楽園の守護者  番外編
 ― 黙祷 ―
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2012/01/04 18:24)
神崎 真


 寒々しいまでに空虚なその広間では、蜂の羽音を思わせるかすかな響きだけが、冷たく乾いた空気を震わせていた。
 立ち尽くす背中が、すべてを拒絶するかのような、厳しく張りつめた気を放っている。

「 ―――― 」

 エドウィネルは口を開くことなく、ただ無言でその後ろ姿を見守っていた。そうしはじめてから、はたしてどれほどの時間が過ぎただろう。窓ひとつないこの場所では、夜空にあるはずの月の動きも確認できない。しかしどれだけの時を過ごそうとも、エドウィネルの方から何らかの働きかけをするつもりはなかった。ただ彼の気が済むまで、待ち続けることに決めていた。
 星の海ティア・ラザに沈む、巨大な施設、『船』。
 秘められた過去の遺産たるその場に足を踏み入れることが許されるのは、代々の国王とその継承者、そして導き手たる破邪騎士団長の三名のみである。だが、彼をこの部屋へ連れてくることに迷いはなかった。むしろ連れてこなければならないという、強い焦燥ばかりがあった。
 他でもない、彼だけは。
 本来であれば、自分ではなく彼こそが、王位を継ぐはずだった。
 今この世に生きている中で、誰よりも濃く正当な王家の血を持ち、祖王以来の破邪の術力をも身に備えた青年。

 そして何よりも言えることは ――

 エドウィネルは、その翠緑色の瞳に深い哀惜の色をたたえる。
 悲しいまでに、まっすぐ伸ばされたその背中。肩の線も震えることはなく、静かな呼吸すらわずかの乱れをも感じさせない。
 それでも。
 足元に落とされたその視線は、一体どのような光を宿しているのか。
 唯一、身体の両脇に垂らされた拳が、血の気を失うほどに固く握りしめられている。
 おそらくそこにあるのは、悲哀でも悔恨でもなく。
 その双眸は、ただただひたすらに、凄絶なまでに強くぎらついた、しかし深く冥い輝きを放っているのではないだろうか。


 青年の前にそびえているのは、枝を広げた巨大な樹木。
 国家セイヴァンの紋章にえがかれ、破邪騎士セフィアールの象徴でもある、白銀の大樹だ。
 水も土も風もない、無機質ばかりで構成された室内に、堂々とした存在感をまとって屹立しているそれ。
 広がる銀の枝に葉はなく、ただ小指の先ほどの実だけが散見される。
 幹の太さは、大人が数人がかりでようやく抱えられるほどだ。
 その根方を、青年はじっと見下ろしている。
 無言で。
 事情を説明され、この場に案内されてからずっと。
 身じろぎひとつせず、凝視し続けている。


 白銀の木肌は、一部が不自然に隆起していた。子供の腕ほどもある太い根が、幾本も伸びて複雑に絡み合い盛り上がった塊を為している。
 そして……そのぎっちり組み合った根の隙間から、布の切れ端がわずかにのぞいていた。それは注意して見るまでもなく、衣服の残骸なのだと判別できる。黒い絹に施された、質素ながらも丁寧な刺繍の意匠。それは身分の高い人間が身に着ける、屍衣しいのものだった。
 通常であれば、死者の身体を飾ったのち、荼毘の炎に消えてゆくべき最期の晴れ衣装である。
 それがいま、ここでセフィアの根に呑み込まれている、その理由は。

「…………」

 エドウィネルがそれを知ったのは、継承の儀式によって、否応なく様々な記憶を流し込まれた時だった。
 知りたくもなかった妖獣の正体や、セイヴァン王家の由来などと共に伝えられた、王家の伝統。三百年の長きにわたり受け継がれてきた、代々の義務のひとつ。
 セイヴァンの王位を継ぐ人間は、そのすべてを破邪に捧げるべし。
 生前の行動も、そして死したる後の肉体さえをも、と。


