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 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第五章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 粗末な寝台の傍らに腰を下ろしていたカルセストは、耳に届いた物音に、はっと伏せていた顔を起こした。
 戸口を振り返れば、手に荷物を抱えたアーティルトが戻ってきたところだった。そしてその後ろに続いた男に、カルセストは思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「貴様ッ!」
 激昂とともに殴りかかった。
 あっさりとその拳をかわしたロッドは、逆にカルセストの足を引っかけた。たまらず倒れそうになるのを、横からアーティルトが抱き止める。
「がたがたうるせえんだよ」
 土がむき出しになった床にロッドが唾を吐く。アーティルトに掴まれているおかげで動けないカルセストは、そんな彼を射殺しそうな目でにらみつけた。
「ふらふら遊んでいた貴様に何が言える!」
 叫ぶカルセストをアーティルトが制する。身体の方向を変えられて動いた視界に、横たわるレドリックの姿が入った。怪我人のそばであることを思い出し、不承不承口を閉じる。
 おとなしくなったカルセストを解放し、アーティルトは倒れた椅子を起こした。そうして彼の肩を押して再度座らせる。負傷しているのはカルセストも同じなのだ。
 粗末な農家の寝台で眠るレドリックは、苦しげな荒い呼吸を繰り返している。全身に汗をかき、額に置いた濡らした手拭いも、すぐに熱くなってしまう状態だ。意識がないのを間近から見下ろして、ロッドは短く訊いた。
「容態は」
「……肩と腕が折れてる。多分、肋骨も何本か。脇腹がひどくえぐられてて、な、内臓にまで……ッ」
 思わず言葉が途切れる。
 このまま放置すれば、まず助からない深手だった。そもそも内臓をやられてしまっては、普通なら間違いなく致命傷である。
 彼らセフィアール騎士団の団員は、セイヴァン国王より妖獣を相手取るために必要な能力を与えられている。すなわち妖獣を滅する破邪の力と、そして自己治癒能力を。
 いかに彼らの技をもってしても、恐るべき妖獣を相手に全くの無傷でいるのは非常に困難だった。故に騎士団員達はみな、ある程度の肉体の強靱さを備えている。多少の傷であれば、常人の半分ほどの期間で完治してしまうし、出血や痛みに対する耐性もあった。
 だが、それにも限界がある。セフィアールの能力はけして万能でもなければ無限でもない。彼らがある程度以上の重傷を負った場合、その治癒には王族の助けが必要だった。そして今の時代、それが可能なのは国王カイザール=ウィルダリアと王太子エドウィネル=ゲダリウスの両者だけである。
 本来であれば、こういった破邪の任には必ず王太子が同行するはずだった。消耗した術力を補い、傷ついた騎士達を救うために。だが、自身は破邪の能力を持たぬ王太子を危険にさらすことは、騎士団員達にとって非常に心苦しいことだった。現に、カイザールの第一王子でありエドウィネルの叔父にあたるディルシオは、破邪のさなか妖獣の牙にかかって命を落としている。未だエドウィネルの後継者たるべき者が存在しない現在、そうそう彼を妖獣と間近く接する場へと向かわせるわけにはいかなかった。
 まして今回は、同時発生した妖獣の出没に、騎士団員達さえ満足に手がまわらぬ状態である。いまこの場にレドリックを救える者が存在しない事実を、恨むことはできなかった。
 いかに王族の助けがあればとはいえ、それが与えられる時に当人の息が絶えてしまっていてはどうしようもない。このままでは、保ってせいぜい ――
 拳を握ってうつむくカルセストをよそに、ロッドはレドリックの顔をしげしげとのぞき込んでいた。額に手をあて、掛けられた毛布を持ち上げ、血の滲んだ包帯を確認する。
「おい、そいつ外に連れ出せ」
 いきなりの言葉にカルセストは目をむいた。
「な ―― 」
 いったい何を、と再び立ち上がった彼の前に、アーティルトが手を出して止める。
「横でわめかれるのはうっとおしいし、ぶっ倒れられるのもごめんだ。どうせここにいてもなにもできねえんだろうが。出てろ」
 顔も上げずに言いながら、ロッドは手早く己の袖をまくり上げてゆく。
