、目當も無く歩み去りたり、行(ゆ)き着く先は知らず是れ孰れの地ぞ。
人は何事も氣に連れる者、心の陽氣なる時は知らず/\陽氣なる地に向ひ、又陰氣なる時は求めずして陰氣の所に到る、余が到りしは陰氣も陰氣、余が曾(かつ)て死し曾て葬られし墓窖の邊(ほとり)なり、先に余と決鬪して死したる僞り者魏堂めの墓も此邊(このへん)に在り、余が身に取りては此邊(このあた)り唯だ何と無く我が故郷なるやに思はる。世間の人皆余を捨盡(すてつく)したる今と爲りても地獄ばかりは猶ほ余を捨てぬと見ゆ。
余は墓の邊(へん)を徘徊して、樣々の事を思ひ出し、唯だ暫しが間、日の永きを忘れ得たれば翌日も行き翌翌日も亦行けり。余が身の置所は地獄の隣より無き事にや、兔に角余の外に人無き場所とて泣くも笑ふも妨(さまたげ)らるゝ恐れ無く、笹田折葉の皮被る窮窟(きうくつ)も無(なけ)れば、猶ほ此上に墓窖の中までも入込(いりこ)み度しと思ふ如き氣のするは、實に何所(どこ)まで、心の陰氣になる者か、我身ながら怪しく思へり。
去れば最後に此處(こゝ)に到りし日の余は此墓窖の戸を開く可き鍵を探して持行きたり、此鍵は豫て羅馬内家に備へある者にして余の書齋に在りたるを余祕(ひそか)に探し出(いだ)したるなり、余は羅馬内家の主人として其家の鍵を持去るに何の不思議やある、爾(さ)は云へ余は此鍵を以て、敢(あへ)て墓窖の戸を開き、敢て其中に入(いら)んとせず、唯だ遠からず我手にて其戸を開かねばならぬ時の來(きた)る可きを思へば、鍵穴に其鍵を差込み、自由に其戸の開く事を試し見て胸の中に安心するのみ、幾度(いくたび)か差込み幾度か捻廻(ねぢまは)し、鍵穴の錆も取れ、輾(きし)らずに最と滑(なめ)らかに廻る樣を見、是ならば何時(なんどき)にても入行(いりゆ)かるゝと滿足すること限り無し、是れ勿論余の痴情(ちじやう)に非ず深き仔細の有る事と後に到りて思ひ知る可し。尤も此鍵あらずとも余一人は彼の海賊の拔け穴より出入(でいり)する事難(かた)からず、今は余が拔出(ぬけいで)し頃より草木尚茂りて其穴全く見えざれど、余の心には能く分れり、塞ぐも開くも隨意なれど個は余が祕密の穴、他人を出入させ又は他人と共に出入するには此鍵にて表口よりせざる可からず。
余は鍵穴の錆全く去りしに安心し此所(このところ)を立去りつ、歩み/\て波止場に至れり、個は少し目的の有る事にて、實は余が復讐の後の處分に付き自ら決(けつ)し兼(かね)る所の有ればなり、右(と)せんか左(かく)せんか、先づ波止場へ行(ゆき)ての上に思案にせんと、既にして到り見れば、茲もカアニバルの祭に浮され、餘多(あまた)の船頭水夫など、茲に一群(ひとむれ)、彼所(かしこ)に二群(ふたむれ)、或は謠(うた)ひ或は躍り、最(いと)樂しげに興じ居るにぞ、暫く彼方此方(かなたこなた)を見廻すのみなるに、漸く目に留(とま)る一人(にん)は躍りも餘り面白からずと思ふ如く群の外に出(いで)て、卷煙草吸ひながら海の方(かた)を詠(なが)め居る船長あり。
斯(かゝ)る眞面目の人こそ余が相談の相手なれト余は寄行きて其顏を見るに、天の助けとも云ふ可きか此人滿更の他人に非ず、余が曾て波漂の姿を變へ笹田折葉になるが爲めパレルモに航海せし其時の船長なり、海賊輕目郎練を逃したる話(はなし)せしも此人とし、余を珊瑚漁の漁夫(ぎよふ)に非ず必ず由緖(ゆかり)ある紳士ならんと見破りしも此人とす、船長羅浦(らうら)と名乘(なのり)たる其名前さへ猶余が耳に在れば余は近(ちかづ)きて呼掛(よびかく)るに、彼れ驚きて暫し余の顏を怪み見るのみなりしも、頓て心附(こゝろづき)し者の如く「オヽ笹田伯爵ですか」とて余を呼返し、其後余が當地にて極めて贅澤に暮せる事より、近々(きん/\)婚禮する事までも噂に聞き一たび尋ねんと思ひ居しなど語るに由(よ)り、余は此上無き幸ひと思ひ四方八方(よもやま)の話せし末、少し相談したき事も有ればと云ひ、其手を引きて更に人無き靜なる場所へと連行(つれゆ)きたり、余が相談とは如何(いかゞ)の事ぞ?
八二
余は四邊(あたり)に人無きを見濟し、船長羅浦に打向ひ「君は猶ほ輕目郎練の事を忘れまいね」と問ふに羅浦は熱心に余の顏を見「何うして忘れませう、可哀相に彼れ先日到頭死刑に成たと云ひますが、彼れが地中海に見え無(なく)なつてからは我々船頭も詰(つま)りません、少しも面白い儲仕事(まうけしごと)が無いのですから。」
「では今でも彼れがお前の船に載せ他國へ逃がして呉れと云へば、お前は逃してやるだらうネ。」
「夫は逃して遣(やり)ますとも、無賃でゝも逃がして遣ります。私しの船は丁度先日修覆(しうふく)して塗替(ぬりかへ)たばかりですから」と云ふ、是は弱きを助けんとする一片の義氣なれば余は少し安心して「實はお前の船で近々(きん/\)他國へ送て貰ひ度い人が有るが、何うだらうお前引請(ひきうけ)て送て遣(やつ)ては呉れまいか、船賃は輕目郎練の拂つたより猶多く拂つて遣るが」船長は少(すこし)く眉を顰(ひそ)め「夫は公然と送るのですか、極祕密に送るのですか。」
「極祕密に送るのサ」羅浦は忽ち頭(かうべ)を振り「イヤ御免蒙(ごめんかうむ)りませう。」
「船賃は望み次第だぜ。」
「夫でも御免蒙ります。」
「何故(なぜ)。」
「祕密に外國へ送て呉れなど云ふ人は何うせ法律の罪人ですから。」
「輕目郎、練とても同じ事さ。」
「イヤ違ひます、練は海賊で即ち吾々(われ/\)と同じ海の商賣です、彼れは賊ながらも吾々の船の物は決して奪はぬのみか、彼れが地中海に居る間は外の海賊が入來(いりく)る事が出來ず、吾々一同彼れの爲に何れほどの徳を得たか分りません、夫だから彼ならば無賃でも逃がして遣ますが、縁も由縁(ゆかり)も無い陸の上の罪人を逃しては、自分が罪人になりますから錢金には拘(かゝは)りません。」
成るほど船頭等の見識は斯の如き者なるかト余は私(ひそか)に感心し「イヤ私の頼む人は決して法律の罪人では無いのだよ、私の親友だよ。」
「ヱ、法律の罪人で無い、夫では隨分送て上無(あげな)い者でも有ませんが、イヤお待成(まちな)さいよ、罪人で無い者が極祕密に外國へ逃るなどとは。」
「イヤ幾等も有る例(ため)しさ、自分の家内に風波(ふうは)が有り、内に居ては苦(くるしめ)られて堪らぬから暫し身を隱し度いと云ふのサ。」
「オヽ其樣(そん)な人ならば助けても上(あげ)ませうが、全體何所(どこ)です、何所まで逃て行くのです。」
「可なり遠いがシビタ、ベツチヤの港まで送附(おくりつ)けて貰へば好い、夫から先は外の船に乘り替るから」船長は再び眉を顰め「シビタ、ベツチヤ、夫は餘り遠過(とほすぎ)ます、私しの船は彼所(あすこ)まで航海する事が出來ません、唯(ただ)此の灣内を乘る丈ですから、若し途中で波でも荒くば覆(くつが)へつて仕舞ひます。」
「夫は少し困つたなア。」
「だが外の船では可(いけ)ませんか。」
「爾サ可(いけ)ないと云ふ事は無い、唯だ其船長がお前と同じ正直者で、何時(いつ)までも祕密を守つて呉れさへすれば。」
「夫は心配に及びません、船頭などと云ふ者は口さへ留(とめ)れば爾う多舌(しやべ)る者では有ませんから」口さへ留ればと云ふ語の中には、定めし口留(くちどめ)の錢さへ呉れゝばとの心も籠(こも)れるならんと余は早くも見拔(みぬき)たれば「口留するのは無論の事さ、だが差當(さしあた)り此船と云ふ見込が有るのか。」
「有りますとも、實は或會社の荷物ばかりを積み、此次の金曜日に茲からシビタへ立つ船が有ます、其船頭は私しの兄弟も同樣ですから是に乘らせては何うですネ。」
「好いとも。」
「其代り客を載せぬ船ゆゑ、強(たつ)て載(のせ)て呉れと云へば少し高いかも知ませんが。」
「高いは承知サ。」
「廿五圓も遣て下されますれば。」
「好し、百圓遣らう」船長は飛返り「ヱ、百圓夫は一身代ですが。」
「其外に周旋料としてお前にも百圓遣るから成る丈け祕密に。」
「ヱ、ヱ、私しにも、夫は餘り勿體無くて。」
「ナニ、百や二百の金は私の身には何でも無い。」
「貴方は本統に輕目郎練です、練は最初に金の束を投出してサア是だけ遣るから直に何所其所(どこそこ)へ向け出帆しろと云ひ、返事が遲ければ直に短銃(ぴすとる)へ手を掛けましたが、貴方は前に相談し略(ほゞ)合點させて置(おい)て其上で金を出すから、夫だけ練よりも紳士です」海賊に比べて褒めるとは通常の場合に於て許す可からざる次第なれど、眼界(がんかい)狹き船長等は海賊より上の人を知らねば之が無上の尊敬なる可し、余は唯だ可笑(おかし)さを催しつゝ「イヤ私(わし)では無い、其の乘て行く人が金を出すのだ、併し其船長は其人に向ひ何事も問はぬ樣に、其人の言附には總て無言で從ふ樣に、爾して其人がシビタに上陸すれば總て其人の事を忘れる樣に[#「忘れる樣に」は底本では「忘れぬ樣に」]せねば了(いけ)ないな。」
「勿論です。イヱ今云ふ男は至て物覺えが惡い上に、忘れろと言附れば直に忘れて仕舞ひます、金より外の事には少しも氣を留(とめ)ぬ男ですから、百圓と云ふ大金を見れば其嬉しさに外の事は夢中です」余は衣嚢を探り一札(さつ)の名札(なふだ)を出し「委細猶又相談するから此名札に記して有る私の宿まで、明日(あす)でも明後日(あさつて)でも來て貰はう」と云ひ、別に百圓劵二枚を出(いだ)し「サア是が約束の賃銀(ちんぎん)だ」とて與ふるに、彼れは宛も嬉しさに夢中と爲りし如く轉々(ころ/\)として分れ去りたり。
八三
喜びて去る船長に分れ余は町の方へと歩み來(きた)るに、但(と)ある古着屋の店先に人の大勢集(つど)ふを見たれば、扨はと氣を附て眺むるに、此店は是れ余が先に墓窖より逃れ出(いで)し時立寄りて珊瑚漁夫の古服(ふるふく)を買(かひ)たる家なり、其時の事猶歴々(れき/\)と余が胸に在り、老たる主人の顏は勿論、其言ひし詞(ことば)さへ猶忘れず、彼れは確に其妻の不義を見て姦夫姦婦を刺殺(さしころ)し、今は此世に何の樂(たのしみ)も無き身なりと云へり、其後とても彼れが事を思ひ出(いだ)し、我身に引比べしことも屡々(しば/\)なる程なれど、余は人の群(むらが)れるを見、徒(いたづら)に通り過(すぐ)る事能はず、何か主人(あるじ)の身に異變でも有はせぬかと氣遣ひて人を推分(おしわ)け窺ひ見るに、アナ無慘や彼れ老人自ら短劍にて咽(のど)を突き、寢臺(ねだい)の上に血に染(そ)みて横はれるを早や警官が出張して彼れ是れと檢(あらた)むるにて有りたり、猶ほ傍(はた)の人等が私々(ひそ/\)と噂し合ふ言葉を聞くに、何の爲やら知らざれど豫てより欝(ふさ)ぎ勝(がち)に見えたるが昨夜の中に自殺せしなりと云ふ。
嗚呼余は知れり、彼れ其の一身の味氣無さに堪へず、自殺して此世を振捨去りしなり、彼れが寢臺に最古(いとふる)き女の肩掛けを敷き有るも是れ昔し其の不義の妻に買與へたる品に非ざらんや、之を敷きて其上に命を絶ちたる彼れの心察するに餘りあり、アヽ讀者、余とても亦彼れと同じく不義せる妻に我恨(わがうらみ)を復さんとする者なり、愈(いよい)よ恨みを復し得たる其後は如何になる可き、終(つひ)には彼の古着屋の主人と同じく、慰め呉(く)る人も無く、世の無常に堪兼(たへかね)て野倒死(のたれじに)する事と爲らんか、是を思へば我身の墓無(はかな)さに堪兼て片時も茲に居る能はず、余は唯だ一片の囘向(ゑかう)を口の裏に唱へつゝ顏を負(そむ)けて此所(こゝ)を立去りたり。
途々(みち/\)とても余を知れる家の窓より余が婚禮の近(ちかづ)くを祝する爲め、余が足許に花など投(なげ)る人も有たれど余は拾ひ上るも懶(ものう)く、拾上(ひろひあげ)ても其家の前を行過(ゆきすぐ)れば直ちに打捨て悄然として宿に着きしに、從者瓶藏は豫て此五六日余が樣子の異樣なるを氣遣ひ居し者と見え、其身も何やら心配げに幾度(いくたび)か余の顏を窺(のぞ)き、成る可く心を引立る如き飮物(のみもの)を作らせて余に捧げたり、余は彼れの忠實に感心し、切(せめ)ては顏持(おももち)だけも晴やかにせんと思へど深く心の底よりして欝(ふさ)ぎ來れる余が顏は容易に晴渡る可くも非ず、頓て日の暮(くれ)に及びし頃に瓶藏は是れこそ余を引立るに足ると思ふ如く、其身から笑頽(ゑみくづ)れて一通の手紙を持來れり、受取り見れば擬(まが)ふ方なき那稻夫人の筆蹟なり、成るほど通例の人なれば婚禮の前に其の女より手紙を得(う)るは定めし氣の晴れる事なる可きも、余に於ては結句(けつく)感慨を深くするのみ、先づ瓶藏を退けし上、何事にやと開き見るに「二三の貴夫人今夕(こんせき)妾を祝する爲め觀劇を催すに由り御身も八時頃より來會あれ」との事を記せり。
芝居など見る心は無けれど是も許婚の所天たる我役(わがやく)を果せる道なれば、家に一夜、考へ明すより優(まし)ならんと思ひ、其刻限を待ち、那稻に贈る花束を作らせ、其束の結び目には鼈甲の枠に眞珠を嵌(は)めたる高價なる留針(とめばり)を挿し、之を携へて劇場に到見(いたりみ)るに正面の棧敷に當時時めく四五の夫人打集(うちつど)ひ、其中に又一入水際離れて美しきは即ち余が二度の妻那稻なり、前棧敷に在る見物の顏も、半ば此の方に捻曲(ねぢまげ)られし如くなるは衆目の那稻に注げるを知る可し。
余は成る可く熱心なる戀慕の人を氣取り其棧敷に入行(いりゆ)きて花を贈るに、那稻の喜びや居並ぶ夫人達の祝言(いはひごと)など管々(くだ/\)しくて余が耳に蒼蠅(うるさ)き程なり、挨拶一通りを終りて舞臺の有樣を如何にと見るに此度(このたび)羅馬より來りし當國一の滑稽芝居師一座にて其の脚色(しくみ)は年老たる一紳士が若き妻を迎へ其妻に豫てより若き隱男(かくしをとこ)あり、所天の留守に男と酒など酌交(くみかは)し、共に/\所天を罵ると云ふ筋にて、所天は早く妻に安心させ度いと云ひ衣紋(えもん)作りつ花道より歸り來(きた)るに、我家の門(かど)の戸堅く鎖(とざ)し、推せど叫(たゝ)けど開く者なく、其中に雨の降出し折角妻に見せん爲め注意して着飾れる被物(きもの)まで、グシヨ濡(ぬれ)と爲り困(こん)じ果(はつ)るを可笑(をかし)みより、妻が男と共に節穴より之を窺(のぞ)き突(つゝ)き合(あつ)て面白がる樣、只管(ひたすら)腹を抱へしむる程にて、時々に喝采の聲も起り、余が妻那稻も我れを忘るゝ程打歡(うちよろこ)ぶにぞ余は殆ど苦々しさに堪へず、如何なれば到る所に余が神經を刺戟(しげき)する事のみ多きやと訝りながら輕く那稻の手を引きて「夫ほど此芝居を面白いと思ひますか」と問ふに那稻は猶半ば夢中にて「先ア那の所天の馬鹿げた樣が實に面白いでは有ませんか」と云ふ。
「イヤ所天は總て此通り馬鹿げた者です、斯まで馬鹿にされるとは知らずに婚禮を喜ぶのが人の情ですが」と余は堪へ兼たる厭味(いやみ)の言葉を漏らすに那稻は初めて心附(こゝろづき)し如く「アレ貴下(あなた)は先ア」と云ひ、暫し次の句を考へ「芝居と本統の世間とは違ふぢや有ませんか。」
「イヤ違ひます、けれど芝居は世間の有樣を冩すのです、併し同じ所天でもナニ妻から馬鹿にされて知ずに居る者ばかりでは有ませんから」と言切たり、那稻は之を何と聞くにや。
八四
流石那稻は幾分か余の機嫌を損ぜしと見て取しか、是よりは復(ま)た芝居にのみ夢中とはならずして痛く余に勉(つと)めたれば、余も寧ろ我言(わがい)ひ過(すぎ)を悔い、復讐の既に眼前まで推寄せたる今と爲り斯る事云ふ可きに非ずと思ひ、是より芝居の終るまで、共々に打興じ何事も無く濟みたり。
此翌日は即ち婚禮の前日なれば余は早く起出(おきいだ)しが、泣くも笑ふも今日限りなりと思へば昨夜の見舞を兼て、先づ同行せし夫人達の家を訪(と)ひ、最後に那稻が許に到るに彼れ萬端の用意整ひたるを説き、婚禮の時に着る衣服など示し終り、此上は唯だ明日(あす)より後の樂みを語(かたら)ふのみなりと云ひ、余を日當り好き縁側に連れ行きつ二個(ふたつ)の椅子を相對(さしむか)へて膝を交へぬ、世の常の婚禮なれば是こそ二人が爲め最も樂しき時なる可し。
縁先に咲亂(さきみだれ)たる椿の花、美しけれど那稻の姿に及ばず、軒端(のきば)に囀(さへづ)る小鳥の聲、爽かなれど那稻の語(ことば)に如かず、他(か)れ殊に顏の半面を日方(ひなた)に向け其美しさを惜げ無く映出(うつしいだ)して余が恣(ほしいまゝ)に打眺(うちながむ)るに任せるにぞ、余は倩々(つく/″\)と見て今更の如く打感じぬ、彼れが心若し彼れが顏の如くなりせば、余は彼れが奴隷と爲り、彼れが爲めに喜びて一命をも抛(なげう)つ可きに、彼れが紅の唇は何人たりとも唯だ彼れが意の向ふ人の偸(ぬす)み吸ふに任せ、其雪よりも清(きよ)げに見ゆる膚(はだ)は豚屋(ぶたや)の看板にも均しく金持(かねもて)る人の目を引(ひか)んとするに過ず、彼れ實に造化が奇を好む餘(あまり)に出(いで)し作り物にて其顏に世界中の美を集め、其心に世界中の醜(しう)を集めし者なり、徳も無く操も無く、悉く己を愛する人に毒す、波漂と云ひ魏堂と云ひ波漂再生の余と云ひ、彼れが爲めに世に類の無きまでに恐ろしき恨(うらみ)を呑みて憤死する惡運に陷れり、今余が復讐の大決心を以て一刀兩斷に彼れを仕留めずば、彼れ此上に何人の人を欺き幾度(いくた)び此世を毒せんも知る可からずと、余は黒き目鏡の底に於て怒る眼を光せども余が顏は彼れに向ひて日影に在れば彼夫れと知るや知ずや、唯だ其美しき顏に一段/\の嬉しさを加へ來(きた)るのみ。
果は嬉しさを包み兼ぬる如く、笑頽(ゑみくづ)れて口を開き「貴方は本統に昔々譚(むかしばなし)に在る天子樣の樣です成さる事は他人に眞似の出來ぬほど十分豐(ゆたか)に成されるし貴方の樣に物事が豐なれば何れほどか幸福でせう」余は猶ほ例の冷淡なる口調にて「イヤ夫人、豐でも貧しくても愛ほどの愉快は有ません。[#「」」欠字か]
「イヱサ貴方は豐な上に愛を得て居るでは有りませんか、世間に誰が貴方を愛さぬと申します」「イヤ其愛は皆金錢から來るのです、私しが金錢に豐かで、私しを愛すれば直に夫だけの得が有るから愛するのです、若し私しが貧乏ならば構ひ附けぬ人ばかりでせう。」
「イヤ私しまでも其仲間にお數へ成(なさ)るのですか」と問ひ、目を開(ひ)らきて余の顏を見詰むれども余が頓(とみ)に返事せぬを見「世間の人は其の樣な事の爲に貴方を愛するかも知れませんが、夫婦約束までする者が何で金錢などを思ひませう、夫では金錢の爲め愛を賣ると云ふ者です、貴方のお身に愛す可き所が有り此人ならばと思ひ込めばこそ、獨身の喜樂(きらく)な生涯を棄(す)て貴方と一つに成るのでは有ませんか、金錢は豐でも何時(いつ)盡(つく)るか分らぬ者、夫を目的(めあて)に生涯の約束が出來ませうか」と云ふ言葉何ぞ夫れ尤もらしきや、今に初めぬ事ながら余は那稻の口先は巧妙なる笛の瓣(べん)と同じ樣に作られて、人の心を聞醉(きゝよ)はしむる爲に仕組(しくま)れし者にやと怪みつゝも其色は更に見せず「イヤ爾云ふて下されば安心です、年老(としより)は兎角疑ひ深く、實の所ろ私しは何故(なにゆゑ)自分が貴女の愛を得たで有(あら)う、若しや唯だ萬事に豐なと云ふ爲では有るまいかと折折(をりをり)氣遣つた事も有ます」「ソレは又餘り私しを見くびると云ふ者では有ませんか。」
「イヤ最う全く疑ひが晴れました、爾云て下されば眞實私しが氣を許す證據として、貴女に知せる事が有ます。」
言掛けて余は勿體らしく聲を低くし、那稻が何事にやと氣遣ふ樣を味(あぢは)ひつゝ「今(いま)し方(がた)貴女は私しの事を昔々譚の天子の樣だと云ましたが、或は爾かも知ません、昔々譚の天子の外は持て居無い程の寶を私しは持て居ます」寶と聞きて、早や眼の光初(ひかりはじ)むるは隱すにも隱されぬ彼れが貪慾の天眞(てんしん)なる可し「ヱ、何と仰有います。」
「イエ此世に又と無い寶物です、先日ソレ貴女へ珠玉を贈りましたでせう、お目に掛る前に引出物として、ヱ、貴女はお忘れに成ましたか」那稻は腹の底より身體中を頭(かぶり)に振り「何うしてアレを忘れませう、勿體ない、那れは私しの命と思ふ程大事に仕て居ます、婚禮の時に飾るのもアノ珠玉です、那れは貴方、天女でも持て居ぬ程の品ですが。」
「ハイ、天女にも持たぬ程の品を、天女にも無い程の美人に贈るから少しも惜いと思ひません、併し私しの蓄へて居る寶物に比べてはアレハ何でも有ません。」
「ヱ、那の上の珠玉が。」
「ハイ猶(ま)だ有ます、私しの手に有ります。」
「爾して夫れは。」
「ハイ婚禮すれば皆貴女の物に仕て頂き度いと思ふのです。」
那稻が顏は餘りの嬉しさに赤くなり又青くなれり。
八五
那稻の喜ぶ樣は屡々見たれど此時の如く眞實熱心に喜びたるを見ず、彼れ殆ど我を忘れて余に獅噛附(しがみつ)くかと思はれしが、自ら餘りに端下無(はしたな)しと思ひしか、僅ばかり落附きて「ヱ、其寶を私しに下さると仰有るのですか。」
「ハイ婚禮が濟めば直に。」
「直に私しへ、皆(み)んな殘らずと。」
「ハイ皆(みん)な殘らずでも其中の撰拔(えりぬき)でも總て貴女の御隨意です、其中には血の色より猶赤い紅寶石(こうはうせき)も有ますれば、恨み重る復讐者が切結びたる刀の光より猶ほ光る夜光珠(だいやもんど)も有り、眞珠は死だ少女の握(にぎつ)た手よりも猶清く、黄珠(くわうじゆ)は薄情女の心より猶變化に富で居ます」と、余は那稻に愛想の盡たる餘り、知らず知らず斯く恨しげなる喩(たとへ)を引くに、那稻は聞來(きゝきた)りてソツと恐しさに身震(みぶるひ)する如く見えたれば、之はしたりと余は驚きて言葉を柔(やはら)げ「オヤ夫人、貴女は何に驚きました、アヽ私しの比喩(たとへ)がお心に障(さは)りましたか、之は/\飛(とん)だ事を云ひましたよ、御覽の通り私しは武骨者で詩人の云ふ樣な綺麗な事は云ひません、唯だ心に浮んだ儘を喩へたのです」と慰むるに、根が慾心に滿々て唯だ嬉(うれし)さの込上(こみあがり)たる折柄(をりから)なれば直ちに機嫌を直せり。
暫くにして彼れは何事をか思案しながら「其樣な品は寧府に又と有ますまいよ。」
「寧府は愚か巴里(ぱり)へ行ても有ません、恐(おそら)く世界中に又と有りますまい」那稻は益々笑壺(ゑつぼ)に入(い)り「[#底本では「「」欠字]私しが夫れを飾れば何れ程か寧府中の婦人達が羨む事でせう、ですが其の寶は何所に在ます、直に拜見する事は出來ませんか」嗚呼彼れが見たしと云ふは余が何よりも滿足する所なり、余は早や復讐の事成れりと彼よりも猶一入喜べども其色は毛ほども見せず「勿論お目に掛けますとも併し今直(いますぐ)と云ふ譯には行きません、明晩お目に掛ませう、明晩婚禮の儀式の濟(すん)だ後で」「オヽ待遠(まちどほ)い事。」
「待遠(まちどほし)くてもナニ明日(あす)の晩です、其時には最一(もひと)つの約束と共に。」
「ヱ、尚一(もひとつ)の約束とは。」
「ソレ貴方が何時か私しに此黒眼鏡を外して私しの目を見せろ[#「目を見せろ」は底本では「目を見せる」]と仰有つたでせう。」
「ハイ申(まをし)ました、自分の所天が何の樣な眼で有るか妻が夫を知らずに居ると云ふ事は有ませんゆゑ、夫も寶と一緒に見せて下されますか。」
「ハイ、其代り私しの目は寶と違ひ夫人達の見て喜ぶ樣な優しい目では有ませんよ」寧ろ恨(うらみ)に光る恐ろしき波漂羅馬内の眼なるぞと、殆ど口まで出(いで)たれど是だけは云はずに止みたり。
「世間の人は喜ばずとも私は喜びます、ですが今仰有る寶は何所に在ます」余は又も聲を低くし「實はネ、誰も氣の附かぬ不思議な所へ隱して有ります。」
「オヤ貴方は本統に昔々譚の樣な事を仰有る、眞逆(まさか)に山の洞の中では有ますまいネ。」
「先ア/\其樣な所と思て居(を)れば失望しません。[#「失望しません。」は底本では「失望しません」」]夫を見るには私しと共に少しばかり歩まねば了ませんから。」[#「」」欠字か]
「併し!」
「併し何(な)に山の洞と云ふ樣な遠い所では有ませんよ、是が若し世間に類の有る樣な寶ならば別に隱し置く必要も無く、自分の家が不安心なら確な銀行へ預(あづけ)ても構ひませんが又と類の無い尤物(いうぶつ)で、何れほど正直な人でも欲(ほし)がらずには居られ無い程の品ゆゑ、徒(いたづら)に人に見せ欲がらせるのは邪見(じやけん)です、自分の妻より外の者へは錢金でも讓る氣が有ませんから夫で祕(ひ)し隱しに隱すのです、夫も是も總て吾妻(わがつま)の爲ですから。」
那稻は益々其の寶の容易ならぬを思ひ、今は見度さに堪へぬ如く「シテ明晩の何時頃に。」
「左樣サ、婚禮が濟で祝宴と爲り、來客孰れも躍り興じ夢中に成て居る暇を伺ひ、ソツと二人で忍び出て、見て來ませう」餘り異樣なる時なれば、流石の彼れも何と無く危(あやぶ)むにや、余の顏を見詰たれば、余は奧の手を出(いだ)し「イヤ、何も他人に盜れる患(うれ)ひの無い極(ごく)安全な場所ですから、明夜急いで見て來るにも及びますまいか、明後日(みやうごにち)の朝直(すぐ)に貴女と二人で巴里へ向け密月(みつつき)の旅に立ますから、其旅が濟み、歸て來てから弛々(ゆる/\)見ると云ふ事に仕ませうか」と云ふに彼れ忽ち余が術に落入りて「イヱ/\明夜見て來ませう、折角其樣な寶が有るのに夫を持たずに巴里へ行(ゆ)くのは馬鹿げて居ます、其中の重(おも)なる物を持ち巴里へに行て直に飾物師(かざりものし)の店へ送り、色々の飾物に作らせれば夫れだけで最う吾々の噂は巴里中の貴婦人社會へ聞え、世に此樣な寶を持て居る人が有たかと驚きます、ハイ明夜幾等遲く成ても構ひませんから見に行て取て來ませう」余は占めたと思ひ、腹の中にて獨り笑みたり。
八六
寶物を取に行(ゆ)くとは慾深き那稻が心は如何ほどか嬉しかる可き、去れど此返事を聞く余が心は那稻よりも猶嬉し、余が復讐の手續(てつゞき)は此の返事唯一つにて、落(おち)も無く運びたればなり。依(よつ)て余は明日(あす)婚禮の席にて目出度(めでた)く顏を合はせるの約束を爲し、通例の許婚兩個(ふたり)が分るゝ如く、分れを惜みて分れ歸れり。
嗚呼今日一日が命の瀬戸(せと)、一切の準備濟みたりとは云へ猶ほ今日ならでは運び難き事柄も無きに非ず、總て運動の順序を附け手筈を定めて歸り來たるに出迎ふる瓶藏は「先刻より貴方のお歸りを待て居る方が有ます」と云ふ、扨はと頷き應接の間に入(い)りて見るに是れ別人ならず、先の日シビタ行(ゆき)の船を頼みし彼の船長の羅浦なり、彼れ必ず船の都合を整へて其知らせに來し者ならんと思へば言葉短く樣子を問ふに、彼れ何も彼も註文(ちうもん)通りに運べりと云ひ、明後(みやうご)朝の五時より七時の間に出帆する都合なれど、其上に猶ほ二時間は待て呉れる事に話し置きたりとの事なり。明後朝の五時より七時、是れ余に取りての最も都合好き時間なれば、余は其上を待つに及ばずとて、彼れの注意の能く屆きしを謝し、更に必要と認めて豫て作り置きたる荷物一個を彼れに渡し、是は出帆の時まで船長に預け置き呉れと頼み、猶ほ彼れに幾等かの物を取らせて歸したり。此荷物は古き革包(かばん)に錠卸(じやうおろ)したる物にして貧(まづし)き旅客(りよかく)の持物かと疑はるれど中には余が使ひ殘せし幾千萬の紙幣のみを詰めし者なり。次に余は瓶藏を呼寄せて「知ての通り明日(あす)は愈々那稻夫人と婚禮する事に成たが。」
「ハイ存(ぞんじ)て居ます。」
「夫に就き其方(そのはう)に少し言附る用事が有る、其方は己(おれ)の使ひと爲りアベリノなる李羅の家(うち)まで行て來い」余は固(もと)より明日(あす)を限りに此世には用の無き身、彼れに體(てい)よく暇を遣り彼れを其望みの通り李羅と夫婦に爲し遣りて後々まで樂く暮さしむる積なり。
瓶藏は少し怪みながら「貴方の仰せと有らば行て來ますが、明日(あす)此地を立つとしても、往復に三日は掛りますから。」
「爾サ往復に三日掛るが、縱(よし)んば四日五日掛つても好い、サア李羅の母へ此手紙と此箱を屆けて來い」と云ひ密封したる箱一個書状一通を渡したり。箱の中には瓶藏が生涯を送らるゝ丈の資金を入れ、手紙には李羅の母へ向け、瓶藏を李羅の養子にせよとの事を記し、猶ほ其中へ瓶藏宛の一通を封じ込め、是には余が昔し使ひたる羅馬内家の老僕皺薦と老女お朝との老先安く送らるゝ手宛(てあて)及び差圖(さしづ)をも記したり。
余は更に語を繼ぎて「己(おれ)は明日(あす)の婚禮が濟めば明後日(あさつて)の朝早く妻と二人で密月(みつづき)の旅に巴里へ向け出發するから、其方は己の歸るまで用は無い、李羅の許に逗留して待つが好い」と云ふに瓶藏は恐る/\「旦那樣、私しもお伴を願ひます。」
「イヤ密月の旅に伴などは邪魔になる。」
「でも先日から貴方の御樣子を伺ひまするに、外の方の婚禮前(ぜん)とは違ひ、嬉(うれし)げな色は見えず、何だか痛くお氣に掛る事が有る樣に考がへます、私しは貴方のお身の上が氣に掛り密月の間、アベリノで待て居られません」彼れが余の身を氣遣ふこと今に初(はじめ)ぬ忠義にて余は深く感じたれども「夫は其方の氣の迷ひだ」と云流(いひなが)すに彼れ猶更に熱心を加へ來り「イヤ迷ひで有ません、私しが初めて上(あがつ)た時から貴方の御樣子には何だか變な所が有り、餘ほど氣の欝(ふさ)ぐ樣に見えましたが此頃は猶更です、夜(よ)も時々は遲くまで獨り書き物を仕て居らつしやる事も有り、丁度心の底に深い傷でも有て其痛みが猶ほ癒えぬ樣に思はれます、私しがお伴をせずば行く先々で何の樣な御不自由が有(あら)うかも知れませぬから」と益々眞實に言出(いひいづ)れど勿論聽く可き事に有らねば、余は邪慳(じやけん)と知(しり)ながら之を叱り「其方は下僕(しもべ)の分際で爾深く主人の事に口を出す者で無い、眞に不自由な事が有れば其時旅行先から其方を呼寄(よびよせ)る事も出來る、李羅の許で待て居ろ」と言放つに彼れ返す言葉も無く、唯だ心配氣に首(かうべ)を垂れて退きたり。
頓て夜(よ)に入(い)りて後までも彼れ余が密月の仕度を氣遣ひ、衣服調度を取纒めて革包(かばん)などに詰ながらも、絶えず余が舉動に注意する樣子なれば、余は樣々の用事を拵へ暇の無き程言付くれど猶ほ全く安心する能はず、殊に余が身には尚(ま)だ一つ何人にも知らさずして整へねばならぬ肝腎(かんじん)の仕度あり、夜深(よふ)け人定(ひとさだ)まりて後取掛る積なれど、瓶藏が[#「瓶藏が」は底本では「瓶造が」]容易に寢に付く樣子無ければ、余は止(やむ)を得ず一杯の酒に無味無臭なる強き眠り藥りを入れ、瓶藏を呼びて之を呑ましめ、其結果如何にやと待ち居たり。
八七
頓て半時間ほどを經(へ)、余は拔足しつゝ瓶藏の室に到りて窺(のぞ)き見るに、彼れ眠藥(ねむりぐすり)の效目にて前後も知らず熟睡せり、片手に余の外套を持ち片手に刷(はけ)を持(もち)しまゝ、仰向樣(あふむけさま)に椅子に寄れるは外套の塵を拂ひも終へずして夢路に入(い)りたる者と見ゆ、是ならば彼れ最早(もは)や余の舉動を見る能はじと余は安心して居間に歸り、次に窓の戸を少し開きて戸外(おもて)の樣子を伺ふに何時(いつ)の間にか雨降出(ふりいだ)し、殊に冬の夜風の物凄きほど加はりて往來(ゆきゝ)の人も全く絶えたり、此向(このむき)ならば此上に夜の更(ふく)るを待つにも及ばず、今の中に思ふ仕事を濟せて來(こ)んと、余は雨着(あまぎ)の襟を首の上まで捲り上げ帽子眉深(まぶか)に引卸して密(そつ)と宿の裏口より立出づるに、雨の音風の音に紛らされて余の足音は宿の者さへ知る能はず。
忍び行くは孰れの地ぞ、余が曾て葬られし羅馬内家の墓窖なり、今時分墓窖に忍び行くは實に狂氣の沙汰にして、見る人あらば余を何とか稱す可き、去れど幸ひにして何人にも逢ふ事なくして目指せる場所に行き着(つき)たれば、余は是を復讐の最後の準備と心得必死となりて思ふ仕事に取掛りしが、火の氣の絶たる場所と云ひ、殊には地びたの仕事なれば其寒きこと云はん方(かた)なく果(はて)は骨までも凍るかと疑はれしも余は少しも怯まずして凡そ二時間の後漸く思ふ存分に爲し遂げ得たり此準備如何(いかん)の事ぞ、讀者遠からずして知るを得(う)べし。
歸り道は猶ほ更に淋しくして燈影(あかり)の差す家とても無ければ、余は姿(なり)にも振(ふり)にも構はず一散に走り來れり、第一に又差窺(さしのぞ)くは瓶藏の室なれど彼れ初めの通り眠りし儘なり、余は滿足して、我が室に歸り時計を見るや早や翌日の午前三時にて、即ち、余が婚禮の當日とはなりし者なり、次に雨着を脱ぎ、(そ)を泥だらけの靴と共に廢物の物入に納め、後刻(ごこく)婚禮の場に臨む余が容貌は如何にやと、鏡に向ひて照し見るに、余は唯だ「アツ」と驚きたり。
讀者よ、世に恐しき者は數々あれど余が姿の如くなるは稀なり、散亂れたる白髮(しらが)の間に青白き顏半ば現れ、全體の相合(さうがふ)唯だ復讐の一念の爲に一點の慈悲も無きかと思はるゝ迄に變り果(はて)て、轉(いと)ど光れる鋭き眼は恨を帶びて物凄し、是れなん先ほど以來、唯だ恨に勵まされ、他人に出來ぬ恐ろしき場所にて仕事せしが爲なる可し、爾(さ)は云へ斯く相合の變るほど熱心ならずば此復讐は仕遂げ得まじ。
去ればとて此顏にて婚禮の儀式に臨(のぞ)まる可きや、余と那稻と差向ひならば兔も角、外に立會(たちあ)ふ人も有る席なれば充分容貌を柔げねば成らずと思ひ、余は先づ心を落着けて煙草を呑み、猶ほ髮を撫附けて「サア波漂、待(まち)に待(まつ)たる大目的の達す可き時來りしぞ、何ぞ心を勵して喜ばしく一笑せざるや」と自ら叫び、強(しひ)て笑(ゑま)しげに顏を頽(くづ)して又鏡に向ふに、猶ほ日頃ほどには成(なら)ざれど、其の鬼らしき姿は何うやら先づ紳士らしく見ゆる迄に至りしかば、此上一眠りせば益々柔ぐならんと思ひ、鏡の前より立去る折しも「未だお休みに成りませぬか」と云ひつゝ戸を開きて入來(いりきた)るは彼の瓶藏なり、彼れ漸くに覺めしと見え、瞼(まぶた)猶ほ重氣(おもげ)にして日頃の介々(かい/″\)しき瓶藏に似ず、余は故(わざ)と怪みて「オヽ其方は先刻から何をして居た、大層靜で有たが」と云ふに彼れ面目なげに「イヤお酒に慣れぬ者ですから、ツイ醉倒(よひたふ)れて眠ツて居ました。」
「爾か夜が明れば愈々婚禮だから其方も今の中に寢て置くが能からう」と言ひ放ち、瓶藏を退けて余も直ちに臥床(ふしど)に入(い)りたり。
午前八時の頃に起出(おきいで)て再び天氣を伺へば昨夜の雨は全く止み、唯だ風のみは少しく殘れど旭日(あさひ)輝きて寧府の灣を照し、一天晴れて雲の片影も無し、儀式は午前十一時との定めなれば、間も無く身の廻りの仕度に取掛り十時少し過る頃、天晴れ花婿に成濟(なりすま)し立會の一人(にん)なるマリノ侯爵と共に馬車に乘りて宿を出(いで)たり。
