<<Back  Next>>
 楽園の守護者  第八話
  ―― 南方の姫君 ―― (後編)
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 フェシリア公女によるドロケア市内の視察は、とどこおりなく進んだ。
 執政官じきじきの案内のもとに、行政や金融、福祉や交易に関わる各施設を見てまわり、説明を受ける。公女の周囲はレジィをはじめとした護衛が固め、あらかじめ予定された通りに市内を移動していった。
 もっとも視察とはいうものの、わずか数刻ばかり仕事ぶりを眺めたところで、何が判るはずもなく。実際の所は形式的な意味合いが強かった。
 コーナ公爵家の次期後継者たるフェシリア=ミレニアナは、ようやく十五になったばかりの年若い姫である。
 この国において、継承権に性別の区別はなかった。セイヴァン王家は長子継承を原則としており、国民もおおむねそれにならっている。フェシリアは現在のコーナ公爵家内で最年長の子供であり、次期継承者エル・ディ=コーナとして、正式に王家へと届け出られていた。
 ここで現在と断るのには理由がある。かつて、公爵家の嗣子としてアル・デ=コーナを名乗っていたのは、長男であるロドティアス=ティベリウスであった。コーナ公爵を父に、そして現セイヴァン国王カイザールの次女セルマイラを母として生まれた少年は、国内でも指折りの高貴な血筋の持ち主だった。
 事実、カイザールの後継者たるべき子供達が次々と命を落としていった後、本来であれば彼こそが立太子していたはずだった。
 しかし ――
 さきの王太子ディルシオが、破邪のさなか妖獣に喰い殺されるより一年ほど早く、ディルシオと双児の兄妹だったセルマイラは、船旅途中の嵐により、帰らぬ人となっていた。そして、同じ遭難でロドティアスもまた行方知れずとなり ―― 遺体こそ見つかってはいないものの、既に十六年が過ぎたいま、その生存を信じている者は一人としていなかった。
 一度に妻と唯一の息子を失ったコーナ公爵は、間もなく後添いをめとった。それがフェシリアの母親である。
 現在コーナ公爵には側室を含めた三人の妻と、二人の子供がいる。フェシリアとは腹違いになる、側室との間に生まれた公子は、いまだ6歳という幼さだ。
 コーナ公爵自身は、既に50代。まだ老境にさしかかるとまでは言えぬが、それでも若さを過信できる頃合いでもない。次代の女公爵へと、なにかと働きかけようという人間が多いのも当然のことだった。
 文字通り手を取るようにして施設を案内する執政官を、レジィは表情のない瞳で眺めていた。フェシリア自身はどのように感じているのか、与えられる説明に小さくうなずきながら、ゆっくりと歩を進めている。いまだ幼さを残していながらも、高貴なその所作と繊細な美貌とに、訪れた施設で働く者達はみな、一様に声を失っていた。柔らかな微笑みとともに二三の言葉を与えられると、感極まったようにこうべを垂れる。
 ―― 視察というより、売名行為のようなものだな。
 レジィは胸の内で呟いた。
 公爵領の外れに位置するこのあたりは、領主家に連なる人間が訪れるなど、滅多にないことだった。せっかくここまで足を伸ばしたのだから、領地の様子を見てまわるのは、上に立つ者として当然の努めだろう。だが……
 寄り添うように歩む執政官と公女の姿を目にして、はたして市民達はどう思うだろう。
 姫君の美しさと優しさに心を打たれ、公爵家に対する忠誠を高め ―― そうして、傍らを歩む執政官は、公爵家の信頼厚い人物として、皆の心に刷り込まれるのか。
 最後の施設を出ると、既にあたりには薄闇に沈み始めていた。
「少し遅くなってしまいましたな。急がせるとしましょう」
 執政官は馬車に乗り込むフェシリアへと手を貸した。そして己の乗馬に向かいながら御者へ指示を出す。応じて御者が鞭をくれ、馬車は周囲をかこむ護衛の兵達ごと進み始めた。
 と、
「ひめさま!」
 唐突に、施設の玄関から駆けてくる人影があった。
 御者は反射的に手綱を引き、回り始めようとしていた車輪が、再び動きを止める。
 一行を呼び止めたのは、まだほんの幼い幼女だった。この施設 ―― 孤児院に集められている、身よりのない子供達の一人だ。引き止める手を振りきってきたらしく、後ろの方では職員達が、畏れ多さに顔を青ざめさせていた。そんな大人達の様子も知らぬげに、幼女はぱっちりとした瞳をきらめかせ、馬車の窓を見上げてくる。小さな両手には、しっかりと鉢植えの花が抱えられていた。
「あのね、ひめさま。これ!」