 その表情をうかがっていたアーティルトは、やがてひとつうなずくとカルセストの肩に手をまわした。そのまま出ていこうと力を込める。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。こんな奴、いったいどんな真似するつもりやら……」
 抵抗するが、アーティルトはその目をのぞき込むようにしてかぶりを振った。
「だけどッ」
 なおも言おうとしたが、彼は聞き入れなかった。強引に建物の外まで連れだし、戸を閉めてしまう。
「アートさん!」
 叫ぶカルセストを押さえたままで、アーティルトはつと会釈をした。離れた場所からおそるおそるこちらを見ていたこの家の主が、身をこわばらせあたふたと逃げてゆく。
「…………」
 カルセストはなおもしばらく暴れていたが、やがて傷に応えたのだろう。おとなしくなった。そっとアーティルトが力を抜いても、再び中に戻ろうとはしない。
「畜生……なんだって、こんなことに……」
 挙げた手で目元を覆い、小さく呟く。
 先刻受けた襲撃は、思い返すだに悪夢のような出来事だった。
 突如目の前に現れた、あまりにも巨大な妖獣の姿。聞いたこともないようなその異様さに、彼らはとっさに動くことさえできなかったのだ。狭い谷底に覆い被さるかのように降ってきたそれの、直撃を避けられたのはあくまで偶然で。
 大地を揺るがして着地したその震動に、一同はようやく呪縛から解放された。
 既に一度ならずその姿を見たことがあった村長とザンは、まだ覚悟ができていたのだろう。我に返ると同時に、必死になって逃げ出した。幸いにも妖獣は、まだ残っている獲物の方を優先したらしく、彼らの後を追おうとはしなかった。
 ゆらりと持ち上げられたその鎌首。子供の頭ほどもある複眼が虹色に光をはじき、頭部を上下に分断する裂け目にも見えるあぎとから、何対もの可動式の大あごが、ギチギチと音を立ててのぞく。

 キシャァァァアアアッ

 金属質の叫びが谷間を響き渡り、脳味噌をかきむしった。カルセスト達は思わず耳を押さえてその場に膝をつく。
 一度力を貯めるように頭部を低くした妖獣は、あたりをなぎ払うように首を振った。その一撃で、レドリックがはじき飛ばされる。崖に叩きつけられた彼は、そのままずるりと崩れ落ちた。横たわった肉体は既にぴくりとも動かない。
 かろうじて攻撃の範囲外にいたカルセストは、なんとか立ち上がった。ようやく細剣を抜いて構える。が、こんな化け物を相手に剣一本で対抗できるとはとても思えなかった。次は己の番なのだと戦慄する。
 上体を地に下ろした妖獣は、無数の節足をうごめかせカルセストに迫った。幾重にも連なった大あごが、涎をしたたらせながらその長さを伸ばす。
 妖獣の鳴き声が再びあたりの空気を震わせた。
 目前で大きく身をのけぞらせた妖獣を、カルセストは呆然と眺める。
 その背にアーティルトの姿があった。
 首 ―― と表現するべきかどうか。頭から数えて二番目と三番目の体節の継ぎ目に、逆手に構えた剣を深々と突き立てている。細く華奢な造りのそれは、破邪の力を帯びて淡い光を放っていた。
 一人離れていたために妖獣の襲撃を免れたアーティルトは、それ故に衝撃から立ち直るのも早かったのだ。崖をすべり降り、小川を渡り、かろうじてカルセストを救うのに間に合う。
 体内に直接力を流し込まれて、妖獣は苦痛に暴れまわった。大きく振りまわされ、さしものアーティルトももぎ離されそうになる。懸命にしがみつくその姿に、カルセストは大きく息を吸った。細剣を構え直し、精神を集中する。
「うわあああっ」
 無我夢中でつっこんでいた。振りかぶった手の中で細剣がまばゆく輝く。
 のたうつ妖獣の右側の節足を、カルセストの剣はごっそりと切断した。固い外殻を持った図太い節足が、ぼとぼとと地に落ちて跳ねまわる。
 ひときわ大きくもだえた妖獣から、アーティルトの握っていた剣が抜けた。地に転がった彼は、しかし受け身をとって素早く起きあがる。
 息を弾ませて向き直ったカルセストに、妖獣はそれ以上攻撃してこようとはしなかった。残った半分の右足と無事な左足を動かし、恐ろしい速さで逃走に移る。呆然と見守る彼らの前で、川沿いに下流へと向かった妖獣は、やがて崖を這い上がり、曲がりくねる岩壁の向こうへと消えていった。
 後に残されたのは、瀕死の重傷を負ったレドリックと、やはり無傷ではすまなかった二人の騎士達ばかりで。
 逃げた村長とザンが戻ってくることはなく、しかしレドリックをそのままにしておくこともできなかった。仕方なく彼らは、傷ついた身体に鞭打ち交互にレドリックを背負って、もっとも谷に近かった農家へと運び込んだのだった。そうしてカルセストがありあわせの物でできるだけの手当を施している間、アーティルトが村長の家へと、置いてきた荷を取りに走っていたのである。
