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 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第四章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 その村は、狭い谷の中にひっそりと存在していた。まるで隠れ里ででもあるかのように、身を寄せ合い、ひそやかに息をひそめて。
 そう。彼らには守らなければならない『ひみつ』があったのだ。
 誰にも知られてはならない。よそ者になどけして悟られてはならない。村全体で共有し、隠し通すべき秘め事。そのために彼らは他者との交流をできるだけ避け、まれに訪れる行商人達からも最低限の品物を仕入れるだけで、質素な、しかし平穏で安定した生活をおくり続けていた。
 しかし ――
 何年にも、何代にもわたって受け継がれてきた『それ』が、今年は異変を生じ始めていた。このままその異変が続けば、村の存続すら怪しくなってしまう。それどころか秘密が他へと漏れてしまうおそれすらあった。
 閉鎖的な村人達は、迫りつつある危機に怯えながらも、変化を怖れて身を小さくする。
 時が過ぎれば、と。
 これまで何十年も過ごしてきた時間と同じように、異変がおさまり、変わらぬ生活を続けてゆければ、と、ただ祈ることしかできずに。
 しかし……変化は既に、訪れようとしていた。

*  *  *

 木々の間を指さして、ザンが告げた。
「あれが、わしらの村ですわ」
 その言葉に、一同は足を止めその指先を追った。
 森の木々をすかし、かすかに谷間の様子が見下ろされる。全体の姿は見てとれなかったが、どうやら山間にできた小さな谷に、十数戸の民家が寄り集まっているらしかった。真ん中のあたりに細く見えるのは、おそらく小川だ。昔はもっと大きな流れだったのが、堆積した土砂で埋まり、幾ばくかの平地を作り出したのだろうか。
 上流側も下流側も、ほとんど切り立った崖に挟まれているらしい。実際、川沿いに進んでいた彼らも途中でやむなく道を外れ、再び山中へと踏み込む羽目になっていた。そうしてまた数刻を山歩きに費やし、ようやく目的地が望める場所までたどり着いた訳である。
「うっわ、マジちっせぇ村だな。人間百人もいないんじゃねえの?」
 目の上に手をかざして、ロッド。
「はぁ、ええと……」
 ザンが空を見ながら指を折ってゆく。が、ロッドは別に確たる答えを期待していたのでもなく、すぐに別のところへと興味を移した。
「で、問題の風車ってのはどの辺にあるんだって」
「下流側の崖の間だ」
 レドリックが何を今さらと顔をしかめる。そういったことについては、昨夜のうちにザンからだいたい訊き出していた。知らないのはひとりで寝ていたロッドだけである。
 もっとも、ロッドはレドリックの感情など意に介したりしない。
「なるほどな。いきなり狭くなってる分、村を通ってきた風が一気に吹き抜けていくってことか」
 ひとりで納得している。ザンがうなずいて続けた。
「じゃけぇ、風車が動くんで。あの場所じゃなけんと、とても粉ぁひけるほどには回りません。新しいのん作るような余裕もねし、このまんまじゃ、わしらぁ日干しです」
 その声にはせっぱ詰まった響きがある。
 村に唯一の風車が利用できなければ、わずか百人足らずの口に入れるものすら確保できない。ここは、そんな貧しい村なのだ。
「ま、やることはやるさ。それが俺らの仕事だからな」
 そう言って、ロッドはひょいと肩をすくめた。そんなロッドに、レドリックは、どうだかなと言わんばかりの視線を向ける。
 彼らはさらに崖に刻まれた細い道をたどり、やがて村はずれの畑の間へと出た。
 そのあたりはまだ急な斜面の中途で、狭い土地を階段状に削った、棚のようなつくりの畑が並んでいた。間を縫う、ぐねぐねと曲がったあぜ道を慎重に下ってゆく。
 ほうぼうから、幾つもの視線が浴びせられた。
 野良仕事の途中なのだろう。村人達が手を止めて彼らの姿を眺めてくる。
