楽園の守護者  番外編
 ― 故 郷 ―
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2008/10/6 9:49)
神崎 真


 夏の終わりを告げる、激しい雨と風を伴う嵐が過ぎゆきて、数日。
 風を入れるため開け放していた窓の向こうから、行商人の鳴らす鐘の音が、遠く聞こえてきた。荷車につけられた獣除けのそれは、カラン、コロンと聞き慣れた素朴な響きで山道を近づいてくる。
 机に向かって今回の被害についてを書きとめていた私は、心待ちにしていたそれを耳にして、ほぅと小さくため息をついた。筆を置き、こわばり始めていた肩や首筋の筋肉を揉みほぐす。
 目ざとく来訪者の存在を見つけた子供らが、歓声を上げながらつきまとっている気配が、ここからでも察せられた。月に一度ほどやってきては、遠い町の話を聞かせてくれたり、珍しいものを見せてくれる行商人は、いつも子供達の好奇心をかきたてる大切な客人まろうどだ。
 鐘のと子供らの声を耳にして、大人達も行商の訪れを知ったようだった。
 そこここから次々と、商人に呼びかける声があがり始めている。
 今度の激しい嵐で、窓を破られたり、納戸が壊れて中の物を流された家なども数多かった。それらの損害を埋めるためにも、商人の訪れを待ち望んでいたのは、村の誰もが同じだったろう。
 商人が店を開くのは、いつも村の真ん中にある、井戸のまわりに開けた広場だ。
 荷車の車輪が回るガラガラという音が、私の家のすぐ脇を通り過ぎようとする。
 私は窓から顔を出し、家畜のくつわを引いている行商人へ手を振ってみせた。
「やあ、ご苦労さま」
 そう声をかけると、彼は足を止めて疲れた笑顔を浮かべた。
「こりゃあ、先生。お久しぶりで。いやまったく、先日の雨風には参りましただよ。あっちゃこっちゃで道が崩れてて、もうなんぼ苦労させられたこったか」
 方々の訛りが入り混じった言葉で呟くその目の下には、濃い隈が刻まれている。顔色もあまり良くないようだ。ずいぶんと疲労が溜まっているらしい。
「あとでうちに寄るといい。滋養強壮の薬を出してあげよう」
「そいつぁ、助かりますだ」
 心底からとおぼしきため息混じりの言葉を落として、それから彼は、ああと気がついたように荷車を振り返った。
「今回も預かってますだよ。先生宛ての荷物。ええと、どれだったかな……」
 荷台をかき回すようにして、両手で持てるほどの麻布の袋を出してくる。
「いつもありがとう。こちらも助かってるよ」
「いんや。これぐらい、たいしたこっちゃねえですけん」
 それじゃ、と手を振って再び広場へと向かう行商人を見送ってから、私は受けとった荷物を部屋の真ん中にある卓へと運んだ。中身を確認しやすいよう、玄関の扉も開けできるだけ室内を明るくする。
 かたく縛られた袋の口をほどくと、防水用の油紙でくるまれた、いくつもの包みが出てきた。
 それから、同じく油紙に包まれた、一通の手紙。
 そちらはまず脇へよけて、中身の確認にかかった。次々と油紙を開いてゆけば、たちのぼってくるのはそれぞれ独特の、鼻をつく生薬しょうやくの匂い。厳重に包まれていたため、あの雨の中でも湿気や黴の類は混入しなかったようだ。
 それから、少し大きくて持ち重りのする包みには、ずっしりと実の詰まった良質の種籾たねもみが入っている。
 あとは読み書きの練習に使えそうな、文字の大きい簡単な書物が三冊と、小さな革袋に入った銀貨が数枚。
 いつものことながら、村の為にとても役立ち、かつこのあたりでは入手しにくい品ばかりだ。
 それらを確かめてから、よけておいた手紙をとりあげる。
 丁寧に油紙を剥がせば差出人として、懐かしい素朴な名が、洗練された流暢な筆致で書かれている。