 突然怪我人を運び込まれた農家の者は、血まみれの彼らにおそれをなしたのか、家を飛び出したきり遠巻きに様子をうかがっているだけだった。少しでも薬や清潔な布などを欲していたカルセストだったが、村人達はまったく協力してくれない。仕方なく無断で家の中を物色したが、それでもたいしたものは見つけられず、せいぜい傷口を洗って縛るぐらいしかできなかった。そうして無力感に駆られていたところへ、ロッドを連れたアーティルトが戻ってきたのだ。
「…………」
 アーティルトは慰めるように数度カルセストの肩を叩くとその場を離れた。
 遠ざかる気配に顔を上げると、馬を指笛で呼ぶところだった。どうやら彼は、村長の家から騎馬で飛ばしてきたらしい。繋ぎもせずほったらかされていた馬は、主に呼ばれて草をんでいた頭を持ち上げた。そうしてとことこと近づいてくる。
 鼻面をすり寄せるのを撫でてやって、くつわに手を掛けた。戸口近くまで導いて、出ている杭にその手綱を巻きつける。
「……二人乗りで来たんですか」
 よく見れば馬が一頭しかいない。どこか遠くまで行ってしまったのかとも思ったが、乗り手はともかく馬は王宮で用意された、訓練の行き届いた軍馬である。勝手に行方をくらますようなことなどするはずがない。
 カルセストの問いにアーティルトは首を横に振った。きょろきょろとあたりを見まわし、落ちていた小枝を拾い上げる。
『前で、会った』
 地面にそう書き、家の前を走る道を指差す。
「前でって……あれ? それっておかしくないですか」
 どうしてまた、あいつがこんな村はずれにいたのかと思いかけて、ふと首を傾げる。
 ロッドは村の中に残っていたはずで。もしたまたまこのあたりを歩いていたのだとしても、それならばアーティルトが村長の家へと向かっている間に顔を合わせたのではないか。この村は街中とは違い、視界をさえぎるような建物などほとんど存在しないのだ。青藍の外套をまとう騎士の姿は、遠目でも充分に認められたはずである。たとえロッドの方が無視しようとしたとしても、アーティルトの方で捕まえ、早くカルセストの元へゆくか、共に村長の家へ行き馬をひくかを選ばせたはずである。あるいはたまたま、村長の家へ入ったアーティルトが再び出てくるまでにロッドがこちらへ歩き始めたとしても、それならば騎馬のアーティルトが途中で追いつき、二人乗りになったのではないか。
 どちらにしても、ちょうどこの前で出会ったというのはおかしい気がする。
『彼は、谷から、来ていた』
 おそらく妖獣との戦闘の跡を見つけたのだろう。外套をひるがえし走っていたロッドは、騎馬姿のアーティルトを認め、足を止めて待った。それがちょうどこの家の前だったのである。
 土に書かれた文字を読み、カルセストはますます疑問を大きくする。
「あいつが村を出たとしたら、俺達よりずっと後でしょう? なのになんで谷の方から現れるんですか」
 その疑問にはアーティルトも答えられない。互いに詳しい事情など話している余裕もなく、ただレドリックが負傷したということを伝えるしかできなかったのだ。
『おそらく、なにか、していた』
 ガリガリと枝で地面に記す。
 それがどんなことかは判らないけれど。だけどきっとなんらかの事情があったはずだ、と。
 ためらうことなく文章を綴る。
「…………」
 枝を動かすアーティルトをカルセストはなんとも言えない表情で眺めた。
 カルセストにとって、アーティルトは信頼に足る人間だった。彼の言葉であれば、無条件で信じようと思える程度に。だが、それがロッドに関わることとなるとまた話は別だった。
 ロッドの騎士団内での評判は極めて悪い。粗暴、粗野。礼儀や協調性など欠片もなく、団員同士で交流するどころか、訓練に出席することさえまれな男だ。口を開いたかと思えば、他人を不快にするような罵りや嘲りをまき散らし ―― 好感を持てという方が無茶なぐらいである。
 同じ平民からの特例入団者であっても、アーティルトとは正反対だというのが、騎士達の間でロッドの話題が出たときの決まり文句だった。
 穏和で勤勉。人当たりが良く、常に努力を怠らないアーティルトは騎士団内での評価も高い。その出自故に、他の貴族達から不当な扱いを受けそうになった時なども、団員の誰かがかばうのが常だった。ある意味、ロッドともっとも対局にあると考えられているのがアーティルトなのだ。
 それなのに……
