<<Back  List  Next>>
 斬靄剣ざんあいけん  ―― 鈴音道行すずねのみちゆき ――
 第 三 幕
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 宿場町の中でもかなりの外れ。安さばかりが取り柄の粗末な木賃宿が建ち並ぶ裏道を、普段そのあたりでは見かけないような身なりの二人が、連れだって歩いていた。
 ひとりは髪も髭も真っ白になった小柄な老人。もうひとりは若い男である。
 それだけならば、何もおかしいところなどない。だが老人の着ているものは地味ながらも質といい趣味といい、なかなかのものであった。漂わせている雰囲気も、落ち着きのある好々爺然としたそれだ。察するに大店おおだなのご隠居、といったところか。こういったうら寂れた通りに用事があるとは、あまり思われない人物だ。
 一方、連れの男はと言えば、やはり町人態のこざっぱりとした風体をしている。荷物持ちを兼ねた、老人の付き添いだろう。紫色の風呂敷包みを、無造作にたずさえている。
「噂じゃあ、このあたりに宿をとってるってことですが。結局途中では会えませんでしたね」
「うむ……ただ遅れているだけならば、向かってくるのに行き会うかと思ぅたのだが」
 老人が顎ひげを撫でながら首を傾げた。
「だから、と……じゃなくてご隠居様は、座敷で待ってて下さいって言ったんスよ。ご隠居様をこんな場所まで連れてきたって知ったら、助さんがどんだけ怒ることやら」
「来てしまったものは仕方なかろう。良い良い、助さんには儂から言うておくから。それよりどの宿か判るかの?」
「橋脇のって話ですから、たぶんあすこらへんの……」
 男が通りの先を指差す。川というよりもどぶと評した方が近いだろう、濁った水が流れる溝の上に、板きれで作った申し訳程度の橋が渡されている。その周囲にも何軒かの建物があったが、見るからにじめじめとしており、ひときわうらぶれた感が強かった。おそらく宿代も、他の店よりさらに安くなっているものと思われる。
「意外じゃな。あの者なら、もっとまともな宿でも充分泊まれそうなものだが」
「そうはいっても、しょせんは旅芸人でしょう? 金を出しても、宿の方が断るんじゃないですかね」
「もったいないことだ。あれほどの腕の持ち主は、京の芝居小屋でもそうおらぬぞ?」
 ふむ、とため息をつく。
 細められたその目は糸のように細く、老人が内心でどう言ったことを考えているのか、外部からうかがい知ることはできない。
 そうこうするうちに、二人は目的とする建物の前にたどり着いた。おそらくこの宿で間違いはないだろう。
「ちょいとお待ちになってて下さい」
 男はそう言って、身軽に中へと踏み込んでいった。
 この手の宿は、単に雨風を防ぐことができるだけで、人の出入りなどほとんど野放しになっているようなものだ。その代わり宿賃として取られるのは、煮炊きに使った薪代程度。盗まれて困るような物など最初から持たぬ、貧乏人を対象とした宿屋である。
「なあなあ、ここに三味線芸人が泊まってるだろ。どの部屋だい?」
 入ってすぐの土間でたむろしている男どもに、気安げに声をかける。
 と、そのうちのひとりがうっそりと顔を上げ、無言で二階を指し示した。
「ども」
 短く礼を言って、彼は軋む階段に足をかけた。
 たたっと昇りきったところでいったん止まり、並ぶふすまを立てた指で順繰りにたどる。
「さ〜てと。ど、の、部屋かねえ?」
 おどけたように首を傾げるその仕草は、どこかふざけたような雰囲気を漂わせていた。
 ちょっとした表情や動きのひとつひとつが、やけに芝居がかったところのある男である。年の頃は二十代も後半というところだろうか。微妙に崩して結った髷のあたりに、遊び心を感じさせる。
 悪気はないのかもしれないが、信を置くにはいささか頼りない。そんな印象だ。
「おぉい。座敷を頼んでたもんだが、芸人さんはまだここにいるのかね?」
 結局、探す労力を厭うたのか、彼は階段の上がり口から動かぬまま声をかけた。狭い宿だけにさほど大声を出さずとも、充分用は果たせる。
 案の定、二つ向こうのふすまがすらりと開かれた。


