動くものの姿などひとつも見うけられない廃墟で、ゼロゼロメンバー達は懸命に瓦礫を掘りおこしていた。
「どうだ、いたか!?」
「いや、服の切れっ端ひとつ見つからねえ。006、そっちはどうだ」
「駄目アルよ。わての炎で掘り返せたら良いんやけど」
「おいおい、004まで溶かしちまうぜ」
「せめて、003を連れてきていたら……」
工場を破壊した戦闘で疲労の激しかったフランソワーズは、ドルフィン号へと残してきていた。索敵専門の彼女は、こういった混戦にはあまりむいていない。イワンが夜の時間中であることも考え、博士とイワンの護衛を兼ねて、待機させていたのだが。
彼女であれば、積み上がった瓦礫の間を見通せるし、その下にいる人間の鼓動や呼吸音を聞き取ることもできるはずだ。脳波通信機で004へと呼びかけても、いっこうに返答がないだけに、みなの表情には焦りの色が濃くなり始めていた。
「オレが飛んで、彼女を連れてくる」
ジェットがそう言ってジョーを振り返る。まだ敵が残っている可能性もある中で、長距離飛行は危険が大きかった。特に他人を連れて飛ぶことは、旋回能力をいちじるしく削がれる分、撃墜されるおそれも高くなる。
だが……
「頼むよ」
うなずいたジョーに背を向けて、ジェットはエンジンに点火した。
そのまま一直線に飛び立とうとした彼を、しかし突然あがった歓声が引き留める。
「いたぞ!」
膝をついて瓦礫をかき分けるピュンマの手元から、赤い色がのぞいている。間違いない。彼らのまとう防護服だ。
慌てて着地したジェットとジョーが、争うように走り寄る。
「ちくしょう、生きてるんだろうな」
「大丈夫さ。この程度で潰れるような、ヤワな身体じゃないだろうからね」
「俺がやる」
ピュンマを押しのけたジェロニモが、太い指を隙間へと突っ込んだ。慎重に足場を定め、少しずつ力をこめてゆく。パラパラと細かい欠片が滑り落ちていった。
「ム……ゥ……」
軋むような音を立て、太い腕の筋肉が張りつめる。
じょじょに持ち上がってゆく瓦礫の下に、待ちかねたようにグレートが首を突っ込んだ。
「腕だ。腕が見えてる」
その言葉が終わるより早く、みなの目にも、崩れた壁に挟まれた白い手首が映る。その亀裂の向こうには、いくぶん空間が残されているようだ。
「おいおっさん、生きてるか?」
呼びかけるジェットの声は、かなり明るいものになっていた。
腕を伸ばし、力無く垂れた手のひらへと触れる。気を失っているにせよ、せめて反応が返らないものかと、力をこめて腕を引く。
―― 返ってきた手応えは、ひどく軽いものだった。
赤い袖に包まれた腕が、あっさりと動く。
引いたジェットの動きのままに、ずるりとそれは引き抜かれた。
上腕の半ばからぶら下がる、引きちぎられたケーブルと人工筋肉と神経の束。
裂けた防護服と人工皮膚の切れ端が、循環液に濡れて、貼りついている。
その先に続くはずの、肉体は ――
ジェットの喉が、奇妙な音をたてた。
とっさに力の緩んだ指から、腕の落ちるさまが、スローモーションのように感じられる。
ごとり
無機質な音が、あたりへと、響きわたった
――
* * *
暗い……
最初に彼の意識にのぼったのは、そんな言葉だった。
そこは、見わたす限りの
常闇。
一片の光だに存在しない、漆黒に塗り潰された空間。
ここは、どこだ……
疑問に思う思考すらも、どこか緩慢なそれで。
強化された彼の両目は、たとえ灯りなどなくとも、ものの輪郭ぐらいは捉えられるはずだった。耳もまた、空気の流れるかすかな音さえ、拾う精度をそなえている。
だが、いまはなにも見えない。なにも、聞こえない。
上下の感覚すらなく、己が立っているのか座っているのかさえ判らない。
腕も足も、その存在すら感じられず。
ただぼんやりとした意識だけが、闇をたゆとうている。
そんな、感覚 ――
おぼろげなイメージが脳裏へと浮かぶ。
恐怖に満ちた目で自分を見る、兵士達の表情。
バケモノと叫び、銃をむけてくるその姿へと、容赦なくマシンガンを叩き込む自分。