 昨日からの行動を見ていると、彼ら二人は思っていたよりずっと近しい間柄にあるようだ。少なくとも、アーティルトはロッドにある程度良い印象を抱いているらしい。そしてロッドもまた、アーティルトに対しては他の団員が相手の時とは違った態度をとっている。傍若無人なところは変わらないが、それでもどこか、なにかが違うような。
 ロッド=ラグレーという ―― そのふざけた響きの名が、はたして本名なのかどうかも定かではない ―― 男を、アーティルトはどんな風に思っているのか。そしてロッドの方は……
 物思いに沈んでいたカルセストは、アーティルトがふと動いたことで我に返った。
 後を追って視線を向ければ、ロッドが開いた扉に手を掛けて立っている。
「終わったぜ」
 そう言って、顎をしゃくる。ひどく、けだるそうな仕草だ。
 カルセストははじかれたように室内へと飛び込んだ。身をずらしたロッドの脇を抜け、寝台のそばへとまろび寄る。
「レドリックさんっ?」
 室内の空気には新しい血の匂いが混じっていた。
 寝台の横に置かれた卓には、鮮血の染みた布が幾枚も丸まっている。が、毛布を掛けられたレドリックの姿は特に乱れた様子もなく、傷にも新しい包帯が巻かれていた。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねえっつうんだ」
 うっとおしげに言いながら、ロッドは空いた椅子に腰を下ろした。その動作も、常になく疲れているように見えるそれだ。元通りに袖を下ろした腕で、短い髪をかき上げる。
 深く息をつく彼に、アーティルトが皮袋を差し出した。口金がとりつけられたそれは、酒を入れて持ち運ぶためのものである。ロッドは何も言わずに受け取り口をつけた。
「…………」
 無言でねぎらうアーティルトと、ごく自然にそれを受け止めるロッド。
 二人の姿に、カルセストはとっさに言葉が出てこなかった。寝台に置いたその手の横では、レドリックが深く静かな呼吸を続けている。顔色はまだかなり悪いが、容態は確実に良くなっているようだ。
「 ―― しばらくは保つだろうよ」
 息をついだロッドが、そう呟いた。
 移動させるのは無理だろうが、それなら王都に連絡を取って王太子の出馬を乞えばいい。あの男であれば、多少行き来に不便な場所であっても、躊躇なくやってくることだろう。そもそも王太子だと名乗っている以上、それは当然のつとめだ、と。
 なんと言うべきかしばらく迷ったあげく、ようやくカルセストは口を開いた。
「……礼を言う」
 小さく、しかしはっきりと言って頭を下げる。
 自分達が妖獣と闘っていたあいだ、この男が一人で何をしていたかなど知らなかった。そもそも実際に何かをやっていたという保証もありはしない。どのみち、何も言わずふらふらと好き勝手に動いていたロッドへの不快感は、そう簡単に消えるものではなかった。
 だが、それでも。
 いまこの時、彼の手当てがなければ、レドリックはもっと苦しむ羽目になっていただろう。たとえ最終的に王太子の助けが間に合わず、彼が命を落とすことになったとしても、それでもいだく苦痛が和らぐに越したことはない。
「手前に礼言われる筋合いはねえな」
 素っ気のない言葉が返ってきた。
 思わずカッとなって顔を上げる。と、ロッドは首をねじ曲げ窓の外の方を見ていた。その横に立つアーティルトが、立てた指を唇に当ててみせる。そうして微笑みながら肩をすくめた。
 いたずらっぽいその仕草に、カルセストはパチパチと目をしばたたく。
 首を傾げるカルセストと、そっぽを向いたままのロッド。場にしばしの沈黙が下りる。
 やがて、アーティルトがたたえた笑みを苦笑に変え、ぽんとひとつ手を叩いた。その音にひかれ、二人の視線がアーティルトへと集まる。
 そうしておいて、アーティルトはこれまでの情報を交換するべく、カルセストを手招いた。


「ったく、だから言わんこっちゃねえんだ」
 妖獣に襲撃されたときの話を聞き終えたロッドは、舌打ちと共にそう吐き捨てた。
「どういう意味だ」
 侮蔑に満ちた物言いにカルセストが気色ばむ。卓の反対側に座るカルセストを、ロッドはすがめた目で見やった。
「確かに長虫型のほとんどは、そうでかくならねえ。だがな『ほとんど』ってえのは、裏っ返せば『そうでない奴もいる』って意味になるんだよ。特にルファルスは馬鹿みてぇに再生能力が強い分、変異体になる可能性も高い。実物を見るまで油断は禁物ってことさ」
 まるで出来の悪い生徒に教えるような口調だ。見下す響きを隠そうともしないそれに、カルセストはますますいきり立つ。
「まあ、メギドならその心配もだいぶ減るけどよ」
 だから最初に問うたのだ。首の色はどうだったか、と。