 背伸びするようにして、懸命に花を差し出す。
 どうやら優しい言葉を掛けてくれた美しい貴人に、せめてものお礼をしたいらしい。
 紗幕の掛かった窓の内側で、影が動いた。ほっそりとした手が幕に掛かり、そっと持ち上げる。柔らかな微笑みを向けられて、幼女は顔を輝かせた。
「レジィ=キエルフ」
「は」
 澄んだ声で名を呼ばれ、レジィは素早く馬を下りた。馬車へと近づき、幼女のそばに膝をつく。
「私から公女さまにお渡ししよう」
 間近で頬の傷を目にした幼女は、一瞬怖れるように身をすくめた。だが視線の高さを合わせて笑いかけたレジィに、やがておずおずと鉢植えを手渡す。
「きれいな花だ。君が育てたのか?」
「 ―― う、うん! そうなの」
 問いかけに、元気良く答える。
 そうかとうなずいて、そっとその背を押した。もう行くようにと促され、幼女は手を振って戻ってゆく。鉢を手にそれを見送ったレジィは、立ち上がって馬車を見上げた。どうするかと目で問いかけると、窓越しに手が差し招く。
 近づこうとしたレジィの耳に、異音が響いた。
 レジィだけではない。周囲にいた者すべてが、固いものの折れる鈍い音を耳にする。そうして、悲鳴が上がった。
「公女さまッ!?」
「フェシリア様!」
 大きく傾いた馬車の扉が内側から弾かれるように開き、フェシリアの身体が投げ出されてくる。
 レジィはとっさに腕を伸ばしていた。ほっそりとしたその肢体を受け止めるように、両腕を広げて石畳を蹴る。
 どさりと地面へ転がったとき、フェシリアはレジィの胸の中にあった。忠実な臣下は、己が下になるよう、身をひねって公女を護っている。
「お、御怪我はございませんか!?」
 執政官があわてふためいて飛んできた。
 フェシリアを抱き起こそうと手を伸ばす。が、それよりも早く、公女は手をついて上体を起こした。長い黒髪が乱れ、細い肩からレジィの胸元へと散っている。
「わたくし……は、大丈夫です……」
 衝撃に血の気の引いた唇に、それでも気丈な笑みをたたえてみせる。
「でも……」
 気遣うように見下ろすフェシリアに、レジィは小さく微笑んだ。
「大事はありません。立てますか?」
 土埃に汚れた顔はいささか苦痛に歪んでいたが、それでも大きな負傷はなさそうだった。執政官の手を借りて立ち上がったフェシリアに続き、ゆっくりと身体を起こす。
「……つッ」
 顔をしかめて、背中のあたりを押さえた。そこには陶器の破片と土の塊がこびりついている。
 それを見たフェシリアは、形の良い眉をわずかにひそめた。
「ああ、花が……」
 裳裾が汚れることもいとわず、石畳へと膝を落とす。
 そっと伸ばされた指の先に、無惨に潰れた花があった。
 フェシリアを受け止めようととっさに投げ捨てられた鉢植えは、すっかり砕けてしまっていた。破片の上を身体が転がったこともあり、もはや植え替えてもどうにもならないだろう有様になっている。
 哀しげに花を手に取ったフェシリアは、顔を上げてまわりを囲む者達を見上げた。
「いったい、なにが起きたのですか」
 問いかけられた護衛達は、蒼白になって頭を下げた。
「そ、それが」
「馬車の車軸が折れ、て……」
「このようなことなど、ある、はずがッ」
 見れば馬車は、フェシリアが身体を寄せた側の車輪がはずれ、完全に傾いてしまっている。車輪同士を繋ぐ金属製の棒は、そう簡単に折れるような造りではないというのに。
 車軸を調べていた男達が、驚愕の声をあげる。
「どうした」
 レジィが素早く反応し、そちらへと向かった。押しのけるようにして場所を変わり、破損した個所をのぞき込む。そして、眉をひそめた。
「細工の跡だと……」
 小さく呟いた言葉に、皆が凍りついた。
 針が落ちても聞こえるような、恐ろしい沈黙が場に落ちる。
 フェシリアが、小さく肩を震わせた。
「もしも、この花を戴かなかければ ―― 」
 囁きは、消え入りそうなそれだったが、全ての者の耳にはっきりと響いた。
 執政官が、遅まきながら真っ青になる。
 もし……あのまま走り出していたならば、そして走行中に突然車軸が折れていたならば。
 フェシリアは無傷ですまなかったかもしれない。いや、それどころか、命すらもあやうかったはずだ。
「か、代わりの馬車を手配しろ! それから、今日この馬車に近づいた者を取り調べよ。すぐにかかれッ!」
 うわずった声で命を下した。
 このままでは、次期市長の座どころか、己の首さえも保証はない。
 必死の形相で差配する執政官をよそに、レジィは主君へと寄り添い、そっと手を取って立ち上がらせていた。


