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 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第三章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「言ってみりゃ半分やっかい払いってヤツだろうが。そんなにありがたがるようなもんかね」
 おなじみの毒舌に、アーティルトは薄目を開けてロッドの方を睨み付けた。
 無言であるだけに一層迫力のあるその視線に、しかしロッドはこたえた風もなく、口の端を歪めてみせる。
「見習いに毛が生えた足手まといカルセストに、口ばっかりで戦力にはならねぇ邪魔者おれだろ? いなくなっても痛くもかゆくもねぇ顔ぶれじゃねぇか」
 戦力の三分の一をさいたといえば聞こえはいいが、実質戦力として見込まれていたのはアーティルトともう一人 ―― レドリック=アル=ユグドラ=ザイン ―― の二人だけではないか。
 休息をとるべく、馬を下りて街道脇に座り込んでのやりとりである。
 普段馬になど乗りつけていないザンとテオは、街を発って間もなく気分を悪くしてしまい、彼らは大幅に馬足を落とさざるを得なくなった。それでも徒歩よりはだいぶ早かったが、さっさとこの任務を終わらせるつもりでいるレドリックなどは、かなりいらだたしいものを感じているようだった。気が付けば速度を上げている彼に、ついにザンが音をあげ、彼らは遅くなった朝食を、という名目で馬を止めたのだ。
 もっとも、前述の通りザンは食事ができるような状態ではない。ぐったりと木陰に横たわり、額の上に濡れた布を乗せている。その横で膝を抱えているテオの方は、若いせいかだいぶ顔色も良くなってきていた。彼らが分けてやったパンと干し肉を、老人の分だけ残してきれいにたいらげている。
 昨夜の寝不足を取り戻そうと、幹に背をあずけ目を閉じたアーティルトに、カルセスト達は邪魔すまいと少し離れたところに場所を移していた。ロッドだけはそんな気遣いなどせず、変わらず同じ位置で短剣など磨いている。やがて口にしたのが、さっきの台詞だ。
 ザン達の耳には入らぬよう、声は低くおさえられている。それでも不謹慎には違いなかった。膝の上に置いていたアーティルトの指が、小さく動く。
『副団長、気持ち』
 綴られる言葉を横目で見て、ロッドが肩をすくめる。
「気持ち『だけ』じゃねぇか。つまりは、お前の気が済むように体裁は整えてやったから、顔だけ出してとっとと帰ってこいってことだろう?」
 この程度の戦力では、一人で行くのとたいして事態は変わらない。しかし命令違反で飛び出してしまったのでは、力が及ばなかったからといってのこのこ引き返してくるような真似などとてもできないが、こうして形だけでも人数を揃え任務として赴けば、戦略的撤退は充分に許される手段となる。
 いわば助けを求めてきた村を見捨てる気まずさを緩和し、なおかつアーティルトという優秀な騎士を失わずにすむよう、最低限の手はずだけ整えてくれたという訳である。あとは一刻でも早く村の状況を確認し、無理だと自身で納得がいったならすぐ戻ってこい、ということだ。命令書を作りながら苦笑いしている様が目に浮かぶようだ。
「見くびられたもんだな」
「…………」
 その程度の判断力はある、と見なしたあたり、ゼルフィウムとしては充分アーティルトを評価しているつもりなのだろう。だが、そんじょそこらの妖獣を相手に彼がやすやすと背を向けるなどと考えているあたり、まだまだ認識が甘かった。この男はそう簡単に前言をひるがえしなどしないし、おまけにそれだけの実力をかねそなえてもいる。
