鈴の音
 ― Alice Arisugawa FanFiction ―
(2000/05/29 AM9:02)
神崎 真


 扉を開けて室内に入ると、まずむっとした空気が私を出迎えた。
 思わず眉をひそめ、ずかずかと六畳間を横切ってゆく。突き当たりにある窓の鍵を外し、がらりと音をたてて開いた。新鮮な空気を求め、上半身を外へと突き出し深呼吸する。
 照り付ける日差しに熱せられて、外気もけして心地よい代物ではない。が、それでも閉めきられてよどんだ室内のそれよりは、はるかに気持ちがよかった。思わずほっとひとつ息をつく。
 それにしても暑い。
 勝手知ったる人の家、とはよく言ったもので、遠慮なく冷蔵庫をあけ冷えたビールを探し出した。床に散らばった本を適当にそこらへよけ、風の通る窓際へと陣取る。
「有栖川さん、水羊羹ありますえ」
 大家の婆ちゃんこと、篠宮時絵さんが、そう言って二階へと上がってきた。盆の上には、氷を入れた麦茶のコップと水羊羹。
「二階は暑いですやろ。ごめんなさいねぇ。私が下を散らかしてしもとるから」
「いえ、そんな」
 心底申し訳なさそうな婆ちゃんに、こちらの方が恐縮してしまう。いきなり連絡もせず押しかけてきたのは、こちらの方なのだ。
 本日、一階の居間では婆ちゃんが縫い物をしていた。どうやら親戚の子に頼まれて、浴衣を作っているらしい。金魚やらトンボといった涼しげな柄の布が、所狭しと広げられていた。いつもなら火村を待つ間、下でお茶など飲みながら婆ちゃんとおしゃべりしているのだが、針やらアイロンやら危ないと言うことで、早々に二階へと上がることにしたのである。
「そう言えば、そろそろお祭りの時期ですね。今年もあるんですか? あの、裏の神社の」
「ええ。それに間に合わせよ思て、てんてこ舞いですわ」
 にこにこと楽しそうに笑う。
 私が言うのは、この近くにある天満宮の宵宮のことだった。毎年今頃、小規模ながらも縁日が開かれている。火村とも以前何度か足を運んだことがあるのだが、なかなか楽しめたと記憶している。
「ここはええですから、続きやってて下さい」
「ほんにごめんなさい。おかまいもできませで……」
 何度も謝りながら下りていく婆ちゃんを見送って、再び窓の外へと目をやった。
 すぐそこ、玄関の真上にあたる軒先に、小次郎が丸くなって眠っている。毛皮に直射日光では暑いだろうと思うのは、どうやら人間だけのようで、実に気持ちが良さそうだ。
 どこかで、風鈴の鳴る音が聞こえてくる。
 こうして火村の下宿で彼の帰りを待つのは、よくあるいつものことだった。彼と知り合ってからもうずいぶんになるが、初めて会って一月とたたないうちに、もうこの部屋に入りびたっていた気がする。
 婆ちゃんも私のことを気に入ってくれ、また当時からこの下宿には人が少なかったこともあり、私はもう一人の下宿人などと評され親しまれていた。火村と婆ちゃんは特に仲が良く、まるで親子のようなつきあいをしていたから、当然私も同じような扱いを受けていたものだ。
 そう、たとえばあの時も ――


「婆ちゃん、これ……」
 手渡された布の塊を、火村は困惑したような表情で見下ろしていた。
「ついでがあったから作ってみたんよ」
 にこにこと笑いながら見上げてくる婆ちゃんに、返す言葉がないようである。
「へぇ、浴衣ですか。ええなぁ」
 見せてみぃ。横からのぞき込んで促すと、ようやくごそごそと広げてみせた。白地に青い瀧縞の入った、なかなか渋い仕立ての浴衣である。
「ほら、今晩、天神さんのお祭りやろ? 有栖川さんと行くてゆうてたし。やっぱり縁日には浴衣やないと」
「はぁ……」
 馬鹿のようにただうなずくだけの火村に、私は内心でにやついていた。こいつめ、どうやら相当戸惑っているらしい。
「はぁだほぅだ言ってないで、着てみろや。ほら」
 肘でこづいてやる。と、むっとしたようににらみ返された。もちろん私は気にしない。
「着方わかるか?」
「馬鹿にするな」
 言い捨てて、二階へと向かう。それを見送って私と婆ちゃんはくすくすと笑いあった。子供のような反応を見せる火村が、なんだか無性におかしかった。
「手縫いの浴衣かぁ、ええですねぇ」
「最近の若い人は、あんまり着はらんみたいですけどね」
「そうですね。でもやっぱり、祭りには浴衣ですよ」
 うんうんとうなずいてみせる。と、婆ちゃんは微笑んだまま、畳んだ浴衣をもう一着差し出してきた。


