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 楽園の守護者  第九話
 ―― 宴の夕べ ――  終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 陽が落ちると同時に、王宮の随所に設けられた篝火へと、いっせいに火が灯された。
 岬の上に建つ石造りの宮殿は、篝火の炎を浴びて、その姿を鮮やかに夜空へ浮かび上がらせる。
 真昼のように明るい王宮から見下ろす街並みもまた、今宵は多くの光を散りばめて、賑やかにわき返っていた。人々はみな足取りも軽く行き来し、酒や年に一度の御馳走を手に、明るい表情でうかれ騒ぐ。
 そして王宮では、華やかな祝宴が開始されていた。
 数ある中でも特に広く豪奢にしつらえられた大広間に、着飾った淑男淑女が集い合い、さんざめいている。広間の各所には足を止め、軽く食事をできる場所も作られていたが、ほとんどの者は、広く取られた中央の空間で互いに言葉を交わし、また手を取り合って踊っていた。
 男も女も、それぞれ贅を尽くしたきらびやかな装いを競っている中で、セフィアール騎士団員の銀と青でまとめられた姿は、逆に清冽な印象で見る者の目を引く。いずれ劣らぬ名門の出の彼らは、みな立ち振る舞いも洗練されており、貴婦人達から熱い眼差しを向けられていた。
 そしていま一人、今宵の主役とも言うべき、姫君達の視線を一身に集めている人物がいる。
 今夜の王太子は、胸元に金糸銀糸でセイヴァン王家の紋章を縫い取り、縁飾りの付いた外套をゆったりと羽織っていた。普段は装飾品など、王太子の証である腕環ぐらいしか身につけない彼だったが、今宵は剣帯や額環、指輪など、黄金と緑柱石の細工を要所要所へ散りばめている。
 背筋を伸ばし、姿勢良く歩を運ぶその姿は、一国の王族としての威厳にあふれていた。二十七と言えば、政治の世界ではまだ駆け出しと言っても良い年頃だ。しかし彼に声をかけられた年輩の貴族達は、みな一歩身を退くようにして礼をとる。それだけの、貫禄とすら言えるものを、この青年は既に持ち合わせていた。
「失礼、よろしいでしょうか」
 ふと彼が足を止めたのは、まだ年若い姫の前だった。
 一瞬、驚いたようなざわめきが、あたりから立ちのぼる。それまでのエドウィネルは、正妃候補と目されている姫君達とも簡単に挨拶を交わした程度で、特定の女性を相手にするような素振りなど、まるで見せなかったのだ。
 相手が王太子とあっては、姫達の方から声をかけるのは、いくら何でも気後れがする。勢い、他の候補達を気にしながら、どうしたものかと機会をうかがっていた姫やその親族達は、エドウィネルの動きに固唾を呑んで様子を見守った。
「楽しんでおられますか」
「これはこれは、殿下」
 いささか大げさな身振りで答えたのは、当の姫ではなく、傍らに立っていた父親の方であった。すらりと背の高い、髪に白いものが混じり始めた年配の男だ。鼻の下に蓄えられた髭なども半ば色を変えている。だが良く引き締まった身体つきや、つやの良い濃褐色の肌など、まだまだ充分に若々しい雰囲気を漂わせていた。
「御無沙汰しておりまして、申し訳ございませんでした」
「お久しぶりです、コーナ公」
 胸に手を当てて頭を下げる公爵に、エドウィネルも笑みをたたえて言葉を返す。
「先ほどは、せっかく見舞いに来ていただいたのに、早々にお引き取り願ってしまい申し訳なかったと、陛下からの御伝言です」
「もうったいのう。陛下もお疲れでございましたし、御無理を願ってしまったのではと、心苦しく思っておりましたゆえ……」
 そう言って、公爵は空席になっている上手の玉座を見やる。
 ここ数年の国王は、建国祭の儀式こそ執り行うものの、その後の祝宴などはほとんど欠席するのが慣例となっていた。老いた肉体には、式典をこなすだけでもかなりの負担がかかるのであろう。そして列席する貴族達の間では、次回の祭りではそれさえもエドウィネルに譲られるのではないか ―― すなわち、エドウィネルの即位ももう間近では、と噂されていた。
「ところで、フェシリアどの」
「 ―― はい。王太子殿下には、御機嫌うるわしゅう存じます」