「そ、それならそうと、はっきり言っていれば」
「は! 妖獣なら同じだと言い切ったのは、あの馬鹿だろうが。そりゃぁ? 結局どっちかは判らなかったんだから、『同じ』ように用心すりゃ良かったんだし? 間違っちゃいねぇわな」
 それがメギドであれルファルスであれ。どちらも倒すべき存在である以上、全力をもってこれに当たるのがセフィアールとしてのつとめである。先入観による油断や、まして手抜きなどはもってのほか。レドリックがやられたのは、あくまで彼自身の未熟さ故だ。
「……ッ」
 反論したいのはやまやまだったが、とっさに言葉が出てこなかった。思わずこぶしを握って肩を震わせる。
 険悪になった場を救ったのはアーティルトだった。彼はずいと両者の間へ割って入り、ロッドに向かって手指を動かした。
「過ぎたことを問題にしても時間の無駄だ? 言うじゃねえか」
 あざけるように声を高くするロッドを、手の平をむけて制する。
「これからどうするか話すのが先? 戦力が減った分、作戦が必要?」
 ロッドはアーティルトの指文字を、いちいち語尾を上げるようにして繰り返した。アーティルトは右手の指を二本揃えて立て、その手で己の左胸を叩いてみせる。そうしてロッドを指差してから、口の前で握った手の五指を開いた。
「今度は俺が話せってか」
 大きくうなずく。
 二人のやりとりを、カルセストは目を丸くして見ていた。
 アーティルトが指文字を使うのは知っていたが、ロッドがそれを読めるとは思ってもいなかったのだ。それもこうもすらすらと。
 カルセストの困惑をよそに、ロッドはひとつ息を吐いて、再び皮袋の酒に口をつける。
「まあな、けっこうおもしろい話は仕入れてきたさ」
 がたつく木の卓に肘をつき、顎を支えながら語り始める。


*  *  *


 ―― 時刻は少し戻る。
 ロッドが川に沈めていた籠を持ち上げると、子供達はわっと歓声を上げてその周囲に群がってきた。
 まだ水を滴らせる枝の間からは、身をくねらせる川魚の姿がのぞいている。
「どうだ、ちゃんと獲れただろうが」
 胸を張って見下ろすロッドに、子供達はまとわりつくようにして尊敬の目を向ける。
「すげえ。なんで入ったのがにげちまわないんだ」
「編み方にコツがあるのさ」
 口々に問うてくるのにそう答え、膝まで川に浸かっていたロッドは、ざぶざぶと水を蹴立てて岸へ上がった。そうして無造作に籠をひっくり返す。三匹ほどの魚が草の上に落ち、勢い良くはねまわった。後を追ってきた子供達は思わず身をひく。ロッドは苦笑して短剣を抜き、柄で魚の頭を殴っていった。途端に魚は動かなくなる。
 手早く頭を落とし腹を割って、はらわたを引き出し川に捨てた。軽く身を洗ってから、乱暴にぶつ切りにしてゆく。
 三匹とも肉片の山になったところで、刃を拭って鞘にしまった。それから一切れつまみ上げ、口の中に放り込む。
「そら」
 お前らも食えと、手近な葉にのせたそれをつきだした。
 ざわりと、子供達の間に動揺が生まれた。みな戸惑ったように目の前に出された生肉を眺める。
「……え、ええの?」
 せっかく獲れたものに、自分達までが手を出して。
 ひとりが代表して問いかけた。
「お前らも手伝ったんだ。山分けすんのが道理だろ」
 魚籠を水面下に仕掛けた後、その中へ魚が逃げ込むよう、全員で水をはね飛ばして追い込んでいったのだ。だから捕れた獲物は皆の共有財産。平等に分け合うのが当然というものだ。
 もう一度促されて、子供達はおそるおそる手を伸ばした。
 生魚など初めて食べるものだったが、彼らは別に、それゆえ遠慮していた訳ではない。食糧の不足している昨今、子供達はみな常に腹を空かしている。全員で分ければ、ひとり分はほんの二三切れにしかならなかったが、貴重な肉片を彼らは少しずつ口に入れて噛みしめた。
「うまいか」
 問いかけられて、こくこくとうなずく。口をきく手間すら惜しんで、舌に広がる滋味を堪能した。
 やがて、彼らが放り出した籠を物欲しそうに眺めているのに気がついて、ロッドは再びそれをとりあげた。
「言っとくが、こいつは使い捨てだ。すぐに枝が乾いて割れちまうからな」
 ぽんぽんと、手のひらではずませる。
 途端に子供達の顔が落胆したものになった。あまりに判りやすいその反応に、ロッドは声を上げて笑う。
「自分で作りゃいだろうが。木ぐらいそこらになんぼでも生えてるだろ」
「けんど、コツがあるって」
 ついさっきそう言ったばかりではないか。
「ああそうさ。コツさえ判りゃ、そう難しいこっちゃねえ」
 そう言って、ずいと一同に顔を近づける。
 ―― 知りてえか?
