真夏の一夜
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2004/08/21 09:59)
神崎 真


 ギルモア邸のリビングにて、長々と伸び床を占領している物体があった。
「……ったくよお」
 その物体から、へろへろとした力無いうめき声が発せられる。
「なんだって日本の夏っつーのは、こんなにうっとおしいんだよ……」
 フローリングにぶつかりくぐもった声は、かろうじてそんな言葉を形づくった。
 さっきまで大の字になって広がっていたアメリカ人は、今度はうつぶせになって、腹から両手足から伸ばした首の顎下まで、べったりと板の間に押しつけている。
 どうやら板の間の冷たさに、わずかなりとも涼を求めているらしい。
「邪魔だ、どけ」
 シャワーを浴びてきたとおぼしき濡れ髪のハインリヒが、そんなジェットを無造作に蹴り転がした。と、あらわになった床板には、くっきりと人型の跡が残っている。ハインリヒは嫌そうに顔をしかめ、大きく迂回して室内へと入った。そうして乱暴にソファへと身を投げ出し、首にかけていたタオルで頭を拭き始める。
 そんな二人のやりとりに、ジョーが苦笑いした。
「日本の夏は湿気が多くて、外人さんにはキツイっていうけど」
「……まったくだね」
 ジェットのように床へ転がってこそいないものの、ランニングシャツに短パンというらしからぬ軽装のピュンマが、深々とため息を落として言った。
「暑いのには慣れてるつもりだったけど、これは確かにしんどいよ」
 そう言う彼は床に直接尻を落とし、開け放した掃き出し窓のそばで脱力している。熱帯育ちのピュンマまでがそう言うのだ。ゼロゼロナンバーら外国人達にとって、慣れぬ日本の夏は相当こたえているようだった。
 ことにその日の過ごしにくさは、いつもにもましてひどいものだった。気象情報によれば、南方で発生した大型の台風がじょじょに日本まで近づいてきているそうで。それならそれで風が強くなって、少しは涼しくもなりそうなものだったが、何故かこの国では嵐の前に気温が上がるという現象がみられる。
 もはや暑いというよりは熱いと評した方が良さそうな空気に、これでもかと含有される高い湿度。現在の不快指数がいくつかなど、もはや知りたくもなかった
 全開にした掃き出し窓から時おりぬるい風が入ってきたが、文字通り焼け石に水というところだ。
「アンさんは、湿気にも慣れとるんとちゃうか?」
 傍らのグレートに問いかけた張々湖は、同じアジア圏の出身なせいか、まだ多少余裕があるようだった。対するグレートはシャツの襟を大きく開き、日の丸扇子で風を送り込んでいる。
「我が麗しのロンドンは、確かに霧こそ出るが、気温は低いのでねえ」
 汗まみれのハゲ頭に血の気がのぼり、きれいなピンク色に染まっている。
 食卓に並ぶ海洋生物を思わせるそんな状態にも、しかしもはや誰一人つっこむ元気などないようだった。
 ちなみに何故冷房もつけず、さながら我慢大会のような様相を一同が呈しているのかというと、答えは簡単、エアコンが壊れてしまったからであった。連日連夜のフル稼働に耐えかねたのか、メンバーのうちの誰かの行いが悪いせいなのか。
 電気屋に修理を依頼しても、季節が季節なためか数日は待たねばならぬらしく、ならば自分達で直そうかとも考えたのだが、肝心の部品がなければ手のつけようもない。
 部屋数が多いからと、個々に一台ずつ取りつけるのではなく、集中管理システムをとっていたのがまたまずかった。おかげで建物内の全ての部屋が蒸し風呂と化している。
「博士がお出かけだったのが、せめてもの幸いかな」
 ジョーがそう呟いた。
 ギルモア博士は学会に出席するため、泊まりがけで家を空けていた。出発するときには台風が近づいている中、無理に出かけなくてもと一同口をそろえたのだが、こうなってみるとむしろ正解だったかもしれない。いくらなんでも老体にこの環境は過酷すぎる。
 なにか飲み物でも取ってこようかとジョーが立ち上がりかけたとき、タイミング良くキッチンから声がかかった。
「みんな、スイカ切ったわよ。食べましょう」
 大量の切り分けた西瓜を手に、フランソワーズとジェロニモが姿を現す。
 途端に全員が歓声を上げた。
「さすがはマドモアゼル! 判ってらっしゃる」
「あら、誉めてくれても、これ以上は出てこないわよ」
 ジェロニモと手分けして配られた西瓜は、キンキンに冷やされていた。
 皆しばしものも言わずに貪り食らう。
「イワンはこっちね。大丈夫?」
 絞りたての西瓜ジュースを入れたほ乳瓶を手に、フランソワーズがイワンを抱き上げた。改造度合いの少ない赤子の肉体では、油断すると脱水症状や熱中症をも引き起こしかねない。
“ウン、大丈夫。しーるどヲ張ッテルカラ”
 さらりとそんなことを言うイワンに、真っ先に反応したのはジェットだった。
 さっきまでのダレ具合はどこへ消えたのか、両手に一切れずつ西瓜を持った彼は、かぶりつく勢いを保ったまま、盛大なブーイングを飛ばす。
「そんなことできるんだったら全員にやってくれよッ!」
 口から西瓜の欠片が飛び散るのに、ハインリヒが眉をひそめた。だが気持ちは同じらしく、無言でうなずきイワンの方を見た。その他の面々も期待に満ちた目でスーパーベビーへと注目する。
 が、どこまでも理性的な赤子は、にべもない答えを返した。
“イヤダネ”
「そりゃねえだろッ!?」
「頼むよイワン〜〜!」
“駄目ダッタラ。ボクダッテソウ簡単ニヤッテルワケジャナインダヨ? 冷ヤシタ空気ガ回リト混ジラナイヨウニシナガラ、酸欠ニナラナイヨウニ少シズツ入レ替エルノッテ、ケッコウ面倒ナンダカラネ。ダイタイボク一人ノマワリダケナラトモカク、コノ部屋全体ヲ冷ヤシタリナンカシタラ、ソノ分マワリハモット熱クナッチャウジャナイカ。熱えねるぎーハ消滅スルンジャナクテ、余所ニ移動スルダケナンダカラ”
 ずらずらと並べ立てるイワンに、秩序立った反論を考え出す余力を持つ者は、誰もいなかった。
 その理論でいくとイワンがひとりで涼んでいるぶん、この室内は余計に気温が上がっていることになる訳なのだが、そこに気がつくことさえ誰もできない。
 要は面倒臭いだけなのだろうとため息をついて、一同は再びそれぞれの手元へと意識を戻した。下手に口論など始めても余計に体力を浪費するばかり。それよりはこの西瓜が冷たい内に食べてしまう方がまだしも建設的だ。
 黙々と咀嚼を続ける一同を前に、自らもジュースを飲みながら、イワンは内心苦笑と呼べるのだろう衝動を感じていた。


