23:30 00/02/24 すたーと

<きらきら>

 きらきらひかる、お空の星よ。
 瞬きしてはみんなをみてる。
 きらきらひかる、お空の星よ。


 多分気のせいなんだうと思うんだけど、近頃滑舌が悪くなったようで落ち着かなかった。
 卒業試験まではもう少しだし、僕は常にトップの成績を保っていたからプライドだってある。
 高等魔術の呪文の暗唱をする僕の声にうっとりする魔女の卵達の、あの熱いまなざしもピンクの頬も惜しいし、吟遊詩人を目指す僕にとってなにより、呪文が滑らかで美しく言葉に出来ないのは致命的だ。
「モイくん。ちょっとだけ、放課後にセンセイのとこに来てもらえる?」
 八重歯が可愛い小柄なララノ先生が、小首を傾げてちょっと笑った。彼女は僕との年の差があまりない。それは彼女が普通の家庭で育った人ではなく、由緒正しき大魔術師の娘だからだ。幼い頃から秀でていて、若くして宮廷魔道師になるはずだったのに、あんまり心が優しくて攻撃的な魔法を使えないために駄目たったんだそうだ。本当は宮廷の王太子が先生を見初めてしまって、皇太后様が怒って先生を召し抱えるのを拒否しちゃったとかいう噂なんだけど。
 なんにせよ、僕はかなり彼女が好きだ。

 薬品調合の授業をそつなくこなし、自由選択科目で選んだ猫語の授業も、良きパートナーである黒猫のサメと有意義な語らいで過ごした。
 その時の会話だ。
『モイくんはそろそろ卒業だけど、やっぱり吟遊詩人になるの?』
「うん。ただ最近上手く呪文が唱えられていないような気がするんだけど」
『そう? 朗読の授業の時にちょっと聞いてたんだけど、”ママレードジャムで迷子の行方を知る方法”をあんなに感動的に朗読できる子なんてモイくんくらいだと思うよ』
「ありがと。でもさぁ、僕の理想の流れじゃなくなってきているような気がするんだ」
『そうなの。それはやっぱりララノちゃんに相談したほうがいいんじゃないかな』
 僕は少し驚いた。僕が彼女に呼び出されている事を知っているんだろうか。
「え? なんでララノ先生なの?」
『あれ、知らない? ララノちゃんて歌姫って言われるくらいに綺麗な呪文を唱えるんだよ。僕が猫じゃなかったら薔薇の花を持って毎晩でも彼女と語り明かしに行くだろうさ』
 僕は、サメのそんな情熱的な言い方に少しどきっとした。
「そんなに、ララノ先生ってすごいの?」
『朗読の授業の担当にならないのはね、生徒達が自信を失うのを避けるためなのさ。ああ、もったいない』
 それから僕は、放課後が待ち遠しくてしかたがなかった。

 少し説明しておくと僕らは魔道師や魔女の訓練生で、三度の春と四度の冬を学んで卒業になる。入学すると寮に入り、規則を守って魔道の勉強をするのだけど、最初の夏を迎える頃には資質を判断されて個人個人でオススメのコースをいくつか提示される。
 代表的なのは攻撃魔法を専門に扱う魔法戦士や黒魔道士、癒し系の魔法を得意とする僧侶や白魔道士、楽器や言葉の韻を呪としてあやつる魔道楽士や吟遊詩人。主に薬品の調合を生業にする錬金術師。他にもいろいろあるんだけど、それぞれの適性っていうのはやっぱりあるんだ。
 その中の希望によってテストを重ねて、時には方向を修正したりしながら最終的に目指す職種を決定して、初めての冬を迎える事になる。
 僕は「吟遊詩人」を目指して、すでに最後の春を迎えようとしている。夏からは主に卒業発表の準備になるからテーマの決定や発表する内容を熟慮するのに時間をかけなくてはいけない。
 僕らは魔法を使って物の道理を変化させたり、生み出したり消滅させたりしなくてはいけない。そのためにも呪文を唱えるっていうのは大事な事で、この呪文を覚えて使いこなすためにはそれなりの暗記だとか読み込みだとか言い回しの癖を学ばなくてはいけない。
 ただ、普通の魔道士達ならば熟練すれば口中で小さく唱えるだけでも十分なんだけど、吟遊詩人は逆にわざとそれをオオゲサに口に出し聞かせる事によって魔法を掛けるのだから大変だ。
 相手がそれと気付かないうちに魔法をかけてしまうものなので、先達の美しい詩は勿論、自作の詩の中に魔道を織り込んで言霊に乗せるというのは繊細な作業なのだ。
 だからこそ、この時期に滑舌が不安定だとナーヴァスになってしまう。

