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 白髮鬼
 黒岩涙香
 

        七

 余は最早た暗闇の苦痛に堪得ず、燈火あかりだに得ば死すとも厭はじとまで思ふに至りぬ、アヽ何とかして一點の燈火とうくわを得る道は無きや。
 余は心を靜にして考へ初めぬ、此墓窖の兩側には葬式の時、蝋燭を立例たてつらねる爲め九個こゝのつづゝ石に刻みたる燭臺あり、余を葬りしには一切の儀式を略せしに相違なけれど、夫にしても一挺の蝋燭だに燈さずして深き眞つ暗闇へ余の棺をかついりたりとも思はれず、兔に角も左右十八個の燭臺を探り見れば其の孰れかに燃え殘る蝋燭の無からんや。
 余は斯く思ひ附きて早や燈火あかりを得し心地し、ホツと息して探り初るに既に方角を失ひし事なれば容易には壁の下まで至り得ず、右に左に這廻るうち又思へば蝋燭は既に火有つて後にこそ用を爲さず、燈す可き火を得ずして蝋燭ばかり有たりとて何にかせん、余は益々運の盡しを思ひ、又絶望して尻餅をく如くに其所へ据りしが、若しや余の身に纒ふ衣嚢かくしの中に燐寸まつちの其儘有りはせぬか、余は大の烟喫家たばこずきにて燐寸を衣嚢より離せし事なし、先づ震へる手先にて腰の周圍を撫探るに、有るぞ/\、衣嚢の中に何やら堅き物確に有り、第一に取出せしは、散錢ばらせんを入れる財布なり。餘ほど取急ぎて葬りし爲め衣嚢の中をすら檢めざりし物と見え、幾片いくひらの金銀貨其中にて音を爲せり、次に取出せしは余が戸棚其他の鍵一束、其次は名刺入にして、最後には有難き燐寸なり。
 然り讀者よ、余が常に持居たる燐寸なり、是さへも有る程なれば定めし煙草入も有る事ならん、最早や周章あわてるに及ばぬ事、ドレ一ぷく吸ひて度胸を定め其上の事にせんと更に又衣嚢を探るに、ハテな、煙草入だけは無し、察するに金銀製の極めて高價なる品なりしかば是だけは宣教師が余の妻へ遺身かたみとして持行たる者ならん、ナアニ驚く者か、煙草を呑まずとも夫が爲に死はせじ、燐寸だけにて澤山なりと早くも心を取直して、先づ一本を擦て照すに、パツと發する其光そのあかりは實に第二の命なり、是にて此穴より出らる可しとは思はねど、限り無き暗黒に攻らるゝ其苦痛だけは追拂ひたり、見れば余の据れる所あたかも余が押開きたる彼の棺のそばなり。
 余は更に第二の燐寸を照し先づ四邊を見廻すに、讀者よ嘘に非ず、全く余が棺のかたへなる燭臺に猶ほ三寸ほど殘りたる蝋燭あり、しめたと高く叫びつゝ余はをどり寄りて其蝋燭を外し持ち、第三の燐寸にて之に火を附け、宛も武士が古戰場をとむらふ如く余の棺に振向ふりむきて眺むるに、棺も棺、流行病の死人を葬る爲め此頃葬儀舍の店先に幾百と無く積嵩つみかさねある出來合の粗末なる棺にして伯爵波漂とも云はるゝ余が斯も墓なき葬式を營まる可しとは思ひも寄らぬ所なりき。去れど粗末なる棺なればこそ破りて外に出る事をば得しなれと思へば腹も立ず、棺の表に波漂羅馬内はぴよろうまないと記したる文字ありてかたへに八十四年八月十五日正午死すと有り、死したるが十五日の正午にして今は是れ何時なんどきぞと胸を撫でるに、時計も彼の煙草入と共に妻へ遺身に送りしと覺しく茲には無し、棺の底にチラ/\、光る物あるは何ぞ、更に余は膝を折り身を屈めてく見るに、個は象牙と紫檀を組合せたる十字架にして確に彼の宣教師が胸に掛居たる者なり、讀めたり讀めたり、教師は相當なる宗教上の儀式をも施さずして余を葬ることの痛ましく、其の慈悲深き心よりして余の胸に其十字架を載置きたるが、余の跳起るとき棺の底に落たるならん、若し此穴より拔出る事を得ば其親切を謝し、此十字架を贈返さんものと余は取上て衣嚢に入れたり。
