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 斬靄剣ざんあいけん  ―― 鈴音道行すずねのみちゆき ――
 終  幕
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2002/8/15 11:55)
神崎 真


 この時代、各地をおさめる地方領主、すなわち諸大名達は、定期的に江戸へと上ることが義務づけられていた。
 それはこの国をおさめる将軍家に対し、忠誠を示させることが第一の目的であるのだが、同時に各大名達が不必要な力を持つことを抑制する働きをも内包していた。
 幕府は大名が財力を蓄え、将軍家の権威を圧迫することをおそれ、地方からの長旅に必要な旅費宿泊費や幕府に対する貢ぎ物などの諸費用を負担させた。そうすることで、彼らの余剰な経済力を削ぎ、将軍家の支配を安定させようとしたのだ。
 また同時に、大名達の親族を城下に住まわせることで、暗に人質としての役割をも果たさせており ――
 と、まあそういった背景が存在する、現在。
 ここに、地方とはいえそれなりの権威を持つ大名家があった。
 その初代藩主はちかしく将軍家の流れを汲み、親藩のひとつとして高い禄高を与えられていた。だがそういった有力大名もまた、将軍家への礼を欠かすことは、当然許されない訳で。
 いわゆる大名行列と呼ばれる、江戸へと向かう途上の一行が、この宿場町に滞在していた。
 彼らは本来、一夜の宿りを終えればすぐに出立するはずの一団であった。が、しかし予定外の事態が生じた為、望まぬ逗留を続ける羽目となっていた。それというのも、この宿場を出てしばらく行ったところにある峠道が、昨今の長雨で地滑りを起こしたのが原因である。幸いにも道そのものが崩れるほどの被害はなく、飛脚や徒【※かち:馬や乗り物を使わず足で歩くこと】の旅をする者達などは行き来もしていたが、荷車を引く商人や、まして多くの貢ぎ物や貴人の乗る籠を擁した一行は、崩れ残った狭い峠道をすり抜けるわけにもいかず、土砂が取り除かれるのを首を長くして待っていた。
 それでも、到着せねばならぬ期日までにはまだ間があるし、焦ったところでどうしようもない。
 街道整備に携わる宿場の普請所に些少の力添えをしたのちは、当代 ―― いわゆる殿様も、降って湧いた滞在期間を、それなりにのんびりと過ごしていた。本陣【ほんじん:公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設】では、有力大名の機嫌を損ねては大変と、全力を挙げてもてなしてくれている。おまけにこの殿様、実は一筋縄ではいかない気さくさと行動力を持ちあわせていた。
 宿場の有力者達が入れかわり立ちかわり御機嫌うかがいに来る合間を縫い、お忍びで町に繰り出すこと連日連夜。つい数日前なども、気に入りの近習【きんじゅう:主君に仕える側近。秘書的な役割も果たした】達と共に、町家の御隠居に身をやつし、座敷を取って宴会など開いており。
 そして ―― 問題となったのが、三日前の晩の出来事である。