 膝を曲げるフェシリアに、エドウィネルはそっと右手を差し出した。
「よろしければ、一曲おつきあい願えますか」
 その問いかけに、フェシリアは驚いたように目を見開く。
「わたくしが……ですか?」
「ええ。ご迷惑ならば、けっこうですが」
 王太子にそう言われて、辞することができる相手など、この国に存在するはずもなかった。
「めっそうも……」
 目を伏せてささやきながら、フェシリアは右手を広い手のひらへとゆだねた。
 二人が広間の中央へ歩を進めると、自然にあたりから人が身を退き、広い空間ができた。それまで会話の邪魔にならぬ程度に音量を押さえていた楽団が、二人のために新たな曲を奏で始める。
 フェシリアの装いは、白い絹を使った簡素なそれだった。長く引く裳裾も、ふくらみを押さえたおとなしいものだ。だがよく見ると全体に淡い色の絹糸で、植物を意匠した縫い取りがびっしりと施されていた。袖がなく、むき出しになった形の良い腕に、淡い藤色の薄衣を羽織っている。一部を結い上げ残りは背中に流した髪と胸元に、みずみずしい生花を飾っているのが、見る者に清楚な印象を与えた。
 長身で体格の良いエドウィネルと、ほっそりとしたフェシリアが寄り添っていると、彼女の身体は完全に腕の中へ収まってしまうようだ。
 目に心地よい一対の姿に、そこここからため息が漏れる。
「昼間には、恐ろしい目に遭わせてしまったそうで。大変申し訳ありませんでした」
 ごく自然にフェシリアを導きながら、エドウィネルがそうささやきかけた。周囲の目からは、柔らかく微笑んでいるようにしか見えないだろう。
 フェシリアはちょっと首を傾げたが、同じように小声で答えを返した。
「そのようなことは……騎士団の方にも、お守りいただきましたし」
「お怪我がなくて本当に良かった。今後あのような騒ぎが起きぬよう、警備を厳しくさせております。どうかこれで王都は恐ろしい場所だなどと、思われぬように願えれば、と」
「 ―― はい」
 深みのある低音に耳元でささやかれて、フェシリアは恥じらうように面を伏せた。
 そうしてしばらく、二人は黙ったままで踊り続けた。
 やがて ―― 曲も半ばを過ぎた頃になって、フェシリアがためらいがちに口を開く。
「あの……殿下」
「なんでしょう」
「どうして、わたくしを……お誘いになられたのですか」
 言葉を選ぶように、問いかける。
 エドウィネルは質問の意味をはかりかねたらしい。二、三度ゆっくりとまばたきした。
「なぜ、とおっしゃると」
「わたくしは、殿下と十一も離れておりますし……」
「あぁ」
 そういう意味かと、ようやくエドウィネルはうなずいた。そうして苦笑する。
「だからこそ、と言っては失礼に当たりますか」
 意外な返答に、フェシリアは王太子を見上げた。
「あなたと私は年も離れているし、何よりあなたはコーナ家の後継であられる。つまり、フェシリアどのであれば……その、お誘いしても無用な期待を抱かせずにすむかと思いまして」
 答えるエドウィネルの表情には、困ったような、あるいはいたずらをして後ろめたく感じているかのような、どこか子供っぽいものがにじんでいた。
 この宴は、事実上エドウィネルの伴侶探しの場となっている。下手な相手の手を取れば、それだけでその女性を次期国王妃として認めたことになりかねなかった。
 実際、それを期待する姫君やその親族達の思惑が、宴を開始する以前からエドウィネルへと集中していた。彼の手元には、正妃として選ぶにふさわしい姫君達の名簿が、事前に届けられているほどである。
 もちろん ―― エドウィネルとてそれは承知していた。もはや時間がないことも、痛いほどに理解している。
 だが、いざこの場に臨んで、美しく着飾った姫君達の姿を目の前にして ―― どうすればいいのか、とっさに判断が付かなくなってしまったのもまた事実だった。
 いったいどういった基準で、どの姫を選ぶべきか、と。
 誤解なきよう言っておくが、エドウィネルとてまったく女性との経験がない訳ではない。成人した貴族男子として、それなりのものは重ねてきている。だが、それらはあくまでたしなみというか、あるいは大人のつき合いとでも表現するべきか。けして婚姻を前提としたものではなかったし、また彼が王太子という立場にある以上、相手も過ぎたものを求めてくるようなことはなかった。
