魔術師と抑止力 ── do one's best 1  



 ロウウェンは厳しい目つきで植え込みの辺りを見下ろしていました。きれいに刈られた植え込みは、乾いた風にひらりと一枚、白い花片を飛ばします。しかしロウウェンの視線に揺るぎは一切ありませんでした。
 植え込みにおかしなところはないし、それ以外にも特に目を引くものもありません。
 ロウウェンが見ているのは、そんな現実の風景ではありませんでした。彼の眼に映るのは、魔術師の視界であり、記憶の残像であり。確かに昨日ここにあり、そして彼自身で炎に消してしまった、不可思議なマメ、の、ようなもの。頭のような実を持ち、口のような合わせ目から高速でマメを発出する。きちんと、人を認識して。
 ロウウェンは朝から城の敷地内をそうして回っていました。不可思議なそれ──友人のキッチンスタッフによりマメマメ団と名付けられたマメに似た何か──が発生した場所を。
 発生した場所。していない場所。多発した区域。していない区域。
 ロウウェンは足を止めます。見上げる先には、荊に取り囲まれた古びた建物。コーリン王家の暗部たる、隔離施設。一体今までどれ位使われ、幾人がここで最期を迎えたか。ロウウェンには知るよしもないし、知りたいとも思いません。
 凶暴化したマメは、明らかに、この建物を中心に広がっていました。今ここには、“屍”があります。人知れず、地下室に隔離されています。しかも、国王の近衛隊の一小隊が泊まり込みで警戒しているのです。その“屍”に何かすることなど不可能、なはずなのですが。しかしこの状況は、彼の関与を明白に物語っています。問題があるとすれば、
 ロウウェンは険しい表情のまま、ため息をつきました。
「……一体どんな力が働けばこんな事になるんだ……?」
 問題は、何が起こっていたのか、分からないこと。
 昨日のマメ達は、どうやら既存のマメ科の植物が変異したものらしいことは分かったのですが、じゃぁ何故、どうやって変異したのかまでは宮廷魔術師殿にも分からないのです。原因が“屍”であることは間違いないのですが。
 魔術師の“目”にも、変わったものは見つかりません。もっとも──魔法の全てが解明されているわけではないのです。分かっていることはほんの一部でしかないのです。今の魔法技術では分からない、と言うだけのことかも知れないのです。
 ロウウェンは目頭をつまむようにもみほぐしました。朝からずっと魔術師の視界に切り替えていたので、さすがに疲れてきました。重い足取りで隔離施設から離れていきます。
 きな臭いと思っていた“屍”。こうも早く、こうも露骨に影響が出るとは、ロウウェンにとって誤算でした。もう少し、じわじわと影響が出てくるかと思っていたのですが。
 ロウウェンはふと足を止めました。
 いや、そうじゃないかも知れない、と思います。もしかしたら、あの時──
「ロウウェン様っ」
 呼ぶ声に、我に返ります。声のした方を向けば、一人のメイドがこちらへ足早に近付いてくるところでした。
 ロウウェンの側まで来たメイドは、軽く上がった息を整えつつ、ぺこりと頭を下げます。
「シャオラ副隊長がお待ちです。どうぞ、部屋までお戻りくださいませ」
「……シャオラ副長が」
 うんざりしたようにため息をつきます。
「どうせまたスオーラの遣いだろう。毎回毎回、気軽に呼んでくれるよな。自分で歩いて部屋まで来いって」
 ぶつぶつ言いながら、与えられた自室へと戻ります。ほほを朱く染めたメイドさんに目をくれることなく。

 部屋に来い? 部屋に来い? 僕の部屋においで? ロウウェン様、それは誘ってるのですか!? 誘っちゃってるんですよね、もちろん! 陛下と、部屋で、二人っきりで…………ぁぁあっ美青年同士のカラミが……っっ こ、こうしちゃいられない、みんなに、みんなに報告しないと……!!
