楽園の守護者  番外編
 ― 手管 ―
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2012/05/07 03:07)
神崎 真


 恐ろしいほどの沈黙が、コーナ公爵家の執務室を支配していた。
 室内の空気は、針が落ちる音すら拾えそうなほど静かに、しかし肌を刺すかと思うほどに張りつめている。
 その知らせは、あの口の悪い破邪騎士が公爵領に現れた妖獣を倒すため、兵達を引きつれ東奔西走している、まさにその最中さなかもたらされた。
 普段であれば側近である侍従文官、ラスティアール=ガーズに報告を行うはずの間諜が、どうあってもフェシリアに直接申し上げると主張して、直々の対面となったのである。厳重の上にも厳重に人払いをされた中で告げられたその内容は、確かにそれだけの警戒を必要とするものだった。

「馬鹿な……」

 蒼白となったラスティアールが、かすれた声で呟く。
 顔色を失っているのは、執務机から立ち上がったフェシリアもまた同じだった。いや、驚愕の度合いから言えば、彼女のそれは側近のものと比べ物にならなかったかもしれない。
 報告を行った間諜は、床に跪いたまま、深く俯き無言を貫いている。たったいま報告した言葉を、翻す意志はないとその態度が示していた。
 もとより、フェシリアが直々に取り立て信を置くその男は、彼女に対し盲目的とも呼べる忠節を抱いている。下らぬ冗談や曖昧な事実など口にするはずもなかった。
 つまりそれは、確たる証拠に裏打ちされた、信憑性のある情報なのだ ――

「…………」

 磨かれた黒檀の机の上で、フェシリアの拳が細かく震えている。噛みしめられた唇が、白く色を無くしていた。
 為された報告は、ふたつ。
 最初のひとつは、衝撃的でこそあったが、ある程度の予測はされていたものだった。
 すなわちフェシリアの異母弟、西の方の息子であるファリアドル=ウラヌスの出生についてである。
 時さえ待てば、何の問題もなくコーナ公爵家を継ぐことが定められている少年。にも関わらずその母親がわざわざ発覚の危険を冒してまで、中継ぎの跡取りにすぎないフェシリアの命を狙い続けるのはおかしいと、その理由を探らせていた結果が出たのである。
 そうして探り出された真実は、なかば予想していた通り、ファリアドルの父親がコーナ公爵ではないというものであった。西の方が不義密通を犯していたという、確かなあかしとなる幾通もの書簡。そして不義相手とファリアドルの間にある、容貌の相似といった、間接的な証拠がいくつか。
 それらについては、フェシリアと侍従文官も平静に聞いていたのだ。
 しかし ―― 続けて口にされた内容は、容姿とは裏腹な剛胆さを持つフェシリアでさえをも、愕然とさせるものだったのだ。
 それは、奥向きので手がかりを探っている内に、偶然に拾い上げられた情報。
 やはり驚倒した間諜は、慎重に裏付け調査を行い ―― そうして、確信を得てしまったのだ。
 現コーナ公爵家継承者エル・ディ=コーナフェシリア=ミレニアナもまた、セクヴァールの実子ではないのだ、と……
 当時の出産に立ち会った、公爵付きの医師は既に没していた。急病とされるそれが事実なのか、はたまた誰かの意図した手によるものなのか、そこまでは探り出せなかった。だが助手を務めていた一人が、現在も場末の酒場に逼塞していた。またやはり現場に立ち会い、間もなく解雇された北の方付きの女官や、当時出入りしていた商人が見聞きしたという、噂話の断片。それらを見つけ出し繋ぎ合わせた結果、疑惑は疑惑に留まらなくなったのである。
 もたらされた事実は、あまりにも重い。
 もしもそれが、真実であるのならば。
 フェシリアがこれまで為してきたことは、根底からくつがえされてしまう。
 女であるという一点において、正当なる世継ぎの座を追われようとする不条理さに抗っていたはずの行動は、ただの一言に集約されてしまう。
 すなわち、簒逆さんぎゃく
 そこに正当性は存在しない。たとえそれが悪政をく相手から民を守るための行為であったとしても、周囲からの糾弾は免れ得ないだろう。ましてセクヴァールは頑なで、下位の者に向ける愛情こそ薄かったものの、それでもけして暗愚とまで呼べる領主ではなかった。彼の意志に逆らい、後継者の地位を得ようとする最大の理由であった、血の正統性が。それがここで揺らいでしまったならば。
 はたして自分は、なにを拠り所とすれば良いのか ――
 震える指先を握りしめ、フェシリアはつとめて落ち着いた声を発しようとする。それはとても低く、掠れたものになった。
「他に……知る者は」
 フェシリアの問いに、間諜は深くこうべを垂れる。
「私以外にはおりません。―― 心配は御無用にございます」
 すべてそのように処置いたしました、と。
 『処置』の内容について詳しく触れることはなかったが、今はそのことについて深く追及する時ではなかった。
 当面のところこの情報が広まる心配はない。それだけが肝要だった。
 ならば、フェシリアがこれから先とるべき道は。
 己に大義がないことを認め、公爵位をあきらめるべきか。
 だがそうすれば、同様にセクヴァールの血を引くことのない、未だ幼い弟が跡を継ぐ結果となる。それではフェシリアが継承するのと何ら変わりないし、弟の能力がいまだ未知数であることを思えば、みすみす己に劣るやもしれぬ他人に道を譲るなど憤懣やる方ない。
 なによりも、自ら不貞を働いておいてなお、口を拭って息子を世継ぎにしようなどと画策する西の方の、その汚いやりようをのさばらせておくなど、とうてい腹に据えかねた。
 しかし ―― このまま聞かなかったことにして爵位を奪えば、フェシリアもまた同じ穴のむじなす。
 セクヴァールに、正当な世継ぎさえいれば。
 心から領民を愛する有能な跡取りが存在していれば、なんの問題もなかったのだ。
 しかし彼の真の息子、国王の血をも色濃く引いた世継ぎの公子は、もはやこの世に存在『しない』。
 だからこそセクヴァールは北の方を娶り、西の方を引き立て、フェシリアとファリアドルという二人の子供が生まれたのだが……
 その両者共に公爵家を継ぐ資格がないと判明したいま、己が取るべき道は、はたして ――