 それを、こうしていきなり己と相手の一生を ―― それどころか、ひいてはこの国の行く末をも左右するような決断を突きつけられてしまっては、いかに覚悟を決めていたとはいえ、尻込みするのも当然のことだろう。
 だが……だからと言って、いつまでも姫君達を無視しているわけにもいかない。少なくとも、踊りのひとつもせずにいれば、周囲の気とて収まらないだろう。
 とにかく誰かを……と真剣に悩んだあげく、ふと目に止まったのがこの少女であったのだ。
 コーナ公爵家公女、フェシリア=ミレニアナ。
 この少女であれば、と。
 年の離れた、しかも既に国内屈指の大貴族の家を継ぐことが決定している人物だ。彼女を王妃にと望んでいるとは、誰も考えなどすまい。
 そしてコーナ家公女をさしおいてまで、エドウィネルに近づくなど、そんじょそこらの姫君にできることではなく ――
 ようするに、一種の防波堤である。
 エドウィネルの言わんとすることを理解して、フェシリアは口元を小さくほころばせた。
「わたくしは王妃の座を望んでいないと、そうお思いなのですね」
「望んでおられるのですか」
「望まぬ女がおりますか? この国でもっとも高貴な、女性としてこれ以上はない、至高の座ですもの」
「至高の座、ですか。あなたにとって、それは公爵家を継ぐことより魅力的なのですか」
「それは……」
 当然なのではないか、と。
 この場合、そう答えることこそふさわしかろうと口を開きかけたフェシリアは、エドウィネルの眼差しに、ふと言葉を切った。
 翠緑の、萌えいずる若葉色の瞳。
 彼女を見つめる双眸に宿る感情は、どこまでも穏やかで ―― そしてどこか一抹の寂しさを感じさせるそれだった。
「殿下?」
 そっと呼びかけると、エドウィネルは目をそらさぬままに、小さく笑んだ。
「フェシリアどのは、アルス公爵領をご覧になったことがありますか」
 唐突な言葉に、一瞬相手の意図をはかりかねる。
「いえ……」
 かぶりを振った彼女に、エドウィネルはそっとうなずいた。
「そうですか。では機会があったら、是非いらっしゃると良い。コーナ公爵領とはまた違いますが ―― とても、良いところです」
 その言葉の持つ響きに、フェシリアは思わず目を見はっていた。
「……美しい、ところですの」
 問い返す声がわずかに震えたのは、なにも深窓の姫君を演ずるが故のことではなかった。
 答えるエドウィネルの瞳は、どこか遠くを見つめるような、深く、澄んだ光をたたえている。
「ええ、とても……私はもう、何年も足を踏み入れてはおりませんが」
 呟くその青年が、十年以上も前、アル・デ=アルスを ―― アルス公爵家次期継承者を名乗っていたことを、果たして何人が記憶しているだろう。
 叔父を、叔母を、そして従兄弟を次々と失っていった彼に、目の前の玉座を拒む権利は与えられなかった。
 誰もが声をそろえて彼の幸運をうらやんだだろう。
 国内屈指の大貴族とはいえ、あくまで臣下にすぎなかった公爵家の跡継ぎから、至高の玉座を約束された立場へと、労せず駆け昇った少年を。
 だが ――
「……コーナ公爵領も、それは素晴らしいところですわ」
 ややあってから、フェシリアはそう口にした。
「わたくしは、あの土地を愛しておりますの。あの土地を守り、住まう民達を裕福に、富み栄えさせることこそ、わたくしの願いなのです」
 己の望みは、己が継ぐべき領地の繁栄。それを、自分自身のこの手でもたらすこと。
 だから……
「よく ―― 判ります。フェシリアどの」
 互いに視線を見交わし、そうして彼らは同時に笑みを刻んだ。
 目線の高さも、瞳の色合いもまるで異なる二対の眼差しが、よく似通った光をたたえて互いの姿を映す。
 楽団の演奏する曲が、間もなく終わろうとしていた。
「よろしければ、もう少しおつきあいいただけますか?」
「 ―― よろこんで」
 交わす言葉は、どこか楽しげな、共犯者めいたものを含んで響いた。


*  *  *


 夜が更け、そろそろ日付が変わろうかという時刻になってもなお、人出はいっこうに収まるきざしを見せなかった。
