楽園の守護者  最終話
  ― 共にゆきし者 ―
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2008/07/31 20:53)
神崎 真


 庭師が丹誠込めた庭園で彼を待っていたのは、ほっそりとしたたおやかな肢体と、もの柔らかな微笑みとを持った、高雅な雰囲気をまとう女性だった。
 歳は確か二十歳と聞いている。上流貴族の独身女性としてはいささか年かさの部類ではあったが、二十七という彼の年齢を考えれば、あるいは妥当なところだとも言えるだろう。
 一部だけを結い上げ、残りは肩に流した髪は、緩やかな癖のある金褐色。透きとおるかのような白さにほのかな血の色を透かした健康的な肌色の中、見上げてくる睫毛の長い二重目蓋のその瞳は、わずかに緑を混ぜたかのようにも見える、琥珀色だ。

「……以前、舞踏会でお会いしたことがありましたか」

 その問いかけに、女性はわずかに膝を折ると、気品溢れる仕草で優雅に礼を取った。

「ベノト伯爵家の次女、カレスティーナ=セザウィと申します。 ―― 陛下」

 鈴を鳴らすような声で名のり、そうして伯爵家の姫君はしとやかにエドウィネルへと微笑みかけたのだった。


*  *  *


「ついに見合いのお膳立てたぁ、あいつもとうとう身の固め時ってやつかね」
 広大な王宮の一画。
 星の海へ向けての見晴らしの良い露台の手摺りへと腰を載せて、褐色の肌を持つ破邪騎士の青年は、くつくつと笑いながら足をぶらつかせていた。
 端から見ればひどく危なっかしいその仕草だったが、同席している亜人種の侍女も黒髪の女騎士も、もはや慣れきっているらしく、いまさらどうこう咎めようとはしていない。
先代さきの陛下が亡くなられて、いよいよ後継者の問題が重要になっていらしたのだろうよ」
 こちらは露台の中央にしつらえられた、大理石製の卓と椅子で優雅に茶を楽しんでいるフェシリアが、湖からの風に長い黒髪をなぶらせつつ、そんなふうに評している。
 つい二月ばかり前、国家セイヴァンの王位を継いだあの青年は、いまだ独身で、側室や婚約者の一人も持ってはいなかった。
 もともと慢性的な出生率の低さを抱えていた王室のこと、即位前から王太子には幾つもの降るような縁談が持ち込まれてはいた。正妃とまでは行かずとも、まずは側室の一人や二人、いや三人でも四人でも、抱えて次なる王位の継承者をもうけてほしいと。それはセイヴァンに住まう誰もが望む、切なる願いであったはずだ。
 しかし、朴念仁というか、どこか異性に対して奥手なところのあるあの青年は、今の今まで一人としてそういった存在を持ったことがなかった。無論のこと、彼とて年頃の健康な青年男子である。当然それなりの経験は重ねてきていた。だがそれはあくまで一種のたしなみとでもいうべきか。けして婚姻 ―― それも王族とのそれを前提とするようなものではなかったのである。
「まあ、あの陛下でいらっしゃることだ。己が義務をお忘れになることも、また妙な色香に迷って政治をおろそかにするようなことも、なさりはされるまい」
 フェシリアの言葉には、ごく当たり前のことを口にする響きが宿っている。
 それだけ彼女は、あの新国王を信頼しているのだろう。
 そう遠からずふさわしき姫を娶り、セイヴァン王家の血を引く後継者を生み出すだろうことを、彼女はまるで疑っていなかった。
 実際それは、現実となるのだろう。
 エドウィネルがエドウィネルである限り ――
 口に運んでいた茶器を音もなく受け皿へと戻したフェシリアは、それよりも、と。手摺りで身体を揺らしている青年へと、薄墨色の瞳を向けた。
「婚約というのならば、こちらの件は考えてくれたのだろうの」
 と ――
 問いかけるその言葉に、湖を眺めていたロッドは、ようやく彼女の方へと顔を向けてきた。
