理 由
 ― Kenzo Kitakata FanFiction ―
(1999/11/21 12:00)
神崎 真


 ジンとドライベルモットに氷の塊がひとつ。
 素早くシェイクしてグラスへと移し、カウンターに置いた。
 スツールに腰掛けた川中はすぐに手を伸ばしてきた。二口で空になる。二杯目は、ない。毎夜開店前のカウンターで繰り返される、いつもの手順。いつの間にか始まった二人だけの儀式。
「本当に坂井を引き入れるつもりなんですか」
「問題があるか?」
 問いかけると、川中はグラスを置きながら、あっさりと答えた。
「私は反対です。あのたぐいの若いのは何人も見てきました。何をしでかすか予測がつかない。下手をすれば手段を選ばず殺しに来ますよ」
「大丈夫さ」
 重ねた言葉も、彼の答えを変えることはなかった。
 まっすぐにこちらを見上げる瞳は、静かな光をたたえている。凪いだ水面の様だと思った。落ち着いた、感情の色をうかがわせない瞳。ふとした弾みに魅き込まれてしまいそうなほど深く澄んで ―― それでいて底の方にあるのは怖ろしいまでの暗さ。
「危険です」
「大丈夫だ」
 答える声には確信すら感じられる。
 なぜ信じられるのだろうか。相手は堅気の人間でないことなど一目で判る、ろくに知りもしない相手だ。それなのにこの人は、いつも無防備にその身をさらそうとする。坂井に対しても、そして私に対しても……


 最初に意識したのは、まだ『レナ』という小さなスナックでバーテンをやっていた頃だった。
 ステアしたギムレットという異色の注文。グラスを置いた私にこの人は、今度作るクラブで働かないか? と持ちかけた。
 屈託のない笑顔に、その時はきっぱりと断っていた。この人は住む世界の違う人間だと感じたからだ。明るい、太陽の光が似合う男。どぶ泥の底を這い回るのが似合いの自分とは、まったく相容れない存在だ、と。
 しかし何度か顔をあわせる内に、目の奥の暗さに気が付いた。言葉を交わすにつれて、どこか危うい匂いが感じられるようになり、やがてその明るさがかつての残影でしかないことが判り始めた。
 ある波の強い日の明け方。ひどい傷を負ったこの人は『レナ』へと逃げ込んできた。やくざ者に監禁され、自力で脱出してきたその足だった。誰が味方かもはっきりしない、そんな状況の中で、彼は私の元を選び、負傷した身体を預けた。私のベッドで休み、作った食事を摂り、私を狙った刺客が現れても、動ずることなく眠っていた。
 本能的にまずいと思った。
 もう誰にも心を寄せないと決めたはずだった。徐々に魅かれていく自分を意識しながら、なんとか否定しようと努力した。
 けれどこの人は、それから何度も私の元に現れた。私のまわりは危険だと言うと、なら良いだろうと答えて、もっと危険な頼みを繰り返した。死ぬのは君が最初だとまで言った。
 他人の命を粗末に考える人ではない。むしろ私の知る誰よりも死んだ人間に心を捕らわれる人だった。なのにどうして私に対してはああも無造作だったのか。まるで信頼されているのかと錯覚してしまいかねないほどに。
 そして全てが終わった時、私はブラディ・ドールのマネージャーになっていた。けして報酬として与えられた立場ではない。それはこれからも自分の元で働けという、明確な要請だった。
 あれから一年半。私にはまだ葛藤があった。本当に自分はここにいて良いのか。私のような人間がこの人のそばにいるのは、本当に正しいことであるのか。常に心の底で考え続けていた。


「藤木?」
「 ―― 決めるのは、社長です。私は従いますよ。ですが、気をつけて下さい」
 下げたグラスを洗い終わった。裏口の方から出勤してきた女達の声が聞こえてくる。間もなく店が始まる時間だった。ボーイが店内を整えるためにあたりを歩き始める。
 ベストを着た坂井がカウンターに向かって歩いてきていた。