 城下町と王宮内を隔てる幾つかの門のうち、大通りの突き当たりに位置する、もっとも使用頻度の高い大手門は、建国祭のあいだ夜通し開放され、例年多くの人間でにぎわっている。
 常であれば、門に近づいただけで追い払われるような物売り達の姿もあちこちで見られ、いくらか離れた場所からは、出店がずらりと軒を並べた。
 警備の兵も幾人かいるが、彼らもまた祭りの喧噪に心を奪われており、見張りなどほとんど行われていないような状態が通例だった。だがそれも無理はあるまい。目の前で呑めや歌えやの大騒ぎが繰り広げられているというのに、彼らだけ真面目に仕事をしていろと言われても、そうそう緊張が続くはずもなかろう。
 だが ―― 今年は少しばかり様子が異なった。
 人出も周辺のにぎわいも、例年と同じ明るいそれだ。しかし、門を固める兵達は、みなぴんと背筋を伸ばし、周囲に向ける視線も緊張に満ちている。傍らへ立てた槍を握る手に、こもる力。いつ異変が生じても、即座に対応できる構えである。
 通りがかる人々はそこだけ祭りに取り残されたかのような雰囲気に、一様に息を呑んで行き足をゆるめた。
 だが、彼らはすぐに自分達の楽しみを思い出し、再び人混みの中へと歩を進めてゆく。
 開いたままで固定された分厚い門扉に背中を預け、ロッドは行き交う人々を眺めていた。
 腕組みして立つその姿を、警備の兵達が時おりちらちらとうかがっている。
「あの、ロッドさん」
 近くにいた兵の一人が、意を決したように声をかけた。
 ロッドは無言のまま、目だけでそちらを見やる。
「もうずいぶんになりますけど、交代はされないんですか」
 ずっとそうしていては、お疲れでしょう。
 そう口にする兵の表情は、言葉通りに彼を気遣うそれであった。
 まだ陽も暮れぬ頃、王宮内に妖獣が現れるという騒ぎが生じて、人の出入りする各門の警備を厳しくするよう、通達がまわってきた。とはいえ、人間の体内へ身をひそめて侵入する妖獣など、一般の兵達に発見しろと言う方が無理な話である。困惑する彼らの元へやってきたのが、対妖獣騎士団セフィアールの一員である、この青年であった。
 自分達も手分けをして見張りにつく。異常が感じられた場合には、指示するから手伝えと言いおいて、彼が門の傍らに居場所を定めてから、既に長い時間が経過していた。
 いくら今のところは何もなく、ただ立っているだけとはいえ、それでも相当に疲労しているはずである。自分達でさえ既に幾度か交代をしているというのに。
「ああ……まぁ、腹は減ったが」
 ぼそりと呟いたロッドの言葉に、兵士の一人がはじかれたように反応した。
「なんか買ってきます!」
「あ、おいっ」
 勤務中だぞ、と別の兵が止める間もなく、その男は出店の方へと一目散に走っていった。
 ロッドと最初に彼へ声をかけた兵の二人は、唖然としたようにその後ろ姿を見送った。やがて、どちらからともなく苦笑いを漏らす。
「……そこまで飢えてるように見えたか?」
「いえ、その。まぁ気を遣ってるんだと思ってやって下さい」
 くすくすと笑っていた兵は、やがてふと真顔になってロッドを見返す。
「でも本当にお疲れでしょう。せめて中に入って休まれてはいかがですか」
 槍の穂先をかたむけて、門の傍らに設置された警備兵の詰め所を指し示す。狭い小屋だったが、腰を下ろす場所ぐらいはあった。
「んな見通しの悪ぃとこじゃ、見張りになんねえだろうが」
「ですが ―― 」
 なおも言おうとするが、ロッドはひらひらと手を振って話を打ち切る。
「言われなくても、交代が来たらさっさと休むさ」
 誰が必要以上に働くもんかい。
 そううそぶく。だが、この男が『必要なだけ』はきっちりと働くことを、周囲にいる兵達は誰もが承知していた。彼らは騎士団内や宮廷で、ロッドがどのように評されているかなど、まったく知りはしない。彼らはただ、自分達が自分達自身の目で見知ってきたことだけをもとに、この男を強く信頼していた。
 と、
 ロッドがふと顔を上げ、王宮の方を振り返った。組んでいた腕をほどき、軽く手を挙げる。
「よぅ」
「交代だ」
 小走りに近づいてきたのは、ロッドと同じ破邪騎士の一員 ―― カルセストだった。
「そら」
 持っていた包みを無造作にロッドへと押しつける。
