二 不思議の
珍廣告
客はやをら新聞紙を取上げ
其廣告欄の一個所を
指して
「まづこゝを御覽下さいまし、
抑々のお話と申すのはこゝから始まつてゐるので
厶います。」
醫學士が受取つて
讀下せば――
若禿組合員募集廣告
故渥川伊佐雄氏の遺囑より成る若禿組合に新に一名の缺員あり。依て募集す合格者には日給一圓五十錢を呈す可し。年齡三十五歳以下にして身體強健、職務勉勵の者は何人と雖も應募資格あり。來る十二月三日午前十一時撰※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、228-5]試驗を執行す、應募者は同時刻に牛込區東五軒町七番地の同組合事務所に出頭すべし。
「一
體こりや何の事でせう!」
と醫學士は二三度讀返しながら
呆氣に取られた
體。
「隨分珍しい廣告ぢやらう。」
と博士は
毎時物に
※[#「執/れんが」、U+24360、228-11]中した時にする樣に椅子ごと
體を
搖りながら、
「さア大津さん、詳しく始めて下さい、
貴君の
身上、御家族の樣子、
此珍廣告の影響、殘らず承はりたい。中尾君、君は先づ
其新聞の名と發行日とを書き留めてくれたまへ。」
「大正元年十一月二十六日の「東京日報」です。丁度今から三月前のですな。」
「宜しい。そこで大津さん――。」
「ハイ、お話致しませう。
私が實は先ほども
申上げました通り日本橋の本石町で
些とした質屋を
營んで居ります者で
厶います。」
「
其殊勝な番頭さんは
何と言ひなさるな。」
「
須山仙吉と申しましてね、それは/\目から鼻へ
※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、229-12]けるやうな
怜悧な人物、全く給料なしでは可哀想ですけれども、
先方から望んで來る者を斷るにも
當りませんし。」
「さう/\、
幸福な者を置き
當てられた。併し給料なしで
其樣に働くと…………はゝア、何ぞ一つ位は
缺點が有りは
[#「缺點が有りは」は底本では「缺缺が有りは」]しませんかな。」
「
否え何も
厶いません。たゞ
寫眞道樂でしてな、私の
家と申しますのが、以前外國人の關係した
何商會とやらの事務所の跡だと申すので、質屋には
不似合、それで
高襟な所は
大方先年造り變へましたけれども、地下室と申しますか、變な
穴藏みた
樣な物だけは潰さずに置いて物置同樣にしてあります。それへ
奴さん時々入りましてな、寫眞の
種板なぞを
弄つて居ります――まア
其位な事で、その外は全く無類の奉公人で
厶います、ハイ。」
「今でも奉公して
居るのぢやね。」
「勤めて居ります。外には婆さんの
御飯焚きと十八になります私の
妹とが居りますばかり。」
「十八になる妹さん………ふム、年頃ぢやな………美しい
方で有らうか。」
と博士は大眞面目。
「へゝゝ、
其邊は
如何で
厶いませうか、
親身の妹で
厶いますから御免を
蒙りまして………何しろ
氣質の
柔しい子で
厶いましてな、家内の
失くなつた後、私の始末をば一切致してくれて居ります。で、先づは
家内四人。
商賣が
繁昌せぬと申すだけで至極
穩かに暮らして居りました所、
偶くり
此廣告の爲めに
一變動が
起りかけましたので、と申しますのは忘れもしませぬ去年の十一月廿六日の事、仙吉が
他處から此新聞を持つて歸つて參りましてな、
嘆息を
吐いて
突然私に向ひ、あゝ/\旦那、私は頭が禿げてゐないのが殘念ですと申します。
可笑しな事を言ふ、何故だと訊きますと、だつて若禿組合に缺員が出來たぢやありませんか、それへ首尾よく入つたが最後
甘い儲けが出來ますぜ。金の使ひ方に困つてゐるあゝいふ組合を見逃すとは何たる不運か、自分も頭が禿げてゐたら早速
飛込むんだけれど、と
口惜しがります。私はまた御承知の通り質屋と申す商賣は店にばかり
縮んでゐる商賣ですから滅多に
外出はせず、世間のことは
皆目不案内ゆゑ、そりや又どうした譯かと
不審かりますと、仙吉は目を
圓くして、旦那は若禿組合を御存知ないんですか。若禿組合、ツイぞ聞いた事もない。へえ、
其奴ア驚きましたね。旦那なんぞは早速組合員におなんなさる資格がお有りぢや
厶いませんか。と私の頭を
羨しさうに眺めたものです。
其組合員とやらになれば一體どういふ
利益が有るんだと訊きますと、なに年に五百四五十圓にしきやなりませんが、仕事が樂で
加之に片手間に出來る事なんですからねえ。成程それは耳寄りな儲け口だ、どういふ仕事だか話して呉れと申しますと、番頭が差出して見せてくれたのが此廣告で
厶います。え、旦那、御覽の通り缺員募集の廣告が出てゐいませう。何でも聞く所に依りますと
此渥川伊佐雄といふ人物は
米國へ渡つて働いてゐる
中、
些とした
鑛山か
何か掘り當てゝ大金持になつた者ださうですぜ。所が
當人若い頃から丁度旦那の樣に頭がツル/\に禿げてゐて、其爲めに隨分氣の引ける事もあり
極の惡い思ひもしたといふので
甚く世の中の若禿頭に同情して
了つたんですね。で、先年病氣で死ぬ時に遺言をして、莫大の金を若禿の人々の爲めになる樣に使つてくれと注文したので、そこで若禿組合といふのが出來たんださうです。と申しますから、でも若禿と言ふたら廣い世間には
可成多いだらうぢやないか。いえ、それが
規定が有るんで、其渥川といふ人が東京の
出だといふので東京人に限るんださうです。どうです旦那
御思召が有つたら行つて
衝突つて御覽になつちや。旦那の禿げ
工合なら及第間違ひなしですぜ。と
此樣にまア
勸められましたものですから私もすつかり乘氣になつて
了ひました。御覽の如く私の頭と來たら年に似合はず禿げも禿げたり
藥鑵と申しませうか、
茫々たる砂漠と申しませうか、毛なんぞ一本もありませんからな。先づ禿仲間の中に出ても
退けは取るまい。それに仙吉の奴が何でも心得てゐるらしいから、
彼奴を參謀としたら
或は及第せぬとも限らぬと考へました。で、仙吉に
其旨を申しますと彼奴も
大に喜びまして、十二月三日の來るのを待ち構へ、
彌々其日になりますと廣告通り、午前十一時迄に二人して牛込東五軒町の事務所へ訪ねて參つたので
厶います。」