魔術師と抑止力 ── do one's best 2  



 呼び止められて、振り向きました。少し離れた場所から、メイドさんが近付いてきます。よく見知った顔なので、そのまま待つことにしました。
 クセのないさらさらの髪を肩の辺りで切りそろえた、目尻のほくろも色っぽいメイドさんです。高くも低くもない背に、すっきり細いシルエット。勤務中はぴりっと心地よい緊張感が漂います。ルーチェは、何かと頼れる先輩です。
「今日はお休みするって聞いてたけど、……何で仕事してるの? 押しつけられたんなら、代わるわよ?」
 そう言ってルーチェは小首をかしげます。違うのですと、レイリーは少し慌てて否定します。
「もともと、朝の仕事が終わってからお休みをいただくことになっているのです。押しつけられたなんて、とんでもないことなのです」
「そう? なら、いいんだけど」
 ルーチェはにこりと微笑みました。
「あなたがお休み取るなんて、珍しいわね。何かあるの?」
 ルーチェの言葉に、レイリーは照れたように顔を赤らめました。
「はい、その、……弟が、帰ってきてるのです」
「弟さん? ああ、確か……他の町に行ってるとか、何とか?」
「はい。研ぎものの修行に。ようやく帰ってきたのです。だから、会いに行こうかと思いまして」
 照れながらも、少し、誇らしげに。
 レイリーにとって、彼女の弟は自慢であるようです。
「そう。仕事、後、どれくらい残ってるの?」
「このお手紙と書類をロウウェン様にお渡しすれば終わりなのです。もう、ほとんど終わりです」
「そうみたいね。呼び止めて悪かったわね」
「いいえ! そんなことはないのです! 気にしていただいて、キョーシュクなのです。……ありがとうございます」
 丁寧にお辞儀するレイリーに、思わず笑みがこぼれます。
「楽しんでいらっしゃい。レイシンによろしく言っといて?」
「はいっ」
 機嫌良く歩き出すレイリー。かなり進んだところで、あれ? と、引っかかります。自分は、会話の中で弟の名を出していただろうか、と。
 振り返るも、すでにルーチェの姿はなく。レイリーは首をかしげながらも、自分を納得させます。以前、会話の中で口に出していたのだろう、と。
 そして。
 しばらくの後、レイリーは魔術師殿の部屋の前でしゃがみ込んでおりました。捨て犬のようです。手にはまだ、書類やら手紙やらが。
「……何を、してるんですか?」
 振り向けば、アレクシアがそこにいました。今のレイリーにとっては、
「……救いの神! 降臨です!」
のようです。
「か、神?」
 おもいっきり不審そうな顔をされて。でもレイリーは気にしません。
「大変なのです、アレクシア。ロウウェン様が倒れているかもなのです」
「倒れる? 何の冗談ですか、それ」
「冗談ではないのです。実はロウウェン様、朝食の席にもいらっしゃらなかったらしいのです。今も、何度お呼びしてもお返事がないのです。これはもしかしたら、もしかしてしまうかも知れないのです!」
 きょとんとした顔でレイリーを見ていたアレクシアは、扉を見、またレイリーを見、ようやく言葉の意味が染み渡ったようで、一瞬にして顔色を変えます。
「ロウウェン!」
 鋭く呼びかけ、扉をたたきます。手にした銀盆がぐらぐら揺れ、ティーポットとカップががちゃがちゃ音を立てます。
「ロウウェンどうしたの!? 生きてる!? 返事して!」
 返事はありませんでした。代わりに、ばたばたと何やら盛大な音がして、扉が全開になります。
「アレクシア! お見舞いに来てくれたのかい?」
 それはもう輝かんばかりに笑顔全開の魔術師殿がそこにいました。
「……え?」
 アレクシアは振り向き、そこにもう一人、笑顔全開のメイドさんを見ました。
「レイリーさん、これは、一体……?」
 レイリーは嬉しそうに笑います。
「ありがとうございます、アレクシア。これで、お仕事完了なのです」
 レイリーは手にした篭──書類やら手紙やらがてんこ盛り──を、ロウウェンに押しつけるように渡しました。ロウウェンも、反射的に受け取ってしまいます。
