・・・2・・・


 僕は何故ここにいるのだろう? 

 ふと覚醒した。
 認識する。
 身体のあちらこちらに取り付けられたコード類。

 僕は何故ここにいるのだろう?

 何故?

 何故?

「…どうして」

 思いが「声」になった。

「…すべてを壊さなければ、再生はない」

 そう『彼』は言っていた。

 壊す?

 何を?

 …僕が? 

 突如僕の脳裏に浮かんだ、光景。
 水没した街。
 焼き尽くされた街。
 そこに立ちつくすのは僕一人。ただ独り。
 
 僕は立ち上がった。
 僕は「嫌」だった。

 ここから逃げ出そう。
 そう決意する。


 ガラスを割って、外へ出る。


 ・ ・ ・

 カンカンカンと足音が長い通路に響く。
 氷室はある企業の本社ビル兼研究所への単独侵入を果たしていた。しかし……。
「畜生!!キリがないぜ」
 氷室は舌打ちした。
 時計型の超小型コンピュータは敵の接近を知らせるアラームを鳴らし続けている。背後ではパンッパンッ!!と銃声が聞こえ続けている。
「平気で撃ちやがるか」
 ヘンっとでも言う感じで、氷室は嗤う。
 背後からタタタタタタッという音も聞こえてきた。
「サブマシンガンか…やるねぇ」
 ニヤリと嗤うと、氷室は躍り出た。
 走りながら拳銃を撃ちまくり、なぎ倒していく。勿論、相手の弾はかすりもしない。その身のこなしはさながら京劇だ。
 器用に弾を避けながら、狙撃者に向かっていき、目の前で高くジャンプし、そして強烈な蹴りを見舞う。
「ヒッ!!化け物…」
 吹き飛ばされて相手は言う。
「悪いねぇ、俺は完全にこの手のプロでね」
 律儀に答えて、鳩尾に肘鉄を食らわせる。相手は動かなくなる。それを確認して氷室は言う。
「…伊達に食ってるわけじゃないぜ、この稼業で」
 氷室は苦笑しながら、その部屋のドアの電子ロックを解除していく。ピッと電子音がし、すっとドアが開いた。氷室は銃を構えたまま侵入していく。部屋の照明はない。氷室の足音だけが暗やみに消えていく。氷室はどんどん奥へ進んでいった。すると不意にスポットライトのような明かりがその部屋の一角に落ちた。その明かりが人影をうつす。人影が動いた。
「…良く来たね、と歓迎したいところだが、礼儀知らずの訪問者に付き合ってる暇はない」
 新聞などでお目に掛かる顔がそこにあった。…その企業のトップにして、高名な学者でもあった人物だ。
 その人物が氷室を一瞥した。そしてこう感想をもらす。
「…ほう、こいつは本物の死神のようだな」
「会ったことあるのかい?」 
 氷室はそうニヤリと嗤って言いながら、おもむろにペン型爆弾を投げつけた。
 爆音。
「やはり、映像か」
 ちっと軽く舌打ちしながら言う。
 自らが倒した人間たちを飛び越え、再び通路を走り抜け…出たのは、ヘリポート。
 ヘリのプロペラが強風を呼ぶ。すでにヘリは飛び立っていた。
「また会おう、ハードボイルドな探偵さんよ」
 氷室は空中から呼びかけられた。…それは先ほどの人物――今度は本物だろう、の声だった。
 為すすべもなく氷室はヘリを見送り、呟く。
「やれやれ、じゃあ今日は帰らせていただきますか」
 そう言いクッと嗤ったかと思うと、次の瞬間には振り返りざまに蹴りを食らわせ、さっと武器を取り出す。
「…キャンセル料はしっかり取られるようだな」
 それはどこか楽しむような口調だった。

 襲いかかる人物をほとんどなぎ倒し、氷室は通路を行く。確保しておいた脱出ルートだ。
 その時だった。氷室は不意に出てきた人間とぶつかった。ぶつかった人物が床に倒れた。つい銃口をそちらに向けると、そこには酷く怯えた様子の少年の姿があった。氷室は慌てて銃口を外す。
「…少年?なんで…」
 こんなところに、と言おうとした氷室の背後に少年は回った。
「おい?」
 氷室は少年に呼びかけた。 
「いたぞ!!」 
 不意に声がし、少年がハッと息を呑んだ。氷室はやや怪訝な様子を見せた。
 …どうなっているんだ?氷室がそう声に出そうとしたとき、目の前に数人の男が現れた。手にはスタンガンらしきものを持っている。
 少年がコートを握りしめているのを氷室は感じた。
 男達は氷室に気がつき、一瞥した。 
「おや?こいつか?侵入者ってのは」
 男の一人が言う。そして、スタンガンではなく短銃を取り出し、銃口を氷室に合わせる。もっとも氷室は動じてもいないが。 
「やめろ、傷が付くと困る」
 それに私たちには関係がない、と別の男は言った。
 その様子に氷室は自分の背中に隠れている少年にそっと訊いた。
「…お前の敵か?」
 背後で頷く気配を氷室は感じた。そして前を向いたまま答える。
「成る程ね。俺について走れるか?」
 再び少年は頷く。氷室はそれを感じると叫んだ。
「行くぞ!」
 叫びと同時に少年の手を引き、全速力で走る。…さっきの様子からして、彼らが自分たちを背後から撃つことが出来ないのは判っている。 
 ある程度遠くまで来ると、氷室は少年の手を離した。
「Cポイント1」
 先ほどまでアラームが鳴っていた時計型のコンピュータに氷室は叫ぶ。
「カクニン…リョウカイ」
 マシンボイスが氷室の叫びに答えた。二人の足音が冷たいリノリウム貼りの廊下に響く。
「…待って、そっちは行き止まり」
 少年が氷室に言う。氷室は少年に構わず、袋小路へと突っ込んでいく。そして窓の前で止まった。
「おい!!こっちだ!!」
 後ろからは追手の声がしている。少年は手を握りしめ、祈るような姿をしていた。氷室は窓を開け放ち、その枠に手を掛け少年を振り返った。
「来い!死にたくなければな!!」
 氷室は叫んだ。追手がもう近いことが判っている。躊躇う少年の手を取って、窓から飛び降りる。
 氷室の黒のコートが翻った。そんな姿を少年は見つめている。氷室も少年を見て、ニヤリと微笑んだ。
「……死神?」
 少年はそう呟くと、意識を失った。
「おい?」
 氷室はガクンと力のなくなった少年の身体を、引き寄せ横抱きにした。そして、そのまま、トンと運河の上に停めていたエアカーのボンネットに着地――見事なものできっと10.0を貰えるだろう、する。
 氷室はコートから一枚のカードを取り出す。
 少年を後部座席に寝かせ、素早くコートを脱いで掛ける。そしてステアリングのすぐ横にそのカードを差し込む。
 グィンとエンジンが始動して、水の上を走り出すエアカー。氷室の愛車である。それは流線型でメタリックシルバーのシンプルなデザインだった。
 エアカーは深夜の廃墟街に溶け込み、その姿を消した。