豫て市民の中には余の婚禮を祝せんとて樣々の趣向を爲したるも多く、余の馬車を見るよりも其前其後に群(むらが)りて謠(うた)ふも有り躍るも有り、馬も屡々驚きて狂(くるは)んとする程なれば馭者も氣を附け徐(そ)ろ/\と通り行けども、余は唯だ生涯に又と無き最大事の期と思へば諸人(もろびと)の聲耳に入(い)らず、心の内異樣に騷立ち、嬉しきかと思へば悲しくも有り、忽ちにして我が生涯を過ちたる悔恨の念切(しきり)に起れば又恨しさ腹立しさに堪へず、狂人の如く聲を發し狂人の如く前後に構はず狂ひなば、胸中の欝屈發散して氣も落着くならんと思へど、勿論爾(さ)る事の出來る場合に有らねば唯だ有耶無耶を忘るゝ爲め、絶間(たえま)も無く口を開きマリノ侯爵に樣々の話を仕掛くるに侯爵は余の樣子を怪み、何か心に悲みを隱して強(しひ)て自ら喜ばしげに見せ掛ける者に有らぬかと見て取りし樣子なりしも、爾とは云はず、然る可く余が相手と爲る中に馬車は漸く定めの寺に着きたり。
八八
頓て定めの寺に着けば、余が婚禮を見ん爲に群衆せる人の數(すう)幾千人と云ふを知らず、老(おい)も若きも彌(いや)が上に推重(おしかさな)り、互に何か余が噂を呟けり、寺の中なる會堂の入口より、婚禮する神卓(しんたく)の前へ至るまで豫て余が寄附にて一條の絹を敷詰め、猶高貴なる天葢(てんがい)をも吊して其下に樣々に冬の花を列(つら)ねたり。
會堂の中(うち)とても群衆は外と異(かは)る事無く、唯だ一條の絹の道のみ僅(わづか)ばかり開けるにぞ、余はマリノ侯爵と共に茲を傳(つた)ひ、神卓の下(もと)に行くに此所には余が特に招きたる貴紳(きしん)の人、凡そ二十名ばかり、絹の繩を引きて群集の入込)を振り「イヤ御免蒙(ごめんかうむ)りませう。」
「船賃は望み次第だぜ。」
「夫でも御免蒙ります。」
「何故(なぜ)。」
「祕密に外國へ送て呉れなど云ふ人は何うせ法律の罪人ですから。」
「輕目郎、練とても同じ事さ。」
「イヤ違ひます、練は海賊で即ち吾々(われ/\)と同じ海の商賣です、彼れは賊ながらも吾々の船の物は決して奪はぬのみか、彼れが地中海に居る間は外の海賊が入來(いりく)る事が出來ず、吾々一同彼れの爲に何れほどの徳を得たか分りません、夫だから彼ならば無賃でも逃がして遣ますが、縁も由縁(ゆかり)も無い陸の上の罪人を逃しては、自分が罪人になりますから錢金には拘(かゝは)りません。」
成るほど船頭等の見識は斯の如き者なるかト余は私(ひそか)に感心し「イヤ私の頼む人は決して法律の罪人では無いのだよ、私の親友だよ。」
「ヱ、法律の罪人で無い、夫では隨分送て上無(あげな)い者でも有ませんが、イヤお待成(まちな)さいよ、罪人で無い者が極祕密に外國へ逃るなどとは。」
「イヤ幾等も有る例(ため)しさ、自分の家内に風波(ふうは)が有り、内に居ては苦(くるしめ)られて堪らぬから暫し身を隱し度いと云ふのサ。」
「オヽ其樣(そん)な人ならば助けても上(あげ)ませうが、全體何所(どこ)です、何所まで逃て行くのです。」
「可なり遠いがシビタ、ベツチヤの港まで送附(おくりつ)けて貰へば好い、夫から先は外の船に乘り替るから」船長は再び眉を顰め「シビタ、ベツチヤ、夫は餘り遠過(とほすぎ)ます、私しの船は彼所(あすこ)まで航海する事が出來ません、唯(ただ)此の灣内を乘る丈ですから、若し途中で波でも荒くば覆(くつが)へつて仕舞ひます。」
「夫は少し困つたなア。」
「だが外の船では可(いけ)ませんか。」
「爾サ可(いけ)ないと云ふ事は無い、唯だ其船長がお前と同じ正直者で、何時(いつ)までも祕密を守つて呉れさへすれば。」
「夫は心配に及びません、船頭などと云ふ者は口さへ留(とめ)れば爾う多舌(しやべ)る者では有ませんから」口さへ留ればと云ふ語の中には、定めし口留(くちどめ)の錢さへ呉れゝばとの心も籠(こも)れるならんと余は早くも見拔(みぬき)たれば「口留するのは無論の事さ、だが差當(さしあた)り此船と云ふ見込が有るのか。」
「有りますとも、實は或會社の荷物ばかりを積み、此次の金曜日に茲からシビタへ立つ船が有ます、其船頭は私しの兄弟も同樣ですから是に乘らせては何うですネ。」
「好いとも。」
「其代り客を載せぬ船ゆゑ、強(たつ)て載(のせ)て呉れと云へば少し高いかも知ませんが。」
「高いは承知サ。」
「廿五圓も遣て下されますれば。」
「好し、百圓遣らう」船長は飛返り「ヱ、百圓夫は一身代ですが。」
「其外に周旋料としてお前にも百圓遣るから成る丈け祕密に。」
「ヱ、ヱ、私しにも、夫は餘り勿體無くて。」
「ナニ、百や二百の金は私の身には何でも無い。」
「貴方は本統に輕目郎練です、練は最初に金の束を投出してサア是だけ遣るから直に何所其所(どこそこ)へ向け出帆しろと云ひ、返事が遲ければ直に短銃(ぴすとる)へ手を掛けましたが、貴方は前に相談し略(ほゞ)合點させて置(おい)て其上で金を出すから、夫だけ練よりも紳士です」海賊に比べて褒めるとは通常の場合に於て許す可からざる次第なれど、眼界(がんかい)狹き船長等は海賊より上の人を知らねば之が無上の尊敬なる可し、余は唯だ可笑(おかし)さを催しつゝ「イヤ私(わし)では無い、其の乘て行く人が金を出すのだ、併し其船長は其人に向ひ何事も問はぬ樣に、其人の言附には總て無言で從ふ樣に、爾して其人がシビタに上陸すれば總て其人の事を忘れる樣に[#「忘れる樣に」は底本では「忘れぬ樣に」]せねば了(いけ)ないな。」
「勿論です。イヱ今云ふ男は至て物覺えが惡い上に、忘れろと言附れば直に忘れて仕舞ひます、金より外の事には少しも氣を留(とめ)ぬ男ですから、百圓と云ふ大金を見れば其嬉しさに外の事は夢中です」余は衣嚢を探り一札(さつ)の名札(なふだ)を出し「委細猶又相談するから此名札に記して有る私の宿まで、明日(あす)でも明後日(あさつて)でも來て貰はう」と云ひ、別に百圓劵二枚を出(いだ)し「サア是が約束の賃銀(ちんぎん)だ」とて與ふるに、彼れは宛も嬉しさに夢中と爲りし如く轉々(ころ/\)として分れ去りたり。
八三
喜びて去る船長に分れ余は町の方へと歩み來(きた)るに、但(と)ある古着屋の店先に人の大勢集(つど)ふを見たれば、扨はと氣を附て眺むるに、此店は是れ余が先に墓窖より逃れ出(いで)し時立寄りて珊瑚漁夫の古服(ふるふく)を買(かひ)たる家なり、其時の事猶歴々(れき/\)と余が胸に在り、老たる主人の顏は勿論、其言ひし詞(ことば)さへ猶忘れず、彼れは確に其妻の不義を見て姦夫姦婦を刺殺(さしころ)し、今は此世に何の樂(たのしみ)も無き身なりと云へり、其後とても彼れが事を思ひ出(いだ)し、我身に引比べしことも屡々(しば/\)なる程なれど、余は人の群(むらが)れるを見、徒(いたづら)に通り過(すぐ)る事能はず、何か主人(あるじ)の身に異變でも有はせぬかと氣遣ひて人を推分(おしわ)け窺ひ見るに、アナ無慘や彼れ老人自ら短劍にて咽(のど)を突き、寢臺(ねだい)の上に血に染(そ)みて横はれるを早や警官が出張して彼れ是れと檢(あらた)むるにて有りたり、猶ほ傍(はた)の人等が私々(ひそ/\)と噂し合ふ言葉を聞くに、何の爲やら知らざれど豫てより欝(ふさ)ぎ勝(がち)に見えたるが昨夜の中に自殺せしなりと云ふ。
嗚呼余は知れり、彼れ其の一身の味氣無さに堪へず、自殺して此世を振捨去りしなり、彼れが寢臺に最古(いとふる)き女の肩掛けを敷き有るも是れ昔し其の不義の妻に買與へたる品に非ざらんや、之を敷きて其上に命を絶ちたる彼れの心察するに餘りあり、アヽ讀者、余とても亦彼れと同じく不義せる妻に我恨(わがうらみ)を復さんとする者なり、愈(いよい)よ恨みを復し得たる其後は如何になる可き、終(つひ)には彼の古着屋の主人と同じく、慰め呉(く)る人も無く、世の無常に堪兼(たへかね)て野倒死(のたれじに)する事と爲らんか、是を思へば我身の墓無(はかな)さに堪兼て片時も茲に居る能はず、余は唯だ一片の囘向(ゑかう)を口の裏に唱へつゝ顏を負(そむ)けて此所(こゝ)を立去りたり。
途々(みち/\)とても余を知れる家の窓より余が婚禮の近(ちかづ)くを祝する爲め、余が足許に花など投(なげ)る人も有たれど余は拾ひ上るも懶(ものう)く、拾上(ひろひあげ)ても其家の前を行過(ゆきすぐ)れば直ちに打捨て悄然として宿に着きしに、從者瓶藏は豫て此五六日余が樣子の異樣なるを氣遣ひ居し者と見え、其身も何やら心配げに幾度(いくたび)か余の顏を窺(のぞ)き、成る可く心を引立る如き飮物(のみもの)を作らせて余に捧げたり、余は彼れの忠實に感心し、切(せめ)ては顏持(おももち)だけも晴やかにせんと思へど深く心の底よりして欝(ふさ)ぎ來れる余が顏は容易に晴渡る可くも非ず、頓て日の暮(くれ)に及びし頃に瓶藏は是れこそ余を引立るに足ると思ふ如く、其身から笑頽(ゑみくづ)れて一通の手紙を持來れり、受取り見れば擬(まが)ふ方なき那稻夫人の筆蹟なり、成るほど通例の人なれば婚禮の前に其の女より手紙を得(う)るは定めし氣の晴れる事なる可きも、余に於ては結句(けつく)感慨を深くするのみ、先づ瓶藏を退けし上、何事にやと開き見るに「二三の貴夫人今夕(こんせき)妾を祝する爲め觀劇を催すに由り御身も八時頃より來會あれ」との事を記せり。
芝居など見る心は無けれど是も許婚の所天たる我役(わがやく)を果せる道なれば、家に一夜、考へ明すより優(まし)ならんと思ひ、其刻限を待ち、那稻に贈る花束を作らせ、其束の結び目には鼈甲の枠に眞珠を嵌(は)めたる高價なる留針(とめばり)を挿し、之を携へて劇場に到見(いたりみ)るに正面の棧敷に當時時めく四五の夫人打集(うちつど)ひ、其中に又一入水際離れて美しきは即ち余が二度の妻那稻なり、前棧敷に在る見物の顏も、半ば此の方に捻曲(ねぢまげ)られし如くなるは衆目の那稻に注げるを知る可し。
余は成る可く熱心なる戀慕の人を氣取り其棧敷に入行(いりゆ)きて花を贈るに、那稻の喜びや居並ぶ夫人達の祝言(いはひごと)など管々(くだ/\)しくて余が耳に蒼蠅(うるさ)き程なり、挨拶一通りを終りて舞臺の有樣を如何にと見るに此度(このたび)羅馬より來りし當國一の滑稽芝居師一座にて其の脚色(しくみ)は年老たる一紳士が若き妻を迎へ其妻に豫てより若き隱男(かくしをとこ)あり、所天の留守に男と酒など酌交(くみかは)し、共に/\所天を罵ると云ふ筋にて、所天は早く妻に安心させ度いと云ひ衣紋(えもん)作りつ花道より歸り來(きた)るに、我家の門(かど)の戸堅く鎖(とざ)し、推せど叫(たゝ)けど開く者なく、其中に雨の降出し折角妻に見せん爲め注意して着飾れる被物(きもの)まで、グシヨ濡(ぬれ)と爲り困(こん)じ果(はつ)るを可笑(をかし)みより、妻が男と共に節穴より之を窺(のぞ)き突(つゝ)き合(あつ)て面白がる樣、只管(ひたすら)腹を抱へしむる程にて、時々に喝采の聲も起り、余が妻那稻も我れを忘るゝ程打歡(うちよろこ)ぶにぞ余は殆ど苦々しさに堪へず、如何なれば到る所に余が神經を刺戟(しげき)する事のみ多きやと訝りながら輕く那稻の手を引きて「夫ほど此芝居を面白いと思ひますか」と問ふに那稻は猶半ば夢中にて「先ア那の所天の馬鹿げた樣が實に面白いでは有ませんか」と云ふ。
「イヤ所天は總て此通り馬鹿げた者です、斯まで馬鹿にされるとは知らずに婚禮を喜ぶのが人の情ですが」と余は堪へ兼たる厭味(いやみ)の言葉を漏らすに那稻は初めて心附(こゝろづき)し如く「アレ貴下(あなた)は先ア」と云ひ、暫し次の句を考へ「芝居と本統の世間とは違ふぢや有ませんか。」
「イヤ違ひます、けれど芝居は世間の有樣を冩すのです、併し同じ所天でもナニ妻から馬鹿にされて知ずに居る者ばかりでは有ませんから」と言切たり、那稻は之を何と聞くにや。
八四
流石那稻は幾分か余の機嫌を損ぜしと見て取しか、是よりは復(ま)た芝居にのみ夢中とはならずして痛く余に勉(つと)めたれば、余も寧ろ我言(わがい)ひ過(すぎ)を悔い、復讐の既に眼前まで推寄せたる今と爲り斯る事云ふ可きに非ずと思ひ、是より芝居の終るまで、共々に打興じ何事も無く濟みたり。
此翌日は即ち婚禮の前日なれば余は早く起出(おきいだ)しが、泣くも笑ふも今日限りなりと思へば昨夜の見舞を兼て、先づ同行せし夫人達の家を訪(と)ひ、最後に那稻が許に到るに彼れ萬端の用意整ひたるを説き、婚禮の時に着る衣服など示し終り、此上は唯だ明日(あす)より後の樂みを語(かたら)ふのみなりと云ひ、余を日當り好き縁側に連れ行きつ二個(ふたつ)の椅子を相對(さしむか)へて膝を交へぬ、世の常の婚禮なれば是こそ二人が爲め最も樂しき時なる可し。
縁先に咲亂(さきみだれ)たる椿の花、美しけれど那稻の姿に及ばず、軒端(のきば)に囀(さへづ)る小鳥の聲、爽かなれど那稻の語(ことば)に如かず、他(か)れ殊に顏の半面を日方(ひなた)に向け其美しさを惜げ無く映出(うつしいだ)して余が恣(ほしいまゝ)に打眺(うちながむ)るに任せるにぞ、余は倩々(つく/″\)と見て今更の如く打感じぬ、彼れが心若し彼れが顏の如くなりせば、余は彼れが奴隷と爲り、彼れが爲めに喜びて一命をも抛(なげう)つ可きに、彼れが紅の唇は何人たりとも唯だ彼れが意の向ふ人の偸(ぬす)み吸ふに任せ、其雪よりも清(きよ)げに見ゆる膚(はだ)は豚屋(ぶたや)の看板にも均しく金持(かねもて)る人の目を引(ひか)んとするに過ず、彼れ實に造化が奇を好む餘(あまり)に出(いで)し作り物にて其顏に世界中の美を集め、其心に世界中の醜(しう)を集めし者なり、徳も無く操も無く、悉く己を愛する人に毒す、波漂と云ひ魏堂と云ひ波漂再生の余と云ひ、彼れが爲めに世に類の無きまでに恐ろしき恨(うらみ)を呑みて憤死する惡運に陷れり、今余が復讐の大決心を以て一刀兩斷に彼れを仕留めずば、彼れ此上に何人の人を欺き幾度(いくた)び此世を毒せんも知る可からずと、余は黒き目鏡の底に於て怒る眼を光せども余が顏は彼れに向ひて日影に在れば彼夫れと知るや知ずや、唯だ其美しき顏に一段/\の嬉しさを加へ來(きた)るのみ。
果は嬉しさを包み兼ぬる如く、笑頽(ゑみくづ)れて口を開き「貴方は本統に昔々譚(むかしばなし)に在る天子樣の樣です成さる事は他人に眞似の出來ぬほど十分豐(ゆたか)に成されるし貴方の樣に物事が豐なれば何れほどか幸福でせう」余は猶ほ例の冷淡なる口調にて「イヤ夫人、豐でも貧しくても愛ほどの愉快は有ません。[#「」」欠字か]
「イヱサ貴方は豐な上に愛を得て居るでは有りませんか、世間に誰が貴方を愛さぬと申します」「イヤ其愛は皆金錢から來るのです、私しが金錢に豐かで、私しを愛すれば直に夫だけの得が有るから愛するのです、若し私しが貧乏ならば構ひ附けぬ人ばかりでせう。」
「イヤ私しまでも其仲間にお數へ成(なさ)るのですか」と問ひ、目を開(ひ)らきて余の顏を見詰むれども余が頓(とみ)に返事せぬを見「世間の人は其の樣な事の爲に貴方を愛するかも知れませんが、夫婦約束までする者が何で金錢などを思ひませう、夫では金錢の爲め愛を賣ると云ふ者です、貴方のお身に愛す可き所が有り此人ならばと思ひ込めばこそ、獨身の喜樂(きらく)な生涯を棄(す)て貴方と一つに成るのでは有ませんか、金錢は豐でも何時(いつ)盡(つく)るか分らぬ者、夫を目的(めあて)に生涯の約束が出來ませうか」と云ふ言葉何ぞ夫れ尤もらしきや、今に初めぬ事ながら余は那稻の口先は巧妙なる笛の瓣(べん)と同じ樣に作られて、人の心を聞醉(きゝよ)はしむる爲に仕組(しくま)れし者にやと怪みつゝも其色は更に見せず「イヤ爾云ふて下されば安心です、年老(としより)は兎角疑ひ深く、實の所ろ私しは何故(なにゆゑ)自分が貴女の愛を得たで有(あら)う、若しや唯だ萬事に豐なと云ふ爲では有るまいかと折折(をりをり)氣遣つた事も有ます」「ソレは又餘り私しを見くびると云ふ者では有ませんか。」
「イヤ最う全く疑ひが晴れました、爾云て下されば眞實私しが氣を許す證據として、貴女に知せる事が有ます。」
言掛けて余は勿體らしく聲を低くし、那稻が何事にやと氣遣ふ樣を味(あぢは)ひつゝ「今(いま)し方(がた)貴女は私しの事を昔々譚の天子の樣だと云ましたが、或は爾かも知ません、昔々譚の天子の外は持て居無い程の寶を私しは持て居ます」寶と聞きて、早や眼の光初(ひかりはじ)むるは隱すにも隱されぬ彼れが貪慾の天眞(てんしん)なる可し「ヱ、何と仰有います。」
「イエ此世に又と無い寶物です、先日ソレ貴女へ珠玉を贈りましたでせう、お目に掛る前に引出物として、ヱ、貴女はお忘れに成ましたか」那稻は腹の底より身體中を頭(かぶり)に振り「何うしてアレを忘れませう、勿體ない、那れは私しの命と思ふ程大事に仕て居ます、婚禮の時に飾るのもアノ珠玉です、那れは貴方、天女でも持て居ぬ程の品ですが。」
「ハイ、天女にも持たぬ程の品を、天女にも無い程の美人に贈るから少しも惜いと思ひません、併し私しの蓄へて居る寶物に比べてはアレハ何でも有ません。」
「ヱ、那の上の珠玉が。」
「ハイ猶(ま)だ有ます、私しの手に有ります。」
「爾して夫れは。」
「ハイ婚禮すれば皆貴女の物に仕て頂き度いと思ふのです。」
那稻が顏は餘りの嬉しさに赤くなり又青くなれり。
八五
那稻の喜ぶ樣は屡々見たれど此時の如く眞實熱心に喜びたるを見ず、彼れ殆ど我を忘れて余に獅噛附(しがみつ)くかと思はれしが、自ら餘りに端下無(はしたな)しと思ひしか、僅ばかり落附きて「ヱ、其寶を私しに下さると仰有るのですか。」
「ハイ婚禮が濟めば直に。」
「直に私しへ、皆(み)んな殘らずと。」
「ハイ皆(みん)な殘らずでも其中の撰拔(えりぬき)でも總て貴女の御隨意です、其中には血の色より猶赤い紅寶石(こうはうせき)も有ますれば、恨み重る復讐者が切結びたる刀の光より猶ほ光る夜光珠(だいやもんど)も有り、眞珠は死だ少女の握(にぎつ)た手よりも猶清く、黄珠(くわうじゆ)は薄情女の心より猶變化に富で居ます」と、余は那稻に愛想の盡たる餘り、知らず知らず斯く恨しげなる喩(たとへ)を引くに、那稻は聞來(きゝきた)りてソツと恐しさに身震(みぶるひ)する如く見えたれば、之はしたりと余は驚きて言葉を柔(やはら)げ「オヤ夫人、貴女は何に驚きました、アヽ私しの比喩(たとへ)がお心に障(さは)りましたか、之は/\飛(とん)だ事を云ひましたよ、御覽の通り私しは武骨者で詩人の云ふ樣な綺麗な事は云ひません、唯だ心に浮んだ儘を喩へたのです」と慰むるに、根が慾心に滿々て唯だ嬉(うれし)さの込上(こみあがり)たる折柄(をりから)なれば直ちに機嫌を直せり。
暫くにして彼れは何事をか思案しながら「其樣な品は寧府に又と有ますまいよ。」
「寧府は愚か巴里(ぱり)へ行ても有ません、恐(おそら)く世界中に又と有りますまい」那稻は益々笑壺(ゑつぼ)に入(い)り「[#底本では「「」欠字]私しが夫れを飾れば何れ程か寧府中の婦人達が羨む事でせう、ですが其の寶は何所に在ます、直に拜見する事は出來ませんか」嗚呼彼れが見たしと云ふは余が何よりも滿足する所なり、余は早や復讐の事成れりと彼よりも猶一入喜べども其色は毛ほども見せず「勿論お目に掛けますとも併し今直(いますぐ)と云ふ譯には行きません、明晩お目に掛ませう、明晩婚禮の儀式の濟(すん)だ後で」「オヽ待遠(まちどほ)い事。」
「待遠(まちどほし)くてもナニ明日(あす)の晩です、其時には最一(もひと)つの約束と共に。」
「ヱ、尚一(もひとつ)の約束とは。」
「ソレ貴方が何時か私しに此黒眼鏡を外して私しの目を見せろ[#「目を見せろ」は底本では「目を見せる」]と仰有つたでせう。」
「ハイ申(まをし)ました、自分の所天が何の樣な眼で有るか妻が夫を知らずに居ると云ふ事は有ませんゆゑ、夫も寶と一緒に見せて下されますか。」
「ハイ、其代り私しの目は寶と違ひ夫人達の見て喜ぶ樣な優しい目では有ませんよ」寧ろ恨(うらみ)に光る恐ろしき波漂羅馬内の眼なるぞと、殆ど口まで出(いで)たれど是だけは云はずに止みたり。
「世間の人は喜ばずとも私は喜びます、ですが今仰有る寶は何所に在ます」余は又も聲を低くし「實はネ、誰も氣の附かぬ不思議な所へ隱して有ります。」
「オヤ貴方は本統に昔々譚の樣な事を仰有る、眞逆(まさか)に山の洞の中では有ますまいネ。」
「先ア/\其樣な所と思て居(を)れば失望しません。[#「失望しません。」は底本では「失望しません」」]夫を見るには私しと共に少しばかり歩まねば了ませんから。」[#「」」欠字か]
「併し!」
「併し何(な)に山の洞と云ふ樣な遠い所では有ませんよ、是が若し世間に類の有る樣な寶ならば別に隱し置く必要も無く、自分の家が不安心なら確な銀行へ預(あづけ)ても構ひませんが又と類の無い尤物(いうぶつ)で、何れほど正直な人でも欲(ほし)がらずには居られ無い程の品ゆゑ、徒(いたづら)に人に見せ欲がらせるのは邪見(じやけん)です、自分の妻より外の者へは錢金でも讓る氣が有ませんから夫で祕(ひ)し隱しに隱すのです、夫も是も總て吾妻(わがつま)の爲ですから。」
那稻は益々其の寶の容易ならぬを思ひ、今は見度さに堪へぬ如く「シテ明晩の何時頃に。」
「左樣サ、婚禮が濟で祝宴と爲り、來客孰れも躍り興じ夢中に成て居る暇を伺ひ、ソツと二人で忍び出て、見て來ませう」餘り異樣なる時なれば、流石の彼れも何と無く危(あやぶ)むにや、余の顏を見詰たれば、余は奧の手を出(いだ)し「イヤ、何も他人に盜れる患(うれ)ひの無い極(ごく)安全な場所ですから、明夜急いで見て來るにも及びますまいか、明後日(みやうごにち)の朝直(すぐ)に貴女と二人で巴里へ向け密月(みつつき)の旅に立ますから、其旅が濟み、歸て來てから弛々(ゆる/\)見ると云ふ事に仕ませうか」と云ふに彼れ忽ち余が術に落入りて「イヱ/\明夜見て來ませう、折角其樣な寶が有るのに夫を持たずに巴里へ行(ゆ)くのは馬鹿げて居ます、其中の重(おも)なる物を持ち巴里へに行て直に飾物師(かざりものし)の店へ送り、色々の飾物に作らせれば夫れだけで最う吾々の噂は巴里中の貴婦人社會へ聞え、世に此樣な寶を持て居る人が有たかと驚きます、ハイ明夜幾等遲く成ても構ひませんから見に行て取て來ませう」余は占めたと思ひ、腹の中にて獨り笑みたり。
八六
寶物を取に行(ゆ)くとは慾深き那稻が心は如何ほどか嬉しかる可き、去れど此返事を聞く余が心は那稻よりも猶嬉し、余が復讐の手續(てつゞき)は此の返事唯一つにて、落(おち)も無く運びたればなり。依(よつ)て余は明日(あす)婚禮の席にて目出度(めでた)く顏を合はせるの約束を爲し、通例の許婚兩個(ふたり)が分るゝ如く、分れを惜みて分れ歸れり。
嗚呼今日一日が命の瀬戸(せと)、一切の準備濟みたりとは云へ猶ほ今日ならでは運び難き事柄も無きに非ず、總て運動の順序を附け手筈を定めて歸り來たるに出迎ふる瓶藏は「先刻より貴方のお歸りを待て居る方が有ます」と云ふ、扨はと頷き應接の間に入(い)りて見るに是れ別人ならず、先の日シビタ行(ゆき)の船を頼みし彼の船長の羅浦なり、彼れ必ず船の都合を整へて其知らせに來し者ならんと思へば言葉短く樣子を問ふに、彼れ何も彼も註文(ちうもん)通りに運べりと云ひ、明後(みやうご)朝の五時より七時の間に出帆する都合なれど、其上に猶ほ二時間は待て呉れる事に話し置きたりとの事なり。明後朝の五時より七時、是れ余に取りての最も都合好き時間なれば、余は其上を待つに及ばずとて、彼れの注意の能く屆きしを謝し、更に必要と認めて豫て作り置きたる荷物一個を彼れに渡し、是は出帆の時まで船長に預け置き呉れと頼み、猶ほ彼れに幾等かの物を取らせて歸したり。此荷物は古き革包(かばん)に錠卸(じやうおろ)したる物にして貧(まづし)き旅客(りよかく)の持物かと疑はるれど中には余が使ひ殘せし幾千萬の紙幣のみを詰めし者なり。次に余は瓶藏を呼寄せて「知ての通り明日(あす)は愈々那稻夫人と婚禮する事に成たが。」
「ハイ存(ぞんじ)て居ます。」
「夫に就き其方(そのはう)に少し言附る用事が有る、其方は己(おれ)の使ひと爲りアベリノなる李羅の家(うち)まで行て來い」余は固(もと)より明日(あす)を限りに此世には用の無き身、彼れに體(てい)よく暇を遣り彼れを其望みの通り李羅と夫婦に爲し遣りて後々まで樂く暮さしむる積なり。
瓶藏は少し怪みながら「貴方の仰せと有らば行て來ますが、明日(あす)此地を立つとしても、往復に三日は掛りますから。」
「爾サ往復に三日掛るが、縱(よし)んば四日五日掛つても好い、サア李羅の母へ此手紙と此箱を屆けて來い」と云ひ密封したる箱一個書状一通を渡したり。箱の中には瓶藏が生涯を送らるゝ丈の資金を入れ、手紙には李羅の母へ向け、瓶藏を李羅の養子にせよとの事を記し、猶ほ其中へ瓶藏宛の一通を封じ込め、是には余が昔し使ひたる羅馬内家の老僕皺薦と老女お朝との老先安く送らるゝ手宛(てあて)及び差圖(さしづ)をも記したり。
余は更に語を繼ぎて「己(おれ)は明日(あす)の婚禮が濟めば明後日(あさつて)の朝早く妻と二人で密月(みつづき)の旅に巴里へ向け出發するから、其方は己の歸るまで用は無い、李羅の許に逗留して待つが好い」と云ふに瓶藏は恐る/\「旦那樣、私しもお伴を願ひます。」
「イヤ密月の旅に伴などは邪魔になる。」
「でも先日から貴方の御樣子を伺ひまするに、外の方の婚禮前(ぜん)とは違ひ、嬉(うれし)げな色は見えず、何だか痛くお氣に掛る事が有る樣に考がへます、私しは貴方のお身の上が氣に掛り密月の間、アベリノで待て居られません」彼れが余の身を氣遣ふこと今に初(はじめ)ぬ忠義にて余は深く感じたれども「夫は其方の氣の迷ひだ」と云流(いひなが)すに彼れ猶更に熱心を加へ來り「イヤ迷ひで有ません、私しが初めて上(あがつ)た時から貴方の御樣子には何だか變な所が有り、餘ほど氣の欝(ふさ)ぐ樣に見えましたが此頃は猶更です、夜(よ)も時々は遲くまで獨り書き物を仕て居らつしやる事も有り、丁度心の底に深い傷でも有て其痛みが猶ほ癒えぬ樣に思はれます、私しがお伴をせずば行く先々で何の樣な御不自由が有(あら)うかも知れませぬから」と益々眞實に言出(いひいづ)れど勿論聽く可き事に有らねば、余は邪慳(じやけん)と知(しり)ながら之を叱り「其方は下僕(しもべ)の分際で爾深く主人の事に口を出す者で無い、眞に不自由な事が有れば其時旅行先から其方を呼寄(よびよせ)る事も出來る、李羅の許で待て居ろ」と言放つに彼れ返す言葉も無く、唯だ心配氣に首(かうべ)を垂れて退きたり。
頓て夜(よ)に入(い)りて後までも彼れ余が密月の仕度を氣遣ひ、衣服調度を取纒めて革包(かばん)などに詰ながらも、絶えず余が舉動に注意する樣子なれば、余は樣々の用事を拵へ暇の無き程言付くれど猶ほ全く安心する能はず、殊に余が身には尚(ま)だ一つ何人にも知らさずして整へねばならぬ肝腎(かんじん)の仕度あり、夜深(よふ)け人定(ひとさだ)まりて後取掛る積なれど、瓶藏が[#「瓶藏が」は底本では「瓶造が」]容易に寢に付く樣子無ければ、余は止(やむ)を得ず一杯の酒に無味無臭なる強き眠り藥りを入れ、瓶藏を呼びて之を呑ましめ、其結果如何にやと待ち居たり。
八七
頓て半時間ほどを經(へ)、余は拔足しつゝ瓶藏の室に到りて窺(のぞ)き見るに、彼れ眠藥(ねむりぐすり)の效目にて前後も知らず熟睡せり、片手に余の外套を持ち片手に刷(はけ)を持(もち)しまゝ、仰向樣(あふむけさま)に椅子に寄れるは外套の塵を拂ひも終へずして夢路に入(い)りたる者と見ゆ、是ならば彼れ最早(もは)や余の舉動を見る能はじと余は安心して居間に歸り、次に窓の戸を少し開きて戸外(おもて)の樣子を伺ふに何時(いつ)の間にか雨降出(ふりいだ)し、殊に冬の夜風の物凄きほど加はりて往來(ゆきゝ)の人も全く絶えたり、此向(このむき)ならば此上に夜の更(ふく)るを待つにも及ばず、今の中に思ふ仕事を濟せて來(こ)んと、余は雨着(あまぎ)の襟を首の上まで捲り上げ帽子眉深(まぶか)に引卸して密(そつ)と宿の裏口より立出づるに、雨の音風の音に紛らされて余の足音は宿の者さへ知る能はず。
忍び行くは孰れの地ぞ、余が曾て葬られし羅馬内家の墓窖なり、今時分墓窖に忍び行くは實に狂氣の沙汰にして、見る人あらば余を何とか稱す可き、去れど幸ひにして何人にも逢ふ事なくして目指せる場所に行き着(つき)たれば、余は是を復讐の最後の準備と心得必死となりて思ふ仕事に取掛りしが、火の氣の絶たる場所と云ひ、殊には地びたの仕事なれば其寒きこと云はん方(かた)なく果(はて)は骨までも凍るかと疑はれしも余は少しも怯まずして凡そ二時間の後漸く思ふ存分に爲し遂げ得たり此準備如何(いかん)の事ぞ、讀者遠からずして知るを得(う)べし。
歸り道は猶ほ更に淋しくして燈影(あかり)の差す家とても無ければ、余は姿(なり)にも振(ふり)にも構はず一散に走り來れり、第一に又差窺(さしのぞ)くは瓶藏の室なれど彼れ初めの通り眠りし儘なり、余は滿足して、我が室に歸り時計を見るや早や翌日の午前三時にて、即ち、余が婚禮の當日とはなりし者なり、次に雨着を脱ぎ、(そ)を泥だらけの靴と共に廢物の物入に納め、後刻(ごこく)婚禮の場に臨む余が容貌は如何にやと、鏡に向ひて照し見るに、余は唯だ「アツ」と驚きたり。
讀者よ、世に恐しき者は數々あれど余が姿の如くなるは稀なり、散亂れたる白髮(しらが)の間に青白き顏半ば現れ、全體の相合(さうがふ)唯だ復讐の一念の爲に一點の慈悲も無きかと思はるゝ迄に變り果(はて)て、轉(いと)ど光れる鋭き眼は恨を帶びて物凄し、是れなん先ほど以來、唯だ恨に勵まされ、他人に出來ぬ恐ろしき場所にて仕事せしが爲なる可し、爾(さ)は云へ斯く相合の變るほど熱心ならずば此復讐は仕遂げ得まじ。
去ればとて此顏にて婚禮の儀式に臨(のぞ)まる可きや、余と那稻と差向ひならば兔も角、外に立會(たちあ)ふ人も有る席なれば充分容貌を柔げねば成らずと思ひ、余は先づ心を落着けて煙草を呑み、猶ほ髮を撫附けて「サア波漂、待(まち)に待(まつ)たる大目的の達す可き時來りしぞ、何ぞ心を勵して喜ばしく一笑せざるや」と自ら叫び、強(しひ)て笑(ゑま)しげに顏を頽(くづ)して又鏡に向ふに、猶ほ日頃ほどには成(なら)ざれど、其の鬼らしき姿は何うやら先づ紳士らしく見ゆる迄に至りしかば、此上一眠りせば益々柔ぐならんと思ひ、鏡の前より立去る折しも「未だお休みに成りませぬか」と云ひつゝ戸を開きて入來(いりきた)るは彼の瓶藏なり、彼れ漸くに覺めしと見え、瞼(まぶた)猶ほ重氣(おもげ)にして日頃の介々(かい/″\)しき瓶藏に似ず、余は故(わざ)と怪みて「オヽ其方は先刻から何をして居た、大層靜で有たが」と云ふに彼れ面目なげに「イヤお酒に慣れぬ者ですから、ツイ醉倒(よひたふ)れて眠ツて居ました。」
「爾か夜が明れば愈々婚禮だから其方も今の中に寢て置くが能からう」と言ひ放ち、瓶藏を退けて余も直ちに臥床(ふしど)に入(い)りたり。
午前八時の頃に起出(おきいで)て再び天氣を伺へば昨夜の雨は全く止み、唯だ風のみは少しく殘れど旭日(あさひ)輝きて寧府の灣を照し、一天晴れて雲の片影も無し、儀式は午前十一時との定めなれば、間も無く身の廻りの仕度に取掛り十時少し過る頃、天晴れ花婿に成濟(なりすま)し立會の一人(にん)なるマリノ侯爵と共に馬車に乘りて宿を出(いで)たり。
豫て市民の中には余の婚禮を祝せんとて樣々の趣向を爲したるも多く、余の馬車を見るよりも其前其後に群(むらが)りて謠(うた)ふも有り躍るも有り、馬も屡々驚きて狂(くるは)んとする程なれば馭者も氣を附け徐(そ)ろ/\と通り行けども、余は唯だ生涯に又と無き最大事の期と思へば諸人(もろびと)の聲耳に入(い)らず、心の内異樣に騷立ち、嬉しきかと思へば悲しくも有り、忽ちにして我が生涯を過ちたる悔恨の念切(しきり)に起れば又恨しさ腹立しさに堪へず、狂人の如く聲を發し狂人の如く前後に構はず狂ひなば、胸中の欝屈發散して氣も落着くならんと思へど、勿論爾(さ)る事の出來る場合に有らねば唯だ有耶無耶を忘るゝ爲め、絶間(たえま)も無く口を開きマリノ侯爵に樣々の話を仕掛くるに侯爵は余の樣子を怪み、何か心に悲みを隱して強(しひ)て自ら喜ばしげに見せ掛ける者に有らぬかと見て取りし樣子なりしも、爾とは云はず、然る可く余が相手と爲る中に馬車は漸く定めの寺に着きたり。
八八
頓て定めの寺に着けば、余が婚禮を見ん爲に群衆せる人の數(すう)幾千人と云ふを知らず、老(おい)も若きも彌(いや)が上に推重(おしかさな)り、互に何か余が噂を呟けり、寺の中なる會堂の入口より、婚禮する神卓(しんたく)の前へ至るまで豫て余が寄附にて一條の絹を敷詰め、猶高貴なる天葢(てんがい)をも吊して其下に樣々に冬の花を列(つら)ねたり。
會堂の中(うち)とても群衆は外と異(かは)る事無く、唯だ一條の絹の道のみ僅(わづか)ばかり開けるにぞ、余はマリノ侯爵と共に茲を傳(つた)ひ、神卓の下(もと)に行くに此所には余が特に招きたる貴紳(きしん)の人、凡そ二十名ばかり、絹の繩を引きて群集の入込(いりこ)むを防ぎたる設(まうけ)の席に居列(ゐなら)べり、余は是等の人々に挨拶を濟せし上高き神卓の傍(そば)まで昇り行き茲に控へて待受くるに、最も余の眼に留(とま)り又余の心に關するは傍(かたはら)の壁に畫(えが)きし古(いにしへ)の聖人尊者などの像なり、勿論余が神經の迷(まよひ)なれど、總ての畫像(ゑすがた)、活(いき)たる人の如く余を繞(めぐ)りて余が邪慳(じやけん)なる復讐を叱るかと疑はる「アヽ波漂、汝は此復讐を思ひ止(とゞま)る事は出來ぬや、汝は一點の慈悲心無きや」何うやら斯の如き聲の余が耳に入(い)る如き心地すれど、余は斷乎(だんこ)として又心に答へぬ「否、否、この邪慳なる復讐の爲め未來永々地獄の底に投入(なげいれ)られ、絶(たゆ)る時なき火の中に燒(やか)るゝとも今は、然り今は、猶此世の人なり、此世の復讐を仕遂(しとげ)ずして止(や)む可けんや」と。
實に余は此復讐の邪慳なるを知る、又余が行ひの罪深きを知る、去ればとて是れ余が初て決心せし時より分りし事、今更尚(なほ)何ぞ思ひ留(とま)るを得ん、女の不實は世とし時として無きは莫(な)けれど、此世に於て充分に之を罸(ばつ)せし者ある事なし、余が前にも既に無ければ余が後にも亦無き事ならん、余をして唯だ一度女の不實を罸せしめよ、余にして之を罸せずんば女の不實は天地開闢の初より、世界終滅の末日まで終(つひ)に此世に充分なる罰を得ずして濟む事を得ん、惠み深き基督(きりすと)の肖像も兩手を開きて余が目の前に在り「來れ、來(きた)る者は救はれん」と余は呼給(よびたま)ふ如くなれど、余は復讐を捨て行く能はず、此復讐を終らずば基督にも惡魔にも天堂にも地獄にも行く能はず、アヽ余は狂(きやう)せり、實に復讐の爲めに狂せり。
