Knitting
― CYBORG 009 FanFiction ―
(2003/11/28 13:25)
昼下がりの誰もいないリビングで、フランソワーズはひとり人知れぬ戦いを続けていた。
ソファに申し訳程度に腰を下ろした体勢は、お世辞にもくつろいでいるようには見えず、前傾気味に丸められた背中が、その苦闘ぶりを如実に知らしめている。
50キロメートル先の針の穴すら見分けるその鋭敏な瞳は、いまは眼前数センチの位置を懸命に見すえていた。
「に、め、よん、め……に、め……」
緊張に引き締められた口元から、低い声が途切れ途切れに漏らされる。
「四、目……六目飛ばして、と」
ぎこちなく動いていた編み棒がふと止まった。
「ふぅ」
肩から力を抜いて、しばし彼女は宙に視線をさまよわせた。
そうしてから、膝の上に置いた、これまでの努力の成果物を眺める。
それは、ようやく三十センチほどの長さになった、編みかけのマフラーであった。
渋い暗赤色の毛糸でざっくりと編まれ、途中に編み込み模様も入れられたなかなかお洒落なデザインのものである。見た目の派手さよりも、シンプルな温かみを感じさせるそれだ。
ただひとつ惜しむならば、編み目が微妙によれているように見える所だろうか。
複雑な表情で顔を動かしたフランソワーズは、手元から伸びる糸とその先に繋がる毛糸玉へと視線を走らせた。いかにも手で巻き直したと言わんばかりのいびつな玉。それを構成する糸は何度も編んではほどいたことを示すように、不規則に縮れてしまっている。
「んもう、まさかこんなに下手になってるなんて」
拗ねたような口調でそう呟いて、フランソワーズはもう一度ため息を落とした。
“モシカシテソレ、ぷれぜんとカイ?”
唐突にかけられた言葉に、彼女はきゃっと小さく悲鳴を上げた。
とっさに動かしたその肘があたり、毛糸玉を床へと払い落としてしまう。
「あ ―― 」
追いかけて立ち上がろうとした身体を、見えない力が優しく押し戻した。転がってゆく毛糸玉が、ふわりとひとりでに浮かび上がる。
揺れる毛糸玉から視線を外し、フランソワーズは隣の部屋へと続く扉の方を振り返った。
「イワン? 目が覚めたの」
“ウン、ツイサッキネ”
そんな声と同時に、隣の部屋で眠っていたはずの赤子がバスケットごと現れた。観念移動でこの部屋へと跳んできたイワンは、フランソワーズが座るソファへと、並ぶように舞い降りる。
見守るフランソワーズの手元へと、器用に回転して糸を巻き取った玉が戻ってきた。
「おなか空いてる? ミルク作りましょうか」
フランソワーズは手の中の物を置いて再び立とうとした。
“ウウン、マダソンナニ空イテイナイカラ”
そう言ってイワンは彼女を止める。
“ソレヨリ答エヲマダ聞イテイナイヨ。ソレハ、ぷれぜんとナノカイ?”
