Their home
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2003/12/11 16:38)
神崎 真


 この先、どれほどの時間を共に過ごしたとしても、けして得ることのできないものがある。
 どれだけ言葉を尽くして話きかされたとしても、けして共有できない過去がある。
 それを羨んでしまう気持ちを、消すことはできないけれど
 己が恵まれているからこそ、願ってしまう醜い傲慢さを、捨て去ることはできないけれど。


 そんな思いを抱いてしまう、その理由は。
 それだけあなた達のことを考えているからなのだ、と。
 そんなふうに思うことを、果たしてみなは許してくれるだろうか。


◆  ◇  ◆


「え……いえ、って……?」
 耳にした単語の意味がとっさに理解できず、ジョーはおうむ返しに問い返していた。
「そうじゃよ。この近くに新たに建てようと思ってな。いつまでもコズミ君の世話になっておる訳にもゆかぬし」
「私は別に、いつまでいてくれても構わぬのですがね」
 二人の老博士は、そう言ってにこにこと笑みを浮かべている。
 好々爺然としたそんな笑顔に、つられて口元を緩めかけたジョーだったが、しかし寸前で意識は元の話題へと戻った。
「家を建てるって……そんな、どうやって」
 疑問に思うのは当然のことだろう。
 幼い頃から教会暮らしで『家』というものに縁のない暮らしを送ってきたジョーではあったが、それでもひとつの家屋 ―― マイホームと呼ばれるものが、そう簡単に手に入れられる存在ではないのだと、それぐらいの認識はあった。
 かつてあったというバブルの時期ほどではなく、またこのあたりは都心からだいぶ離れてもいる。とはいえ、それでも土地の値段だけで相当な金額になるだろうことは想像に難くなかった。それに建物部分はもちろん、家具調度の類だとて、一からすべてそろえなければならないはず。そうなると二千万、三千万という話ではすまされないはずだった。
 確かに自分たちは苦闘の末にブラック・ゴーストを倒し、ようやく人間としての平和な暮らしを始められるところまでこぎつけた。もはや追っ手の気配におそれ怯える必要はなく、大手を振って一ヶ所に根を下ろし、笑いながら暮らしてゆくことができる。そのためにも、帰る場所というホームができることはとても、とても喜ばしい。
 しかし ――
 ギルモア博士を含めたゼロゼロナンバー達はみなが外国の出身だから、日本の住宅事情を知らないのだろうか。
 そんなふうに思いながら、しかしどう説明したものかと逡巡するジョーの脳裏に、そのときひそやかなテレパシーが届けられた。
“大丈夫ダヨ、じょー”
「イワン?」
 部屋の隅に置かれたバスケットを振り返ろうとする。その動きを続くテレパシーが制止した。
“コノ声ハキミダケニ送ッテイルカラ、動クト変ナフウニ思ワレルヨ”
 それを聞いて反射的に動きを止める。
 別に仲間達はイワンの能力を知っているのだから、ジョーが一人でしゃべっていたとしても不審に思われることなどないだろう。だがしかしそれとは別の問題として、一人芝居のような真似をしてみせるのは、いささか気恥ずかしいものがある。
“大丈夫ってどういう意味なんだい?”
 脳波通信機を使う要領で、心の中でそう呟いた。こうして明確に言葉を形作ってやれば、イワンの方でそれを読みとってくれる。
“キミガ気ニシテイルノハ、主ニ金銭的ナ面デノ問題ナンダロウ?”
“えっと ―― う、ん。まぁそうなんだけど”
 心を読めるスーパーベビーに対し、隠し事をしても始まらない。話が早いと心中でうなずいたジョーに、イワンはあっさりと続けた。