 実際、アーティルトとロッドが手を組んだ場合、倒せない妖獣など滅多にいはしなかった。相手が複数だというのならともかく、多少かさが張るとはいえ、しょせん一体である。無謀が過ぎるとゼルフィウムは言ったが、彼ら自身は自惚うぬぼれではない勝算を持ちあわせていた。
『結果は同じ。こっちも、向こうも、思った通り』
 あなどられたが故にであろうがなんだろうが、結果的に自分達は目的を果たし、あちらはあちらで仕方がないと言いつつもそれを容認してくれるのだ。自分達の評価が多少下がるくらい、どうということではない。
 断言するアーティルトに、ロッドは答えを返さなかった。ただ、無言で小さく失笑する。
 相手にどう思われようとかまわない。
 ひどく自虐的に聞こえるそんな物言いは、虫酸が走るほど嫌いなたぐいのものだった。いい気になって、安易な自己犠牲に陶酔している大馬鹿者。後ろから蹴りのひとつでも入れて、おおいに罵ってやりたくなる。―― 他の、誰かが吐いたのであったなら。
 だが……
「ったく、本当にたいしたタマだよ、手前ぇは」
 呟いた。アーティルトがちらりとこちらを見る。文句でも? と視線を返すと、その口元がわずかに動いた。小さく、けれど確かに。
 何かを嘲るように刻まれたその笑みは、あるいは己に向けられたそれだったかもしれない。
 他の騎士団員達『など』にどう思われようとかまわない。
 そう言い切ってかえりみない自身へ、と。
 誰に理解されなくとも、胸など痛まない。この心の内を語ることのできる、わずか一握りの人間達は、ちゃんと自分を理解してくれているのだから。
 己を卑下し苦痛をこらえるのではなく、他を切り捨て最初から傷つくことをしない。そんな己の傲慢さを自嘲する、そんな、笑み。
 ロッド=ラグレーとアーティルト=ナギ=セルヴィム。平民出身という、一見ただそれだけの共通点しか存在しないように見える彼らが、実際には互いを認め、しばしば行動を共にしている、その理由。それはおそらく、そんな部分が似通っているのだと知っているからだ。
 おおっぴらに公言しているか、普段は意識の奥底に隠れ、本人ですらも忘れてしまっているかの違いはあっても ――
『行こう』
 アーティルトが幹にもたれていた身体を起こした。視線の先では、ザンが立ち上がろうとしている。まだ気分はすぐれないらしいが、あまりゆっくりしていられる心境でもないのだろう。ロッドも短剣を鞘に収め腰を上げた。


 街道をはずれ森の中へと入り込んでゆくと、申し訳程度に付けられた踏み分け道はどんどん細くなり、傾斜もきつくなっていった。彼らは道を知るザンを先頭に一列となり、馬を下り手綱を引きながら進んだ。
 ろくに陽の当たらぬ地面は湿気を含んですべり、張り出した枝葉がしばしば身体にあたってくる。立ち並ぶ木々で視界はほとんど効かず、目に映るのは前をゆく者の背中ぐらいだった。下生えを掻き分けると、時おりわっと羽虫の群が飛び立つ。
「ったく、こんな道を通るだなんて聞いてないぞ」
 レドリックが手を振って虫を追い払った。
「あとちょんぼしたら、川原に出ますけえ。したらだいぶ楽になぁますよって……」
 申し訳なさそうにザンが振り返る。
 ひと月かふた月に一度ほど行商人がやって来るだけの、ほとんど人の訪れることがない山村だ。この道も、近在の猟師達などが歩くうちにできた、地図にも載っていない代物である。川にさえたどり着けば、あとはその岸沿いに上流へと進んで行けばよいのだが、そこまでが大変だった。こういった道をゆくのだとあらかじめ知らされていたら、もう少し装備を考えてきたのだが。
「けんど、いっつも来る商人は、家畜に荷ぃ積んできますけん、大丈夫か思ぅまして」