 何年も前にこの村を出て、王都で立派な名を授けられてからも、それでも彼は今でもここへよこす便りに、村で暮らしていた頃の名を記してくる。
 その名もまた、けして彼が持って生まれたものではなく。掠れた吐息と唇の動きから読みとって、私が便宜上名付けた呼び名に過ぎなかったのだけれど。
 それでもあの少年 ―― いや、もうとっくに青年となっているはずの彼にとっては、それなりに思い入れのあるそれなのだろうか。
 彼がこの村で過ごしたのは、わずか数年のこと。指折り数えてみれば、もう村を出てからの時間の方が長くなっているはずだ。
 ああ、そういえば少年だった彼が、満身創痍でこの村に運び込まれてから、もう十年以上が過ぎているのだ。


 あの日、山へ数日がかりの狩りに出かけた男衆おとこしが、早々に予定を切り上げて戻ったと聞いて、最初に考えたのは怪我人か病人が出たのかということだった。
 森の中には獰猛な獣も多いし、道なき道を行こうとすれば、足を踏み外したり落石などの奇禍に遭うことも多い。何よりも、いつどこから姿を現すかもしれぬ妖獣の存在は、この国に住まう人間にとって、天災にも等しい脅威であった。
 一足先に駆け戻った男の要領を得ない言葉をもとに、とりあえず外傷薬と針と糸、さらしの布を用意し、近在の家に頼んで大量の湯を沸かしてもらう。
 そうして運び込まれるのを待っていた患者は、この村に住まう誰とも異なる、見覚えのない少年だった。
 年の頃は、おそらく十をわずかに越えたぐらいか。働き手として、ようやく役に立ち始めるあたりだ。助けてやれれば、それなりのことはさせられるだろう。
 そう判断しながらも、正直言って私は手当てをためらった。
 全身に妖獣の爪痕とおぼしき傷を負った少年は、負傷してから時間が経っていることもあり、治療を施したところで助かるとは思えなかったからだ。
 助けられない相手に対し、貴重な薬を使用するのは無駄な浪費となる。残酷な話だが、行商の訪れも少ない貧しい山村にとって、薬は手に入れる機会も少なく、値も高価な品なのだ。無駄になると判っていて、おいそれと使用できるものではなかった。
 せめて傷跡を清潔にして、あとは少しでも苦痛を和らげる処置を施し、そうして最期を見とってやるのが医者としてのつとめか。そう考えて傷口を洗おうと、手を伸ばしたその時だった。
 それまで意識を失っていると思われた少年が、すさまじい力で私の手首を掴んできたのは。
 寝かせられた、急ごしらえの担架の上から、こちらを見上げてくるその目。
 片方は、半面を覆う肉のはじけた無惨な傷に潰されていたが、残されていた左側の目。一見、単純な焦茶色にしか見えないその瞳が、すさまじいほどの光にぎらついていた。
 そこに宿っていたのは、執念とでもいうべきものだっただろう。
 その時の少年は、けして生きることを諦めていなかった。むしろ何にしがみついてでも生き延びてやると、そんな意志に支配されているように思われた。
 未だ年端もゆかぬ少年の放つその執念に、私は圧倒されたのだった。
 そうして治療と看病の結果、彼は見事にその生命をとりとめた。
 確かに半面は、右目もろとも失われていた。そしてこれは村の誰にも告げはしなかったが ―― その喉は妖獣に襲われるより以前に、何者かの手によって潰されていた。全身に残った傷跡の間、胸元にわずかに残る無事な皮膚をよくよく観察してみれば、そこには刺青とおぼしき模様の刻まれているのが見てとれる。都会の破落戸ごろつきなどならばともかく、年若い少年の肌に刻まれたそれは、彼自身が望んだものではなく、なんらかの ―― 隷属の証として無理矢理施されたものに違いなかった。おそらくは人買いの手にでも落ち、その先で喉を潰され刺青を入れられ ―― そうして逃げ出してきたのだと。そんなふうに予測するのは容易いことだった。このあたりでは見かけぬ異国風の顔立ちも、そんな経緯を考えれば納得がいく。
