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 月の刃 海に風 終章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 しばし、誰もが声もなく空を見上げていた。
 砂を灼いていた熱い陽射しが遮られ、くっきりとした濃い影が地に落ちる。
 大鷲が広げたその翼は、端から端まで、それこそ彼らが乗っている船を覆うほどもあった。力強いそれがばさりと一度動かされただけで、すさまじい量の砂がまき上げられる。ぎょろりと地上を見下ろした黄金玉の目が、なにを見つけたのか鋭く光った。
「……ッ、逃げろ!」
 コウが叫ぶと同時に、大鷲はすさまじい勢いで降下してきた。悲鳴を上げてうずくまった男めがけ、黒光りする鉤爪が突き出される。
 とっさに放ったコウの矢が、大鷲の脚先を掠めていった。大鷲は空中で姿勢を崩したが、すぐに翼をはばたかせ再び上空へと舞い上がる。
「おびえるな! 逃げれば相手の思うつぼだぞ」
 頭をかかえ震えている水夫を引きずり立たせ、コウは周囲に指示を飛ばした。
「弓を持っている者は落ち着いて狙え。その他の者は射手を守るんだ。バラバラになるな。一箇所に固まれ」
 矢継ぎ早に出される命令を受け、男達がわらわらと集まってくる。
 コウは自らも次の矢をつがえ、はるか高みへと狙いをむけた。
「闇雲に射るな。引きつけろ」
 限界まで絞られた弓弦が音をたててきしむ。空中で弧を描くように旋回した大鷲は、再びまっすぐに突っ込んできた。
「今だッ」
 号令のもと、いっせいに矢が放たれる。しかし一瞬早く、大鷲は翼を振って方向を変えていた。慌てて身を低くした一同の上を、鋭い爪が勢い良くかすめ過ぎてゆく。
 遠くの方から声が聞こえてきていた。船に残っている連中が、あれはなんだと騒いでいるのだ。だが、沖にいる船からこちらに加勢することはできない。弓ではとても届かないし、船縁に備えてある小型の投石機でも射程距離外だった。よしんば届いたとしても、下手に放てばかえって味方のほうが危ない。ついでに言うなら、行き来する唯一の手段である小舟は、現在砂浜に引き上げられている。
「卑怯だぞこの野郎! 降りてきやがれってんだッ」
 崖の上でトルードが地団駄を踏んでいた。彼もなんとか参戦したいのだが、相手が空を飛んでいるのでは手も足も出せないでいる。
「畜生ッ!」
 歯がみして手斧を振りまわすトルードに、そばにいる二人が泡を食って間合いをあけた。
 と ――
「借して」
 突然の声と共に、トルードの手から斧がもぎ取られた。視界の端を人影が横切り、そのまま崖を踏みきって、飛ぶ。
 激しい羽ばたきの音が響きわたった。