「ロウウェン様、本日の決裁書類とお手紙です。決裁書類はいつも通り、午後に取りに伺いますので、それまでに目を通してくださいませ」
「は? ……ぁぁ?」
 起き抜けらしい、くしゃくしゃの頭で、どこかぼんやりした表情で。まだ状況が呑み込めないようです。
 レイリーはアレクシアにいたずらっぽく笑いかけます。
「ロウウェン様、いくら呼んでも出て下さらなかったので、困っていたのです。さすがはアレクシアなのです。お二人の間には、愛がいっぱいなのですねっ」
「は……!? 愛!?」
 うふふふと、少女のように笑いながら、レイリーはスキップを踏みそうな勢いで、軽やかに過ぎ去っていきます。ぽかんとする二人を残して。
「……ええっと……」
 くしゃくしゃと頭をかき混ぜ、仕切り直すようにロウウェンが口を開きます。
「……ずっと扉をたたいてたのは、彼女だったのか。この上なくしつこかった」
「ずっとたたいてたの? 何で扉開けなかったの? 倒れてるわけでも何でもないのに」
 問いただすアレクシアの声には、ほんの少しだけとげがあるような気がするような。
「いや、ほら……体調が優れないのは、本当だよ? 横になってても目が回るし、起きるに起きられない」
「……今、起きてるけど?」
「はは、アレクシアの声がしたから、思わず飛び起きちゃったよ。だからさ、実は今、結構、倒れそうなんだ」
 確かに、魔術師殿は顔色が随分悪いようです。
「でも、それ、……二日酔いだよね?」
 アレクシアにジト目で睨まれて、ロウウェンは力なく笑うしかありません。
「うん、二日酔い。よかったらしばらく話し相手になってよ。君と話してたら回復しそうだ」
「……そんなわけないじゃん……」
 アレクシアはため息をつきつつも、ロウウェンが足で支えていた扉をひょいと開きました。
「とにかく、倒れる前に座るなりすれば? 二日酔いの薬持ってきたし」
 そのまま中に入り、……途中で足が止まります。
 乱雑でした。すばらしく、散らかりまくった部屋でした。
 部屋の隅には大きな机があり、棚もあり。中央あたりにはテーブルとイスのセットがあり、窓の側にはソファーがあり、机の反対の壁際には、立派なベッドがあります。部屋の大まかな配置はそんなカンジなのですが、
「ぁぁ〜……ごめん、ちょっと散らかしてる」
 幾分決まり悪そうに、魔術師殿は言います。
 大きな机の上には、奇妙な実験器具のようなものが所狭しと並んでいました。実験途中なのか、それとも洗ってないだけか、汚れていたり得体の知れない液体の入ったそれらは、ときどきくすんだ煙を吐き出しています。何かが書き付けられたりぐしゃぐしゃと消されたりする紙類も、器具の下や隙間に挟まってぶら下がっています。棚には怪しげ材料がてんこ盛りです。木箱から微妙にはみ出た真っ黒いナメクジのような葉は、一体何に使うのか、考えるのは腰が引けます。棚の上半分は書籍で埋まっていました。立てた本の上に横に突っ込み、それでも収まりきらない本が床に積まれています。床に広げられたままの本も、かなりの数あります。少なくともコーリン語ではない、見たこともない文字。中央のテーブルの上に広げられた紙にも、その言語は使われているようです。見知らぬ言葉と、数式が融合したような不思議な書き込みです。それが、テーブルからはみ出て、床にバラバラと、少し開いた窓から吹き込む風にバサバサと。もちろん、ソファーの上にもドサドサと。唯一、それらが浸食していないベッドも、毛布とシーツが混然一体となって渦巻いて、部屋との調和は最高。
 アレクシアはしばらく沈黙していました。いろいろ言いたいことがあるのだろうな、位は、魔術師殿にも察しが付きます。
「……隙間、……作ってくれない?」
 その短い一言に、いろいろ言いたいことを呑み込んだんだろうな、位は、魔術師殿にも察しが付きます。