 動けるようになってからは、治療の礼と村に置く代償としてさまざまな雑務を手伝うようになった彼だったが、物の飲み込みは悪くなかった。むしろ村のどの子供らよりも良かったと言えるだろう。
 声が出せぬこともあってか、人一倍早く読み書きを覚えた彼は、私の持つ少ない蔵書をあっという間に読み尽くした。基本的な薬草もすぐに見分けられるようになり、簡単な薬の調合なら、まもなく任せられるようになった。
 あるいはこれは、拾いものだったかもしれない。
 そう思い始めるのに、時間はかからなかった。
 弟子として私が知ることを教えていけば、医師のほとんどいないこの近辺で、とても重宝される存在になるだろう。
 そんなふうに考えながら、それでも私は、彼に対して一抹の不安を抱いていたように思う。
 死に瀕したあの時、あれほど生に執着し、生きようとする意志を見せた少年。しかし健康を取り戻した以降の彼からは、そんな覇気などまるで感じられなくなっていたのだ。
 村人達に言われるままに淡々と仕事をこなし、やはり私が命じるままに、何の感慨もなく薬草を覚え、採取し、薬を調合する。
 半面を無惨な傷で覆われた彼の表情は、確かに読みにくくこそあったが、それ以上に彼自身がその感情をあらわにしようとしなかったのだ。その働きを誉められる時も、失敗を咎められる時も、彼の態度はほとんど変わらず、ただ小さく頷いてみせるばかり。
 時として村の悪童どもに、目や声のことでからかわれたりした時も、その表情は貼りついたように動くことはなかったのだ。
 そんな彼が、最初の時のような、激しい感情の発露を見せたのは ―― そう、あれは村が妖獣に襲われたそのときだった。
 長く鋭い爪を持つ、六本足の山猫の群。その爪がもたらす傷跡は、彼の全身に刻まれたそれに酷似していたように思う。やはり六つ並んだその黄金の目に、村人達はただ怯え逃げまどうしかできずにいた。当然だろう。彼らが相手にしたことがあるのは、あくまで尋常の野の獣ばかり。それも肉食獣が相手ならば、一体を相手に複数人がかかって、ようやく仕留められるかどうかというところだ。それが何匹も一度に現れたのだ。彼らにできることといえば、ただ家の中に閉じこもり、家畜で腹を膨らませた妖獣どもが満足して引き上げるか、破邪騎士団セフィアールの助けを待つか、それぐらいしかなかった。
 もちろん私とて例外ではなく ―― たまたま広場で読み書きを教えていた子供らと手近な家へ逃げ込み、閉ざした扉に心張り棒をかまそうとした、その瞬間。
 土間に放り出されていた薪割りを手に、閉じたばかりの扉を開け放して、彼が飛び出していったのだった。それは文字通り、止める間もない勢いで。
 とっさに追おうとした目の前で、扉は家主によって再び閉ざされていた。ガチャガチャと音を立てて心張りをかけ、次々と鎧戸を閉ざしてゆく。そんな家主の行動を咎めるわけにはいかなかった。たった一人のために、いま逃げ込んできている全員の命を危険にさらすわけにはいかなかったのだから。
 私ができたのはただ、鎧戸の隙間から外の様子をのぞき見ることだけで。
 そうして ―― 私は見たのだった。
 片方しかない目をぎらつくように輝かせて、妖獣へ薪割りを振り下ろす彼の姿を。
 分厚い刃は、妖獣の頭蓋を真正面から叩き割っていた。妙に鮮やかな朱色の血が噴き出し、薪割りを持つ彼の上体をまともに汚す。びくびくと痙攣する身体から得物を引き抜いた彼は、すぐさま別の妖獣の首筋へとそれを叩きこんでいた。その次も、その次も。やがて血糊と刃こぼれで薪割りが使い物にならなくなると、逃げる途中に誰かが投げ捨てていったのだろう鍬を拾い上げ、同じように振りまわす。