此時若し喨々(りやう/\)たる音樂の余が四邊より起ること無かりせば余は我が心に積む恨みに堪へず、實に發狂して、手を握り齒を噛締め、神卓の前に立上りしも知る可からず、唯幸ひに豫て備へ置きし音樂手(おんがくしゆ)は徐(おもむろ)に微妙の音(おん)を送り來り、宛も慰むる如く余が耳に入(いり)しより、余は漸くに此席是れ婚禮の席なるを思ひ起し、我が怒(いかり)を推鎭(おししづ)め我が胸を落着けたり。
是れ婚禮の席なる乎(か)、思へば實に二度目の婚禮なり、所天は余、妻は那稻、同じ場所にて同じ人、同じ二度目の婚禮を舉(あぐ)るとは眞に不思議な縁なる哉、否々是れ婚禮に非ず、余と那稻は既に最初の婚禮にて夫婦なり、夫婦にて又婚禮すると云ふ事あらんや、此度は復讐なり離縁なり、余と那稻の間に殘る汚はしき夫婦の縁を此儀式にて切破るなり、先の婚禮は寧ろ余と那稻を繋ぎしよりも、余と親友魏堂とを切離す元と爲り、今は余と那稻を切離す元と爲る、不思議と云はずして何とか云はん。
余は斯く思案しつゝ窃(ひそ)かに衣嚢(かくし)を探りて那稻に與ふる婚禮の指環を取出(とりいだ)し、獨り其光の一方(かた)ならぬを見又滿足して元に納めぬ、此指環是れ余が魏堂の死骸より拔取りたる者なり、先に余波漂が那稻と縁を固めし時夫婦の記章(しるし)として環(は)めたる者にて、唯だ那稻に夫と悟られぬ爲め、金銀細工師の手に掛けて少し其形を替させ、更に新しく磨せたる者なり、此指環を那稻に歸さば最(こ)れ那稻と余笹田折葉との縁を繋ぐにあらで、那稻と余波漂との縁を切るなり、那稻の眼(まなこ)明(あきらか)なりとも此指環を先の波漂の品なりとは氣附得(きづきえ)じ、暫くにして十一時の鐘の鳴ると齊(ひとし)く横手なる入口の戸を開く者あり、余は其所より入來(いりく)る人の姿を見ぬうちに先づ口々に呟き逢ふ諸人(もろびと)の聲を聞けり、諸人は何を呟けるにや、余は少し首を斜(なゝめ)にし入口の方(かた)を打眺めて初(はじめ)て知れり、入來(いりく)るは余が妻那稻にして諸人の呟くは其美しさに驚きたるなり、那稻の美しさ今に初めぬ事なれど、見慣れ且つ憎慣(にくみな)れたる余さへ是はと思ふばかり日頃より又立優(たちまさ)る姿なり、アヽ讀者、愈々余が待ちに待つたる復讐の時定まれり、愈々今夜と云ふ今夜なり。
八九
入來(いりきた)る妻那稻は、此度(このたび)の婚禮に假に父分と定めたる紳士マンシニ氏に手を引かれ其腕に(もた)れてあり、徐ろ/\と歩み來(く)る其姿は最も清楚なる作りにして白き天鵞絨(びらうど)の服に飾りとては唯だ夜光珠(だいやもんど)のみなれど、其の上に掛けたる外被(かつぎ)は烟(けむ)の如く霧の如き組糸にして、價(あたひ)は夜光珠に劣らぬ程尊(たつと)かる可く、(そ)を首(かうべ)より裳(すそ)まで垂れしは世間の婦人の眞似だも出來ぬ拵(こしら)へなり、彼れが斯く淡白に粧(よそ)へるは、其身が既に寡婦にして即ち二度目の婚禮なるに由(よ)り一つは又今夜祝宴の席に入(い)り尤も華美なる衣服に着替る積ゆゑ、夫と是との對映(うつりあひ)を目立しめんと思ふに寄るべし。
尚彼れは既に寡婦の身分たる爲め自ら花嫁と云はるゝを憚る如く、附添の女中を連(つれ)ず女中の代りに八歳ばかりなる童子をば、畫(ゑ)に在る天使(えんじえる)の如くに仕立て之を其身の供に連たり、畢竟するに初ての婚禮にて儀式萬端を知らぬ者こそ女中の附添を要するなれ、既に一たび其場を踏み萬事を心得たる者は附添人に及ばぬ筈なれば余は那稻の用意に感心せり、猶ほ那稻の前には五歳か六歳ばかりなる女の子二人、左右に分れ、宛も女皇(によわう)の先を拂ふ人の如く那稻に向ひて後樣(うしろさま)に歩みながら、那稻の前に白薔薇(はくしやうび)の花を播(ま)きつゝ進めり。是も那稻が豫て仕込みし者なる可しと余は益々感心しつ子供の顏を篤と見ると、孰れも交際社會に時めける貴人紳士の愛兒(あいじ)なり、扨は那稻の出世にあやからせんとて親達が進みて貸與(かしあた)へし者と見ゆ、是等の親達にして那稻の心と今日(こんにち)以後の運命とを知らば、決してあやかり度しとは思はぬならんに……。
一切の有樣、實に那稻の云ふ昔々譚(むかしばなし)の趣きに似たり、斯も立派なる婚禮は畫工(ゑかき)も描(ゑが)きし事無かるべし、頓て那稻は余の控(ひかゆ)る神卓の前に進み來り、余と並びて腰を卸しつ其際(そのきは)にニツと余を見て會釋(ゑしやく)せり、其顏其笑(そのゑみ)の愛らしきこと今更ら云ふも管々しけれど、余はゾツと襟元の寒きを覺えぬ、アヽ是れ畫(ゑ)にも無く天女の仲間にも亦無く、人間世間には猶更に有る事なき天下唯一の美人なり、此の美人の所天とせらるる余は如何なる果報ものぞ。
讀者、讀者余は暫しが程、其美しさに氣を呑まれ一切の恨(うらみ)も復讐の目的も打忘れて恍惚とし心の底には那稻と婚禮せし時の如き愛の情の込上(こみあげ)んとするを覺えたり、是れなん惡魔の仕業にや將(は)た神の御心にや、否々余が心の弱き爲なり、今まで計(たく)みに計みたる大復讐、茲一歩と云ふ今と爲り豈(あ)に心弱くして叶(かなは)んやと、漸く氣附きて我が恨を呼起(よびおこ)し再び那稻を見し時は那稻早や神の御前(みまへ)に首(かうべ)を垂れ、默祷に餘念も無きは、夫婦としての此後(こののち)の幸福を祈るにや、彼が汚れたる心にて祈るとも唯だ神を涜(けが)すのみなり、夫とも祈れる振をして控ゆる丈の事なるや、何さま其姿の殊勝げなるは流石尼寺に人と爲りし身だけ有りて、心なき木石をも感動せしむるかと思はるゝ程なれば、余は愛と恨の兩道(ふたみち)に心を引(ひか)れ孰れが孰れ、殆ど夢中の想(おもひ)あり。
余も默然(もくねん)として神前に首を垂れたり、此世の恨みと此世の愛に屈託すること余が如き者神の御心に叶ふこと思ひも寄らず、余と那稻と孰れが心黒く孰れが罪深き、自分にも分らぬ程なれば、畢竟余を斯までに墮落せしめしも僞り深き那稻の所爲(しよゐ)なれば嗚呼余は那稻を恨まざる能はず、如何ほどの愛情、湧出(わきいづ)るとも余が恨を消すに足らず、愛の燃(もゆ)れば燃るほど恨み百倍に募(つの)り來り、祈る言葉も語を爲さず、最早や是れ神も無用、祈りも無用、唯だ初(はじめ)より決せし通り復讐の一筋あるのみ、復讐の外の道に心を引入(ひきい)らる可けんやと、漸く思ひ定めて余の首を上(あぐ)るに早や長老を始め其他の僧侶、夫々の席へ構へ居(を)るにぞ、余は天主教の儀式に從ひ、妻に贈る可き固めの指環を祈祷書の上に置くに長老は之に神聖なる水を注ぎ直(たゞち)に清め終りたれば余は之を取返し第一に那稻の母指(おやゆび)に之を環(は)め、次に人指指(ひとさしゆび)、次に中指と段々に移し置き、最後は其無名指(くすりゆび)に環め終りぬ。
那稻は此の指環に氣附きしや否、氣附しならば愕然として驚かずとも幾何(いくら)か怪む色の現(あらは)る可きに、彼れ少しも其色なきは全く氣の附かぬ者なる可し。殊に彼れ最初の婚禮とは違ひ、左まで顏紅(かほあか)むる事も無く、少しの事に戸迷(とまよ)ふなどの事も無く、充分落着き、充分靜に、又充分滿足して妻たるの式を踏みしは寧ろ彼れが心の奧底に最(いと)冷淡なる所あるを見る可きか、莫遮(さあ)れ彼れ固(もと)より余が妻にして今又余と婚禮せし上は其指環の如何(いかん)に拘(かゝは)らず、余が妻の又余が妻なり、余の持物、余の奴隷、余より逃れて去る可くも非ず、活(いか)すも殺すも全くの余の自由、他人が何と云はうとも憚る所少しも無けん、面白し、面白し。
九〇
是より猶ほ樣々の儀式を踏み、余と那稻は族籍(ぞくせき)の帳面に夫婦の名を書留る事までも、滯り無く濟ませたり。
復讐の時刻、一刻/\に近(ちかづ)くに連れ余は心益々燥立(いらだ)ち式を終りて寺の戸を出去(いでさ)る頃は、何事も總て氣に障り、癪(しやく)に障るの種と爲る程とはなりぬ、既に余が迎への馬車の間近まで進みし頃、左右の人より余等(よら)の足許に抛(なげう)つ花の中に、紅薔薇(こうしやうび)の最(いと)立派なる者ありしが、余は之を見るよりも先年羅馬の朝廷より賜りたる彼(か)の盆栽の事を思ひ出し、彼の花までが魏堂と那稻の不義の胸を飾るに終りしかと又今更らの如く腹立しく、我れ知らず足を上げつ口の中(うち)にて「エヽ忌々しい」と云ひながら其花を蹂躙(ふみにじ)りて通り過ぎたり、群集せる人々は別に氣も附かぬ樣なりしも那稻一人は確に余が口の中の語(ことば)を聞きたり、聞きて異樣に思ふ樣なりしも其儘に茲を去りしが、頓(やが)て迎への馬車に乘るや、彼れ何人(なんぴと)も聞かぬに安心し、不審氣に余を眺めて「貴方は何故アノ樣に紅薔薇を踏にじりました」と問へり。余は少し返事に閊(つか)へしも「ナニサ、血の色をして居るから夫れで忌々しいと云(いふ)たのサ」と早や所天たる者の口調にて云流(いひなが)すに、彼れ何故(なにゆえ)かビクリとしたれど唯だ是だけにて此事は又言出(いひいで)ず、其うちに馬車は余が宿に着きたり。
宿には既に數多(あまた)の招かれ客あり、饗應(きやうおう)の用意早や卓子(ていぶる)の上に堆(うずたか)きまで整ひ居るにぞ、夫婦は一同の來客と共に席に就きしが、珍味は山海の美を盡せるも此席は夜(よ)に入(い)りて開く筈なる舞踏(ぶたふ)の會とは違ひ、寧ろ眞面目なる方にして、來客唯(た)だ目出度き祝(いはひ)の語(ご)を吐くの外、別に興に入(い)る程の面白みも無く、云はば本統の無事の中に終りを告げたり。
饗宴の終りて客の思ひ/\に他の室(しつ)へ散ずるを見、余は那稻の手を引きて退(しりぞ)きたり。英國などの風(ふう)にては此時より所天たる者、其妻に附纒(つきまと)ひ、妻と共の室に入(い)りチヤホヤとする習(ならひ)なれど我が伊國(いたりや)にては饗宴濟みても猶ほ幾分の他人行儀を守り、妻に最終の自由を樂ませる爲め夫婦別の室に退き、次に開く夜會舞踏などの濟みたる後にて初て妻とし夫として打解るなり、尤も此格(このかく)を破り饗宴の終りたる丈にて、未だ夜會の來(きた)らざるに既に夫婦と爲り濟す英國風を便利とする人も有れど、余は兔に角余だけの品格として爾(さ)る事は出來ず、殊に夜會とても最う暇も無き事、其上那稻は衣服を着替る丈にても數多の時間を取る事なれば、余は彼れが其居間に充(あ)てたる一室へ送り屆け、彼れが打寛(うちくつろ)ぎて腰を卸すまで見屆けて我室(わがへや)に歸りたり。
茲には猶ほ從者瓶藏がアベリノへ立(たち)もせず控へ居るにぞ、余は彼れを促すに、彼れ何とやらうら悲(かなし)く見ゆれども、余が言附(いひつけ)の負(そむ)き難きを見て、唯々(ゐゝ)として退きしが、頓て余の密月の旅に上(のぼ)る一切の仕度なりとて、昨夜來彼れが取纒めし荷作(にづくり)を一々持ち來りて余に渡し「夫では暫しアベリノで待て居ますが、巴里でお宿が定(さだま)り次第直(たゞち)に電報を頂きますれば、早速驅附(かけつけ)て參りますから」と云ひ別れ惜(を)し惜し立去りたり。
彼れが心根余は憐(あはれ)まざるに非(あら)ねども、彼れの如く年若き間は、愛情の爲め何も彼も忘れ易き者なり、彼れが行く方(て)には李羅と云ふ最愛の目當(めあて)あり、余よりの沙汰を待つうちに間も無く夫婦の縁を固むるに至る可く、當分は余の行衞(ゆくゑ)の知れずなりしを怪みもし悲みもす可けれど、其中に打忘れて樂しき生涯に入(い)るなる可し、彼れが身の上、憐む可きにあらで實に羨む可きなり、余が境涯に比べては誰の境涯とて羨む可からざらんや。
斯く思ひて余も自ら慰め、窓の戸を開きて見るに人々が余の婚禮の爲に騷げる樣は皇帝の即位式も斯やと思ふばかりなり、余の宿の前は云ふに及ばず、目の屆く先々までも無數の人集りて躍り興じ、余が爲に幸福を祈るの歌を謠へり、夫も無理ならず、余は縱(よ)し此身が死なぬ迄も今日を以て我身一代の終りとし、此世の暇(いとま)と云ふ心にて、有る丈の金を費(つひや)し、豫てより宿の主人に言附けて町々の酒店を買切り一日の縱飮所(じういんしよ)と爲し全市民を饗應するのみか、猶ほ貧民の集ふ場所場所へは散錢(ばらせん)を袋にして持行(もちゆか)せ、配らせるなど、輕目郎練の殘したる身代を大方は散(ちら)し盡せり、殘るは唯だ墓窖の中なる珠玉寶石の類(るゐ)と余が先の日革包(かばん)に詰めて船長羅浦に渡し、船の中に預たる通貨のみなり、余の前に其類(るゐ)なく余が後に其匹(たぐひ)なき大復讐、斯かる儀式を以て祝するも相當なり、余は思へり、況(いは)んや海賊の盜み溜めたる大身代斯(かう)してなりとも施さずば、彼れ輕目郎練の罪、余の罪と共に、一厘(りん)だも亡(ほろ)ぶるの道なきをや。
余は滿足して窓を締め、暫くするうち夜會の初まる合圖の鈴(りん)の鳴るを聞けり、此音宛も余が爲めには復讐の戰場に向つて「進め」と云ふ惡魔の大號令の如く聞えたり。
九一
既にして夜會は開かれぬ、アヽ此夜の會の如きもの又と此世に在るを得(う)べき乎(か)、凡(およ)そ當國の中(うち)に於て、當國へ來(きた)り遊べる外國人の中(うち)に於て、少したりとも交際家の名ある者招待を受けざる莫(な)く、招待を受けたる者一人として來會せざるは無し、余が宿は當府第一の旅館にして、其舞踏室即ち當國第一の舞踏室なれども猶狹(なほせま)きを覺ゆ、美人と云ふ美人、紳士と云ふ紳士、今宵を晴(はれ)と被飾(きかざ)りて滿場は唯(た)だ活(いき)たる花園かと疑(うたが)はる、目に入(い)る姿總て美しく、耳に入(い)る聲總て麗しき其中にも、美の又美(またび)、麗の又麗(またれい)と云ふ可きは實に余が妻那稻なり、彼れ今までは其身の未亡夫人(びばうふじん)たるに遠慮し、幾何(いくら)か人目に立たぬ粧(よそほ)ひを用ひしなれ、今は笹田折葉の新夫人、誰に憚る所も無く、彌(いや)が上にも華美を盡し、光を爭ふ衆星(しうせい)の中に在(あ)りて、彼れは冴渡る月の明(あきら)かなるに似たり、彼れが到る所には諸人(もろびと)話の聲を留めて振返る程なれば、流石の余さへも、彼れの姿を見る度に殆ど動悸の高く打つを覺えぬ。
爾(さ)は云へ余に取りては是れ最も恐る可く最も悲(かなし)む可き夜(よ)なり、今宵の樣(さま)に引替て、明朝(みやうてう)は余如何(いか)なる人と爲る可きか、復讐の一念にて茲(ここ)までは來(きた)りしも、復讐既に達すれば、余は目的も無く樂みも無く生存(いきながら)ふる甲斐も無き人間の脱殼(ぬけがら)と爲(なら)ん、十字軍の時代より血統連綿(れんめん)と續きたる羅馬内家は、今夜(こよひ)一夜(や)に跡絶(あとた)えて、明日(あす)よりは弔(とむ)らふ人も無きに至らん、余は諸人(もろびと)の我を忘るゝ迄に打興(うちきよう)ずる中(うち)に立ち、獨(ひと)り斯(かゝ)る事を思ひ、思ひに沈みて恍惚たる折(おり)しも、何時(いつ)の間にか傍(そば)近くに來りし彼れ那稻、笑(ゑみ)を含みし和(やはら)かなる音聲にて「貴方は今夜の主人では有ませんか、主人の役目を忘れて居ますよ」と云へり。
主人の役目、余は「オヽ」と驚きて猶ほ合點の行(ゆ)かぬ如く那稻の顏を見返すに「アレ最(も)う舞踏を初めねば了(いけ)ませんよ、貴方と私しが一順(じゆん)躍(をど)れば後は皆樣が續きますから」と云ひ早(は)や手を取りて余を促せり、余は漸くにして我に歸れり、成る程余こそ今宵の主人、此席の花婿なり、來客の爲めなり躍りの序(じよ)を開かずば有る可からず、躍りの後は復讐の大舞臺(おほぶたい)、好(よ)し/\徒(いたづ)らに恍惚たる時に非ずと忽(たち)まち心を引締(ひきしめ)たり。
去れど余は寧ろ迷惑げに「舞踏は至つて不得手だが」と云ふに、那稻は少し失望の樣子にて「不得手でも一生懸命にお躍(をど)り成さい、大勢と一緒ならば兔も角も、序開(じよびら)きに、皆の目を注(つ)けて見て居る所で足の拍子の合はぬ程見(みつ)とも無い事は有ませんから」豫(かね)て知る彼れ巧者(かうしや)なる舞踏者(ぶたふしや)なり、今宵は充分其の伎(わざ)を示さんとの心なる可し。
「何の躍り。」
「後から直ぐに四配舞踏(りおとりゐ)が續くことに成つて居ますから、兩人(ふたり)は匈牙利(はんがり)の三配舞踏(うをるつ)にいたしませう、呉々(くれ/″\)も貴方が躍り損(そこな)つては了(い)けませんよ」余の言葉短く「好し」と答へつ、早や那稻の腰を抱(いだ)き、イザ躍らんと身を構ふるに余とても固(もと)より其道の名人なり、殊に那稻とは四年の間幾度(いくど)も共に躍りたる事あれば、彼れに後(おく)れを取る可きや、彼れ早や言葉にも似ぬ余の身構への輕きを見て且怪(かつあやし)み且喜(かつよろこ)ぶの風(ふう)も見ゆれど、余は成る可く彼れと顏見合(かほみあ)ふを避くる樣にし先(まづ)徐々(そろ/\)と進み出でたり。
余は茲に至りて實に我身支ふるの難(かた)きを知れり、一念既に復讐に凝(こ)るとは云へど、昔し取慣(とりな)れし彼れの手を取り、抱慣れし彼れの腰を擁(だ)き、豈(あ)に過(すぎ)し四年の樂(たのし)かりし仲(なか)らひを思ひ出(いだ)さざるを得んや、殊に婚禮の式を終(おはつ)てより彼れが顏、見れば見るほど益々(ます/\)美くしく、今宵幾百幾千の美人の中に彼れと見擬(みまが)ふ者、一人だも無きを思へば、彼れが世間の婦人に幾層も立優(たちまさ)る美しさ愈々(いよ/\)現はれ、アヽ此の世界に又と無き美人、余が妻の又余が妻、余が爲に身も心も命までも任せあるかと思へば斷膓(だんちやう)の想ひ無きを得ず、余は愛と憎(にく)みの中に立ち、我心(わがこゝろ)を叱りながら、徐(おもむ)ろに起(おこ)る音樂の調子に應じ、輕く那稻の身を引上げて躍り初むるに、彼れの足拍子は余の足拍子と全く合ひ、南國の人ならでは躍り得ずと稱さるゝ匈牙利(はんがり)の躍(をどり)をば最(いと)も見事に躍り出(いで)たれば褒立(ほめたつ)る聲、四方より起りしが、頓(やが)て余と那稻と室(へや)を二三週せし頃は、續(つゞい)て躍る者益々多く、見る中(うち)に室は大舞踏の旋風(つむじかぜ)を捲(ま)き初めぬ。
音樂益々急になれば躍(をどり)も亦益々急に、那稻の熱い呼吸は余が頬に掛り、余が呼吸は那稻の前額(ひたひ)に在り、余は心に起る樣々の愛情を暫し紛らさん者と思ひ高く蹴り低く踏み必死と爲りて躍り狂ふに、那稻も更に余に後(おく)るゝ事なく、彼れ宛(あたか)も嬉しさに、堪(たへ)ぬ如く、躍りながらも余が耳に其の唇を上げ來り、愛の言葉を囀(さへづ)り初(はじめ)ぬ、余は浮世を捨(すて)し身なれども再び浮世に入(い)る心地せり。
九二
余も躍り那稻も躍り、躍り興じて興正(きようまさ)に酣(たけな)はなる頃、那稻は愛の言葉を余が耳に細語(さゝや)き初めぬ「アヽ嬉しい事、ヤツト貴方は眞實に私しを愛する樣に成ました」と云ふ、余の樣如何にも眞實の愛に溺れし如くなる可し、余は實に愛に溺れぬ、燃(もゆ)る如き憎(にく)みの心を懷(いだ)きながらも那稻の愛に溺れざる事能(あた)はず、何も彼(か)も今宵一夜、是が此世の終りと思へば暫く我が心に自由を與へ、世の若き花婿と同じく愛の言葉を味(あぢは)ふも別に妨げ無しと思へり。
爾(さ)れば余も亦那稻の言葉に和(わ)し「ヤツトとて、初めから眞實に愛すればこそ此通り夫婦と云ふ間柄に成たのサ」と、口には云へど心には余自ら我言葉(わがことば)の何の意味たるを知らぬ程なり、那稻は嬉しげに低く笑ひ「イヱ初(はじめ)から貴方は極(ご)く餘所(よそ)/\して居らツしたのですよ、夫でも遂(つひ)には餘所/\しく仕切(しきれ)ずして熱心な戀人に成るだらうと夫を私しは待て居ました、今夜と云ふ今夜は本統に熱心が見えましたから私しも張合(はりあひ)が有ると云ふ者、眞逆(まさか)の時には互に命まで捨合ふと云ふ程の愛に成らねば、夫婦と云ふ甲斐が有ませんもの」と云ひ、早や余を彼が爲に命も惜(をし)まぬ戀の奴隷と成り果(はて)し者の如くに思做(おもひな)して益々余に薄寄(せりよ)るにぞ、余も一層彼れに密接するに、余の熱き吐く息は彼れが黄金(こがね)の髮の毛を戰(そよ)がせたり。
「オヽ命まで捨るとも、既に和女(そなた)の爲め一旦死で生(うま)れ返つたも同じ事では無いか」と言掛け彼れが痛く驚きはせぬかと氣遣ひて早くも言葉を直しつゝ「昨日までの老人が、今日は少年に生れ返ツた心地がする」と言繕(いひつくろ)ふに、彼れ益々嬉(よろこ)びて「ナニ、仰言(おつしや)る程の老人では有ませんよ、貴方の樣子には何所と無く若々しい所が有ります、老人ならば此樣には躍れません、丁度私しとは良い一對の夫婦です、最う老人老人と仰有(おつしや)ツて下さいますな。」
余若し眞實の老人ならば此言葉を聞き如何ほどか嬉ぶならん、彼れは男を喜ばせる言葉を知り、折に投じて、最巧(いとたくみ)に用ふるは生れ得たる妖婦の本性と云ふ可きか、思ふに彼れの向ふ心中(しんちう)は猶ほ猫の鼠に向ふ如くなる可し、彼れ貪(むさぼ)り食(くら)ふ慾心は滿々たれども、其貪喰(そのむさぼりくら)ふ前に於て充分に飜弄(ほんらう)し、或は擒(とら)へ或は縱(はな)ち、以て自ら樂(たのし)むなり、去れど余が鼠に似ず實は虎より猶ほ猛(たけ)き決心あるを奈何(いかん)せん。
余と彼は愛の言葉を囀(さへづ)りながら、旋風(つむじかぜ)の如くに躍れる一群(ひとむれ)の中に舞込み、頓て音樂の音が靜々(しづ/\)と遲くなり一段の終りを告(つげ)るまで躍りしが、那稻には猶ほ共に躍らんと言込みたる紳士も多ければ、余は那稻を人に渡し、第二の躍りの初(はじま)るを見て、窃(ひそか)に此室(このへや)を拔出(ぬけいで)たり、實に余は愛と憎(にくみ)に心疲れ暫し靜(しづか)なる所に安息せざれば我身の續かぬを覺えたり、室を出(いで)て廊下を歩むに舞踏室の雜踏(ざつたふ)に引替へて殆ど人の影も見えず、余が爲には蘇生の思ひあれど、唯だ物足らぬ心地するは從者瓶藏の不在なり、斯る時に彼れ居たらんには必ず余が傍(そば)に走來(はせきた)り何呉(なにくれ)と氣を附けて余が心の幾分を慰む可きに、今は彼れ茲に在らず、余は打鬱(うちふさ)ぎて漫歩するに、折しも通り合す給仕の一人(にん)、余に向ひて「オヽ今し方まで瓶藏殿が居ましたのに、イヤ何か御用ならば私しが致しませう」と云ふ、余は怪みつゝ「別に用は無いが、今し方まで瓶藏が茲に居たとは。」
「ハイ彼れ一旦茲を立(たち)ましたが、船の出るまで猶間(なほま)が有ると云ひ、歸て來ました、夫から暫し舞踏室の中を見、貴方と夫人の躍るのを眺めて居ましたが、其中(そのうち)に最う時間が來たと云ひ、涙を浮めて立去りました」余は唯だ「爾(さう)か」と云ひ平氣の振にて聞流せしも、彼れが余の事をのみ氣遣ひ纔(わづ)かばかりの出船(でふね)の暇さへ偸(ぬす)み、再び余の樣子を見に歸りしかと思へば、余は此世に於て唯一人(ただひとり)の親友に別れたる心地して胸も益々塞がるのみ。
凡そ一時間も過しかと思ふ頃、氣を取直して再び舞踏室に入(い)り、躍り疲れて腰掛居(こしかけゐ)る紳士貴夫人達より祝賀の言葉を受ながら、其許(そこ)彼許(かしこ)と徘徊するうち夜(よ)の十一時の鐘を聞けり、スハ待(まち)に待たる復讐の手初(てはじ)め時(どき)、十二時には來客一同へ晩餐を饗する定めなれば、其前に那稻を此室(このへや)より復讐の場所へ奪ひ去らずばある可からず、余は今更らの如く胸轟(むねとゞろ)き身戰(みおのゝ)くを推靜(おししづ)め、那稻は何所(いづこ)と見廻すに彼れ今しも躍りを止(や)め、未(ま)だ此次の踊りに掛らず、四五の貴人と對坐して面白げに話(はな)しせるにぞ、余は好(よ)き時と見て、先づ徐々(しづ/\)と其方(そのかた)に寄行(よりゆ)きたり、アヽ讀者よ計(たく)みに計みたる大復讐、是よりして初(はじま)るを見る。
九三
余が徐(そ)ろ/\と寄行(よりゆ)くに、那稻も丁度話の切目なりしと見え、立(たつ)て貴人等の傍(そば)を離れ余が方(かた)に寄來(よりきた)れり、他(か)れ用事有りげなる余の顏色を見て取りしものなる可し。
余は夫となく彼れを人無き邊(ほと)りに連れ行き聲を潜(いりこ)むを防ぎたる設(まうけ)の席に居列(ゐなら)べり、余は是等の人々に挨拶を濟せし上高き神卓の傍(そば)まで昇り行き茲に控へて待受くるに、最も余の眼に留(とま)り又余の心に關するは傍(かたはら)の壁に畫(えが)きし古(いにしへ)の聖人尊者などの像なり、勿論余が神經の迷(まよひ)なれど、總ての畫像(ゑすがた)、活(いき)たる人の如く余を繞(めぐ)りて余が邪慳(じやけん)なる復讐を叱るかと疑はる「アヽ波漂、汝は此復讐を思ひ止(とゞま)る事は出來ぬや、汝は一點の慈悲心無きや」何うやら斯の如き聲の余が耳に入(い)る如き心地すれど、余は斷乎(だんこ)として又心に答へぬ「否、否、この邪慳なる復讐の爲め未來永々地獄の底に投入(なげいれ)られ、絶(たゆ)る時なき火の中に燒(やか)るゝとも今は、然り今は、猶此世の人なり、此世の復讐を仕遂(しとげ)ずして止(や)む可けんや」と。
實に余は此復讐の邪慳なるを知る、又余が行ひの罪深きを知る、去ればとて是れ余が初て決心せし時より分りし事、今更尚(なほ)何ぞ思ひ留(とま)るを得ん、女の不實は世とし時として無きは莫(な)けれど、此世に於て充分に之を罸(ばつ)せし者ある事なし、余が前にも既に無ければ余が後にも亦無き事ならん、余をして唯だ一度女の不實を罸せしめよ、余にして之を罸せずんば女の不實は天地開闢の初より、世界終滅の末日まで終(つひ)に此世に充分なる罰を得ずして濟む事を得ん、惠み深き基督(きりすと)の肖像も兩手を開きて余が目の前に在り「來れ、來(きた)る者は救はれん」と余は呼給(よびたま)ふ如くなれど、余は復讐を捨て行く能はず、此復讐を終らずば基督にも惡魔にも天堂にも地獄にも行く能はず、アヽ余は狂(きやう)せり、實に復讐の爲めに狂せり。
此時若し喨々(りやう/\)たる音樂の余が四邊より起ること無かりせば余は我が心に積む恨みに堪へず、實に發狂して、手を握り齒を噛締め、神卓の前に立上りしも知る可からず、唯幸ひに豫て備へ置きし音樂手(おんがくしゆ)は徐(おもむろ)に微妙の音(おん)を送り來り、宛も慰むる如く余が耳に入(いり)しより、余は漸くに此席是れ婚禮の席なるを思ひ起し、我が怒(いかり)を推鎭(おししづ)め我が胸を落着けたり。
是れ婚禮の席なる乎(か)、思へば實に二度目の婚禮なり、所天は余、妻は那稻、同じ場所にて同じ人、同じ二度目の婚禮を舉(あぐ)るとは眞に不思議な縁なる哉、否々是れ婚禮に非ず、余と那稻は既に最初の婚禮にて夫婦なり、夫婦にて又婚禮すると云ふ事あらんや、此度は復讐なり離縁なり、余と那稻の間に殘る汚はしき夫婦の縁を此儀式にて切破るなり、先の婚禮は寧ろ余と那稻を繋ぎしよりも、余と親友魏堂とを切離す元と爲り、今は余と那稻を切離す元と爲る、不思議と云はずして何とか云はん。
余は斯く思案しつゝ窃(ひそ)かに衣嚢(かくし)を探りて那稻に與ふる婚禮の指環を取出(とりいだ)し、獨り其光の一方(かた)ならぬを見又滿足して元に納めぬ、此指環是れ余が魏堂の死骸より拔取りたる者なり、先に余波漂が那稻と縁を固めし時夫婦の記章(しるし)として環(は)めたる者にて、唯だ那稻に夫と悟られぬ爲め、金銀細工師の手に掛けて少し其形を替させ、更に新しく磨せたる者なり、此指環を那稻に歸さば最(こ)れ那稻と余笹田折葉との縁を繋ぐにあらで、那稻と余波漂との縁を切るなり、那稻の眼(まなこ)明(あきらか)なりとも此指環を先の波漂の品なりとは氣附得(きづきえ)じ、暫くにして十一時の鐘の鳴ると齊(ひとし)く横手なる入口の戸を開く者あり、余は其所より入來(いりく)る人の姿を見ぬうちに先づ口々に呟き逢ふ諸人(もろびと)の聲を聞けり、諸人は何を呟けるにや、余は少し首を斜(なゝめ)にし入口の方(かた)を打眺めて初(はじめ)て知れり、入來(いりく)るは余が妻那稻にして諸人の呟くは其美しさに驚きたるなり、那稻の美しさ今に初めぬ事なれど、見慣れ且つ憎慣(にくみな)れたる余さへ是はと思ふばかり日頃より又立優(たちまさ)る姿なり、アヽ讀者、愈々余が待ちに待つたる復讐の時定まれり、愈々今夜と云ふ今夜なり。
八九
入來(いりきた)る妻那稻は、此度(このたび)の婚禮に假に父分と定めたる紳士マンシニ氏に手を引かれ其腕に(もた)れてあり、徐ろ/\と歩み來(く)る其姿は最も清楚なる作りにして白き天鵞絨(びらうど)の服に飾りとては唯だ夜光珠(だいやもんど)のみなれど、其の上に掛けたる外被(かつぎ)は烟(けむ)の如く霧の如き組糸にして、價(あたひ)は夜光珠に劣らぬ程尊(たつと)かる可く、(そ)を首(かうべ)より裳(すそ)まで垂れしは世間の婦人の眞似だも出來ぬ拵(こしら)へなり、彼れが斯く淡白に粧(よそ)へるは、其身が既に寡婦にして即ち二度目の婚禮なるに由(よ)り一つは又今夜祝宴の席に入(い)り尤も華美なる衣服に着替る積ゆゑ、夫と是との對映(うつりあひ)を目立しめんと思ふに寄るべし。
尚彼れは既に寡婦の身分たる爲め自ら花嫁と云はるゝを憚る如く、附添の女中を連(つれ)ず女中の代りに八歳ばかりなる童子をば、畫(ゑ)に在る天使(えんじえる)の如くに仕立て之を其身の供に連たり、畢竟するに初ての婚禮にて儀式萬端を知らぬ者こそ女中の附添を要するなれ、既に一たび其場を踏み萬事を心得たる者は附添人に及ばぬ筈なれば余は那稻の用意に感心せり、猶ほ那稻の前には五歳か六歳ばかりなる女の子二人、左右に分れ、宛も女皇(によわう)の先を拂ふ人の如く那稻に向ひて後樣(うしろさま)に歩みながら、那稻の前に白薔薇(はくしやうび)の花を播(ま)きつゝ進めり。是も那稻が豫て仕込みし者なる可しと余は益々感心しつ子供の顏を篤と見ると、孰れも交際社會に時めける貴人紳士の愛兒(あいじ)なり、扨は那稻の出世にあやからせんとて親達が進みて貸與(かしあた)へし者と見ゆ、是等の親達にして那稻の心と今日(こんにち)以後の運命とを知らば、決してあやかり度しとは思はぬならんに……。
一切の有樣、實に那稻の云ふ昔々譚(むかしばなし)の趣きに似たり、斯も立派なる婚禮は畫工(ゑかき)も描(ゑが)きし事無かるべし、頓て那稻は余の控(ひかゆ)る神卓の前に進み來り、余と並びて腰を卸しつ其際(そのきは)にニツと余を見て會釋(ゑしやく)せり、其顏其笑(そのゑみ)の愛らしきこと今更ら云ふも管々しけれど、余はゾツと襟元の寒きを覺えぬ、アヽ是れ畫(ゑ)にも無く天女の仲間にも亦無く、人間世間には猶更に有る事なき天下唯一の美人なり、此の美人の所天とせらるる余は如何なる果報ものぞ。
讀者、讀者余は暫しが程、其美しさに氣を呑まれ一切の恨(うらみ)も復讐の目的も打忘れて恍惚とし心の底には那稻と婚禮せし時の如き愛の情の込上(こみあげ)んとするを覺えたり、是れなん惡魔の仕業にや將(は)た神の御心にや、否々余が心の弱き爲なり、今まで計(たく)みに計みたる大復讐、茲一歩と云ふ今と爲り豈(あ)に心弱くして叶(かなは)んやと、漸く氣附きて我が恨を呼起(よびおこ)し再び那稻を見し時は那稻早や神の御前(みまへ)に首(かうべ)を垂れ、默祷に餘念も無きは、夫婦としての此後(こののち)の幸福を祈るにや、彼が汚れたる心にて祈るとも唯だ神を涜(けが)すのみなり、夫とも祈れる振をして控ゆる丈の事なるや、何さま其姿の殊勝げなるは流石尼寺に人と爲りし身だけ有りて、心なき木石をも感動せしむるかと思はるゝ程なれば、余は愛と恨の兩道(ふたみち)に心を引(ひか)れ孰れが孰れ、殆ど夢中の想(おもひ)あり。
余も默然(もくねん)として神前に首を垂れたり、此世の恨みと此世の愛に屈託すること余が如き者神の御心に叶ふこと思ひも寄らず、余と那稻と孰れが心黒く孰れが罪深き、自分にも分らぬ程なれば、畢竟余を斯までに墮落せしめしも僞り深き那稻の所爲(しよゐ)なれば嗚呼余は那稻を恨まざる能はず、如何ほどの愛情、湧出(わきいづ)るとも余が恨を消すに足らず、愛の燃(もゆ)れば燃るほど恨み百倍に募(つの)り來り、祈る言葉も語を爲さず、最早や是れ神も無用、祈りも無用、唯だ初(はじめ)より決せし通り復讐の一筋あるのみ、復讐の外の道に心を引入(ひきい)らる可けんやと、漸く思ひ定めて余の首を上(あぐ)るに早や長老を始め其他の僧侶、夫々の席へ構へ居(を)るにぞ、余は天主教の儀式に從ひ、妻に贈る可き固めの指環を祈祷書の上に置くに長老は之に神聖なる水を注ぎ直(たゞち)に清め終りたれば余は之を取返し第一に那稻の母指(おやゆび)に之を環(は)め、次に人指指(ひとさしゆび)、次に中指と段々に移し置き、最後は其無名指(くすりゆび)に環め終りぬ。
那稻は此の指環に氣附きしや否、氣附しならば愕然として驚かずとも幾何(いくら)か怪む色の現(あらは)る可きに、彼れ少しも其色なきは全く氣の附かぬ者なる可し。殊に彼れ最初の婚禮とは違ひ、左まで顏紅(かほあか)むる事も無く、少しの事に戸迷(とまよ)ふなどの事も無く、充分落着き、充分靜に、又充分滿足して妻たるの式を踏みしは寧ろ彼れが心の奧底に最(いと)冷淡なる所あるを見る可きか、莫遮(さあ)れ彼れ固(もと)より余が妻にして今又余と婚禮せし上は其指環の如何(いかん)に拘(かゝは)らず、余が妻の又余が妻なり、余の持物、余の奴隷、余より逃れて去る可くも非ず、活(いか)すも殺すも全くの余の自由、他人が何と云はうとも憚る所少しも無けん、面白し、面白し。
九〇
是より猶ほ樣々の儀式を踏み、余と那稻は族籍(ぞくせき)の帳面に夫婦の名を書留る事までも、滯り無く濟ませたり。
復讐の時刻、一刻/\に近(ちかづ)くに連れ余は心益々燥立(いらだ)ち式を終りて寺の戸を出去(いでさ)る頃は、何事も總て氣に障り、癪(しやく)に障るの種と爲る程とはなりぬ、既に余が迎への馬車の間近まで進みし頃、左右の人より余等(よら)の足許に抛(なげう)つ花の中に、紅薔薇(こうしやうび)の最(いと)立派なる者ありしが、余は之を見るよりも先年羅馬の朝廷より賜りたる彼(か)の盆栽の事を思ひ出し、彼の花までが魏堂と那稻の不義の胸を飾るに終りしかと又今更らの如く腹立しく、我れ知らず足を上げつ口の中(うち)にて「エヽ忌々しい」と云ひながら其花を蹂躙(ふみにじ)りて通り過ぎたり、群集せる人々は別に氣も附かぬ樣なりしも那稻一人は確に余が口の中の語(ことば)を聞きたり、聞きて異樣に思ふ樣なりしも其儘に茲を去りしが、頓(やが)て迎への馬車に乘るや、彼れ何人(なんぴと)も聞かぬに安心し、不審氣に余を眺めて「貴方は何故アノ樣に紅薔薇を踏にじりました」と問へり。余は少し返事に閊(つか)へしも「ナニサ、血の色をして居るから夫れで忌々しいと云(いふ)たのサ」と早や所天たる者の口調にて云流(いひなが)すに、彼れ何故(なにゆえ)かビクリとしたれど唯だ是だけにて此事は又言出(いひいで)ず、其うちに馬車は余が宿に着きたり。
