旅立ち前夜
 ― Alice Arisugawa FanFiction ―
(2000/07/16 18:20)
神崎 真


 そいつは、ひどく私の疳にさわる若者だった。
 男の癖に、茶色い髪をだらしなく伸ばしているという、それだけでもう充分に気に入らない。しかもそいつは、既に二十代も半ばを過ぎていながら、まだ大学に在学中だという話だった。親の臑をかじっているのかどうだか知らないが、立派な成人でありながら、まともに稼ぎもせずふらついてるような若造を見ると、ムカムカしてきてしかたがない。
 この業界では、高卒はおろか中学も満足に出られなかったような人間が数多かった。かく言う私もそのひとりだ。早くに父を亡くし、母と幼い弟妹を養うため、まだ十代初めの身空から、一家の大黒柱たるべく働き続けてきたのだ。なのにこの若造は、金のかかる大学生活をもう何年も続けているらしい。
「おい! これ運ばんかい!」
 作業指示する声も、自然きついものになった。
 が、そいつは別段気にしたようすもなく、笑みさえ浮かべて頭を下げた。
「はい」
 軍手をはめた手で、重さ5キロはあるコンクリートブロックをひょいと担ぎ上げる。ろくに鍛えていないだろう若造の癖に、その仕草にはまるで力んだ様子もなかった。これが若いと言うことなのだろうか。ひょろひょろと縦に長い身体を揺らしながら、さっさと運んでいってしまう。
 腰を痛めないよう、慎重にブロックを持ち上げながら、私はそんな彼を苦々しく睨み付けていた。


 この現場で、いったい幾つ目になるだろう。
 私は地方の中堅どころの建設会社からこの大阪に派遣され、いくつもの工事現場を渡り歩かされてきた。長年の経験を買われ、大手会社のサポート役として重宝されている、と言えば聞こえは良い。給料も地元で細々と現場監督などやっているより、遙かに恵まれている。来年には末娘が高校に入るし、次男は次男で夏期講習とやらに行くそうで。金はいくらでも必要だった。
 しかし……
 単身赴任として、ただひとりこの都会へやってきて、何年が経っただろう。時間的にも経済的にも、そうそう滅多に帰郷することなどできず、妻や子供達に会えるのはせいぜい年に一度か二度。初めの頃は頻繁に届いていた便りも、最近はめっきり減ってしまった。家族達にとって私の存在は、もはや遠い空の下から金を送ってくる送金機械でしかない。
 この正月に帰宅した時のことを思い出した。不快な記憶につと眉を寄せる。
 久しぶりに会った長男は、母親譲りの綺麗な黒髪を、あろう事か真っ茶色に染めていた。長さも肩を越えるほどに伸ばしている。なんでもせっかく入った大学にもほとんど行かず、音楽などにうつつを抜かしているらしい。
 なんやその髪は、と怒鳴った私を、息子は鼻で嗤った。
『なに古くせぇこと言ってんだよ』
『今どき脱色ごときでやいやい言う馬鹿がどこにいるよ?』
 蔑むような声音には、父親に対する尊敬など欠片も感じられなかった。それどころか……
『普段ろくに家にもいねぇくせに、たまに帰ってきたからって親父風吹かしてんじゃねぇ』
 その言葉は、今でも棘のように突き刺さっていた。
 にらみ返してくる目に、隠そうともしていない嫌悪が透けて見える。
 カッと頭に血が上った。
 誰のためだと思っている。
 思わず声を荒げていた。
 誰のために、私が家を空けているのだ。
 それは他でもないお前達のためにだ。お前達のためにこそ、私は身を粉にして働いてきたのだ。愛しい家族を養うために、寂しいのも我慢してただひとりで……ッ
 だがそれは、しょせんありきたりの繰り言でしかなかった。
 私は感情の赴くままただわめき散らし、そして、気がついた時には手を上げていた。
『死んじまえ! クソ親父がッ』
 頬に痣を作った息子がそうわめいているのを、今も鮮明に思い出せる。私の顔も、ひどく殴り返されていた。滅茶苦茶に散らかった部屋の中は、私の鼻血が点々と散り、ひどい有様だった。
 思い出してしまった光景に、深くため息をついた。
 私はいったい何をやっているのだろう。
 仕事の都合上、翌日にはもうこちらに戻らざるを得ず。息子とは一言も言葉を交わさないままだった。そしてまたも仕事に明け暮れる毎日。けれど、何のために? こうやって日々働くことの意味はどこにある?
 私を睨む、醜く歪んだ息子の表情。部屋の隅で身を寄せ合い、怯えて見つめてくる娘達。めちゃめちゃになった室内を無言で片付ける妻の背中には、言葉にならない非難と憤りが漂っていた。
 何のために……何のために私は……
「ケンさん、どうした。コップが空いてないやないか」
 騒々しい声と共に、隣に職人が座り込んできた。赤く上気した額にねじったタオルを巻き、右手にはビールの瓶を抱えている。
「なに難しい顔しとるん。仕事のことはもうええやん。さ、呑も呑も!」
 上機嫌で肩に手をまわし、すり寄ってくる。
「いや、悪いけんど、おらは……」
 仕事が上がった後の呑み会は、この業界での恒例行事だ。今日も今日とて、無事一日の作業が終了したことを祝い、酒とつまみをプレハブ建ての休憩所に持ち寄って賑やかにっている。夏の長い日もようやく没し、焼けつくようだった昼間の暑さも薄らいできていた。みな実に楽しそうだ。が、私はいまひとつ気が乗らなかった。今晩は陽気に呑んで騒ぐという気分ではないのだ。
 もっとも、現場の職人達にそんな言い訳は通用しなかった。
「なにゆっとるん。ケンさんが呑まんで誰が呑むんや?」
 既に半ば出来上がっているそいつは、私のコップにどぼどぼとビールを注いだ。ゲラゲラと笑いながら早く空けろと促してくる。
 自棄になって一気にあおった。その呑みっぷりに、周囲からおぉっという歓声が上がる。
 どんとコップを置くと、すかさずお代わりがそそがれた。それも一息で呑み干した。
 これが呑まずにいられるか。そうだ。呑んで憂さをはらしでもしなければ、やってなどいられない。
 次々と注がれる酒を、片っ端から空けてゆく。