 散らばった書類を拾いながら中央のテーブルへと向かい、その上に広がる書類も、かき集めてそろえます。テーブルの隅にきちんと重ねて置き、ロウウェンは疲れたようにイスに深く腰掛けました。
「また、ずいぶん呑んだみたいじゃない? 陛下が心配してたよ」
 空いたスペースに銀盆を置き、アレクシアは早速ポットの中身をカップへ注ぎます。途端に立ちこめる、青臭さ。ロウウェンは真っ青な顔で口元を押さえます。何かが逆流するのを止めるかのように。
「はい、ロウウェン。陛下が直々にこの薬湯のレシピを持ってきたんだ。作って、持って行くようにって。二日酔いも一発! だってさ」
 アレクシアがロウウェンの目の前に置いた白いカップには、なみなみと注がれたえらく緑色した液体。透明度ゼロの真夏の生ぬるい沼のような見た目に、爽やかなんだかスパイシーなんだか特定することすら困難な臭い。二日酔いの胃に、がっつんがっつん入ります。ボディブローもかくや。
「これ……飲むの?」
 ロウウェンがおそるおそる指さします。
「うん」
「……青臭いよ?」
 ロウウェンは半笑いでソレから目を逸らします。そんな様子でも、アレクシアは取り合うそぶりもありません。
「まあ、ハーブ一抱え分使ってるからね。でもそれだけ使っても出来上がるのはわずか2杯分って、すごいよね」
「こ、……これ、もう一杯あるの?」
 半笑いを通り越して、半泣きです。
「ん? 違うよ? 一杯は、陛下自身のため。嬉しそうに持ってったよ」
 ハーブのどろどろ煮出し汁を嬉しそうに自ら運ぶスオーラ。そんな絵が、簡単に浮かびます。
「スオーラめ……どう考えても、嫌がらせだよな……」
 さあね、とアレクシアは軽く流します。
「ボクは言われたことをするだけだよ。じゃね」
 あっさり背を向け歩き出そうとするアレクシアの手を、必死の形相でロウウェンが掴みます。
「待って! もう行くの!?」
「……って言われても。作って持って行くように言いつかっただけだし。ってことは、ここに薬湯を置いた時点で、ボクの仕事は終わりだろう?」
「えええ!? 話し相手になってくれるんじゃないの!?」
「……本気で言ってるの?」
 冷たいジト目に思わず腰が引けてしまいます。
「だって……だって〜」
「だってじゃない。だいたいね、二日酔いって、自分の責任だろう? 自分で勝手に呑んで騒いで、二日酔いです構って下さいって、あんまりにも勝手じゃないか」
「んん……返す言葉もないよ」
 しおれる魔術師殿に、なおもアレクシアは冷たい言葉を投げかけます。
「呑み過ぎの晩餐会にしても、……貴族のお嬢様達に囲まれていい気分だったろ? ボクなんかに声かけなくても、お気に入りの女性がいるなら、ここに来て話し相手になってもらえば?」
 妙な雲行きに、ロウウェンは首をかしげます。
「……全くいい気分なんてしないし、そもそも、顔を見ていない」
 アレクシアにとっても、思ってもみない方向性に、首をかしげます。
「見てないって……誰でも良かったの? 女性と騒げれば、それで良かった?」
 ここにきてようやく、目の前の友人が何やらとてつもない勘違いをしていることに気付きました。違うそうじゃないと、手を振りつつ否定します。
「そもそも、前提として、僕は無理矢理参加させられたんだ。僕は貴族どもにも、ドブネズミみたいな女どもにも、全く興味はない、どころか、軽蔑するよ」
 横を向いて怒りと共に気を吐き出し。魔王の腹心様はご機嫌ナナメ。
「目ぇ爛々と光らせて、あいつらどんだけ空腹なんだか。僕もスオーラも、奴らにとっては極上のエサだからね。釣り上げられれば大手柄、印象付けるだけでも釣果は上々。僕はスオーラと違って一切相手にする気はないし、だとしたら呑むしかないだろう。呑んで呑んで呑みまくって、どうってことない風景画を寸分の狂いなく再現できるほど凝視したとも」
 よほど面白くないのか、いらいらと頭を掻きます。
「あのドブネズミども……滅亡しろ」
「いや、それは言い過ぎでしょ」
 奇しくも、スオーラと同じような突っ込みを入れます。