ジョーへの。
付け足された最後の名前に、フランソワーズはぱっと赤面した。
「え、その……だから……」
頬を染めてうろたえる彼女に、イワンは小さく笑い声をたてる。
“喜ブト思ウヨ。じょーッテソウイウ手作リノ物ニ、憧レイテイルミタイダカラ”
手渡されたならきっと、目を輝かせてすごい! と言うに違いない。こんな物を作れるなんてとまず感心して、それからそれが自分のために作られたことに感動して、少し照れながらもまっすぐにお礼を言うだろう。ありがとう、すごく嬉しい、と。
そんな様子が目に浮かぶようだ。
家族の、特に母親の愛に飢えている彼にとって、昨今一般では敬遠されることもありがちな手編みのマフラーというプレゼントも、きっと何より嬉しい贈り物となるはずだ。
「べ、別にジョーにだけあげる訳じゃないわよ? 他のみんなに、だっ、て……」
言い訳するようなその言葉は、しかし途中で尻すぼみになり消えてしまった。まだ半分もできていないマフラーを眺め、壁に掛かったカレンダーを見やり、そうして ―― 彼女は深く深く息を吐く。
本当は。
そう、本当は他の皆の分もちゃんと編むつもりだったのだ。みんな同じデザインで、けれど毛糸の色だけ変えて、自分以外の八人とそれからギルモア博士の分と。そのための毛糸だって全部買ってきていた。空を飛ぶジェットにはちょっと太めにしてしっかり巻けるように。大柄なジェロニモには他の人の倍の長さで。そんなふうに計画しながら。
けれど……
このところなにかと忙しいことが続いて、材料をそろえたのは良いけれど、なかなか手をつけることができずにいた。だからクリスマスまでの時間が減っていくことを気にしながら、じりじりと焦りを募らせていたのだ。けれどそれでも、まだなんとかなると思っていたのに。
だが実際に作業を始めてみて愕然とした。
何年かぶりで手にした編み棒は、見事なまでに動いてくれなかった。
これでも昔は、自分や兄の為に、何枚もセーターや肩掛けなどを編んできたのだ。びっくりするほど上手いとまでは言わなくとも、太い毛糸を使ったシンプルなマフラーぐらい、すぐに編めると考えていたのに。
それはきっと、長年編み物などから離れていたという、それだけの理由からではなくて。
―― この指も、手足も、元の自分の物ではない。何度も取り替えられた機械のそれなのだ、と。
平穏に日々を過ごしている現在、ふと忘れそうになるそんな事実を、まざまざと突きつけられた気がした。
日常生活では、まったくと言っていいほど不自由はしない。それどころか違和感すら感じることもなく、思い通りに動くこの身体。
それでも。
思い返せば、改造されたばかりの頃は、とてもこうはいかなかった。脳と人工神経との接続がうまくいかず、急に動けなくなることも良くあったし、痺れたように何の感覚もない状態に陥ることも多かった。幾度もの改良とリハビリを繰り返して、ようやく元通りに動けるようになったのは、果たしてどれほどの時間を過ごしてからだったか。
いや。
全く元の、生身の肉体を持っていた頃の動きには、戻れていなかったのだと。いまこうして、思うように進まない編み物を前に、否応なく思い知らされる。
揃ってくれない編み目、気が付けば針から抜け落ちている糸の輪。
何度ため息をつき、ほどく羽目になっただろう。
気が付いてみれば、クリスマスまではもう何日も残っていないのに、一人目のマフラーさえ半分も編めていない。
目頭がじわりと熱くなった。
内緒のプレゼントなのだからと、誰にも話すことができず一人で抱え込んでいた感情が、ここにきて急にあふれ出してしまったようだった。
本当ならば、こうしてこっそりと編み物をしている時間は、皆の喜ぶ顔を想像しながらの、とても楽しいひとときになるはずだったのに。
嗚咽をこらえるようにうつむいてしまったフランソワーズを、イワンはバスケットの中から見上げていた。
かける言葉を探しているのか、しばしリビングには沈黙が横たわる。
“ネエ、ふらんそわーず”
やがてイワンが口を開いた。
呼びかけに、フランソワーズは少し顔を上げる。ほのかに潤んだ紺碧の瞳を、イワンはまっすぐ見つめ返した。
“編ミ棒、取レチャッテルヨ?”