 その夜の一行は、ふと小耳に挟んだ賭場へと足を伸ばしていた。
 折々に開催場所を変え時を変え、参加者すらごく限られたそこは、当然ながら非合法の場である。
 どうやってそんな内輪の会合を聞き及んできたのかは、この際話に関係ないので割愛する。が、ここで忘れてはならないのが、彼らはあくまで公務による旅の途上であり、そういった場に足を踏み入れたことなど、内密の上にも内密にせねばならぬ身の上だと言うことである。
 当然ながら、身分を悟られぬよう厳重な変装を施し ―― 実際、そういった面に関しては、まったく問題ないほどうまくやっていたのだが ―― しばしの楽しい時間を過ごした。
 発端はよくある小競り合いだった。
 やれ賽子さいころの目がおかしいの、イカサマがどうのと一部の者達が罵り合いを始めたのだ。がらの良くない博奕ばくち打ちが集まる場である。そういった光景は至極ありふれたそれだった。事態を見越して雇われた用心棒達が、慣れた様子で暴れる男達を取り押さえてゆく。
 残った客達はすぐに興味を失い、壷振りの手元へと注意を戻していた。
 そんな時である。
 非合法な賭博場を取り締まる捕り方の手が、いっせいに建物内へと踏み込んできた。
 博徒の小競り合いに用心棒達が手を取られていた、ごくわずかの隙であった。
 御用の声に、開催者である地廻り達は無論のこと、客達もがいっせいに浮き足立ち、大混乱となる。
 もちろん町人を装っていた殿様達も、大慌てで逃げ出す羽目となった。仮に捕らえられたとて、手を回せば容易に釈放させられるのだが、そこはそれ、外聞というものがある。
 結局、気の利いた近習がついていたこともあって、彼らは無事にその場から脱することができた。夜陰に紛れて本陣へと戻り、何食わぬ顔で変装をといて一息つく。
 しかしそこで、はたと困ったことに気がついた。
 殿様の懐にあった書き付けが、見えなくなっていたのである。どうやら混乱のさなかに落としてきてしまったらしい。
 日常思いついたことを公私問わず書き留めていたそれは、子供の落書きめいた見かけとは裏腹に、見る者が見れば藩の内情をつぶさに知ることができる代物だった。
 お忍び中にそんな物を持ち歩くなといったところで、既に後の祭りである。
 とにかく彼らは早急に、かつ内密に書き付けの行方を探索した。どこかに捨てられてしまっているのならそれで良いが、まかり間違って妙な手合いの懐に入っていては大ごとである。
 そしてその結果、帳面が保管されていると判明したのが、臨時賭場を開催していた地廻り達のヤサだった。単に客の忘れ物として一緒くたにまとめられていたのだが、しかし正面から取り戻しに行こうにも、手入れを受けたばかりの地廻り達はひどく殺気立っており、素直に返してくれるとも思われなかった。
 もっとも、そこで下手に顔を出して因縁をつけられるよりも、忍び込んで盗み出す方が手っ取り早いなどと考えたのは、むしろやっかいごとを楽しむような部分を殿様に買われた、その近習の気質によるところが大きかったのだが。
 ―― ともあれ。
 そういった訳で、話は先だっての深夜、進之介と覆面男との邂逅へと繋がるのである。