「芸人ってのは、志朗のことか」
 鴨居に手をかけ首をつき出したのは、三十がらみの派手ななりをした浪人 ―― 進之介だった。
「志朗ってぇのかね。ここんとこに泣き黒子のある、三味線弾きの美形なんだけど」
 目元を指しつつ並べた形容に、進之介はうなずいた。
「ああ、そりゃあいつだ。午後から座敷に呼ばれてるっつってたが……」
「それだよ。いつまで待っても来やしねえ。一体どうなってるんだか」
 言いながら歩み寄ってゆく。
「まさか二重に受けたなんてこたないだろうね」
「……あいつはンな無責任な真似するようなヤツじゃないが」
「けど、来なかったのは事実だぜ?」
 とん、と柱に手をついて体重をかけた男を、進之介はまじまじと見下ろした。
 眉間にしわを寄せ、両目をすがめたその顔は、子供なら ―― 否、大人でも ―― 泣きだしそうなほどすさまじい形相である。おまけに腰をかがめ顔を寄せるようにするものだから、いっそう迫力があった。
 もっとも男の方は、ちょっと気おされたというように身を退いただけで、まっすぐに進之介を見返した。軽妙な表情はそのままに、ひょいと片眉を上げてみせる。
情人イロの言うことじゃ、なんとも判断しようがねえし。とりあえず、すっぽかしたぶん、どうにかして欲しいんだけど?」
 そう言う口調も、まるで変わってはいない。間近からにらみつけられているような状態でこの反応というあたり、案外性根は座った男なのかもしれなかった。
「別に、俺は ―― 」
 そんな関係というわけではないのだが。
 そう返そうとして、進之介はふと急に表情を変えた。何かを思い出すように視線を男から外し、しばし宙を眺める。
 それから再び、男へと目を戻した。
「あんた……」
 ずいと猿臂を伸ばし、やにわに男の肩を掴む。そうして室内へと引きずり込み、後ろ手にふすまを閉めた。
「っと、何すんだい、いきなり」
 たたらを踏んで姿勢を崩した男は、腕を上げて進之介をふり払うと、数歩距離をあけた。
 狭い粗末な室内で、二人の男が対峙する。
「……志朗が、座敷をすっぽかしたと言ったな」
 進之介の声音が、低いものに変じていた。普段のどこか間延びしたそれではなく、底に凄みのようなものを感じさせる口調だ。
「約束していた刻限は」
「八ツ半【※午後三時頃】さね」
 現在は既に七ツ半【※午後五時頃】も過ぎ。確かに連絡もなく時間が経ちすぎていた。
「あいつぁ昼過ぎに、糸を買いに行くって出かけたきりでな。てっきりそのまま座敷の方に行ったと思ってたんだが」
「だからこっちには来てねえっての。となると……なんかあったのかね」
 しかし成人した男が一刻や二刻、連絡無しに姿を消したとしても、そう騒ぐほどのことではないのかもしれない。まして彼はあの美貌だ。どこかそのあたりで上客に声をかけられた可能性も充分考えられる。それとも……
「なんか心当たりでもあるのかい?」
 問いかけた男に、進之介はすがめた目を向けた。
「あると言えば、ある」
「へえ?」
「それをあんたに訊きたいのは、俺の方なんだが」
「はぁ?」
 唐突な問いかけに、男は驚いたように目をみはった。
 そんな顔をすると、途端に子供っぽい雰囲気になる。
「そりゃまた一体、どういう意味だい?」
 きょとんと問い返す男に、進之介は凄みのある笑みを向けた。
「夕べあんたを追ってたならず者ども、ありゃぁ何なんだ」
 ―― 刹那。
 男の瞳に鋭いものがよぎった。
 だが……
「夕べ? なんのことだか」
 一瞬後には何事もなかったかのような顔で肩をすくめた男に、進之介は数歩横へと動いた。閉ざしたふすまと男の間に移動し、あからさまに退路を断つ。
「悪いが、心当たりと言えるようなことは、それしかねえんだ。とぼけてないで、ちゃっちゃと吐いてもらおうか」
「いやだからさ……」
 両手のひらを向けなにか言おうとした男に構わず、刀の柄に手を置いた。ちゃきりと、聞き違いようのない音がその手元から発せられる。
 太刀の、鯉口を切る時の、響き。
 抜刀することこそしなかったが、二人の間の距離は、一動作で斬りかかることのできる間合いであった。
「 ―――― 」
 男は唇を閉ざすと、両目を細める。半眼になった瞳で、目の前の巨漢を見すえた。
 進之介もまた、半ば目蓋を下ろし、どこを見ているともとれぬ視線を男の方へと向けている。
「俺はもともと、人の顔を覚えるのが苦手でね」
 ぽつりと、進之介が言葉を落とす。
「だが、そのぶん他のところが気になるんだ。あんたの身のこなし……足音とか、体さばき、それに髪油の臭いなんかも……覚えがある」
挿絵4 「へえ?」
 男の片手が、さりげなく動いた。身体の影になる位置で、衣擦れの音ひとつ立てず袖の内側へと引き込まれてゆく。
「あんたが夕べなにをやってたかなんざ知ったこっちゃないが、どうも俺はあんたの仲間だと勘違いされたらしくてな。それが元で志朗がさらわれたとするなら、手がかりはあんたに訊くしかねえ」
「何を言ってるのか良く判んねえが、いきなり刃物ってのは穏やかでなくないかい?」
「あいにく、手段を選んでる余裕はなさそうでな」
 柄を握る指に力がこめられる。
 進之介の野太刀は、狭い室内で振りわまわすにはむかない得物だった。
 そもそも刀それ自体が、扱うにはそれなりの広さを必要とする武器だったし、まして彼の愛刀は並はずれた長さの大業物おおわざものだ。進之介の上背では、軽く振りかぶっただけで天井を突き破ってしまう。
 一方、男の方はといえば、相変わらず片手を隠したまま進之介の動きをうかがっていた。隙のないその姿勢と手慣れた所作からして、荒事にもなじみが深いらしい。袖の内に呑んでいるのは、小まわりの利く匕首あたりだろうか。
 相対する二人の間の空気が、急速に張りつめていった。
「…………」
 男がゆっくりと膝を曲げる。ためられる力に対抗するように、進之介も片足を引き、姿勢を低くする。
 一触即発の雰囲気があたりを満たした、その時 ――


