12月30日(大晦日前日)


「ごめんね……ちゃんとお前も連れて帰ってあげたいんだけど」

 沈んだ口調で話しかけてくる。

 それで彼女がいなくなるのがわかった。

 もちろんなにを言っているのかは理解できない。

 けれどいつもいなくなる前、彼女はそんなふうに語りかけてきた。

 わたしはこういう声音があまり好きではない。

 彼女が悲しんでいるのがわかるから。

 彼女が悲しんでいるとわたしも悲しいから。

 かごが揺れる。

「いつもいつも、すみません」

「ええんですよ。こっちも一人暮らしで寂しいですし」

 手から手へと渡される。

「それじゃ、どうぞ良いお年を」

 かわされる言葉。

「ええ。来年もよろしくお願いします」

 ぺこりぺこりと上下する頭。

 そうしてつれていかれるのは、いつもの窓辺だ。

「お前さん預かるのも、久しぶりやなぁ。相変わらず名無しのゴンベさんや

て? ……っと、女の子相手に、ゴンベさんは失礼か」

 かごをぶら下げた彼は、窓わくにひじをついてわたしをのぞきこんできた。

「今年はお前さんと二人で年越しや」

 そう言って、くすくすと笑う。

「ちっと休憩するか。締め切りは年明けやから、時間はたっぷりあるし。年末

年始はじっくりと腰すえて書くつもりなんや。お前さん、つきおうてな」

 彼のおしゃべりは、いつもおだやかで温かった。

 聞いているととても気持ちがいい。

 わたしは首をかしげて彼に応えた。

 そうすると彼が、もっと優しい声を出してくれると知っていたから。

 けれど、

 とるるるる とるるるる

 音がして、彼はかごの前からいなくなってしまった。

 見えない場所から、声だけが聞こえてくる。

「なんや、きみか。昨日も会ったばっかやないか。今度は一体……はぁ? 初もう

で?」

 早い調子で放たれる声は、あまり気持ちのいい響きではなかった。

 固くて、抑揚が大きくてつまらない。

「無神論者の助教授どのが、一体どういう風の吹きまわしや。こっちにも予定い

うもんがあるし、そないひっきりなしに誘われたかて困るわ」

 なにかいやなことがあったのだろうか。

「そりゃ注連飾りなんてまだ買うてないけど……面倒やん。どうせ来客なんかあ

らへんのに」

 おおきなため息。

「 ―― わかったわかった。しゃあない、つきおうたるわ……ああ……明日の夜

やな。うん、わかったって」

 がちゃん

 叩きつけるようにものをおく音。

 なんだろう?

 どきどきしながら待った。

 すぐに彼はもどってきた。腰をかがめて、またわたしのかごをのぞき込む。

「……どうしたんやろ、あいつ」

 ほっとした。

 またおだやかな口調に戻っている。

「今の電話な、なんか妙に元気なさそうだったんや。昨日の餅つきん時もだいぶ

疲れとったみたいやったし……大丈夫だろか」

 だけどさっきまでより、どこか沈んでいるようだ。

「師走ゆうぐらいやから忙しいんは判るけど……どっか身体壊したりしてなき

ゃええんやが」

 さっきのわたしのように首をかしげて言う。

「それともなんぞまずい事でもあったんやろか……そしたらあの意地っ張りか

ら聞き出すんは骨やなぁ」

 私は彼とは反対側に首をかしげてみせた。

 と、とたんに彼は笑いだす。

「せやな。うだうだ考えとってもしかたない。とりあえず酒でも呑ませたれば、

ちっとは気も晴れるやろ。」

 弾んだ調子で言う。

「そうなると、だ。あいつにつきあったる分、原稿のほう早めに進めとかんとな」

 うっしゃ、休憩終了っと。

 腕をあげて大きく伸びをする。

 そうして彼は、いそいそと動き始めた。

 かごを開けて、わたしのエサと水をかえてくれる。

 あたりのものも片づけて、それからドアの向こうへといってしまった。

 やがて何かをたたく、はじけるような音だけが聞こえてくるようになった。

 それきり彼は出てこない。

 音はいつまでも続いている。

 ときどき途絶えながら。

 あたりが暗くなっても、わたしが眠るときも。

 夜通し降る雨のように。

 ひたすらずっと聞こえ続けていた。


12月31日へ

本を閉じる