*  *  *


「……と、まあそう言う次第であったのだが」
 老人 ―― すなわちくだんの殿様 ―― は、長くなった話をいったん切ると、ほどよく冷めた湯呑みを取り上げた。ゆっくりと傾け、語り続けて乾いた喉を潤す。
 飲み干した湯呑みを下ろし、小さく息をついてから、向かいに座す志朗と進之介の方を眺めやった。
「どうやら聞いておらぬな」
「……そのようで」
 茶のお代わりを用意する助五郎が、言葉少なにうなずいた。
 老人の向かいで座布団を並べていた二人は、既にそれをも蹴飛ばす勢いでののしりあっていた。いや、正確に言えば、声を高くしているのはその内の片一方だけなのだが。
「だいたいあんたは来るのが遅いんだよ!」
「わざわざ探して迎えにいったのに、その言いぐさは無いんじゃないか?」
「そんなもん、ちゃんと呼び出しに応じていれば、ハナっから案内してもらえたんだろうがッ」
「そうは言うがな、読めなかったものは仕方なかろう」
「こっの、ド近眼が〜〜〜ッッ!!」
 突き上げられた拳が、見事に進之介の顎をとらえた。
 おお、会心の一撃。
 その様を見物していた角兵衛が、部屋の隅から賞賛の拍手を送る。
 ぜいぜいと大きくあえぐ志朗を、顎を押さえた進之介がなだめた。
「まあ落ち着け、な」
「だ、誰のせい、で……っ」
 撫でるように背中を叩かれて、志朗は脱力したようだった。両手を畳について、がっくりと肩を落とす。
「落ち着いたかの?」
 静かになったのを見計らって、老人が声をかけた。
 あくまで穏やかなその声音に、志朗は完全に気が抜けたようだ。うつむいたままで、ひとつだけうなずく。
挿絵7 「……それにしても、本当に見えておらぬのですか」
 やはりぬるくなってしまった二人の茶を取り替えながら、助五郎が進之介を眺めた。
「ん〜、これっくらいの距離なら、なんとかなるんだが」
 ぬっといきなり顔を近づけられて、助五郎は思わず息を呑んだ。鼻と鼻とがほとんど触れあってしまっている。とても容貌など見てとれる間合いではなかった。しかも目を凝らしているのか、進之介の目蓋は半ば下り、眉間に皺が寄っている。とてつもなく、凶悪な人相だ。
「はいはい、判った判った」
 角兵衛が投げ遣りな物言いをして腕を伸ばした。中腰で動けなくなっている助五郎の襟首を掴み、大きく引き離してやる。顔面に落ちていた影から開放されて、助五郎はほっと息をついた。
 そんな様子に気付いているのかどうか、進之介は呑気に殴られた場所などさすっている。
 ちなみに現在は、あの立ち回りから既に一晩明けた昼日中である。
 志朗が監禁されていたのは、町外れにある廃屋に近い古びた建物であった。既に夜遅くだったこともあり、立ち回りの喧噪も町中ほど目を引くことはなかったが、それでも耳ざとく聞きつけ通報した者がいたらしい。迫ってくる捕り方の気配に、彼らはいったん話を切り上げ、場を立ち去ることにした。そして詳しい話はまた後ほどと言うことで、ひとまず別れたのだ。
 残ったならず者達からの報復を避けるためにも、さっさとこの町から姿を消した方が良い。そう判断した志朗と進之介は、休息もそこそこに手っ取り早く荷をまとめた。なにぶん良く目立つ姿なりをした彼らは、こういった場合に身を隠すということがひどく不得手である。
 そうしていつでも宿を引き払えるよう準備した彼らを、夜が明けてから迎えに来たのが、未だ町人の扮装を解かぬままの角兵衛だった。
 角兵衛が彼らを案内したのは、表通りに面した茶屋の二階である。そこにしつらえられた座敷は、通りを見下ろすことができる、なかなかに上等なものだった。裕福な商人や下級役人などが接待に使用する、それなりに格式高いたなだ。
 殿様のお忍びとは言っても、この程度の遊びであれば、まだ可愛げがあるのだが。
 既に先だって同じ座敷に招きを受けていた志朗は、小さくため息をついて老人の到着を待った。かの御隠居がやんごとない身分のお方であったことは、既に昨夜の内に聞かされている。
 かくして、ほどなく助五郎一人を供としてやってきた老人から、詳しいことの次第の説明を受けていたわけなのだが ――
 つまるところ、お忍びで遊興していた殿様が紛失した文書を、配下の者が極秘に取り戻そうとしていたところに、たまたま進之介が通りがかって巻き込まれたと、そういうことだ。彼らの仲間と勘違いされたことで、累は進之介の連れの志朗に及び、今回のごたごたと相成ったわけである。
 大元の原因は、盗みに入った先で見咎められたあげく、追っ手を引き連れたまま逃げていた角兵衛にある。だがしかし、進之介がきちんと呼び出しに応じてさえいれば、ことはもう少し簡単にすんだはずだった。出向いた先で誤解であるということを訴えて、信じてもらえなかった場合には、叩きのめしたあげく監禁場所を聞き出して乗り込む。……一体それのどこが簡単なのかと突っ込まれそうではあるが、たまたま出会うことのできた覆面男 ―― すなわち角兵衛や御隠居と和解を果たし、事情を聞いた上で地廻りのねぐらへと出向き、そこで志朗を発見できなかったので、仲間を捕らえて監禁先を吐かせ、もう一度三人で乗り込んでいき……などとやっていた手間暇を考えると、ずいぶんと回り道したという事実は否めない。
 それもこれも、進之介が呼び出し状を見落としていたのが最大の原因である。
 そう、実はこの男、とんでもなく目が悪かった。
 生まれながらのものではなかったが、とにかく視力が低い。先刻角兵衛を呆れさせたように、向かい合っている人間の目鼻立ちすら、満足には把握できない有様である。実際、立てば鴨居に頭をぶつける、歩けば床のものを踏みつけると、危なっかしいことこの上なかった。普段この男がまともに道を歩けている理由の何割かは、向かいからやって来る者達がその巨躯に恐れをなし、すすんで道をあけてくれるが故だったりする。
 まあ、残る何割かを占める勘の鋭さは、志朗や角兵衛にさえも舌を巻かせるほどであったりするのだが。
 元々ろくに見えていないのだから、夜道を歩くのに灯りを必要とはしないこの男。人間の見分けも、顔かたちでつけているわけではなかった。だからこそ、夜闇の中、覆面までして顔を隠していた角兵衛を、あっさり当人だと見破ったのである。足を踏みかえる時の音や呼吸の癖などといったもので、それと察するのだそうだ。そもそも進之介は、角兵衛が顔を隠していたこと自体、気が付いてはいなかったりする。
 そんなふうに、人間が相手であれば優れた勘を発揮する進之介だったが、物が相手となると途端に分が悪くなった。気配を読んで行動する男だけに、気配の感じられない物体にはとんと弱いのである。まして紙に書かれた文字を読むなど、できるはずもなく。
 散歩がてら進之介が近在を出歩いていた間に、その文は届けられたらしい。もともと人の出入りなど誰も気にしていない安宿である。ごく普通に上がり込んで、文机の上へと置いていったのだろう。まともな人間であれば、狭苦しい部屋に戻ってすぐ、その存在に気がついたはずだ。
 が、生憎と進之介は、机のど真ん中に置かれた呼び出し状の文字を読むどころか、そんなものが届けられていることにすら、気付かなかった。これがもし手渡しなどであったなら、その場で相手に読み上げさせるなり、誰か読んでくれる人間を捜しに行くなりできたのだが。
 そして偶然が重なった結果、その文は角兵衛が発見することとなったのだが、その段階で既に墨書きの字は完全に滲んでしまっており、方々が破れたそれは、ほとんど解読不能な代物と成り果てていた。
 進之介が呼び出しに応じなかったという事態の、それが経緯いきさつである。