「そりゃ、引いて歩くだけならな。けどこいつらときたら、山道なんざ歩きつけてない、箱入りのお上品なお馬様達だし? 乗せてけっつっても、まぁ無理ってもんさ」
 最後尾を歩くロッドの声が、場違いに陽気な響きで枝葉越しに届く。
 相変わらずの毒を含んだ物言いに、レドリックがむっと顔をしかめた。その後ろを進むカルセストも、どう反応して良いか判らないらしく、困惑したように眉を寄せている。アーティルトは最初からものを言えない。仕方なくザンが気の抜けた相づちを打つ。
「へえ……」
 しばらく居心地の悪い沈黙が続いた。藪を払うがさがさという音だけがあたりに響く。
「 ―― ぁ ―― って ―― 」
 やがてまた、後ろの方でなにやら言っているのが聞こえてきた。が、離れているせいで葉擦れの音に紛れてしまっている。どうせまた、ろくでもないことを放言しているのだろう。無視を決め込んで、レドリックは再びザンに声をかけた。
「その川から村まではどれくらいかかるんだ?」
「丸一日で。上流に向かって歩いて、ひと山越すと、谷ん中に村があるんですわ」
「一日か……」
 途中で一泊せねばならないのは判っていたが、この分では民家などまずないだろう。夕食は携帯食料ですまし、外套にくるまって眠るしかないようだ。まぁ、この季節なら凍える心配はないのがありがたいところだ。
 一晩のことだ。仕方があるまい。
 ため息をつくレドリックの耳に、かすかな水音が聞こえ始めていた。


 川は思ったより小さなものだった。岩場の間を縫うように走る流れは、深いところでも彼らの膝あたりまでしかない。水面から顔を出した岩を伝えば、向こう岸にもたやすく渡れそうだ。
 ザンは楽に進めると言ったが、子供の頭ほどもある石が無数に転がる川原は、慣れない足には山道とさほど変わらぬ歩きにくさだった。それでも頭上に張り出していた木々が減ったぶん、足元はよく見える。しかしそろそろ夕暮れにほど近い刻限だった。
「平らな場所がある。今夜はあそこで休もう」
 少し先に石の少ない場所を見つけて、レドリックが提案した。ふりむいて、後に続く者に同意を求める。が ――
「おい、あの二人はどうした?」
「え」
 驚いたように問いかけられて、カルセストも慌てて背後をふり返った。と、後ろを歩いていたはずのアーティルトとロッドの姿がない。彼らの視線を受けて、馬達だけが歩みを止めて首を傾げる。
「あ、あれ……アートさんっ?」
 カルセストがあたりを見まわして呼びかけた。一体いつの間に離れてしまったのか。何もおかしな気配など感じはしなかったのに。馬達がついてきているのだから、よもや彼らの姿を見失った訳ではないだろうが……もしかしたら、岩に足を取られてくじきでもしたとか。
「俺、ちょっと見てきます!」
 手綱をレドリックに預け、馬達の横をすり抜けてゆく。外套をひるがえし、いま来た道を戻っていった。異常に気付かなかった自分にほぞを噛む。
「アートさん!」
 しばらく行ったところで再び声を上げた。足を止め、ぐるりと周囲を見わたす。左手は小川の流れを挟んでこちらと同じ石だらけの川原があり、右手にはすぐそこまで鬱蒼うっそうとした木立が迫ってきていた。川は不規則に曲がりくねっており、これまで進んできた道も、遠くまで見通すことはできない。耳をすますが、足音らしきものも聞こえてこなかった。
「アートさん! どこですかッ」
「……っせぇな。なにわめいてやがるんだよ」
 いきなり間近から上がった声に、はっと息を呑んで振り返る。傍らの木立の間からロッドが姿を現したところだった。どうやら足音は軟らかな土に吸収されていたらしい。外套を脱いで身軽な姿になった彼は、カルセストを見て下品に唾を吐いた。
「アートさんの姿が見あたらないんだ。あんた、知らないのか」