宿には既に數多(あまた)の招かれ客あり、饗應(きやうおう)の用意早や卓子(ていぶる)の上に堆(うずたか)きまで整ひ居るにぞ、夫婦は一同の來客と共に席に就きしが、珍味は山海の美を盡せるも此席は夜(よ)に入(い)りて開く筈なる舞踏(ぶたふ)の會とは違ひ、寧ろ眞面目なる方にして、來客唯(た)だ目出度き祝(いはひ)の語(ご)を吐くの外、別に興に入(い)る程の面白みも無く、云はば本統の無事の中に終りを告げたり。
饗宴の終りて客の思ひ/\に他の室(しつ)へ散ずるを見、余は那稻の手を引きて退(しりぞ)きたり。英國などの風(ふう)にては此時より所天たる者、其妻に附纒(つきまと)ひ、妻と共の室に入(い)りチヤホヤとする習(ならひ)なれど我が伊國(いたりや)にては饗宴濟みても猶ほ幾分の他人行儀を守り、妻に最終の自由を樂ませる爲め夫婦別の室に退き、次に開く夜會舞踏などの濟みたる後にて初て妻とし夫として打解るなり、尤も此格(このかく)を破り饗宴の終りたる丈にて、未だ夜會の來(きた)らざるに既に夫婦と爲り濟す英國風を便利とする人も有れど、余は兔に角余だけの品格として爾(さ)る事は出來ず、殊に夜會とても最う暇も無き事、其上那稻は衣服を着替る丈にても數多の時間を取る事なれば、余は彼れが其居間に充(あ)てたる一室へ送り屆け、彼れが打寛(うちくつろ)ぎて腰を卸すまで見屆けて我室(わがへや)に歸りたり。
茲には猶ほ從者瓶藏がアベリノへ立(たち)もせず控へ居るにぞ、余は彼れを促すに、彼れ何とやらうら悲(かなし)く見ゆれども、余が言附(いひつけ)の負(そむ)き難きを見て、唯々(ゐゝ)として退きしが、頓て余の密月の旅に上(のぼ)る一切の仕度なりとて、昨夜來彼れが取纒めし荷作(にづくり)を一々持ち來りて余に渡し「夫では暫しアベリノで待て居ますが、巴里でお宿が定(さだま)り次第直(たゞち)に電報を頂きますれば、早速驅附(かけつけ)て參りますから」と云ひ別れ惜(を)し惜し立去りたり。
彼れが心根余は憐(あはれ)まざるに非(あら)ねども、彼れの如く年若き間は、愛情の爲め何も彼も忘れ易き者なり、彼れが行く方(て)には李羅と云ふ最愛の目當(めあて)あり、余よりの沙汰を待つうちに間も無く夫婦の縁を固むるに至る可く、當分は余の行衞(ゆくゑ)の知れずなりしを怪みもし悲みもす可けれど、其中に打忘れて樂しき生涯に入(い)るなる可し、彼れが身の上、憐む可きにあらで實に羨む可きなり、余が境涯に比べては誰の境涯とて羨む可からざらんや。
斯く思ひて余も自ら慰め、窓の戸を開きて見るに人々が余の婚禮の爲に騷げる樣は皇帝の即位式も斯やと思ふばかりなり、余の宿の前は云ふに及ばず、目の屆く先々までも無數の人集りて躍り興じ、余が爲に幸福を祈るの歌を謠へり、夫も無理ならず、余は縱(よ)し此身が死なぬ迄も今日を以て我身一代の終りとし、此世の暇(いとま)と云ふ心にて、有る丈の金を費(つひや)し、豫てより宿の主人に言附けて町々の酒店を買切り一日の縱飮所(じういんしよ)と爲し全市民を饗應するのみか、猶ほ貧民の集ふ場所場所へは散錢(ばらせん)を袋にして持行(もちゆか)せ、配らせるなど、輕目郎練の殘したる身代を大方は散(ちら)し盡せり、殘るは唯だ墓窖の中なる珠玉寶石の類(るゐ)と余が先の日革包(かばん)に詰めて船長羅浦に渡し、船の中に預たる通貨のみなり、余の前に其類(るゐ)なく余が後に其匹(たぐひ)なき大復讐、斯かる儀式を以て祝するも相當なり、余は思へり、況(いは)んや海賊の盜み溜めたる大身代斯(かう)してなりとも施さずば、彼れ輕目郎練の罪、余の罪と共に、一厘(りん)だも亡(ほろ)ぶるの道なきをや。
余は滿足して窓を締め、暫くするうち夜會の初まる合圖の鈴(りん)の鳴るを聞けり、此音宛も余が爲めには復讐の戰場に向つて「進め」と云ふ惡魔の大號令の如く聞えたり。
九一
既にして夜會は開かれぬ、アヽ此夜の會の如きもの又と此世に在るを得(う)べき乎(か)、凡(およ)そ當國の中(うち)に於て、當國へ來(きた)り遊べる外國人の中(うち)に於て、少したりとも交際家の名ある者招待を受けざる莫(な)く、招待を受けたる者一人として來會せざるは無し、余が宿は當府第一の旅館にして、其舞踏室即ち當國第一の舞踏室なれども猶狹(なほせま)きを覺ゆ、美人と云ふ美人、紳士と云ふ紳士、今宵を晴(はれ)と被飾(きかざ)りて滿場は唯(た)だ活(いき)たる花園かと疑(うたが)はる、目に入(い)る姿總て美しく、耳に入(い)る聲總て麗しき其中にも、美の又美(またび)、麗の又麗(またれい)と云ふ可きは實に余が妻那稻なり、彼れ今までは其身の未亡夫人(びばうふじん)たるに遠慮し、幾何(いくら)か人目に立たぬ粧(よそほ)ひを用ひしなれ、今は笹田折葉の新夫人、誰に憚る所も無く、彌(いや)が上にも華美を盡し、光を爭ふ衆星(しうせい)の中に在(あ)りて、彼れは冴渡る月の明(あきら)かなるに似たり、彼れが到る所には諸人(もろびと)話の聲を留めて振返る程なれば、流石の余さへも、彼れの姿を見る度に殆ど動悸の高く打つを覺えぬ。
爾(さ)は云へ余に取りては是れ最も恐る可く最も悲(かなし)む可き夜(よ)なり、今宵の樣(さま)に引替て、明朝(みやうてう)は余如何(いか)なる人と爲る可きか、復讐の一念にて茲(ここ)までは來(きた)りしも、復讐既に達すれば、余は目的も無く樂みも無く生存(いきながら)ふる甲斐も無き人間の脱殼(ぬけがら)と爲(なら)ん、十字軍の時代より血統連綿(れんめん)と續きたる羅馬内家は、今夜(こよひ)一夜(や)に跡絶(あとた)えて、明日(あす)よりは弔(とむ)らふ人も無きに至らん、余は諸人(もろびと)の我を忘るゝ迄に打興(うちきよう)ずる中(うち)に立ち、獨(ひと)り斯(かゝ)る事を思ひ、思ひに沈みて恍惚たる折(おり)しも、何時(いつ)の間にか傍(そば)近くに來りし彼れ那稻、笑(ゑみ)を含みし和(やはら)かなる音聲にて「貴方は今夜の主人では有ませんか、主人の役目を忘れて居ますよ」と云へり。
主人の役目、余は「オヽ」と驚きて猶ほ合點の行(ゆ)かぬ如く那稻の顏を見返すに「アレ最(も)う舞踏を初めねば了(いけ)ませんよ、貴方と私しが一順(じゆん)躍(をど)れば後は皆樣が續きますから」と云ひ早(は)や手を取りて余を促せり、余は漸くにして我に歸れり、成る程余こそ今宵の主人、此席の花婿なり、來客の爲めなり躍りの序(じよ)を開かずば有る可からず、躍りの後は復讐の大舞臺(おほぶたい)、好(よ)し/\徒(いたづ)らに恍惚たる時に非ずと忽(たち)まち心を引締(ひきしめ)たり。
去れど余は寧ろ迷惑げに「舞踏は至つて不得手だが」と云ふに、那稻は少し失望の樣子にて「不得手でも一生懸命にお躍(をど)り成さい、大勢と一緒ならば兔も角も、序開(じよびら)きに、皆の目を注(つ)けて見て居る所で足の拍子の合はぬ程見(みつ)とも無い事は有ませんから」豫(かね)て知る彼れ巧者(かうしや)なる舞踏者(ぶたふしや)なり、今宵は充分其の伎(わざ)を示さんとの心なる可し。
「何の躍り。」
「後から直ぐに四配舞踏(りおとりゐ)が續くことに成つて居ますから、兩人(ふたり)は匈牙利(はんがり)の三配舞踏(うをるつ)にいたしませう、呉々(くれ/″\)も貴方が躍り損(そこな)つては了(い)けませんよ」余の言葉短く「好し」と答へつ、早や那稻の腰を抱(いだ)き、イザ躍らんと身を構ふるに余とても固(もと)より其道の名人なり、殊に那稻とは四年の間幾度(いくど)も共に躍りたる事あれば、彼れに後(おく)れを取る可きや、彼れ早や言葉にも似ぬ余の身構への輕きを見て且怪(かつあやし)み且喜(かつよろこ)ぶの風(ふう)も見ゆれど、余は成る可く彼れと顏見合(かほみあ)ふを避くる樣にし先(まづ)徐々(そろ/\)と進み出でたり。
余は茲に至りて實に我身支ふるの難(かた)きを知れり、一念既に復讐に凝(こ)るとは云へど、昔し取慣(とりな)れし彼れの手を取り、抱慣れし彼れの腰を擁(だ)き、豈(あ)に過(すぎ)し四年の樂(たのし)かりし仲(なか)らひを思ひ出(いだ)さざるを得んや、殊に婚禮の式を終(おはつ)てより彼れが顏、見れば見るほど益々(ます/\)美くしく、今宵幾百幾千の美人の中に彼れと見擬(みまが)ふ者、一人だも無きを思へば、彼れが世間の婦人に幾層も立優(たちまさ)る美しさ愈々(いよ/\)現はれ、アヽ此の世界に又と無き美人、余が妻の又余が妻、余が爲に身も心も命までも任せあるかと思へば斷膓(だんちやう)の想ひ無きを得ず、余は愛と憎(にく)みの中に立ち、我心(わがこゝろ)を叱りながら、徐(おもむ)ろに起(おこ)る音樂の調子に應じ、輕く那稻の身を引上げて躍り初むるに、彼れの足拍子は余の足拍子と全く合ひ、南國の人ならでは躍り得ずと稱さるゝ匈牙利(はんがり)の躍(をどり)をば最(いと)も見事に躍り出(いで)たれば褒立(ほめたつ)る聲、四方より起りしが、頓(やが)て余と那稻と室(へや)を二三週せし頃は、續(つゞい)て躍る者益々多く、見る中(うち)に室は大舞踏の旋風(つむじかぜ)を捲(ま)き初めぬ。
音樂益々急になれば躍(をどり)も亦益々急に、那稻の熱い呼吸は余が頬に掛り、余が呼吸は那稻の前額(ひたひ)に在り、余は心に起る樣々の愛情を暫し紛らさん者と思ひ高く蹴り低く踏み必死と爲りて躍り狂ふに、那稻も更に余に後(おく)るゝ事なく、彼れ宛(あたか)も嬉しさに、堪(たへ)ぬ如く、躍りながらも余が耳に其の唇を上げ來り、愛の言葉を囀(さへづ)り初(はじめ)ぬ、余は浮世を捨(すて)し身なれども再び浮世に入(い)る心地せり。
九二
余も躍り那稻も躍り、躍り興じて興正(きようまさ)に酣(たけな)はなる頃、那稻は愛の言葉を余が耳に細語(さゝや)き初めぬ「アヽ嬉しい事、ヤツト貴方は眞實に私しを愛する樣に成ました」と云ふ、余の樣如何にも眞實の愛に溺れし如くなる可し、余は實に愛に溺れぬ、燃(もゆ)る如き憎(にく)みの心を懷(いだ)きながらも那稻の愛に溺れざる事能(あた)はず、何も彼(か)も今宵一夜、是が此世の終りと思へば暫く我が心に自由を與へ、世の若き花婿と同じく愛の言葉を味(あぢは)ふも別に妨げ無しと思へり。
爾(さ)れば余も亦那稻の言葉に和(わ)し「ヤツトとて、初めから眞實に愛すればこそ此通り夫婦と云ふ間柄に成たのサ」と、口には云へど心には余自ら我言葉(わがことば)の何の意味たるを知らぬ程なり、那稻は嬉しげに低く笑ひ「イヱ初(はじめ)から貴方は極(ご)く餘所(よそ)/\して居らツしたのですよ、夫でも遂(つひ)には餘所/\しく仕切(しきれ)ずして熱心な戀人に成るだらうと夫を私しは待て居ました、今夜と云ふ今夜は本統に熱心が見えましたから私しも張合(はりあひ)が有ると云ふ者、眞逆(まさか)の時には互に命まで捨合ふと云ふ程の愛に成らねば、夫婦と云ふ甲斐が有ませんもの」と云ひ、早や余を彼が爲に命も惜(をし)まぬ戀の奴隷と成り果(はて)し者の如くに思做(おもひな)して益々余に薄寄(せりよ)るにぞ、余も一層彼れに密接するに、余の熱き吐く息は彼れが黄金(こがね)の髮の毛を戰(そよ)がせたり。
「オヽ命まで捨るとも、既に和女(そなた)の爲め一旦死で生(うま)れ返つたも同じ事では無いか」と言掛け彼れが痛く驚きはせぬかと氣遣ひて早くも言葉を直しつゝ「昨日までの老人が、今日は少年に生れ返ツた心地がする」と言繕(いひつくろ)ふに、彼れ益々嬉(よろこ)びて「ナニ、仰言(おつしや)る程の老人では有ませんよ、貴方の樣子には何所と無く若々しい所が有ります、老人ならば此樣には躍れません、丁度私しとは良い一對の夫婦です、最う老人老人と仰有(おつしや)ツて下さいますな。」
余若し眞實の老人ならば此言葉を聞き如何ほどか嬉ぶならん、彼れは男を喜ばせる言葉を知り、折に投じて、最巧(いとたくみ)に用ふるは生れ得たる妖婦の本性と云ふ可きか、思ふに彼れの向ふ心中(しんちう)は猶ほ猫の鼠に向ふ如くなる可し、彼れ貪(むさぼ)り食(くら)ふ慾心は滿々たれども、其貪喰(そのむさぼりくら)ふ前に於て充分に飜弄(ほんらう)し、或は擒(とら)へ或は縱(はな)ち、以て自ら樂(たのし)むなり、去れど余が鼠に似ず實は虎より猶ほ猛(たけ)き決心あるを奈何(いかん)せん。
余と彼は愛の言葉を囀(さへづ)りながら、旋風(つむじかぜ)の如くに躍れる一群(ひとむれ)の中に舞込み、頓て音樂の音が靜々(しづ/\)と遲くなり一段の終りを告(つげ)るまで躍りしが、那稻には猶ほ共に躍らんと言込みたる紳士も多ければ、余は那稻を人に渡し、第二の躍りの初(はじま)るを見て、窃(ひそか)に此室(このへや)を拔出(ぬけいで)たり、實に余は愛と憎(にくみ)に心疲れ暫し靜(しづか)なる所に安息せざれば我身の續かぬを覺えたり、室を出(いで)て廊下を歩むに舞踏室の雜踏(ざつたふ)に引替へて殆ど人の影も見えず、余が爲には蘇生の思ひあれど、唯だ物足らぬ心地するは從者瓶藏の不在なり、斯る時に彼れ居たらんには必ず余が傍(そば)に走來(はせきた)り何呉(なにくれ)と氣を附けて余が心の幾分を慰む可きに、今は彼れ茲に在らず、余は打鬱(うちふさ)ぎて漫歩するに、折しも通り合す給仕の一人(にん)、余に向ひて「オヽ今し方まで瓶藏殿が居ましたのに、イヤ何か御用ならば私しが致しませう」と云ふ、余は怪みつゝ「別に用は無いが、今し方まで瓶藏が茲に居たとは。」
「ハイ彼れ一旦茲を立(たち)ましたが、船の出るまで猶間(なほま)が有ると云ひ、歸て來ました、夫から暫し舞踏室の中を見、貴方と夫人の躍るのを眺めて居ましたが、其中(そのうち)に最う時間が來たと云ひ、涙を浮めて立去りました」余は唯だ「爾(さう)か」と云ひ平氣の振にて聞流せしも、彼れが余の事をのみ氣遣ひ纔(わづ)かばかりの出船(でふね)の暇さへ偸(ぬす)み、再び余の樣子を見に歸りしかと思へば、余は此世に於て唯一人(ただひとり)の親友に別れたる心地して胸も益々塞がるのみ。
凡そ一時間も過しかと思ふ頃、氣を取直して再び舞踏室に入(い)り、躍り疲れて腰掛居(こしかけゐ)る紳士貴夫人達より祝賀の言葉を受ながら、其許(そこ)彼許(かしこ)と徘徊するうち夜(よ)の十一時の鐘を聞けり、スハ待(まち)に待たる復讐の手初(てはじ)め時(どき)、十二時には來客一同へ晩餐を饗する定めなれば、其前に那稻を此室(このへや)より復讐の場所へ奪ひ去らずばある可からず、余は今更らの如く胸轟(むねとゞろ)き身戰(みおのゝ)くを推靜(おししづ)め、那稻は何所(いづこ)と見廻すに彼れ今しも躍りを止(や)め、未(ま)だ此次の踊りに掛らず、四五の貴人と對坐して面白げに話(はな)しせるにぞ、余は好(よ)き時と見て、先づ徐々(しづ/\)と其方(そのかた)に寄行(よりゆ)きたり、アヽ讀者よ計(たく)みに計みたる大復讐、是よりして初(はじま)るを見る。
九三
余が徐(そ)ろ/\と寄行(よりゆ)くに、那稻も丁度話の切目なりしと見え、立(たつ)て貴人等の傍(そば)を離れ余が方(かた)に寄來(よりきた)れり、他(か)れ用事有りげなる余の顏色を見て取りしものなる可し。
余は夫となく彼れを人無き邊(ほと)りに連れ行き聲を潜(ひそ)めて「和女(そなた)は豫(かね)ての約束を覺えて居るか」と問掛(とひかく)るに那稻の顏色は忽ちに晴れ渡り「アレを忘れて何(ど)うしませう、私しは貴方が又若(またもし)や忘れて居はせぬかと夫ゆゑ立て來ましたのです」占(しめ)たりと余は心に喜び「では最う丁度好い時刻だ、誰も知らぬ間(ま)にソツと拔出(ぬけで)て行(ゆか)うでは無いか。」
「ハイ行きませう、何うぞ連て行て下さいまし、サア早く」と猶豫(いうよ)も無しに却(かへつ)て余を迫立(せきたつ)る程なるは、彼れ己が身の破滅とも知らず、眞實此約束の履行時(りかうどき)を待居たりと見ゆ。
慾深き他(かれ)の心に之を待つも無理ならず、約束とは讀者の知れる如く余の隱し有る寶物(はうもつ)を見、其中(そのうち)より己(おの)が氣に入(い)る品を撰取(えりと)ると、余が露出(むきだし)の眼(まなこ)を見るとの二ヶ條なればなり。
余の眼を見る丈ならば左(さ)まで待焦(まちこが)れもすまじけれど寶物は是れ明日(あす)の旅に佛國(ふつこく)巴里(ぱりー)まで行持(もちゆき)て、巴里(ぱり)の貴婦人達を驚かして呉れん者と豫てより彼が心に待設(まちまうけ)る所なり、余は猶更に勿體附け「寶物を隱して有るなどと毛程も他人に悟られては、後の用心が惡いから極々秘密に行(ゆ)かねば了(いけ)ぬ、直(すぐ)と云ても爾も行くまい今から二十分の時刻を計り、裏口へ忍び出れば私(わし)が一切の用意を調(とゝの)へ其所(そこ)に待て居るから。」
「ハイ二十分。」
「だけれど此儘の服では寒からう。」
「イヱ此上へ厚い上被(うはぎ)を掛けて行(ゆ)きます、ですが、餘つぽど遠いのですか。」
「爾遠くも無いが。」
「十二時には晩餐の饗應が始まります故、夫までには歸て來られませうか。」
「無論の事」那稻は益々心浮き「婚禮の夜(よ)に大勢の客を待せて置き、夫婦忍んで寶物を見に行くなど何うしても昔々譚(むかしばなし)です、其上月も出て居ませう。」
「出て居る樣だ。」
「ではね、二十分には佶(きつ)と行きます、今彼許(あすこ)に居る婦人達と混歌(まざるか)の躍(をどり)を約束して有ますから成る可く早く夫を濟せまして」と云ふ、抑(そ)も混歌(まざるか)とは波蘭土(ぽうらんど)の躍にして美人の美を示すこと此躍(このをどり)に如(し)く者無ければ、那稻は斯る場合にも猶ほ己が美しさの益々衆に秀(ひいで)たるを示し置(おか)んと思へるなる可し。[#底本には「」」]
去れど余に取りては結句(けつく)幸ひ、余には尚(な)ほ多少の用意あれば其暇にと含(うなづ)きて那稻に分れ、々(さう/\)此所(ここ)を拔出(ぬけい)で二階なる我室(わがへや)に入行(いりゆ)けり、嗚呼今まで姿を變へ、聲を變へ、樣子を變へ、贋(にせ)の人と爲り居たる窮屈を漸く脱捨てる時來りしかと思へば、ホツと打寛(うちくつろ)ぐ息の先立つのみ。
是より纔(わづ)か幾分時の間に余は姿鏡(かゞみ)に向ひ、成る丈け我が贋姿(にせすがた)を捨て本(もと)の波漂羅馬内に成返(なりかへ)れり、固(もと)より白き髮、白き髭髯(ひげ)は本の波漂の通り黒くする由無(よしな)けれど、手早く剃刀を取りて頬の髭、顋(あご)の髭を剃落(すりおと)し、昔しの通り鼻の下なる八字髭のみと爲し、長く掛けたる黒目鏡も脱して見るに、睫毛(まゆげ)の長く生(はへ)たる下に澄渡(すみわた)る目の光は確に余が本來の眼なり、殊には其の孰れの所にか凛として侵し難き決心見え、一念貫(つらぬ)かざる事無き健兒(けんじ)の相貌自(おのづ)から備はれるにぞ、余の心勇(いさ)み立ち、鏡の前に身を引延(ひきのば)し、拳を握り腕を振り、頓て又四肢を踏鳴(ふみなら)すに身體(からだ)の具合少(すこし)も損じたる所無く、是ならば赤手(せきしゆ)を以て大敵と戰ふとも左(さ)まで恐るゝ所なし、況(ま)してや彼れ那稻輩(はい)一捻(ねぢ)りに捻り殺すも難(かた)からじと思へども、用心に如くは無ければ、更に手箱の中よりして取出す匕首は音に聞えしミラン市の本鍛(ほんきたひ)にして、余が復讐の一念凝りし時より秘藏せる逸品(わざもの)なり、其の刃を本より劍突(きつさき)まで撫で試みるに、手障(てざは)り霜よりも冷(ひやゝ)かにしてゾツと凄味の身に浸(しみ)るを覺ゆ。
是等の用意調(とゝの)ひて次に取揃へしは證據品なり、是とても豫て纒(まと)めある者なれば別に手數は要せざれど念の爲め檢(あらた)むるに、余が先に生(いき)ながら葬られし時、余と共に棺の中に納めありし彼(か)の十字架を初め、其時余の身に着居(つきゐ)たる余、妻、娘の冩眞入(しやしんいれ)、及び之に繋(つなが)る金鎖(きんぐさり)あり、猶ほ那稻より魏堂に送りし幾通の不義の手紙、其他一として欠(かけ)たるは莫(な)し、次には禮服を脱ぎ余が波漂たりし頃、平生着けし如き服に着替(つけか)へ、又次には余が立去りし後(のち)にて此室を尋ぬるとも孰れに行き何を爲せしや更に手掛りの殘らぬ樣、一切の品を片附け、反古類(ほごるゐ)は燒盡(やきつく)し、宿の主人(あるじ)に遺身(かたみ)として贈る可き品までを取揃へ、最早や此上盡す可き所無しと再び鏡に打向ふに、波漂波漂、余は眞に波漂なり、前生(ぜんせい)に親しく余を知りたる者、唯だ白髮(はくはつ)を怪みはすれ、誰が又余が波漂たる事を見て取(とら)ざらんや、余は滿足して更に外套を被(き)、其襟を捲り上げて剃り立(たて)の顋(あご)を隱し、眼は暫く又眼鏡に包み、帽子眉深(まぶか)に引卸(ひきおろ)して裏口に出行(いでゆ)きたり、那稻既に此所(このところ)に來(きた)れるや否。
九四
忍び出(いで)たる裏口に、人の影更に無し、約束の二十分は大方經ちしと思はるゝに、那稻何故(なにゆえ)に來(きた)らざるや、余は待遠(まちとほ)く、又悶(またもど)かしく一分間も一時間より猶ほ永き心地せられ、斯する中(うち)に若し人にでも認められては詮無きにと只管(ひたすら)に氣を燥(いらだ)てど來ぬ人は致し方なし。
舞踏室なる音樂は手に取る如く耳に入(い)り、躍り興ずる人々の足音さへ明(あきらか)に聞ゆるほど世界は寂(さび)て靜なれど、唯だ那稻の足音だけ聞えぬは如何にせしぞ、アヽ彼れ終(つひ)に來(きた)らざるか、夫とも窃(ひそ)かに覺(さと)る所あり此間際に至りて余の手より脱せしなるか、疑ひ初めては勿々(なか/\)に、余は心も心ならず、一層(そ)最(も)一度引返し彼れを引摺(ひきずり)て來(きた)らんかと迄に思へど、(そ)は云ふ可くして行ふ可からず、殆ど地團太(ぢだんだ)踏む計(ばか)りなる折しも、嬉しやサワサワと足に纒(まと)ふ絹服の音と共に那稻の姿現れたり。
彼れも余を見留(みとめ)て嬉(うれし)きにや、宛も母の姿を認めたる小兒(せうに)の馳寄る如く早足に馳來(はせきた)る、其の姿を如何にと見れば、露國(ろこく)に産する貂鼠(てんこ)の黒き毛皮にて作りたる外被(うはぎ)を今宵の服の上に纒ひ、其下より時に夜光珠(だいやもんど)の散々(ちら/\)と見ゆる樣、暗夜の雲の間(ま)より折々星の洩(もる)るに似たり、外被の黒きに反映して一際目立つ白き頬も、毎(つね)より紅(くれなゐ)の色濃く見ゆるは、今まで充分に躍りし末、休む間(ま)も無く急ぎ來りし爲にも有る可く、殊に心の一方(ひとかた)ならず浮躍(うきをど)る爲なる可し。
「オヽ大層お待せ申しました」と細語(さゝや)きながら余が手を取て吸ひ、更に「[#底本では「「」欠字]此樣な風(ふう)を成さると貴方の背が高く見えます事、本統に血氣盛(けつきさかん)な少年の姿ですよ」と云ひ猶又「早く來やうと思つても躍が仕舞(しま)は無いのですもの、ですが何(ど)れ程面白い躍でしたらう、貴方が一緒なら[#「貴方が一緒なら」は底本では「貴方が一諸なら」]好いのにと思ひました」とて、余が身體(からだ)に寄添ふにぞ余は其手を取りて引寄せつ「だが何うして外(はづ)して來た」「イエ躍が一段終つたから少し息でも繼ぐ振で室を出で、自分の室へ馳上(かけあがつ)て此外被を着るが否や飛(とん)で來ました、オヽ呼吸(いき)が切れる、コレ此動悸を」と云ひながら余の手を外被の下に引込み、其胸に宛(あて)させたり。
「だが、下女か誰かに見られは仕無(しなか)つたか。」
「誰が見ませう、最う晩餐の時刻ですから宿の者一同は其用意に取掛り、私しの侍女(こしもと)まで勝手へでも行たと見え、其姿も見えません。」
余はホツと我が胸の安きを覺えぬ、爾(さ)すれば誰一人、余の拔出(ぬけいで)しを悟らぬ者なり、目的通り何人(なんぴと)にも知らさずして那稻を連去る事の出來る者なり「では行かう、サア」と云ひ、宛も一人の身體と見ゆるほど堅く那稻と抱合ひて裏口より裏庭を横切りつ、裏木戸の所に到り茲に暫く那稻を待たせ、余獨(ひと)り外に出で直ちに辻馬車を雇來(やとひきた)りて、先づ那稻を助けて乘らせ、次に余も飛乘りてグアルダの別莊まで遣て呉れと其馭者に命じたり。
グアルダの別莊とは彼(か)の恐ろしき墓窖(はかぐら)に最も近き人家なり、那稻は此名を初めて聞く事と見え「エ、何處(どこ)の別莊です」と問へり「ナニ寶物を隱して有る所の少し手前だ」と答ふるに彼れ全く安心して箱馬車の後に身を(もた)らせ輕く其首を余が肩に投掛けて、硝子窓より洩來(もれく)る辻燈(つじとう)の光り時々に其顏を掠める如く照して去るに一任す、嗚呼是れ何等の風情、何等の赴き、余の外に見る人なく余の外に見せる人なし、余が物余が自由、余は茲に至りて魂(こん)も魄(はく)も有頂天の外に上(のぼ)り、胸の波高く打てり、是れ嬉(うれし)さか然り嬉しさなり、生涯の大望(たいまう)一時(じ)に達し身も世も忘れたる嬉さなり、那稻の心持(こゝろもち)如何ならん、馬車の一搖(ひとゆれ)搖れる度に彼れの身は重く、重く、余が身に(もた)れ來る、余は氣醉(きゑ)ひ神迷(しんまよ)ひ「オヽ我物(わがもの)、遂に我物」と云ひながら彼の首に手を纒ふに彼れが身は余が雙手(もろて)の間に解けしか、力無き事生れ立(たて)の小兒の如し。
生す殺す、總て是れ余が自由、二度まで婚禮して妻とせし余が妻なり、二重に買入れし奴隷よりも猶ほ余が物、余は後宮に二千の美女を蓄ふる土耳古(とるこ)皇帝が其美女を弄び、其美女を革の袋に入れ、其美女を濠(ほり)に投じて殺すさへ自由なりと云ふ如く彼れを如何樣に取扱ふとも總て自由ならざるなし、余は彼れの皇帝なり、彼れの持主、彼れの飼主、彼れの所天の又所天なればなり、彼れ假令(たと)ひ余が手にて何の樣な目に逢ふとも彼れが爲に余を訴ふる人は無く、彼れを惜む人とて無けん、彼れ其家の富(とめ)るが爲め尊(うやま)はれ愛せらるゝに似たれど眞實に彼れを愛する者は魏堂の如く波漂の如く、總て彼れに欺かれ彼の敵と爲り、殘るは唯だ心に彼を恨(うらみ)て上部(うはべ)に彼れを敬愛する者のみなればなり。彼れ亡(ほろぶ)れば彼れが友とする幾度(いくた)の貴婦人まで却て交際場裡(かうさいぢやうり)の兇敵を拂ひたるを喜ばんのみ、何(なん)の所より考ふるも余は彼れに寸分の容赦ある可(べか)らず。
九五
猫が鼠を貪り喰(くら)ふ前に先づ飜弄(ほんらう)一番する如く那稻余を弄ぶとせば、余も又那稻を殺す前に彼れを飜弄すること何の差支(さしつかへ)が有る、余は馬車の中(なか)にて那稻と並び彼れの手を取り彼れの首(かうべ)を抱(いだ)き彼れが全く余の手の裏の物たるを見て、鼠を捕獲(とりえ)し猫よりも猶ほ邪慳(じやけん)なる喜びの我胸に滿(みつ)るを覺えぬ。
此夜宵(このやよひ)の中(うち)より空かき曇り雨は降らねど風稍(や)や強く吹き居たるが、馬車寧府(ねいぷる)の町を離れし頃より風愈愈強くして往通(ゆきか)ふ人全く絶え、走るは唯だ風に驅(か)らるゝ雲の脚(あし)のみ月も見え隱れに余が馬車に從ふは、前後に類無(たぐひな)き余が復讐を照らさんとてにや。
頓(やが)て曩(さき)に名指せしグアルダの別莊、茂りたる木の間より見ゆる所に至り、馭者は其臺(そのだい)を下(くだ)り、横の窓より余に向ひて「旦那アノ別莊の門まで行きませうか」と問ふ。
「ナニ夫には及ばぬ、茲で卸して呉れ、先は最う纔(わづか)だから歩く方が却て便利だ」と答へ、那稻が故障を云ふ暇無き間(ま)に余はヒラリと馬車を降り、手早く賃銀を拂ひ「お前は茲で待つよりも町へ歸て外の仕事をするが好(よか)らう」と云ふに。
「ハイ今夜は笹田伯爵の婚禮ですからアノ家(や)の近邊へ行て居(を)れば猶ほ此樣な安く無い仕事が二組や三組は有ますよ、成(なら)う事なら是でお暇(いとま)にして頂きませう。」
此言葉にて察する時は彼れ勿論余を笹田伯爵其人なりとは露ほども疑はぬのみか、夜會に紛れて日頃相思(あひおも)ふ女を連出し人無き所に忍び行きて己が樂みを盡す放蕩紳士の一類と見做(みな)せるならん、唯だ寧府(ねいぷる)のみならず、此類の痴(たは)けたる男女は孰れの夜會にも幾組か有る者なればなり。余も固(もと)より彼れに斯く思はるるは都合好き故「笹田と云ふ奴は面(つら)の憎い程金持だ、何うか擬(あやか)り度い者だ」と云ひて笑ふに。
「イヤ旦那こそ仕合せ者です。私しなんぞは伯爵よりも斯(かう)して一寸(ちよつ)と意氣事(いきごと)する旦那に擬り度い者です」と諛(へつら)ふは馬車賃の釣錢を出(いだ)さじとする、時に取ての機轉なる可し、余は「釣は要らぬからサア」と云ひ、那稻を馬車より扶(たす)け卸すに、那稻は此時早や既に軋(きし)りて去らんとする馬車の背後(うしろ)を心細げに見遣りながら「ねえ待たせて置く方が安心では有ませんか」と問へり。
「ナニ何(ど)の樣な事で他人に覺(さと)られぬと限らぬから歸りは外(ほか)の馬車で外の道を行くが好い」と答へつ急(いそが)しく其手を取り、早足に歩み初めぬ。
那稻は世に云ふ虫の知せにて早や不安心の想(おもひ)を生ぜしか微かに其身を震はせつゝ今までの嬉しげなる聲に引替へ、訴ふる如き口調にて「猶(ま)だ茲から遠いのですか。」
「ナニ三分間も歩めば好いのだ、オヤ和女(そなた)は少し震へる樣だが寒いのか。」
「ハイ何だか。」
「イヤ寒ければ緊(しつか)りと私(わし)に薄附(せりつい)て居るが好い」と云ひ逃やうとて逃さぬ樣、余は殆ど抱すくめて引行くに何しろ晝も猶ほ物凄き墓場の眞近にして、總體の景色何と無く陰氣なれば恐ろしきも無理ならず、斯くて幾許(いくばく)か歩みし頃は、折惡(をりあし)く吹く風に雲を拂はれ月の光は荒凉たる墓原(はかはら)の入口を照し出したれば那稻は忽ち足を留め、前よりは猶ほ強く震へる聲にて「オヤ、茲は何所ですか、餘り氣味の惡い場所ですが。」
問ふも道理や、彼れ今までに墓原に來りし事なく、唯だ人の話にのみ聞きて此上も無く恐しき所と思へばなり。
「此樣な所へ隱して有ればこそ寶物も無難と云ふ物、けれどもナニ別に氣味の惡い事は無いよ」と言聞す、余が聲も何故(なにゆゑ)か早や日頃の調子と違ひ、余の耳にすら餘所(よそ)/\しく他人の聲かと聞ゆ、今彼れに悟られては事甚(はなは)だ面倒なれば、兔に角も墓窖(はかぐら)の中までは連込まざる可からずと思ひ、余は彼れの腰の廻りを確(しか)と抱締め「サア來なよ、サア」と云ひ、成る可く親切らしき聲を出(いだ)せど、心の奧の底よりして既に我が事成りぬと思ひ、彼れを一呑(ひとのみ)に呑込たる者なれば、人を嘲る猿の聲にも似たりと云ふ可き程にて、自分ながら薄氣味惡し。
「ナニも獨(ひとり)では有るまいし、コレ私(わし)が一緒ではないか、少しも恐るゝ所は無い、サア來なよ、サア。」
殆ど身動きも出來ぬほど抱すくめての上なれば、彼れ何の力も無く、殊には心早や身に添はず、上齒下齒(うはゝしたゝ)ガツ/\と震鳴(ふるひな)りて彼れ「否」と云ふ聲さへ出(いだ)し得ず。余は是(こゝ)に至りて最早や波漂に非ず、笹田折葉に非ず、復讐に渇(かつ)ゑた惡魔なり、只管(ひたすら)に彼れを引摺り唯だ前の方、前の方にと、霜に濡たる枯草(かれくさ)を踏み、倒れたる古き石塔を跨(また)ぎ、前の方前の方、彼(か)の恐る可き墓窖の戸口に達するまで脇目も振らず、前の方、彼那稻が當然の天罸(てんばつ)を蒙(かうむ)る可き前の方まで、猶豫も無く容赦も無し、彼れが腰に卷く余が手先は惡魔の繋ぐ鐵鎖(くさり)より強く、揉掻くとも弛(ゆるみ)はせじ。
九六
アヽ余が旅は終れり、余は目的の所に着けり、恐ろしき墓窖の戸は今正(いままさ)に余が目の前に在り、此とき月は雲に隱れ四面暗澹(しめんあんたん)として暗けれど幾度(いくたび)か茲に來りし余が目には爭ふ可くも非ず、此戸を開けば中は是れ那稻が爲の活地獄(いきぢごく)、余が最後の戰場なれど那稻は四邊(あたり)の暗さに紛れ猶夫(なほそれ)と氣附(きづか)ぬにや、余は用意の鍵を出(いだ)して錠(ぢやう)を解(と)き、直(たゞち)に戸を開け、那稻を抱く手に一入(ひとしほ)の力を込め彼を此中(このなか)に引入(ひきいれ)んとするに、彼れ初(はじめ)て少しく身を揉掻(もが)き、
「貴方は先ア、貴方は、先ア茲は茲は。」
「茲は誰も來ぬ安心の穴倉さ。」
「何だか私しは恐しくて」と穩かならぬ聲にて云ふを、余は努めて我言葉(わがことば)を平(たひら)にし何氣なく打消して、
「ナニ恐しいと、其の樣な事が有る者か。」
「でも何だか暗くなつて。」
「中へ這入(はいれ)ば直(すぐ)に燈(あかり)を點(つけ)るのだもの。」
言消すうちにも余が心には早や彼を逃(にぐ)るにも逃られぬ手詰(てづめ)の場所に連來(つれきた)りしかと思へば、心底(しんてい)より氣味好(きみよ)さに堪(たへ)ずして自(みづか)ら制(せい)せんにも制し切れず、最と聲高く打笑ひたり。固(もと)より笑ふ可き場合に非ず、又勿々(なか/\)に笑ふ如き心も無きに何故(なにゆゑ)に余が心は笑はざる事能(あた)はず、實に胴笑(どうわら)ひに笑ひたり、笑ひては成らずと思ひ漸くに聲を止(とゞ)めて、
「ナニも恐ろしい筈は無い、サア來なよ」と云ひ余は手早く且つ輕々と彼を抱上げ、閾(しきゐ)を跨ぎて終(つひ)に戸の裏へと入果(いりおほ)せたり。
終に戸の裏、アヽ戸の裏、有難(ありがた)し、有難し、余は内よりして再び其戸を閉ぢ、再び錠を卸したり。余と那稻とを出る事の出來ぬ樣(やう)終(つひ)に墓窖の中に閉込めたり。アヽ氣味好しと思ふと共に再び彼(か)の異樣なる胴笑ひ胸の底より込上(こみあ)げ來り、其聲余が口を突破る程の勢ひにて發したり、今は閉込(とぢこみ)たる地の底の穴なれば、戸の外の笑ひと違ひ余が聲は空洞(うつろ)なる四方の壁に響き、壁より笑ひ返す如くに聞えて余自身さへ物凄き程なれば、那稻は定めし薄氣味惡き事なる可く、彼れ犇(ひし)と余に薄附(せりつ)き「貴方は何を其樣にお笑ひ成さる、本統にゾツとしますよ」余は再び必死と爲りて我が聲を制し「ゾツとする、ナニ餘り嬉しいから笑ふのサ、生涯見て呉れる人も無い事かと殆ど失望して居た寶物を到頭見せる、時が來たから夫が餘(あんま)り嬉しくてサ。」
斯く云ひて先づ彼れに暫しが程の安心を與へ置かんと、余は花婿が花嫁を抱く如く彼れを抱き、又其の接吻する如く彼れを接吻するに、抱くにも接吻にも何と無く荒々しき所あり、我ながら我が擧動の我が意の如くならざるを訝(いぶか)るのみ。
