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 楽園の守護者  番外編
 ― 真価― 前編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2015/06/28 11:55)
神崎 真


 コーナ女公爵の婚約を広く周知する場となったその晩の宴は、夜半を過ぎるまで続いた。
 王宮で開催される夜会は、規模の大小を問わなければそう珍しいものでもない。しかし建国祭を目前に控えたこの時期、しかも国家セイヴァンが誇る二大公爵家の片翼たるコーナ家当主の婚約者が正式に披露されるとあって、今宵は国内の主だった貴族達がこぞって参加していた。
 ただでさえ、突然に爵位を継いだ年若い女公爵は、社交界における注目の的である。ことに年頃の次男三男を持つ有力貴族などは、少しでも自分にちかしい者を彼女に縁付け公爵家と交誼よしみを結ぼうと、時に遠まわしに、あるいは直接的に働きかけてきたものだ。
 そんな彼女がようやく選んだという、婚約者の初顔見せである。これが興味を集めないはずがなかった。
 しかもその相手というのが、誰もが予想すらしなかった、セフィアール騎士団の問題児だという。
 一介の破邪騎士だというだけならば、なんら問題とはならない。もともとかの騎士団は、国家セイヴァンの根幹を支える存在である。そこに所属するのは、貴族出身者達の中でも、さらに選び抜かれた精鋭揃い。たとえ嫡男筋の生まれではなかったとしても、破邪騎士だというそれだけで、その身分と能力を保証されているからだ。
 しかし、その男 ―― ロッド=ラグレーだけは、話が異なっている。
 先代国王じきじきの声がかりによって、特例で入団を果たした彼は、貴族どころかどこの馬の骨とも知れぬ下賤のやからであった。同じ平民の身分でもアーティルト=ナギ=セルヴィムなどは、その立ち居振る舞いや誠実な人格、教養の高さなどを周囲から認められているが、彼はまったくそんなことなどない。
 口を開けば暴言を吐き散らし、身なりや所作は粗暴の一言に尽きる。いつまでたっても下町の破落戸ごろつきのような態度を改めぬ男のことを、宮廷の貴族達は完全に見下しきっていた。
 よりにもよってそんな男が、コーナ女公爵と婚約したというのである。
 いったいどのような手を使って取り入ったのか。常日頃から上流階級を誹謗中傷するこの男も、しょせんは金と地位目当てで男妾おとこめかけに堕ちたか。そんな会話が、そこここから密やかに漏れ聞こえていた。
 そういった具合で夜会の間中ずっと、まるで見世物か何かのように連れまわされては、あからさまな値踏みや侮蔑の視線を向けられて。ロッドはその機嫌を加速度的に降下させてゆく。
 もともと不本意そうな表情をしていたが、次第にその仏頂面すらもが鳴りを潜め、終わりの頃には完全に無表情となっていた。貴族特有の迂遠な言いまわしで揶揄やゆされても、まるで反応を返さない。フェシリアに肘を提供する他は、ただひたすら無言で脇に立っていた。
 低い位置に伏せて固定されたその両眼だけが、もはや不快すら通り越して投げやりとしか表現しようのない光を放っているのに気が付いたのは、フェシリア以外、ごく親しい間柄の者達だけだっただろう。

 ―― だいぶ、気を遣わせてしまったようだの。

 長い夜会がようやく終わり、割り当てられた控え室まで戻ってきたフェシリアは、内心でそっと息をついていた。
 それこそわずかな人間しかそうとは知らぬだろうが、この男はこれでいてけっこう辛抱強く、分別も備えている。あの場でいつものような傍若無人な行動を取れば、フェシリアの顔を潰す結果になるのだと理解していたし、披露目の席で婚約者を放置して抜け出す訳にはゆかぬのもわきまえていて、最後まできちんと付き合ってくれたのだ。
 終盤の方では、珍しく大人しくしている彼に対し、かなり直截な嫌味をぶつけてくる者もいた。それは酒精や宴の空気の影響もあったのだろう。しかし本来ならば、そんな理由で容赦をしてやるような男ではなかった。仮にかかっているのが己の評価ひとつであったなら、この男は衆人環視の只中で、相手を完膚なきまでにやり込めたに違いない。
 そんな彼が、反駁ひとつしなかった。その理由を察せぬほど、フェシリアも鈍くはない。