 ロッドの態度に、カルセストの問いもかなりつっけんどんなものになった。騎士団員としては先輩後輩であっても、彼らの間には天と地ほどの身分の開きが存在する。本来親しく言葉を交わすような間柄ではないのだ。人格的に敬意を抱けるアーティルトにならばともかく、どうみても下町のチンピラにしかすぎないロッドになど、丁寧な応対をする必要はなかった。
「さぁな。別にガキじゃあるまいし、血相変えて探すこともねぇだろうが」
 ロッドはあっさりと言って歩き出した。とりつく島のないその態度に、かっと頭に血が昇る。
「もし何かあったらどうする気だ!」
 ロッドは立ち止まって首だけで振り返った。
「俺の知ったこっちゃねぇや。だいたいこんな山の中で、何があるって言うんだよ」
「どうしてそう言い切れる」
 たとえどんなに平和そうに見える山中だとしても、一瞬のちには何が起こっているか判らない。それが自然界というものだ。いまこの瞬間、木立の向こうから妖獣が現れたとしても、なんら不思議はないのである。
 拳を握ってにらみつけるカルセストに、ロッドはひとつため息をついた。手を上げて、ガリガリと頭を掻く。
「あのな、坊や」
「誰が坊やだっ」
「んじゃ、見習い坊主」
 わざわざ神経を逆撫でているとしか思えない言い替えをして、ロッドは身体ごとカルセストの方に向き直った。
「あいつは元々、こういう山ん中にある村で暮らしてたんだ。短剣の一本もありゃ、手前ぇの身くらい充分守れるんだよ。判るか?」
 ん?
 聞き分けのない子供に言い聞かせているような、嫌味なほどに丁寧な確認。
 そして、カルセストが何かを言い返す前に、ふと視線を彼の背後に投げた。
「そら」
 顎をしゃくってみせる。素直に振りかえるのは癪だったが、小石を踏む音に気付いてそちらを見た。
「アートさん!」
 途端に声が明るく弾む。
 脇になにやら抱えたアーティルトが、下流の方から歩いてきていた。カルセストの声にちょっと手を上げて応える。
「どうしたんですか。いきなりいなくなってるんで、びっくりしたんですよ」
 立ち止まっている二人の元まで追いついてきたアーティルトは、カルセストの問いに、抱えているものがよく見えるよう、身体の角度を変えてみせた。ほら、というように示されたそれに、カルセストはぱちぱちと目をしばたたく。
「……枝と、根っこ?」
 子供の腕ほどもあるような木の枝を、大きな束にして持っている。その上に山盛りに載せているのは、まだ泥のついた太い草の根だ。
「おお、旨そうだな。こっちも大漁だぜ?」
 横からのぞき込んだロッドが、自分もぶら下げていたものを掲げてみせる。大型の齧歯類が二匹ときのこの塊だ。互いに視線を合わせ、笑う。
「え、もしかしてそれ……」
「夕飯と薪だ」
 見りゃ判るだろうが。
 えらそうに言い切って、ロッドは歩き出した。ひとりさっさと今晩の野営地へと向かう。一歩遅れてアーティルトもカルセストを促した。
「え、でも携帯食料とかありますよ? 燃料だって……」
 野営は覚悟していたので、ちゃんと乾燥肉やパンなどを用意してきてある。角灯の油も補充してあることだし、何も手間をかけて現地調達する必要などないのに。
 と、先を行くロッドの声が、すかさず飛んでくる。
「ちょっと探しゃすぐ食えるもんが見つかるのに、何で保存がきくもん、わざわざ先に喰うんだよ」
 勿体ない。
「保存も何も、明日には村に着くじゃないか」
「……手前ぇ、話聞いてねぇのか?」
 呆れ返ったというようなロッドの口調がひどく気に障った。
「どういう意味だよ」
「さぁてね」
 ひらひらと肩越しに手が振られる。
 それでロッドは話を打ち切ってしまった。言いたいことしか言わない勝手な男に、カルセストは顔をしかめてアーティルトを見た。
「アートさんも……ああ、手が汚れてるじゃないですか」