「ああ……あの、偽装婚約って話か」
 よっとかけ声をかけて手摺りから飛び降りると、フェシリアの向かいにあたる椅子を引っぱりだし、どっかり足を組んで座りこむ。
「めんどくせえ。……っつぅか、使える人間ぐらい、他にいくらでもいんだろうが」
 吐き捨てるロッドの前へと、リリアが手際よく新しい茶と菓子を並べてゆく。
 ロッドは遠慮なく焼き菓子を口へ放り込み、ぼりぼりと音を立てて噛み砕いた。それから茶に手を伸ばし、やはり音を立てて啜るように飲みこむ。
 そんな不作法にも全く動じることなく、フェシリアは自身の言葉を続けた。
「そうは言うがの。余計なしがらみがついてまわらず、しかも仮にどこからか命を狙われたとしても、そう簡単に殺されないでいてくれる人材となると、なかなか該当する者が見つからぬでな」
「……狙われるの前提かよ」
「年端もゆかぬ、新女公爵の婿ともいう立場となればの。人の一人や二人、殺してでも得たいと考える人物は、なかなか多かろうて」
 フェシリアを殺して、己が息子をその地位につけんとした、あの西の方のように。新たに爵位を継いだ年若き少女の傍らに立つことを夢みる男達は、それこそエドウィネルに娘を嫁がせようと考える貴族諸侯らに劣らぬほど、あまた存在するはずだった。
 正式な爵位は妻であるフェシリアにあるとしても、夫となる男はその彼女の補佐として、強大な権力を握ることができる。 ―― たとえ現実がどうであろうとも、そうと信じる野心家の男達は、彼女のまわりにいくらでもいるのである。
 故にフェシリアは、それらが起こす牽制のし合いという名の無用な争いを未然に防ぐためにも、早いうちに婚約者だけでも定める必要があった。
 実際彼女ももう十六。上流階級としては、そろそろ適齢期といっていい頃合いだ。
 更に言うなら異母弟 ―― ということになっていた ―― ファリアドルが公爵の血を引かぬ事が判明した以上、後継者問題は彼女の上にも等しく降りかかっている。
 ……とはいうものの。
 未だ爵位を継いだばかり。しかもその継承はあまりに急かつ、先代公爵の意にも沿うてはいなかった。そうであるが故に、今の彼女には片付けねばならぬ様々の諸事雑務が山積みになっているのだった。
 はっきりと言ってしまえば、当分は結婚問題ごときにかかずらっている余裕などない、というわけである。
 そんな次第で彼女が持ち出したのが、前述通りの『偽装婚約』というやつである。
 期限付きのしばらくの間で良いから、婚約者の『ふり』をしてほしいのだと。彼女はロッドにそう持ちかけたのだった。
 彼であれば、確実に他の貴族諸侯等の妙な息はかかっておらぬし、買収などに応じる心配もない。そして仮になんらかの危険に見まわれることがあったとしても、鼻で笑って切り抜けるだけの伎倆も身に備えている。
 特に最後の点、いわゆる『殺しても死なない』という点に関しては、つい先日二度も身をもって証明してみせたばかりであった。
 また、この男の評判は公爵領において、その実かなり高い。無論、一部の官僚や貴族達からは、その立ち振る舞いや身分の不確かなところなどから忌み嫌われているが、逆に公爵家の屋敷にいる使用人や兵士達、また街の人々などからは、まるで英雄ででもあるかのような崇拝を受けている。
 生まれの不確かさ ―― 彼が先代公爵の実子であるだなどとは、間違っても公にできる情報ではない ―― は確かに問題となるであろう。だがこの国においては、セフィアール騎士団の一員であると言うそのことこそが、なによりも高貴な身分のあかしとみなされる。
「落ち着いてこの問題に対処できるようになるまで、しばらくの間で良いのだ。どうか、頼みたい」
 余計な言葉は弄せずに、ただまっすぐ目を見てそう告げる。
「 ―― ッ」
 がりがりと短く刈った頭をかきむしりながら、ロッドは声にならない唸り声を発した。


