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 楽園の守護者  第十一話
 ― 失われた欠片 ―  第四章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/06/15)
神崎 真


 第五閲覧室でレジィを待っていたのは、案内のフォルティスなどではなかった。
 礼儀上、ある程度の余裕をもって図書室へと赴き、ちょうどの時刻を見計らって扉を叩いた彼女は、内部から返された声に、思わず息を呑んでいた。
「殿下!?」
 いささか性急な動きで扉を開け中へと踏み込む。
 備え付けの文机で書物を開いていたエドウィネルは、金属製の栞を挟んで頁を閉じたところだった。椅子を引いて立ち上がり、笑顔で彼女を出迎える。
 狭い室内にいたのは、彼一人であった。てっきりここから他の場所へと案内されるのだとばかり思っていたレジィは、しばし言葉を失い、立ち尽くす。
「夜分遅くにすまなかった。いささか立て込んでいて、早急にとなると今宵しか時間がとれなくてな」
 そう言いながら、数歩近づいてくる。
 その動きでレジィははたと我に返った。慌てて床へ片膝をつき、胸に手を当てて最敬礼をとる。
「滅相もなく。このたびはお忙しき折り、礼を失した願いをお聞き届け下さいまして、感謝のしようもございません」
 深くこうべを垂れる肩へと、エドウィネルが軽く手を触れる。そうして立ち上がるよう促した。
「この場で過剰な儀礼は不要だ。こちらこそ礼を失してすまないが、そうだな ―― 手っ取り早く行こう」
 王太子とも思えぬぞんざいな言い方をする。思わず顔を上げたレジィへと、エドウィネルはどこか悪戯っぽい表情をしてみせた。そうして一歩足を引いてたいを返し、先刻まで座っていた席へと向かう。
 椅子の向きを直して腰かけた彼へと、立ち上がったレジィは歩み寄っていった。数歩手前で立ち止まり、控える。
「では、話を聞こうか」
 真摯な瞳で見上げてくる王太子に、彼女は小さく頷きを返した。


