死ニ至ル病 ── 罹患報告 deathreport 3  




 結構な時間です。夜勤の兵士を除き、今日の業務は終了です。もちろん、国王だって。
 広い私室の豪華なベッド──先代からのお古ですが──の上で、スオーラはだらだらとしていました。眠りに就くにはちょっと早いし、かといってすることもなし。時間をもてあましてだらだらと。
 扉の外で衛兵と言い争う声が聞こえてきたのは、そんな時。通常なら、暇なときほどトラブル歓迎なのですが、今日は少し趣が違うようで、スオーラはため息を落とします。
 自ら扉を開けば、すぐ側に衛兵二人と、宮廷魔術師。
「……スオーラ!」
 いつもは淡々としたロウウェンが、憎悪むき出しのぎらぎらした目で睨んでくる。
「ぉぉ。意外と遅かったな」
「……!」
「まぁ入れよ」
 ロウウェンは衛兵の手を振り払い、つかつかと入ってくる。ソファーに向かう途中のスオーラの肩を掴み、
「どういうことだ!?」
「……。」
 スオーラは呆れた様子で、肩を掴む手を払いました。
「いきなりどういうことだも、こういうことだも」
「とぼけるな! アレクシアをどこへやった? 国王命令らしいじゃないか!」
 まさに、激昂。普段の冷静さの欠片も見当たりません。
「……アレだな。おまえ、本っ当に弱点だな、あの異邦人。それって、結構マヅくね? よろしくない相手に知れたら、マジでよろしくないことになるぜ?」
「……! ……うるさい。今は、そんなことは……!」
 多少、頭が冷えたようです。瞳から、正気を失ったようなぎらぎらが消えています。
「まぁ、ごくごく簡単に言うとな、あいつ、罹患してんだ」
「は……?」
「罹患。例の、町の死病だ」
「な……!?」
 口を開いても言葉は出ず。どころか、酸素すら入ってこず。
「う、……嘘だ」
 かろうじて、それだけ絞り出します。
「そりゃ、信じられないだろうけど? こっちだって、信じたくねぇよ? 対岸の火事かと思いきや、とっくに城にまで飛び火してたんだ。昼間も言ったが、感染ルートが解明されてない以上、あいつを隔離したところで、安全とは言えないんだよな」
 ため息を吐きながら頭をポリポリとかく。
「ま、そんなだからさ、明日町に行ってくれよな。例え今あいつを連れて逃げ出したとしても、病からは逃げられねぇし。諸々含めて、病の解明に全力を尽くしてくれ」
 蒼白になったロウウェンは、ぐっと胸のあたりを掴んでいます。指が、白くなるほど。
「……アレクシアはどこだ?」
「隔離中。ってかさ、言うと思うか? 案内するとでも?」
「アレクシアはどこだ!?」
「だから、言わねぇって。第一、隔離してるだけで、ひどい扱いとかしてるわけじゃないし。だからさ、タクト、取り出すなよ」
 ロウウェンは上着を撥ね除けるように腰に回した手を止めました。
「それやったらさ、おまえ、多分、死ぬよ? 知ってるかどうか知らねぇけどさ、影にとっちゃ魔術師は要監視対象で、要注意人物なんだ。おまえの一挙一動を見張ってんだ。下手うちゃ消されるぜ?」
「…………。」
 ロウウェンはゆっくりと手を出しました。……何も、持っていない手を。
「……、た、……頼む」
 苦悩に歪む瞳に、スオーラの驚いた顔が映ります。
「頼む、あ、……アレクシア、に……」
「はぁ……マヅいどころじゃねぇな。もうヤバイの域だよ。……余計なお世話かもだけどさ、対策とった方がいいぜ? おまえも、宮廷魔術師なんてやってる以上、なんやかんやと敵ができるわけだし。なのに、致命的な弱点が無力で無防備な料理人って。……おおっぴらに追っかけ回すならさ、何らかの対策考えろよ。あいつにとっても、おまえにとっても、おまえを雇ってる俺にとっても、このままじゃ誰の得にもならねぇ」
 それは痛い指摘だったようで、ロウウェンはうつむき、黙り込んでしまいます。ここに入ってきたときとは雲泥の差です。
「ん〜……面会くらいはいいかなって思うんだけどさ、どう思う?」
 奇妙な呼びかけに、ロウウェンが顔を上げると、どこからともなく返事が聞こえくる。
「了解」
 その声が女性のものか、男性のものか、考える暇もなく、
「……っ」
 やけに甘い香りに包まれる。四肢の力が、一気に抜けていく。目の前では、スオーラが同じようにぐらりと倒れる。
「ちょ、おま、俺まで……!?」
 スオーラの声を最後に、ロウウェンの意識は闇に沈む。




