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 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第六章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 あたりを取り囲む村人達は、みな一様に尋常ではない気配を身にまとっていた。
 その数およそ百人足らず。老いも若きも、男も女も、およそ子供と呼ばれる存在以外はだいたいが取りそろっている。人数からいって、この村落に住む大人達のほぼ全てが集まっているのは間違いなかった。
 それらの人間が、農具や調理用の刃物など、なんとか武器になりそうなものをたずさえ、殺気だっているのだ。
 いや ――
 向けられているのは敵意ばかりではない。焦りと怯えを含んだざわめき。どこか捨て鉢めいた自棄じきさや、悲嘆さえもが感じられる。
 それはロッドが谷間で出会った男達の抱いていた感情と、質を同じくするもので。
「よう! 皆さんお揃いで、ご苦労なこったな」
 まともな神経を持つ者なら、圧倒され、声も出せずにいるだろう状況下で、ロッドは快活とすら呼べる表情で手を挙げてみせた。
 一歩下がった戸口にはアーティルトが静かに立ち、さらにその横でカルセストが不安げに村人達を眺めている。
「で? 物騒なものを持ってるようだが、いったい何の用だ?」
 わざとらしい問いかけは、答えを重々承知した上でのものだった。村人達もそれが判るのだろう。彼らをにらむ目がいっそう険しく変わる。
 やがて、どこかから叫ぶような非難の声が上がった。
「あ、あんたらなんぞになにが判る!」
「あげなバケモン相手に、わしらがどんな目におぅてきたかッ」
「都でぬくぬく暮らしてきた貴族サマらに、あたい達の気持ちなんて……」
 最初の言葉をきっかけに、村人達は堰を切ったようにわめき始める。
 が、口々にぶつけられる責め立てを、ロッドは薄笑いすら浮かべて受け流した。
 そうして彼は、持っていた包みを地面へと放り出した。布の端を掴んだまま、ぶちまけるようにして、村人達の前へとその中身を広げてみせる。
 無造作に投げ出された品々を目にして、シンとあたりが静まり返った。
 先刻までの騒ぎが嘘のように、みな凍りついたかのように動きを止め、散らばったものを凝視している。
 急に静かになったのに驚いて、カルセストはちょっと戸口から身を乗り出した。そうしてロッドの影になってよく見えなかったものを、視界に入れる。
 思わず、引きつった声を上げた。
「そ、それは……ッ」
 震える手で指差す。
 それは ―― 人間の片腕だった。
 既にしなび、半ば干涸らびかけた、肘から先。大きさからして、おそらくまだ年端もゆかぬ子供のものであろう、腕。
 よりにもよってそんなものを持ち込んでいたとは。いや、とりあえず問題とするべきはそこではない。こいつはいったいどこで、どうやって子供の腕など手に入れてきたというのか。
 こみ上げてくる吐き気をこらえ問いかけたカルセストに、ロッドは肩をすくめて人垣の一角を指差した。
「あいつが隠そうとしてたものさ」
 まっすぐに指し示されたその男は、反射的に身をこわばらせた。それからうろたえた自分を叱咤するかのように、ロッドと、そして己に注目した周囲の者をにらみ返す。
「隠すだって」
 つまり、それこそがさっき中断された話に出てきた、谷間で会った男達が持っていた包みだったというのか。広げられた中身には、他にも黒ずんだ染みのついた服の切れ端や、ちぎれた縄の残骸などが入り混じっている。
 アーティルトが足を踏み出した。前に立つロッドの傍らを抜け、地に落ちた腕の傍らへと膝を落とす。そうして恐れげもなく手を伸ばした。
「な、なにを……」
 ざわめく村人達の前で、アーティルトは細い腕を持ち上げた。
 しなびた皮膚に直接触れてはいない。彼が手にしているのは、その手首に巻きついた、縄の一端だった。水分を失い、骨と皮ばかりになった無惨な腕に、なおもがっちりとくい込むいましめ。ほどくことなどはじめから考えられてもいないだろうほど、その結び目は固く容赦のないそれだった。実際、この腕の持ち主は、囚われの身から解放されることなく、命を落としている。
