死ニ至ル病 ── 汚染拡大 outbreak 3  




 細い通路は、思いの外しっかりした造りでした。とはいえ、随分控えめなサイズなので、一人ずつ、身をかがめながらでないと通れません。レイシンが用意したランタンを持ったロウウェンが先を行きます。
 やがて通路は水路に行き当たりました。一段低くなった水路の脇には、細い通路がかろうじてあります。身をかがめる必要はなくなりましたが、ちょっとバランスを崩すだけで水に落ちそうです。
 水路に立ったロウウェンは、ランタンで左右を照らします。
「……水路が合流する先は、源流があるようですね」
 水面を見たレイシンは、そう言います。
「それなりに水も綺麗だし、水量も多い。……わざわざ井戸を掘らなくても、ここから水をくみ上げることはできないんでしょうか」
 これが何のための水路かは分かりませんが、少なくとも下水ではないようです。
「……さぁな」
 ロウウェンは素っ気なく、水路の合流地点を目指して歩き出します。
 飛沫に濡れた通路は滑りやすく、彼らは壁に手をつきながら慎重に進みます。
「おかしなことは、それだけじゃない」
 と、ロウウェンは口を開きます。
「今までこの水路のことが知られなかったってことは、井戸と水路がぶつからなかったからだとも言えないか?」
「はぁ……なるほど。言われてみれば、そうですね」
「狭い水路とは言え、全長にしたらかなり長い。今まで全くぶつからなかったというのも、おかしな話だ」
 パシャリと、水面が跳ねました。魚でもいるのでしょうか。
「だいたい、何のための水路だ。通気口にメンテナンス通路まで作って、造りもしっかりしてる。何か、目的があったはずだろう」
「そうですね……水の状態からしたら、……上水道、とか」
 ロウウェンは振り返らずにうんと頷きます。
「僕も、そう思う。この先の源流がどうなっているか知らないが、恐らくこの水路は、上水道として作られたんだろう。長期使用に耐えうるように、造りは丁寧だし、メンテナンスが入ること前提でこの通路も作られている。同じ理由で、通気口も。しかし、いつの時代に作られたものかは分からないが、少なくとも、コーリン建国以降、水道は使われていない。前身になったファンロウでも、だ。どころか、今現在、水道局を作って上水道整備をさせようってプロジェクトが発足している段階だ」
「……実際は、上水道として使われていない。どうしてなんでしょう。こんなに立派なものを作っておいて……」
「何か、理由があるんだろうな。井戸も、水路を避けて作られたんだろうが、その理由は、今となっては分からないな」
 暗い水路の先から、今までより大きな水音がしてきます。歩いた距離からすると、そろそろ、合流地点になりそうです。
 ロウウェンが掲げる灯りの先に、水路が広くなっているのが見えます。別方向に流れる水路も。
 レイシンが来た道を振り返ります。
「この水は……方向からすると、近くの川へ流れ込むようですね」
「んん…………そうかもな」
「だとすると、もう一方はどこへ行くんでしょう。あの方向に川とか池とかはなかったと思うんですが」
「知るか。気になるなら、この件が解決した後にでも確かめに行けばいい」
「……覚えていたら、そうします」
 またしばらく、沈黙が続きます。ひたひたと気味の悪い足音と、絶えず流れる水音と。カンテラに蠢く影は、自分のものと知っていても、時折、どきりとさせられます。
「……ロウウェン様、もう一つ、伺ってもよろしいですか?」
「ん? ……何だ?」
「ミスルの魔法は贄を捧げて力を引き出すと仰ったじゃありませんか」
「……それが?」
「何に捧げて、何の力を引き出すんですか?」
 レイシンの脳裏にあるのは、不気味な痣。アキツ語の、呪いの言葉。
 ロウウェンは細くため息をつきます。
「……何というか、核心を突くような質問だな。君の洞察力には、恐れ入るよ。実に気にくわない。そして気に入った。今後、何かあったら君に助力を求めることにしよう」
「何というか、高く評価していただいているのは分かるのですが、微妙に素直には喜べないというか」