「でも何か……う〜ん……何か、ごめん」
 アレクシアにぺこりと頭を下げられ、ロウウェンの表情から不機嫌さが吹っ飛びます。
「っえ、いや、待って、そんな……イヤ、違うんだ、別に謝れという訳じゃ……っていうか、アレクシアは悪くないよ、悪いのはスオーラやドブネズミであって、君じゃないから、だから……ぁぁ、そんな顔しないでよ、そそるじゃ……なくて、ほら、ねっ?」
 見事にあわてふためく魔術師殿に、昨夜の冷たさは微塵もありません。その慌てぶりにアレクシアも幾分表情を和らげます。
「ボク、勝手に決めつけて勝手に腹立てて。話も聞かないで。その、……ごめんね?」
「…………!」
 勢いよく拳をテーブルに叩き付け、弾みでカップから液体が少しこぼれ。アレクシアもびくりと肩を震わせ。
「ど、どうしたの!? 何か、まずいこと言った!?」
「いや、違うんだ……!」
 ロウウェンは深くうつむき顔を背け、アレクシアはおろおろしています。でもしばらくロウウェンは顔を上げられそうにありません。
 申し訳なさそうに、少し首をかしげて、しかも上目遣いに『ごめんね?』なんて言われた日には。
 耳まで真っ赤。
 すーはーすーはー
 とりあえず深呼吸し、ロウウェンは脳内でフェンリル近衛隊長と料理長というコーリン城コワイ顔ツートップをどアップで再現します。
 効果てきめん、一気にテンションが下がります。
「失礼。いや、気にしないでくれ」
 体面を取り繕いつつ、何事もなかったような顔をします。
「そ、そう? あんまり、そうは見えなかったけど?」
「大丈夫、気にしないで。まぁ話はずいぶん飛んじゃったけど、ともあれ、しばらく話し相手になってくれると、嬉しいかな」
 てらいなく微笑むロウウェンに、アレクシアは困ったように目を伏せました。
「……遅くなると、料理長に怒られちゃう」
 きっぱりと断られるわけではなく。少し前とは違い、ずいぶんと態度が軟化しているようです。
「じゃぁ、あまり遅くならない程度に。次に君が戻ると言った時には、もう引き留めないから」
 しばらくためらったものの、少しだけなら、との返答。ロウウェンは喜びを隠す様子もなく、友人にイスを勧めます。
「これといったもてなしはできないけど」
「いらないよ。それより、薬湯」
「ぅぁ〜……はい。飲みます」
 魔術師殿はいかにも不味そうに一口。悶絶しながら嚥下します。
「…………っくはぁっっはぁっはぁっ……これは、強烈だ」
「大げさだよ。ぁ〜……でも、ないか。ボクも、ちょっと、パスしたい」
「こんなものがぶ飲みできるのはスオーラぐらいなものだな。飲み物と言うより、魔法薬……いや、魔法薬の方がずっと飲みやすい。毒薬に近いかも」
「……作った本人目の前にして、何かと失礼だね、君は」
「あっっいや、その、ごめんなさいっ」
「別にいいけど。確かにボクも、途中で何作ってるか分からなくなったし。どろどろぐるぐるかき混ぜて、おとぎ話の魔法使いかって。自分で作っておいてなんだけど、飲み物とは思えないよね、それ」
「おとぎ話の魔法使い……それって、そのまま魔法薬じゃないか」
 また一口。悶絶。
「何かもう……二日酔いどころじゃなくなってる気が。別の意味で大変なことになってるし」
「そうなの? じゃあ、薬湯としては正解なんじゃない?」
「全っ然、正解じゃないから。これ、吐くよ? 僕ハーブ大っ嫌いだし、下手したら吐くよ?」
「……そぅお?」
「え、何、その疑わしげな目は」
「……いや、だって、さ。あれだけ魔法実験繰り返して、中にはすごいの一言に尽きるようなものもあったし、それで気分が悪いとか言われても……」
「いやいやいやいや。この薬湯に勝るものはないから」
「じゃぁ、あれは?」
 アレクシアの指さす先を辿れば、机の上の山積み実験機材達。明らかに異空間チックな中にも一際存在感を放つビンが一つ。
「あ、あれ、は……」
 しまったと言わんばかりにそのビンから目を逸らします。
 ビンの中身は萎れた葉っぱのような、くすんだ緑。と、言えなくもないような。