「お、気が利くじゃねえか」
 ロッドは中身をのぞき込んで、にやりと笑みを浮かべた。青野菜と白身魚の包み焼きパイに、香辛料を利かせた冷肉、それから発泡酒を詰めた甕。どうやら祝宴の料理を持ち出してきたらしい。
 背をもたれたまま、ずるずるとその場に腰を下ろし、さっそく酒の封を切った。
「お前……せめて中で食べるぐらいしたらどうだ」
 行儀の悪い、とため息をついてから、カルセストはあたりの兵達に軽く挨拶した。応じて兵達も、代わる代わる会釈を返す。
「あ ―― 」
 出店の方から戻ってきた兵が、戸惑ったような声を上げて立ち尽くした。その手の中には、紙袋からこぼれんほどの揚げパンや串焼き肉などが抱えられている。
 と、ロッドが身体をかたむけるようにして隠しを探った。
「俺のおごりだ。お前ら分けて喰え」
 指先で弾いた数枚の硬貨が、回転しながら紙袋の中へ落ちた。
「見張り忘れんじゃねえぞ!」
 わっと歓声を上げた兵達に怒鳴って、それからちらりと傍らを見上げる。
「なに見てやがる」
「え、いや ―― 」
「……本来、妖獣相手の見張りはセフィアールがやるべきことだ。余計な仕事増やしたぶん、これぐらいはしてやっても良いだろうよ」
 視線を手元へと落とし、小さな声で呟いた。
 思わぬ差し入れに夢中の兵達は、誰ひとりその言葉には気づかない。
「祝宴には出ないのか?」
 未だ城内では、華やかな宴が続けられている。カルセストはいちおう訊いてみたが、返ってきたのは「めんどくせえ」という一言だった。この男の場合、どちらかというと宴をさぼる良い口実として、見張りを引き受けたふしさえある。
 しばらく料理を食べるロッドと見張りをするカルセストの間に、沈黙が流れた。
 やがて、カルセストがためらいがちに口火を切る。
「その……訊きたいことが、あるんだが」
「ぁんだよ」
 口の中身を酒で流し込んで、ロッドはひとつげっぷする。
「亜人について、詳しく教えてくれないか」
 その言葉の響きに、ロッドは眉を動かしてカルセストを見上げた。前を向いたままのカルセストは、それに気づかず言葉を続ける。
「そういう ―― 我々とは見た目の違う人種が存在するというのは、訊いたことがある。外国、特に東方や南方諸島などでは、島全体がそういった種族で占められている所さえあるとも。だけど……」
「だけど?」
 語尾を上げるようにして繰り返すロッドに、困惑したようなため息をついた。
「俺は今まで亜人なんて会ったことなかったから、よく、判らないんだけど。その……なんていうか……」
 うまく説明ができないらしく、懸命に言葉を探す。
「扱いが悪い、ってか」
 ぼそりと言ったロッドを、カルセストははっと見下ろした。
「お前いま、よく判らないっつったな」
「あ、ああ」
「馬鹿野郎が」
 乾いた口調で、ごく無感動に呟かれた言葉。
 カルセストはとっさに返すことができなかった。
 いつものように、嘲りに満ちた物言いだったなら、怒りとともに言い返すことができる。せせら笑うかのように、皮肉な目を向けられたのであれば、ふざけるなと怒鳴りつけることができる。
 だが、昼間向けられたそれと同じ、突き放すかのようなその声音は、どこかひどく心に突き刺さるものがあった。
 唇を噛み、拳を握りしめ……しぼり出すようにして口を開く。
「馬鹿のままでいたくないから、訊くんだ」
 己が無知であるとお前は言うのなら、それを克服することに力を貸してくれても良いだろう。無知を無知だと酷評することは、誰にだってできることだ。自分は無知を克服したいから、こうして質問をする。ならばそれに答えるのは、知識を持つ者の義務ではないのか。
 他人を罵る権利を持つ人間は、同時にそれを許されるだけの知恵を、伎倆をもっているからこそではないのか、と。
「…………」
 ロッドは酒の甕を持ち上げると、ゆっくりとかたむけた。仰向いた喉が、数度大きく上下する。
 それから甕を傍らに置き、手の甲で唇を拭った。
「セフィアールの術力ちからってのは ―― 」
 唐突に語り始める。
「要するに、この大陸に本来住まう生き物達……つまり人間や動植物だな。それら以外を、滅ぼすたぐいのものだ」
 ことりと頭を背後へ預け、夜空をふり仰ぐ。