 が、近寄って声をかけてくる者はいなかった。ロッド達の身なりが、田舎の村ではそう見ることのない、上等なそれであることも一因であろう。しかし先導するザンは、この村に暮らす、彼らの一員なのだ。それにしては、遠巻きに目を向けてくる村人達の反応は、いささか奇妙な雰囲気をはらんでいた。
「なんか、変に注目されてませんか」
 カルセストが居心地悪げにつぶやいた。
 ぐるりと視線を巡らせたその先で、目の合った男がはじかれたように身体を曲げ、草取りを再開する。
「ずいぶんよそ者が珍しいらしいな」
 こちらは前を見たままで、ロッドがザンの背中に声をかけた。
「へ、へえ。たまに行商が来るくらいで、街のお人ら……まして騎士様なんぞ、見たこともないモンばっかですけえ……」
 確かに、彼らの姿はあたりからひどく浮いていた。
 ほとんどの者が洗いざらしの粗末な野良着と、皮を縫い合わせて作った靴とも呼べぬような履き物で、泥まみれになって立ち働いている。その間をたっぷりとした外套マントをひるがえし、目にも鮮やかな青藍の制服をまとった男達が歩いていくのだ。腰に差した細剣は、芸術品のように繊細な細工を施され、引く馬は荷運びの家畜などとは比べようもない、引き締まった肉体と見事なたてがみを持つ駿馬だ。
 村から出たことすらない農民達にとって、彼らの姿は、さながら絵物語に出てくる救国の英雄にも等しい、遠く近寄りがたいそれだろう。
「フン……」
 その答えに、ロッドは眉をすがめて鼻を鳴らした。
 普段から下町へと足しげく出入りし、こういった貧村にもなじみのあるロッドは、平民達が騎士や貴族達に対してどんな反応を見せるかを、良く知っていた。彼らにとって身分の高い人間達は、一生関わり合うことなどないだろう、遠い世界に住む別の生き物なのだった。そしてそれはきわめて実状にも近い。
 街中まちなかに住まう一部の裕福な町人達や、まして王都に居を構える貴族達などは、まずこんな泥臭い場所になど足を踏み入れることはなかった。彼らもまた、こうした直接生産に従事する人間達など別世界のものと認識し ―― あるいはその存在すら意識することなく、日々を生活している。両者はどこまで行っても交わることなどなく、ごく一部の商人達を仲介として物資や金銭をやりとりしているにすぎなかった。彼らはそれでそれなりに、安定した日常をおのおのに送っているのである。
 だからこそ、こうしてその調和を乱し、異なった世界の住人が相手の領域へと足を踏み入れてくると、みなが違和感を覚え、胡乱うろんな視線を向けることになるのだ。
 が……
 ロッドはちらりと背後を振り返った。
 後ろを歩いていたアーティルトが、それを受けて軽く顎をひいてみせる。
 どうやらアーティルトも気付いているらしい。ロッドは満足そうに口の端を上げ、再び前へと目を戻した。
 かつて実際に『そちら』側の人間だった二人は、この村の者達の反応が、他でのそれとはいささか異なったものだと、理屈ではなく肌で感じとっていた。
 もしかすると単なる妖獣退治では終わらないかもしれない。
 漠然とだが、そんな予感を覚える。
 ロッドはうっすらと笑みを浮かべ、手綱を引く手に軽く力を込めた。


 狭い村をほぼ縦断し、案内されたのは村長むらおさの住処だった。
 さすがに他の家と比べると倍近い大きさがある。とはいえ、しょせんはわびしい山村の話だ。館と呼ぶことなど到底できない、掘っ建て小屋に毛が生えたような代物である。一階の部屋数はせいぜい三つというところか。それでも二階が存在し、村長夫妻の寝室や台所が区切られているだけ、他の建物よりも遙かにましだった。他は内部の仕切りもろくにない、石を積み上げた箱のようなものばかり。床などはただ地面を踏み固めただけの、むき出しの土間である。
 想像していた以上の貧しさに、レドリックとカルセストは言葉を失っていた。そんな彼らを道ばた ―― 庭などという無駄なものは存在していない ―― へと残し、ザンが扉の内へと姿を消す。
「この分だと寝るのは納屋かな」
 ロッドの言葉にカルセストがぎょっと振り返った。
「納屋だって」
 誉れも高きセフィアール騎士団の一員に、あろう事か納屋をあてがうだと!?