 もちろんのこと、彼もまた無傷ではすまなかった。
 妖獣の爪は幾度もその身体を捕らえ、牙がその肉をえぐっていった。
 それでも彼は、怯むことなく ―― いや、むしろあれは ―― 嬉々とした表情で妖獣へと向かい続けていた。
 そう、確かにあの時彼は、その顔にまごう事なき笑みを浮かべていたのだ。
 妖獣を屠ることが楽しくてたまらないと。村で過ごした数年の間、一度としてみせることのなかった、それは喜びの顕現だった。
 その時まで、私はまったく気付いていなかった。彼が心の奥底で、どこまでも妖獣を憎む心を育てていたことに。
 生きる、というその行為の源として、妖獣に対する尽きせぬ憎悪を必要としていた、その事実に ――
 やがて、先に被害に遭っていたという近隣の村へ訪れていた破邪騎士団は、幸いにも間もなく駆けつけてくれた。そうして妖獣を相手に刃を振るった彼に目を止められ、王太子殿下直々より、騎士団への入団を勧められたとき。私は誰より早くそれに賛成していた。
 破邪騎士として妖獣を退治してゆくことこそが、彼にとっての生きる道にふさわしいと、そう思ったからだった。
 いや……あるいは私は、怖れていたのかもしれない。
 妖獣に対してあれほどの憎しみと容赦のなさを見せたこの少年が、そう滅多に妖獣など現れることがないだろうこの村の中で、いつか鬱屈をつのらせ取り返しのつかないことをしでかしてしまうのではないかと、そんなふうに……


 ―― 少年だった彼が村を出て、王都で騎士になってから、はや数年。
 彼がこの村に戻ってきたことは、一度としてない。
 それでも月に一度か ―― 長くても三月に一度は、こうして便りが送られてくる。
 手紙の内容は、簡単な近況を綴ったもので、村の様子を訊ねるものでもある。共に届けられるのは、たいてい幾ばくかの現金と、村では手に入りにくい高価な薬や書物といった、実用品が多い。
 田舎暮らしを嫌って村を出てゆく若者は数多いが、こうも忠実まめに仕送りをくれる人間はまずいなかった。たいていはこちらから便りを送っても梨のつぶて。行方が判らなくなる者も多いし、無一文や病身となって、村の荷物になるばかりといった風情で戻ってくる者もいた。
 それだけに村の人々は、彼のことをとてもありがたく思っているようだ。
 実際彼のおかげで、単純な病をこじらせて死ぬ者はいなくなった。薬の不足に頭を悩ませることもなくなり、送られてくる現金は、村の共有財産として壊れた柵や水車小屋などを修理する際に役立った。品種改良を施された質の良い作物の種子は、村の生産力を大きく引き上げてくれたため、死者が減った結果として村民の数が増えても、その口に入れるものが充分に賄える。結果的に村の規模は、彼がいた頃より確実に大きくなっていた。
 偶然山中で拾い上げた、たった一人の瀕死の少年が、この村に施してくれた恩恵は果てしがない。
 けれど……そんな彼に対し、私達はどれほどのことをしてやれただろう。
 と。
 そこまで考えたとき、玄関にふと影が差した。
 そちらに顔を向けると、村長むらおさが立っていて、目を細めるようにして卓上の品々を眺めている。
「ああ、村長。ちょうど良いところに。『彼』からの荷物が届いたところですよ」
 そう告げると、村長は心労のうかがえる顔に、ほっと安堵の色を浮かべた。
「それは助かるだ。……今回の嵐では穀物にずいぶん被害が出たし、橋も流されてもうたけん……」
 革袋からのぞく銀貨に目を止めて、村長は肩に入っていた力を抜く。