「なに何時までもぶすくれてんだよ」
 隣を歩く火村が、にやにやと笑いながら呟く。
「別に」
 短い答えは、我ながら不機嫌そうな響きを持っていた。
 いや、何も婆ちゃんの好意に文句を付けるつもりはない。たかが下宿人の友人にしか過ぎない私にまで、わざわざ浴衣を縫ってくれるなど、まったくもって感激する次第である。文句など言おうものなら、それこそ罰が当たるというものだ。
 けどなぁ、婆ちゃん……
 思わずため息をついてしまう。せめて、もう少し考えて欲しかった。
 なんが悲しゅうて、この年で仲良く、同じ柄の浴衣着て歩かなならんねん。
 いっしょに仕立てたのだから仕方がないとはいえ、いい年した男二人が同じ浴衣着て並んで歩くというのは、どうにも気恥ずかしいものを感じてしまう。いや、考えすぎだと言ってしまえばそれまでなのだが ――
 さらに腹立たしいのは、うろたえた私を見て、火村がいっぺんに機嫌を直してしまったことだ。すっかりいつものペースを取り戻した彼は、お返しとばかりにさんざ私をからかったのだ。
「そら、夜店が出てるぜ」
 そう言って指差した先に、明るい提灯や常夜灯で照らされた、屋台の群が建ち並んでいる。
「おっ。けっこう盛況やないか」
 現金なことに、目が輝くのを自覚した。
 我ながら、こういったイベントには目がないのである。
 思わず足を早め、雑踏の間へと潜り込んでいった。住宅地内の祭りにしては、屋台の数も人出もかなりのものがあった。縁日など久しぶりなこともあって、ついあちこちへと目移りしてしまう。人混みの中できょろきょろしていると、火村が呆れたように頭を叩いた。
「子供か、お前は」
「やかましわ」
 反射的に口答えするが、ほとんど気になどしていなかった。目に付いた屋台へと歩み寄り、法被姿の親父に声をかける。
「おっちゃん、焼きトウモロコシ二つな」
「あいよっ」
 威勢のいい声と共に、たっぷりとタレをつけたトウモロコシが差し出される。香ばしそうに焦げ目の付いたそれを、両手で受け取って、一本を火村に差し出した。
「二本で800円だよ」
「あ、そっちのイカ焼きも」
「へい、毎度」
 あいにく手は二つしかないので、トウモロコシを口にくわえ、右手でイカ焼きをもらい、左手で財布をまさぐった。火村が横で、深々と息を吐く。
「……前言撤回。完全に子供だな」
 なにをぅ、と言おうとしたが、トウモロコシに邪魔されて、ふがふがという声にしかならなかった。ようやく金を払ってから、両手に一本づつ分けて持つ。
「屋台の食い物なんざ、割高な上に非衛生的だとは思わないのか」
「何を言っとるんや。こういうところに来たらな、楽しまなきゃ損やろが。食って、遊んで、腹壊したらそん時ゃそん時や!」
「はいはい」
 おざなりにうなずく。
 そのくせ、いらんなら返せと手を突き出すと、聞こえないふりをしてかじっている。
「お、射的だ。やろ、やろ!」
 私が声をあげると、馬鹿にしたように眉を上げてみせた。
「当てられるのか?」
「当然や。射的のアリス君と言ったら、仲間内でも有名だったんやぞ」
「ほほぅ」
 胸を張って自慢する私に、鼻を鳴らして笑う。
「勝負するか?」
「望むところやっ」
 兄ぃちゃんたち威勢がいいね、とテキ屋の親父がはやし立てる。
 浴衣の袖をまくり上げ、まずは火村が構えた。空気銃を肩に当て、片目を閉じる。玩具の鉄砲だが、それなりに様になっているのが憎らしい。
「一等は扇風機、二等はラジオだよ! さぁて、どうなる?」
 鐘を鳴らしながらの親父の口上に、周囲がやんやと声を上げる。
 火村はにやりと笑って引き金を引いた。