 気がついた時には、例の若造の隣でくだを巻いていた。
 既に、まっすぐには座れていない。休憩小屋の畳の上にだらしなく足を投げ出し、その横についた片手でかろうじて上体を支えている。背中を丸め、低い位置から彼を見上げていた。
 呂律のまわらない口調でくどくどと話しかける私に、彼は穏やかに相づちをうっていた。言葉少なではあるが、けして邪険にしているという様子ではない。私の目をちゃんと見返し、時々うなずいている。
「 ―― だいたいなぁ、大学ちゅうんは勉強するために行くところでぇ? それがなんや、いまじゃ唯一遊べる時期じゃぁなんじゃぁゆって、授業はさぼるわ海外旅行には行くわ……なげかわしいにも程があるっちゅうんや」
 受験料、入学金、授業料、下宿代に日々の生活費。数百万にのぼるそれらを稼ぎ出す為、どれほどの苦労があるかお前ら判っているのか。中卒で働き始めて、最初の給料は今の金に換算しても十万となかった。こつこつと身を入れて働き、経験と技術を身につけ、そうしてわずかづつ昇給してきたのだ。だがそうやって稼いだ金は右から左へと家族の生活費に消え、それでも懸命に貯めた幾ばくかの蓄えは、やれPTAがどうの講習があるのと、しぼりとられてしまう。
 一人暮らしをしている私の、月々の生活費がいったい幾らなのか、果たして家族は知っているのだろうか。知っていてなお、あんな目で私を見るのか。それとも、それすら知らぬほど私に関心を持っていないのか。
「ちくしょうめが……おらは何のために……何のために……」
 同じことを何度も何度も繰り返す。繰り返すたびに惨めになっていく。それでもやめられなかった。
 ちくしょう。ちくしょう。おらはなぁ、おらは……
「あの ―― 」
 しばらく沈黙していた彼が、やがてぽつりと口を開いた。
 私の不様さを見ていられなくなったのだろう。いつの間にか目をそらし、自分の手元の方へと落としている。
「ひとつ……言わせてもろうて良いですか」
 こちらを向くことはしない。
 視線を落としたまま、口調もむしろ独り言のような、誰に聞かせるともない静かなものだ。
「んぁ〜?」
 私は、半分傾いたような姿勢で彼の横顔を見やった。上体が定まらず、ぐらぐらと揺れている。裏返った声が調子っぱずれの妙な節をかなでた。
 だが彼は、酔っぱらいの醜態にも笑うことなく、ただ手の中のコップを、その中に半分ほど残った酒の表面を眺めていた。そうして、静かに先を続ける。
「子供は、心底から親を嫌うたりはしませんよ。たとえどんなに反発しても……憎むようなことになったとしても、心の奥底では、ね。それが、血の繋がりというものでしょう」
 それはどこか、言い聞かせるような物言いだった。
 私にではない。
  ―― もしかしたらいま、彼は特定の誰かを心の中に思い浮かべているのかも知れなかった。そしてその誰かに、そう訴えているのか。
 そんな印象を覚えた。
「…………」
 私は改めて、横に座る青年の姿を眺めた。
 そうして偏見を持たずに観察してみると、彼が年齢に似合わぬ落ち着いた雰囲気をまとっているのに気が付いた。今時の若者にありがちな、浮ついたところなど全くない。肩にかかる長い髪も、洒落っけがあって伸ばしているというよりは、単に切る機会がなかっただけのようだ。伏せた目には、理知的な光がある。こんな肉体労働の場には相応しくない……そう、まさに学問を学ばんとする、学級の徒が持つ知性の輝きだ。
 上背のある身体を少し丸め、沈黙している。その、横顔。
 そこに宿るどこか寂しげな表情に、私はつと胸をつかれた。
 親と、子供。
 血の繋がり。
 この若者にも何か ―― 物思うことがあるのだろうか。
 若くあればこそ、より一層苦しむこともあるのだから。
「……そげだらか」
 ややあってから言うと、ようやく彼はこちらを向いた。
 そして、にこりと微笑む。
「ええ」
 良い笑顔だった。
 苦労知らずの若造が、訳も判らず無責任に浮かべた、愛想笑いではない。
 何か、心に屈託するもののある男が、それでも笑ってみせる。だから、それはいい表情になるのだ。だからこそ ―― その慰めを、素直に受け入れることができる。
「そげかや。……うん。そげだわな」
 うなずいて、そして私も笑ってみせた。どうにかそれは笑顔の形になった。
「ゆうてもワシら、親子だもんな。ちゃんと判りあえ〜わな」
 何度もうなずきながら、自分に言い聞かせる。
 今度は彼も何も言わなかった。ただ、無言で肩を叩いてくれる。その仕草に、胸が熱くなるものを感じた。不覚にも、じわりと目の縁が熱を帯びてくる。慌てて残った酒をあおった。いい年をした男が酒の席で泣き出すなど、みっともないにもほどがある。
 音をたててコップをテーブルに置いた。傍らの一升瓶を、がしっと掴む。
「ほら! おましゃんも呑みんさい!」
 どぼどぼと注いだ後で、彼の方にも瓶をつきだした。勢いに押されたように、わずかに身がひかれる。
「い、いえ。私はもう……」
「なにゆっちょうか。酒の席で呑まんちゃぁ、何事だや」
 だいたい、いい若いもんが呑み会の場で『私』もなにもあったものではない。仕事中ならいざ知らず、こういった席では老いも若きも、上も下もないのだ。
「オラ、コップ出せコップっ」
「はぁ」
 無理矢理腕を引っ張り、コップをこちらへと向けさせる。勢い良くそそぐと、雫があたりにとび散った。
「今夜は呑むでぇ」
「あ、あの……明日から旅行いくんで……」
「ぁあ?」
「……いえ、なんでもないです」
「おしッ」
「お、なんやそっちも盛り上がってきたやないか」
 テーブルの反対で固まっていた別のグループが、そう水を向けてきた。
「おう。どや? そっちはやっちょ〜か?」
「やっとるでぇ」
 互いにコップを掲げて声を張り上げる。
「兄ちゃんは、どやっ?」
「やってます、ええ」
 答える青年の笑顔が今度は微妙に引きつっていたが、そんなものは誰も気にしなかった。もちろん私もだ。
 今宵はよっぴいて呑むのだ。そうして明日からはまた仕事にいそしむ。
 次の週末にはいちど家に帰ってみるとしよう。体力的にはかなりきついだろうが、土産でも買って、息子に会うのだ。気まずくても、喧嘩しても良いだろう。なにはともあれ、まずは会って話をしよう。
「ケンさん。コップ空いとるやないか」
「お〜い、誰かそっちのつまみ取ってくれ」
「兄ちゃん、ビールとポン酒どっちや?」
「この瓶空いたでぇ。どっか他にないか」
「スルメ、スルメ〜〜」
 プレハブの中は、タバコの煙と酔っぱらいのわめき声で満ちあふれている。