 場が落ち着いたところで、老人はお代わりの湯呑みを置いて姿勢を正した。
 正座した背筋がすっと伸び、細い目が開かれ志朗と進之介をまっすぐに見つめる。
「予期せぬ偶然からとはいえ、お主達には余計な迷惑をかけることになってしまった。すまなんだの」
 詫びの言葉と共に、頭を下げる。
 志朗は慌てて座布団に座り直した。
「あ、いえ、そのような ……」
 既に被っていた接客用の猫は剥がれきっているのだが、向けられた礼に対して礼で返す誠意は彼も持ち合わせていた。
 志朗の救出には彼らも尽力してくれたのであるし、こちらとしても怪我を負ったというわけでもない。志朗とて相手が嫌味な馬鹿殿様あたりであれば、つけ込んで金品のひとつも巻き上げてやるぐらいのしたたかさはあったが、いささか型破りとはいえ、それなりに好感の持てる相手だっただけに、今回のことは水に流しても構わないと考えていた。
「詫びといってはなんだが、用意したものがある。受け取ってくれぬか?」
 老人が目を向けると、角兵衛が悪戯っぽく笑った。傍らに置いていた包みを取り上げ、向かい合う両者の元へとやって来る。
 金品を受け取る気などなかった志朗は、反射的に口を開きかけた。
 しかし目の前に置かれた包みの形状に、出しかけた言葉を呑み込む。代わりに手を伸ばし、そっとそれを持ち上げた。
「……なんだ?」
 ひとり事態の判らぬ進之介が、首を傾げて問いかける。
 布包みをほどいた志朗は、ほぅと小さく感嘆のため息を落とした。人差し指で、軽く胴の部分を叩く。
「あ、三味線か」
 張られた皮の響かせた音に、進之介が納得顔で呟いた。
「物品で詫びるとは礼を失したことと承知しておるが、儂にできることなどこの程度しかないのでな。気を悪くせんでもらえるとありがたい」
「お心遣い、感謝いたします」
 志朗がそれまで使っていた三味線は、男達に拐かされた折りに紛失してしまっていた。もしかしたら志朗の身柄ともども監禁場所へと運び込まれていたのかもしれないが、あの状況で探しだしている余裕などとてもなく。次の町で新たに求めなければと考えていただけに、これは非常にありがたい贈り物となった。しかも皮の手触りやさお部分の光り具合など、こんな街道沿いの宿場町で手に入れることができる品としては、最高級と言っていい。
「気に入ってもらえたのならなによりじゃ」
 にこにこと老人がうなずく。
 今回の件は他言無用との口止め料も含まれたそれは、確かに受け取っておいた方が後腐れなかった。老人の細い目にかいま見える鋭い光からそれと察し、志朗は遠慮なく受け入れることにする。
「よろしければ、何かお弾きいたしましょうか」
「おお、良いな」
 さっそく糸を張ろうとしながら問うた志朗に、老人は機嫌良さげに笑う。
 一の糸に撥を当て、基となる音を調節する。その撥もまた、象牙でできた扱いやすい代物だ。棹の先にある糸巻きを、少しずつ締めていく。糸の弾かれる音がじょじょに張りのあるものに変わっていった。
 助五郎がつと席を立ち、階下へと酒肴の手配をしに向かう。
 本来であれば、昨日の午後に招かれていたはずの座敷。予定外の事態に一日遅れてしまったが、その代わりにいるはずのなかった進之介が共に座を占めている。
 ―― ま、たまには良いか。こういうのも。
 数日前、この老人が好んで所望した曲を頭の中でさらいつつ、志朗はそんなふうにひとりごちた。
 ろくでもない男達に押さえ込まれたのは業腹だったが、差し引きすれば、商売道具を新調できたぶん、得をしたと言えないこともない。
 ―― たまには、だけどね。
 唇に、かすかな笑みをたたえる。
 ほのかに皮肉の色を含んだそれは、しかし彼の薄い口元にあることで、どこか蠱惑的な空気を匂い立たせる。