*  *  *


 一方また別の日の、人気の少ない庭園の一画にて。
 女公爵に仕える亜人種の侍女を前に、挙動不審な様子で立ち尽くしている一人の青年がいた。
 セフィアールの青藍の制服をその身にまとい、くるくると巻いた癖のある亜麻色の髪を首の後ろでひとつに束ねている。わずかに緑の混じった灰色の瞳が、落ち尽きなくあたりを見まわしていて。
「……ええと、その。だから……ッ」
 その口から洩らされるのは、先程からなんら意味を為さない切れ切れの言葉ばかりだ。
 血の気で真っ赤に染まったその顔に、必死の表情が浮かべられているのを、リリアは心配げに見上げている。
「あ、あの、カルセストさま……? どこか具合でもお悪いのであれば ―― 」
 相手を気遣ったのか、無意識のようにそっとその両手を差し伸べる。
 と ――
 がしっという音を立てんばかりの勢いで、その両手をカルセストがわし掴みにした。
 思わず洩れた小さい悲鳴にも構うことなく、彼は懸命な形相でリリアへと上半身を近づける。
「リ、リリア」
 掠れた声がその名を呼んだ。
 そこに込められた常にない熱の気配に、リリアは驚いたようにカルセストを見返す。
 硝子玉のような淡い水色の瞳と、カルセストの瞳が間近で視線を合わせた。
「き、きみも知ってるとおり、私は子爵家の三男で。確かに貴族ではあるけれど、子供に継がせなければならない、爵位なんかは持っていない」
 ようやく意味のある、しかし唐突ともいえる内容の言葉に、リリアはただ小さく頷くことしかできないでいた。
 それは確かに彼女も以前から知っていることだ。しかしセフィアール騎士団員という確かな身の証を持っているカルセストが、そのことについて引け目を感じる必要などは、なんらないはずだった。
「だから……」
 リリアの両手を握る手に、さらに力が込められる。それはもし普通の少女であれば、痣のひとつもできていたかもしれないほどのものだった。だが有鱗人種として通常よりも丈夫な肉体を持つ彼女には、問題なく耐えられる程度の力であった。
 むしろ彼女は、向けられる瞳の光の強さに、言葉の熱さに、全身が火照ってくるのを感じていた。
 なぜかしら、相手の顔をまっすぐに見返すことができず、うつむいてしまう。
 さらりと流れた銀髪の下には、水色の鱗が密生していたが、それすら透かして赤い血の色が浮き出ているのではないかと、そう思われてならない。
「だから、私には子供を持つ必要なんてない。もしもいつか寂しくなったなら、養子をとることだってできる。たとえ子供なんかできなくたって ―― 種族なんか違ってたって、私にはなんの関係もないんだ ―― !」
 下を向いたリリアの両目に、じわりと熱いものの盛り上がる感触がした。
 握りしめられた両手が、肩が、細かく震えてくるのを感じる。
 それはけして、悲しみや辛さからもたらされるものではなくて……
 大きく、ひとつ深呼吸したカルセストが、覚悟を決めたようにリリアの耳元へと囁きかける。
 けして大きくはない、けれどはっきりとした口調で。

「貴女を愛してる。どうか結婚してほしい」

 それに対して彼女が返せる答えなど、ひとつしか持ってはいなかった。


*  *  *


 星の海ティア・ラザに張り出した岬を中心に、同心円上に広がる王宮と、それに続く城下町。その王宮の敷地内といっても良い、幾重にも張り巡らされた堀の幾つ目かの内側に、二大公爵家の一、アルス公爵家の屋敷は存在していた。
 その一棟で暮らしているのは、今回国王として即位したエドウィネル=ゲダリウスの母をこととする妹、ユーフェミア=エル=グラシエナ=アルス公女。
 生まれながらに聴力を失った聾唖者である彼女が、公式な社交の場に姿を現すことはなかった。その繊弱な体質もあって、生まれ育った屋敷から出ることすら稀な彼女の元を訪れるのは、その異母兄たるエドウィネルと、同様に唖者という境遇にあるセフィアールのアーティルトぐらいである。
 国王となった兄とは、さすがにこの数ヶ月というものわずかな手紙のやりとり以外行うことはなかったが、アーティルトはそれでも変わることなく、王都にいる限り数日おきに訪れては、様々な話を聞かせてくれていた。
 今日も彼は、数冊の書物を手にやってきて、床に敷いた絨毯の上に、幾つものクッションを重ねてしつらえた席で、ユーフェミアと肩を並べて文字を追っている。
 王宮の図書室から借り出した貴重な物語詩は、ほとんど外出することのできないユーフェミアを、ひどく楽しませ、心慰めてくれる。
 指文字で感想を綴れば、優しい微笑みとともに、間髪入れぬ返答が返されてくる。
 それは彼女にとって、とても嬉しく幸せなことであった。
 書物へとうつむけた上体から、長い金髪がさらりと流れて落ちる。
 座った状態で床に渦を巻くほどの長さがあるそれを、アーティルトはそっと手に取る。陽光を浴びて金砂をちりばめたようにきらめくその髪へと、彼は静かに唇を寄せた。
 そうして再びユーフェミアの肩口へと、穏やかな仕草で流してくれる。