 根を掘り返す時についたのだろう。爪の間に泥が入り込んでいる。指摘されて指先に目を落としたアーティルトは、軽く肩をすくめて傍らの川面かわもをしめした。洗えばすぐ落ちる、と言いたいらしい。
「こんな草の根なんて、ほんとに食べられるんですか?」
 気持ち悪げに指三本分ほどの太さがある紫色の根を指さす。にっこりと、笑顔でうなずきが返った。空いた手の指先で、宙にいくつか文字を書く。あいにく何を書いたかまでは読めなかったが、おいしいと言いたいのは良く判った。そう言われると、ちょっと興味がわいてくる。
 しげしげと観察し始めたカルセストが足を止めてしまわぬよう、アーティルトは苦笑してわずかに歩を早めた。

*  *  *

 ぽっかりと目を開けると、あたりは中途半端な明るさに照らし出されていた。
 身体の下は布を挟んでごつごつと固い。枕もひどく高くてゆがんでおり、至極具合が悪かった。自分のいる場所がいったいどこなのか、しばらく考えこんでしまう。
 やがて、目に映っているのが角灯を反射して光る、川の流れなのだと判った。そうだ、自分達は川のほとりで野営をしていたのだ。
 時刻はまだ真夜中らしい。明かりに照らされている範囲以外は、煤をいたかのように暗く、視界がきかなかった。半端な時間に目が覚めてしまったのがもったいなくて、もういちど眠ろうと目を閉じる。が、一度去ってしまった睡魔はなかなか訪れてこず。
 ふと、何かが身動きしている様子が耳に届いた。寝返りや風の音などではない、明らかに、起きて活動している人間の気配だ。カルセストはもう一度目を開いて、顔を音がした方向にむけた。地面に肘をつき、上体を起こす。
「誰か、起きてるんですか?」
 人影は、彼から少し離れた位置にある、焚き火のそばに座っていた。炎はさほど大きくなかったが、闇に慣れた瞳にはいささか眩しく、目を細めて手のひらをかざす。
「目ぇ覚めたのかよ」
 返事は無愛想なそれだった。
 焚き火を枝でつつきながら、ロッドがこちらを見ている。
「……お前こそ」
 相手が彼だと知ってどうするか迷ったが、結局は起き上がって焚き火のそばへと近づいていった。適当な石に腰を下ろし、ぱちぱちと音を立てている橙色の炎を眺める。
「俺はちゃんと寝た」
 薪の位置を直したロッドは、使っていた枝を傍らに置くと短剣を手に取った。そうして別の枝をなにやら削り始める。
「そうだったな」
 皮肉るように言ってやったが、ロッドはまるで応えた様子もない。
 そう、この男は夕食が終わるとすぐ、まだ日も落ちきらないうちに眠ってしまったのだった。ザン達に話を訊いたり明日の計画を立てたりと、やらねばならないことはすべて放り出し、ひとりだけさっさと。
 勝手に狩りなどやっていたりという、その手前勝手さに、ただでさえ腹を立てていたレドリックは、すっかり彼を見限ったようだった。しいて起こすこともせず、完全にロッドの存在を無視して話を進めていた。やはり黙って姿を消していたアーティルトに対しても、少々気分を害したらしく、せっかくの夕食にも手をつけず、携帯食料を口にしていた。そして寒くはないからと少し離れた場所で、角灯をそばに横たわったのだ。
 先輩にそう出られては、下っ端のカルセストも従う他はない。仕方なく、いささか気まずい雰囲気の中でパンと干し肉を食べ、焚き火には近づかずに眠りについたのだった。
 元はといえば、こいつが勝手なことばかりやるから、おかしなことになったのだ。いつも破邪では大した活躍もしないくせに、なんでわざわざついてきたのか。こいつさえいなければ、もう少し気楽な夕食になったはずだったのに……
 むっつりと黙り込んでいるカルセストに、ロッドもあえて話しかけなどしなかった。無言で手を動かしている。細く削った枝を器用に組み合わせ、籠らしきものを編んでいるようだ。時おり焚き火をつついたり、薪を足したりする。