「3Pも、夢じゃないかも!?」




 部屋まで戻ってみれば、扉の前で直立不動で待つシャオラがいました。シャオラ近衛副隊長──近衛隊長であるフェンリルの片腕です。30代半ば、すらりと背の高い女性です。近衛隊だけでなく、コーリン国軍でも数少ない女性の一人です。
 シャオラはロウウェンを認め、ビシリと敬礼します。きりりと引き締まった表情は、しかし柔和な糸目でした。
「……スオーラが呼んでるんだな?」
 シャオラの眉がひくりと動きました。
「……はい。陛下より、本日の行事の打ち合わせのためにお連れするよう仰せつかっております」
「行事? 行事って何だ? 何かあったか?」
 考え込む魔術師殿を、直立不動のまま待ちます。そんな状態でも、柔和な糸目は、ともすれば笑っているように見えます。
 ロウウェンは突然あっと声を上げました。
「分かった。分かったぞ。今日は財務大臣主催の晩餐会があるとか言ってた。なるほど……それに僕を引っ張り出すつもりか」
 ロウウェンは2、3度うんうんと頷き、突然、脱兎のごとく走り出しました。呆然と見送るシャオラ。やっぱり、糸目。
 はっと我に返ったシャオラは、猛然とロウウェンを追います。
「お待ちください、魔術師殿! どちらへ行かれるのですか!?」
「ば、晩餐……か、い……ふ、不参加で……!」
 早くも息を切らすロウウェン。対するシャオラはあっという間に追いすがり、しかもまだまだ余裕があるようです。
「それは、困ります。参加・不参加は直接陛下におっしゃってください。私はお連れするように仰せつかったのみ、参加の可否を承る権限などございません」
「君は……っ……ゆう、づうが、……っっ」
 ロウウェンはすっかり息が上がり、ふらふらと壁により掛かりました。すぐ傍にシャオラが立ちますが、彼女の息は全く乱れていません。
「大丈夫ですか、魔術師殿」
「……君は融通が利かないな」
「恐れ入ります」
 ツンとすました顔も、糸目です。
「行きたくないんだが」
「申し訳ありません、ご要望には添いかねます。晩餐会への参加のことでしたら、先ほども申し上げた通り、私如きが関与できようはずもございませんし、陛下の御前へ、と言うことでしたら、お目通りになれない理由をおっしゃっていただかないと、そうそう引き下がれるものではありません」
 ロウウェンは不機嫌そうに腕組みします。冷ややかな横顔は、鋭いナイフのようで、とても近寄りがたいのです。
 それでも糸目のシャオラは直立不動。見事な軍人魂です。
「……だいたい、その晩餐会への参加だって、僕は何も聞かされていない。勝手にスオーラが決めたことだ。行きたいのなら独りで行けと、スオーラに伝えてくれ」
 ひくひくっっ
 シャオラの眉が2度ほど痙攣しました。
「……魔術師殿、いくら魔術師殿といえど、陛下に対して無礼かと存じます。不敬罪に当たります。どうぞ御自重ください」
「不敬罪ねぇ……覚えておくよ」
 横向いて明らかに小馬鹿にして。糸目の横に一瞬だけ血管が浮き上がりました。
「魔術師殿、陛下がお待ちです」
 重ねるシャオラの言葉に、ロウウェンは深々とため息を吐きました。
「……僕を呼びつけるのにわざわざ近衛隊長や副隊長を寄越すなんて、スオーラのヤツめ……その辺のメイドと違って押しが強いからなぁ」
 つぶやくロウウェンは気付きませんでしたが、シャオラのこめかみに先ほどより太い血管が浮かびました。
 ロウウェンは大げさにやれやれとため息をついて見せました。
「仕方ない。行くとするか」
 シャオラが先導し、その後ろを付いて歩き、しばらく行ったところでロウウェンは口を開きました。
「ところでシャオラ副長」
「何でしょうか」
「うん、さっきからずっと、振り向き様にざっくり斬られそうな気配を君から感じるんだが、……それは気のせいか?」
「…………」
 シャオラの沈黙はしばし続きました。
「それはおそらく、私の至らなさに因るところが大きいかと存じます。大変申し訳ありません」
「ああ、いや、それはいいんだが……答えになってなくないか?」
 侍従室を通り抜け国王の執務室へ。扉の前に立つ見張り兵に来訪を告げると、扉が開かれます。きびきびと進み出たシャオラはスオーラに敬礼します。
