地平線の向こうに太陽が没してから、果たしてどれほどの時間が過ぎただろうか。
時刻を確認できるものなど、既に手元には残っていなかった。それでも普段であれば、体内に組み込まれた機械が大体の時刻を教えてくれるものだ。だが、それらの機能もまた、とうにあてになどならない状態となっている。
あたりは見わたす限り、生き物の姿ひとつ見えない、荒涼たる岩砂漠だった。
所々にぽつぽつとわだかまる黒い盛り上がりは、点在する岩山の影。まるで巨大な視点を持つ何者かが、無造作にばらまいたかのようにも思える。
そんな内のひとつに、002と004は傷ついた身をひそめていた。
わずかにくぼんだ岩陰は、洞窟と呼ぶにはあまりにもささやかな代物だ。それでも遮るもののない地べたよりは、幾分役に立ってくれる。
目だけを出すようにして、004はあたりの様子をうかがった。その足元で、002が直接地面へと座り込んでいる。
「……なんか、見えるか」
「いや ―― まだ追いついてはこないようだ」
「そっか」
追っ手の気配は、まだ遠いということか。
その答えに、002が小さく息を吐き、身体の力を抜いた。それはあくまで『未だ』ということでしかないと、判ってはいたけれど、しばし得られた静かな時間に、身体が勝手に休息を求める。
ぐったりと岩に背を預ける002を、004は気遣わしげに見下ろした。
「……大丈夫か」
「一応、まだくたばりそうには、ねえよ」
荒い息を押し殺すように、強がりの言葉が返される。
「…………」
004は眉をひそめ、投げ出されたその足へと視線を落とした。
右の太腿部に、細く裂いたマフラーが巻きつけられている。その布の下には、無惨な貫通孔が存在した。断ち切られたエネルギーパイプから循環液が漏れ、防護服の真紅をよりいっそう濃いものへと変じている。
既にこの場でできる限りの処置はしてあった。乱暴にではあるが液漏れする箇所をふさぎ、液体の流出も止まっている。破損部分にバイパスを設けたおかげで、どうやら循環にも問題はないようだ。だが既に失われてしまったものを、補うすべはなく。
飛行中に被弾した002は、それでもなお、飛び続けた。抱えていた004が敵戦闘機の全てを撃墜し、追っ手を振り切ったと確信できるまで、噴射を緩めようとはしなかった。
もちろん、そうしなければ、彼らは二人とも死んでいただろう。故に004は、それについて感謝しこそすれ、咎める気などは毛頭なかった。
だがその結果、彼の傷が悪化したのは事実だ。この岩山に身を隠し、手当てを終えてからこちら、この意地っ張りな青年が立ち上がろうともせず、座り込んだままでいる。それだけで彼の身体状態がうかがえた。
「なにかあったら起こしてやる。少し休め」
「……けど、あんただって」
「俺は大丈夫だ。いいから眠れ」
今はただ、少しでも体力を回復させるべきだ。
そう主張する004の足元で、002は再び息をついた。その両目が、諦めたように閉ざされる。
―― 夜の大気が、それまでとは異なる物音を運んできた。
腕を組み岩にもたれていた004は、閉じていた目を開き、闇の向こうへと視線を投げた。夜の空は漆黒に塗りつぶされ、月はおろか、瞬く星々の欠片さえも見うけられない。それでも彼のターゲットアイは、地平線上にうごめく影を、幾つか捉えることができた。
「……機動戦車か。またやっかいなものを」
五台、十台と次第に数を増やしてゆくその姿に、忌々しげに舌打ちする。
こちらの状態が万全であれば、けして倒せない敵ではなかった。だがいまの002は、戦うどころか動くことすら難しい状態だ。そして004の方も、外傷こそほとんどなかったが、身体のあちこちが軋み思うように動けない。膝のミサイルはすべて撃ち尽くしていたし、マシンガンの残弾もわずかだ。残るはやはりエネルギーの乏しくなったスーパーガンと、そして……
身じろぎした気配を感じたのか、横になっていた002が肘をつき、上体を起こした。
「奴らか?」
掠れた声で問いかけてくる。
「ああ。まだかなり向こうだが……動けるか?」
訊き返した004は、答えが返ってこないことに、ふと眉をひそめた。敵をうかがう姿勢はそのままに、首から上だけで振り返る。
「ジェット」
002はうつむいたままでその視線を受けた。返答が返るまでにしばしの間が生じる。
「……ワリィ」
ぽつりと落とされる声。
視線は地面へと向けられて、004を見ようとはしない。
「いざとなったら、俺を置いて、あんただけでも逃げてくれ」
「おい」
思わず声を強める。だが、002はゆるゆるとかぶりを振ってみせた。地に着いた指の先が、ざりと砂を掻く。
「判ってる……けどもう、マジで身体が動かねぇんだ。勘弁してくれ」
淡々と、努めて事実だけを告げようとする言葉。
「けどよ、少しぐらいの時間なら、なんとか稼ぐからさ」
今の自分の状態では、どれだけあがいたところで逃げ延びることなどできはしない。けれどせめて、ほんのわずかでも隙を作ってみせるから。だからあんただけでも逃げてくれ、と。
「な」
そう言って、ようやく顔を上げる。汚れてばさばさになった前髪の間から、穏やかな青い瞳が見上げてきた。
どこか達観したような光を宿す目を、004はしばし無言で見つめ返す。
「…………」
やがて、薄い唇からため息が洩れた。
「お前の機動力もなしに、どうやって逃げろって?」
そう言って、ひょいと肩をすくめて見せる。
「……ハインリヒ?」
「あまり無茶を言ってくれるな」
俺は重たいぶん、足が遅いんだ。
そう結んで、再び顔を正面へと戻し、敵の様子を確認する。