 と、いきなり彼は燃える枝を一本つかみ出した。
 そしてそれを無造作に闇の中へと投げつける。
 尾を引いて飛んでいった炎は、勢いよく地面に転がり、あたりに火の粉をまき散らした。一瞬その周囲が闇の中に浮かび上がる。黒い影が跳ねるように動き、木立の中へと逃げていった。
「え? ……何か、いたのか?」
 ちらっとだったので確認はできなかったが、どうも獣のたぐいだったようだ。
「ああ。食い物がないかあさりに来たんだろう。荷物はもっと火のそばに置いとかないと、食料根こそぎやられるぞ」
 顔も上げず答える。
「そうなのか?」
 眠っているとはいえこれだけ人間や馬がいるというのに、野の獣が怖れもせず近づいてくるのか。意外なことだったが、現にこうして姿を見せている以上、忠告には従った方が良さそうだった。
 立ち上がり、枕にしていた袋やその他の荷物をとってくる。音を立てないよう注意したので、どうにか余人を起こさずにすんだようだった。
「おい、焦げるぞ」
 ロッドがそう言って鞍袋を足で押しのける。
「蹴るな。だいたいそんなに近くないだろうが」
「馬ぁ鹿。朝までそのまま置いといたら、充分に穴あくぜ。試すか?」
 心底から馬鹿にしたような言い方だ。いっそほんとに試してやろうかという気分になる。が、本当に穴が開いてしまったらあまりにも間抜けなので、かろうじて思いとどまった。
「さっきからなにやってるんだ」
 手持ちぶさたなので訊いてみた。
「見て判んねぇのか」
 そう訊き返してくる。まったくこの男は、素直に答えると言うことを知らないのか。
「判らないから訊いてるんだろうが。お前こそそれくらい判れ」
 眠っている人間の迷惑にならぬよう、抑えた声で言い返す。
 ロッドは鼻で笑った。
「火の番」
 短く言う。
 別段寒いわけでもないのに、と言いかけて、獣よけなのだと気がついた。ただ火を燃やすだけではなく、誰かが起きて見張っていなければならないと、そういうことらしい。
 ひょっとして、先に眠っていたのは、それ故にだったのだろうか。
 唐突に思いついた考えに、カルセストは気まずいものを感じた。もしそうだとしたならば、見習いあがりの自分こそが、気をまわさねばならなかったことだ。
「もし ―― 」
 ためらいながら口を開こうとした時、ロッドがいきなり立ち上がった。
 手には編み上がった籠を持っている。そして彼は川の方へと歩いてゆき、ためらいもせず流れの中に足を踏みこんでいった。
「お、おい、いったい」
 予想もしなかったその行動に、言いかけた言葉を忘れてしまう。
 目を丸くするカルセストをよそに、ロッドはしばらくかがんで川底を探っていた。やがて再び腰を伸ばすと、今度は少し上流の方へと移動し、ざぶざぶと音を立てながら水の中を歩きまわり始める。水遊びじみたその仕草に、カルセストは怒るより先に呆れてしまった。続いて、皆が起きてしまわぬかと気を使う。
「なにをふざけてるんだ」
「ふざけてるわけじゃねぇよ」
 ひと通りうろつきまわって満足したのか、彼は間もなく上がってきた。あちこち濡れたのを払い落とそうと、しきりに手ではたいている。ことさら水をはね飛ばすように歩いていたのだから、濡れているのは自業自得だ。それでも一応、手拭いを出して投げてやる。
 まったく、この男ときたら……
 さっき気まずく思ったことも忘れて呆れていたカルセストは、だから手拭いを受け取った時のロッドの顔にも気がつかなかった。
「 ―― わりぃな」
 ぽつりと言われた台詞を聞き逃し、振りかえる。
 が、その時にはもう、ロッドは彼に背を向けていた。服や顔を拭きながら、外套にくるまっているアーティルトの方へと歩み寄る。
