First Contact
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2002/6/15 14:17)
神崎 真


 最初に意識にのぼったのは、降り続く雨の音だった。
 数日おきに訪れる、目覚めの時間。夢と現実との境を行き来する、こんなまどろみのときが、ボクはそう嫌いではない。
 ボクにとっての眠りというものは、強制的に訪れるスイッチのようなものだった。たとえ闘いのさなかであっても、その睡魔にあらがうことはほとんどできないし、眠っている間に仲間達が危機へおちいったとしても、ある程度の時間が経たなければ目覚めることはない。
 それだけに、こうして半覚醒の状態で、何も切迫した空気を感ずることもなく、ただぼんやりと意識を漂わせていられるのは、ひどく気持ちが良い。
 目を閉じたまま、ごく自然にあたりへと意識の網を広げた。
 隣の部屋で、003が洗濯物を畳んでいた。長雨が続いて乾燥機ではおいつかないと、そうこぼしているようだ。009もいっしょになって、それを手伝っている。
 008は廊下を歩いていた。どうやら彼は009に用事があるらしい。本屋、外出、車、といった断片的な思考が感じられる。二階の書斎には書き物をしているギルモア博士。そろそろ休憩して、コーヒーを飲みたいと考えている。何か新しい研究でも始めたのだろうか。
 それから ―― ええ……と ――
 そのあたりまでを感じ取って、ボクはまたしばらくうとうととしていたようだった。
 心地よい浮遊感に、意識が飛んでいたらしい。
 突如頬を襲ったざらついた感触に、ボクはびっくりして両目を開けた。
“ウワッ!”
 思わずテレパシーで声を上げる。
 とたんに隣の部屋で物音がして、003が飛び込んできた。
「イワン!? どうしたの」
 問いかけてくる003に、ボクはとっさに答えることができなかった。
 その代わりと言ってはなんだったが、いつの間にか側にいた002が、遠慮のない笑い声を上げ、彼女を振り返る。
「なんでもねえって。心配すんな」
 そう言う彼は、両手で腹部を抱え込むようにして、背中を小刻みに震わせていた。
 いつもなら念動力で報復のひとつもしてやるところだったが、その時ばかりは、そんなことにまで頭がまわらなかった。
“コレ、ハ……”
 目の前にいる真っ白い生き物を、ただまじまじと見つめる。
 『それ』は、小さな声でにゃぁと鳴くと、ボクの顔をもう一度ざらざらした赤い舌で舐めた。


