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 ホシナ大探偵
 押川春波
 

   (五)一目見て仰天

 夫れから一時間ばかりすると、保科君は全くいつはらぬ本來の服裝、態度にふくした。ホテルの僕のしつで、僕が保科君と對座さしむかひになると、突然妙な好機會をつかむに至つた經路に就て、保科君は簡單に説明した。彼は最う東京を離れてもい事情になつたので、僕に逢つて更に執る可き方針を示す爲に旅立つたのだ。うして保科君は得意の變裝で、全然すつかり勞働者に成りすまし、わざと僕の出て來るのを路傍ろぼうの居酒屋で待つて居たのである。
「渡邊君!いやうも君の探偵には恐れ入つたね、んな失敗しくじりをされちや、一寸ちよつと回復する事は出來ん、矢張やはり最後の成果を收めるには、何うしても秘密主義に限るよ、いたづらに各方面に警報をあたへてしまつちや、なんの事はない其のたび毎に手掛てがゝりを無くして行く樣なものだ」
 これには僕は大不滿だつた。
「なあに君が横合よこあひから餘計な手を出すから不可いかんのだよ」
戲談ぢやうだんぢやない、僕が出なかつたら夫れこそ大變だつたのさ、時にきみの旅舘に恰度ちやうど郡司ぐんじ君が宿とまつて居るやうだ。あの人に逢つたら、更に有効な手掛りがありはせぬかと思ふが、何うだらう?」
 程なく一枚の名刺を通じて、此座このざに現れた人を一目見ると僕は吃驚仰天びつくりぎやうてんした。それは前刻さつき街上がいじやうつかみ合つたとうてき、例のほう[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]ひげの惡漢では無いか、先方でも僕を見て驚いた。
「保科君、こりやきみなんだい、僕は君が手紙を呉れたからいに來たんだが[#「遭いに來たんだが」は底本では「遣いに來たんだが」]、此人は全体何です、事件に多少の關係でもあるのかね」
 と先づほう[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]ひげの方から先に尋ねる。
「あゝ、此人ですか、此人は僕等の會員でね、僕の竹馬の友たる渡邊君だ。此の事件には大分だいぶ骨を折つて居て呉れるのだ」
 保科君がう云つて紹介すると、その男は大きな日にけた右手めてを出して僕に初對面の挨拶を述べる。
「イヤ僕は最う君に敵意なんか有りはせん、君が突然だしぬけに僕を捉へ、孃の一しんの事を問責もんせきした時には、殆ど喪心せん斗り驚いた。あんな驚いた事は無い。ありや君僕の責任とひせめぢや無い、僕の神經は何うも興奮して居るから、先づそれは夫として、保科君、君に一寸聞きたいのだが、君はうして僕の居るのが解つたかね」
「ハツハツハツ、僕はね※(「#変体仮名え」)君、楠子孃の財政管理人たる土船夫人と懇意なんだ」
「をううか、僕も懇意だよ」
「夫人も君の事はく知つて居たよ、なんでも君が滿州に出掛でかける事となつた時ね、あの數日前だつた、僕は初めて夫人から君の話を聞いた」


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