「…………」

 一見すれば、ただ無言で向き合っているに過ぎない二人。
 だが彼らの間には、言葉にならずとも通じ合う、様々なものが存在していた。


 耳が聞こえず、言葉も話せず。病弱ですぐに体調を崩すユーフェミアは、おそらく生涯誰の妻となることもないであろう。
 子を為すことも、また夫婦の営みすらも、おそらく彼女には不可能であろうから。

 それでも ――

 彼女はどこまでも幸せであった。
 生まれつき他の境遇を知らぬが故に。
 そして足ることを知っている彼女は、自らがひどく恵まれた環境にあることを、その聡明さで悟っていたが故に。


 そして、彼女の傍らに座す青年もまた。
 不遇な少年時代を送り、そしていくばくかの幸運と自らの実力をもって現在の状況にまでのぼりつめて、そこで愛すべき存在を得たこの青年も、また。
 いま以上の幸せを想像することなど、考えようもなかったのである ――


*  *  *


 それは、珍しくも厳重に人払いを為された上で、問いかけられた質問であった。
 常であれば、互いの腹心達を護衛や記録係として室内へ残すことに、何らの不満も不安も感じさせない度量を持つこの主君が。
 ひどく気まずげに、幾たびも言葉を濁しながら、二人きりで相談したいことがあるのだと主張し、給仕の侍女さえ遠ざけて、室内にただ二人となることを要求してきたのである。
「ご相談、で、ございますか……?」
 くり返したフェシリアに、複雑な表情でうなずきが返される。
「そう……なのだが……」
 そう言って至高の玉座にあるはずの青年は、なにやらしきりに咳払いなどくり返しながら、視線を床近くのあちらこちらへと投げかけている。
 どうにもかなり、口に出しにくい類の用件であるらしい。
 さて、いったいどのように水を向けたものかと、フェシリアは指を顎にあてて考え込んだ。
 国王として現在彼が執り扱っている様々な案件については、聞き及んでいるものもあれば、まったく関知していないものもある。相談という以上、フェシリアが関与していないものについてである可能性は低かったが、あるいは第三者的な立場からの意見を求められているという解釈も考えられる。
 それとも、もしかしたらもっと個人的な相談である場合も ――
 と、そこまで考えが至ったとき。
 エドウィネルが、ひときわ大きな咳払いを放った。
「……その、あるいはこういったことは、むしろ当人かその父君に、まずお話しすべきであるかもしれぬのだが」
「はあ……」
 未だ意味不明なその出だしに、フェシリアはいささか間の抜けた声を返したに留まってしまう。
 さらに数呼吸の間をおいて、エドウィネルはようやくフェシリアをまっすぐに見つめた。
「レジナーラどのに求婚することは、彼女に対して非礼にあたりはしないだろうか」
 ―― と。
 今度はやけに平静な声音と表情で、彼はそんなことを尋ねてきたのだった。