 新手かと息を呑んだコウ達の頭上で、背に羽根を持つ青年が太陽を後背に、高く大空へと舞い上がる。トルードから借りた手斧の刃が、逆光に眩しくきらめいた。
 渾身の力で振り下ろされたそれが、大鷲の翼の根元へと叩きつけられる。
 きしるような悲鳴が鼓膜を震わせた。
 もつれ合って落下してくる大鷲とガイに、全員が慌てて場所を空ける。砂浜に叩きつけられる寸前、翼を開いたガイがふわりと離れた。低い震動と共に猛禽の巨体が墜ちる。その衝撃で血の付いた羽毛があたりに散った。
 半ばまで裂かれた翼を折り曲げ、大鷲はなおももう片方の羽根で激しくあたりを打ちすえる。人間など容易くわし掴みにするだろう鉤爪が、幾度も宙を掻きむしった。
「怪我人は?」
 こちらは足から舞い降りたガイが、コウに問いかける。コウは首を振ることでそれに答え、口を開いては逆に質問を返した。
「ジルヴァは」
 トルード達を囮にして、彼らは安全な場所へと逃げているはずだった。なのにジルヴァの足代わりであるガイが、なぜここにいるのか。
「洞窟があったから、二人つけて隠してきた。相手が飛ぶなら俺がいた方が良いだろうって」
 加勢に行くよう船長に命じられたらしい。
 気持ちはありがたかったし、実際非常に助かったのだが、コウは大きくかぶりを振った。
「もし他にもいたらどうする。戻れ」
 素っ気なく言って顎をしゃくる。
「けど……」
 ガイはためらうように暴れる大鷲を見た。
 片翼を痛めたとはいえ、まだ激しく動かされるその羽根に、ひとりがまともに叩きふせられた。鋭い嘴が近づく者を狙って突き出される。周囲をとりかこんだ男達は、あまりの獰猛さに近づくことすらできず、及び腰でじりじりと後ずさっていた。
 手斧を構え直そうとしたガイをとどめ、コウが矢をつがえる。
「大丈夫だ」
 片目を閉じて狙いを定めるその目前を、たくましい姿が横切るように走り抜けていった。
「どけどけどけぇぇええ!」
 通りすがりに手近なところから剣をぶんどったトルードが、勢いを緩めぬままつっこんでゆく。よほど急いで崖を降りてきたのだろう、あちこちに擦り傷ができ、髪には小枝すら絡まっている。だがそんなことなど、まったく気にしてはいないようだ。
「地面の上ならこっちのもんだぜッ!」
 鋭い嘴をものともせず、一気に間合いをつめて剣を振り抜く。その切っ先は見事に大鷲の片脚を斬り飛ばしていた。続いて放たれたコウの矢が、まっすぐ嘴の奥へと吸い込まれていく。
 再び金切り声が響きわたった。
「飛ばん鳥など、恐るるに足りん」
 ふり返るコウの後ろで、二人に力づけられた部下達が、次々と矢を放ち剣を構えて斬りかかっていった。
「……なるほど」
 しばしほれぼれとその戦いぶりを眺めていたガイだったが、やがて肩をすくめると、船長を迎えに行くべくその背の翼を大きく広げた。