「キノコは好き?」
 ララノ先生は突然そう聞いてきた。
 彼女の部屋は緑色を基調にして、木製の机や椅子が必要最低限だけ用意されている。壁一面を書棚にしてあるのだけど、そこには癒し系の魔法大書などが並んでいる。
「キライじゃないですけど」
 柔らかいベージュ色のローブに身を包んで、くるくると巻いた甘茶色の髪の毛がふんわりと下がっている。大きな瞳の色は緑。深く美しい水の底の色だ。
「そう、よかった」
 にっこりと笑顔を見せて、ララノ先生は人差し指で軽く二度、机の上を叩いた。目の前で、机にクリーム色のキノコがにょきにょきと生えてきた。
「これをね、食べてみて欲しかったの」
 細い指先がキノコを根元からもぎとって僕に差し出す。
「でも……」
「美味しいのよ。喉にもすっごくいいの」
 あ、と思った。
「もしかして僕の声の事を……」
「あらら、やっぱりモイくん気にしていたのね」
「やっぱりって……じゃあララノ先生も」
 うん、ちょっとねと困ったように小首を傾げる。少しショックだった。そんなに僕の呪文は悪くなっていたのだろうか。
「何だか少し神経質になっている様子だったから、このキノコが一番いいかなって思ったの。だからまずは食べてみてね」
 彼女は癒しの魔法に関してはかなりの凄腕だ。僕は何となく安心した。
「先生、僕、一度センセイの朗詠を聞いてみたいです」
 驚いた顔をしたけれど、ララノ先生は一編の詩を眼が醒めるような美しい言葉でかたり聞かせてくれた。
 彼女の言葉を聞いている間中、僕は世界が無数の綺羅星に彩られて美しく輝くのを感じていた。柔らかな気配が宇宙に満ちていて僕らがそれに包まれて優しくあやされている赤ん坊なのだと思わずにはいられなかった。
 紡がれる言葉に潜む癒しの魔法に気付いていながら、僕はその言霊に捕まってしまっていたのだ。
 卒業を間近にして初めて、僕は心から言霊に触れて癒されたのを感じた。僕の目指す本当の吟遊詩人の形がそこにあった。
 僕は本格的にララノ先生が好きになった。
 