 当人の控え室は続き間の隣だったが、もはやそこまで移動するのも億劫なのか。
 ロッドはきっちり留められていた襟や袖口の金具をぶちぶちと乱暴に開けて、指輪や耳飾りの類も次々と外していた。無造作に放り出されそうになったそれらの装飾品を、待機していた召使いの少年が、慣れた手つきで受け取っている。

「もう着替えるのか」

 せっかく見目よく整えられていた姿が、あっという間に見る影もなくなってゆくのを目の当たりにして、フェシリアは惜しむ意を込めて呟いた。しかしそれに反応したロッドは、もはや繕う必要もないと判断したのだろう。据わりきった目で振り返ってくる。

「『馬子にも衣裳』なんだろ。いつまでもやってられっか」

 乾いた口調でそらんじたのは、何人もの相手から示し合わせたように向けられた言いまわしだった。当然だがそれは、けして褒め言葉ではない。
「……良く、似合におうておるのだがな」
 実際エドウィネル国王などは、着飾ったロッドを前に、本心からだとはっきり判る満面の笑顔を見せていた。彼自身もまた、縫い取りが施された最上級の衣服に緑柱石エメラルドと黄金を配した豪奢な装いをしていたのだが。そこはやはり、滅多に見られない従兄弟の盛装姿を目にすることができて、心底嬉しかったらしい。
 細身ではあるが引き締まった体躯に、多少派手な色や細工物にも負けぬだけの存在感を備えたこの男は、きちんとした格好をすれば実に映えるのだ。しかも青藍せいらんと銀に彩られたセフィアールの制服は、まるで彼のために誂えられたのではないかと思える意匠である。
 しかし普段はこれ以上ないほど着崩しているうえに、装飾品ときたら防具を兼ねた鋼鉄の額環がくかん程度。外套留めすらもが、実用一辺倒で飾り気のないすず製だ。
 せっかく素材は良いのだから、と。常々残念に思っているのは、なにも国王ばかりではなかった。
 フェシリアは、近くにいた女官に目で合図する。
 それを受けた彼女は、室内の一角に置いてあった小箱を取り上げた。天鵞絨で外張りされた両手のひらに乗るほどの大きさのそれを、捧げ持って脇に控える。
「そなたが贅沢を好まぬのは知っておるが、こちらにも公爵家の体面というものがある。婚約者に日常の飾りひとつ贈らぬとあっては、新公爵は金策すらままならぬのか、さては領地の復興すら危ういのかと、いらぬ勘繰りも受けよう」
 その言葉に、箱の中身を想像したのか。しかめられた顔をあえて無視し、フェシリアは蓋を開けて内部を見せた。
 黒い絹布の上に並んでいるのは、耳飾りと外套留めブローチの一揃いだ。
 比較的地味なそのこしらえに、ロッドの表情がわずかに変化する。さぞいかにもそれらしい、装飾過多で目立つ代物を押し付けられると考えていたのだろう。
 外套留めは、親指と人差指で作った輪ほどの大きさがある楕円形の石の周囲を、銀で作られた枝葉が取り巻いている形だった。耳飾りはもっと簡素で、小さな丸い石を半分に割り、裏に金具をつけただけの品だ。石の色は、どちらも透明感のある濃褐色。
「…………」
 ロッドは手を伸ばして、外套留めをつまみ上げた。部屋中に置かれた燭台の灯りにかざし、しげしげと観察している。
 まるで濃厚な蜂蜜をそのまま固めたかのような、とろりとした暖かみのある飴色の石。表面を軽く撫でれば、なめらかに磨きあげられているのにも関わらず、どこか柔らかく肌に馴染む。
「 ―― 琥珀か」
「うむ」
 正しい鑑定にうなずきを返す。
 宝石の内に数えられてこそいるが、厳密に言えば鉱物ではない。はるか昔に流れ落ちた木の樹液が、長い年月としつきをかけて化石となったものだ。見た目はそれなりに美しいものの、傷がつきやすいことや手に持って明らかに判るほど軽いこと、不純物や色むらが多いことなどから、貴族の間で好まれる石ではなかった。よほど珍しい品 ―― 内部に美しい形で太古の虫や葉などが閉じ込められているなど ―― でもない限り、あまり高い値はつかない。
「そなたの肌に比べるとやや淡いが、それでもよく合うだろう。真黄玉インペリアル・トパーズ黄金剛イエローダイヤあたりも考えたのだが……」
「やめろ」
 いかにも嫌そうに遮って、ロッドはつまんでいた外套留めブローチを指で弾いた。落ちてきたのを手のひらで受け止め、握りこむ。
「こっちも同じやつだな」
 残った耳飾りを見下ろす。
 耳たぶに密着する形のそれは、やはり褐色の肌に溶け込むはずだった。余計な突起はなく、揺れる飾りがついている訳でもないので、荒事の際に引っ掛け流血沙汰を起こす懸念も少なかろう。
「そなたのことだから、指輪は剣を握るのに邪魔だと言うだろうし、額環は防具にならねば困ると文句をつけるだろう。首飾りも、妖獣の爪あたりで切断されるぐらいならまだしも、うっかり首を吊られる結果になっては叶わぬし ―― 」
 これでも一応それなりに、着ける側の事情をいろいろと考慮したのだ。
「……耳飾りならば、何かが起きても手元に残る確率が高い。いざという時、手放せばいくばくかの対価は得られようからな」
 さりげなく付け足した一言に、ロッドはふと一瞬その表情を消した。
 ―― いざという、時。
 かつてその『いざ』を実際に経験し辛酸を舐めた彼にとって、それは慣用句のひとつだと笑って流すなどできぬ、深い意味を持つ言葉だった。
 現金も、上等な衣服も、武器も、今の身分を証明するすべてを持たず。ただ己の身体ひとつで見知らぬ土地に放り出される。そんな事態は、杞憂でもなんでもなく、現実に起こりうるのだと。
 それは事故だったり、人為的な何かによる場合もあるだろう。そういった時に、たとえひとつでも金目の品を持っていれば、生き延びられる可能性は飛躍的に上がるはずだ。
 少なくとも今の彼は、相対する人間の事情も状況もわきまえられぬ、愚か者の世間知らずではないのだから……

