楽園の守護者 番外編
― 交 流 ―
― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2006/03/18 10:37)
星の海ティア・ラザのほとり、高くそびえる岬に立つセイヴァン王宮の敷地内には、数多くの施設が存在している。
そもそも王宮という存在は、単に王家に属する人間の居住空間というくくりに収まるものではない。そこはすべての行政の中心であり、また国内最高の技術水準を誇る文化の集積地でもある。通常王宮という呼称はその中枢部の一角のみを指しているが、実際のところは岬のほぼ全面を埋める建物群すべてが、王宮の範疇に含まれていた。そのほとんどは官僚が詰める行政に関わる施設 ―― すなわち農業や商業、土木事業といった各種経済活動に関わる省庁や、保安、各種司法等、国内の治安維持を目的とする部署などである。またそこには、実際に軍部が訓練を行う練兵場や馬場、厩舎に鍛冶場といった、実用的な区画も数多く存在していた。
そんな、王宮の一角。
建ち並ぶ石造りの建物からはいささか離れた、いわゆる『王宮』にもほど近いあたりに、遠目にも濃い緑の目立つ区域が存在していた。様々な種類の植物が枝を広げ、また厳密に管理された状態で地に葉を茂らせているそこは、本格的な春の訪れを間近に、なかなか華やかな雰囲気を漂わせはじめている。
常緑植物に入り交じり、そこここで新芽が膨らみ、とりどりの花々が蕾をほころばせつつある。まだ冷たさを残す大気には、ほのかに甘い香りが入り交じっていて。
そんな咲き初める花々の間で、一組の男女がゆっくりと歩を進めていた。
真っ直ぐな長い黒髪を結うことなく背に流した少女と、がっしりとした長身に濃緑の外套をまとった金髪の青年。寄り添う二人は年こそ離れているようだったが、それでも見るからに似合いの一対であった。
ふと、少女が行き足を止める。足元で咲いている美しい紫色の花へと、そっと身をかがめた。青年もまた、腰を曲げ上から可憐な花弁を見下ろす。
「この花は ―― 」
少女の細い指先が、露を含む葉へと、静かに触れた。
「確か、解毒や鎮痛に効果があるものでしたか」
もっと北の方に生える種類だと聞いておりましたが。
顔を上げて聞いてくる少女に、青年はひとつうなずいた。
「ええ、本来は気温の低い高山に自生する薬草ですが、平地でも花を咲かせるように品種改良を重ねているそうです」
なんでも生の葉をすりつぶし酢で練ったものを患部に貼ると、膿を吸い出す効果もあるのだとか。
「なるほど……公爵領の方には、乾燥した生薬の形でしか入ってきませんので、もっぱら服用する方法にしか使われておりませんわ」
「それでしたら確か、あちらにある白い花。あれならば暑さにも強いし、薬効も近いものがあったはずですが」
「ええ、あれなら向こうでも見かけますわね。それに公爵領の方では、海草に由来する薬もいくつか存在いたしますわ。内陸での栽培が難しいそれらと、南方では育たない種類のものと、交換する形で交易した場合 ―― 」
「まず流通経路の確保は当然として ―― それぞれの種類ごとに相場を確定するには ―― 」
「 ―― 季節ごとの生産量が ―― 関税の ―― 」
二人の間で熱心に交わされている言葉には、大方の予想を裏切り、色めいた雰囲気など欠片も存在していないそれだった。
コーナ公爵家次期継承者フェシリア=ミレニアナとセイヴァン王家王位継承者エドウィネル=ゲダリウス。周囲から目にすれば実に釣り合いのとれた取り合わせの二人は、しかし当人達の意識の上では、良い友人同士以外の何者でもないのである。
建国祭を機に王都を訪れたフェシリアは、次代女公爵として位置づけられているのにも関わらず、王宮に足を踏み入れるのはほぼ初めてと言って良かった。そして本来であれば、王宮内に数多くの貴族が滞在している現在、フェシリアは公爵と共にそれらの人々への顔つなぎを兼ねた挨拶に忙殺されているはずである。
しかし公爵は年若さを理由に、フェシリアをそれらの一種私的な場に伴おうとはしなかった。公的な場である儀式や会食にこそ参加させるものの、それ以外は自由にしているようにと言いおいて、己一人で他出を繰り返している。
そうなると年若い少女である彼女が、ひとりでそうそう歩きまわるわけにもいかない。もどかしさに歯噛みしていたフェシリアだったが、舞踏会が終わった翌日より、時おり王太子からの誘いを受けるようになっていた。