 赤々と燃える篝火の炎に邪魔されて、きらめいているはずの星々は、ほとんど目にすることができなかった。
「星から墜ちてきたこの世ならぬ生き物。すなわち妖獣は、もともとこの世界にいるべき存在ではない。故に滅ぼすべし、ってな。だが……どうしてそんなことが言い切れる?」
「 ―― え ?」
「妖獣妖獣って言うけどよ、中には人間に害を及ぼさない種類だっているんだぜ。それどころか、逆に役立つようなものだっている。たとえば馬なんて、もともとはこの大陸にはいなかったそうだし、他にも穀物だとか蚕だとか……本来あるはずじゃなかったものなんてのは、それこそいくらでもある」
「何が、言いたいんだ……」
 問うたこととはまるで関係がない、だがどこかひどく怖ろしい話を聞いているような気がして、カルセストは掠れた声で問い返した。
 ロッドはまぁ聞けと言うように、手を挙げてみせる。
「つまりな、妖獣かそうでないかってぇ境目なんざ、実際の所ははっきりしちゃいないってことなのさ。問題になるのは、はたして人間にとって無害なのか、理解ができる存在なのかって部分でな」
 言ってる意味が判るか? と訊いて、いったん言葉を切った。
 そうしてしばらく間をおいてから、再び口を開く。
「……亜人ってぇのは、別にことさら有害だったって訳じゃなかろうよ。だがな、人間ってやつは、てめえと違う存在をほいほい受け入れられるほど、心が広かねえ。むしろ下手に似通った相手であれば、あるほどにな」
「それって、まさか ―― ッ」
「この国の内陸部じゃ、亜人はほとんど見られねえ。理由は、そう言うことさ。本来この大陸に存在するはずのなかった生き物は、セフィアールの力で滅することができる。海を渡ってきた亜人も然り。そうしていつしか、妖獣の意味はすり替わった。妖獣だから滅ぼせるのではなく、『滅ぼせる』からこそ妖獣なんだ、ってな」
 妖獣は、セフィアールの力で滅することができる。
 ならば、セフィアールの力で滅ぼされる、亜人もまた、妖獣なのだ、と ――
「そん、な……それじゃあ……」
 震える手でカルセストは口元を覆った。その唇は、血の気が引いて真っ白になっている。
「もちろん昔の話さ。もう何代も前の王が、故なくして亜人を害すべからずって、国中に通達してる。だが、人間そう簡単にゃ意識も変わらねえし、まして元々は、お上の配下たる破邪騎士サマが、率先して虐殺をやってたんだからな」
 壁に手をついて、ロッドはゆっくりと立ち上がった。
 両手をかざすようにして、大きく伸びをする。そうして、カルセストを見下ろした。
 青ざめたカルセストの顔つきに、苦笑いして肩をすくめる。
「信じられねぇってツラしてるな」
「だっ、て……そんな、ことは」
 カルセストはかぶりを振ってうつむいた。
 そう簡単に納得できるような内容ではない。自分が信じていたものが、足下から崩れていくような心地さえ覚えた。もしもそれを真実だと認めてしまったら、自分は……そしてセフィアール騎士団は……
「だったら自分で確認してみろ」
「え……」
「てめえは字だって読めるし、耳だって聞こえるだろうが。当時の国王は恥ってもんを知ってたらしいからな。記録も文献も、しっかり残されてる。自分の手で調べて、納得いかなけりゃ国王にでも騎士団長にでも訊きに行け。何を信じて何を信じないか、てめえがてめえで決めろ。何も知らないまま決めつけるな。見たこと聞いたことを鵜呑みにもするな。自分の考えは ―― 」
 言葉の途中で、ロッドは足を踏み出した。
 はっと顔を上げたカルセストの目に、遠ざかってゆくその背中が映る。
「自分が、自分で選ぶんだな」
 ―― 差し入れ、ごちそうさん。
 ひらひらと肩越しに振られた手が、やがて腰の剣へと落ち、その姿は人混みの間へと紛れてゆく。


 呆然とそれを見送ったカルセストは、やがてため息をつくと、先ほどまでのロッドと同じように門扉へとその身をもたれかけさせた。
 持ち上げた手のひらへ凝然と視線を落とし、そうして握った拳を、額へと押しあてる ――


― 了 ―

(2002/01/02 18:48)
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