 目覚めたのは、殺風景な部屋。離れた場所にある小さなテーブルに、細い火を灯すろうそくが1本だけ。
「……何だ、これ」
 ぎしりと、軋む音。
 ロウウェンは、簡素なイスに座らされていました。その状態で、縛られていました。両腕はイスの背に縛られ、胴にもぐるぐると縄打たれ。身の危険を感じる状態です。
 意識を失う前に聞いた声。あれはきっと、影の声。思わずため息が漏れます。もしかしたら、タクトは抜かなかったけれど、消すことにしたのかと。
「…………ロウウェン?」
 小さな声に、我が耳を疑う。弾かれるように顔を上げれば、暗がりの中ぼんやりと、アレクシアの姿が浮かんで見える。
「アレクシアっ」
 叫び、立ち上がろうとして、引き戻される。忌々しい、ロープ。
「縛られてるの? だ、大丈夫? 一体、何したの?」
 自分が隔離されているというのに、人の心配。ふっと、肩から力が抜けていきます。
「大丈夫、こっちは心配ない。それより……」
 ロウウェンは目の前のアレクシアに違和感を覚え、目をこらします。
「……鏡……」
 漏れたつぶやきの通り、アレクシアの姿は鏡に映ったものでした。ロウウェンの目の前には、大きな姿見があり、そこに小さな灯火と共にアレクシアが映っている。ロウウェンは振り返りました。分かっていたことだけれど、そこにアレクシアはいません。随分と、用意周到です。目の前の鏡は、どこか別の部屋を映している。
「……アレクシアは……」
 鏡の中で、僅かに首を傾げるのが見える。
「ひどい扱いとか、受けてない?」
「ひどいって言うか……確かに、ここに連れてこられたときは、ずた袋に突っ込まれて、だったから、それはひどいと思ったけど、でも……今は、あれは、仕方なかったんだって、分かる。ボク……」
 アレクシアは襟に手を掛け、広げてみせる。
「町の死病に、かかったみたいなんだ」
 鎖骨のあたりに浮かぶ、奇妙な痣。薄墨で描いた、模様のようにも見える。痣。──病の、烙印。
「…………っ」
 くやしくて。何に対してか分からないほど、ただ、くやしい。
「ごめん……」
 俯くアレクシアに、ロウウェンは激しく頭を振る。
「違う、君は悪くない! 謝るなんて、……違うんだ! 僕は、……僕は、こっちにまで病が来るなんて、信じていなかった。他人事だと、思ってた。もっと、……真剣に、考えるべきだった……!」
 沈黙が、降りる。二人とも、自分が何とかしていればと思い、しかしそれはどうしようもないことだったりするのです。
「ねぇ、アレクシア」
 背後に、微かな、気配を感じる。
「僕は、明日からスーシアに行くよ」
「え……町に!? でも、今行ったら……っ」
 冷たい、気配。悪意も敵意もないはずなのに、ひたすら、冷たい。
「解明してくる。病を。……君をむざむざ死なせはしない。だから、待ってて欲しい」
「……っ」
 ぎゅっと、唇を噛む。
「必ず、何とかしてみせる。僕を、……信じてくれ」
「信じてるよ。そんなの、当たり前じゃないか」
 こぼれ落ちようとする涙を、必死で押しとどめている。そんな姿に、
「ただボクは、君に、申し訳ないんだ。こんなことになって、こんな、ことに……っ」
 胸が締め付けられる。
 漂いはじめた甘い香りの中、ロウウェンは微笑む。……微笑むしか、できない。
「君が信じてくれるなら、僕に不可能はない」
「……っ、ロウウェ──」
 再び、闇。