 ちりん

 風鈴の音がひときわ高く響いた。
 涼やかな音色だ。
 それは本来、ただの空気の振動でしかないはずなのに、どこか透明で、心地よいものを感じさせる。すがしく澄んで、爽やかで。心の中に、綺麗な波紋が広がっていくようなイメージ。
  ―― あのとき火村が何を当てたのかは、良く覚えていなかった。
 ただ、私が負けたことだけは確かである。得意げに、顎を上げて見下ろしてくる火村に悔しがりつつも、彼とそんなたわいのない遊びに熱中していることが、ひどく楽しかった
 くすくすと思い出し笑いをする。
 それからも、輪投げやヨーヨー釣りなど、目に付く限りの遊びを渡り歩いて、くたくたになるまで楽しんだ。綿菓子にたこ焼き、焼きそば、フランクフルト。片っ端から買い込む私に呆れながら、けっきょく火村も一緒になって食べていた。
 と、
 ふと思い出したことがあった。
 あれは、さんざん祭りを楽しんで、そろそろ帰ろうかと歩き始めた頃だった。
 急に火村が歩みを止めた。首をひねり、少し離れた所にある夜店をじっと眺めている。やがて足の向きをかえ、そちらの方へと近付いていった。
「どうしたんや?」
 少し遅れて後を追った私は、何かを買ったらしい火村の手元を、肩越しに見下ろした。
「土産だよ。婆ちゃんに」
 ぼそりと答える。
 その手にぶら下げられていたのは、小さなガラス製の風鈴だった。
「へぇ、きれいやな……」
 季節の花を描いた紙製の短冊が、くるくると回りながら揺れ動いている。人混みのざわめきの中でも、澄んだ音色がかすかに耳に届いた。
「ほら、行くぜ」
 いつまでも見ている私の目から隠すように、手を下ろして歩き出す。どうやら照れているらしい。
「あ、待てや。コラ」
 さっさと行ってしまう火村に、小走りになって追いついた。そうして肩を並べ、ゆっくりと夜道を歩く。風鈴は火村の影になって見えなかったが、歩を進めるたびにちりちりと、小さな音をたてていた。


 あの風鈴は、どうなっただろう。
 いくらなんでも、いま鳴っているのは違うものだろうが、物持ちの良い婆ちゃんのことだ。もしかしたら、もしかするかも知れない。
 あとで聞いてみようか、などと考えていると、視界の隅で何かが動いた。目をやると、軒の上で丸くなっていた小次郎が、頭を起こしている。道の向こうを眺めるその視線を追っていくと、背の高い姿が歩いてくるのが見えた。
 どうやら待ち人が帰ってきたらしい。
 軽く手を振ってみせる。むこうもこちらに気が付いたようだった。ちょっと手を挙げて、しかし歩く速さはそのままだ。
  ―― あの祭りの日から、かれこれ十年以上が過ぎていた。
 あれからずいぶんいろいろなことがあったし、いろいろなことが変化した。それはむしろ、変わらないものを挙げることの方が困難なほどで。
 けれど ―― 変わることのないものもまた、確かに存在している。
 玄関の引き戸を開ける音が聞こえてきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。有栖川さん、お待ちですよ」
 聞き慣れたやりとり。そして階段を上がってくる足音。
 規則的な物音が途切れ、それから二歩、三歩。そうして扉に手をかける気配。
 私は振り返って笑みを浮かべる。いつもの通り、友人を出迎えるために。
 かちゃりと扉が開いた。むこうに立つのは十年来の見慣れた姿。皮肉な笑みをたたえ、軽く眉を上げてみせている。
 口を開いたのは、二人同時で ――

 ちりりん

 またどこかで、風鈴が澄んだ音をたてた。


(2000/05/29 AM11:46)


……チャットでしゃべっているうちに思いついた、「浴衣を腕まくりして射的する火村」を書きたかっただけなんです、はい。それと「婆ちゃんへの土産に、ガラスの風鈴をぶら下げて歩く火村」……それだけです、ええ。
要はビジュアルイメージだけが先行した訳で……火村の下宿に関してとか、かなり適当です。もし変なこと書いてたらすみませんm( _ _ )m(死)
作家編二人の学生バージョンを書きたかったということもあるんですが……むぅ

とりあえず、この話はスズキコマキ様へ。あれやこれやのお礼になれば幸いです。


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