 信じられないという様子のカルセストに、ロッドはあっさりと答える。
「当たり前だろ。どうせ寝室なんつったって、じじばば二人分の寝床しかありゃしねえだろうし」
 たとえ寝室を借りたところで、どのみち二人はあぶれるのだ。ひとつの寝台を二人で共用するどころか、このたたずまいからして、床に横たわる余裕すらもあるかどうか。固い床で窮屈な思いをするぐらいなら、納屋で干し草にくるまっていた方が遙かに心地が良いというものだ。
 なぁ、と水を向けるロッドに、アーティルトもこくりとうなずいた。どうせそうなった場合、譲るのは身分の低い彼らの方である。正直、他の農民達から身分をたてに寝台を奪うより、そちらの方がアーティルトにとっても性に合っていた。
 やがて、ザンが再び扉から出てきた。村長とおぼしき初老の男が、その後ろから一同に頭を下げる。
 さすがに村長の家だけあって、客を通す場所は作られていた。おそらく村人を集めて会合を開くための部屋なのだろう。広めに取られた室内に、木造の卓と長椅子ベンチが置かれている。
 卓の一辺に村長とザンが並んでつき、もう一辺に四人が腰掛けた。村長の妻が果実酒を満たした椀を並べて退がる。
「ええと、その……このたびは、と、遠いところまで……」
 貴人を相手するのに慣れていない村長は、言葉を選ぶのにひどく手間どっているようだった。陽に灼けた黒い顔に浮かぶ汗を、しきりに手で拭っている。
 レドリックが穏和な表情で語りかけた。
「気遣いなきよう。妖獣を相手取ることこそ、我らが騎士団の努め故に」
 その言葉に、ロッドがけっと呟く。もちろんザン達には聞こえないようにだ。
「妖獣が現れ、国民くにたみの生活を害しているとあらば、我々は力を尽くしてそれに対する。まずは詳しい事情を話していただこう」
 卓に肘をつき、手を組み合わせて話を聞く体勢をとる。
「は、はあ……」
 村長はまた手をあげて汗を拭った。
 たどたどしく語られる内容は、ザンから聞いたそれとほぼ同じものだった。改めてつけ加えるような情報はほとんどない。
「妖獣が現れるのは問題の風車小屋近辺に限られているのだな」
「そげです。村の方にはいっこだぃ来ませで、なんとかわしらも無事やってけとぉます」
 アーティルトの白墨を渡し、周辺の簡単な地図を壁へと描かせた。
「村より下流側は、絶壁に挟まれた道もない岩場になっているんだったな」
 河をさかのぼるようにして山を越えてきた彼らだったが、村に近づくにつれじょじょに河岸も険しくなってゆき、しまいには大きく迂回した山道をゆく羽目になった。それというのも、この村のあるあたり自体、セイヴァンの国境付近を占める北方山脈に連なり、険しい谷間の中で、たまたまそのあたりだけかろうじてひらけているといった具合の地形だからだ。
 それでもこのあたりはまだ、高度が低いぶん暮らしやすかったが、もっと国境に近づけば、年の大半を雪に閉ざされるような厳しい土地もあるという。
「わしらはよぅ知りませんが、商人の話やと滝なんかもあって、舟やら使っても通れるような場所じゃねそうで」
「ふむ。ということは、知らぬうちにどこかへ行ってしまったという期待もできない訳か」
 面倒だな。という言葉はさすがに飲み込んでいる。
 レドリックにとって今回の任務は、あくまで状況の調査であって、かなうものなら妖獣などいないに越したことはないのである。
 この程度の人員でできることなどたかが知れているし、滞在するのがこのような粗末な建物とあっては、むしろこのまま一泊もせず立ち去れた方がありがたいとさえ思う。
 少なくとも、村落内まで妖獣が襲ってこないと確定している以上、避難勧告すら必要ではない。ここで彼らができることなど、なにもないのではなかろうか。
