めまぐるしく明滅するランプの灯が、まるで万華鏡のように鮮やかだった。
せわしないその反応も無理はない。なにしろ今まさにコントロールパネルを引き剥がし、ひっぱり出したケーブルを首筋のコネクタへ直結するという、強引な手段でネットワークに割り込んでいるのだから。
流れ込んでくる膨大な量の電子情報を取捨選択し、得られたものを基にしてその場でプログラムを組み上げてゆく。
「ジーン!」
呼びかけてくる声は、遠い。
バリケードの向こうでは、相棒がガードロボットを相手に、派手な戦闘を繰り広げているはずだった。が、その喧噪さえもほとんど認識することはできない。
「もう少し、だ」
呟くように、かろうじてそれだけを返す。その声がむこうまで届いたかどうかは判らなかった。
完成したウイルスを素早く送り込む。そして一度突破したプロテクトを再構築した。
侵入の痕跡を慎重に拭い去る。アクセスログを確認すると、使用端末の記録が残されていた。どうせ端末自体も不法に拝借しているのだから、割り出されたところで特に困りもしないが、それでも念のために書き替えておく。
システムよりログアウト。接続を切断し、ケーブルを取り外した。乱暴に中へと放り込んでパネルを戻す。元通りネジを止めようとするが、指が震えてうまくいかなかった。思わず舌打ちが漏れる。
いきなり傍らから腕が伸びてきた。ぎょっと顔を上げれば、いつの間にかカインが工具を手にかがみ込んでいる。
「行こう」
手早く仕事を終えたカインは、短く促した。身体を起こすその後に続くべく、ジーンも膝を上げて立ち上がる。
くらりと、視界が回った。
軽い浮遊感。そして身体を支える力強い腕を感じる。
「ジーン!」
耳元で叫ばれた名は、やはりはるかに遠く、聞き取りにくいそれで ――
* * *
「あまり無茶をするんじゃない」
頭上から降ってきた声に、ジーンは深々とため息をついた。
「いくら適合がうまくいっているとはいえ、しょせんは他人の肉体なんじゃ。いつ何どき、どんな不具合が起きるかは、さしもの儂でも予測がつかんのだぞ」
既に慣れた、そんな言葉を聞き流し、片手を挙げて目の前にかざす。目映い手術灯の光を遮って、手のひらが落とすその影は切ないほどに小さくて。
思わず指を握り、もっと小さくしてしまう。
できたこぶしを目蓋にあて、もういちど息を吐いた。
「……したくてやった無茶じゃねえさ。だいたいあんな真似ができるようになったのは、こんな身体になったからだぜ? ならせいぜい有効に使わなきゃ損ってもんだろうが」
呟くように言う。そして手術台に肘をつき、ようやく彼女は上体を起こした。
解かれた長い髪をだるそうにかき分けて、首筋のコネクタから医療機械に繋がるジャックをとり外す。そら、とさしだされたそれを、ドクターは渋い顔で受け取った。くるくるとケーブルを巻きながらかぶりを振る。
「確かにお前さんの情報処理能力は、その肉体の影響で格段に跳ね上がっておる。本来の
標準系人種ではとうてい不可能な域までにな。だが、それでもお前さんの脳味噌は
地球人のそれなんじゃ。純粋なミレーナとは訳が違う」
髪に白いものの混じる小柄な医者は、そう言ってジーンの身体を眺めた。
幼い、少女と呼ぶよりもまだ子供と表現した方がふさわしい、未発達な肉体。銀河連邦に加盟する数多くの太陽系から発生した知的生命体達は、見た目も寿命も様々な種族が存在していたが、それでも彼女の外見は、見る者の多くに庇護を必要とする未成熟な生き物だと認識された。
だが、実際のところ、彼女の精神は種族的な成人をとうに迎えていた。
精神と肉体の、アンバランスな均衡。
それは時として容易に安定を崩す、ひどく危ういものだった。
少女の肉体に移植された、別人種の
脳髄。
全く異なる神経系を持つ肉体に、いったいどんな処置を施せばそんな真似が可能なのか。もぐりとはいえ
―― いやだからこその ――
優れた腕前を誇るドクターにも、その正確な技術を分析することはできなかった。単なる免疫の問題だけではすまない、もろもろの相違点を、いったいどのように解決したのか。そして被術者の精神的な障害は。
いまだ肉体の
機械化すら、一定以上の割合を超えることは、確たる技術として成立せぬ現代医学。その理由の多くは、処置を受ける人間側の精神にあった。己の肉体が、別のそれと置き換わる。その