 それが、意味しているのは。
 妖獣が現れ、人死にが出ているこの村において、自由を奪われたままに死んだ人間がいるということ。その遺骸が無惨に傷つけられ、長期間にわたり葬られることなく放置されていたということ。そして、子供の犠牲者がいることなど、村長らはロッド達に伝えようとせず、子供達もまた最近いなくなった仲間がいるとは一言もいわなかった。彼らは、その犠牲者の存在を隠そうとしたのだ。訪れた騎士達にも、そして村の子供にさえも。
 それが、意味することは ――
「生け贄、さ」
 良く響く声で告げられた内容に、村人は悲鳴のような声を上げた。
「こいつらは妖獣にエサをくれてやってたんだよ。飢えた妖獣が村を襲ったりしないように、先まわりしてな」
 逃げられないよう、地面に杭を打ち、荒縄でいましめ、妖獣の通り道に放置された生き餌。腹を空かせた妖獣は、村にたどり着くよりも先にそれを見つけ、飢えを満たして帰ってゆく。あとに残るのは、無惨に食い散らかされた残骸のみで ――
 カルセストがぐっと喉を鳴らした。
「……に、人間を、犠牲にしていたのか?」
「ああ。そんでもって、それがバレちまったってんで、大慌てで口封じにきたってわけさ」
 なあ? 御一同、と武器とも呼べぬ粗末な得物を持ち寄った村人を見やる。
 いかに人数で勝っているとはいえ、及び腰の農民などにロッド達をどうこうできようはずがなかった。仮に彼らが ―― 否、ロッドひとりさえその気になったなら、一村皆殺しにすることさえも可能なのだ。それだけの実力差が、両者の間には存在している。
 もっともロッドの揶揄など、カルセストは聞いていなかった。
「なんてことをッ」
 青ざめた顔を上げ、厳しい目で村人達をにらみつける。その視線を受けた者は、みな後ろめたげに目をそらせた。
 それは、誰もが明確には口にできずにいた言葉。認めまいと目をそらそうとしてきた罪科ざいか
 まっこうからそれをつきつけられ、彼らは一様にひるんでいた。
 ロッドはそんな一同を眺めわたし、ふんと鼻を鳴らす。
「そもそもおかしいとは思ったんだ。騎士団の出動を願ったってわりにゃあ、村の奴らの様子は妙だし? 村長の歯切れも今ひとつだ」
 言いながらゆったりと腕を組み、家の壁へと背中を預ける。
 険悪な雰囲気の中で、彼ただひとりが嫌味なほどに余裕のある態度だった。
「だいたい、ジジイよ」
 そう言って向けた視線の先に、ザンの姿があった。
 いきなり名指しされたザンは、ぎくりと身体をこわばらせる。
「なんだって孫を連れて村を出た?」
 重要な任務を帯びて遠出せねばならぬというのに、わざわざ足手まといにしかならぬだろう、足の遅い子供などを連れて。もしもテオの存在がなければ、たっぷり一日は早く村へと戻っていられたはずなのだ。
「そ、それは……」
 ザンはもごもごと口の中で呟いた。もっともロッドは答えを待ちなどしない。なぜなら既に答えは判っているのだから。
「要は手前がいないうちに、孫をエサにされたくなかったからだろうが。お前の帰りが遅ければ、あいつが次の生け贄だった。違うか?」
 だからこそ、ザンは邪魔になると判っている子供を伴い街へと向かった。だからこそ、村人達はテオがいないことを知って怒りを覚えた。ある刻限までにザンが戻らなければ、テオは妖獣へと差し出されるはずだったのだから。
 もっとも、ザンがうまく戻った場合は、テオの命も助かることになっていたのだろう。そうでなければ、ザンはテオを連れて戻りなどせず、どこかに預けるなりなんなりしたはずだ。
 では、それは何故なのか。ザンが破邪の騎士団を連れて来るからか? いや、それは違う。ロッド達の存在は、村にとってあくまでも予想外のそれだった。ザンの目的は、本来別のところにあったのだ。それは、いったいなんであったのか。