◆  ◇  ◆


 眩い陽光の降り注ぐ上天気は今日も変わることなく。見わたす限りの大海原が晴れあがった空の色を映し、どこまでも鮮やかにきらめいていた。雲ひとつない蒼穹に、さざ波揺らめく海面。どちらを向いても視界の及ぶすべてが、さまざまな色合いの青さで彩られている。
 風は順風、潮の流れも申し分なし。水も食料も充分にある。
「このまま目的地までたどりつけると良いんだけど」
 潮風に銀髪をなぶらせながら、ジルヴァは船のゆくてを眺めていた。舳先近くの船縁に腰かけた彼を、いつでも支えられるよう甲板から見上げているガイと、その横でやはり進行方向を見ていた副船長とが、その言葉を耳にして大きくうなずいてみせる。
 やけにしみじみと実感のこもったその反応に、ジルヴァはおやと彼らを見下ろした。
「なに、なんか不安でもあるの」
「不安ってえわけじゃ、ねえですがね」
「もう昨日みたいな騒ぎはごめんだな、と」
 二人して口々に言ってくる。
 声の聞こえる範囲内にいた水夫達も、手を止めてうんうんと頭を上下させていた。
 それらの反応に、ジルヴァは細い首を傾けてみせる。
「ああいうことは滅多にないからこそ、騒ぎって言うんじゃない?」
 良くあることであるならば、もう少し心構えだってできているというものだし、むしろ一度ああいう目にあったなら、確率からしてしばらくは平穏な航海がつづくものだろう。ふつう。
「……いや、世間でいう『普通』ってのだと、あーいう目には一度あったらそこで終わりだと思うんだけど」
 ガイが呆れたように呟く。
 確かに、航海というのはえてして危険を伴うものだ。針路をわずかでも誤れば目的地どころかおかにたどり着くことすら難しくなるし、嵐や日照りといった気象条件によっても容易く命は失われる。加えて海域によっては、それこそ想像を絶するような化け物に遭遇することとて、けして珍しいことではなかった。だからこそジルヴァのような、危険な海域を越えて珍しい品々を運ぶ、冒険商人という商売が成り立つわけであるのだが。
 しかし ―― 普通、首尾良くそういった奇禍を避けて目的地にたどり着いたことをもって、冒険商人達は自らの航海を成功と呼ぶのではないだろうか。それをこの船のように、三回に一回は危険に行きあたり、なおかつそれを力ずくで乗り越えてしまうというのは ―― それははたして成功していると言えるのか、どうなのか。
 しかも……
「わざわざ骨まで拾ってくるし」
 ガイは嘆息して足元を見おろした。
 常はコウの指揮のもときっちりと片づけられている甲板上に、あの島で見つかった白骨類が所狭しと広げられていた。ものによっては人の身の丈ほども長さのあるそれらを、手すきの水夫達が汚れを落としたり、あるいはぶつかり合って傷などつかないよう、せっせと梱包している。
 もともとは、大鷲が餌として他の島や大陸からさらってきた動物達なのだろう。出航を前にしてジルヴァは、肉をついばまれ、風雨にさらされ白骨化していたそれらの中から幾つかを選び出し、船に積むよう命じたのだった。
「種類によってはね、こういうのも高く売れるんだよ」
 装飾品や印章などの材料として。一部の動物の骨や牙などは、なかなか高値で取引されていたりするのである。
「…………売るんだ」
「うん」
 きっぱりとうなずく。
「売れるものならなんだって売るよ。だって ―― 」
 次の言葉はジルヴァとユーグとガイの三人で重なる。


「「「商人だから」」」


 一拍おいて、どっとあたりから笑い声が上がった。
 周囲で作業していた者達を含め、声の聞こえる範囲にいた全員が腹を抱えて笑っている。
挿絵6
「あんたにゃ負けるぜ、船長キャプテン!」
 ばんばんと手近な物を叩く音に入り混じり、そんな言葉がほうぼうから浴びせられる。


◆  ◇  ◆


 後世、並ぶ者なき冒険商人としてその名を語られることとなる、モーフリシュ商会のジルヴァ。
 メルディアの自由交易都市を拠点とし一代で築き上げたその財産と共に、さまざまな逸話、伝説をも残した彼であったが、その詳しい人となりについては諸説が入り乱れ、はっきりしたことは伝えられていなかった。書によっては血も涙もない、冷酷な存在だったといい、あるいはいつまでも子供心を失わない、少年のような無邪気さを保っていたとも語られている。
 ただ、どの説でも共通してあげられているのが、彼の座右の銘とでも言うべき言葉だった。
 いわく、

『商人たるものただ働きなどもってのほか。危険な目に遭わされたなら、それに見あうだけの稼ぎは意地でもあげてみせろ』

 と。
 艶麗、繊細、玲瓏といった形容が冠される容貌とは裏腹に、いっそがめついとさえいえるその商売魂こそが、彼を高名な商人として成り上がらせる原動力となったのだ、と。
 当時、彼を直接に見知る者は、口を揃えてそう語ったのだという ――




 ― 了 ―

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この話はもともと、「雰囲気だけの続きなし」と銘打って走り書きしたSSを、諸事情あって改訂したものです。
その諸事情の一端として、尼野さんにはたくさん挿絵を描いていただきまして、結果的に長さの割に非常に豪勢なものとなりました。尼野姐さん、毎度ながら大変お世話になりました <( _ _ )>

なお、改訂前のSSですが、せっかくですからこちらに残しておきます。
書き直すにあたって、一部設定等いじっております。微妙にずれてますが、そのあたりはあくまでパイロット版ということで……


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