*  *  *


 穏やかに呼びかけてくる声に、フェシリアはふ、と思索の内より意識を浮かびあがらせた。
 背もたれのない腰掛けに座った彼女の周囲には、幾人もの女官が群がるようにして立ち働いている。ある者は長いその黒髪をくしけずり、ある者は右手をとって爪の形を整えている。逆の手は既に爪の手入れを終え、香油を混ぜた乳液をすり込んでいる最中だった。その後ろでは、別の女官が化粧の準備を整えて待ち構えている。
「お疲れでございますか、おやかたさま」
 そう問うてくる女官は、既に幾度も声をかけていたらしい。
 追憶に浸っていたフェシリアは、まったく気が付いていなかった。かぶりを振ろうとして、髪をとかされていることに思い至り、唇を開く。
「いや……少し考え事をしていただけだ。気にせずとも良い」
 女公爵としてコーナ家を継いでから、フェシリアは被っていた繊細な少女の仮面を、わずかずつ脱ぎ始めていた。まだ気心の知れぬ女官達の前で全てをさらすことはしないが、言葉遣いなどは改めている。実際には本性の一部を露わにしたに過ぎなかったが、女官達は一家の主としての、覚悟の表現と受け止めているようだった。彼女達からの呼びかけも、公女ひめさまからお館さまに変わっている。
 こうして女公爵の地位に無事つけたのは、本当に僥倖だった。
 全てを知った王太子からも、変わらぬ後援を受けることができたし、周囲の者も誰一人として彼女の正統性を疑っていない。
 そして己も後ろめたさを感じることなく、この地位にいることができる。
 そうなるまでには、どれほどの葛藤と努力を経てきたことか。
 身動きもままならぬ退屈な身支度の間、フェシリアは再び当時のことをふり返る ――