 はじめに妖獣が現れてから、既に数ヶ月が過ぎている。その間、巨大な妖獣の腹を満たすだけの死者が出ていれば、いかに口をつぐんだところで、子供達の耳に入らないはずがなかった。そもそもこの小さな村でそれほど人間の数が減ったなら、もはやこの村は村として機能しなくなっていただろう。
 導き出される答えはひとつしかない。
 彼らが差し出していたのは、村の人間ではなかったのだ。
「……おおかたどっかで適当なガキなり、食い詰めたチンピラなりを見つくろって、適当なこと吹き込んで連れてきてたんだろうよ。そうして妖獣にくれてやってたわけだ。それなら手前らの腹は痛まねえ。めでたしめでたしってな」
 組んでいた腕を解き、肩の高さで広げてみせる。
 村人達は言葉もなく、ただロッドをにらみつけるだけだった。あるいは怯え、互いにすがりながら小さく身を震わせる。その様は彼の言葉をすべて肯定するもので。
「なんだってそんなことをッ」
 耐えきれなくなったようにカルセストが叫んだ。
「妖獣が現れたというのなら、早く我々を呼べば良かったじゃないか! そんな、罪もない子供や、見ず知らずの人間を犠牲にするだなんて」
 信じられないと首を振って嘆く。ロッドは肩をすくめてそれに答えた。
「どうせこいつらはセフィアールの存在なんて信じちゃいなかったんだろうよ。おとぎ話か夢物語か。よしんば現実にいたとしても、助けてくれと嘆願しに行ったところで、こんな田舎の村になんか、やってきてくれるはずがないって思ってたんじゃないのか」
 王族より不思議の力を与えられ、銀の細剣を手に妖獣を滅する破邪の騎士達。
 王都に足を踏み入れたことはおろか、貴族の姿すら実際に見たことがないような村人達にとって、彼らの存在は架空のそれと変わりないものでしかなかった。まして、あの恐ろしい妖獣を相手にできる人間など、実在するとはとても信じられない。せいぜい詩人の語る英雄譚えいゆうたんや、昔語りの絵巻物に登場する人物という、その程度の認識なのだ。
 そして事実、アーティルトとロッドが無理を通さなかったならば、いま現在も彼らはここにいはしない。
「そんな馬鹿な……」
 カルセストは愕然として言葉を失っていた。
 彼にしてみれば、この国の根幹をなすセフィアールの存在を疑うなど、想像もできないことだったのだ。物心ついた頃から、当たり前にその存在を知り、憧れ続けた末に入団したカルセストだ。よもやセイヴァン国民で、そうでない者がいるだなどとは ――
「手前の尺度でもの見てんじゃねえよ」
 ロッドが小さく吐き捨てた。
 こういった情報の行き届かない地方の村が、どれほど中央から隔絶されていることか。
 無知なのは、何も彼らが愚かであるからではない。それはあくまで環境の問題なのだ。もっとも近い街まででも、訪れるのに丸二日を要する山中で、細々と自給自足の生活を営む彼らに、どうして日々の暮らしに必要なもの以上の知識を持てと言えるだろう。
「けど、だったら家畜とか、捕らえた獣でも使えば」
 なにも人間を犠牲になどしなくとも。
 カルセストの言葉に、ロッドはすがめた目で彼を見返した。
 とがめるようなその眼差しに、カルセストは虚をつかれる。そこで自分が責められる心当たりなど、まるでなかったのだ。
「家畜がどんだけ貴重な財産だと思ってる。一頭いれば乳もとれるし労働力にもなる。つぶせば一家で冬を越せるしな。獣だってそうだ。毛皮も脂肪も、骨のひとかけまで、使えねえ部分なんてないんだ」
 それ一匹で、何人もの人間が生きのびられるのだ。ろくに働くこともできない、たった一人の子供を救うために、どうして差し出すことなどできようか。
 ―― それは一種非情な計算高さ。命を数で計る、情け知らずな考え方だ。
 だが、極限状態に置かれたとき、人が選べる道などそう多くはない。個人か、それとも村全体のことを考えるか。そしてこの厳しく貧しい山間の土地で、集団からはじき出された人間が、たった一人で生きていくことなどできようはずもなく。
「そ、そうだ、仕方なかったんじゃ」
 一歩進み出たのは、初老の村長だった。
「谷に住み着いたあの化け物が、村を襲わんようにするためにゃぁ、なんとかしておとなしくさせておくしかなぁて。畑をつぶされれば、わしらは全滅だし、風車小屋ぁ使えんことにゃ、どのみちおんなしや。だ、だから……」