割合が上がれば上がるほどに、人は不安を覚えるのだ。たとえそれがどれだけ優れた、自らのものとまるで変わらぬ精巧な作りの義肢であったとしても。
自分が自分でなくなるという、漠然とした、それだけに拭いえない恐怖を感じて。
まして、本来の自分とはまるで似ても似つかぬ肉体に押し込められた彼女が抱いた感情は、どれほど激しく、強く、忌まわしいそれだったことだろう。
見た目も、種族も、そして……
「お前さんも判っているのだろう?」
少女を見るドクターの目は、常の彼を知る者には想像もつかない色をたたえていた。
「ジェフ=
A=ジンノウチ」
穏やかに紡がれる言葉。そこに宿る響きに、ジーンはきっと彼をにらみつけた。
「誰のことだ」
絞り出すような低い声。
「そんな男は、もうどこにもいやしねえ」
強い光を放つ瞳。まっすぐに向けられるそれは、まるで斬りつけるかのように激しく輝く。
あわれみを、受けることなど
矜持が許さない。たとえすべてを知り、幾度となくその世話になった相手であろうともだ。
しばし交わる二対の視線。
やがて、先に目をそらしたのはドクターの方だった。少女の視線から逃れるように、止めていた片付けの手を再び動かす。
「……すまん」
小さく呟く。
「だがな、ジーン。これだけは言っておく。お前さんの身心がこの先どうなってゆくのかは、本当に見当がつかんのだ。まして、この儂とてあと何年お前を診続けられるか判ったもんじゃない。だから、無茶はするな」
「……あんたなら、まだ十年は現役さ。それだけ生きられれば俺も充分だろうよ」
「ジーン!」
声を高くするドクターに、暗い笑いを向ける。
「最初にあんたに診てもらって、何年がたった。五年か? 十年か? それでも俺は変わらず小娘のままだ。この身体の持ち主の寿命があとどれだけ残ってたか知らないが、それでも本来俺が生きるはずだった時間よりはるかに多いだろうよ」
くっと喉が鳴った。
笑いというにはいささかいびつな表情。胸に当てた手の下で、掴まれた服に醜い皺が寄る。
「それだけの命を、ずっとこの姿で過ごせって?」
一般に
有翅人種と総称される、翅脈を持ったフィルム状の羽根を有する
人間型生命体の中でも、ミレーナ人は特に妖精と呼ばれることもあるほどの、華奢な肉体と繊細な美貌を特徴とする、長命な種族だった。
それ故に捕らえられ、脳移植の実験台として使われた
少女。
そして違法行為を行う組織を探るため、潜入捜査を行っていた
星間警察の
刑事。
不老長寿を目的とした脳移植技術はまだ実用化には遠い実験段階で。そのうえ用意された肉体はいまだ未発達すぎる少女だったし、捕らえられた刑事には効果的な拷問と見せしめが必要だった。
いっそ手術が失敗して死んでいれば、と何度思ったことか。
生き恥という言葉がこれほど似合う境遇も滅多にないだろう。
「 ―― お前は、昔のカインを知らぬからな」
ジーンの肩が揺れた。
話の繋がらない唐突な物言いだ。言葉だけを聞いていれば。だが、ジーンにはドクターの言わんとすることが想像できた。
「ああ、知らないさ」
吐き捨てる。
彼がどれほどまでに少女を……この肉体の本来の持ち主だったローズを愛していたかなど。
組織に捕らえられた少女を、たったひとりで救いに来た青年。だが時は既に遅く、ローズはこの世を去っていた。後に残されていたのは、その器を奪って生きる見知らぬ他人でしかなく
――
少女が
少女ではないと知った時のカインを、ジーンはいまでもはっきりと覚えていた。
殺されると、思った。
最愛の ――
恋とか、愛とかそんなものではなく。ただ純粋に幸せであることを祈っていたその命を、奪った存在として。
だが、
それでもこの肉体はローズのそれだった。たとえ頭の中身が違ったとしても。身体だけは紛れもなく。
だから……
「感謝してるよ。カインには」
他人であるジェフ=Aをそれでも組織から救い出し、そして発作的に自失と錯乱を繰り返す彼女を、根気よく面倒みてくれた。どうにか己を取り戻し、しかし今さら星間警察に戻ることもできず、さりとて子供の姿では行くあてもなく途方に暮れた彼女に、ただ無言で居てもいい場所と使っていい名前を用意してくれた。