「それは気にするな。で、質問の答えだが、……ふむ」
 ロウウェンは思案するように首を傾げます。
「少し、回りくどい説明になるぞ。……かの、ミスル国には、儀式魔法とは別に、民間信仰ともいうべき、奇妙なまじないがあるんだ。そのまじないも系統があって、一つは、対象の一部だったものは対象から離れても影響を及ぼし合う、また、姿の似通ったものも影響を及ぼしあう、といった考えによるもので、これは世界各地で見られる思考だ。例えばヒトガタに髪の毛や爪を入れて対象に見立て傷つければ、対象も同じように傷つく、と言った具合だ。ミスルでは、これに言葉を組み合わせる。ヒトガタなどに言葉を刻んで呪ったり、或いは病気の回復を願ったり、だな。そしてもう一つの系統が、生き物を使った方法だ。これは特別な思考があるわけじゃないが、根強い。生き物を殺して、その恨みの向かう先を対象にしてやる、と言う方法だ。ミスルにも、独特な方法があった。様々な生き物を一所に集め、少量ずつ毒を盛り、生き残った最後の一匹を使って対象を呪う。邪法中の邪法だ」
 閉じられた町の中。痣を持つ人々。次々に死んでゆく。それから、血のような痣。
「それって、……何だか、今の状態に似ていますね。毒を重ねて最後の一人に集めるところとか」
「そうだ、模倣している。一方、儀式魔法はと言うと、願う相手は、信仰対象になる。ミスルはコーリンと同じで精霊信仰が発展した宗教体系を持っているから、やたらと神が多い。だから、願い事に沿った神を選んで贄を捧げる。国家鎮守なんかは、主神とも言える太陽の神を拝んでたな。で、面白いのが、ミスルには悪神がいない。嫉妬の神とか、浮気の神とかいるけれど、何かを呪う神が、いないんだ。つまり、捧げる相手は神じゃない。でも、今回の状況を見れば、それが一介の悪霊や精霊ごときには手に余ることは間違いない。じゃあ、何か」
 ロウウェンは一旦口を閉じました。水路は、まだ、続いています。
 レイシンがしびれを切らす前に、ロウウェンは再び口を開きます。
「……この水路が閉じられた理由」
「はい? ……何か、分かったんですか?」
「諸状況を照らし合わせての推測だ。完成度の高い水路なのに、放棄しなければならなかった。ここの入り口の取っ手がなかったのは、敢えて取り除かれたとも考えられる。誰も、ここに、立ち入らせないように。片や、祟り神を生み出す呪い。贄を捧げる相手は、神とは違うけれど、神に匹敵するほどのチカラを持つ存在。その儀式の場所が、地下水路の奥にある。この二つを組み合わせる。……見えてこないか?」
「……水路の奥に、チカラを持つ存在がいた?」
「恐らく。そしてその存在は、異界のものではないかと思うんだ」
 異界とは、こことは違う理を持つ別の世界。それは悪夢ではなく、事実として存在し、しかしそれがどういうものか、どれだけあるのか、一切が不明なのです。
「異界? ……異界、ですか」
 レイシンのつぶやきが、ぽつりと落ちる。
「驚かないのか?」
「十分驚いてますよ。お城で魔獣が復活したの、つい最近じゃないですか」
「……まあ、あのとき出てきたような存在に、贄を捧げているんじゃないかと、思うわけだ。この先、水源は、異界に近いのかも知れない。だから、危険だから、閉じられた。だから、都合がいいから、儀式の場に選ばれた。……そういうことかも知れない」
「そうですか……また、異界が……物騒な話ですね」
「そうだな」
「この場合、」
 ロウウェンは呆れたように振り返りました。
「……まだあるのか」
「すみません。もう一つ。この場合、贄は、何になるのですか?」
 ロウウェンが鼻で笑う音が微かに届きます。
「いいところに気付いたな。命を奪うんだ、その代償は命でしか払えない」
「……動物とか、ですか」
「違うだろうな。範囲が広い分、儀式には大量の命が必要になる。でも、犬猫失踪事件とか、家畜が消えた村とか、そんな話を聞いたことがあるか?」
「……ない、ですね。じゃあ、ヒトガタ? 人に見立てた、」
「ヒトガタはあくまでヒトガタ。命じゃない」
 レイシンの言葉を途中で遮り、ロウウェンはそう否定します。レイシンは困ったように眉根を寄せて、首を傾げます。