 枯れたような声で懸命に訴えてくる。
 村長である彼にとって、最大優先事項はこの村を守ることだった。見ず知らずの余所者の命など二の次である。大切なのは村の仲間であり、その平穏な生活がこの先も続いてゆくことだ。その為に他者の命を奪うことになったとしても、それはどうしようもない。何も好んで手を汚したわけではなかったが、それでも異なる二つのものを天秤にかけた時、彼らが選べるのは一方でしかなかったのだ。
「はっ、繰り言なんざ聞きたくもねえ」
 ロッドは手を振って村長の言葉を遮った。
「あと訊きたいことはひとつだけだ。 ―― ジジイよ」
 そう言って、再びザンの方を直視する。
「へ、へぇ」
「どうして今になって俺達を呼んだ」
 そう問いかけた。
「手前勝手の一方的な理論だが、それでもこれまではうまくやってきてたんだろうが。妖獣が現れたのはこの春からだって話だが、実際はそんなもんじゃあるまい? 五年か、十年……いや、もっとだ」
「ど、どうしてそげんことが」
「村の配置だ。要はこのクソ狭い限られた土地ん中で、何だってわざわざ畑にしやすい場所をほったらかしにしてるのかってことさ」
 開墾しやすく、用水の便も良い川沿いの肥沃な土壌を、畑にもせず家を建てるでもなく放置しているのは、明らかに不自然なことだった。収穫物を加工するための粉き小屋も、谷のそちら側に位置しているのにも関わらず。
 地形の問題から、風車の位置を変えることはできず、しかしどうしても生活の場を小屋から遠ざけねばならない理由があるとすれば。
「つまり、妖獣があの近辺に住み着いたのは、いまある家や畑が作られる前からってことだ」
 この村が、どれほど昔から存在し、その風車を拠り所としてきたのかは判らない。だが、おそらくは畑を耕し、粉を挽き、家畜を育て、子を産み ―― まるで時が止まったかのような、変わることのない単調で、しかし平穏な暮らしを幾世代も繰り返してきていたのだろう。
 どこからか恐ろしい妖獣が現れ、谷間に住み着いてしまうまで。
 建物も畑も、それまではもっと谷に近いあたりに作られていたはずだ。それが妖獣の被害を恐れ、少しでも離れた位置へと逃れようとし……けれど、風車小屋からあまりに遠ざかることは、逆に彼らの生活を危うくすることになってしまう。その葛藤を解決した結果が、現在の中途半端な村の構成であり、他者を妖獣の生き餌とするあさましい所行だった。
 村の構成自体をすっかり変えてしまうのは、一年や二年でできることではない。捨てられた建物や畑の痕跡すら見あたらぬとあっては、それこそ世代すら変わるほどの時間が流れているのではないだろうか。
「だから訊くのさ。どうして『いま』なんだ?」
 もう手を汚したくないから。孫の命が惜しいから。そんなきれい事など今さら言えるはずはあるまい。何年も同じことを繰り返し、現在の自分達の生活は犠牲にしてきた何十ものしかばねの上に存在しているという、汚れきった分際で、何を今さらあてにもしていなかった救いを求めようというのか。
 侮蔑を含んだ問いかけに、ザンは手をすりあわせるように縮こまる。
 己の一存で生け贄とする無力な人間ではなく、妖獣に対抗できるという騎士達を村に連れ込んだザンは、かたや村の罪を外部にさらそうとする裏切り者としてそしられ、また村全体の罪を代表する者として追究の矢面に立たされていた。
 身の置き所がなく、汗を流してひたすら身を小さくする老人に、ロッドはいらだたしげに舌を打つ。
「おい村長」
 問いの矛先を、村を代表する義務を持つ者へと移す。
「手前でも良い、答えろ。これまでと違う、何が起きた」
 蒼く燃える炎のような瞳は、言い逃れやためらいを許さぬ鋭さで村長を射抜いた。ぞくりと身を震わせた村長は、たどたどしく詰まりながら答えを返す。
「い、いつまでも眠らねぇんで」
「眠る?」
「いつもなら二三人喰えば、腹ぁいっぱいになって、また一二年がとこ寝ちまってたんです。けんど、今度はもう、十人以上も……」
「なるほど」
