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 白髮鬼
 黒岩涙香
 

        一

 讀者よ、余はおになり、人死すれば之をと云ふ、余は一旦死して生返りたる者なればなり、人にしてにして人、思へば恐ろしき余の鬼生涯きしやうがいこゝろみに余の故郷なる伊國いたりやネープル府にきて伯爵波漂はぴよは如何にせしぞと問へ、異口同音に波漂は既に死したりと答へん、役場の戸籍帖をあらたむるも波漂はさる八十四年の激烈なる惡疫にかゝり死したるを知らん、余は即ち其死したる波漂なり。戸籍上、法律上は全くの死人なれど余は猶ほ生て此世に在り、當年よはひ三十歳、身體健全の一男子げんに此通り筆取りて自己の鬼生涯を記しつゝ有るなり。顏には男盛をとこざかりの血色を留め、まなこえて星に似たり、唯だ異なるはかしらの髮のみ、元は漆の如く黒く東洋の人かと疑はるゝ程なりしも今は白きこと雪に似たり、たゞ一筋の黒き毛を探すとも得べからず、三十にして白髮頭、是れ余が他の人に異なる所、其外そのほかには何のかはりも無し。
 逢ふ人誰一人余の白髮はくはつを怪しまぬは無く、あるひは遺傳かと問ひ、或は非常なる心配にて白くなりしかと問ひ、或は赤道直下の如き熱き地を旅行せし爲にもやと問ふ。余は笑て答へざるなり、答へたりとて、到底信ずる人無からんと思へばなり、余の黒髮の白くなりしは、死せし身體からだが生返りしと同じ程不思議なり。
 今は唯だ親切なる醫學士に其次第を聞かれた答へざるあたはず、余は黒髮の變じて白髮しらがと爲りたる其一年間の事を、思ひいだすがまゝに書記さん、否思ひいだすまでも無く其の一年間の事は一刻も忘れ得ず、此後こののち百年が千年たつとも、忘るゝ事よもあらじ。
 讀者よ、余は伊國いたりや第一の豪家とまで評されし伯爵霏理甫羅馬内ヒリポロマナイの一人息子、伯爵波漂はぴよなり、余の生れし家はネープルの港に臨む景色き岡の上に在り、生れて間も無く母に分れ、十七歳まで父の手に育てられしが父も其年に死したり、僅か十七歳にして莫大なる身代の持主と爲りし事なれば、知れる人々は却て氣遣ひ、れ必ず酒色にふけり親の遺せし身代をきずつくるならんなど云たれど、余は色にも酒にも博奕ばくちにも其他のおごりにも耽けりし事なし。去ればとて余りの儉約家と笑はるゝも好まねば、唯だ身代相應に暮したるのみ。若き娘を持てる親達は折に觸れ時に觸れ余を招きたれど、余は讀書と友人の外に樂み無く、大抵は斷りて招ぎに應ぜず、余が讀める書物のうちには女を惡樣あしざまに書けるが多く、或は如夜叉なりと云ふも有り、或は男の心を麻醉させる毒藥なりと記せるも有り。余は寧ろ女を視て險呑なる者の樣に思ひ、それよりは安心して打解うちとけし男友達とまじはるが無事ならんと心のそこにくゝり居たり。人來らば歡びて之と交り、きたらずば獨り書を讀みて古人を友とす、今思ひても之ほどのたのしみは無し。
 友達のうち殊に最もしたしかりしは余と同年にて同じ學校を卒業せし花里魏堂はなざとぎだうと云ふ男なり。彼れは余のとめるに引代ひきかへ何の身代とても無く、而も余と同じく幼き頃父母ちゝはゝを失ひ、唯羅馬府ローマふに一にんの叔父あるのみ。叔父の仕送りにて世を送れど、是れとて身をさゝふるにたらざれば、學校を出て後を稽古し上手に至らねど多少の畫料ぐわれうは得る身と爲たり。殊に余が彼を愛し、用も無き畫を描かしめてあたひ高く買取るなど、夫と無く充分に保護を與へ居しため、別に不自由と云ふ事も無く、交際場裡かうさいぢやうりにも立交じりしのみかは、彼れ殊に綺倆好きりやうようまれにして女かとも見ゆる程なれば、余と違ひて婦人社會の交際も有り、常に余に向ひて女の事を説勸ときすゝめ、言葉巧みに言廻いひまはして人生の幸福は女の愛の外には有る事なしと云ひ殆ど余の心を動かす程なりしかど、余は彼れの歸りし後にて再び古人の書を讀めば元のひやゝかなる心にかへり、魏堂ぎだうよ、魏堂よ、余は汝と交る外に樂み無し、と獨り叫び、心にも亦く思ひたり。凡そ此頃の余と魏堂との間ほど親み合ふ友達は世に又と無き事ならん。
 去れど人の心ほど移り易き者は無く、心移れば樂みも亦變り、おこなひも亦變らん。余が斯くしづかなる月日を送るうちにも余は知らず/\心の移る時に向ひ居たり。忘れもせぬ八十一年(明治十四年)五月の終はらんとする頃なりき、魏堂は羅馬の叔父のもとくとて一週間ほどの留守と爲り、余は唯獨り家に在りて殆ど退屈に堪へざれば晝過ひるすぎより遊船こぶねをネープルの港に浮べ、日暮頃まで灣の中を漕廻こぎめぐりしが、其中そのうちに疲れを覺えたれば又も船を着け陸に上り、我家へと歸らんとするに、其道にて孰れよりきたるとも無く、いとと微妙なる唱歌の聲の聞こゆるにぞ、余は恍惚と聞蕩きゝとられて歩むうち聲は次第に近くなり、やがて道の角一つ曲れば、余の直ぐ目先に五六人の少女群居むれいて、音樂教師かとも思はるゝ一老人に引連られて、且つうたひ且つ笑ひて、餘念なく戲れるを見る。
 讀者よ、余は實に此時までも女に心奪はる可しとは思はざりき。此時初て今までの愚さを知れり。女、女、女ならでは人生の樂みなしと魏堂の言ひしはこゝなるト思ひ出す事も忘れて、余は只管ひたすらに其中の一にんに見入りたり、微妙なる其聲で唱ふ一にん、是れ人か是れ天女か群居る中に唯一人ひとり輝くばかりに美しき其面影、年十六は既に、十七にはいまだし、何等のまなこ、何等の唇、古人が毒藥と評せしは猶此女の生れいでぬ先なればこそ、然り世間の女皆毒藥にして此女唯一人其毒を消す囘春劑きつけぐすりか、余は其姿を見るばかりにて二十年來の味き無き浮世より天國に生れいでたる心地せり。手の舞ふも知らず足の踏むも知らず、人の怪みて余の姿を見るもすべて知らず、眼中唯だ其可憐なる姿あるのみ。


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