「…………」

 不覚にもフェシリアともあろうものが、数秒間まるで反応を返すことができなかった。
 一体なにを言われたのかを脳内で正確にくり返し、その内容とエドウィネルの現在の状況とを照らし合わせ、思わず沈黙を選択してしまう。
 エドウィネルもまた問いの答えを望んでいるのか、いきおい場にはしばし無言の時が流れた。
 やがて……先に口を開くことを選んだのは、フェシリアの方であった。
「 ―― 陛下」
「うむ……」
「確か陛下は先日、ベノト伯爵家の姫君、カレスティーナどのと、いわゆるお見合いを整えられたと、そう記憶しておりますが」
「うむ……その通りだ」
 いささか決まり悪げにエドウィネルはうなずく。
「それはつまり、カレスティーナどのが、お気に召されなかったと。そこまではわたくしにも理解できます」
 一度言葉を切って、フェシリアは鋭い眼差しでエドウィネルを見た。
 あるいはそれは、臣下として主君へ向けるにしては、不遜な種類のものであったかもしれない。それでも彼女は、その声に常よりも幾分か強い調子を込めて、エドウィネルへ問いかけていた。
「ですがそれと ―― 我が部下レジィ=キエルフとの間に、いったいどのような関係がございますのでしょうか」
「フェシリアどの……」
 エドウィネルはどこか気圧されたように呟いていた。
 だが、彼にも彼なりに譲れない何かが存在したのだろう。自らを励ますようにひとつ息を吸って、フェシリアの問いに返答する。
「確かに私は昨日の午後、カレスティーナどのと二人で庭園を散策した。かの姫君は身分も血筋も申し分ないし、聡明そうなお方でもあった。物腰も優雅で、美しく ―― おそらく、王妃としては何の不足もない方なのだろうと、そう思う」
 ひとつひとつ数えあげるように、かの姫君の美点を並べてゆく。
 穏やかな物言いに、そばにいて安らぐようなもの柔らかな雰囲気。
 おそらく彼女を選んでいれば、エドウィネルは心温かく癒されるような、そんな結婚生活を送ることができるのだろう。
 しかし ――
「彼女と言葉を交わしていて、感じたのだ。この女性とは、いったいなにを話せばいいのか判らないと」
 それは、ほんの時おり訪れた、不自然な会話の途切れ目。
 もちろん、ほとんど初対面に等しい相手のことだ。互いのことはほぼなにも知らないと言って良い。そんな中で会話を持続させてゆくことは、当然それなりの努力が必要となるものだろう。
 事実、手探りながらも互いに質問をしたり、庭園の草花に注意を向けたりといった行動をとった結果、幸いにも気まずいひとときを過ごすことはせずにすんだ。そうやっておいおいに互いを知ってゆくことで、彼女とも良い関係を築くことが、できるようになるのかもしれない。
「だが、私は思ったのだ。そうやってあの女性との時間を築き上げてゆくよりも、レジナーラどのと過ごした、あの数日間の方がよほど楽しかったのだと」
 コーナ公爵領から王都へ戻ってきたばかりのあの頃、レジィに贈るための刀を選ぶべく、その姿を思い描いていたその日々。そして届いた幾本もの刀の中から、彼女にふさわしい一本を選び出し、その拵えを考えていたその時間。
 そして ―― 実際に刀を受けとってくれた時に見せてくれた反応や、ともに使い方を模索したときのその会話など ―― 思い返せば返すほどに、胸の内は熱くなった。
「部下達と共に剣を振るい、妖獣の血にまみれて戦っていた彼女を、私は誰よりも美しいと思った。剣を取り、自らの力で自らの運命を切り開いてきた、その魂の有りようを、私は誰よりも尊敬している」
 そう言って、内に熱を孕んだため息をひとつこぼし。
 しかし ―― と、小さく頼りなげに彼は呟いた。
「私のこのような受け止め方は、彼女にとって、失礼にあたりはしないだろうか」
 フェシリアを見返す瞳は、自信なげに揺れている。