「お待たせいたしました陛下、ロウウェン様をお連れいたしました」
「おう、ごくろーさん」
 手にした書類から目を離すことなく、スオーラはひらひらと手を振ります。
 シャオラはくるりと振り向き、ロウウェンに頭を下げます。
「では魔術師殿、失礼いたします」
 そのまま糸目は素っ気なくロウウェンの横を通り過ぎ、部屋を後にします。
 その後ろ姿を見送り、つぶやきます。
「……妙に、……嫌われてるみたいだな……まぁ、どうでもいいか」
 やる気のない足取りでスオーラに近付きます。スオーラはあわただしく書類に何か書き付けています。
「呼んどいて悪いな、これだけ急ぎらしくて」
 くるくると書類を巻き、封蝋をして傍に控えていた侍従に渡します。
「これよろしく。しばらく人払いしといてくれ」
 侍従も出て行ったところで、こきこきと肩を鳴らします。
「デスクワークは疲れるよなぁ。で、どうだった?」
「……何が」
 ロウウェンの声は不機嫌そのものでしたが、スオーラは全く動じません。
「昨日のマメ騒動について調べてたんだろ? お前しっかり疑われてるしな」
 ロウウェンは面白くなさそうにスオーラの執務机に腰掛けました。どこ座ってんだよ、と言う抗議はさらりと無視します。
「……マメの中心には例のヤツがいた」
「やっぱりか。で、原因……はアレなんだろうが、手段っつぅか、そう言うのは分かったのか?」
「ぁぁ……分かれば苦労ないな。アレから発する何かは、今の魔法技術では感知することもできそうにない」
 そこまでは予想済らしく、表情は変わりません。
「そぅか。そりゃ厄介だな。しかし、何で暴れマメなんだろうな」
「それだ」
 ロウウェンは机から降り、スオーラに向き直りました。
「マメの凶暴化なんて、わざわざ城に忍び込んでまですることじゃない。するにしても、仮死状態になんてなる必要もない。かけて、遁走。それでいけるはずだ」
「あ〜……まぁな、確かにな」
「これは仮説だが、要因は2つあるのかも知れない」
 訝るスオーラに、ロウウェンは一つ頷きました。
「アレが発する不可思議物質と、……あ〜……昨日、僕が降らせた雨が……」
 間髪入れず、ため息が漏れました。
「お前か」
「いや……立証できるものではないから推測でしかないが、まぁ……そうだろうな」
 屍の発する何かと、ロウウェンの魔法とが、何らかの作用を引き起こしての結果が、あのマメマメ団ではないかと、ロウウェンは考えているのです。
 スオーラはしばらく唸りながら考え込みました。
「……それは、いったんリセットされたと考えていいのか?」
「……つまり?」
「だからさ、お前の魔法が、偶然とはいえ、反応しあってマメの狙撃手が生まれたわけだろ? 言い換えれば、え〜、……つまり……」
「なるほど、言いたいことはだいたい分かった。アレが発する魔力が、実際に発動する前に、僕の魔法によって意図しない形で発現を遂げたから、アレの魔力はいったんゼロに戻ったのでは、ってことだな?」
「おお、そうそう。お前、まとめるの上手いな」
「……スオーラに褒められてもな……」
 小さなつぶやきはため息と共に漏れました。
「まぁ、その可能性はある。多分、いったんリセットはされたろうが、……おそらく、それで終わった訳じゃないだろう。確認はできないが……まだ、垂れ流し状態だろうな」
「はぁ〜……じゃあ、やっぱ、何かしらが起こるわけだ。しかも、予測不能の」
「……そうなるな」
「まぁ……まぁ、なるようにしかならねぇよな。よし、今は今のことを考えよう。ところで今晩」
「断る!」
 間髪入れずにロウウェンはお断りいたします。
「……何も言ってねぇじゃん?」
「じゃぁ当てよう。財務大臣主催の晩餐会に自分と共に出席しろ、だろ?」
「お。いいとこ突いたな。正解は、出席すると公言してあるから逃げられないぞ、だ」
「…………!?」
 ロウウェンは国王の胸ぐらを掴んで力の限り揺さぶります。非力な、力の限り。
「公言って何だ、公言って! 何で勝手に行くこと決定してんだよ、わざわざ言いふらしてんだよ!?」
「はははっ馬鹿だなぁ。正面切ってもお前行かないだろ?」