 うなずいたロッドは、くっと喉の奥で音をたてた。
「……そりゃおおかた、再生が終わったんだな」
「さい、せい」
「そうさ」
 きょとんとしたように繰り返す村長に、大げさに顎を引いてみせる。
「ルファルス ―― ってえのが、あの妖獣の名前だがな。あいつはかなり生命力が強いんだ。たとえば二つにぶちっとやれば、そのまま両方から残りが生えてきて二匹になっちまうぐらいにな」
 両手でものを引きちぎる真似をしながら説明する。
「で、だ。そうやって再生してる間は、できるだけ動かずひたすら傷を治すことに専念するわけだ。途中で栄養が足らなくなれば、とりあえずいくらか補給して、また動かなくなる。その繰り返しさ。そんだけでかい図体となると、完治するのにそりゃあ時間もかかっただろうよ」
 要するに手前らは、どこからか傷つき逃げてきた妖獣を助けてやるため、せっせと食事を用意してやってたってことだ。
「おかげさまをもって、どうやら全快したようだし? あとはもう喰えるだけ喰って喰って喰いまくろうってとこか」
 そこでロッドは、こらえきれなくなったように笑いだした。
「自業自得もいいとこだな!」
 高らかに声をあげて哄笑する。
 傷が癒えた以上、もはや奴が眠りにつくことはない。おとなしくしている必要など、もうなくなってしまったのだから。
「それって、もしもっと早く我々を呼んでいれば、手負いのところをあっさり倒せたってことか?」
 カルセストが、懐疑的な口調でとどめを刺した。
 ロッドの言葉に幾重にも衝撃を受けていた村人達は、それをきっかけに言葉にならないどよめきを上げて崩れた。ある者は頭を抱えてその場に座り込み、ある者は呆然と自失し立ち尽くしている。近くの人間にすがりついて号泣しているのは、かつて自らの子を差し出す羽目になった母親だろうか。
 みな自分達がやってきたことを完全に否定され、混乱の内に己を失っている。
「…………」
 無惨な遺骸の一部を元通りくるみ直したアーティルトは、とがめるような目でロッドを見やった。もう少し言葉を選ぶべきではなかったかと、無言で責める。
 いつの間にか笑いをおさめていたロッドは、うって変わった無表情でアーティルトの目線を受け止めた。深蒼の双眸が、静かに光って村人達を眺めわたす。やがて彼は、壁にもたれていた身体を起こし、歩き始めた。向かったのは村長のいる方向だ。
「おい」
 ぶっきらぼうにかけられた声に、村長は数拍おいてからのろのろと振り返った。
 表情を失ったその顔は、わずかな時間でいっきに老けこんだように感じられる。
「頼みがある」
「 ―――― 」
 その言葉にも、村長はほとんど反応を返さなかった。ロッドはむっと顔をしかめて、胸ぐらを掴む。
「いつまでも呆けてんじゃねえ!」
 がくがくと乱暴に揺さぶられて、ようやく目の焦点が合いはじめた。
「う……ぁ……」
 反射的に逃れようとした村長だったが、ロッドがそれを許すはずはない。ぐいと腕に力を込め、逆に間近からのぞき込むように顔を近づける。
「心配しなくとも、ちゃんと妖獣は相手してやるさ」
 まっすぐに目を見て告げる。村長はもがくのをやめ、ロッドを見返した。その目が己を認識していると確認し、ロッドはにやりと口の端を上げてみせる。
「倒せるかどうかまでは断言できねえが、なぁに、そうなりゃ俺達も奴の腹の底だ。大人二人も喰らえば、それだけお前らの被害も減る。悪い話じゃあるまい?」
「そ、それは。けんど……」
「お前らに頼みたいのは、あいつの面倒だ」
 村長が言おうとすることは無視し、立てた親指で背後の農家を指差した。もちろん、示しているのは家ではなく、その中で眠るレドリックのことだ。
「俺らは奴と闘うし、それがすんだらすんだで、のんびりここに居座ってる暇もねえ。王都から助けがくるまでの間、あいつが死なねえように見てやっててくれ」
 まあ昏睡状態だから、そうそうしてやれるようなことはない。せいぜい包帯を換えることと水分補給。あとはシモの世話ぐらいだ。それで助からないようなら、あいつもそれまでの命だったと言うことで。
