ひとまく。〜現代
ちなつとも様

 CAST
  入社8年目の中堅平社員  ロッド
  若きエリート係長  フェシリア
  心優しき部長  エドウィネル
  冷やかしの同僚・後輩  アーティルト・カルセスト


「寒ぃ……」
 そんなつぶやきがもれた。
 単なる確認のつぶやきではない。そこには、真に差し迫った響きがこもっている。切実なる、現実感が。
 だが、その言葉の行き先である相手は、眉一つ動かすことはなかった。秀麗な顔は能面のようにも見える。微動だにせず、指だけがただ黙々とキーボードの上を滑る。
「よぉ……寒ぃんだけど」
 声の主は、今度はつぶやくことなく、はっきりと相手に言葉を伝える。いや、伝えると言うには、少々物騒な響きが、その声にはあった。たとえるなら、青スジ3つ分。
 相手は、ようやく反応を返した。やけにぎこちない動きで顔を上げ、やけにゆっくりと口を開いた。
「い……言うな……わ、わた……とて、さ、……寒い、わ」
 表情が変わらないのは、ポーカーフェイスを気取っていたわけではなかったようだ。よく見れば輪郭がぶれているように見えるほど小刻みに震えているし、言葉を発するために口を動かすたびにみしみしと音鳴りがしていた。どうやら、ただ単に凍り付いていたようだ。
 男は大げさにため息を吐いた。湯気のように真っ白な。
「だいたいよぉ……」
 恨めしそうに室内を見渡す。広い広いオフィス。きちんと整理されていて、掃除も行き届いている……はずだ。ある程度離れると見えない。何しろ真っ暗で、暖房のないビルは墓標のようだ。……自分の。
「なんだって……」
 男はまたため息を吐いた。
「何が悲しゅうて大晦日に仕事なんぞ……!」
 そう。大晦日、だった。後1時間もしないうちにそれも過去の話になる。そんな日のそんな時間に仕事など、なかなかあり得ない。──どこぞのIT企業とかなら、ともかく。官公庁相手にオフィス用品を取り扱うだけのしがない中小企業がこんな目に遭ういわれはない……のだが。
 発端は5日前。あってはならないことが起こった。
 昨今、情報流出が頻繁に叫ばれ新聞を賑わしていることを受け、私物パソコンや外部記憶媒体を使うなとの通達が社内に出された。定期的に社内研修も行い、しつこいほど言い聞かせてきた。にも拘わらす、だ。営業部の若いのが二人、勤務中にサイトで拾ったエロ画像を見ようと私物のUSBを差し込んだ途端、エロ画像に潜んでいたウィルスが牙をむいた。LANケーブルを駆けめぐり、パソコン内のデータをランダムでプリントアウトしたり、添付データとしてメール送信したり。会社のホストコンピューターを乗っ取られる前に電源を落とすという乱暴なやり方で情報流出は防いだものの。
「後始末くらい、本人達にやらせりゃいいだろ!?」
 専門業者にウィルスを駆除してもらったはいいが、一部データが失われていることが判明した。書類でのデータは残っているので、死活問題にはならない。しかし、それらがないと年明けの仕事にガッツリ影響を及ぼす。早急になおかつ正確に、修復しなければならないわけだが、
「任せられるわけ無かろう!?」
 年若い上司は目をつり上げて叫んだ。
「何度もセキュリティ研修を受けた上でのあの愚行だぞ? データ修復なぞ任せられるか! 私だって、こんな寒い思いしながら年越しなぞごめんだ。セキュリティ責任者だからとて部下でもないヤツの尻ぬぐいをさせられるのも腹立たしい限り。とは言え! 奴らに押しつけたところで、やっぱり困るのはこちらなのだ、ならばこじれる前に始末は付けてしまった方がいい。そうは思わぬか!?」
「そりゃま、そうだが……」
 男はうにゃうにゃと言葉を濁した。
 結局のところ、彼はガス抜きしたいだけなのだ。
 ふむ、と小柄な上司がつぶやいた。
「なるほど、そう言うことか」
「はぁ?」
 訝る男に、女上司はにやりと笑う。
「怒りのおかげで身体が温まったし、しゃべったおかげでいくらか強張りが取れた。最初からこれが狙いだったのだろう?」
「何言ってんだ、んなわけねぇだろ」
「まぁ、そう照れずともよい」
「照れてねぇ」
 男が憮然とするのを、彼女は軽やかに笑い飛ばした。
「おぬし、いわゆるツンデレだな?」
「……はぁぁ!?」
 男は驚きのあまり立ち上がった。
「なっ……何言って……!」
「うん、ツンデレだ。前から思っておったが、いや、実にすばらしいツンデレぶりだ」
「てめ、しばかれたいか!?」
「謙遜するな。流行の最先端ではないか。ツンデレ大王」
「誰がツンデレ大王だ!!」
 叫んだところで、オフィスの扉が開いた。真っ暗じゃないかとひとりごち、時折何かにぶつかりながら二人の方へと歩いてくる。
「二人とも、こんな時間までご苦労様」
「部長……っ」
 彼女はきゅっとかしこまった。対して、男の方はデスクに肘付き、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「んだよ、何しに来たんだ。手伝いならいらねぇぞ。アンタ、役に立ちそうにねぇ」
 傍若無人な物言いだが、部長も慣れたもの、気に止める風もない。年齢の割には若々しい顔をにこにことほころばせている。
「君たちが頑張っていると話したら、妻がどうしても差し入れをと、ね」
 下げていた風呂敷包みを差し出す。……中身は三段重ねっぽい。
「お吸い物もあるんだ。暖かい内に食べないか?」