「…………何だ、そりゃ」
 スオーラの呆れた声に、ロウウェンは不機嫌そうに顔をしかめます。
「文句あるのか?」
「いや、ねぇ。ねぇけどよ、ってゆうか……マジで、何、それ」
 スオーラの視線はロウウェンの背後にありました。ロウウェンの背後──メイドさんが二人、兵士が三人います。みな、手に箱を持っています。何やら、寄り目になりつつ慎重に運んでいるようです。
「何運んでんだ? 危険物?」
「まぁ、場合によっては。単なる魔法薬だ」
「単なる? 単なる言ったか!? いやいや、おまえの作る魔法薬はシャレにならんことの方が多いぞ!?」
「また大袈裟な」
「大袈裟じゃねぇよ! そんなん素人に運ばせんなよ! ってか、何、それ、町に持ってくのか? 馬車に乗せんのか!?」
「……何を当然なことを。持って行かないものを、わざわざ表まで運んだりするか」
「そりゃそうかもだけどよ、馬車って、揺れるんだぜ? どう考えても途中で全滅だろ? 全滅だけならともかく、大爆発とかすんじゃね? 幾ら何でもまずいだろ」
「……だから。……君は、僕を何だと思っているんだ? そんな初歩的とも言えないほどマヌケなミスを僕がするとでも? 一個一個、割れないように梱包済だ。緩衝材も抜かりない。そもそも、持って行くのは医療関係に役立ちそうなものだ、爆発とか、どうやっても起こるか」
「……んじゃぁさ、そのおどろおどろしいまでの隊列は何なんだ?」
 スオーラの言葉に、ロウウェンはくわっと牙をむきます。
「知るかっ 多少のことでは割れないし割れても危険はないって説明してんのにこれだっ 何なんだはこっちが言いたいっ」
 大丈夫と言われて安心できるほど、宮廷魔術師の悪名は伊達じゃありません。
 馬車の荷台にこれでもかと言うほど慎重に箱が置かれ、周囲の荷が崩れて押しつぶしたりすることのないよう配慮され。
「まぁ……貴重な薬ではあるから、いいんだけど」
 と、魔術師殿は苦いため息を吐きます。
「ん〜……大体積み終わったか?」
 スオーラが周囲を見回します。
 2頭立ての馬車が10台。それぞれに食料品や医療品、寝具や衣服も積まれています。それから、私服姿の兵士やメイド、文官も数人います。彼らは、望んで町に行くもの。完全に閉鎖される城に残るより、家族の元へ行きたいもの、患者の手助けを望むもの。理由はそれぞれ、行き先は一つ。
 その中に、いかにも知識階級と思しき男性がいます。宮廷医術師のジョシュアです。30代半ば、節制のしすぎのような細いシルエット、めがねの奥の細い目はいかにも神経質そうに見えます。優秀は優秀ですが、多少融通が利かないのも、事実。
「おーい、先生」
 スオーラの呼びかけに、ジョシュアは深々と頭を垂れます。
「陛下、この度は私の勝手なお願いをお聞き戴き、ありがとうございます」
「あ、そんなんいいって。ってか、先生のは休暇じゃなくて、業務命令。仕事だからさ、きっちり病と闘ってきてくれよ」
「はい、この医師生命を賭けて解明して参ります」
「…………かたいな〜」
「は?」
「いや、何でも。うん、でさ、町着いたら、まずはヤン診療所へ行ってくれ。先方には知らせてあるし、先生のための研究スペースも確保してもらってる。今後はそこが病の最前線基地になるから」
「あ……はい、……え? ……その、」
「おう、何だ」
「い、いえ、あの、……診療所、が……」
「最前線基地。いわゆる、ベースポイントってヤツだ。各診療施設とも連携をとってもらって、情報を共有すること。一緒に行く兵士は伝達役に使っちゃっていいから」
「は、はい、いえ、その、そういうことではなくて」
「ぁん? ……何か問題があるか? あ、診療所? ベースがそこでいいのかって? 行けば分かると思うけどさ、結構優秀な医師がいるみたいだぜ? そのセンセと共同研究ってことで、よろしく。これも、業務命令ね」
「わ、……わかりました」
 納得していないだろうことは一目瞭然。町医者と共同研究など、宮廷医術師としてのプライドが許さないのでしょう。それはスオーラにも分かっていますが、だからといって撤回するつもりもありません。そんなちっぽけな自尊心など、焼いて犬に喰わせてしまえと、そう思うのです。
「……さて、じゃぁ、諸君!」
 スオーラは選抜隊に呼びかけます。
「俺にできることは、物資を用意することだけだ。冷酷かも知れんが、それ以上は何もできない。しかも、城は閉じる。病が治まらない限り、君らはここへは戻って来られない。非情な仕打ちだと分かっている。その俺が、言えた義理もないかも知れないが、それでも、」
 スオーラは、一人一人の顔を見る。身分に、関係なく。
「……できれば、死ぬな。帰ってこい」
 言葉にならないどよめき。スオーラは軽く手を振る。
「じゃ、後はよろしくな、先生、ロウウェン」
 ジョシュアは深々と頭を下げ、ロウウェンは逆に天を仰いで、ふっとため息のようなものをつきます。

 そして──
 城は、閉じられる。

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