―― なかまの死を、だまって見ていられない!
そう言い捨てて、002はロケットエンジンへと点火し、大空に飛び立っていった。
ボクが送り込んだ009と共に、遠く遙かな成層圏へと逃亡した、魔神像を追って。
平和をこの手に握るためには、やむを得ない犠牲だった。
みなを救い出し、そして逃れようとする
黒い幽霊を壊滅しうる、唯一の可能性を持った009を、魔神像内部へと送り込む。幾つもの水爆により崩壊しようとするヨミ帝国の中で、ボクのできるそれが精一杯だった。
たとえ敵を倒せたとしても、相打ちとなるだろうことは避けられない状況だった。だからこそボクは、せめてギルモア博士を含めた9人の命だけは守らなければと、009一人を犠牲にする方法を選んだのだ。
なのに彼は、009を追っていった。
追いつく可能性など、ほとんどありはしない。
遠くまた広大な成層圏の彼方、たったひとりを見つけだせる確率など果てしなく低く。そしてまた、もし無事に009と巡り会うことができたとしても、そこから無事に戻ってくるなど、できるはずもない。
それでも、彼は、行くというのか。
そんな彼の行動は、ボクにとっては完全に理解の外で
――
* * *
―― 思い出すのは、かつて交わした会話。
あれは確か、二度目の戦いのために、再び集まろうとしていた頃だった。
ドルフィン号のメディカルルームの中。
無惨にメカニックがむき出しになった左膝を、ギルモア博士に任せる002。
そんな彼を、あの時の皆は、どこか呆れたような表情で眺めていた。
―― いったい何があれば、普通の生活をしていて、サイボーグ体を破損させるような目にあえるというのか。
皆の感想はそれに尽きただろう。
再び集結する必要をおぼえ、仲間達に連絡を取りつつあった中で、ひとり居場所の明らかにならなかった002。それがようやく彼の方から連絡をしてきたかと思えば、そんな状態になっていたというのだから。
『ちっとドジっちまってよ』
簡単な応急処置 ―― そのやり方ぐらいは、さすがに覚えていたらしい
―― をした上から、不器用に包帯を巻き付けて現れた彼の姿に、誰もが深々とため息をついたものだ。
“相変ワラズ、無茶ヲスルモノダネ”
灯りを落とした彼の私室。
ベッドに横たわった002の傍らで、ボクはふわふわと浮かぶバスケットの中からそう言った。
“イクラさいぼーぐトハイッテモ、万能ジャアナイ。ソレハキミガ一番良ク、知ッテイルト思ッテイタケレド”
「んぁ?」
処置を終え、どうやらうとうととしていたらしい002は、ボクの言葉に、間の抜けた声を出した。閉ざしていた目蓋を上げ、身じろぎしてこちらを見やる。
疲労の色濃いその眼差しに、ボクは見上げずにすむよう、バスケットの位置を低くした。
“無理ダトハ思ワナカッタノカイ?”
防護服もなく、サポートしてくれる仲間達もおらず。たったひとりで炎の中へと飛び込み、生身の人間を救出しようとする。はっきり言おう。無謀だ。
己の身を守るだけであれば、それはそんなに難しい話ではない。
彼の人造皮膚は、初期に開発されたそれだけに、幾分強度の劣るものだった。だが、それでも火災程度の熱には耐えることができたし、内蔵酸素ボンベを使えば、有毒な一酸化炭素を吸い込むことも避けられただろう。崩れる瓦礫やバックドラフトに注意し、注意深く進路を選択すれば、脱出するのは容易だったはずだ。
だが、わずかな熱風にも火ぶくれを起こし、ほんの一息でも煙を吸い込んだだけで、致命的な中毒を起こして動けなくなる生身の人間。そんな足手まといを連れて炎を突破するなど、いかにサイボーグの優れた能力をもってしても、困難きわまりない所行だった。
「……勝手に人の頭んなか、覗いてんじゃねえよ」
002は不機嫌そうに毛布を引き寄せた。
ボクに対して背中を向けるように、寝返りをうってむこうを向いてしまう。
“怒ッタノカイ”
彼は、みなに対して詳しい事情を説明しようとはしなかった。
ホテル火災に遭遇したこと。その中に、彼と同じアパートに住む女性が取り残されてしまっていたこと。その女性をかばったが故に、あやうく彼まで命を失いそうになったこと。そのどれをも、彼は口にしようとはしなかった。
それが何ゆえなのか、ボクには理解ができない。おそらく、何があったのかをちゃんと説明すれば、みなは……特に003や009などは、深く納得し、彼の身体を気遣ったことだろう。なのに何故、彼はそうしようとしないのか。
“―― ボクニハ、判ラナイヨ”
ボクは小さく呟いた。
彼が何故、無理を押してまで炎の中に飛び込んだのかも。そして何故それを、みなに説明しようとしないのかも。
ボクは、彼の心を読むことができる。
そのとき彼が何を想っていたのかを、正確にトレースすることもできる。
けれど、
それでも、もしも同じ立場に立ったなら、ボクはきっとあきらめてしまっただろう。
不可能だったのだと、自らを弁護する言い訳を口にしてしまっただろう。
なぜならボクは、彼ではないのだから。
自分ともうひとりと。二つの命を両方とも危険にさらすぐらいであれば、ボクはひとりの確実な生と、そしてもうひとりの確実な死を選んでしまう。
ボクには、それしか選べない。
何故ならそれが、ボクなのだから。
そう。
ボクはけして、彼にはなりえないのだから……
「…………」
002の広い背中は、何も告げてこようとはせず。
ボク達は、どこまでも異なった存在なのだと。
その時ボクは、そう思い知らされる心地がしたものだ
――
* * *
飛行する002の姿は、とうに視界から消え。
あの赤い防護服も、空の青に紛れて見えることはない。
それでもボクのこの『目』には、まだ彼の姿が見えていた。まっすぐに、どこまでも前を見据えて空を駆ける、彼の姿が。
祈るその声が、ボクの耳には聞こえてくる。
一度も神になど祈ったことはないという彼が、それでも祈る、その声が。
最後の一瞬その一秒までも、あきらめはすまいと願うその想いが。
ボクには、理解できない。
報われることなどあり得ない想いを、彼は何故にそうも抱き続けられるのか。
あのまま見送っていれば、ひとりが死ぬだけですんだ。
それはとても悲しいことだ。けれど、ああして飛び立つことで……限界を越える高度にまで追いすがろうとすることで、ひとりの死は確実にふたりのそれになろうとしている。それは、遺される者の悲しみを、さらに大きくするだけではないのか。
それでも彼は、行こうとするのか。
悲しみを増やすためにではなく、喜びをもたらそうとせんがため。
ボクには理解できない。
ボクは彼ではないのだから。
彼のその行動が、ボクにはどうしても理解できない。
―― ソレデモ。
それでも、
彼が行くというのならば。
ボクも、やってみようか。
もう力はほとんど残っていないけれど。
気を抜けば、今にも深い眠りの底に落ちていきそうになるけれど。
それでも、最後の一瞬まで、ボクもまたあがいてみようか。
彼が009を見つけるその瞬間を、見逃さないように。
そして、ボクにできうる限りの力を尽くすから。
ダカラ、002 ――
ボクの力を届かせられる、その場所まで。
ボクの力では見つけることのできない、彼のことを、連れてきておくれ。
ボクもまた、祈るから。
それは存在するのかも判らない、神に対してなどではなく。
祈るから。
キミと共に、祈るから。
ダカラ、ドウカ ――
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