「な、ちょっと待てよ。なにもあんたまでつきあうことはねえんだ」
002は、どうにか立ち上がろうと、懸命にもがいた。つい今しがた見せていた、諦めにも似た落ち着きは消え、あせりの色もあらわに相手を見やる。
思うように動かない身体に焦れ、呼びかける。
「ハインリヒ!」
その声には、悲鳴のような響きが混じっていた。
が、004は反応せず、ひたすら増え続ける機動戦車の動きを観察していた。
「間もなくここも見つかるな」
冷静に分析して、身体ごと002に振り返った。勢い込んで口を開こうとするのに、手のひらを向けて制止する。
「言っとくが、俺の方ももう走るのは無理だ。しょうがねえ。いざとなったらこいつの」
と、親指で己の胸元を示す。
「 ―― スイッチを入れる」
静かな口調で言いきった。
その仕草の……言葉の、示すもの。
同じ00ナンバーサイボーグの中でも、開発初期段階から特に長い時間を共有してきた002は、詳しく説明されるまでもなく理解できた。
死神の名を冠された戦闘サイボーグ。その体内に埋め込まれた多くの武器の中でも、もっとも強大な威力を持つのが、ヒロシマ形小型原爆だった。使えば周囲の数キロと共に、本人自身の命をも焼き尽くす、文字通りの最終兵器だ。
顔色を変える002に、004は不敵に笑ってみせる。
「それで奴らは全滅だ。少しは009達の負担も減るだろう」
それは分断され、いまも別の場所で戦っているだろう、仲間達のことを想う言葉だ。
しかし、
「おい……」
「なんだ?」
首をかしげる004は、しかし相手の言いたいことなど熟知しているようだった。
案の定、002が言葉を思いつくよりも早く、先を続ける。
「別に、お前が言っていることと同じだろう?」
さらりと告げられる言葉は、確かに正鵠を射ていた。
自分はもう助かりそうにない。だから残される仲間のために、いまできる全てを為そうとする。己が命さえをも、道具と為して。
彼らが口にしているのは、その点でまったく同じ内容である。ただひとつ違うところといえば……
「悪いが、その時はつきあってもらうからな」
残される『仲間』の範疇に、いま目の前にいる相手を含めているのかどうか。
それはけして、相手の命を軽んじているが故ではなく。そして同時に、己の命を価値ないものだからと切り捨てている訳ですらなく。
共にかけがえのないものなのだと認識しながら、それでもやらねばならぬのだと、そう決めた、意志。
仲間という、大切なものと引き替えにするのであれば、それは同等かそれ以上に価値ある存在でなければなるまい。そう思っているからこその選択で ――
* * *
二人の間に沈黙が下りる。
互いへと、次に向けるべき言葉を思案する、無言の一時。
やがて ―― 先に口を開こうとしたのは、果たしてどちらだったか。
だが発せられた声が何らかの言葉を形作るより早く、聞き慣れた轟音があたりに響きわたった。反射的に身構えた二人の頭上へと、巨大な機影が覆い被さる。
「 ―― ドルフィン号!」
目を疑い、思わず叫んだ。
だがそれは夢でも幻でもなく。
高度を下げたその機首からトルドーが離脱し、機動戦車達へと攻撃をかける。一度高度を上げたドルフィン号自体は、大きく旋回し、そのミサイルを地上へ向けて発射した。
どうやら仲間達の誰かが無事ドルフィン号へとたどり着き、他のメンバーを救出するべく、発進させたのだろう。その桁違いな火力を前に、迫りつつあった追撃部隊はみるみるうちにその数を減らしてゆく。
やがて見わたす範囲に動くものはなくなり、視界の中、目に映るのは破壊された戦車の残骸ばかりとなっていた。たなびく煙の向こうに、着陸しようとするドルフィン号の姿がある。既に二人の位置は確認できているのだろう。ハッチのある方をこちら側へ向け、噴射炎の影響を受けないギリギリの距離をとっている。
004は負傷した002に肩を貸した。二人、よろめくように岩陰から歩み出る。
吹きつける砂混じりの風に目を細めながら、高度を下げつつある機体を見上げた。
「……なぁ」
002がぽつりと呟いた。
「ん?」
顔を上へと向けたまま、004は短く返す。
「あんた……本気で自爆するつもりだったのか」
低い声での問いかけに、返る答えは素っ気なかった。
「さて、な」
「おい、誤魔化すんじゃねえよ」
002の言葉に怒りが混じる。
耳元で唸られて、004は肩をすくめた。そうしてようやく相手を振りかえる。
「いいじゃないか。こうしてちゃんと助かったんだから」
そう言って ―― ニヤリと口の端を持ち上げた。
002は、しばしまじまじと004を見返していた。が、じょじょにその顔が赤くなってゆく。
「……あ、あんたって……あんたって奴はぁッ!!」
甲高い声が響きわたった。
乱暴に手を上げ、支える腕を振り払おうとする。が、助かったとはいえ負傷が癒えたわけでもなく、逆にバランスを崩す結果となった。腕を伸ばしてその身体を捕まえた004が、声をあげて笑う。
それは彼にしては珍しい、ほがらかとさえ呼べる笑い声だった。しかし頭に血の上っている002は、それにも気付かず、ただ暴れるばかりだ。
そんな二人の様子を、コックピットにいる仲間達は呆れた顔で眺めていた。が、モニター越しの視線になど、彼らが気がつくはずもなく。
―― 後日。
すっかり臍を曲げた002は丸三日もの間004と口をきこうとせず、事情を聞いた仲間達もまた、それぞれのやりかたで004に非難の意志を表したのだが。
まあそれはまた、別の話である。
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