 内緒話をするように声を低めた。
 つられるように、子供達も地面に手をつき顔を近づける。
 ―― うん。
 ―― 教えてやってもいいぜ?
 ―― ほんとに?
 ―― ああ、ただしな……
 ひそひそと交わされるささやきは、どこか秘密の色を帯びていて。
 子供達の胸をわくわくとときめかせる。


 しばらくの後、ロッドは年かさの子供二人を道案内に、せまい山道を歩いていた。
 歩くというよりも、ほとんど這い上がるといった方が近いかもしれない。村を囲む崖の中で多少勾配の緩やかなあたりを、下生えや岩のくぼみなどを頼りによじ登っているのである。
 鬱蒼とした雑木に視界をさえぎられ、いま自分がどのあたりにいるのかも良く判らない。土地の者でもなければ、とてもではないが通ろうなどとは思わないだろう獣道だ。
「こん道を使えばさ、粉ひき小屋ぁちゃんといけるんだ」
「けんど、荷物もってはよぅ歩けせんけん、大人ら、誰も通らんだわ」
 少年二人は、その体重の軽さを生かしてひょいひょいと足がかりを伝ってゆく。確かにこんな道では、鈍重な者なら、たとえ手ぶらであっても立ち往生しかねない。まして穀物を詰めた袋や、ずっしりとした粉などを担いでは、とても行き来できたものではなかった。
 もっともロッドは別だった。長い手足を枝葉に引っかけることもせず、重い大剣を背中に負い、少年達とほとんど変わらぬ速さで後をついてゆく。その身軽さに、むしろ子供達の方が驚いていた。
「さっすが騎士サマは違うわ」
「んだ」
「はっ、言っとくがな、俺はその中でも特に強いんだぜ?」
 偉そうに言い切るその声も、息を乱れさせてさえいない。
 自信に満ちた、いっそ傲慢なまでの物言い。他の騎士達がそれを耳にすれば、むっと眉をひそめたことだろう。だが純朴な子供達にとって、その揺るぎなさはむしろ憧れの対象となった。こんなふうに、誰はばかることなく己を誇示できるほど、強く、賢くなってみたいと。そしてそんな男の道案内をつとめられるということに、ほのかな誇らしさをも感じていた。子供同士のささやかな、しかし一種熾烈な争いでその権利を勝ち取った二人は、そろってくすぐったげな笑みを交わす。
「しっかし、なんだってまた小屋と村とがこんなに離れてるんだかな。もっと近けりゃ、いちいち荷車ひいて、えっちらおっちら行かなくてもすむだろうによ」
 なぁと同意を求められて、栗色の髪をしたそばかすだらけの少年 ―― ヤナ、といった ―― は大きくうなずいた。一呼吸おいて、灰色の髪に藍の目をしたトガノも、遅れを取り戻すようにせわしなく首を動かす。
「おらっちゃもそう思うんだけんどさ、大人達はこれでええっちゅうんだ」
「なんや危ないだなんだゆうて、あそこにゃ近づいちゃならんて」
 好奇心旺盛な子供達にとって、風力で石臼を動かすその仕掛けは、ぜひ近くで見物してみたいもののひとつだ。うかつに近寄らせて、何かの弾みに歯車や臼に手足を挟んだりしては大ごとである。しかし、そんなことを口頭で注意したところで、彼らが潜り込むのを止めようはずもなく。
 だが ―― かと言って多少がとこ村からの距離をあけたところで、それが子供達に対する抑止力になるかというと、とても効果があるとは思われないのだが。だいたい、たかが子供のいたずらを防ぐという理由だけで、村落の構成そのものを変えるだなど、無駄も良いところである。こういったほぼ自給自足で暮らす生活共同体において、わずかでも生産を増やすことは最大優先事項である。目の前にある肥沃で開墾も容易な土壌を、差し迫った理由もなしに放置するなどあり得るはずがなかった。ロッドの目から見たこの村の土地利用は、どうにも解せないそれだ。
 しかも……
「お前ら、ほんとになんにも聞いてねえのか」
 二度目になるその問いかけに、ヤナとトガノは最初の時と変わらぬ、きょとんとした表情で答える。
「騎士さまやちゃぁ来んさった理由なんて、おらっちゃにわかるわけねえが」
「テオとこのじいちゃんがご案内してきたゆうけど、村長らが、なんぞお願いしたげな?」
 大人達の間で何か取り決めがあったかもしれないが、それも彼らのような年端もいかぬ者達にはまるで知らされていないという。村人を集めて行われる会合に出席できるのは各戸の家主だけであったし、その内容を知らされるのも、成人し働き手として認められた ―― おおむね十五、六以上の ―― 者だけだった。