「ところで、その妖獣ってのはどんな格好してるんだ」
 ロッドが問いかけた。背もたれに身体を預け、だらしなく足を投げ出したその姿勢に、レドリックがぴくりと眉を上げる。
「それは夕べ聞いた。長虫型だ」
 吐き捨てるように言う。
「長虫型にもいろいろあるだろ。虫みたく足があるとか、ミミズみてえにヌルヌルしてるとか」
「似てるゆうたら、あれですわ。ほら、石はぐった時に出てくる、足がいっぱい生えた……」
「丸くなるやつか?」
「いや、もっと細くて平べったぁて……」
「赤い頭してて、噛まれるとめっぽう痛い?」
「そう、それ!」
 思わず手を打って指差してしまい、村長は慌ててわたわたとひっこめた。
「ってことはメギドか、ルファルスだな。模様はどうだった。このへん ―― 」
 相手の焦りなど無視して、首の後ろを指し示す。
「黄色いぽつぽつなかったか?」
「そ、そこまでは」
「メギドだろうがルファルスだろうが、そんなことはどうでもいいだろう」
 低次元なやりとりに、レドリックが苛立ったように口を挟む。まったく、ひとことムカデに似ていると言えばそれですむ話ではないか。首の色ぐらい、たいした違いでもなかろうに。
「……お前、やつらの違い知ってるのか」
「同じ妖獣と言うだけで充分だ」
 どのみち長虫型の妖獣は、どれも似通った性質をしている。特に多数の節足を持つ種類のそれは、手軽に倒せるものがほとんどだった。場合によってはこの人数で破邪を行ってみてもいいが、それでも四人のうち二人があてにならないとなると、無理はしない方が良いかもしれない。
「ずいぶんでかいって話だぜ? 油断しない方が良いんじゃないのか」
 ロッドの言葉に思わず失笑した。もっとも、村長達の目には映らぬよう、あくまで胸の内でだったが。
 まったく、それこそ違いを知らないというものだ。長虫型の妖獣は概して小型である。大きくてもせいぜい大人の倍程度の体長だ。そんなものを相手に、油断するもなにもあったものではない。
「なんでも、家をもひと巻きっだって?」
「へ、へえ。そらもうおっきゃんくて」
 村長やザンがしきりにうなずいた。が、こういった証言はえてして大げさになるものだ。まして相手は、妖獣などほとんど目にしたこともない農民だ。話半分 ―― どころか三分の一程度と考えておくべきだろう。
「とにかく一度、妖獣が現れたという場所に行ってみよう」
 妖獣の実際について、なんらかの手がかりが得られるかもしれない。戻って報告する都合としても、それぐらいはやっておくべきだ。
 席を立ち案内を乞うレドリックに、カルセストとアーティルトが続く。が、ロッドは行儀悪く肘をついたまま、ひらひらと手を振っただけだった。
「……お前は行かないのか」
 カルセストが低い声で問いかける。
「別に雁首揃えてく必要はねえだろ。六つ、もとい五つも目玉がありゃ充分だ」
 そう言う問題ではなかろう。
 むっとして言い返そうとしたカルセストだったが、先に行ったレドリックに名を呼ばれ、言葉を飲み込んだ。一度ロッドをにらみつけてから、足音を響かせるようにして出てゆく。
 その反応があまりにも素直で、ロッドはしばらくくつくつと笑っていた。村長もザンも案内として行ってしまい、室内に残っているのはロッドひとりだけだ。やがて村長の妻が椀を下げにやってくる。
 まだロッドがいることに気がついて、妻女はとまどったように戸口で立ち尽くした。
 都からやってきた身分高い騎士を相手に、どうすれば失礼なくふるまえるか見当もつかないようだ。そんな彼女に、ロッドは気安げに手をあげてみせる。
「よぉ、邪魔して悪いな」
「は、はぁ」
 はじかれたように腰を折り、妻女はそそくさと卓に近づいた。一刻も早く立ち去ろうと考えたらしく、落ち着きのないそぶりで椀を盆にのせてゆく。