「当たり前だ!」
「その反応も当然だよな。うん、でも、もう手配しちゃってるし? 部屋じゃメイドが盛装のお手伝いに待機してるし、部屋まではシャオラが護送してくれるぜ? いたれりつくせりだろ?」
 悪びれる様子もない国王に、胸ぐらを掴むロウウェンの手がぷるぷるしちゃってます。
「……これも、影の仕業か?」
「おいおい、何でもヤツの仕事にするなよ。それに、それ、一応極秘事項だしさ、あんま軽く言わんでくれるか? っていうか、仕業じゃなくて、入れ知恵ね」
「一緒だ!」




 ナ・アロワ海を挟んで向かい合う大陸があります。ほぼ同じ位の大きさのその大陸は、西に位置するのをログ大陸、東に位置するのをマーグ大陸と言います。周囲には大小の島々が点在し、同盟を結んだり争ったり、人の営みは変わらず続いています。
 ログ大陸から海を越え北へ向かった先には、いくつかの島が寄り集まった群島国家があります。深い森に覆われ、豊かな水をたたえたその国は、森と泉の国と評されるコーリン王国。大陸の国々と比べると、国土も小さく、技術面で劣り。だからなのか、大陸諸国にとっては、未だなじみの薄いその島国は、怪異や伝説の宝庫であると、まことしやかにささやかれているのです。
 南よりの一番大きな島に、首都のスーシアがあります。やや内陸部にある首都は、南の港町から立派な街道が町の中心まで敷かれていて、その先の道は複雑に入り組み、交叉し、町を抜けた先には、少し離れて王城があります。森に抱かれているように見える城は、無骨でまるで砦のよう。北国の冬の厳しさを身をもって示しているようです。
 北国の夏はとても短く、そして過ごしやすく。この時期はお貴族サマ方がなにがしかのパーティーを催すにはうってつけです。規模の違いはあれ、毎晩、どこかで開かれています。今日も開かれています。
 本日は財務大臣の館で大規模なパーティーが催されています。財務大臣は大臣達の中でも一番権力があり、金も集まる筆頭職です。しかも、代々財務大臣を輩出してきたその家系は、古くから王家に娘を嫁がせており、切っても切れない縁を持っているのです。どれくらい切れないかというと、現国王スオーラの生母が、財務大臣の妹の娘、なのです。



 大きな扉を開くと、広々としたホールが客を迎えます。顔が映るほど磨かれた大理石の床には、ガラス製のシャンデリアの明かりが揺らめいています。お抱え楽師達の奏でる音楽が緩やかに流れ、どこからともなくバラの香りが漂います。ホールの両脇には階段があり、その先の上階はホールを見渡せるデッキのようになっています。階段とデッキには絵画や彫刻が配置され、ちょっとしたギャラリーのようです。
 ホールの奥は中庭に通じる大扉があるのですが、本日は中庭も会場であるようで、扉は全開で固定してあります。中庭の中央には愉しげな少女達の彫刻があり、その肌の上を水が滑り落ちています。彫刻には所々意図した空間が設けられており、水の当たらないそこにはろうそくが配置されています。水の流れの向こう側にともる明かり。明るく照らされたホールとは対照的に、中庭は小さく暖かな火がそこかしこに灯っていました。
 屋敷の当主である財務大臣は、とうに60を超えていますが、その野心も執着心も、当分枯れることがなさそうで、招待客と談笑しながらも、情報収集にも根回しにも余念がありません。次々にあいさつに来る招待客を、ランクごとに微妙に対応を変えつつ、滞りなく捌いていきます。見た目はひ弱そうな老人ですが、見た目通りとは、いかないものです。
 客に囲まれた当主の下へ、黒服の執事がさりげなく近付き、そっと耳打ちしました。
 到着ナサイマシタ
 当主は一つ頷き、何気なく、輪から外れます。すれ違う客達に愛想を振りまきつつ、ホールの大扉前に立ちます。見計らったように扉が開かれ、招待客が──本日のメインが、ゆっくりと入ってきました。
 なかなかに背の高い、細身の青年です。仕立ての良さが一目で分かる白いスーツに、シンプルなシャツは光沢のある青紫色。カジュアルなループタイの飾りは質の良い黒曜石。よく見ればスーツのボタンも全て黒曜石。指にさりげなく光る黒っぽい石は、……これはブラックダイヤのようです。
