2012年08月25日の読書
2012年08月25日(Sat)
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本日の初読図書: 関ヶ原の合戦から十年あまり。天下の趨勢は定まりつつも、いまだ戦乱の息吹が色濃く残るその時代に、連綿と修羅の技を伝える一族があった。 流派が生まれてから数百年にわたり、一度として負けたことがないと伝えられる無敗の技。無手をもって人を殺す技を極めた、幻の武術。その名を陸奥圓明流と言う。 大名であった両親を叔父によって謀殺された少女 詩織は、後見人である忠臣によって男と偽り育てられた。男装し吉祥丸と名乗る彼女が女であると知る者は、本人の他には後見人である爺やしか存在しない。いつかは両親の敵を討ち城主の座につけと、そう言い聞かされて彼女は育った。 しかし爺も年老い、大人びてきた彼女が男を装うのにも無理が生じ始めている。そして正当な血を継ぐ甥の存在を疎んじた城主は、刺客を放ち彼女の命を狙うようになっていた。 そんなある日のこと、刺客に狙われ窮地に陥った彼女を救ったのは、旅の兵法者 ―― 宮本武蔵であった。現在、もっとも高名と言われる手練れを相手に、爺やはなんとか詩織の用心棒になってくれないかと懇願する。しかし武蔵はそれを断り、すぐそこにいた別の男を推挙した。それは目の前で行われる殺し合いをまるで気に止めず、峠の茶屋でひたすら飯を食っていた、一人の青年だった。 武蔵の勧めであれば、と青年 ―― 陸奥八雲を雇い入れた主従だったが、しかし彼はうつけもうつけ。大うつけであった。詩織が背後から木刀で斬りかかってもあっさりと殴られ、茫洋と笑っては日がな一日ぶらぶらと過ごし、ひたすら大飯を食らうばかり。そもそも彼が用心棒の報酬として望んだのは、茶屋の払い、わずか五文である。要するに一文無しの風来坊だったのだ。 これでは役に立たぬと呆れる二人だったが、今さら追い出すわけにもいかない。しかたなく屋敷内に住まわせることにして、半月ほどが過ぎた。 城主は本格的に吉祥丸を亡き者にせんと、裏柳生の使い手、柳生兵馬を雇い入れる。そこには宮本武蔵が吉祥丸についたという、誤った情報からくる恐怖が存在していた。兵馬は兵馬で高名な武蔵を倒して名を上げようと、野心に燃えている。 そして詩織と八雲が二人だけで屋敷から離れたとき、刺客の群が彼らを取り囲んだ。兵馬は武蔵がおらぬならと襲撃から外れていたが、それでも十名を越える剣客の数に、詩織は八雲を逃がそうとする。たとえ自分は殺されても、お前まで死ぬことはない、と。 しかし八雲は「五文分の働きはする」と取り合わない。 そしてこうも言った。「心配するな……五文以上の働きはしないさ」と。 それはけして歴史の表舞台に名を残すことのなかった、陸奥の ―― 人を殺す技を極めた男の、あまりに自然で気負うことのない言葉だった。
格闘マンガ「修羅の門」のスピンオフとして描かれた格闘歴史マンガ「修羅の刻」。そのノベライズです。文章も挿絵も原作者ご本人が手がけておられます。 おかげで致命的な改変やイメージ崩れはありませんでした。単行本1巻目「宮本武蔵編」がごくごく忠実に文章化されております。シーンが二三個増えて、あとはマンガで省略されていたキャラの心情や背景が説明されているので、お得と言えばお得かな? ただ文章は……やはり専業作家さんのようにはいかないというか。やはりこの作品は川原さんの絵でなければ、いまひとつ凄みが伝わらないというか。 ご本人も後書きで、「これは小説ではない。『修羅の刻』の解説書だ」とおっしゃってますし。マンガを未読の状態でこれ単体を読んだ場合は、いまひとつ重みが足りないんじゃないかなあと思ってしまいました。 あと対象年齢がよっぽど低いか、普段マンガばかり読んでいる人向けなのか、やたら注釈の多いことが集中を削いでくれて……「家臣」だの「月代」だの「下生え」だの「抜き身」だの、そんなところにまで注釈いらんやろ…… そして文中で倍角太文字使うのもやめてほしかったです(−ー;) オンライン小説ならともかく、紙書籍で倍角使われると入り込んでいた気持ちがいっきに萎えます。これがまだティーン向けライトノベルならともかく、修羅〜はもうちょっと重厚な路線で攻めてほしかったので……
って、非常に辛口評価になってしまいましたが、それでもまあ★でいうなら三つといったところでしょうか。つまらなくはなかったです。あくまで本編マンガの補完という形で読むのが良いのではないかと。
そうそう、伊織の扱いがちょっと良くなっていたのは面白かったです。 マンガでは小生意気なただのガキ(※この時点では)でしたけれど、年の割には剣の腕も教養面でもそれなりに優秀という描写があったので、なんだかちょっと嬉しかったです。
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No.4064
(読書)
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それはもう条件反射のように
2012年08月25日(Sat)
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PCで処理の重い作業をしつつ、画面表示の切り替えなどに時間がかかるので、その時間潰しに先日大人買いした「修羅の刻」の雷の章、アメリカ西部編をめくっていたのですが。 なんていうかさ……「ながら」読みなのにも関わらず、風が登場したその瞬間、すでに目頭が熱くなるってどういうこと。 今はこんなにツンツンしてるけど、最後は……と思うと、それだけでツンッと来てしまって。 ましてや「北の谷を抜け……」からジルコォー・マッイイツォが慟哭する見開きまでは、紙面がぼやけるほどの涙また涙( T _ T )
くそう、川原先生め……っっっ
もともとの本編である「修羅の門」の方はほぼ読んでいないのですけれど、何故か九十九がニルチッイの墓の前にいるシーンだけは記憶にあります。 陸奥の小太刀を返されて、これは彼女のものだとか言いつつ、無造作に墓石に突き立てる。折れる、と止めようとする現ジルコォー・マッイイツォの前で、あっさり刺さる刃……というあのエピソードも、もう一度見てみたい。何巻あたりに収録されてるのかなあ……?
そして小説版も読んでしまいました。詳しくは読書記録に書きますが……うん、まあノベライズだね、という感じだったかと。
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No.4065
(日常)
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プロフィール |
神崎 真(かんざき まこと)
小説とマンガと電子小物をこよなく愛する、昭和生まれのネットジャンキー。
ちなみに当覚え書きでは、
ゼロさん= W-ZERO3(WS004)
スマホ= 003P(Android端末)
シグ3= SigmarionIII です。
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