*  *  *


 話は、十日近く前にさかのぼる。
 セクヴァールの執務室より隠し通路の中へと踏み込んだフェシリアは、初めて目にする内部の様子に、無言で冷静な目を光らせていた。
 そこは、存在を秘されたものにしては、ひどくしっかりとした造りをしていた。
 人間が二人、肩を並べて通ることのできる下り階段。同じ大きさ、形に切り出した石材を隙間なく積み上げた壁は、黴と埃で厚く覆われてこそいたものの、建造された当初はさぞや見事だったろうと想像できるものだ。
 このような通路が存在するなどとは、産まれた時よりこの館で暮らしてきたフェシリアも、まるで関知していなかった。それは館に住まう他の誰でも同じことだろう。おそらくは現コーナ公爵ただ一人だけが知るはずの、秘めごと。
 しかし彼女をここへ導いたのは、父であるコーナ公ではなかった。
 フェシリアの傍らで角灯を掲げているのは、セフィアールのロッド=ラグレー。破邪国家セイヴァンが誇る対妖獣騎士団の一員たる青年だ。
 本来、厳しい審査をくぐり抜けた、それなりの出自と知性教養を兼ね備えた人物しか迎え入れられぬはずの騎士団において、その武技を現国王カイザールに見いだされ、特例として入団を許可された平民出の若者。のちには似たような経緯で同じく平民出のアーティルトが叙任されていたが、それでも彼の存在はセフィアールの中で異彩を放っていた。
 粗暴粗野。儀礼をわきまえず、排他的で、何に対しても否定的な態度ばかりを見せる、どうしようもない男。陛下も何故にあのような下賎な輩をお引き立てになったのか、と。そのような悪評は、王都を離れたこの地にもしばしば聞こえてきていた。
 しかし現実にその男自身と言葉を交わしてみて、フェシリアが抱いた感想は。
 なるほど、確かに礼儀知らずだ。公女たるフェシリアに対してはおろか、コーナ公セクヴァール、果ては次期国王たる王太子に対してすら、野蛮な物言いを改めようとしない。宮廷騎士としての洗練された立ち振る舞いなど欠片も備えず、どう控えめに見たところで、下町のならず者と変わらないといった評価がせいぜいだ。
 だが、その語る言葉が。まっすぐに向けられるその視線が、フェシリアをして何かを感じさせるものだった。
 口汚い罵りを含む物言いの中に、確かに隠された知性。積み重ねられた知識を下敷きとせねば、けして言うことのできぬ数々の指摘。こちらの言葉に対し返される、打てば響くような反応 ――
 彼女には、この男が噂通りの出来損ないだなどとは、とうてい思えなかった。
 むしろ……そう思われることをこそ、あえて望んでいるのではないか。
 それは彼女自身、か弱い姫君を装っているからこそ、気づいたことかもしれない。己の外面と内面との差異を覆い隠し、ことさらに外面の印象ばかりを強調する。そうすることで周囲の油断と同情を誘い、表には現さぬままにことを意中の方向へと運ぶ。力を蓄え、人脈を募り、いずれ必要となるその日のために、あらゆる準備を整えんとする。―― そんな彼女だからこそ、短時間で見抜くことができた、同族の仮面。
「ずいぶん古い、通路だの」
 角灯の淡い光に浮かび上がる横顔へと、フェシリアは声をかけた。
「この造りからするに、後から増築したのではなく、屋敷を建てる折り初めから設計に含まれていたものと見ゆるが」
 コーナ家の屋敷はこの地に街を築き始めたその当初、建国王エルギリウスの指示により建造されたものだ。もちろん三百年の間に様々な増改築が行われていたが、中心となる棟は当時のままの建物が残っている。
「ああ」
 低い声でロッドは答えた。その視線は依然進行方向へと向けられたままだったが、会話する意志はあるようで、そのまま先を続ける。
「この通路に関する部分は、手を入れちゃならねえことになってる。まぁ、置いてあるものさえ変えなけりゃあ、その限りでもないんだろうが」
 そのままにしとく方が面倒もなかったんだろ。
 迷いなく進む足取りからして、彼が以前もここを通ったことがあるのは明らかだった。道は一本、分かれ道こそなかったが、それでも明かり取りひとつない暗い石段は、行き先を知らねばひどく進みにくい代物だ。床を覆う黴や埃でたいそう歩きづらくもあり、フェシリアは幾度も足元を確かめた。
 そのおかげで気づいたことがある。
 ふと立ち止まり腰をかがめたフェシリアに、ロッドは数段下りてから振り返った。
「どうした」
 灯りを高くして問う。フェシリアは手ぶりで下を照らすよう促した。応じて角灯を持つ手が降ろされる。
「ふ、ん」
 ロッドがつまらなさげに鼻を鳴らした。
「新しいな。三日とたってはいまい」
 指先が汚れることもいとわず、フェシリアは石段に触れた。
 そこに残されているのは、まだ新しい足跡だった。大きさからして男のもの。まずセクヴァールのものとして相違あるまい。
「父上もつい最近、ここを下りられた訳だ」
 指についた汚れを払いながら、フェシリアが背を伸ばす。
「だな。これで実はうっかり忘れちまってただけ、ってえ可能性も消えた訳だ」
 情報を失念していたのではなく、明らかに故意で口をつぐんだ。公爵という地位にある以上、失念が許されるはずもないが、それでもそこに意志が介在するか否か、それは大きな違いとなってくる。
 フェシリアは血の気の薄くなった唇を噛みしめた。
「この先に、一体なにがあるのだ」
 まだ肝心のことを訊かされていない。
 セクヴァールが隠匿したその情報が、はたしてどれほどのものなのか。それによってコーナ家の今後が決まると言って過言ではなかった。たとえ実際はごくたわいもないことだったとしても、場合によっては大問題となる。なにしろ黙っていた相手が相手だ。
 場合によっては ―― この男の口を塞ぐ必要があるかもしれない。
 可能性のひとつとして、そんなことすらフェシリアの脳裏をよぎった。
 エドウィネルは未だ真実を知らず、そして現在そのすべてはロッドの頭の中にのみ存在する。ならば彼の口を閉ざせば、すべてを闇の中へと葬り、なかったことにするのも可能であろう。
「 ―――― 」
 無論のこと。
 そんな真似など、できるはずもなかったが。
 ロッドは王太子の信任を受けてこの地を訪れている。もしこの状況で彼が不自然な失踪など遂げれば、誰が手を下したかなど火を見るより明らかだった。そしてなにより、エドウィネルはフェシリアにロッドを預けた。何の条件もつけることない、まったくの白紙委任状。あれはロッドに対するものであると同時に、フェシリアへのそれでもある。それほどの信託を受けてなお、かの王子を裏切るなど、できるはずがない。