 クセのある髪は少し長めで、柔らかい印象の顔立ちは、愛嬌のあるタレ目と相まって、どこまでも軽薄に見えます。コーリン国王、スオーラです。軽薄そうな国王は、どこまでも軽く、片手を挙げて敬礼に答えます。
 スオーラの後ろから、連れが一人、入ってきます。仏頂面した、宮廷魔術師ロウウェンです。スオーラとは対照的な黒いスーツ、凝った織りの灰色のシャツに、タイ代わりのスカーフは薄い紫色です。装飾品らしい装飾品は皆無と言っていいほどで、唯一、額に銀のサークレットが鈍く光ります。サークレットは直線的なデザインで、そこには宝石の一つもありません。
 当主が満面の笑みで出迎えます。
「ようこそおいでくださいました、国王陛下」
「うむ。貴殿の招待とあらば、断るわけにはいかぬからな。愉しませてもらうぞ」
「光栄にございます、陛下」
 意味のない、儀礼的なあいさつ。張り付いた笑顔の下の、皮肉。揶揄。嘲笑。隙を窺う視線。
 宮廷魔術師が短いため息をつくのを、国王は背中で聞き流します。
 見目麗しい国王とその連れがホールの中央へと進み出れば、自然と人が集まります。特に、若い娘さん方を中心に。
 それも無理からぬ事です。何といっても国王ですから。しかも独身。国王の覚えめでたければ、正妃と言わずとも側室くらいなら狙えるかも知れないのです。その上正妃より先に男児でも産もうものなら、言わずもがな。
 だから娘さん達は、目の色を変えて押し寄せてくるのです。
 と、中から一人の娘さんが、進み出てきました。押し寄せていた他の娘さん達は、彼女の姿を認めると、みな遠慮するように一歩下がります。スオーラも彼女に気付き、愛想良く微笑みます。
「これは、ルイ殿ではありませんか」
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
 そう言って優雅に腰を折る娘は、当主たる財務大臣の末の孫娘です。両親からも祖父からも溺愛された娘は、16という年齢に似合わぬ自信と貫禄とを兼ね備えています。真っ赤なドレスは黒のサテン地でたっぷりしたフリルがあしらわれており、広く開いた胸元は黒のレースで覆われていますが、透けて見える白い肌は扇情的です。深く切れ込んだ背中は、細いベルベットのリボンがクロス編みされていて、あえて目元をきつくしたメークといい、何とも挑発的です。
「しばらく見ないうちに、ずいぶんとお綺麗になりましたね」
 ルイはお上品に笑います。自分への賛辞を聞き慣れたものの余裕が感じられます。
「陛下、年頃の娘は日々成長しますのよ? いつまでも小娘のままではありませんわ」
「これはご無礼を。今やルイ殿は立派なレディーだ。どうぞお美しいルイ殿、私に一曲お相手いただく光栄をくださいませんか」
 片膝を付きルイの小さな手を取り。さすがの小娘も顔を赤らめます。
「も、もちろんですわ、陛下」
 スオーラがルイの手を取り立ち上がれば、彼らのための空間が生まれます。絶妙なタイミングで始まるワルツの調べ。国王と有力貴族の娘を中心に、優雅なダンスが始まります。
 一方魔術師殿は、口を固く結びつつ、バーカウンターへ向かっていました。……わさわさと娘さん達を引き連れて。
 ロウウェンは、言っても、一介の宮廷魔術師に過ぎません。それでも貴族のお嬢様方に大人気なのは、魔術師という特殊性にあります。
 まれなる才能を必要とする魔術師はごく僅かで、需要に供給が全く追いつかないのです。だから、抱えた魔術師は破格の好待遇でつなぎ止められるのです。大陸の国家間では、魔術師達の引き抜きが横行してますから。
 コーリンは諸国と離れていることもあり、スカウトの接触は未だないようですが、それでも、粗雑に扱って城を去られるわけにはいかないのです。だから、貴族のような爵位はないし、官僚のような階級もないけれど、宮廷魔術師は別格の要職なのです。競う相手がいない分、安定職とさえ言えそうです。
 加えて、コーリンの宮廷魔術師殿は若くてかなりの美形でいらっしゃいます。しかも、国王と随分懇意であるようなので、堕とせばいろいろと都合が良さそうです。