「では、一体、どこから……?」
 く、と、洩れる音。くく、と、……嗤っている。
「あのアキツ語だ」
「はい」
「あれは、呪いの対象者の印であり、……贄の、印だ」
「……贄? ……生け贄、ですか!?」
 レイシンの声が険しくなる。対して、ロウウェンの言葉は、暗く昏く、淡々として。
「おそらくな。呪いを凝縮しつつ、役目を果たした命は贄として再利用。実に合理的じゃないか。何一つ、無駄にしていない」
「合理的って……そんな、無茶苦茶な……!」
 レイシンは、苛立ちを拳と共に壁にぶつけます。
「誰が、こんなことを……!」
「誰が、か。そればっかりは、僕には分からないな」
 何にしても、と魔術師殿は続けます。
「こんなに大量にばらまかれた呪いを一人の人間が宿せば、正気でいられるわけがない。祟り神とは、上手いこと言ったものだ。実際に祟り神が現れれば、町は混沌と化すだろうな。祟り神自身が暴れるか、触発されて殺し合いを始めるか。そうすれば──」
「この、町は……」
「全滅だ。町の封鎖は解かれない。暴徒が押し寄せるようなら、……灼かれるだろうな」
「……!」
 レイシンは唇を噛む。
「止めないと……!」
「当然だ。よりによってアレクシアを贄に選んだ愚かさを思い知らさないとな。生きていることを絶望に変えてやる」
「…………。……後半は、同感です」
 前方に見える闇が、大きくなってきました。どうやら……光を反射する壁が、ないようです。
「あそこが、源流かな」
「そのようですね」
 水路を、抜けました。煉瓦造りの通路の先は、むき出しの地面が広がっています。それから、水面。広々と、鏡のように。
 ロウウェンが掲げたカンテラを左右に巡らせます。左右の岩壁は、ずうっと奥へと続いているようです。ロウウェンは灯りをレイシンに押しつけ、タクトを抜きます。魔力を捉え、背後の壁に向けてトリガーを引く。
 彼らを中心に、壁が光を帯びます。効果範囲はそれなりにあるのですが、それでも、壁の果てが見えません。魔法の光は水面を照らすけれど、三方の岸は見えません。
 果てが見えない、地下湖。一体どれだけの広さがあるのか。
「こんな……ものが、町の下に……」
 レイシンは水際まで行き、片手で水をすくってみます。ひんやりと澄んだ水。
「……どうやら、地下水脈に手を加えて、水路を作ったみたいだな。見事なものだ。……と、レイシン、あれ見ろ」
 ロウウェンが指差す先、水深の浅い部分に、太い木の枝が突き刺さっています。立派に繁っていたはずの葉は、かさかさと枯れ果て、力なく水面に浮かんでいます。
「……木の枝? こんな場所に……持ち込まれたものですね。もしかして、あれが儀式に使われた?」
「ああ。魔方陣……と言うより、儀式結界と言うべきかな。その、一つだ」
 レイシンは周囲を改めて見渡します。
「……術者、いないようですね。どこかに隠れているんでしょうか」
「うん、そのことだがな、……どうやら、少し間違っていたようだ」
 振り向いたレイシンは、ロウウェンがじっと水面を睨んでいることに気付きました。視線を追えば、水面が一部、盛り上がっています。その中に、歪んだ影のようなものが見えます。崩れた目のようにも見え、口のようにも見え。
「……これを仕掛けた術者は、ここにはいない。あれが、その術者の後を継いで術式を維持していたようだ」
「あれは、何ですか? いやな感じしかしないんですが」
 目のような影が、こちらを向く。眼球はないが、確かに、見ている気配。
「まぁ、何というか、単純に言えば、悪霊だな」
 もごもごと、水面が盛り上がっていく。不定型な水面に、ヒトの顔が浮かび上がる。水が揺らげば、顔も揺らぐ。伸ばされ、潰され、原型が分からない。
「あれは……まさか……」
 と、ロウウェン。
 間髪を容れず、それが、口を開く。恨みと共に吐き出される、名前。
  るぅぅぉぉおおうぇぇぇえぇぇん!!
 それは確かに、宮廷魔術師の名を呼んだ。


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