 ロッドは座ったままで身をかがめると、足元に置いていた荷袋を持ち上げた。どさりと乱暴に卓へ置き、口を縛っていた紐をゆるめる。
「こいつは宿賃代わりだ。いきなり四人も転がり込んで手間ぁかけるが、よろしく頼むぜ」
 卓の向こう側にいる妻女の方へと押しやった。
 意表をつかれたのか、妻女は二三度目をしばたたいた。それから荷袋の中をのぞき込み、はっと口元を押さえる。
「あ、あの……」
 戸惑ったような面もちでロッドを見返す。
 袋の中身は食料だった。固く焼いたパンや塩漬け肉、干した魚など保存のきくものがほとんどだ。乾酪チーズや果物の砂糖漬けといった貴重なものまで入っている。
「俺らとあんたらで、まぁ一週間は保つだろ。それだけかけてどうにもならんようなら、俺らも出直すさ」
 言いながら、ようやく彼も立ち上がる。
「よ、よろしいんですか」
 妖獣の出現によって、いまこの村では絶対的に食料が不足していた。
 自分達の口に入れるものすらままならないというのに、ただでさえ舌が肥えているだろう騎士様方に、いったいどうして食事を出したものか。彼らの来訪を知ってから、妻女はひたすらそのことに頭を悩ませていたのである。
 ロッドは軽く肩をすくめて背中を向けた。
「お前らにたかるほど落ちぶれちゃいねえ。いいか、そいつは六人分だからな。寝床の借り賃も含んでるんだ。ちゃんとお前らも食えよ」
 振り向きもせず、一方的に言って出てゆく。
 その後ろでは、妻女が半ば涙ぐみながら頭を下げていた。

*  *  *

 村長の家を出たロッドは、何をするという様子もなく、ぶらぶらと村の中を歩きまわっていた。畑仕事にいそしむ村人達をながめつつ、のんびりと足を運んでいる。
 やがて村を貫いて流れる小川にたどり着いた彼は、川岸にあぐらをかいて座り込んだ。手近な茂みに手を伸ばし、数本の枝を折り取る。
「……よそもんが珍しいか?」
 短剣で小さな枝葉を払いながら問いかけた。その目は手元に落とされたままだ。
 しばらく複数で言い争うような気配がして、やがて少し離れた茂みの影から子供達が現れた。五、六才ぐらいから十歳あたりまで、十人近くいる。おそらくこの村にいる子供のほぼすべてだろう。
 みなロッドを恐れるように身を寄せ合いながらも、興味深げに彼を眺めてくる。
「あ、あんたぁ、都からきたキシさまだって?」
 年かさの子供が口火を切った。
 レドリックあたりが聞いたら眉をひそめそうな、礼儀を知らない物言いだ。が、ロッドはそういったことなど全く気にしない。
「ああ。破邪騎士団セフィアールって名ぁくらい手前らも聞いたことあんだろ」
 そして同じぐらいに乱暴なその言葉遣いは、むしろ子供達を安心させるものだった。この男はけして別世界の生き物などではなく、いまここに存在する、自分達と同じ人間なのだと納得できる。
「オ、オレきいたことある。バさまが寝る前に話してくれた。バケモノらやっつける、つよいひとたちだって」
「あ、あたしも」
「おうさまから、ふしぎな力をもらってるんだよな」
「そげだら」
 口々に言い交わす。
 王家より破邪の力を与えられた、妖獣を滅する騎士達。
 いかに山奥のろくに情報すら行き届かない村であっても、この国の成立から深く関わる、破邪の騎士団を知らないはずはなかった。たとえなかばおとぎ話のような形であったとしても、その概念だけは確かに伝えられている。
「ぎんいろの剣は?」
「ぴかぴかしてて、すっげキレイなんだら?」
 見せて見せてと言わんばかりに、皆の瞳が輝いた。ロッドは思わず苦笑する。
「わりぃが置いてきちまった。まぁ綺麗っちゃぁ綺麗だけどよ。こんな感じでな」