“ボクト博士ノ貯金デ、充分ニ間ニアウヨ”
“ちょ、貯金?”
 予想外に生活感のあふれたその単語に、ジョーは思わず目をしばたたいていた
“貯金って、そんなイワン”
 いったいいつの間にそんなものを。
 BGの基地から最初に脱出して、そう長い時間が過ぎてきたわけではない。しかもそのほとんどが、息を潜めるようにして世間から隠れて暮らしていたか、あるいはドルフィン号に乗って闘いの中に身を置いていたかのどちらかである。そんな日々の中で、いったいどうやって収入を得たりなどしていたのか。
 少なくともジョーはギルモア博士が ―― 研究は別として ―― 働いている姿など見たことがなかったし、イワンに至ってはそもそも一人で外出すらできない赤子ではないか。
“世ノ中、オ金ガ全テトハ言ワナイケレドネ。ソレデモオ金ガアレバ、デキルコトハタクサンアルトイウグライ、判ッテイタカラサ”
 仮にBGから逃げ出せたとしても、その後いったいどうやって生きていけばいいのか。
 それは脱出計画を練る以前に、幾度も考えられたことだったのだ。もはやもともと自分達がいた場所へと戻り、それまでと同じ生活を続けていくことは考えられなかった。BGを倒し、全ての憂いが消えたとしても、彼らは新しい場所でまったく新しい生活を始めなければならないのだ、と。ことにイワンなどは、改造手術を受けることで始めて『個』としての意識を持った。それはすなわち、BGでの暮らし以外をまったく知らないということでもある。
 それだけに新しい生活に対する不安やためらいはありすぎるほどにあった。そしてだからこそ、事前に避けられる問題に対しては、かなう限りの手を打っておきたかったのだ。
“ダカラネ、BGニイタ頃カラ手ヲ回シテ、裏口座ニ少シヅツオ金ヲ貯メテイタンダヨ”
 研究資金としてギルモア博士に与えられた予算は、控えめに言ってもかなりの金額があった。試作サイボーグの身体に使われる部品パーツは、どれひとつとっても特注品で、それだけ高価な代物だ。そんなものを幾つも使っては、訓練で壊して付け替えるなどということを繰り返すのだから、当然それだけの予算が必要だったのである。それらをひっそりとプールすることから始まって、ひそかに外部機関へ研究内容を横流ししたり、架空名義で特許を取ったりと、こつこつ立ち働いた結果、計画通りBGを脱出できた頃には、それなりにまとまった金額が確保されていたというわけである。
“知らなかった……そんなことをしてたんだ”
 ジョーにとっては、なにもかもが初耳のことだ。
 彼は改造されてすぐに脱走計画へと参加させられていた。そこには詳しい説明さえもほとんどなく、ジョーは自分が置かれた状態を満足に把握するだけの時間さえ存在しなかったのだ。
「どうした、ジョー。なにか気になることでもあるのかね?」
 はっと気づくと、ギルモア博士がのぞき込んできていた。黙ったまま考え込んでいる様子に、不安を覚えたらしい。
「あ、いえ。なんでもないんです」
 ジョーは慌ててかぶりを振った。
「どんな家にするつもりなんですか? みんながいるし、やっぱり洋風ですよね」
「あ、ああ。そうじゃな。畳の部屋というのも悪くはないんじゃが」
「ひと部屋だけ和室にするというのも良いですよ」
 積極的に話に乗ってきたジョーに、老博士達は安心したようだった。そうしていろいろな資料を取り出しては机の上に広げ始める。
 やがてお茶を持ってきたフランソワーズや他のみんなも順に加わって、ああだこうだと意見が飛び交い、話し合いは楽しくにぎやかに進んでいった。