 ―― まこと、人の使い方を心得た御方よ。


 どこか皮肉すら覚えつつ、それでも従わずにはおれぬことを、彼女は喜ばしく感じた。
 懐疑と打算は、人の上に立とうとする以上、手放せぬものだ。それは確かに、その通りだけれど。
 それでもこうして、偽りない信託と忠誠を交わしあえる。そんな主君を持てたことが、真実誇らしい。
「まずは自分の目で確かめるんだな」
 そう言って、ロッドは灯りを高く掲げてみせた。
 照らす範囲を広げたその先に、石段の終着点が見える。突き当たりに黒々と開いた、穴。
「その方が早いようだの」
 答えてフェシリアは止めていた足を再び踏み出した。
 既に自身が選ぶ道は決まっている。それが吉と出るか凶と出るかは知らず。けれど、迷う思いはなかった。
 ならばあとは、いかにして自身とその主君と定めた相手に対し、ことを有利に運ぶべきか、それを考えるべきであった。そのために必要なのは、なによりもまず事態を把握することからだ。
 足早に出口をくぐるフェシリアに一歩遅れて、ロッドもまたその部屋へとゆっくり足を踏み入れる。


 下りた石段の長さからして、そこは地中かなり深い場所になると思われた。
 どのように換気がなされているのか。黴臭くはあるものの、空気自体のよどみは少ない。それよりも湿気の高さが不快感をもたらした。
 壁と天井がひと続きとなった、椀を伏せたような形状の部屋。そこに通じる道は、いまフェシリア達が下りてきた石段しかない。すなわち、その石段もこの空間も、そこに置かれたものを保管する、ただその為だけに造られたということである。
 石組みの床の中央に、台座を設けて安置された物体。
 輝く表面は金属質だったが、ところどころに色硝子めいたモザイク様の物質がはめ込まれている。円筒形のそれは、人ひとりが立った状態ですっぽりおさまるだけの大きさがあった。
「これは……」
 まったく初めて目にする物体に、フェシリアは何度も見直した。上から下まで丹念に目を走らせる。
「判んねえか?」
 ロッドが問いかけた。そこに試すような響きを感じ取って、フェシリアはむっと唇を引き結んだ。一度ロッドを振り返ってから、改めてその物体を見直す。
 見たことはない。確かに見たことはないのだが、しかし何かが引っかかった。
「 ―― あ」
 思わず声が漏れる。
 金属の円筒。モザイク状の欠片。一部を占める透明な板硝子。物体を構成するそれらのものが、記憶の中にある文面と一致した。
「報告書にあった『舟』か!」
「ご名答」
 うなずいたロッドは、手を挙げて側面にある蝶番ちょうつがいを示した。そこを境に開き、床へ横たえれば ―― なるほど、舟と見えなくもない。海上にあったなら尚更だろう。
 暗い地下室でその様を思い描いたフェシリアは、むしろひつぎを連想した。中へ人間が入った状態で蝶番を閉ざせば、硝子越しにちょうど胸から上が見える。
「そなた……」
 いったん言葉を切り、渇いた喉に唾を飲み込んだ。
「見つけたのが舟などではないと、知っていたのだな」
 提出された報告書は、その形状を描写するとともに、確かに『舟に似た物体であった』と記述されていた。なるほど確かにその描写は偽りでこそなかったが、既にこの物体を見知っていた人間から為されるには、迂遠で誤解を招きかねない表現であった。
 非難を宿した視線に、しかしロッドは応えた様子もなく返す。
「あの男もな」
 短い答えは、端的に事実をあらわしていた。
「あれだけ書いてあれば、あの男ならこいつのことだとすぐに判ったはずだ。実際、確認に来てるようだしな」
 親指で鎮座する『それ』を指差す。
 階段に残る足跡からして、そのことは疑いようがない。
「だが」
「父上はそのことを、殿下に告げなかった」
 フェシリアが先を引き継いだ。
 そうだ。責められるべきはロッドではなく、セクヴァールの方だ。
 確かにロッドは、『それ』が舟ではないと知っていたかもしれない。だがそのことは、本来彼が知るはずのないことであった。それを知っているべきなのは、この物体を密かに所有していたコーナ公セクヴァールと、そしてその後継たるフェシリアの二人だ。その二人こそがそれを知り、エドウィネルに示唆するべきであったのに。
 しかし ――
 フェシリアは知らなかった。彼女は父から受け継いでいるべきその知識を、伝えられてはいなかった。そしてセクヴァールは、確かに知っていたそのことを、王太子から隠匿した。理由は判らないが、そこに何らかの意図的なものが働いたのは疑いようもない。