*  *  *

「なにやるのか、そろそろ教えてくれませんか?」
 坂井が聞いてきた。
「人を、ひとり殺す。それだけだ」
「社長がいない間に、ですか?」
「どういう意味だ」
 そう返しながらも、内心では気付かれていたかと苦笑した。
 陳腐な手ではめられて、あの人はいま警察に拘留されている。ここで私が何をやったとしても、止める相手はいないし、後に問題となっても私ひとりの先走りで片付くことだった。
 手を汚すのは私だけでいい。
 外道どもを相手にするには、あの人は純粋すぎた。幾度も傷つけられ、身を守るために何人もを手に掛け、それでもあの人は汚れていなかった。暗い目をし、全てを諦めながら、まだ少年のような部分を無くしてはいない。
 だから、私がやる。私の両手はとうに血塗れで、すえた腐臭すらも放っている。もう、これ以上汚れることなどあり得ない。
 あの人の邪魔をする、全てのものを排除しよう。あの人はただうまい酒と一台だけの車、時々の釣り、そんなささやかなものしか望まない人間なのだから。
「組長や仲間をぶっ殺したのも、あっさり片付けちまいたいことがあったからですか?」
 何気ない言い方だった。話の流れのままに、ただ思いついたから聞いてみたというような。だがその言葉に、私は心臓を掴まれた気がした。
「勝手に想像してろ」
 別人のもののような遠い声が平静に会話を続ける。ハンドルを握る坂井は、何も気付いていない。
 助手席に座る私は、背筋に這い上がってくる悪寒を戦慄しながら受け止めていた。
 繰り返している。
 いきなり自覚したそれは、怖ろしい認識だった。
 忘れていた訳ではない。忘れられるはずなど無かった。
 親父と、義兄と呼んだ人達。この手でその命を奪った。今はもうこの世にいない。誰よりも忠誠を誓い、彼等のためなら命すらいらぬと思い定めた存在 ――
 その破滅を呼び込んだのは、他でもない私自身だった。肉体にむけて引き金を引いたという、そんな単純で直接的な話ではない。嫉妬と猜疑……そして保身。私は人間の心に潜むそんな感情を引きずり出し、彼等を追いつめたのだ。 
 私は、やりすぎたのだという。
 まだほんのチンピラの頃から世話になっていた組織だった。親父の命ずることなら何でもやった。手を汚すことなどどうとも思わなかった。あの人の望みにわずかでも力を貸せる。それが嬉しかった。恐喝タタキも殺しも、密告すら先頭に立った。どんな無茶を言われても黙って従い、またその心を推し量って、命じられる前に動いた。全ては親父の役に立ちたいと願ったからだった。
 それほどまでに私はあの人に心を寄せ……そう、執着していたのだ。
 無償の愛などと呼べば聞こえは良い。だがそんなものは存在しないと誰もが言った。確かにそうだ。私のそれはただのエゴだった。親父に必要とされたい。私の働きを認め、誉めてもらいたい。まるで飼い犬のように尻尾を振り、あさましく願っていただけだった。
 そしてそんな私の働きは、組に対する忠誠や献身といったレベルを越えていたのだ。
 発端は忘れた。あまりにも予想外の告発に、思考が空白になったことだけが記憶にある。汚れ役ばかりを引き受けていた私の行動に、不審の念が抱かれたのだ。何の下心があるのか、そうまでして信頼を得て何をするつもりなのか、と。
『いったいどことつながってやがる!』
 いつも穏やかで、鷹揚に私の働きを誉めてくれていた親父は、そう言って私を詰問した。
 聡明で、度量の大きい人だった。それがいつの間にか、汚い手段で利を得ることを覚えていた。それは命じられた事を手段を選ばず遂行してきた、私が招いたことだった。私が手を汚すことで、親父は確実にその魂を腐らせていっていた。いつしか他人を疑い、自らの保身だけを考える下種へと成り下がっていた。
 猜疑と憎悪に両目をぎらつかせ、吐く息は侮蔑と殺意で暗く濁り ―― 我に返った時、私の手の中には硝煙を立ち昇らせる拳銃があった。
 私は、自分のエゴで相手を潰したのだ。身も心もなんて、捧げられた方には重荷でしかないと気付けなかった。勝手な願いを押しつけて、安易な自己犠牲にひとり酔って、誰よりも守りたいと願った相手を堕落させ、破滅に追い込んだ。
 全身が粟立つような恐怖が襲ってきた。
 同じ事を、繰り返そうとしているのかもしれない。
 川中に魅かれていく心を止めることはできなかった。必要とされる快感が徐々に理性を食い荒らしていた。何度も危機感を覚え、自らを抑えようとしながらも、依頼される言葉にずるずると引きずられ、いつの間にか私はまたも走り始めている。エゴと欺瞞に満ちた、ひとりよがりな献身の道を。
 また潰すのか。
 もうひとりの自分がささやいた。
 あの瞳をこの手で濁らせるのか。この辛く厳しい現実の中でもがきながら、なおも少年のような純粋さを保ち続けるあの人を、またもこの手で汚し、おとしめるのか。
 できる訳がない。何があっても、それだけはできない。私の手前勝手な独断は、またあの人を私と同じどぶ泥の中に引きずり込んでしまう。
 止めるか。今更な言葉が頭をよぎる。だがそれも出来ない相談だった。このまま事態を放置すれば、川中は別の意味で潰される。私がその魂を堕とす前に、土地に群がるハイエナ共によって引き裂かれる。
  ―― 今回だけだ。
 心を決めた。
 今度だけ、このわがままを通す。吉崎を殺しM重工の、南川商事の資金源を断つ。それでこのゴタゴタは終わりに向かうはずだった。あとのことは松野に任せればいい。いま吉崎をやることだけは、どうしても必要なのだ。
 吉崎を殺し、そして自首する。十年は刑務所なかに入るだろう。それだけの時間があれば、忘れるのには充分だ。私があの人を、ではなくあの人が私を。出所て来る頃にはもう、私の居場所など無くなっている。それでいい。そうでなければいけない。これ以上、私のような人間が……いや、あさましいけだものが、あの人のそばにいる訳にはいかないのだ。
 決断すると、心が軽くなった。
 目を上げて窓の外を見る。もう吉崎の別荘は間近になっていた。
 腕を伸ばして坂井に道を指示する。ポルシェはなめらかな動きで路肩に寄っていった。