「そこまでじゃ」


 唐突に投げ込まれた言葉に、二人ははっと息を呑んだ。
 まったく気配を感じていなかった進之介は、ものすごい勢いで背後を振り返る。
「あんたは ―― 」
「……ご隠居様?」
 愕然とした顔で見下ろす進之介の前で、ふすまを開いた戸口に立つ老人が、目を糸のように細めて笑っていた。


*  *  *


 最初に意識したのは、肩と手首を襲う鈍い痛みだった。
「うっ……ん……」
挿絵5  身体が無意識に楽な姿勢を求めて動く。身じろぎしたその感触で、自分が固く冷たいものの上に横たわっているのが判った。痛む場所を押さえようとして、腕が動かせないことに気がつく。
 途端に、脳裏にかかっていたもやのようなものが引き始めた。
「……っつう、またか、よ」
 唇からうめき声が洩れる。
 重い目蓋を無理矢理持ち上げたが、目に映るのは閉じていた時と変わらない、暗闇ばかりだ。
 頬にあたる、板張りの床と乱れた髪の感触。
 どうやら自分は、後ろ手に縛られ転がされているらしい。
 あっさりと状況を把握できてしまう己に、志朗は少々侘びしいものを感じた。
 いみじくも洩らしてしまったように、また、なのである。悲しいかな彼がこうして余人に連れ去られ、意に添わぬ拘束を強いられたことは、これまで一度や二度という回数ではなかった。
「今度は、なんだってんだか」
 小さくため息をついて、ごろりと仰向けになった。明かり取りの窓でもないものかと視線をさまよわせるが、それらしいものは見つからない。すぐに縛られた手首が痛みを訴え、再び彼は身体を反転させた。
 いかに閉ざされているとはいえ、今が日中であれば、敷居の隙間から光の一筋ぐらい差し込んでいて良さそうなものだ。となれば、もう日が暮れてしまっているのか、あるいはここが地下牢なり塗籠ぬりごめなりといった、完全に外部から閉ざされた場所であるのか。
「ったく、あのおっさんが余計なことにひっかかりやがるから……」
 暗闇の中で恨み言をこぼす。
 さしあたり ―― 今の状況で彼ができそうなことは、なにひとつとしてないようだった。


