花のえん
 ― Alice Arisugawa FanFiction ―
(2001/03/24 16:11)
神崎 真


 花の盛りは、もうだいぶ過ぎてしまった頃合いだった。
 北白川の、火村の下宿には見事な枝振りの桜が植わっている。そのことを思いだした私は、久しぶりに花見などしてみてはどうかと思い立ち、友人へと連絡を取った。ここのところ互いに忙しく、ついろくな連絡もできずにいたのだが、幸いにも本日は空いているとのことだった。さっそく酒やつまみを仕入れ、京都を訪れる。
 今日は天気の良い日曜日で。火村も朝から出かけることなく自宅にいた。ばぁちゃんに断って庭に敷物を広げさせてもらい、はらはらと散りゆく花びらの下へと座をしつらえる。
 婆ちゃんは相変わらず庭の手入れを欠かしていないようで、降り注ぐかのように落ちる大量の花弁も、見苦しくない程度に掃き清められていた。
 うららかな日差しの中、手にした酒杯に二枚、三枚と淡いピンク色の小片が浮かぶ。そっと口に運ぶと、ほとんどないはずの芳香がほのかに薫る心地がした。たんに気分の問題だと判ってはいるが、それでも風情というものを感じずにはいられない。
 傍らでは、つまみにつられてやってきた猫達が、いつの間にか固まって丸くなっていた。三匹が身を寄せ合って眠る様は、見るからに気持ちが良さそうだ。思わずふと口元に笑みを浮かべてしまう。
 見ると、火村も猫達を眺めて穏やかに目を細めていた。目配せすると、軽くコップを掲げて返してくる。
 久方の、光のどけき春の日に、という歌があったのは百人一首だっただろうか。確かあの和歌は『穏やかなこの日に、桜はなぜこのようにせわしなく散っているのか』と、その落ち着きのなさを嘆いたものだった。だが、こうして実際に散る花の中に座っていると、まるで世俗の時間からは取り残されたかのような、そんな錯覚を覚えてしまう。
 ―― まさしく、のどけき春の日に他ならない。
「この樹も、ずいぶんでかくなったもんやな」
 いい加減に日も傾き、空気に肌寒さを感じてくる頃になって、私はようやく口を開いた。
 それまでは、互いにほとんど言葉を交わすこともなく、ただ桜を眺め、時おり酒を口に運ぶだけだったのだ。
「覚えてるか? まだ学生の頃、夜にこの桜を見たことがあったやろ」
「ああ、あったな」
 火村がうなずく。
「あれからもう、十年以上経つんやもんなぁ」
 しみじみと花を見上げた。
 桜は伸びるが早い。当時はまだ二階に届くかどうかという程度だったこの樹も、いまや立派な大樹へと成長している。
 あの頃は、よもや三十を過ぎてもなお、この下宿に出入りしていようとは思ってもみなかった。いや、そんな遠すぎる未来になど思いをはせることすらなく、ただ毎日、日々を過ごすだけで精一杯だったように思う。
 そんな中で、ふと目に入った夜の桜。
 まだ小さく、いまの枝振りにはとうてい及ばないその姿に、しかし私はひどく心を動かされた記憶があった。
 二十歳にも満たなかった当時の私にとって、それはあまりにも見事な ―― 恐ろしいまでの美しさだったのだ。
 あれから、既に十五年近く流れたのか。
 そうしていま、私はこうして心穏やかに花を眺めていることができる。
「お互い年も取るはずだって?」
 火村がからかうようにそう言った。
「そうやろ? 俺より年上の先生サマ」
「ぬかせ。お前だってすぐ同い年になるだろうが」
 互いに言葉の上では皮肉を含んでいるが、それはいつもの他愛のないやりとりだった。
 そう、そんなふうに言葉でははかることができないだけのものを、私達は積み重ねてきたのだ。それだけの時間をかけて。
「…………」
 半分ほど酒が残ったコップを、私は火村の方へと差し出した。火村もまた、同じようにコップを持ち上げる。
「飽きることなき、我らが腐れ縁に ―― 」
「またも寂しく、女性の影ひとつない助教授の誕生日に ―― 」
 安物のコップは、それでも澄んだ音をたてて、触れあった。
 今年もまた、変わらず共にこの日を祝えたことに。

 乾杯プロージット


(2001/03/24 17:21)


珍しく、助教授誕生日企画! なんてものに挑戦。
……その割には最後にちょこっと付け足されただけのような気もしますがι
しかも最初から掲示板に載せるつもりで書いていたせいもあり、過去最高(?)の短さです。まぁある意味この話は、以前にUPした『桜闇』の続きのようなところもありますしね。
ひたすらのどかな春のひとコマ。私もこんなふうなお花見がしてみたいです。


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