*  *  *


 すぐに用意された代わりの馬車で、一行はすみやかに市庁舎へと戻った。
 執政官は手の者を総動員して、細工を行った人物の捜索に当たることを約し、慌ただしくフェシリアの前から退出する。
 レジィもまた、バージェスを始めとした部隊の者に情報収集を命ずると、自身は公女に付き添ってその滞在している部屋へと姿を消した。いかに信頼をおいた騎士とはいえ、公女が私室にまで伴うのは、けして外聞が良いとは言えないことだ。だが、市長に引き続き、執政官までもが失態を犯した状況で、気分を害しているだろう公女に物申す勇気を持っている者は、一人として存在しなかった。
「レジィさま。どうかこちらにお召し替えを」
 幾つもの続き間になっているうちの一室で、レジィは侍女から替えの衣服を受け取った。レジィが着ている服は、フェシリアを受け止めて転がったときに、泥にまみれてしまっている。おまけに割れた鉢の破片により、ところどころが破れていた。厚地の布でしっかりと仕立てられていたおかげで、怪我こそ無かったが、それでも公女の御前でいつまでも着ていていいような状態ではなかった。
「ありがとう、リリア」
 なじみの侍女に、レジィは小さく微笑みかけた。応じて相手も親しみをこめた笑みを返す。
 襟を緩めボタンをはずしてゆくと、リリアは後ろにまわって、上着を脱ぐのを手伝った。絹の手袋をはめた細い手が、肌着越しにその背中をそっと撫でる。
「本当に大丈夫ですの? ひどくぶつけられたのでしょうに」
「まあ、痣にはなるかもしれないけれど……それぐらいは慣れていることだから」
 言いながら、レジィはリリアを振り返った。
 厚手の上着を着ている姿からは想像もつかぬ、細い肩をしていた。袖無しの肌着から伸びる二の腕など、はっとするほどのきめ細かさだ。白いうなじにかかる、ほつれ毛の繊細さ。そして、薄い肌着を押し上げている、胸元のまろやかなふくらみ ――
「そのようなこと、おっしゃらないで下さいませ」
 広げた上着を差しだして、まだ十七、八と見える年若い侍女は眉宇をひそめた。
「レジィさまがお気になさらずとも、わたくしが、そして姫さまが哀しく思いますわ。もちろん姫さまをお守りすることが、第一だとは存じておりますけれど……」
 もう少し、ご自分を大切になさって下さいませ、と。
「まったくだぞ、レジィ」
 唐突にかけられた声に、ふたりははっと顔を上げた。
 見れば、居間へと続く戸口に人影が立っており、着替えとそれを手伝う二人の姿を眺めている。
「あまり肝を冷やさせてくれるでない」
 胸の前で腕を組み、とがめるようにため息をつく。
「それは……申し訳ございませんでした。フェシリア様」
 上着を羽織っただけの状態で、レジィは主君へと向き直り、頭を下げた。
「きちんと受け止められれば、無用の御心配などおかけせずにすんだのですが、いかんせん非力なこの身なれば……」
「そなたの非力など、いまさら言うまでもないことであろう?」
 いかに鍛えたところで、女の身に屈強な男と並ぶ膂力りょりょくなど得られようはずもない。
「……は」
 眉を寄せて首肯する女騎士を、フェシリアは表情を緩めて差し招いた。
「まあよい。おかげで私は傷ひとつ負わずにすんだのだからな。素直に礼を言おう。さ、こちらで休むがいい」
「はい」
 促されて、レジィも相好を崩した。招かれるままに居間へと足を踏み入れる。
 先に寝椅子へ身を投げ出すようにしてもたれたフェシリアは、どこかぞんざいな仕草で向かいの椅子を示した。応じてレジィはためらうことなく腰を下ろす。
 いかにそば近くに仕えることを許された騎士とはいえ、本来ならば考えられないような振る舞いだった。レジィの生家であるロミュ侯爵家は、コーナ公爵家とも縁が深く、レジィはフェシリアが幼い頃より遊び相手として傍らに置かれていた。が、それにしてもこれは無礼が過ぎる。
 しかし、フェシリアもレジィも、気に止めることはなかった。
 それどころか、フェシリアの仕草も表情も、昼間のそれとはうって変わった、くつろぎきったそれだ。
「まったく、先ほど出ていった執政官どのの慌てぶりときたら……」