 短剣を置いて、ぬっと右手を突き出した。その中指にはまっているのは、銀線を幾本も寄り合わせたような指輪だ。一見するとごく簡素な細工にしか見えないが、表面には木目に似た文様がびっしりと刻み込まれており、まるで生きた枝をそのまま金属と化したかと思える。
 子供達は感嘆の声を上げてロッドの手に群がった。だが直接触れようとはしない。あくまで物珍しげに眺めるだけだ。
 おおむね全員が見たところで、ロッドは手を戻した。再び短剣をとり作業に戻る。
「なにしとるん?」
 現れた時より遙かに近い位置から、子供達が問いかけた。
「ああ、こいつはだな……」
 手早く枝を編みながら、思わせぶりににやりと笑う。
 子供達は期待に満ちた目で答えを待っていた。


 先を歩く村長の足取りは、いささか重たいそれだった。
 が、恐ろしい妖獣が現れる場所に向かっているのだから、それも仕方のないことではある。もっとせかしたい気持ちを抑え、レドリックはあたりの様子に気を配ることにした。
「ずいぶん村から離れた場所にあるんだな」
 カルセストが誰にともなく呟く。
「このあたりならまだ畑も家も作れるだろうに、なんでもっと近くにしなかったんだろう」
 風の強さなどから、風車を建てる場所は変えられなかったかもしれない。だが、それならば村の方を近づけてしまえば良かったのに。確かに風車自体は険しい谷間にあるようだが、既に家も畑も尽きているこのあたりは、まだまだ充分に開墾可能な肥沃な土地に感じられた。むしろ川に近いだけ、わざわざ崖近くへ棚のような畑を作るより、よほど楽だと思えるのだが。
「はぁ、まぁ、いろいろありましてん……」
 村長の答えは歯切れが悪い。
 一見は良さそうな土地であっても、やはり農耕を専門にする者からすると、なにかと問題もあるのだろう。説明されても理解できないと判っている以上、詳しく訊くのはやめておいた方が互いのためだった。
 小川に沿って続く踏み分け道は、やがて険しい下りとなり、断崖を二つに割る谷間へと入り込んでいった。川を挟んだ両脇に、見上げるように崖が張り出してきている。
「なるほど、確かに風が強くなったな」
 レドリックがひとりごちる。
 それまで緩やかに頬を撫でていた空気の流れが、風だと意識できるそれになってきている。視界の端で前髪がなびき、外套の裾が小さく揺れた。
「もっと奥まで行くと、どんどん狭ぁなって、風もずっと強ぅなります」
 最後尾を歩くザンが説明する。
「天然の漏斗ろうとというわけか」
 入口が広く出口の狭いこの地形が、村のあたりでは微風に過ぎないわずかな気流を集め、石臼を動かせるだけの強風にまで育て上げるのである。
 やがて彼らはある場所で足を止めた。
 川向こうの崖はもうずいぶん迫ってきていた。風も外套をはためかせるほどになっている。一同は風上を背にし、外套を身体に巻きつけるようにして立った。
 見下ろした地面は、心なし黒ずんでいるような気がした。
「ここんとこでダスが食われたんです」
 村長が説明する。ダスというのは、最初に荷役の家畜と共に殺された男だ。
「ふむ」
 一同はおのおのあたりの様子を眺めわたした。
 とはいえ、特に見るべきものがあるわけではない。赤茶けた、岩肌のむき出しになった崖が延々と続いている。川のこちら側には、荷車をひくのがやっとといった小道があり、向こう側はすぐ岩が切り立っている。川が不規則に蛇行しているため、前後の見通しは悪い。こんな場所で妖獣に襲われなどしては、満足に逃げることもできないし、助けを呼んだところで誰の耳へ届くはずもなかった。
「…………」
 ふとアーティルトが川向こうへと目をやった。片方しかない瞳をすがめるようにして崖を眺めている。
「アートさん?」