 王族の血肉を養分として成長し、破邪と癒しの力を発揮する植鉱物セフィア。破邪騎士達に植え込むそれらの親木たる、白銀の大樹。それを維持するために、これまでの王達はみな、死後その肉体を提供し続けてきたのだ。
 むろん公式には、遺体は荼毘に付すことになっている。そして遺灰は王家の墓所にうずめられると。
 実際慰霊祭の折りなどには、墓碑の前に主立った貴族や家臣達がつどい、厳粛に敬虔な祈りが捧げられる。
 しかし現実に遺体が運ばれる先は、この場所なのだ。
 それを知るのはやはり、代々の国王とセフィアールの長だけである。彼ら二人の手で、先王の遺骸はこの場に運ばれ、セフィアの根本に安置される。葬儀の炎に包まれるのは、空の棺だけだった。
 情など持たない植鉱物は、与えられた血肉を容赦なく喰らい尽くす。
 銀の根が捧げられた肉体を貪欲に包み込み、見る見るうちに吸収してゆく。それは恐怖しか感じさせない無残な光景で。
 数日と経たぬうちに、人間ひとりの肉体が跡形もなく消えて失せる。遺されるのは、その身を包んでいたわずかな布切れのみ。それさえも、いずれは時の流れに風化してしまう。


 カイザールが崩御したその日、この青年は遠く離れた公爵領にいた。
 大量の記憶を継承した負担でエドウィネルが昏倒したことにより、その死は数日間秘匿されたけれど。それでも暑さの厳しいこの時期に、そう長く遺体を保存できるはずがなく。まして妖獣の対処に追われ、結果的に力尽きることとなった青年が、臨終の床へ立ち会うことも、一目死に顔を拝むことも、叶えられようはずもなかった。
 エドウィネルが起きあがれるようになってすぐ、騎士団長と共にカイザールをこの広間へと運んだ。
 そして王位継承の儀式と同じように、ただ二人だけで真の弔いを行った。
 カイザールが先代から王位を継承したのは、はるか半世紀以上も前のこと。その頃のダストンは、まだ年若い一介の破邪騎士に過ぎなかった。故に初めて目の当たりとしたその光景に、彼は動揺を隠せないようだった。
 王家への忠誠だけで、理解できぬ様々なことをも呑み込んできた騎士団長にとって、その『義務』はどれほどの衝撃をもたらしたことだろう。
 それでも、彼以外の手を借りる訳にはいかなかったのだ。


 そして、いま。
 青年はようやくコーナ公爵領での破邪を終え、アーティルトやフェシリアらと共に王キへと戻ってきた。
 カイザールと彼の関係は、おおやけにされていない。無論この先もできるはずがない。そもそも当事者同士の間でさえ、はっきりと口にしたことなどなかったのではないか。
 それでも……
 二人の間に、どれほどのものが存在していたのか。
 彼が、どれほどかの国王のことを想っていたのか。
 それは単純な肉親の情愛などには収まらず。
 さりとて臣下が抱くような、当たり前の忠節でもなく。
 簡単に言葉で表すことはできない、けれど確かにあった、強固な絆 ――


 こんな、末期の言葉さえないままに。
 その遺体の一片すら目にすることなく。
 無惨なまでに、その残骸だけを突きつけられるような。そんな永別をしていい間柄ではなかったはずだ。
 たとえ公式には叶うことがなくとも。日頃からひそかに国王の私室へと出入りしていた彼ならば、もっとまともな別れ方ができただろう。そのとき王キに居さえしたならば。


 それが、叶わなかった理由は。
 こんな永の別れになってしまった、原因をもたらしたその相手は。


 ―― 許せるはずがない。たとえ実の父親であったとしても。


 そこに確たる血の繋がりがあろうとも……いやだからこそ一層に、彼はコーナ公爵を許さないだろう。嫉妬と怠慢という酌量の余地がない理由で、己が領地を危険に晒し、王家の秘伝を途切れさせる危険を招いた、あの愚かな男を。
 おそらく彼は、容赦なく、苛烈なまでに厳しく裁きを下すだろう。
 その様がありありと目に浮かぶようだ。


 ふ、と。
 ごくごく小さく、吐息が漏らされた。
 張りつめていた背中から力が抜け、ゆっくりとあおのいた顔が、広がる枝々へと向けられる。
 祖父から受け継いだ深蒼の瞳は、普段と同じようにただ乾いていた。
 わずかに細められたその両眼に、きらめく銀色が映り込んでいる。