「また、すごいの作ったね。呪いの沼を発生させる魔法実験?」
 そう、それはまさに呪われた不吉の沼でした。緑と一言で言っても、見れば見るほど複雑怪奇。完全に混ざっているわけではないのです。ざらりとした粒子のようなものが、ゆっくりと渦巻いています。見ていると引きずり込まれてしまいそうな。薬湯も同じ緑系統ではありますが、よくぞここまでと言いたくなるほどその印象は正反対でした。
「見れば見るほど不気味だよね、それ。呪いの道具?」
「呪わないよ。それは、その……」
 くそ、と小さく毒突くのがかろうじて耳に届きます。
「魔力増幅薬だよ、一応……」
 プライドに関わることらしく、その口調はひどく重いものでした。
「魔力ぞうふく? なに、それ」
「ん、ああ、……魔法って、エネルギーの固まりみたいなものでね、きちんと制御しないと爆発したり暴走したりするんだ。強力な魔法は、それだけ制御するための力も多く必要とする。その力を増幅させてやれば、大魔法も暴走の心配をせずに使えるだろ?」
「暴走……するような……魔法……って、どんなだよ」
「んん〜? それはもう、いろいろ。僕の使える魔法の中で一番強力なのだと、そうだね……この城の本宮くらいなら半壊できるかな。町で言うなら、1区画丸ごと消えるかもね」
 かくん、とアレクシアの顎が落ちました。待つことしばし。
「…………な……ナニソレ!?」
「え? ナニソレって、何それ?」
「何それじゃないよ、ロウウェンってば、まるで人間凶器じゃない!?」
「人間凶器……それはヒドイ。いかにもヒドイ。もうちょっとセンスの良い二つ名を希望するよ」
「ヒドイってそっち!?」
「ん、じゃぁ、アレクシア的には、僕に対してひどいこと言ったなって、思ってるわけだ? 人間凶器とか」
「うっ……」
 アレクシアはロウウェンの視線から逃げるようにうつむき、だって、と口を尖らせます。
「だってだって……魔法って、そんなに危険なものだったの? はた迷惑なものだとは思ってたけど、城が壊れるとか、町が消えるとか、そんなに……?」
「……壊れるのも消えるのも、あくまで一部。それに、いくら強力な魔法があるからって、それが強さの全てじゃないよ。暴走の危険もあるし、何より、魔法の構築が複雑この上ない。簡単に言うと、呪文詠唱が半端ないんだよ。だからさ、魔術師って、実践的じゃないんだよね。今戦争とか起こっても、僕は参戦させてもらえないだろうね。魔法なんかより、大量の矢を降らせた方が遙かに効率がいい」
「はぁぁ……そんなモンなの?」
「現実はそんなものだよ。宮廷魔術師なんて、単なるステイタスに過ぎない」
「……ってか、……だったら、何で魔力ゾウフク……だっけ? そんなもの作るの? 強力な魔法、実戦には向かないんでしょ?」
「まぁね。これはいわば、備え。もしかしたら、万が一。そんな時のため。具体的に出番を見据えてる訳じゃないんだ。何かあった時に、どういう状況であれ、万全の態勢で望めるようにってね」
「…………。…………。」
 目を丸くして沈黙するアレクシアに、ロウウェンは苦笑いします。
「何考えてるか、当ててみようか? え、ロウウェンってそんなまじめなことも考えたりするんだ? だろ」
「う……正解」
「正直だね。まぁね、僕だって、一応雇われの身だしね。それに最近、ちょっときな臭くて。以前から研究してた魔力増幅薬を完成させようとしたんだよ。まぁ……結果はそれだけどね」
「ぁぁ、失敗したんだ」
「ぅぐっ……なんてストレートな。ま、実際そうなんだけどね。僕の計算では、朱色になるはずだったんだけど。……何なんだろうね、その不吉沼色は」
 ロウウェンは腕を組んで考え込みます。
「……理論に落ち度があったとは思えないんだけどな。手順も間違っていたと思えない。一体……何が悪かったっていうんだ? それとも、根幹的な部分で間違っていたのか? 間違った認識の上に理論を構築……? ぁぁくそ、目が回る。考えがまとまらない。今日は徹底的に魔法理論を検証してやろうと思っていたのに……」