「 ―― わーったよ。手持ちがなくなったら、遠慮なく売らせてもらう」

 ため息を吐きながらそう言って、ロッドは外套留めを盛装用の青鋼玉がはめ込まれたそれと、手早く交換した。それから耳飾りを無造作に箱からつかみ出す。
 そのまま部屋から出ていこうとするのを、フェシリアは制止した。
「待て。せっかく穴を開けたのだ。それもここで着けてゆけ」
 その言葉に、はたと歩みが止まる。
 装飾品を日常使いする習慣がない彼は、当然、耳たぶに穴など開いていなかった。以前に何度か開けはしたらしいが、おおやけにはできないその体質のせいで、飾りを外した状態で一晩寝ると、それでもう塞がってしまうのだという。
 耳に針を刺すぐらい、別に大騒ぎするほどのこたあねえ。本人はそんなふうにうそぶいていたが。それでもいま現在、きちんと穴が開いているのなら、余計な手間を増やす道理もなかろう。
「面倒臭えな……」
 その場で立ったまま、手探りで装着しようとしている。そんな無精者に、フェシリアは歩み寄っていった。
「どれ、やってやろう」
 その言葉に召使いや女官達が、とっさに役割を代わろうとする。が、これも婚約者同士の微笑ましい触れ合いだと解釈したのか。ためらったのち見守る姿勢に入った。
「少しかがめ」
 服を引くと、案外素直に頭を低くする。
 つい今しがた、菫青石アイオライトの飾りを外した耳をしげしげと観察する。夕方針を刺したばかりの新しい傷口は、これといった腫れも赤みもなく、完全に皮膚で覆われていた。常人ならばこうなるまでに、清潔を保ちながらこまめな消毒を繰り返して、それでも数ヶ月はかかるはずなのだが。
 フェシリアは金具を耳たぶに通すと、留め具を嵌めてしっかりと固定した。もう片方も同様にする。
 女官の一人が気を利かせて、手鏡を持ってきた。それに顔を映したロッドは、予想した通りさほど目立たないのを確認し、うなずいている。
「じゃあな」
 短く言って、今度こそ控え室を去ってゆく。その後姿を、フェシリアは笑顔で見送った。