◆  ◇  ◆


 優しい夜の風が、ジョーの前髪を柔らかく揺らしていった。
 時刻はすでに真夜中を過ぎている。コズミ邸もすでにすべての灯りが落とされ、ただ玄関脇の常夜灯がかすかに光を放っているばかりだ。
 海に面したテラスで、ジョーはぼんやりと景色を眺めていた。
 吹き上げてくる風には、独特の潮の香りが入り混じっている。たえまなく聞こえてくる潮騒にも、彼はいつしか慣れてしまっていた。ブラックゴーストの本拠地を破壊したあと、コズミ博士の屋敷へと戻ってきたときには、この波の音をひどく懐かしく感じたものである。
 新しく建てる家も、海の近くだと良いな。
 ふとそんなことを思った。明日になったら、みんなに提案してみるとしよう。
“ ―― 眠レナイノカイ?”
 突然頭の中に声が響いて、ジョーはびくりと肩を震わせた。
 手すりに肘をついていた彼は、気づかれぬよう小さく深呼吸してから後ろを振り返る。
「びっくりした。おどかさないでよ、イワン」
“ソレハ失礼”
 微笑みながら抗議するジョーに、バスケットごと浮いていたイワンは、まったく失礼とは思っていないような口調で謝罪した。バスケットがなめらかに宙をすべり、テラスに置かれたテーブルの上へと着地する。
“夜中ニヒトリデ起キテイルノモ退屈ナンダヨ。チョットツキアッテクレナイカイ?”
「いいよ」
 夜の時間を終えたばかりのイワンは、これからしばらくは起きたままの状態が続く。みなが活動している昼間と違って、ひとりで起きているこの時間帯は、確かに退屈なことだろう。たとえ彼には考える材料や、研究したいことが大量にあるのだとしても。
「なにか飲むかい。ぼくもコーヒーかなんかいれるから」
 乳児用の冷ましたお茶を用意して戻ると、声をかけるより早く、手の中からほ乳瓶が浮かび上がった。
“自分デ飲ムヨ”
 超能力でほ乳瓶を固定して吸い口を含んだイワンに、ジョーは苦笑して椅子のひとつへと腰を下ろした。もう片手に持っていたマグカップを、口に運ぶ。
 しばらくあたりさわりのない会話が続いた。
 深夜をまわった時間帯。眠る仲間達を起こさないよう静かな口調で交わされる言葉は、どこか秘め事めいた響きを感じさせる。
 やがて月がその位置をだいぶ高くした頃、ジョーは飲み干したマグカップを手に椅子から立ち上がった。
「そろそろ寝るよ」
“アア。ツキアッテクレテ、アリガトウ”
「どういたしまして」
 室内へと続くガラス戸に手を伸ばすジョーの背中へ、イワンはもう一度繰り返した。
“本当ニ、感謝シテイルンダヨ、じょー”
「なにを大げさな」
 ジョーは苦笑いして振り返った。
 たかがちょっと雑談につきあっただけで、そんなふうに改まって礼を言われても気恥ずかしい。
 しかしイワンは驚くほど真剣な表情でジョーの方を見つめていた。
“君ハ、何モ知ラナカッタ”
「 ―― イワン?」
“アノ時ノ君ハマダ目覚メタバカリデ、ぶらっく・ごーすとノ実態モ、自分ノ境遇ノコトモ、本当ニ何ヒトツトシテ知ッテハイナカッタ”
「…………」
 なんのことを言っているのかは、すぐに判った。なぜならそれは、イワンに声をかけられるまで、ずっと考えていたことだったからだ。
 そうだ、彼はなにも知らなかったのだ。
 彼が改造手術を施され、最初に目覚めたあの基地で、いったいどんな実験が行われていたのか。どれほどの実験体があそこで無惨にも殺され、そしてみながどれほどの時間、どれだけの苦しみを受け続けてきたのか。
 話では聞かされていても、それを現実のものとして実感するには、ジョーがBG基地で過ごした時間はあまりにも短かった。
 みな、どれほどの絶望を味わってきたのだろう。どれほどの時を、いつか手に入れる自由を夢見て耐え忍んできたのだろう。
 ジョーはそのどれひとつとして、知らないのだった。
 そんな自分が、仲間として受け入れられ、みなと同じように扱われている。家族として、受け入れられている。それが、時おりひどく心苦しくなった。
 9番目の実験体。最後の最後に、みなの身体を使って開発された。あらゆる機能を集大成させた、もっとも完成に近いサイボーグ。自分がその009にあたったのは、偶然でしかなかった。001から008、あるいはナンバーすらもらえなかった、名もなき多くの実験体達。自分が彼らでなかったのは、偶然のもたらす幸運でしかなかったのに。