「…逃げられました。方向は旧森ノ宮方面」
 拾っていた無線を聴き、氷室は軽く口笛を吹くとそのスイッチを切った。 
 しばらくして後部座席で軽く呻く声が聞こえた。
「…気がついたか?」
 氷室はバックミラー越しに訊いた。
「僕は…?」
 少年は不思議そうな顔をしていた。
「死神がお迎えに参りました。それとも天使が良いか?」
 氷室はやや人の悪い笑みを浮かべて言った。
「…助けて下さったんですか?」
 少年は訊いた。氷室は嗤って答える。
「いや?」「君が勝手についてきた」
 少年は反論した。
「…僕は何も言ってません。…どうして?」
 最後は消え入るような声だった。氷室はちらりと少年の表情を窺った。
「しかし、死にたくはなかっただろう?」
 氷室は訊いてみた。
「……よくわかりません」
 少年は首を横に振りながら言った。氷室は続けて訊く。
「生きるってこともか?」
 その言葉に少年はコクリと頷いた。
「なら、正解か」
 ぽつりと氷室は呟いた。
「え?」
 少年は訊き返した。氷室はポケットからキャメルを取り出し火をつけ、一つ深く吸い込み、紫煙を吐き出しながら答えた。
「君を見殺しにしなかったことさ」
 それはほとんど独白だった。少年は俯いた。
 氷室はエアカーを飛ばした。いったん京都へ――この都市は変わらなかった、入る。そして京都の街を一周すると、エアカーを再び旧大阪へと向かわせる。その間中沈黙が続いていた。
 京都の街を仕切っているゲート――京都を水没から守るために作られた堰だ、を越える頃、やっと氷室が沈黙を破った。
「……偶然だ。別に君を助けるつもりはなかった」
 氷室は言う。 
「ひょっとしたら、『死』こそ助けだったのかもしれない」
 その、どこか遠くを見るような目つきに、少年は氷室をじっと見つめた。そして訊く。
「助け?」
 氷室はステアリングを握りしめ、前を向いたままで言う。
「…救い、だ。多分」
 口元でキャメルが揺れている。…何本目だったか、もうおぼえていないだろう。少年はそのキャメルの火をじっと見つめていた。
 不意に氷室は少年に訊いた。
「…名は何というんだ?」
 氷室は言い終え、少年の目を見つめた。…氷室にしては珍しいことだった。
「…カイ。有沢 海」
 少年――有沢はそう答えた。
「俺は氷室 真という。氷室と呼べば良い」
 氷室はそう言うと、前を向き直った。もう旧大阪の街に入ろうとしていた。脇に朽ち果てた昔の交通標示を見る。支柱の半分以上が水に浸かっている。エアカーは「天王寺夕陽丘」と書かれた方向へ向かっている。氷室はステアリングの横のボタンを押す。ガラス窓が閉まった。やがてエアカーは水の上を走り出す。
「で?どうする?」
「え?」
 氷室の突然の目的語の省略された問いに有沢は訊き返す。 
「…行くとこがないんだったら、うちに来い」
 有沢は驚き目を見開き、そして遠慮がちに言った。「いいのですか?」
「勘違いするな、ボランティアじゃない。ちょうど事務員が欲しいところでね。まあ、すこしばか強引なスカウトになっちまったが。…どうする?」
 氷室はまた人の悪い笑みを浮かべた。しかし有沢は思う。……柄や言葉遣いは悪いが、氷室はきっと悪い人ではないと。「来い!!」と叫んだときの氷室の表情を有沢は思い出した。 
「…ならお世話になります」
 有沢は言う。氷室はその様子に一つ頷き、言う。
「ま、よろしく」
 氷室は少年に笑いかけた。

 二人を乗せたエアカーが通り過ぎた交通標示には「天王寺夕陽丘」と書かれていた。


(高原さんのコメント)
…相変わらず、良く話が見えない展開です。そのうち改稿させてもらうかもしれません(T_T)。いや、連載って大変ですね(苦笑)。
ということで、3話目頑張ります。
それでは、また。




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