 キノコを食べてみたけれど、自分的には何の変化もないような気がした。
 でもララノ先生が気にしている様子だったので、すごく調子がいいですと誤魔化して、結局僕は、トップの成績で冬の卒業を迎えた。
「吟遊詩人として、希に見る完成度です。この先モイくんの詩に救われ、癒される人々が多くいることでしょう。美しい言葉を紡ぐその心と貴方に従う言霊に期待しています」
 元魔道楽士の学長が優しい言葉で僕を送り出してくれた。
 猫のサメは僕と一緒に世界を流浪する修行についてきてくれることになった。僕よりも年上の彼が一緒なら心強いと思った。
 卒業式の終わった晩、ララノ先生と待ち合わせた。
 夏の間に、僕はララノ先生に告白し彼女を愛していることを伝えていた。
 卒業すれば数年は世界を旅する決意をしていたので、彼女と会えなくなってしまう。それが一番の心残りだった。
 夜が更けて、星を散りばめた群青の夜の下で彼女を待っていた。
 闇に溶けるような色のローブ姿で現われた彼女は、少しだけ冷気のせいで頬を紅くしていた。
「卒業おめでとう、モイくん」
 僕は夏の間に大分背が伸びていた。少し見下ろすような形になった彼女を見つめてありがとうと言った。
「ララノ先生、ありがとうございました」
「こちらこそどうもありがとう。私、モイくんに私の夢を預けたような気分でずっと楽しかったわ」
「夢を?」
「吟遊詩人として美しい言葉を紡ぎつづけること。想いを託した詩に魔法を織り込んで人々を癒すの。それが私の夢だったのよ」
「先生なら出来るでしょう」
 彼女は少し悲しそうに首を左右に振った。
「駄目ね。私は弱いから、織り込んだ魔法に負けてしまうことがある。だから危なくて続けられないの」
 僕にはその言葉の意味が良くわからなかった。
「前にも言ったけど、僕は先生のことが好きです。卒業して旅に出るけれど、貴女のことだけが心残りです」
 はにかんだ彼女が僕を見つめた。
「モイくんの言葉があまりにも魅力的だから、とても恐いの」
「魔法なんて使ってないですよ」
「うん。だから、ね」
 僕はそっと彼女を抱きしめた。星の瞬きより穏やかにじっと抱きしめたままでしばらく黙っていた。
「ねぇ先生、前にキノコをくれたでしょう」
「ええ」
「あれね、本当は効き目があったように思えなかったんです」
 腕を離して見つめた。
「本当に? 充分効いてたと思ったんだけど」
「あの頃から今もずっと、なんだか滑舌が悪いような気がしているんです。自分なりに」
 滑舌? と彼女は驚いたように眼を見開いた。
「モイくんほど滑らかに言葉を操る人が、そんな事を言うなんて驚いたわ」
「満足していないっていうんじゃなくて、以前はもっと上手く喋れたように思うんです。気のせいかもしれないんですけど」
「……あのキノコはね、そういう事に効くものじゃないのよ」
 今度は僕が驚いた。
「それじゃああれは、何だったんですか?」
 くすっと笑って彼女は指先からあのクリーム色のキノコを出した。
「モイくんの声、大好きなの。前も好きだったけど、今はもっと好きよ」
 唐突にいわれて戸惑った。
「春のあの頃、モイくんが何かに対して思いつめている様子は感じていたの。それで毎日声を聞いていて、原因に思い当たったの」
「だから、滑舌が……」
 違うのよ、と笑う。
「変声期。だったのよね。少し掠れた感じの声になって思うように言葉が出ないような感じがあった。このキノコは変声期の声の違和感を無くすためのものだったのよ」
 いわれてみれば、僕の声は春の頃と大分変わってしまった。
「でも、そうなのね……気にしていたのは滑舌の事だったのね」
 そっと彼女が僕を見上げた。
「でも、みんながそんな事はないって言うから……」
 まっすぐな深緑の視線を受け止める。まなざしだけで、僕は彼女の虜になってしまう。
「もう、明日から旅に出てしまうのね」
 柔らかな声が僕の胸を締め付ける。
「あなたと離れるのが辛いです」
「またすぐに会えるでしょう? 戻ってくるのを楽しみに待っているわ」
「待っていてくれるんですか」
「待っていてもいいのかしら。とても不安なんだけれど」
 切なさと愛しさで胸がいっぱいになった。彼女の詩を聞いたあの日から、どれほど大切に思っていただろうか。
「旅を終えたら必ず戻ってきます。それまで待っていて下さい」
 そっとそっと優しい彼女に口付けた。
 彼女は照れて俯いて、目元にたまった涙を拭った。
「ね、モイくん少し座って」
 近くの岩に腰を下ろすと彼女が見下ろして微笑んだ。
「眼を閉じて」
 いわれた通りにすると、彼女のほうから唇にキスをくれた。
 驚いて眼を開けた途端、僕は口の中にぽろりと転がり込んだものに気付いた。反射的に吐き出した。
「え!?」
 白いカケラ。僕の歯が一本抜けてしまっていた。
 彼女が笑う。
「旅のお守りにするといいかもしれないわ」
「……親しらず?」
 そう。と頷くと彼女は僕のとなりにちょこんと腰を下ろした。
「痛みが無いままで生えてしまってたんだと思うの。モイくんの滑舌を邪魔した張本人よ」
 魔法でさぐって原因を排除したのだ。彼女は元々魔法に長けているのだからそれくらい簡単に出来るのだろう。
「何か、詩をかたってみて。きっとモイくんの気にしていた滑舌も良くなっていると思うわ」
 掌に歯を握り締め、僕は意を決して即興で詩をうたいあげた。
 彼女に捧げる詩に、思いを紡いで。
 嘘のように滑らかに、僕は心の底から満足のいく言葉で語り上げることが出来た。彼女は静かに泣いていて、僕は再び口付けた。

 星の瞬く夜の下で、手の中の白いかけらに願いをかけた。
 そしてそれを天に向かって投げて高く上らせた。
 僕を見守る星になるように、彼女を見守る星になるように。
 猫のサメがどこからか静かに現われて僕の傍で円くなった。
 夜が明ければすぐに旅が始まる。
 僕と彼女はしばらくずっと、上っていく光をみつめつづけた。

 かけらはそして、僕の頭上でいつも輝く青い星になった。
 きらきらひかる、星になった。


1:53 00/02/25

おわる。


 九重優影さんからの戴き物です!!
 まったく・・・どうやったらこんな話を一日で書けるんですか、師匠・・・

 九重さんのHPはここ。有栖川サイトです。




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