 収穫前になぎ倒されてしまった穀物のおかげで、今年の冬に向けての蓄えは、ほとんどできそうになかった。だがこれだけの銀貨があれば、村人全員がどうにか飢えずに一冬を越せるだろう。そして飢える心配さえなければ、隣村へと続く唯一の橋をかけ直すための、労働力も確保できるというものだ。
「すぐに返事を書こうと思っています」
 後で薬を受け取りに来る行商人に託せば、彼はこころよく引き受けてくれるだろう。あちこちの村を幾日もかけて巡る行商の旅では、ついでにそうした届け物を引き受けるのも珍しくない話だ。目的の相手まで届くのには数週間 ―― いや、おそらく数ヶ月の時がかかるだろうが、それもこんな田舎では仕方のない話だ。
「ああ! でしたら、ちょっと待ってて下せえな。ちょうど女房が冬用の上着を縫い上げたゆうとりましたけん。一緒に送ってやって下せえ」
 様々な品を仕送りしてくれる礼にと、長の妻や村の女達が、衣服や細々とした手作りの品を同封させてくれと、そう言ってくるのも常のことだった。
 私はもちろんとうなずきながら、内心で苦い笑みを浮かべる。
 ろくな染めも刺繍も施されていない、粗末な木綿の上着など、王都のそれも上流階級の間で過ごす彼にしてみれば、襤褸ぼろ同然の代物だろう。礼になるどころか、人前で袖など通せるはずもあるまい。
 中央から遠く離れたこの村には、破邪騎士の勇名などほとんど伝わっては来なかった。村人達にとって破邪騎士とは、妖獣を倒す力を持つなにやらすごい騎士だという、ただそれだけで。その持つ本当の権力、財力などはまるで理解できていないだろう。
 医術を学ぶため、いっとき都会 ―― といっても、王都には比べるべくもないが ―― で過ごした経験のある私だからこそ聞きかじってもいたが、おそらく彼にとってはこの程度の仕送りなど、経済的にはごく些細な、負担とも呼べないそれのはずだ。いまの彼ならば、その気になればおそらく、この村そのものを買い上げることすらできるだろう。
 それでも ―― 彼のこの援助はとてもありがたいことだった。この村で過ごしたわずかな時間を忘れてしまうことなど、ごくごく簡単な、むしろ当たり前とさえ言えることだろう。それなのに彼は、自ら筆をとり、こうして様々な品物を送ってくれる。私が書き送った村の近況を丹念に読み解き、その時々に必要だと思える品々を判断し、さりげなく添えて。
 それが、とても、とてもありがたい。
 卓に広げた今回の品を見まわして、私はしみじみと遠き王都へ感謝の念を送る。
 あの時、瀕死だった少年を見殺しにしていたならば、それはけして得られなかったはずの援助だった。
 これらの品々がなければ、失われていただろう命は、村にとても数多い。
 それなのに……我々は、彼にどれほどのものを返せているだろう。
 なにも、と言って良いだろう。
 たった一度の命の借りと、ほんの数年の歳月。それだけで我々は、望外の報酬を受けとっているといえた。
 村を出る日の、やはり貼りついたような無表情だった、少年の面差しを思い浮かべる。
 そんな面影さえも、既に私の記憶からはおぼろになりつつある。それでも彼にとって、この村は第二の故郷たりえたのだろうか。
 だからこそ、こうして彼は村に援助をしてくれるのだろうか。
 私などは、彼を怖れたというのに。
 彼の存在が村のためにならぬかもしれぬからと、王太子殿下の要請をこれ幸いと、半ば追い出すかのようにその存在を村から遠ざけたというのに。
 そして、また。
 これから書こうという返事に、私は村の近況として、嵐に見舞われ多くの損害を受けたことを記すだろう。彼がその文面を読んで、相応の仕送りをしてくれるだろうと、そう期待しながら。
 そうやって、彼のことを利用している私が、こんなことを思いわずらうなどおこがましいとしか言えないのかもしれない。
 けれど。
 それでも、せめて。
 今の彼が少しでも幸せであったらいいと、そう願わずにはいられない。