 しかし、いくら直接教えずにいたところで、この狭い村内で妖獣が出没し、あまつさえ喰らわれた犠牲者まで発生しているというのに、そんな大事件を子供達が聞いたこともないだなどということが、果たしてあっても良いものだろうか。
 大人とは別の観点を持つ子供達の口から、妖獣について新たな情報を得ようと考えていたロッドは、妖獣の存在すら知らなかったという彼らの言葉に、かなりの困惑を覚えていた。重ねて言うが、子供とは好奇心が大きい。たとえどんなに大人達が隠そうとした物事でも、ちょっとした失言や、子供に甘い一部の者の言葉など、わずかな事柄から探りあててしまうものである。
 それが全くないとなると、村人達はよほどの厳重さで口をつぐんでいるのだろう。だが、それだけの理由がいったいどこにあるというのか。むしろ危険から遠ざけるためにも、子供達にはあまり出歩かぬよう、きびしく注意する必要があるぐらいだというのに。
「そういや、テオの奴はどうしたんだ。さっきいなかっただろう」
 名前が出て、ふと思い出した。
 珍しいよそ者に興味をひかれ、集まってきた子供達。その中に彼の姿がなかったのだ。
 滅多に村の外へと出ることのない村人達の中で、実際に街へと行って来たばかりの少年。しかも丸一昼夜を、おいそれとは近づきがたい、騎士達と共に過ごしてきたのだ。大人達と別れてすぐに、よってたかっての質問責めに合うだろうことは容易に予測できた。なんならロッドと接触を図るのに、先頭に立ってやってきてもおかしくない。
 村にたどり着く頃には、それでもびくつくことはなくなっていた少年の姿を思い浮かべる。
 村長の家に入ってすぐ、彼とは別れていた。旅の疲れがでて、あのまま休ませてもらっているのだろうか。いや、あの年頃の子供であれば、そんなやわなことはないだろう。すぐにでも仲間のもとへとゆき、見聞きしてきたものを自慢げにしゃべりそうなものなのだが。
「テオならガイんちやないか?」
「うん。ガイの母ちゃん、えらい怒っとったし」
「なんかやったのか」
 いたずらでもかましてから、そのままザンにくっついて村を出ていたのか。
「うんにゃ。なんかおっちゃんが出かけてるあいだ、テオは留守番してガイんとこにあずかってもらってる約束だったんやと」
「テオのやつ、父ちゃんも母ちゃんもいねえし」
「なのにじいちゃんといっしょに行っちまったみたいだっつうて、大騒ぎしてたから」
 ずるいよな、あいつばっかり。
 ふたり顔を見合わせて同意する。
「怒ってた、ねえ……」
 口の中で呟く。
 やがて、先を登っていた少年達が、立ち止まってロッドを振り返った。
「騎士サマ、騎士サマ」
「もうちょっとやで」
 手招きしてくるのに、足を早める。
 子供達が立っている場所は、それまでと違って平坦になっていた。茂った樹木のおかげでせま苦しいが、それでも三人が充分に肩を並べることができる。
「ここからちょっこ歩いて、ほら、あすこ」
 トガノが指差した先。木立の間から、地面が大きく崩れ落ちているのが見えた。幾度も蛇行している谷川と、まっすぐに山を突っ切ってきた獣道とが、その部分でぶつかっているのだ。そして崖が崩れているおかげで、そこから谷へと下っていくことができる。
「なるほどな」
 妖獣についての情報が得られぬのであれば、せめて風車のあるあたりのことでも訊こうかと問いかけたロッドに、子供達は実際に道案内すると言い出したのである。正規の道とは別に、もっと早くたどり着ける方法があると言われて興味を覚えたロッドは、知っていて損はないとうなずいたのだ。
「そこを下りて、どっちだ」
「右だよ」
「水が流れていくほう」
 争うように答えてくる二人の頭を、ロッドは両手でわしづかみにした。そしてぐしゃぐしゃと乱暴にかきまわす。
「判った。んじゃ、お前らは戻ってろ」
 いきなりそう言われて、少年達は一瞬ぽかんとし、続いて盛大に不満の声を上げた。
「なんで!」
「おらっちゃもいくよっ」
 ここまで来てあと戻りしろとはあんまりである。せっかくの案内なのだ。この騎士様がこれから一体何をやるのかも気になる。最後までいっしょに行きたいのは当然のことだ。
 が、ロッドは頭を掴む手にわずかに力を込めた。
