子供の時間(2)
― CYBORG 009 FanFiction ―
最低限に動力を落としたドルフィン号の中は、薄暗い非常灯の明かりだけが、ぼんやりとあたりを浮かび上がらせていた。
もっとも、ボク達サイボーグにとっては、その程度の暗さは何の支障にもなりはしない。それぐらいの夜目を効かせることなど、目や耳を強化された003だけではなく、みなにとっても造作のないことだったし、ほとんど強化部分のないボクにいたっては、そもそも物を眺めるのに、肉眼を使用しているわけではなかった。
生後間もなく時間を止められた、ボクの肉体。
子供の視力というものは、6才ぐらいでようやく完成するらしい。実際ボクの目ときたら、せいぜい自分を抱き上げている相手の顔を判別するのがせいぜいだ。
首は座っている。身体を起こすことも辛うじてできる。けれど立ち上がることは無理。言葉だって、何カ国語でも理解することはできるが、それを自分の喉で綴ることは叶わない。
これが、数年で緩和されるのならそれもいいだろう。
普通の人間ならば、5年も我慢すれば少なくとも自力で動くことはできるようになる。
だけどボクにそれはあてはまらなかった。この未熟な肉体は、この先何十年を過ごそうとも、いまとほとんど変わらない姿を保ち続けるはずだ。それが、脳改造によって高い知能と超能力を得たことと引き替えに課せられた、ボクの業。
十五日間を起き続け、十五日間を眠り続ける。常人の一日を一月として認識するこの肉体が、ボクに与えられた唯一の身体だ。
目を閉じて、ひとつ息を吐く。
大きく広がった意識の網は、ドルフィン号をもはみ出して、周囲の海中へと広がっていた。半径数十キロ内に害意を持つ者が入り込めば、ボクは即座にそれと悟ることができる。
あたりを探ることを持続しつつ、意識を分離させ他のことを考えた。ボクにとってはそう難しいことでもない。もっと難しいことを同時に幾つもやる羽目になったことなど、これまでにいくらでもあった。
たとえばBG基地で実験と戦闘訓練の日々を過ごしていた頃などは、むしろそれが日常でさえあったのだ。
あの頃の、ボクは……
思い出を追おうとしたボクの意識に、ふと触れてくるものがあった。
振り返ろうとするよりも早く、自動扉がすべり、人影をコックピットへと送り込んでくる。
「よぅ」
“マダ起キテイタノカイ?”
「ああ」
問いかけにうなずきを返して、赤毛の青年は操縦席へと歩み寄ってきた。
「ミルク持ってきたぜ」
そう言って掲げた手には、言葉どおりに哺乳瓶をたずさえている。
“ボクハ003ニ頼ンデタンダケドネ”
「馬鹿言え。あいつこそ一番休まなきゃなんねえんだろうが」
彼は無造作に手を伸ばすとボクの身体を抱え上げた。もう片手でバスケットを床へと払い落とし、どさりとシートへ身を投げ出す。
「ほら飲め」
“自分デ飲ムヨ”
「お前は見張りやってんだろうが。余計な手間くって見落としたら洒落になんねえぞ」
言いながら、組んだ膝にボクを預け、哺乳瓶を突きつけてきた。
そんな彼の仕草は、実際ひどく手慣れたもので。ボクはあきらめてゴムの吸い口を含むと、温められたミルクを飲み始めた。
「…………」
しばらくはボクのミルクを吸う音だけが、かすかに聞こえていた。
002はなにも言わない。ついさっき激高してコックピットを出ていったばかりだというのに。窓越しに暗い海底を眺める横顔は、まだどこかふてくされたような雰囲気を残していたけれど、それでもむしろ、穏やかとさえいえるような表情をたたえている。
やがてボクが吸い口を離すと、彼はすぐに気がついてこちらを見下ろしてきた。
「もう良いのか?」
うなずくと哺乳瓶を置き、ひょいと抱き方を替える。
背中を撫でるように叩かれた。幾度か繰り返されるうちに小さくげっぷが出る。
「うし」
満足そうにうなずいて、再び膝の上へと戻された。
「オムツはまだ大丈夫か」
“ウン”
「そっか」
それきり、彼はまた口を閉ざしてしまった。
やるべきことはもう終えてしまったのだから、立ち去ってしまってもかまわないだろうに、彼はボクを抱いたまま動こうとはしない。いや、ほんのわずかに小さく、膝を揺らめかせていた。ゆっくりとしたリズムのそれは、けして内心の苛立ちを示すようなものではなく。
揺りかごを思わせる、穏やかな動き。
“眠レナイノカイ?”
問いかける。
「いや……っていうか……」
歯切れ悪く口ごもる間も、ボクを揺するのは止めない。身に付いてしまった無意識の仕草なのだろう。それぐらいに長い時間を、ボクと彼は共にしてきていた。
だからボクは、彼がなにに戸惑っているのかを言い当てることができる。
“言イ過ギタト思ッテルイルノダロウ?”
驚いたように見返してくる彼の顔に、ボクは思わず声をたてて笑っていた。
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