 その仔猫はとにかく良く動いた。
 走る。飛び跳ねる。ソファによじ登ったかと思えば落ちる。転がり足をばたつかせ、跳ね起き、突進する。片時もじっとしていようとしない。
「元気なもんだよなぁ」
「そうね。一番やんちゃな盛りかしら?」
 003が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、002が仔猫を眺めている。003もボクにミルクを含ませつつ、仔猫の動きを逐一追っていた。物を壊されては大変という思考と、怪我をしないと良いんだけどという心配。そしてそれ以上に、ふんわりとした温かく柔らかい感情が、彼女から伝わってくる。
 002もまた、口元に浮かぶ小さな微笑みそのままに、穏やかな想いを遊ぶ仔猫へと向けていた。
 なんでもこの猫を拾ってきたのは、彼だったらしい。一昨夜、帰宅するのが遅いと心配していた皆の前に、ひどい格好で戻ってきたのだそうだ。その胸に、やはり汚れて濡れそぼった、仔猫を抱いて。
 最初は怯え震えていた仔猫は、温かい湯で毛皮の白さを取り戻し、小皿に入れたミルクを飲み干す頃には、すっかり生来の元気を取り戻した。そして昨日からずっと、この家の中を縦横無尽に走りまわっているという。
 吸い口を離すと、003はすぐに気がついた。
「飲み終わったのね。ジェット、お願いできるかしら」
「ああ。ほら来いよ、イワン」
 伸ばされた腕にボクの身体を預け、003は哺乳瓶を洗いに台所へと向かう。
「今回は起きるのわりと早かったな。もう二三日は寝てるかと思ったぜ」
“ウン……マア、ソウイウコトモアルサ”
 ボクの肉体は、基本的に常人の一ヶ月を一日として認識する。だから一月のうち半分を眠って過ごし、残る半分を起き続けることになる。だが実を言うと、このサイクルは案外不規則なものだった。普通の乳児を考えてもらえば判るだろうが、彼らの眠り方は、けして大人のように半日寝て半日起きるときっちり決まっているわけではない。数時間おきに目覚めては、ミルクだおしめだと泣き叫ぶ。その点はボクも似たようなものだ。ただボクの場合は、普通の赤子にとっての数時間が数日に換算されてしまうため、結局は何日も眠り続けてしまう訳なのだが。
 今回は、三日間ほど眠っていたらしい。確かにボクとしては早く起きた方だ。
“アノ仔猫……”
「うん?」
 何かを見つけたのか、テレビの下をのぞき込んでいる様を、ボクは意識の片隅で認識する。
“イツマデコノ家ニ置イテオクツモリナンダイ?”
「ああ……」
 問いかけに、002は得心したようにうなずいた。
「一応、この雨が止むまではと思ってる。それぐらいならなんとかなるだろ」
“ソウカイ”
 存外あっさりとした返答だったが、ボクはごくあたりまえに受け止めた。
 仲間達は意外に思うかもしれないが、この青年はこういう部分で至極物わかりが良い。現実を知っている、と言うべきだろうか。
 いつ何時、新たな戦いへと赴くか判らないボク達が、無責任に他者へと手を差し伸べることなど、できるはずもない。それを彼は、ちゃんと理解していた。
 ……だが彼は同時に、自分にできうる範囲のことであれば、惜しみなく力を貸そうとするところもあった。なぜなら、それは……
“自分ト、重ナッタカイ”
「ぁん?」
“暗イ路地裏、生ごみマミレノ小サナ生キ物……親モナク、ヒトリボッチデ、オ腹ヲ空カセタ、痩セッポチノ……”
「止めな」
 イメージを並べてゆくボクを、002は短い言葉でさえぎった。
 たった一言口にされたそれは、しかしけして厳しさを含んだ声音ではなく。
 腕の中のボクを見下ろす瞳は、静かに落ち着いた……どこか苦笑いするような色を含んでいた。
「前から言ってるだろ。他人ヒトの頭ん中、勝手に覗くんじゃねえって」
 くしゃりと、無造作な手つきでボクの髪をかきまわす。
“ダッテ……”
 口ごもったボクを抱え直し、そうして彼はぽんぽんと背中を叩いた。
「そりゃぁな、見えちまうもんはしかたねえさ。けどな、そういうもんは黙って胸の内にしまっとくもんだぜ? 誰だって、あんま人には知られたくないことってのがあるんだからよ」
 その手のひら越しに、伝わってくる感情。
 穏やかで、静かに澄んだ、透明な ――
 けれど、どこか心臓を掴まれるような、息苦しく、手放しでわめき出したい衝動を覚える……そんな、想い。
 ボクは、思わずよだれかけを握りしめていた。
“……ウン”
 小さく呟くと、002は喉の奥で笑った。
「なんだ? 今日はヤケに素直だな」
 からかうような口調で言ってくる。
“ソウイウコトモ、アルンダヨ”
 悪いかい?
 さっきと同じ言葉で返してやると、002は大きくかぶりを振った。
「良いんじゃねえの? たまにはさ」
 そう言って、彼はボクの身体を持ち上げた。うつぶせになるように、床の上へと下ろす。
「ほれ」
“エ?”
 予想外のところに下ろされて目をしばたたいたボクの前に、いつの間に戻ってきたのか、仔猫がちょこんと座っていた。

 にゃぁっ

 元気良く一声鳴いて、ボクへとじゃれついてくる。
 ボクはとっさに念動力を使っていた。
 仔猫の小さな身体が宙に浮き上がり、じたばたと四肢を動かす。
「おいおい、何やってんだよ」
 002が呆れたように、もがく仔猫へと手を伸ばした。下からすくい上げるようにして大きな手のひらに乗せる。
 それから彼は、自分もソファからずり落ちて、床に直接あぐらをかいた。
「うんせっと、ほら」
 再びボクを持ち上げて組んだ足の中へと座らせ、さらに仔猫を乗せた手のひらをつき出す。
 仔猫はいきなり浮いたことで相当驚いたのだろう。しっかりと002の指にしがみつきながら、ボクのことを見つめてきた。
 しみひとつない、真っ白な毛皮。キレイに澄んだ青い目が、002とどこか似ている。
 無意識のうちに、手を伸ばしていた。
 触れた感触は、思っていたよりもずいぶんとなめらかだった。
 柔らかいその下に、細く華奢な骨の存在が感じられる。ぱたりと耳が動いて、反射的に指をひいた。と、その動きに興味を引かれたのか、仔猫は鼻を鳴らしながら身を乗り出してくる。
“…………”
 押しつけられた鼻の冷たさに驚いているボクを見て、002はくすくすと笑った。
「おまえさ、実は猫さわるの初めてだろ」
 その通りだった。
 もちろん、猫という生き物の存在は知っている。その姿も、習性も、どんな種類がどれだけいるのかだって知っていた。
 けれど……実際にこの目で間近に見て、この指で触れてみたのは、これが初めてのことで……
「イワン、イワン」
 気がつくと、002がボクのことを呼んでいた。
 はっと顔を上げれば、002は悪戯っぽい表情で、片手を掲げている。その指の間には、003のものとおぼしき、ひらひらとしたリボンが挟まれていた。
 002はそれを仔猫の鼻先へと持ってゆき、数度軽く揺らしてみせる。
 とたんに仔猫の瞳が輝いた。
 そう言えば猫というものは、動く物体に非常に好奇心を刺激されるらしい。この仔猫も爪を伸ばした前足で、懸命にリボンを引っかけようとしていた。だが002は、ちょいちょいと指先を動かしては、尖った爪をよけ仔猫を翻弄する。
 そうして彼は、ボクをちらりと見た。
「お前も、やってみるか?」
 それは、やってみたいだろうと言わんばかりの口調で ――