「俺が知る限り、これと同じ物体が発見されたなら、それは即座に国王へ知らされなきゃならねえ。こいつはその為の見本として、王家から預けられてるんだ」
「…………」
「確かに、それ以外の場合は門外不出の話。知ってるのは代々の公爵と後継者だけだろう。だがな、エドウィネルにまで黙ってるってのはどういう了見だ?」
「 ―― 私に、伝えなかった理由は、予想できる。腹立たしいことだがな」
 きしむような声が、柔らかな唇からこぼれ落ちた。
 自分が後継者として望まれていないことなど、とうに承知していた。本来、跡継ぎとしてなさねばならない職務の多くを、いまだ年若いからと任せてもらえずにいる。そのことに悔しい思いをした経験も多かった。しかし、これは。
 もし仮にこれまでの間、公爵の身へ何ごとか生じていたならば、長年にわたり連綿と伝えられてきたこの事実は、知る者のいないまま闇に消えていたやもしれぬ。
 無論のこと、これまでにそんな例がなかった訳ではないだろう。そういった事態が生じた場合、おそらくは国王その人より、改めて新公爵に下命為されたのではないか。
 だが、いまこの時。
 現国王カイザールは病に倒れ意識がなく、その後継たるエドウィネルは、やはり知識を継いではいない。たまたま巡り合わせが悪かったと言えばそれまでかもしれないが、失われる知識は取り返しのつかないものなのだ。
 しばし何もない空間を凝視していたフェシリアだったが、やがて低い声で問いかけた。
「理由は、知っておるか」
 片眉を上げたロッドを、暗い光を放つ目でねめつける。
「何故に国王へ報告せねばならぬのか。報告を受けたその先で、陛下はどのように差配なさるのか、それを知っておるのか」
「 ―― いや」
 ロッドはかぶりを振った。
「残念だが、そこまでは判らねえ。多分あの男も知らないはずだ」
「そうか」
 何故そこまで断言できるのか、と。それを問いただすのは後まわしだった。
 ここまでにこの男が教えてくれたことは、すべて正しい。 ―― 少なくとも、そう信じるに足るだけのものであった。ならばおそらく、その見解もまた正しいのだろう。
「予想できるのは、ことが妖獣がらみだってえぐらいだな」
「そうだな」
 うなずく。
 過去に例がないヴェクドの大量発生直後、海上で発見されたこの物体。そしてその内部には、かの妖獣の体液と酷似した粘液が満たされていたという。両者の関連性は極めて高かった。
 ならば、いま自分達ができることは。
「父上が出発するまで、そう間がない。上に戻るぞ」
 こんなところで顔をつきあわせていても、事態はなんら進展しない。
「どうする気だ?」
「無論、このことを殿下にお知らせする。それには父の船を利用するのが一番早い」
 裳裾を持ち上げ、階段を目指す。
「下手な手は使えねえぜ。場合によっちゃぁ、公爵に見つかってもみ消される」
 ことは公爵に対する告発ともなる。
 明らかなる意図をもって、公爵が情報を隠匿していたのだと報告するのだ。むろん理由を詮索されるだろうし、事情如何によっては王家に対する背任の罪に問われるおそれもある。それを考えれば、公爵が黙っているはずはなかった。
 フェシリアの立場も微妙なものとなる。もし公爵が罪に問われた場合、彼女はその後継者として連座すると同時に、内部告発者という形で逆の立場へも立つ。あるいは公爵の正当性が認められたならば、彼女は父を密告した咎で裁かれるだろう。彼女の廃嫡を望んでいる公爵だ、これを幸いとファリアドルを後継者に立てるはずだ。
 つまりフェシリアにとって今回の事態は、文字通りの賭である。うまくゆけば王太子の ―― いや、即位間もない新国王の後ろ盾を受け、晴れて女公爵として立つことができる。だが裏目に出れば、エル・ディ=コーナの称号を失い、ただの公女として幽閉されるか、良くてどこかの貴族の元へでも嫁がされるか。場合によっては、父もろとも爵位を剥奪されることすら、考えられるのだ。
 だからこそ、ことは内密に運ばなければならない。
 かなうものならば、すべてを秘密裏に。なにも大々的に公表する必要はないのだ。王太子と公爵と自身と、ごくわずかな人間が知ってさえいればそれで良い。その結果として、あの父の弱みを握り、王太子の信頼を得られれば言うことはない。
 だがそれ以前に、なににも増して重要なことがあった。
「言っとくが ―― 」