 その微笑みが、どこか企んだような色を含んでいることに、背を向けた彼が気付くことはなく……


*  *  *


 ロッド=ラグレーの朝は早い。
 通常、破邪騎士達はそれぞれに、王宮の敷地内に与えられた離宮か、あるいは個人で城下に用意した私邸で生活していた。当然、多くの使用人達にかしずかれ、身の回りの用を足させている。しかし平民出身のアーティルトとロッドは、そういった生活は性に合わぬと、本宮の一角にある空き部屋で寝起きしていた。必要な時には客室として使用されていただけあって、それなりに調度の整った広めの空間ではある。それでもどちらかというとそこは、貴人の側仕えたる上位の女官や侍従、護衛騎士達のために用意された、続き間すらない質素な一室だった。
 掃除や洗濯は王宮に詰めている侍女や召使いがやってくれるし、使用人用の食堂にゆけば、常に仕事に追われる彼らのために、いつの時間でもなにかしらの ―― 質素ではあるが ―― 食べられるものがある。
 初めの頃は、無造作に現れるやんごとないはずの殿上人に驚き慌てていた使用人達も、今となっては慣れたものだった。時おり新人が衝撃の洗礼を受けていたりするが、それも王宮で働く上での通過儀礼だと、笑いの種になっているぐらいである。
 夜会明けのその朝も、ロッドは誰に起こされるでもなく、陽が昇る前に目を覚ましていた。
 睡眠時間は正味二刻にも満たない。しかし眠気の欠片も見せず、寝台からむくりと起き上がる。
 さすがの彼も、王宮内の自室でしかも緊急時でもない場合、上着ぐらいは脱いで寝ていた。脚衣ズボンも、とっさの時にはそのまま飛び出せる程度ではあるが、比較的ゆったりしたものに履き替えている。

「…………」

 今日はほとんどの貴族達が、夜会疲れで遅くまで寝ているはずだった。
 故にフェシリアに付き合わねばならない各所への挨拶まわりは、午後からに予定されている。ならば午前中はこのところ忙しかった息抜きとして、久しぶりに城下へでも繰り出してみるか、と。
 そんなふうに計画を立てながら、手早く身なりを整えていった。着替えた脚衣の足を乗馬靴に突っ込み、枕元から取り上げた大剣を腰にさげる。椅子の背に引っ掛けておいた外套をばさりと広げた。羽織って肩口で留めようとしたその指先が、いつもとは異なる感触を伝えてくる。
 ふと目を落とすと同時に、昨夜のやりとりを思い出した。
 そういえば、外套留めが新しくなっていたのだったか。薄暗い室内では、細かいところまではよく見てとれない。だが外套留めブローチの作りなど、どれも似たようなものだ。適当に手探りでやれば、簡単に留まった。
 窓辺に歩み寄り、勢い良くとばりを開ける。折しも木立の隙間から眩い朝日が射しこんできて、思わず手をかざして目を細めた。
 どうやら今日の天気は良さそうだ、と。
 雲ひとつない空を確認して、そう結論する。