 細い指を口元に当て、くつくつと喉を鳴らす。呟くその言葉の内容、皮肉に満ちた声音、そして細めた目元に漂う、嘲りの色合い。ほんの数刻前、視察を受けた者達を魅了した、柔らかくたおやかなそれらとはまったく雰囲気を異としている。
 柔らかさよりもむしろ鋭さを、たおやかさよりもむしろ目に灼きつくような鮮烈さを、見る者に感じさせる。 ―― だがそれ故にこそ、その姿はいっそう魅惑的で。
 頬に落ちる睫毛の影すらもが、いまはその意志の強靱さをあらわしているかのようだ。
 まさしく、この少女こそが、コーナ公爵家を継ぐ人間なのだ、と。
「御命を狙われたのですよ。笑い事ではございません。早急に相手を突き止めませんと」
「それならあの御仁がやって下さろうよ。……仮に特定ができずとも、それなら身代わりをたててでも、下手人を上げて見せような」
 伏せていた瞳を上げ、ちらりとレジィを流し見る。
「フェシリア様……」
 レジィは困ったようにため息をついた。
 だが、その表情に惑うような色はない。彼 ―― 否、彼女 ―― は、己の主人の気性をほぼ正確に把握していた。
「それでは意味がございませんでしょう」
 偽物を引き渡して口を拭われてしまっては、たまったものではない。そのような卑怯者を権力ある地位につけておくことも問題だが、それ以前に、同じことが何度でも起きるおそれを残してしまうことになるではないか。
 言うまでもないことだと判ってはいたが、それでもあえて口にしたレジィに、フェシリアは安心させるよううなずいてみせる。
「どうせ義母上ははうえの息が掛かった者だとは判っている。末端などひとつふたつ始末したところで、意味などあるまい? ならば形だけでも犯人を捕らえた方が、周囲の者は安心できるというものよ。それに ―― 」
 母親に命を狙われているのだと、あっさり口にする。そしてそのことに対して、レジィも、そして茶器を載せた盆を運んできたリリアも、驚いた様子は見せなかった。
 それは、彼らの間で既に周知の事実なのだ。
「あの執政官どのは清廉潔白とはけしていえぬが、さりとて手のつけられぬ愚物というほどでもない。どうせ私の口添えなど無くとも ―― よしんば私が死んで、下手人が上がらなかったとしても ―― 父上はあの男を次の市長に任命しただろう。ならば下手にとがめ立てなどして、いらぬ恨みを買うのも馬鹿馬鹿しいしな」
 もっともそれを正直に告げて、売れた恩をふいにするのはもっと勿体ない。ここはおとなしく怯えた様子を見せ、手柄を立てさせてやるのが双方のためというものだ。
「失礼いたします」
 リリアが二人の前に白磁のカップを置き、濃い緑色の茶を注いでゆく。
「良い香りだ」
「メルディア産の葉ですわ」
 主の言葉に、にこりと微笑んだ。
 彼女はフェシリアとはまた種類の異なる、繊細な美貌の持ち主だった。
 吹く風にも折れてしまうのではないかと思わせる、ひっそりとした雰囲気を身にまとっている。まるで硝子玉のような不思議な色合いの瞳。腰まで伸びる、まっすぐな癖のない銀髪は、虹のような光沢を放っている。肌の色は、不自然なまでに白い。
 異国の ―― 否、異人種の出だと、一目で判る姿だった。
 この侍女は、亜人と呼ばれる異人種のひとつ、有鱗人の血を引いていた。喉元から手首まできっちりと覆う侍女服を身につけているが、時おり動作の加減などでうなじに水色の鱗がのぞく。普段は髪の毛で隠されている耳元にも、よく見ると魚のひれのようなものがあった。
 セイヴァン国内で、亜人はほとんど見られない。特に内陸の方での存在は皆無と言って良かった。他国の船が出入りするコーナ公爵領ではそこそこ目にしたが、それでも貴族のそば近くに仕え、働いているというのは非常に珍しい。
 ポットを置いたリリアは、そのまま卓の脇へと控えた。
 フェシリア達の会話に口を挟む訳でもなく、しかし我関せずと聞き流している様子でもなく。ただ穏やかな笑みをたたえ、二人を見守っている、
 現在室内にいるのは、彼女ら三人だけであった。フェシリアが伴ってきた侍女はリリアだけだったし、執政官がつけようとした者達も、全て断っている。
 この三人の間には、他の誰も割り込むことのできないだろうものが流れていた。それは、たとえて言うならば共犯者同士とでも表現するべきだったろうか。身分も立場も、種族さえ異なるはずの彼女らの、しかしどこか親密さを感じさせる、空気 ――