戸の口より墓窖の底までは猶ほ幾段の石段を傳(つた)ひ降(くだ)らねばならず、余は意の如くならぬ我聲を強(しひ)て柔(やはら)げ「サア是からが石段だ、和女(そなた)が躓(つまづ)いては大變だから、私(わし)が抱上げてソツと卸して遣る」と云ひ有無の返事も無き中(うち)に抱上(だきあぐ)るに、怪しや彼れが身は輕き事生(うま)れ立(たて)の小兒に似たり、是れ彼れの輕きに非ず余が腕、余が身體(からだ)、余が筋肉の總體(そうたい)に非常の決心起ると共に、非常の力滿ち來りし爲めなり。抱上げられて彼れ揉掻しか揉掻ざりしかは余今は記憶せず、實に一念胸に凝(こ)り、余は全くの夢中となり居たればなり。
夢中ながら足に探(さぐ)り、一段一段、石階(いしだん)を降(くだ)り行くに余が腦髓は餘りの激動に張裂(はりさく)るにや、目の前に火の車の廻る如き形見(かたちみ)え、足も地に着かぬ心地せらる。茲一時が大事の場合と余は心を推鎭(おししづ)め、降り/\て漸くに墓窖のドン底には着きぬ、地の下深く二丈餘り、余と那稻は生(いき)ながら埋(うづ)められたる人に同じ、余は那稻を底に卸し、初めて抱(だき)し手を解(と)きつ、ホツと先づ息を吐(つ)くに胸は宛(さな)がら波の如く高く低く畔(うねり)を爲せり、那稻は放されて離れも得せず、猶ほも余が手を握りし儘にして涸盡(かれつく)せし聲を絞り「茲は何處(どこ)です、今仰有(おつしや)つた燈は何所(どこ)に」と問ふ、余は最早や返事するだに懶(ものう)し、無言の儘に衣嚢(かくし)より燐寸(まつち)を取出し豫て此穴の四壁(へき)に用意し置ける數本の蝋燭に火を點(とも)しぬ、讀者何時の間に余が斯る用意をせしやと怪む勿(なか)れ、余が婚禮の前夜に瓶藏に眠酒(ねむりさけ)を呑せ置き、寒(かん)を冒(おか)して獨(ひと)り我宿(わがやど)を忍び出(いで)しは實に此穴の中に樣々の用意を施さんが爲なりしなり。
忽ち蝋燭の光に照され、那稻は眼眩(まなこくら)みしが暫しが程唯だ四邊(あたり)を見廻はすのみ、余とても敢(あへ)て聲を發せず、次第/\に昇り來(きた)る胸の憤(いか)りを撫でながら彼れの樣子を見て有るに、彼れ羅馬内家の先祖累代を納めたる棺(くわん)より棺に眼を移し、其他の葬具(さうぐ)一式を見ると共に、果して夫と氣附しにや「アレー」と一聲高(せいたか)く叫び、再び余が身に※(しが)[#「厥/足」、U+8E77、331-9]み附(つき)つゝ「茲は/\墓窖ですが、早く連出して下さい」と云ふは全く恐しさに身もすくみ、余が初めて耳に聞く誠の聲なり。
九七
「早く連出(つれだ)して下さい」と、必死になりて※(しが)[#「厥/足」、U+8E77、331-12]み附けども[#「※[#「厥/足」、U+8E77、331-12]み附けども」は底本では「蹙み附けども」]、余は何の返事もせず、彼れが恐れの益々深くなるに任せ置かんと、仁王(にわう)の如く立(たち)しまゝ身動(みうご)きもせで控ゆるに、暫くにして彼れ最早(もは)や堪(たま)り得ず忽ち余の身體より飛放(とびはな)れ、宛も余が若しや他人となりしには有らぬかと危(あやぶ)む如く余を見上げ、
「コレ貴方、何(ど)う成(なさ)つた、何故其樣に動きませぬ、何故無言です、マア何とか一言仰有(おつしや)つて下さいな、サア私(わたく)しをお抱(だき)なさい、接吻なさい、何とでも好(よ)いから唯だ貴方の聲だけも聞せて下さい」と云ひ、泣出(なきいだ)さん聲と共にブル/\其身を震はせるにぞ、最早や口を開きて好(よ)き頃と見、余は確(しか)と彼れの手を取り一絲も紊(みだ)れぬ練固(ねりかた)めし音聲(おんせい)にて、
「靜にしろ、茲は泣(ない)たり叫(さけん)だりする場所で無い、今和女(そなた)が見て取(とつ)た通り墓窖だ、遂には和女の身を埋(うづ)める所(とこ)ろ、イヤサ和女の曾(かつ)て縁附(えんづい)た羅馬内家代々の墓窖だ。」
是だけの言葉に彼れ那稻は泣聲も咽(のど)に塞がり、息さへも出(いで)ぬと云ふ如く、開きし口に聲も無く、唯だ魘(おそ)はれし如き目を見張りて余の顏を眺むるのみ。
余は聲を繼ぎ、
「茲だ、羅馬内家幾十代の義人(ぎじん)も貞女も皆此中(このうち)に其(その)亡骸(なきがら)を留(とめ)て有る、今より一年に足らぬ以前、和女の所天波漂羅馬内(はぴよろうまない)が葬られたのも此(この)墓窖だ、茲は波漂の居る所だ。」
是だけ云ひて、言葉の効目如何にやと余は暫し口を止(とゞ)むるに、那稻は一句一句に戰(をのゝ)きて色を失ふのみなりしが、漸くにして、途切れ/\の聲を繋ぎ、
「貴方は、氣が違ひはしませんか」と云ひ、余が尚も無言なるを見て、恐々(こは/″\)に躄(にじ)り寄り「サア早く行(ゆ)きませう、此樣な所に用は無い、此上(このうへ)居ては壽命が盡きます、歸りませう、歸りませう、何の樣な寶物(はうもつ)でも茲に在る物は要(いりrb>(ひそ)めて「和女(そなた)は豫(かね)ての約束を覺えて居るか」と問掛(とひかく)るに那稻の顏色は忽ちに晴れ渡り「アレを忘れて何(ど)うしませう、私しは貴方が又若(またもし)や忘れて居はせぬかと夫ゆゑ立て來ましたのです」占(しめ)たりと余は心に喜び「では最う丁度好い時刻だ、誰も知らぬ間(ま)にソツと拔出(ぬけで)て行(ゆか)うでは無いか。」
「ハイ行きませう、何うぞ連て行て下さいまし、サア早く」と猶豫(いうよ)も無しに却(かへつ)て余を迫立(せきたつ)る程なるは、彼れ己が身の破滅とも知らず、眞實此約束の履行時(りかうどき)を待居たりと見ゆ。
慾深き他(かれ)の心に之を待つも無理ならず、約束とは讀者の知れる如く余の隱し有る寶物(はうもつ)を見、其中(そのうち)より己(おの)が氣に入(い)る品を撰取(えりと)ると、余が露出(むきだし)の眼(まなこ)を見るとの二ヶ條なればなり。
余の眼を見る丈ならば左(さ)まで待焦(まちこが)れもすまじけれど寶物は是れ明日(あす)の旅に佛國(ふつこく)巴里(ぱりー)まで行持(もちゆき)て、巴里(ぱり)の貴婦人達を驚かして呉れん者と豫てより彼が心に待設(まちまうけ)る所なり、余は猶更に勿體附け「寶物を隱して有るなどと毛程も他人に悟られては、後の用心が惡いから極々秘密に行(ゆ)かねば了(いけ)ぬ、直(すぐ)と云ても爾も行くまい今から二十分の時刻を計り、裏口へ忍び出れば私(わし)が一切の用意を調(とゝの)へ其所(そこ)に待て居るから。」
「ハイ二十分。」
「だけれど此儘の服では寒からう。」
「イヱ此上へ厚い上被(うはぎ)を掛けて行(ゆ)きます、ですが、餘つぽど遠いのですか。」
「爾遠くも無いが。」
「十二時には晩餐の饗應が始まります故、夫までには歸て來られませうか。」
「無論の事」那稻は益々心浮き「婚禮の夜(よ)に大勢の客を待せて置き、夫婦忍んで寶物を見に行くなど何うしても昔々譚(むかしばなし)です、其上月も出て居ませう。」
「出て居る樣だ。」
「ではね、二十分には佶(きつ)と行きます、今彼許(あすこ)に居る婦人達と混歌(まざるか)の躍(をどり)を約束して有ますから成る可く早く夫を濟せまして」と云ふ、抑(そ)も混歌(まざるか)とは波蘭土(ぽうらんど)の躍にして美人の美を示すこと此躍(このをどり)に如(し)く者無ければ、那稻は斯る場合にも猶ほ己が美しさの益々衆に秀(ひいで)たるを示し置(おか)んと思へるなる可し。[#底本には「」」]
去れど余に取りては結句(けつく)幸ひ、余には尚(な)ほ多少の用意あれば其暇にと含(うなづ)きて那稻に分れ、々(さう/\)此所(ここ)を拔出(ぬけい)で二階なる我室(わがへや)に入行(いりゆ)けり、嗚呼今まで姿を變へ、聲を變へ、樣子を變へ、贋(にせ)の人と爲り居たる窮屈を漸く脱捨てる時來りしかと思へば、ホツと打寛(うちくつろ)ぐ息の先立つのみ。
是より纔(わづ)か幾分時の間に余は姿鏡(かゞみ)に向ひ、成る丈け我が贋姿(にせすがた)を捨て本(もと)の波漂羅馬内に成返(なりかへ)れり、固(もと)より白き髮、白き髭髯(ひげ)は本の波漂の通り黒くする由無(よしな)けれど、手早く剃刀を取りて頬の髭、顋(あご)の髭を剃落(すりおと)し、昔しの通り鼻の下なる八字髭のみと爲し、長く掛けたる黒目鏡も脱して見るに、睫毛(まゆげ)の長く生(はへ)たる下に澄渡(すみわた)る目の光は確に余が本來の眼なり、殊には其の孰れの所にか凛として侵し難き決心見え、一念貫(つらぬ)かざる事無き健兒(けんじ)の相貌自(おのづ)から備はれるにぞ、余の心勇(いさ)み立ち、鏡の前に身を引延(ひきのば)し、拳を握り腕を振り、頓て又四肢を踏鳴(ふみなら)すに身體(からだ)の具合少(すこし)も損じたる所無く、是ならば赤手(せきしゆ)を以て大敵と戰ふとも左(さ)まで恐るゝ所なし、況(ま)してや彼れ那稻輩(はい)一捻(ねぢ)りに捻り殺すも難(かた)からじと思へども、用心に如くは無ければ、更に手箱の中よりして取出す匕首は音に聞えしミラン市の本鍛(ほんきたひ)にして、余が復讐の一念凝りし時より秘藏せる逸品(わざもの)なり、其の刃を本より劍突(きつさき)まで撫で試みるに、手障(てざは)り霜よりも冷(ひやゝ)かにしてゾツと凄味の身に浸(しみ)るを覺ゆ。
是等の用意調(とゝの)ひて次に取揃へしは證據品なり、是とても豫て纒(まと)めある者なれば別に手數は要せざれど念の爲め檢(あらた)むるに、余が先に生(いき)ながら葬られし時、余と共に棺の中に納めありし彼(か)の十字架を初め、其時余の身に着居(つきゐ)たる余、妻、娘の冩眞入(しやしんいれ)、及び之に繋(つなが)る金鎖(きんぐさり)あり、猶ほ那稻より魏堂に送りし幾通の不義の手紙、其他一として欠(かけ)たるは莫(な)し、次には禮服を脱ぎ余が波漂たりし頃、平生着けし如き服に着替(つけか)へ、又次には余が立去りし後(のち)にて此室を尋ぬるとも孰れに行き何を爲せしや更に手掛りの殘らぬ樣、一切の品を片附け、反古類(ほごるゐ)は燒盡(やきつく)し、宿の主人(あるじ)に遺身(かたみ)として贈る可き品までを取揃へ、最早や此上盡す可き所無しと再び鏡に打向ふに、波漂波漂、余は眞に波漂なり、前生(ぜんせい)に親しく余を知りたる者、唯だ白髮(はくはつ)を怪みはすれ、誰が又余が波漂たる事を見て取(とら)ざらんや、余は滿足して更に外套を被(き)、其襟を捲り上げて剃り立(たて)の顋(あご)を隱し、眼は暫く又眼鏡に包み、帽子眉深(まぶか)に引卸(ひきおろ)して裏口に出行(いでゆ)きたり、那稻既に此所(このところ)に來(きた)れるや否。
九四
忍び出(いで)たる裏口に、人の影更に無し、約束の二十分は大方經ちしと思はるゝに、那稻何故(なにゆえ)に來(きた)らざるや、余は待遠(まちとほ)く、又悶(またもど)かしく一分間も一時間より猶ほ永き心地せられ、斯する中(うち)に若し人にでも認められては詮無きにと只管(ひたすら)に氣を燥(いらだ)てど來ぬ人は致し方なし。
舞踏室なる音樂は手に取る如く耳に入(い)り、躍り興ずる人々の足音さへ明(あきらか)に聞ゆるほど世界は寂(さび)て靜なれど、唯だ那稻の足音だけ聞えぬは如何にせしぞ、アヽ彼れ終(つひ)に來(きた)らざるか、夫とも窃(ひそ)かに覺(さと)る所あり此間際に至りて余の手より脱せしなるか、疑ひ初めては勿々(なか/\)に、余は心も心ならず、一層(そ)最(も)一度引返し彼れを引摺(ひきずり)て來(きた)らんかと迄に思へど、(そ)は云ふ可くして行ふ可からず、殆ど地團太(ぢだんだ)踏む計(ばか)りなる折しも、嬉しやサワサワと足に纒(まと)ふ絹服の音と共に那稻の姿現れたり。
彼れも余を見留(みとめ)て嬉(うれし)きにや、宛も母の姿を認めたる小兒(せうに)の馳寄る如く早足に馳來(はせきた)る、其の姿を如何にと見れば、露國(ろこく)に産する貂鼠(てんこ)の黒き毛皮にて作りたる外被(うはぎ)を今宵の服の上に纒ひ、其下より時に夜光珠(だいやもんど)の散々(ちら/\)と見ゆる樣、暗夜の雲の間(ま)より折々星の洩(もる)るに似たり、外被の黒きに反映して一際目立つ白き頬も、毎(つね)より紅(くれなゐ)の色濃く見ゆるは、今まで充分に躍りし末、休む間(ま)も無く急ぎ來りし爲にも有る可く、殊に心の一方(ひとかた)ならず浮躍(うきをど)る爲なる可し。
「オヽ大層お待せ申しました」と細語(さゝや)きながら余が手を取て吸ひ、更に「[#底本では「「」欠字]此樣な風(ふう)を成さると貴方の背が高く見えます事、本統に血氣盛(けつきさかん)な少年の姿ですよ」と云ひ猶又「早く來やうと思つても躍が仕舞(しま)は無いのですもの、ですが何(ど)れ程面白い躍でしたらう、貴方が一緒なら[#「貴方が一緒なら」は底本では「貴方が一諸なら」]好いのにと思ひました」とて、余が身體(からだ)に寄添ふにぞ余は其手を取りて引寄せつ「だが何うして外(はづ)して來た」「イエ躍が一段終つたから少し息でも繼ぐ振で室を出で、自分の室へ馳上(かけあがつ)て此外被を着るが否や飛(とん)で來ました、オヽ呼吸(いき)が切れる、コレ此動悸を」と云ひながら余の手を外被の下に引込み、其胸に宛(あて)させたり。
「だが、下女か誰かに見られは仕無(しなか)つたか。」
「誰が見ませう、最う晩餐の時刻ですから宿の者一同は其用意に取掛り、私しの侍女(こしもと)まで勝手へでも行たと見え、其姿も見えません。」
余はホツと我が胸の安きを覺えぬ、爾(さ)すれば誰一人、余の拔出(ぬけいで)しを悟らぬ者なり、目的通り何人(なんぴと)にも知らさずして那稻を連去る事の出來る者なり「では行かう、サア」と云ひ、宛も一人の身體と見ゆるほど堅く那稻と抱合ひて裏口より裏庭を横切りつ、裏木戸の所に到り茲に暫く那稻を待たせ、余獨(ひと)り外に出で直ちに辻馬車を雇來(やとひきた)りて、先づ那稻を助けて乘らせ、次に余も飛乘りてグアルダの別莊まで遣て呉れと其馭者に命じたり。
グアルダの別莊とは彼(か)の恐ろしき墓窖(はかぐら)に最も近き人家なり、那稻は此名を初めて聞く事と見え「エ、何處(どこ)の別莊です」と問へり「ナニ寶物を隱して有る所の少し手前だ」と答ふるに彼れ全く安心して箱馬車の後に身を(もた)らせ輕く其首を余が肩に投掛けて、硝子窓より洩來(もれく)る辻燈(つじとう)の光り時々に其顏を掠める如く照して去るに一任す、嗚呼是れ何等の風情、何等の赴き、余の外に見る人なく余の外に見せる人なし、余が物余が自由、余は茲に至りて魂(こん)も魄(はく)も有頂天の外に上(のぼ)り、胸の波高く打てり、是れ嬉(うれし)さか然り嬉しさなり、生涯の大望(たいまう)一時(じ)に達し身も世も忘れたる嬉さなり、那稻の心持(こゝろもち)如何ならん、馬車の一搖(ひとゆれ)搖れる度に彼れの身は重く、重く、余が身に(もた)れ來る、余は氣醉(きゑ)ひ神迷(しんまよ)ひ「オヽ我物(わがもの)、遂に我物」と云ひながら彼の首に手を纒ふに彼れが身は余が雙手(もろて)の間に解けしか、力無き事生れ立(たて)の小兒の如し。
生す殺す、總て是れ余が自由、二度まで婚禮して妻とせし余が妻なり、二重に買入れし奴隷よりも猶ほ余が物、余は後宮に二千の美女を蓄ふる土耳古(とるこ)皇帝が其美女を弄び、其美女を革の袋に入れ、其美女を濠(ほり)に投じて殺すさへ自由なりと云ふ如く彼れを如何樣に取扱ふとも總て自由ならざるなし、余は彼れの皇帝なり、彼れの持主、彼れの飼主、彼れの所天の又所天なればなり、彼れ假令(たと)ひ余が手にて何の樣な目に逢ふとも彼れが爲に余を訴ふる人は無く、彼れを惜む人とて無けん、彼れ其家の富(とめ)るが爲め尊(うやま)はれ愛せらるゝに似たれど眞實に彼れを愛する者は魏堂の如く波漂の如く、總て彼れに欺かれ彼の敵と爲り、殘るは唯だ心に彼を恨(うらみ)て上部(うはべ)に彼れを敬愛する者のみなればなり。彼れ亡(ほろぶ)れば彼れが友とする幾度(いくた)の貴婦人まで却て交際場裡(かうさいぢやうり)の兇敵を拂ひたるを喜ばんのみ、何(なん)の所より考ふるも余は彼れに寸分の容赦ある可(べか)らず。
九五
猫が鼠を貪り喰(くら)ふ前に先づ飜弄(ほんらう)一番する如く那稻余を弄ぶとせば、余も又那稻を殺す前に彼れを飜弄すること何の差支(さしつかへ)が有る、余は馬車の中(なか)にて那稻と並び彼れの手を取り彼れの首(かうべ)を抱(いだ)き彼れが全く余の手の裏の物たるを見て、鼠を捕獲(とりえ)し猫よりも猶ほ邪慳(じやけん)なる喜びの我胸に滿(みつ)るを覺えぬ。
此夜宵(このやよひ)の中(うち)より空かき曇り雨は降らねど風稍(や)や強く吹き居たるが、馬車寧府(ねいぷる)の町を離れし頃より風愈愈強くして往通(ゆきか)ふ人全く絶え、走るは唯だ風に驅(か)らるゝ雲の脚(あし)のみ月も見え隱れに余が馬車に從ふは、前後に類無(たぐひな)き余が復讐を照らさんとてにや。
頓(やが)て曩(さき)に名指せしグアルダの別莊、茂りたる木の間より見ゆる所に至り、馭者は其臺(そのだい)を下(くだ)り、横の窓より余に向ひて「旦那アノ別莊の門まで行きませうか」と問ふ。
「ナニ夫には及ばぬ、茲で卸して呉れ、先は最う纔(わづか)だから歩く方が却て便利だ」と答へ、那稻が故障を云ふ暇無き間(ま)に余はヒラリと馬車を降り、手早く賃銀を拂ひ「お前は茲で待つよりも町へ歸て外の仕事をするが好(よか)らう」と云ふに。
「ハイ今夜は笹田伯爵の婚禮ですからアノ家(や)の近邊へ行て居(を)れば猶ほ此樣な安く無い仕事が二組や三組は有ますよ、成(なら)う事なら是でお暇(いとま)にして頂きませう。」
此言葉にて察する時は彼れ勿論余を笹田伯爵其人なりとは露ほども疑はぬのみか、夜會に紛れて日頃相思(あひおも)ふ女を連出し人無き所に忍び行きて己が樂みを盡す放蕩紳士の一類と見做(みな)せるならん、唯だ寧府(ねいぷる)のみならず、此類の痴(たは)けたる男女は孰れの夜會にも幾組か有る者なればなり。余も固(もと)より彼れに斯く思はるるは都合好き故「笹田と云ふ奴は面(つら)の憎い程金持だ、何うか擬(あやか)り度い者だ」と云ひて笑ふに。
「イヤ旦那こそ仕合せ者です。私しなんぞは伯爵よりも斯(かう)して一寸(ちよつ)と意氣事(いきごと)する旦那に擬り度い者です」と諛(へつら)ふは馬車賃の釣錢を出(いだ)さじとする、時に取ての機轉なる可し、余は「釣は要らぬからサア」と云ひ、那稻を馬車より扶(たす)け卸すに、那稻は此時早や既に軋(きし)りて去らんとする馬車の背後(うしろ)を心細げに見遣りながら「ねえ待たせて置く方が安心では有ませんか」と問へり。
「ナニ何(ど)の樣な事で他人に覺(さと)られぬと限らぬから歸りは外(ほか)の馬車で外の道を行くが好い」と答へつ急(いそが)しく其手を取り、早足に歩み初めぬ。
那稻は世に云ふ虫の知せにて早や不安心の想(おもひ)を生ぜしか微かに其身を震はせつゝ今までの嬉しげなる聲に引替へ、訴ふる如き口調にて「猶(ま)だ茲から遠いのですか。」
「ナニ三分間も歩めば好いのだ、オヤ和女(そなた)は少し震へる樣だが寒いのか。」
「ハイ何だか。」
「イヤ寒ければ緊(しつか)りと私(わし)に薄附(せりつい)て居るが好い」と云ひ逃やうとて逃さぬ樣、余は殆ど抱すくめて引行くに何しろ晝も猶ほ物凄き墓場の眞近にして、總體の景色何と無く陰氣なれば恐ろしきも無理ならず、斯くて幾許(いくばく)か歩みし頃は、折惡(をりあし)く吹く風に雲を拂はれ月の光は荒凉たる墓原(はかはら)の入口を照し出したれば那稻は忽ち足を留め、前よりは猶ほ強く震へる聲にて「オヤ、茲は何所ですか、餘り氣味の惡い場所ですが。」
問ふも道理や、彼れ今までに墓原に來りし事なく、唯だ人の話にのみ聞きて此上も無く恐しき所と思へばなり。
「此樣な所へ隱して有ればこそ寶物も無難と云ふ物、けれどもナニ別に氣味の惡い事は無いよ」と言聞す、余が聲も何故(なにゆゑ)か早や日頃の調子と違ひ、余の耳にすら餘所(よそ)/\しく他人の聲かと聞ゆ、今彼れに悟られては事甚(はなは)だ面倒なれば、兔に角も墓窖(はかぐら)の中までは連込まざる可からずと思ひ、余は彼れの腰の廻りを確(しか)と抱締め「サア來なよ、サア」と云ひ、成る可く親切らしき聲を出(いだ)せど、心の奧の底よりして既に我が事成りぬと思ひ、彼れを一呑(ひとのみ)に呑込たる者なれば、人を嘲る猿の聲にも似たりと云ふ可き程にて、自分ながら薄氣味惡し。
「ナニも獨(ひとり)では有るまいし、コレ私(わし)が一緒ではないか、少しも恐るゝ所は無い、サア來なよ、サア。」
殆ど身動きも出來ぬほど抱すくめての上なれば、彼れ何の力も無く、殊には心早や身に添はず、上齒下齒(うはゝしたゝ)ガツ/\と震鳴(ふるひな)りて彼れ「否」と云ふ聲さへ出(いだ)し得ず。余は是(こゝ)に至りて最早や波漂に非ず、笹田折葉に非ず、復讐に渇(かつ)ゑた惡魔なり、只管(ひたすら)に彼れを引摺り唯だ前の方、前の方にと、霜に濡たる枯草(かれくさ)を踏み、倒れたる古き石塔を跨(また)ぎ、前の方前の方、彼(か)の恐る可き墓窖の戸口に達するまで脇目も振らず、前の方、彼那稻が當然の天罸(てんばつ)を蒙(かうむ)る可き前の方まで、猶豫も無く容赦も無し、彼れが腰に卷く余が手先は惡魔の繋ぐ鐵鎖(くさり)より強く、揉掻くとも弛(ゆるみ)はせじ。
九六
アヽ余が旅は終れり、余は目的の所に着けり、恐ろしき墓窖の戸は今正(いままさ)に余が目の前に在り、此とき月は雲に隱れ四面暗澹(しめんあんたん)として暗けれど幾度(いくたび)か茲に來りし余が目には爭ふ可くも非ず、此戸を開けば中は是れ那稻が爲の活地獄(いきぢごく)、余が最後の戰場なれど那稻は四邊(あたり)の暗さに紛れ猶夫(なほそれ)と氣附(きづか)ぬにや、余は用意の鍵を出(いだ)して錠(ぢやう)を解(と)き、直(たゞち)に戸を開け、那稻を抱く手に一入(ひとしほ)の力を込め彼を此中(このなか)に引入(ひきいれ)んとするに、彼れ初(はじめ)て少しく身を揉掻(もが)き、
「貴方は先ア、貴方は、先ア茲は茲は。」
「茲は誰も來ぬ安心の穴倉さ。」
「何だか私しは恐しくて」と穩かならぬ聲にて云ふを、余は努めて我言葉(わがことば)を平(たひら)にし何氣なく打消して、
「ナニ恐しいと、其の樣な事が有る者か。」
「でも何だか暗くなつて。」
「中へ這入(はいれ)ば直(すぐ)に燈(あかり)を點(つけ)るのだもの。」
言消すうちにも余が心には早や彼を逃(にぐ)るにも逃られぬ手詰(てづめ)の場所に連來(つれきた)りしかと思へば、心底(しんてい)より氣味好(きみよ)さに堪(たへ)ずして自(みづか)ら制(せい)せんにも制し切れず、最と聲高く打笑ひたり。固(もと)より笑ふ可き場合に非ず、又勿々(なか/\)に笑ふ如き心も無きに何故(なにゆゑ)に余が心は笑はざる事能(あた)はず、實に胴笑(どうわら)ひに笑ひたり、笑ひては成らずと思ひ漸くに聲を止(とゞ)めて、
「ナニも恐ろしい筈は無い、サア來なよ」と云ひ余は手早く且つ輕々と彼を抱上げ、閾(しきゐ)を跨ぎて終(つひ)に戸の裏へと入果(いりおほ)せたり。
終に戸の裏、アヽ戸の裏、有難(ありがた)し、有難し、余は内よりして再び其戸を閉ぢ、再び錠を卸したり。余と那稻とを出る事の出來ぬ樣(やう)終(つひ)に墓窖の中に閉込めたり。アヽ氣味好しと思ふと共に再び彼(か)の異樣なる胴笑ひ胸の底より込上(こみあ)げ來り、其聲余が口を突破る程の勢ひにて發したり、今は閉込(とぢこみ)たる地の底の穴なれば、戸の外の笑ひと違ひ余が聲は空洞(うつろ)なる四方の壁に響き、壁より笑ひ返す如くに聞えて余自身さへ物凄き程なれば、那稻は定めし薄氣味惡き事なる可く、彼れ犇(ひし)と余に薄附(せりつ)き「貴方は何を其樣にお笑ひ成さる、本統にゾツとしますよ」余は再び必死と爲りて我が聲を制し「ゾツとする、ナニ餘り嬉しいから笑ふのサ、生涯見て呉れる人も無い事かと殆ど失望して居た寶物を到頭見せる、時が來たから夫が餘(あんま)り嬉しくてサ。」
斯く云ひて先づ彼れに暫しが程の安心を與へ置かんと、余は花婿が花嫁を抱く如く彼れを抱き、又其の接吻する如く彼れを接吻するに、抱くにも接吻にも何と無く荒々しき所あり、我ながら我が擧動の我が意の如くならざるを訝(いぶか)るのみ。
戸の口より墓窖の底までは猶ほ幾段の石段を傳(つた)ひ降(くだ)らねばならず、余は意の如くならぬ我聲を強(しひ)て柔(やはら)げ「サア是からが石段だ、和女(そなた)が躓(つまづ)いては大變だから、私(わし)が抱上げてソツと卸して遣る」と云ひ有無の返事も無き中(うち)に抱上(だきあぐ)るに、怪しや彼れが身は輕き事生(うま)れ立(たて)の小兒に似たり、是れ彼れの輕きに非ず余が腕、余が身體(からだ)、余が筋肉の總體(そうたい)に非常の決心起ると共に、非常の力滿ち來りし爲めなり。抱上げられて彼れ揉掻しか揉掻ざりしかは余今は記憶せず、實に一念胸に凝(こ)り、余は全くの夢中となり居たればなり。
夢中ながら足に探(さぐ)り、一段一段、石階(いしだん)を降(くだ)り行くに余が腦髓は餘りの激動に張裂(はりさく)るにや、目の前に火の車の廻る如き形見(かたちみ)え、足も地に着かぬ心地せらる。茲一時が大事の場合と余は心を推鎭(おししづ)め、降り/\て漸くに墓窖のドン底には着きぬ、地の下深く二丈餘り、余と那稻は生(いき)ながら埋(うづ)められたる人に同じ、余は那稻を底に卸し、初めて抱(だき)し手を解(と)きつ、ホツと先づ息を吐(つ)くに胸は宛(さな)がら波の如く高く低く畔(うねり)を爲せり、那稻は放されて離れも得せず、猶ほも余が手を握りし儘にして涸盡(かれつく)せし聲を絞り「茲は何處(どこ)です、今仰有(おつしや)つた燈は何所(どこ)に」と問ふ、余は最早や返事するだに懶(ものう)し、無言の儘に衣嚢(かくし)より燐寸(まつち)を取出し豫て此穴の四壁(へき)に用意し置ける數本の蝋燭に火を點(とも)しぬ、讀者何時の間に余が斯る用意をせしやと怪む勿(なか)れ、余が婚禮の前夜に瓶藏に眠酒(ねむりさけ)を呑せ置き、寒(かん)を冒(おか)して獨(ひと)り我宿(わがやど)を忍び出(いで)しは實に此穴の中に樣々の用意を施さんが爲なりしなり。
忽ち蝋燭の光に照され、那稻は眼眩(まなこくら)みしが暫しが程唯だ四邊(あたり)を見廻はすのみ、余とても敢(あへ)て聲を發せず、次第/\に昇り來(きた)る胸の憤(いか)りを撫でながら彼れの樣子を見て有るに、彼れ羅馬内家の先祖累代を納めたる棺(くわん)より棺に眼を移し、其他の葬具(さうぐ)一式を見ると共に、果して夫と氣附しにや「アレー」と一聲高(せいたか)く叫び、再び余が身に※(しが)[#「厥/足」、U+8E77、331-9]み附(つき)つゝ「茲は/\墓窖ですが、早く連出して下さい」と云ふは全く恐しさに身もすくみ、余が初めて耳に聞く誠の聲なり。
九七
「早く連出(つれだ)して下さい」と、必死になりて※(しが)[#「厥/足」、U+8E77、331-12]み附けども[#「※[#「厥/足」、U+8E77、331-12]み附けども」は底本では「蹙み附けども」]、余は何の返事もせず、彼れが恐れの益々深くなるに任せ置かんと、仁王(にわう)の如く立(たち)しまゝ身動(みうご)きもせで控ゆるに、暫くにして彼れ最早(もは)や堪(たま)り得ず忽ち余の身體より飛放(とびはな)れ、宛も余が若しや他人となりしには有らぬかと危(あやぶ)む如く余を見上げ、
「コレ貴方、何(ど)う成(なさ)つた、何故其樣に動きませぬ、何故無言です、マア何とか一言仰有(おつしや)つて下さいな、サア私(わたく)しをお抱(だき)なさい、接吻なさい、何とでも好(よ)いから唯だ貴方の聲だけも聞せて下さい」と云ひ、泣出(なきいだ)さん聲と共にブル/\其身を震はせるにぞ、最早や口を開きて好(よ)き頃と見、余は確(しか)と彼れの手を取り一絲も紊(みだ)れぬ練固(ねりかた)めし音聲(おんせい)にて、
「靜にしろ、茲は泣(ない)たり叫(さけん)だりする場所で無い、今和女(そなた)が見て取(とつ)た通り墓窖だ、遂には和女の身を埋(うづ)める所(とこ)ろ、イヤサ和女の曾(かつ)て縁附(えんづい)た羅馬内家代々の墓窖だ。」
是だけの言葉に彼れ那稻は泣聲も咽(のど)に塞がり、息さへも出(いで)ぬと云ふ如く、開きし口に聲も無く、唯だ魘(おそ)はれし如き目を見張りて余の顏を眺むるのみ。
余は聲を繼ぎ、
「茲だ、羅馬内家幾十代の義人(ぎじん)も貞女も皆此中(このうち)に其(その)亡骸(なきがら)を留(とめ)て有る、今より一年に足らぬ以前、和女の所天波漂羅馬内(はぴよろうまない)が葬られたのも此(この)墓窖だ、茲は波漂の居る所だ。」
是だけ云ひて、言葉の効目如何にやと余は暫し口を止(とゞ)むるに、那稻は一句一句に戰(をのゝ)きて色を失ふのみなりしが、漸くにして、途切れ/\の聲を繋ぎ、
「貴方は、氣が違ひはしませんか」と云ひ、余が尚も無言なるを見て、恐々(こは/″\)に躄(にじ)り寄り「サア早く行(ゆ)きませう、此樣な所に用は無い、此上(このうへ)居ては壽命が盡きます、歸りませう、歸りませう、何の樣な寶物(はうもつ)でも茲に在る物は要(いり)ません、サア、サア」と促すは唯だ墓窖と云ふ場所を恐るゝのみにして、未だ余が目的の之よりも更に恐しきを悟らぬと見ゆ。
余は再び彼れが手を確(しか)と取り、
「猶(ま)だ見せる物が有る、茲へ來い」とて、彼れを薄暗き隅に引けり、此隅(このすみ)は先に余を葬りたる破れし棺(くわん)の在る所なり、余は其棺に指(ゆびさ)しつ「サア之を見ろ、之は何だ、分らぬならば能(よ)く檢(あらた)めて見ろ、粗(そさう)な薄板に釘を打た棺だらう、昨年コレラの病人を葬るに用ひた出來合(できあひ)の棺では無いか、蓋に月日を書き波漂羅馬内と記して有るは、和女の所天波漂を容(いれ)て此墓窖に葬ツた其棺だ、ヱヽ何を其樣に驚くのだ、コレ蓋を見ろ、此通り破れて居る、誰が破ツた、誰がこの蓋を、ヱ、合點が行(ゆ)かねばソレ更に中を見ろ、中は何(なん)にも無い本統の空(から)では無いか、此棺の中に入れた彼れ波漂は何所(どこ)に居る、サア何所に、彼れは何所に!」
彼れは何所にと問詰むるに、今まで唯だ墓窖と云ふ場所をのみ恐れたる那稻の顏に又一種の新しき大恐懼(だいきやうく)を加へ來(きた)れり、身も魂も全く消盡(きえつく)すかと思はるゝばかり。彼れ手あれど捉ふる能はず、足があれど踏む能はず、沈む如くに其所(そこ)に膝を折り、囈言(たはごと)に似たる聲にて空しく余の言葉を繰返し「彼れは何所に、彼れは何所に」と呟くのみ。
是までは余成(な)る可(べ)く我怒(わがいか)りを推鎭(おししづ)め、我言葉(わがことば)を落着(おちつけ)て言來(いひきた)りしも、最早や落着る必要なし、否(いな)落着けんにも落着け得ず、鋭き口調にて叱るが如く、
「サア何所に、何所に、汝の所天は何所に居るか、彼れ憐む可し、此穴に葬られる時までも其妻に未練を殘し、妻那稻の名を呼續(よびつゞけ)で有たのに、其妻は彼れの爲に一夜(や)の祈り一遍の回向(ゑかう)も唱へず、操(みさを)を破り慾に迷ひ、彼れが遺(のこ)せし其家の床の上で其夜より不義を樂(たのし)み、彼れを踏附(ふみつ)け、彼を嘲り、爾して天罰の當らぬ者と思ふて居た、コレ那稻、彼れほど憐む可き善人が又と有(あら)うか、今彼れが何所に居るか、茲に居る! 茲に居る茲に、茲に!」と云(いひ)ながら余は那稻に薄寄(せりよ)り、彼れを余が足許に引据(ひきすゑ)て、
「コレ那稻、己(おれ)の約束を忘れはすまい、婚禮すれば其夜の中(うち)に此(この)黒い目鏡を外し、己の誠の顏を見せて遣ると云つた事を、其上又汝の爲に今夜は全く若返(わかがへつ)たト言た事は未(ま)だ耳に響(ひゞい)て居(を)らう、サア其約束を履行するは今茲だぞ」と云ひ、余は目鏡を外し、外套の襟を引下げ、蝋燭の光に向ひ充分余が顏を照し出(いだ)して「サア、能く見ろ那稻、己の顏を、コレ二度まで己と婚禮した妻那稻、己の顏に覺えが有(あら)う、能く見ろ、今夜汝との婚禮は二度目の婚禮、曩(さき)の婚禮と唯だ己の名が變つたばかり、名は變つて人は同人(ひとり)、笹田折葉と云ふ老人は元からの汝の所天波漂羅馬内と云ふ當年卅歳の若者だ、此通り波漂は茲に居る、茲に、茲に、サア見ろ、サア!」と云ふうちにも恨みに光る余が眼(まなこ)は鋭く彼れの顏を射たり。
九八
「波漂は茲に居るサア見ろ」ト余が露出(むきだし)の顏を照し出(いだ)せば、アヽ讀者此時の那稻の打驚きたる樣、余は實に形容する言葉を知らず、唯だ一刻唯だ轉瞬(てんしゆん)の間に彼れの容貌は左(さ)ながら病後の人かと思はるゝ程に變り果て、暈(まばゆ)き程の美しさも忽ち消(きえ)たり、眉顰(まゆひそ)み目歪みて唇は全く乾き、血色(けつしよく)は土より青し。
先程まで余の心を惱ませし花嫁とは何等の相違ぞ、是れ年古(としふり)し老女の幽靈ならずば恐(おそれ)と驚きに固(かたま)りたる怪物ならん、余を遮らんとて振かざす其手さへ艶退(つやひ)きて枯木(かれき)の枝の如く、且訝(かついぶか)り且危(かつあやぶ)みて余の顏を見る眼(まなこ)は窩(くぼ)みたる瞼(まぶた)の外に飛出(とびいで)んとす、アヽ彼れ何と返事するならん、息遣(いきづか)ひ最苦(いとくる)しげに喘げるは咽(のど)に其聲を濕(うるほ)す丈(だけ)の露も盡きしか、頓て毒虫を拂ふ如く余が手を拂ひ地盤の上に萎れ込(こみ)つゝ纔(わづか)に聞ゆる呻吟(うめ)き聲にて、
「イヤ/\、波漂で無い、波漂でない、波漂は確(たしか)に死(しん)だ筈、オヽ汝は氣違ひ、汝は僞(いつは)り者此の樣な事をして我身を欺(だま)すのだ、嚇(おど)すのだ、虚吐(うそつき)、僞り者。」
切れ/″\に言來(いひきた)るは彼れが正氣の言葉なるや、夫とも餘(あまり)の恐ろしさに度を失ひ、何も知らずに斯る事を口走るにや、余は半ば疑ひて猶ほ彼の樣子を熟々(つく/″\)と見て有るに、余の顏に注居(そゝぎゐ)し彼れの眼は次第に上に釣り、墓窖の天井を詠(なが)め居しが又次第に垂來(たれきた)り、宛も精氣の盡しに似て、其儘グタリと身も共に伏込(ふしこ)みたれば、若し眞實に氣絶せしにやと余は先づ彼の肩に手を掛け、其身體を引起す[#「引起す」は底本では「引越す」]に、否彼れ氣絶せしに非ず、一時(じ)氣の眩(くらみ)たる者なる可し、彼れ余の手に觸れて熱鐵(ねつてつ)に觸るゝより猶痛く縮込(ちゞこ)みつゝ其の亂れて定らぬ眼にて又も余の顏を見詰(みつめ)しが、是れ見詰ると云ふよりも其眼(そのまなこ)自(おのづ)から余の顏に引附(ひきつけ)られ離れんとして離れ得ざる者に似たり。