 朝の早い使用人達がたむろする井戸端に混ざり込み、肩を並べて顔を洗った。
 適当な相手から石鹸を借り、剃刀代わりの小柄でひげを当たるのも恒例だ。今さら奇異の目で見られることなど、何もない……はずなのだが。
 なにやら物言いたげな視線を周囲から向けられて、ロッドは眉をひそめた。
「……剃り残しでもあんのか」
 顎をさすって確認しながら問いかけると、ぶんぶんといっせいに首を左右に振られる。
 ますます眉間の皺が深くなったのを見て、男達の一人がためらいがちに口を開いた。
「あ、あの」
「おう」
「その、ですな。御婚約、なされたんですよね?」
 おずおずと聞いてくるのにうなずきを返す。
 そういえば最近は、コーナ公爵領の復興や婚約披露の準備で忙殺されており、ここに顔を出すのは久しぶりだったか。そもそも昨日までは、打ち合せやらなんやらのため、城下にある公爵家の別邸に泊まりこんでいたのだ。さらにその前は、かなり長い期間を南方の地で過ごしていた。
 貴人達の周囲でその世話を受け持ちながら、しかしその存在を意識されないことが多い使用人の間では、往々にして正式発表よりも早くに各種の情報が出まわりがちだ。それでも、王宮の使用人達と直接顔を合わせてこの話をするのは、今が初めてかもしれない。
「お相手は、女公爵さまだとか……」
「ああ。なんか知らんが、変に気に入られてな。まあ、お貴族さまの酔狂だろ。どうせすぐ我に返るさ」
 軽く肩をすくめてみせる。
 そもそも一年と期限を切った、偽装婚約だ。社交界に対してはそれなりに取り繕わねばならないが、個人の時間にまでそれを求められるのも面倒だった。第一そんな真似をしていては、解消した後がまた厄介になる。こちらが惚れこんだあげくに振られたなどと思われるのは業腹だし、それこそ金や権力目当てに取り入ったとそしられるのも、貴族連中といったどうでも良い相手ならただ聞き流せばすむ話だが、使用人すべてを敵に回すとなると、地味に響く。……主に日々の生活面で。
 なので、高貴なお姫さまの我が侭に付き合わされて、適当に相手してやっているという姿勢を前面に出してみた。高慢な貴族の自分勝手に振りまわされるのは、使用人達にとっても切実に苦労の多い、みなが共通して持つ経験だ。少し愚痴でもこぼしてやれば、盛り上がるのに良い話題となるだろう。
 しかし周りを囲む男達は、予想したほど納得した素振りを見せるでもなく、むしろどこか困惑したように互いの目を見合わせている。
「でも、あの」
「あン?」
「なんと言うか、その……女公爵さま、ですか。そんなに、嫌いじゃ、ないんですよね……?」
 言葉を選びながらも断言されて、一瞬、反応を選びそこねる。
 絶句しているその隙に、他の者達も後を続けた。
「本当にお嫌いなら、わざわざ婚約なんてなさいませんものね」
「贈り物とかだって、いらねえってはっきりおっしるでしょう?」
「たとえ高貴な女性がお相手でも、そこらへん、ちっとも容赦されませんし」
「ああ。前にほら、伯爵さまだか候爵さまだかの娘が、目の前で手巾ハンカチ落として、『拾わせて差し上げますわ』なんて、えらそうにほざいた時とか」
「あったあった。そりゃもうさんっざんっぱらに罵倒したあげく、しまいには大泣きさせてさあ」
「涙で化粧が崩れて、顔とかもう真っ黒。ありゃあスッとした」
 うんうんと全員が打ち合わせたように同意する。
「だから、その女公爵さまが本当に嫌なお人だったら、いくら言い寄られたって、ロッド様ならその場で切って捨てますよね」
「むしろ育ちの良いかたを卒倒させるような勢いで、『 ―― 』とか『 ―― 』とか言いそうな」
 低俗な下町の罵り言葉に、一同歯を剥いて笑い合う。
 実際、それらの行為に覚えがなくもないので、あまり強く反論できない。
 勢い、むすっとした顔で黙り込まざるをえないロッドへと、一人が実に良い笑顔を向けた。

「オレ、昨日ちらっとだけ遠くからお姿を拝見しましたけど、お二人で並んでるとこ、すごくお似合いでしたよ!」

 ぐっと親指を立ててみせる。

「…………そうかよ」

 なんだか目眩のようなものを覚えて、ロッドは手のひらに顔を埋めていた。
 それを照れているとでも思ったのか、口々にはげましの声を投げかけられる。

「おれらなんかじゃ、女公爵さまに直接お会いするなんて、絶対にないですけどさ」
「でも、厨房のほうとか洗濯係とかに、話通しときますから!」
「ロッド様の御婚約者関係は、最優先できっちり仕上げるようにって」
「だからロッド様も、がんばって下さい!」
「…………おぅ」

 どこからどう訂正すれば良いのか。いやそれ以前に、口を挟めるような雰囲気でもなく。
 ロッドは短く答えると、手早く顔の泡を洗い流して、水場を後にしたのである。


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