*  *  *


「ねえ、ジェット」
「ん? どうした、フランソワーズ」
「ちょっと買い物に行ってくるわね。ギルモア博士が二階にいるから、なにかあったら……」
「OK、OK……って、おいこらイワン! いい加減に代われッ」
“サッキ代ワッタバカリダロウ? モウチョット”
「さっきって、もう十五分は経ってるだろうが! お前ばっかずりぃぞ」
“慌テナイ慌テナイ”
「にゃー」
“ホラ、彼モソウ言ッテル”
「嘘つけっ、テレパシーあると思って誤魔化すんじゃねえ」
“心外ダナ、ボクガソンナコトスルトデモ思ウノカイ”
「お前が一番やりそうなんだよっ」
「にゃー」
「ほら見ろ、こいつだって、そうだっつってるじゃねえか」
「……あなた達……ちゃんと聞いてる?」
“聞イテルヨ、003”
「ああ、聞いてる聞いてる。な?」
「にゃー」


*  *  *


 ―― 窓の外では、まだ雨が降り続けていた。
 規則的な雨音は、少しずつ意識下に入り込んで、心地よい眠気を誘発する。
 遊び疲れたのか、仔猫の動きが鈍くなり始めていた。リボンを追う動きが頼りないものとなり、ぱっちりと開いていたつぶらな目が時おり細められる。
 小さな歯の並ぶ口が、かぱりと開いた。

 みゅう

 細い声と共に、その喉から欠伸が洩らされる。
 それにつられたように、002もまた大口を開けて欠伸をした。
「あくびって、うつるよな」
“非科学的ダネ”
 あれは、部屋の空気が悪くなっていることによる連鎖反応と、他人の欠伸を見ることによって自身の疲労を自覚することからくるもので ――
 そう説明する端から、ボクの口も大きく息を吸い込み、そして吐き出した。
「ほぅら、みろ」
 鬼の首を取ったように言って、ボクを持ち上げる。
「……雨、まだしばらくは止みそうにねえよな」
“ウン ―― ソウダネ”
 降りしきる雨は、激しく音を立てて地面を打っている。
 この雨が、降り続けている間は……


 しばらく窓の外を眺めていた002は、やがてぽすっとソファへ腰を下ろした。
 床に置いていかれた仔猫が、よたよたと歩き、彼の足をよじ登ってくる。
 膝の上までたどり着いたところで、安心したようにへたりこんだ。


 雨は、まだしばらく降り続けていそうだ。
 だから、もう少しはこうしていられるだろう。
 たとえずっと続くものではないにしても、今はこの心地よい時間を楽しんでいたい。
 瞳を閉じて、身体の力を抜いてみる。
 耳を打つのは雨の音。
 ボクの身体を支える、002の手のひらの温かさ。
 それか……ら……


(2002/6/16 21:39)


天音こゆみさんよりのリクエスト。神崎作のパロディ小説「Over the Rainbow」の中で、1と2と猫が昼寝するに至った過程、でした。
もともとあの話はオールキャラを狙っていたのに、001の台詞がひとつもなくて、少々心残りがあったのですよね。それにそろそろ久しぶりに001を書いてみたくもなっていたので、実に嬉しいリクエストでした。こんな感じでよろしかったでしょうか?>こゆみさん

ところでうちのイワンは、なんだかんだ言ってきっちり赤子です。
頭もいいし、超能力はあるし、理性も充分発達しているのですが、それでも精神的にやっぱり赤ん坊。ちょっとドリーム入りすぎかとは思いますが、こういう彼って、書いてて実に楽しいんですよねえ……


本を閉じる

Copyright (C) 2002 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.