「やはり……西の御方様には、そろそろなんらかの手を打つべきではございませんか」
 茶に口をつけたレジィが、潜めた声でささやく。
 西の方とはコーナ公爵の側室の一人で、フェシリアの異母弟ファリアドル公子の母親に当たる人物である。公爵邸の西翼を与えられていることから、そう呼ばれていた。ちなみにフェシリアの母親は北の方と称されている。
 茶器を取り上げ香りを楽しんでいたフェシリアは、やがて無言で杯を傾けた。
「フェシリア様!」
「まだ早い」
 短く呟く。
「証拠も揃ってはおらぬし、父上もまた私よりファリアドルを ―― 男児を後継にと望んでおられる。いま焦って動いては、廃嫡の口実を与えることにしかならぬわ」
「 ―――― 」
 いかに長子とはいえ、しょせんは女。まして彼女の容姿はどこまでも繊細で、事実レジィのように剣を振るうことができるわけでもなく、また領内の人間全てを従わせるような、圧倒的な支持力カリスマを持っているわけでもない。
 父、コーナ公爵は、いずれフェシリアを嗣子より下ろし、ファリアドル公子にアル・デ=コーナを名乗らせるつもりでいた。彼女が女であるという、ただその一事をもって。
 冗談ではなかった。
 エル・ディ=コーナとして、物心つく頃から育てられてきた。その立場に相応しくあれ、と自らを律し、また律され。その為にあらゆることを学び続けてきたのだ。誰よりもこの領地を愛し、そこに住まう領民を護るのだ、と思い定めて。
 そう、他でもない彼女自身こそが、コーナ公爵たらんと自らに定めたのだ。他の誰に強制された訳でもなく、そして他の誰にも、邪魔などさせる気はなかった。
 だが……その為には、まだ力が足りなかった。
 だからこそいまは足しげく領内を視察し、情報を集め、人脈を蓄えるのだ。その為にであれば他者とて欺こうし、利用したがるやからには利用されてやろう。夢を見たいというのならば、いくらでも見るが良い。
 だから、いつか来る私の世に権勢を振るいたいのであれば、その為にまず私を盛り立てよ、と ――
 幸い、公子はいまだ幼い。いかに公爵とはいえ、王家に届け出た嗣子を確たる理由も無く廃嫡する事はできなかった。時間は、まだ充分に残されている。
「明日の私は、衝撃で伏せっていることにする。おおかた執政官どのが見舞いにこようから、その折りには通してやれ。せいぜい頼りにしているよう、見せてやらねばな」
「承知いたしました」
 頭を下げるリリアにうなずき、レジィへと視線を移した。
「そなたは執政官どのと協力し、その動向を探れ。仮に偽物を上げられたとしてもかまいはせぬが、さりとてそれを知らぬのは業腹だからな。もしも、かの御仁の力が及ばぬようであれば、それとなく手助けしてやるが良い」
「御意」
 レジィもまた、姿勢を正して命を受ける。
「ああ、それから……」
「は」
「先刻の孤児院へ、使いを。代わりの鉢植えに、おかげで助かったという言葉を添えて、な」
「 ―― はい」
 答えるレジィの表情は、ひどく温かなそれだった。
 さっそく立ち上がり退出しようとする彼女を、フェシリアは腕を上げて止める。
「まだ時間はある。せめて茶を飲み終わってからゆけ」
 せっかくのリリアの心づくしだぞ。
 主の言葉に、レジィは上げかけた腰を再び落とした。
 冷めかけた茶は、それでもまだ、香りを失ってはいない。


*  *  *


 コーナ公爵家公女、フェシリア=エル・ディ=ミレニアナ=コーナ、この時十五歳。
 その側近たるロミュ侯爵家息女、レジナーラ=エル=キエルフ=ロミュは二十の年を数えた。
 そして……遠く離れた王都に座す、エドウィネル=ゲダリウスは既に二十六となっており、その祖父にして現国王カイザール=ウィルダリアは、六十九歳。


 世代交代の時期は、もう間もなく訪れようとしていた ――


― 了 ―

(2001/10/28 13:12)
<<Back  Next>>



本を閉じる

Copyright (C) 2002 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.