 あの日々の中で見せていた、無気力な表情や、村を襲った妖獣に向けた、尽きせぬ憎悪ばかりではなく。
 もっと様々な、多くの感情を取り戻せているといい。心身共に深く傷ついた彼の、その肉体しか癒してやることのできなかった私だったが、その心が少しでも癒されていることを、遠いこの空の下から祈らずにはいられない。
 それがあくまで利己的な、気休めの贖罪に過ぎないのだとしても ――


◆  ◇  ◆


 手紙を書き終えても、行商人はまだ薬を取りにはこなかった。
 村人達が必要としている物も多かったし、先日の嵐で近隣の村に出た被害について、話をしたりといったことに手を取られているのだろう。
 村長から届けられた上着の包みと手紙を持って、私は診療所と兼用になっている自宅を出た。広場に足を向けると、案の定、村人達が行商人を囲むようにして集まっている。
 だが ―― 声をかけようとして、私は彼らがみな同じ方向を注視しているのに気がついた。ひそひそと不安げにささやき交わしながら、村の入口に繋がる道の方へと視線を向けている。
 自然と私も歩みを進めながら、そちらへ目をやることとなった。
 そうして思わず、鋭く息を呑んだ。
 そろそろ傾き始めた午後の陽差しを背に、村を貫く通りを歩いていたのは、それぞれ乗馬の手綱を引いた、三人の男達だった。
 みな二十歳前後の若者で、かっちりとした揃いの青い服を着て、濃い藍色の外套を羽織っている。うち二人は物珍しげにあたりを見まわしていたが、先頭に立つ一人は、集まっている人々を眺め、それから私の方を見て ―― 柔らかく微笑んだ。
 見慣れない姿の男達を前に、村人はみな戸惑ったように互いの袖を引いては、顔を見合わせている。
 だが ――
 私には判った。
 先頭に立っていた青年は、馬をその場に残すと、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
 その右半面は、黒革でできた仮面のようなものに覆われていた。首の後ろで結ばれた髪が、西日を受けて濃い焦茶色に透けている。
 歩みよってくる彼の後ろで、残された二人の青年が言葉を交わしているのが聞こえた。
「あいつの予想通り、だいぶ畑に被害が出てるみてえだな」
「橋も落ちてるようだし、途中の道だって何ヶ所も崩れてたから、職人を寄こすように手配しないと」
「回り道して様子見に来て、正解ってとこか」
 褐色の肌をした南方の出らしい青年と、亜麻色の髪を結んだ幾らか年下と見える若者。
 その青色でまとめられた服装と、なにより腰に下げられた細い銀色の剣は、数年前に目にしたそれと、間違いなく同じものだ。
「…………」
 やがて。
 私の目前で足を止めた青年が、困ったような、戸惑ったような、そんな表情を浮かべて見下ろしてくる。
 かつては私より低かったはずのその目線は、いまでは見上げなければならなくなっていた。
 貼りついたような無気力さをたたえていたその顔には、懐かしさと、村を心配する色を交えた、複雑な表情が浮かべられている。
 無意識のような仕草で奇妙な手ぶりをし、それから慌てたように隠しを探って、石版と白墨を取り出した。
 文字を書こうとするのを手で制し、そうして私は改めて彼を見やった。
 胸が熱くなるのを懸命にこらえ、どうにかいつも通りの静かな声を出せるよう、努力する。


「おかえり……アート」


 その言葉に彼はふと動きを止め、そうして ――
 村を出るまで一度も見せることのなかった、満面の笑顔を返したのだった。


(2008/10/06 20:28)



 

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