 だから、貴族の娘さん達は下心丸出しで寄ってくるのです。家のため、名誉のため、何より自分の将来のために。
 バーカウンターにたどり着いたロウウェンは、無言で呑みます。壁に小さな風景画が飾られているのですが、その絵を凝視しながら、呑みます。もちろん、絵に興味があるわけではありません。周囲に展開するお嬢様包囲網を目にしないように視点を固定しているに過ぎません。
 興味なしと宣言するロウウェンの態度にめげることなく、お嬢様達は絶え間なく話しかけています。ここがスオーラとの差。スオーラは、腐っても国王ですから、一貴族の娘さんとしては、さすがにちょっぴり遠慮というか、かしこまってしまうと言うか、どこか一歩……ではないにしても、半歩くらいは引いてしまうのです。しかし宮廷魔術師殿にそこまでの威光はなく、そのくせ国王に対する発言力など無視できるものではなく、狙うにはうってつけです。
 ロウウェンの視点は全くぶれず、ただひたすら酒を呑み続けています。恐ろしいほどのペースです。
 ワルツは2曲目に入っていました。スオーラはまだルイと踊っています。それを遠巻きに見ながらルイの後釜を狙う令嬢や、ロウウェンの興味を引こうとひたすら話しかけるお嬢様や、誰にも相手にされず華やかな二人を恨めしげに睨む子息やら。
 パーティーはある意味大いに盛り上がりました。



 城へ帰る馬車の中、ロウウェンは天を仰いで放心しておりました。視線は虚ろで、目の縁はピンク色をしています。
「……生きてるか〜?」
 やけに軽い調子のスオーラの言葉に、ロウウェンは何やらうめいて返事とします。
「相変わらず呑みまくるな、お前。せめてメシ食えば? すっげーゴージャスなメシだったぜ? 味もなかなかだし。金かけてんよな〜」
 うめきながらも、ロウウェンはようやく顔を前に向けました。軽く頭を振り、直後に手を添えため息をつきます。
「……目が回る。迂闊に頭も振れないな」
「まぁ、そりゃあ、あんだけ呑めばな。っていうかさ、毎回毎回、よく生きてんなって思うぜ? 黙ってりゃ酔った風にも見えないし。どんだけザルなんだよ」
「……ザルじゃない。無理してるだけだ」
 スオーラは肩をすくめます。
「何でそんなにまでして呑むんだ? いや、女性の相手をしたくないからってのは、前に聞いたけどよ。べつに、ちょっと話すくらい、いいんじゃね? テキトーに話し合わせるだけでいいんだからよ」
 ロウウェンはスオーラを半目で睨みつつ、地を這うような低い声で答えます。
「……馬鹿がうつる」
「いや、うつんねぇし」
 スオーラは大きなため息をつきました。
「……お前のそれ、さ。何なの? 女嫌いなわけ? どこがイヤなの? あんなに可愛くて小生意気で柔らかくていい匂いで気持ちいい生き物の」
 ロウウェンも大きなため息を返します。
「……基本、女だろうと男だろうと、興味はない。誰がどこで何しようと、僕には関係ないから。ぁぁ、だから、もちろん、君が途中で発情中の貴婦人とどこぞに消えていったことも、何とも思ってやしない。ああ、何とも思ってないとも。どうせならドブネズミども全員引き連れていけばいいものを」
「怒ってんじゃん! しかも、何、女としけ込んだ事じゃなくて、他の女を置いていったこと怒ってるし? なんじゃそら」
恨みがましいロウウェンの視線に、スオーラは思わずのけぞっていました。ロウウェンは不機嫌そうに横を向きます。
「……鬱陶しいんだよ、あのドブネズミ。死ねばいい」
「お〜い、それは言い過ぎじゃね? ってゆうかさ、じゃぁ、何であのキッチンスタッフにはご執心なわけ?」
「……、アレクシアは別。というか、むしろ、僕の興味はアレクシアにしかない」
「……それって、マジな話? ネタとかじゃなくて?」
「ネタって何だよ」
「いや、ほら、外国人なんて、この国じゃ珍しいじゃん? 連れてたら目立つっていうか、」
 なかなか景気よい音を立てて、ロウウェンのデコピンがスオーラに決まります。
「い、て……! いきなり、何すんだよ!?」
「アレクシアを珍獣みたいに言うな。1年前、どれだけの決意を持ってアレクシアがコーリンに降り立ったと思ってるんだ」