「よしんば俺らがくたばって、まだ妖獣が暴れてるようなら、構うこたねえ。まずはあいつをくれてやれ。妖獣から国民を守るのがセフィアールとしての務めだ。あいつも本望だろうよ」
 少なくとも、それで一人の命が数日延びる。それでこそりっぱに務めを果たしたいうものだ。
「よろしく頼むぜ」
 言うだけ言って突き放す。
「ああ、それからもうひとつ」
 一度言葉を切り、目をあさっての方向へそらした。
「……妖獣に生け贄くれてやるなんざ、別に珍しいこっちゃねえ。多少のお咎めはあるだろうが、責任は知名度の低い騎士団にもある。早まって首くくったりするんじゃねえぞ」
 口早にそう告げて、背をむける。
 そうしてロッドは、もはや振り向くこともせず、再び農家の方へと大股に戻っていった。

*  *  *

 ずかずかと足早に歩いてくるロッドを、二人はそれぞれ複雑な表情で待ち受けていた。
「そういうことだ」
 その一言ですまし、さっさと家の中に入っていってしまう。愛想も何もない物言いに、カルセストはむっと顔をしかめ後を追った。
「おい!」
 卓に立てかけていた大剣に手を伸ばすロッドの背に、険のある声を投げかける。
 言いたいことは山ほどあったが、まず問題とするべきことがひとつあった。
「二人というのはどういうことだ!?」
 その問いかけに、ロッドは眉を片方動かす。どうやら意外な質問だったらしい。ぐるりと身体ごと向き直り、卓に腰を載せるようにしてカルセストを見やる。
「俺と」
 立てた親指で自身の胸をさし、
「そいつだ」
 拳を返して、戸口に立つアーティルトを指差す。
「どうして俺が入っていない!」
 叫んだ。
 カルセストが言っているのは、先刻ロッドが村長に言った内容のことだ。
『倒せるかどうかまでは断言できねえが、なぁに、そうなりゃ俺達も奴の腹の底だ。大人二人も喰らえば ―― 』
 と。
 妖獣に負ければ逆に喰い殺される。それは当然である。問題は、そこで何故に『二人』なのかだ。自分達は三人いる。カルセストとてれっきとした騎士団員の一人だ。妖獣を相手取るのにおくれをとるつもりも、ましてやぶれそうになったからと一人逃げ出すようなつもりもさらさらない。そんな無様な真似をするだなどと思われては、侮辱もはなはだしいというものだ。
「お前は連絡係だ」
 あっさりと言われ、カルセストは思わず眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「王都から助けを呼ぶっつっただろうが。どうせ連絡ぐらいは行ってるだろうが、タナトスに行った連中の帰りを待ってたら、何ヶ月かかるかわかんねえぞ。んな悠長なことしてて、もし俺らが負けたりした日にゃ、この村は全滅だ。それに、今回ばっかりはエドウィネルも呼ばねえと」
 寝台に横たわるレドリックを顎で指し示す。
 いくらそれなりの手当てを施したとはいえ、重態に変わりはないのだ。一刻も早く正式な治療が必要である。
 セフィアール副団長、ゼルフィウムなどは、手に負えないようであればしかるべき避難勧告を出せと命じていたが、はっきり言って逃げ場などどこにもなかった。
 重ねて言うが、ここは山間のわずかな土地にかろうじて住処を見いだした、隠れ里にも等しい貧村なのだ。近在に百人近くもの人間を受け入れてくれるような街も村もありはしない。そもそも道とすら呼べぬような山肌の踏み分けを、家財道具を抱えた女子供に歩めという要求からして無茶がすぎる。
 すなわち彼らは、今この時この場で、村人達を背にかばい戦わねばならぬのだ。そしてもし力及ばず倒れたその時のために、しかるべき善後策を講じておく必要がある。
 故にカルセストは村を発ち、至急王都へと連絡を取れというのだ。
「だけど!」
 ロッドの言うことは、腹立たしいが確かに正論だった。だが、それでも戦闘に参加できないことに不満がつのった。
「応援を乞うだけなら、何も俺でなくたっていいじゃないか。村人の誰かを行かせれば!」
 新米とはいえ、自分も貴重な戦力の一部なのだ。たかが助けを呼ぶためだけに、わざわざ出向く必要など……
「世間知らずの田舎者を使いに出して、上層部まで情報を届かせるのに果たして何日かかるやら」