*  *  *


 ―― さらに時は過ぎて、翌昼下がり。
 宿場町から西へと向かう街道沿いを、目立つ二人連れはゆっくりと歩んでいた。
「どうやら、追ってくる奴らはいないみたいだ」
 来た道を振り返っていた志朗が、ほっとしたように呟く。持ち上げていた笠の縁から手を離し、行く手へと向き直った。
「わざわざ殿様の出立に合わせたんだ。地廻り共も、それどころじゃなかったろうよ」
「うん」
 懐手に歩む進之介は、完全に気を抜いている。
 気配に聡いこの男がこれだけくつろいでいるからには、本当に追っ手は存在していないのだろう。
「本当にお武家様だったんだねえ……」
 しみじみと志朗が嘆息する。
「なんだ、信じてなかったのか?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ。やっぱああやってきちんとした格好をなさってるの見ると、ね」
 苦笑いして、出発前ちらりと垣間見た大名行列の様子を思い返す。殿様本人は駕籠の中にいるため目に映らなかったが、その周りを囲む近習達に混じっていた角兵衛と助五郎は、きちんと髷を結い直し、衣服も改め帯刀していた。
 助五郎はまだともかくとして、角兵衛など、背筋を伸ばしまっすぐ前を向いて歩むその様からは、とてもあのおちゃらけたお調子者めいた言動など想像つかない。
挿絵8  そして大名行列とそれを見ようとする者達とで宿場町は浮き足立っており、反対方向へ向けて町を出る二人連れの姿は、ほとんど注意を引くこともなかった。
「ちょっと惜しかったかな」
 別れ際、もし良ければ江戸の町まで同道せぬか? と誘いをかけられた二人だったが、ちょうどそちらから来たばかりだったこともあり、丁重に断っていた。だが、行きずりで別れてしまうには、なかなか惜しい人物達であったことも否めない。
 むろん旅の目的 ―― 人捜しだったりする ―― がある以上、いつまでも共にいる訳にはいかなかったが、逆に言ってしまえば火急の旅という訳でもない。少しぐらいなら……という誘惑は確かにあった。
「なんだ。相手する気になったのか?」
 進之介が頭上から見下ろしてくる。
 その言葉に、志朗は冷たい目でぎろりとにらみ返した。
「……もう一度言ったら、二度とあんたのためには弾かないからな」
 地を這う低い声音が脅しの言葉を吐く。
 にこにこと笑いながら食えない物言いをするあの爺様は、昨夜しっかりと志朗に誘いをかけていたりした。
『それにしても、お主本当に美しいのう。どうじゃ、一晩ワシと』
 本気なのかからかっているのか定かではなかったが、両手で志朗の手を包み込み、間近から笑いかけてくる殿様を、まさか殴り飛ばすわけにもいかず。
『お戯れを ―― 』
 同じようににっこりと微笑みながら手を抜き取った志朗の目は、その実まったく笑ってなどいなかった。
「っと、そいつは勘弁」
 志朗の三味線をこよなく気に入っている進之介は、さっさと話題を変えた。
「まあ、そのうちお膝元に行く日もあるさ。その折りには顔出せって言ってくれたんだし、また会えるだろ」
「そうだね」
 うなずいて、志朗は三味線の包みを抱え直す。
 その時がくれば、今回の顛末も笑い話として座を盛り上げることだろう。
 想像して、思わず口元に笑みをはく。
 その微笑みは、どこか無邪気さすら感じさせる、明るく屈託のないもので。
 進之介の大きな手のひらが、ぽんぽんと背のあたりを叩く。その仕草に、思わずむっと唇を尖らせた。
「子供扱いするなって言ってるだろ!」
「あ〜判ってるって」
「どこがだよッ」
 大声でわめく志朗を、進之介は慣れたようにいなす。
 志朗の顔が笠で半ば隠れている現状では、傍目に子犬がきゃんきゃんと吠えかかっているような印象しか感じられない。騒々しい二人連れに、あたりを歩く旅人達が怪訝そうな目を向けてくる。だが、彼らはどちらもまったく気が付いていないようだ。


*  *  *


 ―― 空は晴れ、街道の行く手は何処までも遠く、遙かな彼方までその先を続かせている。
 歩む彼らの行く末もまた、何処へとも定まることなく。
 陽が沈み、また昇った後の物語が、果たしてどのようなものになるかは、その時にならねば誰にも語ることはできず。


 ひとまずこのたびの物語は、二人の後ろ姿にて、幕を下ろすと言うことで ――


― 終 ―

(2002/9/22 11:54)
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NEWVEL
尼野豆太さんより25000HITでリクエストいただきました、時代ものです。
挿し絵いっぱい書いてくださった尼野姐さん、ありがとうございました!


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