 どう口にするべきかと思案していた彼女へと、ロッドが先に言葉を投げた。
「俺は戻らねえからな。あてにはすんな」
 予想しなかった発言に、フェシリアは思わず足を止めた。
「なんだと」
「ここに残るつってんだ。だから使いをさせるなら、それなりの人間を選べ」
 間違っても公爵に内通したり、失策を犯して情報を漏洩させるような人物には託すなと。
「なぜ残る。もう用件はすんだだろう」
 この男がいてくれるのはむしろ望ましいところであったが、そう言い出した動機が理解できず、フェシリアは問い返した。公爵の欺瞞を確認できた以上、彼はもうこの地に用などありもすまいに。
「ことが妖獣がらみなら、そいつはセフィアールの仕事だ。だがまた妖獣が現れたとして、王都に連絡してあいつらが駆けつけるまでに、どう急いだって五日はかかる」
 王都まで船を使って丸四日、王都からこの地までは丸三日。だが知らせを届けるだけであれば、訓練した鳥を使い二日で連絡を取れる。それでも往復で、五日。
 それだけの時間があれば、いったいどれほどの被害が出るだろう。
 訓練された兵を率い、堤防を頼りとした先日の件でさえ、あれほどの死傷者を出したというのに。
「国王がぶっ倒れる前になんか手配してたんならともかく、その望みがまずねえ以上、俺ぐらいはいた方がいいだろうよ」
 これでもヴェクドの五匹や十匹程度なら、軽いもんだ。
 うそぶく横顔は、しかしこの男らしくもなく、静けさに満ちた真摯なものだった。
「 ―― 助かる」
 本心からの答えだった。
 妖獣の出現が予測される以上、セフィアールであるこの男の存在は心強かった。できれば残って欲しいと考え、それをどう伝えようかと思案していた彼女は、自ら言い出してくれたことに偽りでない感謝を覚えた。
 公爵と己の確執など、領民の関知するところではない。
 たとえ公爵がなにを思っていたにせよ、己の立場がどれほど微妙であろうとも、そんなものはあくまで個人的な事情にすぎない。たかが私的な感情のこじれごときで、治め守るべき領地と民の生活を、おびやかしなどする訳にはいかなかった。
 彼らには彼らの生活がある。そして領主として税を徴収し、また数々の恩恵を享受する者として、自分達には彼らの生活を守る義務があった。それ故にこそ、約束された富であり権力である。
 なによりも守るべきは、彼らの命と財産。平穏なるその生活。
 もちろん己自身の身も惜しいものだが、当面命がかかるほどでもない。ならばそんなことにかまけて領民の身代を危険にさらすなど、悠長にもほどがあるというものだ。
 そう信じるフェシリアだからこそ、ロッドの言葉はありがたかった。
 公爵や己や王太子の思惑など、関知することなく。乱暴なその物言いが示すのは、ただ己がつとめを果たすこと、それだけで。
 正直、少々意外ではあった。
 この男が、噂されるほど騎士として不適格だとは思っていない。王太子からの信任を受ける以上、それなりの器は備えているのだろう。だが無条件で妖獣を相手どろうと ―― すなわち民達を守ろうとする、その姿勢はいささか予想を越えていた。
 出自すら定かではない、下層階級出身の青年。今どきどこの田舎者ですらつけぬであろう、野暮ったい響きの名は、なんでも戸籍を持たなかった青年が入団時に自身で命名したものだとか。
 伝え聞くそんな話とは裏腹な、そのありよう。教育も満足に受けていないはずの彼は、しかし王宮の大図書室の常連で、言葉の不自由な同僚アーティルトの指文字も時をかけず習得したという。
 語られる噂と、表面上見せる粗暴さから形作られる人物像とは裏腹に、時おりかいま見える、その人となりは。けして……そう、けして善良な、心優しいそれとは呼べないけれど。
 けれど、確実に言えることがある。
 この男は、信頼しても良い。
 少なくともこと今回において、領民達を守るそのために、この男は力を尽くしてくれるだろう。
 それは彼女の直感であり、確信でもあった。
「ロッド=ラグレー、か」
 その名を口の内で転がすように呟く。
 あン、と訝しげに見下ろしてくるのに、フェシリアは不敵な笑みを見せた。
「いや、なんでもない」
 急ぐぞ。
 再び段上を振り仰いだ彼女を、ロッドはしばし探るように眺めた。
 が ―― やがて小さく舌打ちして、先へと立つ。
 その手に提げられた角灯が、二人の足元をおぼろに照らし出した。
 大小二つの影が、足早に石段を登ってゆく。