*  *  *


 はたしてどうすることが、最善なのか。
 漠然とでも思いついたとき、自分で自分を賞讃したくなったものだった。
 そうしてすぐさま、必要な手配りを行ってゆく。まずは侍従文官と細かい点について打ち合わせを行い、さらには徹底的に情報を統制した。間諜は心配無用だと報告したが、万に一つでもこの事実が洩れるわけにはゆかなかった。そう、それはたとえ身内に対してもだ。
 たまたまロッドが他出している間の報告であった幸運を、フェシリアは誰にとも知れず感謝せずにはいられなかった。
 妙なところで潔癖なあの男のことだ。下手にあの段階ですべてを知ってしまっていたら、あるいは公爵家自体を潰してしまえとすら言いかねなかった。
 ……無論のこと、国王崩御や妖獣の襲撃などで国内が混乱していたあの時期に、そんなことなど現実的に考えて可能なはずもなかったが。しかし、少しでも血の繋がりのある遠縁から、婿養子を迎えろぐらいは言ったことだろう。高貴な血筋や血の正統性などクソ食らえと公言していながら、権利のない地位や権力に固執するあさましさにもまた、同じように嫌悪の色を見せるのがあの男の性分だったから。
 そう、自分だとてけして、簒逆を目的としていた訳ではない。元々は正当な権利を主張していただけだったのだ。それだけは今でも自信を持って断言できる、掛け値のない真実である。
 そうだ。
 自分よりももっと正当で優秀で、そして領民の幸せと領地の繁栄をもたらしてくれる人物が他に存在したならば。それならば爵位を譲っても良いと、心底から思ってはいたのだ。ただ、そんな人物がどこにも存在しなかっただけで。
 だから、考えに考え抜いた。
 一見すると底無しのれ者のようでいて、その実とても聡いあの男に気付かれぬよう、悩み、手を打ち。そうして ―― 今後の方針を定めたのだ。


*  *  *


 女官に優しく促されて、フェシリアは薄く唇を開き、細い筆で丁寧に紅を差してもらった。
 施された化粧は派手さのない、ごく自然な落ち着いたものだ。未だ年若く繊細な容姿を持つフェシリアの、清楚さをほど良く際だたせている。
 長い時間をかけて素材を選び仕立てられた衣装も、華美というよりはどちらかというと簡素で、品の良さを前面に出している。全体的にふくらみを押さえた、身体の輪郭により沿うような意匠で、白い絹地の袖口や裾に淡い色で刺繍を施し、ごく小さな ―― しかしその質は極上の真珠と水晶の粒をあしらってある。大きく開いた襟元には、しっとりとした象牙色の肌に乗る、白金プラチナに金剛石を連ねた首飾り。
 一見しただけではむしろ落ち着いた作りだが、その実は王キの貴婦人達に入り交じってもまったく遜色を見せない、適度な金と手間暇をかけた上品な仕上りになっている。
 結い上げた黒髪に飾る白い切り花は、国王から直々に贈られた、王宮の庭園でのみ栽培されている品種だ。


