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 まだらの蛇
 高等探偵協會
 

   三、怪婦人の姉の不思議の變死
……あゝ恐しい怪しい斑點まだらの黄色い紐!

蓮「アヽ斯はなししてゐます内にも其時のことが明瞭はつきりと眼に浮んで身内がゾク/\と致します。唯今も申しました通りいへは誠に廣く現今いまは片屋根ほか使つて居りませぬ。家内の樣子はくわしく申上げる必要はありませぬが、唯寢室ねまの事だけを申上げますと、家の中央の廣間から一番目が父、其の次があね[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、23-2]、其次がわたしへやで御座います。しつの間は板壁でちつとも通ひ道はなく、しついづれも一方は硝子窓がらすまどで、其下は芝で其處そこから庭を見渡し、一方は建物の裏面うらに出來た廊下に入口があります。これでお分りになりますか知ら……。」
緒「え、大抵分ります、何卒どうぞ御先を……。」
蓮「あね[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「丿」)、「姉」の正字」、U+59CA、23-7]の死にます晩は繼父けいふは早くから寢間に入りました[#「寢間に入りました」は底本では「寢間に入りまた」]。併しとこへは入らなかつた樣子で印度莨いんどたばこはげしいにほひで姉は堪りかねて私のへやへ來まして、自分の結婚の事なぞ機嫌よく話して居りましたが、十一時になると自分の室へ歸つて行かうとして、入口の所で立止まり。」
姉「蓮ちやん、おまへこの頃眞夜半まよなかに口笛を吹いてゐるのが聞こえないかい。」と云ふのです。「いゝえ。」と私が申しますと「私は又、おまへが夢中で吹くのかと思つたよ。」と申します。私が「そんな筈はない」と申しますと、姉はこの二晩三晩夜半よなかの三時頃になると何處どこからとなく口笛の音がして、隣の室とも思へれば庭の方からとも聞かれる、私にも聞こえるか聞いて見やうと思つて居たと申します。私は「口笛なんぞ聞いたこともありませんが、多分庭の乞食共が吹くのでせう」と答へますと、姉は餘程それが氣に掛つたものと見えまして、「だつて庭からなら汝にだつて聞こえるぢやないか。併しそんな事は何だつていわ」と私を見て莞然につこりと笑ひながら室を出てきましたが、間もなく自分の寢室ねまぢやうおろす音がしました。
[#「緒」は底本では「蓮」]「エツ、錠ですつて、何時も貴女方は錠を降して御寢おやすみですか。
[#「蓮」は底本では「緒」]「え何時も。」
緒「何故です。」
蓮「先刻も申上げました通り、繼父まゝおやが豹だの大猿だのを放養はなしがひにしますので、寸時ちよつとも油斷が出來ません。」
緒「成程、成程。何卒どうぞ御先を。」
蓮「蟲が知らすとでも申しますか、其晩に限つて如何どうしても寢付かれませぬ。何だかふ淋しくて、殊に其晩は大變な暴風雨しけで御座いまして、風は吼えるやうに吹きますし、雨は硝子窓に小砂礫こすなつぶてぶつつけるやうに降ります。此騷々さう/″\しい中に突然物凄い婦人の悲鳴が起りました。しか其聲このこえ[#ルビの「このこえ」はママ]は確かに隣の姉の聲です。私は思はずとこから刎ね上つて有り合せの肩掛シヨールを引掛けたなり廊下に飛び出した途端、姉が先刻云つた樣に口笛の音が明瞭はつきりと聞こえました。ハツと思ふ間もなく今度は鏘々ぢやら/″\と云ふ音がしますと同時に姉の寢室ねまの戸は錠が廻つて自然と開きました。私は廊下のランプの薄明りで姉のへやを覗き込むと思はず總身そうしんがゾツとしました。姉は死人の樣に青白くなつた顏色がんしよくに、何か助ける物をつかみさうに兩手を振り廻し、泥醉よつぱらひのやうにて、私が吾知われしらず走り寄つて抱擁だきかゝへやうとした時、姉は腰がもう立たなくなつたのか、グツタリと座つて苦しさうに身悶えして「まだらの紐!」と斯ふ云つて四肢は一時に痙攣を起しましたので、隣の父の室を指さしながら、私の兩手をしつかりと掴んで、
姉「アヽ苦しい。アヽ恐ろしい。。」
 斯ふ息も絶え絶えに口走りますと、痙攣を起しました身體は、次第に剛直こはばつて來まして、私が。
蓮「姉さん。姉さん。」と呼ぶ聲も耳に入らぬのか、兩眼りやうがんを恐ろしく釣上げまして、自由の叶はぬ手を無理に動かして、隣室の壁の上を指すと其儘絶入たえいつたやうになりました。父も私の呼聲に周章あはてて出て來まして、寢衣ねまきのまゝ姉の側に駈け寄りブランデーを口にそゝぎ入れましたが、姉は眼さへ開きません。後で駈け付けた醫者が何の役に立ちませう。姉は遂々そのまゝの世の人になつて終ひました。」
 蓮子の物語は、一寸途切れたので、緒方氏は
緒「その口笛と金屬の鏘々ぢやら/″\と云ふ音を御聞きになつたのは、確かでせうね。決して間違ひはありますまいね。」
蓮「それは確かに聞いたに違ひありませぬ。あの暴風雨あらしの音の中でも明瞭はつきりと聞こえたのですもの、決して間違へる筈はありません。」
緒「ハヽア成程。さうして姉樣ねえさんは、着物は着てゐらつしやいましたか。」
蓮「いゝえ寢衣ねまきのまゝです。さうして右手にはマツチの燃えさしを左手にはマツチの箱を持つて居りました。」
「さうして見ると變事の起つた時に直ぐあかしを點けて周圍あたりを見たものと思はれますね。これが大切なところの樣に思はれますが、警察では如何云どういふ意見でした。」
蓮「繼父ちゝは直ぐ警察から目を付けられて嚴重に取調べを受けましたが、何の證據もない事ですし、其まゝになつて居ります。何しろへやの入口は内側なかからキチンと錠を降してありますし、硝子窓も扉が閉ぢて鐵棒が嵌めてありますのが、其儘になつて居ますし、壁もとこも異常がありませぬもの、誰を疑ひ樣も御座いませぬわ。その上、何處どこに一つきづらしい所もありませず、暴行を加へられた風もありませんのです。斯うなつて見ますと、姉は全く一人で死んだと考へる外はありませぬ。」
緒「ウーン……全く奇怪ふしぎですね、ぢや毒殺の疑ひはありませんでしたか。」


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