余も彼(かれ)の眼にて彼の心を讀盡(よみつく)さんと思ふにぞ、氣を留て眺め居るに初(はじめ)は唯だ疑ひの光のみ浮べども、次には得(え)も言へぬ恐れを浮め、最後には全く夫と見極めて限り無く絶望せし如くに見えぬ、絶望するも無理は無し、余を愈々(いよ/\)波漂と知らば逃(のが)るゝ道なき其身の運命も分ればなり。
余は斯(かく)と見て再び彼の手を引上げ、
「アヽ到頭己(おれ)が波漂だと分つたか、成る程昔の波漂とは非常に違た所が有(あら)う。漆の樣な黒髮も今は此通り白髮(しらが)と爲(なつ)た、是も非常な苦(くるし)みから起(おこつ)た事だ、其苦みが汝に報い汝を己の樣に見違へる程の姿にするも遠くは無い、昔の愛を湛(たゝ)えた眼は今は此通り、恨(うらみ)に物凄く光て居る、此樣な違ひは有れど波漂は矢張り元の波漂だ、サア分つたか、合點が行たか」と急(せ)かず騷がず彼の顏見詰(みつむ)るに彼れ乾きし咽の纔(わづか)に濕(うるほ)ふと共に、今まで閊(つか)え居し泣聲を弛(ゆる)め發(はな)ちて、
「嘘だ、嘘だ、何を邪慳(じやけん)な目的で我身を此通り責るのだ、オヽ此樣な恐しいめに」と言掛けて又も余の手を拂ひたり。
アヽ彼れ最早や余を眞實の波漂なりと知る可きに、猶ほ虚僞(うそいつはり)と言張りて余が言葉に服せぬは、彼れ何等の強情者ぞ、又何等の僞り者ぞ、恐しさに得堪(えたへ)ずして天に叫ばんとする間際まで猶ほ僞りを張らんとするか、己(おの)れ惡女め、余が言葉に服せしめ、余を波漂と認(みとめ)しめずに止可(やむべ)きやと、余は一際(ひときは)聲を張上げ。
「嘘とは誰の事を云ふ、能聞(よくき)け那稻、今は殘らず言聞せる時が來た、成る程波漂は一旦死(しん)だに違ひ無い、死だとして一旦は葬られ、一旦は汝に安心せられ、アヽ是で邪魔者を拂ツたト汝の腐ツた魂性(こんじやう)に喜ばれたけれども、波漂は死(しに)はせぬ、死人(しにん)と同じ樣に成て猶生(なほいき)て居た、其所(そこ)に有る其棺(そのくわん)に閉込(とぢこめ)られ、釘附(くぎづけ)にせられた上、此墓窖に葬られ、再び出る事の出來ぬ身と地の底深く埋(うづ)められたけれど、死人同樣の波漂の身體に猶(ま)だ一脈の命が有(あり)て、幾時の後(のち)に生返り、汝の見る通り、アノ棺を破て出たのだ、是でも猶だ己を疑ふか、コレ、コレ、何(ど)うだ那稻。」
と責附(せめつく)るに彼れ殆ど狂人の力にて、余の手を振放(ふりはな)さんと揉掻(もが)きながら、
「放せ、放さぬか氣違ひ嘘吐者(うそつきもの)」と今は却ツて余を罵る迄に至りしかば余は又も聲を勵まし、
「己は氣違ひでも嘘吐でも無い、論より證據(しようこ)はアノ棺と余の容貌で分ツて居る、笹田折葉に化(ばけ)て居る今までとても汝(なんぢ)自(みづか)ら余を疑ひ、幾度(いくたび)も波漂に似て居ると云たのを忘れたのか、余は此棺を破ツたけれど猶ほ此墓窖を破る能はず、暗(やみ)の中に此髮の毛の白くなる程苦んだ、世に是ほどの苦みは又と有るまいと思たが、猶(ま)だ/\己が墓窖を出てからの苦(くるしみ)は夫よりも猶ほ苦く夫よりも猶辛(なほつら)かツた、天の助けで墓窖を拔出して、ヤレ嬉(うれし)やと思つたのは大(おほき)な間違ひ、家(うち)へ歸て妻那稻を喜ばせようと雀躍(こをどり)して歸て見れば家は早や他人の家、墓窖の底より猶辛い所に爲て居た。」
と怒(いかり)に任せて述來(のべきた)るに那稻は何やらん云はんとする如く其唇を動(うごか)したれど、夫のみにて一語を發せず、余は益々彼が上に嵩(かさ)に掛り、
「是でも猶だ己を疑ふのか、猶だ己の言葉を誠とは思はぬか、猶だ己を昔の波漂と思はぬか。」
問詰(とひつめ)られて彼れ最早や敵し得(え)じと思ひの外、猶ほ余を波漂と承知せぬにぞ、余は殆ど堪(たま)り兼(かね)「サア返事をしろ」と打叫びつゝ隱し持つ彼(か)のミラン製の短劍を引拔きつゝ、玉散る如く光る刃を彼(かれ)が目の前に差附(さしつ)け、
「汝の如き嘘の外(ほか)吐(つい)た事の無い唇より誠を云ふは辛からうが、茲は嘘僞りで通られる場所で無い、サア言へ、云はぬか、返事せぬか、コレ那稻、是でも己を汝の最初の所天波漂羅馬内と思はぬか。」
叱り附(つけ)る如き余が聲は空虚に響きて凄(すさま)じき事云(いは)ん方(かた)なし、アヽ那稻茲に至りて如何(いかゞ)の返事あらんとするや。
九九
玉散る如きミラン製の刃の光は閃(ひらめ)きて那稻の目の前に在り、言はずば斯(かく)よと身構へたる余が權幕(けんまく)の凄じきには、不敵の惡女も敵し得ずや有(あり)けん、彼れ戰(をのゝ)きて忽ちに平伏しつ、
「許して、許して、殺すのばかりは許して下さい、命の外(ほか)は何(ど)の樣な責苦(せめく)でも致し方ありません、ハイ申(まをし)ます、申ます、貴方は眞(しん)の波漂です、所天波漂、今が今まで死だ人と思つてゐた波漂に違ひ有ません。」
と打叫び、更に魂消(たまぎ)る如き泣聲にて、
「貴方は先刻(せんこく)も私しを愛すると、仰有(おつしや)たでは有ませんか、何故(なにゆゑ)態々(わざ/″\)私しと婚禮しました、婚禮せずとも固(もと)から貴方は私しの所天、私しは貴方の妻、アヽ恐しい恐しい二度の婚禮、オヽ分りました何も彼(か)も合點が行(ゆ)きました、何と云(いは)れても仕方は無いが命ばかりは、ハイ未だ死(しぬ)る年頃では有ません、後生ですから最う暫く生(いか)して置(おい)て。」
と、其(その)卑怯(ひけふ)未練(みれん)なる魂性(こんじやう)を洒(さら)け出して余を拜むにぞ、余は初(はじめ)て少し滿足し、短劍を鞘に納めながら、
「オヽ愈々(いよ/\)己が波漂だと合點が行(ゆ)けばナニ未だ急に殺しはせぬ、汝の如き心まで腐(くさつ)た女は手に掛て殺すのも汚(けがら)はしい、活(いか)して置て尚(ま)だ云聞(いひきか)す事も有り、尚だ責る事も有る、コレ那稻、波漂は伊國の男子だけに魂が有る、一寸(すん)の恨(うらみ)にも仇(あだ)を返さずには置かぬけれど、俗人のする樣に一思(おもひ)に殺して仕(し)まひ、苦痛を其場限り忘れさせる樣なソンナ手緩(てぬる)い復讐は大嫌ひだ、云ふ丈(だけ)の事を言聞せ、其後は此墓窖へ閉込(とぢこん)で立去るのだ。」
「ヒヱツ!」
「無言(だま)れ、此墓窖へに閉込(とぢこん)で置(おい)て遣るから其後で生(いき)やうと、死(しな)うと自分の勝手、夫とも己が此墓窖から逃れ出た樣に自分で逃れる道を探し、再び浮世へ出るなら出ろ、其時には相當の考へが己に有る。」
と大裁判(おほさいばん)の宣告を先(ま)づ落着きて言渡すに、彼れ餘りの懼(おそろ)しき其運命に驚きてか、今まで動く力も無く伏し居たる其身を忽ち跳起(はねおこ)し、余の前に突立(つゝたち)たり。
立(たち)は立(たつ)ても心既に度を失ひて其(その)身體(からだ)に添(そ)はざる爲め蹈(ふ)む足も定まらず、其儘蹌踉(よろ)けて傍(かたへ)の壁に(もた)れ掛り、息も絶々(たえ/″\)に喘(あへ)ぐのみ、余は此有樣を最(い)と冷(ひやゝ)かに打見遣(うちみや)りて、
「コレ那稻、死(しん)だと思た所天波漂が此通り生返り、汝の目の前へ歸(かへつ)たのに、戀しかつたの一言も云はぬのか、接吻も仕度(した)く無いか、嬉(うれし)く無いか、波漂に分れた悲(かなし)さは今以(いまもつ)て忘(わす)られぬと幾度(いくたび)も笹田折葉を初め世間の人に云たじや無いか……、オヽ之はしたり、餘りの嬉しさに言葉さへ出ぬと見える、では此上に猶ほ充分合點の行く樣、ドレ緩(ゆつく)りと今までの事を言聞(いひきか)さうか。」
斯く云ひて余は、傍(かたはら)なる彼(か)の破れし棺(くわん)に腰を卸(おろ)し、胸の怒(いかり)を撫鎭(なでしづ)めながら、
「コレ二重の妻那稻、汝の惡事は誰も知るまいと思ふて居やうが、イヤサ世間の人は誰一人知らぬけれど、死だ汝の所天波漂が能(よ)く知て居る、波漂は此墓窖から逃れ出て早く那稻に顏見せて嬉(よろこ)ばせ度(た)いと自分の家へ歸(かへつ)た所(とこ)ろ、主人と云ふ自分の役目、那稻の所天と云ふ自分の場所は既に外(ほか)の人が塞いで居た、其人は誰有(たれあ)らう花里魏堂と云ふ波漂の第一の親友、第一の敵で有た」と云來(いひきた)るに、那稻は殆ど靠(もた)れし壁より倒(たふ)れんとする程に蹌踉(よろめ)きしも、僅(わづか)に其身を支へ留たり、余は構はず言葉を繼ぎ「毎(いつ)も波漂が讀書抔(など)する裏庭の小徑で有た、魏堂は波漂の腰掛臺(こしかけだい)に、波漂の樣に腰を掛け汝を自分の妻の樣に抱き夫婦よりも猶(なほ)親(したし)い愛の言葉を交して居た、汝豈(よ)も忘れは仕舞(しま)ひ、それが波漂の死だと云ふ翌日の晩の事、死だ所天に一宵(よさ)の祈(いのり)も捧げず、早くも不義の男を引込むとは餘り早過(はやすぎ)ると云者(いふもの)では有(ある)まいか、イヤ夫よりも猶早過る事が有る、汝は波漂と婚禮して三月目(つきめ)に既に魏堂と通じた事は汝も云ひ、魏堂も云た、樹(き)の影に身を隱し、其の樂しい言葉を聞て居た波漂の心を何(ど)の樣で有たと思ふ、其時波漂が堪兼(たへかね)て少し身を動かした所ろ、汝は樹の葉の音を恐れ、茲は波漂が愛した場所ゆゑ幽靈が出るかも知れぬと恐ろしさうに振向(ふりむい)た事を忘れは仕まい、其時の幽靈は斯く云ふ波漂、己で有た。己が波漂の幽靈だ、其場で直(すぐ)に現れ出て、奸夫奸妻(かんぷかんぷ)に知らせて遣うかと思たけれど汝の樣な類(るゐ)の無い惡人には又類の無い復讐で無ければ了(いけ)ぬと己は決心して立去た、夫から此方(このかた)艱難辛苦は云ずとも分るだらう、目を潰さるれば其敵の目を潰して怨みを返し、齒を拔(ぬか)るれば齒を拔返す、是が本統の復讐ゆゑ己は其旨(そのむね)を守り、魏堂が己から那稻を偸(ぬすん)だ樣に己も魏堂から其那稻を偸(ぬす)み返し、那稻が既に邪慳(じやけん)な僞りの妻で有た通りに、己も那稻に邪慳な僞りの所天と爲る積(つもり)で笹田折葉と姿を變へ、魏堂の友達と爲り、汝の許へ入込(いりこん)だ所ろ、案じるより産(うむ)が易(やす)いと云ふ通り、己から汝に婚禮を求めぬうちに汝の方から既に婚禮を求めて來る事に成た、夫等(それら)の次第は己より汝が能く知て居る筈(はず)、斯(かう)して、到頭[#「到頭」は底本では「到底」]二度目の婚禮を仕たからは汝は全く己の品物、捨(すて)やうと毀(こは)さうと、或は腐るまで此墓窖へ閉込て己が受た丈の苦(くるし)みを受させやうと己の勝手と云物(いふもの)だ」と、一々に言聞すに、彼れ幾度(いくたび)か白くなり青くなり身も世も有(あら)れぬ程に、我と我が心を苦め聞き居たるが最後に及びては己(おのれ)の命を防ぐと云ふ、人間ドン底の了簡(れうけん)に返りしか眼(まなこ)に一種の決心を現はし來(きた)り、余が言葉の一句/\に彼れ少しづつ頭(かうべ)を上げ、徐(そろ)りそろりと余が前を過(すぎ)んとする樣、虎の顋(あぎと)より逃去(にげさ)らんとする狐にも似たらんか、アヽ彼れ逃れしとて如何ほどの事をや爲(な)さんト、余は多寡(たくわ)を括(くゝつ)て知らぬ顏を見せ、心に復讐の旨味を味(あぢは)ひながら控(ひかゆ)るに、余が言葉の漸くに終らんとする頃、彼れ必死の力を集め宛も飛燕(ひえん)の早さにて一散(さん)に墓窖の戸の方(かた)に馳行(はせゆ)きたり、戸を推開(おしひら)きて彼れ逃去(にげさ)らん心汚(こゝろきたな)し。
一〇〇
讀者よ余は那稻が一も二も無く余を波漂と知り、知らば又一も二も無く平伏[#「平伏」は底本では「平服」]して其不義の罪を謝(しや)するならんと思ひしに、彼れ余を波漂なりと知(しり)ながら容易に知れりと白状せず、余が必死の恐迫(きようはく)に逢ひて漸く白状はせし者の、己れの罪を謝せんとはせず、隙を狙ひて戸口の方(かた)へ逃去りたるを見て、實に彼れが了見の何所(どこ)まで腐りたるをや怪しみたり。
逃(にげ)らるゝなら逃て見ろ、余が前以(まへもつ)て斯あらんも知れずと見て取り、堅(かた)く錠(ぢやう)まで卸(おろ)し置(おき)たる鐵の戸が、汝如きの痩腕(やせうで)にて開(あ)く者かト余は心に嘛笑(あざわら)ひ、立上りもせず見て有るに、那稻は籠の小鳥が己の力を測らずして喙(くちばし)にて籠の戸を噛破(かみやぶ)らんとし自(みづか)ら疲れて壽命を縮むる如く、殆ど一生懸命に戸を動せども戸は邪慳(じやけん)なり寸も毫(がう)も動かばこそ彼れ斯くと見しか「エヽ、情無(なさけな)い」と絶望の聲を洩(もら)し再び其石段を降(くだ)りて余が許へ馳返(はせかへ)れり。
返りて如何にする積(つもり)ぞ、余は落着拂(おちつきはら)ひて彼れの顏を見るに、彼れ何所までも余に抵抗し余を言伏(いひふせ)て出去(いでさ)らんと決心せしにや顏に一種の決然たる色ありて其の美しき血色も幾分か元に復(かへ)れり、彼れ宛(あたか)も嚇(おど)すが如く余を睨みて「コレ戸を開けろ戸を開けぬか、卑怯もの奴(め)、女を欺(だま)して此樣な所へ誘(おび)き込み爾(さう)して恨(うらみ)を晴(はら)さうとは己(おの)が心に耻(はづか)しく無いか、汝は人を殺すのを何の罪とは思はぬか」反對(あべこべ)に余を罵(のゝし)るにぞ余は大喝一聲に「無言(だま)れ」と叱りて更に何の情(じやう)にも何の感じにも動かぬ石よりも堅き聲にて「人を殺すは大罪だが汝を殺すのは罪で無い、一旦婚禮する以上は妻に對して幾何(いくらか)の權利を持つ事當然なるに己(おれ)は汝と婚禮の上に婚禮を重(かさね)たからは活(いか)さうと殺さうと己の勝手、況(まし)てや初に言渡した通り敢(あへ)て汝を殺しはせぬ言ふ丈の事を言聞せ、汝を此の墓窖の中へ殘し、己は未練も無く唯一人で立去るのだ」那稻は初めて聞きし時の如く打驚き「ヱヽ、夫が殺すと云ふ者だ、此の穴へ閉込(とぢこめ)て立去つて夫で殺さぬと云はれるか。」
「汝でさへも人殺しを夫ほどの罪と思ふか、自分の殺されるが恐しければ何故(なぜ)自分で二人を殺した、汝は血氣盛(けつきさかん)の男子(をとこ)を自分で二人までも殺したのを知らぬのか。」
「其樣な覺えは無い言掛りだ言掛りだ、嘘吐奴(うそつきめ)、卑怯者奴!」
「言掛りでも嘘でも無い、汝の僞(いつは)り深き心の爲、身を亡(ほろ)ぼした者が二人ある、其の一人は斯云(かくい)ふ波漂、汝の不義を知た時に波漂の心は劍(つるぎ)を刺通(さしとほ)されるより痛く愛も情(なさけ)も其の場限り無く成(なつ)て、波漂と云ふ波漂は此の世界に無い人だ人に慈悲深いと、云はれた波漂、サア其波漂は何所に在るか、茲に居る此の波漂は愛も無く情も無く幸福も無く、唯だ恨と云ふ復讐の一念ばかり其の念の爲(た)め浮ぶとも浮ばれず、汝を苦(くるし)めて妄執を晴す爲め墓の底から返つて來た鬼、惡魔だ白髮鬼(はくはつき)だ!」と怒る燃(もゆ)る火の如き熱き息を彼れの顏に吐掛(はきか)け血走る眼(まなこ)にて睨み附(つく)る、其の凄さ其恐(そのおそろ)しさは、恐れ慄(をのゝ)く那稻の顏に寫(うつ)りて我身さへゾツと身震ひするばかりなり。
白髮鬼は縮込(ちゞみこ)む那稻の兩の手を併(あは)せて片手に確(しか)と執(とら)へ「此通り己が汝に殺された許(ばか)りで無く魏堂とても同じ事だ」と云掛(いひかく)るに那稻は茲に至りて殆ど狂氣の如し、彼れ半ば夢中の聲にて「オヽ魏堂、魏堂、彼れは我身を眞實に愛して居たのに――」
「爾(さう)さ、人面獸心の汝を愛したのさ、夫ほど彼が戀しくばサア來い彼れが死骸の有る近くへ連(つれ)て行て遣る」と云ひつゝ、余は那稻の身を引摺(ひきず)り/\墓窖の一方の隅に連行(つれゆ)き、[#「「」欠字か]魏堂の死骸を葬つたのは丁度此隅から少し離れた所だから、彼れの亡魂(ばうこん)も定(さだめ)し此の邊(へん)に徘徊し今夜の此復讐を見て無念晴(むねんばら)しと嬉(よろこ)んで居るだらう、魏堂よ魏堂、汝靈(なんぢれい)あらば來りて余と共に此(この)人面獸心の女を詛(のろ)へ」と祈る如く唱ふるに、那稻は最早や堪(たま)り兼ね「魏堂を殺したのは汝波漂だ、魏堂よ祟るなら、此の波漂に祟れ。」
「惡女め、汝生前に魏堂を欺(だま)したばかりでなく猶彼れの亡魂まで欺す氣か、彼を殺したのも汝だ彼れは汝が彼れを欺き、窃(ひそか)に笹田折葉と云ふ老人に心を寄せたと云ふ事を知た時に死(しん)だのだ、己の短銃(ぴすとる)は唯だ彼れの苦痛を切縮め、彼れを救ふた丈の事彼れ死際に笹田折葉が其實波漂で有る事を知り自分の罪を謝しながら息絶(いきたえ)た、波漂を恨まず汝をのみ怨(うらん)で居る、息の絶(たえ)る間際まで汝を詛ふ言葉を吐た、殊に汝は魏堂の死だ時にホツと安心して喜んだでは無いか、己に嬉しいと云たでは無いか、爾すれば魏堂を殺した者は愈々(いよ/\)汝だ、汝の罪は何(ど)の樣な重い罸(ばつ)を加へても決して償ふ事は出來ぬ、未來永々(みらいえい/\)地獄の底で所在(あらゆ)る責苦に逢ねばならぬ、其の前に先(ま)づ己の責苦を受けて死ね」と力限りに罵しり懲(こら)しぬ。
一〇一
罵り懲(こら)す余が聲の鋭さと睨附(にらみつく)る余が眼の凄じさには彼れ那稻敵し得ずして隅の方(かた)に怯み入(い)れども、彼れが口には猶ほ余を言込めんとする毒語(どくご)あり、彼れ泣き乍(なが)ら言葉世話(せわ)しく「何も是ほど責られる罪は犯さぬ、所天に隱して外(ほか)に情夫を持て居る女は世間には幾等も有る事だ、一人ならず二人も三人も情夫を持つ女も有るのに」と言返せり、アヽ是れ何等の暴言ぞ、何等の無禮ぞ余は殆ど彼れが舌を引拔呉(ひきぬきくれ)んかと思ふ程に燥(あせ)りつゝ、[#「「」欠字か]猶(ま)だ其樣な事を云ふのか世間の女が密夫を持つには、世間の所天が己(おれ)の樣に其妻を責懲(せめこら)す道を知らぬ柄(から)、己は世間の不義者達に見せしめの爲め汝を懲(こら)し此後(こののち)又と不義をする者の無い樣に仕ません、サア、サア」と促すは唯だ墓窖と云ふ場所を恐るゝのみにして、未だ余が目的の之よりも更に恐しきを悟らぬと見ゆ。
余は再び彼れが手を確(しか)と取り、
「猶(ま)だ見せる物が有る、茲へ來い」とて、彼れを薄暗き隅に引けり、此隅(このすみ)は先に余を葬りたる破れし棺(くわん)の在る所なり、余は其棺に指(ゆびさ)しつ「サア之を見ろ、之は何だ、分らぬならば能(よ)く檢(あらた)めて見ろ、粗(そさう)な薄板に釘を打た棺だらう、昨年コレラの病人を葬るに用ひた出來合(できあひ)の棺では無いか、蓋に月日を書き波漂羅馬内と記して有るは、和女の所天波漂を容(いれ)て此墓窖に葬ツた其棺だ、ヱヽ何を其樣に驚くのだ、コレ蓋を見ろ、此通り破れて居る、誰が破ツた、誰がこの蓋を、ヱ、合點が行(ゆ)かねばソレ更に中を見ろ、中は何(なん)にも無い本統の空(から)では無いか、此棺の中に入れた彼れ波漂は何所(どこ)に居る、サア何所に、彼れは何所に!」
彼れは何所にと問詰むるに、今まで唯だ墓窖と云ふ場所をのみ恐れたる那稻の顏に又一種の新しき大恐懼(だいきやうく)を加へ來(きた)れり、身も魂も全く消盡(きえつく)すかと思はるゝばかり。彼れ手あれど捉ふる能はず、足があれど踏む能はず、沈む如くに其所(そこ)に膝を折り、囈言(たはごと)に似たる聲にて空しく余の言葉を繰返し「彼れは何所に、彼れは何所に」と呟くのみ。
是までは余成(な)る可(べ)く我怒(わがいか)りを推鎭(おししづ)め、我言葉(わがことば)を落着(おちつけ)て言來(いひきた)りしも、最早や落着る必要なし、否(いな)落着けんにも落着け得ず、鋭き口調にて叱るが如く、
「サア何所に、何所に、汝の所天は何所に居るか、彼れ憐む可し、此穴に葬られる時までも其妻に未練を殘し、妻那稻の名を呼續(よびつゞけ)で有たのに、其妻は彼れの爲に一夜(や)の祈り一遍の回向(ゑかう)も唱へず、操(みさを)を破り慾に迷ひ、彼れが遺(のこ)せし其家の床の上で其夜より不義を樂(たのし)み、彼れを踏附(ふみつ)け、彼を嘲り、爾して天罰の當らぬ者と思ふて居た、コレ那稻、彼れほど憐む可き善人が又と有(あら)うか、今彼れが何所に居るか、茲に居る! 茲に居る茲に、茲に!」と云(いひ)ながら余は那稻に薄寄(せりよ)り、彼れを余が足許に引据(ひきすゑ)て、
「コレ那稻、己(おれ)の約束を忘れはすまい、婚禮すれば其夜の中(うち)に此(この)黒い目鏡を外し、己の誠の顏を見せて遣ると云つた事を、其上又汝の爲に今夜は全く若返(わかがへつ)たト言た事は未(ま)だ耳に響(ひゞい)て居(を)らう、サア其約束を履行するは今茲だぞ」と云ひ、余は目鏡を外し、外套の襟を引下げ、蝋燭の光に向ひ充分余が顏を照し出(いだ)して「サア、能く見ろ那稻、己の顏を、コレ二度まで己と婚禮した妻那稻、己の顏に覺えが有(あら)う、能く見ろ、今夜汝との婚禮は二度目の婚禮、曩(さき)の婚禮と唯だ己の名が變つたばかり、名は變つて人は同人(ひとり)、笹田折葉と云ふ老人は元からの汝の所天波漂羅馬内と云ふ當年卅歳の若者だ、此通り波漂は茲に居る、茲に、茲に、サア見ろ、サア!」と云ふうちにも恨みに光る余が眼(まなこ)は鋭く彼れの顏を射たり。
九八
「波漂は茲に居るサア見ろ」ト余が露出(むきだし)の顏を照し出(いだ)せば、アヽ讀者此時の那稻の打驚きたる樣、余は實に形容する言葉を知らず、唯だ一刻唯だ轉瞬(てんしゆん)の間に彼れの容貌は左(さ)ながら病後の人かと思はるゝ程に變り果て、暈(まばゆ)き程の美しさも忽ち消(きえ)たり、眉顰(まゆひそ)み目歪みて唇は全く乾き、血色(けつしよく)は土より青し。
先程まで余の心を惱ませし花嫁とは何等の相違ぞ、是れ年古(としふり)し老女の幽靈ならずば恐(おそれ)と驚きに固(かたま)りたる怪物ならん、余を遮らんとて振かざす其手さへ艶退(つやひ)きて枯木(かれき)の枝の如く、且訝(かついぶか)り且危(かつあやぶ)みて余の顏を見る眼(まなこ)は窩(くぼ)みたる瞼(まぶた)の外に飛出(とびいで)んとす、アヽ彼れ何と返事するならん、息遣(いきづか)ひ最苦(いとくる)しげに喘げるは咽(のど)に其聲を濕(うるほ)す丈(だけ)の露も盡きしか、頓て毒虫を拂ふ如く余が手を拂ひ地盤の上に萎れ込(こみ)つゝ纔(わづか)に聞ゆる呻吟(うめ)き聲にて、
「イヤ/\、波漂で無い、波漂でない、波漂は確(たしか)に死(しん)だ筈、オヽ汝は氣違ひ、汝は僞(いつは)り者此の樣な事をして我身を欺(だま)すのだ、嚇(おど)すのだ、虚吐(うそつき)、僞り者。」
切れ/″\に言來(いひきた)るは彼れが正氣の言葉なるや、夫とも餘(あまり)の恐ろしさに度を失ひ、何も知らずに斯る事を口走るにや、余は半ば疑ひて猶ほ彼の樣子を熟々(つく/″\)と見て有るに、余の顏に注居(そゝぎゐ)し彼れの眼は次第に上に釣り、墓窖の天井を詠(なが)め居しが又次第に垂來(たれきた)り、宛も精氣の盡しに似て、其儘グタリと身も共に伏込(ふしこ)みたれば、若し眞實に氣絶せしにやと余は先づ彼の肩に手を掛け、其身體を引起す[#「引起す」は底本では「引越す」]に、否彼れ氣絶せしに非ず、一時(じ)氣の眩(くらみ)たる者なる可し、彼れ余の手に觸れて熱鐵(ねつてつ)に觸るゝより猶痛く縮込(ちゞこ)みつゝ其の亂れて定らぬ眼にて又も余の顏を見詰(みつめ)しが、是れ見詰ると云ふよりも其眼(そのまなこ)自(おのづ)から余の顏に引附(ひきつけ)られ離れんとして離れ得ざる者に似たり。
余も彼(かれ)の眼にて彼の心を讀盡(よみつく)さんと思ふにぞ、氣を留て眺め居るに初(はじめ)は唯だ疑ひの光のみ浮べども、次には得(え)も言へぬ恐れを浮め、最後には全く夫と見極めて限り無く絶望せし如くに見えぬ、絶望するも無理は無し、余を愈々(いよ/\)波漂と知らば逃(のが)るゝ道なき其身の運命も分ればなり。
余は斯(かく)と見て再び彼の手を引上げ、
「アヽ到頭己(おれ)が波漂だと分つたか、成る程昔の波漂とは非常に違た所が有(あら)う。漆の樣な黒髮も今は此通り白髮(しらが)と爲(なつ)た、是も非常な苦(くるし)みから起(おこつ)た事だ、其苦みが汝に報い汝を己の樣に見違へる程の姿にするも遠くは無い、昔の愛を湛(たゝ)えた眼は今は此通り、恨(うらみ)に物凄く光て居る、此樣な違ひは有れど波漂は矢張り元の波漂だ、サア分つたか、合點が行たか」と急(せ)かず騷がず彼の顏見詰(みつむ)るに彼れ乾きし咽の纔(わづか)に濕(うるほ)ふと共に、今まで閊(つか)え居し泣聲を弛(ゆる)め發(はな)ちて、
「嘘だ、嘘だ、何を邪慳(じやけん)な目的で我身を此通り責るのだ、オヽ此樣な恐しいめに」と言掛けて又も余の手を拂ひたり。
アヽ彼れ最早や余を眞實の波漂なりと知る可きに、猶ほ虚僞(うそいつはり)と言張りて余が言葉に服せぬは、彼れ何等の強情者ぞ、又何等の僞り者ぞ、恐しさに得堪(えたへ)ずして天に叫ばんとする間際まで猶ほ僞りを張らんとするか、己(おの)れ惡女め、余が言葉に服せしめ、余を波漂と認(みとめ)しめずに止可(やむべ)きやと、余は一際(ひときは)聲を張上げ。
「嘘とは誰の事を云ふ、能聞(よくき)け那稻、今は殘らず言聞せる時が來た、成る程波漂は一旦死(しん)だに違ひ無い、死だとして一旦は葬られ、一旦は汝に安心せられ、アヽ是で邪魔者を拂ツたト汝の腐ツた魂性(こんじやう)に喜ばれたけれども、波漂は死(しに)はせぬ、死人(しにん)と同じ樣に成て猶生(なほいき)て居た、其所(そこ)に有る其棺(そのくわん)に閉込(とぢこめ)られ、釘附(くぎづけ)にせられた上、此墓窖に葬られ、再び出る事の出來ぬ身と地の底深く埋(うづ)められたけれど、死人同樣の波漂の身體に猶(ま)だ一脈の命が有(あり)て、幾時の後(のち)に生返り、汝の見る通り、アノ棺を破て出たのだ、是でも猶だ己を疑ふか、コレ、コレ、何(ど)うだ那稻。」
と責附(せめつく)るに彼れ殆ど狂人の力にて、余の手を振放(ふりはな)さんと揉掻(もが)きながら、
「放せ、放さぬか氣違ひ嘘吐者(うそつきもの)」と今は却ツて余を罵る迄に至りしかば余は又も聲を勵まし、
「己は氣違ひでも嘘吐でも無い、論より證據(しようこ)はアノ棺と余の容貌で分ツて居る、笹田折葉に化(ばけ)て居る今までとても汝(なんぢ)自(みづか)ら余を疑ひ、幾度(いくたび)も波漂に似て居ると云たのを忘れたのか、余は此棺を破ツたけれど猶ほ此墓窖を破る能はず、暗(やみ)の中に此髮の毛の白くなる程苦んだ、世に是ほどの苦みは又と有るまいと思たが、猶(ま)だ/\己が墓窖を出てからの苦(くるしみ)は夫よりも猶ほ苦く夫よりも猶辛(なほつら)かツた、天の助けで墓窖を拔出して、ヤレ嬉(うれし)やと思つたのは大(おほき)な間違ひ、家(うち)へ歸て妻那稻を喜ばせようと雀躍(こをどり)して歸て見れば家は早や他人の家、墓窖の底より猶辛い所に爲て居た。」
と怒(いかり)に任せて述來(のべきた)るに那稻は何やらん云はんとする如く其唇を動(うごか)したれど、夫のみにて一語を發せず、余は益々彼が上に嵩(かさ)に掛り、
「是でも猶だ己を疑ふのか、猶だ己の言葉を誠とは思はぬか、猶だ己を昔の波漂と思はぬか。」
問詰(とひつめ)られて彼れ最早や敵し得(え)じと思ひの外、猶ほ余を波漂と承知せぬにぞ、余は殆ど堪(たま)り兼(かね)「サア返事をしろ」と打叫びつゝ隱し持つ彼(か)のミラン製の短劍を引拔きつゝ、玉散る如く光る刃を彼(かれ)が目の前に差附(さしつ)け、
「汝の如き嘘の外(ほか)吐(つい)た事の無い唇より誠を云ふは辛からうが、茲は嘘僞りで通られる場所で無い、サア言へ、云はぬか、返事せぬか、コレ那稻、是でも己を汝の最初の所天波漂羅馬内と思はぬか。」
叱り附(つけ)る如き余が聲は空虚に響きて凄(すさま)じき事云(いは)ん方(かた)なし、アヽ那稻茲に至りて如何(いかゞ)の返事あらんとするや。
九九
玉散る如きミラン製の刃の光は閃(ひらめ)きて那稻の目の前に在り、言はずば斯(かく)よと身構へたる余が權幕(けんまく)の凄じきには、不敵の惡女も敵し得ずや有(あり)けん、彼れ戰(をのゝ)きて忽ちに平伏しつ、
「許して、許して、殺すのばかりは許して下さい、命の外(ほか)は何(ど)の樣な責苦(せめく)でも致し方ありません、ハイ申(まをし)ます、申ます、貴方は眞(しん)の波漂です、所天波漂、今が今まで死だ人と思つてゐた波漂に違ひ有ません。」
と打叫び、更に魂消(たまぎ)る如き泣聲にて、
「貴方は先刻(せんこく)も私しを愛すると、仰有(おつしや)たでは有ませんか、何故(なにゆゑ)態々(わざ/″\)私しと婚禮しました、婚禮せずとも固(もと)から貴方は私しの所天、私しは貴方の妻、アヽ恐しい恐しい二度の婚禮、オヽ分りました何も彼(か)も合點が行(ゆ)きました、何と云(いは)れても仕方は無いが命ばかりは、ハイ未だ死(しぬ)る年頃では有ません、後生ですから最う暫く生(いか)して置(おい)て。」
と、其(その)卑怯(ひけふ)未練(みれん)なる魂性(こんじやう)を洒(さら)け出して余を拜むにぞ、余は初(はじめ)て少し滿足し、短劍を鞘に納めながら、
「オヽ愈々(いよ/\)己が波漂だと合點が行(ゆ)けばナニ未だ急に殺しはせぬ、汝の如き心まで腐(くさつ)た女は手に掛て殺すのも汚(けがら)はしい、活(いか)して置て尚(ま)だ云聞(いひきか)す事も有り、尚だ責る事も有る、コレ那稻、波漂は伊國の男子だけに魂が有る、一寸(すん)の恨(うらみ)にも仇(あだ)を返さずには置かぬけれど、俗人のする樣に一思(おもひ)に殺して仕(し)まひ、苦痛を其場限り忘れさせる樣なソンナ手緩(てぬる)い復讐は大嫌ひだ、云ふ丈(だけ)の事を言聞せ、其後は此墓窖へ閉込(とぢこん)で立去るのだ。」
「ヒヱツ!」
「無言(だま)れ、此墓窖へに閉込(とぢこん)で置(おい)て遣るから其後で生(いき)やうと、死(しな)うと自分の勝手、夫とも己が此墓窖から逃れ出た樣に自分で逃れる道を探し、再び浮世へ出るなら出ろ、其時には相當の考へが己に有る。」
と大裁判(おほさいばん)の宣告を先(ま)づ落着きて言渡すに、彼れ餘りの懼(おそろ)しき其運命に驚きてか、今まで動く力も無く伏し居たる其身を忽ち跳起(はねおこ)し、余の前に突立(つゝたち)たり。
立(たち)は立(たつ)ても心既に度を失ひて其(その)身體(からだ)に添(そ)はざる爲め蹈(ふ)む足も定まらず、其儘蹌踉(よろ)けて傍(かたへ)の壁に(もた)れ掛り、息も絶々(たえ/″\)に喘(あへ)ぐのみ、余は此有樣を最(い)と冷(ひやゝ)かに打見遣(うちみや)りて、
「コレ那稻、死(しん)だと思た所天波漂が此通り生返り、汝の目の前へ歸(かへつ)たのに、戀しかつたの一言も云はぬのか、接吻も仕度(した)く無いか、嬉(うれし)く無いか、波漂に分れた悲(かなし)さは今以(いまもつ)て忘(わす)られぬと幾度(いくたび)も笹田折葉を初め世間の人に云たじや無いか……、オヽ之はしたり、餘りの嬉しさに言葉さへ出ぬと見える、では此上に猶ほ充分合點の行く樣、ドレ緩(ゆつく)りと今までの事を言聞(いひきか)さうか。」
斯く云ひて余は、傍(かたはら)なる彼(か)の破れし棺(くわん)に腰を卸(おろ)し、胸の怒(いかり)を撫鎭(なでしづ)めながら、
「コレ二重の妻那稻、汝の惡事は誰も知るまいと思ふて居やうが、イヤサ世間の人は誰一人知らぬけれど、死だ汝の所天波漂が能(よ)く知て居る、波漂は此墓窖から逃れ出て早く那稻に顏見せて嬉(よろこ)ばせ度(た)いと自分の家へ歸(かへつ)た所(とこ)ろ、主人と云ふ自分の役目、那稻の所天と云ふ自分の場所は既に外(ほか)の人が塞いで居た、其人は誰有(たれあ)らう花里魏堂と云ふ波漂の第一の親友、第一の敵で有た」と云來(いひきた)るに、那稻は殆ど靠(もた)れし壁より倒(たふ)れんとする程に蹌踉(よろめ)きしも、僅(わづか)に其身を支へ留たり、余は構はず言葉を繼ぎ「毎(いつ)も波漂が讀書抔(など)する裏庭の小徑で有た、魏堂は波漂の腰掛臺(こしかけだい)に、波漂の樣に腰を掛け汝を自分の妻の樣に抱き夫婦よりも猶(なほ)親(したし)い愛の言葉を交して居た、汝豈(よ)も忘れは仕舞(しま)ひ、それが波漂の死だと云ふ翌日の晩の事、死だ所天に一宵(よさ)の祈(いのり)も捧げず、早くも不義の男を引込むとは餘り早過(はやすぎ)ると云者(いふもの)では有(ある)まいか、イヤ夫よりも猶早過る事が有る、汝は波漂と婚禮して三月目(つきめ)に既に魏堂と通じた事は汝も云ひ、魏堂も云た、樹(き)の影に身を隱し、其の樂しい言葉を聞て居た波漂の心を何(ど)の樣で有たと思ふ、其時波漂が堪兼(たへかね)て少し身を動かした所ろ、汝は樹の葉の音を恐れ、茲は波漂が愛した場所ゆゑ幽靈が出るかも知れぬと恐ろしさうに振向(ふりむい)た事を忘れは仕まい、其時の幽靈は斯く云ふ波漂、己で有た。己が波漂の幽靈だ、其場で直(すぐ)に現れ出て、奸夫奸妻(かんぷかんぷ)に知らせて遣うかと思たけれど汝の樣な類(るゐ)の無い惡人には又類の無い復讐で無ければ了(いけ)ぬと己は決心して立去た、夫から此方(このかた)艱難辛苦は云ずとも分るだらう、目を潰さるれば其敵の目を潰して怨みを返し、齒を拔(ぬか)るれば齒を拔返す、是が本統の復讐ゆゑ己は其旨(そのむね)を守り、魏堂が己から那稻を偸(ぬすん)だ樣に己も魏堂から其那稻を偸(ぬす)み返し、那稻が既に邪慳(じやけん)な僞りの妻で有た通りに、己も那稻に邪慳な僞りの所天と爲る積(つもり)で笹田折葉と姿を變へ、魏堂の友達と爲り、汝の許へ入込(いりこん)だ所ろ、案じるより産(うむ)が易(やす)いと云ふ通り、己から汝に婚禮を求めぬうちに汝の方から既に婚禮を求めて來る事に成た、夫等(それら)の次第は己より汝が能く知て居る筈(はず)、斯(かう)して、到頭[#「到頭」は底本では「到底」]二度目の婚禮を仕たからは汝は全く己の品物、捨(すて)やうと毀(こは)さうと、或は腐るまで此墓窖へ閉込て己が受た丈の苦(くるし)みを受させやうと己の勝手と云物(いふもの)だ」と、一々に言聞すに、彼れ幾度(いくたび)か白くなり青くなり身も世も有(あら)れぬ程に、我と我が心を苦め聞き居たるが最後に及びては己(おのれ)の命を防ぐと云ふ、人間ドン底の了簡(れうけん)に返りしか眼(まなこ)に一種の決心を現はし來(きた)り、余が言葉の一句/\に彼れ少しづつ頭(かうべ)を上げ、徐(そろ)りそろりと余が前を過(すぎ)んとする樣、虎の顋(あぎと)より逃去(にげさ)らんとする狐にも似たらんか、アヽ彼れ逃れしとて如何ほどの事をや爲(な)さんト、余は多寡(たくわ)を括(くゝつ)て知らぬ顏を見せ、心に復讐の旨味を味(あぢは)ひながら控(ひかゆ)るに、余が言葉の漸くに終らんとする頃、彼れ必死の力を集め宛も飛燕(ひえん)の早さにて一散(さん)に墓窖の戸の方(かた)に馳行(はせゆ)きたり、戸を推開(おしひら)きて彼れ逃去(にげさ)らん心汚(こゝろきたな)し。