*  *  *


 最初の反応は、心底呆れたような表情だった。
「 ―― 頭は確かか」
 見下すような眼差しを向けるロッドを前に、細心の注意を払って論旨を組み立てる。
 失敗する訳にはいかない計画の、まずはこれが第一歩。
 声に熱意がこもらぬよう気を配り、いかにも他にしかたがないのだという素振りを装いつつ、偽装婚約の必要性を説明してゆく。そのもたらす利益と不利益を天秤に掛け、その相手に要求される条件を並べ上げる。理路整然と語りさえすれば、この男は案外押しに弱いと既に理解していた。それだけ自分が気を許されていることも、確信している。
 その理由の幾ばくかが、彼がけして認めぬだろう、血の繋がりから来ているものであることも、また ――
 そうだ、間もなく国王の座に即位しようというあの方に対する時もそうであるように、この男はこれでいて血縁に対してかなり弱い。父 ―― すなわち公爵も、もっと別な立ち回り方をしていれば、あるいは彼を味方につけられたかもしれなかったほどに。
 卑怯だとは百も承知の上で、今はその『じょう』に訴えかける。
 女が男を『落とす』のに、手練手管を弄するのは当たり前だ。まして政治の世界では言うまでもない。
 王太子にはすべての事情を告白するにせよ、まずは手札というものが必要だ。次代には正当な血筋を引く跡継ぎを遺せるという、そんな切り札が。それさえあれば、王太子はうなずくだろう。国内に無用な混乱を招かぬためにも、そして ―― 現時点ではほぼ不可能と言える、正当な後継者、すなわちロッドへの公爵位返還のためにも。
 そう……どれほど言葉を尽くし、なだめようがすかそうが、ロッドが公爵位を継ぐことは絶対にあり得なかった。それは彼の気性からも、現在の国情からも不可能だった。
 仮にロッドの素性を明らかにしたならば、国内は大混乱に陥るだろう。身の証しを立てること、それ自体はたやすい。なにしろ彼には、王族にしか存在しない癒しの力が備わっているのだ。それを見せつけてやりさえすれば、王家の血を引くことは簡単に証明できる。そしてロッドは稀少とまではいかずとも、充分に特徴的な色彩を有しており、なおかつその容貌は若かりし頃の先コーナ公に酷似していた。かつて行方不明になった世継ぎの少年について、記憶している貴族は未だ数多い。多少なりと疑われることはあっても、最終的には誰もが認めるはずだった。
 しかし……
 それを明らかにしてしまっては、問題が大きくなりすぎるのだ。ことはコーナ公爵家の継承権うんぬんだけに留まらない。その事実は即位間近の王太子の、その正統性すらも揺るがしてしまう。何故ならロドティアス=アル・デ=ティベリウス=フォン・コーナという存在は、カイザール国王の第二王女の長子。第四王女の子息だったエドウィネルよりも、その王位継承権は上なのだから ――
 故に、ロッドの素性を明らかにする訳には断じていかなかった。よって彼をコーナ公爵家の跡継ぎにすることもまたできない。ロッド自身も、それを望んではいないだろう。しかし……
 心情的に言って、王太子は彼に公爵家を継いでほしいと願っているはずだった。叶うものならば、王位すら譲っても良いと考えているに違いない。譲られた権力と義務を正しく扱うだけの能力も、国民を愛する思いも、ロッドは確かに持ち合わせているのだから。
 だから……彼自身には無理でも、いずれその系譜に爵位が戻せるというのならば、王太子は諸手をあげて歓迎するだろう。仮にその母親となるのが、どこの馬の骨とも知れぬ、氏素性の定かでない女であったとしてもだ。
 なにしろあの男が子供を作るというだけでも奇跡と言えるし、その上この『馬の骨フェシリア』には、表向きだけとはいえ立派な地位と正統性が付随している。
 だからこれは、その第一歩。
 爵位を正当な血筋のもとへと返上し、なおかつ自分がこれまで積み重ねてきた努力と望む意志をも無駄にはせぬ、最良の道への最初の一歩だ。

「 ―― すぐに答えを出せとは言わぬ。だが、前向きに検討してみてくれ」

 苦虫を噛み潰したような表情を見せる『兄』へと、まずはそうとだけ言って、その日のところの布石を終える ――


*  *  *


 ようやく着付けを終えたフェシリアは、女官の手を借りつつ腰を上げた。踵の高い靴で柔らかい絨毯を踏み、壁際の大きな姿見の前へと立つ。
 裳裾の襞の流れ具合といい、生花を飾った髪の形といい、仕上がりは完璧なようだった。無駄に目の肥えた王都の貴婦人達に、陰口を叩かれるようなことはまずあるまい。
 あとは、同伴者の出来ばえ次第だ。
 ひとつ大きく頷いて、戸口の方を振り返り、今宵の相方の迎えを待つ。


*  *  *


「……で、どれぐらい続けるつもりなんだ」
 ふてくされたような表情と共に吐き出された言葉に、内心で思わず快哉を叫んでいた。
「そうさな。まずは二三年というところか」
 あえて何気ないような口調でそう告げると、褐色の肌の中、ぐっと眉根が寄せられる。
「長え。半年ぐらいでなんとかしろ」
 心底嫌そうな答えが返るが、ここまで言わせればもうこちらのものだった。
「無理を言うな。政治というのは何事も、性急には片付かぬものよ。せめて一年は必要だ」
「一年、ねえ……」
 ため息混じりの呟きがこぼされる。
 かかった、と。
 獲物を待ち続けた猟師のように、表情には出さずほくそ笑んだ。
 最大の難関は突破できた。身内に甘いこの男のこと。ここまで来れば、なし崩しに事を進める自信はあった。
 やはり最大の注意を払うべきは、はたしていつ、どのようにして『衝撃』の『事実』を『発見』するかだ。
 そのことについてはまだ、明確な計画を練りきれていない。だがなに、充分すぎるほどの猶予は確保できた。
 だからいま必要なのは、まず外堀から埋めてゆくことで ――