「……え?」
濡れた瞳が、数度しばたたかれた。
そうして手元を見下ろした彼女は、次の瞬間悲鳴を上げる。
「きゃーーーーッッ!?」
もしも現在、ギルモア邸内に彼女たち以外の人間がいたならば、血相を変えて駆けつけたに違いない、そんなすさまじい声であった。
幸いにもギルモア博士を含めた仲間達は全員、それぞれの用事で家を空けており、だからこそフランソワーズも安心して作業にいそしんでいたのだが。
そんなわけで心おきなく絶叫したフランソワーズの手中では、編み棒を失ったマフラーがくたりとその身を丸めていた。どうやら話している間に針がすり抜けてしまったらしい。もう一度通し直そうにも、変なふうに引っ張ったせいで、ところどころ編み目が落ちてしまっている。少なくとも数センチはほどかなければならないだろう。
またやり直し……
愕然とするフランソワーズの傍らで、イワンが仕方ないねと呟いた。そうして小さなその手が差し上げられる。
と、
膝の上に落ちていた編み棒が触れる者もいないままに浮かび上がった。マフラーを握りしめていた細い指がそっと外され、編みかけのそれが抜き取られる。
「イ、イワン……?」
呆然と見守る前で編み棒が動き、バラバラの方向をむいている編み目をひとつづつ丁寧に拾っていった。既にほどけてしまっている部分も、ひとりでに毛糸が動き、元通りの編み模様を形作る。
“ハイ、直ッタヨ”
先刻までと同じ、段の半ばまで編まれた状態のそれが、フランソワーズの手の中へと下りてきた。
“じょーニハ内緒ダカラネ”
ボクが手伝ったなんて。
そんないたずらっぽいテレパシーで、フランソワーズも我に返った。
信じられないように元通りのマフラーとイワンとを見比べる。
大きく見開いた目をぱちぱちと幾度もしばたたき、持ち上げたマフラーを確かめた。
やがて、
その口元が小さくほころぶ。そうしてフランソワーズはイワンを見た。
その瞳は、未だ潤んで赤いままだったけれど。
それでも彼女は先刻のイワンと同じ、いたずらっぽい口調で言葉を返した。
「あらいいじゃない。私とあなたの連名でプレゼントしても」
ありがとう、イワン。
礼を言うフランソワーズに、赤子は小さく肩をすくめた。
“勘弁シテヨネ。ボクガ編ミ物ヲシタナンテ言ッタラ、ミンナニ笑ワレチャウヨ”
ボクだってこれでも男なんだからね。
その台詞で彼女の脳裏に浮かんだのは、車座になって不器用な手つきでマフラーを編む、この場にいないメンバー達の姿であった。
皆それなりにたくましい身体を小さくかがめ、編み棒と毛糸玉相手に四苦八苦している。
イワンもまた、テレパシーでその光景を読みとった。
次の瞬間、二人はこらえきれずに吹き出す。
高く澄んだ女性と赤子の笑い声は、リビングの壁に天井にとはね返り響いた。
朗らかではなやかなその響きが、柔らかな午後の日差しに満たされたリビングを、いっそう明るく温かなものにしてみせる。
―― クリスマスの当日。
フランソワーズより綺麗にラッピングされたプレゼントを受け取ったジョーは、想像に違わぬ笑顔で喜んでみせた。さっそくマフラーを巻いた彼を、ジェットやハインリヒが口々にからかう。
赤い顔で反論しながらも、ジョーはとうとうパーティーが終わるまでマフラーを外そうとはしなかった。
なお、残念ながら再び眠りに入ってしまったイワンは、せめて気分だけでもと、飾りつけたリビングへ共に連れてこられていた。
普通の赤子のようにぐっすりと眠っている彼の頭には、誰が載せたのか紙でできた三角帽がかぶせられ、バスケットのまわりにも金銀のモールが巻かれている。
そして、誰も気づくことはなかったが、眠る彼の首まわりには、苦しくないようゆったりと小さなマフラーが巻かれていた。両端に可愛らしいボンボンをつけた純白のそれは、イワンが眠りの時期に入ってから、大急ぎで編み上げられたものである。
だがいまのところその事実を知るのは、フランソワーズただ一人だけであった。
(2003/11/28 15:48)
珍しく季節あわせのクリスマスネタ。
書きたかったのは、照れながらジョーへのマフラーを編んでいるフランソワーズでした。
彼らが照れている様子は、原作の様子が微笑ましくて好きです。ヨミ編とかあのあたりの。
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