エドウィネル手ずから王宮内のそこここに案内しては、その構造や使用目的を説明し、また行き会った貴族達へとさりげなく紹介する。それはこれを機に少しでも見聞を広めておきたいフェシリアにとって、実にありがたく貴重な助力であった。
今もまた、そうして連れてこられたのが、王宮の一角に存在する薬草園の中だったのである。
ひととおり園内をまわり終えた二人は、入口近くまで戻ってきたところで侍従の青年に迎えられた。
「席を設けております。よろしければご休憩になられては」
促されるまま目をやれば、四阿に簡単ではあるが、茶器や焼き菓子などが支度されている。まだ少々肌寒いこの時期、屋外を歩いていた二人にとって、熱い茶はなにより魅力的なものであった。
まずエドウィネルが椅子を引き、フェシリアを風があたらない位置へと座らせる。そうして自分はフォルティスが用意した席へと腰を下ろした。卓上に目を落としてみれば、花の飾られたそこには、菓子皿と共に数葉の書類がそろえて置かれている。
不審に思い手に取った。ざっと紙面に目を走らせ、思わずフォルティスを見上げる。
手慣れた仕草で二人分の飲み物を淹れ終えた侍従は、小さく会釈すると離れてゆく。そして会話の内容は届かない、しかし合図すればすぐにそれと判る位置で控えた。
それを見送って、エドウィネルは小さく笑いをこぼす。手にしていた書類を一部卓へ戻し、フェシリアの方へと滑らせた。
立ちのぼる香りを楽しんでいたフェシリアは、茶器を置いて受け取った。字を追ったその目がわずかに見開かれる。
それはこの薬草園で栽培されている植物についての一覧と、それらの国内における生産及び流通状況の資料であった。同じものが各二枚ずつ、二人分用意されている。
「…………」
無言のまま最後まで目を通し、フェシリアはエドウィネルを見返した。その視線をエドウィネルは、口元に柔らかい笑みをたたえたまま受け止める。
彼らが行き先にこの薬草園を選んだのは、ついさっき顔を合わせた折りのことである。今日はどのあたりをご覧になりたいかとエドウィネルが問い、窓から外を眺めたフェシリアが、あの森のようなものはなにかと問うたのが、そのきっかけだ。そのまま真っ直ぐここへ向かい、付き従ってきたフォルティスと園の入口で別れて、半刻ほど経つだろうか。当然フォルティスは、園内で交わされた二人のやりとりなど、耳にしているはずもない。
「 ―― 優秀な侍従をお持ちですのね」
フェシリアの言葉に、エドウィネルはどこか誇らしげにうなずいた。
「年は若いですが、長く仕えてくれている、得難い人材です」
おそらくは、エドウィネル自身とそう変わらないだろう年頃の青年だ。次代の国王たる人物に付き従うものとしては、かなり年若い部類に入っている。事実王太子付きの侍従文官の中には、もっと年嵩の、長い経験を持つ人物が複数存在していた。だがその中で、フォルティスが特に重用されていることは、周囲から見ていても明らかである。
それはけして、年の近さによる気安さからくるものばかりではなく。
指示されるまでもなく的確に用意された資料や、また目の前に並べられた茶菓子の類が、さりげなくフェシリアの口に合わせた南方風のものであったりすることなど。それらがその事実をひかえめに主張している。
「気心の知れた優秀な側近というのは、なかなか願って得られるものではありませんものね」
フェシリアがしみじみと呟く。
人脈こそ財産と考えているフェシリアにとって、有能な人材は喉から手が出るほど欲しているものであった。いずれ訪れるであろう父公爵との対立の時を前に、それこそ使える人間はどれほどいても困らない。
「フェシリア殿にも、優秀な側近はおいででしょう」
エドウィネルが薬草園の入口の方へと、ちらりと目を向けた。そちらではフェシリアに付き従ってきたレジィ=キエルフが、見張りとして控えているはずだった。
「なんでも一隊を指揮し、沿岸を荒らしていた海賊どもを一掃したこともあるのだとか」
「ええ……二年ほど前の話ですけれど」
その折りに海賊に捕らわれていたところを救われ、そのまま侍女として仕えるようになったのが有鱗人種のリリアである。
「はじめの頃は女だてらになどと言われ、なかなか受け入れられなかったりもあったようですが、最近では一般の兵達からも信望が厚いようで」
「それは頼もしい」