*  *  *

 オートバイのスピードがとてつもなく遅く感じられた。
 坂井はハンドルにしがみつくようにして飛ばしている。正面から風の塊がぶつかってきて、目を開けていることすら困難だ。百キロは確実に超えている。それでも遅すぎるほどだった。
「飛ばせよ、坂井」
 怒鳴るとさらにスロットルが開けられた。少しでも操作を誤れば二人とも死ぬ。坂井も私も気に止めなかった。
 油断していた。松野まで殺られて、あの人がおとなしく黙っているはずがなかったのに。だがブタ箱から解放されたばかりで、こんな過激な手段をとるとは思っていなかった。しかも自分ひとりで。
 命じれば良かったのだ。ダイナマイトを抱えて特攻なんて、私にこそ似合いのやりかただ。使い捨てでも、鉄砲玉でも何でも良い。あの人が頼むと言えば、私は喜んで従ったのだ。あの人自身の命をこんな危険にさらすくらいなら。
 けれど、あの人はそれをしなかった。かつて親父は私に手を汚させて、自らの手はきれいなままに魂だけを腐らせていった。だが、川中は違った。私があなたのために、などと勝手な責任を押し付けて吉崎を殺しても、それでもあの人は変わらずにいてくれる。今は、まだ ――
 松林の中でバイクを乗り捨てた。川中を追う連中を、さらに後ろから追い上げる。ワルサーで狙ったが、密集した樹木が邪魔で当たらなかった。返すように弾丸が飛んでくる。こちらに向かってではない発砲も聞こえた。あの人は銃を持っていない。撃たれているのはあの人だ。
 頭の中が真っ白になった。立ち上がり、木陰から飛び出そうとする。坂井が腰のあたりにぶつかってきた。二人でもつれ合うように倒れ込む。
「放せ!」
 叫んだ。
 邪魔をするな。あの人が撃たれている。今、この瞬間に殺されようとしている。止めなければならないのだ。何をしても、誰を殺しても、この身を盾にしてでも!
 その瞬間、坂井にすら殺意を覚えた。疎ましい足枷に本気で拳を叩き付けた。
 どうして邪魔をする。行かせろ。行かせてくれ。これ以上俺に大事なものを喪くさせないでくれ!
 絶望が胸を灼く。汗が流れて目に入った。喪失感に足元が崩れていきそうだ。
 失いたくない。あの人は、あの人だけは……ッ!


