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 白髮鬼
 黒岩涙香
 

        三

 讀者よ、魏堂の誡めたる異樣なる言葉にも似ず、是より三年の間は唯だ樂みの増すのみなりき。生れたる女の子には星子ほしこと名前を附け、乳婆うばの手に渡したるが、一日は一日より成長し、這ふかと思ふうちに立ち、立つうちに歩み、歩むうちに片言を言覺いひおぼえ、八十四年(明治十七年)の夏の頃は、父よ父よと余の跡を追ふ愛らしさ、世間の幼兒をさなごに比べては一入ひとしほ智慧も早きかと思はれたり。
 此年の夏は實に無慘なる夏なりき、世にも恐ろしき激烈なる傳染病流行し、子は父を看病せずして逃げ、夫は妻の枕元に近寄らず、いとも臆病なる伊國人いたりやじんの事なれば傳染と云ひ流行と云ふ言葉に恐れ、親も子も老も若きも一旦之に罹りては到底助からぬ事の樣に思ひ、唯だ我が身に移らぬをのみ願ひて義理も人情も全くに忘れ果たり。
 唯だ余の住居すまゐたる羅馬内ロマナイ家の屋敷のみは高き岡の上に在りて不潔なる町屋と離れ、空氣もきはめて清淨なれば下僕しもべの者までもまで恐る樣子無く、殊に余は妻那稻の顏、見る度に斯る美人の住居へ如何で疫病などの入來る事あらんと安心し居たり。斯る有樣なれば魏堂も避暑を兼ね避病を兼て余が家に來り泊り、那稻と余と三人にて三兄弟の如くに打解けて打交り、笑ひ興じて日を送るがなかにも、那稻は聲の麗しきに加へて音樂も亦たくみなれば凉しき所に樂器を置きて余の好める樣々の歌を奏し、魏堂も亦かねて其道の堪能者なれば、稻と並座ならびざして調子を合すなど余の住居は宛ら仙人境に異ならず、余も音樂一通り知ぬに有らぬも魏堂ほど巧ならぬ爲め、多くは日頃愛讀する書物をりて縁側に出で魏堂と那稻の音樂を我が背に聞きながら、顏は吹き來る清風にさらし、晝寢の夢を催すまで書を讀みたり、此の萬福なる境涯へは疫病神も、行くも邪魔にさるゝと斷念あきらめてか一片の挨拶にも來らず。
 或朝の事、余は庭木の影に吹く朝風の如何ほどひやゝかならんと起上おきあがりて寢床を脱出ぬけいで、那稻の夢を破らぬ樣、先づ靜に着物を着替つけかへ、イザ出行いでゆかんとして又も其寢顏を見返るに、笑をふくみし唇は余が名を呼ぶかと疑はれ、黄金こがねの如き髮の房は枕にれて薄紅の色をおぶる細き首のほとりにまつはるなど愛らしさいはん方なし、此愛らしき姿も心も、全く是れ余の物にて、四年の間他人に指もさゝせぬかと思へば、余は我身の果報が勿體なく胸一ぱいに嬉さが込上げて、思はずも其枕邊まくらべに立返り、散らばる髮の一房を手に取上げ、之に鼠泣ねずみなきの如く接吻きつすし、顏もくづるばかりの笑を帶て立出でしが、今より思へば是がいとも長き後悔の初りなりき。
 昨日の暑さに引替て庭の木影の凉き事、ながら秋かと思はるゝばかりなれば、余は歩み歩みて塀の外に出て、裏畑の小徑を傳ふ折しも、忽ち一方の物影より尋常たゞならぬ苦痛の叫び聲聞え來しかば、何事と怪みて早速其方に立寄り見るに、痛ましや年十二三の菓物くだもの賣歩く里の童、色青冷めて打仆うちたふれ、今やしなんとする人の如く息も絶々に苦み居るにぞ、余は其肩に手を掛けて「コレうした」と問ふに、彼は漸くに顏を上げ「いけません、傍へ寄ては了ません。流行病ですよ、最うとても助りません」と打叫べり、流行の惡疫とて余は少しも恐れねど、那稻余が妻、星子余が娘、二人の爲には恐れざること能はず、ぎよつとして思はずも一歩ひとあし退きたれど、彼とても人の子なるに如何で見殺しになる可きぞ、よし手遲れと爲るまでも然る可き醫者を呼來り遣らんものと「ナニ我慢しろ、我慢しろ、病氣が皆惡疫と云ふ譯では無い、ドレおれが醫者を呼で來て遣るから」と斯云ひて余は裏道より一散に町を指し馳下はせくだりて、但有とある醫師の家に飛込み、事の次第を物語るに醫者は目を丸くして余の顏を見「イヤ最うまゐつても無益です、今頃は死で居ませう、わたくしを迎へるより役所へお屆けなさるが好いでせう」是が醫者の云ふ可き言葉なるか、余は殆ど呆れ返りて「イヱ未死まだしには仕ませんから兎に角も御出張を」醫「イヤ御免かうむりませう、私しとても傳染せられては困りますから」と云ひ、余が二の語をがぬうち彼れ余の顏を叩かぬばかり玄關の戸を締切りたり。
 醫者さへも斯云ふ程なれば當時一般の町人まちびとが如何ほど惡疫を恐れしやは充分に明白ならん、余は立腹して茲を去り猶も街上がいじやうに居合す人を捕へ余と共に來れと云ひ莫大の賃銀ちんぎんを遣らんと云へども誰一人應ぜねば、、余は殆どこうじ果て「ヱ、ヱ、手前等は卑怯な奴だ、人情知ずだ、病人を見殺しにするつもりか」と罵しれど返事は唯嘲笑ふ聲のみ。
 斯る折しも孰れより來りしか、一にんの宣教師、余の前に出で「私しが行きませう」と云ふ流石は宗教に身をゆだぬる人ほど有りと余は感心して其手を取り「では何うか御一緒に、せめては彼の家へまでもはこんで遣り度いと思ひますから」とて共々に走り來る途々みち/\も、猶ほ病人の有樣を語り又余の姓名をも名乘るに、彼れ兼て余の名を聞き知れる者なれば「イヤ貴男の樣な御身分で、是ほど迄の御親切は感心の外有ほかありません」と余を褒めたり。
 余は「ナニ是くらゐの事は人たる者のつとめです」と未言切いまだいひきらぬうち、忽ち余が胸の底につんざく程のいたみあり。足も腰も動ずして余は其儘道の上に絶入たえいるかと疑はるゝ程なれば、重く宣教師の手にもたれ掛るに、教師は驚きて「ヱ、どうかしましたか」余「ナニうも仕ません、あつさあてられたか少し目がまはる丈の事です」と何氣なく云ふうちに唇も早や震へ、喉は火の如く燒附きて聲を成さず、少しぐらい目のふドコロか足許の大地より動き出して海も山も一時に覆へるかと疑はる。讀者よ、云ふ迄も無く余も自ら彼の惡疫に取附かれしなり。余が自ら支へ得ずして倒るゝを、宣教師は夫と見て扶起たすけおこし直ちに近邊なる酒店さかみせ抱入だきいれたれど、余は自ら到底助からぬ事を知りたり。


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