 エドウィネルは静かに足を踏み出した。
 ゆっくりと歩を進めて、青年の傍らへと肩を並べる。
 あえて視線は落とさず、共に白銀の大樹を見上げた。

「 ―― いつか」

 数刻ぶりの言葉が、口からこぼれ落ちる。

「私も、この樹の糧となる」
 わずかに空気が動き、青年がこちらへ意識を向けたのが判った。
 しかしそれに反応することはせず、言葉だけを続ける。
「お祖父じいさまも、その前の王も、代々の王達みなすべてが、この樹の中で眠っている。この額環が記録してきた、彼らの経験と共に」
 国王の証しとして、その額を飾る銀の宝冠。それはこの『船』の施設と同調し、また植鉱物セフィアを制御するために作り出された、実用の道具だった。額環は国王の頭上にありながら様々な事柄を記録し、『船』にある台座を経由してこの大樹へと蓄積してゆく。それらの情報を、さらなる次代の国王へと受け継いでいくために。
「お前の経てきた人生も、体内のセフィアが記録しているのだろうな」
 王家の血と、体内の植鉱物セフィアの、双方を兼ね備えた存在。セイヴァンの長い歴史の中で、それを為して無事に生き延びている例は、祖王エルギリウス以来初めてのことだった。
 そのことを今のエドウィネルは、継承した記憶によってっている。
「……俺は」
 まるで独り言のように、青年は感情のこもらない声を出した。
「いつかこいつに、喰い尽くされるんだろうな」
 右手の中指にはまる指輪へと、指先でそっと触れる。
 祖王の後継たらんと自らセフィアを肉体に植え、そうして自滅していった王族は、過去に幾人か存在していた。それはまだ記憶を受け継いでいない王太子や、あるいはその座を狙う継承権の低い者などだったが、彼らはいずれも成功しなかった。あるいはセフィアにその血肉を喰らい尽くされ消滅し、あるいは再生能力の暴走によって人間ヒトの原形を留めぬ異形と化し、妖獣として破邪騎士に討たれた。
 この青年もまた、いずれそうならないとは言い切れない。
 しかし……
「祖王に劣ると思っているとは、またずいぶんと謙虚になったものだな」
「ぁあ?」
 揶揄するように言ってやれば、条件反射とも言える早さで反応があった。
 その眼を見返すと、深蒼の双眸は不機嫌そうに眇められていて。意識せぬ笑みが口元に浮かぶ。
 やはりこの男はこうでなくてはと、そう思う。
「祖王は八十を過ぎるまで生きたぞ。やまいひとつせず、老いてもなお頑健さを保っていたそうだ」
「……まあ、病気にはならんしな」
 傷つく端から再生するその肉体は、確かに些細なやまいなど寄せつけもしない。もしかしたら老化すら縁遠いのではないかと、そんな懸念すらあったりするのだが。一応いまのところの青年を見る限り、年齢に見合った容姿の変遷を遂げているようだ。
「孫の世代がそれなりに育ち、立太子できるだけの資質があると判断した祖王は、もう充分だと満足したらしい。自分の為すべきことはすべて終えたとな。そう考えて子に王位を譲った。そうして彼は、この場で自ら永久とわの眠りについたんだ」
 あるいはそれは、一種の贖罪だったのかもしれない。
 祖王の人生そのものが、造物主を滅ぼし、民草を騙し、そして自身の子孫にまで罪と義務を背負わせた、その償いに費やされていたのではなかったか。
 彼の人生の軌跡を識ってみると、そんなふうに思えてならない。
「へぇ……」
 偉大なる王の末期が自裁じさいだったと知って、青年は思うところがあったようだ。小さく鼻を鳴らしただけで、無言で再び大樹へと視線を戻す。

「我々はみな、いつかここに眠る。お祖父さまも、私も ―― 」

 お前も、と。
 口にはしなかった続きを、果たして彼は察したか否か。


 ただ言えることは。
 青年のまとう空気が、ようやくいつもと同じ、飄々としたつかみ所のないそれに戻っていた ――


(2012/01/04 22:17)



 

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