一〇〇
讀者よ余は那稻が一も二も無く余を波漂と知り、知らば又一も二も無く平伏[#「平伏」は底本では「平服」]して其不義の罪を謝(しや)するならんと思ひしに、彼れ余を波漂なりと知(しり)ながら容易に知れりと白状せず、余が必死の恐迫(きようはく)に逢ひて漸く白状はせし者の、己れの罪を謝せんとはせず、隙を狙ひて戸口の方(かた)へ逃去りたるを見て、實に彼れが了見の何所(どこ)まで腐りたるをや怪しみたり。
逃(にげ)らるゝなら逃て見ろ、余が前以(まへもつ)て斯あらんも知れずと見て取り、堅(かた)く錠(ぢやう)まで卸(おろ)し置(おき)たる鐵の戸が、汝如きの痩腕(やせうで)にて開(あ)く者かト余は心に嘛笑(あざわら)ひ、立上りもせず見て有るに、那稻は籠の小鳥が己の力を測らずして喙(くちばし)にて籠の戸を噛破(かみやぶ)らんとし自(みづか)ら疲れて壽命を縮むる如く、殆ど一生懸命に戸を動せども戸は邪慳(じやけん)なり寸も毫(がう)も動かばこそ彼れ斯くと見しか「エヽ、情無(なさけな)い」と絶望の聲を洩(もら)し再び其石段を降(くだ)りて余が許へ馳返(はせかへ)れり。
返りて如何にする積(つもり)ぞ、余は落着拂(おちつきはら)ひて彼れの顏を見るに、彼れ何所までも余に抵抗し余を言伏(いひふせ)て出去(いでさ)らんと決心せしにや顏に一種の決然たる色ありて其の美しき血色も幾分か元に復(かへ)れり、彼れ宛(あたか)も嚇(おど)すが如く余を睨みて「コレ戸を開けろ戸を開けぬか、卑怯もの奴(め)、女を欺(だま)して此樣な所へ誘(おび)き込み爾(さう)して恨(うらみ)を晴(はら)さうとは己(おの)が心に耻(はづか)しく無いか、汝は人を殺すのを何の罪とは思はぬか」反對(あべこべ)に余を罵(のゝし)るにぞ余は大喝一聲に「無言(だま)れ」と叱りて更に何の情(じやう)にも何の感じにも動かぬ石よりも堅き聲にて「人を殺すは大罪だが汝を殺すのは罪で無い、一旦婚禮する以上は妻に對して幾何(いくらか)の權利を持つ事當然なるに己(おれ)は汝と婚禮の上に婚禮を重(かさね)たからは活(いか)さうと殺さうと己の勝手、況(まし)てや初に言渡した通り敢(あへ)て汝を殺しはせぬ言ふ丈の事を言聞せ、汝を此の墓窖の中へ殘し、己は未練も無く唯一人で立去るのだ」那稻は初めて聞きし時の如く打驚き「ヱヽ、夫が殺すと云ふ者だ、此の穴へ閉込(とぢこめ)て立去つて夫で殺さぬと云はれるか。」
「汝でさへも人殺しを夫ほどの罪と思ふか、自分の殺されるが恐しければ何故(なぜ)自分で二人を殺した、汝は血氣盛(けつきさかん)の男子(をとこ)を自分で二人までも殺したのを知らぬのか。」
「其樣な覺えは無い言掛りだ言掛りだ、嘘吐奴(うそつきめ)、卑怯者奴!」
「言掛りでも嘘でも無い、汝の僞(いつは)り深き心の爲、身を亡(ほろ)ぼした者が二人ある、其の一人は斯云(かくい)ふ波漂、汝の不義を知た時に波漂の心は劍(つるぎ)を刺通(さしとほ)されるより痛く愛も情(なさけ)も其の場限り無く成(なつ)て、波漂と云ふ波漂は此の世界に無い人だ人に慈悲深いと、云はれた波漂、サア其波漂は何所に在るか、茲に居る此の波漂は愛も無く情も無く幸福も無く、唯だ恨と云ふ復讐の一念ばかり其の念の爲(た)め浮ぶとも浮ばれず、汝を苦(くるし)めて妄執を晴す爲め墓の底から返つて來た鬼、惡魔だ白髮鬼(はくはつき)だ!」と怒る燃(もゆ)る火の如き熱き息を彼れの顏に吐掛(はきか)け血走る眼(まなこ)にて睨み附(つく)る、其の凄さ其恐(そのおそろ)しさは、恐れ慄(をのゝ)く那稻の顏に寫(うつ)りて我身さへゾツと身震ひするばかりなり。
白髮鬼は縮込(ちゞみこ)む那稻の兩の手を併(あは)せて片手に確(しか)と執(とら)へ「此通り己が汝に殺された許(ばか)りで無く魏堂とても同じ事だ」と云掛(いひかく)るに那稻は茲に至りて殆ど狂氣の如し、彼れ半ば夢中の聲にて「オヽ魏堂、魏堂、彼れは我身を眞實に愛して居たのに――」
「爾(さう)さ、人面獸心の汝を愛したのさ、夫ほど彼が戀しくばサア來い彼れが死骸の有る近くへ連(つれ)て行て遣る」と云ひつゝ、余は那稻の身を引摺(ひきず)り/\墓窖の一方の隅に連行(つれゆ)き、[#「「」欠字か]魏堂の死骸を葬つたのは丁度此隅から少し離れた所だから、彼れの亡魂(ばうこん)も定(さだめ)し此の邊(へん)に徘徊し今夜の此復讐を見て無念晴(むねんばら)しと嬉(よろこ)んで居るだらう、魏堂よ魏堂、汝靈(なんぢれい)あらば來りて余と共に此(この)人面獸心の女を詛(のろ)へ」と祈る如く唱ふるに、那稻は最早や堪(たま)り兼ね「魏堂を殺したのは汝波漂だ、魏堂よ祟るなら、此の波漂に祟れ。」
「惡女め、汝生前に魏堂を欺(だま)したばかりでなく猶彼れの亡魂まで欺す氣か、彼を殺したのも汝だ彼れは汝が彼れを欺き、窃(ひそか)に笹田折葉と云ふ老人に心を寄せたと云ふ事を知た時に死(しん)だのだ、己の短銃(ぴすとる)は唯だ彼れの苦痛を切縮め、彼れを救ふた丈の事彼れ死際に笹田折葉が其實波漂で有る事を知り自分の罪を謝しながら息絶(いきたえ)た、波漂を恨まず汝をのみ怨(うらん)で居る、息の絶(たえ)る間際まで汝を詛ふ言葉を吐た、殊に汝は魏堂の死だ時にホツと安心して喜んだでは無いか、己に嬉しいと云たでは無いか、爾すれば魏堂を殺した者は愈々(いよ/\)汝だ、汝の罪は何(ど)の樣な重い罸(ばつ)を加へても決して償ふ事は出來ぬ、未來永々(みらいえい/\)地獄の底で所在(あらゆ)る責苦に逢ねばならぬ、其の前に先(ま)づ己の責苦を受けて死ね」と力限りに罵しり懲(こら)しぬ。
一〇一
罵り懲(こら)す余が聲の鋭さと睨附(にらみつく)る余が眼の凄じさには彼れ那稻敵し得ずして隅の方(かた)に怯み入(い)れども、彼れが口には猶ほ余を言込めんとする毒語(どくご)あり、彼れ泣き乍(なが)ら言葉世話(せわ)しく「何も是ほど責られる罪は犯さぬ、所天に隱して外(ほか)に情夫を持て居る女は世間には幾等も有る事だ、一人ならず二人も三人も情夫を持つ女も有るのに」と言返せり、アヽ是れ何等の暴言ぞ、何等の無禮ぞ余は殆ど彼れが舌を引拔呉(ひきぬきくれ)んかと思ふ程に燥(あせ)りつゝ、[#「「」欠字か]猶(ま)だ其樣な事を云ふのか世間の女が密夫を持つには、世間の所天が己(おれ)の樣に其妻を責懲(せめこら)す道を知らぬ柄(から)、己は世間の不義者達に見せしめの爲め汝を懲(こら)し此後(こののち)又と不義をする者の無い樣に仕(し)て遣るのだ、能(よ)く聞け那稻、汝は良心と云ふ者無く罪を犯して罪だとも思はぬか、世に奸淫(かんいん)ほど汚(けがら)はしい罪が又と有(あら)うか、所天の家に住み所天の名を分(わか)ち、所天の大事を悉く任されながら其の所天の心に負(そむ)き所天の妻を偸(ぬす)まうとする樣な所天の敵に内通し、一家を治むる身を以て所天の敵の玩弄(もてあそび)と爲る、是が汚はしく無いと云ふのか、昔から一城を守る者が敵軍に内通するを此上無き罪として有る、妻にして他(た)に通ずるは夫(それ)よりも猶罪が重い、城を守る者は一人で無い、千萬人の其中で獨(ひと)り自分の身を賣(う)る故、罪は罪でも城に取(とつ)ては唯だ一部、後(あと)に猶だ其城を守る者は幾等も有る、妻は一家に唯一人(たゞひとり)其一人が一家に負(そむ)いて他に通ぜば一家を誰が守るのだ人殺(ひとごろし)を大罪と云ふけれど姦通は人を殺し家を殺し所天の名譽を殺し生涯を殺すのだ、夫も唯だ己(おのれ)の腐た腸(はらわた)に充(みつ)る腐た情慾の爲にするのだ、是れでも汝自分の罪が分らぬか、殊に汝は世間の婦人が幾人も密夫を持つと云へど、一人持てば其罪、千萬人持つも同じ事、一人だから罪が輕いと云ふ筈は無い、況(まし)てや汝は一度ならず二度三度まで此罪を犯して居る、波漂の妻として魏堂に通じ、魏堂の許嫁の妻で有(あり)ながら笹田折葉と夫婦の約束を爲し、其上又笹田折葉の目を忍び魏堂に何時(いつ)までも妾(せふ)の情夫たれと細々(こま/″\)の手紙を送て有る、汝は纔(わづか)の間に三人の所天を持ち其(その)三人に悉く負(そむ)いて居る、廣い世界に此樣な婦人が何所に在る三(み)たび所天を持ち三度とも操(みさを)を破る、此上永く活(いか)して置けば未だ幾度(いくたび)操を破るも知れぬ是でも自分の罪が分らぬか。」
余は殆ど我聲の枯(かる)るまで叫び盡(つく)すにアヽ蜂は死(しぬ)るまで人を蟄(さ)す其針を收めずとの譬への如く毒婦は死るまで其毒を收め得ぬにや彼れ猶ほ口の裏にて「罪で無い罪で無い、此身は罪を犯す心は無い美しく生れた爲め夫(それ)で男が迷ふのに、迷ふ男を罪と云はず美しく生れた者を罪と云ふのか、迷ふのは男の愚か、其愚(そのおろか)さを此身が防ぐと云ふ事は出來ぬ、汝も此身に迷ひ魏堂も此身に迷ふたけれど此身から求めはせぬ、此身は魏堂を愛しもせず猶更(なほさ)ら汝を愛する者か、夫に迷ふた魏堂は愚人(ぐじん)、汝は又罪人だ罪人だ。」
アヽ何所まで毒語を放つ者か、余は只呆(たゞあき)れに呆れ果て、最早や此上言爭(いひあらそ)ふ心無し「爾だらうよ、愛と云ふ清い心は汝の樣な腐た身體へは神が授けて下さらぬのだ、愛の無(ない)のに愛の有る樣な言葉を吐き愛の有る樣な振(ふり)をするから夫を即ち罪と云ふのだ、夫が即ち人を欺き操(みさを)を破ると云ふ者だ、獸には慾が有て愛が無い、汝を人面獸心と云ふも茲の事、其樣な穢れた言葉を吐くだらうと思たから、其言葉が再び人間の耳に入(いら)ぬ樣に何時(いつ)までも汝を此穴へ閉込めて置く事に極(きめ)たのだ 那「エー罪の無い者を 余「無言(だま)れ、汝の不義の數々は悉く己の手に確(たしか)な證據を握つて居るが證據は世間へ出て爭ふ時にこそ必要なれど、汝を[#「汝を」は底本では「汝は」]此穴で終らせるには不用だからサア悉く返して遣る」と云ひつ、余は那稻より魏堂に贈りし手紙を初め幾通を纒めたる一束を彼れが膝に投げ「人間は絶食しても一月位は生(いき)て居られると云ふ事だから、サア此穴の暗やみで今から一月其證據物を弄(おもちや)にし是で此身の不義の證據は世間へ一つも殘(のこつ)て居ぬと安心して居るが好い、其のうちには世間で汝を忘れるだらう、ドレ是で生涯の分れにしやう」と云(いひ)つゝ余は立去らんとして先づ輝ける蝋燭のうち一本を吹消すに、那稻は宛も餓鬼の如く余が足に蹙(かじ)り附き哀求(あいきう)する聲を張上げ、
「ヱヽ夫は餘り邪慳です、貴方は此墓窖から拔出(ぬけだし)たと云ひましたが、其拔道だけ教へて下さい。」
「汝を閉込(とじこ)まうと思たから其拔道は塞いで仕舞た、己が出口の戸に錠を卸して立去れば決して拔出る事は出來ぬ」那稻は聲を放て泣き「許して、ヱヽ夫ばかりは許して下さい、穴の外へ連出してさへ下されば何(ど)の樣な目にでも逢(あひ)ます、私しの髮の毛を握(つか)み不義者の樣を見ろと寧府(ねいぷる)の町々を引摺て下さるとも厭ひません、其上裸體(はだか)にして叩き捨(すて)ても構ひません、何(ど)うでも貴方の氣の濟む樣に、唯だ命だけ助けて下さい、濕(しめつ)た暗い、土臭い此穴で、ヱヽ夫ばかりは、ヱヽ餘(あんま)り恐しい仕方です」と余が足に必死と取附き、蹴(けつ)ても放(はな)れず振(ふれ)ども去らず。
一〇二
余は足許に蹙(しが)み附く那稻の樣を見下(みおろ)ろすに、彼れが戴き居し帽子は落て絹糸より猶麗(うるは)しき髮の毛散亂(ちりみだ)れて肩に掛り、外套も半ば脱去(ぬげさ)りて其白き首より胸の邊(あたり)を最(い)と陽(あらは)に露出(むきいだ)したれば、彼れの頭(かしら)より下半身(しもはんしん)に輝ける夜光珠(だいやもんど)は宛(さな)がら星の光に似たり、アヽ是等の夜光珠(だいやもんど)は余が母の遺身(かたみ)なるも有り、余が家重代(いへぢうだい)に傳(つたは)れるも有り、余は斯る高貴の品物を彼れの身に着置(つけお)くは汚はしと思ひ、容赦も無く頭(あたま)より首より胸より悉く剥(むし)り取り、唯だ余が先に與へたる彼(か)の海賊の夜光珠(だいやもんど)のみを殘し、
「汝の樣な汚(けがれ)た者に羅馬内家代々の寶物(たからもの)を着(つけ)させて置く事は出來ぬ、唯だ笹田折葉の贈た分だけは丁度汝の身に相當する品物だ、輕目郎練(かるめろねり)と云ふ海賊が盜み溜た汚らはしい品だから」と云ふに那稻は余の意味を充分に曉(さと)り得ぬと見え、問返す如く顏を上げたり。
「オヽ猶だ忘れて居た約束が有る、今夜汝に笹田折葉の寶物(たからもの)を見せる積(つもり)で此墓窖へ連れて來たが、今は履行の時が來た、サア見ろ」と云ひながら余は彼(か)の海賊練(ねり)の隱せし棺の如き寶物箱(たからものばこ)を開き示すに、中は是れ余が豫(かね)て最も那稻の眼を驚かせる樣、一品/\順を正して並べ置きたる物なれば、其光(そのひかり)燦爛(きんらん)として暈(まば)ゆく、目を射る許(ばか)りに輝けるにぞ、泣悲(なきかな)しめる那稻も之には驚き、我知らず「是は先(ま)ア」と叫びつゝ立上れり。
余は嘲笑(あざわら)ひて「合點が行たか那稻、笹田折葉と云ふ老人の今まで遣(つか)ツた金錢は皆茲から出た、是は海賊輕目郎練が政府の搜索を逃れる爲め此墓窖に隱した物で、波漂が生返た時見出(みいだ)したのだ、今から思へば天より此復讐を遂(とげ)よとて其費用の爲め波漂に賜(たまは)つたも同じ事、最う復讐は終つたから悉く汝に遣る」と言聞(いひきけ)るに、貪慾(どんよく)の外(ほか)に愛も無く望みも無き那稻なれば、逃(のが)るゝ道なき此間際に至りても猶ほ心を之に奪はれ、餘りの見事さに殆ど魂(たまし)ひの消えし如く恍惚として眺め入(い)れり。
余は猶ほ破棺(やぶれくわん)に腰掛けし儘、彼れの樣子を見て有るにアヽ彼れ、余が唯(たゞ)一夜(や)にて白髮(はくはつ)の老人と爲(なり)し如く彼も亦唯一夜否唯半夜に若々しき色艶消え、全く容貌の頽(くづ)れたる老女かと見紛ふほどに衰へたり、纔(わづか)に其の眼のみ異樣なる光を放てど、其外(そのほか)に今までの那稻と思はるゝ所少しも無し、彼れが心の苦(くるし)みも、余の苦みも劣らざりしか、余は怪(あやし)みながら見るに從ひ、忽ち我が心の中(うち)に一種の憐(あわれ)みを起し來り、自(みづか)ら抑へんとすれど抑へ難し、益々見れば益々憐(あはれ)にして余と云ひ那稻と云ひ、斯も不思議なる運命を負ふ者が又と此世に有る可きかと、思ふ心は涙に濕(うる)む聲と爲り、
「コレ我妻(わがつま)那稻、余が最愛の妻那稻、汝は死際の今と爲(なつ)ても唯一點悔悟の念は浮ばぬか、其身の行ひを惡いと悟り、誠に波漂に濟(すま)なんだと一言(こと)の詫(わび)を云ふ心は出ぬか、己(おれ)は汝を二人と無い女と愛し、汝の爲には死るも厭はぬ程に思ひ、本統の貞女とは汝の外に有るまいと身も許し心も許し、自分の身よりも猶大切にして居たのに汝は何(なん)の惡魔に誘(さそは)れ己を欺く樣に成た、コレ那稻、汝若し己の爲に唯一點の涙を落し、悲いと云つたならば己は汝の罪を悉く許して遣る所で有た、假令(たとひ)墓窖から生返り汝が魏堂の膝に抱れて居るのを見た時でも、汝が唯一言波漂が可哀相だと云たなら己は汝への愛に面(めん)じ其儘姿を隱して仕まひ、魏堂と汝を末永く幸福に送らせる所で有た、夫に何ぞや悲しみもせず、邪魔者を拂つたなど心地好げに笑はれて何(ど)うして怒らずに居られやう、怒るのが無理かコレ、怒るのも愛の爲だ、是ほど愛しさへせねば決して此樣な復讐もせぬ所だ。」
宛(あたか)も獨言(ひとりごと)の如く愚痴の心を繰返すに、那稻は耳を傾けて之を聞き、恐る/\懷かしげに、余が方(かた)に少し寄り、色の褪(さ)めたる唇に微(かすか)なる笑(ゑみ)を浮め、昔し余が名を囁きし如き聲にて「オヽ波漂、波漂」と細語(さゝや)けり。
余は此柔かなる聲を聞き何故(なにゆゑ)にや涙の込上來(こみあげきた)るを覺え、自(みづか)ら哀(あはれ)さに堪(た)へざる聲にて、
「オヽ波漂とな、波漂は既に死だ人、茲に居るのは波漂の脱殼(ぬけがら)、汝は其脱殼を何うする積だ、波漂は汝の爲めに愛を費(つひや)し盡したけれど夫でも汝が一點の愛を酬(むく)はぬ爲め此通りの脱殼に成果(なりはて)たのだ」と猶ほ獨言の如くに言ながらも、三十に足り足らぬ血氣盛(けつきさかん)の一男子が早や殼脱(もぬけ)の人と成り、愛も枯れ身も枯(かれ)て無情の界(さかひ)に入(いり)しかと思へば、自(みづか)ら泣ざること能はず、泣じやくりに胸塞がり後は聲さへ續かぬに、那稻は斯くと見て其身も初(はじめ)ての哀れを催せしにぞ、且悲み且羞(はぢ)らふ顏附にて、余を慰めんとする如く余が傍(そば)に來り、余が膝に寄り余が胸に寄り、片手を余が首に捲(ま)きて(もた)れ「波漂、波漂」と云ふ中(うち)にも高く打つ彼れが胸の波聞(きこ)ゆ。
彼れ猶ほ其聲を低くし「オヽ波漂、此身が惡い、過(あやま)つた、今までの罪は赦(ゆる)して、コレ波漂、先程から云た言葉も皆此身の言過ぎ、是からは心を入替へ、御身を愛し、充分の貞女と爲り、今までの罪を償ふゆゑ、何卒(どうぞ)許して、元の通り妾(わらは)を愛して」と訴ふる如くに詫出(わびいづ)る。他(か)れが聲も余と同じく早や半ば涙に曇りぬ。
一〇三
心を入替へ貞女と爲り、今までの罪を償はんと涙ながらに打詫(うちわび)る那稻の言葉是れ眞(しん)に彼れの眞心なるや、余は殆ど測り兼て猶ほ默然と控ゆるに、彼れは後悔の念に堪(たへ)ざる如く打萎(うちしを)れながら、又愛情に堪ざる如く益々密に余に抱附き、涙湛(なみだたヽ)えたる其眼を上げて余を眺め、其の柔かなる唇をば余の接吻を迎へんとする如く動かし初めぬ。
余は猶も無言の儘なるに彼れは絶入(たえい)る如き柔かなる囁き聲にて、
「御覽なさい、私しの容貌は未だ衰へません、此美しさは是から先、唯だ貴方一人の美しさです」と云へり、アヽ其心の誠なるや僞りなるやは今更ら問ふに及ばず、又今更ら見破るに及ばず、彼れが今まで己れを愛する者に向ひ如何ほど罪深き所行をせしやを思ひ、又彼れが唇に僞りの外(ほか)云ひし事無きを思へば、余豈(あ)に是等の甘き言葉に引入(ひきい)られんや、余が艱難に艱難を重ねたる復讐は此場に及びて豈に一寸だも弛む可けんや、余が腸(はらわた)には唯(たゞ)我有爲(わがいうゐ)の一生涯を人面獸心の一婦人の爲め過(あやま)ち終りたる悔恨の念は有れど、其の人面獸心の一婦人が今に及びて猶ほ余を籠絡するかと思へば、腹立しさの又一入(ひとしほ)加はるを覺ゆるのみ、爾れば余は最悲(いとかなし)げ最(い)と腹立しげなる聲にて、
「ナニ美しさ、成(なる)ほど汝の美しさは猶だ衰へぬかも知れぬ、顏ばかり美しくとも心が醜ければ何(なん)の甲斐が有らう、アハヽヽ那稻、心を入替へ貞女になるとは、最う云ふ事が後(おく)れたよ、其言葉が汝の口から今一年イヤサ今半年早く出たなら、汝は當國第一の幸福を得て生涯を安樂に暮(くら)された、赦(ゆる)して呉(く)れと言た所で今は赦し樣の無い時だ、赦し方(かた)の有る樣な輕い罪や輕い恨(うらみ)なら其言葉に面じて、赦しても遣りたいが、汝の罪と此方(このはう)の恨は到底赦し樣が無い、赦す赦さぬと云ふ世間の罪とは罪が違ふ、赦す赦さぬにも赦し樣が無い、汝は唯だ己(おれ)の宣告した罰に服し、此暗い窖(あな)の中で獨(ひと)り苦んで死る許(ばか)りだ、是が逃(のが)れぬ運命だと斷念(あきら)めよ。」
斷乎として言切るに那稻は猶ほ余が膝より離れもせず、宛(あたか)も過去(すぎさ)りし夢の跡を尋ぬる如く茫然として空中を眺むるのみ、彼れも云はず、余も云はず、二人無言の業(わざ)を勤(つとむ)るかと怪まるゝ程なりしが、外には宵の程より吹居(ふきゐ)たる冬の風、今は暴風に爲りしと見え、鐵の戸の外に吹(ふき)しきり吹荒(ふきすさ)み、近邊の樹木を鳴(なら)し枝を折り葉を飛(とば)す聲、宛も隔世(かくせい)の物音の如く聞え凄まじき事云(ことい)はん方(かた)なし。
暫くにして茫然たりし彼れ那稻が顏に、忽ち電光の煌(きらめ)く如く一種の決心、パツト現れ出(いで)たれば、余は怪み彼れ何事を思附(おもひつ)きしやと推量する暇も無き間(ま)に、彼れ素早く余の膝より離れ、余が腰に着け居たる彼(か)のミラン製短劍を奪ひ取り其鞘を拔棄(ぬきす)て立上れり、アヽ彼れ、穴の中に朽ち行(ゆ)く其身の運命の餘りに恐しく、遂に自殺して其苦痛を切縮むるに決せしかと、余が見て取るや取らぬ間に、彼れ癲癇(てんかん)病人の發するより猶鋭き聲にて、
「何(なん)だ赦し樣の無い罪だと、汝こそ赦し樣の無い罪だ、罪人め、サア此短劍で死で仕舞へ」と叫びつゝ躍り來(きたつ)て余に斬掛(きりか)けたり。
アヽ惡女め、自殺する事かと思ひ萎らしゝと見て居たるに、自殺にあらで余を殺す積なるや、窮鼠却(きうそかへつ)て猫を食(は)む、太きも太き奴なる哉(かな)、余はハツと飛退(とびの)き樣[#「飛退(とびの)き樣」は底本では「飛退(とぎの)き樣」]、毀(こ)はれたる棺の蓋を持ち、辛(から)くも我身を防ぎたれども、若し飛退く事唯(たゞ)一瞬間(しゆんかん)遲かりせば肩先深く切附けられ彼れの邪慳なる唇にて氣味好しと嘲らるゝ所なりしならん。余は蓋を小盾(こだて)にして進み寄り、終(つひ)に短劍持てる彼れが手首を握り得たれど、彼れ日頃の弱々しきに似ず、必死と爲りて狂ふ爲めか、身を揉掻(もが)く其力(そのちから)、強き事言はん方無(かたな)く、手首を確(しか)と握られ乍(なが)らも短劍は容易に放さず、極めて纔(わづか)な間なれども殆ど人間以外の力を得て余に飛附き食附き、余が服を裂き余が肉を破り、壓潰(おしつぶ)すにも潰し難し、余に若し一寸の油斷あらば、却つて彼れに切捲(きりまく)らるゝ程の有樣なれば余も實に必死に爲り漸くにして彼れを膝の下に組敷き其の手を捻(ねぢ)りて彼(か)の短劍を取返したり。余は猶ほ其怒りに乘じ彼れを膝下(しつか)より動かしめず、唯(たゞ)一刺(さし)に其首を刺殺(さしころ)さんかと構へたれど、兇器さへ取り返せば手を汚(けが)すにも及ばぬ事、刺して一思ひに殺すより初めの通り窖(あな)の中に腐らせるが彼れに相當の罸(ばつ)なりと、忽(たち)まち思ひ返したり。
一〇四
アヽ讀者那稻の兇(きよう)、那稻の惡、茲に至りて益々驚く可きのみ、彼れは逃るゝに道無きに及び漸くに其の罪を悔い、余に打詫(うちわび)るかと思へば、悔(くい)しも僞(いつは)り、打詫るも亦僞り、隙を見て余を殺さんとす、彼れ惡婦としては惡と云ふ惡悉く備はれる惡婦なり、余は捻取(ねぢとり)し短劍を鞘に收め彼を其所(そこ)に突飛(つきとば)して、
「コレ那稻、汝が何と謝罪(あやまつ)ても赦さぬと云ふは茲の事だ、隙を見て所天を殺さうと云ふ了見が有つて何(なに)して貞女に成れるか、首尾能く己を殺したなら己の衣嚢(かくし)から此墓窖の鍵を取出し、己の死骸を茲へ殘して其儘汝は戸を開いて家(うち)に歸り、其の巧(たくみ)なる辯口(べんこう)で何(どう)とでも世人(せじん)を言(いひ)くるめて再び波漂か折葉の樣な、欺(だま)し易い所天を探す積りで有たのだらう、生憎己の力が強く汝の手に合(あは)なんだは誠に氣の毒で有たなア」と心地好く嘲りて、余は猶ほ彼を罵らんとするに此時彼れは何故(なにゆゑ)にや聲高く「アレ魏堂が來た、魏堂が來た」と打叫び、背後(うしろ)の方に逡巡(しりご)みたれば余はその仔細を悟る能はず、言葉を停(とゞ)めて訝(いぶか)り見るに、彼れ戰(をのゝ)きながら一方の薄暗き所を指(ゆびさ)し「アレ彼所(あすこ)に魏堂が居る、魏堂が居る、恨(うらめ)しげに、睨み乍(なが)ら、アレ徐(そ)ろ/\と寄て來る」と爾(さ)も恐しげに呟けり。
扨は彼れ散々余に責(せめ)られし餘り、神經の仕業にて魏堂の姿まで其目先(そのめさき)に浮びし者か、余とても今は心の掻亂(かきみだ)れたる半(なかば)なれば余の神經にも其姿の見ゆるも知れずと、余も同じく其方(そのかた)を見詰(みつむ)れど余が目には何も見えず、其中(そのうち)に那稻は宛も魏堂の姿より避けんとする如く兩の手を擧(あ)げて自(みづか)ら其身を遮り「アレ、許してお呉(く)れ魏堂よ、爾う妾(わたし)を打擲(ちやうちやく)しては、コレサ堪忍して堪忍して」と叫ぶと共に、眞實誰かに打倒(うちたふ)されし如く其所(そこ)に(だう)と倒れぬ。
愈々以て彼れの神經に魏堂より責打擲(せめちやうちやく)せらるゝ如く思へる事明(あきら)かなれば余もゾツと身震ひし、宛も生(いき)たる人に物云ふ如く、
「コレ魏堂、汝と余の仲[#「余の仲」は底本では「余の中」]を割(さ)き親友を敵同士(かたきどうし)に仕て仕舞(しまつ)た惡女那稻は、余が充分に責懲(せめこら)したから汝も安心して地下に眠れ」と言渡し、更に進み寄(より)て倒れし那稻の身を檢(あらた)むるに、アヽ彼れ死したるか氣絶したるか息も無く脈も無し、多分は氣絶なる可けれど此儘に捨置(すてお)かば何(ど)うせ死(しぬ)るに極(きま)りし者ゆゑ、氣絶も死せしも同じ事なり、最早や余は此所(このところ)に用事なし、余の復讐は那稻の縡切(ことぎれ)と共に全く終りし者なりと呟きながら立去らんとするに、余が心には一點の憐(あはれ)みも無く一點の悔(くい)も無し。曾(かつ)て決鬪にて魏堂を殺せし時は、敵(かたき)とは云へ幼き頃仲能(なかよ)く暮せし時の事などを思ひ出(い)で、幾分の憐みを催したれど今は少しも爾(さ)る事を思ひ出(いだ)さず、魏堂が余に背きたるも、畢竟(ひつきやう)余の妻那稻が魏堂を誘(いざな)ひしからの事、爾すれば那稻の罪魏堂より重しと初(はじめ)より思詰(おもひつ)め今も猶ほ爾思(しかおも)ふ事なれば、唯だ待(まち)に待たる復讐の事終(をはり)て、眞實氣味好きを覺(おぼゆ)るのみ。
余は足の先にて再び他(かれ)の身體(からだ)を動し見るに、感じ無き事本(もと)の通りなれば「汝の腐た了簡(れうけん)と共に身體も早く腐て仕舞へ、アヽ心地好し心地好し」と打呟き、イザ立去らんと石段の所に至るに、吹く風は益々荒く、鐵の戸扉(とびら)をガタ/\と動すは、天も余が爲に怒り、那稻の罪を罵るにや。
折しも風と共に物凄く聞ゆるは、余が那稻と二度まで婚禮せし茲より程遠くも有らぬ彼のサンゼナロの寺の鐘、夜の一時を報ずるなり。爾すれば余と那稻は既に婚禮の宴席を二時間も外(はづ)せし者なり、來客一同主人夫婦の居無く成(なり)しを見、定めし打驚き打怪みて尋(たづね)つゝ有るならんが、如何ほどに尋ぬるとも茲まで尋來(たづねく)る筈なければ顧(かへり)みるに足らずと余は胸に含(うなづ)きて石段に片足掛け再び那稻を見返れば、此時彼れ正氣に返り蹌踉(よろ/\)として起直(おきなほ)れり。されど彼れ余が此所(こゝ)まで去(さり)しには氣附ぬ如く、獨り口の裏にて何事をか言(いひ)ながら其顏に亂れ掛る髮の房を手に取(とつ)て燈(あかり)の傍(そば)に寄行(よりゆき)つ、自(みづか)ら我髮の美しさを喜ぶ如く倩々(つく/″\)と眺めし末、聲を放(はな)つて面白げに打笑へり。
アヽ此の恐る可き窖(あな)の中にて而(しか)も其身が逃(のが)るゝに道無しと極(きは)まりたる上に及びて打笑ふとは何の事ぞ、余は彼れが余に切(きつ)て掛りたる時よりも猶ほ一入(しほ)打驚き、猶一入氣味惡く思ひ、再び眼を張開くに益益以て怪む可し、彼れ嬉しさに堪へぬ如き笑(ゑみ)を浮め、先づ丁寧に其衣服の襟を掻合せ、靜に彼(か)の海賊の寶物箱(はうもつばこ)に立向ひ箱の中より一々に寶物(はうもつ)を取出し、(そ)を悉く己(おの)が衣服に着初(つけはじ)めぬ、アヽ彼れ孰(いづ)れよりか逃れ出づ可き工夫を案じ、己が力に逢ふ丈の寶物を持ち此穴より立去る氣にや、見る中(うち)に彼れが全身は眞珠、紅石(こうせき)、夜光珠(だいやもんど)などにて隙間無きほど輝く迄に至りしかば余は愈々其意を怪み、我知らず彼れが方(かた)に近寄らんとするに、不思議や此時、孰(いづれ)にか遠き地震の響きの如く凄(すさま)じき物音あり。風の聲か山の音か、多分は吹荒(ふきすさ)む暴風の此墓窖の孰れかを吹崩(ふきくづ)す響(ひゞき)と察せらる。アハヤと思ふ暇も無く鐵戸(かなど)の隙より洩入(もれい)る風、惡魔の怒る如き聲にて余が顏を掠めて去り忽ち蝋燭の幾本を吹消したれど、那稻は是にすら驚かず、猶嬉しげに寶物を弄び再び聲高く打笑ひたり。笑ふ聲は平生(へいぜい)の餘韵(よゐん)なくして、老猿(らうゑん)の叫ぶに似たり、アヽ余は知れり彼れの笑ひは全く狂女の笑ひなり、彼れ餘りの激動に今此際(このさい)に發狂せしなり。
一〇五
余は那稻の氣味惡き笑聲(わらひごゑ)にて彼れが全くの狂女と爲り了(をは)りしを知りたれば「那稻、那稻」と呼試(よびこゝろ)みるに、彼れ余が方(かた)に振向たれど何の返事もせず、唯だニヤ/\と笑ふのみ、今まで余に攻められし苦痛も、發狂の爲め幾分か忘れしにや、青かりし頬の色も日頃ほど赤くなり、恐れに頽(くづ)れ居たる其顏に異樣なる美しさを現し來たれり、アヽ余は彼れが發狂する迄に攻(せめ)て攻て攻盡せしか、彼れが余の爲めに其智力を失ひしは余が彼(かれ)の爲に愛情を失ひしにも匹敵す可し、余の復讐は是にて充分屆きたる者なり。
斯く思へば心地好き事限りなけれど、今余が目の前に徘徊(さまよ)へる此の狂女に對しては又一種の憐み無き能はず、彼れは今までの那稻とは全く別の女なりと云ふも可なり、今までの那稻が胸に充滿(みち/\)たる汚(けが)れし慾も此狂女の胸には無し、人を欺き世を欺かんとする今までの那稻の奸智(かんち)も此狂女の知る所に非ず、法律も道徳も狂人には罪無しと定め有る程なれば、余如何に執念深くとも最早や此狂女を恨むべからず、狂女を墓窖に閉込て立去りては餘り邪慳に過(すぐ)る故、何とか工夫無かる可からずと、余は南方暖國(だんごく)の人だけに怒(いかり)に強く又憐みに強く、今は去るにも去る能はず、若しも眠りたる人を呼起すが如く余が聲にて彼れの發狂を呼覺す事は出來ぬにやと、再び高き聲を發し「那稻/\」と叫びたるに余が聲、未だ那稻の耳に達せざる間(あひだ)に、又も孰れかの所にて地軸の碎くる如き凄じき響(ひゞき)あり、穴の中まで鳴動するばかりにて余が聲は全く其響に壓せられたり。此響是れ何の爲め何の所より來(きた)るにや、或は今宵の暴風(あらし)の爲め近傍(きんばう)の崖など崩るゝならんと思へば、余は不安心の思ひに堪(たへ)ず、戰きながら耳を澄(すま)せり。
去れど狂女は此響さへも耳に入(い)らざる如く、平然として鼻歌を謠(うた)ひ初(はじ)めたれば、余は又も聲高く他(か)れを呼べり、他れ何の感(かんじ)も無き事前の如し。謠ひながらも再び海賊の寶物箱に立寄りしが、今度は中に古き鏡の有りたるを取出(とりいだ)し、最(いと)嬉しげに之を持て余が脱出(ぬけいで)し彼(か)の破棺(やれくわん)に腰を掛け、宛も坐し慣れたる化粧室に坐す如く落着きて、或は其の亂れたる髮を掻上げ、或は其顏を撫で餘念も無く己が姿の美しさに見惚(みと)れたる者の如し。
嗚呼余は如何にせば可ならんか、最初那稻を斯(かく)せんと思ひし如く、此狂女を閉込めし儘に立去らんか、否々(いな/\)狂女の何事も知らぬに乘じ、法律も道徳も罸せざる所にまで我が罸を及ぼすは人たる者の道に非ず、左(さ)すれば此狂女を保護し連出して正氣の那稻に返らせたる上再び茲に連來(つれきた)らんか、夫も出來得る事に非ず、去ればとて此儘彼れが正氣に返り來(きた)るを待たば何時(いつ)の事なるや知る可からず、余は(はた)と當惑し、暫しが程思案に暮れしも、兔に角今一度狂女の傍(そば)に返り充分狂女の身を掻動(かきうご)かして見ん者と漸くに思ひ定め、彼れが方(かた)に一脚歩(あしp>(し)て遣るのだ、能(よ)く聞け那稻、汝は良心と云ふ者無く罪を犯して罪だとも思はぬか、世に奸淫(かんいん)ほど汚(けがら)はしい罪が又と有(あら)うか、所天の家に住み所天の名を分(わか)ち、所天の大事を悉く任されながら其の所天の心に負(そむ)き所天の妻を偸(ぬす)まうとする樣な所天の敵に内通し、一家を治むる身を以て所天の敵の玩弄(もてあそび)と爲る、是が汚はしく無いと云ふのか、昔から一城を守る者が敵軍に内通するを此上無き罪として有る、妻にして他(た)に通ずるは夫(それ)よりも猶罪が重い、城を守る者は一人で無い、千萬人の其中で獨(ひと)り自分の身を賣(う)る故、罪は罪でも城に取(とつ)ては唯だ一部、後(あと)に猶だ其城を守る者は幾等も有る、妻は一家に唯一人(たゞひとり)其一人が一家に負(そむ)いて他に通ぜば一家を誰が守るのだ人殺(ひとごろし)を大罪と云ふけれど姦通は人を殺し家を殺し所天の名譽を殺し生涯を殺すのだ、夫も唯だ己(おのれ)の腐た腸(はらわた)に充(みつ)る腐た情慾の爲にするのだ、是れでも汝自分の罪が分らぬか、殊に汝は世間の婦人が幾人も密夫を持つと云へど、一人持てば其罪、千萬人持つも同じ事、一人だから罪が輕いと云ふ筈は無い、況(まし)てや汝は一度ならず二度三度まで此罪を犯して居る、波漂の妻として魏堂に通じ、魏堂の許嫁の妻で有(あり)ながら笹田折葉と夫婦の約束を爲し、其上又笹田折葉の目を忍び魏堂に何時(いつ)までも妾(せふ)の情夫たれと細々(こま/″\)の手紙を送て有る、汝は纔(わづか)の間に三人の所天を持ち其(その)三人に悉く負(そむ)いて居る、廣い世界に此樣な婦人が何所に在る三(み)たび所天を持ち三度とも操(みさを)を破る、此上永く活(いか)して置けば未だ幾度(いくたび)操を破るも知れぬ是でも自分の罪が分らぬか。」
余は殆ど我聲の枯(かる)るまで叫び盡(つく)すにアヽ蜂は死(しぬ)るまで人を蟄(さ)す其針を收めずとの譬への如く毒婦は死るまで其毒を收め得ぬにや彼れ猶ほ口の裏にて「罪で無い罪で無い、此身は罪を犯す心は無い美しく生れた爲め夫(それ)で男が迷ふのに、迷ふ男を罪と云はず美しく生れた者を罪と云ふのか、迷ふのは男の愚か、其愚(そのおろか)さを此身が防ぐと云ふ事は出來ぬ、汝も此身に迷ひ魏堂も此身に迷ふたけれど此身から求めはせぬ、此身は魏堂を愛しもせず猶更(なほさ)ら汝を愛する者か、夫に迷ふた魏堂は愚人(ぐじん)、汝は又罪人だ罪人だ。」