 ―― 戦闘もーどニ切リ替エレバ、タトエ溶岩ノ間近デモ、真空中デダッテ平気デ過ゴセルクセニ。ソレデモ使ワナインダカラ、ミンナ律儀トイウカナントイウカ。


 戦闘用サイボーグとして開発された彼らにとっては、本来ならこんな程度の気温など、まるで問題にならないはずなのだ。
 だが少しでも人間に近い身体をという博士の親心から、いまやみなの肉体はほぼ完璧に近い五感を再現されるに至っている。もちろん戦闘時には、作戦行動に支障が生じないよう、センサーを切り替えている。しかしこうして平和な日常生活を営んでいる間は、誰もが普通の人間と同じ感覚を持つことを選んでいた。
 そんな仲間達のかたくなさが、イワンには不可解であると同時に、好ましいものに思える。何故そんなふうに感じるのかは、彼自身にもはっきりとは分析できなかったけれど。
 そもそも平常時に戦闘モードを使用するのが嫌だというのならば、他にもいくらだって方法は存在するのだ。たとえば岬の洞窟内に停泊しているドルフィン号だってそうだ。あの中であれば空調は完全に整っている。気温も湿度も快適この上ない状態に保つことができるはずだ。にも関わらず、彼らは誰一人としてあの機体に乗り込もうとは言い出さない。
 まったくもって不可解。
 理解に苦しむ不条理さだ。


 ―― ソレデモ。


 それでもイワンもまた、ひとり快適なはずの場所へと向かおうとは考えない。
 ドルフィン号の中でも、あるいはこの地球上のどんな場所へだとて、彼は一瞬で移動することができるというのに。


「うぁ〜〜、もう、あっちぃよ〜〜〜」
「暑い暑い言うな馬鹿。余計に暑くなるだろうが」
「け〜ど〜よぉ」
「いっそ怪談でもしてみるかい? 暑い夜にはそれが一番だっていうけど」
「怪談……って、それで涼しくなるものかしら?」
「欧米のお化け話は、今ひとつ情緒というものに欠けてるアルからネ」
「それは聞き捨てならぬぞ! ならば我が輩がひとつ、背筋も凍る惨劇を語り聞かせてしんぜようではないか」
「ま、待った! 止めないかいそれは。って、ジェロニモどこに行くんだい!?」
「……ちょっと用事を思い出した」


 なにやらわいわいと騒ぎ始めていた一同だったが、そんな彼らはふと申し合わせたように、いっせいにその動きを止めた。
「あ……」
 小さく声を上げ、どこを見るともなく視線をさまよわせる。
 その間を、さわやかな一陣の風が吹き抜けていった。開いたままの掃き出し窓から流れ込んできた大気が、よどんだ空気を吹き払うように室内を一巡してゆく。
 それは、ごくごくささやかなそよ風に過ぎなかったけれど。
 汗ばんでいた肌が冷やされる、心地の良い感触。
「良い風 ―― 」
「ほんと」
 誰ともなく呟いて、そうしてくすりと表情をほころばせる。


 そんな彼らを眺めながら、イワンは差し上げていた手をそっと下ろした。
 長い前髪の下で、輝いていた瞳が静かに閉じられる。
 だがそんな彼の様子に気がついた者は、誰ひとりいないのだった。


(2004/11/07 22:26)


チャットにて寝相の話を書き残していたら、きさだ様より自分の寝相として「 -○__ 」という顔文字(?)がレスされており、ついジェットを連想して爆笑した挙げ句、こんな話を書いてしまいました。
さらにその後チャットで一緒になったきさだ様と盛り上がり、顔文字は「 -○ミ__ 」とか「 ――Σ○- (上から見た図)」とか「 >―Σ○- (足つき)」、「Σ○>(ジェットというよりもはや魚)」などと発展していったり(笑)

……ほんとにジェットファンなのかな、私……


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