*  *  *


 隣室との間のとばりをくぐり、青と銀で身を包んだ青年が現れる。
 細くひきしまった鞭のような長身に、南国の出を示す濃い褐色の肌と短く刈り込まれた髪。切れ長の瞳だけが、夏の海を思わせる深い蒼をたたえている。それはまるで、破邪騎士の青藍の制服を映したかのようにも見えて。
 ひときわ暗い濃紺の外套を留める金具や剣帯、額環など、要所要所に白銀の装飾を配し、いつもは着崩している襟や袖口もきっちりと整えられている。揺れる耳飾りの石は、見る角度によって深蒼から透明へと輝きを変化させる菫青石アイオライト。そして左手の薬指にはめている、六筋の光が入った大粒の星条青綱玉スター・サファイア
 極力色数を押さえたその装いだったが、それでもそこには見る者の目を奪わずにおかない、見事なまでの『華』があった。
 まさに、年若き女公爵と並び立つに相応しい。
 ただし ―― その表情さえ除けば、だったが。
「……もう少し、愛想良くはできぬのか」
 ため息をつくフェシリアにちらりと一瞥くれただけで、ロッドは無言で左手を突き出した。乱暴なその仕草に、女官達は怯えたように身を寄せあってしりぞく。だがフェシリアは気に留めた様子もなく、ごく自然に手を預けて歩み寄った。
「仮にも公爵の婚約披露の宴だ。問題だけは起こしてくれるな」
 念を押す忠告にも、微かに鼻を鳴らす音が返されるだけだった。
 控え室から大広間へと続く廊下を、二人は並んで進んでゆく。女官や侍従達が立ち止まり頭を下げるなか、余人には聞こえぬよう顔を寄せて囁きかける様は、あるいはひどく睦まじい仕草と映ったかもしれない。
「くれぐれも、足は踏むでないぞ」
「……ああ」
 ようやく答えが返った。もっともそれは、どこまでも不機嫌そうなそれであったが。
「まさかそなたが踊れぬとは思わなんだわ」
 フェシリアの声に嘆息が混じるのは、ここ数週間の苦労を思えば仕方なかったろう。
 見た目や風評とは異なり、知識も教養も人並み以上に備えているこの男だったが、披露目の宴ももう間近となってから、踊りを習得していないことが判明して、大層な騒ぎとなったのだ。
 いわく、こればかりは相手が必要なものだから、これまで人知れず練習することができなかったらしい。あいにくその他の教養とは異なり、幼い頃は背丈が足りなかったためまだ教育課程に組み込まれておらず、基礎すらも知らないという。同性で良ければまだ、アーティルトあたりがいくらでも練習に付き合っただろうが、さすがにそうはいかない訳で。かと言って、王宮にたむろする気位ばかり高い貴婦人達が、粗野なロッドの相手をするはずもなく。またそんな気心の知れぬ相手を、彼が受け入れることもあろうはずがなかった。
 そんな訳でフェシリアは、公務と婚約披露の準備で忙しい合間を縫って、ロッドに猛特訓を施す羽目になったのである。
 ……せめてレジィ=キエルフあたりならば、ロッドも妥協して練習相手として認めたのであろうが。あいにく彼女もまた、この点についてはとんと心得がなかった。もっとも彼女の場合、男性側の振り付けはしっかりと覚えているあたり、宴の折りには社交界に出たばかりの初々しい少女達などから、引っ張りだこだったりするのだが。
 ともあれ ――

 複雑な彫刻を施された大扉が、立ち止まった二人の前で、ゆっくりと左右に押し開かれる。
 内部から漏れだしてくるのは、盛大な宴の熱気と喧噪だ。
 そして広間中から向けられてくる、祝福に見せかけた好奇の視線の数々。
 その中には、偽りでない笑顔をたたえた、国王やレジナーラ=キエルフ、アーティルトやカルセストといった親しい間柄の姿もかいま見えた。

コーナ女公爵エル・ディア=コーナフェシリア=ミレニアナ様と、御婚約者、破邪騎士セフィアールのロッド=ラグレー様、御入場!」

 主賓の到着を告げる侍従の声が、高らかに響きわたった。

 大きな拍手と歓声に迎えられながら、フェシリアは演技ではない満足の笑みを口元に浮かべ、仏頂面をさらす婚約者の腕に、そっと両手を絡ませたのだった。


(2012/05/07 14:56)



 

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