ジーンがいま、ここでこうしていられるのは、みなカインのおかげだった。
感謝している。誰よりも。
たとえそのすべてが、この肉体に向けられたものでしかなかったとしても。
「なら、恩には報いることじゃ」
「……生きて、か?」
「そうだ」
重々しくうなずく。
「お前だって、死ぬのは怖かろう?」
たとえどれだけ生きるのが辛くとも、それでも死ぬのは恐ろしい。生きとし生けるもののとして当たり前の本能だ。
「それに、今の暮らしはそんなに悪いものか?」
沈黙ののち、ジーンは首を振った。
「 ―― いいや」
そして、笑う。
その笑みは、先刻の暗く重いそれとは異なって。苦くはあるけれど、どこか開き直った明るさがあった。
「いいや。困ったことにな」
もういちど繰り返す。
「困らんでもよかろうに」
その答えにドクターも苦笑いした。こちらには、どこか安堵の色が混じっている。
空気の抜ける音がして、手術室の扉が開いた。
別に作動音が出るような旧式のシステムを使っている訳ではないのだが、この医者はそういったものに凝る妙にマニアックなところがあった。最新鋭よりはわずかに劣る設備と最高の腕前、そして見た目のレトロさ。それこそが職人と呼ばれる人間にふさわしいと信じているらしい。
ワゴンを押しながらカインが入ってくる。無骨な鉄パイプで出来た上に載っているのは、妙に可愛らしい茶器一式だ。
無言で手術台の横までやってきて、起きあがっているジーンをまじまじと眺める。
まったく遠慮のないその視線に、ジーンは居心地悪げに身じろぎした。
「そんなに見るなよ。もう大丈夫だって」
その言葉に、カインはちらりとドクターへ視線を投げた。老人がうなずくと、ようやく納得したらしい。目を伏せて、ワゴンの茶器に手を伸ばす。
薄紫の茶は、どこか胸のすくすがすがしい香りがした。ジーンのそれにはたっぷりの砂糖が入り、ドクターのものにはわずかに酒が垂らされる。
「……わざわざ船から持ってきたのか?」
薄い陶器製のカップを目の高さに持ち上げたドクターは、呆れたように言った。もちろん茶葉自体も、揃えた覚えなどまったくない。
カインは小さく顎を引いただけで返答に代えた。自らもカップを持ち、味を確かめるようにゆっくり傾けている。
「ちょっと着替えてくるわ」
いささか熱かったそれを冷ますつもりで受け皿へと戻し、ジーンはそう断った。
ついてこようとするカインを手を挙げて制する。
「ひとりでいい」
「…………」
「だから大丈夫だって。無理はしてない。ほんとだ」
「…………」
「髪なら後でいい。下手に結んでると着替えん時は邪魔だから」
そこまで言って、ようやくカインは再び茶器へと向き直った。ジーンは疲れたように肩を落とし、手術室から出てゆく。
二人のやりとりを見ていたドクターは、胸の内でしみじみと歎息していた。
……今の光景を、かつてのカインしか知らない奴らに見せてやりたいものである。
おそらく誰もが目を、そして次に己の正気を疑うことだろう。
ジーンは以前を知らないから、さほど不思議にも思わないでいるようだったが。
ドクターは手にした茶に視線を落とす。
少なくとも以前の ――
ローズが存命していた頃の ――
カインは、わざわざ人の台所を借りてまで茶を用意などしなかったし、まして他人の好みなどまったく意識の外であった。ジーンにだけならばともかく、こうして自分のものまで用意してくれるなど
――
思わず口元に笑みが浮かぶ。
ジーンはジェフ=Aではなくなったかもしれないが、だからといってローズの身代わりになったという訳でもなかった。彼は他の誰でもない、唯一の『彼女』となり、そしてそんなジーンと共にあることで、カインもまた変わってきていた。
故にドクターは、彼女がカインの相棒としてあることを歓迎していた。
少なくとも、美味い茶が飲めるのは評価して良いことだ。
くいっとすべてを飲み干して、カインへと茶器を差し出す。
「お代わりをもらえるかな」
「…………」
カインは無言のままだった。
が、静かに持ち上げられたポットには、まだまだ充分な量が残されている。
再び空気の抜ける音がして、自動扉が開いた。
その向こうには、いつものノーマルスーツを身につけ、ブラシを手にしたジーンの姿。
ドクターのカップに茶を注いだカインが、少女のためにと椅子を引き寄せる。