 そうして、
 その日の宴会は、空が明るくなるまで続いたのだった ――



* お ま け *

 嘉敷島に夜が訪れた。夜は二度訪れる、一度は日が没した時。もう一度は寝室の明かりが消えた時だ。
 江神さんは寝不足だからと早寝を宣言し、ベッドに入ってしまった。どうやら旅費稼ぎの土方仕事がこたえているらしい。この人は何故か、工事現場とか発掘調査といった、肉体労働のバイトを好む傾向がある。
 僕も読書はあきらめ、枕元のスタンドを消した。
 枕に頭を落とし、窓から差し込む星明かりに目を細める。横を向いて部屋の反対にあるベッドに声をかけた。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 答える声は、半ば眠りに落ちかけた、低く掠れたものだった。常の部長には似合わない、ひどく子供っぽい響き。思わず暗がりの中で、くすりと笑う。
 おやすみなさい。と、もう一度胸の中で挨拶する。
 お疲れさまでした、江神さん。


(2000/08/11 15:55)


……これでも一応パロディのつもりなんです(−_−;) ああ、いくら書いても江神さんはつかめない……(いや、既にそう言う問題ではι)
いちおう孤島パズル、嘉敷島での最初の夜に『旅費稼ぎのための土方仕事』で『寝不足』になっていた江神さんなんですが。
普通、夜間工事でもない限り、土方仕事で寝不足にはなりませんよねぇ……とか思いまして、下手な大学生など目ではない、無茶な呑み方をする土建業界の宴会事情をばひとつ。湯呑みやお椀まではまだ判るが、盛り上がればどんぶりや土鍋の蓋、アイスペールまで盃にする土方おやぢ達に、果たして江神さんはどこまでついていったのでしょうか?
なお、ケンさんの方言は神崎の勤務先の人間を参考にいたしました。嘘のようですが、今でもちゃんと居るんですよ。人称代名詞が「おら」の人って(笑)

この作品は、「EgaMist Channel」のきのはら月都様に差し上げました。


本を閉じる

Copyright (C) 2000 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.