蜻蛉日記 和泉式部日記 生方たつゑの (わたしの古典シリーズ) (集英社文庫) 文庫 - 1996/9/20 生方 たつゑ (著)兼家パパの側妻さんで、道綱(大河ドラマで上地雄輔)の母が書いた「蜻蛉日記」と、「和泉式部日記」を現代語訳したもの。2ヶ月近くかかってようやく読了。
それぞれの作品が、150ページぐらいと100ページぐらいに、ざっくりまとめられています。
前半の「蜻蛉日記」などは、道綱の恋愛や養女の縁談といったあたりも書かれているそうなのですが、そのあたりは思い切って省略し、道綱母と兼家パパの関係に焦点を置かれていました。
後半の「和泉式部日記」は、割と直訳に近いものと並行して読んでみたところ、和歌などで長々とやり取りしていた心情を地の文にさらっと入れ込んだりという箇所がちらりほらり。そして原文にはない場面なども追加されていたり。なので蜻蛉日記の方も同じ感じなのかもしれません。
巻末の解説では、蜻蛉日記に始まる日記文学自体が、誇張や省略を交えたフィクションであり、作者は実際に歩んだ生涯(真実)と日記の主人公としての生涯(虚構)が存在するといった感じのことが書かれていましたし、現代語訳にあたってさらにそういった手を加えた一冊なのかなあと思った次第です。
で、「蜻蛉日記」ですが。
うん、正直しんどかった(遠い目)
道綱母が、当時としては異端と言うか、女性が思っても口には出せずにいた正妻や妾などに対する不満や嫉妬をこれでもかと書き連ねてるんですよね……そしてようやく兼家パパが訪れても、ツンが多い! デレ要素がほとんどない^^;;
しかも兼家パパはと言うと、道綱母が本気で腹を立ててあれこれ言っているのに、なんかふざけたこと言ってへらへら誤魔化して、ちょっと時間が経つとすこーんと忘れたかのように「あれやっといて」「これ仕上げといて」とか言いつけてくるのが、なんかうちの両親(あるいは私と父)のやり取りに重なってきちゃって……そういう意味ではいつの世も、人間の考えることなど変わらないということなのかもしれませんねえ。
あと兼家パパが「お前(道綱)がちゃんとしないから、母が我が儘言うんじゃないか」とか、息子(当時15歳ぐらい)に当たってるのがほんと辛い。これは私には向かない話でした……
「和泉式部日記」の方は、
以前にも触れたので以下略。
まあ自己弁護というか、世間を騒がせた醜聞について、実はこうだったんですよ〜〜と、自分(和泉式部)を控えめで強引に迫られて仕方なく折れた、無力な女性として描いたロマンチック系暴露本といった印象でした。
どちらにも言えたのは、和歌の説明がざっくり過ぎてちょっともったいなかったな、と。
まあ、現代語訳だからそういうものなのでしょうが、もうちょっと引用元とか掛詞とかを詳しく知りたかったです。
……そういうことを知りたい場合は、そういう解説本を読めって?
おっしゃる通りですww
どうも私は、古典の本文(現代語訳)よりも、エッセンスをまとめてくれている解説本で知識を入れる方が、性に合っているようだとしみじみ自覚したのでした。