 怒っています。静かに、怒っています。いつもとは違う怒り方に、スオーラは眉をひそめます。
「……この国が、大陸をよく知らないように、大陸の国々も、この国を知らないんだ。そんな中アレクシアは、言葉も分からず、頼るものもおらず、たった一人で乗り込んで、料理の腕だけで今の信頼を勝ち取ったんだ。それは、賞賛に値すると、僕は思うね」
 ほほうと、スオーラがため息をもらしました。
「そりゃ、知らなんだ。意外に苦労して…………って、まてまてまて。ちょっと待て。いやいやいや、そうじゃなくてさ? あいつの苦労は分かったし、ついでに言うなら、きれいな顔立ちだと思うよ。けどさ、……男じゃん? タッパだって、俺たちよりかは低いけど、フェンリルなんかとたいして変わらんし、いくら中性的っつっても……ぅわ、鳥肌立っちまった。反対反対、同性愛反対」
 実際に鳥肌の立った腕をさすりつつ、スオーラは反対反対と言いつのります。
「うるさいな。了見狭いぞ」
「そういうけどさ、実際気持ち悪ぃもん。いやな、ぶっちゃけ、男同士でも何でも、俺の知らないところでする分には全然かまわないわけよ。けどな、目の前は、イヤだな。お前だってさ、例えば、人のケツの穴を見るのが趣味な男がいたとして、その趣味に口出すつもりはなくても、自分の目の前で趣味全開で他人のケツの穴眺められたら、イヤじゃね? 不快じゃね?」
「……不快なのはその例えだ。何だ、ケツの穴って」
「俺にとっちゃ、それくらい不快だって事。ホントに、何が嬉しゅうてオトコ……いや、ありえねぇ。ありえねぇよ。……あれ、もしかしてロウウェン、お前、経験なし?」
「はぁ?」
 いかにも不快そうに表情が歪みます。
「……馬鹿にしてるつもりか。未経験なわけないだろう」
「なんだそっか、良かった。……で、相手は女か?」
「……。……はぁ」
 怒りを静めるように、重い息を吐き出しました。
「……女だ。気は済んだか?」
「済んだっちゅうか、なんちゅうか。どこで道間違えたんだろうな」
「うるさい。放っとけ」
「だってよ〜……何ならメイドに手ぇ出してもいいからよ、もうちっと柔らかくなれば?」
「〜〜〜。」
 ロウウェンはイライラと眉間を揉みました。
「興味ないって言ってるだろう。それにだな、メイドと軽く言うが、ルーチェも含まれてること、分かって言っているんだろうな」
 スオーラのまとう温度が僅かに下がりました。表情も、微妙に変化しています。
「……分かってるし、そもそも、ルーチェ関係ないだろう」
「ほぅ。なら、僕がルーチェに手を出しても問題ないんだな」
「問題もクソも、……関係ねぇって」
 関係ないと言いつつも、スオーラは明らかに不機嫌でした。
 ルーチェは、お城のメイドさんです。下働き時代から城に勤め、あと1年足らずで30になるらしいとの噂です。公式発表されているわけではないけれど、彼女が幼少時のスオーラの遊び相手だったことは、周知の事実です。だからといって、特別待遇があるわけでなく、だからなのか、未だにスオーラはルーチェに弱いのです。それはもう反射と言っていいほどで、きっとそれは幼少時の刷り込みなのでしょう。
 スオーラは不機嫌そうにしばらく黙っていましたが、ちらりと上目遣いでロウウェンを見、不本意そうに口を開きました。
「……やっぱさ、悪ぃけど、……ルーチェは除外してくれるか?」
 やっぱりこだわってるんじゃないかと、ロウウェンがからかいの言葉を口にするより早く、スオーラが続けました。
「俺、お前と穴兄弟になるの、いやだわ」
 ぶはっ
 ロウウェンは盛大に吹き出していました。
「あ、穴……?」
「過去の男ってんならともかく、現在進行形で一人の女を共有するってのは、どうにも受入られないな。知らないとこで知らない内にってんならまだしも、……いや、無理だわ。了見狭くていい。穴兄弟は、無理」
 いっそすがすがしいほどの宣言に、ロウウェンは頭を抱えました。
「おまえは馬鹿か!?」
「お、お前!? いや、ちょっと、そりゃねぇだろ。幾ら何でも王様相手にお前呼ばわりは、いやいやいや、ひどすぎねぇ?」
「ひどくない! それで不満なら貴様呼ばわりでもいいぞ。ってゆうか、下品だろう。下品すぎるだろう。ケツの穴を眺める趣味もそうだが、穴兄弟って! 一国の王が言う言葉か!?」