 苦々しげにつぶやくロウウェンを、アレクシアは不思議そうに見ていました。
「ロウウェンって、意外にまじめだったんだね。適当な魔法実験するだけかと思ってたよ」
「今まで僕をどんな目で見てきたのかが気になるところだけど、ともあれ、見直されたと思っていいんだよね?」
「そうだね」
「それとも、惚れ直した??」
「バカじゃないの?」
 間髪入れずに返ってくる冷たい言葉に、ロウウェンはがっくりと肩を落とします。
「冷たいな〜アレクシアは冷たいな〜こんなに僕はストイックで一途なのに〜」
「ストイック? どこが? セクハラ大王じゃない」
「セクハラじゃない! 健全に、言い寄ってるの! ぁぁ〜こんな状態じゃなきゃ、抱きしめて押し倒して時間をかけてじっくりじっくり攻め落として……」
「それがセクハラだって言ってるの。だいたい、攻め落とすも何も、ボクにそんな気はさらさらないから」
「ぅぅ〜冷たい〜またそこが萌えるんだけど〜」
 アレクシアはため息と共に肩を落とし、立ち上がりました。
「付き合ってられないよ。もう帰るね」
「えええ? ぁ……うぅ〜」
 自分のした約束を思い出したようで、魔術師殿は笑っちゃうくらい苦悩します。
「ぅぅぅ……つ、付き合ってくれて……あ、ありが……と……ぅ」
 何やら血反吐でも吐き出しそうな勢いです。アレクシアもあきれたように吹き出しました。
「はいはい、お大事にね。……っと、……ひとつ、気になってたんだけど、聞いていい?」
「ん? もちろん。何?」
「あの、沼」
 アレクシアは不吉の沼をびしっと指さします。
「どうやって使うの? 魔力増幅って事は、……自分に対して使うつもりだったんだよね?」
 呪われた沼水を、どう使うのか。何となく、予想は付くのですが、それはいかにも言葉にするのをためらわれ。
「………………飲む。」
 重い重い口調で、ロウウェンは宣告しました。ずごごごごと低い効果音が聞こえてきそうです。
「それは、ポーション。飲み薬。一息に、飲み干す」
 長い長い沈黙がありました。アレクシアは驚いた表情のまま固まってるし、ロウウェンは宣言をしたそのままで止まってるし。
 ようやく、うん、とアレクシアが頷きました。
「やっぱり薬湯の方が、マシだよ」
「んん……否定できないかもね」
「でしょ? だったら、がんばって飲み干してね」
「うくっ……そうきたか」
 ロウウェンはアレクシアに近付き、何の前触れもなくむぎゅっと抱きしめました。
「飲み干す勇気を下さい」
「…………!!」




「……開いてる?」
 通りかかったメイドが、いつもはきっちり閉まっている扉が中途半端に開いているのを見つけます。そうすると覗きたくなるのは人の性。何気なく通り過ぎるふりしてちらりと覗き、
「……ロウウェン様!?」
 左頬を真っ赤に腫らしてひっくり返っている魔術師殿を見つけました。
 宮廷医術士が呼ばれ、衛兵が呼ばれ、くせ者侵入かと一時騒然となったのですが、当の魔術師殿は何でもないの一点張り。結局、うやむやのままで終わったのですが、

 ……やっぱりあれって、アレよね?
 しかないでしょ、痴話げんかしか。
 迫ったのね。ロウウェン様、迫ってみたのね。
 そして返り討ち。
 また手を出せなかった、と。
 ……ロウウェン様って、意外とヘタレ? ヘタレなんじゃない?
 もしかすると、もしかするかも。
 ストイックなヘタレ……それって、どうなんだろう。
 こうなったら、周りで盛り上げるしかないでしょう! 二人の未来のために!
 不健全な結末のために!
 私たちの萌えのために!
『濡れ場、希望!!』
「……仕事に戻りなさい」
 振り返ったメイド達はそこに腕組みしたルーチェを見つけ、蜘蛛の子を散らすように駆け出します。
 後には、ため息を吐くルーチェが、独り。

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