 いぶかしげにカルセストが問いかける。
 アーティルトはちょっと手を上げてそれに応えると、軽く地面を蹴った。流れの中にぽつぽつと顔を出している岩を足がかりに、あっという間に向こう岸まで渡ってしまう。
「どうした。何があったんだ?」
 意表をついたその行動に、レドリックも驚いたように声を上げる。
 ほとんど立つ位置すらないような場所で、アーティルトはしがみつくようにして器用に足場を確保した。そうしておいて、崖の上部を見上げる。
 その視線の先には灌木が生えていた。背丈の倍ほどの高さの岩肌から、横向きに枝を張り出している。けして珍しいようなものではなかった。
 いったいそれがなんだというのか。首を傾げる一同に、アーティルトは焦れたように灌木を指差した。それでも判ってもらえないと、腰から短剣を抜き岩の隙間に突き立てる。
「おいおい……」
 身軽に崖をよじ登る姿に、レドリックは呆れたような声を漏らした。
 一同が見ている間に、アーティルトは灌木に手を掛けて身体を持ち上げ、その根本へと身を落ち着ける。そうして間近から手を伸ばし、樹皮が剥がれた場所を指し示した。
 アーティルトが乗ってもびくともしない、かなり太く大きな木だ。そう簡単なことでは傷つきそうにないそれが、広い範囲にわたって深くささくれ、白い生木を露わにしている。ざっくりとえぐられたようなその痕は、まだできてそう間がないようだ。
「……岩でも落ちてきてぶつかったのか?」
 レドリックが首を傾げる。あたりにそれらしい落石は見あたらなかったが、それ以外にそこまで大きな傷をつけるようなものは思いあたらなかった。
 ここに至ってもなお、彼らにはアーティルトの言わんとすることが判っていなかった。アーティルトが苛立たしげに手のひらを打ちつける。彼がそんな態度を見せるのは極めて珍しいことだった。カルセストはなんだか申し訳ないような気分になり、思わず二三歩、川の方へと足を踏み出す。
 と、その傍らに、からりと何かが落ちてきた。
 反射的に目をやると、小石が動きを止めるところだ。なんだ石かとアーティルトの方へ視線を戻す。そして目をしばたたいた。
「アートさん?」
 再び彼の名を呼ぶ。
 アーティルトはその左目を大きく見開き、こちら側の崖の上を見上げていた。呼びかけるカルセストの声も、耳に入ってはいないようだ。ますますもって珍しいことだ。いったい何が、そんなにも彼の興味をひきつけているのだろう。
 一同はそろってアーティルトの視線を追った。彼らにとってはほぼ真上に当たる岩肌を、ふり仰ぐ。
 そして、凍りついた。
 限界までその両目を見張り、いま見ているものが果たして現実なのかと、幾度も自身に問いかける。
 長く巨大な影が、ゆらりとその半身を持ち上げた。
 ぱらぱらと岩の欠片が降ってくる。ところどころまばらに生えた灌木の枝葉が、その巨体で大きくこそげ、幾本もの節足が鈍い音をたて樹皮を、岩をうがった。
 みな、金縛りにあったかのように身動きができなかった。吸い込んだ息を吐き出すことすらできず、ただ立ち尽くすばかりで。
「ば、ばけも ―― 」
 かすれた声で呟いたのは誰だったか。
 まさしく。
 通常の長虫型の五倍、いやもっとあるだろう。
 文字通りの化け物だ。
 そいつは鎌首をもたげるように眼下の獲物を見下ろした。
 あやしくうねるその上体の動きを、一同は幻惑されたかのように眺める。
 視界の中で、妖獣の残る半身を支えていた足が、岩肌から離れてゆく。
 そして ――
 頭上から降ってくる長大な影を、彼らは一歩も動かぬまま、ただ待ち受けるしかできなかった。


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