既にいつのものかすらはっきりしないそれらのイメージは、特定する気さえ起きぬほど、繰り返されてきたもので。
ただ、わずかに引っかかる記憶といえば。
みなは、無事か……
落ちてくる瓦礫の塊。
爆発音と、黒煙。舞い上がる粉塵と炎。
圧倒的な質量でのしかかってくる破壊されたビルの残骸は、はたして自分以外の者の上にも、降りそそいだのだろうか。
いや、大丈夫だったはずだ。
あのあたりにいたのは、自分とBGの兵達だけだったはずだ。
ならば、いい……
不安は、なかった。
いまの自分が、どんな状態にあるのかなど、彼にはどうでも良かった。
すべての感覚がおぼろな現状は、むしろどこか安らぎすら感じさせる、心地よさをももたらしていて。
この闇の中、全てを忘れてひとりたゆとうのも、悪くはない。
そんなふうに、思う。
ここにはなにも存在しない。
己のいとわしい機械の肉体も、それを怖れ罵倒する兵士達も。
あるのはただ、この間延びしたような思考、ただそれだけで。
目を閉ざし、小さく、ため息をつく。
それすらも、本当にできたのかどうかは判らなかったけれど。
この心地よい闇の中、いつかは思考すらも呑み込まれ。
いっそこのまま消えていってしまえたら。
どんなにか自分は幸せになれるだろうか。
天国に行けることなど、あるはずがないと判っている。
死神の異名を持つ己が、行き着く先は地獄の底に違いないと、そんなふうに思っていた。
だが、この無明の常闇に、朽ち果てるまで漂い続けていられるならば。
それも悪くはないのだと、心から思う。
むしろ望外の幸せとさえ呼べるのではないか。
苦しみもなく、なにかを失う恐怖すら感じる必要もなく。
ただこの思考の消滅するその時まで、なにをするでもなく漂っていられるのであれば、それ以上の幸せなど、ありはしないのではないか、と。
けれど……
* * *
ごとり
無機質な音をたてて、何かが動く気配。
しびれたように、ほとんど聞こえることのない耳へと、はるか遠くからのように思えるざわめきが届く。
暗黒に差し込む、一条の光。
それを背に、ふわりと飛び降りてくるひとりの影。
崩れるように地に膝をついて、震える両手をこちらへと伸ばしてくる。
「ゼロ、ゼロ……フォー?」
掠れたささやきがその唇から洩れた。
せばまった視界は、人工眼球に罅でも入っているのか、ほとんど焦点も合わず。
ただ見えるのは、東洋人にしては白かったその肌が塵埃に汚れ、長い指が傷つき、形良かった爪さえもが、無惨に割れてしまっていること。
よく眺めれば、指先の人工皮膚が剥がれ、内部の金属機構がのぞいている。そんな両手で、彼はそっと触れてくる。
真紅の防護服に包まれたその腕は、感覚を失った身体にも、ふわりとした温かさを感じさせた。
「生きてる、かい……?」
問いかけに、抱きしめられた腕の中で、かすかにうなずいてみせた。
切断された己の左腕からは、透明な循環液と、砕けた金属の破片がこぼれ落ちていたけれど。
全身は、ほとんど動かすことができぬほどに、破壊され尽くしていたけれど。
それでも、彼は抱きしめてくる仲間の腕の中で、小さく笑んだ。
「うっしゃぁぁあああッ!」
「いやっほぉぉおおうッ!」
地上で他の仲間達の上げる歓声が、暗く狭い瓦礫の底にまで、にぎやかに届いてくる
――
* * *
―― ただこの思考の消滅するその時まで、なにをするでもなく無明の闇の中へと漂っていられるのであれば、それ以上の幸せなど、ありはしないのではないか。
そんなふうに思うことは、自分にとって、紛れもない真実。
けれど……
たとえどれほど深く濃い闇の底に、この身を沈めたとしても。
己が身を傷つけてすら、探しあててくれるだろう仲間達が、自分にはいるから。
抱きしめてくれるその腕の中で、安らいでしまう自分が、確かに存在しているのだから。
だから、この場所こそが。
闇に惹かれる自分をひきとどめる、この腕の中こそが ――
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