「どんな男よりも騎士らしく、男性的にあろうとしている彼女に対し、女性として求婚の意を伝えるということは、ひどく無礼な振る舞いになるのではないかと……軽蔑されるような行動なのでは、ないかと。私は……」
 再び床へと視線を落としてしまったエドウィネルに、フェシリアは内心で深々とため息をついていた。
 要するにこれは、あれなのか。
 十一も年下の小娘に向かって、二十七にもなろうという大の男が、恋愛相談というわけなのか。
 道理で人払いを要求したわけである。
 よもや本人がいるその前で、こんなことなど口に出せるはずがない。
 ……いやむしろ、本人がいるその場であった方が、ある意味面倒は少なかったかもしれないが。
「陛下……」
 どこか疲れたような声で、フェシリアはそう声をかけていた。
「ひとつ確認しておきたいのですが、その感情とは、確かに求婚を申し込むにふさわしい、男女間のそれでございますのね? 単に男性的な相手に対して、理解しやすいからと抱いた親近感を、取り違えたりしているのではなく」
「それは……違う! 私はレジナーラどのを、その……愛して、いる」
「確かでございますか? 彼女は御承知の通り、顔に ―― そして身体にも幾つもの傷痕を残した、いわば疵物にございますわ。それを承知でおっしゃっておられますか」
 いざ結婚して、その醜さゆえ食指が動かなかったではすまされぬのだと、ある意味あからさまに告げる。
 だがエドウィネルは小さくかぶりを振って、冷静にそれに応じた。
「傷痕ごとき、私の身体にだとて幾つだって残っている。……私は貴女や他の人々を守るためについた彼女のそれを、とても愛しいと思うし ―― それにある意味感謝すらしているかもしれない」
「感謝、とおっしゃいますと?」
「もしもあの顔の傷がなければ、彼女はとうに他の誰かと縁組みされていただろう。ロミュ侯爵家の姫君とあれば、普通縁談には困らぬだろうし、二十一ともなれば、まだ結婚していない方が珍しい」
 そうだろう? と聞き返すエドウィネルに、フェシリアは確かにと認めざるを得ない。
 そもそも幼い頃、乳母の過失で負ったあの顔の傷がなかったならば、レジィは剣を学ぶこともせず、結果フェシリアの側に上がることもなかったはずである。
「……本気だと、そう解釈させていただいて、よろしいのですね」
「無論」
「ならば ―― わたくしの方から申し上げさせていただくことは、なんらございませんわ」
 フェシリアの言葉に安堵の息をつきながらも、エドウィネルは未だわずかに不安が残るようだった。
「では、大丈夫だろうか」
「さあ……彼女の心中までは、私には何ともはかりようがございませんから。ただ、ひとつだけ思うことがあるとすれば」
 一度言葉を切ったフェシリアに、エドウィネルはごくりと息を呑んで先を待った。
「確かに、レジィ=キエルフは誰よりも騎士らしい騎士としてあるべく、努力を続けてきておりましたわ。ですがだからといって、身も心も男性であるというわけではございません。少なくとも、美しく装うても己には無駄なのだと、そう嘆く程度の女心は、きちんと持ち合わせておりましてよ」
 装うことなどいとわしいと、そうはねつけるのではなく、己にはふさわしくないのだと嘆息する。そこには確かに、美しさに対する憧憬が残されていた。
 そしてレジィはけして、醜い姫ではない。
 化粧の仕方や髪型や、衣装の形状を工夫しさえすれば、今よりもずっと美しくなれるだろうと、フェシリアもリリアもそう思い続けていたのだ。
 だからそれをこの主君が後押ししてくれるというのであれば、フェシリアにとって否やはない。
 優秀な武官を一人失うことは、正直かなり痛手ではあるのだが ―― それでも彼女の幸せを祈りたい程度には、フェシリアもレジィを愛していたし、長年の忠節に感謝もしていた。