 心のこもった誘いに、女は微笑んだ。
「お気遣い、ありがとうございます。もう少しで区切りがつくので、それからいただきます」
 部長も彼女の性格は把握している。無理強いすることなく、一つ頷き、近くの応接スペースへ移動した。足が止まる。
「何だ……君たちも来ていたのか」
 そこには、先客がいた。男の同僚と、後輩。一応、彼らも差し入れに来たはずなのだが。
「部長っ、先にいただいています!」
 紅い顔で、それでも妙に律儀に後輩があいさつする。無口な同僚はぺこりと頭を下げた。
 応接セットのテーブルの上には、差し入れとおぼしき食べ物の残骸と、空の缶ビールが転がっている。差し入れのつもりがささやかな宴会となったようだ。
 部長はため息を吐いて空いたスペースに持参の包みを置いた。
「やれやれ……これは食べてくれるなよ? 私が妻に怒られる」
 同僚はやっぱり頷くだけ。
 女は気合いを入れた。
「さて……部長の奥さんの厚意を無にするわけにはいくまい。きりのいいところまで済ませるぞ、大王」
「……っ誰が大王だっ」
「それ……さっきも聞こえたが、ツンデレとは何のことだ?」
 部長は素朴な疑問を口にした。小さな興味に、トリガーを引いた。
「ですよね、そうですよね!!」
 後輩が身を乗り出した。
「僕も常々思ってたんですよっ 先輩はそう、ツンデレです!」
「しばかれたいか!?」
「……同感」
「黙れ!」
 ぼそりとしていながら確実に相手に届く同僚の言葉に、男はキレそうだった。部長はふむと首を傾げる。
「それで、ツンデレというのは?」
「まだ言うか!?」
 男の言葉を無視し、彼女は丁寧に解説する。
「ツンツンデレデレ、の略です。人前ではツンと気のない風を装うけれど、二人っきりになるとデレっと甘えてくる、というような。つまり彼の場合、一見きつい言葉の裏には、海より深い気遣いが隠されているのです」
「なるほど……」
 部長は二度ほど深く頷いた。
「……まさに、彼のためにあるような言葉」
「ですよね!? 誤解されっぱなしの人ですけど、深くつきあえば単なるツンデレだって、わかっちゃいますよね〜」
 ばごしっ
「……早」
 同僚のつぶやきの通り、男はいつの間にか後輩の傍に立ち、そのアタマをはたいていた。
「てめぇ、しばく。全力でしばく!」
 指さし宣言。
「そんなことより、もうすぐ年が明けるようだぞ?」
「そんなことっ……て、年明け?」
 腕に目をやる。日が替わるまで5分もない。彼は慌てて席に戻ろうとするが、その横を小柄な女はするりと通り過ぎていく。
「あ、おい、仕事は……」
「後だ、あと。それとも何か、パソコンの前で年を越したいのか?」
 そう言われては返す言葉もない。いい加減疲れたし、部長のヨメの差し入れをいただくのも悪くない。いや、むしろ、暖かいうちにいただかないとあの美人だけど妙にオトコマエなヨメににらまれるかも知れない。この女上司と仲がいいので上司の方からもちくちく言われそうだ。
 5人も座ると、応接セットはいっぱいになった。自前のマグカップに注いでもらったお吸い物は、冷えた身にじんじんしみる。
 後輩がつけっぱなしのテレビを指さした。
「あ、見てください、モチついてますよ、モチ」
「それは、鐘」
 酔っぱらいの天然ボケに、同僚が突っ込みと言えなくもない訂正を入れる。音量を下げたテレビ画面では、どこかの寺で除夜の鐘をついている。
「……今年も、終わるな」
「ぁぁ」
 隣に座った女の小さなつぶやきに、彼は小さく応えた。と、後輩が突然立ち上がった。
「部長、係長、見ててくださいよ、来年こそは、僕、結婚しますから! もう、絶対ですから!!」
「……その前に、告白」
 男は思わず吹き出していた。いつもと変わらないでこぼこコンビは、来年もきっと変わらないのだろう。
「ふむ……結婚か」
 女は彼の顔を覗き込んだ。
「するか、来年」
「……っな……!」
 珍しく焦る男に、同僚は意地悪い笑みを向ける。
「年貢の納め時」
「うるせぇ!」
「なんだ、君たちそんな仲だったのか。ああ……じゃあ、あのツンデレ発言は実体験に基づくものだったんだね、係長」
 一欠片の悪気もない部長の言葉に、男は撃沈した。
「そぅなんスか、先輩!? だったら、勝負です! どっちが先に式挙げるか、勝負っス!」
「……You Lose」
「早っ 早いっすよ、そりゃないっスよ!」
「そうだな、始まってないのに、負けはなかろう。せめて、勝負にならない、とか……」
「部長ぉぉぉ!?」

 人気のないオフィス街の一角。そこだけ明るく、そこだけが暖かい。
 彼はそっぽ向きながら、誰からも見えない位置で彼女の手を繋いだ。やや乱暴なそのやり方は、単なる照れ隠し。だからツンデレ大王などと言われるのだと、誰より彼自身、理解しているのだが。

「……今年もよろしく」
「こちらこそ」


終わり

二次小説第二段を頂きました!
今度は楽園の守護者シリーズ、しかも現代パラレル!!
リーマンですよリーマン! フェシリアの方が上司かよ(爆笑)
ちなみにロッドがツンデレなのは、原作からのデフォルトです。
簡潔にして的確な突っ込みを放つアーティルトがたまりません。
エドウィネルはさらりと「妻」とかゆってるし(笑)
そして一番原作に近いのは、実はカルセストだったり……?


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