*  *  *


 順を追って話していたレジィは、ひとつ息を吐いてエドウィネルを見直した。
「結局のところ、その ―― 便宜上『舟』と呼ばせていただきますが ―― その出現がいったい何ごとの先触れであるのか、それは確定できぬとのことです。ただコーナ公爵は、同型の物体を王宮より下賜されており、そして何らかの意図を持ち、その事実を殿下に対して隠匿していたという、その二点だけは確実に申し上げられるとのこと、ご報告に参上いたしました」
 最後にそう結んで、頭を下げる。
「…………」
 しばし場には沈黙が生じた。
 エドウィネルは、完全に己の考えへと沈んでいるようだった。
 口元を手のひらで覆うようにして、石組みの床を眺める。レジィはせかすことなく、その場で控えていた。伝えるべきことはすべて伝えた。あとは彼女が口出しするべきことではない。
「陛下が、どのような手配をなさるおつもりであったのか……それが判らねば、いかんとも為しようがないという訳か」
 エドウィネルは呟き、一度その目を閉ざす。
「公爵にも判ってはおらぬ以上、下手に問い質しなどしては、かえってやっかいなことになろうな。正直なところ、そのようなことにかまけている余裕も、今はない」
 レジィは思わず息を呑んだ。
 面を上げ、エドウィネルを見つめ直す。そんな彼女をエドウィネルもまた、まっすぐに見返した。
「内密にと配慮されたフェシリアどのに、感謝する。今の状態で公爵の告発など行っては、必要以上の混乱を招いただろう。うやむやの内になかったことにされた可能性も高い」
 ひとつ頷いて、エドウィネルは椅子から立ち上がった。
 そのまま考えをまとめるように、ゆっくりと室内を行き来する。
「ことが妖獣がらみであろう以上、セフィアールの派遣は必須だ。だがその先で何をさせるべきか、なにを警戒するべきかが判らない。期間も、規模も予測できぬ以上、そうそう人員を割くこともできん」
 ことに現在は、国王の代替わりという大事を控えている。その状態で、国の要たるセフィアールが、不在というわけにもいかない。そしてなにより、確たる理由を明らかにせぬままコーナ公爵にも無断で武人を派遣するなど、できることではなかった。いかにエドウィネルが次期国王とはいえ、道理の通らぬ命令を強引に押しつけなどしては、臣下からの信頼をいたずらに失うばかりである。
「では、捨て置かれるのですか」
 この方がそんな真似などするはずがない。彼女はそう信じていたが、あえて問いかけを放った。そういった行為が思考の助けとなることを、彼女は主人との関係でよく知っていた。
 エドウィネルはぴたりと足を止め、かぶりを振る。
「いや、それは論外だ」
「 ―― ならば、できることは」
「そうだな……目立つことのない、最低限の人員を送る。それしかあるまい」
「御意」
 再び一礼した彼女の前で、エドウィネルは深々とため息をついた。
「また彼らに負担を強いることになるな」
 その呟きの意味するところは、レジィには理解のできないものだ。


*  *  *


 翌朝。
 エドウィネルより呼び出しを受けたカルセストとアーティルトは、内密の任務を命ぜられる。
 コーナ公爵領へとおもむき、フェシリアの協力のもと妖獣に対する備えを固めるべし、と。
 ただしこの命は非公式なものであり、公爵は無論のこと、セフィアール騎士団の他の団員達にも気取られてはならぬ。それゆえ表面的には休暇を取り、私的な用向きでしばし王都を留守にするという形をとること。
 道案内は、レジィと共に王都を訪れていた副官バージェス。
 レジィは何か起きた場合の連絡役として、そのままエドウィネルの元へ残る。


 ―― この時、既に『舟』の発見から二週間あまり。
 そしてレジィが公爵領を発ってから、十日の時が過ぎようとしていた。


― 了 ―


(2003/06/29 14:01)
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