アヽ何所まで毒語を放つ者か、余は只呆(たゞあき)れに呆れ果て、最早や此上言爭(いひあらそ)ふ心無し「爾だらうよ、愛と云ふ清い心は汝の樣な腐た身體へは神が授けて下さらぬのだ、愛の無(ない)のに愛の有る樣な言葉を吐き愛の有る樣な振(ふり)をするから夫を即ち罪と云ふのだ、夫が即ち人を欺き操(みさを)を破ると云ふ者だ、獸には慾が有て愛が無い、汝を人面獸心と云ふも茲の事、其樣な穢れた言葉を吐くだらうと思たから、其言葉が再び人間の耳に入(いら)ぬ樣に何時(いつ)までも汝を此穴へ閉込めて置く事に極(きめ)たのだ 那「エー罪の無い者を 余「無言(だま)れ、汝の不義の數々は悉く己の手に確(たしか)な證據を握つて居るが證據は世間へ出て爭ふ時にこそ必要なれど、汝を[#「汝を」は底本では「汝は」]此穴で終らせるには不用だからサア悉く返して遣る」と云ひつ、余は那稻より魏堂に贈りし手紙を初め幾通を纒めたる一束を彼れが膝に投げ「人間は絶食しても一月位は生(いき)て居られると云ふ事だから、サア此穴の暗やみで今から一月其證據物を弄(おもちや)にし是で此身の不義の證據は世間へ一つも殘(のこつ)て居ぬと安心して居るが好い、其のうちには世間で汝を忘れるだらう、ドレ是で生涯の分れにしやう」と云(いひ)つゝ余は立去らんとして先づ輝ける蝋燭のうち一本を吹消すに、那稻は宛も餓鬼の如く余が足に蹙(かじ)り附き哀求(あいきう)する聲を張上げ、
「ヱヽ夫は餘り邪慳です、貴方は此墓窖から拔出(ぬけだし)たと云ひましたが、其拔道だけ教へて下さい。」
「汝を閉込(とじこ)まうと思たから其拔道は塞いで仕舞た、己が出口の戸に錠を卸して立去れば決して拔出る事は出來ぬ」那稻は聲を放て泣き「許して、ヱヽ夫ばかりは許して下さい、穴の外へ連出してさへ下されば何(ど)の樣な目にでも逢(あひ)ます、私しの髮の毛を握(つか)み不義者の樣を見ろと寧府(ねいぷる)の町々を引摺て下さるとも厭ひません、其上裸體(はだか)にして叩き捨(すて)ても構ひません、何(ど)うでも貴方の氣の濟む樣に、唯だ命だけ助けて下さい、濕(しめつ)た暗い、土臭い此穴で、ヱヽ夫ばかりは、ヱヽ餘(あんま)り恐しい仕方です」と余が足に必死と取附き、蹴(けつ)ても放(はな)れず振(ふれ)ども去らず。
一〇二
余は足許に蹙(しが)み附く那稻の樣を見下(みおろ)ろすに、彼れが戴き居し帽子は落て絹糸より猶麗(うるは)しき髮の毛散亂(ちりみだ)れて肩に掛り、外套も半ば脱去(ぬげさ)りて其白き首より胸の邊(あたり)を最(い)と陽(あらは)に露出(むきいだ)したれば、彼れの頭(かしら)より下半身(しもはんしん)に輝ける夜光珠(だいやもんど)は宛(さな)がら星の光に似たり、アヽ是等の夜光珠(だいやもんど)は余が母の遺身(かたみ)なるも有り、余が家重代(いへぢうだい)に傳(つたは)れるも有り、余は斯る高貴の品物を彼れの身に着置(つけお)くは汚はしと思ひ、容赦も無く頭(あたま)より首より胸より悉く剥(むし)り取り、唯だ余が先に與へたる彼(か)の海賊の夜光珠(だいやもんど)のみを殘し、
「汝の樣な汚(けがれ)た者に羅馬内家代々の寶物(たからもの)を着(つけ)させて置く事は出來ぬ、唯だ笹田折葉の贈た分だけは丁度汝の身に相當する品物だ、輕目郎練(かるめろねり)と云ふ海賊が盜み溜た汚らはしい品だから」と云ふに那稻は余の意味を充分に曉(さと)り得ぬと見え、問返す如く顏を上げたり。
「オヽ猶だ忘れて居た約束が有る、今夜汝に笹田折葉の寶物(たからもの)を見せる積(つもり)で此墓窖へ連れて來たが、今は履行の時が來た、サア見ろ」と云ひながら余は彼(か)の海賊練(ねり)の隱せし棺の如き寶物箱(たからものばこ)を開き示すに、中は是れ余が豫(かね)て最も那稻の眼を驚かせる樣、一品/\順を正して並べ置きたる物なれば、其光(そのひかり)燦爛(きんらん)として暈(まば)ゆく、目を射る許(ばか)りに輝けるにぞ、泣悲(なきかな)しめる那稻も之には驚き、我知らず「是は先(ま)ア」と叫びつゝ立上れり。
余は嘲笑(あざわら)ひて「合點が行たか那稻、笹田折葉と云ふ老人の今まで遣(つか)ツた金錢は皆茲から出た、是は海賊輕目郎練が政府の搜索を逃れる爲め此墓窖に隱した物で、波漂が生返た時見出(みいだ)したのだ、今から思へば天より此復讐を遂(とげ)よとて其費用の爲め波漂に賜(たまは)つたも同じ事、最う復讐は終つたから悉く汝に遣る」と言聞(いひきけ)るに、貪慾(どんよく)の外(ほか)に愛も無く望みも無き那稻なれば、逃(のが)るゝ道なき此間際に至りても猶ほ心を之に奪はれ、餘りの見事さに殆ど魂(たまし)ひの消えし如く恍惚として眺め入(い)れり。
余は猶ほ破棺(やぶれくわん)に腰掛けし儘、彼れの樣子を見て有るにアヽ彼れ、余が唯(たゞ)一夜(や)にて白髮(はくはつ)の老人と爲(なり)し如く彼も亦唯一夜否唯半夜に若々しき色艶消え、全く容貌の頽(くづ)れたる老女かと見紛ふほどに衰へたり、纔(わづか)に其の眼のみ異樣なる光を放てど、其外(そのほか)に今までの那稻と思はるゝ所少しも無し、彼れが心の苦(くるし)みも、余の苦みも劣らざりしか、余は怪(あやし)みながら見るに從ひ、忽ち我が心の中(うち)に一種の憐(あわれ)みを起し來り、自(みづか)ら抑へんとすれど抑へ難し、益々見れば益々憐(あはれ)にして余と云ひ那稻と云ひ、斯も不思議なる運命を負ふ者が又と此世に有る可きかと、思ふ心は涙に濕(うる)む聲と爲り、
「コレ我妻(わがつま)那稻、余が最愛の妻那稻、汝は死際の今と爲(なつ)ても唯一點悔悟の念は浮ばぬか、其身の行ひを惡いと悟り、誠に波漂に濟(すま)なんだと一言(こと)の詫(わび)を云ふ心は出ぬか、己(おれ)は汝を二人と無い女と愛し、汝の爲には死るも厭はぬ程に思ひ、本統の貞女とは汝の外に有るまいと身も許し心も許し、自分の身よりも猶大切にして居たのに汝は何(なん)の惡魔に誘(さそは)れ己を欺く樣に成た、コレ那稻、汝若し己の爲に唯一點の涙を落し、悲いと云つたならば己は汝の罪を悉く許して遣る所で有た、假令(たとひ)墓窖から生返り汝が魏堂の膝に抱れて居るのを見た時でも、汝が唯一言波漂が可哀相だと云たなら己は汝への愛に面(めん)じ其儘姿を隱して仕まひ、魏堂と汝を末永く幸福に送らせる所で有た、夫に何ぞや悲しみもせず、邪魔者を拂つたなど心地好げに笑はれて何(ど)うして怒らずに居られやう、怒るのが無理かコレ、怒るのも愛の爲だ、是ほど愛しさへせねば決して此樣な復讐もせぬ所だ。」
宛(あたか)も獨言(ひとりごと)の如く愚痴の心を繰返すに、那稻は耳を傾けて之を聞き、恐る/\懷かしげに、余が方(かた)に少し寄り、色の褪(さ)めたる唇に微(かすか)なる笑(ゑみ)を浮め、昔し余が名を囁きし如き聲にて「オヽ波漂、波漂」と細語(さゝや)けり。
余は此柔かなる聲を聞き何故(なにゆゑ)にや涙の込上來(こみあげきた)るを覺え、自(みづか)ら哀(あはれ)さに堪(た)へざる聲にて、
「オヽ波漂とな、波漂は既に死だ人、茲に居るのは波漂の脱殼(ぬけがら)、汝は其脱殼を何うする積だ、波漂は汝の爲めに愛を費(つひや)し盡したけれど夫でも汝が一點の愛を酬(むく)はぬ爲め此通りの脱殼に成果(なりはて)たのだ」と猶ほ獨言の如くに言ながらも、三十に足り足らぬ血氣盛(けつきさかん)の一男子が早や殼脱(もぬけ)の人と成り、愛も枯れ身も枯(かれ)て無情の界(さかひ)に入(いり)しかと思へば、自(みづか)ら泣ざること能はず、泣じやくりに胸塞がり後は聲さへ續かぬに、那稻は斯くと見て其身も初(はじめ)ての哀れを催せしにぞ、且悲み且羞(はぢ)らふ顏附にて、余を慰めんとする如く余が傍(そば)に來り、余が膝に寄り余が胸に寄り、片手を余が首に捲(ま)きて(もた)れ「波漂、波漂」と云ふ中(うち)にも高く打つ彼れが胸の波聞(きこ)ゆ。
彼れ猶ほ其聲を低くし「オヽ波漂、此身が惡い、過(あやま)つた、今までの罪は赦(ゆる)して、コレ波漂、先程から云た言葉も皆此身の言過ぎ、是からは心を入替へ、御身を愛し、充分の貞女と爲り、今までの罪を償ふゆゑ、何卒(どうぞ)許して、元の通り妾(わらは)を愛して」と訴ふる如くに詫出(わびいづ)る。他(か)れが聲も余と同じく早や半ば涙に曇りぬ。
一〇三
心を入替へ貞女と爲り、今までの罪を償はんと涙ながらに打詫(うちわび)る那稻の言葉是れ眞(しん)に彼れの眞心なるや、余は殆ど測り兼て猶ほ默然と控ゆるに、彼れは後悔の念に堪(たへ)ざる如く打萎(うちしを)れながら、又愛情に堪ざる如く益々密に余に抱附き、涙湛(なみだたヽ)えたる其眼を上げて余を眺め、其の柔かなる唇をば余の接吻を迎へんとする如く動かし初めぬ。
余は猶も無言の儘なるに彼れは絶入(たえい)る如き柔かなる囁き聲にて、
「御覽なさい、私しの容貌は未だ衰へません、此美しさは是から先、唯だ貴方一人の美しさです」と云へり、アヽ其心の誠なるや僞りなるやは今更ら問ふに及ばず、又今更ら見破るに及ばず、彼れが今まで己れを愛する者に向ひ如何ほど罪深き所行をせしやを思ひ、又彼れが唇に僞りの外(ほか)云ひし事無きを思へば、余豈(あ)に是等の甘き言葉に引入(ひきい)られんや、余が艱難に艱難を重ねたる復讐は此場に及びて豈に一寸だも弛む可けんや、余が腸(はらわた)には唯(たゞ)我有爲(わがいうゐ)の一生涯を人面獸心の一婦人の爲め過(あやま)ち終りたる悔恨の念は有れど、其の人面獸心の一婦人が今に及びて猶ほ余を籠絡するかと思へば、腹立しさの又一入(ひとしほ)加はるを覺ゆるのみ、爾れば余は最悲(いとかなし)げ最(い)と腹立しげなる聲にて、
「ナニ美しさ、成(なる)ほど汝の美しさは猶だ衰へぬかも知れぬ、顏ばかり美しくとも心が醜ければ何(なん)の甲斐が有らう、アハヽヽ那稻、心を入替へ貞女になるとは、最う云ふ事が後(おく)れたよ、其言葉が汝の口から今一年イヤサ今半年早く出たなら、汝は當國第一の幸福を得て生涯を安樂に暮(くら)された、赦(ゆる)して呉(く)れと言た所で今は赦し樣の無い時だ、赦し方(かた)の有る樣な輕い罪や輕い恨(うらみ)なら其言葉に面じて、赦しても遣りたいが、汝の罪と此方(このはう)の恨は到底赦し樣が無い、赦す赦さぬと云ふ世間の罪とは罪が違ふ、赦す赦さぬにも赦し樣が無い、汝は唯だ己(おれ)の宣告した罰に服し、此暗い窖(あな)の中で獨(ひと)り苦んで死る許(ばか)りだ、是が逃(のが)れぬ運命だと斷念(あきら)めよ。」
斷乎として言切るに那稻は猶ほ余が膝より離れもせず、宛(あたか)も過去(すぎさ)りし夢の跡を尋ぬる如く茫然として空中を眺むるのみ、彼れも云はず、余も云はず、二人無言の業(わざ)を勤(つとむ)るかと怪まるゝ程なりしが、外には宵の程より吹居(ふきゐ)たる冬の風、今は暴風に爲りしと見え、鐵の戸の外に吹(ふき)しきり吹荒(ふきすさ)み、近邊の樹木を鳴(なら)し枝を折り葉を飛(とば)す聲、宛も隔世(かくせい)の物音の如く聞え凄まじき事云(ことい)はん方(かた)なし。
暫くにして茫然たりし彼れ那稻が顏に、忽ち電光の煌(きらめ)く如く一種の決心、パツト現れ出(いで)たれば、余は怪み彼れ何事を思附(おもひつ)きしやと推量する暇も無き間(ま)に、彼れ素早く余の膝より離れ、余が腰に着け居たる彼(か)のミラン製短劍を奪ひ取り其鞘を拔棄(ぬきす)て立上れり、アヽ彼れ、穴の中に朽ち行(ゆ)く其身の運命の餘りに恐しく、遂に自殺して其苦痛を切縮むるに決せしかと、余が見て取るや取らぬ間に、彼れ癲癇(てんかん)病人の發するより猶鋭き聲にて、
「何(なん)だ赦し樣の無い罪だと、汝こそ赦し樣の無い罪だ、罪人め、サア此短劍で死で仕舞へ」と叫びつゝ躍り來(きたつ)て余に斬掛(きりか)けたり。
アヽ惡女め、自殺する事かと思ひ萎らしゝと見て居たるに、自殺にあらで余を殺す積なるや、窮鼠却(きうそかへつ)て猫を食(は)む、太きも太き奴なる哉(かな)、余はハツと飛退(とびの)き樣[#「飛退(とびの)き樣」は底本では「飛退(とぎの)き樣」]、毀(こ)はれたる棺の蓋を持ち、辛(から)くも我身を防ぎたれども、若し飛退く事唯(たゞ)一瞬間(しゆんかん)遲かりせば肩先深く切附けられ彼れの邪慳なる唇にて氣味好しと嘲らるゝ所なりしならん。余は蓋を小盾(こだて)にして進み寄り、終(つひ)に短劍持てる彼れが手首を握り得たれど、彼れ日頃の弱々しきに似ず、必死と爲りて狂ふ爲めか、身を揉掻(もが)く其力(そのちから)、強き事言はん方無(かたな)く、手首を確(しか)と握られ乍(なが)らも短劍は容易に放さず、極めて纔(わづか)な間なれども殆ど人間以外の力を得て余に飛附き食附き、余が服を裂き余が肉を破り、壓潰(おしつぶ)すにも潰し難し、余に若し一寸の油斷あらば、却つて彼れに切捲(きりまく)らるゝ程の有樣なれば余も實に必死に爲り漸くにして彼れを膝の下に組敷き其の手を捻(ねぢ)りて彼(か)の短劍を取返したり。余は猶ほ其怒りに乘じ彼れを膝下(しつか)より動かしめず、唯(たゞ)一刺(さし)に其首を刺殺(さしころ)さんかと構へたれど、兇器さへ取り返せば手を汚(けが)すにも及ばぬ事、刺して一思ひに殺すより初めの通り窖(あな)の中に腐らせるが彼れに相當の罸(ばつ)なりと、忽(たち)まち思ひ返したり。
一〇四
アヽ讀者那稻の兇(きよう)、那稻の惡、茲に至りて益々驚く可きのみ、彼れは逃るゝに道無きに及び漸くに其の罪を悔い、余に打詫(うちわび)るかと思へば、悔(くい)しも僞(いつは)り、打詫るも亦僞り、隙を見て余を殺さんとす、彼れ惡婦としては惡と云ふ惡悉く備はれる惡婦なり、余は捻取(ねぢとり)し短劍を鞘に收め彼を其所(そこ)に突飛(つきとば)して、
「コレ那稻、汝が何と謝罪(あやまつ)ても赦さぬと云ふは茲の事だ、隙を見て所天を殺さうと云ふ了見が有つて何(なに)して貞女に成れるか、首尾能く己を殺したなら己の衣嚢(かくし)から此墓窖の鍵を取出し、己の死骸を茲へ殘して其儘汝は戸を開いて家(うち)に歸り、其の巧(たくみ)なる辯口(べんこう)で何(どう)とでも世人(せじん)を言(いひ)くるめて再び波漂か折葉の樣な、欺(だま)し易い所天を探す積りで有たのだらう、生憎己の力が強く汝の手に合(あは)なんだは誠に氣の毒で有たなア」と心地好く嘲りて、余は猶ほ彼を罵らんとするに此時彼れは何故(なにゆゑ)にや聲高く「アレ魏堂が來た、魏堂が來た」と打叫び、背後(うしろ)の方に逡巡(しりご)みたれば余はその仔細を悟る能はず、言葉を停(とゞ)めて訝(いぶか)り見るに、彼れ戰(をのゝ)きながら一方の薄暗き所を指(ゆびさ)し「アレ彼所(あすこ)に魏堂が居る、魏堂が居る、恨(うらめ)しげに、睨み乍(なが)ら、アレ徐(そ)ろ/\と寄て來る」と爾(さ)も恐しげに呟けり。
扨は彼れ散々余に責(せめ)られし餘り、神經の仕業にて魏堂の姿まで其目先(そのめさき)に浮びし者か、余とても今は心の掻亂(かきみだ)れたる半(なかば)なれば余の神經にも其姿の見ゆるも知れずと、余も同じく其方(そのかた)を見詰(みつむ)れど余が目には何も見えず、其中(そのうち)に那稻は宛も魏堂の姿より避けんとする如く兩の手を擧(あ)げて自(みづか)ら其身を遮り「アレ、許してお呉(く)れ魏堂よ、爾う妾(わたし)を打擲(ちやうちやく)しては、コレサ堪忍して堪忍して」と叫ぶと共に、眞實誰かに打倒(うちたふ)されし如く其所(そこ)に(だう)と倒れぬ。
愈々以て彼れの神經に魏堂より責打擲(せめちやうちやく)せらるゝ如く思へる事明(あきら)かなれば余もゾツと身震ひし、宛も生(いき)たる人に物云ふ如く、
「コレ魏堂、汝と余の仲[#「余の仲」は底本では「余の中」]を割(さ)き親友を敵同士(かたきどうし)に仕て仕舞(しまつ)た惡女那稻は、余が充分に責懲(せめこら)したから汝も安心して地下に眠れ」と言渡し、更に進み寄(より)て倒れし那稻の身を檢(あらた)むるに、アヽ彼れ死したるか氣絶したるか息も無く脈も無し、多分は氣絶なる可けれど此儘に捨置(すてお)かば何(ど)うせ死(しぬ)るに極(きま)りし者ゆゑ、氣絶も死せしも同じ事なり、最早や余は此所(このところ)に用事なし、余の復讐は那稻の縡切(ことぎれ)と共に全く終りし者なりと呟きながら立去らんとするに、余が心には一點の憐(あはれ)みも無く一點の悔(くい)も無し。曾(かつ)て決鬪にて魏堂を殺せし時は、敵(かたき)とは云へ幼き頃仲能(なかよ)く暮せし時の事などを思ひ出(い)で、幾分の憐みを催したれど今は少しも爾(さ)る事を思ひ出(いだ)さず、魏堂が余に背きたるも、畢竟(ひつきやう)余の妻那稻が魏堂を誘(いざな)ひしからの事、爾すれば那稻の罪魏堂より重しと初(はじめ)より思詰(おもひつ)め今も猶ほ爾思(しかおも)ふ事なれば、唯だ待(まち)に待たる復讐の事終(をはり)て、眞實氣味好きを覺(おぼゆ)るのみ。
余は足の先にて再び他(かれ)の身體(からだ)を動し見るに、感じ無き事本(もと)の通りなれば「汝の腐た了簡(れうけん)と共に身體も早く腐て仕舞へ、アヽ心地好し心地好し」と打呟き、イザ立去らんと石段の所に至るに、吹く風は益々荒く、鐵の戸扉(とびら)をガタ/\と動すは、天も余が爲に怒り、那稻の罪を罵るにや。
折しも風と共に物凄く聞ゆるは、余が那稻と二度まで婚禮せし茲より程遠くも有らぬ彼のサンゼナロの寺の鐘、夜の一時を報ずるなり。爾すれば余と那稻は既に婚禮の宴席を二時間も外(はづ)せし者なり、來客一同主人夫婦の居無く成(なり)しを見、定めし打驚き打怪みて尋(たづね)つゝ有るならんが、如何ほどに尋ぬるとも茲まで尋來(たづねく)る筈なければ顧(かへり)みるに足らずと余は胸に含(うなづ)きて石段に片足掛け再び那稻を見返れば、此時彼れ正氣に返り蹌踉(よろ/\)として起直(おきなほ)れり。されど彼れ余が此所(こゝ)まで去(さり)しには氣附ぬ如く、獨り口の裏にて何事をか言(いひ)ながら其顏に亂れ掛る髮の房を手に取(とつ)て燈(あかり)の傍(そば)に寄行(よりゆき)つ、自(みづか)ら我髮の美しさを喜ぶ如く倩々(つく/″\)と眺めし末、聲を放(はな)つて面白げに打笑へり。
アヽ此の恐る可き窖(あな)の中にて而(しか)も其身が逃(のが)るゝに道無しと極(きは)まりたる上に及びて打笑ふとは何の事ぞ、余は彼れが余に切(きつ)て掛りたる時よりも猶ほ一入(しほ)打驚き、猶一入氣味惡く思ひ、再び眼を張開くに益益以て怪む可し、彼れ嬉しさに堪へぬ如き笑(ゑみ)を浮め、先づ丁寧に其衣服の襟を掻合せ、靜に彼(か)の海賊の寶物箱(はうもつばこ)に立向ひ箱の中より一々に寶物(はうもつ)を取出し、(そ)を悉く己(おの)が衣服に着初(つけはじ)めぬ、アヽ彼れ孰(いづ)れよりか逃れ出づ可き工夫を案じ、己が力に逢ふ丈の寶物を持ち此穴より立去る氣にや、見る中(うち)に彼れが全身は眞珠、紅石(こうせき)、夜光珠(だいやもんど)などにて隙間無きほど輝く迄に至りしかば余は愈々其意を怪み、我知らず彼れが方(かた)に近寄らんとするに、不思議や此時、孰(いづれ)にか遠き地震の響きの如く凄(すさま)じき物音あり。風の聲か山の音か、多分は吹荒(ふきすさ)む暴風の此墓窖の孰れかを吹崩(ふきくづ)す響(ひゞき)と察せらる。アハヤと思ふ暇も無く鐵戸(かなど)の隙より洩入(もれい)る風、惡魔の怒る如き聲にて余が顏を掠めて去り忽ち蝋燭の幾本を吹消したれど、那稻は是にすら驚かず、猶嬉しげに寶物を弄び再び聲高く打笑ひたり。笑ふ聲は平生(へいぜい)の餘韵(よゐん)なくして、老猿(らうゑん)の叫ぶに似たり、アヽ余は知れり彼れの笑ひは全く狂女の笑ひなり、彼れ餘りの激動に今此際(このさい)に發狂せしなり。
一〇五
余は那稻の氣味惡き笑聲(わらひごゑ)にて彼れが全くの狂女と爲り了(をは)りしを知りたれば「那稻、那稻」と呼試(よびこゝろ)みるに、彼れ余が方(かた)に振向たれど何の返事もせず、唯だニヤ/\と笑ふのみ、今まで余に攻められし苦痛も、發狂の爲め幾分か忘れしにや、青かりし頬の色も日頃ほど赤くなり、恐れに頽(くづ)れ居たる其顏に異樣なる美しさを現し來たれり、アヽ余は彼れが發狂する迄に攻(せめ)て攻て攻盡せしか、彼れが余の爲めに其智力を失ひしは余が彼(かれ)の爲に愛情を失ひしにも匹敵す可し、余の復讐は是にて充分屆きたる者なり。
斯く思へば心地好き事限りなけれど、今余が目の前に徘徊(さまよ)へる此の狂女に對しては又一種の憐み無き能はず、彼れは今までの那稻とは全く別の女なりと云ふも可なり、今までの那稻が胸に充滿(みち/\)たる汚(けが)れし慾も此狂女の胸には無し、人を欺き世を欺かんとする今までの那稻の奸智(かんち)も此狂女の知る所に非ず、法律も道徳も狂人には罪無しと定め有る程なれば、余如何に執念深くとも最早や此狂女を恨むべからず、狂女を墓窖に閉込て立去りては餘り邪慳に過(すぐ)る故、何とか工夫無かる可からずと、余は南方暖國(だんごく)の人だけに怒(いかり)に強く又憐みに強く、今は去るにも去る能はず、若しも眠りたる人を呼起すが如く余が聲にて彼れの發狂を呼覺す事は出來ぬにやと、再び高き聲を發し「那稻/\」と叫びたるに余が聲、未だ那稻の耳に達せざる間(あひだ)に、又も孰れかの所にて地軸の碎くる如き凄じき響(ひゞき)あり、穴の中まで鳴動するばかりにて余が聲は全く其響に壓せられたり。此響是れ何の爲め何の所より來(きた)るにや、或は今宵の暴風(あらし)の爲め近傍(きんばう)の崖など崩るゝならんと思へば、余は不安心の思ひに堪(たへ)ず、戰きながら耳を澄(すま)せり。
去れど狂女は此響さへも耳に入(い)らざる如く、平然として鼻歌を謠(うた)ひ初(はじ)めたれば、余は又も聲高く他(か)れを呼べり、他れ何の感(かんじ)も無き事前の如し。謠ひながらも再び海賊の寶物箱に立寄りしが、今度は中に古き鏡の有りたるを取出(とりいだ)し、最(いと)嬉しげに之を持て余が脱出(ぬけいで)し彼(か)の破棺(やれくわん)に腰を掛け、宛も坐し慣れたる化粧室に坐す如く落着きて、或は其の亂れたる髮を掻上げ、或は其顏を撫で餘念も無く己が姿の美しさに見惚(みと)れたる者の如し。
嗚呼余は如何にせば可ならんか、最初那稻を斯(かく)せんと思ひし如く、此狂女を閉込めし儘に立去らんか、否々(いな/\)狂女の何事も知らぬに乘じ、法律も道徳も罸せざる所にまで我が罸を及ぼすは人たる者の道に非ず、左(さ)すれば此狂女を保護し連出して正氣の那稻に返らせたる上再び茲に連來(つれきた)らんか、夫も出來得る事に非ず、去ればとて此儘彼れが正氣に返り來(きた)るを待たば何時(いつ)の事なるや知る可からず、余は(はた)と當惑し、暫しが程思案に暮れしも、兔に角今一度狂女の傍(そば)に返り充分狂女の身を掻動(かきうご)かして見ん者と漸くに思ひ定め、彼れが方(かた)に一脚歩(あしあゆ)み出(いで)んとするに此時又も彼の凄じき物音聞えしが、今度は前(ぜん)二回より猶ほ強く、猶近く、殆ど余の立てる足許まで地響きして聞ゆると共に、今まで燃殘りし幾本の蝋燭も一時(じ)に消え、墓窖の中、全くの闇と爲れり。
實に是れ何の爲にや、殊には孰(いづれ)よりか土砂(つちすな)の如き物バラ/\と落來(おちきた)り、四方一面に塵立(ちりた)ちて目にも口にも入(い)らんとする如く思はれたれば、余は暫しがほど闇の中に目を塞ぎ、四邊(あたり)の少し靜(しずま)るを待つに窖倉(あなぐら)の外に吹狂ふ風の聲益々荒く聞ゆれど、彼の狂女は如何にせしか、鼻歌の聲も止みて、寂然(ひつそり)と靜なり。彼れ猶ほ闇の中に鏡を弄び、破棺に腰掛けし儘ニヤ/\と笑居(ゑみを)るにや、夫とも今の物音に驚き壁の邊(ほとり)にでも立行(たちゆ)きしにや、余は氣味惡さに堪へず再び衣嚢(かくし)より燐寸(まつち)を取出(とりいだ)し、摺照(すりてら)して見廻すに、朦々(もう/\)たる廣き闇を一本の燐寸にて照し盡す可くも非ず、唯(ただ)此の光にて今消(いまきえ)し蝋燭の一本を探出(さぐりだ)し得たれば、之れに火を點(とも)して高く我首(わがかうべ)の上に差上げ、眸(ひとみ)を凝(こら)して今まで狂女の居し所を見るに、個(こ)は抑(そ)も如何に、個は如何に、余は唯だ餘(あまり)の恐ろしき有樣に我知らず一聲(せい)高く「キヤツ」と叫びぬ。
一〇六
余は何が爲め叫びしか、唯見る一個の大石(たいせき)、墓窖の天井より落來りて彼の破棺(やれくわん)を壓潰(おしつぶ)したる有樣を!
墓窖は是れ幾千百年前(ぜん)の築造、石を以て疊(たゝ)み上げたる堅固(けんご)なる天井なるも孰れかに弛(ゆるみ)を生じ居たるならん、殊に樹折(きを)れ崖崩(がけくづ)るゝ程の宵よりの暴風に、其弛(そのゆるみ)たる石、天然の重さにて拔落(ぬけおち)し物なる可し、先程より幾度も凄じき音のせしは是等の爲なりしならんと察せらる。
去るにても壓潰されし破棺の上には唯だ今まで彼れ那稻が腰掛け居たり、他(か)れ孰れに逃れたるや、夫とも逃れ得ずして其れと共に壓潰されしか、然り他れ全く壓潰されしなり、嗚呼誰れか人生に天罸無しと云ふか、天よ、天よ、貴方の降(くだ)す罸は、人の罸より重き事幾倍なり、強き事幾倍なり、余が日を重ね、月を重ねて經營慘憺の末に行ひたる復讐も、汝の罸に比べては物の數にも足らず、汝が無言の間に、何の用意も無く忽然と下したる責罸(せきばつ)は、唯(たゞ)一轉瞬(てんしゆん)にして余の復讐に一刀兩斷の決局(けつきよく)を附けしめたり。
石は五尺立方も有(あら)んかと思はるゝ程の大(おほき)さにて而も那稻が腰掛け居し其の頂邊(ちやうへん)に落來りし物なれば那稻の身體(したい)は隱れて見えず、見えざるは他(かれ)の無慘なる死樣を蔽(おほ)ひたる者なれど、唯だ一つ余が目に留(とま)るは石の下より洩出(もれいで)たる細き白き彼れの手首なり、一押(おし)に押殺されし身體(からだ)の痛みは洩出(もれいで)し其手首に集りし者か、手首だけ猶ほ戰き、五本の指に、引攣(ひきつ)る筋の波打つを見る、嗚呼世に又と是ほどの無慘が有る可きか、是れほどの天罰が有る可きか、波打つ指は見る中(うち)に靜(しづま)りたれど、指に猶ほ婚禮の指環、冷(ひやゝ)かに輝けるは、氣味良しと笑ふ天の笑顏を冩せる者か。余は恐しさに堪兼(たへかね)て見ざらんとするも、余の眼自(おのづ)から其の所に引附られて見ぬこと能はず、見まじと思(おもひ)ながら見、行(ゆ)くまじと思ながら其近くに寄行(よりゆ)き、余は蝋燭を持ちしまゝ其石の周邊(あたり)を一廻りして檢(あらた)むるに、一方には白き禮服の喰出(はみだ)したるあり。生々しき血の浸出(にじみいで)て、少しづゝ染行(そめゆ)くは、彼れの罪を記し附(つく)る者とも見る可し。余は筆持てる今に至る迄も此の氣味惡き有樣を忘るゝ能はず、殊に婚禮の指環の光れる白き手首は、爾來(じらい)余の眼を離れず寢るも起(おき)るも行(ゆ)く所に余が目に散(ちら)つき、或時は握固(にぎりかた)めし拳(こぶし)と爲りて余を恨(うらめ)しく打(うた)んとする如くに見え、或時は余を冥途の底へ招く如くに思はれ、又或時は合せて拜む片手と爲り、其罸を謝(しや)するに似たり。總て余が心の迷ひとは知れど、余は生涯此片手に劫(おびや)かさるゝならん。
茲に至りて余も半ば狂人と爲(なり)しにや、其手の所に跪(ひざま)づき、余が首(かうべ)を垂れ行(ゆ)きて殆ど其手を接吻せんとしたり、手と唇と離(はな)る事唯だ一寸ばかりなるに至りて初(はじめ)て我が迷(まよひ)に氣附き、眉を顰(ひそ)めて飛退(とびの)きたり。飛退たれど猶ほ其所(そこ)を去る能はず、魘(おそ)はれし眼にて近邊を見廻すに、先程余が生返りし證據の一として那稻の膝に投打ちたる銀製の十字架、余が足許に輝くを見る、此十字架は曾て余を葬りたる其僧侶が余の死骸の胸に載せ置きたる者なり、余は切(せめ)てもと思ひ其十字架を拾ひ上げ、恐しき片手の指を一々に開かせて之を握らせ又一々に閉(とぢ)させて「サア己(おれ)が汝に盡すのは是だけが力限りだ、此上の事は出來ぬ、汝那稻、之を以て神に祈らば、己は汝の罪を赦す事は出來ぬけれど神は赦して呉れるかも知れぬ、有難いと思ふが好い」ト呟きて立上れり。
立上ると共に、余は腦天より冷水(ひやみづ)を浴(あび)せられし如く自(おのづ)から我身の震ふを覺え、唯だ譯も無く恐しさに堪(たへ)ざれば、宛も物に魘(おそは)れし小兒(せうに)の如く聲を限(かぎり)に叫びながら、目を閉ぢて出口の方に走り行けり。行きて最下の石段に躓(つまづ)き、初て我に返りたる心地したれば目を開きて背後(うしろ)を見るに、手に持つ蝋燭は既に消え、彼の大石の拔落(ぬけおち)し天井の窖(あな)よりして、暴風と共に洩來(もれきた)る冬の月影、銀の十字架を握りたる彼れの手首を照(てら)して青し。
嗚呼何等の無情なる光景ぞ、余は復讐の終りたる我身の嬉(うれし)さも知る能はず、狂氣の如く石段を馳上(はせあが)り、戸を開きて外に出(いで)しも、何と無く穴の中より恐しき記憶の余を追駈來(おひかけきた)る如く思はれ、外より再び錠を卸し「斯(かう)すれば復讐も那稻も、天罸も、手首も余の恨(うらみ)と共に此中に埋(うづま)つて仕舞ふ、アヽ有難い」と云ひ胸を撫(なで)つゝ出來(いできた)れば、氷の如き夜嵐(よあらし)は、熱に浮されし如き余の首(くび)を吹き、眞(しん)に此世に生れ返りたる心地して余は唯だ「愉快/\」と叫びつゝ立去りたり、知らず余が行く先は何所(いづれ)ぞ。
一〇七
讀者、余は何人(なんびと)にも見られず、咎められずして安全に寧府(ねいぷる)を立去りたり。豫(かね)て余が彼(か)の船長羅浦(らうら)に頼み、シビタ行(ゆき)の船に乘込む可き手續きを定め置きし事は讀者の記憶する所ならん、余は夜の明けぬうちに其船に乘込みたり。去れど其船の船長は勿論余を笹田折葉とは知らず、又余が充分に口留錢(くちどめせん)を與(あた)へ置きし事なれば余の何者なるやを問はんともせず、無言に余の荷物を余に渡し、海路靜かに余をシビタまで送屆(おくりとゞ)けたり。
シビタより獨行(どくかう)して余はレダホルンに到り、レダホルンより商船に乘込みて南亞米利加(みなみあめりか)に至り更に又墨西哥(めきしこ)を横切りて北米國(きたべいこく)に移り、初めて我が身を落着(おちつけ)たるは余が復讐を果してより八ヶ月の後(のち)なりき。
北米國(きたあめりか)の樹木最も深き處、地味最も豐(ゆたか)なる處、景色(けいしよく)最も佳(か)なる處に余は幾町の土地を買ひ、閑雅(かんが)なる家を建て、一僕を雇ひ一馬を買ひ、自(みづか)ら耕して自ら食ひ、義理を知らず浮世を知らず、心に又と愛情と云ふ者の入來(いりきた)らぬ備へをなし、女も見ず小兒(こども)も見ぬ樣に世を送れり。余が庭には高く低く唯だ松柏(しようはく)の茂る有るのみ、花と名の附く物は草花さへも植(うゑ)しめず、況(ま)して薔薇の類(るゐ)などは余が家より幾町四方、目の屆く限りに無し、偶々(たま/\)余が田の畔(あぜ)などに豆粒ほどの蕾持つ草の有る時は、余は其の開かぬうち、花と爲らぬうち、無慈悲に摘捨(つみす)て揉摧(もみくだ)き、其の根を斷ち其莖(くき)を折り、余が足に蹂躙(ふみにじ)りて安心するのみ。讀者、余を執念深しと云はゞ云へ、余は愛と云ひ慈悲と云ふ分子(ぶんし)悉く那稻の爲に摘捨られ揉摧かれ、此上幾年を經て再び余の心に優(やさ)し可愛(かあゆ)き愛情の波打つまでは、余が那稻より蒙(かうむ)りたる損害は消(きえ)ざればなり。
浮世を全く忘れしとは云へ、猶卅歳の血氣壯(けつきさか)り、仙人とは成果(なりはつ)る能はず、智慧も有り身體(しんたい)の筋力も有り、資本も有り、再び世に出(いで)られる時あらば、奮然として人生の戰場に打て出(いで)んとは余が心の奧底に横たはり、猶ほ何人(なんびと)にも洩さゞる秘密なり、政治家として打て出(いで)るか實業家としてか、宗教家としてか將(は)た旅行家、文學家としてか、(そ)は總て未定なれども兔に角、戀人としてに非ざる丈は確(たしか)なり。
世に出(いづ)る心あり未だ全く余と離る可からず、去れば余は其好機會を見逃さじとの了見にして新聞紙だけは取集めて讀通すに曾て「伊太利(いたり)に於(おけ)る大不思議」[#「大不思議」」は底本では「大不思議」]と題し貴族笹田折葉と云ふ者が婚禮の夜(よ)に花嫁と共に消失(きえう)せ寧府(ねいぷる)全市否伊太利(いたり)全國の人の噂と爲れる旨記(しる)せるを見たり、余は宛も他人の事の如く顏色も變ずして讀終りしが、其一節には宿屋の主人の費用を惜まず余の行衞(ゆくゑ)を探(さぐ)れりとの事も有り、又警察にて莫大の懸賞にて余に關はる一切の報知(はうち)を募れりとの事も有り、余の從者たりし瓶藏も一方(ひとかた)ならず心配して奔走せりなどの事も見えたり、是等は余が豫て斯(かく)あらんと推量せし所なれば余は殆ど何とも思はず、夫より又幾月を經たる紙上に左(さ)の一節あり。
近來の大不思議と噂高かりし伊國(いこく)の貴族笹田折葉伯夫妻の行衞若し今後一ヶ年にて分らぬ時は全く死亡の人と見做(みな)し其夫人に屬する羅馬内家の家屋財寶其他一切の者は總て伊國政府(いこくせいふ)に沒收され、皇室の物と爲る可し云々。
余は之を讀み初めてホツと安心したり、今まで唯(たゞ)一つ余の心に掛りしは、先祖代々余にまで傳(つたは)りし羅馬内家が、余波漂に至りて絶亡(たえほろ)び又相續者無きに至るの一事なりしが、余の相續者は實に伊國(いたりや)の皇室なり、伊太利(いたりや)帝國を以て余が家の後嗣(あとつぎ)と爲す、余に取りて此上の名譽此上の滿足あらんや、余が先祖累代の靈も必ず地下にて喜ぶならん。
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記し終りて思ひ見れば人生の大事(だいじ)婚姻より大事なるは無く、婚姻の大事、心より大事なるは莫(な)し、余が如きは實に女の心に僞りの有るを知らず、美に迷ひ情に迷ひたるが爲め、可惜(あた)ら生涯を誤(あやま)りたる者なり、外面如菩薩(げめんによぼさつ)、内心如夜叉(ないしんによやしや)の語は佛教者の口に聞けども、那稻の如く外面の美くしく、那稻の如く内心の恐しき者三千世界に又とあらんとは實に思ひも寄(よら)ず、彼れが此世を去る際(さい)までも口に僞りの語を絶たず、余と爭ひ余を欺(あざむ)き、剰(あまつさ)へ余を殺しても逃れんとせし樣を思ひ出(いだ)せば、余は死して冥途に至るとも猶ほ彼(かれ)の罪を赦す能はず、地獄の底までも彼(かれ)を追詰め、僞り深き彼(かれ)の亡魂を攻盡(せめつく)さんと思ふのみ、讀者よ、若し婚姻す可き美人に逢ふ時は、之を愛するの前、之に迷ふの前、之に溺るゝの前、之に一生を托(たく)するの前、先(ま)づ此白髮鬼傳(はくはつきでん)を一讀せよ。