“ソレデモ、君ハ……”
 自分の思いにうつむいていたジョーは、続いた言葉にふと顔を上げた。
“ソレデモ君ハ、ボク達ニツイテキテクレタ”
「それは……」
“得体モ知レナイ相手ダトイウノナラ、科学者達モボク達モ同ジコトダッタ。ナニヒトツ判ラナイアノ混乱シタ状況デ、君ガスベテヲ拒絶シテモ不思議ハナカッタ”
 なにもかも判らぬまま、耳をふさぎ目を閉ざし、すべてを否定してうずくまってしまったとしても、当然のことだったのだ。
 事実、仲間達の中には、改造されてから長い間、自分を失っていた者もあった。心を閉ざし、まるでロボットのように科学者の言いなりになり続けていた者、自傷行為を繰り返し廃棄処分寸前までいっていた者もいる。それを思えば、ジョーははるかに早く環境に適応してくれていた。
 なにを信じていいかなど、まるで判断材料のないあの状況の中で、ジョーはさしのべた手を取ってくれた。伸ばしたイワンの指を、握ってくれた。
“ダカラネ、じょー”
 ふわりとイワンの身体が浮き上がった。
 バスケットはそのままに、ゆっくりと宙をすべり、ジョーの前へと近づいてくる。伸ばされた小さな手のひらが、そっとジョーの頬に触れた。
“ボクラハキミニ感謝シテイルシ、キミハ後ロメタク思ウ必要ナンテナイ。ソレカラ ―― ”
 紅葉のような、柔らかく小さな手のひら。
 ぎこちない動きで頬をなでるそれが、ひどくいとしい。
“疎外感ナンテ、感ジテ当然ナンダヨ。ボクラニハボクラノ時間ガアッテ、キミハソレヲ知ラナインダカラ。ダケドソノ気持チヲ否定スル必要ナンカナイ”
 ぺちりと、手のひらが頬を叩く。
「……気づいて、たんだ」
 ジョーは両手をあげると、イワンの身体をそっと抱きしめていた。
 ミルクの匂いがする産着に顔を埋めて、小さくつぶやく。
“マアネ”
「ひどいこと思ってるって、判ってるんだ」
“ウン”
「でも、ときどき考えちゃうんだ。もしぼくもみんなみたいに、あの基地で実験体として過ごしていたら、もっと判ることがあっただろうかって」
“想像スルノハ自由ダヨ。ソレヲ止メルコトハ、誰ニモデキナイ”
「ハインリヒが時々うなされてる訳だとか、ジェットが一瞬ぞっとするぐらい暗い目をすることがある理由だとか、ジェロニモが森で座ってなにを考えてるのかとか、グレートが一人でお酒を飲んでるとき、どんなふうに声をかければいいのかとか ―― そんなことが、少しでも、判るのかな……って」
“ソウカモ知レナイネ”
 イワンの言葉は、ジョーの言うことを否定するものではなかった。
 たとえそれが慰めであったとしても、今のジョーはそんなことなどないという言葉を聞きたくはなかった。だからこうしてうなずいて、肯定してくれることがひどくありがたい。
「……ひどいよね」
“デモ、ソレガ人間ッテモノダヨ”
「そうかな」
“ソウサ。人間ナンテ自分勝手デ、イツモ自分ノ都合ガイイヨウニナッテ欲シイッテ、ソンナフウニ考エテシマウ生キ物ナンダモノ”
「ははっ、言い切っちゃうんだ」
 くぐもった笑いが漏れる。
“デモネ、じょー”
「 ―― うん?」
“自分ノ都合ガ良イヨウニ、ソシテソレト同ジグライ、仲間達ニモ都合ガ良イヨウニ。ソンナフウニ考エラレルノモ、ヤッパリ人間トイウ生キ物ノ持ツ特徴ダト思ウヨ”
 自分が大事で、そしてもちろん仲間も大切で。
 両方を愛しているからこそ、人は悩んで、苦しんで、そうやって生きていくのだろう。
 仲間を想うが故にこそ、同じ過去を持ちたいと望んでしまう、ジョーのように。
「他人も自分も、大切に、か」
“欲張リダト思ウカイ?”
「いいのかな、欲張りでも」
“キミハモウチョット欲張リニナッタ方ガイイト思ウヨ”
「……そっか」
 消え入りそうな呟きには、それでも柔らかいものがにじんでいた。
“オヤスミ、じょー。ヨイ夢ヲ”
 告げられる、安らかな眠りを願う挨拶に、ジョーはただ小さくひとつうなずいた ――


(2004/06/10 17:21)



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