「遊びじゃねえんだ」
 それまでと違い低く押さえられた声音に、二人はぴたりと口をつぐんだ。
「ここからは妖獣が襲ってくるかもしれない場所だ。お前らは足手まといなんだよ」
 危ないからとか、守りきれないとか。そんな言い方をされたのであれば、彼らは反論しただろう。大丈夫だから、自分の身は自分でなんとかするからと言い張って、ついていこうとしたかもしれない。
 だが、こうもきっぱり邪魔だと告げられては、反論の余地はなかった。
 耳に優しい、当たり障りのない物言いではなく、まっすぐに真実を告げたロッドのそれは、子供達にとって至極理解しやすい、納得のできる言葉でもあった。
 おとなしくなった二人をもういちど手荒く撫でると、ロッドはひとりで歩き出す。


 崖が崩れ落ちた部分は、何年も前のものらしく、下りていくのにさほどの注意を要しはしなかった。既にそこここに灌木が根を張り、むき出しになった土砂もおおむね安定している。
 それでもかなりの勾配を、ロッドは土くれを跳ね飛ばしながら、一気にすべり降りた。
 しっかりした地面に立ってから、ばんばんと埃を払う。そして背に負っていた大剣を、鞘ごとはずしてたずさえた。
 ヤナとトガノにも言ったとおり、ここからはいつ妖獣に襲われるか判らぬ危険地帯である。即戦闘に入れる体勢を整えておくに越したことはなかった。
 とはいえ剣を下ろした他は、これといって緊張した様子もなく、ロッドは教えられたとおり下流側に向かって谷底を歩み始めた。
 が、ほどなく眉を寄せてその足を止める。
 足音をたてず素早く移動し、近くの岩陰へと身をひそめた。
「 ―― にも、困ったもんだら」
「んだ。ったく、四人も連れてきた思うたら、まっさか破邪の騎士様とは」
「もしこげんことが知れたら、こん村がどうなるか判っとるんかいな ―― 」
 口々に言い交わす声と共に、近づいてくる複数の足音。
 話されているその内容に、すっと目を細める。
「とにかく、こいつをなんとか隠し……」
 ぎりぎりまで近づいたところで、ロッドは岩陰から一歩を踏み出した。
「面白そうな話だな」
 交わす言葉を断ち切るように、そう声をかける。
 突如目の前に現れた青藍の制服姿に、粉挽き小屋の方から歩いてきていた男達は、ぎょっと立ちすくんだ。
 人数は三人。手に手に杭や縄、ぼろ布の包みなどをかかえている。どの顔も、あってはならない場所であってはならない人物に出会ったことで、驚愕の表情を浮かべている。そして、驚愕はみるみるうちに焦燥へと変わり、やがて自棄じきめいた暴力の色を帯び始めた。
 余裕のある風情でその様を眺めていたロッドは、やがて落ち着いた仕草で左手の剣を持ち上げた。ちゃきりとことさらに音をたて、ゆっくり見せつけるように柄へと手をかける。
「詳しく、聞かせてもらおうか?」
 口の端を上げるその笑みは、男達にとって悪鬼のそれにも等しく思われた。


*  *  *


 最初は気のない様子で話を聞いていたカルセストだったが、やがて徐々にロッドの語る内容に引き込まれてきていた。
「で、その男達は何をやっていたんだ」
 卓に身を乗り出すようにして問うてくる。
「それがだな……」
 言いかけたロッドは、しかしそこでふと言葉を切った。首をねじ曲げ、窓の外をながめやる。
 肩すかしをくったカルセストは、この期に及んでまだもったいぶるかと眉をひそめた。が、その横顔にたたえられた真剣な表情にいぶかしむ。
「どうした」
「 ―― どうやら、おねんねしてた連中が、目え覚まして注進に走ったらしいな」
 かたりと音をたて、ゆっくり席を立った。
 一体どういう意味なのか。椅子をひいてロッドの視線を追ったカルセストは、はっと息を呑んで立ち上がる。
「続きは後だ」
 そう言って、ロッドは戸口へ向かって歩き始めた。
 手に手にすきくわ、鎌などを構えて家を取り囲む、村人達を出迎えるべく。
 異様な雰囲気に呑まれしばし立ち尽くしていたカルセストは、慌ててそちらを振り返った。
「おい……ッ」
 呼び止めようとする声は既に遅い。
 部屋の隅からぼろ布の包みを拾い上げたロッドは、何のためらいもなく、粗末な木の扉を押し開けていた。


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