 ―― 正直なところを言えば、もと自らの腹心であった彼女が、国王の傍らに侍ることについての利点を計算する冷静さもまた、その脳内には存在していたのだけれど。それはまあ、あくまで物事の一面であるにすぎない。

 そうか、などと呟きながら思索の内に入ってしまった国王を眺めつつ、フェシリアはすっかり冷めてしまった茶を口へ運んだ。
 だいぶ渋みが出てしまっているが、あいにく人払いした室内には、茶を淹れ直してくれる侍女リリアは存在しない。
 しばらくそうして国王の邪魔をせぬよう時を過ごしていた彼女だったが、ふと気が付くと、彼は顔を上げてフェシリアの方を眺めていた。どうやら物思いの方は一段落がついたらしい。

「……陛下?」

 問いかけたフェシリアに、すっかり表情を落ち着いたものにしたエドウィネルは、話を変えるようにまったく違うことを問いかけてきた。
「ところで、フェシリアどのの方は、どうなっておられるのかな」
「わたくしの方で、ございますか」
「ええ。果たしてあの男を、きちんと承知させられましたか?」
 ああ……と、フェシリアは納得の声をあげる。
 そうして、ちらりといたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。
「だいぶ文句は重ねられましたが。とりあえず、一年。それだけはつきあってやろうとの言質を、いただくことができましたわ」
 その答えに、エドウィネルは心底感心したようにうなずいてみせた。
「さすがはフェシリアどの。よくあの天の邪鬼から、そのような答えを引き出すことができようものだ」
「陛下にだけは、おっしゃっていただきたくないと存じますわ」
 くすくすと含みのある笑いを漏らしあい、内面の良く似た男女は脳内に同じ青年の姿を思い浮かべる。
 口が悪くて素直でなくて……けれど一度身の内として認めた相手には、どこか甘いところを見せるあの男。話の持って行きようによっては ―― もちろんその内容にもよるのだが ―― 思うとおりの反応を引き出すことは、そう難しくもなかった。
「あとはその一年の間に、どれだけ外堀を埋めて、また当人をその環境へ慣れさせるか、でございますね」
「自信の程は、充分にあられるようですが」
「無論のこと。勝算のない勝負はしない主義でございますから」
 きっぱりと告げるフェシリアは、確かに自身の発言に大いなる自信を持っているようだった。


 ―― それは、いまだフェシリアとエドウィネルと、あとほんのごくわずかな人間しか知ることのない、最大級の秘め事。


 ファリアドルの出生について調査させていた間諜が、別の経路からふとした弾みに探り出してきた、衝撃の事実。
 それは……フェシリアもまた、コーナ公爵の血を継ぐことのない、義理の娘に過ぎないのだという、動かしがたい証拠であった。
 すべてを根底からひっくり返しかねないその事実に驚倒したフェシリアは、しかし必要以上に騒ぎ立てることなく、関わったすべての人間に対して周到に口を閉ざすことを手配した。その中にはいささか穏やかならぬ手段も含まれてはいたのだが ―― それはことの内容を考えれば、仕方のない手だてだったと言えるだろう。
 そうして、厳重な人払いをした上で、実母たる北の方を問いつめた。その結果として聞き出せたのは ―― 北の方が産んだセクヴァールの実子たる男児は、死産であったという事実であった。
 一刻でも早く新たな世継ぎを必要としていたセクヴァールにとって、それはいかばかりの損失だっただろう。しかもその出産で北の方は身体を損ない、新たな子を望める可能性はほとんどなくなってしまったのだという。
 一刻も早く後継者をと、ある意味いまのエドウィネルやフェシリアと同じ立場に立たされていたセクヴァールは、焦りのあまりここで一計を案じたのである。
 すなわちフェシリアのそれとも似通った、一種の時間稼ぎ。
 適当な赤子を嗣子として発表し、その間に本来の跡継ぎを生み出そうという計画である。本来の後継者がうまく育ったなら、先の子供は廃嫡し、新たな子供をコーナ家次期継承者アル・デ=コーナとして王家へ届け出る。
 そのために選び出されたのが、フェシリアであったのだと ――
 彼女の本来の生まれがどこにあったのか、北の方自身はまったく関知していないという。ただ、北方と南方の血をあわせ持つ混血として不思議のない容姿を有し、そして後日廃嫡する際の面倒を省くため、男児ではなく女児を選択したのだと。ただそれだけを聞いていたと彼女は語った。


 今さら、と。
 それはそう呼んでも良い真実であった。
 コーナ家次期継承者エル・ディ=コーナとして誰よりも誇りを持ち、弟などにこの地位を奪われてなるものかと。己が愛するべきものとして、産まれながらに持たされたこの公爵領と民達を、誰よりも愛しこの手で守り抜くのだと、そう心に決めて歩んできたその道が。
 すべて過ちでしかなかったのかと、そう告げるその真実。

 しかし……

 まさしくそれは『今さら』であった。
 今さら後に引くことなど、できる相談ではなかった。
 ここまで周到に準備し、父に愛されぬことも、母と縁遠いこともすべてを胸の内に呑み込んで、次期女公爵たるべく努力してきた、この人生を。いまさらすべて否定されることなど、許せようはずもなかった。


 また実際の話、フェシリアまでもが公爵の血を引かぬことが判明しては、対外的にも大きな問題となってくる。
 二大公爵家のひとつたるコーナ公爵家、存続の危機である。それは下手をすれば国の半分をも揺るがす大問題に発展しかねなかった。
 残る方法として考えられるのは、フェシリアの婿として、少しでもコーナ公爵直系に近い婿を迎えることだ。そうすれば、次代の公爵には、わずかなりともコーナ家の血筋を引く人間を据えられる。
 期せずして、のちに義父が抱いたそれと同じ考えに至ったフェシリアだったが、しかし彼女は公爵が知らぬもうひとつの真実を知っていたのである。
 そう……公爵はおろか、余人のほとんど誰もが知らぬことであったのだが、ほんのすぐそこに、まさしくコーナ家直系の血を引く、適齢期の男が存在していた訳である。