「いやちょっと待て、そのせりふはおかしい。『ケツの穴を眺める趣味もそうだが』って、まるで俺がそんな趣味持ってるみたいじゃん!」
「つっこむとそこかよ! 大概にしろよこの色欲魔神!」
「魔神って、悪モンみたく言うなよ」
「この場合、色欲の部分を否定するだろう、普通」
「ああ、そりゃ、ねぇな。事実だし」
 はぁぁぁ、と、ロウウェンは長々とため息をつきました。
「だめだ、救いようがない」
「うるせぇよ」
「に、しても……まさかメイドにも手を出してたとはな。余所ではともかく、城内ではそれなりに自重してるかと思っていたが、買いかぶりか」
「いやいや、そこはそのまま買いかぶっといてくれよ。ってかさ、別にメイドに手ぇ出しまくってるとか、そんなことはないぜ?」
「……本当か?」
「本当だって。手ぇ出してるの、ルーチェだけだから。あいつだけで我慢してるというか、我慢できるというか、ん〜……ま、アレだ、あいつ、胸は小っちぇけど、なかなかエロい躰してるんだぜ? 普段のソツのない仕事ぶりとうって変わって喘ぎ声もエロいし。感じ方も素直で可愛いし。他人にばれないように声を押し殺して涙目になったりとか、そりゃもう反則だろってカンジで……ん、どした?」
 気付けば魔術師殿は突っ伏しておりました。
「……どうしたも何も、そんなこと聞いてない! 具体的に語るな!」
「何だよ、十代の若造みたいなこと言うなよ。それとも何か、男同士がカラむ話だったら聞く気あるのか?」
「いらん!」
 魔術師殿は力一杯心の底から叫びました。
「じゃあ聞けよ。ルーチェの話がいいか? それとも今日の貴婦人の話がいいか?」
「だから……!」
 ずどん
 奇妙で鈍い音と共に、二人の目の前に白刃が現れました。凶悪な面した細身の刃が、右から左へ。切っ先から辿れば、刃は馬車の扉の隙間から突っ込まれています。
 さすがに黙り込み、身動き一つできず。
 刃は、現れたのと同様、唐突に引き抜かれました。ためらいも何もなく、見事なまでに、一息で。小さな窓に掛かったカーテンが揺れ、外が一瞬見えました。
 月明かりに照らされた、殺人鬼の姿が。
 ……違いました。フェンリル隊長です。馬車を護衛するために併走している、頼れる、心臓に悪い、近衛隊長です。
「…………黙れってか?」
 言って、スオーラは疲れたようにもたれました。ロウウェンも、毒気が抜けたようで、同じように背もたれに体重をかけます。
「……相変わらず無茶すんな、フェンリルめ」
「…………君に付き合ってれば、いやでもそうなる」
 気を悪くするかと思いきや、スオーラはへらっと笑いました。
「だから、面白いんだけどな」
 ロウウェンは頭を抱えてもう一度大きなため息をつきました。
「どこまで本気なんだ。……ぁぁ気分悪い。悪いと言えば……君は気付いていたか?」
「あ? 何をだ?」
「こちらに対する、敵意」
「敵意ね。んなもん、しょっ中だから、今更気付いたかと言われてもな」
「そうじゃない。あれは多分……屍の、送り主だ」
「…………」
 スオーラは面白くなさそうに口を閉じました。
「……会場に、居たのか?」
「居たんだろうな。誰、まではさすがに分からなかったが。こっちを小馬鹿にするような、嘲るような、……思い出しただけで不愉快だ。ドブネズミどもだけでも不愉快この上ないのに、……何だってんだ」
「ぁぁ……今日は妙にペース早いなとは思ったが、それも要因の一つか」
「……主たる要因はドブネズミだけどな」
 やっぱそれかよ! と国王は両手を挙げます。
 国の要人を乗せた馬車は、大正門をくぐり、広々とした一の庭園を突っ切って進みます。両側の花壇には夏の花が植えられ、日が落ちて花弁を閉じた後も、甘い香りが風に漂います。中央に配置された噴水を越えれば、砦のような軍の営舎がそびえます。城の本宮は軍の訓練場も兼ねた二の中庭を越えた先にあります。営舎の中央に穿たれた巨大なアーチ門が、馬車を迎え入れるべく、ゆっくりと開かれました。

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