「おい」
 一声かけただけで、アーティルトはその目を開いた。立ったままで見下ろしているロッドを見返し、手をついて起きあがる。
 そして彼は無愛想に突き出された手に今まで使っていた外套を渡すと、立ち上がってその場を譲った。入れ違いに腰を下ろしたロッドは、ごそごそと身体に外套を巻きつけて、横にはならず、そばの岩に寄りかかるようにして両目を閉じる。
 口を出す機会を逸したカルセストは、無言のやりとりを呆然と眺めていた。
 やがてロッドと交代したアーティルトが、火の側へとやってくる。軽く手を挙げて挨拶され、ようやく頭を下げた。
「……火の番ですか」
「 ―――― 」
 問いかけるとうなずきが返る。
「あの、外套……」
 寒い訳ではないが、やはりあるのとないのとでは気分が違う。ロッドに取られてしまって、と言いかけると、アーティルトは手のひらを向けてカルセストを制した。そうして別の方向を指さす。
 そちらの方では、ザンとテオの二人が寄り添うようにして眠っていた。その身体を、深い青藍の外套がくるんでいる。厚く、そして柔らかい上質の布でできたそれは、近付いて確認するまでもなく、セフィアール騎士団員が身にまとうものだ。
「あれ、それじゃぁ……」
 彼らの寝姿と、そしてロッドとをしばらく見比べて、カルセストは混乱したように呟いた。どちらがどちらのものかは判らないが、つまりアーティルトかロッドのどちらかがあの二人に外套を貸してやったのだろう。そして、それで身ひとつになった方に、やはりもうひとりが己との共有を許したということで。
 あのような、いつ身体を洗ったかも判らぬような農民に自分の外套を貸してやることも、仲間とはいえ他人の体温が残るそれに身を包むことも、カルセストには理解の外だった。まして『あの』ロッドが、そのような真似をするだなんて、まったく想像もできなくて。
「…………」
 もしかしたら、これは夢なのだろうか。
 ふと思った。今晩は、妙ことが多かった。焚き火の明かりに浮かぶ人を怖れない獣の存在も、珍しく多少は会話になっていたロッドとのやりとりも、そして訳の判らないその行動も。だから、それらも、ロッドの意外な優しさとおぼしきものも、すべて夢なのかもしれない、と。そんなふうに。
 焚き火のむこうに座るアーティルトの姿は、揺らめく炎に照らされて闇の中にぼんやりと浮かびあがっている。静かに目を伏せ炎を眺めるその姿は、まさに夢での情景のように、ひっそりと物静かなそれで。
 けれど、
 揺れる炎の暖かさも、燃える薪のはじける音も、けして幻などではなかった。
 ふと、アーティルトが炎のそばへと手を伸ばす。手にした枝でなにやら地面を引っ掻いているようだ。やがて掘り出されたのは、蓋をしたままの小さな壷だった。差し出されたのを受け取ると、すっかり温かくなっている。
 身振りで促され開けてみた。と、芳醇な香りがたちのぼってくる。酒を壷ごと埋めて温めていたのだ。こうして蓋をしたまま熱すると、酒の香気とばさずにすむ。
 思わず顔がほころんだカルセストに、取っ手のついた杯を取り出したアーティルトが手を伸ばした。壷を返すと、中身を杯に注いで渡してくれる。
 そうして彼は、まっすぐ目を見てひとつうなずいた。どうやら、これを飲んでもう休めと言いたいらしい。
 火の番を代わると伝えたかったが、そろそろ消えていた睡魔が蘇りつつあった。正直言って、いま酒を口にして起きていられる自信はない。
 結局、黙って受け取り頭を下げた。そっと口をつける。
 その酒はほのかに苦く、香ばしく ―― 滅多にない、極上の味わいがした。


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