*  *  *


 狭い部屋に男三人向かい合っている図は、客観的に見てもかなりうっとおしいものがあった。たとえその内のひとりが子供と見まがわんばかりの小柄な老人だとはいっても、進之介の巨体がそれを補ってなお余りある。
 しけった畳で着物が汚れることにも頓着せず、老人はちんまりと腰を下ろしていた。進之介はあぐらをかいて腕組みなどし、男は無造作に片膝を立て、手を懐につっこんでいる。
「……では、お主が心当たるのは、昨夜うちの者を追っていた奴ばらしかおらぬと、そういうわけじゃの?」
 老人の確認に、進之介がうなずく。
「ああ。俺達がこの宿場についてから、そんなに日数も経ってやしねえ。恨みどころか、義理もしがらみも、なぁんもないからな」
「ふむ ―― 」
 顎髭に手をやり、しばし考え込む。
 いっぽう男 ―― 角兵衛と名乗った ―― は、しげしげと興味深げに進之介を観察していた。
「なんだ」
 視線を感じて振りかえった進之介を、角兵衛は上から下まで大仰に眺める。
「いっや、ほんとに派手なナリしてると思ってさ。そりゃむこうさんも一発で身元が判っただろうよ。この界隈じゃあんたら二人、けっこうな噂になってるぜ?」
 うんうん頭を上下させる角兵衛の仕草は、どこまでも芝居がかったそれだった。相手の神経を逆なでたくてやっているのか、それともこれがこの男の地なのだろうか。
「そんなに派手か?」
 進之介は首を傾げるようにして己の身なりを見下ろした。
「めっちゃ派手」
 角兵衛が即答する。
 無造作に着流した小袖は、白地に金粉で流水を描き、藍と紅の色目が入った色鮮やかなものだ。くつろげた襟や袖口から、目を引く緋色がのぞいている。濃紫を基調とした紗綾形さやがた紋様の角帯に、根付けのついた煙草入れ。いつも落とし差しにしている野太刀を、今は傍らの床に置いているが、その柄に通された手抜き緒もまた、鮮烈な緋の色。
 京界隈の粋な芸者やお内儀【※おないぎ:人妻】あたりならばともかく、三十も越えた巨漢が身にまとうものにしては、あまりにもきらびやかに過ぎる取り合わせだ。
「ふ〜ん」
 しかし当の本人はと言うと、判っているのかいないのか、間の抜けた声を発している。
「着るもんなんかは、いっつも志朗に任せてるしなぁ」
 どうやら単に買ってこられた物を、そのまま着ているだけらしい。
 誤解無きよう言っておくが、それらの衣装は実に良く似合ってはいた。派手やかな色彩を身にまとうことで、進之介の大柄な肉体は、いっそ豪奢とさえ呼べる華を生じる。誰もが一歩身を引きつつ、それでも思わず振り返ってしまう。そんな迫力を持ったあでやかさだ。
「お熱いこって」
 角兵衛がひゅっと小さく口笛を吹いた。
「んぁ?」
 妙な声を出して、進之介が角兵衛を見返した。
 客観的に見て、情人の衣装を手ずから選ぶという行為は、それだけ二人の間の親密さを物語ることに他ならない。まして完全に任せきっていると、こうもあっさりと口にしてしまうあたり、これは相当に……
 などと思いつつ、さらになにか言おうとした角兵衛だったが、しかしその時 ――
「さて、角さんや。いったいどこまで話したら良いと思う?」
 それまで沈黙していた老人が、ふいに問いかけてきた。
 ふたりは同時に首を捻り、老人の方をふり返る。
「どこまでって言われましても、そいつぁ ―― 」
「別になんでもかまわねえから、あいつらの素性とたまり場あたり、教えてもらえりゃそれで……」
 これまた同時に口を開く。
 言葉を切って顔を見合わせる二人の前で、老人は呵々かかと笑った。
「お主ら、案外気が合いそうだの」
 そんなことを言い始める。
「この呆けたおっさんとッスか?」
「……おっさんってな……」
 角兵衛が指を突きつけ、進之介は別にそれを怒るでもなく、口の中で呟いている。
 状況はけして悠長にふざけていて良いようなものではないはずなのだが。ちなみに窓の外は、既に暗くなり始めている。
「そろそろ灯りでもつけますかね」
 ふと気づいたというように、角兵衛が腰を上げた。進之介の後ろを通り、部屋の隅にある行灯あんどんへと手を伸ばす。
「おっと」
 狭い中、足の踏み場でも違えたのか。いきなり姿勢を崩した彼は、とっさに進之介の肩を掴んだ。身体のどこかが当たったらしく、文机の上にあったものがひっくり返る。
「うわっ、やべっ!」
 徳利にまだ中身が残っていたらしく、こぼれた酒が畳を濡らした。慌てた角兵衛は、手近な物を掴んで拭きにかかる。
「なにやってんだ、あんた」
「呑み残しなんかこんなとこに置いとくなって」
 そもそも酒を残すなど、もったいないにもほどがあるとかぼやきながら、床に転がった徳利を拾い上げる。軽く揺すってみるが、既に中身は全て畳に吸い取られてしまったようだ。
「ちょっと膝、上げないと濡れるぜ」
「ん、ああ」
 案外こまめなたちらしく、角兵衛は飛び散った雫を丹念に拭いていった。
 が、ぬぐった跡が妙に黒ずんでいることに気がついて、手の中に目を落とした。そしてしまったというように動きを止める。
 とっさに懐紙だとばかり思って掴んだそれには、墨でなにやら文字が書かれていた。どうやら文だったらしい。
 やっべ……
 重要な書きつけでなければ良いのだが。内心で汗などかきつつ、素知らぬふりで部屋の隅に放ろうとした。が、ふと滲んだ文字の中に、気になる語句を見つける。
 思わず顔を近づけた。
「こいつぁ……」
「角さん?」
 いぶかしげに問いかけてくる老人に、角兵衛はなんとも形容しがたい、複雑な表情でふりかえった。


<<Back  List  Next>>



本を閉じる

Copyright (C) 2002 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.