 口が悪くて素直でなくて。けれど一度身の内として認めた相手には、どこか甘いところを見せるその男は、血を絶やさぬ為になどと直接的に口にしたところで、絶対に首を縦に振ることはないであろう。
 くだらないだとか、血筋なんぞ何ほどのものかと、唾棄する表情で吐き捨てるのは目に見えている。
 けれど ――
 彼が認めうるだけのそれなりの理由を持った、期限付きの偽装婚約という形であれば。
 そうして周囲に対する既成事実を整え、そして一年の間に本人の意識へも慣れを植え付け。
 期限も終わりに近づいてきたその頃、ある日突然、衝撃の事実として『それ』が判明するのであったなら ――


「まったく、フェシリアどのもお人が悪い」
 最初にこの計画を聞かされたときから、エドウィネルはことあるごとにそうくり返していた。だが応ずるフェシリアは、まったく悪びれる様子がない。
「使える手は、すべて使わせていただきますわ」
 いきなり、どうも血は繋がっていなかったから結婚してくれなどと口にしてみたところで、あのロッドが承知するとは到底考えられない。
 だがあの男はあれでなかなか身内に甘い。セクヴァールに対してでさえ、最後の最後まで、己の身をかけてまで信じようとしていたところが見受けられる。ならばまずは異母妹として我がままを通してみせるのも、戦略的手段として、ひとつの有効なやりかただろう。
「軽蔑なさいますか?」
 己の野心を守るため、相手の純粋な思いを踏みにじろうとしている、己のやり口を。
 問い返すフェシリアに、エドウィネルはただ無言で微笑むに留まる。
 計画に同意したその段階で、エドウィネルもまた同じ穴のむじなである。国内の無用な混乱を避けるため、その計画が有効であると感じたからこそ、彼もまたそれに協力することに心を定めたのだから。


 それに ――
 放っておけば、自身の幸せなどなにも考えないのではないかというあの男を、たとえ少しでも幸せにしてやりたいと思うのであれば、周囲が無理矢理にでも力を貸してやるしかないだろうと、そんなふうにも思うのだ。
 このままでは、おそらく一生涯誰と添うこともなく、一人孤高に生きていってしまいそうなあの男に、強く賢く聡明な、この少女をその傍らへ立たせてやれるのであれば。
 それはけして、人の心を無視した政治上のえげつないやり方とは、また異なったそれであるだろうと信じられるから。
 だからエドウィネルは、こんなふうに呟くのだった。
「ただ私は、少しばかり羨ましいと思っているだけですよ」
 あの男を、婚姻という実に自然な形で手に入れてしまうその方法は、自分のような『男』には決してとることのできない手段だから、と。
 そう言って肩をすくめるエドウィネルに、フェシリアはまるで鈴を鳴らすかのような可憐な声で笑ってみせた。

「こればかりは、女の特権でございますわ」

 と。
 そもそも殿方達は、男の友情だとか忠誠だとか好敵手だとかいった、女の身には割り込むことの叶わない様々な関係を、いくつも持ち合わせているではないか。
 ならば女の身でしか使うことのできない結婚という名の手段など、使ったところで羨まれる筋合いなど欠片もありはしなかろうと。


 厳重に人払いを施された、二人だけの空間で。
 良く似た内面を持つ二人の男女は、卓を間に挟み、良く似た笑顔を交わして立ちあがった。
 そこにあるのは、けして男女の恋情めいたそれではなく。
 誰よりも同じものを見ることができる二人が交わす、共犯者の微笑み。


 共に肩を並べて立ち上がり、この国の行く末をより良きものにするべくたち働くことができる。
 そんな人々のうちの一組が交わす、それは不敵で力強い微笑だったのである ――


(2008/08/02 11:00)


 長い間おつきあいありがとうございました。
 これにてシリーズ完結です。


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