エドウィネルのその言葉は、けして形式的なものではなく、彼が本心から感心しているのがありありと察せられた。それにつられるように、フェシリアも素直に口元をほころばせる。己の側近が認められることの嬉しさと、そして率直にそれを表現してみせる王太子とのやりとりが、実に楽しいものなのだと、その二つの思いを唇にのせて。
うわべだけの微笑みと、巧みな会話術を駆使した腹の探り合いこそが日常と言って良い貴族同士の交流の中で、これほどにくつろいだ時間が持てることなど滅多にない。
貴族 ―― ことに公爵や侯爵といった大貴族の間で交わされる会話では、ほんの不用意な一言が、どんな失策をもたらすか知れないのだ。なればこそ、慎重の上にも慎重を重ね、計算し尽くした言動をとるべく一瞬たりとも気を抜くわけにはいかない。そんな緊張感をも、どこか楽しむだけの強靱さをフェシリアの精神は備えていたけれど。
それでも、こんなふうに気心知れたやりとりができることは、それはそれで楽しく気持ちが良いものだから。
「わたくしも、ああいった侍従が欲しいと思いますわ」
そんな、軽口めいたものさえ、口をついた。
「それは私も同様ですよ。優秀な武官をお持ちのフェシリア殿がうらやましい」
「でしたら交換いたしましょうか」
「え?」
エドウィネルが、虚をつかれたように目を見開く。
まじまじと見つめ返してくる若葉色の瞳に、フェシリアは意味ありげに微笑みかけてみせた。
「珍しいことではありませんでしょう?」
確かにそうだ。
貴族間における交流では、物品をやりとりするのも良くあることだったが、それと同様に人材を贈りあうというのも、そう珍しくない話であった。互いに優秀な文官と武官を交換するというのは、なかでも典型的な形といえる。
「や……ですが、その」
戸惑ったように口ごもるエドウィネルを見つめていたフェシリアは、やがて澄んだ笑い声をたてた。細い指先で上品に口元を押さえ、控えめに笑い続ける。
「冗談ですわ。わたくしにとっても、レジィ=キエルフは貴重な部下ですもの。彼女の代わりになる人材など、おりませんわ」
いたずらっぽく言って見上げるフェシリアに、エドウィネルはほっとしたように息をついた。
「参りましたね」
からかわないでいただけますか、と。
強くとがめることはせず、ただそうとだけ言って苦笑する。
通常であれば、臣下の身で王太子に対しこのような物言いをするなど、到底許されるはずがなかった。ましてフェシリアは、嗣子とはいえいまだ爵位を継ぐことのない、一介の姫にすぎず。それを思えばあまりにも不敬が過ぎる振る舞いであった。
だが、エドウィネルは不快を覚えるどころか、むしろその気安さを歓迎しているようにさえ見受けられる。それはけして、フェシリアの自惚れからくる錯覚ではないのだろう。
まだ出会ってわずか数日しか経つことのない、年齢も性別も立場も異なる間柄ではあるのだが、それでも彼らは互いにひどく親しい感性を持っているのだと、そんなふうに感じていた。だからこそ、こうして時間をともにし、たわいもない言葉を交わすことが、楽しくてならないのだと。
―― それは、けして色恋に繋がるような類の感情ではなかったけれど。
むしろ、それ故にこそ彼らは、より似ていると言えたのかもしれない。
同じものを見ることができ、そして同じものを目指す二人は、誰よりも理解し合うことができるその為に、共に寄り添いあうことを求める必要はなかった。
むしろ離れて立っていればこそ、互いの持つ力をそれぞれ有効に、広範囲に及ぼすことができる。そう、無意識のうちに悟っていたから。
それは、春まだ浅き日に、王宮の一角で交わされた会話。
エドウィネル=ゲダリウスが、王太子として最後に過ごした季節のこと。
後に王位を継いだ彼は、王妃となる妻を迎えるに際し、この日の記憶を深い感慨と共に思い返すこととなった。
そしてそれはフェシリアにとっても同じことで。
だが、その日の彼らには、来る未来のことなど予想するべくもなく ――
穏やかな春の昼下がりを、彼らはただそうして、ゆっくりと楽しみ続けていたのだった。
(2006/06/04 15:42)
みずの様より123456HITでリクエストいただいておりました。
リクエスト内容は『フォルティスが他人にその有能さを買われ気に入られているのを見て、エドウィネルが慌てる(しかも実際は思うほど重大な事態にはなっていない)』でした。
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