 讀者、讀者、是より後の事は餘り異樣にして讀者殆ど誠とは思はぬならん、然り余が今考へ見るも實に奇中の奇なればなり、去れど余は有の儘を記す覺悟、讀者が如何樣にも思はば思へ、余は讀者の思白おもはくを恐れて筆を曲る事能はず、事實は飽く迄も事實として記さずばあるべからず。
 讀者、余は此時まで膝を附き居たるが、十字架を納めて立んとする折しも、蝋燭の光りにえいじて鋭く余の眼を射、ピカリ/\と輝く者あり、余は早速に取上げ見るに是なん女の耳に垂るゝ耳輪の一方にして世に珍しき程の眞珠と、澄渡る一個の夜光珠ダイヤモンドを繋ぎし物なり、孰れより落たるか定めし余の先祖が用ひたる者にして、何かの爲に棺より出たる者なる可しと、余は先づ四邊を見廻すに果せるかな傍らに長さ七尺に餘る大寢棺おほねぐわんあり、其葢の碎け掛りて有るを見れば、棚より落たりと察せらる、更に起上りて棚を見れば、如何にも此棺を置きしかと思ふ場所あり、其下には木の丸太にて作りたる突張棒つゝぱりぼうと覺しきもの横はれる有り、余は大方合點行きたり、余の棺宛も其棒の許に置き有りし爲め余が棺を破りて飛出しとき其棒を倒せしなり、倒るゝと共に上なる大寢棺は支へを失ひ落たるなり、如何にも余が足許に凄じき音して何やら落來りて飛散りし事は余既に記したり、彼の品物は是なりき、是なりき、余は若し元の棚に此棺を舁上かつぎあぐる事は出來ぬやと思ひ手を掛けて其棺を動さんとするに重さ何十貫とも知られず、余の力にてはゆるぎもせず、如何に堅固なる棺とても斯まで重き筈は無きにと更に外側を檢むるに何の名前も月日も無く、唯だ横の方に、朱を以て一個の短劍をえがきたるのみ、ハテな、赤短劍せきたんけんとは兼て聞きたる覺えも有れど其何の符牒ふてふなりしやは余考へる暇なし、余は唯だ其葢の破れたる所よりチラリチラリと映じ出す異樣なる光に眼を奪はれ、篤と之をのぞき見るに、讀者、讀者、是なん口の開きたる革袋にして中に金銀珠玉樣々の品あるを見る、余はハツと驚きて先づ蝋燭を棚の上に置き、猶ほ其葢を開き見るに此類の袋凡そ五十個ほど大棺の中に滿々みち/\て袋の中は眞珠、夜光珠を初めとし黄金白金こがねしろがねの細工物、各國の金貨銀貨幾千と云ふ數を知らず、凡そ孰れの國の國王とても是ほどの寶を見し事なからん。
 余は餘りの事に魂消え我が境涯の恐ろしきも全く忘れ、其袋をいだしてはし、棺の外へ積上るに袋の全く盡きたる後より又現るゝは伊太利及び英佛兩國の紙幣の束にて是も、何百萬圓か數が分らず、嗚呼是れ誰の物ぞ、余が家の墓窖より出で余の手にて發見す、余の物に非ずして何ぞや、余の家は兼て伊國にて一二を爭ふ豪家なれど今は世界一の大豪家なり。是夢か否夢に非ず、金銀は眞の金銀、珠玉は皆眞の珠玉、夫にしても何人が隱し置しぞ、余の先祖と言ひたけれど先祖は是ほどの物持に非ず、アヽ余は知れり、余は知れり、赤短劍の符牒にて余は知れり、此符牒是れ當時世界に海賊王と名を轟かせ、地中海の一島に潜伏する伊太利人輕目郎かるめろねりと云ふ者の一隊の符牒に非ずや、此の大寢棺即ち是れ今まで幾多の警官が探り/\て其所在を知り得ざる海賊王の寶藏はうぞうなり。


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