 坂井が運転するポルシェでヨットハーバーを出た。
 緊張が解けた私は、しばらく無言で後部座席のシートに身体を預けていた。オートバイで来た時と違いゆっくりと安定した走りに、眠気すら覚える。
 やっと終わった。これで思い残すことなく自首できる。
 目を閉じて息を吐いた。
「藤木」
 呼ぶ声がする。
「今日もちゃんと仕事に入れるな」
 目を開くと助手席から川中がこちらを見ていた。
「それは」
「タキシードを着てるじゃないか。坂井じゃ、まだドライ・マティニィのシェイクは荷が重すぎる」
「結構いい腕です。充分だと思いますが」
「子供だよ、まだ。俺には君が必要なんだ。必要なんだよ」
 まっすぐに向けられる視線。含むもののない実直な言葉。
  ―― どうしてこの人は、私が望んでいる言葉をこうもあっさりと口にできるのか。
 ただこの人の平安を願っていた。その為に幾ばくかの力を貸そうと、ただそれだけのはずだった。なのに気が付けばまたも抱いてしまっていた想い。負担になると判っていながら、それでも願わずにはいられない欲望。この人に必要とされたい。私がこの人のためにできる全てを、捧げる全てを、受け止めて欲しい、と。
「まだ引き受けてくれるよな」
 重ねて言って、川中はじっと私を見つめた。
 静かな瞳だ。風のない日の淵のように、静かに澄んで ―― だがその奥に暗いものをたたえて見る者を誘い込む。いつもこの目が、私のいっさいの抵抗を封じてしまう。わずかに残った理性すらも内に呑み込んで、破滅への一歩を踏み出させる。
 私の存在は、いつかこの人を潰すだろう。
 それは確信だった。過ぎた執着。無償の献身という名のエゴ。それは向けられる人間にとってマイナスにしかならないことを、私はかつていた場所で悟っていた。
 私がそばにいることは、いずれこの人に破滅をもたらす。今は純粋なこの人を汚し、おとしめ、堕落させる。確実に。だから私はこの人の前から消えなければならなかった。たとえ何を犠牲にすることとなっても、この人は、この人だけは守り抜かなければならない。
 その為に私ができること……私を捕らえて離さない、この視線を振り切って消えるためには……
 もはや私自身の命を断つより他はなかった。もうそれぐらいしか、この執着を自ら断ち切る方法は思いつけなかった。
「 ―― わかりました」
 答えると川中はゆっくりと微笑んだ。
 その笑みから無理やり視線を引き剥がし窓の外をむいた。
「あの人の腕、一度も見なかったですよ」
「シェーカーを振らせりゃ、一流だった。」
 坂井が松野の話をしている。
「お前があそこまでになるには、あと五年だな」
 私が言うと、坂井は即座に返した。
「三年ですよ」
 若さと、それ故の自負がにじんだ声。
 まだまだ青い若造だ。だが……こいつもやがては成長する。三年後か、五年後か。いつかは私よりもはるかに役立つ男となる予感があった。
 坂井にこの人を託せる日が来たならば、その時私は死ぬだろう。他でもない、川中のために。この人を私のエゴで汚してしまわない内に、私が私を殺す。
 それが……それこそが私の死ぬ理由だ。
「自惚れるな」
「賭けませんか」
 私は喉の奥で笑った。
 坂井の青さに、ようやく見つけることのできた死ぬ理由に、穏やかな気持ちで笑みを贈った。
 坂井が慣れた手さばきでハンドルを切る。
 ポルシェはスピードを保ったままコーナーへと切り込んでいった ――


(1999/11/23 15:39)


本を閉じる

Copyright (C) 2000 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.