 失笑する。
 実際、ザンがこうも早く彼らを連れて戻れたのは、偶然が重なったからに過ぎなかった。もしもあの夜、酔漢にからまれなければ。また、たまたまアスギルを訪れていたロッドとアーティルトが、宿舎を抜け出し下町を歩いていなければ。そして耳に届いた騒ぎを聞き流すことなく、駆けつけてやらなかったならば。おそらくザンは今もあの街で途方に暮れていたことだろう。
 たとえ首尾良く役所に訴え出られたとしても、粗末な身なりで要領を得ない話を繰り返す貧農など、あちこちたらいまわしにされるのが落ちである。
「仮にも貴族で騎士団員のお前なら、報告は最優先で王都にまわる。エドウィネルを寄こせっつう訴えも確実に通る。だからだ」
 『仮にも』というあたりが必要以上に強調されているとか、王太子殿下を呼び捨てるとは不敬が過ぎるとか、引っかかる部分はだいぶあったが、それでもそれ以上の反論を封じるだけの説得力がそこにはあった。
 沈黙したカルセストに、話はこれで終わりだと再びロッドが腰を上げる。
 ―― と。
「なんだよ」
 いつの間にか戸口を離れていたアーティルトが、荷から取り出したものをロッドへ突きつけていた。目を落とせば、巻紙と携帯用の筆記具だ。無理矢理それらを手渡し、それから左手の薬指にはめていた指輪を抜き取る。見せつけるように差し出された指輪は、銀の台座を彫り込んだ印章になっていた。意匠は交叉する二本の細剣と枝を広げる大樹。セフィアール騎士団の紋章だ。団員の証である利き手にはめた銀線の指輪とはまた別に、こういった紋章入りの装飾品を身につけることも、団員達の間では好まれている。一見しただけではありふれた銀細工と混同されかねない指輪と違い、至極判りやすく彼らの身分を保証してくれるものだ。
 ぱちりと音をたてて卓に置き、開いた両手で指文字を綴った。
「手紙だ? そんなモンでうまくいくわけが ―― 」
 言いかけたロッドを制し、さらに続けた。
「そうは言うけど、おま……」
 さらに口を挟もうとしたところで、びしりと指をつきつけ言葉を奪う。そうしてなおもしばらく手を動かし、やがてにっこり笑ってみせた。どうだと言うように、おとがいを持ち上げる。
 憮然とした面もちでアーティルトを見返していたロッドは、ややあってからはっと小さく息を吐いた。持たされていた紙とペンを、乱暴に卓へと放り出す。
「……さっさと書け。日暮れまでには谷に向かうぞ」
 そう言って、くるりと背をむけた。そのまま部屋の隅に置いてある鞍袋へと向かい、中をかきまわしはじめる。
 カルセストはぽかんとした顔で二人のやりとりを眺めていたが、アーティルトに手招きされ、そちらへと近づいていった。巻紙を開きペンを取ったアーティルトは、隅の方に小さく文字を記す。
『書状にて増援を要請する。騎士団の紋章が押捺されていれば、開封可能な者は限られてくる故、提出者に関わりなく確実に行政の上層部まで届けられる。心配は不要』
 流暢に整った、至極読みやすい字体。白墨や、枝で地面を引っ掻いた単語ぐらいしか見たことのなかったカルセストは、書記官にも引けを取らぬような達筆ぶりに目を丸くした。それから内容を理解し、ぱっと顔を輝かせる。
「俺も残って良いんですね!」
 声を弾ませるカルセストに、アーティルトも目を細めてこっくりうなずく。
「やかましいぞ。さっさと用意しろ」
 荷の中身をぶちまけ必要なものを取り出していたロッドが、うっとおしげに怒鳴った。
「あ、ああ。今やる」
 手際の良いアーティルトは、村長のところから全員の荷物を運び出してきていた。大半を占めた食料類は置いてきたとはいえ、けっこうな量はあったのだが。
 いつもなら気に障る偉そうな物言いを聞き流し、カルセストも自分の鞍袋へと向かった。アーティルトは椅子を引いて腰を下ろし、卓に紙を広げる。筆記具を持った手を口元にあて、文章を考えはじめた。
 ―― 夏の長い陽が沈むまでには、まだしばらくの猶予がある。


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